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目次
思い出
その時は楽しく感じていても、いつかは昔となってセピア色になっていく。脳はそのようになっていると思っていた。
いい思い出も悪い思い出も、運命的な転換点もトラウマもいつかは薄れ、色落ちた静止画へ。ドラマより現実感のない〝|フィクション《記憶》〟にすり替わっていく。
そうして夥しい時間薬に晒されて、慢性的副作用で脳内のアルバムは徐々に劣化、腐り落ちていく――平成になる頃までは、そう思っていた。
昭和から平成へ、平成から令和へと改元されてから、剥がれ落ちる記憶は小型機械に閉じ込められていつでも見られるようになった。明瞭な色彩が細やかな動きを見せ、好きな時間に無制限で追憶することができる。
三か月ほど前、ある動画にハマった。
私の年齢の三分の一ほどしかない未成年の彼女が、ゲーム配信や流行り曲を歌ってみたなどの動画を投稿するチャンネル。年金暮らしの私はすぐにファンになった。
チャンネル登録者数は三十万とやや少なく、再生数は二千程しかなかったが、それでも彼女の幼い声とドジなミスを繰り返し、敵の追手にあと一歩という所で機転を利かせ見事に回避していく。
しゃべりも上手く、立て板に水なゲーム実況者としての一進一退なゲーム進行と、スリリングなアクションの両立……次第に舌を巻く思いが募っていった。
あっという間に時が過ぎていく。楽しいと思える時間が、このチャンネルには詰まっていた……はずだった。
去年の暮れ。
除夜の鐘が鳴る頃に、彼女がこの世を去ったらしい。
私がそれを知ったのはすべてが終わった後。年始から一週間も経つ現在だった。
彼女が所属していた事務所によれば、精神的に参っていたことと恋人のDVを苦に、衝動的に自殺してしまったということ。
本来ならば私が先に逝くべきだったはずなのに、現実とは残酷なものだ。
それよりも――
「ご冥福をお祈りいたします」
「ご冥福をお祈りいたします」
「ご冥福をお祈りいたします」
彼女の最後の投稿動画――『遺作』はともかく、このような哀悼の意を表するコメントの多さたるや、いかほどだろう。
動画再生しなければコメントできない仕様もあって、一気に数はうなぎ登り。急上昇一位を掻っ攫って、四千倍でも一向に届かない再生数の暴力……一方、ファンとの思い出は地の底へ埋もれていった。
「ご冥福をお祈りいたします」
「ご冥福をお祈りいたします」
「ご冥福をお祈りいたします」
見ず知らずの人だかりが、土足で踏み込んでいく。
未成年の自殺だからと置いていくその言葉は、哀悼ではなく単純に壊すだけ。
楽しかった思い出が、希薄になることなく砕かれていく。その現象に、私は我慢ならない。
私たち、ファンとの思い出を穢すな。
けれども、コメントは増えていくばかり……
「ご冥福をお祈りいたします」
「ご冥福をお祈りいたします」
「ご冥福をお祈りいたします」
カバンが落ちた
カバンが落ちた。
人が墜ちた。
首を絞められたニワトリのような、トラックの急ブレーキ音が辺りに響いて……そして、飛び散った。
制服姿で三編みにした髪、今どき珍しい。紺に近い青い学生用カバンは、ベンチウォーマーがヒットした時のように飛距離は出ない。でかい音の割にニメートルほど飛んで、ゲームセット――歩道橋からの飛び降りだった。
突然のことで目の前は騒然となっている。
現場は国道〇号線と県道との交差点。角にはそれぞれ飲食店とコンビニ、ガソリンスタンドがある。残り一つは空き地だ。
国道ということもあって交通量が多く、高速道路から逃げてきた車やトラックは軒並み立ち往生を食らってしまった。
こうなるくらいならお盆休みの渋滞に巻き込まれたほうが良かった、この道を選んだばかりに出食わした不運に、運転手たちはそう漏らすだろう。
やれやれ、と頭を抱える。
俺もその一員だったからだ。
昨日まで俺は日光にいた。家族旅行のお盆休みとして自家用車を走らせ、三日ほどそこで休ませてきた。
日光東照宮やら華厳の滝、竜頭など定番の観光地を巡って温泉宿でゆば御膳を頂いた。旅の定番をぬったくったようだったが満足感の強い旅行だったと思う。
日光なんて、小学生の修学旅行に加え、嫁との二人旅で何度も行っている。それこそ滝の名を聞いただけでここだと判る程度に。
だが、今回は違う。今年で三歳になる娘を連れてきたのだから。
一人娘であるきららは、無邪気が人格化したらこうなるだろうという性格の持ち主だ。一体誰に似たんだろう、あれを見たいこれを見たいと輝かしい目つきで指を差し興味を示していた。
二泊三日の三日目にあたる本日は、旅の帰途である。しかし車内には俺ひとりのみ。なぜかチェックアウトの直前になって、きららは特急電車で帰りたいと言ってきた。フロントに置かれた縦に長いパンフレットには赤い特急電車が堂々たる姿を見せている。あれで帰りたいと宣った。
子供らしい突飛で面白い名案だ。でも、車でここに来ているのだ。生活必需品なのでさすがに残すわけにはいかない。
ではどうする? 電車か車か、きららは駄々をこねて電車だ。俺たち大人はそんな言い分できない。帰りの導べは娘の指先に託された……
――じゃあ誰と帰りたい?
無邪気な指はぴっとあちらを差した。
「全く、ツイてんだかツイてないんだか……」
車の中でひとり事を呟き、ハンドルに顎を乗っける。物心がつく前でも冠婚葬祭、特に葬式は、詳細は忘れど記憶に刻み込まれてしまうと育児本には書いてあった。あの異様な雰囲気は子供でもおかしいと感じ取る。死という概念は本能を強く刺激してしまうらしい。
なら、目の前の〝劇〟はひとたまりもないことだと感じた。観客は俺ひとりで良かったが……はぁ。
ようやく進展があった。緊急事態を周囲に撒き散らしながらの到着だ。四つ角のうちの空き地の方に停まり、救急隊がぞろぞろと大名行列を練り歩いての登場。白か黄色かの服を着て、人混みで交差点全体を隠した。
その間、遺体は炎天下にて晒されたまま放置されていた。殺人事件でいう、現場保存のノリだ。ちなみに上はがら空きで、歩道橋からのぞき見し放題。
何をしているのかは想像に難くない。意外と時間がかかるかと思いきや、わずか十五分もしないうちに引き上げた。
なぜ小型の消防車が待機しているのだろうと思っていたが、なるほど、残りを洗い流すためだったのか。
やがて交通整備の人が渋滞の詰まりを取り除いていって、自分の車が動き出した。
まだ物見遊山のやじ馬たちが見下ろす歩道橋の下を通って、あっという間に遠ざかった。
「鳥取砂丘へ行ってください」
「鳥取砂丘へ行ってください」
運転席のガラスを叩いて隙間を空けるや、開口一番に客はいった。
え?――と面食らったものの、タクシー運転手という職業柄、私は後部ドアを空け、客を乗せてすぐに発車した。
ターミナルを旋回して、国道一号に通ずる交差点を左に曲がった。
終電を過ぎた夜の横浜は車のエンジン音すらはっきり聞こえ、人はいない。
住民は曇天の夜空に灯る星の如く、その輝きすら勝てないほどに生活を失っている。これにはコロナの成果もあるだろう。
客はどうしてか一人で、終電に乗り遅れたか、と最初は思った。
〝コロナの成果〟で、最近JRの終電が繰り上げになったとアナウンスしていたのを耳にしたことがある。
それが近々か行われると言っていたのでそう思ったのだが……そうなるとなぜ鳥取、それも砂丘なのか。
「お客さん、鳥取に何か用なんですか?」
黙秘権を発動された。
驚くほど下の車輪がよく回る。信号機がすべて青に統一するほどに。
ミラーで容姿を窺うと、彼女は三十代後半か四十代前半といった年齢で、マスクは着用していない。
夜温はもうすぐセンター試験を告げるくらい、開けた窓から冷えた空気が流れた。
――もう話したくないのよ。
――あなたみたいなおじさんとはね。
月に照らされ、深夜の車内に顔だけがほの白く浮かび上がる。
場違いなほどに軽装で、その病的な風貌から精神病棟の患者かと思わせた。
あるいはどっかから逃避したいのでは……とも。
例えば、夫婦間の仲違いかなんか、いわゆる〝コロナの成果〟による不仲か……
案の定、東名はがらがらといったもので、このままいけば十時間かそこらでつくだろう。長距離はしたことがないが、タクシー運転手としての勘がそうさせる。
そうなると、この人は金を持っているのだろうか――?
改めて様子を窺った。相手の身体は鉛のように重く、目は確実に死んでいる。
陸橋のつなぎ目を走行しても車が単調に揺れるだけで、女は微動として動かない。化粧もしておらず、唇は悲しげに歪めたまま。
寝ているのか? いや、目を開けてぼんやりと空を見つめ、|耽《ふけ》っているのだ。
何のためにこのタクシーに乗り込み、そして砂丘に行くのか。その理由は分からない。ただ今言えるのは、彼女の現実逃避の一助になるべく、この足を停めてはいけないのだろう。現実に向き合うのはその後で十分だ。
私は、すこし汗で滲んだハンドルを掴みなおした。丹沢山地のトンネル群を駆けていった。
トンネルの向こうで待っていた夜空は、煌煌《こうこう》と座していた。
驚き顔は、白い不織布マスクで隠せているだろうか……
バイト面接
「いやぁ、助かりますね。こちとら増税不況から人手が足らなかったもので……」
机の上に置かれた書類を手に取って、率直な感想を述べるマスク男。
「○×大学、聞いたことがある。たしか、偏差値七十五は超えてるとこだよね、いやぁ……素晴らしい学歴だね」
店長のお世辞を聞いて、中村|康太《こうた》は「ありがとうございます」と、礼儀正しく頭を下げた。
店長の身なりは乏しく、服の至るところには飲食店らしい油シミがてんてんとついている。このご時世なのに、衛生に気を配っていないな、と中村は感じた。
とあるラーメンチェーン、その店内で、年も幾ばくも離れていない顔の表面に張り付いているのは、慇懃の仮面。
が、その|実《じつ》中身はどうなのだろう。
店長は自分よりも紙面のほうに、それも履歴書のとある欄のほうに目を配っているらしい。相手の興味も解る。そこにはこう書いてあるからだ。
職歴。youtuber 二年。
チャンネル登録者数は二万とんで二千人。日付欄には二か月前に一身上の都合により退職――と記載してある。
「……いやぁ、お互い大変ですなぁ。コロナで」
「ええ。いつになったら終息するんでしょうと、いてもたってもいられません」
「まあ、だからこちらに来たってことで……それでいいんですよね?」
有名大学を卒業して、二年って。しかも動画投稿者なのに『一身上の都合により退職』って。こんなもの書いて恥ずかしくないの?――とでもいうような目付き。
明確な蔑視《べっし》が隠されている。確かに登録者数は若干盛っている。たかがバイト面接なんだから、盛ってなんぼだろう。
中村は愛想を浮かべて流し、返した。その後、いくつか定番の質問がなされ、面接はお開きとなる。
シフトを聞かれ、いつでも大丈夫です、と返すと、
「ああ、それは助かるね。《《即戦力》》だ」
と、店長は笑顔を浮かべた。|一瞥《いちべつ》の目線は店内に向けられていたのに。
コロナの影響で不況が続く外食産業。ここも例外なく、時短営業の閑古鳥がうるさくかあかあ鳴く。
嘘をつくのが下手くそだろ、と思いつつ、中村は外に出て自嘲の空を仰いだ。
午前にはなかった雨雲が流れている。
住宅地のほうからやってきて、たちまち雨が降ってきた。バケツがひっくり返したような、ゲリラのような夕立。いや、夕立のようなゲリラか。
自分の直観より天気予報を信じた中村は、あいにく傘を持ってきていない。春の豪雨に成す術を持たず、しばらく店の軒先で雨を待つことにした。
どんどんと|水嵩《みずかさ》を増す駐車場には、アスファルトの上で泡立った白いものが生まれ流されていく。
広い水たまりから動き出して勾配通りに導かれ、先で渦巻くそれに向かって流れ出す。桜の花びらで詰まった側溝に、泡はゆっくりと流れていく。
――いっそコロナに|罹《かか》ればいい。あの泡は、俺たちの行く末だろう。
終わりの見えない新型コロナを無数の雨に重ね、泡の行く末をじっと凝視する。
予定運命に抗うように、桃色でまごついた泡だったが、ついに側溝の隙間に吸い込まれてしまった。けれども新たなる白い泡が、遠くのほうで列に並んで待っていた。
「これで落ちたら七回目、か」
一週間以内に連絡が来なければ、の話だが。中村は蒸れたマスクを剥ぎ取り、スーツに付着する雫を払い落す。
表面についた雫がいくつも飛んで、まだ雨に侵略していない軒先を小さく濡らした。
雪の遅延
人生の中で最も狂わせるもの、それは数字だと思う。老若男女問わず、数字とは裏表のない性格を持つ。隷属したりされたりできる。器用貧乏ともいう。
それは暮らしを安定させることもできるし、人生を狂わせることもしてくれる。
真っ平らなはずの道をアップダウンにさせ、ジェットコースターの終着地のように破滅させてくれるのだ。
例えば今の学生に降りかかれば、SNSのいいね数によって変動する。数字が低ければ十代特有の若さを浪費してバカなことをしでかしたり、小手先だけの色気を出してフォロワーを釣ろうと学歴を棒に振ってまで頑張るのだ。
発言権を持ったのか、と思わせるくらいのドル円の変動もそうだ。ちょっと揺れただけで世間を震撼させる。
「今からインフレにしてやろうか?
まあ、今も《《インフレみたいなもの》》だけどさ……」
数字とは、いつでも上から|脅嚇《きょうかく》できる立場にいる。
近くにいるからといって操作できるわけではない。当然、彼らは感情のない暴徒のようにつっかかってくる。人間はそれに従うしかできない。
今日もまた、快速電車の核となって揺れ動く男たちの身体は、上野駅で解放された。
大雪が降るかもしれないという天気予報に踊らされ、車内のその混雑具合といったらありゃしない。
停車するごとに穴が開けられる。
ある男は目の前の、確率の座席にありつけた。一息ついて顔を上げると、目の前のつり革に吊るされた学生が躍り出た。彼を見て、ああそうか、と思う。降雪は受験期の風物詩なのだ、と。
紺色の冬ズボンは薄そうだが、上半身は温かそうにしている。
車内で堂々と裾から出した手には、気持ちを切り替えたように古典の単語集を持っていた。
今までの頑張りの証がページ外にはみ出している。
蛍光色が塗られたように見えたそれは、色とりどりの|付箋《ふせん》だった。赤青黄色緑とバリエーション豊かに貼られていて、車内のかすかな空調でたなびいている。
気持ちを切り替えたようにとそのとき感じたが、圧倒的ともいえる量から察するに、《《あきらめたように》》手を付けたのかもしれない。
そういえばそうだ。学生も数字に一杯食わされたのだ。
かつてセンター試験と言われた大学共通テストやらに。一昨年あたりだったか、数学何々が歴代最低点だったと言っていた。たしか百点満点中で……三十七点。
人生を賭けた試験だというのに、低すぎる。
負の感情が芽生えたが、平均点とは平等だ。平等に、地の底に落としてくれる。
通勤先の都合上、東京駅でリタイヤした。ふいと階段の途中で振り返る。
雪による遅延で狂わされた電車。大部分は立ち往生しているが、その電車はゆっくりホームから離れていく。空いた穴はふさがれることなく、名の知らぬ学生は微動として立ったままだった。
雪の遅延で、都内で功を奏する者がちらほらいるかもしれない。
朝だからこそ、それは感謝される。感謝しない、あるいは雪を嫌に思ってしまうのは、社会人という過ぎ去った者たちだけなのだ。
もうすぐ受験シーズンが始まる。
今年の受験生のうち、どのくらいが数字に狂わされるのでしょうか…?
自己紹介
Across:(~の)向こう側に。
どこの向こう側? ……そんなものはない。
ペンネームの由来? ……そんなものもない。Googleに「A」と打って、たまたまサジェストされたのがこれだっただけ。由来なんてあとで考えればいい。
……ああ、自己紹介でしたね。
Acrossこと僕は、ここに来る以前、某大手の小説投稿サイトを使っていた。
だが、競争社会の縮図であるそこは、PV数や評価数によってランキングに載らないと読まれない場所だった。その数字たちによって惑わされた僕は、とうとう筆を折ってしまった。
数字を見なくて済む場所はどこか、ネットの海を這って這って、溺死するくらいに潜っていつしか気を失って、気づいたらこんな無人島に流れ着いた。
ネットの海の、太平洋にポツンとあった誰もいない海辺。普段着だったはずの服はズタズタに破れてなお、水を含んで重くなっていた。消防の人々が着る防火衣みたく分厚い服を着ていた気分になる。それだけ心が疲れていたということだろう。
身体中海水に揉まれ、塩気で肌はやけどを負ったようにじんじん痛がった。はりついた砂粒はまさしく『泣きっ面に蜂』だ。
苦しい。でも……、どうしてだろう。
ここはどこか居心地が良い。心地の良い風が始終吹いている。
三十分も歩けば一周してしまうほどの大きさだが、ロケーションはいい。ちょっとした小屋も一軒ある。
良いところなので、ちょっとした手作りの旗をザクっと刺して、近くにあるちょっとした砂浜に向かうことにした。
---
砂浜にはさざ波に打ち付ける漂流物……|空《から》のガラスビンがいくつもあった。波打ち際の砂の上。波が押し寄せては、泡立った白いものを残して波は消えていく。
砂とビンとその波の破片がからからと音を鳴らし、ゆりかごのように転がっては海に飲まれている。
僕はその一つを手に取り、波打ち際から少し離れた砂浜の上でしゃがんだ。
何も入っていないガラスビンを寝かせながら横に動かし、砂を|掬《すく》って中に入れた。八割ほど入れると今度は手で掬って指先の隙間からさらさらと乾いた砂を入れる。
満杯まで入れて封をして、立ち上がり、海に近づく。
僕はこの一本目を海に浮かべようとした。
だが当たり前のようにそれはすぐに浮かぶのを諦めて、重みで水中に沈む。浅瀬をころころと転がるように、見えない海底に向かっていった。
僕の手から離れていく……なんだか達成感のようなものを感じた。久々に感じる幸福感だった。
……そうだ、筆を持った日の、最初に筆を持った時の感覚に近いかもしれない。
どうして筆を折ってまで放置したのだろう。あの作品たちを
--- 『未完』 ---
のままにしたのだろう。
ここに漂流してきたビンの数、そこまで多くはない。ただ、この数すべてを海底に沈ませたくなった。
|空《から》の、中途半端に入った小さなビンは、僕がエタッてしまった小説に思えてならなかった。
容器とは、中に詰めるための道具。だから、
--- 『空のビン』 ---
のままで、いさせちゃいけないと感じた。
もし中身が少ないまま海に浮かべたらどうだろう。空気の量が多いので遠くに漂流していって、別の人に拾われた(見られた)としよう。ビンにとって、その方が幸せなのかもしれない。
でも、僕がビンだったらどうか?
それまでの漂流時間……海上の漂流時間は、とても長い時間になる。それを考えると、海に浮かべられるなんて苦痛、〝漂流ゴミ〟としての|蔑称《べっしょう》は、とても耐えられない。
ゴミは無機質で感情がないから耐えられる。僕は負の感情に|苛《さいな》まれ続けてここにいる。
たとえ暗く冷たい海底に行き着くことになってもその方がいい。
その方が、ここのように静かで、静寂で、しじまで、自然で…落ち着く。……中身があるほうがいい。
授業中の内職のような感じで急ぎの用事でもない。気晴らしのように、気分転換のように。
時には砂だけでなく、海藻とか、貝殻とかも沈めてやろう。海水を煮詰めた純粋な〝塩〟だけを詰めたものも、時には沈めてやろう。
けれど、多くは望まない。だって僕が唯一望むものは――
そう思うと俄然手は動き始めた。僕はただ、砂のついた手を、子供のように大きく動かした。
満杯になった二本目のビンが手から離れた。浜辺から、沖から、そしてそれがやさしく転がって離れていく――。
……
副題:青
青い空と青い海。
そして青くなるまで疲れた僕の心。
かぼちゃの馬車
注:この小説は約3,700文字です。
ローラーコースターはゆっくりと昇りゆく。
絶叫マシンと呼ばれる所以は今のところない。最高地点に達していないからだ。
息を潜める暗殺者のように。ゆっくり、徐々に……車体下でひそかに稼働するチェーンリフトのかすかな音が乗客の|抱《いだ》く『怖い』を掻き立てる。若い女性の、恐怖の上限から漏らす声。一方彼氏か友達か、男性の、堪えるような沈黙の息遣い。
その派閥が最高潮に達した時、ローラーコースターの最高地点に達した。先頭からうなぎ上りのように、
「きゃー」
「うわー」
だが、その声は自分たちの声ではない。遠くの、窓から聞こえてくるのだ。
「何も遊園地のそばに引っ越してくる必要なんてないのに」
冬並みに寒い空気の|喧噪《けんそう》が開け放たれた玄関から入ってくる。閉じていても無理やり壁から突き破ってきそうな大音量で。
とても同じ人間の声とは思えない。それに耳を傾けながら、西村 |渉《わたる》は前の女、吉本 |真美《まみ》に呼びかける。
「うるさくない?」
「今日は日曜日だからね、ハロウィンってのもあるし」
「ハロウィンだというのに、俺たちはな……」
「それ、去年のクリスマスでも言ってたでしょ」
真美の方はそっけない。外から段ボール箱を持ってきては、リビングルームにすとんと下ろしている。
「ほら、行くよ」
「まだあんのかよ」
「段ボールがあと三、四個」
「どれだけ持ってきたんだよ……。家具だけの救援かと思ってた」
「無駄口叩いてないで、早くしないと暮れるよ。まだ重たいのがあるの。ほら」
「……そうはいってもなぁ」
幽霊屋敷のアトラクションから逃げ出すように、ほれほれと手を掴まれ、玄関に導かれた。
渉は頭をかきながら、外廊下から見えるあの遊園地に目を飛ばした。ローラーコースターの生き生きとした音色に釣られてしまっている。
ここから遊園地はほんの二百メートルくらいしか離れていない。数軒ある住宅地でできた薄い壁の向こう側からアップダウンの度に、また急カーブの度に、悲鳴と絶叫がなされている。かなり楽しめるらしい。
遊園地のシンボルである円形アトラクション――観覧車の一部は壁の上からはみ出している。自分たちが今していることは、あの最高地点の席から見下ろされているらしい。
ジェットコースターに観覧車、そして悲鳴。正直気が散ってしまう。こちとら引っ越し作業をしているんだ。邪魔しないでくれ。
「なんでここに引っ越したんだ」
「興味ある?」
「ああ、こんなうるさいとこ、俺だったら住みたくねーし。帰ってもギャアギャアと叫びやがってと思うと、気が休まらない」
「うるさいのは昼間くらいだよ。ひらかたパーク、夕方には閉まっちゃうから。夜は静かなもんだよ」
エントランスの前に停め置かれた白い小型トラックが見えた。
ああ、やりたくねーな、と荷台から一つを掴んで抱える。真美の方はと探すと、もう先の方に行っている。
「休日はさすがにうるさいだろ?」
「まあね。でも、ここ防音壁工事したから、そんなに気にならないのが売りらしいよ」
ため息を吐いた。「あっそ」
「手伝わせちゃってごめんね。これでも感謝してるんだよ。一人だったら普通に絶望してるし」
「だったら近場で済ませればよかったんだ。こんな|辺鄙《へんぴ》な所に構えちゃってさ、だから男に嫌われるんだぞ」
重たいものを遅めに持ち運んでいたがエレベーターホールで追いつけた。せっかちな真美がなぜ待っているのかと思ったら、デジタル数字の表示は「3」、「4」と上がっている。
「エレベーターにも嫌われてんのか」
「うるさい」
---
二人は同じ年齢で同じ大学出身だった。
卒業してからは疎遠になっていて、こんな一人暮らし女の引っ越しの手伝いに行くという軽い関係には普通ならならない。
少し裏がある。なんと職場まで同じなのだ。ただ、勤続年数や、入社年は違う。
真美の方が現役――こんな言い方はしないだろうけど――で入社して、一方男の渉は二年ほど寝かせての入社だった。
だから同年代だからと言って、先輩後輩という上下関係が存在する。
「あんた、トラック運転できるでしょ。手伝ってくれない?」
真美の方からだった。渉は休日出勤の要領でトラックの即席運転手になった。
夕暮れの気配を敏感に察知してか、騒音並みの悲鳴の量は次第に減ってきている。営業時間終了が迫ってきているのだ。
引っ越し作業は一段落して、夜の準備の頃合いだ。飯とかどうしよっか、みたいなアンニュイな雰囲気。
「泊まってく?」
真美はいった。「|職場《ここ》から近いんだよ」
「それ、誘ってんの?」
「うん、なんか寂しんだよね、一人だと」
「学生気分が抜けてないだけだろ。別の男でも捕まえれば」
「なーんだ。つれないね」
新しいこの部屋の主さまは、独り外食をすることにしたらしい。トイレに行ってしまったようで、姿が見えなくなる。
渉は黒のアウターを着て、一人帰ることにした。そろそろ帰りのバスが混む時間なのだ。早くしないと、ハロウィン仕様の風船だらけでバスに揺られないといけなくなる。独り身には絶望の時間だ。
諸々の手荷物を持ってリビングから去ろうとした。その時、目は段ボールタワーの一つが気になっていた。
他のものは封はそのままで、一つだけ開けられている。『マスク類』と外側に書かれた箱。
こんなところに置いたのが悪いのだ。理由もないのぞき見で、中を見た。
大人用マスクと除菌シート、アルコールスプレー。あいつも女だったようだ、きちんと整頓されていた。
だが……なんだこれ。そこに覆いかぶさるようにオレンジ色のマスクがあった。
薄い透明のフィルムにくるまれて、未使用品らしい。オレンジ色の布マスクだ。
しかし、やけに小さい。黒い帽子をかぶったかぼちゃがプリントしてあって、これは……子供用?
「――持ってっていいよ」
声がして、顔を上げた。
見られていたらしい。ちょっと恥ずかしかったので取り繕うが、気にしていない感じだ。むしろ、
「持ってったらいいんじゃん。ちょうどハロウィンだし、ちょうどいいじゃん。自分の子供用にさ」
「いや、俺子供いねぇし。いねぇどころか相手も――」
そう呟いた直後、これは冗談でないのかもしれないと気づいた。本当に持っていってほしいのではないか、と。
真美の顔は分からなかった。キッチンに行こうとしている。
顔を背けているのか、あるいは隠しているのか、見せたくないのか。
「……いいのか。持っていって」
渉は了承を得ずにポケットに突っ込んだ。長いひと呼吸だった。女の口からこうかえってくる。
「いいよ。私も使う予定、当分ないだろうし」
---
渉が二年遅れの第二新卒組として入社を決め配属されたとき、女は明かるげな笑みを浮かべて仕事をこなしていた。大学生時代はただの友達で、今は社会人。その女はすでに結婚を前提とした相手がいた。
半年後をめどに式を挙げる予定。それでヨーロッパとか旅行する予定だから。今から成果上げて、|褒休《ほうきゅう》とか狙ってるの。
それを聞くとなんだか自分とは一層遠くに離れたようだった。先輩と後輩だけでなく、男女の関係も。同じ研究室出で、一緒に飲み歩いたりしていたのに。
だが、そうした浮ついた彼女の姿はある時を境に切り替わった。
失恋をすると、女は髪を切る。その一か月後、短髪になった彼女は渉に引っ越しの予約を入れた。
トラックの運転手だが、二トントラックまでなら運転免許証があれば誰でもできる。つまり、自分にそういったことを頼まれたのは、つまり……
渉は断ってもいいことを断らなかった。
エレベーターを降り、一階のエントランスホールをくぐった。遊園地からは閉園でも知らせるような名残惜しいアナウンスが響き渡っている。バス停前は長蛇の列。九割方楽しさがにじみ出ている。
行きは小型トラックの運転席で、帰りは一人バスに揺られ。
大通りに面するその混雑したバス停に並び、軽く今日の振り返りをする。段ボール、冷蔵庫、電子レンジ、ソファ。ベッドがなくて良かったな。あー、次あいつと会ったら〝敬語〟を使わなくちゃならないのか、めんどくせー。
……
――泊まってく?
