drama☆club
編集者:甘味
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第一章 春、私を変える一歩 プロローグ〜部誌7
第二章 夏、今アツい心 部誌8〜部誌21
第三章 秋、あなたに伝えたいことが
部誌22〜
私が、演劇部に?
引っ込み思案な主人公、天音美也。
ひょんなことから廃部寸前の演劇部に入部することに?
部員はいないし幽霊部員だっているし、前途多難です!?
目指せ大会優勝!青春部活小説!
ファンレター・ファンアートありがとうございます。いつもありがたく見させてもらっています!
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目次
プロローグ
第一章 私を変える一歩
スタートです。
「あぁ、どうしてこんなことに!」
私はもともと帰宅部に入部予定だった。なのに、なのに……なんで、どうしてよりによって、演劇部に入部することになっちゃったんだろう。
今さら帰るにも帰れず(隣に友達もいる)、私は意を決して部室のドアを開ける。
そこには……!
2人しか、部員と見られる先輩がいなかった。
ふ、2人?うちの学校って、部活は部員が最低6人いないと成立しないんだよね。しかも幽霊部員は数にカウントされない!
え、廃部寸前だったってこと!?そんなの聞いてないよ!
「マジで?これ夢?くそぶ……部長様、新入部員連れてきたって本当だったんだ!」
「クソ部長な余計だよ!はぁ、もう……。」
男女が会話している。メガネをかけた男の先輩が驚いたように彼女を見つめる。
綺麗な女性の先輩は声を荒げて、返答した。
「だって、事実じゃないで」
「黙れ」
その愛らしい顔の造形に似つかない声とジト目で静止され、男の先輩は黙る。
そして、女の先輩……おそらくこの部の部長さんが、にっこりとこちらを見つめた。
「ようこそ、演劇部へ!って、部員はこれで4人!幽霊部員もいるけど、で廃部寸前だけどねっ!」
さらりと事実を述べた部長さんは、きらきらとした満面の笑みを浮かべる。
本当にどうしよう。私、実は人前で(特に授業参観とかで)話せませんとか言ったらどうなるんだろう。ここは演劇部だ。
私の帰宅部ライフが遠ざかっていく。NO。やめて。お願いだから。
今日1番の心の叫び。
私、どうしよう!!
部誌1:新たな出会い
話は1日前に遡る。
「美也ちゃんは何部に入るの?」
お弁当を頬張る女の子……|朱鳥《あすか》ちゃんから声をかけられる。
ミルクティー色のショートカットに若葉色の 瞳。まごうことなく美少女である。ハチミツのいい香りもするし、朱鳥ちゃんは毎日ハチミツ飴を持ってきてるからね。
しかも私ごときにも話しかけてくれる。陽キャは怖いと思ってたんだけど、そうでもなかったようだ。
「え?わ、私は帰宅部かなーっ。」
苦笑いしながらひょいと卵焼きを箸でつまむ。
私は帰って家でぬくぬくとお絵描きをはじめとする趣味のことをしたいのだ。
お絵描きはできる、が美術部は無理だ。絶対に。見学に勇気を振り絞って行ったがあのマシンガントークと渡り合っていける気がしない。
見学に行っただけでもう褒めて欲しい。それぐらい頑張ったのだ。
「帰宅部?せっかく中学校入ったのにもったいないじゃん。どうせなら演劇部入ろうよ!」
「えっ、演劇部!?」
驚きで卵焼きを机に落とし、つい立ち上がってしまう。ううっ、注目されてる!
ハムスターのように小さくなりながら、なぜよりにもよって演劇部を!と考えていた。
この筋金入りのコミュ障が演劇部に入れると思っているのだろうか。
スピーチになるとあっという間に声が出ない、席替えしないと「|天音《あから始まる名字》」なので……出席番号1番であることがほとんどなので席は端っこで友達が出来ない。こんな人間を世間はこう呼ぶ。
「コミュ障」と!
頑張って受験して、緊張に打ち勝ってこの学校に入ったのに、クラスメートには声をかけられず。
声をかけてもらって何とか、ようやく朱鳥ちゃんという友達が出来たのだ。朱鳥ちゃんがいなかったらぼっちだった。
私って情けない。ああ、なんて情けない……。
「ほらほら!演劇部には裏方さんもいるよ!美也ちゃん器用でしょ?衣装さんとかやったら?」
裏方。確かにその手があったか。うーんでも、でもなぁ……。
「しかもしかも!演劇部は文化部の中で唯一別棟にあるんだよ。ハチミツ飴とかお菓子食べ放題、お絵描きし放題だよ!」
「入る。演劇部入る!」
隅っこで1人でのんびり趣味を楽しめるのなら。こんなコミュ障に話しかけてくれる神様みたいな友達のために入ってもいいかな、なんて。
そして今、私は演劇部の部室にて自己紹介しているのであった。
「|青原朱鳥《あおはら あすか》です!中学1年C組です。先輩、よろしくお願いします!」
「………………ア、アアアアマ、ア、アマネミヤデス。1ネ、C…ヨ、ヨヨッヨロシク、オネ、ガイシマシュ!」
ううう、声が出ない。しかも最後噛んじゃった!
「私は|柿崎麗奈《かきざき れな》、2-Aです。一応この部活の部長やってるよー。よろしくね。」
キラキラ美人オーラがすごい。頭がくらくらしてきた。
「俺は|宝川悠《たからがわ ゆう》。脚本家やってます。」
「脚本家!?」
目を輝かせながら朱鳥ちゃんが話しかける。
「ふふ、そう言われると照れるな。」
「にやにやするな!キモいでしょ。それにお前はうちの幽霊部員ちゃんが好」
「はぁ!?す、好きなやつなんていないからな!?い!いないからなっ!?あと辛辣だぞこの馬鹿部長!」
あわあわと手をバタバタさせながら顔を真っ赤にして部長を追い回す宝川先輩。
……どうやら私たちは、聞いてはいけないことを聞いてしまったようだ。
「演劇部内での秘密だね、美也ちゃん。」
「だ、だね。」
うんうんと顔を見合わせて、私は先輩たちを眺める。
「あ!そういえば、部員って……。」
朱鳥ちゃんが声をかけるとようやく先輩は走るのをやめた。
「うん、部員呼び込まないと間違いなく廃部だね。私、宝川、り……幽霊部員、み……幽霊部員2、で天……幽霊部員3、で美也ちゃんと朱鳥ちゃんで6人。」
うん、幽霊部員の先輩を除いて4人だから間違いなく廃部だ。私としては帰宅部でもいいから問題ない、んだけど。
「そ、そんなぁ!」
朱鳥ちゃんがそうもいかなそうだ。
「ね!美也ちゃん美也ちゃん!明日から呼び込み行こうよ!まだ新入生募集期間あるでしょ!?まだ呼び込めるよね!ね!」
勢いがすごい。
「そ、そうだね!」
明日から呼び込みかぁ。私でもできる、のか……?
