※その他のびすの短編など
※リクエストもここにあります
※日替わりお題用でもあります。
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※基本1話完結です。
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目次
君はダウナー
完成物というのは、彼の事を言うのかと、最初は思った。
透き通るような瞳、なんてありがちな言葉では表現できないその眼差しを、僕はどうにかして客観的な言葉にして脳裏に焼き付けたいと思ったのだけれど、その行為は虚しく終わり、ただ目を伏せれば、自然と表情が浮かぶだけになってしまった。この感覚の名前を僕は知らないが、強いて言うならば一種の衝動だと思うことにしている。
机に肘をつき、繊細な指先を頬に当てて、窓の外を見ている彼は、物憂げな表情で世界を見下すような空気を放っている。はじめは、それを崩したいと思った。乱したい、と。
だからというわけでもないが、告白をして、押し倒してみた。
放課後の教室には、僕達以外の人気はない。
好きだと告げて、そのまま、さも勢いである風に僕は押し倒したのだが――彼は、なんと表情を変えるでもなく、床から僕を見上げるだけだった。念のため頭をぶつけないようにと、彼の腰に僕は手を回していたのだが、されるがままになっている。
「……抵抗しないの?」
「どうして? 結果が一緒なら、別にいいんじゃないか?」
「なにが、『いい』の?」
「どうでもいい」
その言葉を聞いて初めて、僕は彼が何も考えていないのだと気がついた。
そもそも彼が世界を蔑んでいるなどというのは、僕の勝手な空想であり、彼は考えること自体を面倒だと厭う人種だったのである。
まぁ、それはそれで良いかと、僕も『いいや』と思うことにして、そのまま唇を重ねた。以降、僕と彼――渡瀬は、多分であるが、恋人同士としてお付き合いをしている。今日は、月が変わった。二月である。あとひと月もすれば、僕達は卒業を迎え、別々の土地に別れることになっている。僕は大学で上京する。渡瀬は――……そういえば、どうするのだろう? 思えば、渡瀬が何も考えていないと気づいてから、僕は彼に興味を失っていた。
久しぶりにまじまじと横顔を見る。彼について何も考えてはいないが、現在も隣を歩いている。放課後は大抵こうして、一緒に帰路に着いているのだ。
「ねぇ渡瀬」
「うん」
「卒業したらどうするの?」
「――別に」
その回答に、僕は目を眇めた。気づくとため息がこぼれていた。彼は俺に答えたくないわけではなく、単純に答えるのが面倒くさいのだ。それがよく分かる。
「じゃあ――僕達の付き合いはどうする?」
意地の悪い質問をしたつもりはない。純粋な好奇心だった。どうせ『どうでもいい』や『別に』という言葉が返ってくる。僕はそう、疑わなかった。
「――青坂は、どうしたい?」
しかし意表を突く返答が来たため、思わず僕は立ち止まった。
「どうって?」
「俺は、青坂と一緒にいたいんだけど」
「そう。けど、僕は東京に行くよ?」
「俺も行く」
「受験してないよね? まぁ今からでも専門なら間に合うだろうけど――就職? バイト? どうするつもり?」
具体化して聞き返した。そうしながら、どうせ何も考えていない言葉だったのだろうと、考え直した。俯いている渡瀬は、しばらくの間、雪についた足跡を眺めていた。その瞳だけは、僕が興味を持ったものと同じである。
「――もう家は借りたし、受験もして、合格通知も貰ってる」
「一言もそんな事言ってなかったよね――……そうだったんだ。ごめん、知らなかった」
教室でも話題になった記憶がない。純粋に驚いた僕に対し、やっと渡瀬が顔を上げた。
「お前と同じところ」
「大学?」
「家も」
「……――へぇ」
頷きながら、俺は、そういえば雑談で住所を話したことがあったなと思い出した。それにしてもよく覚えていたなと感動した。そのため、まじまじと青坂を見ていたのだが、何故なのか――彼は苦しそうな顔をした。