――うん、なんか寂しんだよね、一人だと。
「あー、めんどくさ。帰るのめんどくさくなってきたな」
もうすぐバスが来るというのに、|踵《きびす》を返し、列から一人分の隙間ができる。
渉は元来た道を戻ることにした。どうせ明日は在宅だ。ネット環境があれば場所はどこでもいい。ただ、どうしてこんな気持ちになるのだろう。疲れだけじゃない、これは、この気分は……。自分も学生気分が抜けてないのだ。
後部の列の者たちとすれ違っていく。営業時間の終わりを知らせるアナウンスはひと際大きくなってきている。
ハロウィン仕様の風船を見やった。夕暮れの陽の光に照らされて、オレンジ色のそれは子供のようにひそかに呟く。
トリック・オア・トリート。
三十日の、日曜日。
一枚の写真
注:この短編は約3,800文字あります。
地元の大学に進学した友達をからかいに、男――清水和也の地元に帰省したときのことだった。
都内の某大学の下宿先から東武鉄道に揺られ、田舎の毛色が徐々に強くなりそうな、住宅地と緑地が五分五分になるその境界線が和也の地元である。
ホームから電車を見送って、バスロータリーに着くと、「あれ?」っと地元の変化に気付いた。
中央にはタクシーの黒い軍団があって、その先の建物。ちょっと前の記憶では四階建てくらいあったはずのビルが、工事を進めている。厚ぼったい灰色の布をかぶせられて、周囲には鉄パイプがつくしのように上に突き出している。
ああ、解体工事するのか、と思った。
地元にもとうとうこうした〝メス〟が入ってきたか、と和也はちょっと残念な気持ちになる。小学校から高校まで、この建物のそばを通って大きくなったというのに。
解体のメスが入ったのはいわゆる「激安の殿堂」という、高校生時代には大変お世話になった建物だった。ここら一帯にはもうすでにシャッター商店街となってしまった部分があり、唯一残った建物、いわば賑やかさの象徴だった。
一階にゲーセンが入っていて、二階から四階にかけて文化祭の準備や新歓の催し物などの掘り出し物が所狭しと置かれてあった。小道具の調達のためにどれだけの時間をこの建物の中に費やしてきたことか……。
背中から前のロータリーに向けて、冷たい秋の追い風が吹く。野分という秋の風物詩だ。朝は冬並みに寒く、昼は秋の仮面を被っている。夜にはその仮面を外してしまう癖に。
その強風をダウンジャケットの背中に受けて、前を見据える。
それが今にも、無くなろうとしているのだ。時間経過の無常観にため息を吐いて抗議したくなった。
バスを待っている間、灰色の布の高さを越えた建物の上部に目をやってみた。外側にはその象徴であるキャラクターのモニュメントがあったはずだ。たしか屋上付近の塔の壁に……と。あった、あった。
サンタクロースのような赤い帽子をかぶったあのペンギンがいた。先端に白いボンボンのある帽子に、あの憎たらしい目つきの青いペンギン。
彼は屋上から突き出した塔の窓からはしごを出して、自分たちに背を向けている。今にもその建物から逃げ出そうとして……まあ、そういう像なんだけど。
ああ、かわいそうなドンペンくん、次また会うときはいなくなっているだろうな、とその時は思っていた。
しかし、工事というのは、じらすように、思うようにうまくいかないものなのだろう。次の年の秋に再び帰省した。目的は同じく地元の友達をからかいに。
前は「都内の大学の施設はすごいんだぞ! なんとパン屋が併設されている! 味も値段も安い!」……ということについて大いに語ってやったのだが、今度は違う。無事内定をゲットし、どこに受かったかをあえて質問させて(というテイで)自慢したい。
悔しいだろうなぁ、あいつ。あの、なんとも言えないふてくされたあの顔つきを想像すればするほど、心のなかのにやつきが止まらなかった。
最寄り駅のロータリーでバスを待っていると、やはりあの灰色の布は目についてしまう。
「あれ?」っと再び思った。『防音』と太字で書かれているあの布はまだまだ健在で、つくしのように生えた鉄パイプもちぐはぐさを強調している。棒グラフのように見えるなあのパイプ、先端同士をつなげると折れ線グラフのようにも見える……と考えてしまうのは、卒論発表会が間近に迫ってきているからだろう。しかし、それよりもまだいるのかあれ、と和也は懐疑的な目線になる。
あのドンペンくんはまだ屋上にいた。一年前と同じ姿勢、同じ高さのままでいた。なあんだ、解体されないのか、と、どこか安心した心持ちになる。
しないならしないでいいんだ。
あの青い身体を持つペンギンの像は、ここらでは象徴のような、ある種の守り神のような感じに思えるから。
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その年の再来年。和也は内定をいただいた企業から異動になってしまった。本社勤務から支店勤務に異動のお知らせ。新入社員としての研修は本社で集まって、二年経ったからはい解散ね、みたいな。蜘蛛の子を散らすような、新入社員の配置の仕方だった。
和也の場合、春日部辺りに配属予定になっている。こうまで来ると地元に戻った方が距離が近いまである。
というわけで都内の引っ越し作業を終え、車で地元付近に帰って拠点を移した。今まで遠距離恋愛だった彼女もそこに住まわせた。
一週間くらい経ったころ、ふと、あのペンギンは無事か知りたくなった。
彼女に怪しまれるといけないので、車は少し遠目に、駅の東口に停めた。ペンギンは西口にいる。ここからは見えない。駅ビルに邪魔されている。
同乗していた彼女は近くの弁当屋にて海鮮丼を注文している。あの様子なら、まあ、ちょっとくらい抜け出してもいいだろう、車の鍵は俺が持ってるし。
和也は気になる好奇心を胸に秘め、階段を昇った。流石に西口まで行くまでの目的ではない。改札前の、渡り廊下のようなところの窓から頭を押し付けて見下ろすだけでいい。
数年前の記憶を|縁《よすが》にして窓に寄りかかる。たしかここから見えるはず……
灰色の布はやはりあった。あったけど、なかった。
解体作業はもう済んでしまったらしい。高いところから見下ろしているので、布で囲んである中身が見えてしまった。布の高さもそうでもないのでよく見える。
白いがれき、黒いがれき。そして床の残骸のような物と掘りぬかれた建物の基礎のような部分が露出している。あとはパイプでできた簡易足場と外の布を取り除くだけなのだろう。
あの青ペンギンはどこにもなかった。逃げ出したように、解き放たれたように。
解体工事のための灰色の布がかけられた時点で、こうなることは予想していた。けれども、何というべきか、ああ、というべきか。
渡り廊下にいるはずなのに、間近で見ている感じだった。物悲しい雰囲気がこちら側にまで漂ってきていた。自分のうちにあった思い出が、現実世界から消失した瞬間とでもいうべきか……
自然とスマホを取り出していた。カメラ機能をオンにし、灰色の残骸の方を向け、一枚の写真に収めた。
なぜこうしたのか、分からない動作だった。なぜ? そう考えていると、ふと、子供の頃のことを思い出した。
おぼろげな記憶だ。年齢はよくわからないが、小学校低学年かそれ以下か、確実にお年玉を貰って嬉しかった時期だった。
かつてのここは緑地の方が多かった。ちょっとしたミカン畑を伯父が持っていたくらいに。
かすかに見えてくる幼少期の思い出。
明くる日の夏休み。地元の友達を誘った。その後、夜の屋台に連れていかれ、ちょっとした花火を見たことも覚えている。けれど顕著に覚えているのはこの記憶だ。
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「これは手がかりとなる宝の地図だ。婆さんの埋蔵金が眠っておってな」
昼間、自分の伯父はボロボロの紙に手書きの地図を自分たちにくれた。バツ印が付けられたところの木の下に宝箱がある……そういったものだった。次いでいう。
「見事宝箱を持ってきたものにその一部を褒美として授けてやろう」
従兄弟やら伯父の息子やら、五・六人のクソガキどもがあーでもない、こーでもないと罵りあうように言って、結局破裂。
単独行動をするようになると、幼いころの和也はその中の、おどおどしていた女子の手を引っ張って、「こっちだ」と連れていく。
ミカン畑の中を走って、土の色が変わっている所を探し、そばにあったスコップを突き刺す。見事掘り当てる音が鳴った。
やったね!――という女子特有の励ましを隣から貰って、伯父の所に帰ろうとした。が、箱の中身が気になって、道中に開けてしまった。
中に入っていたのは一枚の写真だけが入っていた。透明のラミネート加工をされて夏の炎のごとく光に対抗し光っている。
大空を映しただけ。青い海のような空を写しただけの写真。……なんだこれ?
そう思って二人は伯父にその写真を渡した。
他の奴らは見かけなかった。伯父はニコニコ顔だったから、一番乗りでいいのだろう。
疑問の顔をしている孫の顔が気になったのだろう、
「何も写ってないように見えるだろう? 婆さんにしか分からないようにしているからな」
そういって、伯父は部屋の奥の方に引っ込んでいった。「たしか婆さんのへそくりは……」という声が奥から聞こえ、やがて戻ってきた。褒美としての大量のミカン、そして。二人分の分厚いお年玉……
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「何ぼさっとしてんの」
現実世界に帰ってくる。後ろから彼女が呼び止めた。「探したんだけど、早く帰ろ」
「……ああ」
彼女は少々ぷんぷんした感じで階段を降りていく。その後方を見ながら、思う。
宝探しをしたということが深く記憶に刻まれているのは、形式的なものをしたから、というわけではないのだろう。
形式的にも登場したあの写真。何もない空を写したあれは、本当に単なる小道具として登場したのだろうか、と今になって疑問の雲として何もない空に浮かんできた。
ラミネート加工までして、泥で汚れないようにするか? あの空を写しただけなのに。
だから、あれと同じなのだろう。逃げたペンギンと同じく、本来、あそこには撮りたかった被写体があった。
けれどもそれはもう、消えゆく時間経過の只中にあって、取ることは叶わなくなってしまった。だから、何もない大空を写すだけでしかできなかった。あの大空の先に、撮影者の思い出があるのだとしたら? 例えば、大空に羽ばたく『飛行機』とか。
あの一枚の写真は、見事に過去の時間を切り取っていたのだ。
「なあ、絵美」
彼女の名前を呼んだ。あの頃の記憶では縁台の隣で褒美のミカンを食べて、大学時代ではからかうだけの間柄で、今は自分の声で振り返ってくれる。
「みかん、買わなくていいの?」
彼女はやけに勝ち誇ったように微笑んだ。「家にあるよ、食べきれないくらいに送られてきたし」
海の描写(前)
※こちらは前編です。前編だけで約4,000字あります。注意してください。
『海の描写』 名前:さい藤 |偉大《だいや》
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期末テストなんて消えてなくなればいい、みたいな気持ちを抱えながら、僕は勉強机に向かわなくてはならない。あと二か月もすれば今年……二〇二×年が終わり、その三か月後に中学生としての卒業を迎えなければならないから。
机には学校で配られた原稿用紙が雑に置かれている。もうすぐ卒業するから、今から卒業文集を書けと先生たちに言われている。これに向き合うために僕はここ数か月、頭を抱え続けている。
この真っ白な原稿用紙を見ていると、ああ、ほんと、と思ってしまう。ああ、ほんと、先輩たちは本当にいい学校生活を送ってきたのだろうなって。
入学式に始まり、授業参観、文化祭、合唱コンクール、修学旅行。校外学習もあるし、生徒会云々もある。
書く|テーマ《もの》がありすぎて、逆に選別に時間がかかるはずだろうに。これで、
「卒業文集なんて書くのめんどくせー」
とか思っていたら、それは怠惰かつ無能な人になるだろう。将来性のない、親の金を頼りにするニートのような、きっとろくでもない人生を送るはずだ。
こっちはそれら上げたものも含めてすべて、『本当にすべて』が新型コロナウイルスという不確かなもので、開催どころか経験さえできなかったんだから。
ただ、これはちょっとしたチャンスなのかもしれない。こういうものを書くとき、僕は〝普通〟のものを書くべきではないと思っている。教科書に書いてあるありふれた例題のような、そういった平凡の|極致《きょくち》と呼ばれるものをこなして、どうだと人に見せびらかすようなことはしたくない。
僕たちには特例措置として学校以外の、課外のことでも書いてもいいと言われている。この三年間、通学日数とそうでない日数とを比べると、後者の方が長かった気がする。それだけ先生たちにも分かっているわけだ。
だから、と目線を学区内から外にやると、書くものが見えてきた。これから僕はそれについて書こうと思う。
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その頃は丁度今日のようなぽかぽかとした天気だった。四月。季節はもちろん春で、普通なら入学式があったり、五月には運動会が行われたりするだろう。
けれど、やっぱり雲の上から見下ろすような暗雲のごとくコロナが流行していた。僕たちにとってそれはまさしく普通であり、〝異常事態〟であり。だから政府は全国一斉休校の最悪手を平然ととった。
これのせいでまた僕たちの学生生活は休日に変換されるんだ、この紙に向き合っていると気が狂っていく。
僕は大量に出された宿題に悪態をつきつつ、春休みの宿題をいやいやこなしていた。始業式の数日後に再びそうなったので、春休みの宿題が追加されたのだ。
休校期間は二週間だけで終われ!――という僕たちの願いは叶わなかった。ぼーっと眺めるだけの無対策に近い待ち時間は、三週間、一か月、とうとう二か月と過ぎていって、ああ、僕たちの青春ってなんて暇なんだろう、と毎日そんなことを思っていた。
お偉いさんが口酸っぱく言う「なるべく外出しないように」と警鐘を打ち鳴らしても、別にコロナにかかってなかったので、僕はひとり旅のような外出を何度もした。
○×駅にある複合商業施設「アミュウ」はあししげく通った。あそこは展覧会があるし、ブック〇フもある。一生時間がつぶれる……だなんて最初の頃は思っていたけど、二か月も休校にされるといつもの棚は読んだものばかりになってしまい、ブック〇フなのに《《読みたい本》》ねーじゃん!――みたいになった。しかたなく、ほかの階に足を運んだ。
三階、四階には服や文房具、カレンダー、手帳などいろいろなものがあって、その片隅にはゲームソフト群もある。
けれど、買うお金がないから見てるだけ。百均ショップにある卓上カレンダーと同じように、フロアに突っ立っているだけ、見てるだけ。そんな暇で暇でしょうがなかった時の話だ。
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「アミュウ」は九階だてで、うち七階には静かな会議室がある。普段は無料開放されて図書館の勉強スペースのように自由に入室することができるのだか……
--- 「文章を書くとは何だろう? 講師:○○」 ---
どうやら今日は無料講習会が開かれているらしい。僕の持っていたカバンには律儀にも数学の宿題プリントがあったけど、そのまま帰るのも何だか負けた感じがする……。ということで、その講習会に参加してみた。
多分この日は金曜日だったか。参加は無料で、第五回と銘打っている。名目は「文章で説明するとは何か?」だった。
「文章で説明する」「それは何か?」だってよ、僕は少しバカにした感じで中に入っていった。
受付を済ませると数人の人がすでに座っていた。よくある長机が横に置かれていて、パイプ椅子が収められているタイプの並び方。
密を防ぐためなのか、三席あるはずの長机には一人しか座っていない。中央だけ、とか壁側だけという風に規則性などなく、埋まった席はまばらなので、大学生の授業ってこんな感じなのかなという想像をした。
ただ、参加している人たちはどれも自分より年齢が高く、少なくとも十代はいない。二十代から四十台くらいの、オジサンオバサンクラスの大人の人たちだった。
十代は自分だけ。金曜日という平日に、こんなところにいるだなんて。定職についてなさそうに見えたので、あんたら普段何してるの?――と普通に思ったりした。
「まずは目隠しをしてください」
しばらくして講師の方は入ってきて、開口一番にそれをいった。
変なことをいうなぁ――と思ったけど、他の人たちはまるで洗脳でもされたようにアイマスクをとってつけている。しょうがないので僕もした。アイマスクは机の上にあった。
つけた途端、視界は真っ暗闇となる。当たり前だ、アイマスクはそんな風になるために着けるのだから。
「付けましたね。では、ちょっとしたゲームでもしましょう」
講師は若い女性だった。声だけが聞こえてくる。なんだか不思議な気分だ。深海のなかでスキューバダイビングでもしているような。身体が重たいのに、ふわふわした空間を耳だけが感じ取れるような。なんだか眠たくなっているんだけど、なかなか寝付けない、長引きそうな真夜中の感じがする。
そんな心地の良い思いをしていると、アイマスクの向こう側から何か、軽いものを振ったような音がした。
「聞こえますか。私はいま、『何か』を持っています。この『何か』ですが、何だと思います? 私が持っているものを当ててみる……というゲームです」
ふむふむ。と頷く。
「今から私が説明してみましょう。分かった人は答えてみてください。まあ、《《当てられないでしょうけれど》》……ふふ」
なんだか夜に住まう魔女の微笑みを連想した。そして話す。
「私が今持っているのは手の中におさまるくらいの大きさしかありません。A4用紙の半分の半分……はがきサイズを思い浮かべてください。
材質は紙です。硬い厚紙。本来はがきは縦に使うものですが、それを横に倒してみてください。
そこにはなにやら模様が描かれています。全体的に青系統の色が多く使われていますね。下半分はほとんど青で、上側も青……これは水色でしょうね。水色のなかに白いもやもやとした物体が描かれています。空に浮かんだ雲でしょうか。そうなると下側の青は何を書かれているのでしょう……。
そこに、一隻の船が浮かんでいます。横に停め置かれたものではなく、奥から手前側へ、斜め右下に突き刺すような形で進む構図の船があります。船の先端は右上、青色との接地点はその下側にありますね。
その船は小さなものですが、いかだのような、粗末なものではありません。白い船体で波に負けないよう、先端がとがっているタイプの、ベテランの船頭が中で操縦していそうです。
船の後ろ側。遠くには小さくなり、|楕円形《だえんけい》となった緑色があります。これは島でしょうか。そこから船は出発したのでしょう。遠景となるくらい離れた沖合の波に揺られ、白い船は照り返しの強い陽光を跳ね返している……。そう、下半分に塗られた青は、海を。『大海原』を示しているのです」
「あの」
一人がおずおずとした声をあげたみたいだ。「これ、何の説明、なんです? ただ単に、海の絵を説明しているようにしか聞こえないのですが……?」
「うーん、それだと『50点』しか上げられませんね」
そう女性講師は答えた。僕の頭に疑問の針が刺さった。
「まあ、当てられないでしょうけれど」と宣言していたにしては簡単で、『海の絵』以外に答えだなんて存在しないと思ったから。
続けて女性講師は言った。「だってこれは〝絵〟ではありませんから」と。
「続けますね。太平洋のように広大な海に浮かぶ一隻の船。その船の上にはある若者が立っています。船乗りでしょうか。
その青年はまるでその方のような身長で……あ。――多分僕を指したのだろう――アイマスクで見えませんね。すみません。
まるで子供のような笑みを顔に張り付けて、船の|縁《へり》に右足をかけ、豪快に引っ張っています。手に持った棒状のものを握りしめて、何かを引き上げようとしている。
あまりこの道具に知識は明るくないですけれど、握るところ……「グリップ」には糸を巻き取るための丸い器具が付けられて、そこから棒に沿うように、上に上にと糸は繋がって、ある部分に至ると鋭角に急降下するように海に落ちてしまいます。
その先には何があるのやら、そう思って目線を走らせてみると、糸の先、「針」に何かが引っ掛かっています。
……何だと思いますか?」
「魚、だと思います」
僕の頭が行き着いたのと同じ、平凡な答えが聞こえた。別の人が答えたのだろう。
「形は?」と講師は聞き返す。
「形、ですか……」
「ええ、魚ではなく、形。そこが重要なので」
「いや、普通の……本ガツオとか本マグロのような、よくある大魚で」
「そうですか。それだと〝20点〟になってしまいますねぇ」
さらに点数が低くなった。答えが遠くなったのだ。女性講師の少しあきれたような、それでいて喜んでいるような声色が入り混じっている。
「もう少し説明を加えます。
針の先にはあるものが引っ掛かっています。青年はそれを釣り上げようとしている。獲物はトビウオのように海上を飛び、下半分から上半分へと紙を移動して……そこで時が止まっている。今まさに、という風に。
さて、もう一度言いましょう。『私は何の説明をしているのか』」
今度は誰も答えなかった。
「……このように、相手に説明するというのはこんなにも難しいということです。
これは口で説明しましたけれど、これが文章として、つまり小説として書かれることになったらと想像してみてください。どう感じますか」
「……分からない説明だと思います」
「そう――では、アイマスクをとって『解答』を見てみてください」
見えない視界で物音が歩き回る。僕はアイマスクをとった。一気に光が息づいた世界がやってくる。
まぶしすぎて朝日を浴びたようだった。新しい日の光が、朝と共にやってきたように明るくて、それに目が慣れるやすぐ、目的のものはどこかと目は探そうとする。
まずは何度も目を|瞬《またた》かせて、それから女性講師の、にぎやかな色あいの服を見つけようとして……。その手を見た。
絵じゃなかった。何のことはない。というより見たことがあった。
手に持っていたのは、『百均ショップにある卓上カレンダー』だったのだ。
二度本文を読むと分かりますが、答えとなる単語は本文にしれっと登場しています。
後編に移ります。
https://tanpen.net/novel/6ef88b32-8b31-4724-b89c-d9e963e83340/
海の描写(後)
※こちらは『海の描写』後編です。先に前編をお読みください。
歩く音がする。ヒールのような高い音で、革靴のような硬い感じの足音が。
「読者とは、まさしく〝あなた方のようにアイマスクをつけているような感覚で読んでいる〟のだと思ってください。いったいこれは何の説明なのだろう、何の描写なのだろう。そう思って本を読んでいたり、文章を読んでいたりする。
文章を書く側である筆者・作者側にとって『これは省いても問題ないだろう』という、そういった考え方をすると、このようにチンプンカンプンな説明になる。まさか『卓上カレンダーの説明』だとは、一人も思わなかったでしょう」
女性講師は続けて言う。
「誰が見ても、これを見て絵だとは思いません。私だって思いません。今説明したのはあくまで8月カレンダーの『背景』を言ったまで。
これは卓上カレンダーで、当たり前なことを言いますが、カレンダーは1月から12月まであります。私本人からすると、カレンダーという〝情報〟はすでに知っているので、あとは月数……1から12までの12択だと思った。だからそういった説明をしました。
けれど、読者目線――つまりアイマスクを付けている者たちの立場で見ればどう映るでしょうか。
『何の話をしているのやら』
なら別にいいんです。問題なのは、全く別の話として認識してしまったときです。
よくあるRPGゲームで『迷いの森』と呼ばれるステージがありますよね。
勇者一行は宿敵魔王を倒す道中、『迷いの森』という鬱蒼とした森を抜けなければならない。ただの森ではない。毎月のように遭難者や餓死死体が見つかる危険な場所です。森が深すぎて、あるいはいたずら好きの妖精たちのせいで道に迷いやすい、それが『迷いの森』の由来です。
あれと状況は同じです。アイマスク状態で進むのと、状況は同じ。
けれど、そんな迷いの森ですが、最初の道しるべは分かりやすく設定してあるものです。ゲームですからね、奥に進めば進むほど霧は濃くなっていく。
勇者一行は何も知らない、事前知識なんて持たず、あるいは「薬草」などというものも持っていないのかもしれない。
けれども彼らは進むのです。道しるべさえ辿っていけば、いや、目を凝らしてみる必要もない。だって私たちには仲間がいる、パートナーがいる。それに頼ればいいのです。そうすればすんなり奥に行ける、森を抜けられる……と、一行たちは思っている。そのパートナーたる存在が、ナレーターであり、地の文なのです」
僕は卓上カレンダーをもう一度見た。
8月のカレンダーの主役となっている彼、豪快に握るその彼が釣り上げた獲物は何なのだろう。針に喰らいついたのは本ガツオのような大物じゃない。というより、魚でもない。魚を模した数字の「8」。その数字の上側、輪っかの部分だったのだ。
---
「何を読んで……」
大学の講義から帰ってくると自宅の鍵は開いていた。
嫌な予感がする。寝室にて床に寝転んでいる彼女の姿をみて、身体が硬直した。
美穂の手にはあの冊子が握られている。〝俺の黒歴史〟を掴んでいる。
「わああああ!」
まるで夜の行為でも始める勢いで彼女にのしかかり、手元のそれをぶんどった。
「もー、どうしたの?」
「うるせぇ! どっから見つけてきたんだこれ!」
「あ、そこに入ってたんだよー」
のほほんとした声を発する美穂はあちら側を指さした。赤いネイルのついた指先は一点を突き付けている。勉強机の横、袖机の一番下。俺の中学校生活での数少ない思い出を詰め込んだ所だ。
「読んだか?」
「何を?」
「……読んでねーならいいわ」
「えー、変なのー」
美穂はふてくされた顔をして、また別の本に手を付ける。俺はトイレに行った。ひと息つく。
「あー、あぶねー」
さすがにトイレのなかなら大丈夫だろう。とりあえず冊子に面と向かってみる。
これは卒業文集と呼ばれるものだ。中学だか高校だか、どちらだったかは忘れた。その頃の記憶はとっくのとうに封印している。なぜかって? そんな理由を思い出す必要性なんてない。この『中身』にすべて記されている。
ちょっとページをパラパラめくってみた。
が……
「ああぁぁぁぁ……」
ああ、イタい。イタすぎる……。トイレに用があるわけではないはずなのに、腹がキリキリ痛い。『禁書』指定なのだ、この本は。呪いだか何だか分からないものがこの紙面上から煙のように這い寄ってくる。
適当にめくってみただけで分かるこの|嗚咽感《おえつかん》。何せほかの生徒とは違い、書いた「文量」が違うのだから。普通なら二・三枚くらいでやめるはずだ。
ただ、俺の場合何を思ったのか、それを長々と長文にしたためて提出してしまったのだ。400字詰めの原稿用紙十枚は書いたかな、いやそれ以上だわ。それで先生に訂正されるかと思ったのだが、普通にそのまま掲載されてしまった。
俺のところの卒業文集は、一ページの上下に配置するタイプの載せ方だ。手書きの原稿用紙をそのままコピーしているので、薄く弱い筆圧だと掠れて見えなくなってしまう。だが、それを考えて――あるいは考えて『しまって』――ボールペンで清書してしまっている。
何が『こういうものを書くとき、僕は〝普通〟のものを書くべきではないと思っている。』――だよ! 普通なの書けよ! 未来の俺を、大学生の俺を困らせるな!
……ああ、思い出してきた。
まず書き方がイタいんだよな。比喩もイタい、考えもイタい。そしてほぼ忘れかけてたけど、書いた内容もヤバイ。たしか『海の描写』というタイトルなのに、海に行った光景とかを書かずにほぼ関係ない話を堂々と誇らしげに……うん、これ以上は思い出さないでおこう。
そういえば自分の頭は一つしか持ってないんだった。これ以上これと向き合って、脳細胞を犯していたら壊死してしまう。電車のホームで派手に爆散してしまうだろう。
やめとこう、これ以上は。
とはいえ、だ。どうすればいい? このままトイレから出たら美穂に普通に聞かれる。何、その冊子。何で隠すの。別に減るもんじゃないでしょ。
その後はどうだ? え、これ卒業文集じゃん、何書いたのー?……バレる。あいつは単なる友達で、俺は常識系のキャラとして通している。
このままではいじられキャラに〝転職〟しなければいけなくなる。それだけは阻止しないと……
「ねぇー、『へべれけ侍』十六巻、どこにあるのー?」
美穂の声が部屋から聞こえてくる。そろそろ戻らなくてはならない。目的の漫画を取りに来ただけだから、あと数分の辛抱だ。
クソ、何の罰ゲームだよ……。俺は薄目になって自分の書いてきた所に見当を付けて開く。見開き3ページは軽く使っているので、大体この辺りか?
