Willkommen in 混乱的城市
編集者:Ameri.zip
ひょんなことから謎の男シイ・シュウリンに連れられ、異世界へとやってきた高校生、落安零。転移先での仕事は、まさかの殺し屋で…?!
余多の事件に巻き込まれながら、彼は無事この異界の地で生き残ることができるのか…?!!
続きを読む
名前変換設定
この小説には名前変換が設定されています。以下の単語を変換することができます。空白の場合は変換されません。入力した単語はブラウザに保存され次回から選択できるようになります
1 /
目次
第2話「新居は同居人付き」
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
【前回のあらすじ】
シイ・シュウリンに連れられて、異世界へやって来た現役男子高校生の落安零。
住む所が無く困り果てた零にシイが出したのは、まさかの「自分と同居しないか」という提案だった。
目の前が暗くなりそうだ。いやもう、今すぐにでも目をつぶって現実逃避したい。
信じがたい発言をした当の本人は、呑気にニコニコしながら僕の返答を待っている。もしかしたらこの人、馬鹿なのかもしれない。否、もしかしたらじゃない。確実に馬鹿だ。
「どう?良くない?ね?良いっしょ?」
「…乗り掛かった船が燃え盛る豪華客船だった気分ですよ」
「?ゴーカキャクセンってどゆこと?」
「最悪な気分だってことです」
「マジか。駄目かぁ」
何で了承されると思ったのか分からないが、とにかく自信があったらしい。本当に、何で良いって言うと思ったんだ…???目の前の彼は彼で想定外だったのか、今にもあちゃぁと言いそうな顔をしている。
「…あ!そうだっ!!!」
「何がそうだなんですか…?」
不安だ。シイさんは子供のように顔を輝かせ、良いこと思い付いちゃった~♪と言っている。顔が。
せめて、その良いことがさっきみたいにイカれた提案ではなく、ちゃんとマトモな提案であることを祈るが…
「オレと一緒に住んでる奴がいるから、もし零くんがオレと一緒に住むなら、ソイツとも一緒に住むことになるの!どう?!」
「さ、最悪だ~…!!!」
顔を覆う。目の前で眩しいほどの笑顔を称えている|シイさん《すごいバカ》の襟を掴みたいくらいだ。
本当に原理が理解できない。思考回路の仕組みが違うのだろうか??それとも、なんだ、まさかコイツ宇宙人だったりしないか?実は、中国語を話しているフリをして、全然別の言葉を話しているのかもしれない。
当の本人は、僕の本音が聞こえなかったかのようにまだアピールポイントを列挙している。飯が旨いのは分かったから、せめて同居人がどういう人かなのかくらいは教えて欲しい。
「だからね~、怪我とかしたらすぐに」
「シイ?!!!」
鼓膜が破れるかと思ったくらいに、大きな声が聞こえてくる。声の主を探すと、シイさんくらいの背丈の男がいた。…誰?
名前を呼んでいたし、まぁ恐らく知り合い…なのだろうが、それにしたってえらい驚きようだ。今にも目が溢れ落ちそう。
「…あ!フーゾ!!!フーゾじゃん!!!わーいおひさ~!!!」
シイさんがその人の方へと走り出す。いや、僕を置いていかないで欲しい。一応ここ僕にとっては異邦の地だし、不安なんだけれど…と思いながら、シイさんの後に続く。彼の側を離れて拐われるのも癪だ。
と、目の前でシイさんがフーゾと呼ばれた男に抱きついたので、思わずギョッとする。確かにシイさんはスキンシップ激しい感じしたけれど、さすがにこれは相手さん嫌じゃないのか…?と心配になる。
「んも~人前~。俺は良いけどさ。可愛すぎるから控えてよ」
「へへ、|对不起《ごめんなさい》♪」
(可愛すぎる…???変なノリなんだな…)
二人はまるでバカップルのようにイチャ…仲良くしている。相手も満更じゃなさそうだ。…そして、絶対に僕のことを忘れられている。物凄く気まずいが、二人の空気を邪魔するのも申し訳なくて、スッと気配を殺した。
「あ、紹介すんね。コイツフーゾ、オレの同居人で、零くんと一緒に住むヤツ♡」
「え、どゆこと?」
(コイツか~…!!!!)
せめてマシな人だったら良かったのにと、天を仰ぎそうになる。あと、話通してないのヤバすぎるだろ。せめて言ってあげろよ。
「え~?スーツ着てるってことはこのコ男でしょ?堂々とした浮気じゃんね(笑)俯いてて顔見えないし」
「いやフーゾ、安心して欲しい。絶対に気に入るから。ほら零くん!|让我看看你可爱的脸《カワイイ顔見せて》!」
誰が可愛いだ、誰が。ふざけた呼びかけに応じるのは癪だが、ここで抵抗してもどうせ疲れるだけだろうと思い、顔を上げる。うぅ、身長が高い…
と、フーゾ?さんがこちらに顔を寄せてきた。すごく近い。ガチ恋距離というやつだろうか、勘弁してくれ。
「え~、かわいいじゃん。何このコ、どこで拾ってきたん?」
「あーね、それ話したら長くなるから一旦家行こ〜」
「え、ちょ」
シイさんの謎の美的センスで僕が可愛い扱いされていると思っていたのだが、もしかしたらこの世界では僕みたいなのが…その、可愛いのかもしれない。美醜逆転というやつか。
いやそれより、なんでもう同居する流れになってるんだ。僕は別に良いなんて言ってないのに…この人たち、強引すぎやしないか?
逃げるわけにも行かず_更に手首まで捕まれたので_大人しく連行されることにした。絵面だけ見たら完全に犯罪だ。
「こちらが、零くんの住むおうちで~す!」
「いえ~いパチパチパチ」
いつの間にか入居することになっていた家の前まで連れていかれた僕は、あれよあれよと家の中に入らされてしまった。シイさんの手首を掴む力が強すぎて、若干痕が残っている。馬鹿力め…
腹立つ顔で手をひらひらさせているシイさんと、やる気のない拍手をしたフーゾさんに両脇を挟まれながら家の中を"無理やり"内見させられる。
僕の家より若干広く2階建てだったその家は、隅々まで掃除が行き届いていてさながらモデルハウスのようだった。
「ね、綺麗でしょ?俺は別にこだわりとか無いんだけど、シイが綺麗じゃないと落ち着かない!って」
「いや、普通に綺麗な方が良いだろ?」
(案外几帳面…なのか…???)
俺は別にそういうの気にしないんだけどね、とフーゾさんは笑った。その人の良さそうな笑い方につられて、僕も少し笑ってしまう。頭は可笑しいけど、良い人かもしれない。…そんなわけないか。うん。
「んで、料理は今のところオレら二人で分担してんの。味の好みおんなじだから別に困んないんだけど、もし好きじゃなかったら言ってね」
「掃除はシイが、洗濯は俺がやってる。買い出しは予定空いてるヤツが行ってるから、特に分担は決まってないよ」
「お二人ともそれぞれ曜日ごとに役割を分けているんですね…」
今僕は、シイさんとフーゾさんに、この家でのルール等を教わっている。あまりにも懇切丁寧な説明をされるものだから、こちらもしっかり聞かなければいけないような気がしてしまったのだ。
「そそ、零くんは別にお手伝いしてくれても良いし、やんなくてもいいよ!」
「服とか欲しいものあったら言ってくれればなんでも買ったげるし、仕事も…まぁ…口添えはできるよ。やんなくてもいいけど」
「…その、もしそれらをやらなかった場合って、他に僕のやることは…」
「「ないよ」」
(僕は何もするなってことか…???)
仕事で危険な目にあうかも、とかは確かに不安だが…包丁で怪我するかもに関しては馬鹿にされているような気がする。さすがに料理くらいはできる…はず。やったことないけれど。
「まぁ、そういうのって追々考えてけば良いし。まずはこっちの空気に慣れてもらわんと」
「そうそう。焦りは禁物だよ」
「そうですか…」
それならまぁいいかな…と言いかけていた自分がいたことに驚く。何を言っているんだ。危うく流されるところだった。
そもそも前提がおかしい。僕は確かに家を探していたが、でもそれはあくまで一人暮らしをするためだ。決してこの人たちと住むわけではない。あまりにも話が早すぎて忘れていた…。
だが、はたと気がつく。ここで断ったとして、その場合僕はどうなるんだ?
まぁ普通に考えたら家無し…だよな。さすがに僕の我儘でお金を払ってもらうのは…うん、申し訳ない。そもそも、この人たちって何してる人なんだ…???
こんな家を持っていて、僕の欲しいものもなんでも買うと言えて、戸籍も用意できるような人って、それってつまり、反社…?そんな人たちを怒らせたら、まぁ恐らく…否、確実に何か宜しくないことが起こるはずだ。それこそ"住み込みの仕事"であったり、最悪の場合、なんか…こう…奴隷みたいな…??
「…おーい、おーい?零くん、聞いてる?」
「めちゃくちゃ考え込んでるけど、やっぱ無理があったんじゃない?」
「えーそう?良い案だと思ったんだけど」
「ガチで?」
「え?」
「…__す__」
「「す?」」
「…お二人と…一緒に、住みたい…デス…」
◇To be continued…
【次回予告】
「もしかして零くんって旧世界のコ?」
「ほう、実に興味深いな」
「…零くん疲れたよね、おやすみ」
第3話「Boy Meets Führerin」
この作品はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
【前回のあらすじ】
シイ・シュウリンとその友人らしき男フーゾに連れられ二人の家に向かった落安零。
素性の分からない二人の提案を断るリスクを恐れた彼は、二人と同居することを選んでしまった。
「や~良かった良かった!やっぱオレの考えは正解だったな!」
「いや、全然そんな感じしないけどね(笑)まぁいいや。んじゃよろしく零くん」
「はい…」
結局、二人になにされるか分からなくて了承してしまった…なんと押しに弱いのだろうか、僕。
そんな僕の気も知らずにご機嫌な様子の二人は、今後のことを話し合っている。確かに僕は何をされるか分からなかったから頷いたものの、彼らにも事情はあるはず。考えることを増やしてしまって、申し訳ない気持ちになった。
「そういえばさ、零くんは結局どこから来たの?てか、シイも今までどこ行ってたの」
「あー、それ話さないとねぇ」
確かに、僕はフーゾさんからすれば全然知らないところから来た子供だ。シイさんだって、僕と一緒にいた時間この世界には居なかったということだし、行方が気になるのも当然だろう。てか、僕も気になる。ここは結局どういう位置にあるんだ。
「オレさ、実は《《リミネスト》》に巻き込まれてたんだよ。そんで、零くんとはそこで出会ったの」
(《《リミネスト》》…?なんだそれ…?)
「リミネスト??マジで???…え、なんでそんなことに巻き込まれたの?依頼?」
「いやなんか、不法入国したヤツ追っかけてたら遺跡の方まで行っちゃってさぁ…帰ろ~と思ったときに、急にふぁ~ってなったの」
(遺跡?ふぁ~って…)
「え~?こっちめっちゃ心配したんだけど。遂に死んだか?って噂になってたぞ」
「マ?誰だオレのこと勝手に殺したの」
軽快に二人の話が弾んでいくが、さっきから会話中にちょくちょく登場する「リミネスト」とやらは何なのだろうか。響きが少しだけドイツ語のReminiszenzに似ているが…確か、意味は追憶だったはず…いやでもここ中国語圏っぽいし…
「じゃあなぁに?もしかして零くんって《《旧世界》》のコ?」
「えー多分。最初知らん言葉話してたし」
(旧世界…旧世界…???いよいよ本格的に分からなくなってきたぞ……)
「まぁ真偽はともかくさ、それって他の…それこそ、研究者とかにバレたらマズくね?」
「確かに。良くて聴取、悪くて解剖だな」
「え???」
なんか、凄く物騒な言葉が聞こえた気がする。聴取???解剖???
話の流れでなんとな~くだが…もしかしたら、僕は何か、こう、今現在解明されていない謎の現象に関連している…のではないか?それこそ、タイムスリップのような…
シイさんと出会ったときのことを思い出す。確かあの時、シイさんは「旧世界」と言っていた筈だ。その後も見るもの全てに驚いたり、時々「過去なのに進んでるな~」と言っていただろう。もしかしたら、僕のいた世界はシイさんの世界にとって過去の世界のようなものではなかろうか。
(だとしたら、聴取とか、解剖とかは、まぁ納得できる…嫌だけど…)
「うーん、とりあえず『总统』にだけ会わせる?あの人なら、まぁ…口は堅いし」
「えー?その場で零くんぶっ殺されない?」
(物騒な言葉が聞こえる…)
というか今、总统って言ったか?总统って、確か…大統領?え、あだ名…だよな?
「いけるいける。もしぶっ殺されそうになったら力ずくで抑えれば良いし。どうせ戸籍とか作らなきゃいけないんだからさ」
「ま~それもそっか。よし!零くんお出かけするよ!」
「え、どこに行くんですか…??」
「ん~?まぁ、俺らの職場かな」
剣がぶつかり合う音や、弓が的に刺さる音、そして、恐らく激励の声が重なりあって耳を刺す。大きな門に高い塀、中央にそびえ立つ城らしきものは、厳かな雰囲気を纏っている。門番は二人、中にも訓練中とおぼしき人達が蠢いている。
(軍人、だったか…)
顔パスで入っていった二人の後に続きながら、己の判断ミスに静かに項垂れた。二人はそれぞれ何とか隊隊長と呼ばれていたため、恐らくは軍の、幹部のようなものだろう。
確かにそれなら大統領も納得だ。多分、この国は軍が政権を握っている。であれば、この人たち物凄い偉い人じゃないか。そら顔パスも通るし戸籍も偽造できるわ。人一人養うくらい朝飯前だろう。
(でも、軍人に逆らうってのも怖いし、僕の決断は間違ってなかった…と、信じたい…)
沈んだ気分を誤魔化すために、辺りを見回す。内装は想像通りで、武具や絵画、生けられた花が完璧な位置に置かれている。だが、こういった内装はどちらかというと西洋の方で見られるもののはず。未来となると、また変わってくるのだろうか…?
何回か階段を上り、長い長い廊下を歩いたところで、二人が立ち止まった。彼らの向き直る扉は、他のものより一際大きいというわけでもなく、変わったところもない。何故こんなところに…?
フーゾさんが扉をノックする。少し間が空いた後、扉越しに「入れ」という声が聞こえた。この声は、女性のものでは…?
「失礼します。補佐官フーゾです。シイ・シュウリンと…ちょ~っとワケありのコを連れてきました」
どうやら執務室のような所らしく、本棚やカウチソファ、資料ケースが横に控えている。そしてその中央には、立派な執務机が主を待つかのように鎮座していた。…あれ?なら、声の主は一体…?
「ここだ」
「うわぁっ?!!」
突然左側から声がしてきたため、驚いて情けない声が出てしまう。は、恥ずかしい…
「ふふ、良いリアクションだ。しかし、また連れてきたのか。えー…リンぶりか?」
「そそ。これでもリンより全然歳上なの。えーと、今18だったっけ?かわい~よねぇ」
「あ~じゃあ6歳差かぁ。リンくんもこんくらいになりますかねぇ」
(リン…??僕と同じような子なのだろうか…)
僕の左側にいた人が、前に出てくる。…声からもなんとなく予想はしていたけれど、なんというか、少女すぎないだろうか…???
「ボスよりも2歳上なんですよ」
「ほう?随分と童顔だが、私より年上か」
「え…ということは、もしかして16歳…?」
「ああ、違いないぞ」
彼女がボスと呼ばれていることも驚きだが、何よりも年下なのに、こう…凄まじいオーラのようなものを感じる…。品のある佇まいだし、これは…ボスって呼ばれてても可笑しくないかもなぁ…と納得してしまう。
(…ん?でも待てよ。彼女がボスと呼ばれているということは…つまり、彼女はこの国の大統領ってこと…?!!!)
信じがたい。僕の世界ならまだ中学生くらいではないのか?そんな少女が、一国を背負うなんて。今更ながらに、僕は本当に異世界に来てしまったのだな、と実感した。
「…つまりシイ。お前はリミネストに巻き込まれて、帰ってくるときに現地の住人を引っ張ってきた、ということか?」
「そーなの!名前はねぇ…えーと、何零くんだっけ?」
「あぁ、落安零という者です…お会いできて光栄です」
「こちらこそ。まさか旧世界の人類に出会えるとはな。人生何があるか分からないものだ」
椅子に座って見上げられているはずなのに、何故か見下ろされているような気分になる。一国の王と言われても納得できる覇気だ。
そういえば、この世界では僕のように名字が先に来るような人はいるのだろうか?いやでも、シイさんはすぐに零が名前だと分かってくれたから、存在するのかもしれない…
「申し遅れたな。私の名はクリス・ウィルダート。この国を統べるFührerinだ」
Führerin…?それって、ドイツ語のリーダー…だよな?大統領はPräsidentじゃ…
(いや、もしかして総統…?それなら意味も通じるはず…)
「あぁ、总统と言った方が通じるか?」
「いえ、どちらでも…ただ、訳し方に戸惑っただけですので…」
「ふむ…これは憶測だが、貴様のいた国では中簡語やドルヒェ語は使用されていなかったのではないか?」
「その通りです。僕のいた国では…ええと、|日本人《日本語》という言語が使われていました」
「日本語?変わった名前だなぁ」
「ほう、実に興味深いな…やはり未知の領域に足を踏み込むのは面白い」
どうやら、この世界では日本語は廃れているらしい。そらそうか、あんなわかりづらい言語わざわざ使わないだろう。…しかし、この感じだと英語もないのでは?