「ごめん」
「ん?」
「気持ち悪いよな」
「うん?」
「分かってるんだ。重いって」
「え?」
「けど、お前のことが好きすぎて辛い」
「青坂?」
「なんとか気持ちを抑えてようと思ってたのに、お前といると、それができないから困る」
「どういう事?」
「お前が好きで、お前は俺のものだって言って、見せびらかして叫びたい衝動に駆られる」
「――……頭でも打った?」
我ながら他に言葉はなかったのかと思ったが、僕はそういうのが精一杯だった。
そんな渡瀬の姿なんて想像もつかない。
だけど。
なぜなのか、真っ赤になっている僕がいた。
思わず口を手のひらで覆う。嬉しい、と、思っている自分に気がついた。
「俺、いつもお前のことを見ていて――それでお前が俺の方を見ると、目をそらして、何でもない冷静なフリをしてたの、お前知ってた?」
「知らなかった……」
「お前といると、緊張して言葉が出てこないの知ってた?」
「知らなかった。テンションが低いんだろうなって……」
「逆だ。心の中、いつもパニックだ。けど、お前と居られるから、世界はバラ色っていうか。素晴らしい感じ?」
いつになく饒舌な渡瀬を見ていたら、僕は思わず笑ってしまった。
――だから静かに彼の手を握り、世界は素晴らしいものだと思っている彼に、改めて興味を持った自分を誇らしく思った。
「じゃあ一緒に暮らす?」
「!」
そんなやりとりをしながら、二人で歩く。
彼はダウナーでは無かったが、それはそれで愛おしいと思ったある日だった。
魔法薬屋の主人 ――『個人により効果や感想は異なります』
俺は、魔法薬屋を営んでいる。曾祖父の代から店があって、俺で四代目だ。絶好調に売れると言うことはないが、客足が絶えるということもなく、細々とまぁぼちぼちと、それなりにそこそこの生活を送っている。
売れ筋は傷薬だ。冒険者がちょくちょく買っていく。
他の品も扱っていて、変わった物だと惚れ薬なんかもあるが、基本的に『ちょっと気分を盛り上げます程度の効果で、個人により効果や感想は異なります』と注意書きしている。
恋愛くらい、自力で頑張れよと俺は思うが、これも意外と売れている。
そんなことを考えながら、カウンターでぼーっとしていると、店の扉が開いた。
視線を向けて、俺はちょっと狼狽えそうになった。
入ってきたのは、王国騎士団の正装姿の青年だったからだ。即ち騎士だ。年の頃は二十代後半くらいだから、俺の少し上くらいだろうか。違法な魔法薬の摘発という名目で、たまに騎士はこの店に来る。違法な薬を作るには、高価な素材がいるのだが、俺にはそんな素材を入手するほどの収入もないし、罪を犯すような間違った度胸もないから、全くの誤解で、すぐに彼らは帰っていくのが常ではあるが。
「邪魔をする」
「いらっしゃいませ。何をお探しですか?」
「――自白剤を探している」
「? そういう尋問系の品は、騎士団の専属の魔法薬職人に依頼した方がいいのでは?」
「個人的に探しているんだ」
「ほう」
「あるか?」
「ありますけど――その……『個人により効果や感想は異なります』」
「構わない。一つ欲しい」
「どうぞ」
俺は棚から小瓶を取り出して、カウンターに載せた。そして魔導レジの前に立つ。
「7000ゴールドです」
「これでいいか?」
「はーい。3000ゴールドのおつりです」
ゴールドというのは通貨の名前であるが、金貨ではない。紙幣だ。
この王国も、昔は金貨を使っていたようだが、俺が生まれた頃には既に紙だった。
10000ゴールドをレジに入れて、俺は商品を眺める。
「袋はどうなさいますか?」
「不要だ。用法は?」
「飲ませたい相手に、ぐいっと一気に全部飲ませる感じですね」
とはいえ、効果はせいぜい『なんかちょっと言いたいような気持ちになったかなぁ』くらいの気分の盛り上がりしかもたらさないだろうが。
「そうか」
すると青年が、俺の目の前で瓶を手に取り、蓋を引き抜いた。
――え?
虚を突かれて俺が目を丸くしている前で、青年がそれを一気に飲み干した。
は? 自分で飲むのか? 斬新だな?