上からビリビリと破り、切り離す。冊子は床に落として、手に持っている封印されし黒歴史を細かく、細かく、怨念でもこもっていそうな手つきで|細切《こまぎ》れにした。
トイレの水流でごまかして、ドアを開ける。
本当はやってはいけないことなのは承知の上だ。ドアを閉じ、後ろを振り返らず自然なる海に通ずる激しい水流に謝る。今は緊急事態なので、『|汚いブツ《これ》』を流すのを許してくれませんか……?
どう見ても読まれてます。
どんまい、主人公のさい藤偉大(だいや)くん。
六文字の弾丸
これはまだ、学校の屋上に許可なく生徒が昇れた頃の話。
ひと思いに言ってくれと彼は言った。
強い|眼差《まなざ》し。日差しに負けないくらいに瞳のなかの光が目視できるほどにまぶしかった。
ここは屋上、学校の屋上。
非常階段の上の上、さらに上の重いドアを開けた、学校で最も見晴らしの良い場所。コンクリートでできた単なる空間で、外縁が50cmほど盛り上がった立地になっている。
その上に落下防止の、120cmの白くて細い柵で守られていて。私たちは屋上の中央、|凹《へこ》んだ範囲の中央にいる。
私は彼に呼ばれた様子だった。
まだ実感が湧かない。机の中にくしゃくしゃの置き手紙があって、それでここに来ただけ。誰からの手紙? 名前なんて無かったから、誰だろうって思ったら、同じクラスの男子からだった。
男子の方の、図書委員。
運動部にいそうなほど運動神経バツグンで、それなのに図書委員。放課後になると律儀に図書室に行き、職務をこなす。もちろん喋ったこともなく、顔見知りってわけじゃなく。ただのクラスメートっていう感じ。
対して彼は強い眼差しだった。私の口は、彼から見れば、まるで銃口のように見えているのだろうか。
ひと思いに言ってくれと言うなら、だったら、短いほうがいいと思った。清々しいくらい、人を殺すように。
胸に貫通孔を、風穴を開けた方がいいんだろう。それが『やさしさ』というものだ。その時の私はそう考えた。
風通しが良くなっていいと思って。後腐れなく好きという気持ちを忘れて――。
心の風通し、未来のための風通し、そう思って、言った。六文字の、言葉による弾丸を。
すると彼は言った。なら、『――』と。
それを聞いた時、普通の返答だと感じた。
だから私は、彼から目線を外し、踵を返そうとした。その時だった。
私のすぐ脇を強風が過ぎていった。とてつもなく分厚い空気の層が。顔をもとに戻すと誰もいなかった。風が過ぎていった方向を見ると、瞬時に判った。
彼は〝風〟になったのだと。
彼は本当に言葉通りのことをした。
私に言ったことを全力でした。土台とフェンスの高さを合わせると大人の身長位になるのに。それを軽々と乗り越え、突風になって。
魂は前に。でも、身体は抜け殻だからとすぐに見えなくなる。白い柵の隙間ごしに、ヒュンと下に落ちてしまう。
屋上に残るは、私と風になった彼。空に|穿《うが》たれた、六文字の言葉の弾痕。
そして――
本物の風を制服は受け、スカートは|儚《はかな》げに|靡《なび》く。止まった|時間《とき》をも受け止めて……。
やがて、非常階段から|喧噪《けんそう》がやってくる。屋上のドアが勢いよく開けられた。
流れゆく雲が引っ張ったかのように。遠く透けるような空が引っ張ったかのように。
ドアノブに結び目を作り、そこから透明な糸はまっすぐ上空に伸びていって。流れゆく雲に結びつけられ、雲は引っ張った。
糸は引っ張られ、ピンと張って、最大限我慢したら千切れて、千切れ雲になって、そして。
糸が千切れたから、私の糸も切れたのか。
いつの間にか、手足の関節を支配していた緊張の糸が切れ、私は脚を折り、硬いコンクリートの床に両膝を打ち付けた。
痛い、痛い、痛い。
骨が痛い、皮膚が裂けて痛い。でも、彼のほうがもっと痛い。身体よりも、頭よりも。
言葉が出てこない。痛い、痛い。そういった言葉すら言えない痛み。
私の顔を両手で覆いつくした。
指の隙間から、|怨嗟《えんさ》の叫び声が散り散りとなって、口の奥から吐き出した。
その声は空気と結びつく。酸素と結びついて爆発するのと同じように、屋上を燃やす勢いで、感情は立ち上っていく。
――ごめんなさい。
――なら、あきらめるよ。
私から彼に。
彼は一瞬見上げ、空に。
彼は風に。
その間、空が言葉を跳ね返し、私に降り注ぐ。
こういうの、何て言うんだっけ?
跳ね返された言葉の弾丸――六文字の、跳弾。
右手。左手。右足。左足。頭。
そして。
---
---
涙のように、か弱き風が流れてゆく。
えんえんと。わんわんと。
そうしてまだ幼い私は独り、哀しみを背負って生きていく。背負えきれなかったその有りあまる哀しみの余韻は、屋上から校庭へ。
彼が越えていった白い柵の隙間から、ゆっくり、流れ落ちていったのだった……
イチゴのショートケーキ
※この作品は5,500文字あります。
※この作品はR15です。注意してください(特に終盤)。
※この小説には以下の作品に出てきた登場人物が出てきます。続編要素はありませんので、この作品を読み終わった後にお読みいただけますと幸いです。
短編集内
「かぼちゃの馬車」および「一枚の写真」
「で、彼女とやった?」
開口一番がそれかよ、と西村渉はげんなり顔をした。
十二月に入ると大人たちはお酒におぼれる口実を探したくなるものだ。
最近は円安で物価が上がってきたし、さらに来春から増税だ何だと言って、ここで飲まなければ来年は心身ともにはちきれるぞ!――と言いたげに労働者たちは居酒屋チェーンに逃げ込んでいる。
渉たちもそれとほとんど同じ種族だった。
今夜は12月1×日の日曜日。二か月前、大学の研究室のグループチャットで「同窓会でもやろうぜ」と言葉の口火を切ってきた。
場所は東京都内。渉は大阪勤務だが、年一の同窓会のためならと、自腹を切って新幹線を使った。
会場は結婚式場のような大広間で、オードブルの盛り合わせ。適当につまんでいると、幹事が寄ってきた。
「おっ! 渉君じゃないかぁ~」
と、幹事はすでに出来上がっている様子だった。
そして近づいていって、がやがやと騒がしい歓談に紛れて、ひと言目がそれである。
「そんな顔しないでくれよー。なー」
幹事である清水和也がなれなれしく言ってくる。何が、なー、なんだよ。
「したくなくともそうなるわ」
「いやー、噂はかねがね知っておりますとも。大学から音沙汰なしだった渉君がついに女をゲットしたと。その相手がまさかのまさかの――」
「あー! うるせ! 近寄るな、汚らわしい!」
おっとっと、と和也は少しだけ離れた。
「そんなこと言うなって」
「そもそもなんで知ってる」
渉は幹事の和也に尋ねた。和也はさも当然に答える。
「グルチャでは、三か月目に突入したと聞いておりますが」
「おい、俺は言ってねぇぞ」
「渉君経由で手に入れた情報ではないからね」
「ああ? なら誰経由だ?」
「そりゃ本人に確認をとりましたけども」
どういうことだ、という顔を渉がして、和也は、「ほらあれだよ」と、ある方向に親指を向ける。
ちょっとした人だかりができている。
「なんだあれ」
「いやー、今回はね。対面では難しいという人たちに向けて、ビデオ通話OKにしたのさ」
「……つまり?」
「そう、つまり」
ずいっと顔を寄せてきて、「渉君が来る前に、本人に――|吉本 真美《彼女》さんにも確認をとりましたよー」
あのヤロウ。
グルチャで俺の参加表明のあと、真っ先に「今回はパス」って言ってたのに……!
「今日は一人で来たということで、根掘り葉掘り聞かせて|戴《いただ》きますからね」
和也は拳に汗握る渉に向けて言ってきた。
「そんなに答えたくないなら、こうしてもいいよ。質問に答えるごとに、参加費マイナスってことで」
「いくら?」
「うーん、マイナス百円?」
今回の参加費は五千円プラス税だ。五十は軽く越えるぞ。どんだけ質問するつもりなんだ。
渉は白状するつもりで返した。
「三か月はいったよ」
---
「なんでついてくるんだよ」
「いやいやいや、ちょっと待ってくれってー」
あのあと参加費がゼロ円になるまで根掘り葉掘り聞かれた。
和也は幹事だというのに、渉の単独取材に付きっきりになっていたからか、会場の貸切時間間近になって幹事の挨拶をしなければならないとようやく重い腰を上げてくれた。
ちょっとした壇上にあがっていく彼を尻目に、渉は会場をぬけだして、東京駅の赤レンガ構内を突き進む。和也はダッシュで追ってきたようだ。
「もうゼロ円だから、いいだろ」
「ま、それについてはいいよ。俺の出世払いということで払っといてあげた」
「じゃあ――」
「それとこれとは話は別。『で、やったの?』」
懲りないな、コイツは。
「何が」
「いやいや、中学生の性教育じゃないんだから。『やった』といったら一つしかないじゃないっすかー」
「うっせーな。ノーコメントだって言ってんだろ」
自由通路を抜け、新幹線専用の改札口にSuicaをかざした。こうしてやれば和也は来れないだろう、と思っていた矢先に、
「おやおや、三か月目だというのに、まだやってないだなんて」
「おまえ……」
和也はの手には定期入れを揺らしている。
和也は関東圏在住者だ。本来新幹線を使う必要などない。なのに、改札口のなかにまでやってきていた。
渉は大阪在住者なので使わなければいけないのだが、そうまでして聞きたいのか? 疑問に思ってしまう。
「150円分の価値があると思って。分かります? この150円」
「入場料だろ。そこら辺の自販機に使った方が良かったと思うけどな」
「そうやってはぐらかすということは、まだ『やってない』ということでいいんでしょうか。そうですかそうですか、とっといてるというわけですか」
「とっといてる?」
「おやおや、今年のカレンダーを見てないのかな? 今年のクリスマスは特別だよ。
きれいに土日に割り振ってあって、こりゃ神様が言ってるね、『今年は盛大にやりなさい』と。まさに聖夜のクリスマス。吉本さんに嫌われてなければ、それがチャンスだろうと――」
聞こえてないふりをして、エスカレーターを駆け上がった。
そろそろ座席をとった新幹線が発車する頃合いだ。それさえ乗れれば……
しかし、底冷えのする、不穏な空気がホームに漂っていた。
二階のホーム。15番線に停車しているはずの「のぞみ」の姿がなかった。
「おやおや」
鈍行列車のように、エスカレーターに乗ったまま来た和也にポンと肩を叩かれ、ねぎらいの言葉をいわれた。
「彼女だけでなく電車にまで嫌われたようで」
「黙れ」
---
「意外と遅かったね」
大阪に戻ってきて、玄関扉の前でインターホンを押そうとして、不意を突くドアが開けられる。
渉は少し勢いに押され、びくびくしながら中に入る。外の冷たさをとても労わってくれる部屋。コートを脱ぐとすぐさま伝わってくる温かみ。お風呂は準備万端なようだ。
「さっそく絡まれたでしょ、〝天敵〟に」
風呂に入った後、服を着ている最中こんなことを言われた。
「〝天敵〟?」
「そう〝天敵〟。だって渉、疲れた顔してるもの」
「え、天敵って……ああ」
合点がいった。『彼』のことだな、と。
「絡まれたけど」
「ご愁傷様です」
渉の彼女――吉本真美がいった。
「昨年の被害者、私だったから」
「ああ、だからか」
「そ」
だから同窓会に行かなかったのだ、と納得がいった。
西村渉と吉本真美、そして〝天敵〟である清水和也。
この三人は同じ大学、同じ研究室出身の同級生だ。かつては同じ研究室……もとい、名ばかりの飲み研だったが、男女を混ぜ合わせたグループで、毎日飲み歩いてばかりだった。
宅飲みなんてしない、すべて店で飲み明かすのがルールみたいなもので、毎日大学であれほど話しているのに、店に行ってまで話すことなんてあるのか? ――と研究室生にも愛想をつかれていたほどだった。
大学生の時点ですでに和也の方は勝ち組の匂いがしていた。地元に彼女がおり、彼の、のろけ話を二人が聞くというのが鉄板だった。
それから数年が経つとのろけ話を話す人は逆転し――もちろん和也の方はまだ彼女と続いているが――、同窓会のたびに和也はなんだなんだと近況を聞くついでにのろけ話を強要しては、要らぬアドバイスを押し付けてくる。
彼(もしくは彼女)とのなれそめはなんだ。
へー、ふーん。熱いじゃん。
それで、どこまでやったんだ。
なんだよそれ、まだやってないのかよ。
壁に行き詰まってるって感じじゃん。
じゃあ、俺の場合なんだけどさー……。
結局彼が毎年参加してくるのは、もしかしたら自分の話がしたいだけなのかもしれない。
去年は真美の、今年は渉の。
他人ののろけ話を聞きに来て、それにかこつけて自分の彼女を、という感覚で。
「みんな元気だった?」
今日、ずっと家にいた真美が聞いてくる。渉は眉をひそめる。
「白々しいな。画面通話で話に参加してきたくせに」
「そうだよ。でも画面越しだと伝わらないもんでしょ。だから聞いてるの、直に会ってきた|あなた《・・・》に」
「……元気だったんじゃない」
「ふーん」
時計を見ると十一時を指している。彼女は元気そうでも渉はそろそろ限界だった。東京と大阪を往復し、まるで日帰り旅行に行ってきたみたいなものだ。
一日分の疲れを背負ってリビングを去ろうとする。「寝るわ」
「ねぇ、ところでさ、聞かないの?」
寝室のノブに手をかけたとき、彼女のほうからが尋ねてきた。
「今年は行かずに、去年は行った理由」
ノブから手を離した。真美が話したそうな顔をしたから。
「それはね、浮かれてたからだよ」
「浮かれてた?」
「そう。あのときの和也みたいに、みんなに自慢したかったから」
真美は去年、渉とは別の男性と付き合っていた。
一時は結婚も視野に入れて、幸せの絶頂にいたと職場で口々に言っていた。
それが〝浮かれていた〟というひと言で片づけたということは、彼女にしてみれば過ぎたことだと認識しているのだろうか。
元カレと別れた理由はまだ聞いていない。別れてから三か月が経過しているから。
その期間が『たった』なのか、『もう』なのか。渉には判断できずにいる。
「そう、浮かれてたから。だから落ちたのよ」
――あれと同じく。
彼女の目線は外に向けられていた。
このアパートのすぐ近くにはひらかたパークという遊園地がある。
朝を過ぎて夕方までは本当に目覚まし時計が始終鳴っているのかと思うくらいに騒がしい。女の声やカップルの熱い視線、ジェットコースターの恐怖を理由に互いの身体を密着させて、アップダウンの人生の輝きを見せている。
だが、今は営業時間を過ぎ、とっぷりと日が暮れた夜の縄張りが広がっているだけだ。ローラーコースター。その名物看板も夜の海に沈んでいる。かすかに骨組みだけが、うっすら見えるだけ。
「俺たちはどうなんだろうな」
「……何の話?」
真美と暗い窓越しに会話する。リビングの光に反射してうっすら自分の顔が見える。
彼女の顔は……振り向かない。窓辺に寄っているので暗くて見えなかった。
「ジェットコースターでいうと、俺たちはどこにいるだろうね」
渉の予想では登り途中とは思えなかった。
けれども、ジェットコースターには乗車しているもんかと思っていた。
違った。
「バカね」
彼女は窓から離れ、冷蔵庫からビールをひと缶取り出した。プルタブを開ける、小気味の良い音を出しながら一気飲み。
「入園すらしてないと思うよ、私たちって」
部屋内でのポイ捨てがきれいに決まった。
---
年末に近づくにつれて日付が忘れるほどになっていくのは大人として当然のこと。
年末調整、決算日、納期など、年の瀬というのは慌しいものだ。
今日は金曜だっけ、土曜だっけ。土曜だな。土曜だわ。
全部土曜ならいいのに。なんで曜日を七種類に分けたんだ。
キーボードを素早く叩いて書類を作成している頭のなかは、逃避行動の極致。子供の発想に逆戻りしている。
定時になって人が少なくなっていく。今日はやけに人が帰っていく。カレンダーを見るに24日だった。
「クリスマスイブか」
それでも、自分は残らざるを得ない。家に帰っても何もする予定がない。
彼女と……ということもありうるんだけど、どうせ寝てるだろう。
彼女、職場に来てないし。牽制してきたし。「今日ぐらい」一人で家でまったりしたいとか言ってきたし。
八時、九時となって、九時半になってようやく仕事の一区切りがついた。
パソコンの電源を落とし、カバンを持ち上げる。
ウォークインクローゼットにかけた冬物のコートを雑にとって、最後にタイムカードをかざした。
こんな時間だから正面玄関は閉鎖されていることだろう。裏口から出ないと……などと考えて、エレベーターホールに向かうトイレの手前に差し掛かる時だった。
自分が社内最後の一人だと思われていたから、油断していた。
横から、壁を貫通するような白い手が現れた。えっと思って身体が硬直する。まさか幽霊?
深夜に出るとは聞いていたけれども、今はまだ……とか思っていたら、自分の身体を掴まれた。
「あっと……」
いや、|力強《ちからつよ》。
幽霊じゃないな、これ確実に人間だわ。なすがままにされよう。
「動かないで」
ほら、人間だわ。で……ん? 聞いたことある声だった。
「黙って」
女性の小さな声だった。間近に迫った勢いだった。
「おまえ……」
正体は瞬時に分かった。
連れ込まれた場所はいわゆる多目的トイレというところだ。このフロアに車いすの障がい者はいないので、本来人がいるところではない。だから自分を連れ込むには格好の場所だったのだろう。
どうやってこちらに来たのかも考えるに値しない。『彼女は渉の上司なのだから』
「余計なこと、考えてるでしょ」
彼女がいった。暗闇なだけに、声質やその仕草、それと身体の輪郭線がダイレクトに伝わってくる。
「だって、そりゃ――」
どうしてここにいるんだよ、と問いただしたい気持ちだった。
目の前の彼女は自分の家でまったりする予定だと……。それは詭弁だったと気づいた。
新手のサプライズを受けた気分だが、内心気が気じゃなかった。
連れ込んだ理由はもう分かる。だが、こんなこと、社内でやるべきことじゃない。こういうことは、ほら……
「ホテルでって思ってる?」
脳内にある考えを言いあてられた。無言電話の受話器のように、うなずく。暗闇なのだから、伝わるわけがないのに。
「もう無理よ、今からなんて」
「だったら家に帰ってからで」
「それこそもう無理」
「なん――」
何かで口を覆われた。
柔らかなクッションが当てられたかのように、息の詰まる水中で、浮上せずそのまま人工呼吸でもさせられたかのように。
かすかなリップ音。暗闇でうすぼんやりと灯る赤い上唇。ずいぶんと|潤《うる》んでいて、それが動く。
「これ以上言わせるつもり? だから来たの。もう待てないの」
彼女の手の勢いは止められなかった。ズボンや服の上から撫でられて渉の男の部分をさらけ出そうとしている。
なんでここなんだ。
どうして来たんだ。彼女はここで何をしようとしているのか。
その思いを捨てられるまま、逆行する不条理の行為が進んでいく。
「ね、いいでしょ?」
それによって渉の理性は、もはや持たなかった。
こうして夜の海の中で、一粒の真っ赤なイチゴが口の中に溺れた。
だって今年は特別だから。
快楽の頭のなかで理由をそらんじてみる。
12/25 日曜日の聖夜。
そのイチゴは、明け方まで浮上することはなさそうだった。
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夜が照らす公園
「まだ帰りたくない」彩香はまだタケルの手を握りしめていた。
おそらく数駅につき一つはあるだろう、よく分からないモニュメントのある駅前広場。
優しい風が二人の頬を撫で、夕陽が空に美しいオレンジ色を広げている。
タケルは彩香の笑顔を見つめながら、彼女の手を優しく握り返した。
「こんな風に一緒にいる時間がいつまでも続けばいいのに」
「でも、そろそろ帰らないと。門限厳しいんでしょ?」
タケルが言った。
彩香は嬉しそうに頷きながら、夢見るような眼差しで彼を見つめた。
「ううん、門限を守るくらいならここでずっといたいの」
二人は学校のテストや部活の練習、忙しい日常から解放され、この休日を大切な時間にしたかった。周囲の賑やかさを忘れ、ただ二人だけの世界に身を委ねたいと思っていた。
彩香はタケルの肩に頭を寄せ、心地よい静寂が二人を包み込んでいくのを感じた。
「ねぇ、私の今の気持ち、わかる?」
彩香はささやかな期待を込めて尋ねた。タケルは微笑みながら頷いた。
「ったく、しょうがないお嬢様だな」
二人は手を繋ぎ、「まだ帰りたくない」という思いを抱きながら駅前広場を後にした。
彩香の感性が周囲の音を響かせ、街のメロディーが彼らを包み込む。
ちょっとしたアーケード街を歩きながら、彩香は道を颯爽と歩く人々の足音を聴き入れる。
「この街は、まだ眠る気はないみたい。大きな窓から店内照明の光る店、その中で動き回る店員さん、注文を待つお客さん、その前を通り過ぎる私たち。
それぞれの人が持つリズムが、この街を奏でている。夕陽が指揮者みたい」
彩香が微笑んだ。
タケルは彩香の言葉に感動しながら、彼女の手を強く握った。
「君と一緒にいると、本当に特別な気分になる。君の感性が、僕の見える世界を美しく変えてくれる」
彩香が幸福な微笑みを浮かべている時、駅前広場に美しい夕焼けが広がった。彩香とタケルはその光景に立ち止まり、息を呑んだ。
夕陽が空にオレンジ色の絨毯を敷き詰め、その中に浮かび上がる建物や木々がシルエットとして映えていた。彩香は心が満たされる感覚を抱き、タケルの手を更に強く握った。
「この景色、この時間、忘れたくない」彩香が囁いた。
タケルは彩香を見つめ、しばしの間、言葉を失っていた。彼は心の中で、彩香と過ごす特別な瞬間を刻み込むことを決めた。
「彩香、君と過ごす時間は、僕にとって宝物だよ。
この瞬間を大切にしよう。君がいるから、僕は幸せなんだ」タケルが語りかけた。
タケルの言葉に心が震えているのが分かる。少しして、彩香は満ち足りた微笑みを浮かべた。
彼らは夕焼けに包まれながら、互いの存在を感じながら歩き出した。
---
「この静けさも、心地いいよね」
彩香が囁いた。街の喧騒を離れ、二人は静かな住宅街に足を踏み入れた。
鳥のさえずりや風のそよぎが耳に響き、穏やかな雰囲気が漂っていた。彩香はタケルと手を繋ぎながら、周囲の自然の音に耳を傾けた。
タケルは心の中で彩香に感謝の気持ちを抱きながら、彼女の手を握り返した。
二人は途中で見かけた公園に立ち寄り、そこで青々とした芝生に座った。夕陽が徐々に沈み、夜の訪れを告げる光景に包まれた。
「この瞬間、ずっと心に刻んでおきたい」
彩香が耳元で呟く。
タケルは彩香に微笑みながら、言葉にならない感謝の気持ちを手のひらに込める。手を繋ぎ合い、静かに公園の中を歩き始めた。
やがて、日は没し、月明かりが二人の道を照らす。星々が輝く夜空が広がった。
彩香とタケルは、星座を指さしながらそれぞれの思い出や夢を語り合った。その時、彩香がタケルの手を引いて止まった。
「タケル、あの星座、私たちの未来を象徴している気がする」と彩香が言った。
タケルは彩香が指し示す星座を見上げた。
二人は深い絆で結ばれ、幸せな未来を約束しあった。今宵の星座は、結婚式場にて待つ神父のように、穏やかな表情をしていた。
雨の描写1 雨と猫
何かが始まりそうで、というところで終わります。
朝からぽつぽつと降っていた雨は、正午を過ぎてから次第に強くなった。
風のない雨。
独占禁止法を大きく違反する外の気配の制圧力。
静かなる足音で、廊下の床に落ちた湿気はベタベタになり、水滴の水かさを増す。
晴れ間に輝く湖面のごとく。
鏡面仕上げのニスのごとく。
廊下の表面に外の緑の森が反射して、幻影の鏡のモノマネをする。
外の気配に触れる木製の廊下と、締め切られたガラス障子。
外の空気に最も隣接した和室の部屋。その一角。
部屋の床に積み上げられた本から一冊抜き取り、そのページを開いた。
部屋の主は黙々と読む。
同居猫は、窓の縁にたたずんでいる。
ひっそりと鳥の鳴く森をじっくりと眺めては、思い出したかのように毛繕いしている。
このままずっと、続けばいいのに。
雨雲から漏れてきた陽の光が部屋をやさしく照らしている。
今日一日ではやみそうにない、ゆっくりとした速度で動く雨の空。
雨の日の……読書日和。
音にまぎれてページがめくられる。
情景描写の練習として書いたもの。
もったいないので、ここに出しちゃお。
文章から、雨の音を想像できた?
雨の描写2 塾帰り
始まると思って見てると一瞬で終わります。
※試験的に夢できます。
街灯の光が雨粒に反射し、輝くように降り続いている。
雨粒が軽いので、浮遊時間が長い。
乳白色の温泉に差し入れようとする、抜けるように白い天女のおみ足のように、柔らかく。
オレンジの街灯色で彩られた雨のしずくは、地面にゆっくり接地した。
郊外の市街地。
市街地なので夜行性な店が多い。
街灯の光は眠ることはないだろう。
居酒屋、飲み屋、大人が訪れる店も、さあこれからだと道端に告げている。
そんな時間帯――夜の7時ごろに、#その子#が建物から出てきた。紺に近い学生カバンを肩にかけ、ひと仕事を終えた感じで塾を終えてきた。
昨年の合格者数の、黄色い張り紙を尻目に雨の内側に出ようとする。一歩だけ出て、怖気づいたみたいに足が下がった。
カバンから取り出したい折りたたみ傘を探す。無い。無いのかよ。
カバンを閉じずにしばらく待ってみるも、雨はやむ気配はない。もう一度チャレンジ。踏み出すことはできた。
家への道は、駅ナカを通ったほうが近道だった。#その子#の都合も良かった。
南口のロータリーまで頑張った。中央にあるタクシーの待機列なんか無かったことにしながらロータリーを回る。南口の階段が見えてきたところで、機械の唸り声が聞こえた。ちょうど電車が到着したようだ。
#その子#の表情は暗くなった。一分後の未来が見えたのだろう。やれやれと首を振るように改札から人が吐き出される、その未来を。
電車には用はない、ただ歩道橋代わりに使うだけなのに。どうして社会は試練を与えようとするのだろうか。
やはり巻き添えになってしまった。南口の階段、その中腹。昇ろうとしているところで、魚のサケみたいになった。
上矢印って書いてあるじゃん。ちゃんと通行区分を守っているのに、彼らは守らず下ってくる。
人でできた急流が現れた。泳いでいるようで止まってる。流されているのではない、自分は泳いでいるのだ。でも……、ああ。
今日はとことん不運だ。人生で何度目かの「急がば回れ」を実感する。
急流を昇ったサケは、すぐに魚をやめて人間になった。連絡通路を通って北口へ。数分しか経っていないだろうに。#その子#は空を見上げた。
水音は竹みたいに急成長したらしい。電車の発車モーター音を消し去るほどの大雨。街中に響き渡り、電車がいなくなるや、やけに雨音がこだまする。
駅から離れて、交差点を右折。家まで残り300メートル。下半身は急ぎまくった。
そこに、車のヘッドライトがやってきた。後ろから勢いよく#その子#を追い越した。
うっ、と声が詰まった。やっぱり尻もちをついた。何度目かの吐息。
歩道の水たまりに車とその影が映り込んですぐ消える。
#その子#がまだ見たことのない、遠くのほうへ走り去る。走行音の余韻を遺憾なく発揮する。
たったいま、タイヤで切り込まれてできたアスファルト舗装の波紋。縦に切られて、斜め下方向に進んで、ハの字になって……。
黒い地面の先に消えた。光と影が交錯する光景が、水を通して広がっている。
そういうわけで、全身が濡れた。もういいや、とも思った。
尻餅をついたままの態勢で上を向く。目を開いたまま。
開いた眼球に、まぶたに、まつ毛に、雨を感じる。降りてくる冷たさを感じる。自然という重さを感じる。死にたくなる重さだ。
天から飛び降りるだけの簡単な仕事、それが雨。だったらぼくを巻き添えにしてくれよ。
こうやって語り掛けたら答えてくれる、そういう雨だと心から誤認したかった。呟く。
「雨になりてぇ」
雨の情景描写練習。
踏んだり蹴ったり感を表現してみたよ!
