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目次
その子の笑い方
2025/08/27
初めてみた時、綺麗な子だなって思った。艶やかな長い黒髪、黒曜石のようで吸い込まれそうな瞳、華奢だけど芯がありそうな微笑みを浮かべていた。席が隣だったのもあって、私はその子と仲良くなっていった。毎日、一緒に下校して、途中の公園で遊んだ。寄り道はダメだと先生に言われていたけど、どうせ誰もいないし、夜まで公園にいるわけでもない。
今日も2人で下校する。
「最近、はまってるアニメがあるんだー。」私がニコニコしながら言うと、その子は小さく微笑んだ。それがなんだか大人っぽくて、私も大口開けて笑うんじゃなくて小さく笑うようにしよう、と思った。
「どんなアニメ?」その子が聞いた。例えるなら、穏やかな広い湖みたいな声だった。それもまた参考にしたくなった。「バトル系だよ。今、すごいはやってる。クラスの子達も話してたよ。知らない?」私が訊くと、その子は上品に首を傾げ、困ったように眉を八の字にした。
「アニメ、あんまり見れないから。」そっかー。私はアニメが大好きだったので、その子とアニメの話で盛り上がれないことが、残念でならなかった。
公園に着いた。滑り台や、シーソーや、ブランコがある。けれどそのどれもが錆び付いていて、たいして大きい公園でもないので、人は誰もいない。私たちはやはり錆び付いているベンチにランドセルを置いて遊んだ。15分ほどした頃から、その子は自身のキッズケータイをやけに気にするようになった。そろそろ時間なのかな、と最初は思ったが、それならすぐにごめんねー帰るねと言い出せるだろう。それにまだ4時にもなっていないのだ。「どうかした?」私が尋ねると、その子は画面から顔をあげ、口をもごもごとさせた。「あ、いや…。」その子は一瞬画面に視線を落とし、申し訳なさそうに私に言った。
「ごめん、私帰るね。」「えっ。なんで?」「ちょっと親が…。」その子はキッズケータイをポケットにしまい、ランドセルを背負って帰っていった。私は呆気に取られつつ、その子が、お母さんあるいはお父さんのことを「親」と呼んだことに驚いていた。「ママ」「パパ」「お母さん」「お父さん」と呼ぶのが普通ではないだろうか。それが親。その響きは冷たく、その子と家族との間に、距離や壁があるように感じた。
大人びているんじゃなくて、大人びなきゃいけないような理由があるのかも知れない。嫌な何かが心の底から湧いでていた。
弱々しい風が、私の短い髪の毛をすこしだけ揺らした。
次の日、学校に来たその子に、私は訊いた。「昨日、どうして突然帰ったの?」嫌なら、言わなくても良いんだけど。そう付け足すと、その子は「ごめんね。」と答えた。「親が荒れてたから。」俯きがちにその子は続けた。「あんまり詳しいことは言えないんだけどね。」と言いながら、ランドセルを漁りキッズケータイを取り出した。そして、それを操作し私に画面を見せてきた。
「メッセージ画面。お母さんとの。」私は息を呑んだ。その子のお母さんが送ってきたであろう文面に、驚きを隠せなかった。『あああああああああああああああああああああああああああああああああ』…。もはや文章ですらなかった。相手の叫び声が聞こえてきそうになった。目を見開いている私を見て、その子は再び「ごめんね。」と言った。キッズケータイをランドセルにしまう動作は、やっぱり大人のようだった。「いや…。大丈夫だけど…。」この状況で果たしてなんと言葉をかけるべきなのかわからなくて、私とその子の間には、しばらく沈黙が流れた。
その日、その子は早退していた。
放課後、私は久々に1人で下校しながら、その子について思考を巡らせていた。複雑な家庭環境なんだろうなぁと、そこまでは予想がついた。そこからだ。お母さんはどんな状態なのかとか、いろいろ気になるところはあった。が、さすがに根掘り葉掘り聞くわけにもいかないだろう。私が1人もんもんと考えていると、いつの間にか通学路ではない変な道を歩いていた。ボロボロのアパートや小さな家が立ち並んでいた。ここどこだろう、と慌てながら辺りを見渡していた時だった。ボロボロのアパートの部屋から、人が2人出てきた。私はそれをみて、思わずあっと声を上げた。艶やかな長い髪の毛、黒曜石のような瞳。大人っぽい微笑みではなかったけれど、すぐにわかった。その声で相手も私の存在に気付いたようで、驚いた様子で数秒固まった。
「み、美香ちゃん。」その子は女の人を支えていた。お母さんだろう。整えられていないボサボサの髪の毛、よれよれの服。この人があのメッセージを送ってきたのか。その子は女の人を支えながら、ゆっくりと歩いて私の方に来た。「どうしたの?なんでこんなところにいるの?」焦ったような、しかしやはり綺麗な声で、その子は言った。「ちょっと迷っちゃった。」女の人のことが気になったけれど、触れて良いのかわからず、無難な返事をした。女の人から酒の臭いが漂ってきて、思わず一歩、後退る。
「そう、通学路に戻りたいのね?そしたら、ここを真っ直ぐ行って、あの角で右、そしたらすぐに左に曲がって、しばらく歩いたら通学路に出るよ。手が離せないから、案内できないけど…。」その子はいつもとは少し違う、私のみたことのないような表情を浮かべた。「いや、いや、全然、ありがとう。」私がぶんぶん首を横に振ると、その子は大人びた微笑みを浮かべ、「じゃあ、明日、学校で。」女の人を支えながら歩き始めた。少しずつ、少しずつ遠ざかっていくその背中は、なんだかちょっと、寂しげだった。