とりあえず、今日のところはお開きとなった。
朱鳥ちゃんとは家の方向が違うので駅まで1人である。
放課後、部活がない生徒が帰るには遅すぎず。部活がある生徒が帰るには早すぎる。そんな微妙な時間帯の通学路をふらふらと帰っていると、誰かが叫んでいるのが聞こえた。
「ワンワン!ワオーン!」
「ヒッッ!やめろやめろやめろ!俺のスマホがっ!命がっ!これだから犬は!」
あれはチワワだろうか。
リードをだらりと垂れ下げた可愛らしいチワワがスマホを咥えて走り回っている。それを1人の中学生が追い回していた。時々吠えられて後ろに逃げる。
もしかして、あの人のスマホだろうか。
そうっと、そうっと後ろからチワワに近づいてチワワを抱き上げる。
うちのペットを抱き上げるように、そうっと。優しく、怖がらせないように。
「キュー?」
スマホを素早く取り上げて、そっとチワワを解放した。
「あっ!もう、うちの子ったら!ありがとうございます。」
「イ、イイイエ、イエイエ!」
駆け足で帰っていくチワワの飼い主であろう少女を見送って、そっと男子中学生を見る。
「アッ」
「あっ」
「「………………。」」
たぶんこの人、私と同じだ。うん。その気持ち分かる、すごく分かるよ。口に出すことはできないけれど。もじもじと立つ彼の顔を眺めているうちに、どこかで見たことがあるような気がしてきた。
「……えーっと、もしかして。…………|伊勢谷慶《いせや けい》、さんですか?」
クラスメートに確かいたはずだ。実は入学式を休んでた、私の後ろの席の。
「エッ、アッ…………はいそうです。俺が伊勢谷です。」
小さく肯定し、直立不動のままお互い動けない。
「嘘だろ?何で分かったんだ?俺って影薄いって言われるのに……はっこれはまさかフラグだったりそんなわけな」
「これ、スマホ。」
数十秒経ってようやく私はぎこちない動きでチワワが咥えていたスマホを差し出す。
後ろを向いて独り言を言っていた伊勢谷くんは首を痛めないか心配になる動きでばっとこちらを振り返った。そしてスマホをひったくるように取る。
「壊れてないよな!?電源ついた、良かった!…………アッ、ありがとうございます。」
「「…………。」」
カラスが鳴いている声がよく聞こえる。まるで何かの格闘技の開始を待つように、じっと変な姿勢でお互い固まる。
「あ!ありがとうございましたっ!」
伊勢谷くんはこの沈黙に耐えられなくて、ついに行ってしまった。とんでもない速さで走り去っていった。
「もうちょっと話してみたかったなぁ。」
友達をもう少し増やしたい。さすがに友達100人できるかな?とは言わないけどもうちょっと、せめてもうちょっと欲しい。
「明日は話しかけられるかな?」
きっかけさえあれば何とかなる、かもしれない。
上手く出来ないスキップで、ときどき転びそうになりながら駅まで帰った。
今回は凰薙雅琵さん考案の青原朱鳥ちゃん、そしてノゥ。さん考案の伊勢谷慶くんが登場です。
キャラ募集に参加していただいたみなさま、ありがとうございます!
〈誤字がありました。ごめんなさい…。〉
部誌2:早速部員募集
「演劇部!部員!募集してまーす!!」
「え、ぇんげきぶ、ぶぃん、ぼしゅぅしてまーす。わぁっ!?」
うちの親がたまたま持っていたみかんの段ボール。その上に乗って、現在部員集め中である。気を抜いていたら段ボールのガムテープが剥がれて転んだ。地味に痛い。ガムテープを貼り直してもう一度立ち上がり、精一杯声を出す。
……とは言ったものの。ただ段ボールの上に乗って叫ぶだけだし、冷たい目で見られてるし、宝川先輩は理科の補習だし、柿崎先輩は謎にいなかったし、私は朱鳥ちゃんの横で情けなく、震えながらやっているからそんなに意味ないし!
もしかしたら伊勢谷くんが入ってくれるかな?と思っていたが、彼は今日来なかった。
いったい、休んでいる時に何をやってるんだろう。来なかったり遅刻してきたり、彼は諸々が謎に包まれているのだった。
さて、伊勢谷くんの謎は置いといて。どうしよう、これ。正直に言って私はいなくても良いよね!?ほとんど意味ないよね!?帰ってもいいかな!?
きょろきょろとつい挙動不審になっていると、突然私たちに声が掛けられた。
「……演劇部?まだ廃部になってなかったんだ?」
綺麗な女の人が、そこにいた。
ツヤツヤの白髪を風になびかせて、ジト目気味にこっちを見ている。
しかし、制服は学ランである。
私がモルモットのように縮こまってびくびくしていると、補習を終わらせた宝川先輩が戻ってきた。
「遅れてごめん!部長は?……あー、いないと。あの馬鹿部長!って、お前は!」
先輩は知っているのだろうか。
「先輩、もしかして!」
「アオハラもアマネもあったことはなかったな。こいつが幽霊部員その2ことアマミヤミツキ。一応男だからな。」
「僕は|雨宮美月《あまみや みつき》。中学2年B組。せめて名前くらい覚えといてよ。」
ちらりと美月先輩を見ながら告げる宝川先輩。
なるほど、男の人だったのか。あまりにも綺麗だったから勘違いしてしまった。心の中で土下座する。実際には謝れないけれど。もう綺麗オーラでコミュ障をこじらせた私は消え去りそうなほどだった。
「一応、後輩が入ってきたんだぞ!だから戻ってこいよ!な?」
じーっと宝川先輩をまた見つめて、雨宮先輩がぽつり。
「……何人?」
「2人」
「バスケ部とか数十人入ってたよ?相変わらずだね。」
ふぅ、とため息をつく雨宮先輩に反応して宝川先輩がちょっと怒り気味に話す。
「失礼な。これでも快挙だろ!だから帰ってこいよ!」
「まあ考えておくよ。今日は帰るからね。じゃあ。」
そう言って颯爽と雨宮先輩は去って行った。綺麗とかっこいいが混ざったような後ろ姿で。絵になる。
「ということで、幽霊部員さんの一名復帰を祝ってカンパーイ!飲み物はないけどね。ハチミツ飴ならあるよ!美也ちゃん、食べる?先輩もどうですかー!」
「まだ仮だけどな、仮。」
「あ、私食べたいなあ。」
ハチミツ飴を堂々と3人で口に放り込んで、みかん段ボールに座って和やかに話す。これでいいのか、部員募集。
それにしても、朱鳥ちゃんって1日いくつハチミツ飴食べるんだろう?結構な量食べてるよね。
どうでもいいことを考える私の頭に、ハチミツの糖分が染み渡ったのであった。美味しい。
「そういえば、部長は?あたしたち、しばらくここで声掛けまくってましたけど来ませんでした!」
「よく知らないけど誰かに会いに行くって言ってた気がするぞ。」
---
「やぁやぁ、|梨音《りね》ちゃん。うちに戻ってくる気はないかい?」
屋上にて、今日も今日とてスマホをいじっている目的の幽霊部員を発見した私。部長として、後輩ちゃんたちにいいとこ見せないとね!
「は?なんで今更……言っとくけど、あたしはよっぽどのことがないと戻らないか」
「可愛い子来たよ。しかも2人」
これこそが梨音への特大カードである。
「……どんな感じ?」
「それはまぁ、来てからのお楽しみかな?」
にこにこしながらひょいひょい、と手を動かすと梨音ちゃんはこちらを睨みつけながら地雷発言をした。
「この鬼畜め!」
「おーっとっとー?そんなこと言っちゃって良いのかな?い・い・の・か・なぁ?」
「そういえば部長って短距離走速かったんだ!あ、この、待て!」
この後の展開はみなさんのご想像にお任せしましょうか!
……っていうか私、誰に話しかけてるんだろう。
まぁ、明日からは賑やかになりそうだね。
今回は幽霊部員2名が新登場です。雨宮美月くんの考案者であるつむぎさん、ありがとうございます〜!!
部誌3:エチュード・前
「こんにちは……あ、美月先輩!」
「ん、こんにちは。」
優雅にクラシックをスマホで流しながら、美月先輩はピーチティーを飲んでいた。ここは別棟だ。先生が来ないからまだいいものの、本棟だったのなら先生に見つかる。行き着く先はスマートフォンの没収。危機感がないような。
……私もお絵描きができるからって理由で入った。つまり、人のことは言えないのだけれど。
「こんにちはー、宝川は英語の補修でーす。あ、戻ってきたんだ!」
宝川先輩、まだ5月で中間テストすらしてないのに。いったい何をしでかしたんだ。
「柿崎。今までほとんど来てなかった僕が1番最初に来るってどういうことなの?」
「しょうがないじゃん、補修に行ってる|あいつ《宝川》とは違って掃除だったんだから。朱鳥ちゃんも、美也ちゃんも?」
必死に頭を縦に振る。伝わったようだ。
「ならしょうがないか。宝川はまあ、違うけど。」
「そうね。あ、でももう少ししたら同じく掃除だった梨音も来るわ。」
「中野まで来るって?」
中野、先輩?下の名前はおそらく梨音と思われる、新たな先輩。
「誰だろう、美也ちゃん?」
「分からない。でも幽霊部員だったんじゃないかな?」
2人で顔を見合わせていると、ドタドタと階段を駆け上がる音が聞こえてきた。
「そうそう、梨音はね」
「こんにちは!!あっ、はじめましていちねんちゃ……ん?」
なぜ最後疑問形に……?