Bloody Moon
ファンタジー。
彼女に対して夢使えます。
主人公「僕」の性別はどちらでも。
解釈は任せます。
「2600文字 短編」
ある、満月の日のことだった。
それだけが、僕の記憶に残っている。それは、#彼女#と話した場所が湖の岸辺だったからだろう。
湖と満月。それから夜。
夜の湖面は、鏡のように。夜の空模様を明確に写し取る。
いつから手を繋いでいるのか。
夜間飛行のように、僕たち二人は手を繋いでいた。僕が#彼女#の手を引いて走っている。
初対面同士だというのに、僕たちは駆け落ちのマネごとをしている。
走っている。追われているから走っている。
――誰に?
目的なんて覚えている限り無いようなものだった。
やがて神のごとき月は湖を見下ろし、頃合いを見計らったように雲間から抜けた。
月ひかりが逃避行に休憩時間を与えることにした。
「ここまで来れば安心だと思う」
湖に満月が浮かぶ時、僕は止まって#彼女#に声をかける。
#彼女#は薄緑のドレスを着ているので走りづらかっただろう。僕と同じくゼイゼイとした息遣いをしている。背中を擦って、気を静めるように促した。
僕は夜になってしまった逃避行の跡を見やった。黒くなった芝生が風に沿って横に流れている。人の気配はない。城からの追手は今のところないらしい。
夕方ごろに#彼女#の部屋を訪問して、そのままの勢いで出てきたのだ。追っ手を振り切るために、城下町の地下水道をつたってきた。バレるはずがない。
「もう、いいんです」
掠れていた声を出した。僕は言った。
「そんなこと言わないでいい」
「いいんです。大丈夫ですから……」
#彼女#は胸元にあるペンダントを握りしめた。
「わたしが決意すれば、すべてが終わるんです。それが、あの城で今まで生きてきた目的……」
「そんなのは、僕が許さない」
語気強めにもう一度言った。
「君が死ぬなんて、もったいない」
★
3日ほど前、#彼女#の城に来客が現れたらしい。
突然の来訪。三人組。戦士と踊り子を引き連れ、中央にいる剣を携えた男が言った。
「世界を救うための旅をしている」
要するに勇者一行と呼ばれる者たちだった。
彼らは#彼女#を求めていた。はるか遠くにあるとされる魔物の世界を閉じ込めている門。『|魔鏡門《まきょうもん》』。それを開けられるのは、聖女で名をはせる#彼女#でしかできない。
だから連れて行こうとした。君の力が必要なんだ、仲間として――と彼らは言っていたが、そんなのは信じられない。
連れ去ろうとしている。世界を救うというのも方便なのだ。
城の人たちは聖女を守るための決闘を申し込んだ。しかし、さすがは勇者というわけだ。そのあたりの技量は歯が立たない。
勇者は知らないのだろう。どうしてかたくなに断るのか。
城に伝わる伝承では、『魔鏡門』を開けることができるのは聖女のみ。しかし、災厄が封じられた門だから、それを開けるためにはそれなりの対価が必要となる。その対価が、聖女のペンダントと、聖女自身の命なのだ。
「どうしてそんなにも私を思ってくれるのですか?」
それはぼくに対して投げかけられた|疑問《ことば》だった。
「あなたはこの世界の人間じゃないでしょう?」
僕は言った。「だからだよ」
僕はこの世界のことなんて知らない。転移してから数時間も経っていないだろう。
転移に成功して、世界に降り立った場所が、#彼女#の住まう城の裏手だっただけ。
木々生い|茂《しげ》るそこから、城の最上階を見やっただけ。
窓辺にたたずみ、物憂げな表情で緑のペンダントを握り込む。
何かあるのだろう。
そうする何かが。目線が。立ち姿が。あまりにも現実離れしすぎていて。
けれど、顔は遠くの方を見つめ、目のなかの光は暗い湖のように暗闇を|呈《てい》していて。
満月が無かった。
空にはあるというのに。
それを見ているはずなのに、瞳には満月が映っていなかった。
だから僕は、その手を引いて外に連れ出した。
『魔鏡門』について聞いたのは、#彼女#を連れだしたあとの、逃避のさ中で訊いたもの。
だから、詳しいことは僕にも分からない。
#彼女#の言う通り、僕は部外者だ。
でも――
「だからだよ」
もう一度僕は言った。顔を見る。
「君は死んじゃいけない」
「でも――」
「じゃあ、とっておきの情報を教えてあげよう」
こんな時でも、僕は笑顔を見せるようにする。相手が危機に瀕しているときでも、僕だけは涼しげな顔をする。そのほうが相手にとってもいいから。
「『|魔鏡門《あれ》』は僕でも開けられると思うんだ」
湖面を揺らすほどの強めの風が吹く。
えっ、という#彼女#の戸惑いを含んでいた。
風になびく金色の長い髪。その明かるげな髪は、暗い夜でもよくわかる。
満月の月の光を浴びているからなのか、天性のものなのか、それは誰にも分からない。
「まあ、君のような繊細な開け方ではないんだけどね」
言いながら、自分の腰を見る。一本の剣が差してある。#彼女#の目は険しい。
「……できないと思います。今まで開けられたことはありませんから。ましてや剣で強引に――」
「それは、過去の話さ。やってみなければ分からないよ。それにね、今まで――今まで旅してきた世界の中で、僕が開けられなかった扉は一枚もなかったんだ」
さあ行こうか、と僕は#彼女#に呟く。
「勇者が来る前に開けて、中身をみてみよう。それが一番の解決策だよ」
「でも――」
「大丈夫」
僕は#彼女#を抱きしめた。「心配しなくていい。君は僕が守るから」
満月が映る湖。風がサッと水面を撫でる。円い月が楕円に崩れ、不吉な予感が通り過ぎる。
この世界の月の色は特殊だった。赤かった。
夜になると、いつも湖面は夜空の凶兆を示している。昔は黄金だったのに。
数年前から徐々に熱を帯びていくように赤く染められていった。
勇者が旅をしているのは、その色を探ることだった。
『魔鏡門』がキーであることは確かだろう。
門までの道程は強い魔物が多く出る。勇者とはいえ、その門はまだ見たことがない。
だから――
「――ほら、言ったとおりだったでしょ?」
天にそびえる巨大な門に立っていた。
禍々しい光を放つその門には、縦に切れ込みが入っている。先ほど僕が放った剣の風圧で風穴を開けたのだ。
ひと二人分くらいなら何とか入るだろう。中から暗い青色のオーラが這い出している。
「さあ、行こう」
手を引こうとしたが#彼女#は動かない。門を破ったことが呆然の足となって身体が動かないらしい。
振り返ってポンと両肩を叩いて気づかせてあげた。
「え、ええと……」
目の前の当惑する#彼女#に不意打ちでもするかのように、僕は剣を持っていない方の手を伸ばす。
「行こう」
その後のことは、満月さえも知らない。
「何を封じていたかは、僕たちだけの秘密だ」
雨の描写3 深夜の海岸線
誰かに追われてる感じ。
お好みで夢どうぞ。
海風と雨の組み合わせが荒々しい音を奏で、海岸線を覆っている。
遠くには嵐雲が立ち込め、闇夜に雷光が走り、風が悲鳴を上げている。
大空には嵐が降臨している。荒々しい波が岩に打ち寄せ、海水が空中に投げ出され飛沫となって散る。
海岸線の一部を作るテトラポッドに、強度はどれくらいかと試す。
雨や風や、波や夜や。力強く押し寄せている。
自然と人工物の戦い。この時期になると毎晩のように死闘を繰り広げている。
高台付近には県道がぴったりと|延《の》びていて、晴れていれば運転しながらのオーシャンビューが楽しめることだろう。
だが、今は深夜。それに台風の連れた嵐だ。人気はあろうはずもない。
深夜の海岸線。砂浜のない、岩肌の目立つ海岸線。
だから、#その子#はここに現れた。
この日にふさわしい。#その子#はそう思いつつ、海岸線の堤防に立って暗く荒れた海を眺めている。
傘なんて役立たずだ。ずぶ濡れが当然。その決意をまとっているがごとく、学生服は風雨にさらされ、乾いている部分など全くない。
#その子#は目的地に向かって歩くことにした。
海岸線に沿って歩くだけで精いっぱいだった。雨は縦揺れ横揺れの大地震のように、#その子#の体勢を崩そうとしてくる。
一時、テトラポッドみたいにうずくまるも、なんとか立て直した。大丈夫だ、期末テスト対策に比べれば、こんなものなんてことはない。立ち上がり、海をにらみつけた。
灯台の光が見えている。光の先は暗い海の先に進んでいる。
遠くに照射すれば光の粒子は拡散していって消えていくというのに、この時の光の橋は距離に応じて弱まる気配などない。
人間の視力が無限大なら、照らされたものが見えるはずだ。そんなバカみたいなことを思った。
#その子#は光に逆らうように歩き、灯台のふもとに着いた。
海を見下ろした。灯台の下には|海蝕《かいしょく》洞窟がぽっかりとのぞいている。
太古の昔に隕石でも落ちたのだろうか、そのような大穴が開けられている。蓋をするように白く泡立った波がかかる。
近くには階段があって、洞窟の入口近くまで続いている。もちろん、階段の前には「立ち入り禁止」の紐が邪魔をしていた。
#その子#は、今までの苦悩を無かったことにしたいがために、「立ち入り禁止」を禁止し、滑らないように乗り越える。その洞窟に入ることにした。
|躊躇《ためらい》なく入れたのには理由がある。毎夜、ここに寄っていることと、今夜はとことん眠れないと思っているから。
洞窟のなかは水の音で反響している。今夜は嵐の雨も手伝って、かなりの海の|音《ワルツ》が洞窟内を魅了していた。
岩肌は鍾乳洞を思わせる濁った白色で、タケノコのように高さを上げているところがある。
学力もこのくらい、目に見えるようにしてくれないだろうかと、#その子#は目を投げた。
しばらく奥に行くと、洞窟に守られた泉が姿を現した。若干だが表面は揺れている。
スキューバーダイビングのような恰好をすれば、この泉を潜って進めば沖に出れるのだ。ここはちょっとしたプライベートビーチみたいなものだった。
誰も知らない、#その子#だけの秘密の隠れ家。腰を下ろす。
激しい風雨でも、ここまでくれば小さな影響力でしかない。
「ここまで来れば、追ってくることなんてない」
時は経過するものだ。
泉の中をつたって、朝日の光が少しずつ溶け出してくる。
約1300文字。
ところで部屋に蚊がいます。
O型だから蚊に喰われやすくて。
ぱおんしたい。
【残された僕】〜4〜 16年目 懺悔の夜
202X 9月上旬
「タッチャン&Y」最後の生配信
タイトル :16年目 懺悔の夜
出演 :Y
大物ゲスト:『匿名のS』
「……俺もね、実感がわかなかったんですよ」
達郎が自殺してから早くも二週間が経った。
早いもので、もう9月になっていた。
この日、タッチャンの相方であるYが枠を立てて追悼生放送をした。僕はそれに呼ばれた大物ゲストという〝テイ〟で聞き役になっている。
「まあ、めっちゃ不謹慎なことを言うんですけど、いま《《たつ》》がいないのは、実は裏で壮大なドッキリが進行してて、来れないんだろうな――って」
「そう思い込みたいですよね、『全部嘘だって』」
「そう、そうなんですよ。全部が全部嘘で、ドッキリで、今生をやってるすぐ後ろのドアからひょっこりと現れてほしいなぁーと、こっそり思ったりするんですよ」
まあ、俺がいるのは日本じゃなく中国だし、今の状況からそんな奇跡起こるわけないんですけど。Yが愛想笑いをあげる姿が画面越しで見えた。
「正直な話、今も夢見心地な気分ですよ。
俺、今この通り中国にいるんで、まだ日本に行ってないんですよね」
「ええ」
「日本に住んでいたら、死んだらすぐ通夜とか、そういうのがあるじゃないですか。喪服に着替えて斎場に行って、たつが棺桶に入ってる姿とか、顔を拝みにいって、お焼香して、車に乗って、焼いて、ていう『別れのための工程』が。俺さ、まだ見てないんです。だから――」
「……ああ」
「そうそう、だから、まだドッキリじゃないのかなぁーっていう想いがあったんだけど」
「うん」
「でも、昨日かな。たつの妹から、あの……そういう知らせがあって、その、全部終わりましたよっていう、事後報告を聞いて」
一時の沈黙。
「……ああ、これはドッキリじゃなく、本当のことなのかなって、ようやく自分の心を整理しようと手を付けた感じですかね」
「Yさんは大人ですね」僕は言った。
「どうしてそう思うんだい?」
「Yさんは踏ん切りがつこうとしてる、僕は全然。まったくですよ」
踏ん切りはつけてないけどね、と、Yさんから乾いた笑いが漏れた。
「そりゃ違いますって。たつが死んだって言う話を昨日聞いて今日の放送ってんならそりゃ、どうなってたかわかりませんけど、今なら、ねぇ?
1週間かけてようやく生放送できる身体になってきた、というか……まあ見かけ倒しのカラ元気ですよ。今は『匿名のS』さんと二人で回してますから、まあ明るく振舞ってる感じですけど、一人ならもう、去来の嵐ですって。踏ん切りなんてまだまだ」
「じゃあ、この後は……」
「このところ、一人が怖いんで、バーに直行ですw」
Yさんは冗談のように言い、一緒にひと笑い。
確かに、たかが1週間だ。
Yさんが気丈にふるまっているのも、生放送としての実況者のスイッチが入っているに過ぎない。
スイッチが切れれば、ぽっかりとあいた心に向き合わねばならない。今まで十二年間も連れ添ってきた相棒が、なんも言わずに立ち去ったのなら、僕も酒の力に頼ってしまうだろう。下戸だけど。
「逆に『匿名のS』さんはどう思います?」
「え? 僕ですか?」
『匿名のS』というのはこの放送にお邪魔する時につける『仮面』だ。まあ、今は完全に付け忘れてほぼ素で話しているが。
「……ちょっと半年前に戻しません?」
「(笑)時間軸をですかw」
Yさんは笑った。僕は半ば本気だ。
「半年、ねぇ……」
Yさんは考えるそぶりを見せる。
「いや、せめて一か月前……8/9辺りまで戻しましょう? そうすれば――」
「三人でゲームしてるだろうって?」
図星。絶句してしまった。
相変わらず未練たらたらな僕……。
「まあ、その可能性はあったでしょうね。多分そういう並行世界もあったでしょうよ」
「あった……ですか」
『あった』と過去形でいうYさん。僕より3つ上なだけなのに、僕よりもずいぶん大人な考えをしていた。その証拠に、
「まあ、時はどうやっても戻せませんから、そろそろ前を向きましょ?」
「前をですか」
「ええ、そうです。仮にもSさん……SakuYaさんは秒で億稼ぐ伝説の実況者なんすから」
「あの、質問いいですか」
どうぞ、とYさんは促した。
「えっと、達郎さんって、いったいどこを、最後の思い出の場所として選んだんですか」
要するに『どこで……』ということだ。
本当は生放送が終わった時に聞くべきだっただろう。ポツポツと流れていた視聴者のコメントも苦言を呈している。『今聞くべきじゃない』と。
だが、この時の精神状況的に、聞かずにはいられなかったのだ。
不躾な質問だったけど、Yさんは昔を懐かしむような口調で答えた。
「たつはね、ここ最近親と暮らしていて、そこで実況なり生配信なりをしていたらしいんだよ。だからこういう生とか配信とかは、声を小さくしたりとか、あっちから時間指定して、この日のこの時間だったらいいよという感じで、他に気を使ってたみたい。
で、たつには実家とは別にもう一つアパートを借りてたんだ」
「アパート、ですか?」
「そう。たつのアカウントを見ればわかる通り、たつは今再就職中でね。その合間に動画を作ってたんだ。その再就職が叶ったときにそこを生活の拠点にするつもりで取っておいたんだろう。
あそこは『思い出の場所』でもあるし、無闇に捨てられなかったってのもあるかもしれないね……」
新たにアパートを借りたのではなく、『借りてた』というところで僕は、ああ、と察した。
「あのアパートでも俺達二人の場所でもあるんだ。結果的には売れなかったけれども、実況なり動画なりを撮ってた場所だったんだ。動画としては300本近くは行くんじゃないかなぁ。結構ボロボロでね、SakuYaさんなら笑っちまうほどに寂れたアパートだ。
んで、俺は転勤で中国に行っちゃったけど、たつはそのアパートを売らなかったわけ。一人でそこにいて、続けてたんだよ。おそらく動画編集もそこに籠って。
だから、最期っていうのを選ぶとき、実家じゃなくそこを選んだじゃないかって。その場所に行って、一番過ごした部屋に行って、思い出の空気を吸いながら最期の会話をしていったんじゃないのかな」
「…………」
30秒位、言葉が出てこなかった。いつもは口先が動くはずの多弁が、全く動かない。やっと|拵《こしら》えて出た言葉は、
「どういえばいいか分かんないっすわ」
という一般人レベルの感想だった。
「まあ、明るくいきましょ? 最初に言ったじゃないっすか。『今回は明るく』って」
「いや、明るくって……」
そんなこと、今の僕には高度過ぎて、できるわけがなかった。
「いやいや、明るくいきましょうよ、SakuYaさん。どうせ、たつもこの放送を……って、あ。あともう少しで枠閉じちゃいますね」
「え?」
僕は急いで画面を見た。
「1:59:10」。枠は二時間だ。もう1分もない。
「ホントですね。ああもう、二時間もしゃべってる……」
「どうします。もう少し延長します?」
Yさんは気を利かせた。僕は限界だった。
「いや、そろそろ締めましょうか」
「……わかりました」
僕たちは〆にかかった。
---
生放送を終え、|宴《えん》もたけなわにYさんとのスカイプをきった。多分Yさんはこれからバーに駆け込み、気を紛らわせるだろう。
二児の父で一家の大黒柱だというのに、これからバーとは……。酒の力を存分に借りなければ、気分を誤魔化さねばやっていけないということだ。
アカウントを見る限り、このところ酒に入り浸っている様子だが、徐々にYさんは回復傾向にあると思う。僕も同じ立場なら、呟く気も起きず、食欲すらなかっただろう。
ショックで現実逃避して、少なくともあと1ヶ月は何もできない状況にいたと思う。これは誇張じゃなく――。
いずれにしても、Yさんはこれから酒に酔っては愚痴をこぼし、吐き出してから時間薬を服用してゆっくりと答えを出すことになる。時間薬というのは漢方薬よりも緩慢な効き目だ。それが効くまで何年たつのか、はたまたコロッと結論が出るのか、どちらにしても暫く孤独でつらい時間を送ることになる。
となれば、傷が軽い僕の方が切り替えやすいはずだ。Yさんのように"まだ"相棒を無くしたわけではないのだから。
でも――と、僕は考えてしまう。
ここ数か月のうちにターニングポイントはいくらでもあっただろう……と。
Yさんたちの実況は僕にとって一種の精神安定剤代わりだった。何度も繰り返し再生しては食い入るような眼で見て、傍から見たら一ファンとは思えないような溺れぶりだっただろう。
去年、僕の口利きで有料チャンネルを開設したり、『匿名のS』としてお忍びでお邪魔したりと、常日頃気にかけてきた。
既に投稿されたすべての動画をダウンロードして、作業用BGMとして永遠と流しながら動画編集をしていた位だ。『|病膏肓《やまいこうこう》に入る』とはこのことだ。
だから、と、ちらり。
僕は編集作業部屋兼自室にある、つけっぱなしのパソコンを見た。
Yさんの生放送に乱入――『匿名のS』として、ほぼ恒例となっている――する直前まで、動画編集をしていたので、つけっぱなしのままだ。今も何台もあるパソコンのうち、その一台から笑い声やレトロなゲーム音を垂れ流している。そのうちの一人は先ほどまで聞いていた音質と同じ者だった。
デスクトップ画面にはタッチャン&Yの過去の動画が映っており、今も再生中だ。
『そろそろ前を向きましょ?』
先ほどYさんの口から発せられた言葉が脳裏をかすめる。
表面上隠すのは得意中の得意とはいえ、裏で傷が癒える、つまり、僕が前を向けるのはいつになるだろう……?
だめだ、明日にしよう。
僕はパソコンの電源をオフにした。
作業用BGMが消え、部屋が静かになった。かすかに聞こえる冷蔵庫の音のする静音……。
明日の夜も生放送がある。明日は自分のチャンネルの方だ。切り替えるのは明日でもいい、そうだ、明日になってから考えよう……。
やるせない思いを抱きながら耳を澄ませた。
外は鈴虫が鳴いているらしい。僕は横になって眼を閉じた。
4100文字。
記念に少し話しましょうかね。
ここからはあとがきという蛇足です。
これは今から3年ほど前(2020年)に書かれた過去作です。
当時はとある実況者の二次創作前提として書いていたため、実況グループ名はそのまま書いていました。しかし書き終わった後、「~4~」以外の文章、つまりツイッターの部分はほとんどそのままだったので、投稿しないことにしました。
現在のツイッターはご存じの通りイーロンマスクによる運営であり、ログインしていないアカウントは削除されました。その影響もあり、現在元となったツイッター文章は見ることができません。
お盆の時期は死者が現世にやってくるからか、少し秋の雰囲気のある涼しげな空気を運んできます。そのすぐ後に、彼は自死しました。遺書はありませんでした。
僕の日記のどこかに、「遺書を残すのは、遺書を残すという精神力がある人のみが残す」というのを書いたような気がします。彼が遺書を残さなかったのは、それほど衝動的だったということです。Twitterの文章が遺書という見方もできますが、それは違います。あくまで遺書はネットに公表する者ではなく、身内に向けて書かれるものだと思います。
いつ死んだのか、どう死んだのかは分かりません。そこはこの作品同様、筐底に秘すのがいいでしょう。
ということで僕は追悼配信を見てくることにします。毎年この時期になるとやるのですよ。
置いていかれた彼らはまだ泣いているのです。今年で四年目です。四回忌です。
彼を思うと、胸からこみあげてきたもので一杯になって……
それで……タイトルに戻るというわけです。
【残された僕】~1~ 15年目夏 タッチャンのTwitter
~1~ 15年目 タッチャンのTwitter
①~⑰
① 202X年 4/8
RPGツクールでのシナリオ執筆の為に馴染みの漫画喫茶で二日間「自発的なカンヅメ」しに赴いてみたら、なんと改装中ときたもんだ!
なんでや! 改装するんやったら、常連のワイに伝えとけや!
――と思ったんやけど、冷静に考えれば自分の部屋で書けばよくね?
と、とんぼ返り。
はい、やっぱりまったく集中できまへん。
何もない部屋ですが、パソコンがあるだけで雑音だらけです!
②
雑音と聞いて、なんだ、と思うフォロワーさんが多いでしょう。でも違うんですよ! ただのうるさい雑音じゃなく、ものすごく魅力的な雑音なんですよ。
まず静音。静かなる音と書いて「静音」。冷蔵庫の微かな稼働音や時計の針がチクタクと動く音――うーん、魅力的ですね。
次に環境音。部屋の窓から入ってくる車やバスの走行音、排気ガスを吐き出す音、遠くの方で線路と電車の車輪が擦れ合い、ここまで届く音の余韻……うむ、これも魅力的ですね。
③
そして! それらの生活音をバックに流れる、BGMやらSEやら。発生源はもちの論、今制作中のゲームからです!
RPG作成兼シナリオ執筆中のこの私にとって、制作中のゲームから発するこのノイズってだけで、はらはらわくわくしますよ!
外から見れば規模の大小、認知度の大小はあるものの、自己評価は高いもので中身のコンテンツは絶賛の嵐でして、まぁだらけてしまうのには充分な環境です。
④
とにかく、今日は全然作業が進みませんでした! 明日なるべく取り返して、本来ならば休息日(予備日)だった日にシナリオ執筆を行えば、まだ大丈夫! 休日返上で帳尻を合わせます!
言い訳、というか弁明を行うならば、発想は次々と出てくるんですよ。ただ筆が……ね。
ていうか、無理しなければ発想が出てこないとなれば、それは私タッチャン自体を引退する時だと思います。しかし、いかんせん集中力が……
---
⑤ 202X年 7/3
タッチャン恒例(?)の構ってちゃんツイートのコーナー!
実は(といっても原因不明なんですが)3日前からほぼ絶食状態なんですわ。なぜか食欲が湧かないんですわ。
しかも、右手の親指がちょっと触るだけで激痛なんですわ(大阪弁でいうところの、いわゆる『いわした』状態なんでしょうか?)。痛風なんですかね、これ。
鬱にはなりかけたことありますけど、今どき痛風て……。生まれて初めてなりましたわ。
おかげでこの三日間の仕事は、指は動かんわ、頭働かんわでもう地獄でしたわ。
⑥
ちなみに、メンタルは全然大丈夫ですわ。
数年前まで死にそう、死にそう言ってたし、寛解した今も睡眠薬は必需品ですけど、職場では一変、かるーく自虐ネタできっちり笑いを取ったつもりですわ。
でもさすがに心配されましたわ。だって食事ちっとも取らないんだもの。いつもなら職場一のスピードで書類整理終わらせる僕が、かなり時間掛けてたもの。
でも、ここでくたばってはいけないのだ!
職場でやらなければいけないこと、そしてこのチャンネルでやりたいこと、やるべきことが山積してるんですわ。
追いつめられてるっていうよりは、めちゃくちゃもどかしいんですわ! 悔しいんですわ!
⑦
で、結局何が言いたいかといえば……そうです! いつも通り僕に構ってください!
さあ、わたくしの呟きを見れる暇という暇を持て余した皆さん! 僕を励ましてください! 嘘でもいいんで、まじ|労《ねぎら》ってください!
わたくし、一部の動画投稿サイトでは名が知れ通っている身でしてね。今までの実績(製作中を含む)は以下の通りなわけなんですわ。
『世界一笑える自作RPG』制作。
『世界一キテるマジシャンタツゴロウ』の動画作成。
『ローマの休日(きつい関西弁ver)』の脚本等々……
⑧
それだけじゃないんですよ!
わたくし、小説を執筆してました!
前に本を出版したんですよ(まあ、自費出版で全く売れてませんけどね……)。
今連載中の死刑囚小説を筆頭に、小説アイデアも最近何故かポコポコ発生してるんですよねぇ。ここ最近は完全に休火山で、死火山かもと思ってたんですけど、いい兆候ですねぇ。
⑨
とりあえず、今しばらくは体調と指の回復を待たせていただきたく存じます。こう指が痛てぇと、唯一の趣味&ストレス発散であるカードマジックもできねぇ。まじ辛ぇわ。
ということで、その間に励ましのリツイートやDMとかあったら、わしめっちゃ嬉しいなぁ。
⑩
(実はここだけの話、これ以外の企画もいくつか思い付いちゃってるんですやねぇ……。ほんと、アイデアだけはいっちょ前ですな)
---
⑪ 202X年 7/4
でも、どうして食欲が無くなったんだろ? 職場でも言われたけど、やっぱり|恋患《こいわずら》いかなぁ……。
⑫ その夜
寝れんなぁ……。眠くはあるんだけどなぁ……。暇や。さっき睡眠薬飲んだはずやのに、暇や。暇やけど起きてまで何かをする元気はないねぇ。
⑬ (0時跨ぎ、翌日7/5)
よぉーし! そろそろ寝るぞー!
昔は睡眠薬なくても寝れたんやー!
