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目次
#1『episode R :廻り始めたオーバーチュア』
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
--- ずっと、後悔の連続だった ---
--- いつだって僕は二択を間違えていた ---
--- きっとそれは、これからも続くのだろう ---
--- 終わらない|序曲《オーバーチュア》のような、人生が ---
---
それは、僕が16歳の時。夏休みに入って、大量の課題に頭を悩ませている頃だった。
机に向き合い数学のテキストを開く。しばらく文字を眺めてはみるが、視線は滑ってばかりで一切問題の意味が分からなかった。
ため息をついてテキストを閉じる。別に、数学だけが苦手な訳じゃない。全ての教科でこうなっているのだ。
自分の解答に自信が持てない。それはよくあることでは無かろうか。知識をいくら詰め込んだとて、記憶は完全な形になることがない。決められた曲線に沿って、僕らの記憶は少しずつ欠けていくと誰かが言っていた。
僕の場合、それはどんな時にだって現れる。この宿題だって、授業中の発言だって、テストでさえも自信がなかった。教師ですら僕に「顔だけが取り柄」と言うほどの。
空をぼんやりと眺めていれば、全ての問題が解決したような気分になってくる。実際は机の上と鞄の中に大量の悪夢が詰め込まれているので、本当にただそんな気分になっただけだが。
そんな風に空をぼーっと眺めていると、小さく何かが落ちた音がした。室内を見るが、特に配置が変わった様子はない。
気のせいだったかともう一度窓を覗くと、家の目の前の道路に人が倒れていた。…え、人???
「…人だ」
慌てて椅子から立ち上がり、部屋着のパーカーのまま下まで駆け降りる。玄関を出て窓から見ていた場所に向かうと、本当に人が倒れていた。それも顔から。
「あの…だ、大丈夫ですか…?」
「………」
「えぇ……と、手首、失礼します、ね…」
こんなときどうすれば良いか分からなくて、とりあえず脈を図る。脈はあるし、特別早いとか遅いとかもなかった。次に呼吸、これも大丈夫。…というか、小さく何か喋ってる?
「………__|了《ら》__」
「ど、どうかしましたか?」
よく聞こえなくて、一先ず痛いところが無いか聞く。無いと首をゆるく振ってくれたので、まず仰向けに転がしてから口元に耳を寄せた。
「…__|肚《どぅ》__…__|了《ら》__」
「……?も、もう一度お願いします……?」
「…|肚子《どぅーず》…|饿了《あーら》……」
そう言うなり、同時にお腹の音が鳴る。それも、目の前の人から。ホームレスかと思ったが、それにしては色々小綺麗すぎるし……てか今のって中国語…だよな?肚子饿了、確か意味は……お腹が空いた、だったはず。
物乞い中国人??でも、それならさっきの音は一体……もしかして空腹で倒れた?
(倒れるほどの空腹…って、ヤバくないか…?)
冷や汗が肌を伝う。どうしよう、助けないと。でも、もし危ない人だったら?そんな考えが頭の中をかき乱していく。助けるべきか、それとも助けない?……こうしている間にもこの人は苦しんでいる、僕にできることがある。それならせめて、やれることだけやってしまおう。後悔はその後だ。
「少し、待っていてくださ……あ、と、我现在…就给你带点吃的。… 请稍等!」
中国語で少し待っていてくださいと伝え、急いで家の中へと駆け戻る。どうか戻った時、この人が死んでいませんようにと、それだけを願って。
---
--- 〜ここから先は自動翻訳をonにしています〜 ---
「いやァ死ぬかと思った!ホントにありがとうね」
「い、いえ…その、無事そうで、何よりです…」
あの後いくらか水とおにぎりを与えれば、倒れていた女性…いや、男性?はすぐに元気になった。今はひとまず僕の自室に匿っている状態だ。
彼(男性だった…)はシイと名乗り、自身を…|混乱的城市《フィンランデ・チャンシイ》という国?の生まれだと言った。当然そんな国名は見た事も聞いたこともないし、中国の地名でもなさそうなので余計に混乱する。
「ア、そういや名前聞いてなかったワ。お名前なんて言うの?」
「えと…………落安零、です………」
一瞬知らない人に名乗っても大丈夫なのか不安に感じたが、すごく悪い人にも見えなかったので名前を言ってしまった。シイさん(きっと年上なのでさん付けすることにしました)は何度か僕の名前を繰り返すと「じゃア零くんだ。ヨロシクね」とこちらに笑いかける。その笑い方がなんだかとても「大人の男性」と言う感じがして、すこし気恥ずかしくなってしまった。
「…ねぇ、零くんはさ。ここじゃない所に居なくなってしまいたい!って思ったことってある?」
こちらの目をじっと見つめながらそう言われて、思わず動揺する。何で知っているんですか、と言いそうになってしまった。それは、ぼくがずっと望んでいたことだったから。
「オレさ、零くんみたいに辛い環境で生きてきたの」
「僕みたいに…?」
僕はこの人を知らないし、この人が僕の立ち位置を知っているとも思えない。なのに、彼が言うならきっとそうなんだろうと信じてしまう力が、彼の言葉にはあるように思えた。
この人も、僕と同じで親から愛されなかったのかな。やりたくないことをやらされてたのかな。見知らぬ彼の過去を勝手に想像して同情するだなんて馬鹿なことだ。分かっているのに、そんなこと。
「…零くんで良ければさ、オレのいた世界に来ない?」
「シイさんのいた、世界…?」
「そう!ここみたいに勉強もしなくて良いし、親に嫌なこともされない!!飯も美味いし皆んな自由に生きてる、そんな世界に!」
そんな夢みたいな世界、あるのだろうか。不安になるけれど、シイさんの尖った耳や歯、そして不思議な服装に髪と目の色。それらはまるで、彼が異世界からやってきた異邦人のような雰囲気を醸し出している。
もし、もし本当にそんな世界があって、両親からの暴力から逃れられたら。それはどんなに素敵なことだろうか。ぐらり、と現実離れした高揚感で足元が揺れた気がした。
「零くん、どうする?」
優しく首を傾げるシイさんは、とっても格好いい大人の男の人で。差し延べた手と相まって、まるでどこかの王子様のようにも見えてくる。
やらない後悔よりやる後悔。使い古され擦り切れた格言の威を借りるように、勇気を振り絞って決断をした。
「…い、行きたいです。連れて行ってください!」
そう言いながら、シイさんの手を取る。瞬間、プツリと映像が途切れたような音がして、僕は意識を失った。
--- 若気の至りとほんの少しの浅はかさだった ---
--- この行動の責任を取るのは僕自身だと理解していなかった ---
--- あの日から、ずっと後悔している ---
--- `彼の手を取ったことを、ずっと…` ---
---
「アーア、バカだなァ零くんは。駄目だろ?知らない男に着いてくなんて…」
「なんで…?だって、自由って…」
「ああ、そうだよ?オレは自由に生きてる。他の奴らだって自由に、ソイツらのしたいことを、好きなよ〜にやってる。…弱肉強食だよ。ホラ、自由ってそんなもんじゃん?」
そんな、どうしてと問いかける。ガチャガチャと音をたてる鎖は、僕の両手首と両足首をゆるりと壁に固定していた。外そうとしても外れなくて、鉄がリアルな冷たさを保っていて。思ってたのと違う、なんて言えるような雰囲気ではなかった。
「どうしてって言われても、まぁ気まぐれ?よくやるんだよね。暇だから」
「気、まぐれ…?暇だから、って………」
「ア、汗かいてる。かわいーねー」
にた、と笑う姿は数分前の彼とは似ても似つかなくって。嗚呼、僕は誘拐されたんだとやっと気がつく。ここはどこ、と聞いても、彼は混乱的城市だとしか言わない。
こんな状況で頭を撫でられ、あまりの恐怖に涙が出てくる。分からない。こんな大人知らない。
「とうさん…かあさん……」
「……エ〜?今更それ?零くんって、もしかして頭が悪いのかなァ?」
「…へ」
「零くんにも分かるように、簡単に言うとね〜。ここは異世界で、君はもう元の世界には戻れないんだよ?だからァ…」
そう言うと、シイさんは僕の右手首についている手錠の鎖を勢いよく引っ張る。その衝撃で上体が引き寄せられ、地面に倒れた。痛みに悶えつつ体を起こそうと腕をつくと、顎をするりと触られ無理やり口付けられる。
「ッグ、ン…?!」
「ん…は。ネ?こういうことしても…泣いても、叫んでも…君の|vati《パパ》と|mama《ママ》には会えないし、だぁれも、助けに来ないんだよ」
冷たい雰囲気の赤い瞳が、じぃっと僕を覗き込む。その言葉の恐ろしさに震えが止まらなくなって、嗚呼これが悪い夢ならどんなに良かっただろうかと、ぼんやりと願った。
「アハハ、震えてる。まぁ良いや、じゃあね」
「え」
ひょいと立ち上がり、さも興味がなくなりましたと言う風にこちらに背を向け、シイさんはさっさと部屋を出て行ってしまう。まって、と静止の言葉を掛けても、聞こえなかったのか彼が足を止めることはなかった。
ひどく疲れて、壁に背を預ける。じゃらりと鳴った鎖の音と呼吸音だけが部屋に響く。よくよく周りを観察してみれば、ここはベッドの上で、部屋は普通の寝室といった風だった。
一応シイさんが出ていったドアを開けようとするも、やはり鍵が閉まっているのか開かない。もうひとつのドアはなんだろうと開けてみれば、そこはトイレらしかった。
人一人が暮らすに充分な部屋。そこに入れられたことで、自分はここで一生を過ごすこともできてしまうのだと考え絶望する。ふらふらとベッドに戻り倒れこめば、ひどい睡魔が襲ってきた。
何も、考えたくない。今はただ、現実から逃げてしまいたい。そう思い瞼を閉じた。
「こんなことになるなら、彼を助けなければ良かったのかな…」
問いは誰にも届くことなく、部屋の中で息絶える。その姿は、まるで泥のように眠る彼にそっくりだった。
---
「…今、なんて」
「だから、出してあげるってこと。勿論条件付きだけどね」
僕が誘拐されてから、恐らく数日が経った頃。突然シイさんが「外に出たい?」と聞いてきた。
無論出たいと答えるとシイさんは「じゃあいいよ」と言ったのだ。…信じられなくてもう一度聞いても、その心は変わらないらしい。
そりゃあ今すぐにでも出たい。出たいけれど、その条件というのが引っ掛かる。もう騙されないぞという気持ちで条件とは何かと聞けば、シイさんはけろっとした顔でこう言った。
「お仕事の手伝いだよ。そんなに難しいことじゃないし、専門知識もいらないやつ」
「そ、そうなんですか……」
それなら簡単そうだけれど、どんな風な仕事なのだろう。全く想像がつかなくて、何の仕事かを聞く。
すると、シイさんは今度にまと口角を上げいかにも「待ってました」と言った顔でこう告げた。
「殺し屋。依頼された人を殺すの。やる?」
殺す、そう聞いた瞬間に頭が真っ白になる。殺す、殺すって何?人を?どういうこと?分からなくて、でも冷や汗がダラダラと出てきた。
「てかやって。よくよく考えたらもう恩返した気するし、あと人手足りないからさ」
そう言うなり、シイさんは部屋の外へ出て、すぐに戻ってくる。後ろ手に持っているのは、気を失っている風な、一人の男。
唖然とする僕の目の前にそれと一緒にナイフも投げて、もう一度「やって」と言う。
そんなこと言われても、人の殺し方なんて知らない。というよりも、やりたくない。そう言うと、シイさんは「しょうがないなぁ」と僕の手ごとナイフを掴んだ。
「ひ」
「はい、よぉく見てて。ここ、心臓。骨があるから刺しづらいんだけど、だいたい…そう、ここにナイフの切っ先を合わせて…」
「あ、う」
「はい、そしたらこうやって勢いよく…下ろすっ」
ぐいっとシイさんが僕の手を下へと下げ、勢いよく男の胸に刺さった。どぷ、と血があふれ、ナイフごと僕とシイさんの手を濡らしていく。その匂いと、感触と、最後の男の呻き声を皮切りに変に視界がぐらつき、そのまま僕は意識を手放した。
「…ありゃ、零くん?刺激が強すぎたかな」
呑気にそう宣ったシイは、男の体を用意していた袋に詰めて部屋の外へと放り出す。そのまま失神している零を置いて、一人死体を引きずっていった。
---
「へぇ。お前が落安零?…男じゃん」
「……」
僕がシイさんの仕事を手伝うようになってから、1ヶ月が過ぎた。今僕は、やっとこさ軍の仕事から帰ってきた、もう一人の同居人だと紹介されたフーゾさんに睨まれている。
フーゾさんは、うっすら目元刻まれた隈を除けば彫刻のように綺麗な顔をした男の人だ。シイさんとはまた部類の違う、いわゆる美男子。そんな彼に睨まれると、なんだか自分が蛙になったような気分だった。
「てかさ、シイはいい加減家に男連れ込むの止めろよ。良い迷惑なんだけど」
「え~?でもフーゾ家全然帰ってこないじゃん?だから良いかなって」
「だからさァ、たまの休みにお前みてーに知らないヤツ家にいて安心できるほど、俺は能天気じゃねぇの」
「でもお前抱かせてくんないじゃん」
「……ダル」
大きな舌打ちをして、フーゾさんは僕の隣を素通りしていく。シイさんの方をちらと見やると、笑ってるのか笑ってないのか分からない顔をしていた。
同居をしているし、彼ら二人は恋人同士なのだろうか。けれど、あの様子だと違うのかもしれない。フーゾさんの怖さから頭を別の方向に持っていきたくていらんことを考えていると、シイさんに声をかけられる。
「ああいうヤツだけど、基本的に無関心なだけで懐に入れば結構身内馬鹿になるからさ、あんまし怖くないよ」
ちょっとでもシイさんに期待した自分がアホらしくなった。フーゾさんは怖いしシイさんはクズだしで、本格的にこの世界に来たことを後悔し始める。どうにかして帰れたりしないだろうか。
---
冷水を顔に当てて、次に体を濡らしていく。冷えきった水が、熱を持ったような打撲跡の痛みを紛らわせて気持ちが良い。
体中に刻まれた跡を見て、結構薄くなってきてたのにな、と残念に思う。薄くなった痣とはまた別な、お腹のところにできた跡を優しく撫でた。
僕がシイさんに連れ去られてから、はや半年が経った。現状は何も回復せず、強いていうならシイさんが僕に手を出し、フーゾさんが暴力をふるうようになったことくらいだ。無論この変化は最悪なものである。
先程撫でた跡は、つい先程フーゾさんに蹴られた時のものだ。何が悪かったのか分からないけれど、きっと愛想笑いをしていたのが気に入らなかったんだろうと推測する。
懐に入れば身内馬鹿という言葉を信じ、久々に帰宅した彼に声をかけてみればこれだ。もう何度もこれを繰り返しているが毎回惨敗しているので、この家にマトモな大人は誰もいないということをひしひしと実感し落胆する。
軍人だという彼は、確かに力が強かった。この間ぎりと掴まれた肩にもまだ手形があるし、胃のなかは気持ちが悪い。骨が折れていなかったのが唯一の救いだ。
手入れしろとシイさんに言われた髪を丁寧に洗い、次いでで体も清める。今日はシイさんに呼ばれた日だから、いつもよりも念入りに。虚しくなって、少しだけ視界が潤む。いつまで経っても、この作業だけは慣れない。
風呂から上がると、珍しくフーゾさんがリビングのソファに座っていた。なるべく刺激しないように気配と足音を消して一度自身の部屋へ行こうとすると「こっち来い」と呼ばれる。
まだ髪の毛も乾かしていないので、なるべく遠くに立つと「遠い」と言われてしまった。声からして苛立っていて、多分あと一回しくじれば何か物が飛んでくるので遠慮なく左斜め後ろの方へ立つ。
どうやら先程のは不正解だったようで、強めの舌打ちをされてから「座れ」と言わせてしまった。物が飛んで来なかったことに安堵しつつ、対面に座ろうとする。
「……お前さ、シイに同じこと言われてそこ座んの?」
「えっ…?い、いえ…」
いつもならそう言われれば隣に座っているのだが、さすがに今は濡れているしフーゾさんの隣は駄目だろうと思い止めた。その旨を伝えると、今度は大きなため息が聞こえてくる。また怒らせてしまっただろうか。
「いつも通りで良い。隣」
「……へ?」
「…隣に座れ。右でも左でも良い」
怖すぎる要求に、心底震え上がる。でも逆らえば今度こそ命はなさそうなので、大人しく左側に座った。
機嫌を損ねていないかと、横目でフーゾさんを見上げる。と、めちゃくちゃ目があって死ぬほど気まずくなった。
「……魔力が無いな」
「ま、魔力…???」
「………魔法って、知ってるか?」
魔法、唐突にやってきたファンタジーな要素に頭が混乱しつつ、聞いたことならありますけど…と答える。
「……質問を変える。お前、魔法ちゃんと見たことってあるか?」
魔法を?ちゃんと見る??質問の意味が分からなくて、とりあえず首を横に振った。すると、フーゾさんがより大きくため息をつく。どうしたのだろう、徹夜のし過ぎでついに頭がおかしくなってしまったのだろうか。
「魔法っていうのはな…個体差はあれど、だいたいの生きモンが持ってる魔力っつーのを放出して再現する現象の一つだ。俺も…シイも使える。…教わらなかったか?」
「え、あの、いえ……全く……」
ま、ままままま魔法??!!!!そんなファンタジーな、ああでも異世界だから…!!あまりにも元いた世界と変わらないもんだから、すっかり頭から抜けていた。そうだこの世界って異世界だ。
それはそれとして、子供の夢の塊ような事実に胸が踊る。えっ、見せて貰えたりするのだろうか。
「……その、ちなみに…フーゾさんは何の魔法を使われるので…?」
「…んな目で見るなよ。ほら、後ろ向け」
言われた通りに後ろを向くと、後ろから生ぬるい風が吹き始める。来た!と思って振り向こうとすると「こっち見んな」と頭を掴まれ戻されてしまった。
風がより強く、暖かくなった頃。フーゾさんが「触るぞ」と頭を触ったのち、頭頂部に温風が吹き始めた。そのままだんだん下へと下がってきて、ついに毛先まで吹き付け終えると、今度は風が冷たくなる。
冷たい風を髪全体に当たるように吹かせると、フーゾさんがもういいぞと言い、同時に風も止んだ。
魔法を見させては貰えなかったが、充分感じることができたのでとても満足だった。でもなぜ髪の毛?と思っていると、ふと髪の毛が乾いていることに気がつく。
「…髪の毛乾かしてくださったんですか?」
「魔除け」
「魔除け…ですか」
よく分からなかったけれど、髪の毛を乾かしてくれたことに対してお礼は言ったのだから良いだろう。時計を見ると、指定されている時間ギリギリで、慌ててフーゾさんにもう一度お礼を言ったあとにシイさんの部屋へと向かった。
「……………萎えた。今日は良いや」
「えっ…そ、そうですか」
急いで向かったシイさんの部屋にて。最初はだいぶノリノリだったのだが、シイさんが僕の髪の毛を触った途端に萎えたと言って追い出される。
こちらとしてはとてもありがたいのだが、何故だろう。首をかしげながら自室に戻っていると、先程のフーゾさんが言った「魔除け」という一言を思い出す。
「……まさか、ね」
ちなみに、その日の夜はフーゾさんの魔法を見た興奮でなかなか寝付けなかった。
---
--- 夢を見た。人魚になって、海を泳ぐ夢だ ---
--- 歌を歌い、魚と戯れ、自由に暮らす ---
--- ある日一目惚れした男性をもう一度一目みようと人間になり、声を失った ---
--- 自身の想いは男に伝わることはなかった ---
---
水から引き上げられるような感覚がやってきて、目を覚ますとそこは見知らぬ部屋だった。早くもデジャブを感じる。
周囲を見渡す。無機質な白い壁に白い床白い天井白いベッド白白白まっさらホワイトだった。目がチカチカするくらい白くって、ひとまず状況を整理しようと目を閉じる。
この世界にやって来てから、はや五年が経った。時間が経つにつれ、次第に人殺しに抵抗がなくなってきて、シイさんやフーゾさんとの接し方も分かりかけてきている。
そんな時、なんと僕のいる混乱的城市という国とその西の方にあるメーラサルペという国が戦争をすることになった。当然戦争になんて巻き込まれて生きて帰れるわけがないので、僕はしばらく休職ということに。
そうして買い出しのため街中を歩いていた時のことだった。いきなり何者かに眠らされ、気がついたらここにいたのだ。
ああそうだ、これは誘拐だ。しかも僕の同意すら無い誘拐。シイさんの時だって同意は求められたのに。
どうしようかと悩みとりあえず起き上がろうとした瞬間に、何者かによってドアがノックされる。どうしたら良いか分からなくて、一先ず「どうぞ」と言った。
ゆっくりドアが開かれる。誰が来るのかじっと待っていると、推定180cmはありそうな大男が現れた。
「…君は、落安零くんで構わないかな?」
「………」
一応浚われた先なので情報をあまり話すつもりはない。が、この感じだとだいぶバレていそうだった。
じろり、と見下ろされる。相手がとても身長が高くこちらがベッドに座っているから、圧迫感が凄い。
サングラスで瞳の色は分からないが、それが逆に冷たい印象を与えていた。なんとなく、なんとなくだがシャチのような人だな、と思う。
「……口を割るつもりのないのとこ悪いけれど、私達は君の情報を全て知っているよ」
「…なら僕の出身地、当ててみてください」
これは、シイさんと僕以外誰も知らない情報だ。…きっと他の情報は普通にバレているとは思うが、誘拐された腹いせである。
相手はピクリとも表情を変えず、こちらにカツ、カツと歩み寄ってきた。だんだん視界がその人に圧迫され、同時に首が痛くなってくる。
ふっと、視界から彼の顔が消えた。あれ、と思って消えた方向___下を向くと、彼は僕に目線を会わせるように跪いている。その顔は…笑っていた。
「…駄目だね、私にこういう役割は向いてないんだ。全てと言うのはブラフだし、知ってるのは君の名前と住所、交遊関係だけさ」
「……ええと、その…そんなに喋ってしまって大丈夫なんですか…?」
大丈夫だよ。どうせここがバレるのは我が国が負けたときだけさ、そう諦めたようにぼやく彼は、先ほどとは打って変わって親しみやすい人物に見える。
彼はオルカ・オルクスと名乗り、自身のことをメーラサルペ国の総統と言った。そう、今現在混乱的城市が戦っている敵国の総統である。
「っそ、そんな人がどうして僕を……??」
「…実はね。とても情けない話なのだが…」
オルカさんは、僕がシイさんやフーゾさんと交流があったことから軍人と間違えられたのだと語った。その間違いが訂正されないまま誘拐されて、そうして今に至るらしい。
思わずええ…?と困惑の声が漏れる。当のオルカさんも申し訳なさそうにしているし、ガチの間違いなんだろう。
「それとね、もう一つ……実は、誘拐した際に身体を見させて貰ったんだが…」
「えっ」
シンプルに嫌なのが来て、思わずたじろぐ。僕の反応を見て「やっぱり嫌だったよね…本当に申し訳ない。でも、何か隠し持っていたら危ないから……」とオルカさんがまた謝った。
「それでね、その……君が、シイ・シュウリンとフーゾ・ギディオンに…酷いことをされているんじゃないかと思うんだよ」
「………」
酷いこと。自分でもよく思っていたことだが、他の人に言われるとだいぶ傷つく。それは、あれはあの人たちなりのコミュニケーションなのだろうと思い始めてきたからだ。
数年経ってから気がついたことだが、彼らは二人とも感情が昂るといわゆる「酷いこと」をする。それはきっと、正しい感情の発散方法を知らないからではなかろうか。そう思えば、彼らのことも少し、少しは怖くなくなるような気がした。
「…もし、もし良ければね。私達の軍隊に入らないかい?」
「…へ?」
「そこであれば、訓練以外で傷つくこともない。初めは慣れなくて怪我することもあるだろうけど……身体を守る術を身につければ、きっと傷だって薄くなる。それに、ちゃんとしたコミュニケーションを取れる大人達が、あそこには沢山いる。君の話も、ちゃんと聞いてくれるよ」
「あ、あの」
「……私はね、部下によく慕われているんだ。それに自分でいうのも何だが、部下になったら大切にするよ。手を出したりもしない、約束する」
「……」
「……急に、こんなことを言われて戸惑うだろうけれど……私も小さい頃、大人に利用されてきたんだ。その姿が、君と重なって…」
す、とオルカさんが顔を上げる。下を向いた拍子でずれたであろうサングラスの隙間から、彼の赤い瞳が覗いていた。サングラスがずれて分かったことは、彼の素顔は案外幼いということだ。
その瞳がシイさんに少し似ているな、とぼんやり思う。でも、シイさんの瞳はもっと濁っていなくって、それに綺麗なひとだった。この人も色男だけれど、彼とは違う。
彼の誘いはじゅうぶん嬉しいものだった。それでも、僕の心はずっとあの家にある。どんなにマシな環境を提示されても、優しい大人が待っていても、僕はあの家に囚われてしまっていた。
「……ありがたい、お誘いですが……」
「…そうか、分かったよ。……それであれば、致し方あるまい」
そう言うなり、オルカさんはすっと立ち上がる。去り際にすまないね、と残して彼は部屋を出た。
僕は、選択を間違えてしまったのだろうか?分からなかったけれど、でももう後の祭りであることは間違いなかった。
(シイさんは、助けにきてくれるかな…)
そうだと良いな、なんて淡い期待を抱く。やることもないのでもう一度布団に身体を横たえた。
酷く眠たくって、なんだか仕方がなかったから。僕の意識はすぐに、微睡みの中へと落ちていく。
---
次に目覚めたとき、外には怒号が満ちていた。あまりにも物騒な状態での目覚めに、さすがに戸惑う。え、ここで死ぬ?
よく聞けば、誰かを探しているようだった。……もしかして、僕だろうか。そう期待してしまえば、心はそちらの方へと傾いていく。
助けに来てくれた?シイさんが?そうだと良いなと願ったことが本当になるなんて、これは夢だろうかと不安になる。
とりあえずベッドから立ち上がって、開かないドアを叩いてみた。これで、分かれば良いのだけれど。
誰か来るまでの間、ドアの横に腰を下ろす。足音がこちらに来る様子はないから、もしかしたら気づかれていないかもしれない。なんだかどっと疲れてしまって、目線を下に落とす。
すると、僕の服が患者服になっていることに気がついた。ここまで白色だ。妙に足が肌寒いと思っていたが、半ズボンなら無理はない。
足をする、と撫でる。そうすれば、幾分か寒さもマシになるだろうと思った。の、だが…
「………ん?」
腕が、なんか……鱗がないか??慌ててそこに触れると、かさりと鱗が剥がれる。そこの下には素肌があって、でも確かに鱗は落ちたというより剥がれた感覚だった。
「え、あ…あ~っ!!!!」
患者服。白く無機質な部屋に、よく見れば着いていた腕のタグ。そして自国の総統が訪れるほどの施設。………ここは、もしかして軍営の実験施設ではなかろうか。
拉致監禁からの人体実験。勘違いでされるにしてはずいぶん大層なものを施された物だと、呆れてため息をつく。
自分の身体が自分の知らないうちに作り変えられている。その実感がなかなかやってこなくて、それでも怖くなって震えはやってきた。あー、怖い。自分は一体ナニにされたんだろう。
怖くて止まらない震えごと、自分の身体を抱える。外に響く怒号も、こちらにやってくる足音も、自身の心臓の音さえも全てが恐ろしい物のように思えた。……ん?足音?
ハッと顔を上げ、ドアを強めに叩く。怒号が少しだけ止んだので、もっと強く一回だけ叩いた。すると、足音が一斉にこちらにやって来るのが聞こえる。
凄く疲れて、またドアの横に座り込む。ああ、きっと助けに来てくれたんだ。良かった。もう、きっと大丈夫。
外に人の気配が出てきた頃。しばらく鍵を開けようと奮闘している音が聞こえてきたが、なかなか開かなかったようで。
次の瞬間には、物凄い音と共にドアが吹っ飛んだ。…え、吹っ飛んだよな。壁にすごい跡があるし、ちょっと煙も出ている。
唖然としていると、ドアからするりと頭が出てきた。その髪色が白色だったからか、心臓が少しだけ高鳴る。もしかして、本当に助けに来てくれたのだろうか?
すると、彼がこちらを向く。その瞳は左側が赤色、右側が白色と不思議な色合いで、良くみれば髪の毛も白と黒のツートンだった。顔立ちは幼い美少年といった風で、シイさんとはあまり似ていない。
やっぱり、あの人が来るはずなんてなかった。そう実感し、落胆する。と同時にまたどっと疲れがやって来た。
慣れない環境で張っていた気が緩み、それと同時に酷い睡魔が襲ってくる。目の前の男の子が少し焦った顔をしているのを最後に、僕の視界はまた黒く染まった。
---
--- 夢を見た。また、人魚になる夢だ ---
--- 自分には尾の代わりに足が生えていて、手にはナイフを握っている ---
--- 目の前には、ベッドで眠る王子が、シイさんがいた ---
--- この人を殺せば、自分は戻れる ---
--- ナイフを振り上げて…結局、刺せずにそれを下ろした ---
--- `絆された人魚はそのまま泡となって消えた` ---
---
◇To be continued…
#2 『episode R:舞台裏のララバイ』
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
--- 泡になって消えた ---
--- それでも意識は残っている ---
--- 人魚は叶わなかった夢を夢想する ---
--- ただ一人、|子守唄《ララバイ》を歌いながら… ---
---
目が覚める。またも知らない部屋だったが、今度はどことなく見たことがある雰囲気だ。どこだろう、どこで見たのだろうか。
カーテンに白いベッド、そして天井にはライト。先ほどのように無機質な印象を与えるものはあまりなかった。
とりあえず状況確認のために上体を起こす。と、腕に違和感があることに気がつき、咄嗟に腕を確認した。
「……点滴?」
腕に刺さっている管の行方を辿ると、よく見る点滴パックのようなものがある。ということは、ここは病院…??
