人づきあいが苦手で、家族との交流も少なかった14歳の少女、エリカ。
そんな彼女が転生した先でも、『悪魔の子』と言われ忌み嫌われて——。
そしてエリカは、悪魔と契約をするために魂を売った。
その契約内容は——『私と友達になって』?!
これは、ちょっと……どころかだいぶ変わった、少女の転生物語。
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目次
終わりと始まり
「先生さよーなら!」
「おう、気を付けて帰れよー」
クラスの一軍女子たちの声を聞き、エリカは顔を上げた。
(…もう、こんな時間か)
冬の今は日没が早い。4時過ぎにはすでに、空は茜色に染まっていた。読みかけのファンタジー小説を鞄にしまい、エリカは席を立つ。
そして、無言で教室を出た。
彼女の姿を気に留めるものは、誰もいなかった。
エリカは、孤独だった。
人づきあいが苦手で、友達と呼べる人間など一人もいなかった。帰っても、両親は共働きで大体家にいない。夜は一人寂しく冷食を食べるのが日課だった。
「……寒い」
学校を出ると、容赦なく刺すような冷気がエリカを襲う。吐息が白く染まり、ほかの誰にも見られることなく消えてゆく。エリカはマフラーをしっかりと巻き、それに顔をうずめ、一人で帰宅路を歩き始めた。
温かみのない、いつも通りの帰り道だった。
「ねぇ聞いて、このまえさー」
「えーまじ?ウケるー!」
信号待ちをしていると、隣に女子高生二人組が並んだ。羨ましさがこみあげてきて、エリカは慌てて目を反らす。
——孤独なんて、慣れているはずだ。
そう心に言い聞かせて、だけどチクチクとした痛みは消えなくて。エリカは信号が青に変わった途端、わき目も降らず歩き出した。
その直後、
ステージに上がったかのように眩い光がエリカを包んだ。
「……え?」
迫ってくる“それ”を認識した時には、もう運命を変えられないほどの距離まで来ていて。
思考が止まって、頭が真っ白になって。
すべてがスローモーションに見えた。
だけど、時はちゃんと動いてて。
——エリカの身体は、トラックに跳ね飛ばされた。
---
眠い。
寒い。
…冷たい。
私は……どうなっちゃったの?
---
——エリカは、洞窟のような場所で目を覚ました。
「………え…?どこ、ここ……?」
混乱しながらも、エリカは立ち上がった。冷たい岩の上で寝ていたようだ。手のひらがひんやりとする。
「私……トラックに撥ねられて…それで……ここ、病院じゃ…ない…、?」
とてつもない不安を覚え、エリカは胸元の前でぎゅっと手を握る。洞窟内はとても広く、震えるエリカの声はすべて反響して聞こえてきた。
「……あれ…?」
ふと、違和感を覚えて足元を見る。
エリカの足には——身に覚えのない、こげ茶の厚底ブーツが収まっていた。慌てて腕を見ると、袖に金色の装飾が付いた黒いローブが身を包んでいる。
「え、…え?」
静かにエリカは困惑する。
誰でも良いから、状況を説明してほしい。
ただ、周りを見渡しても無機質な岩と水しかない。
……水?
