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目次
ガラスのような貴方 第1話
「おはようございます」
「おはようございます。福田先生、朝早いですよね」
「朝練ありますからね」
朝7時の職員室には、俺、|本間拓巳《ほんまたくみ》と俺の意中の相手________|福田真也《ふくだしんや》先生しかいない。
「なるほど。朝から大変ですね」
「まあ、私はそんなに動かないので。本間先生はなんでこんな早いんですか?剣道部って朝練ないですよね」
「今日の授業で使う道具の準備がまだ終わってないんです。昨日のうちに終わらせたかったんですけど、うっかり部活の指導長引いちゃって。まだ半分残ってます」
「そちらの方が大変そうですね」
俺が苦笑いしながら零すと、福田先生は少し笑ってそう言った。
ちなみに俺は技術担当で、剣道部の顧問をしている。福田先生は理科担当で、男女のバレー部の副顧問をしている。部活では指導をするというより生徒たちを見守ったり大会の手続きなど事務作業が多いみたいだが、本人がそのことに関して愚痴をこぼしているのを俺は聞いたことがない。授業も面白く親しみやすいので、生徒からもほかの先生からも人気である。
「じゃ、俺は木工室行ってきます」
「準備、授業までに終わるといいですね。私は体育館行ってきます」
「はい。また会議の時に」
8時15分から先生は会議があるため、それまではお互いのやるべきことをやる。朝の職員室で2人、こうやってどうでもいい会話をするのが俺のちょっとした楽しみだ。俺は鍵を取り職員室を出て、階段を降り木工室へと向かう。うちの中学校では、技術の授業は基本ここで行なっている。今日は2年生のはんだ付けの授業と1年生がノコギリを使う授業をするのではんだごての数とノコギリの数を確認して、各グループごとに使う工具箱の中身をチェックするという作業がある。あとついでに、プリントを列の人数分まとめておこう。少し暑くなり始めた季節だが、朝は窓から入る風が心地いい。1時間と少し後の会議を楽しみに、俺ははんだごてを数え始めた。
---
「おはようございます」
『おはようございます』
8時15分、先生が皆出勤して校長先生の挨拶で毎朝恒例の職員会議が始まった。
「今日は平常日課で時間割の変更はなし。風が強いみたいなので体育の授業は少し気をつけましょう。戸締まりの担当は川口先生ですね。放課後、お願いします。何か連絡のある先生はいますか?」
話を聞かなければならないのはわかっているが、ついつい福田先生の方を見てしまう。スッと通った鼻筋に切れ長の目をしていて、背はあまり高くないけれど筋肉のついた体。うん、好きだ。
『………』
「ないみたいですね。今日も一日よろしくお願いします。では、解散」
『はい』
職員会議が終わると、クラスを受け持っている先生はそれぞれの教室へ行き、副担任の先生は職員室に残っていた。俺は2年生のクラスの担任をしているため、手帳やらなんやかんやを持って教室へ向かう。とその前に、福田先生に挨拶をしておく。
「じゃあ、また休み時間にでも」
「はい。では、失礼します」
軽く言葉を交わし、俺は自分の教室がある4階へ、福田先生は自らが受け持つクラスがある3階へそれぞれへ向かった。
ガラスのような貴方 第2話
「こんにちはー」
「こんにちは。いいところに来ましたね」
昼休み、福田先生に会いたくなって理科準備室に行くと、やけにニコニコした福田先生がいた。と言っても、この先生の真顔をほとんど見たことが無いぐらいにこの人はいつもニコニコだ。
「いいところとは?」
「机の片付け、手伝ってくれますか?」
そう言って先生が指差した先を見ると、机の上に様々な問題集や印刷されたプリント、ペンなどが散らばっていた。
「さっきまでここでうちのクラスの子と面談してたんですけど、この机を見て爆笑されまして。私自身も使いづらいですし、手伝ってくれませんか?」
「わかりました。にしても、どうしたらこんな散らかるんですか?」
「先日、中間テストがあったでしょう?その問題を作るために色々な問題集漁ったり入試問題から厳選してたんですけど、丸つけに追われて片付けが後回しになってたんですよ」
「なるほど」
うちの学校の中間テストは主要5教科しかないため、俺の役目は期末テストだけだ。その期末テストも、大体の問題はそれほど難易度を高くしていないので問題作りもそう大変ではない。ただ、その分提出物も評価材料として大きく関わっているから生徒達には提出物の呼び掛けはよくしている。
「このペンはどうしますか?インク、もうあんまりなさそうですが」
「ではこちらのゴミ箱へ」
「この問題集は?」
「そちらにある青いボックスにお願いします」
机の上にある物を先生に見せては捨てたりしまったりしていると、昼休みの15分はあっという間に過ぎチャイムが鳴った。あと5分で授業が始まるから、俺もそろそろ行かないと。
「ありがとうございました。もし良ければ明日も手伝いに来てくれますか?」
俺が準備室を出ようとすると、後ろから福田先生にそう聞かれた。
「……はい!ぜひ、手伝わせてください」
これで毎日会う口実ができた。正直めちゃくちゃ嬉しい。
「助かります。午後からも頑張りましょうね」
「はい。では、失礼します」
俺は一礼して準備室を出て、木工室へと向かった。
---
「先生、なんか機嫌いいですね」
「え、そう?」
放課後、剣道部の練習を見ていると生徒にそう言われた。
「先生いつも特にテンションの乱高下はないけど、今日はニコニコしてますよ」
「マジか」
完全に無意識だった。まさか、見抜かれてたとは。
「いいことでもあったんですか?」
「あったと言えば、あったかも?」
「だってさ。皆ー!問い詰めよー!」
「いややめて?」
ちょうど休憩に入ったところだった皆に囲まれ、質問攻めにあう。
「好きな人でもできたんですか?」
「教師は忙しいから恋愛してる暇ないね」
というのは嘘だが。普通に結婚してる先生もいるし。
「車のローンの返済が終わったとか」
「やけにリアルだけどまだ残ってる」
「プロポーズ成功?」
「恋愛してないって」
中学生はどうしてこうも恋バナが好きなんだ、と心の中で突っ込むが、男子校出身の俺には少し眩しく感じる。
「ガチャでSSR引けたんですか?」
「ノーマルかSRしか出てこなかった」
「弟が布団で勝手にヘビ飼ってた?」
「それ昔の話だし全く嬉しくなかったよ。あと俺一人暮らし」
3年生の女子が、俺が少し前の授業で話したことを覚えていたみたいだ。昔弟が俺の布団で勝手にヘビの卵孵して飼い始めて、殴り合いの喧嘩になったのだ。
「はい、休憩終わり。大会近いし、練習戻りな」
『え〜』
「早く早く!」
その日はそんなどうでもいい会話をして、部活が終わった。
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「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
部活の指導が終わり、剣道場の戸締まりをして職員室に戻ると福田先生に声をかけられた。
「何か盛り上がってたんですか?笑い声、校舎の廊下でも少し聞こえましたよ」
「ああ、生徒たちに質問攻めされてたんですよ。今日、先生機嫌いいですよねって言われて」
「なるほど。で、なんかいいことあったんですか?」
福田先生は納得したような顔をしてから、すぐニコニコに切り替わった。
「特に何も」
「夕飯のメニューが決まったとか」
「決まってないですね。なんかいいアイデアあります?」