と、内心で俺は呆気にとられていた。しかし何故ここで? 確かに既に支払いはしてもらったが、せめて店の外で飲んでくれれば――……
「俺は、王国騎士団のアルトという。実は店の前を通りかかる度に、掃除をしている君を見かけてずっと気になっていたんだ。つまりその、す、好きだ! 俺と付き合ってくれ」
「へ!?」
「……確かにこの自白剤には効果があったらしいな。話す勇気が出た」
「……あ、はい。ありがとうございます。ご愛顧感謝します……けど、え? 俺を好き?」
「ああ」
「告白するために自白剤を買ったのか? 普通そこは惚れ薬じゃないのか?」
「別に俺は君の気持ちを無理に変えたいわけじゃなく、俺の気持ちを伝えたかったんだ。伝えないと苦しいのに、言う勇気が出なくて。だ、だからそのだな……まずは友達からで構わないから、名前を教えてくれないか?」
「はぁ……俺の名前はルイスといいますけど……はぁ……」
こんなこともあるのかと、俺は驚いた。
これが俺とアルトの馴れそめである。
以後、ちょくちょく騎士が自白剤を買いに来るようになったのだが、なんでも「これを飲んで告白すると成功するらしい」という噂が構築された結果のようだ。だが、繰り返すが――『個人により効果や感想は異なります』としか、言い様がない。
(終)
死神が視える医者
――今日も雨が降っている。酒井が初めて死神を視たのも、ある梅雨の日だった。
酒井は、大生国総合病院で働く医師だ。専門は、呼吸器外科だ。主に肺がん患者の担当をしている。
そんなある日、白を基調にした病室に、見慣れぬ黒灰色のローブ姿の影を視た。
その者は、目深にフードを被っていたから、口元しか見えなかった。
片手には金色の台に乗る蝋燭を持っていて、唯一見える唇から、その者は息を吹きかけ、火を消した。その瞬間、患者の心停止を告げる音が病室に鳴り響き、酒井は目を見開いて機器を見た。それからすぐに不審者に視線を戻した時、既にそこには誰も存在しなかった。かき消すように、あるいは幻覚だったかのように、消失していたのである。
以後――死の淵にいる患者の元に酒井が訪れると、必ず蝋燭を持ったその者が姿を現すようになった。いいや、正確には昔から存在していたのかもしれないが、少なくとも酒井が視えるようになったのは、ある年の梅雨の日だった事を、鮮明に記憶している。
何故死神だと分かるのか。
それはある時、蝋燭を吹き消そうとしていたその者に、酒井が話しかけたからだ。
その日も雨がしとしとと降り、病院の庭の紫陽花を濡らしていた。
「お前は、何者だ?」
すると驚いたように息を呑んでから、ローブの主は答えたのである。
「死神だよ」
「死神?」
「うん。この蝋燭は魂の火だから、僕はそれを狩って冥府に戻る。それが仕事だよ」
そう言うと、今度こそ死神は蝋燭を吹き消した。それを酒井は見守り、その後患者を看取った。それが契機だった。以後、酒井は死神に話しかけるようになった。いつも時間は一瞬だったが、一言、二言と、言葉を重ねていく。
「死神には名前があるのか?」
「僕はリュートという名前だよ」
リュートと名乗った死神が火を吹き消すから、すぐに酒井はもう助からない患者を識別できるようになった。何度か、死神を目視した時、救急に運ぼうとしたが、無駄な努力だった。死神が火を消せば、必ずその者は死ぬ。
「助ける事は出来ないのか?」
「――寿命を延ばすというのは、冥府の規則違反となるんだ。だから、それを行えば、僕は死神ではなくなる。僕もまた、人間と同じように、寿命ある存在になってしまう」
ポツリポツリとそんなやりとりを重ねていく。
ある日、火を吹き消そうとした死神に、酒井は歩み寄ってみた。そして手を伸ばすと、リュートの体には実体が無い事に気が付いた。
「死神には、触れないよ。本来、視える事も無いはずなのに」
「そうか」
淡々とした声で語る死神に、続けて酒井は聞いた。
「顔が見たい。フードは取れないのか?」
「それくらいなら出来るけど、どうして?」
「別に。理由はない。見たいだけだ」
酒井が告げると、蝋燭を片手に持ったままで、死神がフードを取った。
鴉の濡れ羽色の髪と瞳をしている。
整った顔立ちに、一時酒井は見惚れた。死神の年の頃は、十代後半から二十代前半くらいに見えたが、どこか老成した空気も醸し出しており、正確な年齢は判断が出来ない。