(水なら、鏡の代わりになるかな……)
好奇心に突き動かされ、エリカはこわごわと水たまりに近づく。
映し出された己の姿を見て、エリカは言葉を失った。
——映ったのは、墨から生まれてきたような少女だった。
闇を吸い込んだみたいに真っ黒なウルフカットの髪は、寝起きのように跳ねている。無造作に伸びた前髪に隠されている紫色の瞳は、まるでアメジストみたいだ。どこかあどけなさの残る顔は、絶世の美女までとはいかなくとも、まぁまぁ整った顔立ちをしている。
その姿は、いつものエリカではなかった。
——見知らぬ、“誰か”だった。
「どういう…こと…?夢…?」
頬をつねる。
頭を軽く小突いてみる。
だけど、目が覚める気配はなかった。
そもそも、意識自体はかなりはっきりしているように思える。
その事実が、エリカの馬鹿げた妄想に拍車をかける。
「もしかして、私…」
「——転生、した?」
『悪魔の子』
しばらく呆然としていたエリカは、頬に垂れた水滴で我に返った。
(……とにかく、外に出てみよう…)
エリカは薄暗い洞窟を歩きだす。歩くたびにひんやりとした空気がかき混ぜられ、エリカの髪の上を滑り去っていく。エリカの心臓は、うるさいほどに音を鳴らしていて。
「……あ」
エリカの口から、短い音が漏れた。
——ぽっかりと開いた洞窟の出口からは、清々しいほど澄んだ青空がのぞいていた。
---
爽やかな風がエリカの髪をもてあそぶ。温かい日差しからは、生命の息吹さえ感じられて。エリカは胸いっぱいに空気を吸い込んだ。ぽかぽかと温かい陽気がエリカを歓迎する。
洞窟の外は、視界いっぱいに広がる草原の丘の上だった。
「……これから、どうしよう」
エリカの呟きは誰にも聞かれることもなく、ぽとりと地面に落っこちて。自然と、エリカの視線も下に落ちる。
(………)
やっぱり、転生したとしか考えられないのだろうか。でも、そんなことは本当にあるのだろうか?ぐるぐると同じ考えが回り、風船を膨らませるようにエリカの不安も大きくなる。エリカは立ち込める黒雲を払おうと首を振り、
「……!」
——町らしき、ほのかな明かりを見た。
---
その町は、ヨーロッパの田舎のような雰囲気を漂わせていた。
レンガでできた建造物。行き交う人々。ただ、エリカと同じ黒髪の人は見当たらない。一応彼らが話している言葉は日本語として聞こえてくるが、|門《ゲート》に書いてある文字までは読めない。見たこともない、いかにも”異世界”らしい文字が使われていた。
エリカは町に入る勇気が出ず、入口の前で立ち往生する。ぐずぐずしているうちに、近くにいた男とぱっちりと目が合った。
「……!!」
男は目を見開き、エリカを凝視する。コミュ障のエリカの思考はたまらず固まる。
(あっ…、そうだ、挨拶しなきゃ…)
程なくして、ようやくエリカの頭は動き出した。
「…あ、えっと…あの…」
しどろもどろになりつつも、エリカは耳を真っ赤にしながら必死に言葉を紡ぐ。
「…こん、にちは…、?」
ようやくまともに男の顔を見れたエリカは、思わず眉をひそめる。
男はエリカを凝視したまま、何かを言いかけ口をパクパクと動かしていた。しかしその口からは言葉が放たれることはなく、音にならないまま空気に混ざっていく。まるで、信じられないものでもみたかのような反応だ。
「あの…?」
エリカが声をかけると、男はびくりと肩を震わせた。怯えた瞳がエリカと交差する。困惑するエリカの前で、ようやく男の口から言葉が漏れ出る。
--- 「——『|悪魔の血を引く者《インフェルノ・ブラッド》』だ!!」 ---
——エリカは、戦慄した。
男の声を聞いた町人が、一斉にエリカの方を見たからだ。
すべての人々の目に、恐怖と憎悪が宿っていて。
「な、なに…?」
声が、唇が、身体が震える。本能が警鐘を鳴らしていて、普段動いているかわからないような心臓が激しく波打っている。
そして、一人の男が叫んだ。
「ここから出ていけ、悪魔の子が!!」