---
⑭ 202X年 7/8
さて、これからどうしよっかなぁ……。
色々な意味で、絶対に老い先短いやろうからなぁ。そうなると、『後回し』と『断念』はほとんど同義になるやろうし……。これからどうしよっかなぁ……。
なぜか、ここ最近はそんなことを思いながら生きているのであります。
⑮ (上のツイート文をリプライして)
わかるわー! 俺もまったく同じ状況やねん! 俺、ここ最近なぜか食欲湧かんくて、さらには指痛くてそう思ってん。
かー! かなわんなー最近!
めっちゃ気が合うやん、オレタチ!
こう思考が同じやと他人とは思え……あ、よう見たら俺のツイートやったわこれ。
---
⑯ 202X年 8/22
一難去ってまた一難。
指先の痛みが取れたというのに、今度は頭痛と左胸の痛みがやばい。
突然死の可能性あるわこれ。
そういえば、俺が死んだら悲しんでくれる人がいるのかな?――いないだろうな。思い返せばつまらねえ人生だったなぁ。薄っぺれぇや……。
⑰
気のせいか、また指先がしびれてきやがる。
頼みのYは外国暮らしだし、僕は一人暮らしだから発見も遅れるんだろうな。
ここが終の棲家となるんだろうかぁ。やだなぁ、腐って死ぬのは……。
ああ、……指がしびれてちからがでない……。
すまほでもじうつのしんどい……。
2700文字
【残された僕】~2~ 16年目春 タッチャンのTwitter
~2~ 16年目春 タッチャンのTwitter
①~⑮
① 202X年 5/3
〝SakuYa〟の|兄《あん》さん方‼
長い実況生活お疲れ様でした!
月給1000万を余裕で超える最強の実況者なのに! 長い間可愛がっていただいて、かつギャラなしで僕たちの放送にたびたび出張ってきていただいたりして、色々と面倒も見てくださって本当にありがとうございました!
是非いっぱい休んでください!そして、また集結して活動再開できる日を心待ちにしてます!
---
② 202X年 5/7
昨今の情勢を鑑みて、また、昨月末の発熱時より心身共に衰弱気味となりました。
〝SakuYa〟の解散ショックも確かにあるとは思いますが、本業の方もちょくちょくお休みをいただいている状態ですので、しばしの間実況活動を休止させていただきたきます。
有料チャンネル会員の方はもちろんのこと、私たちの活動を少しでも楽しみにしていただいている方々全員に深くお詫び申し上げます。
---
③ 202X年年 6/21
ラジオでもたびたび告知してきた通り、なんと、私たちの"つべ"チャンネル始動まであと10日となりました!
あの野村氏を『202X年で一番驚いた』と言わしめたY&タッチャンの"つべ"チャンネル始動は202X年7月1日からです!
始動後100日間は一大キャンペーンとして毎日19:00に面白動画を一つアップ!
ぜひ見てね!
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④ 202X年 6/29
"つべ"チャンネル開設まで、いよいよあと2日です! 準備もいよいよ佳境です!
7月1日の19:00分に始動致します!
登録はなんと無料!
カツカレー食べ放題やな!
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⑤ 202X年 7/1
この度、私たちの"つべ"チャンネル『タッチャン & Y の超面白い(青褪めるほど皮が熱くなる)チャンネル』を開設致しました!
従来の有料チャンネルではなく、登録は完全無料な上に、毎日19:00に超面白い(青褪めるほど皮が熱くなる)動画をアップし続けます!
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⑥ 202X年 7/4
予告通り、私たちの無料チャンネルを"つべ"にて開設致しました!
登録は完全無料ですので、ぜひぜひ、なにとぞ、人助けだと思って、我々の全フォロワーさん、チャンネル登録のほど、よろしくお願い致します! 毎日19:00に超面白い動画をアップし続けます!
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⑦ 202X年 7/5
先ほど二本目の動画を投稿しました!
しかし、昨日アップした初回動画がなかなか伸びません。自信作だったはずなのに、再生数100の壁が遠いですね……。
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⑧ 202X年 7/6
ちょっとでもチャンネル登録者数を伸ばす為に、しばらく毎日タイトル変えるかもしれません。
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⑨ 202X年 7/7
50を過ぎたあたりで全然登録者さん増えなくなりましたね……。終わりかな……。
詰みましたね。
⑩ その夜
タッチャン&Yの全フォロワーの皆様!
そして、たまたまこの呟きを見たそこの見知らぬ御方!
ぜひぜひご自身のフォロワーさん、およびリアル友達やご家族やご親族、そしてご友人や知人の方に、このチャンネルをお薦めしていただけませんか!?
ワンクリックだけでいいんです! 違う意味で募金よりも簡単です! どうか、どうか! 一つの命を救うと思って、よろしくお願い致します!!
---
⑪ 202X年 7/21
よく皆さん、
『生きていたらきっと良いこともあるから』というアドバイスを耳にしたり、落ち込んだ人に対して助言をしたことがあったかもしれません。
確かにその言葉は本当に慰めの力を持っていますし、見方を変えればこれほど良いアドバイスはないでしょう。
しかし、僕個人の意見を述べさせていただくと、良いことがある一方、辛いこと、到底耐えれないこと、最悪精神が崩壊するようなトラウマ級の出来事の方が、出会う危険性がより高いように思えるのです。
僕はチキンでネガティブな性格なので、とてもそんな大それたアドバイスを自殺願望者に贈れませんね。
⑫
仮に私のように、文字に書いたような根暗人間にそんなアドバイスを浴びせた日には、どうなるとお思いですか? 僕はこう思いますね。
「そんな風に切り替えられたら、こんなに思い悩んでねぇよ!」と。
---
⑬ 202X年 7/25
ほぼ一睡もできないまま、気まぐれに"つべ"チャンネルを確認すると、昨日アップした動画の再生数が「2」(笑)。そんなことある? ある意味奇跡ですね。
そろそろストックが切れそうなので、今後上げていく新動画の編集をやろうと思ってたけど、さすがに堪えた(笑)
という訳で皆さんごきげんよう!
---
⑭ 202X年 8/2
明日で無料チャンネルでの毎日投稿を中止します。一大キャンペーンであった『100日間毎日投稿』の約束の半分も行かずに中止してしまって誠に申し訳ありません。
⑮ その夜
無料チャンネルの入会人数が100人を超えました。ありがとうございます。いつか投稿を再開できる日が来るように、祈っております(他人事のように書いてますけど、動画投稿者は僕なのに、いったい何言ってるんですかね……?)。
2200文字
【残された僕】~3~ 16年目夏 タッチャンのTwitter
~3~ 目次
16年目夏 タッチャンのTwitter ①~⑲
16年目夏 相方Y のTwitter ①~③
① 202X年 8/10
少しだけ弱音を吐かせてください。
半年前くらいから資格学校に通い始めて、再就職活動の面接に行くこともままあるのですが、ここ一週間、
『新しい職場でやっていける自信が湧かなくなってきた』
『人生をやり直す資格すら持ってない』
と、真剣に考えてしまいます。
また、直近や昔の遠く淡い、ほろ甘い過去を思い出し、旧懐の念を感じては現状に悔恨するなど、地獄のような時間を過ごしています。
薬の力を借りて毎晩23:00には寝ているのですが、いつもなら朝までぐっすり眠れる筈が、2:00前には目が覚めて、その後朝までそういった思考が止めどなくあふれでてこう攻めてくるのです。
「今の状況が進展しないのは、今日まで最悪の選択を取り続けた代償なのだ」と。
②
そんな思考自体、単なる心象風景から来た妄言の塊だと自分に言い聞かせまくってるんですが、効果むなしく、いつも最悪の思考に蝕まれ、永遠の責め苦を受けているような気分のまま横になっています。
つまり、眠れません。ここ数日は時間通りに来る朝日が大嫌いです。部屋を明るくさせるだけで、責め苦から救いだすことも和らげることもせず、ただ窓の外で僕を傍観するだけですからね。
③
さらに最悪なことに、
「打破するにはどうせ死ぬしかないんやろ?」
という意識が脳のどこかに巣食ってて……どころか最大勢力として居座っているせいで、ついには資格勉強も就活も上の空状態になっています。
もちろん、それでは駄目だ、愛してくれていて、心配してくれて、迷惑掛けっぱなしで、多大に支援してくれている両親の為にも人生をやり直さなければいけない。
だから、今も響いているこの幻聴に左右されずに勉強や面接に集中すべきだ、ということは理解しており、そうするよう自分なりには最大限努力をしているつもりでした。
④
だから、今のところ生きてます。
ですが、いつまで持つか……。
⑤
完全にうつ状態であることは認識しています。うつ状態というのは病気。こんな状態では再就職活動ができません。
でも、通院となると今の資格学校を休むことにつながり、結果通えなくなってしまうのです。
資格学校にはとある条件があります。
ここを卒業してから三ヶ月以内にはどこかへ就職しなければいけないこと。資格学校に最低半年間は通いつめなければならないこと。これに違反すると少なからず違約金が発生すること。
⑥
もちろん、その厳格な条件は僕にとっても望むところでした。だらだらと先伸ばしにする性格である私が、期限を決めないと、
「自分は社会に必要とされていない」
「今まで何も貢献していない」
という引け目や劣等感でうつ状態がさらに悪化するだけだろうし、うつ状態で時間だけが豊富にあったところで、諦念思想を植え付けようとする、無意味で無駄な……最悪な時間を過ごすだけでしょう。
⑦
通い始めてまだ1か月も経っていませんが、正直もう……限界です。
仮に再就職して仕事を始めても、今の思考はおそらく死ぬまで止まらないでしょうし、ましてや頭の外へ出ていってもくれないでしょう。
ずっとこんな最悪な思考と付き合っていかなければいけないのかと思うと、やはり然るべき手段を用いてはっきりと、自らの思考の残滓でもって袂を分かつ必要があるのかなと思ってます。
⑧
チラシの裏にでも書いとけよみたいな、構ってちゃん全開なのは自覚していますが、私にとって永遠にも思えるこの『最悪の時間』を脱する方法を考え抜いた結論がこれなんです。
『過去のことは忘れて前を向こう!』
『嫌なことも多いけど、楽しみを見いだして頑張っていこう!』とは自分でも思います。
でも、無理なんです。少なくとも今の精神状態ではいくら頑張ってもそう切り替えられないんです。がん細胞を自らの力で根絶させようと言われているのと同じです。
⑨
そうはいっても、
『どうせ死ぬならもう少しだけ頑張ろう』という騙し騙しな気持ちが湧くのも無くはないです。24時間の中で30分ほどはそう前向きになれる時間もあったりします。
⑩
思えばこの40年間、さまざまな夢を抱き、そして挫折し続けてきました。特にある人物を目指しているなかで、どうやら僕は何か大きな勘違いをしていたように思えます。
ある人物が僕たちの生放送にゲストとして普通に乱入したり、同じくある人物からまくしたてられ、すっかり毒気にあてられたり……、そうして何度かしゃべっていると心のなかでひっそり育ってくるんですよね。
不自然なほど歪んだ承認欲求の塊と、膨れに膨れたプライドが。
⑪
かつてはその両方を持っていたおかげで活力を得ていたはずなんですよ。
発想なんて、のべつ幕なしにと言わんばかりに湧き出てくるし、今思えば並外れていたモチベーションの高さを維持して動画作成やラジオ放送、さらに実況の枠を飛び越えてRPGゲームの作成や小説執筆など。
本来ならばありえない、全然向いてなかった仕事を並行して続けてこれたんでしょう。
⑫
でも、気づきました。気づいちゃったんです。僕、もうすぐ40歳ですよ。
身体も心もすべてが限界寸前です。今までは押し返すどころか活力を得ていたはずなんですが、去年あたりからずっと衰弱状態が進行していて、いつしか押し返す力が失われつつあったんです。
それに気付いたのが最近になってからでした。
40にもなって、体調管理は愚か、自己管理すらまともにできず、膨張したプライドだけが残り、押し潰されていく現状……。
もちろん、人によって様々でしょうが、少なくとも僕が抱くような、そして僕が定義するような大人になることも、また馬鹿げた夢を抱くには少々歳を取り過ぎました。挫折を重ねすぎ、心が折れて……心が参り、体も精神も疲れ果ててしまいました。
⑬
40年も生きてきて、僕には何の才能も無かったんだなぁ、とようやく解りました。
小さい頃から友達に囲まれ、小説がかけて、ゲーム作成できて、面白センスを持ち合わせていて、実況もできて、ひとたび何か起こせばファンを大喜びさせる企画を思い付けて、今まで準備してきた末に大々的に宣伝してチャンネル開設して……と、思っていたのに、いざ振り返ってみればすべてが中途半端。
ファンには延期に延期を重ねて待たされっぱなしの迷惑千万。相方には励まされてばかりで、一人で出来た物は今まであったでしょうか? チャンネルに至っては登録や視聴も無料なのに泣かず飛ばずの有り様……。
ただ自分は特別な人間なのだと言い聞かせ、重度の厨二病を拗らせ続けてきた社会的不適合者でした。
⑭
実際は平凡どころか、ろくに仕事もできず、再就職すらできないはた迷惑な底辺なのでした。
嫌なことがあったらすぐ逃げる、自分を律することも見通しの甘い計画を立てては崩す、一般的な大人の1%もできない、醜悪なおっさん……もはや人間失格です。
昔抱えていた夢は霧消し、今は何の夢も希望もありません。今までがそうであったように、ひどく無謀で身の丈に合ってなく、大言壮語の夢や目標を抱ければ、どんなに楽だったでしょう?
少し若ければ、思考停止してなんとかなると思えたかもしれませんが、今の僕には勘違いすら許さない悪魔の説法によって思考は調伏され、それすらも増大した負の思考に食われたようなのです。
こんな地獄のような日々が続くのかと思うと、怖くて辛くてたまりません。いつの日か乗っ取られ、自分が自分でなくなります。だからその前に……と、思ってしまうのです。
⑮
繰り返しになりますが、ひどい構ってちゃんな呟きであることをお詫び申し上げます。
小説を書いている癖に、全然上手くお伝えすることもできなかったのですが、僕の今の気持ちを誰かにお伝えしたかったのです。誰かに知っていただきたかったのです。
少なくとも、もう何日間は生きようと思います。万が一、億が一レベルの確率で、精神状態が上向く可能性が……。
あるいは、今の考え方がころっと変わり、人生って生きてるだけで素晴らしいと思える可能性も無くは無いでしょう。
とはいえ、そんな勘違いのような奇跡を信じれる回数も限られてきています。
⑯
長々とした文章、改めてお詫び申し上げますと共に、最後までご覧いただけた方には心から感謝申し上げます。また近日中にながながとうざくて、読めばテンションがだだ下がりするだけの呟きをするかもしれませんので、それでもよければよろしくお願い致します。
---
⑰ P.S.
ここには書いてありませんが、
「自殺したけりゃ呟かずにさっさと死ねよ」
と思う方が一定数いらっしゃるかもしれません。僕もこんな文章を見返してみると、文句の二つや三つ零したくなります。
皆さまは「にんげん」です。やさしい「にんげん」です。ここには書かずとも聖人ではなく「にんげん」ですから、心のなかで思ってますよね?
……そんなに否定しなくても大丈夫です。
僕には解ります。
ですが……いや、さすがにドン引きされると思うので具体的には言えませんが、例え話を一つ。
人生の終着駅へ旅立つにも、それなりの準備や手段、そしてテクニックが必要であることを知りました。
僕には電車に乗ることも、ホームに立って待つことも、そして、切符を買って改札を抜けることすらも躊躇ってしまいます。
⑱
現状を招いたのは全て自分の弱さと、この決断力の駄目さが原因です。甘えきった時間を費やし、無駄に年を重ね、目指すべき人物を舐めきったが故です。年を取る代償に、自分の選択で色々なものを不法投棄し、見て見ぬふりをしてきた結果なのです。
そして、それら今まで積み重ねてきた残骸に向き合わないで、最後まで逃げようとしています。
でも、それでも、それなりに楽しい人生を歩いて来たのではないかと思っています。
勿論、この文章を投稿して以降の、根暗で何も達成できない子供おじさんのような僕が行き着く未来なんてない――目の前に見える地獄に通ずる下り道を除けば、ですが。
⑲
どちらにしても、もう少し待っていてください。近況報告や告知を近日中に載せます。
出来る限りの努力はしてみますので……。
---
相方Yのツイッター(202X年 8月~)
① 202X年 8/10
長い目で見守ってください。こんな彼でも今まで必死に、ひたむきに闘ってます。
こんな状況でも、いずれ彼はやってくれます。
だから……いつかこの長いトンネルから抜けたら、みんなで祝ってやりましょう。
祝うその日まで、待っててあげましょう。
ぼくの1番の友達で、いつも気に掛け、気遣ってくれてる相棒を。
期待してくださってるみなさんには大変申し訳ないですが、どうかハードルを地表すれすれまで下げて、長い目で宜しくお願いします。
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② 202X年 8/23
ごめん。ごめんよ。
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③ 202X年 8/30
【タッチャン& Y から重要なお知らせ】
先ほどの生配信で説明させていただいた通り、8/23に最愛の相方タッチャンこと達郎が39歳の若さで早逝致しました。
よって、今後「タッチャン& Y」は解散はしませんし、単独活動もいたしません。私たちは一蓮托生、相棒は一生見放しません!
よって、今まで応援して下さった会員の皆様はいますぐ会員を抜けていただきますよう宜しくお願いします。そうでないと、9月も無駄金払うことになってしまいますからねw
ーーということで、今まで末永く私たちを応援くださりありがとうございました!
またどこかでお会いしましょう!!
See You!!
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202X年 8/30(チャンネル掲示板にて掲載)
「SakuYa」より追悼コメント
私は生放送視聴時に聞きました。
本当に突然のことで何といっていいのか分かりません。本当に残念でなりません。私も何かできることはなかったのか、声をかけてやればよかったのだと後悔の念が募っております。
私は5月にグループの解散をし、休止期間を経て新たな活動の準備をしておりましたため、ここ2~3ヵ月は自分の事で頭が一杯になっており、タツさんと話す機会がありませんでした。
16年間追いかけてきた末のこの幕引き。
いちファンとして、とてもやりきれない気持ちでいっぱいです。
御冥福を御祈り致します。
5100文字。
ちなみに「SakuYa」は男です。とあるYouTuberグループのうちの一人、みたいな。
雨の描写4 遠足の雨
雨の描写4 アジサイ公園と遠足の雨
神奈川県某所。
この場所は、かつて由緒ある鎌倉幕府将軍の別荘地として選ばれ、美麗であると書物には記載されていた。令和である今も、その別荘地は、国営公園として残っている。
少し歩けば長谷寺があり、大仏様のおひざ元でもあるこの場所――A公園の特徴は、なんといっても広大な緑地と湖。湖面にはカルガモなどの野鳥の休憩所として活躍中だ。
そこに、二列のにぎやかな集団が公園の敷地をわんさかと歩いてきた。
小学生の遠足のようだ。先頭には先生が先導し、後続の子供たちが右にならえとついてくる。湖にて泳いでいるカルガモ親子のように。
子供たちは、手をつないで元気よく足を踏み出している。斜めに走った水筒の紐に、背中に背負った大きく見えるリュックサック。
ぺちゃくちゃとおしゃべりをして、午前中の散策を楽しんでいる。
公園内の散策路はやや曲がりくねっているため、遠足の列はその線に沿ってカーブを作っている。長蛇の列とはこのような列のことを呼ぶのだろう。
時折、近隣の歩行者とすれ違うが、その時は誰かが声をかけて、さっとよける。それで途中に切れ込みができるが、磁石のように再びくっつき長い列に戻る。
公園の中央は広大な芝生になっていて、湖と湖面に映る庭園の眺望が楽しめる。そこで昼休憩をとった。
午後になると子供たちは再び長い列をなし、園内を歩く。先頭はやはり小学校の先生だった。
湖から離れていく。公園の外側に向かって明かるげな歩を刻む。どこか近くにバスがあるようなのだ。
そのころにはなんだか雲行きがおかしいようで、急激に青が去り、灰色の空が居座った。
黒い羽根が舞い落ちるような不穏な気配がすると、そこから甘やかな雨のにおいがして、すぐさま風が湖をなでてきた。
しとしとと雨粒が降るようになった。粒は小さく、踊るように速い。顔にぶつかるのが分かるくらい。
そうして公園の花壇や池に落ち、かるい波紋が広がった。
雨に濡れた草花の香りが立ち上るように漂い、公園全体が神秘的な雰囲気に包まれた。
遠足中の子供たちは、先生の号令の下、リュックサックから折りたたみ傘を取りだして、ぱさっと傘が開く音がする。
全員持っているわけではないので、隣同士で中に入り、声は囁きの音量となる。
次第に勢いは強くなっていって、雨の行方はすべて空気中に溶けていた。
空気から雨粒を経由して土壌にしみこみ、余剰の水は小川として湖へ流れる。
湖のふちにあるアジサイたちは、生き生きとしていた。
そのアジサイとは裏腹……
#その子#はとぼとぼと歩いていた。
列の最後尾。トカゲの切れた尾のように列から外れている。隣に人はいない。災難なことに誰も気づいていない。
微笑ましいはずの遠足。けれど、#その子#は違うのだ。
どうして傘を持ってこなかったのだろう。それは、今日が雨だと知らなかったから。
どうして今日が雨だと知らなかったのだろう。それは朝、時間がなかったから。
どうして朝、時間がなかったのだろう。それは、今朝の家が最悪ともいえる雰囲気だったから。
目覚めて顔を洗おうと洗面所に行こうとしたとき、廊下の先で喧騒が聞こえた。
少しドアを開けて様子をうかがうと、いつもはやさしいはずの両親は、けんかをしていた。
サラリーマンの父はダイニングに寝転んでいて、母はそれに怒っている。
何の理由でそうなったのか、#その子#にはよく分からない。
ただ、母はなんだか悲しそうな顔をし、父は氷のような冷たい目をしている。「たいしょく」という言葉がやけに遠くから聞こえた。
何の意味を持つのか、どんな漢字で書くのか、そして使い方も#その子#にはわからない。
けれど、早く逃げた方がいい。そのことだけはよく分かった。
だから、朝食をとる間もなく、明日の遠足であまり寝れなかった目をこすってリュックを持ち、リビングの机に置いてある弁当箱を持ったらそのまま逃げるように家を出た。
玄関ドアを開ける際のいつもする挨拶はない。今日の天気について交わす空気でもなかった。
ひとりでに閉じられるドア。斜めに差す朝の陽光。静かな朝。
マンションの廊下、乗り込むエレベーター。一階に下がるとともに沈む気分。
通学路、信号機、横断歩道、校門。
どうしよう、どうしていいかよくわからず、ここがどこにいるかもわからないままバスに揺られていた。
気分は今に無く、数時間後に向いている。学校に帰りたくない。
頭の中身はからっぽで、今何をしているかも把握できない。目の前の景色は暗い灰色。
数分もしないうちにバシャン、と音が鳴った。ハッと気づいて足元を見た。
水たまりに足が突っ込んでいる。いつもはしないミス。
全身が濡れている。雨、降ってたんだ。ということは今外にいる。
どこだろう。周囲に目を這わせてみる。灰色のほか、緑、どんよりとした湖。ぐっしょり濡れそぼるアジサイ。
亀の甲羅みたいな重たい荷物を背負っていることを自覚し、それで、ああ、今遠足中だったんだっけ、と思った。
太ももに滴る泥水が靴下の中まで染みている。今の気持ちは味噌汁に浸かったワカメみたいにへなへなだ。
楽しみにしてたのにな……
「傘忘れたの?」
その声が聞こえて、頭を上げた。おちこぼれのように誰もいなかったのに。
「寒いでしょ?」
一人だけ、列から後ろを振りむいて#その子#に気付いたみたいだった。
黄色の傘を広げ、一部分だけ雨を遮断させている。
はい、と言われたので、#その子#は傘の柄を持った。別に身長は変わらない。
身長は変わらない。名前は知らない。顔も知らない。だから何だというのか。
一瞬間が開いたのち、#その子#に笑みが戻った。
「ありがと」
それを呟いたら、相手の顔もアジサイみたいな笑みで返してきた。
雨音に張り合うくらいに#その子#は元気を取り戻していく。先頭にいる先生が振り返るくらい、二人の会話は弾んだ。
声を出してみると周りが見えてくるものだ。草木の緑の発色の良さ、公園の広さ、湖と水たまりの対比。
停車中のバスの音が大きくなってきた。エンジン音が風に乗って庭園をめぐっている。
ゲリラ豪雨が過ぎた、昼から午後にかけての話である。
箱書きプロット
小1の遠足。
庭。突然降ってくる。誰にも気づかれずに列の最後尾にてとぼとぼ歩く。
傘を差し出される。
入っていいよ!
停車しているバスのエンジン音が、風に乗って庭園をめぐる。
雨の描写5 おまけ
【雨の描写 概要】
ふとしたきっかけに、情景描写の練習として雨を選んだ。
小説において、天気の描写は意味を含んでいることが多い。例えば雨であれば空に暗雲が垂れ込めると次の展開は鬱々としていく。それを見た登場人物もまた低気圧みたいな顔に曇ってしまう。
自宅、市街地、海岸線、公園を舞台に四つの異なる雨を書いてみた。
情景描写がメインなので、ストーリーに含みはない。適当に登場人物を立たせてみただけなので、面白いとかはあんまりないかも。
ただ、「雨が降るとどうなるか」ということだけを描いただけである。
---
以下おまけ
実は情景描写の叩き台はChatGPTさんが考えてくれました!
(以下ChatGPTさんが打ち出したものをコピペ)
僕:
情景描写の練習したいので、雨の描写が似合う場面を5つほど上げてください。
ChatGPT:
もちろんです。以下に雨の描写が似合う場面を5つ挙げます。
1 市街地の夜の雨
街灯の光が雨粒に反射し、輝くように輝いている。歩道や車のヘッドライトが水たまりに映り込み、光と影が交錯する光景が広がっている。人々は傘を差して急ぎ足で通り過ぎる中、雨音が街中に響き渡る。
2 海岸線の雨
荒々しい波が岩に打ち寄せ、海水が空中に飛沫となって散る。海風と雨の組み合わせが荒々しい音を奏で、激しい雨が海岸線を覆っている。遠くには嵐雲が立ち込め、闇夜に雷光が走り、風が悲鳴を上げている。
3 公園の雨
静かな公園には数人の傘をさした人々が散らばっている。雨粒が公園の花壇や池に落ち、波紋が広がる。木々の葉が雨に濡れ、地面には水たまりができる。雨に濡れた花々の香りが漂い、公園全体が神秘的な雰囲気に包まれる。
4 雨の中の遠足
学校の遠足で山道を歩いていると、突然雨が降り出す。子供たちは雨合羽を着て、笑顔で雨の中を歩いていく。水たまりを saltire(水しぶき)が飛び散り、足元はぬかるみになる。雨に打たれながらも、子供たちは元気に歌いながら先に進んでいく。
5 山間の森の雨
雨粒が森の葉っぱに打ちつけられる音が聞こえ、地面に落ちる水しぶきが周囲に広がる。青々と茂る木々の間から雨が滴り落ち、森全体が濡れている。濃密な霧が発生し、静寂の中に雨の音が響いている。
これらの場面を参考にしながら、雨の描写に様々な感覚を盛り込んでみてください。音、光、湿度、触感など、雨がもたらすさまざまな要素を織り交ぜることで、読者に臨場感あふれる情景を伝えることができます。お楽しみください!