でも、この部屋の雰囲気は病院とも違うような気がする。もうちょっとこう、生活感?があるというか……
「…あ、学校の保健室?」
「ここは医務室だ」
「ほぁ」
突然横のカーテンから人がにゅっと生えてきたので思わず反対方向へと身体を反らせる。び、ビックリした…気配が無かったから、気がつかなかった。
と、生えてきた人の顔がどこか見覚えがあることに気がつく。そうだ彼、僕を助けに来てくれた子だ。
「その、ありがとうございます」
「急に何、ビビらせたことに対する礼か?」
「い、いえその…助けに来てくださった方…ですよね?」
そう言うと、少年はそういえばそうだった、という風な顔をして視線をさ迷わせる。もしかして、何か聞いたらマズいことを聞いたのだろうか。
「……まァ、そうだな。でも俺だけじゃなくて他にもいたぞ」
「そうだったんですか?」
もしかしてたまたまこの子が早く見つけてくれただけで、シイさんもいたのかもしれない。そんな期待を乗せて聞いてみたけれど、物凄く気まずそうな顔をさせてしまった。
嗚呼、やっぱりいなかったのか。うう、期待してしまった分だけ落胆がつらい。
「…その、一応言っとくけど、アイツはそもそも所属してる隊が別の作戦入ってて手ェ空いてなかったんだよ。だから話も持ちかけてなかったし、多分お前が浚われてたのも今知ったと思うぞ」
「…!そ、そうですか。そうですよね…あ、すいません気を遣わせてしまって……」
「いや……別に、良い。疲れてるだろうし…」
疲れている?そんな風に思わせてしまったのか、こんなに小さな子に…と、なんだかひどく申し訳ない気持ちになった。
別に大丈夫ですよ、と言いベッドから降りようとする。しかし、ひどく焦った様子の子に止められてしまった。
「まだ寝てろ!自分が今、どうなってるのか分かってねぇだろ……!!」
「……そんなに、あれですか?」
「………悪い。その……無神経だった」
分かりづらいが、恐らく落ち込んでいるであろう彼に大丈夫ですよ、と声をかける。これは痩せ我慢とかじゃなく、本当に大丈夫なのだ。
自分が今どうなってるのか分かっていないのは事実だし、無神経さならシイさんの方がずっと上だから。……自分で言っておいて何だけれど、そんな無神経さに慣れてしまっているのってどうなんだろう。
「………お前、なんつーか、頭が低くないか」
「え、頭……ですか???」
頭、頭???頭が高いとか言うからまぁ、あるのだろうか?随分不思議な言い回しだと思っていると、目の前の子は驚いた顔をして、そのあと悩みだしてしまった。
「……頭、頭……ん?頭か?いや……」
「………ええと、その…?」
「…相手を見下さずに、謙虚で控えめ、な…身体の一部が入る慣用句って、何だ?」
突然のクイズに、少しだけ面食らう。……そうか、まだ彼は幼いから学校に行っているのかもしれない。
習いたての言葉なのかな?と思いつつ、彼の言葉に該当する慣用句を探し出す。ああ、もしかしたらあれだろうか。
「…腰が低い、ですか?」
「!そうだ、それだ。……ありがとう」
「どういたしまして」
思い出せなかった言葉が思い出せた時って嬉しいよね、と思わず微笑んでしまう。……そういえば、こんなに自然に笑ったのは久しぶりかもしれない。
言葉が分かった彼は心なしか嬉しそうな顔をしていて、それは年相応な表情だった。でも、こちらが微笑んでいるのを見るとすぐにしかめっ面に戻ってしまう。
「…あー、だからお前は…腰が低い」
「そう…なんですかね」
「そうだ。お前頭良いだろ、なのに心の底から謙虚で嫌味がねェ。俺がヤなこと言っても気にもしねェし……そういうの、腰が低いって言うんだろ」
「そ、そうですか………」
なんだか、物凄く褒めて貰っている気がする。顔以外を褒められるのはだいぶ久々だったからか、あまり慣れていなくて凄く……なんだろう、照れてしまう。
こういう時、なんと返せば良いか分からなくって、でも否定するのもあれだから「ありがとうございます」としか言えなかった。
「……照れすぎだろ」
「その、あまり褒められたことがなくて」
「ハ…??いや、おま……なんでだよ」
「なんでと、言われましても……」
頭が良い、だなんて言われたのは小学生以来だった。そもそも、ここでの頭が良いってどういう定義なんだろう。記憶力だろうか?
彼が僕のことを頭が良いと判断した材料は、僕が彼の知りたかった言葉をすぐに伝えたから。それであれば記憶力、もしくは知識量だろう。
どちらにせよ、勉強をしていれば身に付くものであるし、ここは素直に努力を認められたと受け取っておく。…とても照れるが。
そういえば、彼は随分と素直な子だなぁと感心する。思ったことをすぐ口に出すからかだいぶその……無神経になりがちだが。
それでも、本心が一切分からないよりもずっと接していて心は楽だ。それにこのくらいの子は素直な方が可愛い。というかどんな性格でもこのくらいの子は可愛く見える。……あれ、もしかしてこれ、おじさん化の傾向か……???
「…あー、その……とにかく、起きたら伝えろって言われたから呼んでくる」
「え、呼んでくるって……誰を?」
「医療隊隊長。お前も知ってるぞ」
---
「…フーゾさん、でしたか」
「んだよ、不満か?悪かったなバカスカ殴る暴力男が医療隊の隊長で」
「ああいえその……どんな方なのだろうと思っていたので、純粋に驚いて…」
「あっそ。じゃあ、お前が今どうなってるか言うから気になったことがあったら聞け」
ドカ、とフーゾさんは目の前の椅子に座る。先ほどの子は、フーゾさんを連れてくるとそのままどこかへ行ってしまった。とても良い子だったので、少し寂しい。
フーゾさんは何やらカルテらしきものをペラペラとめくり、あーだとかうーだとか、意味の持たない言葉を呻きながら言葉を探しているようだった。
「………うし。説明するぞ」
「はい、よろしくお願いします」
---
「お前はまず、寝ている間にメーラサルペの奴らに身体をいじられた。といっても組み換え系じゃなく、付け加えるタイプだ」
「なるほど……あくまで元の素材を生かすというよりは、より強みを足されたんですね」
「…そう。それで、お前に付けられたパーツは…ざっと言えば「人魚姫」だ」
「人魚、姫…??それはその、人魚姫が持つ要素が僕に複合されたという感じですか」
「ああ、うん……まぁ、そんな感じ。お前の場合は…恐らく魔力の付与、そして眠っていた潜在能力の権限、あと多分……人魚姫の逸話からなんか要素が付け足されてるはずだ」
「つまり、基本的には魔法?の要素が強いんですね。ただ、聞いている感じだと複合の効果は一定では無いように思うのですが…」
「……まぁ、そうだよ。一応別の生きモンを無理やり混ぜるからな。運が良けりゃデメリット無く良いとこ取りができるし、運が悪けりゃ最悪死ぬ。…お前は運が良い方だ」
「なるほど。…人魚姫の逸話に出てくる要素と言うと、魚との意志疎通ができる、喋れなくなる、王子を刺せば人魚に戻れる、泡になって消える……ぐらいですかね?」
「………お前さ、なんでそんな冷静なの。普通もっとこう、動揺とかあるだろ」
え、と息が漏れる。ちゃんと聞いた方が良いと思ったから、余計なリアクション無しで聞いていたのだが…駄目だったのだろうか。その旨を伝えるとフーゾさんは「やけに他人事だな」とだけ言って、またカルテに視線を戻した。
「あーそんで、だ。お前に魔力が与えられたって言っただろ。…その影響で、今お前はちょっとでも動くとすぐに体力切れでぶっ倒れるようになってる」
「そうなんですか」
「そうだ。慣れてねぇモンに慣れるために、体がそっちにエネルギー使ってんの。一応、あっちの奴らが魔力臓器付け加えたっぽいから、しばらくすれば慣れる。そうすりゃ……魔法も使えるだろうな」
魔法も使える。魔法、魔法が使える。しばらく言葉の意味を理解するために考え込んで、そうしてやっとじわじわと喜びがやって来た。
魔法が、使える!!!僕もあの魔法を使うことができるのだ。凄い、とても嬉しい。思わず口角が上がってきてしまうし、興奮からか頬も暑い。ああ、こんな顔フーゾさんの前でしてたら怒られそうだ。
む、と頬を両手で抑えなんとか火照りだけでも収めようとする。が、なかなか上手く収まらなかった。
「………嬉しいのは分かるが、使えるようになるためには訓練がいる。そこは……リンに任せればお前も気が楽だろ」
「リン?」
「白黒のガキ。お前さっきまで喋ってたろ」
どうやら、彼はリンくんというらしい。…そういえば名前を聞いていなかったな、と今さら思い出す。
そうか、彼も魔法を使えるのか。…あの子に教えて貰えるのは、そりゃ凄く嬉しい。嬉しい、が……
「……その、フーゾさんにご指導賜ることってできたりするのでしょうか…?」
「…ハ?」
「ああいえその、お時間がある時で……嫌でしたらもう全然断ってください…」
「…いや、そうじゃなくて。俺で良いのか」
へ、と思わず口から音が出た。フーゾさんには前に一度魔法を使って貰ったけれど、まだ直接見せて貰ってはいないし…何より、彼はきっと教えるのが上手そうだから、という旨を伝える。
フーゾさんには少し考える素振りを見せた後「誰がやるか。そんなんしたらシイがうるせぇ」と結局断られてしまった。うう、残念…
「……お前、怖くないのか?」
「…ええと、それは何がでしょうか」
「俺だよ。…散々殴っただろ、お前のこと」
そりゃまぁ、怖いですけどもね???と言いそうになるのをグッとこらえる。確かに怖いけれど、でもそれくらいなら父でもう慣れているのだ。
「怖くないと言えば嘘になりますけど…慣れてますので」
「………そうか」
そう言うと、フーゾさんはカルテの1枚を僕に渡してくれる。そこには、僕の身体情報や改造された点、そして日常生活を送る上での注意点とやるべきことリストが分かりやすく並んでいた。
もしかして、僕のための資料だろうか。そう思い顔を上げると、もうそこにフーゾさんはいなかった。
また今度会ったとき、ちゃんとお礼言おう。そう思いながら、また資料に目を戻す。早めに内容を覚えておかないと、怒られてしまいそうだ。
(フーゾさん、なんかいつもより優しかった)
相変わらず言葉はキツかったけれど。それでも何となく、彼の態度が軟化したように思えるのは僕が慣れてしまったからだろうか。
---
「いや、おかしいだろ」
「えっ」
出会った当時のことを話すついでにリンくんにフーゾさんが優しかった時のことを話したのに。リンくんはバッサリ「おかしい」と切り捨ててしまった。その容赦の無さに、相変わらずだねと笑ってしまう。
あれから四年が経ち、僕は25歳になった。僕が保護されてから仲良く(?)なったリンくんは現在19歳。そう、彼は僕の6個下だったのだ。リンくんが小学一年生のとき、僕は中学一年生、年齢差を実感して死にそうである。
さて、この四年間僕はリンくんに魔法の指導を受けていた。
まずは魔力の流れを理解し、次にその流れを早くしたり遅くしたりする。慣れたら簡単な魔法を使ってみて、徐々にレベルアップ……と、そんな感じで四年間ゆっくりとやるつもり__だったらしいのだが。
思ったよりも呑み込みが早いというか、まぁざっくり言ってしまえば「才能がある」とのことらしく、結構すっ飛ばしながらなんと一年間でとても高いレベルにまでいけてしまった。
まぁこれに関しては学校の授業とかで人の言っていることを理解する力がついていたからかもしれないが……どちらにせよ、何かの分野で認めて貰うと言うのはとても嬉しいことだ。
そんなわけで魔法が実戦でも使えるようになった頃。僕はシイさんの勧めで軍の特攻隊に入ることになった。
四年前症状を聞いていた時には普通に聞き流していたが、僕はどうやら不老不死になっていたらしい。
不老不死で、かつしっかり戦うことができて、あとついでに油断しやすい見た目をしていること。これらの要素はとても特攻をするうえで役に立つことらしく、もしよければやってみないかと言うことだった。
もちろん最初は断った。死ぬのはさほど怖くはないけれど、不老不死の僕が特攻隊に入るのは、他の特攻隊の人たちの覚悟を踏みにじるような気がしたのだ。
けれど、そこからあれよあれよと説得され、結局は所属してしまった。まぁ、僕の命で沢山の人が助かると言われればやるしかないだろう。
そういえば、特攻隊に所属する件については僕の周囲の人たちはだいぶ賛成していたが……今一緒にお話ししているリンくんだけは最後まで反対していた。
実はリンくんも僕と同じ理由で特攻隊に入れられていたらしく、自分のようになってほしくないと思ったからだそうで。そんなに気にかけられていたんだと、場違いだけれどとても嬉しかったのを覚えている。
「おい!聞いてるのか?」
「あ、すいません。考え事をしていました」
「お前なぁ……」
はぁ、とリンくんを呆れさせてしまった。ごめんなさい、と謝ると、なんだか変な顔をされてしまう。
リンくんは、時々こんな風に変な顔をすることが多い。なんだか複雑といった表情で、あまりどんな感情なのか分からないのだ。
「言っとくけど、お前の基準はおかしいぞ。ステータスに関しちゃやけに理想が高いと思えば、対人関係のうんぬんは異様に低いし」
「は、はぁ……?」
「お前さ、何か一回でもアイツらと話してて幸せになったこととかってあんの」
幸せになったこと。そう言われるとあまり思い出せなくて、うーんと頭を捻る。急に言われるとなかなか出てこない、けれども…
「………魔法を褒めて貰ったとき?」
「へぇ、どんな感じで」
「おおすごいね、みたいな感じでした」
「軽っ?!!それでかよ……」
リンくんが驚き、次にしかめっ面になる。彼は表情は固いけれども結構感情が豊かだ。それに時々年相応の…幼い顔もする。とても可愛い。
「……お前さ、ちゃんとしたコミュニケーションを取る奴と会話したことってあるか」
「さすがにありますよ…?!例えば……えー、メーラサルペの総統さんとか」
「一回しか話したこと無いだろ!!!しかも敵国かよ」
「あ、リンくんもそうですよ」
僕がそう言うなり、リンくんはきっと僕を睨み付けてアホか!と叫んだ。…ここだけ見たら怒っていそうだが、リンくんは照れているだけである。キレデレというやつだ。
「あーもう!とにかく、お前の対人関係に対する期待値は低すぎ!!んでそれは……アイツらと一緒にいるからだろ?」
「、で、でもそれは…あの人達は正しいコミュニケーション方法を知らないだけで……」
そう、彼らはきっと正しいコミュニケーションの方法が分からないのだ。特殊な施設で育ったと言っていたし、それに、殺し屋や軍人なんてやっていたらきっと心も荒むだろう。
もっと、もっと僕が《《ちゃんとすれば》》、あの人達の心労も減って、もしかしたらちゃんと接してくれるかもしれない。それこそ暴力や、性行為なんかに頼らずに。
「………お前、自分がおかしいことを言ってるって分かってないだろ」
「そんなに、おかしいですか」
「普通!!俺は殴られたらぶっ殺したくなるし、変なコトされてもぶっ殺したくなる!!自分が嫌だって思うことされたら、相手を嫌いになるし、謝られたって許したりしねェ」
「……それは、リンくんがそうなだけでは…」
確かに言っていることは正しいかも知れないけれど、でも彼らだって分からないのだから仕方がないだろう。…そう、仕方がないのだ。
「そもそも、ちゃんとしたコミュニケーション方法を知らねェって言ってるけど。お前、アイツらの他の奴に対する態度知らねェだろ」
「……どういうことですか」
そう言っておきながら、僕はその先を聞きたくないと思っていた。だって、聞いたらきっと耐えられなくなる。僕は、いや、彼らは知らないだけ。知らないだけなんだ。仕方ないんだ。だってそうじゃないと、《《仕方なくなくなってしまう》》。
まって、やめて、そう思いながら口には出せなかった。聞きたくなくて、聞くのが怖くて。それでも、リンくんは僕の心も知らずに言葉を続けた。
「シイは確かに下半身が緩いけど、全く見境がないわけじゃない。話すときはちゃんと話す。フーゾはそもそもキレたからって殴らねェし、怪我した奴には治癒魔法かけてる」
「………」
「お前にだけ、そういうことしても良いって思われてんだ、蔑ろにされてんだよ!!!いい加減目ェ覚ませ!お前が、縋ってるソイツらはお前のことなんかどうだって良いんだよ!!ちゃんと、自分を大事にしてくれる奴とつるむなりなんなりしろよ!!」
「そんな人どこにいたんですか!!!」
「…!」
「僕の周りにそんな人いなかった!!!誰も彼も僕のことなんてどうでも良いって、使える道具になれってばっかり……!!!人として、ちゃんと認めて貰ったことなんてなかったんですよ?!!!なのに、今更どうやって見つければ良いんですかそんな人!!!」
「……零」
「シイさんとフーゾさんが変なんてもうとっくのとうに分かってるんですよ!!!それでも、気づいてないフリしてるんです!!僕にはもう、あの人達しかいないから!!!だから気づかないフリして耐えてるんですよ!!リンくんには分からないでしょうけどね…!!!…ぁ」
さぁっ、と顔から血の気が引く。今僕、なんて言った?リンくんには分からない、なんて突き放すような言葉、あんなに寄り添ってくれていたのに。
誰かに怒鳴ったのなんて初めてで、怖くてリンくんの顔が見れない。どうすれば良いか分からなくって、リンくんが何か言っててもうまく分からない。
「……っごめんなさい…」
「あ、おい零!!!」
怖くて、分からなくて、僕はリンくんの制止も聞かずに走り出した。今はただ、そこから逃げてしまいたかったから。
結局、彼がどんな気持ちでそんなこと言ったのか、どんな顔をしていたのかは知らないままだ。
…フーゾさんが死んでしまって、それどころではなくなってしまったから。
---
記憶があやふやで、もうフーゾさんが死んでから何日経ったかもよく分からない。
リンくんにひどいことを言ったすぐ後だった。僕は特攻隊のお仕事でまた何度も敵の軍隊の中に飛び込んで、殺せるだけ人を殺して、そして沢山死んだ。……鮮明に思い出そうとすると、また吐き気が襲ってくる。
あそこには、戦場には殺し屋の仕事とはまた別な死が満ちていた。人が気軽に死んで、その死体を踏み固めていくようだった。
フーゾさんの死を知ったのはそのあと。頑張ってたくさん殺して、なんとか勝って、それで帰ってこれた時。誰かが噂しているのを聞いたのだ。
彼は傷ついた兵士の治療中に、頭がイカれた仲間に撃たれて死んだらしい。シイさんもその現場にいて、でも寸でのところで間に合わなくって、怒りで相手をめちゃくちゃに殺したって聞いた。
それからしばらくして。帰ってきたシイさんは、また僕をあの部屋に閉じ込めた。なんで、どうしてって聞いても答えてくれなくて、ただ瞳の赤が嫌に濁っていたのを覚えている。
シイさんはこの部屋にやってこないから、ご飯がなくてどんなにお腹が減っても死ねなくて、次第に空腹が分からなくなった。
てっきり骨と皮だけになるのだと思っていたけれど、どうやら身体の状態は変わらないらしい。便利な身体だ。
初めのうちは出たいと思っていたけれど、もうここまでくると諦めが強かった。僕はここから出られずに、そのまま、どうなるんだろう?死ねないから、ずっとこのまま?
「…もっと、もっと楽しいことしたかった」
人間、死ぬ間際になると心残りが出てくるとはよく言うが、僕の場合は出られずに死んだように過ごすことが決まってからだった。
もっと、世間一般的に楽しいと言われることがしたかった。
カラオケって、どんなところだったんだろう。友達と一緒に帰ったことも無かったし、授業をサボってどこかに遊びに行くなんて考えたこともなかった。
……ああでも、一番の心残りは
「…シイさんに、ちゃんと人として認めて貰いたかったな……」
ずっと、気づかないフリをしていたこと。シイさんは、きっと僕のことを愛玩動物程度にしか思っていないこと。人として対等に認めてくれはいないこと。
蔑ろにされていることなんて分かってる。都合の良い奴に成り下がってるって、痛いほど分からされている。それでも、させたのは僕も原因の一つだ。
自分に何か起こっても他人事感覚で、なんだかんだ惰性で生きてきた。その時の感情に身を任せて、ちゃんと考えて決めたことなんて殆どなかったんじゃ無いだろうか。
これは、自分の人生に対して無責任だった僕への罰なのだろう。そうに決まっている。
そう思わないと、辛くて苦しくて堪らなくて、リンくんの時みたいに「どうして僕だけ」って醜い気持ちが溢れてしまいそうだった。苦しいのは僕だけじゃないのに。
叶わない願いでも良いじゃないか。どうせ、今となってはもう全部手遅れなんだから。自暴自棄な気持ちになっているのを見て見ぬフリして、退屈を凌ぐために目を瞑る。
きっとこのまま、真綿で首を絞められるみたいに、じわじわと僕は死んでいくんだろう。先に死ぬのが心なのか体なのかは分からないけれど、死ねるなら、もうどっちでも良かった。
微睡みに身を任せて、意識を深く深く落とす。`このまま、目が覚めなければ良いのにな…`
---
体が揺られている感覚で目が覚める。あれ、いつの間にシイさん戻ってきてたんだろう。寝てる間に何度か体を好きにされたことがあるからこの状況には慣れているのだけれど……いや、だからこそなんとなく、なんとなく違う感じがする。……ここどこだ?
本格的に目を開けると、そこは森だった。…え、森?!!!森だ。いや森、森すぎて頭が混乱してきた。
もう一度状況を理解するために瞳を閉じる。ここは森、しかも知らない森。この国に森なんてあったんだ……と感心してしまうが、問題はそこではない。
問題は、今僕が揺られていることだ。縦揺れ、それも性行為によるものではなく、誰かにおぶられながら移動しているからなもの。え、誰…??パッと見頭が見えなかったから、僕より小さい人……???
もう一度目を開けたが、やはり前を見ても誰の頭も見えなくて、下を見る。
目に入ってきた光景に、思わず「え」と声が漏れた。右は白、左は黒のツートンカラーという特徴的な髪の色に、僕と違ってふわふわさらさらな猫っ毛。
「…リンくん?」
「ってめ、いつから起きてた?!!」
「ついさっきだけれど……」
リンくんは、なんでも無さそうな声色で「早よ言えや」だとか「重いけど軽い、飯食え」とか「走れるなら走れ」と言っている。あんなにひどいこと言ったのに、どうして?そう聞くと「別に気にしてない」と言われてしまった。
「てか俺の方が悪いだろあれ。…無神経だったし、ちょっとガス抜きした方が良いと思ってやったけど……逆効果だったっぽいよな。本当にごめん」
「……リンくん……」
6つも年下なのに、僕よりもずっと大人びた返しに思わず涙が出そうになる。そんなに気にしてくれていたなんて、彼は天使か何かなのだろうか。
ごめん、と言いかけて少し考える。あんまりにも僕が謝りすぎているせいで、以前リンくんに「謝りすぎて謝罪の価値が下がる」と言われたのを思い出したのだ。
そのため、敢えてごめんではなく「ありがとう」と伝えた。彼はぶっきらぼうに ん、とだけ返したけれど、多分照れ隠しだろうから気にしないことにする。
「…それはそれとして、いい加減降りろ!!自分より重てェ奴おぶって全力で走るなんざ初めてだわ!!!」
「あああそうですよね!…でもどうして走ってるんですか?」
「まだ見てなかったのかよ後ろ見ろバカ!!!寝惚けて状況確認怠りやがって…!」
確かに状況確認を忘れていたので、リンくんに言われたように後ろを振り向く。僕は部屋の中にいたのに今は外だから、もしかしてシイさんが追っかけてきてたり……???などと予想をして振り向いた。のだが……
「…え」
そこにあったのは、影も光も何もない、まっさらな白色だけだった。
---
「な、なんですかあれ」
「知るか!!!知らねェけど、そこに呑まれたら絶対に`消える`ってこたァ分かる!!!」
「き、消える?!そ、そんなどうしたら」
「それを!!!今!!!聞きに行くんだよ俺の知り合いに!!!だから降りろ!!!」
「は、はい!!!」
「ア"~クソ体が軽ィ…!!!ほらこっち!!早くしろ`消える`ぞ!!!」
「わ、分かりました…!!!」
「この先にいる俺の知り合いに、こういう不可解な現象にヤケに詳しい奴がいる!!今からソイツに事情を聞きに行く!!」
「こっちだ!こっちの木に突っ込め!!」
「え、つ、突っ込む?!!」
「あ~も~俺が先行くから着いてこい!!」
「は、はい!!!」
「ほ、ほんとに抜けれた…」
「気ィ抜くなまだ迫ってきてる!早く!!」
「ど、どこに向かってるんですか…?!」
「《《ここじゃないどこか》》だよ!!」
「だー!着いたァ!!!」
「こ、ここどこですか…!?教会…??」
「良いから入れ!早くしろ!!」
---
バタン、と重たいドアが閉まる。教会特有の重たい扉は開けるのに苦労したけれど、その分閉まってしまえば心強い。リンくんに急かされながらも、なんとか息を整えつつ奥の方へと進んでいった。
教会というものに入ったことはなく、また存在も本で読んだくらいのものだったので、こんな状況でなければちゃんと隅々まで見たい気持ちになりそうだ。勿論そんなことをすれば横にいるリンくんに渇を入れられてしまうのでしないが。
「ドリーム、ドリーム!!どこにいる!今この世界に何が起こってるんだ!!」
リンくんはどこか色んな方向へと叫んでいる。知り合いは…ドリームさんと言うのだろうか。リンくんがなかなか出てこないからとイライラしているのを、まぁまぁと宥める。
『ここだよリン。よく来たね』
「ほぁっっっ」
突然ぬ、と後ろから人が出てきたので、とても驚く。一切音も気配もしなかったから完全に油断していて、背後まで取られてしまうとは。
呆然としながら見上げていると、推定ドリームさんはこちらにも笑いかけてくれる。その笑顔が妙に穏やかというか、こちらの柔らかい部分まで溶かしてしまいそうな感じに「ああ、この人きっと教祖とかだろうな」と察してしまった。
いやしかし、対面していながらも気配が一切無い。というかまず影がないな???ということはだいぶ高位な人ならざる者。なるほど確かにこれなら先ほどの不可解な現象にも詳しそうだ。
教祖が身に付けるような服…あれは何というのだろうか、それを身に付けて、よく見れば羊の角や羊の目をしている。柔らかいミルクティー色の髪は優しい印象を与えるけれど、琥珀の瞳は獣らしい光を放っていて、なんだか不思議が感じがした。
「説明しろ、今何が起こってる。どうすれば《《あの光》》は止められる?!」
『残念だけれどもね、リン。落ち着いて聞いて欲しいんだが…』
「落ち着けるか!!あーもう分かったよ!!あれは止められない、逃げられない、そうなんだろ?!」
ダン、とリンくんが強く地団駄を踏む。当のドリームさんは少し困った顔をしているけれども、さほど動揺はなさそうだった。
何故動揺しないのだろうと思ったが、もしかしたら死ぬのが怖くないのかもしれない。でも、どうして?そう思っていると、ドリームさんに『私は`消えない`からね、まだ心は凪いでいるんだ』と言われる。
どうして考えが分かったのか分からなかったが、きっとそういう生き物なのだろうと気にしないことにした。
それはそれとして、もしリンくんの予想が当たっているとしたらだいぶ絶望的な状況だが、これからどうしよう。いや、普通に消えるしかないのだが。
それでもきっと、この空間は`消えない`だろうという強い信頼が、ここにいると沸いてくるのだ。それはそう信じたいからなのか、それとも実際そうなのかは分からない。
『…そうだね、あれは止められないよ。でも逃げる方法あるんだ』
「!!本当か」
バ、とリンくんが顔を勢いよく上げる。が、逆にドリームさんの顔色はあまり優れない。言いづらいことを言う前のように、ゆっくり言葉を探しているような……きっと、これは……
『……ただね、その方法では一人しか逃げることはできないんだよ。それに、この世界に戻ってくることだってできなくなる』
「な………」
「そ、そんな…」
ああ、やっぱり思った通りだった。ドリームさんは、残酷な選択を僕たちにさせてしまうと悩んでいたのだろう。優しい人だな、とやけに俯瞰した感想を抱く。
リンくんには、色んなものを貰いすぎた。心強い言葉も、素敵な考え方も、魔法の知識も何もかも。いつまでたっても返せなさそうなその恩を、どうやって返したら良いのだろうと悩むほどに。
きっと、今がその時なのだ。貰いすぎたものを、少しでも彼に返す時がやって来たんだと冴えた頭で考える。
『この世界は、今消滅している最中なんだ。人も神も建物も、歴史でさえも関係なく、無差別に消えていってるんだよ。だから、生き残るためにはこの世界から逃げないといけない』
リンくんが、ゆっくりとこちらを振り向く。その瞳には迷いが宿っていて、ああやっぱりこの子はまだ子供なのだと実感する。
そうだ、彼はまだ幼い。それに素直で優しくて、けれど聡明だからきっと見知らぬ世界でもやっていけるだろう。彼の方が、よっぽど未来がある。
「…リンくん、僕の分まで生きてください」
「なっ……お前、それ、どういうことか分かってるのか?!!」
「分かってます。…この世界で、色々やりたかったことはあったけれど……この分も、リンくんに託すことにしました」
背中を押す気持ちで、彼の肩をとんと軽く押す。彼は目をこぼれ落ちてしまいそうなほど大きく開いて、その後にぐっと泣きそうな顔をした。
ドリームさんが、後ろから『もう時間がない、申し訳ないけれど今ここで決めてくれ』と本当に申し訳なさそうに言う。リンくんの方をもう一度見ると、その目には迷いはなく覚悟が宿っていた。
「……分かった」
「ありがとう。…じゃあ、お願いします」
くる、とドリームさんの方を振り返る。ドリームさんは僕たちをゆっくりと一瞥して、それから深く頷いた。その奥には、どこへ繋がっているのか分からないほど黒い穴がぽっかりと空いている。
リンくんを見送るため、穴の前まで一緒に向かう。彼と横並びになり、僕は彼の背中をもう一度優しくとんと押して促した。
「……なぁ、零」
「なんでしょうか」
「お前の、やりたかったことってなんだ?」
リンくんが、こちらをゆるりと見上げる。やりたかったこと、閉じ込められている間はあんなに出てきたのに、今になるとなかなか出てこなかった。
「……そうですね。強いて言うなら…世間一般で言われている"幸せ"を感じてみたかったです。美味しいものを食べて笑うだとか、適当にふらふらと街中を歩いて好きなものを食べるとか……」
「食うモンばっかだな。腹減ってんのか」
「あはは、そうですねぇ…リンくんが来るまでもう何日も食べてなかったので」
「…なら、まず飯屋を探さねぇとな」
「え?」
どういう意味だろう、リンくんもお腹が空いているのかしら。そう思ってリンくんの方を見ようとすると、突然背中にドン、と衝撃がやってきた。
ふら、と足がよろめいて、勝手に体が前へ……穴の中へと吸い込まれる。慌ててリンくんの方を向くと、左手が僕の方へと伸ばされていた。その手は手を掴もうとするよりも、まるで押した後のような形をしていて…
彼は、穏やかに微笑んでいた。そんな顔、見たこともなくって、ただどうして、なんでって気持ちだけが強まっていく。
スローモーションのように流れていく景色の中で、リンくん達のいた教会が白い光に呑まれていくのが見える。逃げてと言いたいのに、僕の口もゆっくりになってしまったのか僕の声は聞こえなかった。
「俺に背負わすくらいなら、お前がちゃんとやってみせろ!!俺の分まで、幸せになってこいよ!!」
に、と悪戯っ子のように笑う彼の年相応な顔を最後に、渦に呑まれるような感覚が襲ってくる。彼の姿は白い光に呑まれてしまい、その後白ごと強い黒が塗りつぶしていく。
待って、まだ恩返しができてないのに。そんな気持ちで強い睡魔に耐えようとしても、どうしても耐えらなくって、結局瞳を閉じた。
---
--- 幸せになれ、と言われた ---
--- 幸せになるための方法だって分からないのに ---
--- それでも、もう僕を送り出してくれた彼はどこにもいないから ---
--- ただ一人、幕引きから取り残されて ---
--- 舞台裏でいつまでも、幸せを探すのだろう ---
---
ぐるりと闇の中を一回転して、どさりと背中から地面に落ちる。落ちたときの衝撃が強すぎて、なかなか戻ってこれない。
それでもなんとか起き上がって、そうして今いるところがどこかの草原であることを認識する。ここは、どこだろう。
さぁ、と心地よい風が吹いた。混乱的城市の風のように冷たすぎず、かといってかつてフーゾさんに見せて貰った風魔法のような暖かさもない、温くて、でも心地よい風だ。
そういえば、久しく草原に来ていなかったな、と思い出す。最後に訪れたのは…きっと、小学生の時だろう。このふかふかとした草が沢山いる感覚は、なんだか懐かしかった。
辺りを見回しても、周囲に何か建物があるようには見えない。途方にくれてしまうようなそのだだっ広さに、なんだか笑いが込み上げてきてしまって、気が済むまで僕はひとしきり笑った。
気が済むまで笑って、笑って、嗤い疲れた頃に。周囲は暗くて、きっと夜なのだろうと思われるが……一体どのくらいの深さなのだろうと思って空を見上げる。
「……きれい」
空には満点の星空が大きく大きく広がっていた。あの国のように建物も何もない所だから遮るものが何もなくて、その分だだっ広く見える。
前の方を見ても、上の方を見ても終わりがなくって、終わりを探して後ろへ後ろへと目線を向けるうちに、後ろを向きすぎてバランスを崩してしまう。
とっさに後頭部に手を回したから痛くは無かったけれど、代わりにごろんと寝そべる形になる。
「…どこか何座なんだっけ」
起き上がるのも面倒になって、星座を探してみたがすぐにやめた。習った星座の配置なんて、もう覚えてはいなかったから。
あまりにも綺麗なのに、大量の人が死んでも世界が一つ消滅しても、決まった周期に沿ってでしか変化しないであろうその星空に、なんとなく無機質な感じを覚える。
こっちがどんだけ辛いと思ってるんだ、そうぼんやり呟く。当然星空は応えてくれるはずがないし、期待だってしていない。でも、その様子がなんだか凄く気楽に思えた。
「……あ」
ぼろぼろと、涙が出てくる。どこに泣く要素があったのか自分でも分からなくって、それが逆に面白くなってきて笑ってしまった。
泣きながら笑っている。端から見ればおかしな人間であることに間違いはないのに、今の気分にはその状態が一番似合っているんだから不思議な話だ。
「ふふ、うふふ…あはは、は………あ~…」
ここにいるのは、僕と草と星空だけ。星空はこちらのことなんてどうでも良いのだから、僕だって気にせず好きなだけ泣いて笑ってしまおう。
思いっきり、笑って泣いてまた笑う、こんなことしたのは初めてで、でも嫌に気分がスッキリとする。
「……ひとまず、ご飯屋さんを探そうかな」
す、と起き上がって涙を拭く。気分がさっぱりしたお陰で頭も冴えたからか、ここに来たばかりの時の手詰まり状態よりもいくらか先が見えるような気がした。
もう一度だけ星空を見上げる。やっぱりどの星が何なのか見当もつかなかったけれど、それでも良かった。
空をぼんやりと眺めていれば、全ての問題が解決したような気分になってくる。実際には何も解決していなくたって、気持ちだけでも軽くなれればそれで良いのだ。
どんなに迷ったって、不老不死だから時間はたっぷりある。ゆっくり、ゆっくり幸せは見つけていこう。そんな気持ちで一歩、また一歩と足を踏み出していった。
---
何度目なのか分からないほどの世界転移を終え、路地裏で目が覚める。僕の世界とよく似たその景色に「やっと見つけた」と声が漏れた。
すっかり伸びて、三つ編みをしてもなお胸の高さまである髪の毛をするりと弄る。もうシイさんはいないのだから伸ばしていなくても良いのだけれど、ここまでくると愛着が沸いてきてしまったのだ。
路地裏を、ゆっくり、ゆっくりと歩き出していく。次第に足が早まって、そうしているうちに長く感じた路地にも終わりがやって来た。
暗かった路地裏から出たことで視界が一瞬で明るくなり、反射的に目を瞑る。恐る恐る目を開くと、そこにはあの日消えてしまった懐かしい街並みが広がっていた。
街中には見慣れた服装の人が各々好き勝手歩いている。鮮やかな赤色ときらびやかな金色、それらを引き立てるような深緑は目を刺すようにあちこちに散らばっていた。
その懐かしい眩しさに思わず涙が出そうになるが、人の往来もあるのでぐっと堪える。足元にあるゴミも避妊具も慣れたもので、するするとそれらを避けて歩いていった。
「……シイさんに会うには、どうしたら良いんだろう」
いやその、別に彼に会うために旅はしていないし、会っても顔を見るだけだし。そう思いながらも、足は軍の基地へと進んでいく。
大丈夫、何か言われたら気絶させれば良いし、顔を見るだけだから……
と、いつの間にか軍の基地に着いてしまっていて驚く。そ、そんなに早く歩いていたつもりはないのだけれど……そう思いながら、フードを急いで被った。
(はぁぁぁなんで僕何にも考えず来ちゃったのもっと髪の毛とか整えて…あ~変装して来れば良かった…!!!)