それを皮切りに、町人たちが次々と敵意に満ちた言葉を投げつけてくる。
「こっちに来るな、化け物!!」
「どこかに行け!!お前に居場所なんて無いんだ!!」
鋭く冷たい言葉の刃は、脆く弱いエリカの心に傷をつける。
「っ……!!」
ついには石まで投げつけられた。ジンジンと痛む頬からは、滲みだした血と一緒に大切な何かが溢れ出てしまいそうで。
たまらずエリカは走り出した。
行き先なんて、わからない。
なぜ、こんなに自分が嫌われているかわからない。
『|悪魔の血を引く者《インフェルノ・ブラッド》』が、『悪魔の子』がなんなのかよくわからない。
……ただ。
——転生しても自分は一人ぼっちなのかもしれない、という事実だけがわかった。
悪魔との出会い
——気が付くと、エリカは森の中にいた。
無我夢中で走っているうちに迷い込んだようだ。途端に、あちこちにできた擦り傷や切り傷が痛みを主張し始める。
「…っ…」
追手が来ていないことを確認すると、エリカはへなへなと座り込んでしまった。抑え込んでいた感情があふれ出し、雫となってエリカの目からこぼれ落ちていく。
「怖い…痛いよ…」
どうしようもなく心細かった。
見たこともない土地に、世界に、放り込まれて。頼れる人なんて、誰もいなくて。世界のすべてが敵になるなんて大袈裟かもしれないけど、今のエリカにはその表現がぴったりだった。
(私……ここで、どうやって生きていったら良いんだろう……)
ぎゅっとエリカは唇をかみしめる。それは、エリカが何かを堪えるときの癖だった。エリカは、涙を拭いて膝を抱えこむ。
その時、エリカの太ももあたりでかさりと音がした。
「……?」
エリカは、羽織っているローブにポケットがついていることに気が付いた。そっと手を入れてみると、紙らしきものの感触が手に伝わってくる。
エリカは立ち上がり、それを取り出した。
出てきたのは、古ぼけた紙だった。
折りたたまれていたそれを、エリカは慎重に開いた。
——魔法陣が、書かれていた。
その紙を見た突端、エリカの心はひやりとした。自分の孤独を形にされたような気がしたのだ。
そこに書かれた魔方陣は、救いと破滅を同じ線で描いた絵のようであり、理性を持ったまま眠る呪いのようであった。
(何でだろう…これを見てると、胸が苦しくなってくる)
それでも何故か、目が離せなかった。
目を離してはいけない気がした。
「……あれ?この紙、少し汚れてる…」
エリカは汚れを取ろうと、紙の表面を撫でた。
そしたら。
——血が、ついてしまった。
「あっ……」
森を走っているうちに、いつの間にか指を切ってしまったようだ。汚れを落とすつもりがさらに汚してしまったことに、エリカは申し訳なさを覚える。
そんなエリカを責めるかのように、強い風が吹いた。目を開けられないほどの強風に、エリカは咄嗟に腕で顔を隠す。
風が止み、エリカはそっと顔を上げる。
息をのんだ。
思わず後ずさり、足がもつれて尻もちをついた。
——目の前に、男がいた。
「俺を呼んだのは、お前か?」
男は口を開いた。地の底から響いてくるような低い声。暗い赤色の凍った瞳が、真っすぐエリカを見つめていて。
「だ、誰……?」
「俺は、お前の望みを叶える者だ」
男の羽織る古びた黒いロングコートが、風を浴びてたなびく。使い込まれた黒色の革手袋が、男の持つ漆黒の髪とよく合っていて。
首から下げられたペンダントには、血を啜ったように赤い宝石がはめ込まれている。
そして、何より目を引いたのは。
——男の背中ではばたく、大きな黒い翼だった。
「お前の望みは、なんだ?」
男は問う。
エリカは悟った。
(——この人、悪魔だ……)
「お前が望むのなら、どんな願いでも叶えてやる」
この男の話に乗ってしまうと、きっと引き返せない何かがある。
……だけど。
『望みを叶える』という言葉は、エリカの心に確かに響いていて。
「…本当に?本当に、私のお願いを叶えてくれるの……?」
つい、そう聞いてしまった。
「ああ。どんな願いでも叶えてやる。ただし…」
