最弱職業「村人」の僕が最強の「勇者」を倒すまで【学園編】
編集者:kisuke
メアと共に王立学園を受験する僕。
見事試験を突破し、入学する。
新しい仲間との出会い、新たな魔術、新しい力。
僕たちは新たな仲間と共に、学園の地下ダンジョンに挑む。
【冒険者編】を読むとさらに楽しめます。
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目次
3章 1話 試験を控えて
ようやくテストも終わり、3章の更新準備も出来ましたので、今週から更新します。
前回「2章幕間」
https://tanpen.net/novel/c0659873-29f2-497b-b0f0-41e68bbf8c5d/
ここから試験会場である王立学園までは、どんなに急いでも三日はかかる。
明日の朝|出立《しゅったつ》し、余裕を持って三日と半日かけて王都まで行く。その後、王都にあるルディ家の別邸まで行き、そこに一晩泊まる予定だ。
「過去問題集とノートと歴史の年表……うん、これで良いかな」
今は荷造りをしている。
着替えの服や食器、その他の生活用品は既にルディ家の方で手配してもらった。
だから、王都に着くまでに馬車の中で使う勉強道具の準備をしている。
王立学園の過去問題集でよく引っかかった問題の復習と、苦手な歴史の年表。
今更、歴史の細かい所を勉強しだしても、それでは過去問の復習に使える時間が短くなってしまう。歴史の点数は上がったとしても、全体の点数は落ちるだろう。
だから、試験内容全体の見直しと、苦手な所の見直し。この二点に絞る事にした。
まとめた荷物を持って、屋敷の前へ行く。
そこには、馬車が停めてあった。
「トーマ、貴方も準備が終わったのね」
ちょうどメアも準備が終わった様で、馬車に荷物を積み込みながら僕に話し掛けた。
「うん」
気の利いた返事が出来ない。
元々、人とのコミュニケーションがそこまで得意というわけではなかったが、試験を間近に控えた緊張感がそれに拍車をかけていた。
「もう私達が乗るところの準備は整っているそうだから、先に乗っておきましょう」
メアが気を遣ってくれた様で、何だか申し訳無い。
だが、せっかくの気遣いを無下にするのは忍びなく、またこのままだと話題が無く互いに気まずい思いをしかねないので、ありがたく馬車に乗らせてもらおう。
馬車に向かって足を一歩踏み出した――ところで、僕は足を止めた。
ここでよく考えてみよう。
年頃の男女、加えてメアは伯爵家の令嬢である。
そんな二人が、同じ馬車の中で誰にも邪魔されず二人きり……
当然、密会を疑われる。
この話、完全にアウトだ。
だが、どうする……?
この(僕だけが感じているかもしれない)気まずい空気の中、メアの気遣いを断ることは出来ない。
戻ることも出来ず、かといって進むことが出来ないまま、僕の足は空中に静止している。
「支度は出来た様ですね」
そこに現れたアーシャさん。
「お乗り下さい」
アーシャさんは、馬車の扉を開き、僕達を馬車の中へ案内する。
アーシャさんは御者台へ。
ピシッと馬の手綱を握る。
僕達は、馬車の中の椅子に座った。
馬車がゆっくりと進み出した。
さすが伯爵家というべきか、馬車はほとんど揺れず、道中の旅は快適なものだった。
馬車の中にいることも忘れ、勉強に没頭する。
分からない所があればメアに聞くし、メアでも分からなければ、馬を休ませている間にアーシャさんに聞きに行く。
――三日後。
時間はあっという間に過ぎ去り、馬車は王都の近くへ。
ふと外を見ると、石畳で舗装された美しい道、そこを行き交うたくさんの人、そして見上げても上が見えない程の石塔が見えた。
なにもかものスケールが今まで訪れた町とは比べ物にならない程大きい。
「……すごい」
思わずそう発してしまう程、僕は感動していた。
この世界に転生して以来初めて見た大きな、大きな都市。
今まで見てきた都市は、現代日本に例えるなら、大都市でも都市でも街でもなく……町。
人間が集まって出来た『村』に多少毛が生えた程度。
辛うじてルディは街と呼べたかもしれないが……
とまあ、僕の感想はどうでも良いのだ。
見てきた例は少ないし、どこかに地球上のどの都市とも比べ物にならない程の大都市があるかもしれないのだから。
いつか、この世界のそんな都市に行ってみたい。
「でしょう? 私も初めて王都に来た時はそんな風に圧倒されたわ」
メアの言葉に、僕の思考は現実へ引き戻される。
それと同時に、今の自分の行動を振り返ると、かあっと顔が赤くなった。
……はしゃぎすぎた。
誰かに見られていないかと自然な仕草で辺りを見回す。
幸い、メア以外の誰にも見られていなかった様で、ほっと安堵する。
さあ、王都まであと少しだ。
これからしばらくはこの馬車に乗る事は無いと思うと、少し寂しいけれど……
今は、王都に着いた事を喜び、試験に集中しよう。
僕は、そう思いながら、快適な馬車の旅をあと少しだけ楽しんだ。
3章 2話 試験へ
ルディ家の別邸に一泊した後、受験票を持って試験会場の王立学園へ。
今更ながら緊張してきた。
頬を叩き、気持ちを切り替える。
「よし、行こう」
王立学園の中は人で溢れていた。
受験生らしき貴族の子女に、ここまで彼ら彼女らを送り届けてきたのであろう従者。
ここからではさすがに全体を見渡す事は出来ないが、貴族の従者として受験する人は全体の七割位だろうか。
一人の貴族が連れて行ける従者の数には制限がある。原則一人だ。
だから、会場内の貴族の人数と従者の人数は同じ位になっていないとおかしい。
「ふふふ……」
ふと横のメアを見ると、彼女は今にも鼻歌を歌い出しそうな程上機嫌だった。
メアが僕にこっそり耳打ちする。
「公爵家や侯爵家、それと伯爵家の三割程は確実に王立学園に合格する人材を確保出来るけど、それ以外では今みたいに合格出来るかどうかの人間を何人も従者候補として送り出すの。だから、場合によっては自分が最も信頼する従者が王立学園での従者にならない事もあるのよ」
成程、だから従者として受験する人がやたらと多いのか。
「勿論、トーマはほぼ確実に合格するわ」
メアにそう言って貰えるとは、一年で僕の学力やその他諸々も随分と成長した様だ。
自然と頬が緩む。
が、すぐに引き締めた。
僕達が今から臨むのは、受験という名の戦争。
ちょっとした油断が、隙が、一点を分け、合否を分ける。
気を引き締めていかなければならない。
「それじゃあ、私はこっちだから」
メアが向かった先には受付が。
そちらを見ると、貴族だけが集まっていた。
また別の場所を見ると、従者らしき人達が集まっていた。
貴族は貴族、従者は従者ごとに固まって試験を受けるらしい。
僕も従者枠の受付へ。
無事に受付を終える事が出来た。
「それでは、第一次試験について説明させて頂きます」
『入学試験受付』と書かれた腕章を腕に巻いた女性が前に出て説明を始めた。
「受付」と書いてあるが、試験についての説明も兼ねているのだろう。
「第一次試験では、一般教養、魔術知識の筆記試験、魔術実技を行います」
例年通りだ。
「まず、一般教養の筆記試験から行いますので、今からする指示に従って教室に向かって下さい」
指示に従い、教室を移動する。
目の前には、筆記用具と裏向きのテスト用紙が。
今まで勉強してきた事を頭の中でゆっくりと思い出す。
「すぅ……」
息を深く吸って、
「はぁ……」
ゆっくり吐き出す。
そうして心を落ち着かせていると、
「始め!」
試験官の合図と同時に、一斉に紙をめくる音が響く。
紙にペンを走らせる音が絶えず響き渡る中、僕も自分のペースで問題を解いていた。
---
「終了です」
試験官の言葉と共に、一斉にペンを置く。
答案用紙が回収された後、ほっと息をつく。
同じ様な調子で魔術理論の試験も行われた。
3章 3話 実技試験
筆記試験が終わり、実技試験へ。
指示に従ってこの学園の演習場へ移動する。
「それでは、実技試験の説明を行う」
試験官の一人なのだろう、騎士団にでも所属していそうな動きがピシッとした渋い声の人が説明を始めた。
「あそこに的が並んでいるのが見えるか。諸君らには、三つの的に魔術で攻撃してもらう。三つの的を攻撃するのに掛かった時間、的の中心またはそれに近い場所に魔術を当てられているかの正確性、そして十分な威力か。この三つの観点で採点する」
成程、つまり早く、正確に、的を壊すつもりでやれば良いのか。
……壊した後が怖いから、壊しはしない様にするけど。
「的に攻撃する前に受験番号を言ってくれ」
僕の受験番号は……
1219番か。
「質問はないか?」
その声に、一人の手がスッと挙がる。
「ふむ、そこの赤髪」
指名され、口を開いたのは、艶のある赤い髪を風に靡かせた少女だった。
「もし的を壊してしまった場合、どうすれば良いのでしょうか」
僕が知りたかった事をズバッと聞いてくれた。
「この的は特別製だ、そう簡単には壊れない様に出来ている。それに予備もたくさんある。心配せず全力で魔術を撃ち込むと良いだろう」
「分かりました、ありがとうございます」
壊した後の心配はしなくて良い、か。
「では、三列に並べ」
言われた通り列になった。
試験官は一列にちょうど一人ずついる。
いよいよか……と頬を叩き、緊張しつつも気合を入れていると、僕の前方に赤い髪が見えた。
先程の少女だ。
魔術に自信がある様だったので、あの少女の魔術の威力と周囲の反応を見て、どれ位の威力の魔術にするか決める。
最善は、あの少女に少し見劣りするが、明らかに強いと思わせられる程度かな。
あまり派手にやり過ぎて悪目立ちするのも嫌だ。
面倒事が転がり込んでくるかもしれない。
「全員並んだな? では、試験開始だ」
最初の受験者三人が前に出た。
「じゅ、受験番号1153番です」
緊張しているのか、声が震えていた。
「か、風よ、刃となりて――『|風刃《ウインドエッジ》』!」
的に至るまでは二、三秒程。
的の上部に命中し、表面に浅く傷を付ける。
その後も同じ魔術を発動し、その人の実技試験は終了した。
今は、何人目だろう……多分、三百を少し超えた辺りかな。
受験者の大体のレベルは見えて来た。
直径四十センチメートルくらいの大きさの的に辛うじて命中する程度の操作技術。
その中でも、およそ半分くらいの人が的に浅い傷を付けた。
的に到達するまでの時間は平均して十秒程、発生の早い風魔術は三秒程だった。最長でも二十五秒以内。
的の前で特徴的な赤い髪が揺れる。
そう、次の受験者は先程の少女だった。
3章 4話 圧縮――解放
「受験番号116番です」
そう言うと、彼女は的の方に体を向けた。
「『|火球《ファイアボール》』」
『|火球《ファイアボール》』?
今更、そんな初級魔術で何を――
そんな僕の疑問は、彼女の続く言葉によって掻き消された。
「『|火球《ファイアボール》』、『|火球《ファイアボール》』、『|火球《ファイアボール》』、『|火球《ファイアボール》』、『|火球《ファイアボール》』、『|火球《ファイアボール》』、『|火球《ファイアボール》』、『|火球《ファイアボール》』、『|火球《ファイアボール》』」
現れたのは、十個の『|火球《ファイアボール》』。
けれど、そんなに発動させて一体何を行おうというのか。
どれだけの数の魔術を発動させても、的は三つ。
それ以上発動させる意味はないはずだが――?
