中2の実咲は学校では、「いい子」。頼まれたことはなんでも引き受けるし、常に笑顔を絶やさない。彼女の性格を人に聞くと、全員がこう言うだろう。「とにかく、優しい」
しかし実咲のそれは「仮面」だった。それゆえに、学校は疲れる場所であった。でも、実咲には実咲を待っていてくれる、「神様みたいな人」がいる。
それは、「悠陽くん」。
けれど、奇跡のような「出会い」にはタイムリミットが付きまとうもので──。
長編にするつもりはないです。(なるかもしれないけど)
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目次
第一話 あなたが待っているから
「|実咲《みさき》って、ほんと優しいよね。もーマジで神様かよってレベル」
机に頬杖をついて笑う|春菜《はるな》は瞳を糸みたいに細めて言う。彼女の細くて色素の細い髪は窓から差し込んできた光を受けて、柔らかく輝いている。綺麗だなと、お世辞抜きにわたしは思う。
「まさかわたしが神様なんてないない! そう言う春菜の方が百倍くらい優しいじゃん」
ほんとのことだ。嘘だらけのわたしが言える、せめてもの本音。
「またそう言う。実咲は謙虚なんだから。もっと自分に自信を持っていいんだよ」
そう言って春菜はわたしの肩をぽんぽんと叩く。その手のひらの温かさに、不意に目の奥が熱くなる。
あの人の手のひらにこんなふうに熱が戻ることは、もう決してない。
「いやいや、わたし全然優しくないからさー」
春菜の翳りのない瞳。純真ななそれに見つめられるたびに、わたしは心苦しくなる。せめて、これで許してほしい。優しい実咲は、全部嘘だから。
「あ、|谷屋《たにや》さん、ちょっとお願いがあるんだけど」
校則違反のマスカラをばっちり塗った目の前の女子は、顔の前で両手を可愛らしくぱちんと合わせる。
「ごめん、この荷物職員室まで運んでってくれないかな。うちちょっと忙しくて」
目の前の数学のドリルが大量に入った段ボール箱。提出物か。そういえばこの子数学係だったっけ。忙しいって、暇そうにしか見えないけど。
笑顔の作り方。
まず口の端を持ち上げて、それから目尻を下げる。
「いいよ。わかった」
「ありがとー、谷屋さんはやさしーね。先生にはなんか上手く言っといてくれる?」
サボりたくてわたしに頼んだのがバレるのが嫌なのだろう。
会釈をして、わたしは腰をかがめ重すぎる段ボールを持ち上げる。
それがわたしにのしかかった変えられない事実の重さであるように感じる。いや、こんなダンボールなんて比になるわけがない。あれはもっともっと、決して忘れてはいけないこと。
ふらふらと歩いていると、後ろから「実咲!」と声をかけられた。そのソプラノが似合う高い声は、振り向かずとも春菜だとわかる。
手を腰に当て目を吊り上げた、可憐に見えて実は怪力の春菜は、段ボールをわたしから奪い取って軽々と持ち上げ、キッと睨んできた。
「もう、実咲! 実咲は優しすぎるんだよ。あいつは絶対実咲が優しいからちょうどいいやって押し付けてるんだよ? 嫌なことは嫌って言わないと、ずっと都合のいい使い方されるよ」
ひときしり言い終わった後も、彼女は「あたしこれもう百回くらい言ったよ」とブツクサ文句を言っている。
「百回は言ってない。二十八回だと思う」
「そこつっこむとこじゃなーい! てかなんで数えてんだよ!」
逆に鋭くつっこまれた。
「あの女子にあたしたちがこんなことしてあげる義理ないと思うけど、いいよって言っちゃったもんはしょうがないから、早く先生のとこ行くよ」
「はあい」
でもね、春菜。悪いのはあの子じゃないんだよ。わたしだって、断れないわけじゃない。
わたしが自分からなんでも引き受けることにしてるんだから、春菜は心配しなくていいんだよ。
そっとついたため息は、冬の凍てついた空気の中にひっそりと溶けてゆく。
みんなはわたしのことを優しいという。けれど謙遜でもなんでもなく本当に優しいわけでもないわたしは、そう言われるたびに、嬉しいのだけれど、胸がチクリと痛む。
それに楽しくもないのに笑うのって、すごく疲れるのだ。校門を踏み越えた瞬間にサッと表情が消えるのが自分でもわかる。校門は「優しい実咲」がなくなる消失ライン。曲がり角のカーブミラーに歪んで映った無表情の中学生女子に、わたしの内側はこんな冷たい顔をしているのかと胸の中が疼く。冬のひりひり痛い風が吹きつけて、顔にボブカットの髪がばさりと覆い被さる。
だけどわたしが「わたし」でいられるのは、わたしをいつも待ってくれている人がいるから。
かじかんで指先が赤くなった手を擦り合わせて、わたしは回り道をする。寒くたって、わたしのこの頃の毎日の習慣は変わらない。
半ば駆け足で先を急いで辿り着くのは、|椿ヶ丘《つばきがおか》公園。背の低い柵に囲まれた小さな公園だけれど、今の季節は名前の通りの真紅の椿が満開だ。真紅の花びらに、黄色の可愛い花芯、艶めく深緑の葉の組み合わせは何よりも優雅に見える。
前は誰もいなかったこの公園。何度来てもそこにはただ静寂があるのみだったのに、今は、端の木のベンチに座る先客がいる。彼の姿を見た途端に、じわりと温かいものが沁みて凍っていた心が溶けていくのを感じた。
よかった、とわたしは自分の手を握りしめる。よかった、今日も夢じゃない。時々わたしは、この奇跡が夢じゃないかと、悠陽くんがふっと消えてしまわないかと不安になるのだ。
「|悠陽《ゆうひ》くん」
声をかけると、空を眺めていた彼がこっちを向いて立ち上がり、片手を上げた。
「実咲。待ってたよ」
悠陽くんは静かに笑う。彼の茶色い瞳の光がふわりと揺れる。自分の笑顔がどうしてもお面のようにしか見えないわたしは、どうしたらそんなに素敵に笑えるのだろうと思う。
わたしは背負っているリュックを放り出す勢いで悠陽くんのところに駆け寄り、隣に座る。
少し長めの前髪から見える彼の瞳に映る景色も笑い方も、あの頃と全然変わらない。
|霧島《きりしま》悠陽くんは隣の家に住んでいた、わたしのひとつ年上だった男の子だ。
今は諸事情あってもうあの家には住んでいないのだけれど、わたしたちはとても仲が良かった。
悠陽くんは──本当に、神様みたいな人。
一応どんでん返しを仕込んでるつもりです。