「それで、用とはなんだ?まさか、新たに手に入れた玩具を見せびらかしに来たわけではなかろう?」
「玩具て。そーじゃなくて、零くんの戸籍を用意してほしくてさぁ」
僕自身も半ば目的を忘れかけていたため、シイさんの言葉にハッとなる。そうだった、戸籍を用意してもらわないといけないのか。
「ああ、戸籍か。…了解した。あとで情報を送ってくれればすぐに作ろう」
「ありがとうございますボス…急で申し訳ないです」
「気にするなフーゾ。お前にはいつも私の右腕として役に立ってもらっているからな」
「どうも」
フーゾさんとクリスさんはどうやら上司部下の関係らしい。…が、シイさんは一体何者なんだ。もし仮に隊長だったとしたら、自分の上司にタメ口のヤバいやつということになってしまうし…
「てか良い加減、シイもちょっとは敬語使えよ。めっちゃ不敬だかんな」
「えーでも許してくれてるしなぁ」
ヤバいやつだった。なんて人だ、信じられない。上司とはいえ、自国の総統に馴れ馴れしいシイさんもそうだし、それを笑って許しているクリスさんも…割とどうかしてる。この人達のせいで、今の所この国にはヤバいやつしか居ないという認識になってしまった。
あの後少しだけ旧世界の生活をクリスさんに話して、今はシイさんたちに連れられて家に帰っている所だ。いつの間にか空はオレンジがかって来ている。
今日は、本当に色んなことがあった。異世界に転移してきて、知らない人と同居することになって、あと、国の総統とも会って話をした。そのせいで、急に疲労がやって来る。
「や〜、なんか色々大変だったけど、一旦は大丈夫そうでよかったぁ」
「俺も〜。零くんが可愛くてよかった」
嗚呼、なんか本当に眠たくなってきた。絶対に寝たらいけないんだけど、いけないのに…睡魔が…
「あ、そういえば零くんって兄弟とか…あら?」
「もしかしておねむかな…?」
う、倒れそう…ヤバい…
「あらま。寝ちゃった」
「え~シイよっかかられてんじゃん、羨ましいなぁ」
「これが信頼の差ってやつ」
「腹立つわ~…」
「…零くん疲れたよね、おやすみ」
◇To be continued…
【次回予告】
「そうそう、零くんもオレらと一緒に暮らすなら迷惑かけても良い!ってこと分かって欲しいよ。」
「僕に仕事させてください!お願いします!!」
「…ただ、もしこの仕事が無理なら、仕事をするのは諦めてくれ」
第4話「罪の味は蜜」
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
【前回のあらすじ】
シイとフーゾに連れられ、彼らの上司であり混乱的城市を統べる総統のクリス・ウィルダートと対面した落安零。
どうやら彼はその帰りに、疲労から寝落ちしてしまったようで…
ぼんやりとした記憶が、僕を包み込む。
これは幼少期だ。まだ両親が優しくて、姉がいて、なにも怖くなかった頃。あの頃は、世界が輝いていた。
何時からだろう、両親が僕に嫌悪の視線を向けるようになったのは。
いつからだろう、家に誰かの怒号が響くようになったのは
いつから、姉は消えたのだったか
いつから僕は、こんなふうに…
---
慌てて飛び起きる。急いで布団から出て、それから、勉強、勉強をしないと。勉強ができないんだから、できるようになって、それでやっと価値があるんだから。
「零くん、落ち着いて。深呼吸して。ここには勉強机も親も居ないから」
起き上がろうとした体を抑えられ、背をさすられている。さすっているのはシイさんだ。そうだった、僕は今家に居ないんだと気がつく。
よく聞いてみたら、呼吸も可笑しい。多分吸いすぎ何だろうが、呼吸の正しいやり方が分からない。こわい。早く戻さないと。
「だぁいじょぶ、ゆ~っくりで良いからね。学校も無いし、勉強もしなくて良いんだよ。ここにいる誰も、零くんのこと責めないからねぇ」
ゆっくり、ゆっくりどうやって何をするんだっけ。何回も言われた筈なのに、何も思い出せない。思い出すのは、嫌なことだけ。
「零くん零くん、俺フーゾね。とりあえず息吐こうか。すー、はーのリズムで、いけそう?」
「う、はァッ、ひ」
「苦しくなるまで、い~っぱい息吸ってぇ…そうそう、上手。そしたら、息ぜ~んぶ吐こっか。大丈夫、急がないでいいからね。落ち着いて、零くんのペースでやっていこう」
「大変ご迷惑をお掛けしました」
「ヤバいシイ、なんか零くんが見たことない謝罪体制してるんだけど。正座かこれ??」
「あーね、多分土下座。なんかの書物でみた気がするし」
醜態を見せたことに対する恥ずかしさや、二人の手を煩わせてしまったことに対する申し訳なさ、不甲斐なさで涙が出てきそうだった。二人の顔を見たら確実に泣きたくなるから、顔があげられない。きっと、失望の目をしている筈だ。
「別に気にしなくて良いのにねぇ。事情もシイから聞いたしさ」
「そうそう、零くんもオレらと一緒に暮らすなら迷惑かけても良い!ってこと分かって欲しいよ。ホントにね」
もう既に迷惑をかけてしまっている場合はどうしたら良いのだろうか。二人とも、僕のことを気遣ってくれていることがひしひしと伝わってきて、非常に申し訳がない。こんな自分が情けなくて、また涙が出そうだ…
「零くん、朝ごはん作ったけど食べられそう?今からでもメニュー別のにできるけど」
「大丈夫です。本当にごめんなさい…」
「ありがとう、で良いんだよ~」
「はい、ごめんなさい…」
この世界に来てから数日が経った。僕は変わらず二人の家に住まわせて貰っていて、今のところ何も成せてはいない。
ずぅっと、ここに来たときから仕事をしなければならないな、と思ってはいた。だが、あまりにも二人が良いよ良いよと渋るため、なかなか強く言えずにいたのだ。我ながら言い訳がましいな…
正直なところ、僕みたいなのがマトモに仕事をできるのか?という不安はある。自分を高尚な存在だと思っていて、やること成すこと生意気で、そのくせ文句と言い訳ばかりとは父の言葉だ。全くもってその通りだから、己に腹が立つ。
そんなヤツがやれる仕事なんて、本当に限られてくるだろう。少なくとも、僕なら僕みたいなのは雇いたくないし、同じ環境で仕事をしたくない。
だが、このまま二人の脛を齧って生きるのはもっと最悪だ。そうなってしまえば、きっと僕はいずれ僕のことを殺すだろう。だからまずは、シイさんにその旨を伝えなければいけないのだ。
「え、ヤダ」
「えぇ…???」
開始早々却下されてしまったのだが、ここからどうすれば良いんだろう。即答だったぞ、逆転する未来が見えない。
というかこの人、数日前に仕事紹介できるとか言ってたじゃないか!!!せめて言ってることとやってることを統一して欲しい。いや、まぁ確かに、これは僕の我儘だけども…
「…一応、理由を聞いても?」
「危険だし。零くんが傷こさえて帰ってきたら、オレは悲しい」
「過保護な親???」
とんでもない理論が飛び出してきた。こりゃたまげた…じゃなくて、どうしてこんなに守られてるのかが分からない。本当に、何故。特に何もしていないのに…
「逆に何さ、零くんは今の環境で何が不満なのよ。衣食住もっと豪華にする?なんか高いモン欲しかったりするの?それともまさか…欲求不満???」
「最後に関しては本当に何でなんですか。…そうじゃなくって、その……何にも出来てないなって…」
「え、零くんはご自分が存在してるだけで癒しってことをお分かりでない?も~、愛情が足りなかったか」
「いや、いらないです…」
傷をこさえたら困るようなことって、それこそ商品価値が下がるくらいだよな…そうなると、この人は僕を売ろうとしているのか…?と考えて、すぐにその考えを振り払う。僕のことを連れ出してくれた人になんて失礼なことを考えるのだろう。売られることですら恩返しになるくらいお世話になっているのに。恩知らずが。
「自立したいんです。まだ僕はお金もないし、知識もないから、二人に迷惑かけちゃいますけど…でも、いずれは自分だけで生きれるようになりたいんです」
「れ、零くん~…!!!」
「だからお願いです。僕に仕事させてください!お願いします!!」
頭を深く下げる。勢い良く下げすぎて、腰がいたくなったし、ちょっとよろめいた。が、それでもぐっと立ち止まる。
「…そんなに言うなら、良いよ」
「本当ですか?!!!」
「うん…ただ、もしこの仕事が無理なら、仕事をするのは諦めてくれ」
「何の仕事なんですか…?」
「まぁなんだ、ちょっとした便利屋だよ」
生ぬるい水が頬につく。否、水ではなく血だ。目の前の光景に目眩がする。これは、何だ?絶叫は聞こえなかった。一瞬だった。一瞬で人が倒れて、きっと、死んだ。吐き気がする。ぐっと堪えて、堪えて、口が酸っぱくなった。それでもなんとか堪える。
本当に、後悔ばっかりだ。シイさんに連れられてやって来たのは、あの日とはまた違う、されどよく似た路地裏だった。そしてそこで、シイさんは《《仕事》》を始めると言って、そして、やって来た人を殺したんだ。
平然と人を殺したシイさんが恐ろしくて、彼と目を合わせたくないがために、顔は上げられなかった。でも、顔を上げても上げなくても、視界は最悪だった。血だまりが、僕の靴を濡らしている。あ、手だ。手が、僕の足首を、掴んだ。死んでなかった。
「あ、う」
「零くんにきたねぇ手で触んなよ」
手は蹴飛ばされた。そのまま踏まれる。踏んだのは、シイさんだ。何かが折れる音がして、微かに呻き声がする。獣みたいだ。
「…零くん、手ェ出して。…ほら、手」
差し出された手に、反射的に手を乗せる。そのまま手を開かれて、血のべったりついたナイフが乗せられた。
「これ」
「刺して。どこでも良いから」
刺它。刺して。何を?シイさんの指は、息も絶え絶えに倒れる彼を指している。言葉が、上手く理解できない。
|「选择权在你手中。《 今すぐ選んで》|现在就刺死他、《アイツを刺すか》|否则就永远被锁在家里《ずっとオレの家にいるか》。」
「あ、あ」
「|你想让我做什么?你现在是纯洁的。《どうする?今ならまだ、清いままだよ》」
手が震える。こんな地獄みたいな、最悪な光景、見たくなかった。見るって分かってたら、言わなかった。いや、来すらしなかった。それなのに。
呼吸が荒くなっていく。それでもシイさんは、ぐっと色の濃い橙赤色で僕を見つめたままだ。僕の息づかいと、微かな呼吸が路地裏を跋扈する。今すぐここから逃げたい。
「…やっぱりムリだよね。止めようか」
シイさんがまた、いつもの優しい目に戻る。失望も何も含まない、純粋な優しさだ。その目を見た途端、僕の中で何かが弾けた。
足を踏み出す。靴の赤が、より鮮やかになっていった。シイさんが僕を引き留めたが、止まるつもりは毛頭ない。
至近距離に行くと、微かに何かを呟いていることに気がつく。帮我、我不想死と、経のように呟いている。
心を殺す。シイさんの焦ったような怒号が聞こえるが、何故か遠いところの声のように感じた。
震える手を押さえつける。いつの間にか呼吸は落ち着いていた。目線を彼の胸元に移す。見逃さないように、罪を認めるように。
(こんな世界、来なきゃ良かった。…でも、来なかったら、もっと良くなかった)
これは、逃げた僕への罰だ。現状を変えることを諦めた僕に対する、バチなんだ。そう言い聞かせる。そうでないと、何故自分だけこんな目にあうのかと、可笑しくなってしまいそうだった。
息を吐く。世界が、静寂に包まれた。僕は、振り上げた手を勢い良く下ろす。
--- その日僕は、初めて人を殺した。 ---
◇To be continued…?
第Ⅴ話「晴れのち開戦」
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
地に転がった死体を踏みつける。僕が殺した、どこの誰なのかも知らない男だった。最期に何か言っていた気がするが、興味がなくて聞いていなかった。
路地裏を歩いていく。散々教育されたせいか、足音は一つも残らず、されど軽やかに進んでいける。
「零くんどお?そっち終わった?」
シイさんが曲がり角から顔を出す。どうやら彼も《《掃除》》が終わったらしい。その証拠に、瞳孔が開ききっている。顔こそ笑顔だが、目が笑っていない。多分手間取ったのだろう。彼の出す殺気が、肌をヒリつかせた。
「終わりました。てか、殺気しまってください。駄々漏れですよ」
「え~?零くん敏感すぎるんだよ、てか殺気って何??分かんないもん仕舞えない~」
「気配抑えろって言ってんですよ」
シイさんはちょっとくらい良いじゃん、と口を尖らせながら気配をしまっていく。落ち着いてきたようで、瞳孔も段々閉じていた。
恐らく今の僕も相当酷い格好をしているだろう。眉間にシワができているのが分かるし、きっと何回か舌打ちも出ている。あ、貧乏ゆすりしてた。
「この後って何も予定無かったですよね」
「うん、今日はこれでおしまいかな!」
「じゃあ、早く帰って風呂に入りたいです」
血の匂いが髪の毛を赤く染めているような感じがする。手袋をつけている筈なのに、手が血まみれになったようで気分が悪い。
「そうねぇ~、よし!帰ろっかぁ」
この世界に来てから、かれこれ5年が経った。初めは恐ろしく見えたこの街も、一年も経てば慣れてくる。よく行くお気に入りの定食屋には顔を覚えられたし、軍にも何度か通ううちに顔パスで通れるようになった。
僕は今、シイさんと同じ掃除屋をしている。掃除というのは隠語のようなもので、まぁ直に言ってしまえば殺し屋だ。彼はちょっとした便利屋だと言い張るが、確実に殺し屋である。
「たでぇま~」
「ただいま帰りました」
見慣れた玄関で靴を脱ぐ。フーゾさんはまだ帰ってきていないようだ。軍会議が長引いてるのだろうか。
自分で稼げるようになって_特に殺し屋は稼ぎが良いので_家が買えるようになっても、まだ僕は彼らとシェアハウスを続けている。ハッキリ言ってしまえば、便利なのだ。
家に帰れば誰かがいるし、家事は分担だし、何より二人ともとても優しい。この快適さを知ってしまえば、一人暮らしなんて到底できっこない。
一人で毎日三食違うメニューを作れて、床に殆んど物が無い、埃が舞っていない状態に維持できて、洗濯やゴミ処理、その他諸々の家事が完璧にできていて精神を病んでいない人だけが僕に石を投げれるのだ。
ただ、それとはまた別ベクトルで少し困ったことがある。彼らは必要以上にこちらを気遣ってくれるし、僕が年下だからか何かと甘やかしてくることもある、が…それよりもずっと嫌なことが、一つだけ。
「ただいま~」
「あ、フーゾおかえり~。ただいまのキスする?」
「んじゃして~」
…シイさんとフーゾさんが、僕がいるのにも関わらず、物凄くイチャつくという点だ。
初めは知らなかったが、二人はどうやら恋人らしい。同性の友人が出来たことが無かったから、こういう…ハグだとか、き、キスだとかするノリが普通だと思っていたが…どうもそうじゃなかったようだ。
そうとは知らずに同棲をOKしてしまったのは普通に僕が迂闊だったし、何よりも己の無知がまた露見してしまったのが本当に恥ずかしい。恥ずかしい、が、それよりも恐怖を覚えてしまう。だって、僕は見知らぬ男だぞ?それなのに顔をみただけで、恋人以外との同棲を決めるだなんて。愛玩動物くらいに思われているとしても恐怖を感じる。本当に、訳がわからない。
あと、僕の前でイチャつくのも止めて欲しい。人前にいるときはフーゾさん注意するのに、僕の前だと遠慮しないのは何でなんだ。ハッキリ言って気まずいから自分らの部屋でやるか、もしくはその前に僕に言って欲しい。退くから。
「あ、そうだ。ボスが二人のこと呼んでたから、明日くらいに行った方がいいかも」
「え~?まぁ良いよ。明日仕事無いし」
(クリスさん直々に?なんの用だろう…)
---
「単刀直入に言うが、メーラサルペと戦争をすることになった。だから、お前達の手を借りたい」
「え、マジすか」
メーラサルペ…確か、混乱的城市の南西側に位置している国だ。よく貿易をしていたし、両国の仲も良かった筈だが…
「てかなんで戦争?あそこの人らってそういうの嫌いじゃなかったっけ」
「色々あるのだ」
「ふぅん」
何か裏があるような気がする…が、ここで深く突っ込むのも不敬だろう。ぐっと言葉を飲み込み、代わりに何をすれば良いのか、と聞いた。
「お前達には、軍と連携して情報のやり取りやスパイがいないかを探って欲しい。なぁに、簡単な仕事さ」
「あえ?オレは暗殺隊の方じゃないんすか」
「今回暗殺隊は殆んど動かさないことにした。その隊の者は他の前衛部隊に回す」
普通国同士が相手に要求を飲んでもらうための戦争であればそれぞれ大将の首を取るか、国を人質に取れば勝利するらしい。が、それをしないということはつまり、何か別の目的があるということだ。
「そいじゃ今回の戦争ってどんな意図があるんすか?まさか、領土を増やす訳じゃないでしょう」
不意に、首もとに刃が当てられた。否、そう感じる程の殺気が向けられたのだ。咄嗟に刀に手を掛ける。と、シイさんにその手を抑えられた。クリスさんは、無言で笑みを浮かべ僕たちを見上げている。その筈なのに、見下され睨まれているような感覚になった。どうやらシイさんは、不味いことを聞いたらしい。
「…さーせんした」
「別に良い。…くれぐれも、変な詮索はしないように。二人とも、頼りにしているぞ」
「…ってことがあってさぁ!!!リンくんどう思う?!!!!」
「うるせぇ!!静かにしろバカ!!!!」
僕は執務室を出た後、少し用があると言ったシイさんに着いてきていた。というか、連れてこられたという方が正しいか。
そして今はシイさんの部下であり弟子のリンくんに、他ならぬシイさんがキレられている所を眺めている。これ、僕いる?
「てか引っ付くな!!熱いんだよお前!!」
「リンくんのケチ~、零くんなら許してくれるのに」
「いや、僕も嫌って言ってますけどね」
リンくんに引き剥がされたシイさんがこちらに向かってきたので、少し避ける。が、動きを予測されてそのまま回避先で抱きつかれた。う、あ、熱い…これもう風邪だろ…
「んで、ソイツ誰。部外者か?」
え、シイさん紹介してなかったのか?と思い、シイさんの顔を見る。…あ、忘れちゃってた!いっけね☆みたいな顔をしていた。思わず舌打ちが出てしまうが、不可抗力だ。
「ええと、落安零です。初めまして」
「…リンだ」
…なんとなく、目付きで分かってたけど、すんごい無愛想な子だなぁ…と思う。近所の懐かない猫にこんな子いたような気がするし…
というかこの子、やっぱり幼い。確かシイさんの話によると…17歳だったか。凄い幼いし、その頃の僕よりも小さいんじゃなかろうか。ちゃんとご飯を食べてるのか?不安だ。
「オイ、お前」
「はい、何でしょうか」
「…俺のこと無愛想なガキだと思っただろ」
「え」
読心術???それとも、彼の能力だろうか。どちらにせよ図星だ。普通ならそんなこと思ってないですよ、と言うところだが…
「…まぁ、そうですね。ちょっと…」
なんとなく、なんとなくだが試されているような感じがしたので、ここは素直になってみる。…ほんの少しだけ、彼の雰囲気が和らいだような気がした。パーフェクトコミュニケーション…だったら良いのだが。
「…そ。じゃあまぁ、ヨロシク」
「あ、よろしくお願いします…」
変わらぬ口調に気のせいかもしれない、と不安になる。とにかく帰ったら彼のことをシイさんかフーゾさんに聞こう。ついでに、懐かれるコツなどあったら教えてもらいたいな。
帰ってすぐ、フーゾさんに彼のことを聞いた。そうしたら、少し気まずそうな顔をしたあとに
「あーリンくん?彼はねぇ~…まぁ、フクザツなんだよ。色々と」
とかなりぼかした返事が返ってきた。彼にとっては知られたくない事なのだろうか。
暴言を吐く人は基本的に苦手なのだが、何となく、何となくだが彼とは仲良くなれそうな気がしていた。何故だろう、僕は年下の子と仲良くなりたいのだろうか…?これがオジサン化…と、恐ろしいことを考えてしまう。まさか、まだ、まだ早い…よな…??