「…また明日、また明日ね!」私は大きく手を振った。その子は振り返って、口角を上げた。小さくだけれど手を振りかえしてくれた。それは、大人びた笑顔なんかじゃない、疲れと、希望と、それ以外の何かが混ざった、その子だけの笑い方だった。
冷めた視線はでもちょっとぬるい
まえがきわに
2025/09/18
「私にばっかり押し付けないでって言ってるじゃん!」
捺実が叫んだ。班活動で調べたことを、クラスメイトの前で発表する時間のことだった。うちの班の発表はぐだぐだで、席に戻りながら「ダメダメだったね。」と小さく笑い合っていた。捺実の大声に、クラスが水を打ったように静まり返った。そのあと一気にざわつき、クラスメイトの声で溢れかえる。「え、なになに?」「やば!キレてんじゃん。」いつもおとなしい捺実の大声は、クラスのみんなに大きな衝撃を与えたようだった。
「え、どうしたの、捺実?」捺実の幼馴染である遙が、動揺した様子で訊ねる。捺実はくちびるを震わせながらこぶしを握りしめた。「みんな何もしなかったじゃん。私が全部1人で調べてまとめたのに、なんで文句ばかり言うの。」私は何も言い返せなかった。私だけじゃなくて、班の全員が気まずそうに黙り込んでいた。全員、捺実に任せておけば大丈夫だろうと思って、何もしていなかった。捺実も「わかった、やっておくね。」と笑っていたし、不満を言われることもなかった。捺実はいつもそうだった。大人しくて優秀で優しくて、弱音を吐かない。だから強い人間なんだと思い込んでいたけれど、そうではないのかもしれなかった。「ごめん…。」班の誰かが言った。誰の声なのかはわからなかった。私の心がそんなことを判断する余裕もなかったからだろう。みんなの視線が痛かった。みんなに悪者だと認識されることへの恐怖とか、みんなの前で告発まがいのことをした捺実への苛立ちとか、罪悪感とか、焦りとか、そういうの全部が私の喉を締め付け、言葉を出せなくした。
捺実は深く息を吸って、班の全員を1人ずつ見つめたあと、心底軽蔑したような瞳で言った。「もういい。」そして踵を返すと、教室を出て行った。クラスメイトがまたざわついた。本来は事態を収めるべきなのにずっとあわあわと戸惑っていた担任が、捺実を追いかけていった。体から一気に力が抜け、私は自分の席に座った。私を責める捺実も、叱るであろう先生もいなくなったことに安心していた。「俺は謝ったのに…。」班の男子が、椅子に腰を下ろしながら小声で呟いていた。先ほど謝罪していたのは彼だったのだと理解した。私も謝っておくべきだったと思った。例え捺実の心に届かないような表面上だけの謝罪でも、謝ったという事実があれば、それだけで良いから。
Σ੧(❛□❛✿)←使ってる人あまりみない
かわいいこ
2025/11/28 かわいいこ
うわー、かわいいな。初めて彼女を見た時、心の底からそう思った。曲線を描く輪郭と小さなくちびるはそれだけで愛らしさを出し、低い位置で結ばれた髪の毛は少しうねっていて、ブレザーのせいで角張っている肩はそれでも華奢で、膝下の長さのスカートから覗く足は意外に日に焼けていた。私には彼女はあまりにも魅力的に映った。しかし一般的に、彼女は特別可愛らしくはないようだった。友人にそれとなく訊いた時、返ってきた言葉は「えー福井さんっしょ? まー普通じゃね。 あんま目立ってないしよく知らね。」である。世の中見る目がないもんだなと思う。と同時に、見る目がなくて良かったとも思う。他の誰かに彼女の魅力を理解され、彼女が人気者になるなんてことはあってはならないのだ。彼女は自分が魅力的だと気づいていないから魅力的なのだ。一生かわいいと持て囃されずに無自覚に生きて、それなりに不幸な人生を歩み、81とかで死ねばいい。そーゆーのが、私は好き。
「そういう」より「そうゆう」より「そーゆー」
無題833
いじめ表現あり。フィクション。
パスワードヒント(自分用):欲しいもの
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いもうと
駄
2025/12/18 いもうと
妹が生まれた。お母さんは愛おしそうな目で生まれたばかりの妹を見る。壊れ物を扱うような手つきで抱く。私はそれが嫌い。お母さんだけじゃない、お父さんも妹に目をやるの。私のことなんてどうでもいいのかなって思う。もちろんそんなことはないんだろうし、誰も悪くないけど、けど、私は私から両親の視線を奪った妹が、ほんの少し嫌い。
「ただいまー」玄関のドアを開け、私は声を張り上げた。靴を脱いでランドセルをほとんど落とすみたいにして降ろす。「外さむかったあ。雪、降ってるよ」返事はない。お母さんと妹は、もしかしたら買い物に行ってるのかも知れない。ランドセルを引きずりながらリビングの方に行った。「おかあさ…」言いかけて、お母さんが床で寝ていることに気づいた。横には妹もいて、やっぱり寝ているので、たぶん妹を寝かしつける時に一緒に寝ちゃったんだろう。ちょっとつまんない気持ちになりながら、でも無理に起こしちゃいけないことはわかっているので、私は自分で自分のおやつを用意することにした。もう背伸びしないでも届く冷蔵庫を開け、プリンを一つとる。あと、スプーン。静かなリビングで食べてもあんまり美味しくなかった。