「ちょっと部長!どういうことなのよ!なんで!こんな!美少女が2人もいるのよ!?」
「正真正銘、あの子たちが新しい部員だよ。」
「嘘だ!もっと早く言いなさいよ!」
何かごにょごにょと部長と話している中野先輩。
とその時、美月先輩はスマホの音量を上げる。
「うるさい。いいか、さっきから僕はクラシックをのんびり聴いているんだ。ドタバタ階段を上がったりとか、ごちゃごちゃ柿崎と話したりとか、本当なんなんだよ。」
「「爆音でクラシック流す方がうるさいから!」」
完全にハモった。
「はぁ、やっと静かになったわね。」
「静かに『させた』んだよ。ため息は僕が吐きたいくらいだ!」
クラシックを力ずくで止めさせられた美月先輩は、実に不愉快そうに言う。それでも帰らないのはなぜだろう。この部活に対して、思い入れがあるのだろうか。
1番最初に来ていたのも美月先輩だったし、部活に対しては1番……?
「やっと静かになったわね!ようやくちゃんとした部活が始められるわ。」
ぱちん、と部長は手を軽く叩く。私が聞き慣れない言葉を口に出す。
「うーん、やっぱり最初の部活はエチュードがいいかしら?」
「エチュード?」
「簡単に言うと即興劇だよ、美也ちゃん、朱鳥ちゃん?」
いつのまにか私の隣を陣取っている中野先輩が教えてくれる。
「まずはまぁ、あたしたちが3人でやってみるから見ててよ。美月、部長、やるよ。」
先輩が声をかけると、やれやれと手を振りながら2人が立ち上がる。
「梨音がやる気になるなんてねぇ。ま、どうせ後輩にいいとこ見せたいだけなんだろうけど。」
「……今回だけは、同意しようかな。」
じっとりとした目で見つめる2人にムスッと頬を膨らませて中野先輩が答える。
「いつもやる気満々な、実に素晴らしい部員ですよ、あたしは!」
「なわけないでしょ!素晴らしい部員は幽霊部員になんてならないからね!」
「はいはい。あっ、美也ちゃん!この紙から一枚選んで!」
パタパタと小走りで届けてきたその紙は細長い箱に入っていた。まるでくじ引きだ。
「え、えええーっと……こ、これでお願いします?」
しばらくして、タイマーの電子音が耳に入ってきた。
「お題は『クラシック部の新入部員』でやります。よーい……スタート!」
空気ががらりと変わった。
「はじめまして。ここが部室、でしょうか!?」
「やぁ、はじめまして。クラシック部へようこそ。」
はちゃめちゃなのに、見ていて飽きなかった。
ついふっと笑ってしまうような、でも笑いが重たくなかった。そんな、感じだろうか。
「はい、終わり!」
「お疲れ様。なんだか位置被ったわよね?」
「だね。僕たちも腕が鈍ったってことか。」
あれで鈍っていたようだ。冗談、ではないよね。
「すごい。すごかったです、先輩!」
素直に伝える朱鳥ちゃん、くるくると回りながら照れる先輩。
「いやいや、そんなことは……あるかもしれないね!なんてったってあたしですから!」
「見栄を張るな、中野。」
ちぇーっとつまらなそうに中野先輩はしてから私たちに向き直る。
「さて、2人もやってみますか。」
「え!?あたしたちが!?」
「そ、そんな……私には、絶対」
できっこない。
だって私は、陰気で、コミュ障で、あがり症だから。
どうしようもない意気地なしだから。
「出来ないから、何なの?僕らだって昔は出来なかった。中野は下手っぴだったよ。すごく。」
「美月、うるさい!」
「決めつけてかかるとか、そういうのが僕は嫌いなんだ。……って、僕が言っていいのかな?これ。」
しばらくの間、沈黙が部室を包む。
「あたし、やってみます。」
「朱鳥ちゃん!?」
「やろうよ、美也ちゃんも。なんか、今ならできる気がするの。」
若葉色の瞳が、しっかりと私を捉える。ああ、それはずるい。ずるすぎるよ。
「一回だけ、だからね?」
ぱぁっと輝く瞳と、満足気な先輩たちの表情をゆっくりと私は見て、恐る恐る立ち上がった。
天音美也、人生初の演技をする。
部誌4:エチュード・後
「準備いいですか?」
「「は、はい!」」
勢いでやってみることにしたものの、どうしたら良いのやら。全くわからない。
「スタートー」
「イ、イラッシャイマセー。」
「へー、ここが新しく出来たケーキ屋さんなんだね。いろいろ美味しそうなケーキが並んでる!って、何これ!?」
朱鳥ちゃんの演技はいい意味で自由だ。
何者にも縛られず、一緒に演技(と言っていいのかわからないレベルで、私は下手だけど)しているこちらもつい惹きつけられてしまう。
……惹きつけられたらダメだ!今演技してるんだから!
「え、えーっとこちらの商品は……。」
なんて言えばいいのだろう。
お題は話題のケーキ屋。この場合はとにかく、何か特異点があるケーキを紹介すればいいはずだ。
でも思いつかない。思いつかないんじゃなくて、思いつけない。
誰かに見られているから。
私が何か変なことを言ったら、朱鳥ちゃんを、一緒にやってくれている先輩を困らせてしまうかもしれない。
なんて言えばいい?ショートケーキ?チョコレートケーキ?それともチーズケーキ?
どうしよう。こんなのじゃ、こんなのだったら、私は……。
また、『あの時』みたいになってしまう。
「店長、また来ましたよ!今日も納豆ケーキください!」
「納豆ケーキ!?」
美月先輩が助け舟を出してくれた。
「は、はーい!何個、ご入用ですか?」
「私のツッコミは無視するんだね!?」
酸欠から解放される。思いっきり息を吸って、私はただ必死でアドリブを話し続けた。
「お疲れ様でした!」
本当に2分だったのか怪しいぐらい、個人的には時間が経っている気がした。
「は、はぁ。」
「美也ちゃん!?」
その場にへたり込んでしまう。
「だ、だいじょうぶだ、よ……。」
「それ大丈夫じゃないやつだからね!」
両手を掴んでもらってようやく立ち上がる。やっぱり私、私自身が情けなく思えてくる。
「ほら、君たち反省するよー。」
「反省って何ですか?」
「さっきの演技を振り返って次に生かすんだよ!みんなで頑張ろうね!」
やたらと中野先輩はテンションが高い。
「来てない部員常連だったくせに何を突然、やる気出しちゃって。らしくないわね。」
「うるさい!部長としてはアクティブな部員が増えたんだからいいでしょ!」
「まあそれはそうだけどさあ。」
睨み合う2人。そこに美月先輩がスマホを突っ込む。もちろんクラシックが流れていた。
「「うるさい!」」
「ほら、いい加減反省するよ。」
2人は距離を取る。少し落ち着いたみたいだった。
「うーん、結構良かったと思うけど?」
中野先輩が私たちの頭を撫でる。ナチュラルに撫でてるけど、いったいなんで……?