先生にこんなことを聞くのも変な話だが、決まっていないのは事実なのだ。一応インスタントのものはストックしているが、そういうのは金曜の夜とか土曜の夜とかに食べたい。
「肉と魚だったらどっちの気分ですか?」
「どちらかと言えば、肉?」
「回鍋肉とか」
「キャベツあったかな」
肉はあるから、キャベツがあれば素を買って帰れば作れる。
「あとは便利なのは鍋じゃないですか?野菜切ったりがめんどくさいですけど、今夜作れば明日の朝も食べれますよ。私はいっつもシメに麺入れて、夜はそれ食べて余ったスープを翌朝雑炊にしてます」
「あ、いいですねそれ。今日それにします」
「ぜひぜひ。明日感想聞かせてくださいね」
「はい!」
その日の俺は、ウキウキで野菜を買って家に帰った。
ガラスのような貴方 第3話
「そろそろ体育祭の時期ですね」
「ああ、そういえば……」
運動部の3年生にとっては最後の大会にあたる学校総合体育大会(通称:学総)が近づいてきた5月末の朝、福田先生がどこか遠くを見つめながら言った。
「憂鬱なんですか?」
「まあ、暑いですし」
「それはそうですね」
昨年までは9月中旬に体育祭をやっていたが、暑さ対策と称して6月下旬にやるらしい。俺としては、6月下旬はほぼ7月だし9月中旬はほぼ8月だから大差ないだろ、というのが本音だ。
「全クラス分、テント用意することになったじゃないですか」
「谷口先生が言ってたやつですか」
谷口先生というのは3年生の体育の担当&学年主任をしている先生で、今回の体育祭の責任者的なポジションである。うちの学校の体育祭はクラス対抗で、縦割りでクラス席の位置が決まっている。簡単に言うと、あそこのゾーンは1〜3年生の1組、こっちは1〜3年生からの2組、って感じ。今までは3学年で1つのテントをクラス席からは少し離れた場所に置き、暑さに耐えられなくなったら一時的にそこに行く、という方法だった。が、今年は流石に暑すぎるため1クラス1つのテントで、生徒たちの椅子もそのテントの下に置くことになったのだ。だがしかし……
「テント、借りてこないとですよね……」
「それです」
うちの学校は1学年6クラス、それが3学年あるため全18クラス。それとは別で放送担当の生徒用のテントや救護テント、先生達の待機用テントなどかなりの数のテントが必要になる。そのため、別の学校からも借りる必要がある。貸してくれる学校が2つ決まっているので、あとは体育祭が近くなったら借りに行けばいいだけなのだが……
「遠いですよね」
「ですね」
片方は歩いて30分、車なら10分かかるかかからないかぐらい。もう片方は歩くと35分ちょい、車ならこちらも10分かかるかかからないか、といったところだ。
「暑い中テント持って歩くのは厳しいですし、やっぱ車ですよね」
「てことは、絶対俺必要ですね」
俺は車通勤、福田先生は電車通勤で駅から歩きだ。
「まあ俺の車シート倒せば結構荷物入りますし、構いませんけどね。テント運ぶために誰か手伝って欲しいところではありますけど」
「あ、じゃあ私手伝いましょうか?」
「え、マジすか?」
なんてリアクションをしているが、俺はさっきから心のどこかで福田先生一緒に来てくれないかなーと思っていたので、めちゃくちゃ嬉しい。
「助かります。頑張りましょ」
「ええ。お願いします。今度の会議の時は私から言いますね」
「本当にありがとうございます。その時はよろしくお願いします」
ああ、俺はこの人の、こういう優しいところが本当に好きだ。胸にじわりと温かさが広がり、口角が緩む。
「なんか、本間先生嬉しそうですね」
「手伝ってくれる人早めに決まってよかったなーって思ってただけですよ。ほら、手止まってますよ。プリントの評価つけなくていいんですか?」
「そうでした。じゃあ、一旦集中しましょうか」
そこで会話は終わり、お互い自分の作業に集中し始めた。
---
「………あ、そういえばこの間先生に教えてもらったやり方で夕飯に鍋食べたんですけど、美味しかったです」
10分ほど経ち、俺の方から口を開いた。
「それはよかった。鍋のつゆの味によってどの麺が合うかとか違いあるので、色々試して見ると面白いですよ。どんなつゆでやりましたか?」
「焼きあご出汁?みたいなやつでやりました。まずうどん入れて、次の日の朝雑炊にするって感じで」
「1番シンプルで美味しいやつですね、それ」
うんうんと俺は頷く。朝ごはんに消化の良いものを食べるとお腹が空くのは早いものの胃もたれの心配がないため、胃の弱い俺には結構嬉しい。
「これから週一くらいの頻度で鍋やろうかな」
「いいですね。鍋なら野菜も肉もとれるし、つゆを変えたり具も時々変えれば飽きないですし」
「夏休みとか、お互い空いてる時俺の家で鍋パでもしますか?」
その場のノリでそう聞いてみると、
「いいんですか?ぜひ行かせてください」
と嬉しそうに言ってくれた。
「部活の予定とか出たら日にち決めましょ」
「ですね」
まだ5月だから2ヶ月ほど先の話だが、1つ楽しみができた。気分が上がったおかげか、授業で使うパワーポイントが無事完成した。
ガラスのような貴方 第4話
「じゃ、行きましょうか」
「お願いします」
体育祭予行2日前の放課後。俺は愛車の助手席に福田先生を乗せて、ハンドルを握っていた。
「まずは本崎中、次に木谷中ですね。どちらも2個ずつ貸して下さるそうです」
「本当ありがたいですよね」
予行は明後日、明日は予行準備だから行く暇はない。すなわち、今日行くのがベストなのだ。車内は空調をつけているが、日の光が入ってくるため少々暑い。特に信号待ちの時間。
「今日の給食、美味しかったですね」
無言だと気まずい、なんてことはないが、BGMも何もない車内では会話が弾む。
「ああ、キムチチャーハンですよね。俺、おかわりしちゃいました」
「私、いつもやりとり帳のチェックに時間かかりすぎて食べる時間あんまないんですよね。おかわりする余裕がなかったです」
「それは残念」
やりとり帳の言うのはうちの学校で生徒一人一人に配る手帳×日記みたいなもので、時間割を書いたり一言日記を書いたりして、それを担任に毎朝提出するのだ。と言っても出さないやつも多いが。
「でも、俺の部活の福田先生のクラスの子から聞きましたよ、先生いっつもやりとり帳の日記にすごいコメント書いてくれるって。それをクラスの少なくとも20人以上の分やってるんでしょう?すごいと思いますよ。俺はいつも一言コメント書くだけで終わりですから」
「中学だと担任と生徒の関わりって小学校と比べたら結構少ないじゃないですか。だから生徒に何があったとか共有してもらうの嬉しくて、私あんまり要領良くないんですけど、ついつい色々書いちゃうんですよね」
「いい先生ですよ。福田先生が人気な理由が分かります」
生徒思いで優しくて、話しかけやすい。中学生の目には大人が敵に映ることもあるだろうが、そういう尖ってる生徒も福田先生は敵に見えないだろう。俺もあんまり反抗はされたことないけど。
「そうですか?それは嬉しい」
「でも、先生って職員室じゃあんま喋りませんよね。無口だけど仕事はしっかりしてるって感じ」
「本間先生とは喋りますけどね」
「確かに」
でも他の先生とは日常会話?というか学習関係以外のことを話している様子を見たことがない。俺が見てないだけで話してるかもしれないけど。
「本間先生は話しやすいので」
「んー、そんなのどの先生も同じじゃないですか?」
「いやいや、先生は特別ですよ」
「はい!?」
ちょっと待ってちょっと待って急に何!?特別とは何を根拠にして言ってるんだ!?