「——その代わりに、お前の魂をいただく」
「…………魂を渡すと、どうなるの?」
「俺が自由にお前の身体を乗っ取れるようになる」
悪魔は淡々と答えた。まるで、天気の話をするかのような口ぶりだった。
「それに……」
悪魔はまだ、話を続ける。
「——俺はいつでも、お前を殺せるようになるだろう」
「………」
「さぁ……お前はどうする?」
悪魔が、試すようにエリカを見ている。凍った目にはわずかに好奇心が宿っていた。
エリカは、考えた。深く深く、考えた。
そして。
「…答えは決まったか?嬢ちゃん」
エリカは、頷いた。
「——貴方と、契約させて」
その返事を聞き、悪魔は笑う。
「良いだろう。お前の望みはなんだ?」
張り詰めた空気の中、エリカはねじ込むように息を吸った。
そして、己の願いを告げる。
「——私と、友達になって」
二度目の人生
……沈黙。
エリカは不安になって、悪魔の表情を窺う。
「…?」
エリカは、こてんと首をかしげた。
——悪魔は、啞然としていた。
「……あの…?」
「…は?え、お前……は???」
ようやく、悪魔は反応を示した。目に見えて混乱している。
「…嬢ちゃん…今、俺に友達になれといったか?」
「え、うん…」
「……マジで言ってる??」
「…うん」
「俺がいつお前を殺すかわからないんだぞ?そんな奴と友達になりたいのか?」
「……一人でいるより、ずっといいから」
エリカの瞳に影が差す。悪魔は、開きかけた口を閉ざした。
「…本当に、良いんだな?」
「うん……」
エリカは、はっきりと頷いた。彼女の瞳にはもう、迷いはなかった。
「……わかった」
「…?」
悪魔は、一言告げる。
--- 「——この俺…悪魔“ネロ・アビス”は、お前と契約すると誓おう」 ---
「……本当…?」
「あぁ。悪魔は嘘の契約宣言をしない」
「…!ありがとう…!」
小さく、それでも嬉しそうに笑うエリカを、悪魔——ネロは、じっと見つめる。
(本当は、契約した瞬間殺そうと思っていたんだがな…)
「…俺はお前に興味がわいた。少しの間生かしといてやる」
「ふふ…よろしくね、ネロ」
「はいはい、よろしくな嬢ちゃん」
「……私、エリカ」
「あ?」
「…私の、名前」
「エリカ…ふん、悪魔と契約した魔女にしては可愛らしすぎる名だ」
反応に困り、エリカは口をつぐむ。
ネロの深紅色の瞳が、そんなエリカの姿を捉えた。そして、ふっと笑う。
(案外、こいつといても退屈しなさそうだな)
「——俺が新たな名を与えてやるよ、嬢ちゃん」
「……えっ?」
あまりに突然な提案に、エリカは素直に困惑する。そんな彼女の反応を楽しげに見ながら、ネロはエリカの前に立つ。木漏れ日が、彼の後ろで強く輝いていて。
--- 「今日からお前は、“|エリス・ノクス《【夜の闇】》”だ」 ---
「……エリス……」
その名は、エリカの心にすんなりと入り込んできた。
「……ありがとう。この名前、大切にするね」
「別に、適当に付けた名前なんざ好きにすればいいさ」
そう言いながらも、ネロはまんざらでもないという顔をする。けだるげな目つきが、少しだけ細められていて。
「…素直じゃないなぁ」
「逆に素直な悪魔など見たことないぞ」
「あ、素直じゃないって認めるんだ」
「まぁな。それが悪魔ってもんだ」
そう言ってネロはクックッと笑う。
——気が付くと、それにつられて《《エリス》》も微笑んでいた。
異世界について
「…さて、と。《《転生者》》のお前にこの世界のことを教えてやるか」
ネロの言葉を聞き、エリスは小さな衝撃を受ける。
「…私が転生したって知ってるの?」
「俺の目は誤魔化せないぞ?嬢ちゃん」
仕組みはよくわからないが、ネロは転生者を見抜くことができるらしい。ネロの首から下げられたルビーのネックレスが得意げに光を反射する。
「まず…嬢ちゃんは、この世界の文字を読むことができないんじゃないか?」
エリスの脳裏に、最初にたどり着いた町で見た|門《ゲート》が浮かぶ。
「うん…言葉は聞き取れたんだけど…」