別に私としては構わないのだが、どうも慣れない。
「それは同意だね。初めてにしてはよくやったと思うよ、2人とも!」
「わーい!」
「あ、ありがとうございます。」
私が水筒の麦茶をちまちま飲んでいると、美月先輩が少し曇った声で続ける。
「ただね……天音が途中、セリフも何も言えてなかったところ気になったな。」
「あー、あの納豆ケーキの前のところ?別にそれくらいいいじゃん。初めてなんだから!ねー、美也ちゃん?」
中野先輩を美月先輩は見る。呆れたような視線。
「ずっとそんな感じじゃ、役者はやってけないからね。いつまでも甘やかしてたら一向に成長しないよ。」
「はぁ!?何その言い方!ひどいよね、美也ちゃん!」
確かに美月先輩の言う通りだ。私はこのままでいいのだろうか。絶対に良くない。でも、どうやって変えればいいのかわからない。わからないことだらけだ。
少しは『あの時』のことが思い出せれば何か変わるのだろうか。
先ほど突然私の頭に浮かんだ『あの日』の断片。思い出そうとすると目の前が眩しくなって、そうする気が失せていく。雲を掴むみたいに、私の頭は思考を阻むのだ。
少しだけ分かったことがある。私はあの時、誰かに何かを必死に伝えようとしていたこと。だから何なのだろうか。
「ゆっくり頑張ればいいの。だからそこ、ヒートアップしない!」
はっと周りを見渡す。気づけば意識は遠くに飛んでいた。
今は反省会の最中なのだ。しっかりアドバイスを聞かなければ、次に進めない。私は姿勢を正す。
流石部長である。睨まれた2人はすぐに先ほどの位置に戻った。満足げに部長は笑う。少し中野先輩はつまらなそうだ。
また、中野先輩は私たちの頭を撫で始めた。先輩の手が温かくて気持ちいい。
「ごめん遅れた!って何だよこの空気。せっかく新人1人連れてきたってのに!」
「ここが演劇部なんですね!ですよね、宝川先輩?」
「ぶ、部員来た!ナンデ!?ショタ!?」
目を輝かせる1人の男子生徒とともに、宝川先輩が入ってくる。
新入部員だ!ついに私たち以外の新入部員だ!先輩たちは一応幽霊部員だったわけだし、ちょっと嬉しいかもしれない。もちろん、先輩たちが戻ってきたことは嬉しいけれど!
「初対面なのにショタって呼び方は失礼だよ。というかショタって何?」
「それも知らなかったのか、美月……。」
呆れたような目で見る中野先輩。そして、何も理解していない美月先輩。
「宝川くん、私は少し君のことを見直したよ。えらいえらい。」
「最初から俺はまともだよ!」
言い争いをする部長と宝川先輩。
「この部も賑やかになってきたね。」
「うんうん!廃部にならなさそうで良かった!」
確かに廃部の心配はなさそうだけど……演劇をするためには役者をはじめとした多くの部員が必要だ。
まだまだ部員は来てほしい!ウェルカム、部員!
部誌5:秘密
諸事情により孤色くんの学年は2年生で書かせていただきます。ストーリー上、3年生だと問題があります。孤色くんの考案者であるミルクティさん、申し訳ありません。
改めまして、蛍くんの考案者であるはるさん、孤色くんの考案者であるミルクティさん、ありがとうございます!
「おれは1年B組、|桑垣蛍《くわがき ほたる》。あんたらはC組だからはじめましてだよな?まぁ、おなしゃす。」
「アーッ!」
突然部の棚を、先輩が謎の掛け声とともに叩いた。頭の中がハテナマークで埋め尽くされる。先輩は突然どうしたんだ。
「うるさい、うるさいから。今せっかく『ラ・カンパネラ』を聴いてるのに……。」
「ラ・乾パンだかなんだか知らないけどいつまでクラシック聴いてるのよ!?人が悶えてるんだから邪魔しないで!」
「はぁ?ラ・乾パンって、どういう聞き間違いしてるんだ?」
そうしてドタバタと部室を出て行った。帰ってきてくださいって先輩。
「……何、あの先輩。変なの。」
「気にしなくていいからねー!それよりも、演劇部にようこそ!私たちは君のこと、歓迎しちゃいまーす!」
「いえーい!」
どこからか大量に持ってきたクラッカーを部長と朱鳥ちゃんがいつのまにか持っている。
……いつ買ったんだろう。
「おい、それいつ買ったんだよ。」
宝川先輩が代弁してくれた。
「昨日。もしかしたら新しい子、さらに来るかなーと思って。」
さらに持ってきた。いくらなんでもこの量って!学校に持ってくるのがとても大変だったのだろう。だって、先生に見つかったらまずいし。没収だし。
「用意周到すぎるだろ。」
「というか、君たち小学校同じだったりするの?やけに仲良いけど。」
「別に今日仲良くなったけど?」
コミュニケーション力をあふれるぐらい持ってるのでは……?素直に羨ましい。私に分けてくださいよ、先輩も朱鳥ちゃんも!
「そうそう、おれが数学の先生に課題を提出したときに、補習中宝川先輩が脚本書いてたんですよね!おれ、その脚本を読ませてもらって感激したんですよ!」
あっ。た、宝川先輩……。
「……何やってんの?」
「い、いやー別に?俺は今年の公演のために脚本頑張って書いてただけだし?」
「そんなのだから補習部所属なんだろこのお馬鹿、脚本家、宝川か!今年こそは勉強頑張るって言ってたじゃないか!」
「俺で最悪な韻を踏むな!」
先輩はシャツを豪快につかむと、ズルズルと宝川先輩を連行していった。
「そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな。」
なんかレモンティーまで増えてるし。しかもちょっと高くて私はなかなか買えないやつ。だから先輩たちはいつのまに買ってるんだ。
「アマミヤまでやめろよ……悲しくなるだろ!あーっ!痛い、痛いから許して!」
「せ、先輩!?」
「いつも通りだね!」
しれっと戻ってきた中野先輩は、桑垣くんの袖をもみもみしながら満面の笑みを浮かべた。
「結局、あなた誰なんすか?」
いつも通り……なのかな?
さて、今日の部活も終わったことだし帰ろう……とはいかないのである。
図書室に本を返してから帰ろうかな、なんて思って少しみんなより学校を出る時間が遅れそうになった。
いそいそとカバンを背負って、中庭に出る。
「あ、あれ?どっちだっけ?」
どうやら迷ってしまったようだ。この学校、中高一貫校だけあって敷地は広いからね。
「うーん、こっちだったかな……ん?」
あそこに誰かいる?
メガネをかけた、目つきの鋭い青年が座っている。その顔を思いっきり緩ませて。
なんだか野良猫みたい。ちょっと可愛い、かも?って、私は初対面の先輩(おそらく)相手に何を考えているんだ。
手に持っているのは珈琲と、ケーキかな?あのケーキは……見間違いじゃない。
「あ、アプレミディのスペシャルキャラメルモンブラン……。」
「アプレミディ?」
気づかれてしまった。つい声に出てしまった。私が大好きな近所の高級ケーキ屋さんのレジ袋だったから、だった。しかも期間限定メニュー。私、あんな目つきが怖い男の人と話せる気がしない!失礼だけど。
「君、アプレミディのことを知っているのか?」
素早い動きで、スペシャルキャラメルモンブランをレジ袋の中に入れながら私を睨んでくる。邪魔してごめんなさい!だから許してください!
「ひゃ、ひゃい。」
じーっと見られてる。つい後退りしてしまうが、思いっきり転んでしまった。私の運動音痴!馬鹿!
「僕が甘いもの好きだということは誰にも言うなよ?言ったら……半殺しだ。」
は、半殺しのところを溜めた!目つきも相まって怖い!失礼だけど!
「わっ、分かりました!!」
「よし、それで良い……。」
満足げに腕を組み、さっとレジ袋を持って歩いて行った。
「あ、あの!お名前って?」
自分でもなぜ訊いたのか分からない。なんで相手の機嫌を損ねそうなことを私は言うんだ!
「僕の名前なんてどうでもいいだろう?所詮、たまたま見られてしまっただけの関係なのだから。」
しばらくの沈黙ののち、彼は呟いた。
「……はぁ、|孤色《こじき》だ。それじゃあ。」
助かった。良かった。なんとかなるものだった!ちょっとだけ、私は泣きそうだった。
気まぐれに名前を教えてくれた、あの人。孤色さんか。確かにかっこよくて素敵な名前だな。あの男の人にぴったり。
「え、孤色?うちの幽霊部員だけど?」
「どういうことです?」
部誌6:思いがけぬ遭遇
「あっ、あ、あれ?」
「どうしたの美也?」
「な、なんでもないよ!あはは。」
見間違いかな、今そこに見知った顔がいた。というか|伊勢谷《いせや》くんがいた。スーパーのレジの、なんというか、店員さん側にいたような?いやいや、流石に見間違いだよね。中学生がスーパーのレジでバイトするわけないよね!いくら背が高いからって、誤魔化せない。そうだよね?流石にそうだよね?