いやそれよりも、考えるべきは戦争の事だ。…戦争なんて、もともといた世界でもそうそう起きていなかったのに。大丈夫なのかだろうかと、今になって心配になる。この世界でも、きっと戦争は珍しいことの筈だろうが。
クリスさんは白兵戦をメインにしていくと言っていたから、その分たくさん人が死ぬだろう。もしかしたら僕も…と考えて、少しゾッとする。人は死のことを考えてはいけない、何故なら可笑しくなってしまうからとは誰の言葉だっただろう。
一度深呼吸をして、心を落ち着かせる。それでも、なんだか胸騒ぎがして止まなかった。何もなく、平和に終わってくれれば良いのだが…
◇To be continued…
【次回予告】
「世間の声を聞くのもまた、私の役目だ」
「んね、零くんは雨好き?」
「フーゾ…?…もしかして、」
第Ⅵ話「雨に散る君」
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
【前回のあらすじ】
総統であるクリスに頼まれ、シイと共に軍の仕事を手伝うことになった零。零は何やらただならぬ雰囲気を纏うクリスや、セオリー通りではない作戦に胸騒ぎを覚えるが…
軍の手伝いと聞いてどんな大変な仕事なのだろうかと身構えていたが、僕達に任されたのは本当に「お手伝い」程度のものだった。
任されたのは「軍と連携した情報のやり取り」と「スパイの捜索」。だが、情報というのは戦争に関する機密でもなんでもなく、世論の方。まぁ当然と言えば当然だ。公認とはいえ僕は殺し屋、しかもぽっと出なのだから。
「戦争をすれば当然国内は荒れる。その時の鬱憤がいつ私達を襲うか分からないからな。世間の声を聞くのもまた、私の役目だ」
なんでも、戦争でかかりきりになってしまうため国内のトラブルの対処は後手に回ってしまうそうだ。そのトラブルを未然に防ぐため、僕達が町での井戸端会議や愚痴なんかを逐一聞いて、それを報告するらしい。
ちなみに、もう一つの「スパイの捜索」に関しては本当に僕はなにもしなかった。そもそも入国審査は厳しいし、何か怪しい動きがあったとなれば、すぐにシイさんが駆けつけてしまうからだ。足早バカに追い付いた頃には、現場は血祭りか談笑会のどちらかに変貌している。
そんなこんなで、僕はむしろいつもよりも楽なんじゃ?と思うようなお手伝いばかりをさせて貰っていた。基本的には街の人たちとお話をして、時々探りを入れる。スパイの情報があれば、まぁ一応駆けつけはするが大抵は事が終わっていて。
だから案外こんなものかと、正直油断さえしていたのだろう。
僕は、戦争を教科書の中でしか知らなかった。それは恵まれたことで、同時に無知ということでもある。無知は罪だ。
何も、知らなかった。知った気になっていた。だから、いけなかった。
---
その日は珍しく、雪じゃないただの雨が降っていた。水が服を濡らして、張り付いた布は肌を湿らせていく。久々の感覚だった。
「オレ雨きらぁい。びちゃびちゃになるし、走ったら転ぶし、テンション上がんない!」
口を尖らせながら歩くシイさんはご機嫌斜めのようだ。雨のせいでもあるだろうが、彼の愛しの恋人と会えていないのも要因の一つだろう。
普段は補佐官として働いているが、フーゾさんは一応軍の医療隊隊長でもある。彼曰くあまりそちらに顔を出すことは無いらしいが、知名度はあるようだ。やはり能力持ちは目立つのだろうか。
「んね、零くんは雨好き?」
「…僕は、特に好き嫌いは…ああでも、体が冷えるのはちょっと嫌…ですかね」
実のところ、雨の日はそんなに好きじゃない。元いたところでは、皆なんとなく湿気や低気圧のせいで苛立っていた。八つ当たりをされたことも少なくはない。
「ふーん…そ。でも安心してね、ここはそんなに雨降んないから!」
「さすがに何年か過ごしてれば分かります」
それもそうか、と笑う彼の顔は、今日の空模様とは正反対の太陽のようだ。雲に隠れない、真冬の太陽。フーゾさんがこの笑顔を守りたいと言うのも、納得できる。
雨が嫌いでも、愛する人に会えなくても、笑顔を絶やさない人柄の良さ。僕には一生真似できないそれは、きっと彼が長く生きてきたから身に付いたものだ。
町中を歩く。いつもと違う静かな街に、雨の音と僕の水を含んだ足音だけが響いていた。
途端に、何かが弾けた。あれは銃声だ。残響が雨に吸い込まれる前に、シイさんは駆け出していく。突然走り出せるわけもなく、少しの間ともたつきを経て駆け出した。音からしてすぐ近くだろうか、スパイだろうか、ただのもめ事だと良いんだが、内ゲバなら最悪だな、といらぬ憶測を立ててはそれらを思考の雨に巻き込んでゆく。
「フーゾ…?…もしかして、」
そう呟いたのは、前をいくシイさんだ。その後にも何か口ずさんだ筈だが、雨音に消えていってしまった。
彼の鼻は人一倍よく働く。いつもそれは、せいぜい作っている途中の料理を見ずに当てることにしか使われない。だが、その正確さはクリスさんのお墨付きだ。だからこそ、その呟きは恐ろしいものでもある。
雨では、普通人の体臭というものは嗅ぎ分けられないだろう。なのにそれが分かったということは、それよりもより強い…例えば、《《血液》》の匂いが、彼の鼻に届くほどに多くあるということだ。
嫌な予感が過る。露に濡れて輝く白銀の隙間から、太陽は見られない。あるのは、焦りと恐怖にまみれた一人の男の顔だった。
角を曲がると同時に、二度目の銃声が唸りをあげる。だが、耳をつんざくような叫び声が瞬時にそれをかき消した。叫びは、一つの形を成して街に轟く。
「フーゾッ!!!おい、フーゾ!!!!」
視界を遮っていたシイさんの体が動く。そこにあったのは、腕と胸から血を流すフーゾさんだった。だらん、と放り出された腕が、まるで糸の切れた操り人形のもののようで。耳鳴りが、僕から世界を遠ざける。目の前の光景が、雨の反射だったらよかったのに、なんて。
◇To be continued…
【次回予告】
「うん、おやすみ。…愛してる、ずっと」
「惜しいやつを亡くした。…本当に残念だ」
「フーゾって、誰?」
第Ⅶ話「終戦は天気雨と共に」
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
【前回のあらすじ】
国内に潜んでいるかもしれないスパイの捜索と、世論調査を頼まれた零とシイ。パトロール中に鳴った銃声を追いかけると、そこには軍医でありシイの恋人のフーゾが、血を流して倒れていた。
「フーゾッ!!!おい、フーゾ!!!!」
シイさんが駆け出す。と、視界が開けたことで、その傍らで尻餅をついている男がいることに気がついた。そのすぐ近くには、まだ硝煙の上がっている銃が落ちている。
慌てて駆け寄り確保しようとするも、男は抵抗の素振りを一切見せなかった。ずっと呆然としながら、ただ一点を見つめている。
よく耳を澄ませば、彼は違う、と呟いていた。確かめるように、逃れるように、何度も。気が触れたとしか思えないその様子を見て、フーゾさんは気の狂った男に撃たれたのだろう、と憶測を立てる。
とりあえずフーゾさんから距離を取らせようと、力のはいっていない男の体を引きずって壁に凭れさせた。横目に見た彼は、シイさんに支えられながら、彼の頬に手を添えて、何かを話している。その声は、雨にかき消されて僕には届かなかった。否、拾うつもりが無かったのだろう。彼らの世界を、邪魔したくはない。
---
「…シイ…?お前、顔…ひど…」
「フーゾ、フーゾ、喋んないでいいから」
「はは、なんていってるか、わかんね~…」
「じゃあ話すなよ馬鹿…!!」
水面が血で濁っていく様に、焦りを感じる。急いで包帯を探すが、それもフーゾに静止された。オレが一つ振ればほどけるだろう、弱々しい静止。それでも、彼との繋がりを消したくなかった。
「あんね、これ…むりだとおもうのよ。俺」
「だから喋んなって…っ!!傷、が…」
どくどくと、血が溢れていくように感じる。止まらない血が、砂時計の砂とそっくりに見えた。
「かりにも、こーにん殺し屋なんだから…こんくらいわかるよね…しけんでやったとこ」
「分かってるって…いいから黙れ!!!喋んな阿保、馬鹿、|懦夫《臆病者》!!!」
「はは、なぁに…?だきしめすぎ…かわい」
その言葉で、やっと自分がフーゾのことを抱きしめていたことに気がつく。浅くなる呼吸と、弱々しくなる心音に、絶望感が沸いて止まない。何か打開策を、と考えているのに、もう無理だと囁くオレがいることに腹が立つ。死にかけて、痛くて苦しい癖に呑気なフーゾにも、こんな時に限って助けてくれない神にも、怒りが溢れて、それらがひとえに絶望で流れていって、無力感だけが残った。
「しい、シイ」
「…なに」
「へへ…だいすき、おれの、おれだけのこいびと。泣かないで、ね…?」
「…雨だから、これ」
「かぁわいい…しい、ちょっとだけ、…おやすみ」
「うん、おやすみ。…愛してる、ずっと」
不意に、どしゃっと音がする。軍への連絡を終え急いで駆けつけると、シイさんがフーゾさんの横に倒れていた。まさかと思って脈を測ったが、どうやら気絶しているだけのようだ。安堵のため息を漏らして、改めて、フーゾさんの顔を見る。
その顔は安らかに、まるで眠るように、笑っていた。彼の頬に、雨粒が一粒落ちて、流れていく。雲をかき分けようやく顔を出した太陽の光は、ここには届かない。
---
彼の葬儀は、軍人というには余りにも小規模なものだった。本当に、彼と親しい人のみが招待されたんだろうな、という面子の中には、リンくんの姿もある。目が合うと、会釈をする前に彼がこちらに向かってきた。
「…災難だったな、お前も。初めてだろ、戦争の手伝い」
「そう、ですね…でも、もっと災難なのは…」
一番この場にいるべき人を思い浮かべる。彼は、まだ目を覚まさないままだった。せめて自分だけでも葬儀に、と置いてきてしまったが、よかったのだろうか。
「放っておいてやれ。…何十年も一緒にいたんだ、整理には時間いるだろ」
「そうします」
ぶっきらぼうな彼の言葉が、今は一番優しく感じられた。そのまま軽く会釈をして、彼は立ち去っていく。その次にやってきたのは、暗い顔をしたクリスさんだった。
「惜しいやつを亡くした。…本当に残念だ」
そう顔を曇らせる彼女からは、珍しく覇気を感じられなかった。そのくらい、フーゾさんの存在は大きかったのだろう。その顔を見てしまえば、心中お察ししますの定型分を連ねる気にはなれなかった。
他の参列者も、みんな顔は曇っている。かくいう僕だって、きっとひどい顔をしているだろう。それでも、なんとか苦い事実を咀嚼して、飲み込んで、胃に蟠りを残したまま生きていくのだと思うと、気が遠くなりそうだった。
その後の交流も、まだ家にいるだろう彼を理由に断って帰路に着く。今はただ、シイさんが心配だ。
その心配は、思わぬ形で的中した。
家に帰ってまず、妙な音がすることに気がつく。何だろうかと音の出所である洗面所を覗くと、眠っていた筈のシイさんが立っていた。足元には、彼の光のような髪が、パラパラと落ちている。
以前聞いた、シイさんの髪の毛が長い理由。それは確か、彼の恋人であるフーゾさんに褒められたからだった。愛おしそうに髪の毛を撫でて「邪魔だけど、それすらも愛おしいんだ」と微笑んでいたシイさんの顔を思い出す。
それを切ると言うことは、即ち…
「シイさん、何してるんですか?!!」
止まった思考に焦燥が追い付く。慌てて彼の腕を掴むが、髪の大部分はざっくりと切られてしまっていた。腕を掴まれたシイさんが、不思議そうにこちらを見やる。
「あれ、零くん?どこ行ってたのさ」
「そうじゃなくて、シイさん何してるんですか!その髪…!」
キョトンとしていた彼が、納得したように顔を綻ばせた。昨日の彼とは別人のようなその顔に、ひどく違和感を覚える。
「これね、邪魔だから切ったのよ」
なんでもないように笑うシイさんの真意が、僕には分からなかった。あんなに大切に、愛おしそうに手入れをしていた綺麗な髪の毛は、今や無惨な姿になっている。それがまるでフーゾさんとの思い出を、彼自ら傷つけているようで見ていられなかった。
「ところで、零くんどこ行ってたのよ。いたら零くんに切ってもらおーと思ってたのに」
「どこって…フーゾさんの葬式ですよ…!」
自分でも、顔が歪んでいるのが分かる。シイさんからすれば忘れたい事なのかもしれないが、それにしたって何かおかしい。昨日、フーゾさんが軍の人たちに運ばれたあとも、あんなに泣いていたのが嘘だなんて思えなかった。
だから信じられなかった、信じたくなかった。心底不思議そうなシイさんの、耳を疑うような一言が。
「フーゾって、誰?零くん寝ぼけてる?」
◆To be continued…?
「…なぁ、本当にこれで良かったのか?」
「何故だ?私は満足しているぞ?」
「っ…だって、彼が死んだんだぞ…?!それなのに、なんで…」
「戦争には人の死が付き物だ。違うか?」
「違わない…が…」
「ふ、本当にお前は面白いな?」
「…何故笑う」
「ちゃっかり自分の分の報酬は貰っておいて、敵国の軍医を気遣うとは…とんだ偽善者だと思ってな」
「…君には、言われたくないよ」
幕間「誰そ彼の夢」
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
--- 「ん■■■■~。■はい■■どさ。■■■■る■ら■■■よ」 ---
--- 忘れている。 ---
--- 「へへ…■■■■、■■の、おれだ■の■いびと。泣■■■で、■…■」 ---
--- 忘れてしまっている。 ---
--- 「かぁ■■い…■■、ちょ■■■■、…お■■み」 ---
--- でも、わからない ---
--- 「お■■■気がな■と、こ■■もな■か■子■うん■よ!」 ---
--- 忘れたくない ---
--- 「260■前から■きでし■!■と、■き合って■■さい!」 ---
--- オレの大切、隠したのはだれ? ---
---
太陽に包まれているようだ。まだぼんやりしている頭を働かせようと、無理やり起き上がる。気持ちいい微睡みと、ぬくいブランケットが、オレをもっと眠らせようと誘惑してきた…が、なんとか起こした理性で抗った。 偉い、オレの理性。
「ん"…う"ぅ~、くぅ………ぅん…」
伸びをすると、呻き声に似ていなくもない、微妙な声が出る。妙に寂しい感じがして、思わず腕を噛みそうになった。変わりに、少し大きめのため息が出てしまう。
(起きたくないな~…やだな、仕事やだ、まだ寝てたい。子供の頃みたいに、もっと…)
そう考えて、ふとその先を思い浮かべる。オレの望んでいる"子供時代"は、全て誰かの見様見真似でできた虚像だ。自分のもんじゃない。オレが子供の頃は…
「…変なの。昔のなにが良いのさ、オレは」
嫌なことを思い出してしまい、折角のご機嫌が崩れそうになる。日向ぼっこした時とおんなじ心地よさに、まだ浸っていたかったのに、だ。
とにかく思考を別の方向に持っていくため、跳ね上がるように起きて部屋を出ようとドアノブに手を掛ける。
「うっし、切り替え切り替え。さぁて仕事…の、前に朝飯だな!」
ドアを開けると、いい匂いがした。この季節にこの香り、多分冷や汁と…だし巻き玉子だ!やったぁ!!
気分良く階段を掛け降りた。下に降りるにつれて香りは強くなり、何かがじゅうじゅうと焼ける音もしている。
「おはよ零くん!!!!!」
「シイさん、おはようございます。朝から元気そうで何よりです」
キッチンに向かうと、案の定零くんが卵を巻いているところだった。オレが駆け寄ると、くるっとこっちを振り向いて微笑みかけてくれる。その笑顔の、可愛さたるや!!
(零くん今日もかわい~なぁ。来たばっかりの頃は捕まったウサギぽかったから、懐いてくれて安心~)
さほど笑っていない気配と"朝から元気そうで何より"という言葉から、明らかに嫌味を言われている感じはするが…直接うるさいと言わないのが零くんの可愛いところだ。いや、それよりも今大事なのは…
「ね、零くん!今日ってもしかして…!」
「冷や汁とだし巻き玉子です」
「だ、よ、ね~っ?!!!零くん最近オレの好きなもんばっか作ってくれるよね~っ!!も~かわいい~!!!」
零くんの愛おしさといじらしさに、思わず抱きつく。と、零くんの身長が案外低く、空振りしてしまった。なんか、虚しい…?