「それは転生者の特権だな。どんな言語でも理解することができる」
「そうなんだ…」
「だが、字が読めないと不便だろう?俺がどうにかしてやる」
「…教えてくれるの?」
少し期待してエリスは問うが、ネロは鼻で笑う。
「教える?まさか」
ネロは、ぱちんと指を鳴らした。
「——魔法を使えば、一発だ」
「魔法…!」
「なんだ?目が輝いてるぞ」
「だって、魔法使えたらかっこいいし…」
「ふん、単純な奴だ。…良いだろう、なら次は魔法について教えてやろう」
「私も使えるようになる?」
「もう使っただろ、お前」
「…え?」
「【召喚魔法】だよ。俺を呼んだだろ?」
「え…もしかして、あの紙に私の血が付いたから?」
「その通りだ」
「う~ん…もっと使えそうな魔法、ない?例えば、炎を手から出せたり…」
「あのなぁ…」
ネロは、呆れたようにため息をついた。
「良いか?魔法はそう簡単に使えるものじゃない。魔法を扱うには、生成したいものを強くイメージしないといけないんだ。だから、かなり強い想像力が無いと…」
「…こんな感じ?」
「は??」
ネロはエリスに視線を向ける。得意げに微笑むエリスの手元には…
——アメジスト色の、炎があった。
「私、ファンタジー小説をよく読んでたから、こういうこと想像するの好きで…」
「…だとしても才能あるぞ、嬢ちゃん」
「本当?嬉しい…!」
幼い子供のようにキャッキャッと喜ぶエリス。少しずつではあるが、元気を取り戻しているようだ。ネロはなんとも形容しがたいむずがゆい気分になって、それを誤魔化すように咳払いをする。
「まぁ…なんだ。あとは生活しながらこの世界の特色を感じ取れ。嬢ちゃんなら出来るはずだ」
「うん、わかった…!」
こくりと頷いて、エリスは一つ気になっていたことを思い出した。
それは、一番最初に訪れたあの町で言われた言葉——その言葉の意味だった。
「…あの…」
「なんだ?」
「——『|悪魔の血を引く者《インフェルノ・ブラッド》』って、何?」
悪魔の血を引く者の生き様
ネロは一度、視線を逸らす。
「……この世界はな。悪魔と、人間の血が混じった存在がいるんだ」
そして、たっぷりと沈黙をとってから口を開いた。
「そいつらは生まれつき魔力が強く、その力は恐れられている」
ネロはエリスを見る。
「『|悪魔の血を引く者《インフェルノ・ブラッド》』は必ず黒髪で、高い魔力を持っている……」
エリスは一瞬、息を呑む。
「——条件は揃っているな」
そう…それはまさに、エリスの特徴とぴったり当てはまっていた。
「『|悪魔の血を引く者《インフェルノ・ブラッド》』ってのはな」
--- 「——“悪魔の血を引いている人間”の、総称だ」 ---
「…じゃあ、私は……悪魔の血を、引いているの?」
「あぁ…だけどな、嬢ちゃん。本当に悪魔の血を引いてるかどうかは、問題じゃないんだ」
「——連中にとって大事なのは、“悪魔っぽいかどうか”だ」
「…どういうこと?」
「別に、悪魔の血を引いている人間全員が凶悪で残忍な奴だと言うわけではない。それなのに、お前ら黒髪の人間は差別されている」
「連中は誰かを非難することで、自分は正しいことをしていると安心したいんだ」
つまり、とネロは言い換える。
「あいつらは、欲しているだよ——“悪役”をな」
「……じゃあ」
エリスは少し考えてから、こう言った。
「私が悪魔と契約した今は?」
ネロは、少しだけ笑う。
「今は、立派に“本物”だな」
そう言いながらも、ネロはすぐにこう続ける。
「…だから、なんだ?」
--- 「——お前がどう生きるかは、お前が決めろ」 ---
エリスの瞳が揺れる。
そして、エリスは気づいた。
——無意識のうちに、泣きそうになっていたことに。
純粋に悲しかったのだ。
誰とも交流することが許されず、前世と同じように、孤独に生きていかねばならないのかもしれないということが。
もちろん、ネロが友達になってくれたのは嬉しい。
…だけど。
(だけど、私は…!)