(以上)
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――ということで、情景描写の課題は適当に用意してもらいました。
ここまで3分かかってない。
あとは、気分が乗った時に書き上げた感じ。
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このシリーズで気を付けたこと
・小説を作ろうとしないこと。
短編も作ろうとしないこと。(重荷になるから)
・あくまで気晴らしで書くということ。完成度など目指さない。
情景描写+登場人物の心情一つでいい、という気持ちで。
でも、四つ目になると雨の描写力が尽きて何も書けなくなったから、適当に融合しました。
まあ、いんじゃね。
以下リンク。日記余談にて感想など語る
https://tanpen.net/blog/f53d1569-c5a7-472f-9e26-bec106da684a/
やまびこ
今日は「山の日」。だから家族と山に来た。
鬱蒼とした山道を歩き、木漏れ日の光が降り注ぐ。
立派なリュックを背負った少女は、歩きながら少し後悔していた。
楽しかったのは行きの電車の中の、タブレットゲームだけじゃん。って。
けれど、山道の途中の、ちょっとした丘に着いたら途端に気持ちがリフレッシュする。
顔の汗を手で拭うついでにぼんやり外に目を走らせてみると、遠景の森が広がっていた。
ぽっかりと空いた他の山の景色があって、いくつもの山々がどしんと座っていた。
少女は立ち止まり、口元に両手を添える。
心の底から眠っていた野生動物の本能がそれをさせる。
遠吠えのように。
それらに向けて大声で「ヤッホー」と叫んだ。
しばらくして、小さく返ってくる。やまびこだ。
少女はその声で|俄然《がぜん》燃えてきて、両親を飛び越えて山頂へ向かった。
---
家族たちの足音が止んだ頃……。
「……今の『ヤッホー』は誰がいったの?」
丘から見て、向かって右側の山が、むくりと動いた。
今まで顔を下にしたうつぶせ寝になっていたようで、顔をこちらに向けた普通のうつぶせ寝になった。
クジラのような感じだ。背中にある潮を吹いたような形の大樹がトレードマークだった。
「言っとくけど私じゃないよ」
クジラ型の真反対側にある、左の山もむくりと動いた。
見えた顔は、猫のような形をしている。ひげのような樹がぴょんと横に延び、山の風で|梢《こずえ》がゆらゆら揺れる。
ちなみに両者とも目のようなものもある。口のようなものもある。
一足先の紅葉でもしているのだろうか。口角はしゃべっているようによく動き、目も細めたりしている。
「私も聞きたい。だれ? だれが返したの?」
「ねぇ、もしかして君?」
クジラは隣をこづく。丘から見れば向かって中央の山。
「うーん……。起こさないでよ……。まだ眠い……」
中央の山は亀のような感じだった。寝足りないよう、と甲羅が言っている。濃い緑の自然が模様を作って、まるで苔が生えたようだった。
「違うでしょ。年がら年中殻にこもってるんだから」
「そうかあ」
クジラは納得したあと、疑問を口にする。
「じゃあ、誰の仕業なんだろう」
「どうせ人間たちでしょ?」
ネコ型の山は予想をいった。
「どうせ人間たちが声を聞いて、返しただけでしょ」
「きみ、いつも風情がないこというよねぇ」
「そんなことない。考えられる一番現実的なことをいっただけ」
「うーん、じゃあ僕たちの存在はどうなるの?」
「それは――」
「あ、戻ってきそう……」
「え、あ」
|二山《ふたり》は顔を伏せて、山になった。
少女の顔は、達成感に満ちた様子で、そのまま下山していく。家族一行は山々に見向きもしなかった。
「……ふう、危ない危ない」
足音が完全に遠ざかったあと、クジラ型の山が顔をあげた。そのとき、
「ふふふ、私だよ」
「え?」
「やまびこの正体は、私なのだよ!」
クジラは一瞬、ネコかと思ったが、方角が違った。
それは目の前の山からだった。
「ということは、自作自演ってこと?」
クジラは首をかしげる。
一部を除いて、特に何の変哲もない山が自慢げにしていた。
「まったく、モテる山は思った以上につらいのだよ。山道が整備されるとそれこそね。頭がくすぐったくて敵わない」
「人間ってほんとわかんないね」
クジラはぼそり。
「どうしてこんなのに登りたくなるんだろう……」
「それは、圧倒的に登りやすいからだ!」
「どう見ても|禿山《は》げてるじゃん」
「だからなのだよ! まあいい、いずれ君たちもこうなる。だから『モテる山』になるためにはな……」
目の前の山が高らかに笑い、周りの山はげんなりした。ああ、もう、また始まったよこいつの自慢が……と。
ご高説に聞き飽きたクジラは、静かに顔を伏せた。早く人来てくれ。そうすればコイツ、黙るから、と願いつつ。
禿山が着想です。登りやすくていいね。
という感じ。
突発。20~30分で書いた。推敲も20分かかったけど。
夜の灯
日記用に書いたんだが、
小説でも行けるなってことで。
夜の通勤電車と格闘して、やっとの思いで最寄り駅に着いた。そのまま自宅へ歩いているのだが、なんということだろう。
向かうべき路地は立ち往生になっている。車が二台詰まっている。
道の分岐はカタカナの「ト」のような感じになっていて、最寄り駅は上側にある。僕は上からやってきて、右に行きたい。下は行き止まりの道となる。
二台の車のうち、どうやら立ち往生の原因を作っているのは、その行き止まりの道から引き返してきたからだった。
行き止まりの道。
正確にいうと、歩行者なら行ける。
でも先に行けば行くほど道の幅が細くなっていって、最終的には階段とスロープになるので、車では通り抜けできない。
駐車場もないので、Uターンできない。
だから、行きは直進、帰りはバック。バックで「ト」の分岐に戻ってきたのだ。そこに、上からもう一台がバッティング。
分岐のところは「ト」の形で分かる通り、普通のT字路ではないから大変だ。下から右へ行くには鋭角レベルの角度を乗り越えなくてはいけない。
つまり、二台には、阿吽の呼吸が必要になる。
かれこれ5分ほどたっているのだが、進展する気配がない。僕は目の前から避けるように空を見上げることにした。
夜になっている。七時から八時に変わる夜の空。
定時でこれなのだから、残業とかになればもっと夜が更けてしまう。
都会の空だから、星なんて見えない。何もない空だと思うだろ? ところがどっこいそうじゃないんだ。
東の空の端から、移動する光が見える。
流れ星のスローモーションのような動き方で、しかも赤かったり、緑がかったり、白かったりする。点滅することだってある。
答えを言ってしまうと、これは飛行機の灯火なのだ。それが見えて数秒もせずに、特有のエンジン音を轟かせてやってくる。
光が近づいてくる。灯火は四つあるとわかった。飛行機の翼に二つ、頭と尾で四つ。
翼は決まって赤と緑が点滅する。法律でそう決まっているらしい。色まで決めてくるなんて、なんて気難しい奴だと僕は思った。
真上に飛んでくれると首が痛くなる。
ああ、これはストレートネックだわ、スマホの見すぎの弊害だ。
みたいなどうでもいいことをかき消してくれるように、ゴーっと空から音が降ってくる。
一台がそうして遠ざかっていくと、再び東の空には動く光が出現する。
そしてまた、同じように点滅しながらエンジン音をかき鳴らして飛んでくる。静か、というものを打ち壊す轟き。
僕のいる場所は、詳細は教えないが中間地点にあるようだ。
東京の羽田空港と、千葉の成田空港の間にあるところだから、こんな風に飛行機の音が絶えず聞こえてくるのだ。東から西だったら羽田行、西から東だったら成田行。
この時間帯は羽田行が優勢だ。
一分間に一台は飛行しているらしい。
昼はどうなのかというと、それはよく分からない。僕は留守にしている。
だが、夕方から夜にかけて、飛行機はナビゲーションライトを搭載して飛んでくれる。
空だと高度の利点があるから、低飛行・高飛行とあるらしい。高い高度だと緑と赤と白が入り混じったなんだかよく分からない一点の光が点滅して移動する。
空高くクロスする光。未来と過去のよう。交差したのが現在だ。いや、正確に言えば交差していない。これが、ねじれの位置か……
空から地上へ目は降り立ち、目の前の何ら変わらない風景に戻る。
まあ、飛行機のようにうまくいかないのが地上のいいところだ。僕はそんなことを思った。
赤い薔薇
「2300文字 短編」
突発だ。何が悪い?
「花が牙を向くから踏みつけたんだ。だから僕は悪くない」
目の前にいる少年は、なおも言い訳を繰り返す。
「ねぇ、お願いだよ。信じてくれよ。本当だ。あれは花畑じゃないんだ。魔物の巣なんだよ。この目ではっきり見たんだって」
「そうはいってもねぇ、君」
口ひげを蓄えた警官はぐるりと見渡す。首を回すように動かし、首のストレッチをした。
駅前の朝の時間帯だった。私鉄同士が並列して地上ホームに停まり、その上にかぶさるような形で複合施設が建てられている。駅のロータリーは比較的広めで、タクシー乗り場の近くに小さなコンビニが点在する。
警官の男はこの広場の交番に勤務している。階級は巡査長。交番からちょいと見やれば、大勢の人を繰り出している南口改札が見える。巡査長が、口ひげを触りながら少年に尋ねる。さも信じられないと、でっぷり太ったビール腹が主張している。
「ここは都会のど真ん中だよ。どこに花畑なんてあるんだぃ? 見渡す限り人だろう」
「違う、違うんだ!」
少年と警官はこんなふうに平行線が続いた。それでも少年は諦めなかった。
「花畑は動くんだよ。色は赤色。薔薇みたいな花だ! その花は魔物なんだから、根が足みたいに動いて、歩いていったんだ! そして、僕の目の前を通り過ぎて、あっちの改札に……」
「どーでしょーかー?」
少年を無視して警官は交番内に声をかけた。
中には部下がいて、細々とした手がパソコンのキーボードを叩いている。
「あ、今開きました。えっと、名前は……」
「岡部|七雪《ななゆき》。16歳だってよ。あったと思うんだけどなぁ。俺の勘がそう言ってる」
「岡部、七雪……」
あっ、という発見の予感。
「ありました前科。|少年院《いん》にも入ってます」
「だよなぁ。というわけだよ〝ヤクチュー〟さん」
「ち、違うんだ。俺ははっきりこの目で……」
「本部には?」
「連絡済みです」
ナイス、と親指を立てた。
最早決めつけのように、少年に対して手持ちの機械を近づける。
はいはい、とりあえず、これに「はー」ってやって。
息を吹きかけてもらい、基準値を大きく超えていることを確認して、手錠をかけた。本部はここから近く、すぐにパトカーが一台やってきて、ゴミ収集車に入れられるように後部座席に押し込まれた。
パトカーが去ったあとの道路に風が吹く。そうしたらもういつも通り。駅前広場に平穏の雑踏が戻る。
「ふぃー、お疲れー」
巡査長はクーラーの効いている奥に引っ込んで、自分に言い聞かせる。自分にねぎらいの言葉をかけた。
交番はこういう事以外は暇な時間にあふれている。街に出向いてのパトロールなんて、少しサボってるくらいだ。
「しかし、なんだったんですかね」
部下はお盆に乗せたお茶の入った湯のみを持ってきた。
「彼?」
「ええ」
「ヤクチューの妄言だ。気にしなくたっていい」
「でも、こんな朝っぱらから」
「彼の中では夜なのさ。時間的概念がない」巡査長はひと口だけ飲んだ。
「彼のいうこと支離滅裂でしたね」
「……まあ、彼の言うこともわかるにはわかる」
「なんでです?」
「長年接してきたんで。例えば、今着ている服の材料はなんだ?」
部下はいぶかしげな目をしている。巡査長はニヤついた。
「綿で出来ているだろ。つまり植物由来だ。植物だと見間違えてもさして驚かない」
「そういうことですか?」
「そういうことだ」
二人は少年が言ってきた「花畑」についてを話している。時間つぶしのための話題として旬である。
採れたてのメロンのようにみずみずしい。当然、部下の呆れた目線が送られてきた。
「なんかトンチみたいですね」
「ちなみにこのタバコも植物由来だぞ?」
そう言って、巡査長は火のついてないタバコを咥える。
ポケットからライターを取り出し、カチッと、スイッチを入れた。灯火が先端に宿り、フィルター越しの白い煙をうまそうに吸う。
「あの少年にとって、俺はまさしく『霧を出す植物』ってことさ。はっはっはっ」
交番は煙に包まれ、入り口から逃げていこうとしない。先ほどの少年と同様だと部下はひっそり思う。
「花畑と言ってきてますけど、動くってなんです?」
「おそらく花柄のスカートでも見たんだろう。それが動いてるのを見て、『動く花畑』と喩えたのさ」
「花が牙をむいたので踏みつけた、とは?」
タバコが消費されていく時間を、産生していく煙の量で感じた。
「踏みつけたはそのままさ。まあ空振りだろうけどね。牙をむいたは、そうだなあ、なんだと思う?」
「え、自分ですか」
巡査長はこたえのための目を寄こし、それを受け考える。「いや、全然わからないです」
ふうん、と気のない返事。その後、
「そういやあ、あの少年は何の常習犯だったんだ?」
「それ、ヤクの種類ってことですよね。えっとたしか、ハッパ、つまり大麻です」
「そう。これも植物由来だ。だからそのままの意味だな」
「どういう意味です?」
「本当に花が牙をむいてきた、ということさ」
戸惑いの表情の部下をみて、目を閉じた。
「そういえば水やりはやってくれたっけ?」
「あ、忘れてました」
今やります! と部下は持っていた湯のみを急いで置いて、どこかに去った。水道の蛇口が開き、水の音がする。
巡査長というと、そのままお茶とタバコをたしなむ時間を過ごし、やがて短くなっていくタバコとともに考えていた。
実は大麻は花を咲かせる。植物なのだから当たり前だ。
田舎では普通に自生しているらしい。それを昔の人間は野草のように採ってきて、今も連綿と、人の目に隠れて育てられている。
自生した大麻の花の色、薄桃や赤が多いのだという。少年もたしかに、赤色だったと呟いていた。
「血液を吸ってんだから、そりゃ赤くなるわな」
脳に到達した種は根を生やし、脳髄を吸って成長する。脳は委縮するころには大輪の花を咲かせる……まるで「あれ」のように。
交番内に活けられた花を自然と見ていた。赤い色をした薔薇だったからである。
書き出し⑤「花が牙を向くから踏みつけたんだ」
お題配布元:腹を空かせた夢食い
https://hirarira.com/title/i_kakidashi.html
26gの効果
駅前の街頭演説みたいな、ユニセフ的な募金活動を見かけた。
西口から歩行者用デッキが広がっている。下はバスロータリーとタクシー乗り場。|絨毯《じゅうたん》のようにふわりとしたデッキの隅のほうに、ちろちろと見える彼ら。
地上に降りる階段やエスカレーターの前。露骨に配置された人員。着ている青いユニフォームと黄色のつば付き帽子がとてもうるさい。
近づいてみると予測不能から確信に変わった。手にはやっぱり青い、なんかよく分からないビラを手にして、駅から出てくる歩行者にPRしている。
行く手をちょっとだけ遮る感じで前に出ていたが、一様に無視されている。
ティッシュ配りだったら5人に一人は絶対ヒットするだろうに。ティッシュもない本当のビラ配りだから、20人に一人でもヒットしないだろう。
しょうがないなー、みたいな感じで僕はビラを受け取った。そしたら、
「もしよろしければお話を聞いて…」と声をかけられた。
予想してなかったことだから、僕の身体は急ブレーキをかけられなかった。
仮に急停止できたとしても、約束の時間があるから、という、現実的で中身のない理由で済ましたはずだ。
僕は呼びかけを無視した。数メートル進んでエスカレーターのステップに乗る。階段状になって視野は下向きに。地上に降りていった。
何が話だ、そんなことで止まってたまるか。胸の中のよどんだ空気を吐き出す蒸気機関車みたいに、エスカレーターの足場はガタンゴトンと揺れ響く。
……まあ、せっかくもらったのだから目を通してあげよう。カバンの隅っこに追いやられる前の、まだ|皴《しわ》を知らないビラを見た。マジで、全然変わらない内容すぎて普通に笑えた。
ひと言でいえば、アフリカ大陸の貧困層に対する募金の呼びかけ。40年前からずっと内容が変わらない。
ビラの表紙を飾るのは、肌の黒い少年の貧相な表情だった。目に黒いクマがつき、やぶれかぶれの薄汚れた服を着て、こちらを見てくる。手にはなんか木の棒を持っている。
わたしたちはこんなにも苦しんでいます。だから、だから……、とそんなことを訴えかけてくるが、そういう表情は40年前にも見たし、実際40年間見ている。
40年も経っているのに、どうしてずっと貧困なのか。そう考えるための勉強資財を手に入れたほうがよっぽどいい。
現在アフリカ大陸にすむ90%の人々は電気が使え、エアコンもあるらしい。スマホはどうか知らないが、インターネットでYouTubeは見られるらしい。
僕たちのいうところの貧困とは全然違う暮らしをしているのは、ネットで調べればいくらでも出てくる。発展途上国という概念自体、10年前からとっくに消えている。
それでもなおユニセフ的な組織がこうしてビラ配りをしているのは、一部の義務教育の教科書レベルに知識が停止した人たちの、日常の生活費から「募金」と呼ばれる余剰金をいただくためにやっているに過ぎない。
「アフリカ大陸は貧困だから」というのは、もうステレオタイプ化しており、募金するくらいなら、今後コロナ復興の揺り戻しとして増税し続ける日本政府を危惧して貯蓄したほうがいいぐらいだ。
確かにアフリカの一部地域ではそうした貧困のある国もあるという。
でも、そういったところにワクチンなりなんなりを送っても全然進歩しない。あるいは普通に拒否してくる。
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新型コロナが流行ったころ、ファイザーやモデルナは世界各国にワクチンを配布したが、もちろんアフリカにも呼び掛けた。
けれどもアフリカの返答は「No」で、ワクチンを拒否した。
理由は社会主義共和国だからというのが一つ。それは北朝鮮のような、共産主義に傾いた、社会主義共和国だったから。
アフリカだって人だ。もちろん国が存在するのだから、政府が存在する。政府がワクチンの必要性を感じず、拒否すれば支援品は海を渡らない。どうするかと言えば、それは集めた組織が判断するだろう。
それに、彼らが飢えているからといって同情的に食料を与え続ければ、その分子供をたくさん作って、結局飢える子供が無くなることはない。
外から寄付という名の「食料・カネ」を、自国で生産する必要性が無くなる。外からの援助が続く限り、自給自足の概念は根付かず、ずっと支給される側に落ち着いてしまう。
要するに植物人間への栄養点滴のそれだ。医者が点滴が続く限り、患者はずっと寝たきりだ。ベッドの上で生死を彷徨ったまま。努力しない。
それを半世紀ほど続けているのが、今の「一部の」アフリカ地域であり、それを支援する組織である。
そんな理屈を頭の中で構築したところで、近くのコンビニに寄ったついでにビラを捨ててしまった。
どうせ表紙にいる彼は子役か何かだろう。次は木の棒ではなく、動物の骨を持たせて再チャレンジするんだな。
この少年に騙され、募金という言葉に騙される。そんな奴なんて、今の時代いるのだろうか。そう考えた手前、真逆の立場、募金したことがないという人たちにも僕はちょっと|辟易《へきえき》する。
一度も経験がないのはいかがなものか。普段硬貨なんて使いやしない。
寄付で使う金なんて電子マネーではない。財布の小銭入れに眠る硬貨。それらは一体いつ使うのだ? 湯水のごとく、使えばいいじゃないか。
そのいつが、いつ訪れるのか不明だが、一円玉は特に使わない。
断捨離的に一円玉硬貨を使うのはどうだろう。自問自答的に思った。自分のところに留まっていても単なる一円だが、世の中をめぐってきた一円になると意味を持ってくる。
ユニセフ的な組織がいうには、20円で一本のワクチンが作れるそうだ。
コンビニついでにレジに赴く。
普段はSuicaで支払うのに、なんだか今日は《《効果》》で支払いたくなった。
僕の財布は184円失った。失っても気分がよいのは珍しい。心が軽くなった。今の世の中めったに訪れない。事実失った硬貨分、26g軽くなったのだ。
【硬貨一枚の重さ】
1円玉= 1g 5円玉=3.75g
10円玉=4.5g 50円玉=4g
100円玉=4.8g 500円玉=7g……
空に描いたおとうふ
雑感として書いてたのに、また小説になってしまった。しかたない出すか……
2500文字 短編
僕の家の周りにはコンビニがある。
どこも一緒だろ、というツッコミはさておき、内訳は、セブン、セブン、ローソンとなる。
どうしてセブンが2つあるのかというと、これは距離の問題であって、遠いセブンと近いセブンがあるのだ。
でも、最寄り駅にまで足を運べば、駅内にて極距離に群生するセブンがたくさん見かける。赤ちゃんと、赤ちゃんを抱っこする親くらいの近さだ。
それらを加味すると、実際のところ自宅の周りにあるコンビニはこうなる。
セブン、セブン、セブン、セブン、ローソン、セブン、セブン、セブン。
セブンが|7つ《セブン》あるということを一発かましたところで、僕は近くのセブンに向かう。その途中のことだった。
路地から、変な音とともに、黒いものが飛び出してきた。
低かったから子供の頭だと思って、危ないなあ、車も通るんだぞここ、と心配したのだがよく見たら違った。
見た限りムカデのような平べったい黒い物体が地面を這って進んでいたので、人間じゃないな、何だ? と思った。
聞こえてきた音は、機械仕掛けのもので、ウィーン、という急発進を意味する強いものだった。
右から現れて、左の壁に激突するかに思われたが、くるっとUターンして僕の向かう先の、奥の方へ進んでいった。
ラジコンか。
後から追いかけるように、7歳くらいの男の子が来る。手にはコントローラーを持っている。
なんだ、おもちゃで遊んでいるだけか。
子供は、ラジコン操縦者だけではなかった。
兄妹かと思われる。男の子の後から、薄ピンクのドレスっぽい服を着た女の子が、とてとてと歩いて(本人的には走っていると思うが)男の子を追い越した。
男の子が操作しているラジコンカーを掴もうとしている。
男の子は、ニヤニヤとした手付きでコントローラーのスティックをガチャガチャ動かして、自分の思い通りのことをしている。
おもちゃを介しての鬼ごっこ。兄妹げんかのかわいいパージョン。
女の子は、ラジコンが一瞬とまった瞬間を狙って両手を構え、身体をしゃがませて捕獲しようとしている。
しかし、ラジコンカーの急発進に翻弄されてしまってただしゃがんだだけになった。
手のひらはアスファルト色になっただろう。
男の子はずっと笑っている。
ラジコンカーは近くでねずみ花火のマネごとをした。
僕は、そのまま眺めていたかったが、そうすると不審者情報の一説になってしまうので、普通に通り過ぎることにした。
腹いせに、ラジコンカーが目の前をとうせんぼしてきたら、サッカーボールよろしく思いっきり蹴り上げて差し上げる予定だったのだが、その機会はなかった。
人見知りっぽく男の子が会釈してきたのが気に食わなかった。
コンビニ7秘宝の一つ、セブンに寄って適当な昼飯を買う。セブンを出て、来た道を戻る。
往復する路面電車に乗っている気分になった。
同じ道だし、景色も何もワクワク感なんてないけど、ぶら下げたビニール袋をゆさゆささせながら歩いた。
ラジコンカーが出没する場所に戻ってきたが、静かだった。
遊び疲れてもうやめたのだろう。そうか、僕以外に誰もいない……そう思っていたから油断した。
ラジコンカーがUターンした場所に差しかかったとき、その壁の近くにある砂利だらけの空き地で、先程の兄妹がいた。
ラジコンカーはいたが動いていない。男の子の手にはコントローラーは持っていた。
女の子が男の子に対して抱きついていた。兄はなすがまま、むぎゅうとされていた。
「飛行機、コワイ……」
僕らは通り過ぎた。
数秒かけて、僕の耳は音を捉えた。
空から音が降ってきた。
一瞬だけ、男の子が操ってたラジコンカーが空にて駆けていた音ではないかと疑った。
彼女のつぶやきに引きずられて、今大きくなっていくこの音が、飛行機のエンジン由来のものかと考えた。
が、よくよく聞いてみるとこれはヘリコプターだと思いなおした。
徐々に音が強くなっていって、天空を支配する時間は、少なくとも僕が自宅に帰るよりも長かった。
とりあえず手を洗ってうがいして、自室に戻ってスリープ中だったパソコンを起こして……。
そんなことをしていると、ようやく空から落ちてくる音のかさが減っていく気配がした。
ヘリコプターの、プロペラの駆動音……その音が小さくなっていく。時間の経過とともに。
いつからだろう、と僕は思った。
いつからだろう、空を怖がらなくなったのは。
幼稚園ぐらいだろう。空の色は青一色だと思っていた。
クレヨンの青を握って、画用紙の上半分をぐちゃぐちゃに塗っていた。青いクレヨンを、青い色をしたお豆腐に切り替えても、あの頃はさして疑問を持たずに塗っていただろう。
クレヨンがどうして固形なのか、紙と接面して、塗るという動作をしたら、どうして先端が削れて色が塗れるのかよく分かっていない時期。
幼少期に見た空は、青いおとうふが乗っかっていただけだと思っていた。
だから、僕も小さい頃はヘリコプターの音を聞くと、怖さというか、心配というか、高所に立っている感覚を覚えていた。
プロペラが回っている。空間で停止している。プロペラ機が回っていて、空に突っ掛かっていて。それで空を削り取っているから、大きな音が降ってくるんだ。
岩石のように、見えないかけら。
落石を降らすように。
大量に。降ってくる音。
見えないかけらの空。
空のかけらが降ってきた。
雨のような。
――だから、こんなにも大きな音が鳴っていると。
だから僕は空が怖かった。
見えないからといって遠慮せずに削っているから。空に浮かび続ける理由。飛び続けられる理由。
空が全部削りきれれば、ヘリや飛行機はもう二度と浮かぶことができず、落下してしまう。人間たちが地上でその対処をしている間、誰かが空をかける、大きな、大きな青いお豆腐を取り換えて、それで再び飛べるようになるのだと。
事故に地域差があるのは、お豆腐が割れて一部が崩れてしまったから。削る力が強すぎて…
幼少期ではそんなことをずっと考えていた。
けれどいつの間に大人になって、そのようなことは考えなくなった。
今ではみな、答えを知っている。
空を飛ぶ機械はみな、エンジンで動いている。エンジンが止まれば飛べなくなるという単純明快な答えを知っている。
自室から窓を眺めている。
ヘリは見えない。徐々に薄くなっていくプロペラのかすかな音が入ってくるのみだった。
音は窓ガラスを軽く通過する…。その時の窓は開けっぱなしでいた。
なぜかは知らないがPCを眠らせた。それから僕自身も眠らせようと、とりあえずしろ〇んをむぎゅうして、寝転んだ。
窓の枠からはみ出た、空に浮かぶ白いおとうふが見えた。
「絵に描いた餅」
「空に描いたおとうふ」
みたいな話。
店内BGMは毒された
耳のかたちはどうしてあんなに複雑なの?
耳は漏斗だよ、音専用のね。
耳の複雑な形は、いわば漏斗のろ紙ってわけなのさ。
ねえ。ちゃんと、聴こえてる?
ブックオフにて、暇つぶし。
目的の本がないかなと棚に収まった文庫本の背表紙をなぞっていたとき。
ふと店内BGMが気になった。
ブックオフの店内BGMは、一度は流行ったヒット曲が小さな音量で流れる。
ヒット曲なので昭和から平成、それから令和。
今話題の音楽曲が順番に流れている。
しかし、目の前の中古本、マンガなどが目当てなので、普通BGMなんて気にならない。
けれどもその時の僕は気になった。
全然知らない曲から全然知らない曲に切り替わった。
後者の曲は、今の若者に受けそうな歌詞だった。
「今つらいよな、死にたいよな。でも頑張ろうな。私も頑張ってるから」
そういったメッセージのある流行曲。
僕はそういった曲は聴きたくなかった。
舌打ちをしたくなる気分になった。
普通に本の吟味の邪魔である。
それは慰めのメッセージなのか?
希望を与えるメッセージなのか?
一時の安堵を与えるだけのごまかしか?
僕は、どれでもないと思っている。むしろ犯罪だと考えたりもした。
今聞こえている歌詞は、頑張れという意味だと思ってない。
頑張れだったら「自分のペースで」という意味を暗に含んでいる。
「今つらいよな、死にたいよな」
という悲鳴を音楽に載せている。そのあとに頑張ろう生きようと続ければ、それは生きることを強制している。
生きることを強制することは頑張れだと思わない。頑張っている人に頑張れと言ってくるのは犯罪だ。
頑張りすぎを強要する人は、代わりに電車にひき殺されればいい。
だが、その人の作る曲は批評どころか称賛されている。
意味が分からなかった。だから僕は聴かないことを選んでいる。
YouTubeやSpotifyなら、聴きたい奴だけ鬼リピすればいい。
でもここはブックオフだ。
店内BGMはマジで強制だった。
聴かないと決めた音楽が、BGMとして流れていた。
BGMはバッググラウンドで流れる|音楽《ミュージック》。
BGMのままでよかったのに、どうして、こう、しゃしゃり出てくる?