「ほら、会計行くわよ。お母さんは先に行ってるからね。」
あーっ!そこ、ピンポイントで伊勢谷くんっぽい人のところ!
「お会計ですね。えーっと、こうだよな。っえ、うぇ、はぁ?」
気づかれた。私を見て反応してるってことは、やっぱり伊勢谷くんだよね。こういう時、どうすればいいんだろう。実は近所のスーパーでバイトしてた中学生のクラスメイトとどう会話すればいいのだろうか。こんなシチュエーション、普通ならありえない。
「……どうかしました?」
お母さん!どうかしました?じゃないよ!それどころじゃないってば!と、私は言いたいけど、これは伊勢谷くんのプライバシーにも関係してくるのだ。言えない。
「い、いいいいや全然!その、ごめんなさい。お支払いは隣のセルフレジでお願いします。お買い上げ、ありがとうございます。」
一応、お会計はした。
でも、お互い分かっちゃったんだ。何も言わないのも違和感かもしれないし、わざわざ言うのもなんだか。そんな、絶妙な雰囲気だった。
「美也!レジ袋開けるの手伝って!」
「はーい!」
ちらっと伊勢谷くんを見ると、震えながらこっちを見ていた。ごめんなさい。わざとじゃないんだ。
「……ちくしょう。担当の人が今日休みだからって、レジ係なんて引き受けなければ良かった!」
「あっ、伊勢谷くん……。」
「フェ、ア、アッ、天音さん。そ、その、昨日のことはどうか内密に!」
私が話しかけると、伊勢谷くんは体を縮こまらせて顔を青くした。
「あっ、いや、あのー、うん。そういうことじゃなくて、どうしてなのかなって思っただけで。先生に言うとか、しないから安心して。」
「焼きそばパンでもいちごミルクでもなんでも買ってきます!!だから許してください!!」
小声だけど勢いよく、伊勢谷くんが言う。泣きそうな声で。
「いや、そういうことじゃなくて!その……なんでバイトしてるのかなって思って。理由を聞かせてほしいの。」
「……母さんだけしかうち、いなくて。」
「なるほど。」
でも、いくらなんでも中1の子供が働いてるのに気づかないなんてのはおかしい。というか、働かせているのだろうか。もしそうだったら、さらにおかしい。
……うん?そういえば伊勢谷くん、あのことは大丈夫なのかな?この様子だともしかして気付いてない?
「伊勢谷くん。」
「な、なんでしょう。」
「帰宅部だよね?」
意味がわからないというように首を傾げながら答える。
「まあ、そうですけど。」
私は伊勢谷くんにとって爆弾であろう一言を口にする。
「うちの学校、部活に入らないといけないルールなんだけど。」
「えっ」
「一応幽霊部員はいるけど、所属はとにかくしないといけないわけで。」
私も最初はそれを知らなかったから、帰宅部にしようと思ってんだんだよね。
今にも崩れ落ちそうな形相になる伊勢谷くん。今まで知らなかったのなら、しょうがない気はするが。
「入ってなかったら強制的に、入るまで先生たちが側について部活見学とかさせるって。入学してすぐの部活オリエンテーションのときに言ってたの。」
もちろん、バイトに行けるわけがない。
「俺、部活オリエンテーション出てない……。」
確かに部活オリエンテーションがあった日、伊勢谷くんは休んでいた。おそらくバイトだろう。たぶん知っている、誰かが教えてくれていると思い込んで私は伊勢谷くんに言わなかったのだ!席が「あ」と「い」ですごく近いというのに!
コミュ障だから……自分から話しかけるなんて友達じゃないと無理である。あと、どうしてもという用事がなければ。
ごめんなさい、伊勢谷くん。
「運動部は嫌だ!絶対に!あんな地獄に飛び込むぐらいだったら毎日バイトの方がマシだ。」
「だったら……。」
この後の言葉を聞いて、伊勢谷くんは目を見開いた。
「俺!その、裏方とかでいいので、演劇部入ります!というか、裏方じゃないとダメだけど!」
「ということで、新しい部員の伊勢谷くんです。」
「ヨロシクオネガイシマス。アシ、ヒッパラナイヨウニスルノデ、ドウカオテヤワラカニオネガイシマス。」
部室の中央の伊勢谷くんに、たくさんの歓声が向けられる。
「よろしくな、イセヤ!」
「良かった。おれ以外に1年男子が増えて。」
「これで更にうちの部も賑やかになったね。部長として嬉しいよ!」
伊勢谷くん、汗びっしょりである。
「あれ、パン買わされない?」
「当たり前だよ。優しい先輩だって言ったでしょ?」
……部室でクラシックを聴いたり、ハチミツ飴を堂々と持ってきたり、いろいろ個性的なだけど。みんな優しいのは確かである。
「てっきり、焼きそばパン買ってくるとか、そういう事しなくちゃいけないと思ってた。」
伊勢谷くんの部活観はおかしいが、私のコミュ障仲間は増えた。一緒に頑張ろう!と、私は心の中で叫ぶ。本人には言えなかった。
部誌7:期待と不安
「うん、美也ちゃん良くなってるよー!」
サムズアップでエチュードの出来を褒めてくれる先輩に、小さな声でありがとうございます、と伝えてすみっこに戻る。
少しずつエチュードを重ねて、まあマシじゃないかレベルにはなってきた。それでも、朱鳥ちゃんや桑垣くんに比べて声は小さいし、たまにフリーズすることもあるが。
良くなったところで役者として舞台に出る気はないが、指摘などで役に立つかもしれない。
「はーい、じゃあ次のお題決めよう!」
部長が声をかけて、みんなでエチュードの種類だったりを決めていたところだった。
声がした。
「なんでここにいるんだ?」
「友人から誘われたものでね。」
なんでここにいるんだ?は私が言いたいよ!
声の主はおそらく、この部の幽霊部員。私も会ったことがあり、精神を半殺しにした、あの人である。
もう1人の声はよく分からない。あの2人は知り合いだったりするのだろう。
嫌だ!また半殺しにされる!
「ど、どしたんすか?」
桑垣くんが突然ぶるぶる震え出した私を見て声をかけてくれる。
ありがたいが声を返す余裕もないのだ。
気分は注射を待つ子供。一瞬だけ痛い注射とは違い、この後も痛くなるのだろうが……。
「あっ、コジキ!」
やっぱりあの人だった。
「あれ、どういうことなんだろう?」
朱鳥ちゃんが驚くのも無理はない。
だって入ってきた茶髪のお兄さんはジャージだったからだ。
一瞬顧問の先生かな?と思ったけど違った。確かにうちの部の顧問の先生は一度も顔を見せておらず、ここにいてもおかしくない。
ただ、背とか雰囲気が先生のそれではなかった。うちの学校の先生は基本的に厳しくて、茶髪とかありえない、みたいな雰囲気なのだ。
それにこの学校、基本的に体育の授業と放課後、運動部での活動以外はジャージ禁止だ。そもそもお兄さんが来ているのは学校指定のジャージですらないし。
「どうも、天の友達やってる東です。よろしく!」
ちょっとチャラそうな雰囲気だなと思ってしまった。でもジャージだから……?
「入部希望かな?」
「そうでーす。一応、友達から誘われたんだけど……アイツどこ?」
「来てないな。」
宝川先輩が答えると、お兄さんはやけに大袈裟にやれやれと肩をすくめた。
「別に、いろんな部ほっつき歩いてたんだからいいだろう。」
「ま、経験ってことで。しばらくはお世話になると思うよ!」
しれっとここにいる孤色先輩も戻ってくるんだろう。少しだけ気が重い。
「何はともあれ、部員問題は解決だね。顧問は相変わらず来ないけど。そろそろ本気で人数増えたよってこと知らせるために、職員室に突撃しないと。」
私はあたりを見まわす。
満足げにつぶやいた部長。
私と同じく周りを見ている宝川先輩。
エチュードでの指摘メモをじっと見つめる美月先輩。
エチュードのお題で盛り上がっている朱鳥ちゃんと中野先輩。
2人でどうやら雑談しているようだ、桑垣くんとちょっと怯え気味な伊勢谷くん。
そして、今やってきた孤色先輩と東先輩。東さんは、おそらく先輩だ。雰囲気がそうだ。
それから私、天音美也を含めて、10人。
2桁である。部員募集期間前は実質2人だった部員がここまで増えたのだ。快挙だ!