数分で食べ終え、暇になった私は、妹の顔を覗き込んだ。寝ている妹は、小さくて暖かそうでふやふやしていて、簡単に壊れてしまいそうだと思った。ちょっと興味が湧いた。憎いとまではいかないけど、ちょっとの怒りを込めてツンツンして、ちょっと仕返しみたいなことをしてやりたくなった。頬に触れた。柔らかい。簡単に形が変わる、マシュマロみたいだ。この鼻をつまんだらこの子は息ができなくなるんだろうなとか、息ができなくなったら、この子は死んじゃうなとか、頬をふにふにしながら考える。私は簡単にこの子を殺せてしまうのに、お母さんは全然私のことを警戒していないことに、変な罪悪感を抱く。私はこの子を簡単に殺せてしまうことに、恐怖も抱くの。
あんまり美味しくなかったプリンのカラメルが、喉の奥で甘味と苦味を増して気持ち悪い。甘いのに気持ち悪いなんて、初めてだ。私は自分の手を妹から離して、キッチンに走った。蛇口を捻ると水が勢いよく出てくる。手を洗う。石鹸を使って、何度も、念入りに、洗う。
作
何が澱む
メリークリスマス🎅
2025/12/25 何が澱む
今日は雪が降っていた。私がコンビニで弁当を買って家に帰っている時、元クラスメイトに会った。
「奈那?」セーラー服に身を包み、暖色のマフラーに顔を埋めた竹口は、私を見て驚いたような声を上げた。無視して通り過ぎることもできず、私は視線を曖昧に動かしたまま口を開いた。「…ひさしぶり。」竹口は口角をあげ、久しぶりだねと言った。1年前よりも可愛らしくなっている気がした。
まだ11時半なのに竹口が外にいるということは、今日は中学校は半日だったのか。焦りのような、嫌悪のような、後ろめたさのような、よくわからない感情の中で考えていると、竹口は口を開いた。
「奈那が学校に来なくなって、もう、1年とか? ほんと久しぶりだね。」少しどきりとしながら、小さく頷いた。それで終わり。沈黙が場を支配する。コンビニの袋が手から落ちそうになったので持ち直す。寒いはずなのに手には汗が滲んでいた。この場から早く離れたいと思ってはいるが、それを言えるわけもなく、私はマスクの下で口をもごもごと動かした。「元気? マスクしてるけど…。」不意に問われ、ほとんど反射のように視線を竹口にやった。目が合う。「元気…マスクは、インフル予防で。」竹口は柔らかく笑った。可愛いというより、綺麗で大人びていた。たぶん、竹口は成長していた。身長も高くなっているし、髪型も、ボブだったのが低い位置でのポニーテールになっている。目の奥に何があるのかわからないのも、成長なのかもしれなかった。
「そっか、元気なら、よかった。」私はなぜ竹口はそんなふうに笑い、そんなことを言えるのか、理解ができなかった。
雪が降っていた。私の肩に落ちてきてすぐに溶ける。コンビニ弁当も冷えてしまう。まあそれは、家に帰ってチンすればいいだけなのだけど。
口を開いて声を出しかけて、やめた。私が不登校になったのは、竹口が原因だよと、そんなことを言ってもどうにもならない。
「じゃあね。」竹口は私に手を振って歩いて行った。私も歩き出す。竹口の足跡が積もった雪に残っているのが視界に入り、私はそれを、足跡とは逆向きに踏みつけていった。喉の奥に酸っぱい塊が迫り上がってきて気持ち悪い。竹口のそれをどれだけ踏みにじっても、惨めなのは変わらない。
クリスマスだから雪よ。
微熱の日
2026/01/01 微熱の日
ピピッ。体温計の電子音が、耳の奥に鋭く響いた。37度4分。熱ではない。けれど、健康というわけでもない。私はため息をつきながら体温計をしまい、パジャマを脱いでシャツに着替えた。今日も学校に行く。
「体温、どうだった?」
母がキッチンで洗い物をしながら訊いてきた。私は少し、嘘をつく。「平熱だったよ。」なんとなくのだるさを感じながら制服に腕を通した。
駅に向かって歩いた。冬の風が私の頬をかすめた。冷たくて、痛い。くちびるがカサついていることに気づいて、リップクリームを塗れば良かったと後悔をする。
そういえば今日、朝ごはん食べなかったな。じゃあ、お母さんはあの時、何を洗ってたんだろう。数秒歩きながら考えたが、微熱のせいかうまく頭が回らない。それより、朝ごはんを食べなかったことで血糖値が下がってしまうことの方が問題だ。もうすぐコンビニがあるので、そこで何か買おうか。あと、リップクリームも…通学カバンのポケットに常に入れてこう。
角を曲がると、目当てのコンビニがあった。駐車場に車はあまり止まっていなかった。中に入って、飴とリップクリームを手に取った。本当はパンでも買いたかったけど、電車の中で食べるのはマナー違反だから、口の中で飴を転がして耐えるつもりだ。通学カバンから財布を取り出し、会計をする。
外に出て、さっそく口に飴を放り込んだ。甘いイチゴ味。何味かなんて考えずに購入したから、急に舌の上に広がった甘さに驚く。
白い息を吐きながら数分歩けば、見慣れた灰色の駅舎が見えてきた。自動ドアを抜けた。パスケースを改札機にかざすと、ピッという音がして、プラスチックの扉が開く。今朝聞いたばかりの体温計に似た音だと思った。そのまま、ホームへ続く階段を上がっていく。無機質で冷たい壁が、私はあまり好きではない。