辺りをキョロキョロと見回す。シイさんは見たところいなそうだし……うん、やっぱり出直そう。まずは宿を探さねば。そう思いながら、僕は踵を返した。
「あれ?ウチになんか用じゃなかったの?」
「誰かに面会希望?それとも…スパイ?」
その懐かしい声色に、思わず足を止めてしまう。ああ、会うだけで話すつもりなんてなかったのに。
ゆっくり深呼吸をして、そろそろと後ろを振り向く。認識阻害の魔法を二人にかけて、一応フードも被り直して、あああ髪の毛結び直したい!!!でももうこれ以上時間はかけられないので、覚悟を決めて振り向いた。
「………私、他の国から来たものでして…この国の軍の基地が凄いと聞いて、見物したかったのですが…何か許可証が必要でしたか?」
「ああ…いいえ、大丈夫ですよ。ただ、あんまりジロジロ見られると軍の奴らも警戒しちゃうんでね、控えめにお願いします」
「でもセンス良いわぁ、ウチの基地カッケ~からね!めっちゃ見てってよ」
「シイ、控えめに。確かにカッケーけどさ」
少し性格は柔らかいけれど、敬語が使えないところも、駄目なことをちゃんと理由付きで教えてくれるところも同じで、とても懐かしくなる。
名残惜しくて、けれどもずっといるわけにもいかないから、二人に礼をしてここを離れた。
---
「やっぱり、違ったんだ」
自分に言い聞かせるように、そう呟く。もう自分は、表舞台にはいない存在で。彼らと一緒に並ぶこともなければ、認めて貰うこともできない。
元よりそのつもりだったじゃないか。それなのに。嗚呼、人間って欲の生き物だ。顔を見るだけが話すだけになって、そうしてついには認めて貰いたいなんて気持ちにまで膨らんで。
ぐちゃぐちゃな気持ちになって、ああ、この世界で生きていきたかったな、なんて馬鹿な願いを抱いてしまう。この世界の、落安零になれたなら……
そこまで考えて、はたと気がつく。そうか、この世界に落安零がいてもおかしくないのか。
もし、もしもこの世界の落安零に、僕がなれたのなら。あの二人に認識阻害の魔法は通じた、ならきっと他の人だって大丈夫。同じ落安零なんだから、違和感だって抱かれづらい…だろう。
でもその場合、元の落安零はどうする?殺すことも考えてみたけれど、こっちだってただぬくぬく守られて生きているわけじゃないはずだ。ならば交戦になるだろうし、長引いてあの人達に見つかりたくはなかった。
「…元の世界に戻す、とか……」
そうだ。僕が待望して止まなかった、日本への帰還。その名目で誘って連れ去って成り代わってしまえば。道がさぁ、と開けた気がした。
やる気はある。技量もある。あとは度胸と念入りな準備だけ。
まず、この世界に落安零がいるかどうか調べよう。僕の世界との共通点と違う点を探して、すり合わせをして。
できるかどうかなんて分からなかったけれど、賭けてみる価値はある。
僕らしくないけれど、でも、僕の幸せのためにやれることはやろうと決めたのだ。
(…リンくん、どうか見ていてね)
空をき、と見上げ消えてしまった優しい彼に語りかける。路傍に咲いた弟切草が、柔らかく揺れた気がした。
◇Thanks for reading and to be continued…?
#3 『episode Shii:一匹狼のセレナーデ』
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
--- いつだって、隣に誰かを欲している ---
--- オレは一人じゃ生きていけないから ---
--- |小夜曲《セレナーデ》を捧げる相手が欲しかった ---
---
今でも夢に見るほどに、強く記憶に残る音がある。それは、家族の笑い声でも恋人の愛しい声でもなくて、人が押し潰される音だ。 ぐちゃり、なんて音はあんまりしなくって、ただ鋭く物を押し潰す音がしただけだった。
今でも鮮明に思い出せる。音だけじゃなく、最愛の妹の笑顔と、眼前に飛び散る体液の色さえも。
人が死ぬ瞬間は呆気ないものなんだって、そのとき初めて知ったんだ。そうだって分かってたら、きっともっと、妹との___メイとの時間を大事にしてた。
どんなに後悔したって、もうメイは笑ってはくれないけれど。その分、残っている記憶だけを頼りに、今日もあの子の面影を探すのだ。
---
「にいに、きょうもオシゴトなの?」
「うん。でもすぐに戻ってくるし、ちゃんとおみやげも持ってくるつもり!」
「…わかった!にいに、オシゴトがんばってね!」
メイは笑うとき、いつもふにゃふにゃと音が付きそうなくらいやらかく笑う。その笑い方が本当に大好きで、その笑顔を守るために頑張っていた。のに。
いつもつるんでる男に今日も仕事を頼まれて、自警団紛いの事をして、報酬を貰って帰りに金平糖を買っていく。
メイは金平糖が大好きだった。オレらは親がマトモに働いちゃくれなくて、メイがまだ小さいからオレしか働ける奴がいない。
まだガキなオレだけじゃ稼げる金には限界があって、だから暮らしは貧乏で。えーとつまり、金平糖みたいなのはなかなか買えない。
だから、たまに食べれる甘味がメイは大好きで、オレはそんなに好きじゃないけど、でも大好きなメイの笑顔が見れるからプライスレス?だった。
その日は疲れたからすぐに家に帰ってメイを探したけれど、メイはいなかった。
どこを探しても、呼んでも来なくて、見なかったかって街の奴らに聞いても口を揃えて「知るかガキ」ばっかり。
走って、走って、でも会えなくって、死んじまったんだって、辛くて泣いた。泣いて泣いて、そんで親父に殴られた。最悪だ。
親父はオレの親父じゃない。メイの親父だ。でも母さんはオレもメイも母さんで、オレらはイフキョーダイ?だって言われてる。
確かに髪も目の色も違かったけど、でもオレはメイのピンクの髪が好きだったし、メイもオレのオレンジの目は好きだって言ってた。
仕事から帰って、長く伸ばしてるピンクの髪を好きに弄るのが好きだったのに、今日はできなくって、それどころか親父にも殴られて最悪だ。
明日探すことにして、今日は眠る。いつも一緒に寝てた分、今日はなんだか寒かった。
---
「見つけた」
数日経って、街の奴らからメイは変な施設に浚われたって教えて貰った。服の特徴を教えて貰って探せばソイツらはすぐに見つかる。気配を消すのが下手くそだったから。
多分あのまま突っ込んでも、アイツらの親玉はあそこにいないから意味がない。それならいっそのこと、潜入してメイを見つけて連れ出しちまえば良いんだ。頭の中で完璧な作戦を練ってから、わざとアイツらの前に飛び出した。
「…何か、物を恵んでくれませんか…?」
まず、物乞いのフリをする。そうすりゃほら、コイツらは外郭地区に慣れてねぇから嫌な顔をした。その後ソイツらは、ヒソヒソ内緒話をし出す。
よく聞こえなかったけど、さっきまで嫌そうな顔をしてたソイツらは急に笑顔になって「こっちへおいで」だの「君のような子たちがいっぱいいる所に案内するよ」だの言ってきた。ほら、ビンゴ。
大人しく後を付いていけば、今度は人気のないとこにやって来る。ここに施設があるんだろうか。そう思いながらキョロキョロしてると、急に口元に布を押し付けられた。
とたんに眠気がやってきて、ああ薬かと納得する。まぁ、これはこれで演技する必要がないから好都合だったか。
内心ほくそ笑みながら、オレは目を閉じた。
---
そうして潜入して、変なモン混ぜられて、苦しい思いしながらなんとかメイのために耐えてきた。
吐くほど胃の中で変なモンが暴れることもあったし、言うこと聞かなきゃ電気も流される。親父が殴ってくるよりかアイツらは殴るのが下手だったから良いけど、他はずっとキツかった。
周りの奴らは、オレとおんなじくらいの奴からメイくらいの奴まで色々いたけど、皆ガキだ。そんでそのガキはどんどん減っていく。
なんで減るのか聞いたら、皆耐えられずに死ぬんだって、オレは特別だって言われた。でも、何にも嬉しくなかったから無視してやった。
そうやって辛くても耐えてきたし、メイのことを助けるんなら何だってやれるって思ってたんだ。施設長に体を暴かれようとも、仲の良かった奴が死んでも、髪が白くなっても、全部、全部、ぜんぶメイの、妹のためならなんだって耐えてきたのに!!
ある日施設長に呼び出されて、面会だって言われた。親と?って聞いたけど違くて、じゃあ誰だよって思いながら廊下を歩く。施設長がなんか言ってたけど、興味ないから聞き流してた。
そんで着いたぞって部屋に通されて、そこにはでけーガラス窓が一つあるくらいのすっからかんな部屋だったから、どうすんだよって施設長の方を見る。
そしたら、ガラス窓の奥の方の扉が開いて、そこからメイが入ってきた。所々形は崩れてたし、溶けてたりもしたけど、それでもちゃんとメイだったんだ。
だから駆け寄って、オレだよって、探したんだぞって言った。そしたらメイは呑気に笑って、さらわれる前とおんなじように「にいに!」って言って、そんで、天井が落ちてきたんだ。
バタン!って音がした。ガラスに肉片と体液が飛び散って、オレの手をついてたとこの裏が暖かくて、いつも寝る前に抱きしめてたメイの温度だったんだ。
そこからはよく覚えてなくて、でも何にもできなかった気がする。
オレはメイを助けるためにここに来たのに、何にもできなかった。あの日、メイがさらわれないように一緒に居てやれたら。寂しそうなメイに気づかないフリして行かなかったら。帰り道、寄り道なんてせずにさっさと帰ってやれれば。後悔がずぅっと頭ん中ぐるぐるって回ってって、その日の夜は眠れなかった。
---
それからは、何回朝起きても、どうしてやれば良かったんだろうって、そればっかり考えるようになった。施設の奴らはオレが大人しくなって嬉しそうだったけど、オレはちっとも嬉しくなんてなかった。もっとオレに力があれば、アイツらなんて全員やっつけられんのに。
そうだ、力だ。オレがさらわれる時、わざわざ面倒なことせずにアイツらごと親玉ぶっ潰してメイ助けられれば、きっと間に合った。じゃあ、力があれば良かったんだって納得して、でももう終わっちまったんだってまた思い出す。
「オレに、力があったらな……」
そうやって、ぼんやり言った時だった。いきなりピカー!って部屋が明るくなって、眩しくて目ェ瞑ってたら、いつの間にか人がいた。
耳はオレとおんなじように尖ってて、鱗みてーなのがいくつかひっついてる。上等な服を着てサングラス付けて、いかにも金持ちって見た目のやつだった。…気に食わねー。
「んだよお前、どっから入ってきた!」
「そんなことより小童、お主先ほど力が欲しいと言ったな?」
そんなことで済まされるようなことじゃないのに雑に流されたから、ぶっきらぼうに「そうだけど、だったら何だよ」って言ってやる。するとソイツは満足そ〜な顔をして、偉そうにこう言った。
「力が欲しいか、小童よ……」
「…だから、そう言ってんじゃん」
「違うのじゃ、これは《《ろまん》》なのじゃ!!……こほん、それであれば、我がお主を強くしてやろう」
え、と顔を上げる。すると急にガッと体を抱えられて、抵抗もできずに次の瞬間には知らない所にいた。
さっきまで施設にいたのに、どうやったんだろう。そう思って聞くと、ソイツは自慢げに「瞬間移動じゃ!!」と言った。
「え、す、すげぇ!!!」
「ふっふっふ、そうじゃろう、そうじゃろう!」
「……って、早く離せー!!!」
---
「我はリー、ただのリーじゃ。お主の名は何と言う」
「…シイ・シュウリン」
「ほう、ならばシイ!これから我のことは“リー師匠”と呼ぶように!!」
急に連れて来られて、知らないヤツを師匠と呼ぶわけないだろ、と思う。でも、コイツは多分めちゃくちゃ強いし、そんでもってすんげーバカだから、大人しく従っておく。
「…リーししょー、ここどこスか」
「お前たちが住む所じゃよ」
「いや、どこの国なんだって……え、たち?」
そう聞くと、師匠はまたも得意げな顔をして「良い質問じゃな!…ということで、出てきて良いぞ、フーゾ!」と言った。フーゾ、フーゾ?どっかで聞いたような…
「師匠…ほんとにシイ連れてきたんですか」
「勿論じゃ!それに、力が欲しいかムーブもできたからのう」
「ああ、前に言ってた…」
フーゾと呼ばれたやつは、ひょいと建物の柱の影から出てくる。その姿に、みょ〜な見覚えがあった、けど……なかなか思い出せない。フルネーム聞いたら思い出せっかな……
「…っと、俺フーゾ・ギディオンって言うんだ」
「へー、オレはシイ・シュウリン。よろしく!」
「よ、よろしく」
思い出した。オレの2個下で、同じく実験の成功体?なフーゾ・ギディオンだ。興味なかったから覚えてなかったけど、これから一緒に過ごすんなら仲良くしときたいと思い、握手をした。
「フーゾって呼ぶな!オレのことはシイでいいから」
「あ、ああそうだな。わかったよシイ」
緊張してんのかぎこちない動きのフーゾはさておき、師匠に連れられて風呂に入れられる。施設で入ってたのとは違う風呂だったけど、沢山入れる感じのも結構好きだった。何より、風呂が広くて泳げんのが良い。
風呂から上がって、師匠に髪の毛を乾かして貰う。師匠は風魔法が使えるからと、風を吹き当てて乾かしてくれた。師匠によると、フーゾも風魔法を使うらしい。オレは火魔法だから、2人と違くて少し残念だった。
明日から《《授業》》をするから早く寝ておけと言われ、オレの部屋に案内される。といっても部屋はフーゾと共有するし、ベッドも同じだった。まぁ1人で寝るの慣れてねーしいっかと思っていたのに、逆にフーゾが焦り出したのが面白くて、思わず笑ってしまう。
別に笑うくらいオレでもするのに、師匠はそれを見てやけに安心した顔をしていた。オレ、そんなに笑ってなかったかなー、と顔を触ってみる。これを期に、メイっぽくずっとニコニコしてようかな。そっちのが相手も油断しそうだし。
その夜。フーゾとはなるべく離れて寝てたけれど、結局寒くてひっついてしまう。まぁ、フーゾは特に反応が無かったし、気にしてないだろうとまた眠りにつく。
その日は、久々に懐かしい夢を見た。メイが夢に出てきてくれたのは久しぶりで、何したのかはよく覚えてないけど、凄く楽しかったのは覚えている。フーゾと引っ付いたからかな。
---
師匠に拾われてからはや数年が経った。このよく分からない空間にも大分慣れてきて、最近では一人で行ったことのない場所に行くことも増えている。
師匠曰く、ここはオレとフーゾのためにわざわざ創った空間らしい。そんなことができるのか?と聞いた時、師匠が雑にぼかしたからあまり詳しくは知らないが、広いから別に出れなくても気にしないことにした。
施設では何にもやることがなくて、大体は検査とか実験とかつまらないことばっかりされていたけれど、ここでは違う。
オレたちは、朝起きたら顔洗って服着替えて飯食って、歯磨いてそれからリー師匠の《《授業》》を受けている。授業っていうのは護身術だったり、学校に行って習うような知識をリー師匠が教えてくれることだ。
オレは学校に行ったことが無かったから、まず字の読み書きからやらされた。でもフーゾは学校に行ったことがあるらしくて、オレにも親身に教えてくれる。
そう、フーゾ。フーゾはすげぇ優しくて、時々ヘンになることがあるけれど、でも特に気にならなかった。
フーゾとは寝床も食事も授業も風呂もなんだって一緒で、そうしてるうちに兄弟みたいな感覚になる。でも、オレの兄弟はメイだけだから、アイツは……なんだろう。分からない。
でも、年下なのにオレより賢くて、色々知ってて、なのに鼻にかけないフーゾがオレは好きだ。
勿論、最初は警戒してた師匠も好きになった。優しいし、オレみたいな頭の悪い奴にも根気強く色々教えてくれるし、ちゃんとできたら褒めてくれる。オレの周りの大人の中ならダントツ一位で良い人だ。
そんな優しくて最高な二人に囲まれて幸せなのに、それでもたまにメイの夢を見ることがある。でも、前みたいに死んだ時の夢じゃないから大丈夫って、師匠は言っていた。
今日も夢を見て、そうして朝起きて顔を洗いに行く。大体はフーゾに起こして貰えるから大丈夫だけど、いい加減自分でも起きれるようになんないとなー、なんてぼんやり考えてた。
「シイ、髪の毛結ぶよ」
「ありがとうフーゾ!」
フーゾはオレの髪の毛をいじるのが好きらしくて、よく髪の毛を結んで貰っている。オレは結ぶのが下手だからフーゾに結んで貰えて嬉しいし、フーゾも好きなことができて、まさにWin-Winだった。
そうして準備が終わって朝飯にしようとしたら、師匠が突然目の前に現れる。
「わ、ししょーだ!」
「どうしたんですか?」
「今日は進路相談会を開くことにした!!!朝餉を終えたら、フーゾから庵に来るのじゃ。その間、シイは自手練するように!」
「「はーい」」
そう言うと、師匠はまたパッとどこかへ行ってしまう。オレらは顔を見合わせて、進路相談会ってなんだろう、何するんだろうって話し合いながら、朝飯を作りに行った。
---
将来何になりたいか、そう聞かれる。特に何もなりたくない、ずっとここにいたいと答えれば、それではダメだと言われた。
普通の生活をして欲しい。って、そんなこと言われても、オレはその《《普通》》が分からない。路地裏で鼠みたいに過ごすくらいしか、オレは知らなかったから。
やりたいこと、なんて無い。ここでこのまま生活していたい。歳を取らないリー師匠と、ゆっくり歳を取るオレとフーゾの三人で、いつまでもここにいるのじゃダメなのか。
「一人立ちをせねばならないのじゃ。何か手に職をつけ、一人で生きていく。それが大人になるということであり、我もそのためにお主らに対して教鞭を取ったのじゃ」
分からない。大人になって、それに何の意味があるのだろう。オレはここにいるよりも、大人になることの方が大切だとは思えなかった。
分からなくって、でも、分からないといけないことなんだって、師匠は言う。皆すぐに大人になっていく、フーゾだってそうなんだって。
一人で生きていけるはずない、ずっとここにいたいって言っても、師匠は聞き入れてくれなかった。オレには初めて、師匠が冷たく見えて、少し寂しかった。
庵から戻ってフーゾと話した。大人になりたくないよって、離れたくないって。フーゾも同じだと思ってたから、話したけれど。
フーゾは人を探したいって、そのために大人になることも仕方ないことなんだって言う。フーゾはオレよりずっと賢いから、きっとオレの分からないことも分かってる。
それなのに、なんだか置いていかれたようでとても寂しかった。
---
門出の日がやって来る。オレにとっちゃ、ぜーんぜんめでたくもない、別れの日。
フーゾは泣かなかったから、オレも泣かないって決めてたけど、師匠から門出祝いのナイフを貰ったせいで少し泣いてしまった。
「…シイ、突き放すようなことをして悪いと思ってはおる。それでもお主は我に頼りっぱなしではいけないのじゃ」
「うん」
「我の他に頼れる者を探していけば良い。自分の目で見極めれるようにと、我も教えたじゃろう?」
「…うんっ」
「もしも、本当に辛くなった時は我のところに来れば良い。…じゃが、そうでなければ来てはいけないぞ?」
「……分かったよ、師匠」
ずび、と鼻をすする。師匠はすっかり小さくなって、オレは逆に大きくなった。もう、師匠を見上げることもない。目をそらし続けていた現実は、オレが追い付かないほどに成長しきっていて、ずっと一人ぼっちみたいだった。
オレより小さかったフーゾも、同じくらいに大きくなっている。こんな時でもフーゾは泣かずに笑っていて、やっぱりフーゾは格好いいなぁ、なんて思ってしまった。
師匠から貰ったナイフをぎゅっと握りしめる。師匠の匂いが少しする、加護のつけられた小さなナイフ。師匠はこれで身を守れって言ったけど、これはオレが一人前になったら使うつもりだ。
最後に、師匠とフーゾとハグをする。もうしばらくのお別れだよって、また会えるよって誰かが言う。でも、涙で潤んで誰が言っているのかは分からなかった。
目を閉じる。不思議な、ふわふわとした感覚がして、地に足が着かなくなってきた。
そうしてやっと両足で立てるようになって、目を開けた時。二人の姿は夢が覚めたときのように消えてしまっていて、そこにはオレの慣れ親しんだ汚い路地が広がっていた。
これからどうするか、とりあえずいつも仕事を紹介してくれていた人のところへいけば良いだろう。そう思いながら、足を進める。
地に足をつけて歩いているはずなのに、心はずっとあの空間にあって、足元はふわふわしたまんまだった。
それからオレの夢の中には、あの風景も流れるようになってしまったのだ。
---
死体を踏みつけて、ひぃふぅみぃよと数を数える。依頼された人数はしっかり殺せていたようで、やっと終われると伸びをした。
オレが師匠の元から発って数年の月日が過ぎ、現在オレは殺し屋になっている。巷じゃそこそこ名の知れた殺し屋で、最近では大きな仕事も依頼されるようになった。
予め持ってきていた袋に死体を詰め込んで、解体屋のところへと持っていく。殺し屋は違法な職業だから、こうして証拠隠滅しないとすぐ足がついて危ないのだ。
師匠に育ててもらっておいて人を助ける仕事に就かないのはどうかと思ったが、師匠はオレのなりたい者になれと言ったからヨシとする。偉い奴らみたいに話し合いをするのは疲れるし、オレは頭が悪いからそういう難しいことはソイツらに任せることにした。
人を殺すのは結構楽だ。話し合いもしなくて良いし、何よりさくっと終わらせられる。処理に気を付けさえすれば、むしろ暇潰しくらいにはちょうど良いかもしれない。
慣れた足取りでいつもの扉を叩いて、返事は聞かずに中に入る。部屋の中にいた男が、ゆらりとこちらを振り向いた。
「……ああ、シイさんね。今日は何人~?」
「五。全員男でオレより身長は低め、肉付きはまぁまぁ…あ、でも一人だけ太ってたよ」
「お、そりゃ良いねぇ…じゃあ今回は一万ex貰おうかな~」
「はいよ」
猫背でもかなり高身長な男に、硬貨が大量に入った袋を手渡す。コイツは解体屋といって、死体を解体してさらに後処理まで請け負ってくれる超超超ありがたい代理人だ。
本人は秘密主義で名前も年齢も出身も何にも教えてくれないけれど、別に知りたいわけでもないからそのままにしている。仕事の付き合いならこのくらいで十分だった。
「じゃあまた来るね~」
「今後ともご贔屓にぃ」
ひらひら、と作り込まれた笑顔で彼は手を振る。今日も良い営業スマイルね、なんて心の中で称賛しながら、オレは扉を閉じた。
---
殺し屋はバディと呼ばれる、いわゆる相棒と一緒にやるのがセオリーだ。一人だけじゃ殺せる人数には限界があるし、何より背中を任せることのできる相手がいるってのは心強い。
でも、オレは未だにバディを作っていなかった。理由は単純で、深く誰かと交流するのは別れが辛くなるから。フーゾと師匠のことがあってから、オレはあんまり誰かと深い仲になるのは気乗りしない。
実際バディには裏切りもあるって聞くし、そもそもオレみたいにゆっくり歳を取る奴なんていないから、結局オレは一人でいるのが一番良いのだ。
でも、オレは頭が悪いし強さもそこそこだから、誰かに助けて貰いながら生きている。解体屋もそうだし、同業者や街の奴らだって助けて貰うことが当たり前だった。
時々手を差しのべるフリをして拳銃を突きつけてくる奴もいるし、誰も助けてくれないときもある。でも、それでボロボロになったって誰かが助けてくれるから、オレは未だに生きていられているんだ。
それでも時々、ふと隣が寒く感じることがある。空いた隙間が埋まらなくて、そこから隙間風が入ってくるような、そんな寒さ。
片側にはメイがいて、もう片方には師匠とフーゾがいた。でも、今は誰もそこには居なくて、だから寒いんだって分かってる。
寒い夜は、無性に人肌が恋しくって堪らない。だから誰かと一緒に夜を過ごして、その寒さを埋めて貰う。
その度に、なんでか頭にはフーゾの顔が浮かんで、暖かかった体がすうっと冷えていくような感覚がやって来る。その感覚を知らないフリして、無理やり押し込めて眠るのがいつもだった。
「…一人で生きていくなんて、到底できっこないよ、ししょー」
依頼された男の背中に刺したナイフを引き抜く。体を明け渡すことに抵抗がないのは、きっとあの施設のせいだった。
裸のせいで肌寒くて、思わず身震いする。死体はそのままで良いって言われたから、早く帰って、風呂にでも入ろう。そうぼんやり思いながら、ふわふわした足取りで踏み出した。
---
「政府公認の殺し屋制度?何それ」
「ウチも人手不足だからな。対人試験と筆記試験、そんで二回の面接で法を潜り抜けることができる」
「ふーん」
ウチの国…|混乱的城市《フィンランデ・チャンシィ》は自慢じゃないがビックリするくらい治安が悪い。
中心からそれぞれ外郭地区、内郭地区、そして中央地区の3つの地区に分かれていて、外側に行くほど治安が悪くなっていく。オレは外郭地区の生まれだから治安の悪さには慣れてるけど、他の国から来た奴は皆驚いてた。
そもそも政府が腐ってるからこうなるのだが、今回のはまた一段とバカな制度だと思う。殺し屋なんてオレ含めてロクな奴がいないのに、上の奴は殺し屋と話したことがないのか?