「よし、じゃあ今日で部員募集期間も終わりだし、本格的に夏公演の準備を始めますか。」
「……夏公演か。」
懐かしむように宝川先輩が言う。
「一年生、それから東くんにとっては初めての公演だね。これからはエチュードとかイラスト部とか補修部とかやっていられなくなるけど、我慢してよ?」
みんな頷く。
私たちの夏が、始まる。
---
俺たちの夏。
まだ、俺たちが演劇部としていられた夏。
あの夏がまた、帰ってくるとしたら?
俺は嬉々として受け入れるだろう。俺は。
でも、隣にいるこいつらは違う。
俺は横目で部長を見る。
いつも通りの笑顔に、明るい声色。
俺は横目であいつらを見る。
仲良く1年と話しているリネ、コジキと久しぶりに雑談しているミツキ。
一見、穏やかに見える。でも、裏では鬱憤が溜まっているかもしれない。
爆発が起きてしまうかもしれない。
守らないと。この場所を。
絶対に繰り返してはいけない。
これにて1章は終了です。お読みいただきありがとうございました!
次話から2章がスタートします。
部誌8:夏公演に向けて
「先輩!そもそも、夏公演ってなんですか?」
そういえば知らなかった。夏公演とはなんなのだろうか。夏公演があるということは、冬公演や秋公演もあるということなのだろうか。
「夏公演っていうのは、夏休みにうちの市の公会堂でやる公演のことだよ。いつも夏祭りやってるでしょ?あそこで私たちも毎年公演やってるんだよね。」
「そうなんですか!?」
知らなかった。夏祭り、行ったことあるのに知らなかった。
「あはは……うちの演劇部、そんなに強くないからさ。チラシとかにも大々的に載らないわけだよ。他にダンスチームとかパフォーマンスやる人たち、たくさんいるし。」
「なるほど。」
うちの演劇部、そんなに弱いのかな?演劇って、弱いとか強いっていう話じゃないと思うけど、やっぱり衣装の豊富さとか演者の質の良し悪しってあるよね。衣装はまだ分からないけど、演者の質だったら結構良さげなのに。
「さて、そんな夏公演だけど……みんな何やりたい?」
「はい!あたし、役者がいいです!」
朱鳥ちゃんはやっぱり、役者がいいみたい。滑舌もいいし、向いてるよね。
「おれはまあ、音響か照明かな。一応、やったことはあります。」
「え、あるんすか?」
「……まあ、元々演劇クラブとかいたから。」
頼りがいがあるなあ。それに比べて私は未経験だし、迷惑かけちゃうかな?
そんな私たちを見て察したのか、美月先輩が声をかけてくれる。
「誰だって最初は初心者なんだから、そんなに縮こまらない。中野とか最初ひどかったよ?セリフは噛みまくるしシーン練習では派手に転んだこともあったかな?」
「うるさい!」
真っ赤になって反論しているところを見ると、やっぱり本当に昔、中野先輩もいろいろ失敗していたらしい。エチュードの時、私たちをよくサポートしてくれるあの中野先輩が。
「……私はその、裏方ですかね。照明とか、気になってます。」
「俺も同じ感じです。」
「分かった。照明とか音響とかは宝川が結構分かるから、映写室に明日行ってみようね!となると、今回の役者陣は……。」
ちらりと部長が後ろを向く。
「えっ、俺役者やるの?」
「別に、やりたくなければ衣装とか大道具とか、演出系行ってもいいけど?」
「まあ、演出とか俺ちんぷんかんぷんだしやるけどね。」
東先輩。
「僕も役者、やろうかな。」
「おっ、いいな。やってほしい役があるから是非お願いしたいところだな。」
「変な役渡さないでよ?それこそ女装とかさ?」
宝川先輩の額に汗が浮き出る。
「……バレた?」
「別の人にしてもらおうかな、もう。別に、女性役者足りてないならやるけど!」
一瞬だけ微妙な顔をした美月先輩だが、女役でもやるらしい。
絶対似合うよね。これは固定ファンがいそう。
「一回やったことでハードルが下がったんだな。あ、俺は脚本で。ほぼ完成してる脚本があるから、それ使いたい。今日帰ったらデータ送っておくな。」
「了解。じゃあ、宝川は脚本で、私は監督をやると。梨音は?」
「役者でー。」
読んでいる本(かわいい後輩との付き合い方、という謎の本)から目を離さずに中野先輩が答える。器用だな、中野先輩。
「孤色は?」
「裏方が人数足りてるなら、役者。」
「OK。これであらかた決まったかな?」
決まったようだった。
「今度脚本のチェック入れて、大丈夫だったらそれで決定だね。さっきも言ったけど、裏方組は映写の確認をしよう。今日は時間もまずいし、そろそろ終わりにしようか。」
「はーい。」
私もメモ帳とかスケッチブック(お絵描き用だ、もともとこのために演劇部に入った)を片付けることにした。
---
部活の反省会を終え、俺たちは帰路に着いた。
「部長?」
「何?」
「思ったんだけど……。」
俺はそのまま口ごもってしまった。
「本当に何なの?」
笑って、こちらを振り返る部長に俺は言えなかった。
お前は、役者から逃げてるんじゃないかって。
今回だって、しれっと監督をやるって彼女は言っていた。去年の今頃は、嬉々として役者に立候補してたのにな。
「何でもない。」
この一年で、彼女も自分自身と向き合えるようになるといいな。
もしも向き合えたのなら、彼女は役者としても、部長としても成長できる。俺はそう、信じているから。
部誌9:顧問
「よし、職員室に殴りこみだ!」
「殴り込みですか!?」
突然部長が物騒なことを言うもので、つい変な高い声が出てしまった。
「まだうちの部、ろくに顧問に挨拶もできてないからな。」
宝川先輩の言う通り、私たち演劇部はまだ顧問の先生と会ったことがない。
あ、殴りこみってそういうことなのか。よかった、物騒じゃなくて。
「逆に今更?って感じだよ。」
「う……しょうがないじゃない、美月。今年の最初の状況を思い出してみてよ!」
部員、実質2名。以上である。
「この状況で挨拶行けると思ってるの!?」
「確かに、先生に部員がほぼいないことがバレたら廃部は確定だし、それはそうなのかもしれないけど。」
「アイツに会いに行くのかあ。憂鬱だわ。」
中野先輩からは不評らしい。だって呼び捨てだし。アイツ呼ばわりされる顧問の先生って、どれだけ酷いのだろうか。
「うだうだ言ってても何も進まないだろう?早く行くなら行ったほうがいい。」
「孤色の言う通りだよ。ほら梨音、覚悟決めて行くよ!あと顧問に会いに行くんだから」
「やだやだ、あたしは行かないから!あっ、引きずらないでよ。」
ズルズル部長に引きずられていった。この部活、引きずられる人が多いような。
「補修にならなければ引きずられないから安心してね!補修にならなければ!」
部長は心を読めるのだろうか。そう思うぐらいぴったりなタイミングで声をかけてくる。
そっぽで口笛を吹いている宝川先輩。他人事じゃないんですよ。
「顧問はいるかー!って言いたいところだけど、ちゃんと礼儀正しくいかないとね。演劇部の株が下がっちゃうから。ほら宝川、隠れようとしても無駄だよ。」
「いつの間に俺の後ろに……?」
背の高い伊勢谷くんの後ろにいつのまにか先輩がしゃがみこんでいた。
「はーい。」
そうして、職員室に入っていった。
私は絶対無理だよ。先生たちに見られながら話すなんて、想像しただけで汗が出てくる。
「俺、バイト先行ってもいいやつっすか?」
「顧問の先生にせめて挨拶してからにしようよ、伊勢谷くん。」
伊勢谷くんを引きとめているうちに、先輩たちが出てきた。
「あれ?顧問じゃないじゃん。」
「そうなんですか?」