「あ、もうすぐじゃないですか?」
「ほんとだ」
ナビを見ると、あと少しで本崎中に到着するようだった。福田先生の発言が気になるが、一旦頭を仕事モードに切り替えた。
---
「無事に借りられましたね」
「やりとりもスムーズでしたね」
無事に2つの学校からテントを借り終え、学校に戻るためにまた車に乗った。
「よし、帰りましょうか。福田先生はもう期末テスト出来てますか?」
「実は、まだなんですよ」
「じゃあ頑張らないとですね」
なんと、今回の期末テストは体育祭のほぼ1週間後にあるのだ。厳密に言うと1週間もないけど。
「本間先生は出来ましたか?」
「1、2年生の分は出来てます」
「あ、そうか3学年分あるんですよね。大変そう」
そう、俺は全学年全クラスの授業を担当しているため3学年分のテストを作らなければならない。ただ、50点満点だしマークシートだから作るのは比較的楽。俺は毎回テストの度に同じ学年の国語担当の先生がに大変そうに問題を作っているのを眺めながら模範解答を作っている。
「あ、先生」
「なんでしょう」
俺は車のルームミラーを見てあることに気づき、信号待ちのタイミングで福田先生の方に手を伸ばす。
「ネクタイ、緩んでましたよ」
「……………ああ、どうも」
俺は先生のネクタイを直し、信号が青になったので走り出した。恥ずかしくて先生の顔は見れなかったが、俺の心臓は自分で音が聞こえそうなほどバクバクしていた。
---
「おかえりなさーい。あ、テントありがとうございます。こっちに置いておいてもらえます?」
学校に着くと、体育の先生たちに迎え入れられてテントを校庭の方まで抱えて運ぶ。
「なんか本間先生も福田先生も顔赤くないですか?熱中症とかなってないですか?水分補給ちゃんとしてくださいね」
俺の顔が赤いのはなんとなくわかっていたが、福田先生も赤くなっていたとは。非常に声をかけづらい。
「あとはこっちでやっておくので大丈夫ですよ。お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
俺と福田先生はほぼ同時に体育の先生たちに頭を下げ、俺は早歩きで職員室へと戻った。
ガラスのような貴方 第5話
「………はあ」
職員室に戻り、俺は思わずため息をついた。
『ネクタイ、緩んでますよ』
そう言って俺のネクタイを直してくれた本間先生の顔が、頭から離れない。鼻が高くて、切れ長な目。ポロシャツから見える、筋肉質だけど色白な腕。
「福田先生、疲れてます?」
頭を抱えて下を向いていると、向かい側のデスクに座っていた美術担当の三井先生から声をかけられた。
「教師は、いつでも疲れてますよ」
「確かに。最近暑いし、先生テント運んできたところだから余計疲れてますよね。無理しないでくださいね」
「ありがとうございます」
本間先生のことが気になるが、まだ期末テストの問題を作り終わっていないため早急に完成させねば。俺は気持ちを切り替えて、パソコンを開いた。
---
日曜日。部活の指導もないため、今日は一日中暇だ。ほぼ毎日外に出ているのでたまには家でゆっくり過ごす時間も悪くはないが、大してすることもない。早起きの癖がついているせいか、気持ちは昼まで寝れそうなのに朝8時に起きてしまった。とりあえず朝ごはんを食べて、スマホを開いて連絡がなにか来ていないかチェックする。
………まあ、何もないよな。
昼ごはんぐらいは外に食べに行ってもいいかな、とは思うが日曜の外、しかも6月中旬なんて暑すぎて面倒臭い。連絡すれば会ってくれる友達もいるが、当日に言うのは如何なものか。と思い悩んでいると、
「ん?」
手に持っていたスマホが震えた。見てみると、本間先生からLINEが来たようだった。
『おはようございます。急なお誘いで申し訳ないのですが、今日のお昼ご飯良ければ一緒にどうですか?暑いですし、住所教えていただければ俺の車で送り迎えします。難しかったらまた別の機会でも大丈夫です。』
なんと、いいタイミングなんだ。俺はすぐさま既読をつけ、返信のメッセージを打ち始めた。
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「おはようございます……じゃないか。こんにちは?には少し早いですよね」
「どっちでもいいんじゃないですか?とりあえず、おはようございます」
「それもそうですね。おはようございます」
12時頃、俺の住むマンションの前まで本間先生が車で来てくれた。
「あ、そういえばどこで食べるか決めてませんでしたね。どうしますか?」
「ファミレスでもいいですし、ショッピングモールのフードコートでも。本間先生は何が食べたいとかあります?」
「うーん……海鮮系かなあ」
「じゃあ回転寿司とか」
この時間に行ったらだいぶ混んでそうだが、値段も高すぎないしいいのではないだろうか。
「いいですね回転寿司。回転寿司行きましょう」
「じゃあ、運転お願いします」
「任せてください」
そう言って本間先生はドヤ顔で親指を立て、車は走り出した。車内には本間先生チョイスのBGMが流れているのだが、俺の知らない曲が多い。
「先生ってどんな音楽聴くんですか?」
走り出して3分ほど経つと、本間先生にそんなことを聞かれた。
「洋楽が多いかもしれないですね。流行りのJ-popはあまり知らないんですよ」
「えっ、じゃあ英語わかるんですか?」
「単語の意味だけ、少しならわかります。文となると全くできませんね」
中学校教師あるあるだが、自分の担当外の教科となると本当に何もわからないのだ。だから今何教科も1日に勉強して、さらにテストもある中学生は凄いなと思う。部活に入っている子も多いし。
「かっこいいですね〜。俺も授業の時横文字の用語とかちょくちょく出てくるんですけど、毎回ちょっと困りますもん」
「それは大変。理科も横文字ありますけど、大体アルファベット1文字とかそのくらいなので楽ですよ」
「いいな〜」
そんなくだらない話をしながら15分ほど経ち、無事寿司屋に着いた。お昼時だからか、やはり結構混んでいる。
「席、せっかくだしテーブル希望にしときます?時間かかるかもしれないですけど」
もちろん予約はしていないので、発券機で番号札を貰わないといけない。誘ったの俺だから、と本間先生はサクサク操作をしてくれる。
「ですね。私今日は何も予定ないので、どれだけ待っても大丈夫ですよ」
「じゃ、テーブル希望にしますね」
番号札を受け取り、待つ人用の席は埋まっていたので立って呼ばれるのを待つ。教師は授業中ずっと立っているので、このくらいの待ち時間は余裕だ。
「福田先生の好きな寿司ネタってなんですか?」
「あの、ちょっといいですか」
待ち時間、会話に花を咲かせようとしていた本間先生を遮って、俺は口を開いた。
「あ、はい。なんでしょう?」
「その……外で、先生って呼ぶのやめません?」
「えっ?」
なんでそんな事を、と言いたげな顔をする本間先生。年齢的には立派な大人だけど、今の顔はずいぶん子供っぽい。俺より年下だし。
「休日ぐらい、仕事のこと忘れたいじゃないですか」
なんてことを言っているが、本当はもっと近い距離で話したいだけだ。
「じゃあなんて呼んだらいいんだろう……福田さん?」