「シイも参加してみりゃ良いんじゃないか?お前は強いし外郭地区の生まれにしては字の読み書きもできる。適任だろ」
「でも筆記試験って何すんの」
そう言うと、目の前の男はチラシを一枚ぺら、と手渡してくる。どうやら中央地区の方で配られてるものらしく、軍人である男は容易に入手できるとのことだった。
内容は、語学に社会科学に法律に医学に…オレの場合は経営学、そんでその他軍に関する知識…ねぇ。
「……多くねぇ~?」
「まーそりゃ簡単に人殺しを許すわけないんだよなぁ。んで、どうすんの」
そんなんやるわけない、そう言いかけてふと止める。頭の中にはフーゾの顔がちらと写り込んでいて、ああそうか、合格したら会えんのか、と気がついた。
いや、会えるかどうかわかんねーけど。もしかしたら軍の奴らが殺し屋を一網打尽にするための罠かもしんねーけど。でも、賭けても良いやって気持ちがオレのなかに宿り始めいる。
そのまま男と別れたオレは、懐かしさと温もりのためだけに、初めて中央地区の本屋で本を買った。我ながらバカだなぁと思うけど、でも、死ぬまであの寒さで凍えるよりずっとマシだ。
---
「し、勝負あり!!!勝者は…シイ・シュウリン!」
「あざーっした。残念だったな、ナイフ振るしか能のない犬っころごときにこんなにされてよ」
「…ックソ!」
じと、と敢えて目付き悪く相手の軍人を見下ろしてみる。周りからはヒソヒソヒソヒソ、魔法試験に加えて武具技能試験まで、どうなってんだ、なんて言われていた。でも、そんなんキョーミねぇし別に気にしない。
必死に勉強して挑んだ公認殺し屋制度試験にて、オレは無事に筆記試験をパスし終えて(けっこーギリで危なかった)、次の対人戦闘試験もたった今クリアした。
相手の軍人とやらは初っぱなからオレのことを舐めてるのが丸分かりで、こっちだって筆記試験がダルすぎてイライラしてて。そんなんだったから、つい何時もより力が入ってボコボコにしていた。
偉そうな奴の鼻っ柱を折れたからまぁ満足だけど、それよりも試験会場にフーゾがいないかばっかり探しちまう。さっきから探してても居ないから、オレはもしかしたら来てねーのかな、なんて残念に思った。
---
結果的に言うと、フーゾはあの試験会場にはいなかったし、そのまま見かけることもなく試験は終わってしまったので少し残念に思う。
ちなみにオレは無事政府公認の殺し屋になって、非常事態の時には軍に手を貸すことと不要不急の殺人を禁止されることとなった。ルールがあると嫌になるけれど、やってることはほぼ前と変わらないから気にしないことにする。
そんなこんなであれからまた数年、特に代わり映えのしない仕事をしていた頃だった。偶然、偶然にもフーゾを見かけたのだ。
アイツはこっちに気がつくことはなくて、まぁそりゃ隠れてりゃ気づかないだろうけど、でも知らない女と歩いていた。
(うわうわ、気まじぃ~……)
おー、と口元に手を当ててジロジロ観察する。あらまぁ腕絡ませちゃって、お熱いこって、なんて心の中で茶化してみるけれど、すぐにまたあの肌寒さがやってきて身震いした。
…なーんか、気にくわない。なんでか知らんけど、でもなんだかすっげぇ嫌だ。なんだこれ。
もう一度フーゾ達を見ようと視線を戻すと、もうそこにアイツらはいなかった。あちゃー、と言いかけてはたと気がつく。
オレ、なんでこんなモヤモヤしてんだ?てか、別に気にせず話しかけりゃ良かっただろ。そうオレに聞いてみるけど、当然答えちゃくれない。
よく分かんなくて、でもなんとなく、またここに来ようって気持ちになる。何度か見ていれば、この気持ちも分かると思ったからだろうか。
---
髪の毛をとかして、いつもの服に着替える。お気に入りのピアスをつけて、下ろしたてのブーツを試し履きして、妙にそわそわしてる自分を落ち着かせるように指を噛んだ。
今日はついに作戦の決行日。何回も頭ん中でシュミレーションして、慣れないことしても大丈夫なようにといくつかパターンも考えた。
運命というものは、小さい頃のオレでも知ってるくらい有名な概念だが、未だに誰にもその原理を解明できていない……みたいなもんだった気がする。でも、師匠は「運命は作れる!」って言ってた。
[作り方は簡単!ソヤツと出会ったときと同じシチュエーションで"偶然"を装って現れるんじゃ!!]
そう得意気に言っていた師匠の顔が懐かしい。正直もう何百年も前の話だからシチュエーションは覚えてないけれど、前にフーゾはオレのことを「施設で見た」って言ってた。
だから作戦はこう、フーゾの前にオレがどっか行く風に現れて、そのまま"偶然"出会ったことにする。もしフーゾが気づかなければオレから話しかけるし、フーゾが気づいたら気づいたでそん時は好都合、くらいの作戦だ。
いつもフーゾが通る道に潜んで、フーゾが来るのを待つ。端から見たらオレって超変な奴だけど、ハニトラの時と手順は大体おんなじだし、こういうのは恥じらったら終わりだから気にしないことにした。恥と恐怖はシャットダウン、これハニトラのコツね。
そうしてるうちに、懐かしさを覚える銀髪がちらと見えた。心臓がバクンと大きくなって、じわじわ脂汗がやって来る。
深呼吸をして、少しだけ後ろに下がっていく。そのままいつものペースで歩いていって、小道からフーゾのいる通りへと出ていった。
「……シイ?」
小さく、けれどハッキリとフーゾの声が聞こえる。早速ビンゴ、ってやつだ。
勿論気づかないフリをして歩き続ける。敢えてフーゾに背を向けて、けれどペースはゆっくりめに。
すると、後ろから少し文句を言う女の声がして、その後に咎めるような声色に変わっていく。謝るフーゾの声がして、足音は立てずに妙な気配の無さだけがこちらへとやって来た。
「っシイ!!」
「うお」
バ、と腕を捕まれる。来た来た、と内心ほくそ笑みながら振り向けば、少し焦ったようなフーゾの顔があった、け、ど~……
(…うわ、かっ……こよ……)
思わず言葉を失ってしまう。時々綺麗な顔の奴に会うことはあるけれど、ここまでの美形を見るのは久々だった。
いやいや仮にも幼馴染みの顔でしょ?と侮る無かれ。成長したフーゾの顔はあの時よりもずっとこう……伊達男って感じになっていたのだ。
睫毛長いし、鼻筋綺麗だし、毛穴無いし、うわうわうわ、間近で見ると心臓バクバクしてきた…!!!
「ひ、久々じゃんフーゾ!うわ、すげぇぐーぜん!」
「あ、そ、そうだな。シイも元気そうで、何よりだよ……」
ぱ、とフーゾが慌ててオレの腕を離す。何だかみょ~に気まずくて、オレらしくなくモゴモゴと口ごもってしまった。
なんとか気にしないよーにパッと笑顔を作り、他愛の無い話をしてみる。フーゾもちゃんと返してくれるけど、まーぎこちなかった。
「……あ、そういや。公認殺し屋試験合格おめでとう。…軍でも結構噂ンなってるよ」
「ェ、ほんと~?!へへ、なんか照れるわ」
バクバクと心臓が熱くなって、あーこんなはずじゃなかったのに。なんでこんなうまく行かね~んだってモヤモヤする。
すると、後ろからやけに焦った様子の女が出てきて、フーゾを見つけるなりキッと睨み付けた。あーそっか、フーゾは連れがいたんだったか。
「……後ろ、カノジョ怒ってるぞ?」
「え、あ、いやそういうわけじゃなくって」
ワタワタと言い訳するフーゾに、不思議と心臓の熱が引いていく。あーあ、照れてらァ。まぁオレに見られたら気まじぃよなぁ、なんて心の中で呟いた。
行ってこいよ、って無理やりフーゾの背中を押して行かせる。しぶしぶ行ったフーゾはカノジョさんにキレられてるようで、もうこっちのことは見てはいなかった。
(あーあ、怒られてやんの。良い気味)
先程までグツグツと熱かった心臓は、もう冷えきっている。またあの寒さが、いつもよりもずっと強くやってきて、思わず身震いした。寒くて寒くて堪らなくって、急いでまた路地に入る。
ぎゅ、と体を抱き締めて路地にずるずると踞った。誰か、探そう。今日の夜、誰でも良いから、寒さを埋めてくる誰かを。
ふら、と覚束ない足取りで何処かへと向かう。この寒さを治めてくれるのなら、もう誰であっても良かった。
オレは一人じゃ生きていけないんだ、だから、今日も誰かを探してる。それがなんだか、とても虚しいことのように感じてしまったのは、どうしてだろうか。
---
あれからオレは、時々フーゾの前に現れてはちょっかいを出すようになった。進歩といえば、昔のように接することができるようになったくらいだ。
そして、分かったことが一つある。フーゾがあの日連れ歩いていた女の子は、フーゾのカノジョじゃなかった。
どうやらその子から相談を受けていただけらしくて、フーゾはオレに勘違いされているのを解きたかったらしい。それを聞いて、何故かオレはほっとしてしまった。
「シイは?カノジョとか作ったの」
「え、オレ?無い無い、オレの同業者男ばっかだもん。フーゾさんみたいにモテモテとは行きませんよ~」
つん、とフーゾの腕を突っつく。ちょけてこのくらい茶化しても、フーゾはちゃんと冗談だって分かってくれるからとても気楽だ。
フーゾはそんなこと無いよ、って笑うけどオレでもそれは嘘だって分かる。あの相談を持ちかけた子だって、内心デートだって受かれてたはずだ。少なくとも、オレなら浮かれてるね。
そう、オレがカノジョを作らないのにはとある重大な理由があった。それはなかなか話せることじゃないし、話してしまえば信頼関係が一気に崩れるほどの理由である。
(あー、今日もフーゾは格好いいな~…フーゾには悪いけど、軍服のコート脱いだ状態で腕まくりしてくれんのスゲー助かる……やっぱ黒いシャツは襟元空いてるとエロいな~……ピアスも空いてるし、こんなん女の子どころかオレみたいな男だってすーぐ引っ掛かるだろ、罪な男だな)
そう、オレは同性愛者だ。それに気がついたのは、たぶん仕事で女の子相手にハニトラを仕掛けたとき。同業者に「よくあの女に引っ掛かんなかったな、もしかして不能か?」なんて笑われたっけ。
別にオレは不能じゃないし、男相手にはそういうこともあった。でも女の子にはそういうわけにはいかなくって、どんなにそういう雰囲気になってもやる気にはなれなかったのだ。
そこで困ったことが一つ。オレの職業が殺し屋なことだ。
殺し屋に女の子がなることは殆ど無い。筋力の差があるから駆け出しの状態ならすぐにやられるし、何より女の子を痛め付けて興奮するような異常者が殺し屋には多かった。
その結果オレの周りの同業者には男しかいなくなる、ということが起こるのだ。
当然アイツらは異性愛者が殆どだから、オレのことなんて意識もせず当然のように着替えるし、そこで動揺するとオレは一発で終わり。
幸い殺し屋にあんまり顔の綺麗な奴はいないから助かっていたけれど、ここにきてフーゾとかいう顔良し体良し性格良しな三拍子のカモがやってきてしまった。勘弁してほしい。
バレちゃいけない想いと、懐かしさからまたあの日のように接したい気持ちに板挟みになって、なかなかオレもいつものように接することができなくなる。
今は何故かフーゾの方が緊張しまくっているのでカムフラージュされているが、これからアイツが慣れたらきっとマズい。それまでに、オレは自分の気持ちに踏ん切りをつける必要があった。
(……でも、フーゾがオレのこと好きになれば全部解決するよな~~~……)
じと、とフーゾを見つめる。不思議そうにどしたの、と聞く唇の動きにグッと来るものを感じて、慌てて笑うフリして目を閉じた。
そう、ここでの勝機は隠して気持ちを押し殺すことの他にもう一つ、《《相手も同じ気持ちにする》》というものがある。異性愛者の相手をこちらの土俵に引きずり込むのは難しいけれど、女の子のように振る舞えばワンちゃんあるかもしれなかった。
正直、ハニトラ同様自分を偽ることはそんなに好きじゃなかったけれど、ここまで来ればもう仕方あるまい。
人間可能性があるとわりと欲張ってしまうもので、オレもその一人だった。別にそのつもりで接触した訳じゃないけど、好きな相手にチャンスがあるなら賭ける価値はある。
密かに決意を決めながら、フーゾとの会話を楽しむ。絶対にフーゾに意識させてみるという不毛な戦いの火蓋が、オレの中で今、切られた。
---
(フーゾ、手強ェ~………)
「シイ大丈夫?もう飲むのやめたら?」
ぺしゃ、とバーのテーブルに潰れながら、フーゾの声を知らんぷりして一人悪態をつく。酒くらい飲まないとやってらんないだろ、もう1ヶ月だぞ。
フーゾはビックリするくらいこっちに興奮する素振りを見せなかった。いやまぁ分かりますよ?男ですもんねあーハイハイでも女装しても落ちないってどういうことだよ?!
ぐい、と自棄になって酒を煽る。フーゾの咎める声がしたが、聞いてやるつもりはない。頭がふわふわとしてきて、いらんことまで喋りそうな感覚だ。
酒は好きだった。頭ン中パーにして何にも気にせずバカになれるし、それは免罪符にもなる。あと上手く行けば色々使えるし。
一人で飲むときはさすがにこのペースで行くとマズいのだが、フーゾもいるし今日はやけ酒がしたかったからトバしている。
(あーーーフーゾ今日も輝いてんな……あ、今日のピアス黒色だ、控えめだしどっか外交行ったんかな……はーーー黒手袋こっち近づけてくるのホント止めてほしい、手のゴツゴツ感たまんな……オレとおんなじくらいなのになんですかこのときめきの差は)
「…シイさーん?酔ってる?」
(あーゴツいかっけぇ頬擦りしてーーきっとあったけぇしデカイから安心すんだろな……そのまま顎とかさらって、うわ、うわうわ想像したら辛くなったわオレのバカ!!!)
「…ッ、あーもーその目やめて…それで見られるとほんと効くから……」
じと、としたフーゾの顔に、ふと思考の酩酊状態から少しだけ浮上する。何だよ、と言おうとして右頬の違和感に気がついた。
右側をみると、するりとなにかが肌を撫でる。その何かに突然視界を防がれて、ふにと唇にぬるいものが当たった。あ、これキスだ。
(…き、キキキキキキキキス?!!!エ?!!今そんな雰囲気だった?!!てかヤバイヤバイヤバイ唇、え、うわ当たってる、ヤバイめっちゃ良い匂いする、どうすりゃいいんだこれ)
バクバクと心臓が熱くなってくる。頭がさらにふわふわしだして、現実と妄想の境目が甘やかに溶けていった。
あれ、これオレの妄想だったっけ。そうぼーっとしていると、唇がす、と離れて手が視界から退いていく。少し名残惜しくて、バレないように唇を噛み締めた。
「……ごめん、シイ」
「…フーゾってオレのこと好きだったん?」
ぼんやりそう聞く。視界が潤んでよく見えなくて、それでも逃げられないように腕を強く掴もうとする。…酔っているせいか、上手く力が入らなかった。
ごめん、ともう一度フーゾは繰り返して逃げようとする。でも、ここで一押ししないと絶対に後悔すると思い、フーゾの胴体にバ、と抱きついた。
「な…なな、シイ?!」
「…フーゾ、行かないで…」
バクバクの心臓の音が激しくなる。振り向いたフーゾの顔は、潤んだ視界でも分かるくらいに赤く染まっていた。…照れてる。
ねぇ、あれどういうつもり?オレのこと好きだったの、いつから?答えてよ、そう問い詰めても、フーゾは何も答えない。…いや、口は動いているから、オレが聞こえてないだけか。
ずる、と力の入らなくなった足がもつれて足元から崩れ落ちる。フーゾに抱きとめられながら、オレは意識を手放した。
---
「普通その後お持ち帰りして既成事実作る流れだろ、なんでそれで丁寧に介抱して宿代も置いて帰っちゃうんだよ」
「いやほら、ホントに好きだったから嫌われたくなさすぎて……ただでさえ勝手にキスしたし……」
「オレ朝起きて服着てなかったからちょっとときめいたのに、なんですか?風呂にも入れておいたって」
「ほらその、汗かいてたっぽいし気持ち悪いかな~って……」
くどくどと目の前のフーゾを詰める。フーゾは気まずそうに大人しく詰められていた。いや、時々小さく反論するから本当に大人しく、というわけではないが。
あの夜から数日。見事にフーゾに避けられまくっていたオレは、持ち前の鼻の良さと交遊関係の広さを生かしまくってフーゾのことを捕まえることに成功した。
「で?オレのことは好きなの?」
「…そらまぁ、キスするくらいなんだから好きなんじゃないですかね」
「ほーーーん……へー、ふーーーん……」
へー、そう、そうだったんだぁ?そう意味の無い繰り返しをしながら、心の中ではくす玉が割れていた。
(…やっ…………ったぁぁぁ…!!!!)
フーゾに見えないように小さくガッツポーズをする。このフーゾの言葉を聞くだけで、自分の一ヶ月間の苦労が報われた気がした。
心のなかでフーゾの言葉を反芻する。そっか、フーゾってオレのこと好きなんだ。キスするくらい好きなんだ?!へー、ふーーん。
「ちなみに、いつから好きになったの」
「一目惚れ」
「ふーん、そう、一目惚れね……えっ」
ガバ、とフーゾの方を見る。その顔はビックリするくらいに赤くって、こちらの顔もか~っと暑くなっていく。
え、一目惚れ?てことはずっと好きだったってこと??…オレがなんもしなくとも?そんでその状態が何百年も続いてたってこと???え、それって……
「…なにそれ、オレのこと大好きじゃん……」
「………うるさい…」
心臓がまたバクバクと熱くなっていく。オレもなんだか照れ臭くなって、フーゾから顔を背けてしまう。
好きにさせたかったのはオレなのに、これだとオレの方が後に好きになったってことじゃん。……もしかして、フーゾの様子が時々変になってた時って、オレみたいに照れてたってこと?!
「…俺はお前のことが好きだよ、シイ。お前はどうなの」
「そ、そら好きですけど………その、レンアイ的に……」
「…いつから」
「え、わかんね…再開したとき…とか?」
ぎくしゃくとした空気の中、つい釣られてぬるっとオレも好きだと言ってしまう。お互いに照れているせいで、肝心の気持ちを伝えたのに変なところで足踏みしてしまっていた。
どうにかしてこの気まずい空間をどうにかしないと。そう思って言葉を探すも、オレの乏しい語彙力じゃ気の効いた言葉は出てこない。
こんなに本気で人を好きになるのは初めてだった。
仕事で好きなフリをするときや友達として好きなことはあったけれど、性欲抜きでもここまで照れるなんてこと、今まではなかったんだ。それが、フーゾと会ってから急に狂いだした。
「…俺はシイと付き合いたい。シイが他の奴と恋人になるのは考えたくないし、俺ならシイの考えるようなこと…少し分かるから。きっと、ケンカ別れも無いと思うんだ」
「あ、う…」
「お前が妹さんのこと引きずってんのは知ってるし、代わりになれるとは言えない。でも…お前の隣がまだ空いてるなら、そこに居座らせて欲しいんだ」
___ずっと、空いた隣が寂しかった。隙間風が吹き込むような寒さで身が凍えそうで、そこを埋めてくれる《《誰か》》が欲しかった。
「お前のことを支えてやりたいし…できれば、俺のことも支えて行って欲しい。でも、絶対後悔はさせないから、」
オレは、一人じゃ生きていけないから。だから、隣で支えてくれる《《誰か》》が欲しくて。
「…俺と、付き合ってください」
それは、|お前《フーゾ》じゃなきゃいけないわけじゃなくて。けれど……
「オレは……」
--- お前だから良いんだ、フーゾ ---
---
隣に温もりが宿ってから、かれこれ…もう何年が経ったのだろう。
この永い命を持った体では、時間の感覚がひどくゆったりとしてるのだ。数年だと思っていれば、ざらに何十年と経っていたりするから油断できない。
あれから夜に寒さを覚えることはなくなった。物理的にもそうだし、何より隣が埋まったから。
今だから分かるけど、と言ってみたい気持ちはあるが…実は今も、何故フーゾ以外と一緒にいても寒くなったのかはよく分かっていない。まぁ、分からなくても構わないから掘り返さないけど。
ざ、と足音が立って初めて意識が戻ってくる。目線を上げれば、小さな石に「Mei・Shurin」と綴られていた。そう、これはオレの妹の墓石だ。
手に持っていた金平糖を、からんと墓石の前に置く。これは、妹の大好きなものだった。忘れもしないあの日の後悔は、今でも金平糖を見るたびにやってくるけれど。
「…ねぇ、やっぱ花とかじゃなくって甘いもののほうが良かったかな?」
「いや?メイだってたまにはキレーな花があったら嬉しいだろ。…見せてやったことも、無かったしなぁ」
「そっか、じゃあちょうど良かったな」
フーゾがそっと、花束を同じように墓石の前に置いた。そうだ、今ならきっとフーゾがいるから、もしオレが後悔に呑まれてもなんとかなるだろう。
これから先、金平糖を見てもあの日のように後悔しない日が来るかもしれない。それでも、きっとメイのことは忘れられないんだろうな、という確信にも似た諦めはあった。
それで良いのだ。オレはメイのことを忘れちゃいけないし、|オレの右隣《メイのいたところ》が埋まることもない。どんなに時間が経ったって、メイの死はオレの心にじっとりと滲んで消えないインクのようなものであるだろう。
その時凍えないために誰か支えてくれる奴が必要で、オレはソイツのためだけに、|愛の歌《セレナーデ》を奏でていたいから。
隣を見やって、そのまま一緒に歩きだした。後ろに延びる影は、もう一人じゃない。
◇Thanks for reading and to be continued…?
#4 『episode Fuzo:孤独なコンチェルト』
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
--- 誰かと一緒にいても、いつも虚しかった ---
--- たった一人の温もりを、覚えていたから ---
--- 遥か昔の|協奏曲《コンチェルト》は、心の中に虚しく響いていた ---
---
ぱし、と頬に痛みが走る。特に能力で治すわけでもなく、反射的に叩かれたところを抑えた。もう、痛みは居座っていない。
「……最低な男だって知ってたけど、本当に誰でも良かったんだね」
「そうだよ?…それを知ってて付き合ってくれてると思ってたんだけどな」
ぎ、とオレンジの瞳に睨まれる。顔はそこそこだけど、目がなんとなくシイに似てたから付き合った子だ。名前は……なんだっけ、まぁいいや。
本名不詳の彼女がいるのは俺の家、彼女が手に持っているのは他の女の子から貰ったネックレスだった。女の子がウチにいる理由は察して欲しい。
女物のそれを俺に送る意味が分からなかったが、なるほどこういう時のためだったのかと感心してしまう。きっと彼女は勝手に俺のいない間部屋を物色するなりしたのだ。
「それで、どうするの?欲しいならそれ、あげるけど」
「…は?」
敢えてデリカシーの欠片もない発言をすれば、相手は予想通り目を見開き、その後涙を流す。……シイが泣いたらこんな感じかな。
もう一度、今度はより強くパシンと頬に平手が飛んでくる。胸元にネックレスを押し付けられ、そのまま彼女は出ていこうとした。
「あ、待って。気に入ってるって言ってたピアス、今着けてないけど大丈夫?探してこようか」
「………いらない」
真っ赤になった目元が俺を見据える。あのピアス、結構似合ってたのにな~…と思い返しながら返していると、目にうっすら期待が宿っていることに気がついた。
あー、未練タラタラなんだ。まぁそうだよね、さっきまで好き好きって顔してたし。
正直、二回叩かれちゃったからもうあんまり一緒にいるつもりはなくて、だから先程もデリカシーの無い話をしたのだが……もう一押しかな、と心のなかで呟く。
「えー…うーん、この後に他のコ来たときにまた怒られちゃうかもしんないから、できれば持って帰って欲しいな」
その後俺は見事両頬に跡をこさえ、ついでに彼女のピアスも押し付けられてしまった。本音を言えば処分に困るのだけれど……まぁまぁ良いやつそうだし、売れば幾分かマシかしら、と無機質な光にピアスを透かす。
(…にしても、刺されて死ねって結構ひどいよなぁ。自分だって、都合の良い相手が欲しいとか言ってたのに)
はぁ、とため息をついてピアスを机に置く。次のコも探さないと、今日誰か会えないかなと顔を思い浮かべてみるが、誰もアテは無さそうだった。…新しいコ探そうかな。
ぼす、とソファに沈みながら、頬に手をするりと添える。別に叩かれたことに関して感傷に浸っているわけではなく、これは《《治療行為》》なのだ。
手に意識を集中させれば、だんだん頬に温もりを感じてくる。眠気も呼び覚ましそうなその感覚に、訳もなく安堵のため息をついた。
(そういえば、あのコとも《《治療中》》に出会ったんだっけ)
---
この世界には「能力持ち」がいると、昔習ったことがある。それは俺の人生の師よりもずっと前の、雇われた家庭教師が教えてくれたことだ。
『能力、またの名を才能特権。この世界に生きる人々の1/1000ほどしか持っていない、特殊な力。その力は人によって様々で、その本人の意思に関係なく先天的に宿る』
俺が能力持ちだと分かったのは、それからすぐだった。理由は、重度の怪我で瀕死になった父親を治したから。
俺の能力は人を救う、素晴らしい力。そう両親は言っていた。…結局その後、俺の力をどこからか嗅ぎ付けて狙っていた施設に浚われた際に殺されてしまったが。
今考えてみれば、俺の能力のことを家庭教師がアイツら話したのかもしれない。誘拐してきた奴らは誰かに教えて貰ったようなことを話していたから。今となっては、もうどうでも良いけれど。
俺はその力を使って、ふらふらと人助け兼ヤブ医者のようなことをしていた。本当は軍医になりたいのだが、今はまだ経験が足りない。経験を積んでから、俺は軍医になると決めているのだ。
---
痛みと腫れがひいたのを確認して、能力の発動を止める。いつか、いつかって言っているけれど、その《《いつか》》がいつなのかはまだ決めていない。…だから、師匠の元から経って数十年かかっても軍医になれていないのだが。
(…でも、軍人じゃなきゃ姉さんは探せない)
姉さん、というのはその名の通り俺の姉だ。俺には姉が一人いて、俺が誘拐されたときに生き別れになってしまっている。今どこで何をして生きているのか、全くもって分からないが……姉さんも、あの施設の奴らに浚われている可能性が高い。
もし俺と同じように、実験で永い命になって、生きていてくれていたなら。そんな望みを、昔からずっと、ずっと消せずにいた。
軍には様々な情報が集まる。行方不明者も犯罪者も……きっと、偉くなれれば戸籍の情報だって確認することができる。もしも姉さんの戸籍情報で生きていることになっていれば、そこに住所でもなんでも、手がかりさえ載っていれば。
(…まぁ、軍医になれてないから全部机上の空論なんですけどね~)
ずむ、と顔をソファの近くに会ったクッションに埋める。いい加減頑張んないと、そう思いながらも俺の意識は離れていく。
今日は疲れたし、また明日頑張ろう。心の中で(そう言った人間が頑張ったことはない)と浮かび上がった言葉を無視しながら、俺は昼寝を決め込んだ。
---
懐かしい夢を見た。ああそうだ、今となっては懐かしい、師匠とシイと、三人で暮らしていたときの夢だ。
あそこは暖かくて、優しくて、まるで柔らかい羽毛のようなところだった。傷ついた心も、体も、何もかもを癒して全うな道へと戻してくれる、そんな場所。
施設で過ごした時間はあまりに短かったけれど、それでも確実に俺の、俺たちの心に大きな傷を残している。シイは研究所と聞けば体が強ばるようになっていたし、俺だってあそこと、それによく似た工場が未だに怖い。
そんな俺たちを受け入れて、知識や力を与えてくれたのが師匠___リーさんだった。
初めて出会ったのは、施設の中。部屋でぼんやり物思いに耽っていたとき、空間転移をミスったリーさんが偶然俺を見つけてくれて、そうして助け出してくれたのだ。
初めは警戒していたけれど、優しく接してくれて、痛いことも苦しいこともしないあの人が母と重なってからは心を開くようになったんだったか。
どちらにせよ、あの人が魔法をミスらなかったら今ここに俺はいなかったのだ。神であるのにおっちょこちょいな性質にも、この時ばかりは感謝せざるを得ない。
だが、あの日々を思い出すのにはもう一人俺の心に相当デカい傷跡を残した男がいる。それが俺の同室で2コ上のシイ・シュウリンだった。
俺はいわゆる両性愛者である。この前置きだけで分かる人もいるとは思うが、俺はシイのことが好きだった。否、過去形ではなく現在進行形で好きである。それこそ、シイの面影を追い求めて似たような女の子を漁るくらいには。
初めは、その見目の美しさに惹かれた。真っ白で月の光のような髪に、朱の瞳。生気を感じない端正な顔は人形を思わせるようで、子供心にも「きれいなひとだ」と一瞬で分かるようなほど。
次に、性格を好きになった。底抜けに明るくて、無邪気で、優しいところ。でも、この世の汚いところも知っていて、ただ能天気なだけじゃない聡明なところ。知れば知るほどシイ・シュウリンという男は魅力的に見えた。
そんな所謂初恋の相手と時には同じ布団に入り、共に学び、汗を流し、裸だって見合って、さらに当時俺は思春期。男同士、同室、当然何も起きないはずがなく…………的なのを想像していた人には申し訳がないが、十数年一緒にいたのに俺は一ミリも自身の想いを伝えないまま終わった。
確かに想いを伝えれば、幸せな生活もできたかもしれない。けれど、俺にはやりたいことがあったから、泣く泣くシイへの想いを諦めたのだ。…いや、ちょっと怖かったってのもあるけどさ。でもそれはほら、仕方ないっていうか……あるじゃん、ねぇ?