「はいはい、そう言うことにしておきますね。できたのでお皿、運んでください」
「りょ!」
卵が冷めないうちにと、はやる気持ちを抑えて食器を人数分取り出す。そうしてテーブルにお皿を並べていると、零くんが小さく「あ」と声をあげた。
「零くん?」
「__フーゾさん…__」
「なんだって?」
うまく聞き取れなくて、もう一回と聞き直す。が、何でもないと躱されてしまった。なんだったんだろう、気になる…
「まだ寝ぼけていたんですか?食器が一つ多いですよ。片しときますね」
「あえ?…あ、ほんとだ。みっつある…」
思った以上にぼんやりしていたのだろうか。良くみると、確かに三つ皿がある。ご丁寧に、全部の個皿が三つだ。これではまるで、《《うちに三人いる》》ようではないか。
零くんがそのうちの一つずつを拾っていく。何もおかしくない、普通の行為。それなのに、なんだか不思議な感じがする。それだけじゃなく、先ほどの寂しさも顔を出してきてしまう。
--- 「■イ、あい■て■」 ---
無意識に、呻き声が出る。
「シイさん?シイさん、ちょっと」
「…んあ?あれ、零くん?」
ゆさ、と揺すられて意識が浮上した。目の前には心配そうな零くんがいる。
「本当に寝ぼけてるんじゃないですか…?今日、お仕事止めときます?」
「ん~ん、もうダイジョブ!なんかボーっとしてただけ!」
「そうですか…?なら、良いんですが」
伸びをして、辺りを見回した。状況がなかなか把握できていなかったが、どうやらオレはもう朝御飯を食べ終わってしまっていたらしい。…本当に、ぼーっとしすぎた。味まで記憶に無いなんて…勿体ないことしたなぁ
「…ずいぶんのんびりしてらっしゃるようですけど、時間大丈夫なんですか?」
「え?…あっ、ヤバ!あんがと零くん!!」
時計を見ると、約束の時間まであと30分しかなかった。ここから待ち合わせ場所まで15分くらいだから、さっさと準備をすれば間に合うだろう。
「僕もう出ちゃうので、戸締まりしっかりしてくださいね」
「はぁ~い、零くん頑張ってね!」
「ん」
ちょっと照れくさそうに零くんが目をそらした。その様子に心が暖まって、自然と口角が上がっているのが分かる。玄関まで零くんを見送ってから、オレも支度をしに自室へ上がった。
ドアを開ける。薄暗い部屋にかかった、いつもの上着を取った。
「…あ、匂い」
洗濯して、ヒトには分からなくなった、ほんの少しの鉄の匂い。いやな記憶を呼び起こす、あかいろの香りだ。嗅げばたちまち心が冷えきってゆく。
ドアを開ける。いつものブーツを履いて、今日は少し気合いの入る、朱色のタッセルピアスを付けた。オレ好みの色を身に纏って、少しでも自分のご機嫌をとってやるのだ。
「…行ってきます」
---
--- 「ご■■ね、シ■」 ---
--- 行かないで ---
--- 「■■してる」 ---
--- おいてかないで ---
--- 「だから、わす■て」 ---
--- ひとりにしないで ---
--- 「おまえのためなんだ」 ---
---
バッと飛び起きる。最悪の寝起きだった。慌てて辺りを見渡すと、どうやらオレの自室らしい。
(…そうか)
思考が状況把握から回想に切り替わる。オレはあのあと、しっかり仕事を終えて、帰って、零くんと飯を食って寝たようだ。だが、そこまでの記憶がぼんやりとしている。認知症…じゃ、ないことを願いたい、切に!!!
「いや、それよりも…あの夢は…?」
そう、先ほどの夢。あれは何なのだろうか?確かに男の声で…"おまえのためなんだ"とかなんだとか…
(あるとすれば、|昔の因縁野郎《ゴミカス施設長》か…ああいや、|前の父親《アホ浮気男》かも。さすがに師匠…は、ないな。あんなふうに押し付けがましい言葉、師匠は言わないな。うん、解釈違い)
一応可能性を挙げてはみるが、やはりそんなことを言われた記憶はない。…277年も生きてたらわすれているのかもしれないが。
それに、声も違った気がする。今までの誰よりも、あの声は切なげで、まるで…
「恋人への言葉、みたいな………」
切なげで、心配さが滲んでいて、でも、どうしようもない愛おしさからくる甘さで、くらくらするような、そんな声だった。庇護欲や支配欲とは到底無縁そうな、そして
「…オレにも無縁だろうな、あんなのは」
先ほどの"仕事"を思い出す。暗い影の中で、血で彩られながら罪を犯す職業。時に体をさらけ出して、時に敵も味方も、自分さえも騙す。
そんな仕事をしている人間にあんな台詞を吐くだなんて、それこそ同業者かイカれ野郎か、軍人くらいしかいない。そして、そんな奴とは寝たこともない。つまり、あれはオレの願望だろう。だいぶオレの好みな気配がするし。
「…いいなぁ、夢の中のオレ。こっちじゃそんなん、言って貰えないよ」
はぁ、と息を吐く。もともと男が好きだから恋愛はハードルが高いし、見た目と性格のせいでなかなか長続きもしない。
オレにもあんな彼氏いたら良いのにな~と思いながら、ベッドに逆戻りする。
いま眠れば、夢の中の彼に会えるだろうかなんて、期待を持ちながら。
◆To be continued…?
「…良かったのか?■■■。おぬし、あんなに■■と…」
「もう良いんです、師匠。俺は…もう、■■とは会えないんだから」
「…おぬしがそう言うのであれば、我は咎めぬが…」
「…一つだけ、頼みごとをしても良いでしょうか」
「なんじゃ?我にできることであれば、なんでもしてみせようぞ」
「もし、もしも■■が…………たら、知らないフリしてくれませんか?」
「っ…構わぬ、が…おぬしは、」
「気にしないでください。…きっと、俺のことを忘れて楽しくやってくれるはずですよ」
「…そうか。…ようし、分かったぞ!師匠にどーんと任せておくのじゃ!!」
「頼りにしてますよ、リー師匠」
第八話「癒えぬ傷跡」
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
あの痛ましい戦争から、はや一ヶ月が経とうとしている。
あれからシイさんは、フーゾさんのことを一度も話題に出すことはなかった。というより、あの素振りからして…
(多分シイさんは、フーゾさんのことを忘れてしまったんだろうな…)
フーゾさんの葬儀の日、シイさんが放った「フーゾって誰?」という言葉。初めは彼なりに立ち直ろうとしているのかと思ったが、様子を見に来たリンくんから「アイツは本当に忘れてる」と言われてしまえば、それを信じるしかなかった。
すっかり短くなってしまったシイさんの髪の毛が、視界の端で揺れている。忙しなく動く彼は、久々の休暇に浮かれきっていた。
「ね~零くん、ホントにおうちで過ごすの?オレと一緒に繁华街行かないの?」
「何回も言ってるでしょう…また今度一緒に行ってあげますから。今は気分じゃないんです」
「え~?もう、零くんのいけず~!いいもんね、オレ一人で満喫しちゃうもんね!」
「はいはい、楽しんで」
シイさんはむ、と口を膨らませたが、すぐにいつものニコニコとした顔に戻る。フーゾさんがいた時と何一つ変わらない、太陽のような笑顔だった。その笑みに、一人置いていかれたような、寂しい気持ちになる。
古い記憶だが、昔に本で「解離性健忘」というのを見たことがあった。確か、強いストレスやトラウマから心を守ろうとする症状で、いつか記憶が戻る…とあったはずだ。
ただ、それがシイさんに当てはまるのかと言われてしまうと…正直、よくわからない。彼はあの出来事ではなく「フーゾ・ギディオン」に関する"全ての事柄"を忘れてしまっているようだった。
何よりただ忘れているだけでなく「記憶のすり替え」も起きている。シイさん自身は自分の記憶に違和感を持ってはいないが、記憶を失くす前の彼から聞いた話と違うものが幾つかあった。それも、フーゾさんに関することだけ。
それは健忘というより、まるで《《誰かが意図的に記憶を改竄した》》ようで、それが少し引っ掛かる。だが、それだけだ。手がかりも何も、掴めやしない。
(僕にできることは、何もない。…いつもそうだったし、これからもそうなんだ)
今も鮮明に思い出せる、シイさんの悲痛な叫びと、何もできずただ眺めていた、フーゾさんの最期。シイさんと最期に言葉を交わした彼は、安らかな顔をしていた。それはシイさんにしか引き出せないであろう顔で、僕にはできっこないことだ。
肝心な時に何もできない自分が嫌だった。だから変わりたいと思って、シイさんの善意に甘えてここに来た、はずだったのに。
「…やめよう。考えても、変わんない」
ふ、と息を吐く。シイさんの誘いを断った手前罪悪感はあるが、気分転換のために外に出掛けることにした。別に、見つからなければいい話だ。
---
「あら、アンタこの間は大丈夫だったかい?死にそうな顔して、ふらふら~って歩いてたけども」
「あ、はぁ…ご心配をおかけしました…?」
「お~い、一昨日はありがとうなぁ。お嬢ちゃんが運ぶの手伝ってくれなかったら、ウチは潰れちまってたよぉ!」
「おじょ…?!…いえ、お気になさらず…?」
「あれ、アンタこないだの子だよな?髪の毛切ったのか。三つ編みも似合ってたが、今のショートカットも良いね」
「ありがとう、ございます…?__三つ編み…?__」
なんか、今日はやけに声をかけられる。しかも、ことごとく人違いだった。初めは妙なこともあるものだと思っていたが、さすがに5回目を越えてからはそれが違和感へと変化するのも無理はないはず。
しかももっと奇妙なことに、人違いだと説明すると、皆口を揃えて「顔も声も同一人物レベルでそっくりだった」と言うのだ。…そしてその後、思い出したかのように「確かに、今よりも背は高かったかも」とも。
(身長に関しては余計なお世話だけど…そんなにそっくりなのは、逆に見てみたい)
好奇心が疼く。ドッペルゲンガーかもしれない、世界中の三人はそっくりというが、ここでもそういうものなのだろうか、もし鉢合わせたら、死ねるのだろうか。
凄く気になる。うん、気になって仕方がない。であればまずは、情報収集からだろう。
(別に、双子を探していると言えばいい話だし。暇潰し程度にやれば、良いよね?)
とりあえず、次から話しかけてくる人に聞いてみよう。そう思い、一歩踏み出した。
---
モヤモヤする。寂しい。まるで、大事な忘れ物をしているような感覚だ。
別に、零くんに構って貰えないから寂しい訳じゃない。元からそう言うものだったし、そこが可愛いから、良いのだ。そうじゃなくて、何かもっと大きくて、大切な何かを忘れてしまっている気がする。…あ、零くんも大切だかんね!!勘違いしないでね!!!
はぁ、と息を吐く。久々の休暇なのに、気分はどこか上がりきらないままだった。なんだか、ひどく虚しい。
そう思うようになったのは、多分、オレが髪を切った日からだった。ふとした瞬間に_例えばソファが広いであるだとか、皿を多く出してしまうだとか_そういった時に、どうしようもなく寂しい気持ちになる。ここ数週間のオレは、オレらしくなかった。
オレがそんなだからだろうか、零くんもリンも、軍の部下達も皆、ここ最近はやけにこちらを伺うような視線を向けることが多いのだ。心配して貰っている対して、喜びもあるが…何より、申し訳ない気持ちになる。
これも全て、オレが何かを忘れているような気がしているからなのだ。その"何か"さえ分かれば、きっと元に戻るはず、なのに…
「"それ"が中々思い出せないんだよなぁ……」
はぁ、と大きなため息を吐く。ぼんやりと繁华街を眺めていると、大きな龍の看板が目に入った。あれは、ここらで信仰されている自然の…
「…あっ、師匠だ!!」
(そうじゃん、あの人ならきっと何とかしてくれるよ!そうでなくとも、話くらいは聞いてくれるはず!オレってば冴えてる~!)
天才的な自分の思い付きに称賛を送りつつ、あの看板を出していた知らん店に心の中で感謝をする。あの店が何なのかは知らないし、そもそも店かどうかすら分からないが、とにかく助かった。
善は急げという零くんの言葉のように、思い付いてからすぐに、師匠のいるであろう場所へと向かう。
師匠というのは、オレが昔研究所にいたときに引き取ってくれた人だ。といっても、ただのヒトじゃない。
(たぶん)彼の名前はリー。ただのリーだとあの人は言っているが、その正体はここらで最も有名な神様の一柱である「自然の神リー」だ。まぁ、あの神話では彼は一貫して龍の姿で描かれているが、実際はヒトと同じ形をしている。オレといっしょだ。
師匠は偉い自然の神様だからか、同じ神様同士での交流がとても多い。彼らの縦の繋がりではなく横の繋がりといった感じの雰囲気が、オレはとても好きだった。
そんな師匠から、前に「記憶の神」という友達がいると聞いたことがある。確かに神話にも登場していたし、そこでは記憶を消したり逆に甦らせたりと、自由自在に操っていた。なのでオレは、記憶の神様なら自分の記憶も甦らせてくれるのではないか?という仮説を立てたのだ。
もし駄目でも、まぁ、その時は悩みを聞いて貰って、ついでに豆知識か何か教えて貰えばいいなぁ、という逃げ道も作りつつだが。
道すがら、幼少の記憶を甦らせる。師匠はなんだかんだ言ってオレには甘かったし、優しかったし、おしえてって言ったら大体のことは教えてくれた。確実に愛されているに違いない、とオレは思っている。
何回か愛弟子って言ってくれてたし、多分何とかしてくれるだろう。だって、師匠だし。頼れる物には、頼れるうちに頼っとかないと。
「駄目じゃ、教えられん」
「そ、そんな~…!!」
開始早々、凄い勢いで断られてしまった。さすがにアポ無しで行ったら断られちゃうか、と少し反省する。これはオレが悪い。ならば、とりあえず話でも聞いて貰おう。
師匠はいつでも話しにおいでって言ってたし!これなら別にオレが悪くなることはないよね!
「じゃあししょー、ちょっと聞いてほしいことがあんだけど…」
「駄目じゃ、聞けん。悪いが帰ってくれ」
「えっ…?!!!」
完膚なきまでに断られてしまった。いや、これに関してはおかしいだろ…?!!
「な、なんでぇ???だって、ししょーオレにいつでも話に来いって…」
「こればっかりは駄目なんじゃ、すまぬ」
「そ、そんな…そしたらオレ、どうすればいいの…?!!」
◇To be continued…
【次回予告】
「どうせなら、覚えときたいんだよね。恋人のこと」
「…愛しく想っている者がいないというのは、辛いのじゃぞ…?」
「僕もまた、あなたと同じ落安零だからですよ」
第九話「雨の音、のちの会合」
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
【前回のあらすじ】
最愛の恋人であるフーゾを亡くしたショックからか、記憶を失ったシイ。それでもなお恋人がいたころの感覚が抜けないシイは、その原因を探るべく、自身の師匠であるリーを元を訪れたが…
その頃、記憶喪失になったシイを心配する零は、気分転換のために自身のそっくりさん(?)を探すことにしたようで…
「え、ほんとに分かんないんだけど!なんでオレの話聞いてくんないの師匠!!」
「…その、無理なものは無理なのじゃ!もう良い歳なのじゃから、自分でなんとかせい!」
「じゃあ師匠は良い歳して年下に嘘ついたってことになるじゃん!棚に上げるにはその棚ちょっと向いてないと思うんだけど?!」
「~!もう、言えんのじゃ!愛弟子に頼まれたのだから、こればっかりは譲れん!」
「…え?」
「あ、あぁ~…じ、冗談じゃ…よ、ほほ…」
---
どういうことと詰め寄れば、師匠は案外簡単に話し出してくれた。正直師匠にガチで根比べされると、絶対に勝てないからとてもありがたいのだが。
話を聞いたところ、どうやらオレの記憶喪失に深く関わる奴に「絶対に知らんぷりしろ。記憶の神のことも教えるな」と言われたらしい。そしてソイツは、オレとおんなじ愛弟子のようだ。
「…フーゾ?」
「そうじゃ。それがあやつの名じゃよ…トホホ、駄目な師匠を許しておくれフーゾ…」
「いや、ホントに師匠ってそういうとこあるよね…それはフーゾって奴の判断ミス」
「良いとこみせたかったのにのう…」
どんまい、と師匠の肩をぽんと軽く叩く。
そういえば、零くんも前にフーゾって言ってたな…もしかしたら、零くんもソイツに言われて…?