一方の酒井は、今年で三十二歳だ。医師としてはまだ若い。酒井もまた黒い髪をしているが、死神の髪のように漆黒の夜のような色彩ではない。酒井の髪と瞳は、死神と比較すれば腐葉土色と言うのが相応しいだろう。酒井は精悍な顔立ちをしていて、患者にも人気がある。
「リュート」
「何?」
「俺はもう少しゆっくり、お前と話がしてみたい。火を吹き消す以外の時間を取ってくれないか?」
「何を話すの?」
「それはこれから考える」
「別に構わないけど」
「では、明日。明日は、休みなんだ」
「僕は何処に行けばいいの?」
「そうだな――この病院の庭に、四阿があるだろう? 紫陽花が正面に咲いている場所だ。そこの窓から見える、ベンチがある場所だ」
酒井の言葉に、死神が窓の外を一瞥し、頷いた。そして、蝋燭の火を吹き消した。
――翌日。
待ち合わせの時間を決めるのを失念していたと気づいた酒井は、早朝から四阿のベンチに座っていた。本当に死神は来るだろうかと考える。すると、日が高くなってから、死神が正面に現れた。ベンチに座った状態で、最初からそこにいたようにも見えた。
「来てくれたんだな」
「うん。僕も、僕が視える君に興味がある。先生は、名前は酒井というんでしょう? 白衣の上に名札があった」
「そうだ。俺は酒井という」
酒井が名乗った時、雨が降り始めた。本日は梅雨の合間の晴れかと考えていた酒井だが、どうやら違ったらしい。そばの紫陽花を雨が濡らしていき、四阿の周囲のアスファルトは暗い色に染まっていく。傘を持ってこなかったなと、酒井は考えた。約束を取り付ける事と、ここへ来る事に必死で、天気予報も確認しなかったし、そもそもこの四阿は話す場所として適切ではないようにも思った。それでも沈黙したままよりはと、酒井は話題をひねり出す。
「リュート、死神について教えてくれないか?」
「うん。いいよ」
こうして二人は会話を始めた。
そしてこれは、二人の最初の逢瀬ともなった。何度も話をする内に、酒井は死神に惹かれていった。だから休日は、必ずと言っていいほど、死神を誘った。梅雨の間の休日、雨の中、いつも。きっかけは、ある日死神が寂しそうな色を瞳に浮かべた事だったのだと酒井は考えている。
「……僕だって、本当は、命を奪いたくはないんだよ」
辛そうにポツリと呟いた死神を見て、酒井は抱きしめたくなり、実行した。けれど死神に実体はやはり無く、酒井の腕は無いものを覆い、からぶった。すると死神が微苦笑した。
「ありがとう。酒井先生の気持ちだけで、嬉しい」
「リュート」
「なに?」
「俺は、お前が好きだ」
「っ」
「だから、辛い時も寂しい時も、俺で良かったら話してくれ。聞く事しか出来ないが」
真摯な眼差しで、酒井はじっと死神を見た。すると――死神が頬に朱を差した。その耳も赤く染まったのを酒井が確認した時、慌てたように死神はフードをかぶった。
「顔を隠さないでくれ」
「恥ずかしい事を言うから悪いんだ」
「なにも恥ずかしい事なんて、俺は言っていないだろう」
「……好きの意味を、誤解した」
両手でフードを押さえている死神を見て、酒井は首を傾げる。
「どう誤解したんだ? 俺は好きだぞ?」
「愛の告白みたいだった」
「? その通りだ」
「えっ」
「俺はリュートを愛してしまったらしい」
そう言って酒井が綺麗な表情で笑うと、死神が沈黙した。
フードの下の顔は、より真っ赤に染まっていた。
気持ちを告げられた事に満足しつつ、死神からの答えが無かった事に苦笑しながら、酒井は帰宅した。本日は、きちんと傘を持参していた。
――梅雨の雨で、スリップしたバイクが、酒井に突っ込んできたのは、その直後だった。
目を覚ました時、酒井はICUにいた。頭部と腹部、右足に治療痕跡がある事を自覚する。目はかろうじて見えた。その後コールを押し、複雑骨折した肋骨が、内臓を傷つけている事を聞いた。助かる見込みは非常に低いと、同僚の医師は言わなかったが、説明から酒井は理解していた。
その後しまったカーテン。一人きりの寝台の上で、酒井は死神の事を想っていた。
気配を感じたのは、まさにその時の事だった。
自由になる視線を動かせば、見慣れた黒灰色のローブが見えた。口元も見える。死神だ。会いたかった相手だが、酒井は苦笑してしまった。死神は、手に蝋燭を持っている。その火の勢いは弱く、今にも消えてしまいそうだった。だが、最後に会えるのが愛しい相手だというのは、ある種幸福だと酒井は考える。