そのやりたい事こそが姉を見つけること。そのためだけに、明日こそはちゃんと頑張ろう。そう思いながら、俺は意識を手繰り寄せて覚醒へと進んでいった。
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「……ほ、本当ですか」
「はい、合格おめでとうございます。これであなたも名誉ある混乱的城市軍の医療隊員です」
待ち望んでいた言葉に、やったーとか、ありがとうございますとか、いらん言葉ばかりが頭をよぎる。喜びで心臓がグツグツと煮え立ち、今にも体が内から壊れてしまいそうだった。
今俺は軍の基地にいる。そこで、軍医……厳密には医療隊の隊員試験の合否を聴いていた。もう先ほどの台詞から察して貰えると思うが、そう、俺は合格したのだ。合格、合格。今日から医療隊、俺が、俺が、医療隊に合格!!!!気を抜けばぐわぁっと上ってくる喜びで叫んでしまいそうだった。悟られぬように丁寧に頭を下げ、踵を返す。
今から俺は、自宅に戻って引っ越し用に荷物を纏める必要があった。軍人になれば、軍の寮で生活をすることになる。生活費は給料から天引きで、噂によれば隊長クラスになると一軒家が与えられるとか………
まぁ、今の俺にはアパートくらいが丁度良い。突然地上に出たらモグラだってビビるだろう。そんなもんだ。
(それにしても、この家ともお別れかぁ)
なんだかんだ長く一緒にいたなぁ、と家を見渡す。それこそ歴代彼女の誰よりも長く、ずっと迷惑をかけてきていた。
この家には、そういった思い出がたくさん詰まっている。女遊びで虚しさや不安を紛らわしていた情けない自分の、酸いも甘いも詰め込んだような家だ。離れるのは名残惜しいが、それでも夢のためにやるべきことがあるのだから致し方ない。
空間転移布の上に荷物を置いて自分の部屋へと移す。そうして部屋を見渡せば、随分とこざっぱりしていて少し寂しい。…うーん、やっぱり未練は残るなぁ。
全て荷物を移し終わって、俺も転移布の上に立った。目をす、と閉じて前よりも丁寧に、布へと魔力を込めていく。
「…じゃあね、今まで楽しかったよ」
過去の情けない俺との決別も含めて、この懐かしい家へと俺は別れを告げた。
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『|協奏曲《きょうそうきょく》、またの名をコンチェルト。独走楽器とオーケストラが共演する楽曲』
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医療隊に入ってから、もう…何年だろう。永い時間を生きていると、時間感覚がおかしくなってしまって良くない。ともかく、数年かが経ち、俺は何故か……
「……はい、じゃあ今から後衛武具隊の訓練を始めます。俺は医療隊隊長のフーゾ・ギディオンです、今回は練習の補佐を任されたんで…まぁ、異論はあると思うんですけど、指示があったらちゃんと聞いてね」
「こう見えても、フーゾ隊長めちゃくちゃ歳上だから。普段俺に年功序列主張して異論言ってくる奴らはちゃんと従えよ」
…後衛武具隊の、練習に付き合っていた。俺の前には怖い顔した若人共が、ずらりと並んでいる。腕や胸には国の紋章が刻まれているので、頭では仲間だと分かっているのだが…うん、如何せん怖い。
どうしてこんなことになったのか、頭の中で勝手にリフレインを始める。隣の話は先ほど聞いたから、大丈夫。
まず、俺は医療隊で必死に働いて、働いて、その結果隊長にまで上り詰めた。給料も目に見えて上がったし、家だってあの狭いワンルームから一軒家が与えられたのだ。正直そこまで嬉しくはないが、まぁ無いよりかはマシである。
それに、隊長になる頃には周りの奴らとの関わりも随分と広がっていた。練習には怪我が付き物、されば医務室に行くことはほぼ必然である。…医療隊の奴らは、他の隊とも繋がりができやすいのだ。
その結果、何故か他の隊の苦労を知ろう、的なレクリエーションで撃ったスナイパーライフルが、何故か良い感じに手に馴染み、何故かその腕を見込まれて、何故か後衛武具隊の練習に付き合ってほしいと頼まれた。……うん、何を言っているか本当に分からない。ド素人に銃の訓練を任せるなんて、イカれてる。
(まぁ、思ってても言ったりはしないんだけどさ………)
「あ、レダンくん。その体勢だと撃った時に顎怪我しちゃうから、もうちょっと背筋伸ばして大丈夫よ」
「ウス」
「メクバくん、多分撃つとき左にズレる癖あるよね。左にプロテクター着けるか…ズレるの前提で、ちょっと右に撃つと良いと思う」
「あ、はい…ざす」
(………なんか、俺に対して結構…こう…失礼、じゃない???)
ひしひしと伝わってくる「なんでこんな奴に教えてもらわにゃならんのだ」感が半端ない。指示は素直に聞いてくれているので、まぁ可愛いことこの上ないで済むのだが……これ、他の人達が来てもこれなのかな。だとしたら不味くないかな???
老婆心ならぬ老爺心が顔を覗かせるが、今は訓練中。甘くしすぎては彼らのためにもならない、と気を引きしめた。
---
「…お前ら、フーゾ隊長に失礼な態度取ンのマジでダセェから。優しいからって調子乗ってんじゃねぇよ、お前らいつからそんなガキになった?」
「……」
「てかさ、教えてもらってンのにありがとうございますの一言も言えねぇのは何なんだよ。不満があるのは分かるけどさ、もう良い歳してんのにそれは無いだろ」
「…でも隊長、どんなに銃が上手くても所詮医療隊の奴ですよ?!そんな奴に何が分かるんですか!!」
「じゃあお前、さっき貰ったアドバイス実践して悪癖治ったのはどういうことだよ」
「……それは……」
(……この地獄は何…???)
今現在、俺は左斜め前に仁王立ちした隊長くんが隊員たちに、俺への態度の失礼さで説教しているのを大人しく聞くという、気まずさレベルマックスの状況にあった。
えーそんな別に、俺気にしてないんだけどなーとは言えない。軍で偉くなってくためには、ただ強いだけじゃ難しいのだ。礼儀も身につけておいた方が、ずっと生きていきやすい。俺もそういうやり方で隊長まで来た。
ここで俺が気にしないと言っても、コイツらのためにはならない。ガチで気まずいが、若人のために我慢しようじゃないか。
「大体、お前ら俺に対しても失礼だよな?!年下にへーこらすんのはそんなに嫌か?!」
「ね、一回良い?」
「っはい!何でしょうかフーゾ隊長」
「なんで敬語?……いや、俺も思うことあるからさ、良いかな」
そう言うと、隊長くんはやけに嬉しそうな顔をする。いやあの、君みたいに強い説教はしないからね…?と念を押し、彼よりも前に出た。
「…君らさ、総統が来てもおんなじ態度でいるのかな」
「……まさか」
「だよねぇ、じゃ何で俺らにはそんな態度で良いと思ってるの?」
「……総統より地位が低いから?」
「疑問系になるなって。…というか、今俺らと総統を比べたよね?」
「………」
「まず対象が違うじゃん?君らが君ら自身のことどう思ってるのかなんて知らないし、心底どうでも良いけどさ。現実は君らの方が俺らより下なのよ、分かる?」
「…」
殆どの奴らがぐ、と苦虫を噛み潰したような顔になる。そうじゃない数人は、話を聞いていないか理解ができないかのどちらかだろう。そういう奴らはどうせ後々別の要因でやめることになるだろうから、あえて無視した。
実のところ、後衛武具隊の奴らは他よりも指示の通りが悪いっていうのはちょくちょく耳にしている。その度にああ、若いのに隊長くんも大変だなぁと思っていたし、今回は良い機会だとも思っていた。
「…それにさ、自分が相手を手の平で踊らすのって結構楽しいよ?ちょっとお世辞言っただけで今の総統とか喜ぶし」
「え」
「別にね、心から敬意持てって言いたいわけじゃなくて。ただ、自分より上の相手が自分の言葉遣い一つでご機嫌になったりするの見てさ、心の中で『しめしめ、してやったり』ってほくそ笑む方がよっぽど良くない?って話」
途端にざわ、ざわと隊列の所々から困惑の波紋が広がっていく。…うんうん、分かるよ。普通敬えとか言われるよね。だから反発とかするし、それしてると後にも引けないし。
勿論、敬意を持てるならそれが一番良い。ただお世辞にも今の総統は敬うに値する人間ではない。隊長くんだってまだ未熟なところはあるし、俺に至っては今日がほぼ初対面。敬意を持つなんて無理な話だ。
だから逃げ道を用意した。相手よりも擬似的に上の立場を見下せる、という彼らにとっても相当魅力的なものである。これをすれば敬語を使っていても「俺はお前を騙してやってるんだぞ」という心持ちでいれるから、前まで反発していたことが後ろめたくなることも殆どない。
敬語を使えない軍人の殆どは、プライドが実力の割に高い奴らばっかりだ。たまにシイみたいな敬語を使ったことがない、または使わなければいけないという意識のない奴もいるが、そういう奴は稀なタイプである。
実力が伴っているなら良い。指示出して違うことしても、良い結果を出したなら軽く干されるくらいで済む。
(…シイなら、実力があるから敬語を使う必要もないんだろうな)
快活に笑う彼の顔が、ふと頭を過った。油断するといつもこうで、その度に彼からは逃れられないんだなぁ、と勝手に捕まった気分になる。実際は、ただ俺が幻影から離れられないだけなのに。
他所へ行きそうな思考を今に戻し、ちょうど良く締められそうなオチを探す。頭にちらつく彼の白髪に、俺の思考は絡め取られてしまいそうだった。
---
「調査、ですか」
「そうだ。なんでも、最近【迷いの森】近辺で行方不明者が続出しているらしいからな。調査隊を派遣することになった」
「ああ…それで医療隊も同行するんですね」
目の前にいる総統は深く頷き、こちらへと資料を寄越す。そこには迷いの森の位置や事件の概要、同行メンバー等が細かく丁寧に記載されていた。
今俺は、総統室にて今度向かう遠征の概要を聞いている所だ。突然呼び出されたので何かと思えば、総統の報連相意識が欠けまくった遠征要請。心の中で早よ言えよとか、冷蔵庫の中のサラミどうしてくれんだとか愚痴を吐きながら、おくびには出さずに話を聞く。
今回は少人数の遠征のようで、行くのは俺と、最近前衛武具隊の隊長になったばかりな子率いる少数精鋭チームだけだった。
嫌な人選だな、と心の中でまた吐き捨てる。少数精鋭での遠征と言えば聞こえは良いが、恐らくは面倒な駒を捨てるくらいの気持ちなのだろう。
年寄りは有能だが知恵があり人望がある分厄介、新しい隊長くんは強いけど扱いづらい。他の選ばれた子達も皆、強かったり慕われてはいるけれど、どこかしら難のある子が殆どだった。ここまで分かりやすければ、相当な馬鹿でもない限り「体の良い駒捨て」なことくらいすぐに気がつく。
「どうだ、行けるか?」
「…勿論。喜んで、Präsident」
敢えて頭の悪いフリをして、彼の思惑に乗ってやる。総統は下卑たニヤつきを隠そうともせず「さすがフーゾだな」と俺を煽てた。
まぁ、俺が同行するからには維持でも全員帰還させるつもりだが。
(…そういや、新しい隊長くんと話したことって無いな~)
仲良くできると良いけれど、なんて思ってさすがもいない癖に考えてみる。仲良くしたってどうせすぐに死んでしまうのだから、つるむ意味なんて無いだろうに。
永い命を持ったからこその諦めが、じんわりと体に滲む。いつまで俺は、置いていかれれば良いのだろう。
◇To be continued…
#5『episode Fuzo:一番星のオーバード』
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
--- 夜が開けるのが、いつも嫌だった ---
--- 永すぎる時間は、他のみんなを置き去りにする ---
--- |夜明曲《オーバード》が終わっても、側にいてくれる誰かを、欲していた ---
---
「……その煙草は、何?」
「え、銘柄ですか」
「そうじゃなくて、なんで煙草吸ってんのって話なんだけど」
溢れ出そうな怒りをじわじわ沈めつつ、声に苛立ちが出ないよう気を付けながらゆっくり話す。目の前の青年は、キョトンと……というより、ボーっとした顔で不思議そうに呑気なことを言い返した。
あの唐突な遠征要請から数日後。今俺らは迷いの森の入り口にいる。目の前には前衛武具隊隊長の|榊 真《さかき まこと》くん、後ろには困った顔の隊員達がいて、俺だけがこの空間でキレているこの状況は、少しだけ居心地が悪かった。
「なんでって…そら吸いたかったので。あ、現地集合って言わなかったのはすいません。煙草吸いたくて、連絡するの忘れてました」
「…いや、なんかもう、色々おかしいよね」
意味の分からない弁解に、段々と苛立ちが募る。事の発端は、多分今日の遠征の始まりからだった。
---
「…いない?」
「は、はい。その、榊隊長がまだ……」
「……なるほど。ありがとうね」
隊長になってから眉間を揉む動作が癖になっているのか、眉頭に指を当てていたことに気がつく。ため息をつく代わりにこれでは、結局他の子達に心配をかけてしまうから意味がないではないか。
今日は、迷いの森への遠征日。ちゃんと時間を決めて集合すると決めたのに、肝心の隊長…榊真くんがやって来ていない。さらに他の子への連絡もなく、予約していた馬車が来るのも時間の問題だ。
どうしようもない問題について考えるのを止め、横にいる隊員達を見やった。その表情はあからさまに不安げであり、心がモヤつく。別に関わりが多いわけではないけれど、それでも部下達にこんな顔をさせるのはいただけない。
「……とりあえず、榊隊長のことは忘れて、先に行っちゃおう!もしかしたら、集合場所を間違えちゃってるかもしれないしさ」
「え、でも…」
「総統には俺が言っとくよ。もし隊長になんか言われたら、俺にチクっといて」
「…ありがとうございます!フーゾ隊長!」
「どういたしまして。あ、馬車来たからもう乗っちゃお。馬車内で遠征内容もっかい確認ね」
「「はい!」」
---
(で、森まで来たら入り口で榊真くんが煙草をふかしていた、と)
「もう行きます?今新しいやつ火つけるんで、ちょっと待っててください」
「…へぇ、火消すとかじゃなくて?」
「え、消した方が良かったですか。別に俺煙草吸い終わったら地面に捨てるとかしませんけど」
そうじゃねぇだろ~……と心の中で溜め息をつく。どうやら榊くんはそこそこ厄介なヤニカスらしかった。
馬鹿な子だなぁ、とぼんやり思う。煙草は肺を悪くする嗜好品だ。別に医者として許せないだとかそんな正義感がある訳じゃないけれど、体力あってナンボの軍人がそれを嗜むのか……という呆れはある。
「火つくと危ないからしまおっか」
「えー…まぁ、そう言うなら」
渋々、といった風に榊くんは煙草をしまった。まだ聞き分けはある分マシかな、と思いながら振り向いて後ろの子達の様子を確認する。その顔は安堵に満ちていて、気遣わせちゃったなぁと反省した。
気を取り直して、森へと視線を向ける。ただの普通の森だけれど、行方不明者が多発している油断ならない場所。もしかしたら、俺らがいたような施設の根城になっているかもしれないそこへと、足を踏み入れた。
---
『【迷いの森】行方不明者が多発する、奇妙な森。一度入れば、出ることは非常に困難。…私達の家への、入り口』
---
「マジでここ、どこだよ……」
ぐるり、と辺りを見回す。先ほどまで一緒にいたはずの榊くん達は影も形もなく、まるで俺が白昼夢を見ているようだった。代わりにあるのは、不気味な色をした木々達。頭が痛くなりそうな配色と、妙な胃の違和感に口元を抑える。
歪んだ紅紫の幹に、深紫の葉、どす黒い地面、銀色の獣道。やけに輝きを持つそれらは、俺の目をザクザク突き刺すように光を放っていた。
キッカケなんてどこにもない、普通の探索中だったのに。榊くんが煙草を吸えないせいでイライラし出して、それを部下の子達が宥めているのを見て嫌な気分になって。
そうしたら、何か足に引っ掛かったんだ。木の根だろうかと下を見たら、その時には俺はもう黒い地面を踏みしめていた。顔を上げれば不気味な風景。まさに悪夢だ。
「……進む、か?」
後ろを振り向いても彼らはいないし、ただ俺らが来たような森が続くだけ。仕方なく足を進めることにした俺は、あるものを目にした。
「あ、蝶」
ひらひらと、薄紫の羽が2対揃って舞っている。やけに目を惹くその姿に、何故か思い出の中の姉を思い出した。
どうせ出口が分からないのなら、いっそのこと蝶にでも賭けてみよう。そんな馬鹿な考えを働かない頭に浮かべ、ふらふらと覚束ない足取りで俺は蝶を追った。
蝶の赴くまま足を進めれば、蝶は俺の思いもよらない方向へと進んでいく。右、右、左、右、あ、また右?なんか面白くなってきた。先ほどまでの緩いダレは消え、子供の頃に戻ったような気分になる。こんなに蝶を追いかけて、俺、何してるんだろう。
もう少し歩いていると、開けた場所に出てくる。先ほどまでは無かった紫の薔薇が咲き乱れ、真ん中には大きな木がそびえ立っていた。デカいし、なんか雰囲気がある不思議な木だ。蝶は、その木の右側へするりと抜けていく。俺も、その蝶の後を追った。
蝶は、その木の回りをぐるりと1、2、3周してまた来た道を戻ろうとする。
(え、戻るんだ。木の周りを回った意味とは)
そう思ってしまうと、なんだか疲れがどっとやってきた。大きく溜め息をつき、眉間のシワを揉みながら木に寄りかかろうと足を進める。いっそのこと、ここで寝てしまっても良いかもしれない。
すぅ、と気持ちの良い風が吹く。あの分厚い森にこんな心地よい風が吹くのかと思えば、薔薇の香りがした。
ざく、ざくと足を進めていたはずなのに、いつの間にか足音は固く、まるで石畳を踏んでいるかのようになる。先ほどまで一切しなかった生物の気配が、今は鳥の鳴き声となって俺の耳に届いた。
「……え?」
驚いて目を見開く。先ほどまで俺がいたはずの森は跡形もなく消え去っていて、代わりにあるのは美麗な花園のみ。咲き誇る薔薇達は生き生きとしていて、あの森の木々よりも輝いている。
足元に目をやれば、そこは石でできた品の良い道で。苔一つないそれは、手入れが行き届いている証でもあった。
そう、ここは庭園だ。懐かしい香りのするそこは、ひどく心を落ち着かせる。それが良いことなのか、悪いことなのか分からない。判断力が落ちているのかも。
あのときの蝶が、いつの間にか俺の周りを舞っている。俺もお前みたいに空が飛べたら森から抜けられたんだがな、と心の中で悪態をついた。
「…森の次は、庭園かよ」
溜め息をつき、文字通り頭を抱える。あの森と比べたら、まだ精神的にくるものはないが……正直なところ、これが良い変化なのかすら分からない。
何かトリガーがあったのだろうか、と考える。…そういえば、俺はここに来るとき多分木を通ったよな?
木といえば、桜街の方には御神木というものがあるらしいし。あの木だって、不思議な雰囲気を持っていた。
あの木がここへのゲートになっている可能性があるなら。もしかしたら、行方不明者達も皆、ここへと迷い混んだのではないか?
まだ俺の周りで舞い遊ぶ蝶を見やる。あの森の中にいたとき、俺は判断力がひどく低下していた。それこそ、酩酊状態のように。
もし俺のように、迷い混んだ奴らの判断力を低下させる、もしくは酩酊状態に近くする魔法があの森に満ちていたのであれば。この蝶に着いていきたいと思わせるような、何か魅了に近しいものをかけられていたなら。
「…もしかして、ここに誘い出された…?」
『違うわよ』
「あ、さいです、か………」
バッサリと切り捨てられ、落胆をしたのもつかの間。俺の耳に届いた声が、働かなくなった脳を瞬時に動かしていく。
懐かしい声がした。
瞬間、長らく朧気だった記憶がぐるりと動き出す。昔の昔、そのまた昔まで遡り、あの柔らかくて暖かい記憶が蘇っていった。
鼓動がバクバクと早まって、息の仕方を忘れそうになる。こんなところに、どうして?なんて、呑気なことすら考えてしまうくらいに、俺は動揺していた。
どうして、忘れていたんだろう?どうして今まで、何も思い出さなかったんだろう。分からなくて、また頭を抱えた。
紫色の薔薇、丁寧に手入れされた石畳。奥に見えるガゼボの位置に、アーチの形まで。その全てが、俺に懐かしさを感じさせていたのに。無意識に蓋をしていた原初の記憶が、甦る。
この空間は、俺がかつて住んでいた家にある庭園だった。
紫色の薔薇が咲き乱れている中、使用人によって丁寧に手入れされた石畳を走り、あの銀色の蝶を追いかけている風景が頭に浮かぶ。あれは、昔の俺だ。
懐かしい声のした方を、ゆるりと振り向く。何度も探して、けれどどこにもいなかった、俺の世界で一人の大切な人。
期待しても辛いだけだ、そう思いながらもはやる心は止められない。あの声も、この空間も何もかも、彼女がいるのであれば納得できてしまうから。
「………ねぇさん」
ぽつり、と弱々しく名前を呼ぶ。振り向いた先にいた彼女は、俺が探して止まなかった俺の姉だった。
銀色の髪も、俺より赤みの強い紫の瞳も、優しげな微笑みも、何もかもが懐かしさを残したまま、記憶の中の少女は大人へと変化していて。それでも見間違えることがないくらい、再開を待ち望んでいた人だった。
どこにいたの、何をしていたの、そう聞きたくて、けれど何も言葉が出てこない。代わりに出てきたのは、必要のない涙だけだった。子供のように流れてやまないそれをせき止めようとして、目元を擦る。
ねぇさん、ねぇさん、そう弱々しく呼ぶことしかできない自分が情けなかった。あれだけ探して、頭の中で何度だって思い描いていた場面なのに。現実の俺は、ただ泣いてばかりだ。
「ねぇさん、ねぇさん……あいたかった…」
『…フーゾ』
温もりに抱き止められ、涙は勢いを増していく。俺が泣いたとき、いつも姉さんは抱き締めて、こうやって慰めてくれていた。その度に俺は、心の中の柔らかいところまでも暖かくなる心地がするのだ。
懐かしい温もりに、年甲斐もなく縋りたくなる。忘れたくても、心の奥底で覚えていた暖かな記憶が、じわじわと色を取り戻していくような感覚だった。
『フーゾ、大きくなったね』
「…ねぇさん、も、大人になった」
『そうね。でも……身長は、あなたに負けちゃった』
くす、と笑う気配がして、それがまた懐かしさを加速させていく。どんどん暖かい記憶に囚われて、駄目になってしまいそうだった。
「俺、ねぇさんに会うために頑張ったんだ」
『知ってる。ここに貴方が来ることも、全部私は知っていたの』
「…ねぇさんは、すごいな……俺は、もう……疲れたよ」
すり、と頭を揺らして姉を抱き止める。こうしていないと、すぐにでもまた姉は消えてしまいそうだった。
もう、大切な人と離れ離れになんてなりたくない。そんな思いが俺の思考を駄目にする。懐かしくて暖かいそれは、真綿で首を絞めるように俺を抱き締めていった。
「…姉さん、一緒に帰ろう…それで、故郷に帰って……家も、親も、もういないけど…でも二人でもきっと楽しいよ…」
『軍の仕事はどうするの?』
「…辞める。もういい、しらない」
いくら治しても、治しても、負傷した兵士は増えるばかり。上は彼らを捨て駒のように扱う癖に、俺ら医療隊に戦うゾンビを作らせようとする。いたちごっこも良いところだ。
初めはやりがいがあった。治せば感謝されるし、多少のスリルは永劫の退屈に幾らかの刺激を与えてくれる。でも、それだけだ。
殺せば楽になる、そう思ったことは一度や二度じゃない。兵士の中には自害をする者もいたし、そうでなくたって俺に「殺してくれ」と頼む奴らはいた。無論全員治したが。
ヒトは脆い。命は短いし、怪我だってすぐ治らない。そのくせして、先を見据えず突っ込むのだから意味が分からなかった。
別に、興味の無い奴が死のうがどうだって良い。同僚だとか、仲間だとか、上司だとか、ずっと疲れてばかりだ。
戦争をするくせに、なんで全て暴力で解決しないんだろう。気に入らないなら殴れば良いし、言うことを聞かせたいなら脅せば良い。法なんて、あってないようなものだ。
『…いらないことを考えてるのね』
「わかるの」
『ええ、分かるわ。…貴方が、帰るべきだってこともね』
ぱ、と姉が腕の中から消えて、俺の腕は自分を抱き締めるような形になる。
また、姉が消えてしまう。そんな感覚が思考をずるりと支配して、強い恐怖が呼吸を変にした。
『立ちなさい。立って、あそこのアーチを潜るの』
「やだ、ねぇさん、行かないで」
後ろに立っていた姉さんの手を掴もうとして、手が空回る。いつの間にか姉は俺の後ろに立っていて、俺の背中をとんと押した。
『行くのは貴方よ。私はここでやるべきことがある。…貴方も、ね』
「また離れ離れになりたくない!!もし姉さんがここから出れないなら、俺がここに残る!!」
『我が儘言わないの。ほら、早くしなさい』
ぐいぐいと背中を押され、一つだけ色の違う、木でできたアーチの中へ押し込まれそうになる。必死に抵抗するけれど、姉の力は信じられないくらいに強い。足は虚しくも石畳の上をゆっくり滑ってゆき、アーチが眼前に迫る。
「何が、なにが駄目だった?!ちゃんと、ちゃんと直すからまた一緒にいたいよ!!」
『……そうね、強いて言うなら…』
ぱ、と背中から手が離れた隙に姉の方を振り返った。姉はとても寂しそうに笑っていて、一瞬思考が巻き戻る。
あの笑顔を、俺は知っていた。俺が誘拐された時、心配させまいと笑う、虚勢の現れ。別れの、笑顔だ。
『まだ、閉幕の時間じゃないもの』
後ろから強く引かれて、アーチの方へと体が吸い込まれる。足に力をいれる隙もなく、俺は呆気ないほどの早さでアーチの中に落ちた。
最後に見えた姉さんの目には涙が浮かんでいて。寂しい顔は変わらないけれど、なんとなく、憑き物が落ちたような清々しさがあった。
--- どうして? ---
--- 俺の何が駄目だったの ---
--- あんなに、探したのに ---
--- また、俺は… ---
---
「フーゾさん、浮かない顔してるね」
「え?ああ…うん、ごめん。それで、ティアーちゃんはどうしたんだっけ」
じ、と白色の目が見つめる。俺はすっかり話を聞き流していたようだった。彼の耳は伏せ、表情は変わらないが…恐らく、少々不機嫌になっているだろう。申し訳ないことをした。
俺らが迷いの森探索から帰還して、数ヵ月が経っている。時の流れはいつでも遅かったけれど、今回ばかりは早いとしか言いようがなかった。
あの後、俺は榊くんたちと合流して、そのまま森を出ている。結局、行方不明者の情報を掴むことはできなかったから、後日別の調査隊が赴いたとのことだ。
なんの成果もなかったけれど、俺らに処罰は与えられなかった。まぁ、捨てたはずの駒が戻ってきたことに悔しさは感じていたようなので俺は満足だが。
今は化学兵器隊の新人、ティアー・メリオーデちゃんとカフェで休憩している。ちょうど先ほど、街中でのちょっとした仕事を終えたところなのだ。
改めてティアーちゃんの顔を見る。どこか気の抜けたような、でも綺麗な顔の子だ。赤色の髪が色素の薄い瞳の代わりによく目立っている。
「…フーゾさん、ボクじゃなかったら多分今殴られてるよ。話聞き流したの、今で4回目だからね」
「え、そんなにか」
「そんなだよ~。フーゾさん、女の子と遊んでたって言うけどあしらい方下手だね」
「耳が痛い話だねぇ…」
ザク、と心に突き刺さるような言葉を、何ともないように放つ彼に、思わず苦笑した。
獣人であるティアーちゃんは、どことなく世間とズレている。それでも干されずにやれているのは、きっと彼が類い稀なる天才だからだろう。
「それでさ、ボク今髪の毛短いじゃん?だから伸ばそうかな~って。ロングツインテールとか結構似合いそうじゃない?」
「良いねぇ、ティアーちゃん顔が可愛い系だから似合うよ」
「分かる。なんでボク女の子じゃないんだろうね~」
「ね~」
……忘れそうになるが、ティアーちゃんはれっきとした男性だ。自認は男性だが、恋愛対象は男性。……ちなみに、彼が自分のことを「なんで女じゃないんだろう」と言うのは「なんで(こんなに可愛いのに)女じゃないんだろう(これじゃあ本当の女の子が報われないよ)」という意味である。
所謂ナルシスト、それも女装趣味。俺自身がバイセクシャルなので偏見は無いが、他は違ったようで。彼はキワモノ揃いの軍の中でも、相当浮いている存在であることは間違いないだろう。
「てか、フーゾさん今好い人とかいないの」
「いないねぇ、ここ暫くは忙しかったから」
「ふーん……」
そう、忙しかった…だけではない。本音を言えば、姉さんのことを引きずっていたのだ。
あの時の『まだ閉幕の時間じゃない』という言葉が、ずっと引っ掛かっている。姉さんは、あんな表現を使うほど劇や本が好きなわけでもなかったのに。
敢えてあの表現を使ったとしても、その真意が分からない。まるで、この世界そのものが演劇だ、と言わんばかりの…
---
「…フーゾさん?フーゾさ~ん」
「……あれ、ごめん。またボーッとしてた」
「5回目。疲れてるなら寝なよ」
「うん…そうしよっかな。ごめんね」
やけにモヤモヤした感覚がして、重い体をなんとか立たせる。今日は、何にも考えずに早く寝たいな……
カフェから出て、俺の家の位置をなんとなく頭に浮かび出させた。ここからなら、魔法を使わずともすぐに行けそう、かな?