「どうせなら下の名前で」
「えーっと……真也、さん」
少し照れながらそう呼ばれ、自分の心臓がキュゥゥンとなるのを感じる。
「ありがとうございます。拓巳さん」
「うわ、なんか恥ずかし……」
拓巳さんがそう言って下を向いたところで、俺たちの番号が呼ばれた。
「呼ばれましたよ。行きましょう」
「あ、はい」
俺たちは恥ずかしさを振り切るように早歩きで、機械に教えられた席まで向かった。
---
「美味しかったですね」
「俺寿司食べるの超久々だったから、余計美味く感じました」
1時間半ほど寿司を食べ、割り勘で会計して店を出た。そして今は本間先生の車に乗り、俺のマンションへ向かっている。
「また、誘ってもいいですか?」
音楽を流しながら走っていると、拓巳さんがそんなことを聞いてきた。
「もちろん。今度は私から誘いますよ」
「本当ですか?楽しみにしてます」
楽しい時間ほどあっという間に過ぎるもので、あっという間に俺の家へ着いた。
「じゃあ、また明日学校で会いましょう」
「ええ。今日は丁寧に送り迎えまでありがとうございました」
「いえいえ。学校では、先生呼びでいいですか?」
少し恥ずかしそうに目を逸らして、拓巳さんがそう言う。なんだろう、すごい可愛い。
「いいですよ。名前で呼ぶのは2人きりの時だけで」
「ありがとうございます。では」
本間先生を見送り、自分の住む部屋へと戻る。寄り道は特にしていないのでまだ3時頃だが、今から明日が楽しみになった。
ガラスのような貴方 第6話
「さよならー!」
「気をつけて帰れよ〜」
体育祭もテストも終わり、生徒たちの気が抜けまくっている7月の金曜。梅雨なのに全然雨降らなかったな、と思っていたら今日は大雨が降り、生徒たちは4時間目まで授業を受けたあと給食を食べて下校することになった。
「帰ったらゲームしようぜ!」
「いいよ!電話しながらやる?」
「ナイスアイデアじゃん。よし、早く帰ろ」
なんて言葉が廊下から聞こえてきて、少し羨ましい。俺も帰ってゲームしたい。発売日に買ったゲームソフトも、登録だけして全然進められていない。そんな俺は、いつも車で来ているのに今日という日に限って電車と歩きで来てしまった。2週間に1回とか、そのぐらいのペースでたまに歩いて行く日を設けているが、まさかそれがこんな大雨の日に被ってしまうとは。ひとまず自分が担任を務める教室の戸締まりをし、職員室へ向かう。
「いやー、生徒たち嬉々として帰っていきましたね」
「放送流れた時の喜びよう、すごかったですもん」
教師としては喜んで帰られるのは少し寂しいが、自分の学生時代を思い出すと早帰りの日はだいぶテンションが高かったし同じようなものか、という感じだ。それより、今日は何時頃帰ろうか。まだ2時にもなってないし、テストの丸つけがまだ終わってないからひとまずそれを最優先にしなければならない。職員室だと他の先生の会話が気になって聞き耳を立ててしまうし、木工室に行ってもいいけど広い部屋で一人というのもだいぶ落ち着かない。準備室に行けば、福田先生に会えるだろうか。俺はそう思い、パソコンなどを持ち席を立つ。
「あれ、本間先生どこ行くんですか?」
「気分転換に木工室で仕事してきます」
「なるほど」
流石に、福田先生に会いたいから準備室行ってきますとは言えない。俺はニヤけそうになる表情筋をなんとかコントロールしながら、職員室を出た。
---
「あ、やっぱりここにいた」
「おや、こんにちは」
予想通り、福田先生は準備室にいた。先生も丸つけをしていたのか、生徒の答案が入った封筒や模範解答が机の上に散らばっている。
「本間先生は、ここで作業しに来たんですか?」
「ええ。大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。ちょっと散らかってますが。こっちの机空いてるのでどうぞ」
「ありがとうございます。お邪魔します」
お互い集中して作業しており、しばらくの間準備室の中は雨音とパソコンのタイピング音だけが響く。いつもの放課後なら聞こえる吹奏楽部の演奏も、グラウンドからの掛け声も、今日は聞こえない。ちなみに俺は今、2年生の分のテストの丸つけ中だ。2年ほど前、当時の1年生のテストで模範解答を間違えて生徒たちの本来は合っている回答が間違い判定になってしまったことがあるため、それ以降模範解答を作る時は一日に三回ぐらいはチェックするようにしている。その当時の1年生も今は3年生というのが、時の流れが早すぎて恐ろしい。福田先生は昨年度からうちの学校に来たので、今の3年生が1年生だったところを知らないんだよな。まあ俺はその時3年生の担任をしていたから、俺もよく知らないけど。
「こんな静かな学校、珍しいですね」
20分ほど経ち、俺の方から口を開いた。
「生徒たちがいないと、別の場所みたいですよね」
「自分から来たからこんなこと言うのもあれですけど、なんか2人っきりってのも落ち着かないですね」
「…………私は、別にこういう時間も好きですよ。非日常って感じで」
「………え?」
福田先生にそう言われ、段々と顔が熱くなるのを感じる。顔どころか、耳まで熱くなってきた。色んなプリントやテキストが積まれているせいで先生の顔がよく見えないが、つまり俺の顔も見られていないということか。少しそれに安心しながら、俺は仕事を続けた。
---
俺が準備室に来てから1時間と少し。先生も俺もようやく一息つけたので、2人とも立って大きく伸びをする。雨はまた少し強まり、雷の音がたまに聞こえる。
「疲れましたね。外だいぶ暗いのに、まだ2時半ってなんか変な感じ」
「ですね。今は夏ですし、日も長いはずなんですけどね」
「理科教師っぽいこと言ってますね」
「このくらいは本間先生も知ってるでしょう?」
どうでもいい会話をしつつ休憩していると、緩んだ空気を引き裂くように窓の外が強く光った。
次の瞬間、腹の底に響くような大きな雷鳴が轟いた。
「……っ!」
驚いた俺の心臓が大きく跳ね、近くにいた福田先生の腕を思わず掴む。反射的に体が動いたが、理性が追いついてきて慌てて離す。いや、離そうとした。俺の手首はいつの間にか福田先生の手に包まれており、じんわりと温かさが伝わってくる。
「怖いんですか?」
低い声が、雨音と雷鳴の中に紛れて俺の耳に届く。
「別にっ……ちょっと驚いただけですよ」
そんなことより、心臓のバクバクが手首から先生に伝わってしまうんじゃないかと俺は気が気じゃない。
「本間先生がそんな顔をするのは珍しいですね」
「からかわないでもらっていいですか………」
雷で驚くような子供っぽい面を見せてしまった恥ずかしさと、すぐ近くに福田先生の顔があるドキドキと、手首を優しく包まれている少しの喜びがないまぜになり、もう本当に感情がジェットコースターだ。しばらくお互い黙り込んでいると、福田先生はゆっくりと手を下ろして俺の手首から手を離し、今度は俺の手を優しく握ってきた。
また雷鳴が響き渡り、体に力が入る。先生はそんな俺の背中をゆっくりと撫で、手を握りしめて落ち着かせてくれる。
「………ありがとうございます」
「いえいえ。嫌じゃないですか?」
「全然、嫌じゃないです」
「なら良かった」