「あ、おぬしらが最近囲ってる落安零とやらは何も関係はないぞ」
「そうなん?じゃあめっちゃ気ぃ遣ってただけか…悪いことしちゃったなぁ」
最近増えた視線はこれのせいだったか、と思うと少し気の毒になる。そりゃ、同居人が死んで、もう一人が記憶を失くしたとなれば戸惑うよな…まだ25歳の子供だし…
「しかし、オレに恋人がいたとは…やるなぁオレ。どうやって付き合ったんだろ」
「ああ、それは確かフーゾの方から告白したと聞いたことがあるぞ。…ここだけの話じゃが、一目惚れだったそうじゃ」
「ええ~っ?!オレに一目惚れ?!すげぇなオレ…!!!」
心の中で、やるじゃんともう一人のオレを小突く。もう一人のオレは、髪の毛が長かった。…そういや、髪の毛切っちゃったけど良かったのかな。もしソイツが長髪フェチだったらどうしよ。
…まぁでも、もう死んじゃったらしいし、いいか。
「…ねぇ師匠、オレの記憶を戻してって頼めたりしないかな。どうせなら、覚えときたいんだよね。恋人のこと」
「え、良いのか…?…愛しく想っている者がいないというのは、辛いのじゃぞ…?」
「…うん、分かってる。それでもだよ」
幼い笑い声が頭に響く。柔らかな日だまりのような、暖かな記憶。"それ"はもう経験済みだった。
「…そうじゃな、おぬしはそうじゃった。…良かろう。それであれば、使いを寄越そうではないか」
「使い…って、誰?」
「おぬしがよく知っておる奴じゃよ」
「ふぅん?ならいいか」
「今から呼ぶから、少し待っておれ」
「りょーかい!ししょーありがとう!」
そう言うと、師匠は満足げな顔をした。師匠、威厳ないから他の神様からもぞんざいな扱いされてるんだっけ。オレはちゃんと頼ってやんないとね!と、一人で腑に落ちる。
(…フーゾ、フーゾ。名前聞いてもわかんねーけど…でも、会えば分かるのかな)
待ってろよフーゾ、今迎えに行くからな、なんて、呟いてみてみたりして。記憶にない恋人に、少し心が踊る心地がした。
---
「え~、昨日は見たんだけど…確か、外郭地区の近くにいたような気がする。あ、双子なんだ?どうりでそっくりだと思った」
「ああ、あの人?体調悪そうだから声かけたんだけど、外郭地区に行くって言ってたよ。お兄さんなの?確かにそっくりだね。生き写しみたい」
「あ、さっきすれ違ったよ!あっちの角曲がってたから、多分急いだら会えるんじゃない?…ああ、そっか。兄弟なんだ、たしかに凄い似てるねぇ」
「本当ですか?!ありがとうございます、行ってみますね」
ものの数十分で、追い付けそうになってしまった…本当にこんなスムーズで良いのか?なんか、虫がよすぎる気が…
(…まぁ、襲われたら殺せば良いや)
随分物騒になってしまったなぁ、なんて他人事に自身を客観視する。殺し屋になってから、倫理観がおかしくなっているのはひしひしと感じてはいるのだ。
まぁでも仕方がない。殺せば全部なんとかなってしまっているのだから。
足を早めつつ、そんなことを考えているうちにやってきた角を曲がる。と、奥の方に黒い三つ編みがひらりと消えていった。
そういえば、前に話しかけてくれた誰かが男が三つ編みだと言っていたはず。きっと彼が、僕のそっくりさんだろう。
(てか、そんなにそっくりなのか…?生き写しは普通に盛ってるだろ…)
まぁ別に、ちょっと確認するだけだ。ハンカチがあるから、落としましたよくらいに話しかけて、顔を確認すれば良い。それで僕が死んだらそれまでだし、相手が死んでもそれまでだ。
もう一度角を曲がるが、今度は走らずゆっくりと覗くようにする。さすがに足音は消してたし、まぁ気配も控えめにしていたから感付かれてはいないだろう。そう思い、細く暗い路地裏を覗き込んだ。
「え」
鏡があるかと思うほど、顔のそっくりな男がそこにはいた。こちらをじっと、温度のない瞳で見ている。
すると突然、男がこちらに近づいてきた。思わず後退りしようとするが、そういえばここは角なのだから当然後ろは行き止まりだ。背中がとす、と壁につく。てか、後追ってるの普通にバレてた…恥ずかしい。
「…落安零さん、ですよね?」
「え、なんで、僕の名前…」
僕にそっくりの声で、僕そっくりの顔の人に僕の名前を呼ばれる。なんだか不思議な感覚だった。
妙な胸騒ぎがする。でも、何か新たな出会いに心が踊っている自分もいた。
男はふっと微笑む。その妖艶さに、思わず固唾を飲んだ。
「ふふ、分かりませんか?まぁ、無理もないですね…僕もまた、あなたと同じ落安零だからですよ。今は、Rという名前ですが」
【次回予告】
「お~ガチでシイさんだ」
「じゃあ…師匠、行ってきます!」
「シイさんはさぁ、フーゾさんに会ってどうすんの?」
第十話「八咫の導き」
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
【前回のあらすじ】
自身の記憶に違和感をもったシイは、急遽訪れたリーのもとでフーゾのことを聞く。記憶を戻して貰うために、シイはフーゾのもとへと行くことにしたが…
「すぐに来る」そう師匠が言ってからはや10分が経った。ちらりと師匠の方を見ると、明らかに呆れというか、諦めのような表情で遠くを見つめている。
たぶん、師匠は嘘は言ってない。それはリンくんじゃなくてもわかる。きっと「すぐ来れるはずの相手」がマイペースな奴なんだろう。師匠の顔からして、常習犯のはずだ。
「…すまぬ。すぐと言ったが、あれは嘘じゃ。恐らくもう何分かかかるであろう」
「りょーかい。まぁ、気長に待つよ」
それからさらに5分後。隠すつもりもなさそうな足音と共にソイツはやって来た。
「…あ、ケレファくん?なるほどどーりで」
「お~ガチでシイさんだ」
ひらひら、とけだるげに手を振りつつ、顔は常に薄ら笑いをキープ。猫背でも分かるオレよりもずっと高い身長が、妙な緊張感を与えてくる。
実に15分以上掛けてこちらにやって来たのは、よく殺し屋としての仕事でお世話になってる《《解体屋》》のケレファくんだった。なるほど確かに、よく顔を知ってはいる。
「久しぶりじゃの、ヤ…ケレファ」
「ん、リーさんもお元気そ~でなにより」
なんとなくのんびりとした雰囲気を纏っている二人は、昔からの知り合いらしい。といっても、ケレファくんにとっての昔だが。
「そんで、要はシイさんを天界に案内しろってことでいいんだよね~?」
「そうじゃな。記憶の岩戸あたりにおるじゃろ」
天界、記憶の岩戸…神話に出てくるものばかりで、今更ながら本当にあるんだなぁ、なんて思ってしまう。
いくよ~、と声をかけてくれたケレファくんに続いて、縁側から立ち上がり、師匠の方を振り返る。
「じゃあ…師匠、行ってきます!」
「…気をつけるんじゃぞ」
師匠がにこ、と笑った。その顔がどこか曇って見えたのは、オレの影に覆われただけじゃなかったのだろうか。
---
「…ああ、確かに死んだって聞いたかもね。でもすぐに忘れちゃった~…」
「いや、それはフツーに覚えといてよ…」
「あは、ごめんなさい」
二人で静かな砂漠を歩いていく。迷いなく進むケレファくんに着いていってはいるが、やはり不安は耐えない。大丈夫だろうか。
「不安?オレもね、も~何年も来てないから~…自信ないや、ごめんね~」
「ええ?怖」
ヘラヘラと、何が楽しいのか彼は笑っている。いや、目は笑ってないから、きっと楽しくないんだろう。あれが彼なりの処世術なのかもしれない。
(そういえば、ケレファくんのこと深く知ってる人っていんのかなぁ)
自分より幾分か高い頭を、後ろからぼんやりと見上げながら歩いた。
「…あ、あったぁ」
「すげぇ、いかにもって感じする」
そこには遺跡のように佇む_というかたぶん遺跡なのだろう_不思議な形の、赤い門が連なっていた。だが、それらは傾いていて、それが逆に不気味に感じられる。
「傾いてるけど…良いの?そのままで」
「いけるっしょ、たぶんね」
雑いな~と、思っていると、ケレファくんがするっと門の中に入っていた。オレも後を追って一つ目の門を潜ると、水中に潜ったような感覚が一瞬だけ訪れる。
(なるほど、ゲートね。てことはさっきのは結界かな?面白いなぁ)
基本的に、結界というのはドーム型に張ることが多い。一応、壁のように張るタイプもいるが…それだと、ドームと違って位置を決めるのが面倒なそうだ。あ、これ知り合いの結界系能力持ちからの情報ね。
だからこそ、ああいった風にドアのような形で結界を張るのは難しいのだ。きっと、これを張ったのは相当な腕前の魔法使いだろう。
一つ目の門を抜けたあとにも、何度か結界は張られてあったようだが、その全てに引っ掛かることはなかった。多分一つ一つ弾く条件が異なる結界だ、手間がかかるだろうに…。
それより気になったのは周囲の景色だ。門を潜るまでは、殺風景な砂漠がだだっ広くそこにあったはず。それがいつの間にか、草木の生い茂る、森…っぽいものになっていた。多分、森だろう…森、だよな?
「うーんマイナスイオンだね~」
「まいなすいおん?」
「ちょ~リラックスってこと」
「なるほど。確かにまいなすいおんだ」
水が流れる音、鳥の鳴き声、木の葉と木の葉が擦れ遭う音…様々な音が、そこはかとなく主張をしつつ、共存している。素敵な場所だ。
「記憶の岩戸まであとどんくらい?」
「う~ん、もうちょい。そんなないよ、たぶんね~」
「雑いなぁ」
「まぁ、そんなに歩かないから」
もうしばらく歩いていれば、すぐに門の終わりがやってきた。だが、記憶の岩戸らしきものは見えない。それでもケレファくんは歩き続けていく。
「足元にね、岩戸に続く石の足場があるの。だからそれ辿ってってね~」
「了解!」
確かに足下を見ると、少し苔むした石の足場がある。親切だなぁ、なんて、感心してみたり…
「シイさんはさぁ、フーゾさんに会ってどうすんの?記憶戻してもらうだけ?」
「ん~まぁそんな感じかな。もしかしたら連れ戻したりするかもしんないけど…」
「…ふぅん、そっかぁ」
「なんでそんなこと聞くの?」
「なんとなく~?」
なんとなくかぁ、と呟きながら足を進める。ケレファくんの顔は見えないが、きっと今も口だけが笑っているのだろう。本当に不思議なコだなぁ。
---
記憶の岩戸は、そこから案外近いところに位置していた。神話通りの外観で、洞穴に大きな岩で封をしただけ、といった風貌は、正しく岩戸の名にふさわしかった。
岩の近くによってみると、岩にむしていた苔が少し抉れている。恐らく最近動かされたのだろう。
「じゃあオレはこれで帰るね~」
「え、もう行っちゃうの」
「だって案内だけだし、ほら、水入らずよ」
じゃあね、と言ってケレファくんはそのまま来た方向へと戻っていってしまった。さすがに何かあった時のために戦力が欲しかったのだが…行ってしまったものは仕方がない。
記憶の岩戸へ向き直る。苔むした、触るとほんのりと冷たさを伝える大きな岩。この向こうに、オレの記憶を消したやつがいる。オレの、恋人がいる。
あっという間にここまで来ちまったものだから、今更零くんのことを思い出した。今、時間はどのくらいなのだろうか。ちゃんとご飯を食べているのだろうか。不安になった。
とにかく早く済ませよう、と岩に手を掛ける。押して、引いて、手の位置を変えて、また押して、引いて…そして、ふと思った。
(…これ、どうやって開けんのさ)
その岩戸は、あまりにも重かった。それはもう、人の手では動かせぬほどに。
◇To be continued…
【次回予告】
「もしも~し?いますか~?!」
「分かったって…ったく、後悔するなよ」
「オレ、大好きなひとが死んでいくのもうヤだよ…」
第十一話「岩戸前問答」
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
【前回のあらすじ】
記憶を戻してもらうため、フーゾのもとへ行こうとするシイ。解体屋のケレファの案内もあってか、無事記憶の岩戸へとたどり着くことができた。
しかし、岩戸が開かれる様子はなさそうで…
「もしも~し?いますか~?!」
「…」
「いるよな~?!気配するかんな!」
「…」
「いるなら返事しろ~!!」
「…」
ひとまず岩戸を自力で開けることは無理だと断念したオレは、現在岩戸の奥にいるであろうフーゾに語りかけていた。多分5分くらいずっとこのままだろう、いい加減拳とかがいたい。
と、いつの間にか拳から血が出ていた。そんなに強く叩いた記憶はないが…いつの間にか強くなってたのかもしれない。
「…一旦休憩するか。手ェ痛いし…」
「…!」
小さく溢すと、岩戸の奥からわずかな息づかいが聞こえた。オレが手を痛めたという事実に、フーゾが動揺したのだろうか。
(心配ついでに開けてくれたりしねぇかな)
そう思いながら岩戸に背を預けると、岩戸がかすかに動いた気がした。突然の進展に心が跳ねる心地はするが、あえて気づかないフリをする。すると、少しずつ、本当に少しずつだが岩戸が開いていく。
(…ホントにオレのこと好きなんだな)
そうして少し経ったあと、ちらと横を見やると、紫の瞳と視線がかち合った。吸い込まれるほどに美しい、空のような目。相手が驚いているからか、その色は揺れていた。
すぐに岩戸に手を掛ける。相手も意図に気がついたのか岩戸を閉めようとするが、オレの足を挟んで閉められないようにした。
「よぉ~し顔見せたな、やっぱいるんじゃねぇかよ。無視すんなや!」
「ちょっと足、足退けろって、挟むぞ?!」
相手も必死に抵抗しているのだろうが、力の差かじりじりと岩戸は開かれていく。フーゾとやらの素顔は完全に日の本に晒されていて、それはそれは綺麗な顔だった。だが、その顔も今は力比べで歪んでいる。それでも綺麗なんだから大したもんだ。
「開けてくれれば良いだろ!ホラ!」
「…んも~、しょうがないなぁ~…!!」
数分間の問答ののち、ふっと、相手の力が抜けたのが分かる。そのまま勢い良く…とは行かないが、ゆっくりゆっくりと岩戸を開けていった。もしかしたら、先程まで岩戸が開かなかったのは内側でなんかされてたからかもしれない。
岩戸の奥には、呆れたような、でもどこか寂しそうな顔の男がいる。見覚えはないが、だいぶ好感の持てる容姿をしていた。
「アンタがフーゾ…だよな?記憶ないから分かんないんだけどさ」
「…そうだよ、俺がフーゾ・ギディオン」
不満げな顔から、ため息が漏れる。その名前にどこか懐かしさを覚えたのは、きっと気のせいではないだろう。
ふと、本来の目的を思い出す。顔が好みすぎて忘れてたが、オレはコイツに記憶を戻してもらいに来たのだ。
「んじゃ、オレの記憶戻してもらおーか!」
「分かったって…ったく、後悔するなよ」
そう言うや否や、フーゾはオレの方に手を伸ばして魔法を発動する。頭がぼんやりとしてきて、耳鳴りがひどくなっていった。
次第に立っていられなくなって、膝から崩れ落ちそうになると、フーゾがオレのことを支えてくれる。その顔に明確な懐かしさを感じたのを最後に、オレは意識を手放した。
---
「…で?なんでオレの記憶を消しちゃったのかな~フーゾく~ん?」
「…いひゃぁい」
今俺は、明らか怒ってる顔のシイに顔をつねられている。心なしか、いつもよりこもっている力が強い。
シイが倒れたあと、俺はシイを支えながらもずっと記憶の復元を行っていた。数百年分の記憶を一気に戻すと、その分対象者の脳へのダメージも大きくなる。なので、ゆっくりと記憶を復元したあとに、念のため回復魔法もかけた。
数十分ほどかかったが、その甲斐あってか起き上がったシイが幼児退行することもなかったし、頭痛を訴えるようなことも無かった。
まぁ、シイに元気があるから今俺は頬をつねられているんだが…それもそうか、勝手に記憶消したしな…
記憶の神、一応知識として知っていたし、前任者については同じ神であるリー師匠から話しも聞いていた。でも、自分がその座につくだなんて、到底思っていなかったのだ。
戦時中、負傷しているらしい兵を手当てしようと近づいた俺は、そのまま撃たれて死んだらしい。何とも情けないというか、呆気ない最期だと自覚してはいる。
問題はそれから。死んですぐに、リー師匠が俺に持ちかけたのは「神格化」という儀式だった。どうやらそれは「ただのヒトが擬似的に神に成る」というものらしく、対象の生死は問わないようで。最初は断ったのだが、結局勢いに負けて承諾してしまったのだ。
そんなこんなで記憶の神になった俺が始めにやったことは「恋人の記憶を消す」ことだった。理由は単純、俺のせいで恋人に影が落ちることが嫌だったのだ。
そりゃあ寂しい気持ちはあったし、勝手に記憶を消すなんて許されることでもない。それでも、それでもシイには笑っていて欲しかったのだ。
「だから、シイがわざわざ直談判しにここに来るなんて思ってなかったんだよね」
「オレだって、まさか記憶消されるとか思わなかったわ!」
また頬をぐいーんと引っ張られた。一見すると怒っているように見えるが、橙赤色の目は潤み、怒りに歪んでいた眉毛は、次第に下がっていく。噛んだ唇から血が出ないかが心配だ。
「…フーゾ、ほんとに、もう帰れないの?」
「それは…」
「零くんも、きっと心配してるよ?ボスだって、最近大変そうだし、」
「…」
「…オレ、フーゾがいないと、生きてけない…また、フーゾの作った卵焼き食べたいし、まだ、やりたいこともあるのに…」
シイが、俺の肩に頭を押し付けてくる。体に回された腕が、強く強く締め付けて、少し痛いし、息も苦しい。
「オレ、大好きなひとが死んでいくのもうヤだよ…フーゾのこと、失いたくない…!!」
「…シイ」
きっと、シイはもう俺が帰ってこれないから、せめて長く一緒にいようと思っているのだろう。だからこそ、俺もシイに伝えないといけないことがあるのだ。
とんとんとシイの腕を触り、離すように促すと、こちらを伺がうような視線を向けたあとに、腕の力が緩む。その隙にシイと距離を取り、両肩を掴んだ。
シイの目には、涙が浮かんでいる。目元を優しく拭うと、その手に頬を寄せられた。潤んだ目で見られれば、俺もたまらない気持ちになり、思わず眉を潜める。
「…フーゾ?」
不安げな声のシイを宥めるために、添えた手で頬を撫でた。次第に、周りの音が聞こえなくなってくる。シイがゆっくりと目を閉じたので、俺もシイの方へと顔を寄せた。
「…シイ、俺さ」
「…ん」
「……戻れるんだよね、元の世界」
「…は?」
シイが勢い良く目を見開く。下がっていた眉毛はまた眉間にシワを寄せながらきっと上がり、唇はわなわなと震えていた。
「…ゴメン。なんかほら、そういう雰囲気だったから…あんま言わない方が良いかなって…」
「…__そ__」
「そ?」
「それを、早く、言えーっっ!!!!!」
軽快な音を鳴らしながら、頭を叩かれる。勢い良く立ち上がったシイの顔は俺を睨み付けているが、下がった耳の先は赤くなっていた。その赤みは、顔にもじわりじわりと広がっていく。
「…可愛いねぇ」
照れギレしているシイを見るのは久々だったからか、その顔をじっくりと見ていると、なに見てんだ、と爪先が膝に飛んできた。手加減を感じる威力ではあるが、い、痛い…
もう一度シイに謝って、俺も立ち上がる。どうやらシイはヘソを曲げてしまったようで、顔を合わせてはくれない。
だが、もう帰るぞ!とぶっきらぼうに差し出された手を握ると、ぎゅうと強く握り返される。手は恋人繋ぎの形をとっていた。かわいいやつめ。
そのままぐいぐいと手を引っ張られ、帰路につく。二人で手を繋いで帰るのが、何故だかとても、久しぶりに感じた。
「ねぇシイ、戻ったら零くんにも謝んないとだね」
「…あと、ボスとリンくんにもね」
「ね。…その時は、一緒にいてくれる?」
「…当たり前だろ。それ以外も、だかんな」
「だね」
◇To be continued…?