「俺の命の蝋燭を消しに来たのか?」
率直に酒井は尋ねた。その声は、掠れていたが、僅かに笑み交じりだった。
すると――嗚咽が聞こえた。見れば、フードから見える肌に、水の筋が見えた。まるで梅雨の空からしとしとと流れ落ちていく雫のような、涙の線だとすぐに気づいた。
「別れを惜しんでくれるのか?」
「違うよ。僕は……規則違反をしに来たんだ」
死神が涙交じりの声でそう述べた瞬間、蝋燭の長さが伸び、火の勢いが強くなった。同時に、酒井は己の体が楽になった事を自覚した。思わず目を見開き、先程までは自由にならなかった右手を握ってみる。
「リュート、確か……冥府の規則があるんじゃなかったか?」
「うん。僕は、寿命ある者に変わってしまった。今の僕は、実体がある人間になってしまったよ。もう、神じゃない。死を司る者では無くなってしまったよ」
「どうして――」
「ずっと一緒にいたかったからだよ。僕も、酒井先生が好きになってしまったんだ。寂しかった、誰にも視てもらえない孤独だった僕に、話しかけてくれた先生の事が、大切なんだよ。好きなんだ」
涙声で語る死神を見ながら、酒井は自由になる……怪我が完全に癒えている上半身を起こし、それから床に立った。酒井よりも背の低い死神を、そのまま酒井は両腕で抱きしめた。いつか、からぶった時とは異なり、今度こそ、抱きしめる事が叶った。きちんとそこに死神は居たし、体温も感じる。
酒井は死神のフードを取った。そこには泣いている死神の顔がある。少し屈んで、酒井はその唇を奪った。すると死神が、驚いたように目を丸くしてから、泣きながら笑った。
その後周囲には、謎の快癒を驚かれた酒井だが、後遺症もなく、少しの休暇を経て仕事に復帰する目処もたった。復帰する日までの間は、これまでは一人暮らしだったマンションで過ごす事になった。けれど――今は、二人暮らしに変わった。
冥府が現世の戸籍に、死神のものを用意した結果、リュートは人としての軌跡を歩む事が決定された。そして今は、酒井のマンションで、共に暮らしている。戸籍上の名前は、隆(りゆう)都(と)となっていた。だから今では、酒井もそのイントネーションで名を呼ぶ。
「愛してるぞ」
「……僕も」
――その後。
二人は末永く共に暮らした。そしてまた、出会った梅雨が訪れる。隆都は、マンションの窓に手で触れ、雨の雫を眺めていた。すると後ろから、この日は休暇だった酒井が両腕をまわす。抱きしめられる幸せを感じながら。首だけで振り返った隆都に、酒井は迷わずキスをする。
その内に、雨がやみ、梅雨の合間の晴れた水色の空が現れた。
梅雨の晴れ間のそんな空は、二人の新たな関係を象徴するように明るい。
「いつまでも、抱きしめていたい。が――夕食だ」
「うん」
見つめ合ってから、隆都が微笑むと、酒井もまた笑顔を返した。
二人で過ごす日々は貴重で、互いの寿命が終わるまでの間、非常に幸せに続いていく。死が二人を分かつまで、幸せな日々が続いた。けれどそれは別のお話であり、今ここにあるのは、ただの幸福だけである。そんな二人の、ハッピーエンドの物語。その後も、幾度も季節は廻り、二人は出会った梅雨の季節を二人だけの記念日に決め、おそろいの指輪を購入する。それもまた、別のお話だ。幸せに浸りながら、酒井はゆっくりと瞼を伏せた。
―― 了 ――
針地蔵の脳みそ
俺は針地蔵だ。
針地蔵……と、呼ばれていて、正式名称は異なる。
辺鄙な村の片隅に、ぽつんと立っている俺だが、密かに全国から人がやってくる。世界中だ。俺の仕事は、頭部に細い針を刺される事。縫い針だ。すると一番困っている悩みが消えると囁かれているそうだが、そんなのはただの出任せである。
地蔵は石で出来ていると皆が思っているようだし、こんな田舎の俺の内部を確認する科学者はいないので証明しようも無いが、実は中身は生身の人間だ。いいや、人間が密閉された石の中で生きられるはずもないので、俺は人間の肉体に近しいものを持っている存在とするのが正しいのだろう。あるいは多くの地蔵が、俺と同じ状態なのかも知れない。
――ブスリ。
また一本突き刺された。笑顔の観光客が二人、俺を見て笑顔を浮かべている。ダークブロンドの巻き毛をしている女性とサングラスの男性で、海外からの観光客だと分かる。
――ブスリ。
二人は俺には分からない言語で会話をし、写真を撮影して帰っていった。
さぞSNS映えする事だろう。