「あの~、すいませぇん」
「……うん?どうかしました?」
声がして振り返れば、いかにも男が好きそうな格好をしている女の子がいた。可愛い、けど……先程ティアーちゃんを見たせいで、若干目が肥えているのだろう。とても可愛いとは思えなかった。
「お兄さん、格好いいな~って……この後とかって、暇ですか?」
ああナンパね、と一人納得する。最近は忙しくて外をあんまり歩かなかったから、久しぶりな感じがして気づけなかった。
ごめんねと断ろうとして、されど口をつぐむ。別に忙しさは緩んでいるし、火遊びもたまの息抜き程度なら構わないだろう。
「暇だけれど……もしかして、ナンパ?」
「あ、バレちゃいましたぁ?」
するすると進んでいく会話が、やけに懐かしく感じる。自然に絡まされた腕も、甘ったるい香水も、全てが何も響かないまま。
頭の中に、古い記憶が甦る。シイと一緒に寝ていたときの、あの感覚。お世辞にも柔らかいとは言えない筋肉がつき始めているくらいの固さで、それでもひどく暖かかった。今とは似ても似つかない。
(…馬鹿だな、俺)
こんな|もの《記憶》、大事にしまっていて何になるのだ。
---
「政府公認の殺し屋制度……って、何考えてるんですか総統!!」
「フーゾ、軍は人手不足なのだ。今は、殺し屋だろうがなんだろうが使える駒が欲しい」
「でも、危険すぎます…!!!」
「私が決めたことに口出しするのか?」
「……申し訳ありません、失礼します」
バタン、と当て付けのようにドアを勢い良く閉め、大きなため息をついた。ついでにあの馬鹿総統、ついにやりやがった…と呟く。
この国では一般的な、されど違法の職業。依頼された相手を要望通りに殺害する、それが通称殺し屋だ。勿論うちの国で殺人は許可されていない(ということになっている)し、俺だって何回か現行犯を見つけたことはある。
そんな殺し屋を許可するなんて、今も低い民からの信用をさらに地の底へ叩きつけるような行為だと、なぜ分からないのだろう。
どんなに試験を難しくしようと、結局はどこまで行っても殺し屋。総統はそういう奴らと話したことがないから、その事が分からないのだ。
もう一度、大きくため息をつく。総統の尻拭いをさせられるのだから、補佐官なんてロクな仕事じゃない。何が出世だ。
恨みがましく総統室の扉を睨み付け、俺は目的地へと足を早めた。
---
「…フーゾさん、なんか怒ってません?」
「ああ、榊くん……まぁね。てか煙草」
「…今吸ってないのに」
「匂い。軍服から煙草臭のする軍人とか最悪だから、何とかしなよ。…ほら、出して」
「……どぞ」
角から出てきた榊くんの煙草を没収する。もうこの流れも何度繰り返したのか分からないが、彼が性懲りもなく煙草を吸っていることだけは確かだ。
彼と何度か仕事を共にしてはいるけれど、今でも彼の人となりはよく分からない。面倒くさがりなのか、効率主義者なのか、聡いのか愚かなのか。
「なんでキレ気味なんすか」
「何回言っても君が煙草を辞めないからじゃない?」
「…それは、まぁ……サーセン」
謝るくらいならやらないでよ、と思いつつその言葉を飲み込む。煙草を大人しく差し出す所を見るに、本人も辞めたがっているのだろう。俺はその手伝いをするくらいで良い。
「……で、なんでキレてんすか」
「まだ聞く?……まぁ、総統絡みだよね」
「あ~…あの新制度」
「そ、クレーム対応とか増えそうだし、ほんと勘弁して欲しい。…これ、総統にはナイショね?」
「うぃ」
じゃあね、と手を振って榊くんと別れる。そんなに顔に出てたかな、と考えていれば、自身の手がまた眉間を揉んでいたことに気がついた。
完全に無意識だった、もしかしたら榊くんコレ見て分かったのかな…???
(…なんか、加齢を感じちゃうな)
嫌なことを考えてしまい、頭を振って思考を外へと追い出す。そう言い聞かせて、俺も榊くんとは反対方向に歩きだした。
---
--- その噂は、突然耳に入ってきた ---
それは、始めて公認殺し屋試験が実施された後だった。つつがなく行われたその試験にて、なんと一人合格者が現れたとのこと。
あれは本物の軍人ですら身に付けないような、言ってしまえば不必要な知識もないまぜにされた筆記試験に加え、戦い慣れている兵士との対人戦闘試験はハッキリ言って殺し屋には不利な条件だった。それを、戦闘試験に関しては魔法・武具どちらともにクリア。
何故軍人にならなかったのかと思うほどの知識量と戦闘能力を兼ね備えた男の噂は、瞬く間に軍内で噂になった。ソイツはあまり軍基地には来ないため顔を知っているやつは少ないが、それでも試験時の容姿は噂に兼ねられている。
--- どこかで、そんな予感はあった ---
白い髪にオレンジの目、尖った耳を持つ美形の男。極めつけは、敬語を使わないこと。
「……それ、なんて男?」
恐る恐る聞きながら、俺は確信を持っていた。あんな男がこの世に二人といてたまるか、なんて妙な悪態をつきながら、心は運命のような何かに期待をしている。
「ソイツの名前ですか?ええと、名前は…」
幼馴染みで、同じ師匠を持つ仲間で、親友で、そして、俺の初恋のひと。太陽のような、強くて美しい彼の名前。
--- シイ・シュウリン ---
ありがとう、と掠れそうな声で伝えて、その場を後にする。…否、本当は言えていたかどうか自信がない。とにかく、今は誰とも合いたくなかった。
油断をすれば覚束なくなる足に力を入れて、頭に浮かんだ一つの場所へと歩き出す。あそこなら誰か来る可能性は低いし、来たとしても俺がいるのは不自然なんかじゃない。
生きていた、なんて今更なことを実感する。シイ・シュウリン、もう何百年会っていないのか分からないほど、遠く昔の彼。俺の心に大きな穴を残した、もう一人の人。
そんな彼がこの国にいて、ついこの間俺のいた軍に来た。それだけで心臓がカッと熱くなって、体中の血が巡る程喜びを覚える。
(いる、生きている。シイは、この国のどこかにいるんだ)
会いたい、なんて気持ちが出てくるのはそれからすぐだった。人間というのは欲に正直な生き物のようで、さればその思いは押さえられないほどに大きくなる。
今から戦争でも起こせば、シイは召集されてこの軍にやって来るのだろう。いっそのこと、俺が今から起こしてやろうか。
(…いや、さすがに敵国は良くないか。最悪俺もシイも死ぬし)
マシになった足取りを止めて、念のためルームプレートを確認する。そこにはしっかり「医務室」と書いてあったため、安心して部屋の扉を開いた。
俺が向かっていたのは、医療隊の基地とも言える医務室だ。まぁ、基地と言うには色々な場所に医療隊が出払いすぎているのだが。今回だけは、それが好都合だった。
バタンと勢いよくドアを閉めて、誰もいない部屋のベッドに横たわる。頭の中には、どうすればシイと会えるのだろうかということだけが頭を占めていた。
この国は微妙に広い。別に永い命があるんだから地道に探せば良いのだが、それよりも手っ取り早いやり方があるのならそちらを優先したかった。
最近、国内では革命の兆しが見え始めている。今の総統の駄目さからいずれ来るだろうとは思っていたが、どうやら公認殺し屋試験が図らずしも民衆の怒りを沸騰させる最後の一押しになったようだった。
さすがの総統もこの兆しに気がつかないほど馬鹿ではないようで、何度か俺らも様子見をしたことはある。
そこで分かったのは、怒れる民衆を束ねているのは一人の少女だ、ということ。名はクリス、10代ほどにしか見えない彼女は、言葉巧みに民衆達の心を掴んでいた。
軍内部でも、現総統への不満は募ってきている。それこそ、殺し屋試験を皮切りに辞職した者達も少なくはなかった。俺自身辞職を考えたこともある。
(革命が起きれば、軍は動く)
凪いでいた心に、一つ、また一つとさざ波が立っていくようだった。どうするかなんて心の中ではもう決まっているようで、ただ最後の確認だけを一人で何度も反芻している。覚悟はもう、とっくのとうに決まっていた。
---
「君が、クリスちゃんで合ってるかな」
「……何か用か?」
ピリと空気が肌に焼き付くようで、思わず苦笑してしまう。空気の発信源である目の前の少女は、ピクリとも笑わずこちらを見つめていた。
鷹のような少女、という印象を抱かせる彼女と俺は、今使われていない廃屋の中で会合をしている。
キッカケは、俺が彼女を呼び出したこと。革命運動に精力的な知り合いに頼んで、彼女とアポイントを取ったのが昨日。正直、呼び出しに応じてもらえるかは半々だったが、応じてもらえてまずは一安心と言ったところだ。
「俺は軍人なんだけどさ、最近総統に不満がある奴らが増えてきたんだ。…だから、俺らも君たちの仲間になりたいんだよね」
「…そうか。なら聞くが、お前が私達を摘発する可能性はどう消すつもりだ?」
その言葉に、賢い子だなという感想を抱く。普通、革命だとかそういう大義名分を背負う奴らは感情に身を任せるのに。やりづらいっちゃやりづらいが、逆に味方になれば心強そうだ。
「じゃあさ、君が俺のこと見定めてよ。総統になるんなら、人を見る目は鍛えておいて損はないし。ね?」
「………構わない。が、何か変な行動をすればその時は交渉決裂だ」
きっと、彼女には俺が下らない理由でこの革命に参加しようとしていることもバレているのだろう。そう思うほど、この少女には隙というか、そういうものが無かった。
一先ずはまた安心、と思い肩の力を緩く抜く。改めて少女を色眼鏡抜きで見てみれば、本当に若く無邪気な少女にしか見えなかった。この容姿で人を束ねるカリスマ性があるのだから、人は見かけによらない。
「ところで、その場合はどこに行くの」
「…………確か、最近近くにパティスリーができたそうじゃないか」
「じゃあ、そこに行きましょうか。お茶もできるし、丁度良い」
(…甘いものは好きなのね)
不思議な所で年相応なことに、内心面食らいながらも了承する。ホント、軍服じゃない私服で来て良かった。じゃないと有ること無いことを彼女が言われてしまいそうだ。
---
--- その時は、存外すぐにやって来た ---
「クリスちゃんって下の名前何て言うの?」
「ワケあって、今は下の名を明かすことは避けたい。よって教えることはできないな」
「ええ?つれないなぁ」
ですよね、なんて心の中で相槌を打ちながら人混みを歩く。今日はそこそこ人が多く、パティスリーが空いているかどうかだけが不安だ。
そうは思いつつも、おくびには出さずに彼女との会話を続ける。やっぱり革命の首謀者ともなれば警戒心も強く、こちらに悟らせぬように一線を引くのが上手かった。
そうして腹の探り合いをしつつ、それでも幾つか世間話なんかもしながら歩いていた時。
不意に、視界を懐かしさを覚える白色が独占した。……否、独占されたように思えるほど、俺はその一点に釘付けになったのだ。
「……シイ?」
驚きで、思わず声が出ていた。考え出したら止まらなくて、そうこうしている間にシイらしき人物はスタスタと前を歩いていってしまう。
足が動き出したのは、ほぼ反射と言っても良い。そのくらい、俺は彼が何者なのかを知りたかった。
後ろからクリスちゃんの咎める声がする。信用失ったらヤバいかな、なんてぼんやりと無責任なことを考えるフリして、頭はシイのことしか考えていない。
「っシイ!!」
「うお」
行かないで欲しい、そんな焦りのあまり声を荒げ、乱暴とも取れるようにシイの腕を掴んだ。厳密にはこれがシイの腕である確証は殆ど無いのだが、何か確信めいた予感があった。
驚いた声がして、こちらを彼が振り向く。その刹那、記憶も思考も全てがあの日あの場所へと戻っていくような感覚を覚えた。
なびく白髪は太陽の光を受けて眩しいほど輝き、橙赤色の瞳は目まぐるしく感情を写す。あの頃の端正な顔立ちはそのままに、幼さが移ろい大人びた印象を与えた。
白い肌も、尖った耳も、鍛えているのにどこか華奢な体だって。哀しいほどあの日の彼で、愛おしいほど美しい。思い出の中の彼が、歳を取って今ここに幻覚として現れたのでは?なんて、馬鹿なことを考えるほどだ。
「久々じゃんフーゾ!うわ、すげぇぐーぜん!」
「あ、そ、そうだな。シイも元気そうで、何よりだよ……」
そうして見惚れているうちに、己がシイの腕をガッと掴んだままなことに気がつく。が、慌てて腕を放せどシイは嫌だった素振りを見せはしなかった。
シイは久々の再開にはしゃいでいるようで、喜びのあまりか所々言葉がつっかえている。それもまた幼少を思い出して、何故か無性に泣きたくなった。
俺と言えば、逆に緊張して馬鹿みたいに吃りを発症している。シイは明るい笑顔を作って他愛の無い話を振ってくれるのに、俺を経由したらラリーが一切続かない。
会話続かねぇよ、どうすりゃ良い?昔の俺はどうやってシイと接してたんだ。そんなことをぐるぐると考えていると、ふとたった一つだけ、俺がシイと関連のあることを知っている話題が頭をよぎる。
「……あ、そういや。公認殺し屋試験合格おめでとう。…軍でも結構噂ンなってるよ」
「ェ、ほんと~?!へへ、なんか照れるわ」
言葉通り、シイは軽く頬を染めて頭を掻く。その動作の一つ一つがひどく魅力的に見えてしまって、これが惚れた弱みか、なんてやけに冷静な感動を捉えた。
シイの一挙手一投足から目が離せなくなって、視界がシイで独占されるような感覚だ。でもそれは決して嫌ではなくて、俺自身がそう望んでいたのかもしれない。
とにかく今は、視界のどこかへと消えてしまわないようにずっと見ておきたかった。
「……後ろ、カノジョ怒ってるぞ?」
こしょ、とシイが俺に耳打ちする。カノジョ、と言うのは女性を指す三人称よりも、きっと恋人と言う意味なのだろう。
嗚呼そうか、あの状況ならそう思われるかもしれない。
「え、あ、いやそういうわけじゃなくって」
弁解しようとした言葉は、案外簡単にほどけてその意味を失っていく。どう捉えたって慌てて浮気じゃないと弁解している男のような俺に、心の中で苛立ちさえ募ってきた。
行ってこいよ、とシイに背中を強く押されて、渋々前に出る。視線を向ければ確かにとても不機嫌なクリスちゃんが立っていて、あーやっちゃったかしら、なんて温度の無い反省が頭をよぎった。
「交渉をここで終わりにしても良いんだぞ」
「すいませんって……」
「…仮にも信用してもらうためのこの機会に恋人探しとは、随分と良いご身分なようで」
「ほんとに…てか恋人募集してませんって」
怒っているのか喜んでいるのか微妙に分かりづらい彼女に意識の殆どを向けつつ、ちらと後ろを確認する。
もうそこに、思い出の面影を纏った彼はいなかった。
---
頭が真っ白になる代わりに、視界が真っ黒になったような感覚を覚える。普通対局の色のはずなのに、今だけは共存していてそれが憎たらしかった。
目の前の光景に、強く感情が荒れだすのが分かる。心がグチャグチャに引っ掻き回されるようで、今すぐその根元を立ちたい気持ちすら芽生えてきた。
運命のような再開、だと思っていたのに。それは俺だけだったのだろうか?
シイが俺なんかに惚れるはずがない。俺は両性愛者で、アイツはきっと異性愛者だって思って、我慢してたから。
クリスちゃんとの交渉を終えて、俺はすぐシイを追いかけた。もっと弁解がしたい、あるいはまだあの心地よさを味わっていたいという気持ちのばかりに。
そこで目にしたのは、シイが知らない男に半ば凭れかかるようにしながら歩いていた光景だった。
寂しくて、シイのそんな言葉だけが耳鳴りのする鼓膜を微かに揺らす。寂しい、なら誰にだってそういうことをするのか?なんて。
(俺も同じじゃないか)
寂しいから誰かに体を預けるシイと、虚しいから誰かの心を貰う俺。そこに何の違いも無いと、今なら断言できてしまう。
シイと男が内郭区域に足を運ぶのを眺めながら、俺はただ呆然と下らないことを考える。今俺は、この世界で誰よりも意味の無いことをしているとさえ本気で思えた。
不思議と失望はなく、代わりに強い自己嫌悪が流れてくる。俺がもっと、日和らずにアプローチでもなんでもしていれば?否、俺がシイに体を預けられると思われるくらい好かれれば良かったんだ。
いくら考えても時間は戻らないし、俺の気持ちがマシになるわけでもない。それでも虚しくて、苦しかった。
初恋はレモンの味と言うのなら、始めて味わう失恋の味は辛酸のような苦痛を伴っていた。感傷的な気持ちのまま、誰に言うわけでもない言葉を放り投げる。
「……やっぱり俺ら、似たもん同士だね」
言葉は誰にも届かずに、ただ俺の心を抉るばかりだった。
---
その出来事から1ヶ月ほどたった頃。今はシイと一緒に中央区域のとあるバーに来ていた。シイは飲むペースが早かったのか、カウンターにぺしゃりと顔を預けている。
あれから、シイとは何度も会うことが多くなった。軍の仕事もしつつ、革命の準備もしつつなので当然会える回数は少ないが、それでもシイと会えるのは嬉しい。
なんだかんだ、あんな場面を見ても俺はシイのことが好きなようだ。惚れた弱み、なんて言われてしまえばそれまでだけれど。なんとなく、まだ諦めたくない気持ちがあった。
と、シイの顔が本当に赤く目がとろんでいることに気がつき、さすがに止めたほうが良いかと思い始める。
「シイ大丈夫?もう飲むのやめたら?」
そう言ったものの、シイはこちらの言葉が聞こえていないのか止めるつもりは無さそうだった。それどころか、新たな酒に手を伸ばしている。
シイと酒を飲むのはこれが初めてなのだが、さすがにこれが通常のペースでないことだけはすぐ分かった。何か自棄になっているような、酒で忘れようとしているような感じがするから。
どう止めたものか、と悩んでいればまたシイがぐいと酒を煽る。さすがに飲み過ぎると死が顔を出してくる可能性もあるので、このくらいで止めにさせようとシイを咎めようとした。
と、シイがやけに俺の顔を見ていることに気がつく。ゴミでもついてる?と聞いても返事は返ってこず、ただぼーーーっと俺の顔を眺めるだけだ。
「…シイさーん?酔ってる?」
ぺちぺちと頬を軽く叩いていると、不意にその手を掴まれる。あ、怒ったかなと内心冷や汗をかいていると、シイが俺の手に頬擦りをしだし、た。
(…え?え、え?どういう、何これ夢?)
突然自分が馬鹿になったのかと思うほど、何も考えられなくなる。シイかわいいとか、夢かもとか、そういうガキみたいなことばかりが頭を占めて思考スペースが一切空く気配がないのだ。
俺の気もしらず、シイはぼんやりと頬擦りを続けている。シイがたまにこちらを見るときの、目の潤みだけでおかしくなってしまいそうだ。
「…っ、あーもーその目やめて…それで見られるとほんと効くから……」
顔が赤くなっていることを感じながら、何とか制止の言葉を呟く。と、やっと言葉が耳に入ったのか、シイがこちらを見た。…上目遣いで。
バクバクと心臓が熱くなってくる。頭がさらにふわふわしだして、現実と妄想の境目が甘やかに溶けていった。そのときブツ、と何かが千切れる音がしたのは、きっと気のせいじゃない。
---
「オレは……ううん、オレも、フーゾと付き合いたいよ」
夢のような感覚だった。現実じゃないような気がしていて、それはきっと今が幸せすぎるからなのだろう。
酔った勢いでシイのことをお持ち帰りして、結局日和って何もせずに帰って数日。気まずさから全力でシイのことを避けていたのに、交遊関係が広く勘が鋭いシイには見つかってしまった。
手を出さなかったことを何故か詰められ、半ば自暴自棄になって想いを溢してしまい、あー終わったな、なんて思っていたのに。想いを伝えた後のシイの顔が、あんまりにも照れていたものだから、思いきって告白までしてしまった。
恋愛的に好き、付き合いたい、シイのそんな言葉が耳に入ったとて、臆病な俺はそれが都合の良い夢である可能性を考えてしまう。
「…言っておいてなんだけど、良いの?」
「……二回も言わすな」
どうしよう、どうすれば良い?もし夢だとしても、覚めないでほしい。
いつでも、置いていかれるのは俺のほうだった。皆の命は短くて脆いから、夜が明ければすぐ消えてしまう。俺はそれを見送る側。
でも、シイとなら。永い命を持つ者同士、夜が明けてもずっといられるんじゃないかと、そんな空想ばかりしていた。それが現実になることはなく、ただの絵空事だと、本気で信じて。
「……本当に良いんだよね?夢じゃない?」
「今ここでお前の頬つねってやろうか」
「やだよ。シイのつねり強いし」
「恋人サービスで痛くしないこともできる」
他愛の無い会話が、いつものように続いていく。でも、以前とは違う甘さがそこにはあった。
虚しさはもう、そこにはない。あの日失くした温もりは帰ってこないけれど、もう寂しくもなかった。
ふと思いたって、シイを抱き締める。腕の中の動揺を感じながら、愛おしさを温もりと共に抱き締めていたかった。
---
『|夜明曲《よめいきょく》、またの名をオーバード。夜明けに別れる恋人たちの詩。|小夜曲《セレナーデ》の対局。…まだ、流れることの無い曲』
◇Thanks for reading and to be continued…?