「あたしたちの時は阿部っていう人だったんだけどね。あんなに若くないし、そもそも阿部は男だもん。」
確かに、先輩たちに連れられてやってきたのは若い女の先生。
若いどころか、一見私たちと同じくらいに見えてしまう。
「はじめまして、新しく顧問になりました。若草です。今年先生になったばかりですし、演劇のこととか何も分かりませんが、よろしくお願いします。」
「よっしゃ、アイツだったら帰ろうと思ってたけど、これなら全然OKだよ!」
中野先輩以外もそうなのか、ちょっと雰囲気が穏やかになった気がする。
「そんなにその先生って、酷かったんですか?」
疑問を中野先輩に言ってみる。
「あー、マジひどいよ。すぐ怒鳴るわ、予定はすっぽかすわ、もう大変だった。新しい顧問になって、本当に良かった。」
「そ、そうなんですね。」
中野先輩のお顔が怖くなってしまったので、これ以上は何も言わないことにする。
「さて、顔合わせも済んだことですし、早速今回の公演の脚本を発表します。宝川君!」
「はい。宝川です。脚本やってます。よろしくお願いします。」
「よろしくお願いします!」
若草先生の瞳はキラキラしていて、まるで好奇心旺盛な子供のようだ。
「脚本!いったいどんな内容なんですか、宝川君!?」
勢い余って椅子から先生が転げ落ちてしまう。慌てて朱鳥ちゃんと蛍くんが支えたのが見えた。
「えー、こほん。今回の脚本、それは。」
次の瞬間、部室は静まり返った。
「端的にいえば、アイドルモノです。」
美月先輩が口を開けて固まり(アイドル、しかも女装するのだ)、中野先輩が無言で目を輝かせ、東先輩が面白そうだ、とこっそり呟く。それを睨みつける美月先輩。
「わぁ、とっても面白そうですね!」
先生は満面の笑みでそう言った。その姿をまた、美月先輩が睨んだのが私には見えた。
部誌10:脚本、その内容は
「ふざけてるのかな君は?」
わあ、綺麗な笑顔。
「ふざけてないぞ。楽しそうな脚本だと思わないか?」
「ソウダネ。」
わあ、すごい棒読み。
こんなやりとりが行われた後に、印刷された脚本が渡される。20ページぐらいだった。
まとめると、こういう話だった。
人気絶頂トップアイドル(これが美月先輩。なんと主演なのだ!)は、その忙しさから学校の体育祭や合唱コンクールも協力することができなかった。そのため、クラスでは悪い噂を流されて、少し、いや、かなり浮いてしまっていた。より学校に来なくなったアイドルを救ったのは、彼女がデビューした当時からずっと彼女を推している少女。(これが朱鳥ちゃんらしい。役にピッタリだと思う。)彼女のサポートを得て、トップアイドルはライバルにも悪い噂にも負けず、多くの人に笑顔とときめきを届けていく。
「僕、主演じゃん。……僕に、できるのかな。」
美月先輩の不安そうな様子。私はこんなに不安定そうな美月先輩を見たことがなかった。
「大丈夫だ、お前ならできる。自分をもう少し評価してもいいんじゃないか?」
「そんなこと言われても。」
「まあやるだけやってみればいい。な?」
そう言われて少しやってみる気になったのか、美月先輩は唇を噛み締めて脚本を見つめた。
「脚本ってこんな感じなんだね、美也ちゃん。」
朱鳥ちゃんも興味津々である。
「結構長いかな?」
「だいたい1時間ぐらいの公演を想定してるぞ。」
「1時間、かぁ。」
昔はもうちょっと……。
突然、耳鳴りがした。
「うぇ、*¥×〒%@÷$☆○〒あ、天音さん!?あ、馬鹿デカい声出してすみません……。」
「し、心配してくれてありがとう、伊勢谷くん。大丈夫だよ。」
自分でもよく分からない。昔、ってどういうこと?
「無理、しないでよ。明日も学校あるんだし、キツくなったら一旦休むとか……。」
「ごめん、蛍くん。もう全然平気だから。」
いつの間にか額に浮き出ていた汗をそっとタオルで拭って、ゆっくり深呼吸する。
大丈夫。もう大丈夫。
そう自分に言い聞かせて、荒ぶる心臓が少しずつ落ち着いていくのを感じる。
先輩がゆっくりと、話をまた始めた。
「まあ長ったらしい説明はここまでにして!映写室を見に行きましょう!」
「映写室、ですか。」
確かうちの学校の大ホールにあるとかなんとか聞いたことがある。
「ということで、オールラウンダー孤色!そして裏方宝川!説明よろしくね!一応蛍は照明とか分かるらしいけど、先輩がついて行った方が安心だからね。」
「おいクソ部長、俺とコジキの差酷くないか!?ただの裏方ってなんだよ。」
「おーっと?」
NGワード出たね、と実に面白そうに、実に不愉快そうに部長は笑うと、先輩を連行して行った。
「そういうわけなので、孤色よろしくね。」
「自由な奴らだ。」
先輩は映写室マニュアル、と書かれたファイルをつかむ。
「映写室は分かりにくい場所にあるから、しっかり行き方を覚えておくんだ。じゃないと迷うぞ。」
先輩が言った通り、生徒はなかなか向かわない方向に私たちは案内される。
私の仕事場に、これから行くんだ。実感が強まる。そんな体をクールダウンするように、冷たい空気が私たちの周りにまとわりついていた。
部誌11:先輩の先輩?
重そうな扉があった。
ドアノブにも埃がついているようで、私たちが近寄るとふわりと揺れて、ドアノブから落ちていく。
「しばらく使ってないから、こうなるのも当然っちゃ当然だ。」
孤色先輩はほこりを払って、ドアノブの下についている鍵穴に鍵をさし込む。
ガチャガチャと鍵と鍵穴が音を奏でる。しばらくして、気持ちの良い音が鳴ると、先輩はドアノブを引っ張って、部屋の照明のスイッチと思われるものを一気にオンにしていく。
瞬く間に真っ暗だった映写室は眩しいくらいに明るくなった。
「わぁ……。」
自然に声が出た。何やら難しそうな大きい機械。謎のこれまた大きな筒。布がかけられた何かの機械たち。
「すごいっすね。おれの小学校の時の設備よりも、ずっと豪華。」
先輩がテキパキと布を外し、コンセントをつける中で蛍くんは言った。
「まあね。そのせいで部費はカツカツなんだが。」
「……この大きい筒って何ですか?」
私も勇気を出して質問してみた。周りが静かだからか、いつもより大きい声が出た気がした。言わなければ良かった!と後悔してもいる。こんなに響くとは思わなかったのだ。
「スポットだ。」
「スポットっすか!?おれ、一度使ってみたかったんです!」
「そういうことなら、桑垣蛍君にスポットをやってもらってもいいんだが……スポットの使い方、君たちは分かるのかい?」
顔を見合わせる。
「俺、そその……す、すぽっとが何か分からないんですよ……す、すいません。」
アイコンタクトの通り、伊勢谷くんはやはり映写室について知識はないようだった。
「その……私も、でしゅ。」
噛んだ。久しぶりに噛んだ。
私が照明卓の近くにしゃがみ込んだ。穴があったら入りたい。
「別に、中学一年生で知っている人の方が少ないから、気にすることではないと思うよ。」
「ありがとうございます。」
「僕もまあ、やったことはない。一応使い方が分かるってだけだ。はあ、|先輩《・・》がいてくれれば、良かったんだが。」
先輩?
孤色先輩の、先輩?
「あ、あの、演劇部って、三年生の先輩、いませんよね?その『先輩』って……誰のことなんですか?」
「今はいないだけだよ。」
今は?
過去、この部には現在三年生だと思われる先輩がいたのだろうか。
孤色先輩や、柿崎先輩が入部した時には。
それもそうだ。演劇部はここ数年で出来たのではなく、もっと前からあるはずなのだから。先輩たちの話によると。
なら、なぜ今ここにその、『先輩』がいないのだろうか?