外国語は分からないのに、この国の言葉は、流行語まで俺は理解できる。
理由は、多分針だ。
針は、俺の下方、坂道の先の雑貨店で買う決まりらしい。そして俺には、その針を俺に突き刺した人間の思考が、針を突き刺される度に入ってくる。脳を刺すその感覚は、俺に痛みではなく、どちらかといえば怖気を与える。脳の表面を直接触られるような感覚、刺さり進んでくる感覚にいつも背が冷えるのだが、不思議と痛みは無い。そうして針の動きが止まると、俺の中で針の空間分のナニカが失われ、代わりにこの国に関する思考が入り込んでくる。今の二名であれば、『次は城を見に行こう』『五時間も先にあるみたいよ』という思考が、俺がいる国の言葉で俺の中へと流れ込んできた。
針を刺される度に、俺の一部は欠け、俺は俺では無くなっていく。
だが、他の誰かになるわけでは無い。
俺の中は、数え切れないほど多数の人の一部、欠片、そういった少しずつで満たされていく。俺は、個から全に代わる。これはもしかすると、マクロコスモスからミクロコスモスへの変化なのかも知れず、それは仏教の中にもあるので、地蔵の俺は、やはり地蔵なのかもしれない。
ああ、また誰かがやってくる。
俺はある日目を覚ましたら、既に地蔵であったから、明日頭に針を突き刺され、脳を撫でられるような感覚を味わっているのは、やはりまた俺なのだろう。
そうだ、俺は針地蔵だ。
恐竜と人間の足跡 ―― デルク・トラックと楽園 ――
ある化石の発見に、人々が驚いた記憶は、既に風化しつつある。
それは恐竜の足跡の横に、人間の靴底の跡がある化石だ。オーパーツなのだという。勿論、恐竜がいた時代には、スニーカーを履いた人間がいるわけがない。贋作だという声も大きいが、確かにその化石は、今も残っている。本物を見た時、子供心に俺はワクワクした。すると一緒に見ていた兄が、俺の頭を優しく撫でた。十歳年上の兄は、当時十七歳。
「お兄ちゃん、これは未来からタムスリップして、恐竜の時代にいったのかな?」
「さぁ、どうだろうね」
微笑した兄の目元は優しかった。
大学院まで飛び級で卒業した兄は、タイムマシン研究をしていたので、七歳だった俺は当時、近い将来には過去に行くことが出来るのではないかと思っていた。
それから十二年後。
俺が十九歳になった年、二十九歳となった兄が、リビングのソファでカタログを見ていた時、俺はパンケーキを焼きながら声をかけた。
「蜂蜜とバターでいいか?」
「うーん、弱ったなぁ」
「え? サラダ系の方がいいか?」
「いや、そうじゃなくてね」
兄はそう言うと立ち上がり、俺の方へとやってきた。
「このスニーカー、ちょっと変わった靴底のモデルでね」
「うん」
「――ああ、そうだ。プレゼントしょうか。何色が好き?」
「その中なら緑だけど……靴底?」
「なんでもないよ。蜂蜜でいい、ああ、美味しそうだ」
と、こうして俺達は朝食にした。
その兄が失踪したのは、それから三ヶ月後のことだった。俺はその日、兄がプレゼントしてくれたスニーカーを受け取り、お礼を言うべく兄を待っていたのだけれど、兄はそれ以後半年経っても帰ってこず、音信不通になってしまった。俺達は二人きりの家族なので、心配していたのだが……兄からは連絡の一つも無い。
一番最後に兄から着ていたトークアプリのメッセージは、以下だ。
『僕がいなくなっても、探しに来てはダメだよ』
警察は、これは遺書ではないかと俺に言ったが、俺はそんなことは信じない。
そんなある日、兄が所属していた研究室から、兄の私物を引き取りに来て欲しいという連絡があった。兄の痕跡が消えてしまうようで寂しく思いながら、俺はとぼとぼと研究所へと向かう。そしてタイムマシンの研究室に入り、兄の論文などが入っている箱を見た。
「あ……」
そこには、いつか兄と見た、『恐竜の足跡とスニーカーの化石』の写真があった。
俺はその時、思わず自分の足元を見る。
――変わった靴底?
兄の言葉を思い出し、俺はスニーカーの片方を脱いで、ひっくり返してみた。すると写真の靴底にそっくりの波形の模様がある。俺は冷や汗をかいた。兄は、もしかして、タイムマシンを自分で使ったのだろうか? だが、兄が失踪した時は、まだこのスニーカーは予約段階であり、発売されていなかった。だとすれば、タイムマシンに乗って、俺が過去に遡って兄を探しに行き、恐竜の足跡の横を踏んでしまう……そんな未来あるいは過去は、あり得るのだろうか?