それからまた、準備室の中には沈黙が流れた。生徒がいない校舎は静かで、廊下を通る先生もいない。2人だけの小さな世界にいるようで、雷に驚いて強ばった体が少しずつほぐれていく。いつまでもこの時間が続けばいい。俺は心の片隅で、そう思った。
ガラスのような貴方 第7話
「福田先生と本間先生、最近よく一緒にいますよね」
一学期の終わりが近づいてきた7月中旬の放課後、職員会議のあと社会の野口先生にそう言われた。
「そうですか?」
「まあ、仲は良いですよね」
福田先生は軽く笑って受け流し、俺は否定はしないけど多くは語らないスタイルを貫く。野口先生はイケメンな顔に不思議そうな表情を浮かべて、とりあえず俺部活の指導行ってきます、と校庭に出て行った。チラリと福田先生の方を見ると、どことなく顔が暗い気がする。
「どうかしましたか?」
「……いえ、何も。私も部活の指導に行かなくてはならないので、失礼します」
「あ、はい。いってらっしゃい」
俺は福田先生にかけられるような言葉が見つからず、少し放心状態で見送った。
「仲良いって言ってましたけど、実は喧嘩とかしてます?」
そんな俺たちの様子を見て、英語の若松先生がそう聞いてくる。
「いや、別に。そもそも、先生同士で喧嘩とかあんましなくないですか?」
「意外とそんなこともないですよ。私も若い頃意見の合わない先生と軽く言い合いする、とかあったし」
「経験の違いがここで表に出ましたね」
若松先生は40代後半の女性教師で、提出物や授業態度に厳しく生徒達にも毅然とした態度で接している。でも授業はわかりやすいと生徒には好評だし、別の先生が作ったテストが難しすぎて平均点が異常に低かった時は次のテストで難易度をしっかり調整していたり、マジでちゃんと仕事ができる先生だ。
「文科省からの基準でこの学習は年何時間で、こんなことをやりなさいっていうのはあるけど、どうやるかは先生の自由みたいなとこありますからね。同じ教科でも、やり方が違えば多少なりとも対立はしますよ」
「俺の場合はありえないやつですね。技術担当なの俺だけだし」
「それはそうかも」
ただ通知表に載る時は「技術家庭科」とまとめられているし、テストも技術50点満点、家庭科50点満点でやるから家庭科の先生との協力は不可欠だ。うちの学校の家庭科の先生は荒川先生という若松先生も年上のベテランな女性の先生で、優しくて授業も面白いので生徒から結構愛されている。
「モヤモヤしてると仕事にも支障出ますし、なんかあったなら早めに解決した方がいいですよ」
「だからなんも無いですって」
「本間先生からしたらそうかもしれないけど、福田先生からしたら大したことだった、ってこともありえなくはないですからね。対話は大事ですよ」
「………はい」
若松先生の言い方はやけに圧があり、言葉にも重みがあった。
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「お疲れ様でーす……」
「こんにちは」
翌日の放課後、俺は自販機で買ったコーヒーを片手に準備室を訪れた。若松先生から言われたことが気にかかったのと、今日は朝の挨拶ぐらいでしか会話してないから話したくて来てみた。福田先生は椅子に座り腕を組んで、何かを考え込んでいる様子だった。
「これ、どうぞ」
「ああ、どうも」
缶のアイスコーヒーを差し出すと、福田先生はその場で蓋を開けて一口だけ飲んだ。
「俺の気のせいだったら別にいいんですけど、なんか今日よそよそしくないですか?」
機嫌が悪そうというか、少し怖い顔をしていたがどうしても気になったので思い切って俺は口を開いた。
「そんなことはないですよ。ただ……」
「ただ?」
俺は少し身を乗り出して聞く。
「ただ……いや、なんでもないです。気のせいですよ」
先生はそう冷たく言うと、黙り込んでしまった。
「いや絶対なんかありますよね」
「いえ、大したことではないんですけど……最近、職員室で色々聞かれるじゃないですか」
しつこく聞くと、福田先生は仕方ねえなといった様子で一度ため息をついてから話し始めた。
「ああ……昨日のことですか。仲良いのは本当ですし、別にいいんじゃないですか?」
「そうかもしれませんが……私は、職場では節度を保って行動したいなと思いまして」
突き放すように言われ、心に少しヒビが入ったような感覚になる。
「…………俺、先生に迷惑かけてましたか?」
平然と言ったつもりだったが、情けないことに声が震える。
「そういう意味ではなくて……」
「じゃあどういう意味ですか?」
はっきり言わない福田先生に少しイライラし、俺は畳み掛けるように聞く。福田先生の口が何かを言おうとして動き、何も言わずに閉じる。
「わかりました。これからは気をつけます」
とにかくこの場にいるのが辛くて、俺はそう言って準備室を出た。
---
「かんぱ〜い」
「うえ〜い」
その日の夜、俺の二個下の弟である|拓斗《たくと》が俺の家に遊びに来た。と言っても平日なので二人とも飲んでるのはコーラだ。お互い社会人になり離れて暮らしているが、月に1、2回はこうして会っている。前回は俺が飯を作ったので、今回は拓斗が作る、という感じで交互に夕飯を作ってテレビを見ながら食べるのが時々の楽しみなのである。
「兄ちゃん、今日なんか元気ないね。仕事でミスとかした?」
「別に」
「|恋煩《こいわずら》いか?」
「えっ」
拓斗がそんなことを言い、図星を刺されて驚き拓斗の方を見る。
「当たったっぽいね。こないだLINEで、ちょっといい感じの人がいるって言ってたけどその人となんかあったの?」
「まあ、うん。そんな感じ」
俺は自分がゲイであることを家族にしか言っておらず、一番最初に言ったのが拓斗なのだ。「へえ、いいじゃん」と特に深堀するでも否定するでもなく受け入れてくれて、両親にカミングアウトした時も「兄ちゃんが誰を好きになろうが兄ちゃんと勝手だし、父さんも母さんもそこんとこは受け入れてあげようよ」と言って少し重たくなった空気を和らげてくれた。
「同僚?」
「うーん、職場は同じだけど、年上」
「いくつ?」
俺は少し前に福田先生から聞いた年齢を思い出し、口を開く。
「俺の8個上」
「まあまあ上だね。てことは……俺いま27でしょ、んで兄ちゃん俺の2個上だから29でしょ。でその8個上だから、37?」
「うん」
「なんの教科の先生?どんな人?」
拓斗は飯を食べるのもそこそこに、質問攻めにしてくる。
「理科の先生で、年上っていうのもあって大人っぽい人…かな」
「身長は?」
「俺と同じぐらい。ぱっと見は」
「ほうほう」
どんどん拓斗の顔のニヤニヤが深くなり、まだ食べ終わってないのに箸を置いて話を聞く体勢に入っている。
「とりあえずお前飯食えよ」
「気になるんだもん、兄ちゃんの恋愛。そもそも、好きな人できるの何年ぶりよ?」
「大学の時以来だから、6年ぶりとかそのぐらいじゃない?」
改めて思い返してみると、俺全然恋してなかったんだな。教師は恋する暇がない、っていうのもあるけど。
「で、その先生と何があったか聞かせてもらおうじゃないか」
「いいけど、飯食い終わってからな」
「えー。まあ、早く話聞きたいからさっさと食べるか」
---
「ほえー」
「リアクションうっすいなお前」