「『|圧縮《コンプレイシオ》』」
彼女の言葉で、十個の『|火球《ファイアボール》』が圧縮されていく。
大人の胴体と同じくらいの大きさになっても、
顔と同じくらいの大きさになっても、
一つの『|火球《ファイアボール》』と同じ大きさになっても、
まだ。
まだ圧縮されていく。
ついには、幼子の手でも握り込めてしまいそうな程小さな『|火球《ファイアボール》』になった。
小さいからといって侮るなかれ。
極小の『|火球《ファイアボール》』は、青白く輝き、時折その輝きと同じ色の光を空間へ走らせている。
「『|解放《リソーボ》』」
圧縮されていた力が、解放へと転じる。
極小の『|火球《ファイアボール》』の崩壊と共に放出されるエネルギーに指向性を与え、三つの的の中心を撃ち抜いた。
この間、僅か八秒。
夢中になっていた僕は、そんなに短かったのかと少し驚く。
体感では、五分くらいは経っていたと思ったのだが。
「……すげぇ」
「これが、コクチニアの力……」
「やはり、従者枠の首席はコクチニアか」
受験者の間に広がる動揺。あるいは感嘆。
水の刃で的を斬った少女。
雷で的を焼いた少年。
土の弾を飛ばした少女。
僕を含めたみんなが、その後の受験者のどんな魔術を見ても味気なさしか感じられなくなった時、僕の番が訪れた。
「受験番号1219番です」
三つ同時ではなく、三つ連続で。
速さを重視して。
詠唱は短く。
「『風よ』」
鋭く、疾い風を。
風が、三つの的の中心を撫でる。
的には、中心のみに決して浅いとはいえない傷が付いていた。
三秒。
僕がこの試験を終えるのに掛かった時間である。
一瞬の静寂。
その後に広がるどよめき。
「凄い……!」
「黒髪に白髪のメッシュ……見覚えのない顔だな」
「次席は彼か」
純粋な称賛が多かったが、これまで王都まで届く様な活躍をしてこなかったせいか、僕の正体を探る様な言葉も聞こえて来た。
「これにて、実技試験は終了だ」
試験官のその言葉により、実技試験は終わりを迎える。
雷そのものを固めて飛ばす魔術。
簡単な魔術を圧縮し、その力を解放して攻撃する方法。
他にもユニークな魔術があった。
魔術はもっと自由で良いのだと、そう認識させられた。
「三日後、第一次試験の合格発表を行う。詳しい話はそちらで聞いてくれ。それまでは体を休めること」
三日か……
第二次試験の試験内容は、例年通り受験者の間での三試合の模擬戦だろう。
試験に影響が出ない程度に、軽く訓練しておくか。
「以上だ。解散」
途端に学園から外に出ようとし始めた受験者の流れに乗り、学園の外の大通りまで出る。
そこから、ルディ家の別邸を目指して歩いた。
3章 5話 合格発表、そして意外な人物
――時は少しだけ進んで、第一次試験の合格発表の日へ。
その日、僕は朝からそわそわしていた。
何を隠そう、今日が合格発表の日だからである。
何をしても落ち着かない。
起きてすぐも、ご飯を食べている間も、王立学園へ移動する間も、ずっとそわそわしていた。
時刻は、朝の九時。
ちょうど第一次試験の合格者一覧が貼り出されている所だ。
えっと、1219番、1219番……。
あった。
メアはどうかな。
合格しているだろうか。
まあ、メアの事だから、余裕で合格しているだろう。
僕より頭も良いし、精密射撃も得意だし。
と、第一次試験の結果を確認していると。
唐突に放送がかかった。
『第一次試験合格者の皆様方にお伝えします。九時三十分より第二次試験の説明を致しますので、演習場へとお集まり下さい。繰り返します……』
演習場か。
実技試験をした所だ。
「確か……」
あっち。
記憶を頼りに演習場へ向かう。
さて、余談だが、王立学園の定員について話そうと思う。
定員は二百名。
まず、侯爵位以上からの推薦枠の合格者を決定する。国に数える程しかいない高位の貴族家、その名前を以て推薦し、なおかつ己の家に縛らないという事は、被推薦者にそれだけの事をする価値があるという事。故に、不合格になる事は、ほぼ無い。
その後、余った枠を二で割り、貴族枠と従者枠の合格者を決定する。小数点以下は切り捨てだ。
第一次試験では特定の合格ラインを越えると合格。人数は関係ない。
第二次試験では、定員や受験枠との兼ね合いもあるが、第一次試験の合格者のうち三名と模擬戦を行い、その成績上位二百名が合格となる。
第二次試験では、受験枠に関係なく近い実力の者同士で模擬戦を行う。実力の判定は実技試験の結果により行われる為、魔術の腕は良くても戦闘の方はからっきしという事があれば、負ける事もあるらしい。
それは置いておいて、第二次試験では第一次試験で見られなかった相手との模擬戦が出来るかもしれないとなると、やはり気になるのは、推薦枠での受験者の実力だろうか。
どれだけ強いのか、どんな魔術を使うのか。
色々な人の戦いを見て、僕には無い良い所を吸収したい。
「規定の時間になりました。これより、第二次試験の説明を始めます」
いつの間にか三十分経っていたらしい。
アーシャさんに似た茶髪の女性が説明をする様。
それにしてもアーシャさんにそっくりだ。
女性にしては少し低めで落ち着いた声、厳しい目線に混ざる優しげな眼差し。
アーシャさんの姉妹かと思ったが、それにしては本人に似過ぎている。
見れば見る程アーシャさん以外の何者にも見えなくなって来る。
一度演習場内をぐるりと見渡した時、僕と目が合い、少しだけ笑みを浮かべたのは見間違いではなかったと思う。
やっぱりアーシャさんでは?
3章 6話 第二次試験について
まあ、今は落ち着いて話を聞こう。
この人がアーシャさんかどうかは、今は関係ない。
「二日後の第二次試験では、三人の受験者と模擬戦を行って頂きます。なお、受験者の実力を十分に見るため、ある程度実力の近い者と当たるよう調整させて頂いています。ご了承下さい」
例年通りで、特におかしな所も無い。
「それでは、模擬戦のルールを説明します。当日の試験を円滑に進めるため、質問はこの時間にお願いします」
ルール説明、個人的には一番聞いておくべき所だと思っている。
魔術の使用の可否、限度、武器の種類、勝利条件の設定。
ルールによって戦闘の展開、有利不利、戦略の立て方など勝利への道のりが大きく変わるからだ。
「魔術の使用は可、武器の使用はあらゆる種類のものが可です。先に対戦相手を降参させる、または戦闘不能にした方の勝利です。ただし、事故であったとしても対戦相手が死に至る攻撃をした場合、その者の第一次試験合格を取り消し、この学園の受験資格を剥奪します」
推定アーシャさんの言葉に、会場の受験者達がざわつく。
当然か、模擬戦で死のリスクを目の前にちらつかされたのだから。
「対戦相手が死に至ると推定できる攻撃を確認した場合、その場にいる私が止めますのでご安心下さい」
――受験生レベルなら問題なく鎮圧できます。
彼女のその言葉に嘘は無い。
結局、アーシャさんには模擬戦で一度も勝てなかった。
その事実が何よりの根拠になる。
受験生のざわめきが一応は収まったのを確認し、推定アーシャさんが再び口を開く。
「質問はありますか?」
手を挙げる者も、声を上げる者も無かった。
「これにて、第二次試験の説明を終わります。それではまた、二日後に」
話が終わると、受験者はぞろぞろと演習場を後にする。
僕はその流れに逆らってアーシャさんの所へ行った。
ふわりと風に揺れる銀の髪。
「メア」
予想通り、第一次試験に合格していたみたいだ。
「トーマも?」
「うん」
メアもあの人がアーシャさんだと思い、確認に来たらしい。
茶髪が風に舞う。
「申し訳ありませんが、もう少し秘密にして頂けますか?」
「誰に」とか「なぜ」とかは言われなかったし、聞かなかった。
きっとアーシャさんはメアが心配でここに来たのだろう。
でも、受験者と試験にかかわる人間が知り合いだったと他の人に知られれば、あらぬ疑いを招く事になる。
それを避ける為にアーシャさんは僕達に口止めした。
「分かりました」
「もちろんよ」
一年間共に過ごして、つい先日別れを告げたはずの人物。
二度と会えないわけではないと思うけれど、それでも寂しかった。
これから、三年間。
もう少し、一緒に過ごせそうだ。
合格出来たらだけどね。
3章 7話 雷と風
第二次試験当日。
学園が用意した模擬戦用の刃が潰してある武器を借り、会場へ。
試験官の手により対戦相手が決まり、定められた順番で模擬戦を行っている。
ちなみにくじ引きで決まった。
僕の対戦相手は、1296番、1291番、116番だ。
僕の番が回ってきた。
対戦相手は受験番号1296番、黒に近い紫の髪、浅黒い肌、紅い瞳が目立つ大人っぽい少年だ。
僕達は互いに見つめ合い――
「始め!」
試験官の人の合図と同時に、
「『雷霆』」
「『雷纏』」
雷を纏って駆け出した。
目の間に、拳。
咄嗟に剣で弾く。
そのまますれ違い、端で止まる。
そこから、流れる様に遠距離戦へ。
「『雷よ』」
「『風よ』!」
迸る雷に、吹きすさぶ風。
どちらも相手を食い尽くさんと襲い掛かり、ギリギリの所で相手に阻まれている。
「ん」
雷に紛れて飛んできた雷を纏った刃を止める。
それじゃあこっちも……
風をより鋭く、より速く。
吹きすさぶ風そのものを凶器とする。
「中々やるな」
それは、どちらの呟きだったか。
僕達二人にとっては、戦いはまだ始まっていない。
はじめの交差は挨拶、今の軽い魔術戦は威嚇といった所だ。
僕達は再び地面を蹴り、互いにぶつかり合う。
フェイント、フェイント、本命に見せかけたフェイント、本命。
フェイントと本命を見分け、読み合い、ぶつかる。
一つ読みを間違えれば終わるこの戦いを制したのは……
僕だった。
拳と剣の読み合い、一歩間違えればどちらかが大怪我を負うこの読み合いで、相手は学生レベルの中では最上位に位置する程の戦いを魅せてくれた……負けたのは、それこそ戦う相手が悪かったというだけだ。
当然だろう、僕は『本命に見せかけたフェイントだと思わせておいて実は本命……でもフェイントでもなくただの削りの一手』の様な真意が複雑に隠された攻撃を毎回繰り出してくる相手と戦ったのだから。
決め手となったのは『相手の対応次第で本命にもフェイントにも削りの一手にもなり得る攻撃』だった。
簡単に言うと後出しジャンケン、なお格上相手にはほぼ通用しない。
相手の首筋に剣を突き付け、僕は言う。
「詰みだ」
「そうだな……降参だ」
相手の降参宣言を受け、試験官が告げる。
「試合終了」
そこは、「勝者、1219番」とか言う所じゃないのかな……
若干微妙な気持ちになりながらも、僕の初戦は終わりを告げた。
「次、3185番と453番」
たとえそこでどの様な戦いが繰り広げられようと、模擬戦は淡々と進んで行く。
没にした200文字超の『相手の対応次第で本命にもフェイントにも削りの一手にもなり得る攻撃』についての説明と本人の所感……
こちらで紹介します。
500字はあるので飛ばして頂いても構いません。
Q.『相手の対応次第で本命にもフェイントにも削りの一手にもなり得る攻撃』についてお願いします。
A.