#6『episode Chris:彼女のためのマーチ』
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
--- 恐怖なんて微塵もなかったと言えば嘘になる ---
--- それでも、己の理想のために走り続けた ---
--- 鳴り止まない|行進曲《マーチ》に、背中を押されながら ---
---
ウィルダート家は、代々続く由緒正しき家系だと父が言った。私はそこの家に生まれた誉れ高い存在だと、母が言った。誰が言ったか知らぬが、私を幸福な娘だと宣った。
裕福な家庭に生まれ、容姿に恵まれ、魔法の才を持ち、地頭とて悪くはない。神から何物も賜ったような、恵まれた境遇だと幼い己でさえ自覚するほど。
そんな境遇に生まれれば必ず幸福であるのか?と問われれば、大抵の人間は頷き羨む。
「恵まれた子」「神童」「文武両道」「神に愛された少女」陳腐な称号は飽きるほど肩へとのし掛かり、いつしか私を表すものへと変貌していく。それが酷く憎たらしかった。
幼い頃から、ずっと虚しい日々を送るだけだ。何も心踊らず、全てがつまらない。下らないことをのたまう両親に失望したのは、齢6つの時だった。
きらびやかな服も、美しい宝石も、全てが私にとっては無価値なもので。そうしてあらゆる物に無関心を貫いていれば、いつしか両親も、兄達も、皆私を「不気味だ」「人形のようだ」と罵るようになっていく。
家が嫌いになったのは、食事に毒を盛られてから。茶会の時間に出されたキャロットクッキーは悪意の塊だったものだから、それ以来私はキャロットクッキーが食べられない。キャロットクッキーが、茶会において頻繁に出される顔ぶれでないことだけが救いだ。
毒を盛ったのは、結局私に仕えている侍女の一人だった。それでも、両親は彼女を解雇することはなく、あくまで謹慎処分程度。なぜ主人の娘を手にかけようとする愚者を、尚雇い続けるのか。理由は聞かずとも明らかで、それに気づいてからこの家も嫌いになった。
私が面白いと感じたものは、名家の娘には必要のない教養を除いた勉学と魔法の知識。変わり者だと兄二人に蔑まれても、それらは私のことを魅了して止まなかった。
知識をつけることで、世界がまた一つ理解できるようになる。私にとって不可解で気味の悪いそれが理解の範疇に収まることに、私は幼いながらに安心感を覚えていた。
要らぬ知恵をつけより反発するようになった娘のことを、両親は気味悪がり忌避するようになる。私から知恵を取り上げ、どうにかして家に縛り付けたかった二人の用意した婚約者は、結局私に魔法の才で負けていた。
あの時私の周りには、理解者と呼べるものも、友人すらもいない。それでも充実していたのだから、友人など必要ないと幼い私は学んだ。
「どうして貴女はそんなに本ばかり読むの?宝石にも、ドレスにも、婚約者にも興味が無いなんて、信じられない」
信じられないなら、信じなければ良い。人は信じたいものを信じる生き物だ。理解して欲しいとも、支えて欲しいとも思わない。あちらが距離を取るのだから、私も近づかないつもりだった。
今思えば、もう少し良いやり方があっただろうと呆れてしまう。
あの醜く退屈な家の中で生きていくためには、己だけが信じられたのだから無理はないと思うが。
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私の夢は、この家を出て自立することだった。それは他の者にとっては当たり前のことかもしれないが、貴族の娘として見れば異質な願いだ。
そのためには悟られぬよう過ごす必要がある。あの両親が私の夢を潰すために、何をするか予想がつかない。
「お嬢様は本当に変わり者ですね。自分で勝手に知識を得てしまうのですから、私の仕事が無くなってしまいますわ」
「そう。でも、どうせ下らない知識しか教えられないならその方がマシでしょう?」
「…礼儀は教えたはずなのですけどもね」
対面につき、困ったように茶を飲むのは私の家庭教師だ。両親に雇われたわりに、随分マシな感性を持つ彼女は多少であれば信用に足る人物だと思っている。
実際彼女は、雇われの身にも関わらず私の両親が嫌いだ。"共通の敵がいる"ということは団結にも非常に役立つ。彼女は私のことを同じ敵を持つ同族と信じているようだったし、非常にやりやすい。
私には、彼女を唆し家から逃げ出す手伝いをさせる企みがあった。彼女自身が元貴族の令嬢で家出をした過去もあるようで、非常に好都合。
だが、いきなり「連れ出して欲しい」と言うだけではきっと彼女の心には響かないだろう。同情こそすれど、彼女にとって私を連れ出すということに相応のリターンは無いはずだ。だからこそ私は今彼女と親しげに話している。
「お嬢様のお兄様方も、貴方を見習ってくれれば楽なのですが……」
「あの愚兄が私を見習うなど、天から槍が降ったとしてもあり得ないわ」
「そうなんですよねぇ……お嬢様、なんとかしてくださいよぅ」
無理だ、と言ってしまえば楽だったが、それでは癪に障るので口をつぐんだ。どうせ言うなら「今は」と付け足したい。できないと決めつけてしまえば、私もあの愚かな家族と同じようになってしまう。
例え不可能だったとしても。私では力不足であったとしても。諦めずに努力すれば、なんて言わないから。
(一抹の可能性があるのなら、諦めたくない)
悪あがきを続ける気力だけはある。怠惰に満ちた家に食い潰されないためならば、警戒を解けないことだって苦ではなかった。
---
「あら、クリス様。…またそんな本をお読みになっているの?」
「……ええ」
「本をお読みになるのも良いけれど…もっと淑女らしくしたらどうですの?そんなに本にかじりついて、みっともない」
クスクス、と歪な笑い声が響く。美しい花やドレスに囲まれることによって、醜悪さが逆に際立っている彼女と、その取り巻き。
出る杭は打たれるを表すように、一行は本ばかり読む私をよく嘲っては醜悪さを晒している。何故好き好んで己の品格を下げるような行動をするのか理解に苦しむが、そういう習性なのだと早くに理解を諦めた。
「あら。寄って集って一人を嘲っている貴女方のほうが、よっぽどみっともないと思うのだけれど?」
「…っ、ああ言えばこう言う。自分の弁解の時だけ饒舌なのね!」
「貴方みたいに、何もないときでもベラベラよく喋りはしないもの」
別に、相手を言い負かせたいわけじゃない。ただ、早めに会話を終わらせるのなら、相手の心を折るのがいちばんだった。
案の定言われた相手は顔を赤くし、こちらに背中を向ける。
「ふん、嫌味ばっかりね!顔に反して、性格は醜いようですこと!」
「人のことを言えるような性格かしら?」
「…~っ!!!」
たた、と小走りで彼女が反対側へと走り、それに続く形で取り巻き達も追従していった。取り巻きは、結局何のためにいたのだろう?ただ周りにいて喚くだけとは、まるで雛のようだ。いてもいなくても変わらない。
小鳥の啄みに遭ったものの、気にせず手元の本に視線を戻す。別に、彼女達も私と同じくらい本を読めというわけではないし、できないだろうとも思っている、が……
(物語を読むことで語彙力や言い回しが身に付くこともあるのに。勿体無い)
勿体無い、からといって教えようとは思わない。どうせ何を言っても無駄なのだ。あちらが私を拒否するのだから。
---
転機が訪れたのは、何も気色ばんでいないような、いつもの日だった。予感も無く、ただ運命の巡る気配だけが、後になってやってきたのだ。
「この人と結婚しなさい。貴女の本への執着も気にしない素晴らしい方なのよ」
「お前のような気味の悪い娘を引き取ってくれるそうだ。世継ぎを生むくらい大したことはないだろう?」
耳から音がすり抜けて、まるで己が幽霊になったような気分だった。意思など無い、そこにいるだけの存在。
勝手に決めたことに反発できるほど、私は両親へ期待してはいない。強いて言うのであれば、隠しきれていない本音くらいどうにかしたらどうか、ということくらいだ。
年寄りの金持ち、どう考えても金目当ての政略結婚。ウィルダート家には充分な資産があるにも関わらずまだそれを望むのか、とうんざりする。
別に誰と結婚することになろうと構わないが、それでまたこの家の二の舞になるのは避けたかった。そうなれば、今までの苦労が水の泡だ。
とはいえ嫌だ、と言ってもこの両親には意味がない。私の意見が優先されたことなんて一度もなかったからだ。
両親がなんとか絞り出したか、もしくは美化したであろう相手の長所を連ねている間、私は仕方なく作戦を早めることにした。
---
「お嬢様、逃げましょう」
「……貴方にそれを言われるなんてね」
どうやら、私が思っていた以上に家庭教師の女は私に肩入れしていたらしい。私が連れ出してくれ、と言うまでもなくあちらから切り出されるとは。
その方が都合は良いのか、と冷静な頭で考える。それであれば非の殆どはあちらにあり、何かあっても切り捨てるのが楽だ。読みが外れたのは少し残念だが、嬉しい誤算ということにしておく。
「お嬢様のように聡明なお方が、あんなしょーもない成金ジジイに未来を潰されるなんてあってはならないことです!……不肖の身ですが、このメアリもできる限りの協力をするつもりですので、どうか…」
「………メアリ。頭を上げてちょうだいな」
そう言うと、彼女___メアリは、恐る恐るといったふうにこちらを見上げる。きっと、私が両親を恐れて断るかもしれないと考えているのだろうが……
(私の方が一枚上手だったということだ)
「貴方にそう言ってもらえて、嬉しいわ。……本当に、良いのね?メアリ」
「…!!勿論です、お嬢様!!このメアリ、どこまでもお供致します…!!」
「ふふ、心強いわね」
きらきらと目を輝かせるメアリの、あまりの純真さに内心驚く。賢い人間と思っていたが、情に流されてしまえば型落ちの側仕えか。微かな落胆こそあれど、その方が都合が良いため何も言うことはない。
それでもかつての聡明さは残っているのか、逃げるルートや逃亡先の候補、どうやって日銭を稼ぐのか、その後の生活についてまで緻密に考えられた計画が述べられていく。その用意周到さに、いつから考えていたのだと笑いそうになるのを堪えた。
人間は、信じたいものを信じやすい。私だって、今メアリが裏切るかもしれないなんて考えていないし、メアリだって私にここまで悪知恵があるとは思っていないはずだ。否、それすら私の思い込みかもしれない。
どうであれ、真の意味で人を信用する気にはさらさらなれないということだ。いざという時のための計画を考えながら、私はメアリとの逃亡前夜をつつがなく終えた。
---
「お嬢様!士官学校に行きませんか!」
「……士官学校?」
時の流れにより容貌が変化し、少女から女性へと姿を変えたメアリが、こちらに興奮気味に話しかけてくる。
両親の元から家出し、追手も来なくなった頃。やっと安定した住居を見つけ、生活にも慣れてきてからもう……四年が経過していた。私は14歳、メアリは21歳になり、ここ……エレクトロシュタルツ国での暮らしも充実している。
雷と科学の国、エレクトロシュタルツ。私達のいた混乱的城市の隣国に位置し、ドルヒェ語を母国語としている。初めて来た時には、その技術の進み具合に二人して目を見張ることとなった。
初めは混乱的城市のどこかに暮らす案だったが、あまりにも治安が悪くマトモに住めるようなところが殆ど無かったため、急遽この国に来ることになったのだ。幸い私もメアリもドルヒェ語はある程度流暢に話すことができたので、日常生活で困ることは殆ど無かったと言えるだろう。
時折小さな___資金繰りや、食料不足などの問題に直面しつつ、本などの嗜好品に手が届くようになった2年目には、私もメアリも現地の人々と同じくらいに喋れるようになっていた。
そうして生活して知識をつけ、私が魔法だけでなく戦術方面にも手を出し始めた時だったのだ。メアリがその提案をしたのは。
「お嬢様、あの国を根幹から変えたい~って何度もおっしゃっていたじゃないですか!!ですので、士官学校に行って総統になるのがよろしいかと!」
「待て、話が急すぎるだろう。確かに私は常日頃からあの国に対し改善点などを述べてきていたが……」
「お嬢様。できると思っている限り、不可能なんてこの世にはないんですよ」
「やけに真理に迫ったことを言っているが、別に私は無理と言うつもりはないぞ?ただ、どこに進学するのかという話なのだ」
私がそう言うなり、彼女は自信ありげに一枚の紙を差し出す。そこには私も名を聞いたことがあるくらいには有名な、メーラサルペの士官学校だった。
メーラサルペは海と信仰の国だ。軍事的な強さは国々の中でも一番で、この世界に二つしかない海の一つ「リブス洋」のほぼ真上にある国。水の都と呼ばれるそこは、治安の良さから観光客も多かった。
その士官学校は、合格率がまずそもそも異常に低く、そして卒業率も低いと有名な所だ。まぁ、その殆どは入学希望者が多く、実習で学生が死ぬこともあるからだそうだが……
その分教育のレベルは高く、指導内容も実戦に使えるようなものばかり、かつ軍と連携している組織でもあるため、現役の軍人の話を聞けるという____まぁ、軍人を目指す者からすれば絶対に入学したい要素が詰め込まれているところである。
私だって、入学できるなら今すぐしたい。が、問題はそこではなく……
「お嬢様も知っている所ですし。何より、お嬢様なら入学できますよ!!」
「……メアリ、この募集要項にある推奨年齢っていくつなのか、読めるかしら?」
「……………まぁ、16歳ですね」
「私は今いくつだ?言ってみろ、ン?」
「…………………15、でしたっけ?」
「14だ」
がく、とメアリが項垂れる。そう、この募集要項にある推奨年齢___という名の対象年齢は16歳。……私では2歳足りないのだ。
当然、できないことはないだろうが……他の受験生のレベルも分からない以上、そこそこ値の張る受験費を捨てるわけにも行かない。行かない、が……
改めて、募集要項を見直してみる。そこには今年と前年度までの試験の変更点があり、私はそれを良く読んだ上で、もう一度メアリに向き直った。
「……メアリ、私ならたった2年の差などねじ伏せられると思うか?」
「もちろんです。お嬢様にお教えしてきた私が保証します」
「…ならば、2歳年下の私が、特待生制度で、入学することも可能か?」
「!!」
募集要項のある一点を指し、メアリにそれを見せる。その文を読むや否や、メアリは目を輝かせてこちらを見上げた。
そこにあったのは、いくつかの変更点。金持ちや力自慢にとっては一切関係の無いものばかりであるが……今はそれがありがたい。
[特待生制度の導入]
[実技試験を魔法と武具両方選択可に]
「魔法のみ選択可なのであれば、ひ弱な小娘の私でもできよう。それに……」
「特待生として入れば、学費が免除される…!!」
「当然、特待生制度を受けるためには入学試験で一位にならなければならない。が…」
「…いけます、いけますよお嬢様!!!」
私以上にぱぁ、と顔を輝かせたメアリがこちらの返答を待つように振り向く。その目には僅かに涙で潤んですらいて、私だけのことのはずなのに、どうしてこんなに喜ぶのだろうと不思議な気持ちになった。
返事の代わりに、微笑んで見せればメアリは喜びのあまりこちらに飛びかかって来る。運悪く避け損ねた私は、そのままメアリの体と腕で押し潰されることとなった。
「……試験を受ける前に圧死しそうね」
「はっ!も、申し訳ありません…!!感極まって、つい……」
「…何故、感極まって人を押し潰そうとするのだ…全く」
そう言うと、メアリは今度はきょとん、と良く分かっていないような顔をし、数秒の後に大笑いし出す。
今度唖然としたのはこちらで、しかも訳も分からないものだから、何だか落ち着かない気分になる。
「……何故私は今笑われているんだ」
「いえ、だって、お嬢様ったら…もう…!」
「…………」
「あ~、も~……」
ひとしきり笑い終えたあと、メアリは不意にくしゃりと泣きそうな子供の顔になり、その後また私のことを押し潰そうとしてきた。
今度は先ほどとは違い、感極まっているわけでは無かろうに、何故またこのようなことをするのか。分からない。
分からない。分からないのだ。メアリが泣いている理由も、私が押し潰されている理由も、何もかも。
____私の頬が、生ぬるい理由も。
「…お嬢様、良いことを教えてあげますね」
「…なんだ」
「この行為は、貴方を押し潰しているわけじゃないんです。…これは、」
初めて聞いたような響きが、鼓膜を揺らす。否、本当は昔から知っていた。知っていたが、あくまでそれは知識としてだった。
頭の中で、ゆるりと反芻する。私がされることは無い、そう思っていたものだ。元より求めていたわけじゃない。それなのに、どうしてこんなにも心は満ち足りているのだろう。
相手を抱き締めるという行為にどんな意味があるのか、何故行うのか、知識として分かっていても、納得ができなかった。愛する者に対して行うのであれば、私はメアリに愛されている、のだろうか?
分からない。私は神でも何でもない、一人称視点で生きる人間だ。人の気持ちも行動原理も分かりはしない。
分からないけれど、今はそれがただ心地よかった。
「……メアリ、ありがとう」
「…どうしたしまして、お嬢様」
ふ、と顔を合わせて笑い合う。寒さを交えた北風に交じって、春の香りがどこかから私達を包んだ。
---
それから、私達は入学のために範囲内の復習をし、過去の問題を解き、合間合間に入学後のための体作りや魔法の練習を行って記憶の定着率などを底上げしていた。
……その過程で一つ、気がついたことがある。それは、私が《《能力持ち》》だと言うことだ。
気がついたきっかけは「最近ちょっと運動不足すぎて太ももが……」と、一緒に体作りに励んでいたメアリの一言だった。
「お嬢様、最近なんだか凄く調子が良いんです!」
「私よりも先に体作りの影響が出たのか」
「ええ!前までは重たくて少しも動かせなかった岩が、片手で運べるようになったんです!!」
「………それ、本当に大丈夫なやつなのか?」
一応メアリの言っていた岩を見に行ったが、明らかに片手で持てるような大きさではない。見た目に反して軽いのか?とも思ったが、確かに持ち上がる気配は無かった。
メアリが見ててください、と岩の側にいき、軽く片手を添える。そのままぐ、と腕に力が入ると、軽く砂を落としながら岩が用意に持ち上がった。
「………」
「ね?言ったでしょう?」
自慢げにそう言い、メアリは岩を下ろす。……その様子を見て確信した。メアリのそれには《《能力》》が関わっているのだろうと。
まずそもそも、こんな短期間で岩を持ち上げられるほど人間の筋肉が成長するはずはない。もしかしたら隠れていただけ、という可能性もあるが……まぁ、大きめの花瓶を持つのにも苦労していた彼女には関係の無いことだろう。
というか大の男でもない限り、あの大きさの岩を持ち上げるのは無理だ。しかし、その「無理」を「できる」にする力が、潜在的かつ顕現には時間を要する力が宿る可能性はある。
それが《《能力》》、別名才能特権。魔法のような、それでいて魔法ではできないことを可能にする、特殊で希少な力だ。
別名に「才能」とつくのは、それが宿っている人間が非常に少なく、先天的なものであるから。まさに才能のように、本人が気づかない所でゆっくりと成長していく。
私やメアリのような10代から20代までが、一番能力の顕現が多い時期である。魔力器官の発達がある程度落ち着くからか、それとも何か別の要因があるのかは分かっていない。
そして、私達は二人とも能力検査を受けていないのだ。つまり、私達のどちらかが能力を持っていて、メアリの場合は自分の能力が、私の場合はメアリへと能力が影響していることになる。
その旨をメアリに話したところ、メアリは能力検査にかかるべきだと言った。
「私よりもお嬢様の方が可能性が高いですし…何より、入学の際に有利になるかも!」
検査は幸い25歳まで無料で(これは非常にありがたいことだ)、明日かかることまでトントン拍子で決まる。メアリは私に傾倒している気があるとは思うのだが、こういうときばかりは頼りになるのだ。
その前夜、少しメアリが出ていった時。私も着いていくと言ったのだが、メアリは大丈夫だと言い、一人で生活に必要な物資を買い足しに行った。
とん、と壁に背中をつける。家があって、自分の意思で食べるものも着るものも決められて、必要最低限度の、自由のある暮らし。私が願って止まなかったそれは、存外拍子抜けしてしまうほどつまらなく、同じ形をしていて。それでも、ひどく尊いものだと実感している。
窓から外を覗けば月が見えたが、興味が無くすぐに目を逸らした。私は、空を見て感傷に浸れるほど詩的な人間ではない。
それでも、心地よい温度が体を撫でて行ったことで、春がすぐそこまで訪れている気配は感じられる。
入学試験まで、あと残り1ヶ月。勉強も大詰め、範囲内は完璧と言えるほど仕上がり、今は入学後の内容にも少し手を出し始めているほど順調だ。体作りだって、メアリほどでは無いにしたって力はついている。……目に見えて筋肉量が増えたわけではないが。
順調、だからこそ気の抜けない時期。私もメアリも学校に入学したことなど無いため、どういった雰囲気なのか、どんなこと学ぶのか詳しくは分からない。それでも、私のやりたいことをやれる場所であることに変わりはなかった。
やりたいことをやるため。不可能ではないのなら、限りなく難しかろうが望んで見せる。貪欲に、どこまでも。
もう一度、空に浮かぶ満月を見やる。手を伸ばせど届かないそれが、なんだか私の夢のように感じられ、思わず手を伸ばした。
やはりと言うべきか、手は空振り月を掴むことはない。それでも私は、確かに夢の実現がすぐそこまで近づいてきているような気がしたのだ。
「クリス様.た だいま戻りました ~」
「ああ、おかえり」
帰ってきたメアリはそのままシャワーを浴びに行ったことで、私も何かしたい気分になる。…もう一度、範囲を勉強しておこうか。
月に背を向け、自室へと戻る。ふと、目にメアリの買ってきた生活物資が目に止まったが、特に変わったところも無いためすぐに目を逸らした。
その後、能力検査を受けたことで私に能力が発現していることが分かった。
己が仲間、若しくは部下であると認めた者の身体能力を底上げする能力らしく、効果範囲は不明だがとても広いらしい。常時発動型のそれは珍しいようで、是非研究に協力を、と言われたが断った。
メアリ自身には能力は無かったらしく、それでも彼女は落ち込まずにまた自分の事のように喜んだ。それが妙にむず痒く、不思議な感じがしたのは、きっと気のせいだろう。
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そうして迎えた試験当日。筆記試験の手応えは確かにあり……というより、簡単すぎてむしろ手応えは無かったのかもしれない。一応何度も見直し、できるところは検算をした。
その後簡単に学校の教師と、志望理由や実技試験で選択を希望する科目について話をし…そちらもつつがなく終え、私は入学試験初日を無事終えたのだ。
今、私は面接試験(実は存在を知らなかったのだが、どうやら受験生全員に秘密にされていたようだ)の後の結果待ちをしている。面接試験自体は特に難しくもなんともない普通の会話であったし、懸念点で言えば筆記試験のみ……だが、それもケアレスミスさえ無ければ満点だってありえるほどだ。
そうして待ち時間を退屈に過ごしていれば、何人かの入学希望者達がやって来る。その殆どは私より年上の体躯が立派な男が多く、私をちらと見ては少し驚いたような顔をして通りすぎて行った。
15人ほど入ってきた時だろうか。不意に、私の受験番号が呼ばれた。それは受付に来ることを知らせる合図であり、同時に私の筆記試験の合否が分かることを知らせるものでもある。
こんな時、緊張でもできれば可愛げはあるのだろうが……生憎、そこにあるのは確かな自信のみだった。
受付へと進み、受験番号や氏名の確認をされる。そして、その瞬間はなんとも呆気なく訪れた。
「筆記試験は合格です。次の魔法実技試験の日程は……」
さらりと何ともなく言ったような台詞に思わず心の中で苦笑する。心の中には喜びこそあれど、それよりも多く確信が事実へと変わったことによる充実感があった。
そのまま、言われた日程やその他試験の概要が書かれた紙を渡される。魔法試験は二日後、内容は適正属性の魔法をどのレベルまで扱えるか見る、とのことだ。
一先ずはメアリに伝えてやろうと帰路に着く。問題は、私が現時点で受験生達の中の何位にいるのか、そして魔法試験の結果によってはその順位がまた変動することだが……今は良いのだ、とイマジナリーメアリが言った。
改めて、今後の目標について考える。ifばかりの目標だが、それで良い。そのifを全て現実にするだけで達成できるのだから。
夕暮れ時、見知った道に入りそのまま家の扉を開ける。メアリがどんな顔をするのか想像しながら、私はただいま、と帰宅を知らせた。
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魔法。それは使用者を媒介とした、生物が元来持つエネルギー「魔力」を放出すること。個体によって持っている魔力の量や種類は異なり、またそれらは多ければ多いほど良いとされている。
この世には12の属性があり、それらはさらに7つの有在属性と5つの概念属性に分けることができる。
有在属性はそれぞれ「火」「水」「雷」「草」「氷」「地」「風」が、概念属性は「光」「闇」「神聖」「悪」「無」が確認されており、昔は新たな属性探求が行われていた。
魔法には、それぞれ魔法庁が定めたレベルが存在し、レベルが上がるほど再現性は下がり、魔法の威力は上がる。
基礎、生活、初級、中級、上級の五つのレベルに応じた称号を持つ魔法使いを名乗るには、魔法庁の行う魔法検定に合格する必要があった。
私は検定を受ける余裕がなく受けていないが、メアリは「初級ができれば十分」と言っている。実際どうかは知らないが、初級くらいなら扱えるので問題はないだろう。
そして今、私はそんな魔法の技能を見る実技試験に挑むところだ。見たところ、己の使う属性を述べ今扱える魔法を再現するらしい。……なぜ見たところ、なのかと言うと試験官の声が小さくあまりルールが聞こえなかったからである。
「では次……14番、オ__ル__……__ォ__…さん。何属性の魔法にしますか…」
「水属性です」
まぁ、どちらにせよ試験会場を破壊したり試験官を殺害でもしない限り棄権にはならないはずだ。そう高をくくりつつ、メアリに教わった魔力が出やすくなると言うマッサージをしていた時。目の前を、水の大群が通った。
「え、すげ……」「上級レベルなんじゃ」「今年のレベル高……」「てかアイツ、汗一つかいてないぞ…??」
そんな囁き達をかき分けるように水でできた魚の群れは旋回し、そうして魔法を使ったであろう男の周りへと収束する。
男は何でもないように水を自在に操り、ひとしきり見せ終わった後に飄々とした様子で礼をした。その額には、確かに汗一つなく息も上がっていない。
「結構……では、戻ってください」
「はい。ありがとうございました」
もう一度深く礼をし、元いたであろう席に着く。私は23番なので特に影響はないが、彼の次に試験を行う受験生には同情する。
上級とまでは行かずとも中の上ほどの難易度、そして繊細なコントロール、何より魔力量にものを言わせるような規模。確実にこの受験生達の中でも上澄み中の上澄みだ。
特待生制度を得るためには、当然ここで彼よりも良い成績を叩き出す必要がある。とは言え今からできることなどほぼ無いに等しいため、私は大人しくマッサージを続けた。
その後も試験はほんの少しの波紋を残しつつ、つつがなく行われていく。やはり基本的に皆が扱うのは初級、良くて中の下の程の魔法ばかりだ。メアリの言っていたことは、案外間違っていないのかもしれない。
そうして幾ばくか経ち、遂に私の番号が呼ばれる。マッサージのお陰か魔力の巡りが良く、体がぼんやりと暑い。
「何属性の魔法にしますか」
「氷属性で」
改めて、魔力の巡りを意識する。本当なら中級クラスを披露すればそれで構わないだろうと思っていたが、あのレベルの水魔法を見せられればこちらも意地になるというもので。"ヒトの平均魔力を遥かに凌駕する"と、メアリの前にいた家庭教師に言われたことを改めて思い出す。
足と掌、その両方に6:4ほどの割合で魔力を流して行く。細かな造形の物はその分集中力やセンスが問われるが、生憎とそれは得意分野だ。
足元で氷を広げつつ掌中で大きな氷塊を生成し、それが砕けた際に雪の結晶と氷の花びらが舞うような細工を施す。その内に張り終えた氷に入れた、いくつかの種となる氷の粒を大胆に伸ばして花を形成した。
ただの花畑では案外退屈だったため、一応白鳥も作ってはみる。氷を砕き雪を舞わせ、簡易的な箱庭の完成だ。まぁ、すぐに壊すのだが。
張られた氷達を花ごと収束させ、大きな一輪の形にしてから消滅させた。魔力量を確認してみれば、まだ半分以上の余裕がある。どうせなら小さな城でも作っておくべきだったか。
「……結構。では、戻ってください」
「はい」
自分の席に戻れば、こちらもまた何か囁きが耳を揺らしていく。その殆どは称賛で、幾つかは先ほどの男とどちらが凄いかの議論だった。
腰を下ろし、そうして改めて先ほど展開した魔法の出来映えを反芻する。体感で言えば五分ほどかかっているのだが、実際は一分程度だろう。それほどまでにあの魔法は集中力と魔力を必要とし、そのくせ一瞬の美しさに全て賭けているのだ。
それからはまた退屈で、私の後に続く数人かの組が終わるまで待たされることとなった。ぼんやり、そうぼんやりと続ける意味の無いマッサージをしていた時。
どよめきが辺りに満ち、視線を上げれば一人の受験生の魔法が暴走しているようだった。属性は火、だがあの程度であれば不利属性である氷でも完封できそうだ。
他も戸惑いつつ防御魔法やらを展開しているのはさすがと言うべきか、士官学校の入試らしい。……《《あからさまなほどに》》。
そうして様子を見ていれば、こちらの方に火の粉が飛んでくる。…あの程度なら、こちらが被る前に消えそうなため、特に魔法を展開はしなかった。
しなかった、が、私の前で火の粉が即座に消える。それも、水の塊に呑まれるような形で。
「何しているんだ、危ないだろう…!」
確か14番のオル……なにがしか、あの水魔法を操る男である。そのなにがしかは血相を変えて、という表現が最適なほど狼狽しながら水の壁を展開していた。まるで、彼と私を火から遮るように。
「ありがとう、心優しきジョン・ドゥ。一応私の名誉のために言わせてもらうが、あの火の粉は私に降りかかる前に風で消えそうだったから避けなかっただけだぞ」
「私の名前はオルカ・オルクスだ、ジョン・ドゥ?とかいう男ではないし、もしも君の推測が外れて火の粉を被ったらどうするんだ」
「……はぁ、その時は治癒魔法でもかければ良い。どちらにせよ死にはしないだろう」
「なっ……」
つまらない奴に絡まれたな、と内心落胆する。まさか|ジョン・ドゥ《名無しの権兵衛》も知らないとは、随分ジョークの通じない男だ。
何か私を宥めんとしているようだが、生憎こちらとてわざわざ小言を聞いてやるほどの器の大きさを持ち合わせてはいない。
話を右から左に流していれば、後ろからまた少し大きめの火球が飛んできた。そして、その…オルキヌスだかはまだ気づいていない。随分と高尚ぶるのに必死なようで、と呆れつつそれを凍らせた。
「な」
「計算ミスで火の粉を被るより、ミスに気づかず火球にぶつかる方がよほど間抜けだと思うが……違うか?」
「っ………君って奴は……いや、ここは礼を言うべきか。ありがとう」
ば、と頭を下げたその男に大きなため息をつきながら、その頭に顔を近づける。
呼び掛けてもなかなか反応がなく、これは許しを乞うまで上げない気なのかとさらに面倒になった。仕方がないので、目についた尖った耳を指で軽くなぞる。
「ひっ…?!!な、なにをっ」
「静かに。……あの受験生、恐らく《《試験官とグルだ》》」
「、ああ……なるほど」
(…何故賢いのに妙なところで頑固なのだ)
どうやら言葉の意味を理解したらしく、男は掌上に水球を生成していく。
試験官とグル、というのはつまるところこれ自体が「試験」ということ。筆記試験には、魔法の訓練中に魔法が暴走する事例の対処法を述べさせる問題があった。
きっと、これはそれが実践できるのかという「実技」を見る試験ということだろう。何より、試験官がさっさと止めないのが一番白々しい。
ちなみにだが、魔法が暴走したときの対処法にはいくつか例がある。一般的なのは魔法による拘束だが……氷属性の私とでは相性が悪い。あれは草属性のような柔軟性のある魔法向けだ。
私が試験で解答したもの、それは「気絶させる」こと。正直これが一番手っ取り早い。
ということで、早速小さめの氷塊を生成し対象の鳩尾を狙う。幸い対象自体は動かず火魔法だけが動いているため狙いやすかった。
氷を鳩尾へと当てれば、容易に気絶する。それにより新たに火が生み出されなくなり、《《今ある火魔法が暴走するようになった》》。
「大規模な水魔法を展開する余裕があるのなら、受験生皆を守ることくらい造作もないだろう?」
「っっ…!!!君、なんて無茶振り…!!」
ば、と水が勢いよく展開され火を包み込む。火が消火される音が重なり、辺りには水蒸気が大量に充満した。思わずけほ、と咳をしては見るものの、特に喉に突っかかる感じはしない。
水煙が晴れてくれば、恨みがましそうにこちらを睨む男がいる。良い表情をするじゃないか、なんて意味を込めて笑い返してやれば、何故か驚いた顔をしてすぐに反対方向を向いた。……変な奴だ。
「……14番、そして23番。…合格だ」
声のするほうを向けば、先ほどの声の小さい試験官がいる。私が気絶させた男を担ぎながらこちらを見据える様子に、あの頼りなさは演技だったのかと素直に感心した。
話を聞けばやはりと言うべきか、これは魔力暴走の対応を見る試験だったらしい。真っ先に趣旨を理解し的確な判断をした私と、繊細なコントロールから、かの男は特にお眼鏡に叶ったようだ。
「その他の受験生諸君、君らにも後々合否を伝える。待合室で待っているように」
もう一度男……オルカ・オルクスの方をみやる。と、こちらを驚いたような、嬉しいような、不思議な表情で覗いていて、思わずくすりと笑ってしまった。
---
「……君は、最初から分かっていたのか?」
「そうだな」
「…そうか。どうやら、愚か者は私のようだね」
がく、と分かりやすく項垂れながら隣に座る男にため息をつく。私とオルカは、今現在他の受験生達とは違う方の待合室にいた。
試験が終わり、私と男の二人のみがこの待合室に通されてはや数分。私たちはぽつぽつと小さく会話を交わしながら、打ち解けるわけでもなく待っている。
「愚かなのは人間の性だろう。私も、お前も、高尚な人間など存在しない」
「…君は、人間が嫌いなのか?」
「嫌いだった時期もあった。が、それでも高尚であろうと足掻く姿は幾分か面白い」
「………良い性格だね」
「よく言われるよ」
小気味良い会話が続き、相手の被っていた皮が一枚、また一枚と剥がれていくのを感じた。……それは、私も同じだろう。
この男は実技試験に進めるほどの頭脳を持ちながら、性格は人間臭さに溢れている。それも、気味が悪いほど。まるで《《人間を模倣しようとする怪異》》のような態度は、彼の尖った耳のせいでさらに増長されている気がする。
そうして会話を続け、いつしか試験官が私達二人の合格を知らせた。
「おめでとうございます。こちら今後の予定になりますので、ご帰宅後、よく確認を」
「「はい」」
「それと、ウィルダート様は少々お時間いただきますが…構いませんね?」
「はい」
オルカが先に部屋を出る。去り際、ドアの奥で小さく"|Bis bald《また会おう》"と呟いたため、こちらも笑い返してやった。試験官には変な顔をされたが、気にしないことにする。
さて、と試験官はこちらを向き、先ほどオルカが座っていた椅子を私の正面まで持ってきた。恐らく、特待生制度の話だろうが……それにしては、やけに雰囲気が固いような気もする。
「では、改めまして…クリス・ウィルダート様で違いありませんね?」
「ええ」
「まずは、希望されていた特待生制度についてですが……」
私は今まで生きていて、特に緊張をすることはなかった。だが、今初めて緊張している気がする。
心臓が早鐘を…打っているような気がしないでもないし、手汗も……恐らく出ているかもしれない。……否、認めよう。正直なところ、緊張したことがないのでよく分からないのだ。
「受験生中一位のため、希望通り適用させていただきます」
「……そうですか。ありがとうございます」
その言葉を聞き、ほんの少しの喜びと、目的を達成したことによる安堵が訪れる。やはり緊張していたようで、肩の力が抜けるとはこのことか、と実感した。
が、それでも話は終わらないらしい。試験官がむしろますます気合いをいれるような仕草をしたためだ。
この時、私は油断をしていた。それはある種の現実逃避でもあり、理想ばかり手を伸ばし足下を見ることを疎かにしていたからでもある。
ずっと、予感はしていた。見て見ぬふりをしてはいけないと分かっていたのに、初めて味わう安堵を、安寧を手放すのが惜しかったのだ。
「貴方のお父様が、お話があるそうです」
____見て見ぬふりをした火種は、いつの間にか私の身を焦がすほどに近づいていた。
◇To be continued…
#7『episode Chris?:奪われたコラール』
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
--- その綻びは、誰にも気づかれず潜んでいた ---
--- 狂い始めた物語は、止まらない ---
--- かつて|讃美歌《コラール》を贈られた彼女は、水底に消えた ---
---
真っ白になった頭で何を考えたのかは知らないが、どうやら私は今から父に会いに行くらしい。
家には頓着など無いと思っていたのに、無意識下では多少は恐れていたのか、と震える手を押さえつける。記憶が甦り、暗く深い水底へと引きずり込まれるような感覚だけに満たされていた。
ここがどこかも分からなくなって、馬車の揺れが己の震えと交わっていく。
かつて封じた記憶。おぞましく歪な、箱庭の中の、兄と、父と、友人と宣う男との、醜悪極まりない、低俗な。胃の不快感で口を咄嗟に抑え、冷や汗で体が冷えてより痛い。
なぜ…気が抜ければそう口ずさんでしまいそうだ。なぜ私なのか、なぜ私でなければならなかったのか。己が不幸を一身に背負っているだなんて驕りはしないが、それでも他人より不幸が多いと、そう願っていたい。
蓋をした幼少の記憶。娘に手を出す狂った父親と、実の妹を弄ぶ兄達と、すぐに癇癪を起こす母。思い出したくない気持ち悪さがいつまでも頭に染み付いていて、見ないふりをした火花は記憶をより際立たせる。
「着きました。どうぞ」
「……ああ」
ふら、と足をついたのに、まるで空を飛んでいるかのように感覚がない。今、自分が地面を歩いているのかどうかすら怪しくなるなんて、と自嘲の笑みが溢れそうになったが、ひきつった口はその弧を描くことはなかった。
恐る恐る顔を上げれば、懐かしく、憎らしく、今も記憶の底にて私を引きずり込まんとする屋敷が___私の実家がある。よく見れば私の手を引くのはかつて私に毒を盛った侍女で、最悪な記憶の回顧をさせられているようだった。
咲き誇る薔薇達は立派に手入れされており、石畳には上品に、かつ主張しすぎず苔が生えている。洗練されたデザインのアーチを潜り抜けた先にある屋敷には、ほどよく蔦が這っておりそれがまた屋敷の造りの良さを際立たせているようだ。
石畳の小気味良い音と小鳥のさえずりが重なり、花々が見守る中屋敷への道を歩く。
「お、家出女が帰ってきた」
「よう家出女。仏頂面は相変わらずか」
入り口に立っていた二人の兄が、ゆるりとこちらを見てせせら笑う。相変わらず醜悪な男共だ。無視しようと間を通れば、去り際に後ろ髪をひっ掴まれた。
「何勝手に入ろうとしてんの、つれないな」
「見ない内に顔だけはより綺麗になったようだな。…また可愛がってやろうか?」
「っ………」
吐き気がこみ上げ、咄嗟にぱしりと手を叩き足を早める。つまらなさそうにこちらを眺める視線に絡まった下卑た欲望が、こちらにも纏わりついてくるようで気持ち悪かった。
兄のようなものではないにしても、この家にはそういう"視線"が多すぎる。敵意や、蔑みや、傲りがないまぜになってそれらはこの屋敷の空気までも淀ませていった。
階段を登り、重い扉を開ければ見慣れた顔が二つある。父と、母。私の思い出の中よりもずっと醜悪な顔をしていた二人が、今は私よりも下の目線で睨み付けてくるような感覚になった。
ソファに座りなさい、そう言われて大人しく座る。何か言いたかったはずなのに、この二人の前では上手く言葉が出てこなくて妙な感じだ。
「……クリス、私の愚かな娘よ。逃げ出したお前のせいで、私がどれほど恥をかいたことか」
「それだけじゃなく、士官学校に入学しようとするなんて。どこまでも気味の悪い子ね」
「お前に魔法の才があろうがなかろうが、女である以上孕み袋としての価値以外は意味がないのだ」
「唆した侍女もいずれ見つけ出すわ。貴方と同じく、折檻する必要がありそうだもの」
「まるで躾のなっていない獣だな」
「愛想も無い」
「気味が悪い」
耳を塞ぎたくなる。私が虚勢で積み上げた自己肯定感が崩れ、残っているのは両親からの下らない評価だけ。いくら気を張っていても、幼少からの刷り込みはとっくのとうに消えない痣となっていた。
やがて、幸いなことにひどい耳鳴りが両親の声をかき消してくれる。ずっとぐるぐるとかき混ぜられるような胃の違和感だけが、私のことを冷静にしてくれた。
それでも、私の足は木偶の坊のように動かなくなって、呼吸すらままならない。父親の顔はいつの間にか険しくなり、反対に母の顔は獲物をいたぶる獣のように歪んでいく。
耳鳴りはひどく、私の意識ごとかき消してぐちゃぐちゃにしていくようだ。呼吸の音が響かなくなった頃に、私の視界も暗く消えていく。
`そのまま私は、意識を失った`
---
| :O 《Momo》 { An unexpected error occurred
| XP《Holy》 { A stranger has broken in!