幕間「黄昏の夢が覚めるころ」
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
数多の門を潜り抜けながら、俺は自分の手を引くシイの後頭部をぼんやりと眺めていた。光を受けてきらきらと輝く白髪は、俺の記憶よりもずっと短く整えられている。
(やっぱり、髪の毛邪魔だったんじゃん)
それを見て、ほんのすこしだけ、寂しい気持ちになった。そらまぁ記憶を消したのは俺だし、シイが伸ばす理由だって、無くなるんだろうけど…
昔、シイに髪が邪魔じゃないのか聞いたことがある。その時シイの髪は括れるほどで、実際シイは髪を結っていたのだけれど。それでも、彼の性格を考慮するとそれは邪魔そうに見えたのだ。それに実際、耳にかかってゾワッとなっていたり、首の後ろの熱が逃げず暑そうにしていたし。
詳しくは覚えていないけれども、確か少し迷った後に返ってきたのは「邪魔じゃない」という旨の返事だった。きっと、俺がシイの長い髪を気に入ってることに気がついていたからこその言葉だろう。当時はそれが、嬉しくも少し申し訳なかった。
シイはときどき、嘘をつく。といってもそれは、別に騙してやろうとかそういう、悪意に満ち溢れたものではない…はずだ。少なくとも俺は、そういう嫌な嘘をシイにつかれたことはない。
シイがつくのは、どれも善意からの嘘だ。無意識につくものや、意図したものなどの差はあれど、全て善意からのもの。
今回だって、俺がいなくなった途端に短くしたのだから「邪魔じゃない」というのはシイなりの優しい嘘だったのだろう。実のところ、いつもは本音をズバズバ言うのに、そういう時だけ遠慮されるのは、なんだかムカつくし寂しかった。
それでも、あれもシイなりの優しさなのだと思えば悪い気は軽減される。いや、むしろ手がかかる分可愛さすら覚えてきた。
(お世辞は言わないのに、こういうとこだけ遠慮しちゃって…)
俺の恋人は可愛いから、今回の嘘は無罪。そう頷き、一人裁判を閉廷する。突然頷いた俺に気がつき振り向いたシイは、怪訝そうな顔をしていた。
「なぁに?どうしたの」
「んーん?…久々に会えたな~って、実感してる」
「んふふ、なにそれ~」
くふくふ、とシイが笑う。ああこれこれ、こういうのが見たかったんだよと、俺も自然と笑顔になった。
嘘なんて、シイよりも俺の方がよっぽどつくし、俺に関しては悪意のある嘘も…ないことは、ない。俺の方がよっぽど重罪。
つまるところ、そんなことを気にしていても仕方がないのだ。今は回想より、久々のシイとの時間に浸っていたい。
いい加減顔が見たくなってきて、歩幅を調節する。そうしてシイの隣に並ぶと、シイが嬉しそうにこちらをじーっと見てることに気がついた。
「…俺ドーナツになっちゃうよ」
「そしたらオレが食べちゃうから、安心してチョコレート味になってね」
「なんで味確定してんの?」
シイは俺が死ぬ前と変わらない会話をして、変わらない笑顔を見せてくれる。その笑顔が愛おしくて、堪らなくて、胸が生娘みたいにきゅんとした。
周りが甘い雰囲気に包まれ、視界がシイ以外映らないくらいぼやけるような錯覚に落ちる。あ、キスしたい。
「…んね、シイ」
ぐい、とシイの体を引き寄せる。そのままゆっくりとシイの顔に顔を近づけて、位置を調整しつつ…
「え、ヤだよ。帰ってからね~」
唇の前に人差し指を出される。そのまま、シイの指がつう、と俺の下唇をなぞった。その触り方が、なんとなくその、こう、刺激的で。駄目というのにこれでは、生殺しも良いところだ。かっと耳が赤くなるのがわかる。
「……なんも、言ってないんですけど」
「お顔は正直なのよね。書いてあるのよ。お仕事のときそんなで困んないんですか?軍人サン」
「礼儀知らずのシイに言われたくない~…」
なんだか気恥ずかしくって、思わず子供のように言い返してしまう。悪戯っぽく笑うシイは、そのまま俺の頬をつっつきだした。男の頬なんて柔らかくなかろうに、何が楽しいんだか。より固くしてやろうと、頬を膨らませた。
「ンフ、可愛い。でもそんな顔してもダメ~、おうち帰ってからだかんね~」
「…はぁい」
ふっとよぎった邪な思いを払って、機嫌よく俺の先を歩くシイの隣に並んだ。
(こんな風に並んで、手ェ繋ぎながら歩いたの、いつぶりだろう)
懐かしいような甘酸っぱい気持ちに、これなら死んだ甲斐もあったかな、なんて不謹慎なことを考えてみたりするが、すぐに頭を降る。今はただ、この柔らかい心地を味わっていたかった。
---
「…あれ?零く~ん?」
「出掛けてるんじゃない?買い出しとか」
「ええ?でも、今日はおうちの気分だって言ってたのに~…」
うーんと首をかしげるシイは、不思議がってはいるものの不安さは微塵も見られない。この数年で、シイも随分と零くんを信用してきたなぁと、俺も勝手にしんみりしてしまう。
浚ってきたすぐだったら、シイはきっと凄く心配した。当たり前だ、俺だって心配する。なにせ零くんは、この世界に慣れていない、可愛くて赤ん坊ぐらい幼い子なのだから。そんなことを彼に言えばきっと怒るか呆れるだろうし、そういう状況に陥れたのは紛れもないシイと俺なのだが。
でも、今は違う。零くんはもう、何も知らない子供ではない。俺達の手を借りつつも…結局、足を踏み入れたのは零くんの方だった。大切な決断は彼に委ねる、そんな俺とシイの育児方針に乗っかって。
「ま、お出かけしちゃったならしゃーない。帰ってきてからお披露目だ」
「俺はお誕生日プレゼントですか?」
「そんくらいめでたいでしょ」
そう言いながら、シイはぼすんとソファーに座る。小首を傾げながらにこりと笑う姿はどんな年頃の生娘よりもあどけなくて可憐な姿に見えた。か~わいいっ。
「そう言われますと、照れますなぁ」
当然のように一人分開けられた隣に腰を下ろす。別に照れるようなことでもないが、それはそれとして零くんが俺の帰還を誕プレ並みに喜んでくれたら、それはもう嬉しいだろう。
横に並んで、肩を合わせる。そういえば最近は零くんを間に挟み込んでぎゅうぎゅうにすることが多かったから、ちょっと新鮮だ。
手持ち無沙汰になり、片側はシイの手に重ね、もう片側でシイの髪をいじる。短くても、結局は俺の大好きな彼の色なのだから良しとしよう。そういうシイはこそばゆいのか、くふくふとまた違う笑みを浮かべていた。
「…シイさぁん、なんか忘れてない?」
あまりの気の抜きように、思わず帰路で話したことを掘り返してしまう。シイは少し考えるように視線をやると、すぐに納得したような表情をした。うん、忘れてたね。
「へへ、忘れてた」
「も~しっかりしてくださいよ奥さん」
「あらやだもう歳かしら」
「それは俺にも刺さるから勘弁して」
今の俺らの間に甘い雰囲気など微塵もなかったが、これ以上脱線するのも避けたかったため、性急にシイと顔を重ねる。
なんども繰り返して、段々視界が甘くぼやけていく。これが恋は盲目ってことかしら。
「…久々な感じするねぇ」
「まぁ、それはそう。だから満足ライン高めだけど、良い?」
敢えてだいぶあざとめに首を傾げた。シイは俺のこういうところに弱いのだ。案の定「もう、仕方ないなぁ~」と首に手を回してくれる。チョロいけど、それは俺にだけなので安心安心。
「…部屋行こっか」
「え、もうちょい進めない?」
「進めない。これ以上は引っ掛かるから」
「何に?」
「…年齢制限とか?」
「なにそれぇ、まぁいいや!いこ!」
「ハイハイ。…じゃあ、そういうことなので。幕間はこれにて閉幕です、なんてね」
たそがれどきは、またこんど。
◆To be continued…?
第ⅩⅡ話「ちいさな嘘と大きな罪」
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
「だからぁ!アンタがボスの同級生だって聞いたから!ボスのこと知ってそうなアンタに教えてほし~の!__ちょ、フーゾ邪魔__」
「あーーーすいませんすいません本っっ当に、あの一回ちょっっっと今の発言は忘れてくださると有り難いですあの本当に申し訳ないです……!!!!!__シイは一回下がれ!!__」
今にも駆け出して相手との距離をぐいぐいと詰めてしまいそうなシイを、必死に引き留める。やはり実戦経験はシイの方がずぅっと上なので、抑えるのも一苦労だ。現に、今も足がズリズリ引きずられている。
何故俺がここまでシイを必死に抑えているのかというと、シイが飛びかかりそうな相手がかの有名なオルカ・オルクスその人だからだ。オルカ・オルクスと言えば、メーラサルペ国の総統であり、心優しく義理堅いと有名な御仁である。
記憶力が良い方なら覚えているかもしれないが、メーラサルペは過去…というかついこの間の俺が死んだ戦争で、一応敵国だった国だ。…国の長がいるので、あくまで「一応」と付けさせていただく。
まぁもう戦争は終わったし、普通に何事もなく交渉しているから敵国云々は問題ない。問題は、相手が敵国を抜きにしても「国の長」という立場であることだ。
…さすがに、他国の総統に詰め寄るのはヤバイ。特に、敬語も気も使わないシイとなると、ワンチャン首が飛ぶかまた戦争になるだろう。それだけは避けたい。なので俺は今シイを抑えている。
そして何故シイが|総統《クリスさん》のことを知りたがっているのか。それは遡ること……えー、1日以内の話だった。
---
空回りしまくって、シイ含めた皆に迷惑も心配も心労もわんさかかけた俺は、あの後多方面に謝罪をしに行ったのだ。
総統や榊くん、リンくんなんかはちょっと呆れるくらいで最後は笑ってくれたけど、ウチの隊の奴らはめちゃくちゃ泣いてた。ちょっと不謹慎だけど、自分の慕われ具合が分かった気がして、少し嬉しかったり。
今はとりあえず無断欠勤による謹慎処分という名の休暇を与えられ、シイと久しぶりにのんびりと家で過ごしている。二人でゆっくりしていると、突然シイがかかっていたブランケットをはね除けた。
「…なんか、変!!!」
「…それは家?それとも絵?」
「?いんや、あの戦争がね」
突然ベッドから起き上がって考え出したシイに、賢者タイムの来訪を感じつつ相槌を打つ。こういうことはよくあるし、この時のシイはなかなかに冴えている。接し方の分からなかった相手のあしらい方も、行き詰まった政策も、仕事の資金繰りの仕方も、大体ここで思い付いているまであるのだ。
さぁ今回はどんなもんだと聞けば、どうやらシイはこの間の戦争に違和感を抱いているらしい。…この間の戦争というのは、俺が死んだ思い出深い戦争のことだ。
ま~確かに戦争に至るまでがちょっと強引というかこじつけというか、あと諸々の期間も短すぎた。普通なら戦争のキッカケなんて周囲から見ても一目瞭然な何かがあるはずなのに今回は無かったし、準備期間も戦争自体の期間も少なすぎる。
一つ一つだけなら「まぁそんなこともあるか」程度だが、集めれば何らかの策略が見えそうだ。面倒なので見ないが。
「ア!!!!!そういえばボスがめっっちゃヘンなコト言ってた!!!!」
「その心は」
「えーーーーなんだっけ、なんか、詮索したらぶっ殺されそうになった。あとあとあと…ア、暗殺隊ニートだったし」
「それは怪しすぎるな…」
ウチの総統は、自慢だがわりと部下に優しいと思う。今回みたいに何か物事が起きた理由を聞けば丁寧に教えてくれるし、字の読み書きができないヤツらに向けての講習会を主催しているのも彼女だ。…ウチの国は就学率がとんでもなく低く、字の読み書きができないヤツが多いためであるが。
分からないことは教えてくれるし、シイみたいに礼儀の無いやつのことも笑って許してくれる。だからこそ、そんな彼女がたったそれだけのことで殺気を向けるのは不思議な話だった。
何より、戦争というのは大抵その集団の大将を取って戦意を削ぐか、脅して降伏を促すのが一般的である。そのためにシイの率いる暗殺隊は存在すると言っても過言じゃないのに、今回はミリも稼働されなかったらしい。
今回俺は医療隊で恐ろしく働かされていたからあまり彼女の様子は知らないのだが…話し半分に聞いている限り、それはもうほぼ確でクロだろう。
だが、それを知ったところで別にどうにもなるわけではあるまいし、どうにかしたいわけでもない。
それに、総統ってわりと何考えてンのかよく分かんないときあるし…終わったことを突っつかれたら、それは彼女にとっても良い迷惑だ。
「なんでこんなことしたんだろ…」
「なんでだろねぇ…あ、そういえば」
「フーゾ」
シイがこちらを振り向く。じっと橙赤色に見つめられ、思わずたじろいだ。ホント、キレーな目だな……轟々と燃える炎のような、暮れていく夕焼けのような瞳。先ほどまで潤んでいたが、今はそうでもないらしい。
すると目が弧を描き、顔全体がにぱっと笑みを浮かべる。あーーーイヤな予感。
「ボスに聞きに行こ!」
「コラコラコラコラ…」
「じゃ~聞き込み!!!聞き込みだ!!!」
「も~このお元気いっぱんわんこさんはさァ~…俺も着いてくからね!」
---
と、いうことである。最初は同じ隊のヤツらや他の隊の隊長副隊長だったのだが、どこかでシイが「オルカ・オルクスは総統の学友である」という情報を掴んだらしい。
そこからはも~早かった。爆速でメーラサルペに移動し、爆速で手続きを済ませ総統との面会も押さえた。マジでどうやってやったのか分からないが、シイの度胸と愛嬌と行動力の成せる業だと思う。彼、俺の恋人なんですよ。どうすか、いいでしょう。
いや、それよりもまず困惑しきっているオルクスさんをどうにかせねばならない。だいぶかわいそうになってきたから。
「申し訳ないです、オルカ・オルクス総統…コイツ気になるとすぐ突っ走る性格で…」
「ああいや、構わないが………その、君……」
良い言い方を探しているのか、オルクスさんが言い淀む。どうしたのかとシイと顔を見合わせると、意を決したように彼がこちらを向いた。
「…その、君はフーゾ・ギディオンだよね?クリスの補佐官の」
「ああ、申し遅れました。私は混乱的城市軍医療隊隊長兼総統補佐官のフーゾ・ギディオンです。こっちは暗殺隊隊長のシイ・シュウリンですね。…その、どうかしましたか?」
「いや、一応先の戦争によって殉職したと聞いていたから…少し驚いていたんだ」
「ハハ、色々事情があったんですよ…」
「…そう…」
「あ~」と、納得する。そうか、確かにそちらに報告はしてなかった。てかする義理はないのだが。
だが、なんとなく妙な引っ掛かりを覚える。オルクスさん顔色悪いし、少し考え事をしているのか上の空気味だ。大丈夫かしら。
「それでええと、シイ…さんは、クリスの事を聞きたいのかな?」
「そう!てかまず戦争の理由から!!」
「、…うーん、そうは言ってもなぁ…」
一瞬オルクスさんの言葉が詰まる。瞳孔が少し開いた、これは何かあるだろう。シイもなんとなく分かったのか、オルクスさんの瞳を観察するようにじっと見つめ出した。
当のオルクスさんは…ま~頑張っている。目線は左上に意図して上げているし、腕は組んでいるが親指に力が入っているから、きっと腕を抑えているのだろう。本当はどこかしらを触りたくて堪らない筈だ。
嘘をつくのに慣れている…とは思うが、如何せん場所が悪い。座った状態で交渉をすることが多いから、立っている時だといつものように誤魔化しづらいだろうなぁ。
ただ、そこから吐かせるまでが難しい。オルクスさんたぶん凄い根比べ強いし、逆にシイはだいぶ飽きっぽい。押せども簡単には動かないだろうけど…どうするんだろうか。
ちらと横を見れば、自身ありげなシイがこちらをにまと見つめている。……ああ、その手があったか。
「なぁ、アンタ」
「…どうかしたかな?シイさん」
シイがオルクスさんの方をゆらりと見上げ、目を細める。オルクスさんも負けじと余裕な笑みを浮かべてはいるが、うっすらと汗をかいている…この勝負、決まったな。
「リンくん、呼ぼっか?」
「っ……それは反則だろう……」
(ま~嘘が分かるリンくんがいっちゃん手っ取り早いからなぁ…オルクスさんはまだまだ若いねぇ)
がっくりと項垂れるオルクスさんを横目に、シイがテレポート布の方へと駆け出していく。後はリンくんが、大人しく来てくれれば良いんだけど…まぁ、そこは引っ張ってでも連れてくるのがシイだ。任せよう。
シイが去ったあとに、オルクスさんに促されて椅子へと座った。特に話したいこともないので部屋を見渡していたが、飽きてオルクスさんの方をちらと見やる。
気まずそうな顔をしている彼は、どこか諦めたような、でも清々しい顔をして、窓の外から海を眺めていた。
---
彼女は…そうだな、強いひとだ。学生時代、飛び級で私と同学年になっていたし…それを良く思わない人達に嫌味を言われたりしても、ちっとも落ち込む姿なんて見せなかった。それどころか、そんな環境でも成績はトップで…嗚呼でも、惰性でルールを守るのが嫌いだったから保守的な教師陣からは嫌われていたなぁ。
私は…彼女とは少し話す仲だったんだ。本当に、少し。友達かと言われると自信はないし…きっと彼女はそうは思っていなかっただろうから。
…昔っから、人間のことが好きだったよ。私にはその感覚はついぞ分からなかったが…今も変わらないらしいから、呆れたものだ。ああでも、醜い所ではなく醜いなりに足掻く姿を好んでいたよ。
戦争?ああ…まぁ、一応士官学校だったからね。その話題が出ることも多かったよ。でも…彼女はあまり好んではいなかったな。非効率的だ、阿保らしいと…
その後?その後は……
「彼女は…行方不明になったよ」
「「行方不明~?」」
「オイそこの二人、その前にさっきの長語りについていくつか突っ込みてぇから待て」
じと、とリンくんがオルクスさんを見つめる。今の話に何か違和感は無かったが…きっとリンくんの能力に引っ掛かったんだろう。少し言葉を纏めるためにリンくんが黙りこくって、こちらに対し口を開いた。
「まず、嘘は無かった。それは良い。そこじゃなくてだな、なんだ……こう……文量が…多くないか」
「あ~ね」
リンくんの言う通り、俺らはオルクスさんに必要最低限の情報さえ話してもらえれば良いと思っていたのだが。……なんだか妙に解像度が高いというか、この人さてはウチのボス好きなんじゃないのか?と思うレベルの文量だった。
「あと、引っ掛かるところ。今のボスと少し違う点がいくつかある」
「違うとこ?オレ分かんなかったわ」
「俺も」
「…それは、人間が好きな理由と戦争に対する考え方…で合っているかな?リンくん」
ああ、と腑に落ちる。なるほど、違和感無かったから気がつかなかったが確かに不思議だ。
あの人はヒトの欲が好きで、だから戦争も好きだとよく語っているのに。オルクスさんの言う通りなら、矛盾している。
リンくんによれば、以前何故ヒトが好きなのか聞いたときに嘘はついていなかったらしい。つまり、ボスが学生時代に嘘をついたかはたまた心境の変化があったかのどちらかだ。そして、心境の変化があるとすればそのタイミングは…
「…行方不明」
「そう、行方不明についても、だ。…アンタ、何を隠してる」
ピリ、と空気が硬くなる。当のオルクスさんは目を細めて俺達を、リンくんを見据えた。彼は手元にあったコーヒーを手にとって、口へと運ぶ。
「………お手上げだね。黙秘権はあるかな?」
「ねぇ。黙って聞かれたことに答えてろ」
さらに殺伐とした空気になり、さすがに少しなだめるべきかと悩む。するとオルクスさんは息をゆっくりと吐き、何か覚悟を決めたように顔を上げた。
「…行方不明と言ったが、それは表向き、なんだ」
「表向き?そりゃまたなんで」
「……彼女…クリス・ウィルダートは、
--- 数年前、死んだよ。……私の手によって」 ---
---
「一体君は何者なんだ」そう強く問いかけた筈なのに、当の本人はきゃらきゃらと無邪気に笑っている。
何がおかしい、そう聞けば彼女は「それを聞いて何になるのだ。どうせこの見た目の私には何もできないクセに」と馬鹿にしたようにこちらを見上げた。
「私はクリス・ウィルダートだよ。お前が数年前に犯した、忌々しい罪の中にいる女だ」
「ああそうさ。私は学生時代に君を《《突き飛ばして殺し、海の中にその死体を葬り去った》》はずなんだ。…なのに、何故生きている。君は…お前は一体何者だ」
にた、と気味の悪い笑みを浮かべる。思い出の中の彼女とは、似ても似つかない笑みだった。上手く模倣していても、いずれはボロが出ると思っていたが…本当にそうらしい。
「質問を変える。何故、なぜクリスなんだ。なぜ彼女の姿をしている?なぜわざわざ彼女を選んだんだ。そうでなければいけない理由があったのか?」
「何故、か。強いて言うのであれば、そこにあったから、だな」
眉を潜める。どうやら、寄生先を探していた時に偶然打ち上げられた彼女の死体を見つけたらしい。結局見つかってしまったのか、とどこか呑気な落胆が訪れ、次に後悔がやって来る。
あの時、彼女を海に沈めていなければこんなことにはならなかったのだろうか。いや、彼女を殺さなければ、あるいは。
「ああ、一応言っておくが、別に何か企みがある訳ではないぞ。ただ、一番手っ取り早くヒトの欲を味わえる立場にいれれば、それで良いんだ」
「ヒトの欲を、味わう…?」
「私はね、ヒトの欲が好きなんだ。愚かで醜く、最も人間らしい部分だからね」と笑う彼女に、頭がおかしくなりそうな感覚を覚える。あの日の美しい彼女の姿で、彼女が言わないことばかり宣う。胃液を抑えながら、深くなる眉間のシワに気づかないフリをした。
「そういうわけだから…正体を言うつもりはないが、私は特に直接危害を加えたりはしないよ。約束だってして良い」