『僕がいなくなっても、探しに来てはダメだよ』
甦る、メッセージの一文。
俺はゴクリと唾液を嚥下し、両腕で体を抱いてから、荷物を手に帰宅した。
そして我が家の地下に、内密に兄が設置していたタイムマシンの前に立った。タイムマシンの前は巨大なレンジのような形をしていて、戻りたい時代にタイマーを合わせて、中に入ると移動出来るという代物だ。そしてタイマーの下に、何日間滞在するかを入力できる。俺は改めてタイムマシンのタイマーを見た。恐竜がいた時代に設定されている。滞在期間は、三ヶ月に設定されていた。即ち、兄は今九ヶ月ほど姿がないわけであるから、要するに時間移動は失敗し、戻ってこられない状態なのかもしれない。そうか……兄は、過去に行っているのか。
まだ、政府の認可が下りていないので、物質の移動以外のタイムマシン利用は禁止されている。人間の移動は、未来を改変してしまうかもしれないからと、訓練を積んだ一部の研究者のみが実験を許されているが、許可を得るには何年もかかる。だから兄も独断でタイムマシンを利用したのかもしれない。
「迎えに行かないとな。接触している相手は、連れて帰ってこられるというし」
俺はそう呟いて、スニーカーを見る。
そして迷わずに、タイムマシンへと入った。
「っ」
すると光が溢れて、気づくと俺は真夏のような日差しを一身に受けていた。ただ雨上がりのようで、土がぬかるんでいる。一歩踏み出すと、俺の足跡が土についた。
何かが走ってくる音が響き、鳴き声がし、鳥たちが逃げるように飛んでいったのはその時で、俺が振り返るとそこには巨大な恐竜の姿があった。青ざめた俺は、一歩後ずさる。俺の付けた足跡の隣に、その恐竜の足跡がついた直後、口を開けた恐竜が俺に迫ってきた。思わず両腕を前に出して庇った時――銃声が聞こえた。俺の目の前で、恐竜の巨体が傾き、倒れる。
「探しに来てはダメだと言ったじゃないか」
「兄さん!」
恐竜を銃撃して倒した兄は、苦笑している。俺は久しぶりに会う兄の姿に、涙腺が緩んだ。
「なにやってるんだよ! 帰ろう!」
「実はね、きっと隆哉なら来ると思ったから、僕は実験したかったんだよ。巻きこんでしまってごめんね」
「実験?」
「そのスニーカーの隣に、僕の革靴の跡も残す。そうしたら、僕たちが戻った未来で、化石はどう変化するのかと思って。この程度の未来の改変ならば、許されると信じよう」
兄はそう言うと、土を踏んだ。
その後俺は兄の腕を掴み、俺が設定した半日後に、無事に現在あるいは未来への帰還に成功した。すると。
「あ」
俺が兄の研究室から持ってきた写真に映る化石には、恐竜の足跡が一つと、スニーカーの足跡が一つ、革靴の跡が一つついていた。けれど――地下室に俺達が戻って振り返ると、そこにはタイムマシンが無くなっていた。
現在は、2025年。
タイムマシンなど存在しないというのが、世間の見解らしい。確かに俺が知る本当の現代では、兄はタイムマシンを研究していたというのに。兄はタイムマシンではなく量子力学の研究者ということになっていた。
「些細なことでも、やはり未来は変わってしまうんだねぇ」
兄はそう言いながら、知識は全て残っているため、秘密裏にまた家の地下にタイムマシンを作成して設置した。
「ねぇ、隆哉。僕はもう一度試したいんだ」
「うん? も、もし失敗したらどうするんだよ?」
「その時は、その時さ。僕はね、見たいものがあるんだよ」
「見たいもの……?」
俺が首を傾げると、微笑した兄が大きく頷いた。
「あの時代には、人間はいないはずなのに――確かに歌声を聞いたんだ。一人きりの時間が長いから幻聴かと思ったけれど、多分違う。あれは……あの区画は、おそらく聖典が説く楽園なんじゃないかと思う。確かに、一人の女性が立っているのを僕は見た。いるはずがないのに。僕は彼女に恋をしてしまったんだ。だから、会いに行く。今度こそ、僕のことは迎えに来なくていい」
それを聞き、俺は不安に駆られた。兄は俺を一人にするつもりらしい。だけど、兄の幸せが一番なので、俺は自分の辛さはグッと堪える。
「兄さん……出来れば、帰ってきてくれ」
その後、兄はタイムマシンの中へと入った。
戻ってくる時間の指定は、一応半年後になっていた。俺は、未来が変わるとしても、どうせならば、その女性を連れて戻ってくればいいじゃないかと思っていた。
……が。
俺は翌日、大学の総合講義で宗教学の授業に出席し、目を剥いた。
『楽園にはアダムとイヴがいました』
と、語る教授。昨日まで、聖典にある楽園には、イヴしかいなかった。アダムという男はいなかった。そして俺の兄の名前は|寇夢《あだむ》だ。兄もまた、楽園があるのではないかと話していた。未来はおろか、宗教の要素がまるで変化した。聖典で語られているアダムは、その後子孫に恵まれ、幸せそうにも思えた。
――その後、兄が帰ってくることはなかった。
そして写真には、点々と裸足の男の足跡が見えた。この恐竜と人間の足跡の写真は、デルク・トラックと呼ばれている、オーパーツとされている。俺は思う。この足跡の行く先は、きっと楽園なのだろうと。
(終)
【リクエスト】かなわない恋
小説でリクエストを頂きました。
ありがとうございます!