こういう時、音楽に秘めたメッセージ性など雑音でしかない。
当たり障りのないことを歌っていればいいのに。それか歌詞なしバージョンでいいのに……。
一刻も早く聞きたくなかったので、ブックオフから逃げ出すように会計し、外に出た。
自動ドアを開ければ、あふれ出るかのような雑音が風と共に入ってきた。外の空気。雑踏から鳴る音。現実に戻る予感。秋を感じとる。
最近の曲は、あのようなふわふわとしたわたあめを「少量」食べさせるものが、ヒット曲となっている。
聴き終われば、おかわりといって再び聴く。少量のわたあめを出す。食べる。無くなる。少量。食べる。無くなる。それを繰り返す。
舌が甘味を感じとる上限値までため込むように、聴き続けるのだ。この世で一番軽いもので、からっぽな心を満たそうとする。
それは作詞する者が、過去に自殺を志したことが起因となっているのだろうか。あるいは、音楽を聴く者たちに訴えかけるような歌詞にするために、アーティスト側から寄せたのか。いずれにしたって耳障りだった。
わたあめを食べなくとも、世の中には、はちみつやケーキや砂糖や果物など、重量のあって腹にたまって、明日のエネルギーになってくれる甘い食べものはたくさんあった。なのに……。
ああいうBGMよりか、僕はこのような生活音の方がいい。
道路、電車、風の音、雨の音。外に出かける、道中の音で充分だった。
平日だったら、コピー機の動く音や、PCのキーボードをたたく音、歩いたりして服がこすれるかすかな音のほうが圧倒的にいい。それらは誰かが鳴らしたものだ。その誰かは、僕も含む。
僕は社会人なので、そのような身近な、仕事に関連のある生活音がいい。学生だったら今は何になるのだろう。
何が聞こえているのだろう。
鉛筆やシャーペンの音はまだ聞こえるのだろうか。タッチペンの音にすり替わってないだろうか。
ガラススクリーンをなぞる指の動きに、音なんて鳴らないと思う。
もしかして、鳴っていると錯覚しているの?
だから、電子音でできた「わたあめ」が好きだと言い張るのかな。
いずれにしたって、勇気をもらえる音が欲しいのなら、外に行けばいたるところに落ちている。
一方、悲鳴を乗せた音楽はいつまで経っても悲鳴だった。色あせることはない。
悲鳴が嫌だと思って耳をふさぐのは普通だ。少なくとも僕はそう思ってる。
僕は文庫本をバッグに詰め、チャックを閉めた。
金属の歯が合わさった。音は、斜め上の秋空に打ち上げるように響いた。
誰かが鳴らせた人工物。天が落とした自然音。それらを包含するのが生活音だ。
人工音=自然音=生活音。
どこに組み込もうが、カバンの閉めた音は僕の耳には気に入っている様子だった。
【門の描写】1 僕の手記
閉ざされた世界というのを知っているか。
知っている、という前提で話していこう。これは僕の長い人生の備忘録に過ぎないのだ。どうせ僕だけしか読まない。どこかに出版することも、誰かに見せることもない。僕の終の棲家となる家の本棚の片隅にでもしまって、どこかの誰かに読まれるかもしれない奇跡に近い確率に託すことにしたのだ。
閉ざされた世界というのは「門」の中にあって、この世界のどこかにあるという。全部でいくつあるのか知らないが、僕は四つ見つけた。それ以上あるかもしれないし、ありそうな気配がある。しかし、他の門を見つけるのは、人間の一生という短い期間ではなくもっと別の種族に任せるのが良いだろう。
門の名称は誰にも知らない。
素直に1つ目の門、2つ目の門、というふうに数えてもいいのだが、どうせ誰にも呼び名を知らないのだ。勝手につけてもいいだろう。
最初に僕が発見したのは「地獄の門」だった。
【門の描写】2 地獄の門
その門は、僕がこの世に生を受けた村にあった。村の中央にある建物、教会の中に隠されていた。
当時、この世界の聖なる神「ミドルスクウェア」様を神聖視していて、その教会もまたその神を信奉していた。荘厳な雰囲気と清浄な空気を同時にため込めていて、支部とはいえ、村の中では立派な建物だった。
色とりどりのステンドグラスから色のついた自然光が降り注がれる。教会の広間にて、円状に配置された天使と英雄の石像たちに、やさしげな笑みを浮き出していた。
しかし、その教会の本質は、僕の年齢が上がるたびに悪質であることがわかり、少年の僕が傭兵見習いとなる頃には「ミドルスクウェア」様は崇敬する神ではないとわかってしまった。崇拝どころか支配者である。悪魔である。
その反発として、村の教会を取り壊すこととなった。その、取り壊した壁のなかに門はあったのだ。
「地獄の門」。
そう名付ける門の色は漆黒であった。
無骨なデザインで、大きさは大の大人がノックするドアよりも大きかった。
門柱は黒い石を切り出したままの状態でゴツゴツとしたものだった。冷徹さを放っている。その柱に巻き付くように、蛇と虫の装飾があった。つまり、おうとつがあるということだ。
そして、その柱の上にはそれぞれ黒い像が乗せられている。左の柱には頭に角の生えたデーモンが、右の柱には顎に手を添えて、なにか考え事をしているガーゴイルがいた。
幼少期の僕は、見るだけのいち村民でしかなく、門はそれからというものの、むき出しのまま放置されることとなった。
この「地獄の門」は、再び訪れることとなるのだが、その頃の僕は仲間はおらず、一人になっていた。
【門の描写】3 歌声の門
二つ目の門「歌声の門」を見たのは、少年の僕が「僕たち」になっていた頃だった。
すなわち、僕がとある一行の仲間として招かれたのである。その一行は、いわゆる「世界を救う旅」をしている者たちで、今の呼び名でいえば勇者一行とでもいうのだろうか。
勇者カオス、火の魔法使いロクリ、聖女リオラア、騎士タラップ、そして傭兵剣士である僕という五人組だった。
実際、その当時に支配していた「ミドルスクウェア」様を倒すという偉業を成し遂げた。
その、旅の途中にて、その門を見つけた。
……いや、正確には門の片鱗というべきかもしれない。
旅の前半に会ったとある都市にて、勇者カオスの血筋になじみのある高級ホテルに宿泊した。最上位の高級ルームで、最上階にあった。
寝室が思い出深い。ベッドに寝転がると天井を見ることができる。天井はかなり高く、外縁から中心部分になるほど高さを上げていく、いわゆるドーム状になっていた。そこに美しい天井絵が描かれていた。
天井に余すところなく書かれていたのは、門の絵画だった。門柱の代わりに、背中に白い羽のついた歌姫が二人いて、金色の金網を組み合わせたような門扉を守っている。相対するように顔を突き合わせている。薄紅色の唇を薄く開け、そこから囁くような。
歌っている。奏でている。
歌姫としての人間の声と古きよきハープが聴こえてきそうなほど。
背景は森を呼ぶような濃緑色だった。とはいえ、パステルカラーと思える薄い壁画用の絵の具を使っており、ドーム状の天井様式も相まって遠くの空を眺めているようでもあった。
その時の僕の印象として、ただの美しい絵であるとだけ思っていたが、すべてが終わった後、一人で「門を見つける旅」をするときになってふと思い出した。
「地獄の門」を後にし、昔の旅路をなぞるようなことをした。同じように高級ルームを予約し、寝室に行った。すると、その天井絵は絵ではなく、門は具現化していた。ドアノブで開く前から「歌声の門」となっていた。
【門の描写】4 門を探す旅
そもそも僕が「門を探す旅」を始めるようになったのは、明確なきっかけがある。
「世界を救う旅」をして「ミドルスクウェア」様を倒した後、僕たちは解散した。
けれども、それから数年も経たずに、異世界から侵略者が来た。この本を読んでいるのであればすでにご存じであろう侵略者「マルティネス」である。
マルティネスは、この世界に上陸した手始めに、おびただしい強力な魔物たちを繰り出し、統治させた。世界を救った僕たちの仲間たちは解散後、世界に散らばって、それらの討伐隊のリーダーをしていた。もちろん僕も例外ではない。
しかし、マルティネスの部下である者たちは、「ミドルスクウェア」様よりも強かった。
一人、また一人と減っていく。仲間たちの訃報が夜の風のように冷たく流れていった。
いつしか五人から二人になっていた。
聖女リオラアと僕。勇者の訃報がきっかけで再会した。
聖女のいる総本山の都市に僕は訪ねた。そこで聖女と会い、ちょっとした食事場にて、昔話の花でも咲かせた。その途中、静けさが生まれ、その穴を埋める形でリオラアが「門の話」をしてくれたのである。
世界に散らばる門の話。それによれば、力を授けてくれるのだと。
それに興味を持った僕は、一人旅を始めると伝えた。今のままではじり貧であると個人ではわかっていた。勝ち目がない。マルティネスとの力量は、雲泥の差であることは相対することもなく自覚していた。
そう、好きにしなさい、とそっけなく応え、彼女は三杯目に口をつけ豪快に飲み干そうとした。旅をしていたころは宗教上の理由から一滴の酒も飲まず釣れなかった彼女が、ここまで酒好きになるとは。勇者カオスと飲んでいるようだ、と思いつつ僕も飲んだ。彼女は四杯目、五杯目と頼み、とうとう隣の彼女は酔いつぶれてしまった。
そんな翌朝、僕が起きる前に、聖女だった彼女は勇者亡き討伐隊の隊長として、別の街へ繰り出していったらしい。多分魔法で無理やり動かしているのだろう。文字通り命を削っていた。
それから続報をきかないのでどうなったのかは最後まで不明だった。後追いなのかもしれない。そうやって身体を酷使していたのは、心に決めたからかもしれない。そして、そう心に決めたから、僕を呼んで門の話をしてくれたのかもしれない。話し終わって肩の荷が下りたから、酔いつぶれるまで酒を飲んだのかもしれない。
「地獄の門」にもう一度来た時、無骨で漆黒の門が開く素振りがなかったため、まずは手掛かりを探すことから始めようと思った。
鍵が必要なのだと分かった。
その鍵が何なのか、見当がつかなった。「門の話」はある種の伝説である。残った文献は少ないだろう。聖女リオラアは話しか知らなかった。何を封じているのか、なんのために存在するのか、門がどこにあるのかすら、一つも知らなかった。話だけだった。
僕はこの「地獄の門」を知っていたのに……。
遠くに大図書館があるはずなのでそこで収集はできるだろう。そう方針を立て、「地獄の門」から離れようとした時だった。
「汝、剣聖「ミドルスクウェア」の試練を受けるか?」
僕の足は岩同然だった。動かなくなってしまい、聖女のように無理やり身体を動かざるを得なかった。首だけでもと思い、再び見やった。「地獄の門」にいた単なる装飾と思わしきガーゴイルの首が、にゅっと動いて、こちらを見ていた。地獄を垣間見たように黒々とした悪魔だった。
「だが、時期尚早のようだ。試練を受けるに値しない。去れ」
僕は残念がっているガーゴイルに尋ねた。
「この門の先には何がある? 何を守っている?」
「弱き者よ、まずは門を見つけるがいい。この門を含め、四つ見つける頃に、ここに来れば、貴様も試練を受けるに値する器となることだろう」
それで終わった。
だから、僕は一人旅を始めることになった。
門を探す旅を。
【門の描写】5 機械の門
「門を見つける旅」は、各地の魔物たちを狩りながらだったので、剣の研鑽を積むことができた。
一度この世界を救ったとはいえ、一人旅となると勝手が違ってくる。攻撃、回復、防御。すべてが自分の力だけが頼りだった。難しいがやらなければならない。難しければ敵前逃亡も躊躇なく選択しながらの旅だった。
「地獄の門」と続いて「歌声の門」を具象化することができた。「歌声の門」は単なる天井絵から立体感のある門となったことで、二人の歌姫たちは、部屋の空間を飛びつつ、美しきハープを奏でていた。部屋から歓迎の声が漏れ出ていて、予想的中よりも困惑が勝った。
その一方が僕にとある助言を言った。歌の曲調を含ませながら、ゆっくり唄う。
「西へ行きなさい。機械の時計塔。そのなかに」
その言葉通りに、僕は機械の国に行った。
そこはすべてが機械でできていて、自然でできたものは一切なかった。あらゆるものが人工的で、銀と銅の金属の機械でできていた。
工場のような複雑さで、パイプが立体迷路のごとく空間を這っていて、冬の生物の凍えた姿のように、冬景色に吐き落とす吐息の白さをプシュープシュー、と音とともに出していた。
機械の国の東地区には、歌姫の喋っていたと思わしき時計塔が立っていた。時計塔はかなり高く、もはや倒壊しそうなほどに古い。焦げ茶色に変色した錆びが、より毒々しい黒さを醸し出していた。
けれどもそれ以外の建物がなかった。塔を避けるように、周囲は錆が広がって地面が腐食したような廃街で、人気はなかった。
南地区の住んでいる者たちに聞き込みをしたところ、少なくとも百年以上は放置されている塔らしい。修理もしていないのに、昼と夜になると、ボーン、ボーンと古びた鐘が鳴るのだという。それが不気味で仕方がないと嘆いていた。
また、老婆によれば、時計塔は本来東地区と西地区、それぞれ計二塔あったのだが、一方は数十年前の戦争の被害として倒壊してしまったのだと言った。
僕は、東地区にあるという唯一の時計塔に向かった。
近づけば近づくほど、塔の雄大さが明確となっていく。塔のふもとに着いた。空を見上げた。バックは空を焦がしたような夕暮れだった。
塔の高さは見るからに雲を貫いていて見えない。色はやはりさび色で、至る所で酸化の歯車の回る音がする。自壊する危険が大いにあったが僕は登らなければならない。塔内の機械的なギミックを乗り越え、歯車の歯の間に挟まれる危険、長針短針が不意打ちの針のごとく侵入者を攻撃する。それでも僕は時計塔の最上部を目指す。そして、門があったのだ。
門は壊れていた。門の役目を果たしていなかった。これを門と呼ぶか迷ったが、僕はそのまま「機械の門」と名付けた。登る前からこれは門なのではないかとうすうすわかっていた。
時計塔より、「機械の門」ではなく「時計の門」と呼んでも良かったのだが、おそらく、今立っている時計塔は、片方の門柱だったのではないかと考えたのだ。
この国の老婆が言っていた通り、時計塔は東地区と西地区にあった。その片方が倒壊してしまったのである。
実際の「機械の門」は、さらに大きかったのではないか。時計塔イコール門柱。それが東地区と西地区に一本ずつ。機械の国を覆い隠すほどの大きさの、かつての機械の門があったのではないか。けれども今は半分が壊れてしまって、門は壊れた。そう考えた。
門扉は片方のみしかなかった。
時計塔にはみ出すように、門の残骸はあった。
かつてあった西地区に老婆の手を伸ばしたように、空中に扉があった。
大きな大きな門の名残。それが旗のようにゆらゆらと、片方の支えのみで生きている。風の力で軋んでいる。すでに役目は終えているだろう古さなのに、未だに錆びようとしている。手を振っているようにも思える。
塔上は雲の層にすっぽりと覆われ、地上から見上げても門だとは見えないだろう。最上階は見えず、さびれた塔のままだ。
門扉の裏に回ろうと思えばそうできた。できなかった。
門柱に乗っかっている物体……。
「地獄の門」ではガーゴイル、「歌声の門」では歌姫……、今回の「機械の門」には何も載せられていなかった。
代わりに片方しかない門扉には、時計盤が設置されていたのだ。時計は、門柱が片方しかないから、門扉も同様、半分に裂かれていた。
しかし、長針と短針は未だ動いていて、円盤時計のように時を刻んでいた。長針が時計盤のある部分から、無い部分へ。それでも停まることなく針だけが浮いている。そこから飛んで戻ってくるように、こちらへ。時間になったら鐘が鳴るのだろう。
半分残った時計盤の、書かれた文字は数字なのだろうが、見たことのない形をしていた。角張っていたり、丸みを帯びていたり。
その時計の、ない空中に向けて、シュー、とパンク式の白い煙が目くらましとなっていた。片方がないにもかかわらず、あるかのように幻想化させていた。機械の国の上空は雲のなかのごとき様子だった。
【門の描写】6 幻影の門
「地獄の門」「歌声の門」「機械の門」
この三つを探し出して、残り一つ見つければいいとなっていた。だが僕はその一つを見つけるために世界各地を旅していたのだが、数年経ってもその手掛かりが見つからなかった。
一体どこにあるのだろう。もしかして地上には無いのか?
そう思うと、記憶の扉が少しずつ開いて、その隙間から声が聞こえたような気がした。
浮かんできた情景は、立ち昇る湯気のようにおぼろげだが、わかる。今のように仲間を失った頃ではなく、仲間すべてがいたころの話だった。今のように侵略者マルティネスが来るよりも過去。「世界を救う旅」をしていた道中のことだった。
誰が言ったのだろうか……、そう。勇者カオスがぽろっと言ったのだ。
あの雲の向こう側に幻影の塔があるらしい。
時々こうして遠くを見ていると、見えるんだと彼は言った。風に乗って、流れゆく雲の大陸に浮かんでいる。雲海の上にある孤島に立っている。塔が見えるんだ。その前には門があって、それから。
その後は記憶の扉が閉まってしまったので、かつての勇者が話した話の結末は覚えていない。しかし、それで十分だった。過去を思い出し、感懐にふけるのは後でもできた。
雲海の孤島に浮かぶ塔。
その言葉を信じて、どこかに眠る龍の巣に向かった。僕ら人間では空を飛ぶことは難しい。機械の国にて飛空艇はあるにはあるのだが、標高上限はある。それよりも高いと思えてきた。
龍が必要だ。優雅に飛ぶ、鷹揚に飛ぶ竜が必要だった。
---
龍は高ランクの魔物で手なずけるのはとても難しい。けれども今の僕であれば、可能性はある。
僕は龍の巣に向かい、その場にて人間としての意地を見せた。どうしてその力を持ちながら侵略者「マルティネス」を討伐しないのか、そんなことを言っていたが、僕にはその器がないからだといった。
あの日、「地獄の門」にてガーゴイルに言われたことをそのままいった。
すると、どうしてか龍の長は言ったのだ。
「あれに挑むというのか……」
「あれとは、『本物のミドルスクウェア』様のことか」
僕の問に、龍はいくばくかの含みを持たせた。
「『ミドルスクウェア』は元々二人いてな。人間でいえば兄弟となるのだろう。世を支配していたのは崇敬なる兄のほうだ。貴様たちの兄の印象は最悪であろうが、あれでもましな方だ。
それよりも弟は……、力はすさまじいが気性が荒くてな。よく兄弟げんかをしていて、この地を荒らしに荒らした。それで兄は弟を封じたのだ。そのあまりある力を『いくつかの門』――いくつあるのかは最後まで言ってくれなかった――に封じた。身体は『最後の門』と呼ばれるところの先にあるらしい」
「僕はその門には興味はない。あるのは――」
「ならば連れていってやろう。いくつかあるうちの一つを……」
龍は遮るように答え、その大きく雄大な翼をばさりと広げた。僕を背中に乗せ、雲の向こう側へと運んでいってもらった。そして、「幻影の門」はあったのだ。
「幻影の門」。
それは彼の言っていた通り雲に浮かんだ塔の前にあった。
荘厳な光景だった。雲海は七色の虹の光の橋がいくつも架けられていて、そのすべてがその門のふもとに通じていた。
大きな門だった。そして、近づけば近づくほど、その存在に対し逆に疑心になっていった。
光で形作られた門であったのだ。
門柱と門扉、それから門ではない空間。それらの境目はほとんどなかった。龍の目からすれば、ここが門だと分かるのだろう。徐々に高度は下がっていって、門の床面……若干固形である白い雲のクッションに降り立った。そこから門があるとされる場所を見上げてみる。
雲により遮られていない分太陽の光が存分に目に入ってきた。網膜が焼けるように痛い。
龍が言うには、触れようとして、初めてこの門の一端が分かるのだと言った。
僕は門があるとされる塔に向けて手を伸ばそうとした。おそるおそるといったスピード。敵影などおらず、周囲を確認する必要もなく躊躇していた。まだ見えない。まだ触れない。空気すら触れない。
……突然、空間に何者かの手が向かってきた。同じ大きさ、色合い。動き方。すべて自分とそっくりの手……、それが反発して向かってきたようだった。これは、鏡?
