閲覧設定
名前変換設定
この小説には名前変換が設定されています。以下の単語を変換することができます。空白の場合は変換されません。入力した単語はブラウザに保存され次回から選択できるようになります
1 /
目次
価値観と生き様と泣き顔と・1
ゲートをくぐった先に広がっていたものは、馴染みのない光景だった。遠目でもよく見える一面の小麦畑は、バドバルマには異質なものに映った。
落ち着かない。けれどこれが良い光景というものなのだろう。ため息をつくくらいには。
「きれい……なんだろうな」
そうこぼしたバドバルマは事前に渡されていたマップを開く。地理が描かれているそれは簡素なもので、あまり役に立たない。つまり、ごちゃついていない国なのだ。バッドばつ丸王国とは大違いである。
早々にマップを閉じたバドバルマは砂利道を歩いていく。舗装されていない道は妙に懐かしくて、けれどあまり思い出したくない。
土が剥き出しの道を歩き慣れていた頃は、荒れていたものだから。
やがて国民が住む地域へと差しかかる。開かれた地は、小麦畑を囲う柵を背に立っている少年の姿を、バドバルマの目に映した。
少年──ミュンナはまだずっと遠くにいた。
バドバルマはミュンナのもとへ駆けていく。
少しずつ近づいてくるバドバルマに気づいたミュンナも、バドバルマのもとへ駆けていく。
縮まっていく二人の距離。バドバルマが「おーい!」と大声をあげながら手を上に振れば、ミュンナも手を振り返した。口が動いているように見えるので、あちらも声をあげているのだろう。その予想は当たった。
「バドバルマさーん!」
距離が縮まるにつれて聞こえてくるミュンナの声。そこでバドバルマは声をあげるのをやめた。走ることに集中する。
あと十数メートル、というところでバドバルマは駆け足をゆるめた。ミュンナは直前まで走り寄ってから、たたらを踏みつつもブレーキをかけた。
一メートルにも満たない、二人の距離。
ミュンナは満面の笑顔をバドバルマに見せる。
「バドバルマさん! こぎみゅん王国へようこそ!」
「ああ! 世話になるぜ」
バドバルマは恋人のミュンナが守っている国に遊びに来たのだ。一泊二日の小旅行である。
ミュンナはバドバルマと手をつなぐ。
「村に案内しますね。国民のみんなも、バドバルマさんに会いたがっています」
「お、おう。そうか」
ミュンナに手を引かれながら、バドバルマは自身の格好を確認する。粗相のない格好というものがわからなかったので、結局いつもの格好で訪れたのだが……これで良いのだろうか。今更だが、少し自信をなくしてきた。
しかし、このいつもの格好で良いのだと決めたのは自分である。胸をはることにした。
「俺も、ここの人たちに会いてえよ」
「えへへ。みんな、いい人たちですよ」
当然だ。この地で生まれ育ったミュンナを見ればわかる。皆『いい人たち』とやらに決まっているのだと。
そしてこの牧歌的な光景を見ても、国民性がわかるのだ。
すぐ横には一面の黄金色。小麦と土の匂いはやわらかくて、優しさに包まれている。
この、いかにもな優しさが、バドバルマをそわつかせる。
「バドバルマさんを紹介できるなんて、楽しみです」
ミュンナの弾んだ声が聞こえた。
バドバルマは何も言えなかった。けれどミュンナの気づかいを無碍にはしたくない。
ミュンナの手を握り返した。
結果から言うと、バドバルマはこぎみゅん王国の民たちに歓迎された。顔を赤らめながら笑っているミュンナが、バドバルマに寄り添っていたことが大きかったのだろう。
ミュンナとの仲を認められた嬉しさのままにバドバルマも笑顔を見せれば、小麦を使った食べ物を山ほどもらった。一部はその場でミュンナと分けて食べて、大半はバッドばつ丸王国にまとめて郵送した。城にいる部下たちが喜んで食べるだろう。
国民たちへのあいさつ回りも済んだので、次は観光に行こう──としたのだが。
「お……おなか、いっぱいです……」
観光地を案内するはずのミュンナがダウンしてしまったのだ。
「無理もねえよ。あんだけ食ったらな……」
そう言ったバドバルマも自身の腹をさすっていた。
満腹中の二人は宿から動けずにいた。