「約束なんてお互いの信頼の上にしか成り立たない砂上の楼閣だろう。私はお前を信用しない」
薄笑いを浮かべる彼女を睨み付ける。当の本人は全く効いていないようで、わざとらしく肩をすくめただけだった。
「冷たいな?まるであの日の海水のようだ」
「つまらないジョークだね、君にしては三流以下だ。脳は別物を使っているのかな」
「ふふ、ご想像にお任せするよ。…ああそうだ、君に聞きたいことがあったんだ」
「…なんだい?」
はぁ、と心底面白そうに息を吐いた金色の目がこちらを射抜く。満月が半月へ、そして三日月へと欠けていくような笑みで、彼女は口を開いた。
--- 「この体の記憶を見ても、一切分からなかったんだが…何故、私を殺したんだい?」 ---
◇To be continued…
次回予告
「…おつかれさま、シイ。また明日」
「あなたは、元の世界に戻りたいと思うことはありませんか?」
「僕は、この先にある幸せを信じます」
第ⅩⅢ話「君とのあした」
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
【前回のあらすじ】
クリスのことを怪しんだシイは、フーゾと共にオルカの元へと向かい、彼女のことについて何か知っていることはないか聞いた。
一方で、自身とそっくりなRと名乗る男と会合した零は、ある重大な決断を迫られて…
「…と、いうわけだ」
「ねぇまって一番気になるところは?!なんで殺しちゃったのさ!!」
「シイ、一回座れ」
ガバッと立ち上がったシイをどうどうと宥め、なんとか椅子に座らせる。確かに何故殺してしまったのか気になるが…まぁ、そこは本人のプライバシーもあるし、見逃してあげたいところだ。
「つまり、殺したはずの奴が生き返って、さらに以前とは似ても似つかない別人のような性格になっていた…ってことで良いスか」
「ああ、そうだね」
二人の会話を聞きながら、不思議な気分になる。俺の慕っている総統は本当のクリス・ウィルダートではなくて、本当の彼女を俺は知らないのだ。
普通に考えれば彼女の体を乗っ取っている何かは倫理的に見れば悪であるのに、俺はそれを慕っている。その場合、俺は騙されたということになるのだろうか。
…考えたってどうにもならないことだと頭を振る。今は、何もかもがどうでも良かった。これは落胆、とも違う何かだ。
「…フーゾに似てね?」
「今回のは別ケースだろ。フーゾのヤロウはそのまんまだけど、あっちは別の生き物が入ってるニュアンスだった」
「ほーん…」
「ま、寄生虫にしては随分狡猾だと思うが。
時期的に考えても、総統として動いていた期間は全部ソイツが中に入ってたってことだろ?しかも、クリス・ウィルダートとしての|RP《ロールプレイング》をしつつ、だ」
「そうだねぇ…それか、寄生した何かの生態…というか、性格がクリス・ウィルダートに似ていた可能性すらあるよね」
「はえー……」
「それに関しては私も同感だ。…ただ懸念点としては、私の記憶が改変されている可能性もあるということだね。相手は何者か分からないし、もしかしたらそういったことも可能な能力者を味方に付けている可能性も……シイさん?」
「…寝てるね」
横を見ると、シイがとても安らかな顔で寝ている。とても可愛いが、この空間で寝れるのはやっぱり肝が座ってるよなぁと思う。
さすがに他国の総統の部屋にあるソファに寝かせるのは不安すぎるので、話し合いの結果ひとまず話を切り上げてシイを連れて帰ることにした。
予定は決まり次第随時知らせるとのことだが、オルクスさんはこの後激務になりそうとのことで、しばらくは音沙汰がなくなりそうだ。
「じゃあまたね、リンくん」
「ソイツ起きたら、次からは訓練中に呼び出すなって言っとけ。お陰で俺は総統とカス隊長に呼び出しを喰らった、死ぬまで鍛練コース確定だ」
「ああ、御愁傷様…怪我には気を付けてね」
「ん」
テレポート布でメーラサルペから混乱的城市へと戻り、リンくんと別れる。あの子の背中が見えなくなるまで見送ってから、シイを抱え直した。
シイは賢者タイムからここまでノンストップで突っ走ってきたし、疲れて当然だ。むしろ、今まで寝るのを堪えていて偉い!とすら言いたいくらいだ。本人は寝てるので言わないが。
可愛い寝顔を少しだけ堪能してから、また俺は歩きだした。…帰り道に、めちゃくちゃ軍の奴らに見られたが気にしないことにする。明日、照れたシイに怒られるかな~…なんて。
--- 「…おつかれさま、シイ。また明日」 ---
---
--- 時は遡り、シイがフーゾを連れてくる前… ---
「…僕もまた、あなたと同じ落安零だからですよ。今は、Rという名前ですが」
「お、同じ…?」
どういうことですか、そう呟いた声が思っていたよりも掠れていて、あからさまな動揺が手に取るように分かった。
対する相手___Rと名乗った男は笑みをより一層深くする。顔は本当に似ていると思うのに、表情や髪型でここまで雰囲気が変わるのかと感心してしまった。
「ええ、あなたと同じ落安零です。出身は東京の文京区、誕生日は12月29日。私立学養小学校を卒業後、推薦入試で私立海星中学・高等学校に入学。父、晶と母、響子から身体・精神的な虐待を受けて育った。姉の麗奈は幼い頃、寮付きの高校に進学し、その後結婚し姓を日野に変えている。母方の祖父はイギリス人で、色素の薄い瞳は祖父と母親譲りのもの。瞳の色ゆえによく生徒指導に引っ掛かる。他にも…」
「ま、待ってください!分かりました、分かりましたから…」
物凄い文量で圧倒されていたが、ふと我に返って個人情報を絶賛漏洩中な彼を制止する。確かに、細かいところまで合っているし彼がこの世界の住人なら知り得ないことも知っていた。ということは、本当に同じ落安零…なのか…???ドッペルゲンガーってこと…???
「…パラレルワールド、という概念をご存知ですか?」
「え?ええ…まぁ…」
突然話がきな臭くなってきたな…と思い始める。相手を記憶ごとコピーする能力者という可能性があったことをすっかり忘れていた。そんな例は聞いたことがないが…能力なんていくらでもある、きっと僕の知らないものだったりするのだろう。
『パラレルワールド、又の名を並行世界。我々が住む世界と並行して存在している別の世界であり、SFの他に理論物理学の分野でもその存在は語られています。選択肢や出来事の違いによって分岐した世界が並行して存在しているとされるのが一般的です』
「僕はその並行世界の一つから来たんです」
「そ、そうですか……」
『パラレルワールド全体を木として、分岐点を枝の分かれ目、木の葉の群生を世界線一つ一つとする表し方も存在します。ただ、今作ではパソコンのファイルを使った例が殆どですね』
先ほどから妙な沈黙が時々入るのだが、これは何なのだろう。それに加え、彼は時々焦点がスッと合わなくなるし。
僕自身異世界転移?のようなものをしたから信じられないほどではないが、いややはり信じがたい。というよりスケールが大きすぎて、なかなか理解が追い付かないという方が正しいのかもしれない。
「でも、どうしてその…Rさんは、この世界に来たんですか?」
「…………それは、あなたにある提案をしに来たからですよ。…あなたは、元の世界に戻りたいと思うことはありませんか?」
「!」
じ、とRさんがこちらを見つめる。その目がこちらを暴こうとしているようで、なんだか居心地が悪かった。いや、それだけでなく僕自身図星なところもあるからだろうか。
確かに、時々帰りたいと思うことはある。仕事のためとはいえ人を殺すのは罪悪感があるし、この環境になかなか慣れていない頃は、ちょっとのことですぐに帰りたがった。
「僕は並行世界のあなたですから、あなたが辛かったことも、後悔したことも知っています」
「……」
「今ならまだ元の世界に帰れる、と言ったらどうしますか?」
「…え?」
思わず彼を見上げれば、先ほどまでの薄気味悪い笑みは消え真剣な顔をしている。空は暮れはじめてだんだん路地裏に闇が差してきた。そんな中でも、輝いているように色褪せない青に吸い込まれてしまいそうだ。
ぼーっとした頭でぼんやりと考え出す。このまま帰れば、もう人を殺さなくって良い。うるさい人に頭を悩ますこともないし、大切な人が死ぬところを見なくって良いんだ。
「そう、もう辛いことを経験しなくって良いんです。元の世界に戻って、顔を変えて、名前を変えて、親とだって会わなくって良い。あなたの姉みたいに、家出をしてしまえば良いんですよ」
「家出…親…」
「きっとあなたなら上手く行きます。不安なら、僕がサポートしますよ。…どうしますか?」
する、と手を差し出される。どうするか聞いているようで、言外には別の考えがありそうだった。でも、もう何も考えたくない。
上手く力が入らない手を、ゆらりと持ち上げる。この手に、僕の手を重ねれば。帰ることができる。家、ぼくの、あたたかい……
--- 零くんおはよ!今日の朝ごはんはね、零くんの好きなおうどんです!さっぱりしてるからね、これなら食欲無くても食えるっしょ! ---
--- 零くんお帰り。今疲れてるでしょ?俺ちょうどココア作ったからさ、一緒に飲まない? ---
____シイさんと、フーゾさんだ。家、そう、ぼくの家で、僕の帰るべき場所で待っててくれる人たちだ。
辛いから、逃げる。簡単なこと。この世界に来たときだって、僕は逃げてきた。
いつだって僕は、逃げてばかりだった。
---
「先生、ここのテストの採点間違ってます」
僕が駄目になったキッカケを探せと言われたら、きっと僕は真っ先にここをあげるだろう。小学生四年生の、秋。小テストの採点ミスに気がついて、それを指摘したときだった。
あのあと、僕は無理やり間違っていることにされたのをよく覚えている。当時は学校という環境において「先生」はとても偉大なものだったから、信じ込んでしまった。
今思えば愚かな教師だと思う。生徒を怒鳴り付けて、自分のミスをひた隠すなんて。本当に愚かで、恥知らずだ。
そこから僕は、徐々に自信を無くしていった。テストで答えられなくなって、点数は下がって、信頼も無くなっていったんだ。
「どうしてこんなことも上手くできないの?麗奈はこのくらい、簡単にできたわよ」
これは母の言葉だ。僕には年の離れた姉がいた。彼女は地頭が良かったんだ。僕だって悪くないとは思うが、彼女には叶わなかった。
特にこの時期は姉が高校進学で家を出て、そして僕の成績が落ち始めた頃だったから母もピリピリしていたんだ。
頭の良い人だとは思う。恐怖で人を支配するのが上手かった。でも、良妻賢母というものには向いていなかったし、望んでもいなかったのだろう。
それでも、僕は母に認められたかった。
「お前はいつも、何をしたって中途半端だ。きっとお前は、一人暮らしをすれば孤独死するだろうな。死因はきっと餓死だろう」
これは父だ。父は気に入らないことがあるとすぐに手を上げる人だった。姉とは仲が良くなかったが、僕のことはもっと嫌いらしい。
母がピリピリし出してからは、口喧嘩をしているところを良く見かけた。それでも、母は一度も殴られてはいなかったのだ。それはきっと、父が婿入りしたからだろう。
その分僕に沢山当たってきたから、とても辛かったけれど。それでも、父に優しく頭を撫でて貰いたくて、慣れないご機嫌取りをしたこともあったっけ。
「落安は顔は良いのに、頭が悪くておどおどしているからなぁ」
これは…高校の教師だ。そうだ、この男はそう言った後に僕を襲った。顔は良い、というのは本心だったんだろうが…最悪な担任だったし、顔も覚えていない。
痛いし気持ち悪いしで翌日は学校に行きたくなかったが、親に言われて渋々行ったんだったか。目があったとき、ソイツが目を細めるのが嫌いだったな。
でも、何だかんだ成績を上手くやってくれてたから留学はしなかった。そう言う意味では少し恩人…かも。もう少し、マトモな教師だったら良かったのにとは思うが。
…思い返せば、わりとカスみたいな思い出が多い。というか殆どが最悪なものだった。よくもまぁ、こんな環境で耐えられたものだ。自分のことながら、称賛を送りたい。
あれも駄目、これも駄目。これなら逃げてしまいたくもなる、と自分を正当化する。
「助けてくれてほんっっっとに、ありがとう!!オレの命の恩人だよ!!!」
「あ、いえ……その、見過ごすのも、申し訳なかったので…」
ああ、ここだ。ここで、僕はシイさんと出会ったんだ。なんだかすっかり懐かしく感じて、そういえばもう5年になるのだと驚く。
衣食住の衣抜きを与え、彼を匿った。ただそれだけで僕は彼に一宿一飯の恩だと慕われ、恩人呼びもされることになったのだ。
手を差しのべなければ良かったな、とは不思議と思わなかった。それはきっと、彼が初めて出会った気さくな大人だったから。
もしかしたら、あの時の僕は話し相手が欲しかったのかもしれない。他愛ないことを気を遣わずに話せる、そんな相手が。…今となっては誰も知る由の無いことだけれども。
そうして彼と出会って、親密になって、そして|未来《この世界》へと逃げてきた。ここだって治安は悪いし人は死ぬしで辛いけれど、それでも《《帰るべきところ》》があって、《《僕の居場所》》があった。
逃げてきたかどうかなんて、もうこの際どうだって良いんだ。
僕はただ、普通の幸せが欲しかった。だから、僕は_____
---
「……どうかしましたか?」
重ねようとした手を下げる。不思議そうな声とは裏腹に、彼の瞳は冷めきっていた。
「…帰りません、僕は…僕の居場所はここにあります」
「でも貴方はこの世界の人間じゃない。そのくらい分かっているはずです」
淡々と並べられる言葉に心のつめたい部分が顔を出しそうになる。でも、不思議と大丈夫な気がしていた。
「それでも!!…ここの人達は、僕を受け入れてくれた。帰る場所を、居場所をくれた」
「………」
「辛いことだって沢山ありました。沢山の命を奪ったし、大切な人は死ぬし、戦争とかあるし、治安は悪いし……」
「そうですよ。ここには辛いことが沢山あります。想像しているよりずっと辛いことだって、まだいくらでも……」
「あるかもしれませんね。でも、おんなじくらい良いことだってあると思いませんか?」
「っ……」
Rさんが、驚いたように目をきゅっと大きくした。その顔はなんだか少し寂しそうで、ふと彼のいた世界はどんなところだったのだろうと考えてしまう。
もしかしたら、彼は僕よりずっと最悪な環境にいたのかもしれない。これから先、とても辛いことがあるのかもしれない。
それでも、僕は「もしも」を信じずにはいられなかった。だってシイさん達との出会いは、間違いなく昔の僕が描いた「もしも」に違いなかったから。
「僕は、この先にある幸せを信じます。本当にあるかどうかは分からないけれど…あの人達とならきっと、なんとかなるかなって…思うので…」
「……そう、ですか」
言えた、言えた。ちゃんと言えた。心の中で安堵のため息をつく。確かに本心から言ったけれど、だんだん尻すぼみになって情けない感じになってしまった。まぁ良いだろう、これレスバじゃないし。
「………能天気さは、貴方のところのシイさん譲りですね。いつの間に似たのやら…羨ましい限りです」
「そ、そうですか…?」
なんか、凄く照れくさくて思わず嬉しそうな声が出てしまう。と、そういえば否定の言葉が飛んでこなかったことに気がついて、また彼を見やる。不思議と、彼の瞳に吸い込まれそうな感覚はなくなった。
「それなら諦めます。無理やり連れていくのはさすがに心も痛みますし……でも、気が変わったら教えてくださいね」
「は、はい……って、まだここに留まるんですか?」
「居てはいけませんか?」
違うんです、と慌てて弁解する。ただ、別の世界線から来たって言ってたからご自分の世界へ戻るのかと思っていて、と言い訳をつらつらと並べた。
「…ふ、冗談ですよ。良いところですし、懐かしさを感じたいので少しだけ」
「そ、そうですか…」
「御心配なさらなくとも、ちゃんと僕とあなたは別人だと言いますよ」
まぁ、あなたが良いなら兄弟ということにしても良いですけどね?と悪戯っぽくRさんが笑う。その顔が、少しだけシイさんと重なって見えた。
「僕はもう少しここを見て周りますが………あなたは何処かに泊まっていくと良いと思いますよ」
「へ?で、でも家にシイさんが……」
「まぁまぁ、明日になってから帰ってあげてください。別に帰るなって言ってるわけじゃないんですから」
「ま、まぁそれなら…?」
良く分からないが、なんだか意味ありげな視線を向けられたので素直に受け入れることにする。するとRさんはフードを被り直し、こちらに背を向けた。
「では、また今度どこかで」
「…ええ、お元気で」
僕がそう言うなり、彼はするりと奥の方へ歩いていく。空が暮れきって路地裏に満ちた影のなかに彼が溶け込み、そして姿が見えなくなった頃。ふと、疑問に思う。
「彼は、どうしてあんなに僕のことを連れ戻そうとしたんだろう……?」
うーんと頭を捻ろうとして、すぐにやめる。きっと考えても分からないだろうし、何より今日はとても疲れた。早くどこか宿を見つけて、ベッドに寝たい。
ふらりと路地裏を出ると、空にはゆるりとサーモンピンクが差していた。確か、ビーナスベルトという現象だったはず。
優しい色合いの空を見上げていると、心が安らいだ。
--- (明日はなんだか、良い日になりそう…かも?) ---
幕引「Welcome back 混沌」
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
まだ朝の爽やかな空気が漂う、ほんのり薄暗い街中を歩く。ひんやりとした空気が頬を撫でていくのが気持ち良くて、思わず目を細めた。
ふと、路傍に小さなタンポポが咲いているのを見つける。そういえば、この世界に来て花を見かけたのは随分と久しぶりだ。小さくっても堂々と咲く姿に、自然と頬が緩む。
花を眺め尽くしてから立ち上がり、また歩きだした。目指すは家、僕の帰るべき居場所だ。
すっかり歩きなれた小道に入り、見慣れたドアを探し出す。そういえば、今は朝だから人が少ない。ここに来たばかりのギラギラとした夜の顔も、今は眠ってしまっているようだった。
ドアの持ち手に手をかけて、くいと重さのある扉を開く。ドアを閉めてから、いつものように「ただいま帰りました」と声をかけた。…声をかけるのは、こういう風に日を跨いだ時にうっかり甘い時間を過ごしていたシイさんとフーゾさんに遭遇してしまったことがあったからだ。
声が静かな玄関を伝ってリビングへと届いたかと思えば、タタタと足音がやって来る。しっかりと足を立て直して体をしゃんとさせれば、その数秒後に凄い勢いで何某かが吹っ飛んできた。
自分より上背のある白髪の男…シイさんが突撃してきたもんだから、危うくスッ転びそうになる。が、飛んできても良いように体勢を整えておいたので転ぶ心配はなかった。
「ぐえ、なんですかシイさん」
「おかえり~っ!!!零くんもうどこ行ってたの!!!!フレッシュな状態で知らせたかったのに~!!!」
朝から馬鹿みたいにデカイ声で、かつ耳元で騒ぐせいで耳がキーンとつんざくような衝撃がやってくる。うるさいと顔を押し退ければ、それどころじゃないんだって!とまた騒ぎだした。
「僕にとって今現在あなたの声量より重大な問題は無いんですけど」
「そうだけどそうじゃないの!!!もっとも~~っとおっきな!サプライズ!!!」
サプライズ、と言われても全く心当たりがないため、どういう意味ですかと問いを返す。が、どうにも核心をつかない答えだけが帰ってきてイラッとした。
「二人とも落ち着いて、いま朝だから」
「それはシイさんにだけ言ってくださいよ、僕は別に煩くないんです……けど………」
ば、と声のした方を振り向く。いや、そんなまさか。だって、彼は死んだはずじゃ……
「じゃん!昨日天界から舞い戻ってきましたフーゾ・ギディオンさんです!!」
「新たに神様になってリニューアル!てことで遅れちゃったけど、ただいま零くん」
「は、へ、いや、かみさまって、ハ?」
信じられなくて、シイさんに抱き締められたまま身動きができないままでいるとフーゾさんにもぎゅ、と抱き締められる。
暑苦しくなって、息もしづらい…はずなのに、それなのに、なんだかひどく泣きそうになった。いやてか、泣いてるわ。ハズ…
「あえ?!!零くん泣かないでぇ…」
「あらら、ごめんねぇビックリしたよねぇ。もういなくなったりしないよ~」
「う"~……その言葉、違えないでくださいね……裏切ったら怒りますから……」
照れ隠しでシイさんの胸に顔をずり、と擦り付ける。どうだ、涙でびちゃびちゃにしてやったぞとシイさんを見上げると、はわわとときめかれた。そっかこの人らまだ僕のこと可愛いとかほざいてたんだ。忘れてた。
「…零くんも帰ってきたことだし、朝ごはんにしましょか」
「確かに!オレフーゾの飯食いた~い!!」
「久しぶりですしね…」
だから離れてください、と二人を押し退ける。手を洗うために洗面所へと向かい、いつものように手を洗った。
ふと、鏡を見ると目尻がほんのり赤い自分がいる。その姿でRさんのことを思い出したが、すぐに頭の隅に仕舞っておいた。
「……これも、良いことの一つですよね」
鏡に向かって呟く。自然と口角は上がり、それがまるで言外にそうだと言っているようだった。
手を洗うついでに顔にも水を少しかけて、丁寧に拭き取る。さっぱりした気分で、僕は洗面所を後にした。
きっと今日は、良い日になる。
◇Thanks for reading!