階段を上がりきり、列の最後尾について電車を待つ。列に並んでいる私以外の人は全員スマホを見ていて、そんなのもはや当たり前の風景だけど、ちょっと怖い。口の中で、もうほとんど溶けている飴を噛み砕き、新しい飴をとった。包装紙を開けて口に入れる。さっきはイチゴ味だったけど、これはレモン味だ。まあまあ美味しいし、駅のホームで血糖値が下がってふらつくのが1番怖いから、これは保険みたいなものだ。
電車の音がした。地鳴りのような低い音だ。地面のコンクリートがわずかに震えている。列に並んでいた人たちが顔を上げ、それぞれポケットやカバンにスマホをしまう。電車が速度を落としながらやってくる。キィィィという甲高い音が、私の頭の中に何重にもなって響いた。風が思い切り吹き込んできて、私の髪とスカートを揺らした。
空気の抜ける音がして、電車は完全に止まった。開いたドアの向こうから、生暖かい空気が漏れ出してきた。降りてくる人はあまりいなかった。列が動き出す。電車に入って、中を見回す。空いている席は今日もない。朝の電車は満員だ。吊り革につかまり、電車が動き出すのをじっと待つ。
さっき噛み砕いて飲み込んだイチゴ味が喉の奥で、いま舐めているレモン味が舌の上で、それぞれ味を主張していた。
目が覚めた。口の中の甘い味は無くなっていて、代わりに粘り気のある唾が歯にまとわりついていた。今のはどうやら、夢らしかった。
私はベッドから体を起こした。やけにだるく感じた。もしかしたら、微熱があるのかもしれない。
味の上書き
タイトルださ
2026/01/02
ぶすじゃん。
田山くんの好きな人を初めて見た時、そう思った。あくまで見たのは遠目からだから、近くで見たら美人なのかもしれないけど、その可能性は限りなく低そうだった。
あの子、名前は確か篠原だったか。篠原さんより、わたしの方がずっと綺麗だ。スタイルもわたしの勝ち。外見に注いでいる時間も熱量も、多分、わたしが上。声も__あの子の声は聞こえないけど__わたしの声がきもいわけじゃない。そもそも、わたしには特別な欠点はない。あの子には少なくとも、顔っていうどうしようもないような欠点があるのに。それなのに、田山くんはわたしではなくあの子を好きになったらしい。わたしは、自分の好きな人の思考回路が、急にわからなくなってしまった。
あの子のどんなところに惹かれたのだろう?確かに、あの子は人気そうだけど、今も友達と笑い合ってるけど、それは恋愛的にモテてるわけではないだろう。友達として、一緒にいて居心地がいいとか、そういうものなのではないか。だっていくら性格が良くったって、あの顔じゃ、男子の恋愛対象になるのはなかなか難しそうだ。
わたしは下唇を軽く噛みながら、自分の教室に戻った。
昼休み、わたしは友人に訊ねた。
「ねえ。隣のクラスの、篠原さんって知ってる?あの、ツインテールで身長が低い、あの子。」
知ってるよ、という返事は正直あまり期待していなかった。友人は可愛い方だけど、外交的なタイプではないからだ。しかし返ってきたのは意外な言葉だった。
「あ、けっこう話すよ。1年の時、同じクラスだったから。友達。」
「…ふーん。どんな子?」卵焼きをお箸でつまんで、口に運ぶ。わたしの家の卵焼きはちょっとしょっぱい。甘い方が、わたしは好き。
友人は楽しげな口調で言った。「優しいし、良い子。意外とノリいいしね。」わたしの眉がぴくりと動いたのがわかった。でも、ぶすじゃん。内心で反論した。誰にも言わないけれど。友人は続けた。「まあまあモテるらしいし。今彼氏とかいるのかな?てか、ゆみはなんで気になるの?」
わたしはその問いには答えず、ミートボールを口に放り込んだ。卵焼きのしょっぱさと、ミートボールの甘辛さが混ざって、独特な味が広がった。
「わたし、田山くんが好きなの。」唐突に暴露すると、友人は目を輝かせた。女子は恋愛話が大好きだ。
「へー、お似合いじゃん、2人。美男美女。」さっきのあの子の話なんてどこかに行って、わたしと田山くんが褒められてることに、優越感を抱いた。だよねだよねと思い切り乗っかりたい気持ちを抑えて、控えめに口角を上げてみせる。「告白しようか悩んでるの。」友人は、絶対成功するって、と根拠のあるようなないようなことを口にした。
田山くんにわたし以外の好きな人がいることなんて、そしてそれがぶさいくなあの子だなんて、考えもしていないみたいだった。
うん。そうだよね。わたしはミートボールをもうひとつ食べた。卵焼きの味なんてすぐ消えて、甘辛さだけが残った。
(><)
通学路
2026/01/05 通学路
電車に乗り込んだ。席は空いてない。まあ朝の満員電車なんだから当たり前だ。吊り革につかまりぼうっと外の景色を眺める。なかなか動き出さない電車、変わらない景色、ほんの10秒程度で飽きて視線を少し下に落とす。前の人のカバンにキーホルダーが揺れている。知ってるキャラクターだった。何年か前に流行ったやつ。名前は知らない。3文字だったという記憶はある。最近はもう全然みないし。電車が動き出した。体が横に揺れないよう足にグッと力を入れて立つ。これが地味にキツくて、席に座れている人が羨ましくなる。体の前で抱えるようにしている通学リュックが重い。中には教科書やら参考書やら辞書やらが入っている。学校のロッカーに置いておくこともできるけど、家で勉強するわけだから、持ち運ぶしかない。
目的の駅で降りた。学校に向かう。学校に近づくにつれて同じ制服の人が増えてきてなんだか愉快な気分になった。校門をくぐり校舎に足を踏み入れ、下駄箱で靴を履き替える。私の教室は1階にあるので少し廊下を歩けばすぐに教室に着く。自分の席に座ると、前の席の友人と、自然と会話が始まる。
