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目次
"あの日"
感情に身を任せたことは無かった。私はアンガーマネジメントを必ず行い、冷静さを保つ。そうすれば最悪の事態は免れるからだ。勢い任せで生きる人生もスリルがあって楽しいとは思うが、私は計画的に生きたい。まあ、何事も計算尽という訳では無い。大体で考えるのだ。みっちり計算したところで全部が思い通りになるとは限らないし、普通に疲れる。 長くなったがそんな人生を送りたかった。でももう、そんな戯言を言えない。全て狂ってしまったから。
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2014年7月3日。私の全てが無くなった日。
「海利! そこにあるブランケット取ってくれない?」
「うん。」
私は椅子に掛けてあったピンクのブランケットを手に取り、母に渡した。
「ちょっと汚れてきたから洗おうと思ってねー。先に水に置こうかな。」
母は洗面台に水を貯め、四つ折りにしたブランケットを沈めた。
「それかなり前から使ってたよね。買い替えたりしないの?」
「あぁ、これお父さんと結婚する前に買ってもらったのよ。だから捨てるのに抵抗あってね。」
「へぇー。プレゼントにブランケットかぁ…。」
確かに母はかなりの冷え性で、冬は常に震えている。それを気遣ってか、ブランケットを…。父も色々と考えてプレゼントしたんだなぁと思った。
「あ、今日お父さん帰ってくるんでしょ?」
「そうよ。荷物を取りにね。明日にはまた行っちゃうけど。」
ニャーと足元でミケが鳴いた。ミケを抱き上げ頭を撫でた。とてもかわいい。
「そういえば出張先ってどこだっけ。そこの名産品とか、お土産とかほしいなー。」
「もう。お仕事で行っているんだから無くても文句言わないでね。」
「分かってるよー。あったらいいなってだけの話だしー。」
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ああ、思い出しても平和な会話。もうその平和がやって来ないという事を私は知ってしまった。
「ただいま。」
7時頃、父が帰ってきた。
「おかえりー。あ、笹団子じゃん。新潟行ってたの?」
「そうだよ。よく知ってるね。」
お土産を机に置き、ネクタイを緩めながら父は言う。
「えー? 有名じゃん。上杉謙信が携帯食にしてたって言う話もあるし。」
「うーん…。お父さん、そこまでは知らないな…。ちょっと着替えてくるよ。」
父は少し困惑しつつ自室へ向かっていった。
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今日の晩御飯は少し豪華だった。今思えば、これが家族での最後の晩餐だった訳だが。
「ご馳走様でした。ナポリタン美味しかったー。また作ってよ。」
後片付けをしていた母に言った。
「また今度ね。」
母は少し嬉しそうに喋っていた。
「明日も学校あるんでしょ? 早く寝なさいね。」
「はいはいー。もう寝ますよー。」
適当に返事をし、寝室へ向かった。 もう少し話しておけばよかった。これが最期の会話になるだなんて思っていなかったから。
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深夜3時。全てが壊れゆく様を見る事となる。
私は寝ていたが、焦げ臭さに目を覚ました。黒い煙が私を包みこんでいる。
焦った私は起き上がり、寝室のドアを開けた。真っ赤な炎が、全てを燃やす。火事が起きた季節は夏。私は半袖を着ていた。それが原因か、後に片腕を失う羽目になる。 父と母が居る、隣の部屋を開けようとしたが扉はびくともしない。大声で父と母を呼び扉を叩いたが返事はない。一階は火の海。いつもリビングで寝ているミケは無事だろうか。冷静さを欠けた私は辛うじて通れそうな、火が移っていない所を慎重に進んだ。 その先で何かが燃えていた。小さな、動物。動物と分かった理由は、そこはミケのベットがある場所だったから。ガンッと後頭部を強く殴られたかのような衝撃が私を襲う。
「ミ、ケ。」
掠れた声で名前を呼ぶので精一杯だった。ぼうっとしていると、左腕に激痛が走る。慌てて確認すると腕に火が燃え移っていた。痛い痛い。段々と皮膚が黒くなって、中身が露わになる。なにか、火を消すもの…。必死に考えていると、今朝話した会話を思い出した。
「ブランケット…。」
私は走って洗面台に向かった。 予想通り、水につけっぱなしにされたブランケットがある。ブランケットを手に取り、左腕に当てた。かなり燃えてしまったようだ。もう腕から先の感覚が無い。とにかく、私だけでも家から出なければ…。そうは考えつつも、父と母の顔がよぎる。まだ寝ているだけかもしれない。生きているかもしれない。 希望を捨てきれなかった私は再び二階へ向かった。
扉は火の熱で歪んでしまったのだろう。ガチャガチャとノブを回しても動かない。
「お父さん! お母さん!」
必死に、出せる限りの声で叫ぶ。 返事はない。拳が痛くなるほど扉を叩く。返事はない。気がつけば顔が燃えていた。ブランケットで顔を覆い、扉をたたき続ける。煙が目に入って痛い。右目の視界がとても悪い。それでも父と母を呼び続けた。
分かっていたはずだ。私は起きた時点でかなり意識は朦朧としていた。体は重く、頭はガンガンと痛む。 ギリギリだったんだ。私はギリギリ助かった。数分起きるのが遅ければ、私も死んでいただろう。
それなのに、父と母の生に賭けて左腕と右目を失った。 全く、馬鹿なことしたな。私は途中で意識を失った。
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目を開けるとそこは病院だった。どうやらあの火事は放火によるものだった。放火魔は警察に身柄を確保され、現在取り調べを受けているらしい。
左腕は途中で切断されていた。もう神経がやられていて、駄目だった。右目は失明。熱傷が酷かったらしい。後は顔に残った火傷痕。声帯は傷ついていたものの、無事だった。 私以外は全員死亡したと聞いた。父と母は一酸化炭素中毒で、私が起きた頃には既に死亡していたようだ。ミケは焼死体で見つかった。生前の面影は無く、黒い塊と化していたが。父母も同様に、真っ黒になっていた。
私は何も考えられなくなっていた。ああ、全部無くなった。これから先、どうすればいいんだろう。ただ病室で廃人のように過ごす他無かった。 犯人に会うまでは。