---
路傍の勿忘草をただ眺めていた。現実を受け入れたくはなくて、そのまま惰性でここまで来て、そうして最後の希望も潰えてしまった。
小さな花弁をひらと撫でる。その色が、この間会った若い男の、あの青い瞳を思い出させた。嗚呼でも、彼はもっとぐっと濃い青色だっただろうか。
「信じてみる」そう笑った彼の顔は、昔の僕にひどく似ていた。まだ醜いものを知る前の、無邪気な笑み。
「どうしてそんな顔ができるのだろう」
人殺しの癖に。そう呟きかけて、はたと止める。それは僕が言えたことじゃない。
花を摘み取り、手の中でくるりくるりと回してみる。揺れる花弁は随分と楽しげに見えた。
彼に手を差しのべたのは、類い希なる善性でも単なる気まぐれでもない。
|彼《落安零》は僕だ。でも、|先ほどの彼《この世界の落安零》は|僕《R》じゃない。彼は僕よりずっと、ずっと恵まれた環境にいた。
彼は知らない。自分の意思もなく知らない男に異世界へ連れ去られる恐怖を。生き延びるため無理やり人を殺した時の感触を。
自分を連れ去った男に犯されることも、狂った同居人に殴られることも、勝手に自分の体を変えられることも、大切な人に殺されることも、全部、全部、全部知らなかった!!
ぐしゃ、と勿忘草を握り潰す。パラ、と落ちた花弁は、もう二度と戻ることなく惨めに地面の肥となるのだろう。
ぐつぐつとした醜い嫉妬と、羨望と、どうしようもない哀しさが今にも体を食い破ってしまいそうだった。
この気持ちを、あの綺麗で純粋な彼にぶつけられたら、どれだけせいせいするだろうか。そんなことをしては消されかねないので、当然やらないが。
しばらく地面に伏せている花弁を眺めて、その後立ち上がる。これからどうするか、なんてこれっぽっちも頭になかった。
今はただ、体を休めたい。疲労でふらつく足にぐっと力を入れて、近くにあった宿を思い出す。あの宿、この世界にもあると良いんだけど。
歩きだしていけば、足の疲れは自然と気にならなかった。歩くことだけに集中していれば、あの醜い気持ち達の影も薄れていく。
空を見れば、もうすっかり夜の帳は降りきっていた。早くしないと、宿が終わってしまう。そう思い少し足のペースを早めだしたとき、不意に風が耳を撫でた。
「シイさん?」
咄嗟に振り向く。耳を撫でた風はゆるりとどこかへ消えて、僕の望んだ幻を掻き消していった。そう、幻。
この世界にあの彼はいない。僕を無理やり連れ去ったあの男はいないのだ。そう自分に言い聞かせて、また前を向く。
「……そんなわけない、よね」
言外に隠した淡い期待は、誰にも拾われることなく地面へと墜落して。肥となる頃には、そこには潰れた勿忘草のみが残っていた。
◇To be continued…?
第1話「Welcome to 混沌」
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
「本当に、良かったんだよな?」
男が、心配そうにこちらを振り向く。本当に良かったのか、そんなの僕が一番知りたい。この選択が、本当に正しいものだったのか、なんて。
視界が不安でぐらつくから、今の僕には下を向くことしかできない。無意識に浅くなっている呼吸を宥めるように手を握ろうとしたが、手汗で滑って上手く握れなかった。仕方がないので、ゆっくり大きく深呼吸をする。砂の上に、ぱたっと水滴が落ちていった。
濃い色が染みて広がるのを、ただ眺めていたかったが、彼の声で現実に引き戻される。
「零くんは恩人だから、何でも言うこと聞くって言ったのはオレだけどさ…」
思い出すように、男は正面から左上、そして左下に視線を反らした。濁した言葉の続きがどうにも見つからないらしく、彼は意味のない唸りを繰り返している。
"恩人"という大層で陳腐な言葉に、思わず笑いそうになってしまった。その瞬間、彼が笑われたと思って怒るかも、という考えが頭をよぎる。笑いは可笑しな呼吸に変換されたので、僕の心配は杞憂になったが。
彼はきっと僕が突然吹き出した程度で機嫌を損ねるような人物ではないはずだが、万が一にも彼に変な人物だと思われることは避けたかった。何せ、彼の方がよっぽど変な人間なのだから。
変な人間に「変な奴だなぁ」と思われるのは心外だ。
---
僕を恩人と呼ぶ男___名をシイ・シュウリンと言うらしい、は突如として空から落ちてきた人間だ。何を言っているんだと思うかもしれないが、本当のことである。本当の本当に空から落ちてきて、しかも無傷だったのだ。
中国語によく似た言語で話す、やけにイケメンで謎に白髪なチャイナ風衣装の男。正直なところ怪しすぎて死ぬほど関わりたくなかったし、幸い人気が少なかったから見ないフリもできた。でもそこで彼に手を差しのべて、あまつさえ住むところと食事を与えてしまったのは、日本人の控えめな国民性によるものなのだろうか。
何はともあれ、一宿一飯の恩義に則ってかは知らないが、僕は彼に恩人と呼ばれるようになった。
そう、一応誤解のないように繰り返し言っておくが、僕は別に恩人呼びを強要したわけではない。というよりむしろ止めろとまで言ったのだ、何回も。それでも聞かなかったのは彼だし、そういうわけだから恩着せがましい野郎だと思うのは止めて欲しい。
---
「…零くん?大丈夫?」
誰に向けてか分からない弁明をしていると、いつの間にか不安は収まっていた。その代わり、今度は男__否、シイさんが僕の顔を不安げに覗き込んでいる。
「あ…大丈夫、です。すいません」
「そう?ならいいんだけど…」
僕の返答が思ったより頼りなかったせいか、シイさんの不安は晴れなかったようだ。瞳には、未だ心配の色が宿っている。せめてこれ以上心労をかけるまいと、にっこり笑って見せた。…上手く笑えているかは知らないが。
一応大丈夫なことは伝わったようで、彼も優しい笑みを返してくれる。その姿が、昔の姉と少し重なった。
「そんじゃ行こ。…|混乱的城市《フィンランデ・チャンシィ》に!」
シイさんに手続きを済ませて貰い、城壁…のような国境を跨ぐ。兵士の人の視線がやけに纏わりつくようで、居心地の悪さを覚えた。それは単に見慣れない不審な男に対する警戒のそれのはずなのに、少しの恐怖と後ろめたさを覚えてしまう自分がひどく情けなく思える。そそくさと後にした城門の兵は、もう僕のことを見てすらいなかったのに。
しばらく歩いていると、シイさんに手を触られた。何だろうと思い顔を上げると、悪戯っぽく笑った彼に手を掬われ、あっという間に手を繋がれてしまう。
きっと僕は今間抜けな顔をしているだろうが、そんなことはどうだっていい。誰かと手を繋ぐのは小学生以来だったし、その相手だって殆どは姉だった。つまり、こんなほぼ見ず知らずの他人と手を繋ぐなんて初めてなのだ。てか手汗ヤバイ。引っ込め。
「んふ、ごめんね。…ちょっと、ここら辺物騒だからさ」
「えっ」
突如として知らされる治安の悪さに、思わず戸惑いの声が漏れる。心の中の手汗に対する焦りや緊張は、全て困惑に吹き飛ばされた。手を繋がなければいけない治安の悪さってなんなんだ。
怪訝な顔をしていると、シイさんがふっと顔を寄せてきた。なんだなんだと顔を引こうとするより早く、
「…左、路地裏の奥、見てみ」
と囁かれる。素直に従い左をちらと見ると、こちらを睨み付けるよう…否、値踏みするように見つめる男たちと目があった。今まで出合ったどの大人よりも、深く、じっとりとした目をした…
ぞくり、と背筋に悪寒が走る。嗚呼、これは確かに、僕のいたところでは考えられない。ひゅ、と息が詰まっていたのを、シイさんが握る力を少し強めてくれたことでなんとか持ち直す。
「んね?手ェ繋いでれば、オレの見てないトコで浚われたりしないから」
「…、…!!」
こくこくと必死に頷くと、シイさんは顔を綻ばせ、手を優しく引いてくれた。大人しく、なるべく目を合わせず、足音は極力たたせないように気を配りながら、恐る恐る歩いていく。
少しでも物音をたててしまえば、路地の暗闇に潜む何かに見つかり、そのまま喰べられてしまうような気がしたのだ。
歩き出してから少しして。あまりにもガッチガチに固まっていた僕を見かねてか、シイさんがこの国の話をしてくれる。
「ここはね、|混乱的城市《フィンランデ・チャンシィ》っていうところなんだ。氷と戦の国って言われてて…実際に、冬はめっちゃ寒いよ。あと雨と雪めっちゃ多い」
「氷と…戦?」
随分物騒な単語が聞こえてきて、思わず首を傾げた。戦…というと、ここは戦争のある世界なのだろうか。いやまぁ、どの世界にも普通に戦争はあるか。
(…別に、元いた世界でも戦争はあったけど……僕がいたのは日本だからなぁ)
平和な国…というとだいぶ語弊はあるが、少なくともここよりはずっとマシだろうと思えるくらいには、怖い思いをしすぎている。実害があったわけではないのだが、それに関しては…うん、情けない奴だと思って欲しい。
「戦の国は、戦争めっちゃ強いってことね。んで…えー…治安が悪いよ!」
「あ、それはもう知ってます」
たはは、と笑うシイさんに呆れと少しの安堵が混じったため息をつく。治安が悪い、を具現化したようなこの場所にいれば、治安が良くないことなど嫌と言うほどわかることだからだ。本当に良かったのだろうか、と早くもここに来たことを後悔している。
一応ここは外郭地区という一番治安が悪いところらしいが、他がどうかは見るまで分からない。シイさんの話を聞いていると、法律がだいぶあやふやだったり、倫理観が終わりきっている所があるので国全体の治安が悪い可能性まで出てきてた。最悪である。
どうか他は日本並みにマシでありますように、と祈りながら歩き続けた。
---
「あとちょっとで、内閣地区内でいっちゃん栄えてる|繁华的市场《ファンファーデ・シーチャオ》に出るかんね。ユーカイされないように気をつけなよ〜なんちゃって」
「随分と、物騒なんですね…」
角を曲がると、目の前に光が差し込む。心なしか、喧騒も大きくなっている気がする。
(…や、やっぱり不安!!!なんで僕着いてきちゃったんだろう…!!)
ぎゅ、と下唇を噛む。こうでもしないと、情けない本音が口から出てきそうだった。
治安が悪いと言ったって、まぁそれほどでも無いだろうと舐めていた。でも、路地を歩くだけでわかる。この国は、僕がいた日本とは比べ物にならないくらい治安が悪くて、殺伐としている。これまでぬくぬくとした環境で生きてきた僕としては、もうすでに来たことを後悔していた。ええ、そうですよ。帰りたいですが、何か?
ぐずぐずと心の中で愚痴を言っている間に、長く感じた路地に終わりがやって来た。まだ全然心の準備が出来ていないから、もうちょっと遅れて来てもよかったのに…。
暗かった路地裏から出たことで視界が一瞬で明るくなり、反射的に目を瞑る。恐る恐る目を開くと、そこには正に中華街といった風な街並みが広がっていた。
街中には不思議な服装の人が各々好き勝手歩いている。鮮やかな赤色ときらびやかな金色、それらを引き立てるような深緑は僕の目を刺すようにあちこちに散らばっている。
「ね、見た感じ怖くないっしょ?まぁ治安は悪いけどさ、良いとこなんだよ」
確かに、一度だけ見たあの街と殆ど大差無かった。強いて言うなら、足元のゴミが多いくらいだろうか。…本当に多いな。煙草や食べ物の包み紙…ひ、避妊具まで…?!
見てはいけないものを見たようで、すぐに視線を上に戻す。その様子を見ていたのか、男…シイさんは、可笑しそうにカラカラと笑った。腹が立ったが、何をされるか分からないため一緒に笑っておく。絶対に僕の顔はひきつっていただろう。
---
「とりあえず連れてきたけど、家どうする?一応戸籍はこっちで用意できるけども」
さらっととんでもない言葉が聞こえてきた気がするが、さほど重要ではないことのため敢えてそちらは聞き流した。自宅どころか、この世界に来て何をするかさえ決めずに来てしまったなぁ…と、一人途方に暮れる。
家を借りるにもお金が無い。であれば、住み込みバイトでも探すべきだろう。その旨をシイさんに話すと、凄く微妙な顔をされた。え、なんだその顔。
「…零くんの世界ではどうか分かんないけどさ、こっちの世界だとね、住み込みの仕事って言うのは…」
言葉を濁されたあと、チョイチョイと手招きされる。近くに寄ると、耳元に顔を寄せて小声でこう伝えられる。
[…大体はそういうお店が殆どで、あとは軍とか、最悪人攫い目的の…]
「…止めときます。ありがとうございます」
「それが良いと思う…ゴメンね、ウチの治安が悪くって…これでも良くなったんだけど」
この国本当に大丈夫なのだろうか。あまりにも治安が悪すぎるし、それで良くなった方と言うのも些か信じがたい。
ならばどうするか。まさか、家無し生活…???何度か家の外で寝たことはあるが、流石に何日も続けては辛い…と、不安になる。何かアドバイスは無いかとシイさんの顔を見ると、やけにニヤニヤしていた。何が楽しくて笑ってんだコイツ。
「オレに良い案があります…!!!」
「…何ですか?」
息を吸って、吐く。そしてまた吸って、吐いて、吸って…
「…タメが長い!!…あっ」
つい本音が口から…怒っていないだろうかとシイさんの顔を見る。…なんだか、さっきよりもニタニタしている。なんだコイツ…
「へへ、零くん全然本音で話してくれなかったからちょっとイジワルしたの、ゴメンね」
ミリも悪いと思ってない顔だな…と呆れる。いや、それよりも早く言って欲しい。
いくらふざけた野郎だとはいえ、この世界には詳しいだろうし、恐らく僕よりもマトモな大人だ。どんな解決策があるのだろうか…
聞いて驚くなよ~?と、いらない前置きを挟まれる。なんというかこう、話が長い、面倒なタイプらしい。不安になってきた…
「その案がね、オレと一緒に住むってやつ。衣食住完備ですが、どうでしょうか!!」
何を言われたのか、上手く理解できなかった。聞き間違いのような気がしてもう一度聞くが、どうやら僕の耳は正常だったらしい。
良くないと分かっている。本音を出して刺激してはいけないと分かってはいるが、さすがにこれは言わざるを得なかった。
「…正気か???」
「ん?勿論!!」
前言撤回だ。コイツ、この国に負けず劣らずイカれてる。こんな大人に着いてきたことを、僕は今更ながらに後悔した。
(こんな国で、こんなイカれた奴と一緒にいて、本当に僕はマトモに生きていくことができるのか…?)
◇To be continued…
【次回予告】
「さ、最悪だ~…!!!」
「堂々とした浮気じゃんね(笑)」
「…お二人と…一緒に、住みたい…デス…」