トーマ「後出しジャンケン……我ながら良い例えをしたと思うよ。相手には三択を叩き付けておいて、相手が選択肢の内どれか一つを選択した瞬間に別の選択肢が答えになる攻撃なんて、後出しジャンケン以外の何者でもないからね。この攻撃の欠点は、格上相手にはほぼ通用しない事だ。僕がこの攻撃を編み出したのはアレンに勝つ為だから、本末転倒だ……なんで通用しないかというと、『相手が三択で悩み』、『相手の対処がどの選択肢を想定して対処したかを読み』、『状況に応じて攻撃の性質を三種類に変化させる』という三つの条件が揃っていなければ使えない戦術だからだよ。一つ目の時点でもうアウトだね、アレンは悩んでくれなかった。仮に全ての条件をクリア出来たとしても、『条件分岐』に加えて格上の攻撃を受け、出来るなら反撃しなければならないから、やっぱり使えない。百パーセントの思考を分割して五十パーセントと五十パーセント、更に分割して二十五パーセントが四つ、段々と一つの物事に対する思考のレベルが落ちてしまう。格上相手でそれは致命的だ。実際にこの戦術を使ってみた後は、さっきまで当たらなかった攻撃にも当たるようになったし、アレンの攻撃によるダメージを軽減する事も出来なくなった」
閑話 みんなの模擬戦
おかしい……もう八話目なのに。
何故まだ入試が終わっていないんだ⁉
八話(約一万字)かけてもシリーズのあらすじ二行目に到達しておりません。
展開が遅いですがご容赦下さい。
・強制終了
「次、3185番と453番」
そう言われ出て来た人影は二つ。
一人はダークグレーの髪に先が尖った耳を持つ少女、もう一人は金髪に平民のそれとは違う戦闘用にシンプルだが上質な素材を使った服を纏った少年。
少女は手にハンマーを持ち、少年は無手だ。
「始め!」
両者は試験官の合図と共に動き出す。
「やあっ!」
可愛らしい掛け声と共に、少女はハンマーを足元に振り下ろし、
「『炎よ、我が意志に従いて舞い踊らん』」
少年は魔術の詠唱を始めた。
「『土よ』」
飛び散った床の欠片を魔術で操って、
「『|炎の舞《フランマ・サルタチオ》』」
「『|土弾《ストーンバレット》』」
発動し、ぶつかり合う二つの魔術。
魔術としての格は少年の方が上で、
攻撃としての質は少女の方が上。
広く薄く舞う炎を土の弾丸は容易く突破する。
少年は、炎により視界が遮られ、飛来する土の弾丸に気が付いていない。
弾丸は生物の体を貫くくらいの速度は出ていて――
そのまま弾丸が少年の胸を貫くというのが、この場における確定した未来だったのかもしれない。
しかし、この場においてそんな未来が実現する事は、無い。
「彼女の勝ち、という事でよろしいですね?」
試験官の隣で模擬戦を見守っていたアーシャさんが、土の弾丸を握り潰していた。
「あ、ああ……」
少年の言質も取り、少女と少年の模擬戦は終わりを告げる。
・人を見た目で判断してはいけない
訓練場の中央で対峙するのは、長い銀髪の少女と黒に近い紫の髪に紅い瞳の少年。
メアと、僕がさっき戦った少年が戦うらしい。
既に試合開始の合図は出ており、両者が動かないのはお互いに隙を窺っているという事を表す。
少年が魔術を発動しようとすれば――
少女が魔力を魔術発動前の待機状態にする。
うん、僕もこれには苦しめられたなぁ。
何せ行動する前からカウンターの準備をされるのだ。
メアは目が良いから、魔力の動きがよく見える。
魔力を隠蔽しようとしても見破られた。
結局、魔力の動きを悟らせない様、より大量の魔力で塗り潰す事で対処した。
魔力の消費は増えるが、何もさせて貰えないよりはマシだ。
カウンターを無視して突っ込むのはおすすめ出来ない。
何故かというと――
と、ついに動き出したか。
少年はある程度のダメージは許容し、メアを一気に叩きのめすつもりの様だ。
雷を纏って駆け出し、メアから放たれる魔術は全て無視した。
メアが今回魔銃を使っていないのは、当たれば確実に致命傷になると分かっているからだろう。
少年はメアに真っ直ぐ突っ込み――
弾き飛ばされた。
体が宙を舞う中、その少年は「信じられない」という目でメアを見ていて。
訓練場の床に叩き付けられ、気を失った。
「試合終了」
先程の話に戻るが、メアの魔術は派手ではない。
威力も自在に調整出来る為、牽制に放ったものでは傷を負う事もあまり無い。
突破された所で痛くも痒くも無い。
近付かれたら物理で――
メアがカウンターを用意するのは、自らが楽に勝つ為であり、相手に必要以上のダメージを与えない為である。
そして、色々言いたい事はあるが、今、彼に一番贈りたい言葉はこれだ。
「人を見た目で判断してはいけない」。
たとえメアが力の無い貴族の令嬢に見えていようと、魔術師が接近された際の手立てを用意していないはずが無い。
この一年間、メアは更に強くなりたいと剣術や武術の練習も欠かさなかった。
僕とメアが二人でかかればアーシャさんともある程度戦える様になったが、それは何も自らの得意分野を伸ばしただけでは無いのだ。
得意を伸ばし、苦手を潰す。
勉強だろうが、武術だろうが、魔術だろうが、この方法が有効なのは変わらない。
特に心配はしていなかったが、僕もメアも苦戦せず第二次試験を終えられるだろう。
8話 圧倒
僕の次の相手は1291番の人だ。
訓練場の中央で相手を見据える。
相手もエメラルドの様な緑色の瞳で僕を見つめていた。
「始め!」
試験官の言葉で模擬戦が始まる。
「えっと、どんな詠唱だったっけ」
……え?
詠唱も分からない魔術を試験、しかも模擬戦で使用しようとしているのか?
困惑しつつも、
「雷霆」
武器に雷を纏わせて攻撃体勢をとる。
「まあ、いっか」
相手はそう呟き、魔力を迸らせる。
「っ……⁉」
その魔力量に圧倒こそされたが、足は止めなかった。
地面を蹴って距離を詰める。
これで終わりだ。
剣を強く握る。
これを相手の首元に突き付ければ僕の勝ちが確定する。
相手は動こうとしない。
訓練場に、剣が空を切る音が虚しく響いた。
「な……」
背後から気配。
驚いて振り向こうとしたが、目に飛び込んできたのは――
僕に突き付けられる、剣だった。
「いつの間に――」
「ふふっ、ボクは補助魔術が得意なんだ。無詠唱で自分のスピードを上げたんだよ」
それを教えても良かったのか。
無詠唱での魔術発動は大きなアドバンテージになるというのに。
それを一切躊躇なく言ってしまうのは。
……相手の力は、自分よりも遥かに大きい事を意味する。
「これで詰みだね?」
突き付けられた、『負け』。
これで負けを認めない程、僕は我儘じゃない。
というか、負けを認めなかったら多分ぼこぼこにされる。
それは流石に嫌だ。
三戦目に影響が出てしまう。
「ああ、僕の負けを認めるよ」
瞬間、消え失せる魔力の圧力と首元の剣。
「試合終了」
試験官のその言葉により、訓練場に満ちていた緊迫した空気が霧散した。
さて、僕は圧倒的な差を見せつけられて負けたわけだが。
負けたというただの事実にはそれ程価値が無い。
大切なのは、それを受けてどう行動するか、どんな努力をするか。
という事で、今、僕はさっきの少女または少年の戦いをじっと見ている。
偶然、三戦目が僕より先だったのだ。
『少女または少年』としたのは、見た目や声だけでは性別を明確に判断出来なかったからである。
それはさておき。
結論から言えば、見てもあまり意味が無かった。
使わないのだ。先程の補助魔術を。
相手を体術や剣技のみで圧倒する。
相手に合わせてある程度レベルを下げているのか、僕が見て学べる所は無かった。
3章 9話 紙一重
さあ、いよいよやって来た三戦目。
僕の前に立つのは、第一次試験の実技試験で『|火球《ファイアボール》』を使った凄い技術を見せてくれたあの少女である。
思えばここまで長かった。
彼女より下だが他の人より圧倒的に上というポジションに収まりたい。
良い感じの戦いを演出してぎりぎりの所で負ける。
これがベストな試合の運び方だろう。
「始め!」
試験官の合図と共に飛んでくる『|火球《ファイアボール》』。
それを軽く避けながら、彼女に向かって走る。
「『雷霆』」
今回の雷霆は威力抑えめバージョン。
武器を魔素で覆う事を意識し、そちらにリソースを割いた。
戦闘場所の広さは四百平方メートル位。
彼女までの距離は、後十五メートル。
「炎よ、舞え――『|炎の舞《フランマ・サルタチオ》』」
舞う炎に飛び散る火の粉。
当たれば負傷は免れない。
風魔術を使う事も出来ない。
炎の勢いを強めてしまう恐れがあるからだ。
けど、それだけだ。
僕一人が通り抜けられる位の隙間は空いている。
そこを通り抜けようと一歩踏み出し――
やられた。
「『炎よ』!」
舞う炎を起点に魔術が形成され、その全てが僕に向かう。
強く踏み込み、一歩。
炎を突き抜け、彼女に近付く。
後十メートル。
彼女の魔力が高まる。
それに気が付かないふりをして接近して。
後五メートル。
進むごとに苛烈になっていく攻撃を避け、流し、斬り払いながら接近する。
気が付かない方が難しい程高まった魔力は、既に対処のしようが無く。
そのまま、
後一メートル。
剣を突き付ける。
魔力が極限まで高まり、絶対に受けてはいけない攻撃が今から行われる事が分かる。
ここで『降参』を言わなければ。
更に魔力が高まるのを感じながら、僕は言う。
「僕の負けだ」
高まった魔力がすっと霧散し。
「試合終了」
その一言により、僕の第二次試験が終了した。
10話 入学へ
さて、時間は飛んで一週間後である。
今日は、第二次試験の合格発表の日だ。
第二次試験では一勝二敗。
負けた数の方が多い。
ふと、不安がよぎる。
合格しているのは間違い無い、はず。
が、合格していない可能性もある。
祈る様な気持ちで、端から順に確認していく。
違う、これも違う、違う。
それを見つけた時、どれ程嬉しかっただろうか。
「あった……!」
念の為、何度も見直したが、確かに『1219』の数字があった。
合格したなら、入学の手続き関連の書類が数日以内には屋敷に届くだろう。
一緒に来たメアも、口元に小さく笑みを浮かべていた。
「帰ろうか」
合格した事を報告する為に。
「そうね」
メアと二人で屋敷に帰り。
後日、王立学園から書類が届いた。
入学手続きに関するものや、学費についてのもの、更には入学試験の成績なんてものまで。
まあ、結論を先に言ってしまえば。
入試で従者枠の次席で合格した為、これから一年間の授業料は免除になる。
よって、今回支払わなければならないお金は入学金と教材費のみ。
合わせて中銀貨六枚と小銀貨二枚。
金額にして、六十二万ルーズ。
未だに庶民の金銭感覚が少し残っている僕には、子供なら絶対に使うことの無い大金に感じられた。
ちなみに、メアは貴族枠の首席だ。
詳しい事は知らないが、貴族に対する教育だ、教材費や授業料など色々引っくるめて僕の一・五倍以上は堅いだろう。
授業料が無料になって良かったなぁ、と僕に残った庶民の感性が言っている。
首席で合格した事については、「流石メア」としか思わない。
僕が必死に勉強している横で、メアが優雅にお茶を飲んでいる事だってあったし。
まあ、お金の話はこれくらいにして。
入学式まであとおよそ一ヶ月。
それまでに、必要な物――制服や細かい雑貨を買わなければならない。
調達は馴染みの商会に任せるらしい。
制服の採寸、必要な物のリスト化など、やらなければならない事はたくさんある。
具体的な予定としては、今からメアと生活周りで必要な物について相談し、明日制服の採寸を行うつもりだ。
そんなこんなであっという間に一ヶ月は過ぎ。
今、僕とメアは真新しい制服を身に纏って屋敷の門前に立っている。
真っ白な長袖のシャツに。
メアは、所々に金色の糸でアクセントの付けられた黒いローブを。
僕は、銀色の糸でアクセントの付けられた黒いローブを。
それぞれ羽織っている。
ローブと言っても、フィクションで怪しげな白髭のおじいさんが羽織っている様な全身を覆うものではない。子供が着やすい様にせいぜい膝位までしか無く、前も開いている。
「いってきます」
見送りに来てくれた屋敷の人達に背を向け、大通りへ一歩踏み出す。
見れば、左斜め前をメアが歩いていて。
制服を着て歩くメアを見ていると、今から学校に通うんだなぁと思えてくる。
王立学園への道を、僕らは二人だけで歩いた。
受験は未経験なので(中学2年生)、いずれ書き直すことになるかもしれません。
3章 11話 入学式
学園の中に入った後、僕は自分のクラスの教室を目指して校舎を進む。
僕のクラスはSクラス。