令和の世になっても、昔ながらの名家というものは存在する。
旧華族の流れを汲む、|深蝶院《みちょういん》家に仕えるのが、私の仕事だ。私は深蝶院|明日葉《あすは》様専属の秘書――護衛や学友、家庭教師、そうした一切を行っているが、名目は秘書――だ。特に明日葉様が登下校する際には一緒に車に乗り、教室でもともに学んでいる。
『|礼全《れいぜん》くんと深蝶院さんって付き合ってるの?』
幾度か、事情を知らないクラスメイトに聞かれたが、そんなはずはない。
この高等部を卒業したら、明日葉様は許婚の|勅使河原由芭《てしがわらゆは》様と結婚することが決まっている。政略的に決められた婚約ではあるが、お二人は仲睦まじい。
あくまでも仕える立場にある私には、明日葉様に恋をする資格はない。
主人に対して、従僕はそんな権利は持たない。
ただ、それでも。
私は明日葉様にかなわない恋をしている。
明日は卒業式だ。そして明後日には、明日葉様は結婚前ではあるが準備のために勅使河原家へと向かい、そこで生活することになる。その時点で私の任は解かれる。きっと多くの者は、『自由になった』と、それを喜ぶのだろう。けれど、私からすれば、明日葉様との別離であるから、とても辛い――いや、そうでもないか、と、私は唇の端を持ち上げて苦笑した。離れたならば、この気持ちにけりもつけられるかも知れない。
「|雪野《ゆきの》」
そこへ声がした。礼全雪野が私の名前だ。
「はい」
振り返れば、そこには微笑し歩いてくる明日葉様の姿があった。長いまっすぐな髪が揺れている。ぱっちりとした目はアーモンド型だ。睫が長い。
「なにか、私に言うことはない?」
「? いえ、ありませんが」
「ウ、ソ」
「いいえ、私は誓って明日葉お嬢様に対して誠実です」
「それは分かっているわ。でも、一つだけ、嘘があるはず」
「どういう意味でしょうか?」
「――いいの? 私に告白しなくて」
小首を傾げて、笑ったままの明日葉様に言われた。一瞬、私の心臓は冷たい手で直接撫でられたかのような衝撃を受けたが、私はすぐに笑ってみせる。
「残念ながら私は、明日葉お嬢様を女性として見ることが出来ませんので。僭越ながら、妹のような……まぁ、そういった存在です」
濁した私の言葉に、ぷぅっと頬を膨らませて、唇を尖らせてから、ぷいっと明日葉様が顔を背けた。
「同じ歳じゃない。もういいわ。ごきげんよう、雪野。また明日」
「おやすみなさいませ、明日葉お嬢様」
私は頭を下げる。
明日葉様が遠ざかっていく気配がする。
――ポタリ、と。その時、床に水滴が垂れた。私の眼窩から、ぽたり、またぽたりと、透明な雫が落ちる。
「ああ……」
……言えたのならば、伝えられたのならば、どんなに良かったのだろう。
激情が渦巻くこの胸中、皮膚の一枚下側を渦巻く辛すぎる恋情。
きっと、先ほどだって明日葉様は、私が言わないと確信していたから、あのような問いかけをしたのだろう。まったく、そういうところだ。苦しい。
「私、は……」
呟いてから唇を噛む。そして長々と瞬きをしてから、その上を手の甲で拭った。
「好きに決まってる。好きじゃないわけが……だから」
顔をあげて、私は天を仰ぐ。
「どうか、幸せに」
明日、かなわない恋もまた、卒業すると、私は決めていた。
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――卒業式の翌日。
「行こうか」
迎えに来た|由芭《ゆは》の隣で、明日葉が頷く。
そして二人は、車に向かって歩いて行く。玄関で、雪野を含めた使用人一同が、頭を垂れてそれを見送っている。
歩きながら、由芭が問う。
「それで? 明日葉は上手くいかなかったのかい? 僕と来るなんて」
「ええ。雪野は私を女性として見られないそうよ。私なんて彼を男性としてしか見ていないのに」
「振られちゃったんだ。可哀想」
「煩いわね。さっさと貴方との婚約を解消して、その後どうやって雪野を手に入れるか考えなくちゃならないのだから、私を揶揄って遊ばないで」
「ごめんね。なにせ僕は、既に最愛を手に入れているから」
由芭には恋人がいる。それもあり、円満に、二人は婚約を解消する予定なのだが、まだ周囲にはそれを話していないのである。
「かなわない恋なんじゃないの?」
由芭の声に、明日葉が目を眇めた。
「かなわない恋なんてないの。少なくとも、この私には。必ず、私はこの恋を実らせる」
決意に燃える明日葉の想いを、由芭はくすくす笑いながら聞いていた。
端から見れば円満な二人。
遠くからそれを一瞥して、胸が痛くなる雪野。
けれど。
近い将来、雪野が思ったかなわない恋は、明日葉が実らせると誓った結果、新しい愛を生む。これは、どこかであった、そんなお話。
(終)
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