「——もっと、友達を作りたい…」
「“悪役”でも“脇役”でもない、“主人公”として生きたい…!!」
「…よく言った。上出来だ、嬢ちゃん」
ぐしゃっと、ネロの手がエリスの頭を撫でる。革のグローブがはめ込まれたその手は、力強くて大きかった。
「その望みを叶えたいなら——他者から与えられた“役”に従うな。“物語”は、己の手で奪って書き換えろ」
エリスは、真っすぐとネロの眼を見て。
——しっかりと、頷いた。
帰るべき場所
「…さて、と。これからどうするつもりだ?」
「え?えっと……」
ネロに言われて初めて、エリスは気が付いた。拠点も、食料も、その他生活必需品も…生きていくために欠かせないものを、エリスは何もかも持っていなかった。
「…まずは、住む場所が欲しい…かな」
ネロは顎に手を当て考え込むしぐさをすると、しばらくしてからぽつりと答えた。
「…廃墟でもいいのなら、心当たりはあるぞ」
---
——彼らが訪れたのは、廃墟となった教会だった。
夕暮れの光が割れたステンドグラスをすり抜け、床に滲むような色を落としていた。紫がかったその光は、埃に満ちた空気をゆっくりと染め、倒れた祈りの椅子や欠けた天使像の影を長く引き伸ばす。
エリスはしばらく立ち尽くしてから、静かに息をついた。
ネロは祭壇に腰を下ろし、革のグローブ越しに指で埃をなぞる。
「綺麗とは言えないが、雨風は凌げる。悪くないだろう?」
「…うん」
エリスはそっと壁に触れた。冷たい石の感触がじんわり伝わる。不思議と胸の奥は静まりかえっていた。
「この世界では、“神”ではなく“天使”を信仰することが多い。ここもそのようだな」
誰も祈らず、誰にも見られなくなったこの場所。天使の名を掲げたまま忘れられたこの建物は、今はただ、彼らを拒まず佇んでいた。
エリスは小さく頷く。
「……私、ここがいい」
その一言で、すべては決まった。ネロは口の端を上げ、ステンドグラスの光を背に告げる。
「あぁ——ここがお前の、“帰るべき場所”だ」
---
「…さて、食料はどうするつもりだ?このままでは街に行けないぞ」
「う~ん…魔法で髪色を変えたりとか?」
「残念だが…黒髪と白髪は、魔法では色が変えられない」
「そうなの?」
「もし、ちゃんとした食べ物を食べたいのなら…盗むか、自分で採ってこい」
「ぬ、盗むなんて出来ないよ…」
「……はぁ、わかった。俺が食えそうなものを採ってきてやる。調理はお前がやれ」
「えっ、待っ」
エリスがネロを止めるよりも先に、彼は大きな黒い羽を広げ飛び去ってしまった。
(どうしよう……私…)
「——ほら、採ってきたぞ」
「ひゃっ?!」
突然後ろから声を掛けられ、びくりとエリスの肩があがる。元凶は楽しそうに笑う。
「良い反応だな、嬢ちゃん」
「驚かさないでよネロ…」
「悪魔はひねくれているものだ。それよりほら、食料だ」
「…あ…」
どくり、とエリスの心臓が跳ねる。焦りと申し訳なさが交互に浮かび、鼓動を速めていく。
「その、私……」
「——料理、作れない…」
---
「…ほら、出来たぞ」
「わぁ、すごい…!」
「まったく、世話の焼ける“友達”だな…」
ため息をつきながら、エプロン姿のネロは手際よく料理を並べていく。恐ろしい存在のはずの悪魔がそんな恰好をしていることが面白くて、エリスはついクスクスと笑ってしまった。
「ほら、冷めないうちに食え」
「…あっ、このスープおいしい…!!」
肌寒い夜に飲むスープは、やはりおいしい。しかも、“友達”が自分のために作ってくれたとなれば尚更だ。
「…火傷するなよ?」
ネロは、ぶっきらぼうに呟いた。
「ふふ…ありがとう、ネロ。心配しなくても大丈夫だよ」
「…ふん」
相変わらず素直じゃないネロの反応に、エリスは小さく微笑む。
エリスは、たしかに温かな気持ちを感じていた。
---
——誰もいなくなった、森の中。
冷え切った静寂を、一人の男が切り裂いていく。
男が羽織っている白いマントは、夜の暗闇によく映える。腰に差された小綺麗な剣が、男の勇姿を物語っていた。
男は、美しい白髪と澄んだ金色の瞳の持ち主だった。
例えるなら、それは——現世に舞い降りた“天使”のようだった。
「…この辺のはずなんだが…」
男は、一人呟く。