それぞれの枠で上位十位以内に入った人だけで編成され、A以下のクラスとは違い枠では分けられない。
つまり、Sクラスは各学年一クラスで、A以下は二クラス、ないしは三クラスある訳だ。
扉を開けると、そこにはここに居るはずの無い人物が居た。
思わず扉を閉めようとするのをどうにか我慢し、教室に入る。
席に指定は無かったので、空いている適当な席に座……ろうとしたが、流石にメアの近くに僕が居ないのはどうかと考え直す。
何故か都合良く空けられていたメアの隣の席に座り、全員揃うのを待った。
二十分後位だろうか。
Sクラスの生徒が全員揃った事を確認した彼女が口を開いた。
「はじめまして、今年一年皆様の担任を務めさせていただく、アーシャと申します。これからよろしくお願いいたします」
ああ、やっぱりアーシャさんだ。
「時間があれば自己紹介等を行いたかったのですが、残念ながら入学式の始まる時間が迫ってきております。今すぐ大広間へ移動を開始して下さい」
入学式は至って普通だった。
学園長がかなり遠いが王族の血を引いていたり、学園の地下に巨大なダンジョンがあったりはするが、入学式自体は普通だった。
ただ一つ、始まった瞬間に魔術による派手な演出があった事を除けば。
まあ、異世界らしいなぁ、とだけ。
新入生代表の挨拶は、貴族枠の首席であるメアが行った。
入学式の数日前から練習していたそのスピーチは、聴く者を惹きつけ熱狂の渦に引きずり込む様なカリスマ性を有するものだった。
もしかしたら、将来メアは王族の手が届かない所の人々をまとめ上げたりするのかもしれない。
「なるべく早く授業を開始したいため、本日の残りの時間は講義の選択に当てます。明後日までに決定して下さい。各講義の内容や受講者数についての資料を配布するので、参考にして下さい」
配布された冊子には、非常に細かい字で各講義の年間カリキュラムや到達目標、主に講義で行う事などについて書かれていた。
十枚位の紙全てにびっしりと文字が書き込まれていて、目がチカチカする。
「次に、決定用紙を配ります」
一週間分の講義を決める紙が配られた。
見た感じ、一週間分の講義を決めた後は、毎週その通りに講義がある様だ。
小声で話す声が聞こえる。
アーシャさん……おっと、今は先生か――が止める様子も無いので、他の人と相談して決めるのは良いらしい。
隣に座るメアに話し掛ける。
「講義、何を取りますか?」
一応公的な場である為、敬語を使った。
「そうね……」
悩んでいるのか考え込むメアだったが、しばらくすると僕に耳打ちする。
「分かりました。その通りに」
メアの言った通りに書き込んだ後、余った枠を見つめながら、他に自分の取りたい講義は無いか、と考え始めた。
3章 12話 初授業
時間は少し飛んで四日後。
週に一度の休みを挟み、今日が初授業だ。
記念すべき最初の授業は、『補助魔術・応用』。
メアと二人で取る事にした講義だ。
補助魔術を肉体や武器、果ては魔術や魔法、スキルにかける事が出来れば、戦闘能力は飛躍的に上昇するだろう。
もしかしたら、アーシャさんに勝てるようになるかもしれない。
ふと。
視界の端に、見覚えのある白髪が映った。
振り向いて目で追えば、そこには美少女と言われても美少年と言われても納得出来る美貌の持ち主が居た。
白い髪に、健康的な白い肌。
それによく映える緑の瞳。
何故『見覚えのある』のかと言えば、入学試験で戦ったからだ。
圧倒的な戦力差に一方的にやられた記憶がある。
「あれ、君は――」
どうやら僕に気が付いたらしい。
こちらに近付いて来る。
「確か、入学試験で戦った……」
「トーマ」
「そちらの君は――」
「メアリー・ルディと申します」
「トーマにメアリーね。うん、ボクはスブシーディム」
そう言って、スブシーディムは手を差し出した。
その意図を察した僕は、同じように手を差し出す。
互いに手を握り、握手した。
その後、メアも手を差し出す。
スブシーディムはメアとも握手して、微笑んだ。
「ふふっ。あ、隣の席座っても良い?」
「もちろん」
何故か、スブシーディムを隣に授業を受ける事となった。
「意外と、魔術に補助魔術をかけるのって難しいのね……」
土塊を生み出す魔術に補助魔術をかけ、より硬くしていく練習で、メアはそうこぼした。
それを耳ざとく聞きつけたのはスブシーディムだ。
「はじめは難しいよね。魔術に込められた魔素と補助魔術の魔素が混ざってしまうし、魔力で保護しようとしたら補助魔術がかからないし」
僕もスブシーディムの話を聞いていた。
行き詰まっていたからである。
「そういう時はね――」
スブシーディムの助言を受け、もう一度土塊を生み出す魔術に補助魔術をかけてみる。
先程まで出来なかったのが嘘のように、あっさりと成功した。
「「ありがとうございます」」
成功した後、僕とメアはスブシーディムに礼を言った。
全く同じタイミングで言ったのはただの偶然である。
「別に良いよ、それくらい。ただ、これからも仲良くしてくれると嬉しいなって」
今後もスブシーディムには助けられる事もありそうだし、何かをして貰ったならお返しするのは当然の事。
だから。
「もちろん」と、快諾した。
僕はその後、とんでもない人と友達になった事を知る。
3章 13話 開封
あれから、三週間程が経過した。
今、僕はハーランドさんに貰った|空間収納袋《アイテムバッグ》を開けようとしている。
何故こんな事になっているのか。
それは、つい先日のある約束が原因だった――
◆
その日、スブシーディムを含めた僕たちは雑談をしていた。
三週間で、僕やメアとスブシーディムの関係性は仲の良い友人にまでなっていた。
だから、暇な時間はこうして雑談をする事も多くあったのだ。
「ね、今度この学園のダンジョンに行ってみない?」
「え?」
突然スブシーディムに言われ、僕は思わず聞き返してしまった。
「うん。学園のダンジョン」
流石に二回聞けば何を言っているか理解出来た。
理由はさっぱりだが。
「あ、ごめん」
そんな僕の戸惑いが通じたのか、スブシーディムは軽く謝って理由の説明を始める。
「ほら、君たち――トーマとメアちゃんって、強いじゃん? ボクも、補助魔術の腕には自信があるんだ」
スブシーディムの補助魔術は、「腕に自信がある」程度で済まされて良いものではない。
一度だけ補助魔術を掛けて貰った事があるのだが、その時はいつも通りに足を一歩踏み出しただけで全力で走るのと同じ位の距離を移動した。
スブシーディムの補助魔術は、掛けられる側が自滅する可能性を真面目に考慮しなければならない程の効果がある。
「自衛だってできるし」
自衛云々については、全く心配していない。
補助魔術を掛けたスブシーディムは、多分僕より強い。
「腕試し、ということですね?」
メアが、少しだけ声を弾ませながら聞いた。
「そういうことになるね」
「私は行くことに反対はしません。むしろ、腕試ししてみたいですね」
意外だった。
メアがダンジョンに行く事に賛成するとは。
メアは自ら危険な事に飛び込んで行くタイプではないと思っていたのだが。
「僕も行ってみたいです」
当然、僕も賛成だ。
メアを一人でダンジョンに行かせるわけにはいかない。
「じゃ、決まりだね。いつから行く? ボクとしては、一週間ぐらいで準備を整えてからの方が良いと思うんだけど」
「良いですわね」
「賛成です」
◆
回想終わり。
あの後、三人で『ダンジョン休学届』を取りに行くなどあったが、取り敢えずの流れは以上だ。
『ダンジョン休学届』。
学園の地下にあるダンジョンに潜る時にのみ使える書類だ。
継続して一ヶ月間休学する事が出来る。
年間では三ヶ月以内。
継続して休学出来る期間が短いのは、学ぶ事こそが学生の本業であり、ダンジョンに潜る事などではないという学園長の考えによるものである。
それを今回は一ヶ月の期間で申請した。
継続して休学出来る上限いっぱいである。
長く潜る気満々だ。
長く潜るという事は、それだけたくさんの物資が必要だという事。
当然、それらを持ち運ぶのに掛かる労力は計り知れない。
と、ここまで言えば僕が|空間収納袋《アイテムバッグ》を開けようとしている理由が分かっただろう。
荷物を持ち運ぶ労力を減らす為に使おうとしたが、ハーランドさんから貰ったものを未だに取り出していなかったので、ついでに取り出してしまおうという考えである。
ごくり、と唾を飲んだ。
意を決して、|空間収納袋《アイテムバッグ》に魔力を流す。
そして、中に手を突っ込んだ。
まずはじめに出て来たのは、鋭く尖った黒い爪だ。
台所にある一般的な包丁の長さと同じ位の長さがある。
取り敢えず、中のものを全て出してみた。
鋭く尖った黒い爪。
光を受けて金色に輝く宝石の様な石。
夜と同じ色の毛皮。
いくつもの瓶に入った蜜の様なもの。
小さな瓶に入った謎の薬。
新しい装備を作る時に使えそうな素材や、メアが喜びそうな甘そうなもの、戦闘中に使う薬の材料になりそうなものなど、僕が欲しがりそうなものばかりだ。
今はそれぞれの特徴や効果が分からなくて使えないから、一旦家に置いておこう。
これらの素材の代わりに|空間収納袋《アイテムバッグ》に入れるのは、一ヶ月分の携帯食料と水だ。
魔力を込めて中身を拡張する。
黙々と携帯食料と水を詰める作業をしていき、一時間後。
「終わった……」
これで後は野営道具やその他生活用品を詰めれば良いかな。
全ての物を詰め終えた後、僕は疲れてそのまま寝た。
◆
一週間後。
僕たちは必要な道具一式を持って、学園のダンジョンの前にいた。
「行こう」
僕たちは、やる気に満ち溢れた顔で足を一歩踏み出した。
次回から4章に入ります。
プロット等一切組み終わっていませんので、いつもの通り二週間の休暇をいただければと。
4章 1話 出発
「行こう」
僕たちは、やる気に満ち溢れた顔で足を一歩踏み出した。
……のは良いのだが。
「あ、ちょっと待って」
スブシーディムに呼び止められ、足を止めることを余儀なくされた。
「補助魔術掛けるの忘れてた」
しっかりしてくれ。
君が一番得意なのはそれだろう。
そう内心で突っ込みながらも、スブシーディムの補助魔術を待つ。
「『|峻《しゅん》|厳幇助《げんほうじょ》』……はい」
何かのスキルを使ったようだが、特に補助魔術の効果に変わりは無い。
「これは?」
「ボクのスキル。今だとそんなに効果はないけど、ダンジョンを進んでいけばわかるよ」
何らかの条件によって効果が変わるスキル。
安定した効果が見込めない為普段の戦闘では使いづらいだろうが、こういう場面では頼りになる。
「それと」
スブシーディムは僕達に背を向けて言った。
「ボクと話すときは、敬語じゃなくていいよ?」
「……っ」
驚きに目を見開く僕をよそに、スブシーディムは「……友達でしょ」と言葉を続けた。
僕は、思わず笑みを浮かべる。
友達、友達か……。
三週間以上仲良くしてきて、こうして一緒にダンジョンに潜る相手。
仲間、もしくは友達と呼んで|然《しか》るべき存在だろう。
「そうね。よろしく、スブシーディム」
「これからもよろしく、スブシーディム」
期せずして、僕とメアは同時に口を開き、同じ内容の事を言った。
今までは、単なる仲の良い同級生として。
今からは、友達として、仲間として。
再出発の「よろしく」。
「……さ、行こっか」
青春の一幕として「らしい」事をしたのが気恥ずかしいのか、僕達を急かすように声を掛けるスブシーディム。
その様子を見て、僕とメアは顔を見合わせて「ふふっ」と笑った。
「そうだね」
今度こそ、僕達はダンジョンの中へ足を踏み入れたのだった。
4章 2話 攻略
一歩足を踏み入れると、そこは別世界だった。
整備された学園から、爽やかな風の吹く草原へと。
草丈は膝より少し高い位。
モンスターが身を屈めて近付いてきていても気が付かない可能性がある。
「ギャ……」
早速モンスターが現れた。
ゴブリンか。
一番初めの階層ですら、人型のモンスター。
難易度は少し高めかもしれない。
そんな事を考えている内に、血を流したゴブリンがその体を地に伏せる。
手に持った剣を振り、血を払った。
鞘には納めず、いつでも敵の攻撃に対応出来るよう警戒する。
メアも魔銃を手に持ち、いつでも発砲出来るようにしていた。
気のせいか、いつもより感覚が鋭敏になっているような気がする。
メアの指が動いた。
引き金を引く。
風で出来た弾丸は、寸分|違《たが》わずゴブリンの額の中央を貫いた。
「よし」と軽く手を握るメア。
うん、ちゃんと戦えるみたいだ。
後はスブシーディムだが――?