夕飯を食べ終わり、デザートにアイスを食べながら今日の先生とのやりとりを話した。それだけで済めばよかったのだが、なんでそんなことを言われたのかきっかけに心当たりはないかと言われたので一緒に寿司屋に行ったことや準備室で手を繋いだことなどを話してしまった。超恥ずかしい。
「がつがつ行き過ぎたんじゃない?」
「俺はそんなつもりなかったけどな……」
「でも話聞いてる感じだと、その先生も絶対兄ちゃんのこと好きだよね」
「えっ、そう?」
意外だなと思ってそう返すと、拓斗はおい嘘だろと言いたげな顔をして口を開いた。
「だって、中高生ならまだしも社会人の男ってそもそも同性とのボディータッチあんましないでしょ。しかも好きじゃない人と手繋ぐとかありえないよ。その先生がゲイだったら、兄ちゃんのこと好きなのマジで確定だと思う。断言できるよ俺」
「何を根拠に言ってるんだか」
「その先生、いい人そうじゃん。生徒から人気で、ほかの先生からの信頼も厚くて大人で優しい。兄ちゃんのセクシャリティは世の中的に見たら、特に日本国内で考えたらマイナーなものだし、同じような人とはなかなか出会わないでしょ?そんな中で自分が好きでたまらなくて、自分のことを好いてくれてるかもしれない人と出会えてる。これ、本当に幸せなことだと思う。絶対逃がしたらダメだよ」
今まで見たことないくらいの熱量で、拓斗が語りかけてくる。
「そんな些細なことでその人に壁作っちゃうのは、もったいないよ。いつでもいい、ただ1学期が終わる前にはちゃんと話しな」
「………お前、なんか今日かっこいいな。どうした?」
「別に。兄ちゃんに幸せになって欲しいだけだよ」
言いたいことだけ言ってアイスを頬張る拓斗がやけに愛おしくなり、拓斗がスプーンを置いたところで思いっきり脇をくすぐった。
「いや、何急にw くすぐったいって兄ちゃん!」
「感謝の気持ちを込めたこちょこちょだよ。なんか元気出たわ。ありがとう」
「どういたしまして。だからそれやめて!」
明日、絶対福田先生に話しかけよう。俺はそう決めてその日は眠りについた。
ガラスのような貴方 第8話
決意した翌日、早速福田先生に話しかけようとした……が、距離感に気をつけると言ったのは自分なのに話しかけるのはどうなんだと思い、話しかけることが出来なかった。それからは、成績をつけたり通知表をまとめたり学期末あるあるの仕事に忙殺され、気づいたら終業式の日を迎えていた。わざわざ再登校してから部活があるため絶望した顔で帰る生徒や、通知表が良くてウキウキな生徒たちを見送り、とりあえず技術教師としての1学期は終わった。そう、「技術教師としては」。今月末には担当する剣道部の女子団体の県大会があるためその指導もあるし、県大会当日の動きを確認してプリントにまとめて生徒に配布しなければならない。夏休みに入ろうが、少なくとも7月中は休めない。それからも普段より頻度は減らしたが部活は普通にあるし、予定表を作った俺が言うのもなんだがめっちゃ休みたい。あとは、毎年の夏休み恒例、三者面談。
「終わりましたね、1学期」
「結構あっという間でしたね」
教室の戸締まりを終えてから職員室に戻ると、先生たちが談笑しながら各々で弁当を食べていた。ただでさえ早起きなのに弁当を作るとなるともっと早起きになるため、学期末はこういうところが面倒くさい。
「本間先生、律儀に毎日お弁当作っててすごいですね」
ひとりで黙々と食べていると、美術の三井先生に声をかけられた。
「一回コンビニ飯とかにしたらずっとそんな感じになっちゃいそうだし。ていうか、三井先生は旦那さんが作ってくれてるでしょ」
「まあね」
そう言って結婚指輪のはめられた左手を振る三井先生の顔には、幸せそうな笑みが浮かんでいる。俺もいつか、こんな笑顔で好きな人と一緒にいられるようになるんだろうか。弁当を食べる手が止まり、ふと考え込む。
「どうしました?」
「何でもないです。お幸せに」
「ありがとうございまーす」
そこで会話が終わり、俺は弁当を食べることに集中する。今はまだ11時半。1時になったら生徒たちがまた投稿してくるから3時半か4時ぐらいまで部活…だけど暑いから休憩多めに。大会の手続き系はほとんど済んだし、もう夏休みに入るから残業してやるような仕事もないから5時には退勤。うん、退勤したら福田先生に声かけよう。そう考えながら弁当を食べ終わり片付けていると、ズボンのポケットに突っ込んでいたスマホが震える。メッセージの通知が来たらしい。取り出して確認すると、
「……えっ」
送り主を見て、思わず声が漏れる。慌てて口元を抑えてトーク画面を開き、内容を確認する。
『今日、よければ夜飲みに行きませんか』
嘘だろ、とまた口が動きそうになり、一旦深呼吸して落ち着く。
『俺、5時に退勤する予定なんですが先生は何時頃退勤する予定ですか?』
と打ち込み、送信する。すぐに既読がつき、返信が来た。
『5時半頃です』
『わかりました。俺、一回家帰って車置いてから行きます。店、どこがいいとかありますか?』
飲みに行く=酒を飲むということなので、車では行けない。そう思いつつ返すと、どこかの居酒屋のホームページが送られてくる。
『ここでお願いします』
『了解です。そこの最寄り駅に6時頃集合で大丈夫ですか?』
『大丈夫です。ではまた』
その返信にグッドの絵文字のリアクションをして、スマホを閉じる。よし、これであっちい剣道場の中での練習も耐えられそうだ。
---
「あ、先生」
「すみません、遅れてしまって。この駅いつも使わないので」
「いえいえ。わざわざありがとうございます」
夕方。一度家に帰ってシャワーを浴び、乗り換えで少し迷いつつ電車に乗って福田先生から指定された居酒屋の最寄り駅まで来た。改札を出ると、先生がこっちに向かって手を振ってくれた。
「行きましょうか」
「はい」
一応普通に話せてはいるが、やっぱりどこかぎこちない。気がする。福田先生に着いて行き5分ほど経つと、おしゃれな提灯がかかった木目調の看板の居酒屋に到着した。
「ここ、全室個室なんですよ。雰囲気も落ち着いててお店の中も割と静かなので、好きなんですよね」
「そうなんですね」
緊張のせいか、声が硬くなってしまう。店に入ると、暖色系の照明がついていて柔らかい光で店内が満たされていて、どの個室の入り口も少しずつデザインが違って、まあなんというか、とりあえずおしゃれだった。
「何名様ですか?」
「二人です」
「承知致しました。こちらのお席にどうぞ」
品のいい感じの若い女性の店員さんに案内され、個室に入る。椅子も座り心地が良い。
「おしぼりとお冷になります。お品書きはこちらに、注文はテーブルの上のタブレットからお願いします。お箸などはここが引き出しになっていますので、そちらから取り出してください。ごゆっくりどうぞ」
店員さんが説明を終えて行ってしまうと、俺たちの間には沈黙が流れた。
「とりあえず、なんか頼みましょうか」
「ですね」
微妙に気まずい空気の中メニューを開き、目を通す。
「俺はとりあえず、レモンサワーかな」
「私はハイボールにします。注文、やりますよ」
「ありがとうございます」