「今日、メガネ忘れて、黒板何も見えないんだけど。」「えーどうすんの。」「ノート見せてくんね。」「えー。まあ考えておく。てか、さっき電車で、なんか結構前に流行ったキーホルダーつけてる人みたんだよね。」「ふーん。ノート頼むよ。」「でさーずっと思い出せなくて、あれ、なんて言うキャラなんだろ。」「その情報だけで私がわかるわけなくね。」「3文字だった気がするんだけどな。」「名前が?」「うん。」「調べれば?」「なんて調べたら出てくるんかわからんもん。」「3文字の名前、何年か前にはやったキャラ、あと、見た目で調べたらいけるでしょ。」「見た目ー、なんか、クマみたいな、ウサギみたいな、それともゾウなんかな。水色ってことしかわからなかったし。」「水色のクマとウサギなんていないから、ゾウでしょ。」「でも1番最初に思ったのはクマなんだよね。」「てか、この教室さむくね?」「暖房ついてるけど、窓開けてるし意味ないよね。」「閉めたいけど閉めちゃだめなんだっけ?」「そう、きついよねー。」取り止めもない会話。
お昼休み。私は購買に向かった。購買は、私がどれだけ早く来れたと思っても、もう生徒で溢れている。どんなスピードで買いに来ている人がいるのか、いつも不思議だ。1番人気の焼きそばパンはとっくに売り切れで、私はメロンパンとカレーパンを買って教室に戻った。先にお弁当を食べ始めている友人の席に、自分の椅子を持って行って座る。カレーパンにかぶりついた。咀嚼し、飲み込んだ後、口を開く。「休み時間にあのキャラのこと、調べたんだけど、出てこなかった。」「キャラ?」「言ったやん、電車で前の人がキーホルダーつけてて、そのキャラが思い出せないみたいなこと。」「あー思い出した思い出した。私は黒板見えないことのが重大だったからさ。」「ノート見せてあげたでしょ。」「まあね。でも授業中に当てられたら答えられないし。」「で、そのキャラがさ、出てこなかったんだよね。」「いまさっき聞いたって。」「あんたもなんか調べてよ。」「いや、私はそのキーホルダー見てないし、共通認識がないじゃん。」「それは確かにその通りなんだけど。」カレーパンを食べ終えた。メロンパンの袋を開ける。甘い匂いが私の鼻をくすぐってきた。
放課後、私は電車に揺られていた。午後4時の電車は朝と比べてあまり人が多くないので、今日みたいに席に座れることもある。通学カバンからスマホを取り出し、検索アプリを開く。水色、クマ、キャラクター、1文字ずつ打ち込んで検索をかけてみる。フリー素材のイラストや、大して水色でないクマのキャラクターが出てきた。一応目を通したけれど、あのキーホルダーのキャラクターはやはりいなかった。やはりあれはクマではなく、ウサギかゾウだったのか。スマホを閉じて息を吐きながら顔を上げた。あのキャラクターが特別好きだったわけでも、思い入れがあるわけでもないし、絶対に名前を知りたいわけでもない。思い出せなくても問題はない。まあいっか、とスマホをカバンの奥に突っ込み、窓の外の景色を眺めた。夕焼けが綺麗だし、景色が動いているから、10秒程度で飽きることはなかった。電車の心地よい揺れが私の眠気を誘ってきた。寝たら起きれなくなるから、寝ないけど。
ほうきと熱
2026/01/10 ほうきと熱
あ、と思った時には、遅かった。私たち以外誰もいない音楽室の空気は、ひどく凍りついていた。目の前に立つマドノさんの顔からは、先ほどまでの薄い笑顔は消え、代わりに驚いたような焦ったような表情が浮かんでいた。
「何、怒ってんの。」マドノさんは眉を歪め口角を上げた。私の先ほどの大声を中途半端な笑いに変えることで取り繕い、表面だけでも整えたがっているのがわかった。私の首に、熱が集中している。熱い。私はほうきの柄を握りしめた。手のひらの汗のせいで少し滑った。「私、そのキャラ、好き。」先ほどの雑談でマドノさんに子供っぽいし可愛くないと笑われていたキャラクター。私の通学カバンにもそのキャラのキーホルダーが揺れていて、マドノさんは多分、続けて「でもゆうかはカバンにつけてるよねー、謎すぎ!」とか言うつもりだったんだろうと想像する。
私は俯いてほうきを動かした。首の熱さが顔にまで上ってくる。心臓が、耳の奥でどくどくと鳴っている。私の顔は真っ赤だろう、いつもだったらそれが面白いなんて笑われてたはずだ。けど今は笑われない。廊下から別のクラスの子達の笑い声が聞こえてくる。
マドノさんが大きく息を吸った。私は顔は上げないまま、視線だけをそちらに動かしたが、制服の襟までしか見えなかった。「ば、…は?…急にこわ…きもいし。」マドノさんは変に震えた声で言って、私と同じようにほうきを動かした。せっかく吸った息を、怒声ではなく細く長いため息として外に出していた。ぶつぶつと何か呟いているけど、私が聞き取れるような声量ではなかった。私の悪口か、文句か、内容がほんの少し気になったけど、知らなくても良いはずと思い直す。
音楽室にゴミはほとんど落ちていなかった。私たちは今までにないくらい、静かにひたすらほうきを掃いたけど、ちりとりに集まったのはゴミとも言えないゴミだった。マドノさんはゴミ箱にそれを捨てた。掃除の時間の終わりを知らせるチャイムが鳴り響き、私たちはロッカーにほうきとちりとりを片付けて、音楽室をでた。教室に戻っている時、マドノさんは私の三歩分ほど前を歩いていた。