「〜〜♪」
鼻歌交じりに殴り殺していた。
なんだかんだこの中で一番強い気がする。
「これ、どうやって先に進むんだろうね?」
返り血一つ浴びていないスブシーディムが疑問を|呈《てい》す。
僕達の上に広がるのは青い空。目を落とせば青々とした草原。
それらは果てしなく続いているように見える。
「ま、いっか。進んでいけばわかるでしょ」
行き当たりばったり感の|拭《ぬぐ》えない結論だが、今はそうするしかない。
――そう考え、進み始めてから数時間。
草をかき分け、道なき道を進んできた僕達は、少し疲れの見える顔で歩いていた。
「どうやって進めばいいんだろうね?」
何も考えずに進むだけでは、次の階層へは進めなかった。
確かダンジョンモノのお約束では――と進む手立てを考え始める。
一、階層のどこかにある階段から下の階層へ下りる。
二、階層のどこかにいるボスを討伐すると下の階層へ行ける。
|概《おおむ》ねこの二パターンに分けられるはずだ。
流石にどこかに階段があるという事は無いだろう。
もしあったのならば、ここに至るまでに必ず見つけているはずだ。
という訳で、必然的に二つ目のパターンになるのだが。
――この広大な空間の中で、どうやってそのボスを見つけろというのか。
そう、思いはしたが。
運良く、それは現れた。
「――ぐ」
それは、闘争相手を見つけた喜びに吠え――
しかし、その咆哮は途中で遮られる。
それの、死によって。
為したのはメア。
彼女は引き金を引いた時のまま、それを一瞥する。
殺し損ねていないか。
それを確認する為、敢えて隙を作り攻撃出来る状況を作るが、
それが再び動き出す事は無く。
僕達はほっと息を吐く。
同時に、下へ向かう階段と、その隣に扉が現れる。
意見のすり合わせを行う必要も無く、僕達は同じ方向へ足を進めた。
階段の方へと。
コツ、コツ……と階段を下りる音が響く。
僕はその中で、
――あっさり先に進めたな。
そう思った。
当然か。
まだ、第一階層なのだから。
むしろ、ここまで時間がかかる方が珍しいのかもしれない。
こうなるんだったら、事前にダンジョンについて調べておけば良かった。
誘ってくれたスブシーディムなら全て知っていると思っていた。だから、事前の情報収集はしなかった。
今となってはもう遅い後悔を胸に抱きながら、僕の足は第二階層の地面を踏みしめる。
第二階層の攻略は速かった。
スブシーディムがこの場で一番強いモンスターを感知する魔術を使用し、メアが狙撃銃のような魔銃を召喚、ボスは絶命。
◆
――そんな調子で各階層を攻略していき、現在。
場所は、第九十九階層。
薄暗い部屋。
壁に並ぶ、火の|点《つ》いた松明。
足元に敷き詰められた石畳。
これまでとは趣の異なる階層を、僕達は無言で進む。
やがて、古びた大きな扉に辿り着いた。
|蝶番《ちょうつがい》は錆びつき、取っ手には蔦が絡みついている。
到底開きそうに無い扉に、次はこの扉を開ける謎解きか、と思ったものの、その心配は杞憂に終わった。
――ギィ……とぎこちない音を立てて、扉がひとりでに開く。
果たして、その扉の向こうに|坐《ざ》していたのは。
体長十メートルはあろうかという獣だった。
獣が吠える。
戦いの火蓋が切られた。
4章 3話 決着
「オォォォオォォオン!!」
遠吠えが響く中、
メアが牽制の一射。
目を狙ったそれは、獣が軽く頭を動かすだけで毛皮に阻まれ、不発に終わる。
――避けた。
避けたという事は、その攻撃が効く事を意味する。
つまり、
「目だ! 目を狙え!」
弱点は目だ。
「いっくよー!」
スブシーディムのその言葉と共に、僕の体がふっと軽くなる。
補助魔術をかけてくれたのか。
ぐんと大きく踏み込んで接近、そのまま大きく跳躍。
魔力で強化した剣を振りかぶり、目を狙う。
「――――ッ」
目に当たる直前に、獣が前足を動かした。
耳障りな音を立てて、剣と爪が競り合う。
負けたのは――
剣だった。
半ばから折れた剣身がくるくると宙を舞う。
その様子を見ながら、僕はこのまま戦い続けるのは危険と判断。一旦後ろに跳んで離れた。
|空間収納袋《アイテムバッグ》の中に手を入れ、目当ての物を取り出す。
新しい剣を引き抜いた僕は、再び獣の方へ駆け出した。
もう一段階、体が軽くなる感覚。
スブシーディムが補助魔術を再びかけてくれたのか。
こんな風に少しずつ段階を踏んで強化して貰えれば、強化した感覚に体を慣らしながら戦う事が出来るかもしれない。
上を狙うのは無理だ。動かせる範囲が下に比べて広いし、足場も不安定で戦いづらい。
だから。
僕は、獣の脚に向かって足を進める。
腱を断てば満足に動かす事も出来なくなるだろう。
そうして、次の一歩を刻んだ瞬間、
その巨体に見合わぬスピードで、獣が動いた。
見えていた。反応出来ていた。だが、間に合わない。
狙いは、
スブシーディムだ。
ずっと最前線で獣の気を引き続けていた僕。その巨体故に避けるのは容易く、決して大したダメージにはならない攻撃を放ち続けるメア。
そのどちらでも無く、スブシーディムが選ばれた。
スブシーディムが僕達に補助魔術をかけているのがバレたのか、それともこの場で一番弱そうに見えたのがスブシーディムだったのか。
獣の爪がスブシーディムに迫る。
スブシーディムの口が小さく動いた。
「――――」
細い脚がブレる。
生物の肉体が立ててはいけない類の音を立てながら、スブシーディムの脚と獣の爪が激突。
しばらく拮抗を続け、そのまま振り抜いたのはスブシーディムだった。
獣の前足が逸れる。
その瞳に浮かぶのは、紛れもない困惑だった。
あの小さな体のどこに自身と競り合い、|勝《まさ》ってみせる力があるのか。
「今回は、ボクがもらってもいいかな?」
誰も否定しない。
沈黙を肯定と捉えたスブシーディムは、更に補助魔術を重ね掛けしていく。
明らかに力を溜めて放つ類の攻撃だ。
――スブシーディムが準備を終えるまで、足止めしなければならない。
メアの方に目を向けると、彼女も同じ考えに行き着いたようで、獣に向かって魔銃を構えている。
合図は無かった。
それでも、僕達は同時に動き出していた。
スブシーディムの補助魔術の効果は残っている。
いつもより遥かに軽い体で、獣の足元に迫った。
剣に自壊しないギリギリまで魔力を込め、振るう。
狙うは、獣の後ろ足の腱。
先程試みた事の再現だ。
獣が狙いに気付くが、もう遅い。
肉薄する僕を踏み潰そうと脚を動かすが、メアの放つ攻撃に阻まれる。
剣は、止まらない。
獣の後ろ足に命中する。
――腱が断たれる音と、剣が砕け散る音が、同時に響いた。
狙いは成功した。
剣――武器を犠牲にしてだが。
武器を失った僕に、メアが焦った顔をする。
こうなる事は分かっていてやった事なのだから、そこまで心配しなくても大丈夫なのに。
それに、もう足止めの必要は無くなった。
スブシーディムが地面を蹴って加速する。
音は、遅れてついてきた。
軽く跳躍。
獣に避けられる可能性を低くする為か、僕とメアで潰した脚の方から飛びかかる。
獣はそれでも懸命に避けようとするが、無理だろう。
スブシーディムの小さな拳が握られる。
それは、加速の勢いをそのままに、獣を穿った。
普通の生物で言う、ちょうど心臓の位置。
そこに穴を開けられたとなっては、もはや生きる事さえままならないだろう。
「ッ…………」
獣の口から声にならない叫びが漏れる。
しかし、それ以上何かを為す事は無く。
轟音を立てて地面に倒れ伏した。
「よし、討伐完了!」
と、スブシーディムが手を出す。
その意図を正しく理解した僕とメアは、自分の手をスブシーディムの手にぶつけた。
ハイタッチだ。
「これだけ大きいんだから、魔石の大きさにも期待できそうだね」
スブシーディムが獣の胸の中に手を入れ、魔石を取り出そうとする。
だが、内部もその巨体に見合うスケールを持っている為、それはなかなか叶わない。
魔石を取り出す頃には、スブシーディムは血まみれになっていた。
「あーあ、汚れちゃった」
そう言って、スブシーディムは指を鳴らす。
水属性の魔術と火属性・風属性の魔術でも使ったのか、次の瞬間には綺麗になり、白い髪が揺れるようになっていた。
「さ、先に進もう」
いつも通り、僕達の前には下の階層に進む階段とダンジョンの外に出る扉が現れていた。
階段の方へ足を進めたスブシーディムを、メアの声が引き止める。
「今回の戦いはかなりギリギリだったわ。先に進むのは……一旦考えるべきだと思う」
4章 4話 進退
確かに。次の階層から出現するモンスターが手に負えない程強くならないとも限らないし。
納得する僕に対し、
「うーん、確かにそうだね。でも、ボクだってもっと補助魔術の出力上げられるよ? 千階層まで無理なく行けるように出力抑えめにしてただけで」
スブシーディムは同意しながらもまだ先に進めると主張する。
実際にあるかどうかは分からないが、第千階層まで行こうとしていたのには驚きだ。まあ、補助魔術ありの状態に慣れるのは大変だから、出力を抑えていたというのは納得出来る。
それに、とスブシーディムは言葉を続け、
「ボクのスキル『峻厳幇助』はボクやボクの仲間が苦戦すればするほど、補助魔術の効果が上がっていくスキルだ。君たちの素の力からして、さっきの力の十倍までは出るはず。それなのに、あれぐらいしか強くなっていない。――何か隠してる?」
今まで特に何も考えていないように行動していたスブシーディムからの鋭い問い。
僕は軽く息を呑んだ。
一秒、二秒……と時間が過ぎていく。
このまま沈黙が続いていくのは良くない。それは僕でも分かる。だが、上手く切り抜ける方法が分からない。
口をつぐむ僕達に、スブシーディムの視線が鋭くなる。
次第に高まる緊張。
再びスブシーディムが口を開いた。
「まあ、別にいいけど。でも、ボクはさっきの力が君たちの限界じゃないと思ってるよ」
弛緩する空気。
あまり深く追及されなかったのは助かったが、追及する気がないのなら何故聞いたのか。
僕にはスブシーディムの考え、行動が読めない。だが、少なくとも、隠し事があるのが知られているのは確かだ。これ以上何をしてくるのか、何を知られているのかは分からないが、スブシーディムに対する警戒を引き上げる必要がある。
「さあ、それを踏まえた上で問おう。先に進むかい? それとも戻るかい?」
その問いの答えを、僕は行動で、メアは言葉で示した。
「そこまで言うなら、先に進みましょう」
それと同時に、階段を下りる音が響く。
僕だ。
一段一段、強敵に挑むという気持ちを固めながら下りていく。
「ふふっ、そうすると思ってたよ」
一体君は僕達の何を知っているんだ、と心の中で突っ込む。
後ろから軽快に走ってくる音がした。
きっとスブシーディムだろう。
その更に後ろから、ゆっくり下りてくる音がする。
こっちはメアかな。
――やがて、階段の終わりが見えてくる。
後十段。変わらず、階段を形作る石を靴で踏む無機質な音がする。
後九段。新たな階層に向け、緊張と期待が高まる。
後八段。メアが魔銃を召喚し、魔力を高める。
後七段。スブシーディムの声が聞こえ、少しだけ体が軽くなる。
後六段。手が緊張と興奮で震える。
後五段。階段を下りる音が響かなくなる。
後四段。薄暗かった階段に、光が射し込む。
後三段。風が頬を撫でる。
後二段。ここで、我慢し切れず階段を飛ばした。
後一段、飛ばして到着。
ついに、僕達は第百階層へ到達した。
4章 5話 蛇
せいぜい足元程度までしか無い草丈の草原に、その周りを囲む森林。誰も手入れしていないにしては木が適度に生え、枝の間からは木漏れ日が射し込んでいる。
風が吹き、草を揺らした。
第一階層から第百階層へと。実に九十九階層下った訳だが、それでも風景はあまり変わらず。
第一階層と違う点が唯一あるとするのならば。
「生き物の気配が、ない……?」
スブシーディムによって強化された感覚を以てしても、僕達以外の生物の反応は確認できなかった。モンスターであっても気が付くのだから、この階層の全ての生物(モンスターを含む)がかくれんぼしているというのは考えづらい。
動く生き物がいない、風景だけの階層。
下手すればボスすらいないんじゃないか、と思いかけたその矢先だった。
僕の足に、冷たい何かが触れた。それは弾力のある長い体を活かして僕の脚を這い上ってくる。
「へ、び……」
下を見下ろすと同時に、その感触に納得を得る。その次の瞬間には、もう僕の手は蛇を叩き落とす為に動いていた。
はじめから這い上る事にそれほど執着していなかったのか、それともいきなり叩き落されて驚いたのか。一切の抵抗を見せず、蛇は地面に落ちていく。
何故気付かなかった、気付けなかった。
僕の感覚には、僕達以外の生き物の反応は引っ掛かっていなかった。
――総じて気配と呼ばれる、自身が生きてそこにいるという反応を隠すのが異様に上手いのだ。
そこまで考えた所で、僕の目は蛇を《《見失った》》。
ずっと視界に収めていたはずなのに、意識が逸れた一瞬の間に姿を隠されたのだ。
取るべき手段は一つだろう。
「ちょっと危ないから避けて……『火よ』」
先程まで僕達と蛇がいた場所が燃える。邪魔な草を綺麗さっぱりなくし、蛇をあぶり出す為に。
半径五メートル位の範囲が燃えると、
「『水よ』」
水を掛けて消火した。
「――――っ!」
煙が晴れると同時に、蛇が鎌首をもたげ、「シュルルルル……」と威嚇する。
僕は剣を構え、蛇と相対した。
剣を構えた事で正式に敵だと認識されたのか、蛇が威嚇をやめ、全身を地面に触れさせる。
地面を這う蛇を遥か上の視点から見下ろしながらも、背中を流れる汗が止まる気配は無い。
それは、この環境では蛇の方が有利だからだ。草の間に隠れられたら見つけられる自信は無いし、相手は僕に近付いてその牙を突き立てれば勝てる。毒蛇なら。流石にここまで来て毒がありませんでしたなんて事も無いだろうし。
「拘束すればいいんだよね?」
スブシーディムの声と共に、蛇の動きが急に鈍くなる。
「うん、ありがとう」
これで、頭を断てば――!