|:0《Dream》 { `Bug` has entered.
| XO《Momo》 { Ah, the system is breaking down...
|:(《Dream》 { Anyway, we need to get rid of it.
| X0《Holy》 { Oh, this is the worst...
---
[予期せぬ問題が発生しました]
[再起動をする必要があります]
[エラー情報の収集]
`縺輔○繧九o縺代′縺ェ縺?□繧阪≧?溽ァ√b逕溘″繧九?縺ォ蠢?ュサ縺ェ繧薙□縲`
[エラー情報の収集に失敗しました]
[世界線保護システムを起動します]
`---・- ・ ・・ ・-・-- - -・ ・・ ・-・ --・-- ・-・・ ・・ -・-・・ -・ ・・ `
[システムの起動に失敗]
[ウイルスの侵入を確認]
[時間操作システムの権限を失いました]
`コこで 終ワラれテは 困るノだ`
[権限の使用を確認]
[時間の巻き戻しまで、あと残り…]
---
…
---
そうして待ち続け、いつしか試験官が《《私の》》合格を知らせた。
「おめでとうございます。こちら今後の予定になりますので、ご帰宅後、よく確認を」
「…はい」
遅れて返事をする。どうやら、少し考え事をしすぎたらしい。少し遅れた私に怪訝な顔をしつつ、試験官が私に向き直る。
「それに加え、少々お時間いただきますが…構いませんね?」
「は「いいえ」
これまでの秩序を破るような唐突さを纏った声が待合室に響いた。その聞き覚えのある声の方を向けば、そこには……
「メアリ、何故ここにいる?」
「クリス様のお迎えに参りました」
「困ります、保護者の方は外でお待ちに…」
「いいえ。お迎えに参ったのですから、クリス様を連れて帰るまでは私も帰りません」
「メアリ…?」
奇妙な言い分で宣う彼女の様子は、いつもと確実に何かが違う。何が違うのかは分からないが、確かな違和感がそこにあった。
試験官も困りつつ、メアリに退室を要求する。が、メアリは頑なに私を連れ帰ることを主張し続け、堂々巡りが繰り広げられていく。 段々と試験官が堂々巡りにうんざりしてきた頃、私はしょうがなく口を開いた。
「簡潔にここで内容を話すのは駄目なのか」
「いえ、それでは……」
「それでも構わぬだろう。なぁ、メアリ?」
「ええ。クリス様の仰る通りです」
「……」
試験官は一気に困った顔になり、悩み始める。私としては、意外な行動しかしないメアリに意図を聞きたいのだが、今それを言うべきでないことくらいは私でも分かっていた。
「さっさとお話ししては?それとも、私に聞かれたら困るようなことをお話しするつもりでしたか?」
「い、いえ……そういうわけでは、なく…」
「それなら早くお話してください。夕飯の買い出しもあるのです」
「………仕方ない、ですね…」
大きくため息を吐き、試験官が押し問答に押し負ける。メアリは満足そうな顔をし、私はその光景の不思議さに首をかしげた。
それはそれとして、試験官はどうしてそこまでして渋ったのだろう。本当に、メアリに聞かれたら困る話でもするつもりだったのだろうか?
「…ご希望されていた特待生制度についてですが、受験生中一位のため、希望通り適用させていただきます」
「……そうですか。ありがとうございます」
深く頭を下げ、ほんの少しの安堵から小さく息を吐く。突然言われたものだから、心の準備とやらもできていなかったが……まぁ、確信していた通りなのだから構わない。
メアリが小さく「やりましたね」と呟いた音を拾いつつ、試験官の方をしかと見据える。この程度のことであそこまで躊躇するとは思えなかった。
「それで、他には?」
「………いえ、《《これで全部です》》」
「…これだけか?」
「はい」
あまりの呆気なさに、思わず懐疑の目を向けてしまう。横のメアリも存外しょうもない話のみで驚いているようだった。
そうして話は終わり、メアリが性急に私の手を引く。やけにメアリは焦っているようで、それがまたらしくなさを感じさせた。
私とメアリは、そのまま《《試験官ただ一人だけ》》を残して教室を後にする。試験官の男は、何故か不思議そうに自身の座っている椅子を眺めていた。
久しぶりにメアリと手を繋ぎながら帰路に着く。子供じゃないのだから、と言ってみても、メアリはまだ手を引くばかりだ。
正直手を引かれるのはどうでも良いのだが、メアリの様子がいつもと違うことだけが気がかりだった。怒らせたのだろうか、といったことは一切心配していないが、何か悪いものでも食べて体調を崩す等していたら困る。
「Ah,なんだ。…こうやって手を引かれると、あの夜を思い出すな」
「…大きくなりましたよね。特待生制度も、おめでとうございます」
「私が言えたことじゃないが、それは今言うべきことだったのか……?まぁ、メアリの力添えもあってのことだが…」
「頑張ったのはクリス様ですよ」
「だが、お前がいなくては実現しなかった」
「……そうですか」
「…………いい加減、手を離してくれないか」
「何故?」
「必要性を感じない」
「私は繋ぎたいのです」
「……そうか」
---
| X(《Momo》 { Ah... the system is a mess…
| :( 《Dream》 { Will we give up on this world?
|XO《Holy》 { No good, the world has been frozen…
| :0《Dream》 { ...We were completely defeated.
---
時が経ち、小春日和に相応しい空気が満ちる昼。心地よい風に吹かれながら、私は空き教室にて夕日を眺めていた。
無事特待生制度で入学を果たし学生寮へと住むことになった私は、順調に士官学校での日々を過ごせている。友人とまで深い仲にならず、ある程度の浅い交流を続け、成績も一位をキープしていた。
だが、一つ困ったことがある。それは「退屈」なことだ。
課題はあるが難しくなく、特に休日に出掛けるわけでもなく、まぁ今まで通りの刺激の少ない生活をしているわけなのだが。変わらないということは、私に退屈さをもたらすのだ。
いっそのこと友人を作るべきかとも思ったが、今のところ友人になりたいと思えるほど魅力的な人物に会ったことはない。恋人を作る気などさらさら無いし、はてどうしたものか、というのが直近の悩みごとだ。
そんな考えさえ、この柔らかな春の伊吹は柔らかくかき消していくようだった。素直に目を細め風を受けていれば、静かな教室にドアが開く音が響く。
音のした方を振り向けば、知らない___私と同じ学年の男が立っていた。しかし、その顔にはどこか見覚えがある。はて、私はどこで彼を見たのだろうか…
「……ええ、と」
「…《《初めまして》》クリス・ウィルダートだ。名前を聞いても?」
「《《オルカ・オルクス》》だ。…その、初めまして」
「オルカか。よろしく」
不思議な、それでいて良い響きの名前を呼べば、なんとなく口に馴染む。珍しい名前なのにこれなのは、きっと本当に名前の響きが良いからだろう。
当のオルカは、ほんの少し驚いたような顔になりつつもしかとこちらを見据えていた。夕日で照らされた彼の耳は尖っていて、それが何となくしっくりくる。良く見れば、先の方が少し赤いような気がしないでもないが…
「ヨロシク。…ええと、君もこの学校の生徒なのかい?」
「…そりゃあ、ここにいるのだからそうに決まっていると思うが」
「ああいや。その、随分幼く見えたもので」
「まぁ、14歳だしな」
そこはかとなく失礼さの漂う、慣れた評価を受け取りつつ横目で夕日を見る。黄色く地へと堕ちてゆく丸は、ともすれば月と見違えてしまいそうだ。鳥が夕日の前を飛んでいき、その影が満ちた日に穴を空けていく。
「二個下か…ということは、君が噂の特待生なのかい?」
「そうだが…噂になっているのは知らなかったな。別にどうだって良いのだが」
「へぇ…」
絶妙につまらない会話が続き、思わず欠伸が出てしまう。この間延びするような、なんだ?何が足りない。ここまでつまらない会話を、己がしていることがとかくに気に入らなかった。
オルカの方を向けば、ちょうど視線が交わる。この男、私のほうを見すぎじゃないか?別に嫌というわけではないのだが、なんとなく落ち着かない気持ちになった。
と、空き教室に17時を知らせる鐘の音が響く。特に何かの予定があるわけでもなかったが、会話を切り上げる理由としては最適なタイミングだ。
そんなわけで、17時の鐘を理由にオルカとの会話を切り上げ、空き教室を出る。春の空気で満ちた廊下に敢えて足音を響かせながら、私は自室へと歩みを進めた。
---
「そういえば君、なんでこの学校に入ろうと思ったんだ?」
その一言に、課題から目を離してオルカを見上げる。彼はまだ課題から目を離してはおらず、恐らく課題の合間に何か暇潰しでもしようという器用な企みがあることは容易に想像できた。
目が合わないのなら、私もオルカを見る必要はない。そう判断し、私も目線を課題へと戻す。
一年前、空き教室で出会ったオルカ・オルクスとは案外打ち解けた。正直私は彼の綺麗言や傲慢さが好きではなかったが、それでも聡明ではあるため他よりマシと考えている。
改めて彼の方を見上げれば、端正な顔立ちと不思議な色合いの髪が目についた。
前髪のみが白く、他は黒いという色合いは他でも見ない珍しいものだが、本人は大層気に入っているらしい。私としては、前髪を上げたほうが良いだろうと思っているのだが……伝えるタイミングを見失っていた。
「私の祖国を根幹から変えるためだ」
「根幹から?そこまでの世直しを望むとは」
「言っていなかったが、私の祖国は混乱的城市だ」
「ああ……」
一瞬でオルカは納得したような顔になり、私自身も己の祖国の悪印象に苦笑いを浮かべてしまう。
我が祖国、|混乱的城市《フィンランデ・チャンシィ》は自他ともに認める治安の悪さで有名という___随分と不名誉な知名度を誇っていた。そしてそれは、法が緩すぎるだとか、軍上層部の面子が揃いも揃って無能であるだとか、そもお国柄であるだとか、挙げていけばキリがないほどの原因を抱えている。
祖国愛や誰かのために、という精神を持ち合わせているわけじゃない。私はそういう柄ではなく、どこまで行っても己が一番ではあるから。
ただ必要性のないルールがのさばり、必要な設備や制度が普及されていないことが我慢ならないのだ。それは恐らく完璧主義であるだとか、そういった類いのもので。それもまた己のためになっている。
「そういうお前はどうなんだ」そんな言葉が喉元まで出かかり、すぐに引っ込む。特にそれを聞いたところで大した反応ができるわけでもあるまいし、興味もなかったからだ。
オルカはそれだけ聞いて満足したのか、また課題に視線を戻す。また妙な間が流れた時、ふと手がオルカの前髪をかき上げた。
「っっっっっ?!っなな、ン!?」
「やはり、前髪は上げたほうが良かろう」
「ひょあ」
「眼鏡は外すと良い。顔の幼さを気にしてのことなら尚更だ。目を細め余裕を見せるだけでも…………熱いな」
「そっ、それは君が、急に…!!!」
がた、と音を立てオルカが椅子から立つ。オルカは触ったところを手で押さえながら____私が触ったのは額のため、額を押さえるという微妙に情けない格好になっており、こちらをき、と睨んでいた。
そんなに前髪を触られるのが嫌だったのか、と聞けばそうじゃないが、とやけに歯切れの悪い返事が返ってくる。
オルカは時折、こうして話が通じなくなる時があった。ある時は勉強中、またある時は談笑中、赤くなって固まるのだ。そんなに怒るようなことも、恥じらうことも無いのに、全く奇妙な男だと内心ため息を吐く。
「とにかく、ナメられたくないなら前髪を上げてみるところから始めたらどうだ?そちらの方が似合うと思うぞ」
「……そうか?」
「ああ。私が保証しよう」
「…そうか」
額を押さえたままではあるが、オルカが倒れた椅子を元に戻しそこに座った。うっすらと気まずい空気が流れながらも、また私達は課題へと目線を戻す。
少し問題文を読めば意識はそちらへと沈んでいき、気まずい空気ごときに気を取られることはなくなった。
オルカの方をもう一度だけちらと見上げる。彼は彼でちゃんと集中しているようで、伏し目がちになった瞳に睫が長い影を作っていた。その光景に、どことなく不思議な気持ちになる。心臓が少し縮むような、不思議な感覚だ。
「…"海"が見たいな」
そう口から飛び出たのは、意図的ではなかった。ただ、窓から流れてくる潮風とこの男の出身地がこのメーラサルペであることを繋げ、"海"とやらを見てみたくなっただけであって。
私がそう言えば、オルカは少し怪訝そうにこちらを見上げる。その目線から「何故今?」「何故海?」という疑問が容易に読み取れて、思わず吹き出してしまった。
「んふ……何でもない。ただ、私は海とやらを見たことがないものでな」
「…そ、そうか。混乱的城市だものな」
「ああ。……また赤くなっているぞ」
「ゆっ、夕日のせいだ!!」
そう否定するも、どう見たって己の頬が赤らんでいることくらい分かるだろうに、躍起になって違うの主張するのが面白くてまたくすりと笑う。下らない、中身のない笑いだ。
何の変哲もないけれど、確実に掛け替えのない瞬間であって、そしてこんな瞬間が、私はどうしても……
(…愛おしい、と。思う日が来るとはな)
もう一度、今度は止まらなくなりそうな回顧を区切るように小さく笑い、また課題に視線を戻す。
そのまま私達は、夕日が教室に長い影を落うとし、17時を告げる鐘が鳴るまで勉強を続けた。
---
どんなに下らないことで笑いあえる仲とはいえ、まだ幼稚な私達は口論をすることもしばしばある。それは今もそうで、原因はオルカの難癖からだった。
「だから、何故君はそう無神経な物言いをするんだ。もっと相手への遠慮というものをだな……」
「遠慮の末、意志疎通が滞るようでは話にならないな。そもそも君は相手の顔色を見すぎなんじゃないのか?もっと言いたいことを言えば良いだろう」
今までこうして全力で言い合える相手というのはいなかったからか、この口論の時間でさえとてつもない不快さばかりではない。
こうしてオルカは私の気に入らない発言に対し、重箱の隅をつっつくように、ねちっこく噛みついてくるのだ。別に食らいついてくるのは成績だけで十分なのだが、それでも己の発言に対し同等かそれ以上の熱量が返ってくるのは気持ちがよかった。
「ああそうかい。それなら言わせて貰うが、君は見目が愛らしいのだからもっとそれを活かすように立ち回るなり何なりすればどうなんだ?」
「っ、」
「どんなに魔法の才が優れていたとて、力で言えば私にはゆうに叶わないのだろう。なのに何故そう上から目線なんだ。今、ここで、私に襲われても君は抵抗なんてできやしないクセに!!!」
気持ちが良い、と言ったが。それはあくまで論理的な口論ができている時だけだ。襲うであったり、愛らしいであったり、そう言った低俗で下らない話をされるのは不快だった。
「へぇ…やはりお前も言いたいことを隠して溜め込んでいたんじゃないか。ほら、言いたいことを存分に言えるのは気持ちが良いだろう?」
「っ…!!君という奴は…!!!」
「ハハ、そう怒るなよ。`偽善者サマ`」
き、と睨む姿に図星だったのか、と内心驚く。そういえば、ここまでオルカを怒らせたのは初めてだったか。良く見れば瞳孔は開ききり、いつもよりかは迫力も増していた。だからと言ってどうと言うこともないが。
次のレスポンスを待っていたとき、不意にオルカの手がするりと肩に伸びてきた。まさか先ほど言っていたことを現実にするわけではあるまいな、と警戒をし、私は後ろへと少し体を傾ける。
と、想定よりも強い衝撃が体を襲った。足が空を切り、重心が移り変わるのがやけに遅く感じる。ちらと見えた窓の外には、やけに青く広い空が広がっていた。
声を出すことも、表情を変える暇すらなく、私は壁へと頭を打ち付
ぱしゃん
『`…クリス・ウィルダートの溺死を確認しました。肉体消滅プログラムを起動します`』
--- 【`error`】 ---
『`…肉体消滅プログラムの起動に失敗。精神交換プログラムを開始します`』
『`クリス・ウィルダートの体内に"bug"が入り込むまで、あと残り 3 2 1 `』
『`0`』
---
水の中から起き上がれば、やけに頭部が重く感じる。どうやら、髪が濡れて水分を含んでいるようだった。物は、水分を含むと重くなるのか。
この場からも起き上がり、辺りを見回す。辺りには一面水と砂しか無く、先ほどまで見ていた景色とは一変して何もない場所だった。確かここは___海、だったか。
「Ah,アー、あー…あぁ、あ、ン…」
声を出してみれば、前に"寄生"していた女よりも随分と高い声だった。これは、この体が少女であることが要因なのだろう。
思い出すように、これまでの記憶をゆっくり振り返っていく。私の名は「クリス・ウィルダート」女、15歳、士官学校の特待生。
そうだ、士官学校。生徒が居なくなったと知れれば騒ぎになるだろうかと思い、戻ろうと思う。が、結局私はそこへ行くのを断念した。他の名も知らない者だらけであったとしても、この体を殺した「オルカ・オルクス」とやらに騒がれては面倒だ。
水を吸った制服は重みよりも不快さが目立つ。それであっても服を着なければならないのだから、人間と言うのはつくづく不便なものだ。水に足を取られながら、なんとか進んでいく。
この少女___否、私の頭はよく回り、さらに知識量も申し分ない。彼女の行動原理を頭にインプットしながら、私は向かいに見え始めた木々へと足を進めた。
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『人の欲を食べる生き物がいる。それは人の体の内から成り代わり、あたかも寄生主であるかのように振る舞う』
『仲間はいない。繁殖も行えない。《《生物のバグ》》のような、失敗作の個体だった』
『世界のどこかで勝手に生まれ、勝手に消えていく。そんな、取るに足らない存在だ』
『取るに足らない存在の、はずだった』
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夏の暑さが未練がましく残る、秋の始め。柔らかく微かに潮の香りがする風に吹かれながら、私は廊下の窓にて外を眺めていた。外では太陽光が海の光によって乱反射しており、それが時折私の目を刺していく。
生憎と窓の外を見て感傷に浸れるような感性は持ち合わせていなかったが、波が瞬く間に姿を変えて移ろい変わる様子はある程度なら暇潰しにはなる。とは言え、その景色を見る行為に価値は感じなかったが。
場所が場所なためか、この長い廊下のどこにも足音は響いていない。少しなら罵声や説教の音くらい聞こえてきても良さそうだが、それすら聞こえないのだからこの国はつまらないのだろう。
雑音を聞き流しながら、ふと物思いに耽ってみる。確かこういうとき「ここまで来るのに長かったなぁ」などと言うのだったか。
「長かった、か」
自分で言っておきながら、その他人行儀さに笑いが込み上げてくる。実際には長くもなんともなく____3年ほどだったか。その程度の時間で、私はただの無力な少女から一国の総統にまで成り上がることとなった。
無論、あの時から正攻法で成り上がることはとっくのとうに諦めていた。そう、いくら私に魔法の才があるとは言え力は並の小娘より幾分かマシな程度。
ならばどうするか。導き出した答えは至って単純で「言葉で群衆を操る」ということ。この体の頭脳を用いれば、誰がどんな言葉で懐柔されるのかなんていとも容易く把握できた。欲しがっている物を、一番良いタイミングで渡すだけ。金も時間もかからない、単純かつ原始的な懐柔方法だ。
簡単に言ってしまえば、私は混乱的城市で革命を起こした。無論、革命というからには血も流れたし、同胞と呼ばれた者達も失ってはいる。その分私はこうして彼らの理想を実現しているのだから、彼らとて本望だろう。
革命家としての役割を終え、総統に成った後も____むしろ、革命家の時よりも私は理想を追い求め続けた。だって、そうでなければいつ足元を掬われるか分からないのだから。
そも、変化を恐れる無能を蹴り落とし、席に座った途端己が臆病な無能になるなどとんだ笑い者だ。革命を起こして終わり、などと言っているようではお話にもならない。
実際、改革の手応えは感じている。法をある程度厳しくし、治安改善に努め、軍の腑抜けた上層部も全て汚点を洗いざらい裁いた。時間こそかかるものの、その分全てが終われば達成感もひとしおだ。
市民達からの声も随分と良い反応が多く、また学びを得られるものも多かった。完璧かつ順調で、思い出すだけでも笑みが溢れてきそうだ。
そうして過去を回想しながら外をなんとなしに眺めていれば、静かな廊下に足音が響き始める。上等な靴を履いた成人男性のそれに、自然と口角が上がった。
今日は物思いに耽りにここ____メーラサルペ国の軍基地へと来たわけではない。新総統になってからの初外交と言えば聞こえは良いが、要は御披露目式兼牽制の場ということで。格式ばったことは好かないが、今回は別だ。何せ、《《面白いものが見れそうだから》》な。
と、前の方からメーラサルペ国の総統が出てくる。私には気がついていないようで、このまま声をかけなければ歩き続けるだろうと思うと非常に滑稽に見えた。
面白いもの、というのはこの総統のことで。この体にとっては因縁のある_____そして、私自身は恩があると言っても過言ではない人物だ。
嗚呼、もし私が名前を呼んだらどんな反応をするのだろう。忘れているか、若しくはひどく驚くか。錯乱でもして窓から身を投げれば笑い草になるか、そんな想像をしながらも口を開く。
「《《オルカ》》」
勢いよく振り返ったその男の、まるで幽霊でも見たような顔に失笑してしまいそうだ。懐古、困惑、驚愕、恐怖、そしてほんの少しだけ混じる喜び。色んな感情がない交ぜになった瞳は、|私《クリス》の記憶よりもずっとどす黒い赤色になっていた。嗚呼、これは期待以上の傑作だ。
上げられた白い前髪も、よく似合っているサングラスも、何もかもが学生時代と変わっていて、何も変わっちゃいない。そのなんと可笑しく、滑稽なことか!!!
「随分と幽霊を見たような顔をするじゃないか。そんなに友との再開は衝撃的か?」
かの日のクリス・ウィルダートのように振る舞えば、彼の冷や汗がたらと流れた。酷く困惑しているのに、彼の視線は私から離れない。
今すぐにでも感謝を伝えたい気分だ。お前のお陰で、私はここでこうして生き、悦を感じている。お前があの日、勘違いでこの体を、クリス・ウィルダートを殺してくれたお陰で!
無論、奴とて気がついているのだろう。もしも生き返ったのだ、などと抜かすようなら今ここで私と対面できてはいない。聡明で、それでいて平和主義を宣う愚かな男。そんな彼に、沢山の|感謝《呪い》を込めてこう囁いた。
--- 「久しぶりだな?オルカ」 ---
初めまして、オルカ・オルクス。せいぜい愚かに、滑稽に踊ってくれたまえ。
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静かな海沿いを歩けば、波がこちらへと押し寄せて、足に付く前に引いていく。そのギリギリを楽しみながら、私はさざ波に耳を澄ませた。
久しぶりの休暇に、私は敢えて海に来ている。勿論メーラサルペのリブス洋だ。別に桜街のシダ洋が嫌いなわけではないが、ここには特に思い入れがある故、時折訪れていた。
水面を見つめれば、不意に私の顔が映る。もう何年もこの顔で振る舞ってきているからか、段々と違和感がなくなってきた。
死人に寄生するという性質上、私の顔はよく変わる。この体になる前には、彼女の侍女である女に成り代わったのだったか。
夜道を不用心にも一人で歩いていたものだから殺した女。聡明ではあったがこの体程ではなく、結局つまらない人間だったと落胆したのを覚えている。まぁ、そのお陰でこの体に出会えたのだから十分だ。
きっとこれからも、この体が死ぬか飽きるかすれば他の体へと移るだろう。それは私が長く生きるために必要な行為であり、限界まで己の人生を楽しむ術だった。
ふと思い立ち、しゃがみこむ。スカートが濡れるのも気にしないで膝をつき、水面へと手を伸ばして顔の映った部分をぱしゃりと撫でた。
「お前には感謝しているんだよ。クリス・ウィルダート」
ぱしゃぱしゃと顔を撫で、美しく整った顔をぐちゃぐちゃに崩していく。
「本当に、お前に出会えて良かった」
くしゃ、と手を握って彼女の顔ごと握りつぶすようにした。手を開いて上に上げれば、砂が溢れ落ちるように水が下へと流れる。
恐怖も、罪悪感も、微塵もなかった。あるのは悦楽を求める単純な欲求のみ。そのためだけに、ここまで走り続けて来たのだ。
私のためではない|行進曲《マーチ》は、本来の目的である彼女が死んでも潰えず、今も私の背を押している。本当に勇気づけたかった彼女は、とうに死んでいるのに!
滑稽な人間の、滑稽な様子に愛おしさを感じる。下らない笑い話にも、掛け替えのない時間とやらにも興味はない。ただ人間の愚かさのみが私の生きる糧となっていく。
「私が飽くまで、付き合って貰うぞ」
そう微笑んだ私の顔は、あの日水底へ沈んだ少女のものとは似ても似つかなかった。
◇Thanks for reading!
--- 『`重大なエラーが 発生しています`』 ---