素敵なイナちゃん
水をかける描写があるけど、グロエロはないので
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可愛い名前シリーズ。イナちゃん。ツミちゃん。
あと、飯田さんって苗字の子どっかで出したいな。いつか出す。
嘘と熱、毒
まえがきわに
2026/01/22 嘘と熱、毒
朝。通学路を歩いていると地面に赤く鈍く輝く何かを見つけた。なんだろう。駆け寄ろうとしたが通学リュックが重くて走るのはしんどいから早歩き。歩道の端っこに落ちているそれは、おそらくピアスだった。触っても大丈夫そうだったから、あたしはしゃがみ手を伸ばした。小さくて硬くて、太陽光でキラキラと輝いていて美しい。あたりを顔をあげあたりを見回し持ち主を探そうとしたが、誰もいない。とはいえ交番に行って届けるのも、時間が厳しくて無理そうだった。とりあえずあたしが回収して学校が終わったら交番に届けようか。でも持ち主はピアスを無くしたことに気づいたらまず来た道を戻るよね。じゃあ、ここに置いておく方がいいのか。だけどそれはちょっと罪悪感がある。それに踏まれたらかわいそうだ。道の端にでも移しといたらいいかなって、それじゃ余計に持ち主が見つけにくくなるだけだろう。結局あたしは、学校が終わったら交番に届けようと思い、赤いピアスをスカートのポケットに突っ込んだ。小さいから、そのまま忘れてしまいそう。メモしなきゃと思いつつ、ペンはリュックの中だし、スマホも持っていない。頭の中でピアス、ピアス、ピアス、と繰り返しながら立ち上がり学校の方に急ぐ。
学校。休み時間、あたしは次の授業の教科書をとりに、廊下にあるロッカーに行った。スカートのポケットには、まだちゃんとピアスがある。
自分のロッカーから教科書を取り出して、教室に戻ろうとした時、視界の端に黒い服が映った。顔を動かしたら、隣のクラスから男子生徒が出てきて、地面やロッカーの上をキョロキョロと見渡していた。果ては、窓の枠まで。明らかに何かを探している様子だったので、窓枠を熱心に見つめている彼に、あたしは声をかけた。
「何、探してるの」彼は一瞬こちらをみて、またすぐ視線を戻して、答えた。
「ピアス。片方だけ。おれのじゃない」
その言葉に、どきりとした。スカートの中の赤が、主張し始めた気がした。「なんで?」少し困惑しながら、訊ねた。
うちの学校はピアスが禁止されているし、つけてくる生徒もまあいない。まだ、中学生だし。それに、つけてくるにしても、あたしの持ってる赤いようなやつは派手すぎる。耳につけていたらすぐに先生にバレてしまうだろう。だからきっと、これは彼が探しているものじゃない。そんな思考を巡らせる。
「なんで、ってなに?落としたからだけど」
「…じゃ、どんなの。見た目。何色」
「赤いやつ」
答え合わせみたいなものだった。あたしは頭に、毒みたいに鮮やかなあの赤を思い浮かべた。じわじわと、ポケットの赤が、熱くなっていく。ここでこれを出して、素直に「朝拾った」と言えばいい。
でもあたしには、それがなんだかとても難しいことに思えてしまった。今言うべきだと理解していても、手はポケットに伸びていかない。ただ、教科書の端をいじるだけだ。
「なんでいるの、あんたは」
彼に訝しげに問われて、あたしは焦った。焦った末、答えた。
「あたしも探してあげようと、思って。」
ああ、もう、ポケットからピアスを取り出して渡すことはできない。余計な嘘をついてしまったことを、すぐに後悔する。だがその嘘で心がどうしてか軽くなっていることも、事実だった。
彼は、あたしの言葉に驚いたように目を見開いた。好きにすればと小さく言い、別のところを探し始める。その態度に少しムカついたが、あたしは頷きだけを残し、教室に戻った。自分の机の上に教科書を置いた後、また廊下に出て、ピアスを探す。
しかしもちろん、あるわけがないのだ。あたしが持っているのだから。探すふりを20秒ほどして、あたしはふと疑問が浮かび、廊下の奥の方にいる彼に駆け寄りながら訊ねた。
「ねえ、ピアスって、誰のなの?その人はなんで、学校にピアスなんか持ってきてるのよ」
彼は顔をしかめながらあたしに向けた。ずっと思っていたけど、愛想がまるでない。普通の男子中学生って、こういうものなのだろうか。
「山下夏美」
呟くように言われた。知らない人だった。その山下さんがなぜ学校にピアスを持ってきているのかは、教えてもらえなかった。あたしは追求せず、ただ、山下さんは自分が無くしたピアスを他人に探してもらっているのか、と思った。
「てか、名前なに?あなたの名前」続けて問うた。
「は、知らなかったの?」「うん」
彼は視線を下に落としながら答えた。「佐田だけど」ふーん。あたしは身を翻し、廊下の端から端まで探しながら、自分の教室に戻った。次の授業がそろそろ始まる。
昼休み。友達とご飯を食べる。ポケットにはやっぱり、赤いピアスが入っている。
あたしはシャケを咀嚼し飲み込んだ後、口を開いた。「隣のクラス…か、わかんないけど、山下夏美って子、知ってる?」
友達は白米をお箸でつまみながら首を傾げた。数秒考えるような沈黙が落ちて、友達はあ、と声をあげる。
「知ってる。あんまり学校、来てないらしいけど。」
「え、なんで」
「え、知らないけど」
「そりゃそうか」