手に持った剣を振り下ろす。
魔力を纏わせた剣は、蛇の鱗を斬り、骨を断ち、頭と胴体を切り離した。
階段は――現れない。
ボスは別に居るようだ。
「倒したみたいだ」
そのまま立ち去ろうとした時だった。
「この蛇の頭、もらってもいい? 毒を補助魔術の参考にしたいんだ」
毒を……? ああ、デバフの。
「良いけど、悪用しちゃ駄目だよ。当然」
「ありがとう!」
「じゃあ、一旦|空間収納袋《アイテムバッグ》に入れておくから、出る時に渡すね」
|空間収納袋《アイテムバッグ》の中から袋を取り出し、蛇の頭を入れる。
「それじゃあ、先に進もうか」
――と、ボスを探し始めて何時間が経っただろうか。
既に辺りは薄暗く、どこか夜を明かす場所を探さなければならない。
森の一角に目星をつけ、一帯の草を折り、野営の準備を整える。
小さなランタンを囲みながら、皆で携帯保存食を食べていた、その時。
急に、スブシーディムが地面に伏せた。
何事かと訝しんでいると、
「なにか、来た」
一瞬だけ見えたのは、月光を反射して光る金色の瞳だった。
第百階層はかくれんぼしているモンスター達にその他の生物(モンスター含む)が暗殺されて出来上がった階層、当然人間もその食物連鎖の中に組み込まれる。ダンジョンの各階層のボスはその食物連鎖の頂点に立つ存在であり、何者かの手によって倒されればまた別の種、あるいは個体がその階層のボスを務めるようになる。
……なんて設定を考えてみたり。後半部分はたった今考えた設定なので後々変わる可能性もありますが。
4章 6話 急襲
「『光よ』」
流石に明かりが月とランタンだけではほとんど何も見えない。
光属性の魔術を使い、周囲を昼間のような明るさにする。
黒い何かが高速で移動するのが見えた。
僕の見間違いで無ければ、鋭く長い爪が生えていたように見える。
「消えた……?」
魔術が照らす範囲の外へ出てしまったのか、襲ってきたモンスターの位置は分からない。
次はどこから来るのか、と身構えるメアの後ろに黒い影が現れる。
メアは気付いていない。
「『風よ』」
風の魔術で敵を切り刻み、吹き飛ばす。毛皮が堅いのか、一切傷が付いていない。
地面に叩きつけられてもすぐに木の上に移動したが、一瞬だけ全身を捉えられた。
「……猿?」
僕が見た事のある生き物の中では猿に一番近いというだけで、「猿」と聞いたら誰もが想像するような姿では無い。
黒い体毛、大きな耳、月光を反射する金色の瞳に、闇に紛れる鋭く長い爪。
猿と呼ぶよりは「霊長類」と呼んだ方がしっくり来る見た目をしていた。
それよりも、あのまま姿を消されるとまずい。まだ僕達を狙っているのか、それとも遠く離れたのか。それが分からない状態で寝る事は出来ない。
「『風よ』」
素早く動き回る猿には当たらないが、その《《足場》》なら壊す事は出来る。
風属性の魔術で猿がいる足場を切り倒し、猿が逃げられる場所を限定していく。
『……』
このままでは埒が明かないと気が付いたのか、逃げ続けるのをやめこちらに向かってくる。
音を立てず、木を蹴って跳躍。鋭い爪で僕を切り裂こうとしてくるが――
「『風よ』」
風で真上に吹き飛ばし、身動きが取れないようにする。
後はとどめを刺すだけだ、と剣を構えて近付いた。
首に刃を当てた所で、
――剣が音を立てて折れた。
猿の目が怪しく光っている。
さっきまでは月の光を反射して光っているだけだった。
だが今は、ただ反射して光っているだけという明るさでは無い。
それは、自ら発光しているか――もしくは、反射した光を集めているかのどちらかだろう。
猿の目がより一層輝きを増す。
心なしか、熱を持っている気がした。
目が輝けば輝くほどに、感じる熱が大きくなっていく。
――気のせいじゃない。
避ける。避けなければ。
どこに? あれは全方位型の攻撃だろう。
ふと、少しだけ光が陰った気がした。
光属性の魔術の持続時間は大丈夫そうだ。なら、月に雲がかかったのだろう。
温度がどんどん下がっていく。
月に雲がかかった事と関係があるとするならば、月光から何かしらの力を得ていたという事なのだろう。
ギリギリ助かった。
しかし、どうしたものか。
僕の剣では、猿の毛皮が硬すぎて通らない。
メアの魔銃では、命中させるのは困難。
スブシーディムは――手札が分からない。
相手の攻撃は、気を抜けば致命傷になり得る。
よもや、打つ手無しか――と思われたが。
|空間収納袋《アイテムバッグ》から剣を取り出した。
剣が、毛皮に対して軟らかいのだと言うなら。
その剣を、硬くしてしまえば良い。
「スブシーディム! 補助魔術お願いしても良い!?」
「いいけど、君のその剣じゃ君にどんな補助魔術をかけたとしても結果はあまり変わらないよ?」
「良いんだ! 《《この剣》》の耐久力を上げてくれ!」
スブシーディムは一瞬だけきょとんとした顔をしていたが、すぐに合点がいったようで、
「分かった。ついでに切れ味も上げとくね」
「ありがとう!」
スブシーディムによって強化された剣に魔力を通す。自壊しないギリギリまで。一度使えば壊れてしまうのはもったいない気もするが、こうしない限りこの剣で勝つのは不可能だ。
一閃。先程の苦戦が嘘だったかのように、猿にあっさり刃が通った。
階段と扉が現れる。
あの鋭い爪は何かに使えそうだったので、猿の亡骸ごと|空間収納袋《アイテムバッグ》に放り込んだ。後で|夜影剣《マガビナス》を使って捌いておこう。
さあ、次の階層は、どんな階層なんだろうか。
どんな景色を見られるのか楽しみにしながら、僕は階段を下りた。
作中で「猿」と呼ばれているあのモンスター、モデルは「アイアイ」です。
4章 7話 霧
最後の段から足を離す――その直後、周囲に霧が立ち込めた。
伸ばした手の先すらも見えない濃霧、僕ははぐれないように皆で声を掛け合って進もう、と言おうとして。
「メア、スブシーディム、はぐれないように……」
答えは返って来ない。
「メア! スブシーディム!」
二人を呼ぶ僕の声は、虚しく響くばかりだった。
はぐれたのか。この短時間で? 短時間と言うかまだ十分も経っていないのに。
初めから、この階層に降り立った者をそれぞれバラバラの場所に飛ばす仕様だったのだろうか。
まあ、何のヒントもない状況で考えても答えは出ない。この階層に来たのは確かなのだから、攻略する間に探せば良いだろう。
「『|夜影剣《マガビナス》』」
今はスブシーディムが居ない。固有能力を使っても見られる心配が無いので、安心して使える。
|夜影剣《マガビナス》を構えて一歩踏み出す。
「――っ」
僕の眼前に迫る牙。それは、いつの間にか近くにやって来ていた虎のようなモンスターの物だった。
僕は後ろに下がる事もせず、左右に避ける事もせず、その場に留まる。
特に気負う事も無く、|夜影剣《マガビナス》を振り抜いた。
一刀両断、虎の牙は僕に届く前に地に堕ちた。
「……強いな」
もしあれがこの階層で一番弱いモンスターなのだとすれば、この階層のボスはどれだけ強いのだろうか。今は見られて困る相手が居ない為、本気で戦えるが、三人で共にボスを倒そう――となれば、脱出は困難を極める。
とはいえ、三人で無事に地上に戻れなければスッキリしない。
まずはメアと合流し、それからスブシーディムを探そう。
魔力感知……反応無し、正確に言えば周囲を漂う霧が邪魔をしている。
音や気配で居場所を探る……漫画やアニメの登場人物のような正確性は無いが、大まかには知れる、周囲のモンスターが多過ぎて断念。
よって、地道に探すしか無い訳で。それがこの濃い霧の中でどれだけ困難な事かと考えると、ため息が出そうだった。
取り敢えず虱潰しに――
と、モンスターに遭遇。真っ白な兎、だがその口からは歯を噛み合わせるカチカチという音が響いている。もしかしなくても、肉食ではないだろうか。
一刀のもとに斬り捨て、他のモンスターが来ないか警戒する。
兎は群れで行動する生き物だ。別の個体が現れないとは限らない。
僕の考えを証明するように、辺りからカチカチ……と音が響く。どうやら僕は、上下前後左右、全てをこの肉食兎に囲まれているらしい。
この階層の敵の強さの上限は不明、出来るだけ魔術は温存しておきたい。
となれば、迎撃の手段は限られ、自然とこの|夜影剣《マガビナス》を振る事になる。
|夜影剣《マガビナス》を振る。五体の肉食兎が倒れた。
|夜影剣《マガビナス》を振る。四体の肉食兎が斬り裂かれた。
六体、三体、四体、五体、五体、三体……とどんどん数を減らしていくが、僕に向かってくる肉食兎の数は減った気がしない。
多分、群れ単位で僕を獲物と定めて向かって来ているのだ。僕が倒れるか、肉食兎の最後の一体が倒れるまでこの戦いは終わらない。
幸い、敵は向こうから寄ってくる。僕はただ、向かって来る肉食兎を全て斬り伏せるだけで良い。
秒間十匹。|夜影剣《マガビナス》を振り、返す刃でまた斬り裂く。
十秒ほど経った頃だろうか、僕は画期的な突破方法に気が付いた。
肉食兎が追いつけない速度で走り、振り払えば良いのだ。
何故この方法に気が付かなかったのだろうか。もしこんな群れがいくつもあるのなら、交戦は避けるべきだ。
走り出し、後ろを振り返る。精々二、三メートル先しか見えないが、よし、付いてきていないみたいだ。このまま距離を稼ごう。
そう、前を向いて走る速度を上げた時だった。
「あっ」
何か紐状のものに引っ掛かり、勢い良くつまずく。
即座に受け身をとり、立ち上がった。
足元に何がある?