何を食べるかも一旦福田先生に任せ、注文をしてもらう。頼んだものが来るまでの間、また何を話したらいいのかわからなくなる。が、勇気を出して俺から口を開いた。
「あの」
「なんでしょう」
「どうして、今日誘ってくれたんですか?」
俺はまず、一番気になっていたことを聞いた。福田先生の目線が少し下に下がり、静かなトーンで話し出す。
「しっかり、話をしたいなと思いまして。先日はすみません、突き放すような言い方をしてしまって。傷つけて、しまいましたよね」
突然そう頭を下げられ、俺は面食らう。
「いや、別に。ていうかこちらこそすみません。ちゃんと先生の話も聞かずに出て行って、俺が子供でした」
「いえ、私が悪いんです。人の目を気にして、結局あれから今日まで話しかけることもできなくて」
「でも先生は悪くな——」
「お待たせしました。レモンサワー、ハイボール、冷やしトマトとピリ辛きゅうりです」
堂々巡り、というところで店員さんがお酒や食べ物を運んできてくれた。ひとまず乾杯し、深呼吸して落ち着く。
「こういうのは、言い始めたらキリがありません。お互い謝って、それでもうこの話は終わりにしましょう。ごめんなさい」
「ごめんなさい」
落ち着いたところで、俺から謝り合いを終わらせた。
「実は、謝りたかったっていうのもあるんですけど、もう一つ本間先生に話しておきたかったことがあって」
「あ、はい。なんですか?」
「私の昔の話と、私自身について」
レモンサワーを飲もうとジョッキを持った手が、止まった。
ガラスのような貴方 第9話
「先生自身について……?」
「はい。まず、少し昔の話からしますね。私、大学生の時とある女性とお付き合いしていたんです」
えっ。声には出さなかったものの、俺はとても驚く。
「その人から告白されて、数ヶ月が経って、私はその人のことを恋愛的に好きではないということに気づいたんです。人としては、素敵な人だと思いましたよ。授業も休まず出て、課題もしっかりやって、社交的で就職の内定も私が知る中では誰よりも早く取っていましたし周りからの人望も厚くて。でもどうしても、心の底から好きだ、とか女性として魅力的だ、と思えなくて。そこで、私は本当は男性が好きなんだなとわかりました」
開いた口が塞がらない。福田先生も、ゲイだったなんて。
「そのまま付き合い続けるのは彼女に申し訳なくて、別れを告げました。当然、理由を聞かれて、私は正直に告白しました。まあ、カミングアウトってやつですね。そしたら、」
先生の顔が、悲しそうに、少し苦しそうに歪む。
「気持ち悪い、って言われました。まあ、当然ですよね。15年以上前なので今より偏見も多かったし。受け入れてもらえるかもしれない、わかってもらえるかもしれないなんて思ってた私が馬鹿だったんです」
今にも泣きそうな声で自嘲的に話し続ける福田先生に、俺は胸が痛くなる。
「それからは、もう誰にもこの話はしないと決めました。また、拒絶されてしまうかもしれないと思って、怖くて」
俺は我慢できずに、先生の手を思い切り握った。
「気持ち悪いなんて、思いません。拒絶なんて、しません。誰にも話さないと決めていたことなのに、俺に話してくれてありがとうございます。そのくらい、俺のことを信頼してくれているんだなと思いましたよ。むしろ、嬉しいです」
俺がそう言うと、先生の目から涙がこぼれる。
「ごめんなさい……そんなことを言ってもらえるとは、思わなくて…」
「いいんですよ。今まで我慢してた分が出てきただけです。ほら、涙拭いて」
「ありがとうございます…」
先生にホカホカのおしぼりを差し出して、涙を拭いてもらう。息を整えて、水を一口飲むと先生は落ち着いた。
「俺も、そうなんですよ」
「えっ?」
「先生と同じで、ゲイなんです」
今なら言えるかもしれない。先生になら、言ってもいいかもしれない。俺はそう思って口を開いた。
「幼稚園から、小学校中学校と、誰かに恋心を抱いたことが全然なかったんです。不思議だなーと思ってたんですけど、高校で男子校に言ってから、人生で初めて好きな人ができました。剣道部の先輩で、優しくてかっこよかったんです。ちょっとしくじって一浪して大学入ったら偶然再会して、でもその先輩には彼女がいて。それを見てすぐに諦めたんですけど、その先輩も俺も卒業してから高校時代の部活のメンバーで集まった時に結婚したって聞いて。俺、ゲイってだけで好きな人と結ばれることも叶わないんだって若干絶望したんですよ。………なんか、面白くもない話を長々としちゃってすみません」
話していてだんだんと申し訳なくなり、適当なところで話すのをやめてレモンサワーを思い切り飲む。
「いえ、お気になさらず。きっと、ずっと誰かに話を聞いて欲しかったんじゃないでしょうか。その相手が私だなんて、まあ私は幸せ者ですね」
「……そっか。俺、話聞いて欲しかったのか」
今まで家族にしか話したことなくて、他の人の前ではそんなことを隠して生きてきて。それに慣れていたけど、もう自分のことを隠すのに疲れていたのかもしれない。
「これは、お互いの秘密ってことにしましょう」
「ですね」
「じゃあ、お腹空いたし食べましょう。まだ6時すぎですし、夜は長いですよ」
「そんなに飲む気なんですか!?」
---
「美味しかったですね〜。初めてのお店でしたけど、また来たいです」
「よかったです。よければ、また一緒に来てくれますか?」
「ぜひ!」
行く時の重い空気とは打って変わって、お腹いっぱいでいい空気で店を出た。
「夏休み、お互い時間にも心にも余裕ができたらまたどっか行きましょ」
「はい。楽しみですね」
上機嫌で歩いていると、福田先生が足を止めた。数歩先まで言った俺も立ち止まり、先生の方に顔を向けるとしっかりと目が合う。
「……少し、お時間をいただいてもいいですか?」
真剣な声音に、俺の心臓が大きく跳ねる。
「いいですけど、どうしました?」
俺がそう返すと、福田先生は大きく深呼吸して口を開く。
「私は、貴方に救われました。私自身のことを受け入れてくださって、感謝してもしきれません。自分の心にも、貴方にも嘘をつくのはもうやめます。私は貴方のことを心から愛しています。どうか、これからの人生は私の傍にいてくれませんか」
少し震えた声で、けれどまっすぐしっかりと、気持ちを伝えられた。こんなまっすぐな気持ちに、俺は答えないわけにはいかない。もちろん、答えはもう決まっている。
「……やっと、言いましたか」
「え?」
「先生が俺のこと好きなことぐらい、わかってましたよ。でも……先生の口からそう聞けて、めっちゃくちゃ嬉しいです。これから、よろしくお願いします」
俺はこんな時にも素直になれなくて、少し強がった言い方になってしまった。でもそんなことは気にしていないようで、いつのまにか俺は福田先生の腕の中にいた。
「ありがとうございます……本当に」
「先生、力強いっすよ…」
「あっ、ごめんなさい」
そう言って慌てて体を離す福田先生の手を、俺はしっかりと握る。
「二人きりの時は、先生って呼ぶのやめましょ。……真也さん」
「はい!拓巳、さん?」
「あの時名前で呼ぼうって言ったのそっちなのに、なんでそんな照れてるんですかw」
「いやなんか、改めて考えると若干恥ずかしくて……」
あー、なんか凄い可愛く見える。これが愛か。いや、恋か?