白米を食べる。シャケと一緒に食べた方が美味しいなと、咀嚼しながら思う。白米は甘いってよく言うけど、まあ確かに甘いけど、白米だけで美味しいと思えるほど、あたしの味覚は発達していないようだ。
昼食を食べ終え、あたしは廊下に出た。5時間目の教科書を取りに行くという目的もあるが、それより、佐田がまだ探しているのか気になったからだ。ロッカーから教科書を取って、彼の姿を探す。しかし廊下に彼はいなかった。流石に教室で友達と遊んでいるか、あるいは、廊下ではない別のところを探しているのか。あたしは無性に気になって、階段のほうまで歩いて行った。
彼はいた。階段の隅から手すりまで、視線をゆっくりと動かし探している様子だった。まだ、探しているのか、まだ見つかっていないのか。まあ見つかっていないのは当たり前だ。もう諦めてしまえばいいのにと、罪悪感を抱きながらポケットに手を入れてみる。このピアスを適当な場所に落として、さも今見つけたかのように「あった!」と彼に差し出してみようか。だけど、彼の探しようならこんな鈍く輝くピアスを見落とすわけはないし、あたしは演技が苦手だから、疑われるかもしれない。
あたしは結局、赤はそのままでポケットから手を出した。教室に戻るか、佐田に声をかけるか迷っていると、階段を探していた彼が顔を上げた。こちらを見た。目が合う。
「何?」
彼に問われ、あたしは慌てて、首を横に振る。何に対しての否定かはよくわからないけど。焦っていることを誤魔化したくて、口を開いた。
「て、ていうか、案外交番に届いてるんじゃないの?学校で落としてたら、目立つから誰かが拾って職員室に届けるじゃん、そしたらタブレットに落とし物の連絡とか、くるし、来てないってことは、外なんじゃないの」
唐突に早口で捲し立てられた彼は、ギョッとした表情を浮かべ、次に不機嫌そうに眉をしかめた。「もう行った。昨日行った」
「あ、そう」気まずい沈黙が落ちる。あたしはそれに耐えられなくなって、くるりと体を動かして、教室に歩いた。背中に彼の鋭い視線が向けられている気がして落ち着かなかった。けれど、ちらりと後ろを見てみれば彼は普通に探していて、あたしの自意識過剰だったことを知る。朝「あたしも探してあげる」なんて言っちゃったけど、全然探していないなとふと思う。だってあたしは、どれだけ探しても見つからないことを理解しているから。彼にとっては、嘘をついたやつでしかないんだろうけど。
放課後。あたしはいつもと違う道を歩いていた。交番に向かっているのだ。交番があるのは知ってるけど、落とし物を拾うことも、迷子になることもそうないので、あたしの記憶が間違っていなければ交番に行くのは人生で初めてだ。
交番に入ると、お巡りさんがデスクに座っていて、少し緊張した。ポケットから赤いピアスを取り出しながらあたしは声を出した。
お巡りさんの反応は驚くほど淡白で事務的だった。それが普通なんだろうけど、あたしの緊張はなんだったんだろうなんて思った。どこでいつ拾ったのか、謝礼をもらうかとか、持ち主が現れなかったらとか、そんなことを訊かれた。謝礼や所有権は正直よくわからなかったし、面倒くさそうだったので、大丈夫ですと答えた。ピアスで謝礼をもらっても、ちょっと恥ずかしいし。
あたしのポケットの中でずっと存在を主張していた赤いピアスは、お巡りさんの手によって無造作に袋に入れられていた。それが、よくわかんないけどズレてて、よくわかんないけど、目が離せなかった。
交番を出て、あたしはあまり歩いたことのない道で家に帰っていた。家が立ち並んでいる住宅街に入った。ここを曲がって、しばらく歩いたら、いつもの通学路に戻れるはずだ。あってるよね?足元にあった石を蹴りながら考えて、角を曲がる。すると、誰かの話し声が聞こえてきた。内容まではわからない。あたしが顔をあげると、前の方に人の姿があった。見慣れた制服を着ている。
佐田だ。
気づいて、心臓が跳ねた。彼は一軒の家の前に立っていて、誰かと話している。普通に考えて、その家の住人だろう。髪が長くて背が低くて、だから多分、女子だ。佐田が通学リュックから赤いファイルを取り出し、その子に渡す。また何か話す。
あたしは自然と止まっていた足を動かした。少しずつ彼らとの距離が縮まっていく。会話の内容が聞き取れるほど。
「__ピアス、探したけど見つからなかった」
「そっか」
あたしは息を呑んだ。でも、歩みは止めなかった。
佐田があたしの足音に気づいたようで、こちらに顔を動かした。その瞳が見開かれる。あたしは別に、悪いことをしているわけじゃない。わかってはいる。けれどもあたしが会話の内容を聞いてしまったことは、あたし自身にとっても、彼らにとっても、良くなかったなと思った。
あたしは彼らと普通に会話ができる距離で立ち止まり、喉の奥に苦味が広がるような感覚になりながら、言葉を探した。
「いや、偶然だから」
出てきた言葉は、言い訳のようで、余計にあたしがなにか悪いことをしてるみたいになった。
佐田の横に立つ私服の女子があたしを不思議そうな表情で見つめていた。その耳に、ピアス穴は開いていなかった。あたしは彼女が誰なのか、全然知らない。けれど、先ほど少しだけ聞き取れた会話と、視界の端に映る表札の「山下」に、あたしはあの赤を握りしめたくなった。