細い紐状のもの。細かい鱗。白い。
それは、滑らかに動き――
「へ、び……っ!?」
いや、違う。
何かこう、蛇にしては動きの滑らかさが足りない。
どちらかと言えば、何かの尻尾のような――
4章 8話 未だ晴れず
姿が見えない。それは、相手の動きが見えないというだけでは無い。
相手の全貌が分からない。更に言えば、大まかな能力予測すらも立てられない。
視覚に制限がかかる事に、これだけ苦しめられるとは思ってもみなかった。
もし過去の自分に何か言葉を届けられるとするのなら、ダンジョンに入る前の自分にこう言いたい。
――やめておけ、と。
白い尾が僕の体に叩きつけられる。すかさず回避、着地すると回転の中心となっている地点目指して疾走。
尾の根元らしきところが上下に動き、接近する僕を捉えようとする。この階層では索敵に制限がかけられているから、狙っていると見るのは僕の勘違いだろう。
だが、たとえ当てずっぽうだろうと、自分を狙ってくる攻撃を避けないわけにはいかない、受け流さないわけにはいかない。
そして受け流す事も出来ない。いくら索敵に制限がかけられているとは言えど、自分の体に何かが触れても気が付かない程鈍感になるわけではない。
僕は荒れ狂う尾の攻撃に回避を強いられながら、本体に接近する事となった。
大質量と共に空気が揺れ動く。それにより何らかの攻撃を察知、その場から離脱する。
先が二股に分かれた何かが高速で飛来し、地面を穿つ。
轟音を立てて地面が削れ、その欠片が未だ全貌の分からない巨大モンスターの体を汚した。
相手の腹の下に隠れ潜む僕は、この状況を切り抜ける方法を考えていた。
この状況でのメリット。
相手に自分の位置を探られない。たとえ逃げ出したとしても、相手は追って来ないだろう。
どんなに盛大に魔法の準備をしても、相手に感知されない。これにより相手を倒すという策を取れるわけだが、消耗を避ける為あまりその策は取りたくない。
この状況でのデメリット。
相手の全貌を探れない。尻尾だけであの長さだ、本体も相応の巨体を誇るはず。そんな相手を剣だけで倒すというのだ、頭の位置が分かっていないと不可能に近い。
逃走出来ない。いや、逃走自体は可能なのだ。ただその先の安全が確保されていないというだけで。
この濃霧の中、安全地帯目がけて逃走するというのは不可能に近い。逃げた先により強いモンスターが居たら終わりだ。
メリットは魅力的だが、デメリットが重過ぎる。
流石に半分目隠し状態での戦い、ほぼ逃走不可の状況というのはこの状況において致命的だ。
「どうにかして霧を晴らさなければ……」
霧は水蒸気が冷やされる事で生まれる。ならば、周囲の温度を上げてまた水蒸気に戻してやれば良い。
「『火よ』」
ここから半径二十メートルの範囲に出来るだけ均一になるよう『|火球《ファイアボール》』を設置。
「圧縮」
再現するのは、第二次試験で見たあの魔術。
赤い炎が白みがかった青に変化する。
「残念だけど言葉の一つ一つまでは覚えていないんだ……連結」
流石にあの時の完全な記憶は持ち合わせておらず、完璧な再現は出来ない。
だから、今、この状況に合わせて改変する。
欲しいのは純粋な火力ではなく、広範囲にわたる均一な火力。
故に、どこか一箇所の火力が高くなれば他の所に流れ、全体の火力は均一なものになるようにする。
炎の輝きが高まり、ついに光が霧に乱反射し始めた時、
「――|解放《リリース》」
解放された|火球《ファイアボール》の熱が周囲の空気を熱する。
それにより霧も少し晴れ、辛うじて巨大モンスターの頭らしきものが見えた。
「トカゲ、か?」
障害物は――特に無し。
一気に駆け抜ける!
形状変化を発動、|夜影剣《マガビナス》を大剣の形にする。
大きく跳躍、トカゲの頭上から落下エネルギーを利用して|夜影剣《マガビナス》を振り下ろす。
相手は濃霧の中生活していたモンスターだ、目は退化しているに違いない。その証拠に、頭上の僕に気付いた様子も無ければ迎撃する様子も無い。
轟音を立てて|夜影剣《マガビナス》が着地する。
トカゲの頭と胴体はすっぱり切り離され、今に至るまで振り回され続けてきたその尾も活動を止めた。
「大トカゲ、討伐完了だ」
この階層の攻略に関わる|障害《モンスター》は一旦取り除かれた。
当初の目的は変わらず、この階層からの脱出。その過程でメアとスブシーディムと合流する。
「気を取り直して進むか」
霧、未だ晴れず。
4章 9話 五里霧中の出会い
メアやスブシーディムはどこだろうか。
もうはぐれてから数時間が経つ。
各々一日分の水と三日分の食料を持っているが、食料の大部分を入れた|空間収納袋《アイテムバッグ》は僕が持っているから、後三日以内に合流しないとまずい。
欲を言えば一日以内に合流したい所だが。
『……誰だ?』
霧の中から|誰何《すいか》する声が聞こえた。
低い声。
メアのような女性の声では無く、スブシーディムのような中性的な声でも無い。
男性の声。
今回一緒にダンジョンに入った仲間には男性は居ない。
警戒を高めながら、応答する事にした。
応答しなかったら、それこそ敵として攻撃される可能性があるからだ。
「王立学園の生徒で、少し前にこのダンジョンに入った者だ」
「そうか」
そよ風が吹き、目の前に僕より背の高い青年が現れる。
黒い髪に黒い瞳。身に纏うその服まで黒く、その人物の色彩を表すには黒で事足りるほどだ。
「俺はずっと前からここにいる。敵では無さそうだ、俺の住処へ案内しよう。ついてこい」
会って間もない人物の言葉を信じついていくのは危険だが、この状況を打開する策が無い現状、多少危険でも自分で状況を動かさなければどうにもならない。
「分かった」
前を歩く男の声を頼りに進んでいく。
幸いというか何というか、時折僕がちゃんとついてきているか確認してくれるのはありがたかった。
実際、一度だけはぐれかけた事があったし。
しばらく霧の中を歩いた所で、急に霧が晴れた。
「――ここだ」
立ち止まった青年に合わせ、僕も立ち止まる。
霧が無い状態でこの階層の地面を見てみれば、何の変哲もないただの草原だった。
この草原に肉食兎やら巨大トカゲやらが居たわけで。
ダンジョンの生態系に興味が湧いてきたが、今は我慢だ。
僕の目の前には、新しそうな木材で小さな小屋が建てられていた。
この階層には森と呼べる環境は無かったのに、だ。
僕が森に気が付かなかった可能性もあるが、結構な距離を歩いたし、霧がかかっていようと目の前の木ぐらいは分かる。よって見落とした可能性はほぼ無いと言って良い。
となると、別の階層から木材を切って運んで来たという事になる。モンスターの猛攻をかいくぐって木を伐採し、モンスターを避けながら拠点に持ち帰る。それがどれだけ大変なのかは論ずるまでも無い。
この小屋にかけられている労力、苦労を想像すると、とても貴重な物に思えてきた。
「入って良いぞ」
「お邪魔します」
小屋の中は質素なものだった。
木で作られた簡素なテーブルに、これまた木で作られたシンプルな椅子。
この階層のモンスターを倒して手に入れたのか、毛から作った糸と羽毛から出来た寝床もあった。
そして、ほぼ全てに自然(ダンジョン)由来の物が使われているこの小屋において、一つ異質な物があった。
「……剣?」
白い台座に突き立てられた剣が小屋の隅に置いてあったのだ。
「ああ、これか。元々ここにあったもので、小屋を建てる時に持ってきたんだ」
まあ、もし人型のモンスターが現れてあの剣を使って攻撃してきたら……という恐怖は理解出来る。
そもそも何でこんな所に腰を落ち着けているのかという疑問は残るが。住むにしても、もう少し良い環境があるだろう。
「俺だとこの剣は抜けないからな。諦めて台座ごと引き抜いて持ってきた」
「……ぇ!?」
思わず驚きの声が漏れたが、仕方ないだろう。
台座を引き抜く力があるのなら、剣は抜けて当然だと思うが。
それで抜けなかったのなら、その剣を抜くのには何らかの《《資格》》が必要という事か。
「まあ、取り敢えずゆっくりしていけ。……いや」
頭が台座の方を向きそうなのを何とか収め、青年の方を向く。
「興味があるなら試してみるか? どうせ俺だと抜けないし、抜けたらやるよ」
「本当に?」
こんな虫の良い話、ある訳が無い。
「本当だ」
「分かった。やってみる」
……と、その前に。
|こんな所《ダンジョン》にある剣だ。抜いた者に呪いがかかるといった効果がないとも限らない。
白い台座に突き立った純白の柄に白い刃の剣。
神が創った聖剣と言われても納得する見た目だが、実際はどうなのか。
「スキル|複製《コピー》『鑑定』」
小声で呟き、目の前の剣とその効果を視る。
銘は……うん? 無銘か。
効果は特に無し。単に切れ味が良いだけの剣らしい。
特に危険は無いと判断し、剣の柄に手をかけた。
4章 10話 黒
剣を引き抜く。
するりと一切の抵抗無く引き抜けた。
封印が解けていくかのように、剣の色が裏返る。――白から黒へ。
眩しいほどの純白だったその剣は、目を引くほどの漆黒になった。
――この剣は《《まずい》》。
「スキル|複製《コピー》『鑑定』」
無銘。この剣は、――が―――れたものである。その力は黒より黒く、白を黒く染め上げるほどのものだ。
手をはな――
「…………がぁっ!」
何かが流れ込んでくる。
僕の意識を塗り潰そうとする強い意思。
飲み込まれる。
――思考の大半が機能しなくなった所で、それに気が付いたのは偶然だった。
《《これ》》は器を求めているのだ。
そして、それは僕で無くても良い。
この力が向かう先を、僕からスキルに変える……!
そう意識すると、少しだけ楽になった。
飲み込まれ、僕という意識が薄くなってきたからかもしれないが、それは違うと感覚的に分かる。
『|夜影剣《マガビナス》』が勝手に顕現する。
それを止める気力は無く、またそれを止める必要も無い。
漆黒の剣がどろりとその姿を溶かし、|夜影剣《マガビナス》に纏わりつく。
僕が楽になるのに比例して、|夜影剣《マガビナス》に纏わりつく「黒」の量は増えていった。
数分経ち、変化が収まってきた頃。
|夜影剣《マガビナス》は変化前と大きく異なった性質を持つようになっていた。
刃は青みがかった黒色。
扱い方の要領は変わらず。
そして、変化前より少し《《重く》》なっていた。
重くなっていたといっても、物理的に重くなったわけでは無い。
そもそも、固有能力だから僕は重さを感じない。
これは、概念的な重さだ。
『器の調子は上々……力の行使も問題なし』
どこからか、聞き覚えのある声がした。
4章 11話 クロ
聞き覚えのある声。
直前まで聞いていた声だ。
彼ではないことを確認する為、辺りを見回す。
――居なかった。
この小屋の持ち主である青年の姿が、忽然と消え去っていた。
『ん、体は盗れなかったか』
|夜影剣《マガビナス》から声が響く。
今までずっと使ってきて剣に人格が宿っていたなんて事は無かったから、先程の変化で宿ったのだろう。
「誰だ?」
『俺だよ。さっきまで話してただろ?』
やはりか。
僕は|夜影剣《マガビナス》を出来るだけ遠くに放り投げた。このまま手元に置いておけば、どんな事が起こるか分からない。
『いきなり何するんだよ』
謎の力で浮遊して戻ってきた。効果無しか。
『それより、お前の名前は?』
「えっ」
この流れをぶった切って名前を聞いてくる男の考えが理解出来なかった。
一体何をどう考えて行動すれば、あの流れからその発言が出てくるのか。
何故今このタイミングで名前を聞くのか。
相手の名前を知る事で発動する何かしらの術でも……?