「——『|悪魔の血を引く者《インフェルノ・ブラッド》』を見かけたという目撃証言があった場所は」
“天使”との接触
「——食料が尽きたな」
空になった食料庫の中を見ながら、ネロは呟いた。
「今度は、私が食料を採りにいこうか?」
「いや…お前が出歩くのは危険だ。また俺が採ってきてやる。お前はここで待っていろ」
「わかった。よろしくね、ネロ」
「お前は料理の練習でもしておけ」
「うっ…一応頑張ってはみる…」
エリスが頷いたのを見届けると、ネロは鼻で笑いながら飛び去った。
---
——ネロが食料の調達に出てから、しばらくが経った。
教会の中は、思った以上に静かだった。風が割れたステンドグラスを鳴らし、遠くで夜鳥が鳴いている。
焚き火の火はすでに小さく、赤い光が石床にゆらゆらと揺れている。エリスはその前に座り、膝を抱えたまま、ぼんやりと天井を見上げていた。
(……変な感じ)
ここに来てから、もう4日が経った。
最初は、見知らぬ世界に一人で放り出されて、怖かったはずなのに。
今は、少しも不安を感じない。
(……ネロがいるから、かな)
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなる。
…その時だった。
——かすかに、足音がした。
エリスは立ち上がり、無意識にローブの裾を握りしめた。
「……誰?」
返事は、すぐにあった。
「驚かせてしまったかな」
柔らかい声。
振り向いた瞬間、エリスは息を呑んだ。
白いマントが月光を受けて淡く輝いている。目を引いたのは、無駄のない装備、腰に差された剣。そして何より、美しい金色の瞳。
——まるで、天使のような立ち姿だった。
「……君が、『|悪魔の血を引く者《インフェルノ・ブラッド》』だね?」
エリスの心臓が、どきりと跳ね上がる。
男は、エリスの顔をまじまじと見つめた。
「……子ども?」
その声には、隠しきれない動揺が滲んでいた。
「君、いくつなの?」
「……14、です」
絞り出すように答えると、男は一瞬、言葉を失ったように黙り込む。
「……そんな……」
彼の表情に浮かんだのは、嫌悪でも恐怖でもなかった。
——深い、憐れみ。
「……君は、転生者だね?」
男は、ネロと同じように言い当てた。
「悪魔と、契約してしまったんだね……」
彼は、まるで自分の責任であるかのように眉を歪めた。
「……怖かっただろう。知らない世界で、居場所もなくて……追い詰められて」
「……」
「そんな年で、そんな選択をさせられるなんて……」
その声音は、まるで救えなかった何かを悔やむようだった。
そして、続けて。
「——可哀想に」
そう、呟いた。
「っ……!!」
その瞬間。
ざわりと、エリスの心臓が波打つ。
(…違う)
言葉にしようとして、喉が詰まる。胸の奥を、きゅっと掴まれるような感覚がして。
(私は、可哀そうなんかじゃ…)
男は、ゆっくりと距離を縮める。
「僕と来よう。“天使”の庇護下なら、君は——」
——次の瞬間。
男の表情が、はっきりと変わった。
空気が、張り詰める。
「……っ」
彼は、教会の外——闇の奥を鋭く睨む。
(悪魔の気配……近い)
男は、一歩距離を取った。
「……今は、引くことにするよ」
そう呟き、エリスに視線を戻す。その瞳は、強い決意に満ちていた。
「でも、大丈夫」
男は、はっきりと告げる。
--- 「——僕が…“ルシエル・ノヴァ”が必ず、君を救ってみせる」 ---
それだけを残し、|白い影《ルシエル》は夜の森へと溶けていった。
そして、静寂が戻る。まるで、何事もなかったかのように。
エリスは、その場に立ち尽くしていた。
(……救う、か…)
胸の奥が、ざわざわと波打つ。
「……私……」
かわいそう、なのだろうか。
選んだのに。
自分で決めたのに。
——その時。
「……嬢ちゃん、戻ったぞ」
聞き慣れた、少し不機嫌そうな声。羽ばたきの音。
ネロが、何事もなかったかのように教会へ戻ってくる。
「……?」
一瞬、エリスの表情を見て、眉をひそめたが。
「……なんだ、その顔」
「……なんでもない」
エリスは、微笑んだ。
「おかえり、ネロ」
天使のような彼のことは、言わなかった。
——今は、まだ。
小さなこの胸の奥に、静かにしまっておく。
エリスの笑顔の裏には、ルシエルが去り際に放った言葉が渦巻いていた。