今日、佐田に嘘をつく前に、さっさとピアスを渡していたら、遠回りしなくて済んだのに。こんな会話聞かなくてよかったのに。そもそも佐田たちもこんな会話はしなくて、あってよかった、で終わっていたのに。この気まずさや苦味とは、全く無関係だったのに。
佐田は目を細め、ああそう、とだけ答えた。あたしは曖昧に頷いて歩き出した。彼らの横を通り過ぎてすぐ、佐田という表札のかかった家を見つけた。
あたしはなんとなく、スカートのポケットに手を突っ込んだ。赤はもうない。熱は感じない。ただ、厳しい冬の寒さが、少しマシになるだけだった。
うける
雪と鼻血
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世界で1番綺麗なひと。
2026/02/05 世界で1番綺麗なひと。
世界で1番綺麗なひと。
あの子はただ教室に存在しているだけで、話すことはないし、動くこともない。消えてしまいそうに不安定に、でも確かに、窓のそばに立って微笑んでいる。
絶対、私の期待を裏切らない存在。どれだけ期待しても良い存在。
あの子の髪は、長くてこまかくてすうっとしている。柔い風が吹くと髪だけが静かに揺れる。髪色は、光によってかなり変わるけれど、薄い黄色か白。曇りや雨の日はどこか濁ったような、けれどあの子の一部と考えればどこまでも美しい色。晴れの日は、色というより輝きが目立つ。あの子から鋭い光が放たれているように見える。あの子の瞳は、大きくはない。小さくもないから平均なのだろうが、一括りに平均と言うことに違和感を覚えてしまうほど、存在感がある。瞳の色はなくて、黒目もない。白目があるから、瞳の位置を認識できるだけだ。あの子はスタイル抜群。きっとモデルになったら大人気だと思う。身長は170cmは超えているけれど、線は細く華奢で、強く触れたら折れてしまいそうな弱さがある。あの子の、ブレザーのせいで角ばっている肩が、私は好き。あの子のふくらはぎは、透き通るような色。健康的な太さがあって、輪郭が完成されている。
あの子には血が通っていない。あの子には体温がない。あの子は呼吸しないし、声をあげて笑うこともない。それでもいいの。それがいいの。それがあの子だから、いいの。
あの子は、私の理想。憧れ。期待。生きている人には向けられないほど、重い、愛。
私はあの子を、世界で1番綺麗なひとだと思う。私はあの子を、私が卒業するまで、いいえ、卒業してからもずっと近くに置いておきたい。いまはそう胸に置いている。
でもきっと、何年か後に私の中の「綺麗」が変わったら、あの子にはなんの価値もなくなる。
あの子は、世界で1番綺麗なひと。
いまだけ。
休み時間
2026/02/15 休み時間
「柳瀬さん、ちょっと。」2時間目の終わりの中休み、友達と校庭で遊ぶために教室を出て行こうとした時、先生に呼ばれた。先生の方に行くと、囁くように言われる。「佐伯さん、いつも1人でしょう。だから柳瀬さんが仲良くしてくれないかしら。」私は教室の隅にいる佐伯さんに視線をやった。1人で席に座り、本を読んでいる。確かに彼女が誰かと仲良くしているところは見たことがなかった。内心で面倒くさいなと思ったけれど、断るのは苦手だから頷いた。
「ねえ、佐伯さん。」佐伯さんの席に向かいながら声をかける。本から顔をあげ、分厚いメガネのレンズの奥で瞳を細める佐伯さんは、表情がないようで話しにくい。私は胸に抱えた運動帽をいじりながら続けた。「一緒に遊ぼ。」彼女は、わずかに目を見開いた。
「…うん。」
佐伯さんは本に栞を挟んで、立ち上がった。机の横にかけてある運動帽を手に取り、私の様子を伺いながら歩き出す。私は本当は走って運動場に行きたいくらいだったけれど、自分勝手だと思われるのも癪だから、彼女の歩くスピードより少し速いくらいにとどめた。教室を出て廊下を歩き、階段を下り、下駄箱で運動靴に履き替える。運動場に出ると、私を待っていた友達2人に、「ミナちゃん、早くー。」と声を張り上げられた。私は佐伯さんの方を見やって、一瞬迷って、結局走った。
「ごめん、遅くなったっ。」息を弾ませながら合流すると、友達が、こちらへやってくる佐伯さんに目を向けた。私は友達が何を言いたいのか察して、頭をかきながら少し笑って見せた。佐伯さんに聞こえないように声量を落として、言う。「先生に遊んであげてって頼まれたの。ほら、佐伯さんって、いっつも1人でしょ。」友達は意外とあっさり納得したようだった。でも少し嫌そうな、気まずそうな表情で、「じゃあ今日何して遊ぶ?」と首を傾げた。
私たちに追いついてきた佐伯さんに何をしたいか訊いたら、なんでもいいよと言われた。だから無難に、鬼ごっこ。私が鬼で他の3人が子、私から逃げる。10秒数えて子を追いかけ始める。足の遅い佐伯さんを真っ先に見つけたけど、佐伯さんをタッチして鬼にしちゃったら、つまらないかな、と思った。鬼が佐伯さんのまま中休みが終わっちゃうかもしれない。それにあまり仲良くないのに鬼にするのも、なんだか申し訳ないような、変な感じがする。だから私は、彼女をスルーして、友達をタッチすることにした。
佐伯さんは中休みが終わるまで、多分、1回も鬼にならなかった。
教室に戻ると、先生がこっそり私に訊ねてきた。「仲良くできた?」仲良くできたのかな、とよくわからなかった。でも、頷いた。先生は満足そうな顔をして、私は上手く答えられたことに安心した。
佐伯さんの席をちらりと盗み見ると、佐伯さんは、3時間目の算数の教科書をペラペラとめくっていた。