警戒心を最大まで引き上げて口を開く。
「人の名前を聞くなら、まずは自分から名乗ってからじゃないかな」
適当にはぐらかし、先に相手に名乗らせようとした。
『そうか? そこまで言うんなら、俺から自己紹介したいんだがな。生憎、俺には名前がない』
「そうなの? 名前、考えなきゃね」
流石に「名無し」じゃ締まらないだろう。
そう考えての発言。
『クロで良い』
クロ、ね。
名前が無いと言っていたから、それが呼び名だろう。「黒」という色の名前が呼び名になる位だから、どれだけ黒に関わりがある存在なのか。
『それで、お前の名前は? 先に自己紹介してやったぞ』
クロは先に名乗るのに忌避感があまり無かったように見えた。
名乗った所で特に害は無いだろう。
「トーマだ」
『トーマ、これからどうする?』
急に仲間面して話を進めようとする。
僕には理解の及ばない思考回路だが、確かにこれからこの階層をどうやって攻略していくか考えなければならない。
そう思った直後だった。
「え?」
霧が晴れる。
変化はそれに留まらず、地面がひび割れ、辺りのモンスターは割れ目に飲み込まれた。
クロの小屋も巻き込まれ、バラバラになって吹き飛ぶ。
当然、僕らも無事で居られる訳では無い。
地面の割れ目が僕の足元まで迫る。
考えている暇は無い。
全力で地面を蹴り、真上へ飛び上がる。
とはいえ、ずっと空中に居られる訳でも無い。
重力を振り切って真上に跳び、上昇の停止、浮遊感、そして重力に引かれて割れ目へと落下を始める。
|夜影剣《マガビナス》を全力で割れ目に投げてから、さてこれからどうするかと考え始めた。
この階層のボスを倒せば、ダンジョンから出るか次の階層に進むかの選択肢が取れる。
だが、見渡す限りの地面は消え、後に残るはどこまであるか分からない穴。
そもそもボスが生き残っているのか。よしんば生き残っていたとしても、この状態では倒しに行けない。
そして、今それが出来たとしても僕はやらない。
メアとスブシーディムの安全を確保してからだ。
こんな大きな穴が空いたのだ、無事な訳が無いと言われればそれまでだが、僕はまだ二人の死体を見ていない。生きている可能性はある。
割れ目が目と鼻の先に迫りくる。
もうどうにもならない。
メアとスブシーディムもあの穴の中に落ちた可能性がある。
僕は思い切って穴に飛び込んだ。
4章 12話 再会
内臓が浮き上がるような感覚。体は重力に従って穴へと真っ逆さまに落ちていく。
この速度で地面に叩きつけられたら死ぬ。
僕は風魔術を駆使して落下速度を抑え、防御力を上げ、着地の衝撃に備える。
先程まで地面だった場所が近付く。
地面を構成していたものの欠片が頭を掠めた。
いよいよ地中に到達する、という所で――
意識に一瞬の空白が生まれた。
幸い、意識を飛ばしていた時間は一秒にも満たなかった。
頬を撫でる風の感触が消失する。落下が止まったのだ、と認識した瞬間、再び落下が始まった。
風魔術を発動。落下速度を軽減する。
念の為、身体強化系の魔術で防御力を上げておく。
そして、土属性の魔術を発動。一度きりの足場を作る。
岩の塊を蹴落としながら、僕はゆっくりと地面に近付いていった。
――高度を落としていくにつれて、地表の詳細な様子が見えるようになっていく。
穴の底は暗く見えづらかったが、鋭く尖った岩が屹立しているのは良く見えた。
「人?」
一瞬だけ、大穴の底に人影が見えた気がした。もしかしたら、メア達かもしれない。
早く底に辿り着きたい気持ちを抑えながら、慎重に下りる。
地面まで残り二十メートル位の所だった。
|蝙蝠《こうもり》を模したモンスターが群を成してこちらに向かって来る。
僕の周囲は天高くそびえる岩に囲まれ、避ける事は出来ない。
風魔術で迎撃……いや、こんな短時間で魔術を連発していけば魔力切れに陥ってしまう。魔術を使うなら、出来るだけ消耗を抑えられるようにしなければ。
という訳で、結局選んだのは風魔術でも、その使い方はいつもと異なった。
土魔術で近くの石柱を壊す。その内の一つをぱしっと握り、大きさを確かめる。大きな岩が、河原に落ちている石のような大きさになった。
それらに一斉に風魔術を掛ける。
風を伴って蝙蝠の元へ飛んでいき、その体を次々と抉る。
蝙蝠はたまらずといった様子でか細い鳴き声を上げ、墜落していった。
――一匹を除いて。
だが、この一匹が特別だったという訳では無かった。
「ごめんね、早く下に行きたいんだ」
普通の蝙蝠の何倍もの大きさをしているその脚につかまり、下に引きずり落としていく。
初めこそ抵抗していたが、抵抗が意味を為さないと悟ったのか、墜落しないよう羽ばたくのみに留まった。あるいは、一度仲間が根こそぎ沈められているのが効いたのかもしれない。
蝙蝠は頑張って飛んでいる。だが、いくら大きかろうと飛行する生物故に体重は軽く、自身の体重の何倍もある僕を支え切れる訳が無く、ずるずると高度が下がっていく。
地面まで、後五メートル。
出来ればもう少し下に下がってから飛び降りたい所。
後四メートル、三、二、一……
流石にもう良いだろう。僕は蝙蝠の脚から手を離し、飛び降りた。
「ありがとう」
そして、先程蝙蝠を殲滅する際に使った小石を取り出す。
蝙蝠からすればかなり屈辱的な事だっただろう。パラシュートの代わりに使われるなんて。
僕が恨みを買っていても面倒だ。
小石に風魔術を掛け、高速で射出する。
蝙蝠は絶命した。
「『|夜影剣《マガビナス》』」
穴の底に投げた|夜影剣《マガビナス》を喚び戻す。
『いきなり投げ捨てるんじゃねぇよ』
クロはご立腹のようだ。だが、僕の思惑を理解してなのか、本気で怒っている訳では無さそうだ。
「悪いね。それで、どうだった?」
『底の様子か? 特段、変わったことはなかったよ。それより、許可なく投げ捨て――』
「そうか。偵察ありがとう」
クロの言葉を途中で遮る。この先もクロを許可なく投げる可能性があった。
今のやり取りの通り、僕がクロを穴の底に投げたのは、底の様子を一足先に確認してもらいたかったからだ。決して、未だ信用の置けないクロをダンジョンの底に置き去りにして、無かった事にしようとした訳では無い。
「あ、いた!」
遠くから響いたのはスブシーディムの声。
ちょうど石柱の影になって顔は見えないが……人影は、一、二、三……三つか。
はぐれる前より一人多い。
「良かった。無事だったのね」
駆け寄って来たのは、メアとスブシーディム、そして……金髪の男。
会った事も無い青年を警戒しつつも、まずはメア達の無事を確かめる。
「無事でよかったよ。次の階層に行ったらいなくなってて焦ったんだ」
どうやら、スブシーディム達も僕と同じような状況だったらしい。
僕とメアは同時に口を開いた。
「僕も、いきなり霧に包まれて焦ったよ」
「ええ。私も、いきなりこんな谷底に出て驚いたわ」
「「えっ?」」
僕達の認識の違いに、二人で同時に声を上げた。
メアの言い方だと、この階層に来た当初からこの岩だらけの穴の底に居た事になるが。僕は霧がかった草原に出たはずなのに。
「今、それは大事か?」
今まで完全に空気だった金髪の青年がようやく口を開く。
大事かと問われれば、そこまででは無いと答えざるを得ない。ただ、普通にしていれば起こらない現象である事は確かだった。
と、それよりも。
「誰?」
目の前の金髪の青年の事が気になった。
「ゼイヴィア」
名前はゼイヴィア。
「……」
このまま自己紹介してくれるものだと期待し、無言で続きを促す。
「あー……」
言いにくそうにメアが言った。
「ゼイヴィアは、聞かれたことに対してしか答えないわ……」
それは良くないな。今の状況では。たかが自己紹介に時間と手間を掛けすぎると、モンスターが近付いていても気付くのが遅れる。
無理に本人から聞き出すより、メア達に聞いた方が良いかな。
「ゼイヴィアの詳細、分かる?」
近くに居たメアに耳打ちした。
「…………王立学園の二年生。いつも、放課後にダンジョンに潜っているみたい……後、効率に命を懸けているわ」
僕の中で、ゼイヴィアに対する警戒が別の方向で二段階程上がった。
ここは、少なくとも百階層より下。放課後に潜って辿り着くなんて、並大抵の強さで出来る事では無い。
「俺はそろそろ帰るが……お前達はどうする?」
「んー、そろそろ帰ろっか?」
「そうだね。あの不思議な現象についてもゆっくり考えたいし」
「そうね。良ければご一緒させてくださらない?」
ダンジョンからの退出。それが僕達の結論だった。
僕達は、それぞれが自分の手札を隠している。僕の場合は、|夜影剣《マガビナス》と魔術の無詠唱発動だ。
それぞれが自分の手札を隠して戦い続けた結果、本当ならどうとでもなる状況で全滅するなんて事も起こり得た。
「……良いぞ」
そう言った瞬間、ゼイヴィアが魔力を垂れ流し始めた。
突然の奇行に僕達は言葉も出ない。どんなものにでもなり得る魔力を捨てる行為。暴挙だ。
「な、何を……」
「……来たぞ」
僕の問いには答えず、ただ何かの来訪を告げる。
「ゴーレム……!?」
そう言ったのは、誰だったか。
立ち塞がるゴーレム。
相対するは、自信ありげなゼイヴィアと、僕達三人。一対四。
各々が武器を構え、ゴーレムを見据えた。
袋叩きだ。
4章 13話 帰還
ゼイヴィアがすっと前へ一歩踏み出す。
その手には、剣が握られていた。
余程の切れ味で無ければ、岩に剣だなんて相性最悪だろう。剣は、岩を斬る為に出来ていないのだから。
ゼイヴィアの手がブレる。そう錯覚してしまう程の速さで振るわれた剣。
普通に振るえば為す術も無く弾かれたはずの剣は、ゼイヴィアの技と速度の後押しを受けて、
まるで豆腐でも切るかのように軽く、岩で出来たゴーレムを真っ二つにしてのけた。
残心。
ゴーレムが動かず、中心部の光り輝く球体がその割れ目を覗かせたのを確認したゼイヴィアは、構えを解き納剣した。
いとも容易く倒されたそのゴーレムがこの階層のボスだった事を主張するかの如く、扉と階段が現れる。
ゼイヴィアは扉の方に足を進め、呆然とする僕達を振り返って言った。
「行かないのか?」
先程やってのけた事がいかにも普通の事だというような声、言い方。
「え? あ、うん、行くよ」
日常の延長線上のような声に僕達の呪縛は解け、扉に足を進めた。
ゼイヴィアが扉を開く。僕は、ゼイヴィアの後ろから扉の中を覗き込んだ。
扉の先は、どこにも繋がっていないように見えた。濃淡のある黒い空間が渦巻き、時折白い光が散り黒い空間を彩っている。
ゼイヴィアが扉の中へ一歩踏み出す。
ゼイヴィアの体は、混沌とした空間の中に消えた。
僕達もゼイヴィアに倣って扉の中に入る。
どぷり、と何かを通過するような感覚がした後、僕達はダンジョンの外へ出ていた。
――空は夕焼けの茜色から、宵の瑠璃色に移り変わる間の青い空だった。昼間に見られる青空とは違う、深い青。青空と夜空が混ざり合ったような色。
日は沈んでしまっているのに、不思議と明るかった。
「1年生がもうあそこまで潜ったのか。優秀だな。俺は2年のSクラスだから、困ったらそこを訪ねてくれ」
このまま帰路に就くかと思われたゼイヴィアだったが、予想に反して僕達の方を振り返り、口を開いた。
「…………」
その口から出た思わぬ褒め言葉に、僕の思考が停止する。先程までの会話で、ゼイヴィアは褒め言葉を言うような性格をしていないと思っていた。
「分かった! ありがとう」
「ああ。じゃあな」
そのまま、ゼイヴィアは片手を挙げて去っていった。今度は、振り返る事も無く。
「それじゃあ、私達も帰りましょう?」
やろうと思えば、今ここでダンジョン探索の成果を確認する事も出来た。
だが、今はダンジョン探索直後だ。疲れが溜まっているはず。
今は、家に帰ってゆっくり疲れを取る事の方が大切だろう。
「うん」
「そうだね」
手を振ってスブシーディムと別れる。僕とメアは同じ方向へ、スブシーディムだけ別の方向に。
日はすっかり落ち、ブルーモーメントと呼ばれる空も、その色を黒くしていた。
◆
ルディ家の別邸にて。
自室のベッドに腰掛けた僕は、|空間収納袋《アイテムバッグ》の中身を取り出していた。
携帯食料、三週間分弱。小銀貨四枚程。
水、およそ十日分。折を見て水魔術で補充していた為、元手はゼロだ。
予備の剣。ダンジョンの中の鉱脈で土魔術を使って造った物だ。急ごしらえの物の為、性能は推して知るべしといった所。
モンスターの素材。これは皆で確認したいので、取り出していない。明日、皆で集まった所で確認する予定だ。
「ふわぁ……」
あくびが出た。やはり疲れが溜まっているのだろう。
僕は、空間収納袋《アイテムバッグ》から取り出して並べていた物を収め、そのまま寝た。
――先生にダンジョンから帰った事を伝え、約二週間ぶりに学校に登校した。
当然というか何というか、休んでいる間に授業は進み、その内容は全く分からなくなってしまった。
メアとスブシーディムに放課後みっちり勉強を教えてもらう日々の始まりだ。
――――4章、了。