「じゃあ、私は路線こっちなので」
「俺こっちなんで。多分次会うのは学校で、ですね」
「ですね。ではまた」
駅に着いてからは路線が違うため改札を通ってさよならの挨拶をする。ニヤニヤしそうになるたのを何とかこらえ、俺はその日帰路についた。
ガラスのような貴方 第10話
「おはようございます」
「おはようございます。……本間先生、なんかいいことありましたか?」
「えっ?」
福田先生と恋人になった翌日、部活のために学校に行くと共に剣道部の指導をしている中井先生にそんなことを聞かれた。
「あったと言えばあったような」
「やっぱり。なんか、纏ってる空気が明るいですよ」
「今までが暗かったってことですか!?」
別にそんなつもりはなかったんだけどな。
「ほら、どうしても学期末って忙しくて先生たちもピリピリするじゃないですか。本間先生はそれとは別で、なんか口数少なかったし。機嫌悪いとかじゃなくて、落ち込んでる感じ?」
「ああ、なるほど」
確かにそれは合っている。福田先生と話すことができなくて、テンションはだいぶ下がっていたから。
「元気出たなら良かったです。先生がテンション低いと、声掛けづらいですし」
「………そうだったんですか?」
「そりゃそうですよ。じゃあ私、先に剣道場行ってますね〜」
俺より早く来ていた中井先生を見送り、俺も早く行かねばと準備をする。暑い中指導をするのはしんどいが、防具をつけて面を被る生徒だって暑い。そもそもみんな歩いて来ているから空調の効いた車に乗って来ている俺より大変な思いをしているのだから、俺が弱音や愚痴を吐く訳にはいかない。よし、頑張ろう。
---
「……やべえ」
県大会も終わり、しばらく部活の指導もない日。俺はベッドの中で独り言をこぼした。連日の猛暑の中での部活、残業、不規則な生活習慣…などあれこれが重なり熱が出た。急ぎの仕事は気合いで終わらせたため学校に行く必要はないが、一人暮らしにとって体調不良は天敵だ。スポーツドリンクを常備している訳でもないし、冷えピタも薬もない。何せ最後に体調を崩したのが1年半ほど前なため、完全に油断していた。体温計には『38.3℃』と表示されていて、平熱が高い俺からしたら高熱の域には入らないが、いかんせん体がしんどい。足に力が入らない感覚とか、頭が痛い訳じゃないけどなんか重たい感じとか、体調不良の時のあるある要素が出ている。
『おはようございます。今、何してますか?』
どうしようか悩んでいたところに、福田先生からメッセージが送られてきた。これは助けを求めるべき……か?いやでも、先生がいま仕事中な可能性もあるし。数分間考え込み、
『家にいます。ちょっとだけ熱出ました』
と送った。ここはもう素直に頼った方がいい。
『わかりました。私今日暇なので今から行きますね』
「えっ!?」
今から?いや、来てくれるのは嬉しいが、流石に急すぎる。というのも部屋が荒れているためだ。疲れていて片付けを後回しにし続けた結果、色んなものが床に散らばっている。そこまで酷くはないが、一歩間違えたらコケそうな感じだ。福田先生が来る前にできる限り片付けよう。放り出されていたカバンはクローゼットに。畳むだけ畳んでしまっていなかった洗濯物もしっかり収納。という感じでダルい体を動かして何とかまともに歩けそうな部屋にする。片付け始めてから30分ほど経ったところで、インターホンが鳴った。
「あ、はーい!」
慌てて玄関まで行き、扉を開ける。そこには、いつもよりラフな格好でレジ袋を提げた福田先生が立っていた。
「すみません、わざわざ来てもらっちゃって」
「いいんですよ。私が来たくて来たんですから。冷蔵庫、開けても大丈夫ですか?買ってきた物しまいたいので」
「全然大丈夫です!元気になったらその分お金払います」
「いえいえ、気にしないでください。これも、私が好きでやってることです。とりあえず、横になったらいかがですか?」
物理的に背中を押され、俺はとりあえずベッドに転がる。
「本当、何から何まですみません」
「いいんですよ。今までたくさん無理してたんですから、こういう時は甘えていいんです」
先生はそう言って俺の頭を撫でてくれて、急に気が抜けた感じがした。
「とりあえず、水分補給しましょうか。どうぞ」
蓋を緩めたスポーツドリンクを差し出され、俺は一口飲む。急速に体全体に水分が行き渡ったようで、少しダルさがマシになった。気がする。
「これから何しますか?一旦寝ます?」
「寝た方がいいんでしょうけど、あんまり寝る気になれないし眠くないんですよね」
「食欲は?」
「全然ないです」
お腹が空いてないのもあるし、何か食べたいという気持ちもない。
「じゃあ、眠くなるまで少し話しますか?」
「いいんですか?」
「無理に寝ようとしたら尚更寝れないですもんね。好きなだけ付き合います」
付き合う、という言葉に少しドキッとする。いや、俺たちもう付き合ってるし。恋人だし。何どきどきしてるんだ。俺が勝手にドキドキしている間に、先生が俺のベッドの端に腰を下ろす。
「……先生って、俺のどこが好きで告白してくれたんですか?」
聞くのは恥ずかしいが、思い切って聞いてみると俺の口元に先生の人差し指が当てられ、
「二人きりの時は、下の名前で」
と言われた。なんだそのかっこいい仕草は。なんだか、余計に熱が上がった気がする。
「真也さんは、俺のどこが好きで告白してくれたんですか?」
「明確に、ここがっていうのは無いですね。でも、私が異動してきてすぐに気さくに話しかけてくれて、嬉しかったんですよ。それ以降、もう少しこの人のことを知りたいなって思って。異動してきて1年間はあんまり話せなかったけど、今年入ってから急に仲良くなれたからワンチャン両思いかな〜とか思いましたよ。正直」
ワンチャン、とかそういう言葉を使う真也さんが珍しくて俺は思わず笑ってしまう。
「逆に、拓巳さんは私のどこが好きだったんですか?」
「俺もはっきりとした理由は無いんですけどね。異動してきてちょっと経ってからずっと気になってて。紳士的で優しくて、とにかく真也さんと話したいとか思って準備室まで行ったりしたんです。なんか、思春期の中学生みたいで恥ずかしいんですけどね」
「普段中学生の相手してる人が何言ってるんですか」
「確かに」
俺がそう呟くと目が合い、2人して笑った。ただやはり体の中に熱がこもっている感覚があり、頭が少しぼんやりしている。
「少し、しんどそうですね。冷えピタ貼りましょうか」
「ああ、ありがとうございます」
真也さんは俺の前髪を上げ、手際良く冷えピタを貼ってくれる。
「今の顔、撫でられて喜ぶ犬みたいでしたよ」
「だって、気持ちよかったし」
からかわれたので少し拗ねてみると、真也さんは笑って頭を撫でてくれた。
「こういう時、やっぱ俺って年下なんだなーって思います」
「普段の拓巳さんは大人っぽいですからね。さっきも言いましたけど、こういう時は甘えていいんですよ」
優しい言い方に少し涙が出そうになり、俺は慌てて掛け布団で顔まで覆った。
「大丈夫ですか?」
「ごめんなさい、なんか、嬉しくて……」
「顔を見せてください。泣きたい時は泣いていいし、辛い時は頼っていいんですよ。私達、恋人なんですから」
俺がそっと顔を出すと、こないだのように勢い良くではなく、優しく抱きしめられた。
「なんか、眠くなってきました……」
「じゃあ、一旦寝ましょうか。私はずっとここにいるので、安心して寝ていいですよ」
そう言うと真也さんは、俺の手を優しく握ってくれた。
「ありがとうございます。おやすみなさい」
「おやすみなさい」