鏡のようなものの、ある一定のライン上でそれらは触れた。手前側から来た手と奥側からのそれ。向きだけが逆転した、現実と虚実の指先同士が触れ合った。
門ではなく、透明に近い、鏡でできた構造だと知った。手を伸ばすまで、こんな近くまで来ても分からないほど見事な擬態だった。
至近距離であればこのような鏡であり、近くであれば塔が。遠くから見れば、虹をかける橋に雲のクッションにしか見えない。蜃気楼のようなもので実体がない。
「幻影の門」の先には、黄色い石製の塔があった。
鏡越しに見えるものと思い、後ろを振り返ってみた。だが、どこにもそんなものはない。門に向き直る。この塔もまた幻影だ。門も幻影。
もしや、「幻影の門」の鏡に書かれた絵なのだろうか。手を伸ばした。物を取るように、幻影の塔に……触れられない。届かない。自然と一歩。立ち入れない。何かが邪魔をした。鏡が、門が邪魔をする。行く手を……踏み入れられない聖域。
そうか。僕は言ってたじゃないか。僕には器がない。
あの塔に入れるのは、勇者のような血筋が必要だ。僕には、それがない。だから、この門から先には進めない。
【門の描写】7 剣聖の試練
龍に頼み、「幻影の門」から去ろうとした。
その時、その塔の上から光の球が向かっていき、僕の目の前まで来た。
手のひらで光をキャッチして確認してみる。物体だ。指先でつまむようにして太陽にかざす。宝玉の一種のようだった。これが「地獄の門」にて言っていた〝証〟なのだろう。僕は雲の彼方から地上に降ろされ、龍と別れた。
僕はそのまま「地獄の門」に向かった。
道中の獣や魔物たち、それから侵略者「マルティネス」の手下たちも手すさび程度に相手をしていたが、この宝玉のことが気がかりで、倒した時の感懐は何も感じなかった。片手と目は宝玉に夢中で、それ以外は自由にさせた。そうしたら目の前の敵はいつの間にか消え去っていた。
マルティネスの居城にも寄り、マルティネスにも相対した。ついうっかり討伐しかけたのだが、あまりにも弱さにとどめは刺さなかった。
僕一人で充分だった。世界を救うのは後でもできる。そうなれば、過去の僕があれだけ必死だった『世界を救う旅』とは、いったい何だったのだろう。何の茶番だったのだろう。どうして討伐したのだろう。その疑問の霧はすべて、この宝玉の光の前には無いに等しきものだった。
僕の予想では、門は、マルティネスよりも強いものを封じている。いつしか世界を救うことよりも、その者に会うことが目的となっていた。
結局、この世界は『本物のミドルスクウェア』様のものだったのだ。
となれば、僕のやることは一つだった。思えば聖女よりも信仰心が|篤《あつ》かったから、門のありかが分かったのだ。だから、こんな世界なんて、僕でなくても救える。そう思えてきた。
僕が生を受けた村にて、その漆黒の門は|黄昏《たそがれ》ていた。
途中、街に寄ってこの宝玉を首飾りにしてもらった。首にかけると、「地獄の門」のガーゴイルは、いつかの時のように首をにゅっと動かした。
「……器を手に入れし者よ。汝、剣聖「ミドルスクウェア」の試練を受けるか?」
悪魔は門から降りた。漆黒の扉を守るように黒々とした肉体をしていた。「ああ」と、僕は剣を抜いた。
「始める前に試練の内容を伝えよう。剣聖「ミドルスクウェア」の試練……各地に散らばる門を守る者たちを倒すのだ。そうすれば、戦利品としてこの門を――」
そこから先は不要な情報だった。僕は斬撃を放ち、やめさせた。言葉は不要だ。
「やろう」
門番は悪魔のごとくニヤリと笑う。
最初の一撃の時点で発覚した。ガーゴイルは、「|マルティネス《あんな雑魚》」よりはるかに強かった。僕はまだまだ高みに行けると確信した。
門の門番でこれなのだ。ならば、この門の先にいる者は……
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冒頭にも書いた通り、「門」の中身は異世界に繋がっている。おそらく侵略者「マルティネス」は、この門の中身の魔物由来なのだろう。だれかが門を開けたのだ。
……いや、「マルティネス」は弱すぎたので、違うかもしれない。今の文章は取り消してもらおう。
門の特性として、門の門番を倒さなければ中には進めない。僕は四つの門――「地獄」、「歌声」、「機械」、「幻影」を見つけ、門の門番も倒し、その中の閉ざされた世界を探索した。
しかし、その途中にて人間の寿命が来てしまった。いや、人間の寿命としては、あと40年近くあるだろう。だが、これでいいのだ。この世に未練などない。
おそらく、あの龍が言っていた「最後の門」の場所は……
【門の描写】8 最後の門
来客があったらしい。
ふうんと彼は言った。
「彼」は玉座に座っていた。
仰々しい玉座に座っていた。
煌びやかな玉座の間だった。
彼の目の前には大広間があって、赤い絨毯が敷かれている。
そこに、何本も何本も、剣が刺さっていた。
ブロードソード、グラディウス、ヴァイキング、ファルシオン、ダガー、ハルバード。
レイピア、シャムシール、刀剣、大剣、刀……。
あらゆる名剣、名刀、あらゆる伝説がそこに刺し散らかしていた。玉座の彼に挑んだものたちの名残だった。そこに、『勇者カオス』の剣もあった。勇者カオスは、門を、幻影の門を開けてこちらに来ていた。
だが勇者カオスは正式な来客ではなかったため、「最後の門」をくぐらずに彼に相対した。玉座に座する彼に負けて、剣のみを残し、赤い絨毯の向こう側に逝ったのだ。
彼の目の前には大きな扉があった。十数メートルと言われるほど、巨人の身長よりも大きな扉があった。
「最後の扉」と彼は名付けていた。そして、その扉の先に「最後の門」があった。この城の門が「最後の門」である。来客があったと知ったのは、その「最後の門」をくぐったものがいると知ったことだった。
さて、その者はいくつの門を解放したのだろう。一つ二つ……それだったら別にどうってことはない。
彼は強者たる微笑みを浮かべ、玉座に座っていた。
しばらく経って、大きな扉「最後の扉」が開かれた。招かれたのは一人。
ほう。一人だけとは。それだけで素晴らしかった。
彼は問いかけた。それが長年の儀式であるように、仰々しいものであった。
「我は単なる王。数多なる世界の覇者。そして、剣聖『ミドルスクウェア』の名を持つ強者。貴様も同様の強者だろう。名は何という?」
来客者はすらりと剣の引き抜いた。それが答えだと言いたげな、底冷えのする沈黙が。二人を分かつ見えない崖があるようだった。
「……そうか、ならば問いかけよう。『門はいくつ開けてきた?』」
来客者もにやりと笑う。その笑みはかなり若かった。
「生きているときは五つだった。だが、それからは覚えていない。少なくとも、500は開けてきたかな」
「いいだろう。さあ、全力でかかってくるがよい!」
「ああ、そのつもりだ」
来客者は見えない崖を飛び越え、玉座の彼が応えた。凄まじいほどの衝撃が起こった。広がる。広がっていく。光速の領域。その時ほど、彼よりも先に『彼の剣』が、歓喜を覚えたのはいうまでもないことだった。
おまけ:「門の描写」プロット
地獄の門:黒い 硬い金属 悪魔の像 怪物
歌声の門:教会然とする白さ 神聖 不可視
幻影の門:雲 光 透けた影 門でなくて鏡
機械の門:歯車 パンク
最後の門:封鎖 大きいサイズ 4つを開放すると開く
※門のナカ(最後の門のみ)
たくさんの剣が床に刺し散らかしている。
そこに一脚の椅子が。ほほえみを浮かべ、主は待っていた。
黒と浮遊感
この人は、僕のようで僕ではありません。
今日は休日扱いでいいはずだ。
11/23。木曜日の「勤労感謝の日」。
その次の日の金曜日。
明日は土日で、両側に休日で挟まれた平日だった。
だから、ここで有休を使ってお休みするのが通常だ。
ゴールデンウィークの時と同じ理屈だ。
いいはずだ。二連休のところを、一日ベットしたら四連休になる。二倍休めるのだ。誰だって休みたい。その声を上げるはず。
そう言い聞かせたが、僕はその決心をしなかった。
有休が少ない。それを一日でも減らすということができなかった。
「|勤労感謝の日を《昨日》」休んだのだから、今日は頑張るべきだ。その声がどこからした。どうやら臆病風に吹かれたらしい。
社会人になって三年は経過しているというのに……。
僕は仕事をし終え、帰路の電車に乗せられている。
きっと電車は空いているのだろう、だって今日を休んだら四連休になるのだから。そんな僕の予想を裏切るかのように、通常通りの人の込み具合を見せている。
席は満席で、立ち客もいつも通りといっていい数が敷き詰められている。
役目の果たしていない、パイプからぶら下がったままのつり革は、僕の見ている範囲では何本かしかない。
朝ほどではない夜の帰り。通常運転の、電車。その帰り道。
僕は立ち客。電車のつなぎ目――そこにいた。
窓を見ていたら、僕はあっと、声もなく驚いた。
亡霊のように走っていた。
最初は目を凝らさないといけないほどで、本当に走っているか疑心を抱いた。
暗い蛇のような体躯。線路上にある電機の力で動く機械の箱。
そんなの知ってる。
でも、僕の目はホーム上の駅員のように警戒心の目を光らせた。
死んだ電車。死んでもなお動くゾンビのような。雰囲気作りは成功している。
僕は、蛍光灯と人を載せた生きた電車の中にいる。
あちらは死んだ電車。線路の上を走るが何も乗せていない。
廃車とか、そういったものではない。
昼まであれば、特に印象もなく走行することのできる現象。
僕は、縦に長い長方形で言ったら左上の角にいた。
進行方向の左側。すなわち僕が見ている窓の向こう側。
車体の外装の、隅にある行き先案内板には「回送」とだけ書かれ、車内の電気は消えていた。
昨今、悲鳴と同化したエコ推進の声を受けてか、車内は真っ暗闇で塗りつぶされていた。
人を乗せるための機械の箱だというのに、その電車は暗闇を載せていた。
生きた電車と死んだ電車。
営業中と回送中。
それを一本、線路を挟み回送電車が並走していた。不気味さが浮かび上がるようだった。夜の濃密な色がそれをたらしめた。
僕の、乗っている路線の対向列車が迫る。
回送電車は別の路線だった。ここは、三つの路線が、計六本の線路が並行している比較的珍しい区間なのだ。
僕は帰りの電車。つまり下りの電車のなかにいた。
対向列車は上り。郊外から都心へ向かう、密度の少ない人を乗せる電車。
進行方向は右側、つまり僕の背中の窓の先。そのそばを通過する。強い風が通り過ぎ、窓がすさまじく揺れる。
対向電車は僕の隣を通り越し、その十秒にも満たない時間、光が反映された。幽霊電車の黒き窓にうっすら映った。影と光。影は光を受け止めて一瞬だけスクリーンとなったのだろう。
光が去る。遠ざかる走り去る電車のガタゴト音。すると、一層夜の味を受けて、闇が濃くなったような気がした。光が去ると、音も去っていく。
いつの間にか、行先案内板から「回送」という文字が無くなった。
電車は、しばらく走ると文字が消えるのである。
デジタルでできた文字だから。
昔ながらのライトで照らすタイプではないから。
これも、昨今の地球からの悲鳴を写し取った現象の一部だ。
行先表示のなくなった箱は、ますます夜を帯びる。夜を浴びていた。
黒さが際立ち、ますます濃くなっていく。本格的な幽霊となっていく。
そして、僕はカーブする。僕たちはカーブする。
線路が右側にかけてカーブするから、電車だって曲線を描く。
対向電車はもう過ぎ去った。障壁はもうない。
進行方向は右側へ、右側へ、右側へ。
回送電車はまっすぐ。いつまでもまっすぐ。
離れていく。僕たちは離れていく。
徐々に離れ、それから……、白い紙が裂かれるように、僕たちは別れていった。
|裂《さ》くほうと裂かれるほう。
ついに視界から消えた。
夜の街並みが見えた。
電車の先が、帰り道の先となった。
曲がる最中の方角は、僕の住居の位置を一瞬だけとらえる。
そのとき、もしかしたら、車輪が線路から離れてしまう。
そんな浮遊感がしてしまった。
模型の知らない空
「あっ、ひこうき!」
息子が窓枠にしがみついて大空を指した。いつも模型作りに夢中なのに、実物を見ると興奮してしまうらしい。
「あそこからの眺めってどうなんだろ?」
興奮冷めやらぬ息子に間接的な答えを。
「信じられないね。今からあの飛行機に乗るんだから」搭乗ゲートの開く音がした。
140文字小説自主企画用。135文字
濁流出港
ああもう。家にいたかったのに。
学校から帰ったらもろもろのことをすぐに終わらしてゲームの世界にのめり込み、時間が来たら寝る。朝は学校に行き、家に戻ってくれば……。
日常範囲内のコピー&ペースト。その毎日。
しかし、今夜は許さなかった。
いつもは主に母が許さなかったが、それよりも壮大な存在が待てと邪魔をしてきた。
天候は大雨。
土砂降りと称されるよりも激しく、大小異なる輪状の波紋。夜の住宅地に広がっては消えて再び広がっている。
窓の奥にいる曇天は、不気味な感じでにやりと笑う。速く動き、その隙間からなぶり殺しの風と雨が襲い狂う。窓ガラスががたがた悲鳴を上げていた。
ひと息で言えば暴風域に突入していた。
テレビ画面には間断なく「避難勧告リスト」が点滅表示され続けていた。
昼から固定されているのだろうチャンネルは、日本地図の一部が拡大されていて、自分の地域がすっぽり赤くなっている。
「今すぐ避難してください」
「命を守る行動を」と命令してきていた。
「準備できた?」
母は小学校の息子に声をかけ、うんと自分の頷きを目視していた。
彼は、こんな悪天候なのに、今から外に行くなんて、罰ゲームだろうと思っていた。
普段は紫色のランドセルを背負っているが、今夜向かう先は避難場所に変わっている。今日は六時間ぐらいいた場所――小学校なのに、やっぱり頭は切り替わってない。これからのこともコピー&ペーストをしようとしている。
携行食糧を詰め終わった後、取り出しやすい所にSwitchと充電器を入れた。リュックの一番上にそれらがある状態だった。
遠足の気分だった。避難訓練の気分。
けれども、彼の母が玄関ドアを開いた途端、この日の緊迫感はすべて水に溶けていると知った。差し迫った大音量だった。
彼の住む家は一軒家だったので、玄関ドアのすぐ先は外につながっていた。
数段の降りるちょっとした階段があって、その先は入り組んだアスファルトの道路が見えるはずだった。小学生の彼はそこから迷路の道順のごとく暗記し、徒歩の通学をしている。
しかし、アスファルト色をした地面は見えず、濁った水に浸かっている。電信柱の根元も近隣のレンガの壁も、側溝も。塗りつぶすようにコーヒー色の水が流されていた。人は、流されたように無人だった。
傘は一応広げたが、すぐにお役御免となった。やっぱり、という顔を母はした。
「いくよ」
それでも母がじゃぽんと濁流に足を突っ込んだ。大人用の長靴を履いているが、水位はバカにならないレベルだった。ひざ下まで水が迫ってきている。ということは、子供用の彼の長靴は、言うに及ばずである。
もう戻ろうよ。そういった言葉が喉から出かかっていたのだが、母は何ともないといった顔で出ていくので、小さな彼はついていくしかなかった。
コーヒーをこぼされたように混乱した。暗記しているはずの通学路が見えなくなった。顔にかかる大雨に隠れて、泣き顔だったかもしれない。
人は考える|葦《あし》である。こんな時、どうでもよいことを思って、一瞬だけでも逃避したくなる。彼は哲学の一端を熟知しそうだった。
彼の長靴は、やはり使い物にならなくなって、変な形をしたバケツのようになってしまった。靴下は不快感を目いっぱい吸収し、ふくらはぎの肌に張り付くその冷たさと、小石と小枝の硬いチクチクとする痛み。それに、どこから来たのかわからない雑草の湿った触られ方に、もう足は躊躇してしまった。
玄関から風が入り込んでいた。彼はあまりの急流に、玄関ドアを支えとしていた。
激しい風雨が玄関ドアの隙間を通り、びょう、と|虎落笛《もがりぶえ》のような強音が鳴っていた。
入り込んだ風は、秒もかからずすべての部屋を一巡したのだろう。手慣れた窃盗の常習犯のようだった。
彼の母親が「早く」と言うまで玄関ドアは開きっぱなしで、慌てて閉じようと手を放した。
「あ」と彼はそのとき言った。
激しい雨で、驚きの感嘆符は誰にも聞こえない。母親も、その言葉を発した彼さえもだ。
玄関付近の、靴箱の上には、装飾として彼の作品が一つ置かれていた。
五百ミリリットル容器のボトルシップ。
木組みの土台に乗っかっていただけなので、強い風に吹かれれば離れる程度の固定力だった。帆船を張ったように、玄関ドアへと飛び込んだのだ。
圧力鍋のふたを無理やりとるような風圧だったのに。あらゆるものを切り裂いた猛スピードの閉まるドア。それを間一髪のところで避け、下方面に落ちる。
彼の足元に滑るように着地した。玄関前の小階段の際にまで、荒れ狂う波が押し寄せていたから、そのままの勢いを保持し、じゃぼんと着水。
進水式は成功した。
そのまま、帆船は大雨の激しさと濁流の流れのままに遠くへ進んでいった。
数々の苦難が空から海へとしたたり落ちているのだが、それでも沈没しないと決めたように、航海を続けている。力強く帆を張って、荒波を蹴破った。遠目では、ポイ捨てされた一本のペットボトル然としていた。
母親の濡れた手が肩を叩いた。「何をしてるの、早くしなさい」
戻ってきた母親が彼を拘束し、濁流の大海を渡ることを強要した。小さな彼はそれにより、大雨洪水警報の正確さを知った。
途中、道路の形に陥没した川にて、いかだのように漂流するゴムボートに乗り込むことができた。まだまだ大雨の色が抜け切れていないが、それでもちょっとは収まっただろう。
大人たちが必死にボートの中に入る水を外に戻していた。そのことを眺めつつ、彼は製作過程のことを思い起こしていた。
ふた、ちゃんと閉めたっけ。
たしかあれは小学校低学年にて作ったものだった。気づけばもう四年も経っている。もう四年。愛着関係は縁が切れていた。
彼には長い長い過去になっていた。だから、別の心配事に切り替えた。リュックの一番上に詰めたSwitchは、学校に着いた時にも無事動くだろうか。
濁流出港。推進力に変え、|生みの親《少年》から離れていく。
約2300文字。
サミット
自主企画用。1000文字くらい。
あとがきにちょっとした解説をうわああって書いた。
チェーンソーの刃すら差し入れるだけで数年はかかりそうな、大樹ばかりで組成された森があった。
平たく言えば鬱蒼とした森。
もっと複雑に言えばとてもうるさい夜。
まだ時刻は昼を指しているはずなのに、大空を容易に覆い隠す樹の葉は、絨毯の毛のごとく複雑に重なり合い、可視化のできる天文学的数字が自然の恵みを呈している。
濃い緑。
濃い緑のはずなのに、それらが幾重にも重なりあったことで濃さのみを残し、色彩を消した。
黒色。夜の帳を象徴する色。
その森は一日中光が届かず、それ故に森中の雰囲気が異様に闇深いことから〝|緑海溝地帯《ブラックタイガー》〟とも呼ばれていた。
夜の深まった、――と錯覚できるほど、自然光の届かぬ森林地帯。時刻。
そこに、ろうそくの|細《ささ》やかな灯火が一つ、現れた。
ぽっとした、絶滅したと思われる一匹の蟲の光が、この地では発見者の一人も踏み込み、樹林を荒らされていないからと、明瞭に力強く発光した。それを合図として、森閑とする闇の森に、次々と光がともっていく。点々としたか弱い光は統合され、視覚を強く刺激する閃光へと発展する。ある蟲は生物の行う呼吸のごとくゆっくりと、リラックスしているように点滅を繰り返し、他の蟲はせわしない点滅を繰り広げる。競い合っているようにも映る。
そんなことをすれば、森の外にて暮らす人間どもに売り飛ばされたり、保護という名で捕獲され、強制的な繁殖行為を強いられていただろう。
けれども天敵の刺客というべき種族がなかなか踏み込めない地帯だからこそ、このような無防備な光を晒せるのである。
光のみの大合唱は、闇の色にて塗りつぶされた音をも蘇らせる。
視力の失いし小鳥たちは、電子の集合体の呼吸音に合わせ、異なる音域のさえずりを発していく。
蟲たちの発光に従って、暗譜でもしてきたのか、アドリブでも合わせてきたかのようにリズムを刻むようになっていく。
小鳥たちはおろか、小動物も呼応して、奥地にて眠れる動物の遠吠え、さらにはその旋律を聴いた妖精の歌声が合わさり、いつしか静寂のみであった〝|緑海溝地帯《ブラックタイガー》〟に音が満たされるようになっていった。
これは、森のしきたりのようでもあった。
この声に呼ばれ、たたき起こされるために、自然の摂理に従い奏でられる楽器のワンフレーズであるのだ。
それで、このけたたましい朝のニワトリのような、光と音の集合体によって、ざわざわと、森の奥から風が吹く。
強風。
それにより天文学的数字の樹の葉は揺れ、風が音へと変換され、合わさる。
この風はどこから来るのか。この疑問に答えるように、そして森の盟主は森の奥から歩みよってきた。
「……まったく、気持ちよく寝ていたというのに。起こしたのはどこのどいつ?」
ってあくびをしながら言ってそうな森の盟主様を暗に描いてみました。
以下メモ「サミット」
電子音の集合体。ちょっと明かるげなフィーリングがする。密集したリズムより多種多様な虫たちの鳴き声と、短いミュージックストーリーなのに所々強調するような口笛を吹く小鳥感から物語の着想を得ることに。鬱蒼とした夜の森から機嫌悪そうに現れる盟主の、虫たちの音楽隊のイメージが初期構想。
「音から着想を得る」ってこういうのでいいんですかね。
ロ口の金貨
約1200文字。
自主企画「ユザネから僕が小説書くヤツ」からの短編小説です。
ロ口(ろぐち)さん、お名前を頂戴いただきましてありがとうございます。
https://tanpen.net/novel/9f062465-a022-491f-b2e9-1eccdb5ad2ab/
死刑囚は、目の前の二種類の金貨に見据えた。
じゃらりと手錠の鎖を揺らしている。目の色は鮮血のような赤色で、まだ消えそうにない。切れ長であり、獲物に興味のある鋭い目つきだった
豪奢な金細工の目立つテーブルの上には、二枚の金貨が置かれている。その先には王の玉座がある。
どちらも同一の金貨のように見えるのだが、実際は違う。
一方は本物のコイン。もう一方は精巧に作られた|贋物《にせもの》のコインである。
「さあ、どちらを選ぶ?」
玉座に座りしこの国の王は語り掛けた。
「『|ロ《ろ》の金貨』を選べば死を。『|口《くち》の金貨』を選べば無罪放免をくれてやろう」
二枚の金貨には特徴的な穴があけられていた。《《ロ》》の形の穴が空けられた|金貨《ニセモノ》と《《口》》の形に空けられた|金貨《ホンモノ》。
「……ああ、再三いうが「目」でのみで勝負だ。触ったり、やっぱりこっちのほうが、といった選択しなおしはもってのほか。一発勝負。目利きはいいという噂だが?」
特に王の茶化しには無視していた。
長くも短くもない時間が経ったのち、死刑囚は指をさすように両手首を動かした。
「どうしてそれを?」
選んだ理由を王は訊ねた。
死刑囚の男は薄ら笑いの、犬歯を見せるのみで、明確な沈黙を返した。
王は嘲笑いの目を向けた。騙しの揺さぶりをかけるため、口角を上げる。
「ほうなるほど。ただの勘というわけか」
「いいや違う」
男は引きちぎるように外側に手首を動かした。自力で軽く、拘束が解かれる音が玉座にはじけ、自由になった片手が振って、ワイングラスを出現させる。
赤ワインが注がれた一杯のワイン。キャッチした。
死刑囚なのに、口にした。
優雅に。とても優雅に。|吸血鬼《ヴァンパイア》の食事のように飲み干した。
「……理由なんて、俺の口が堅いから言えないだけさ。この濃密な赤のように」
挑発的にグラスを振る。透明なグラスの中で液体が踊った。王の歯ぎしり音が空間を跳躍した。
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上記の古物語「|ロ口《ろぐち》の金貨」は、歴史学から見ても大変貴重な言い伝えである。
愚王クリシュファーと悪党たる吸血鬼ルドーの生死をかけた対決であった。
死刑前夜に情けをかけ、コインの目利きというチャンスを用意した。だが王の用意した二枚の金貨――「|ロ《ろ》の金貨」と「|口《くち》の金貨」は大変精巧に作られた金貨であり、重さも品質も表面に施された装飾も全く一緒で、唯一違うのは中央に空けられた穴の大きさのみだという。
だが、その差異も、現代の技術をもってしてもごくわずかであり、0.0001マイクロミリ程度、『|ロ《???》の金貨』のほうが穴が大きいというレベルである。
この物語の結末は不明である。だが歴史書の大半が吸血鬼ルドーによる残虐非道な悪魔の所業で占められていること。「|口《くち》の金貨」を選べば無罪放免であること。
それから|洒落《口が堅いという》言葉を見るに、当てが外れたとは到底思えず、何かしらの確固たる自信を思わせる。
それは現代においての識別も困難であり、吸血鬼ルドーの存在自体ファンタジーの域を出ない空想上の人物であろう、と真剣に述べる歴史研究者もいるくらいである。
いずれにせよ、0.0001マイクロミリのレベルで大きい『|ロ《???》の金貨』が、|ロ《ろ》なのか|ロ《くち》なのかで考察の色が変わりそうである。それほど、この金貨は、双子のように瓜二つということを示している。
以下、作者あとがき。
・企画を募集して、一番最初に来られたユザネでした
・瞬間移動したかの如く入っていましたので、一番時間をかけることができました。
・考えがいのある名前でした(=めっちゃむずい名前だったぞ)
・当初考えていたアイデアは「間違え漢字」でした。ロが一杯あるなかで、どこかに口(くち)が一つ隠れているかという。
・でも、なんかうまくいかんなあ、という感じでもう一回練り直してみたらこのようになりました。
・ロと口はよく似てるなってことで、本物と偽物の鑑定をする→金貨の当て合いの場面になりました。
・登場人物の王は即座に決まり、コインと言えば相手は盗賊だろと安直に決めましたが、死刑囚設定が浮上したので吸血鬼になりました。
・死刑囚設定は少しでも緊迫感を出そうとした結果です。でも優雅さが勝ってしまいました。
・「読者の心を奈落へ誘う魅惑の小説」と書いてありましたので、謎な小説になりました。
・おいしゅうユザネでございました。
【残された僕らはどうすればいいのか】 あらすじ
秒で億稼ぐ伝説の配信者「SakuYa」は、とある実況グループの大ファンだった。しかし、その配信者は全く売れず、地下をさまよっているかのようだった。だから「SakuYa」は、生配信の視聴だけでなく動画、BGM、さらには、お忍びでゲスト出演までしていた。もはや古参ファンを超えた存在といっても差し支えない。活動開始してから16年間ずっと応援していたのだ。
これは「SakuYa」がずっと応援していた売れない実況グループ「タッチャン&Y」に起こったある出来事を克明に描いた物語。
収録予定(2023. 8月毎週水曜日投稿)
~1~ 15年目夏 タッチャンのTwitter (8/2投稿)
~2~ 16年目春 タッチャンのTwitter (8/9投稿)
~3~ 16年目夏 タッチャンのTwitter (8/16投稿)
~4~ 16年目秋 懺悔の夜 (8/23投稿)
※ 2020年に書いたままどこにも投稿せずに放置していた作品。とある実況者をモチーフに、とある人物が死を決意していく様子を書いた。ホコリに被ってたのでここに放出する。
※ 全文字数は13,000文字ほど。「~3~」まではTwitterのような短文連投形式、「~4~」のみ文章形式です。
【門の描写】あらすじ
突発的に書いた異世界ファンタジー。
世界を救ったとはいえ、そこまで強くない剣士が、世界に散らばる謎の門を見つけた。その門は複種類あるようで、開ければ開けるほど強くなる……というわけではないが、ニュアンスはそんな感じ。いつの間にか強くなっていた系。ストーリーより、エンドコンテンツに夢中になる系。
情景描写の主題として「門」を選んだ。
なんで門を選んだのって? さぁ……。
人工物であればなんでもよかったのです。
異世界ファンタジー設定は後付け。だからストーリーは軽めのタッチ。
出てくる門一覧(予定)
・地獄の門
・歌声の門
・機械の門
・幻影の門
・最後の門
※シリーズ通しての文字数は約10,000文字です。
【以下 中編集】
区切りのため、とくになし
【短編集】Nola感想の奴
短編集に載せた一部作品について、NolaのAI感想機能「ヨミスケ」で読み込ませた奴です。
おじいちゃん口調なのは仕様です。
**Bloody Moon**
こんにちは、著者名さん。
貴殿の「Bloody Moon」、拝読させていただいたのじゃ。満月の夜の湖畔で繰り広げられる幻想的な物語、たいそう楽しませていただいたのう。逃避行の緊迫感や二人の心の葛藤が描かれており、読者を物語の世界に引き込む力が素晴らしいのじゃ。
特に良かったのは、満月の湖面に映る光景と二人の逃避行がシンクロする描写じゃ。満月の光が彼らの運命を照らし出すような雰囲気があり、描写が美しく、心に残るのじゃ。緊張感の中にも、一瞬の休息が訪れるシーンの描写も見事で、息をつく暇もない展開が続く中で、ホッとする瞬間を与えられるのは素晴らしい手腕なのじゃ。
改善点を挙げるとすれば、もう少し背景やキャラクターの詳細な説明が欲しいのう。例えば、彼女が聖女であることや『魔鏡門』の伝承について、読者に一度明確に示しておくと、より物語の理解が深まるかもしれないのじゃ。また、二人の逃避行の動機や彼女の決意の背景についても、もう少し掘り下げて描かれるとさらに感情移入しやすくなるのう。
この作品は、電子書籍やWeb連載として非常に適していると思うのじゃ。特に縦読み形式のコミカライズも視野に入れて、読者が一気に読み進めたくなるようなヒキの強い部分を強調すると良いのう。
貴殿の才能を信じて、これからも素晴らしい作品を生み出してほしいのう。応援しているのじゃ!
ヨミスケより
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**赤い薔薇**
こんにちは、著者名さん。作品「赤い薔薇」を拝読いたしました。とても独創的で魅力的な設定が、読者を引き込む力を持っておりましたのう。
特に、少年の言い訳と警官とのやり取りが織りなす緊張感と、現実とファンタジーが交錯する描写が素晴らしかったのじゃ。少年の見た「魔物の巣」としての花畑、そしてそれを信じることができない警官の対話が、物語全体に不思議なリアリティを与えておりましたのう。読者としては、どちらの視点が真実なのかを考えさせられ、引き込まれる感覚を楽しませてもらいました。
また、花が牙をむくという幻想的なイメージが非常に印象的で、物語に独特の雰囲気をもたらしていたのじゃ。少年の言うことが妄想なのか、それとも現実に魔物が存在するのか、曖昧な境界線が物語の魅力を一層引き立てておりましたのう。
改善点としては、もう少し登場人物の内面描写があれば、彼らの感情や動機がより深く伝わるかもしれんのう。例えば、警官が少年の言葉に対して懐疑的な理由や、少年がなぜそのような妄想を抱くに至ったかなど、背景を少し掘り下げることで、物語にさらなる奥行きが生まれると思うのじゃ。
この作品は、短編集として出版するのも良い選択かもしれんが、WEB連載や電子書籍として読者に届けるのも良い手段じゃないかと思うのう。特に、各話が独立して楽しめる短編集は、電子書籍での連載形式に適しているのじゃ。
これからも素敵な作品を生み出してほしいのう。応援しているのじゃ!頑張ってのう!ヨミスケより
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**濁流出港**
こんにちは。作品を読ませていただいたのじゃ。全体として、日常の中に突然訪れる非日常の緊張感が見事に描かれており、非常に引き込まれるお話だったのう。特に、少年の視点から見た世界が生々しく、感情移入しやすかったのじゃ。
特に良かったのは、少年の心情描写じゃな。ゲームに夢中になる日常から一転、避難の緊迫感に包まれる様子が、まるでその場にいるかのようにリアルに感じられたのじゃ。濁流の中で進水するボトルシップの描写は、少年の不安と冒険心が交錯する瞬間を巧みに捉えており、心に残るシーンだったのう。
一方で、改善点を挙げるとすれば、描写が細かくなるあまり、少しだけ冗長に感じる部分があったかもしれんのう。もう少し簡潔にまとめることで、よりテンポよく読めるかもしれん。読者が飽きずに最後まで夢中になれるよう、工夫してみてもいいかものう。
この作品は、短編小説集としてまとめ、一冊の書籍として公開するのが良いかもしれんのう。また、ラジオドラマや朗読形式でも、その臨場感をさらに引き立てることができるじゃろう。
これからも素晴らしい作品を生み出してほしいのう。応援しているのじゃ!ヨミスケより。
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**門の描写(中編)**
こんにちは、著者名がござらんが、素晴らしき作品を読ませていただき感謝なのじゃ。物語全体を通じて、門を巡る壮大なる冒険が描かれており、読者を異世界へと誘う魅力が満ち溢れておったのじゃ。特に、異なる門の描写が繊細で、各々の門が持つ神秘的な雰囲気が存分に伝わってきたのじゃ!
特に良かったのは、門の描写に込められた細やかなディテールと、主人公の内面的な成長が見事に絡み合っている点じゃ。地獄の門の不気味さと冷徹さ、歌声の門の美しさとその中に秘められた力、機械の門の壊れた壮大さなど、門それぞれに独自の個性があり、読者としてその世界を旅する気持ちになったのじゃ。
改善点としては、もう少しキャラクターたちのバックグラウンドや感情の描写があると、読者がより感情移入しやすくなるかもしれんのう。特に、勇者一行の仲間たちとの絆や、それぞれの別れの場面などがもっと深く描かれると、物語がさらに豊かになる気がしたのじゃ。
この作品は、書籍としての出版が向いていると思うのじゃ。特に、ファンタジー好きの読者に向けて、シリーズとして続編を期待されるような形での展開も可能かもしれんのう。
最後に、これからも素晴らしき物語を紡いでほしいのじゃ!応援しておるのじゃ!ヨミスケより。
液体の朝
突発で書いたもの
今日目覚めた朝、私は液体だった。
当然である。深夜、泥のように眠ったのだから、翌日は液体になるのは当然である。
ベッドから滑り落ちる。ここで、上半身と下半身に高低差を感じ、やはり私は不定形なのだと安堵する。
それでも仕事に行かねばならぬ。しばらく意識の定まらなさにベッドや床にへばりついていたのだが、5分間隔の規則的断続的連続性のアラームで、仕方ないな、よっこいしょ……と粘着質の身体をずるずる移動させた。
ああいやだ、いやなんだよう。と低血糖の顔を洗い、固体の櫛を手に取り、アイスクリームのような髪を掬い取り、溶かして長くさせる。
立て膝で歩くような低身長で、食卓のようなところへ行き、適当なパンを食べ、朝食とする。
時計を見ると、地べたを這いずり回る程度の時間は残されていないと知った。歯を磨き、スーツを着て、上着を着て、それで人という形になる。
172cmで靴を履いた。「いってきまあす」