宿はバドバルマが想像していたような、四角い建物ではない。丸型のテントで作られた部屋は開放的で、出入り口を含む開口部は幕で開閉するタイプだ。一つの机、二つのイス、一つのベッド。家具はそれらのみの、小さくて狭い宿である。
幕が開かれた開口部から、そよ風が入ってくる。机に突っ伏しているミュンナの巻き毛が揺れて、まるで小麦畑のようだ。
ミュンナの向かい側に座っていたバドバルマはそっと目をそらす。適当に投げた視線の先は、宿の出入り口の向こう側。子どもたちが外で追いかけっこをしている。
子どもの一人がこけた。地面に向けられた顔がくしゃくしゃになっていく様子がよく見えた。
子どもはついに泣きだす。周りにいる子どもたちはオロオロとしている。
「あーあー」
バドバルマがイスに根付いていた腰をあげて、子どものもとへ向かおうとした瞬間。バドバルマの真横をミュンナが横切った。
バドバルマは反射でミュンナに道をゆずる。ミュンナが宿から出たところを見届けた。
バドバルマも出れば、ミュンナはすでに子どものそばにいた。すりむいたひざを抱えている子どもの正面で、しゃがんでいる。
「痛かったですよね。もう少しだけ我慢してください」
ミュンナは子どものひざに手をかざした。
子どものひざとミュンナの手の間から、淡い光が見える。
一般人には、自然的でやさしい光に見えるのだろう。しかしバドバルマにとっては、馴染みのない不自然な光だった。人工的にギラついた光とはほど遠くて、落ち着かない。
光が消えた。ミュンナが手を退ければ、すり傷は消えていた。
「はい。治りましたよ」
子どもは泣いていたことも忘れて、ミュンナに笑顔を向ける。
「ミュンナ様、ありがとう!」
「どういたしまして。次も怪我したら言ってくださいね」
「うん!」
周りにいた子どもたちもミュンナに「ありがとう!」と礼を言っている。元気になった子どもたちは追いかけっこを再開した。ミュンナは子どもたちに「ばいばい」と手を振ってから、自身の後ろを見る。
バドバルマはそこに突っ立っていた。
ミュンナはほほ笑む。
「お待たせしました」
「いや、待ってねえよ。すげえな、ミュンナ」
「ミュンナ、怪我を治すのはちょっぴり得意なんですよ!」
バドバルマは笑う。
「すっかり動けるようになったみたいだな」
子どもの怪我に集中したおかげで、二人の満腹感は少しだけ消えていた。
「あっ、本当だ! これなら観光できますよ!」
「おう! じゃ、いっちょ案内頼むわ!」
「はい!」
ミュンナはバドバルマと手をつなぐ。これが当然なのだと言わんばかりに。
バドバルマも握り返した。これも当然なのだから。
こぎみゅん王国の観光地は、バッドばつ丸王国とは違っていた。
バッドばつ丸王国は施設が中心だが、こぎみゅん王国は国民が働いている風景が中心だった。
次のシーズンの畑作りのための農具を作る姿。その農具の修理や補強をしている姿。農具は消耗品なので、今の時期はこれらの国民の姿がよく見られるらしい。時期が違えば、小麦をいっせいに収穫していく姿も見られるらしい。
つまりこぎみゅん王国の観光地は、小麦と密接した素朴な生き様を魅せるものばかりだった。
素晴らしいものだ、とバドバルマは素直に思った。食は大事だ。絶対におろそかにしてはいけないし、失われてもいけない。
だが国民がいて初めて成り立つ観光地めぐりは、すなわち国民とも深く関わるということでもあった。
二人きりのデートは不可能だった。
あいさつ回りは済んだというのに、二人は絶えず声をかけられた。仕事を手伝えば、更に食べ物を持たされそうになった。気持ちだけで十分だと、断った回数は数知れず。後の人間関係にヒビが入るのではないかとバドバルマはミュンナを心配したが、杞憂だった。
断られても、二人に対する国民たちの眼差しは暖かいままだったからだ。
そしてミュンナはその眼差しを、笑顔で、ためらわずに受け取っていた。
ミュンナは大勢の人々に愛されてきたのだと、バドバルマは痛感させられる。
見ないフリをし続けたが、そろそろ向き合わねばならない。
交際してもなお、バドバルマはミュンナを異質なものとして見ていることに。
(続く)