「ほら、スポットの説明だ。」
「はっ、はい!」
私たちはスポット以外にも音響卓や照明卓、幕の開閉やアナウンスなど、いろいろなことを教えてもらった。
「今回の劇にはアナウンサーが登場するから、この中の誰かにやってもらうか音響卓で録音したものを流してくれ。」
結果的に、私は照明、伊勢谷くんは音響、桑垣くんがアナウンサーとスポットをやることになった。
詳しいことは経験者である桑垣くんが分かるはず。たぶん。
明日からはついに大ホールで練習が始まるらしい。私も、照明卓の使い方について復習しておかないと。
部誌12:焦り
「あ、あの!あたしのこと、覚えてますか?」
「……唐突に覚えてますか、って訊かれてもわかるわけないでしょ。私が全然学校来てないの、もしかして知らないのかしら?変な子ね。」
「あたしは|夕華《ゆうか》ちゃんと同じクラスの|朝乃《あさの》って言います!知ってますよ、夕華ちゃんがそんなに学校来れてないこと。最近雑誌の撮影忙しいんですもんね!」
---
ぱちん、と手が叩かれる。中断の合図だ。
「はい、立ち位置被ってる!」
「わっ、本当ですか!?ありがとうございます!」
朱鳥ちゃんはもう役者としてバリバリ練習している。アイドル(美月先輩)を推す朝乃、という女の子の役である。
私には演技のアドバイスとかできないし、キャラクターを憑依とかできないし、素直にみんなすごい。
「で、ここは正直面倒くさいって感じなんだよな。だからもう少しぶっきらぼうでもいいと思う。」
「なるほど。」
「2人とも、それ終わったらシーン変わるからね。」
美月先輩は必死にメモをとりながら宝川先輩と話しているみたいだった。
「休憩とか、しなくて大丈夫なのか……。」
「おれたちはちょこちょこ飲み物とか飲めるし、そんなに疲れないけど。役者はさっきから練習、アドバイス、練習の繰り返し。ヤバいよな、ぶっちゃけ。」
「だよね、桑垣くん。」
舞台の音が専用の機械からまた聞こえてくる。もう続きを始めたみたいだ。ちなみに、下のホールの音声を映写室では専用の機械からイヤホンで聞くことができるのだ。
「始まったみたいっすね。伊勢谷、足音のSEの準備!」
---
「なんで、『ミュージック・フライデー』の出演断ったんですか?」
朝乃はふと、彼女に訊く。理科の片付けをこなしながら、夕華は淡々と言った。
「簡単よ。私はそれに出られるほどの実力がないから。」
「そんなことないですよ!あたし、ずっと思ってたんです。なんでこんなに綺麗で歌もダンスも上手なのに、呼ばれないんだろうって!」
笑顔を夕華は浮かべる。しかしそれは、自虐するような冷えたものだった。
「それは、あなたが勝手に思っているだけよ。本当の私は……大切な仲間すら笑顔にできない、つまらない人なんだから。」
駆けていく夕華。追いかけようとして、朝乃はパソコンや理科の教科書を落としてしまう。立ち上がったはいいものの、そこから朝乃は動けなくなって。
---
「お疲れ様です。」
「お疲れ様です!先輩、どうでしたか?」
「うん、セリフ読んでる感はかなり薄れたね。」
機械から無邪気な朱鳥ちゃんの無邪気な声が聞こえてくる。
「だが、青原朱鳥くん。まだセリフが聞き取りづらいところがある。」
「ゔ、頑張ります。あめんぼあかいなあいうえお……。」
容赦ないなぁと思いつつ、次のSEの準備を手伝う。SEっていうのは、劇中に使う効果音みたいなもの。ノックの音だったり、街中の雑音をこの劇だと使う。それから、劇中で使う音楽番組用の楽曲や、オープニングの曲など、音響の仕事はかなり多い。
「キャパオーバーっすよ!」
ひーひー言いながら3人がかりでなんとかこなしている。それでもかけ間違えたりすることは多々あるが。
「それと、雨宮美月くん。君、感情の変化がないように思える。もっとセリフの区切りと感情の区切りを」
「分かってる。分かってるよ、孤色。」
一瞬、音が消えるホール。
「なら良いけど。」
大丈夫かな、美月先輩。
休憩の少なさもあったし、私はなぜか不安になるのだった。
部誌13:親睦会
※よいこはおたばこをマネしないようにしましょう
あくまでフィクションですからね!?
「親睦会でもしようよ!」
突然、部長はそう言った。
練習がちょうど終わった後のことだった。
「親睦会って何だよ?」
「親睦会は親睦会だよ、宝川。親睦を深める会!」
「そうじゃねぇよ!どういうことするんだってことだ。」
親睦会。
……みんなでファミレス行ったりとかってこと!?The・青春ってこと!
私が行ってもいいのかな?
「普通カラオケでしょ、カラオケ。息抜きも兼ねて行きましょうよ、今週の週末とかに。ね、どうよ。」
賛成の声が聞こえてくる。
「ずいぶんと急だね。まあ、僕は行こうかな?予定なかったはずだし。」
「あたし、行きたい行きたーい!絶対楽しいじゃん!」
「まあ、朱鳥ちゃんとか美也ちゃんが行くならあたしも行こうかな?」
みんな乗り気だ。
「あ、あの……俺、今週末、その、バイト。」
「ダメだよ伊勢谷くん!秘密なんだよ?」
「あっ。あー、うん、まあ行けますハイ。」
一応、全員参加予定みたいだった。
「……わ、私たちの青春ーはー♪」
「いいよ美也ちゃん!上手上手!」
行ったは良かったものの、最近流行っている曲を歌わされることになった!
「ときめきとーきらめきとー♪甘酸っぱい初恋♪」
こんな小っ恥ずかしい歌詞、嫌だ!押し切られないでよ、過去の自分!
そう、これは歌詞。これは歌詞なのだ。ただ歌うだけ。
ようやく歌い終わった。椅子に身を縮こませる。
「可愛かったよ、美也ちゃん!」
「中野先輩まで、そんなこと言わないでくださいよ!」
頭を中野先輩に撫でられながら、私はカラオケのモニターに目を向ける。
70点。80点。90点。どんどん上がっていくメーター。
「おっ、94点だ!歌上手いんだな、アマネって。」
「ありがとうございます、宝川先輩。」
「ってことで……!」
みんなの視線が、すみっこの彼に向けられる。
「イセヤも歌おうか!全員一回は歌うって約束だもんな!」
「嫌っすよ、絶対!天音さん、たす、助けてっ!あーっ!あーっ……。」
ごめんね伊勢谷くん。私はドリンクバーコーナーに逃げるよ。
私はグラスとマグカップを持って、ドアの外へと出た。
コポコポと音を立ててオレンジジュースが注がれる。
次に、マグカップをコーヒーメーカーの下に置いて、部長から頼まれたカフェラテを注ぐっと。
「天音美也くん。カフェラテの出来上がりを待っているようなら、そこにあるコーヒーフレッシュを取って欲しい。」
「了解です。」
そこに孤色先輩が来た。先輩はコーヒーフレッシュを私から受け取ると、アイスコーヒーを別の機械から注いでいく。
「初めて行きました。友達と、カラオケなんて。」
「僕たちも、一年ぶりだな。あの夏の公演の後以来だ。」
「そうなんですね。」
しばらくの間、ドリンクバーコーナーにコーヒーを注ぐ二つの音が響き渡る。
「天音美也くん。君はカフェラテが好きなのか?」
「あっ、これは部長に頼まれたもので。」
「そうか。」
一瞬、口元に先輩は手を当てると、こう言った。
「部長のこと、君たちも見ていてほしい。彼女はああ見えて不安定なんだ。」
「不安定?」
「まあ、しばらくは大丈夫だとは思うんだが。」
コーヒーフレッシュを先輩は入れた。
白いもやがあっという間に広がっていく。
「天ー。ライター切らしてて、ちょっと貸してくれって……天音ちゃんもいたのか。天天コンビ?」
「天天コンビ、ですか?あっ、それに先輩、煙草は健康に悪いですよ。」
やってきた東先輩は、視線を逸らす。
「ちゃんと喫煙所の方で吸ってくるから。勘弁してくれ。」
「そういう問題じゃない気が……。」
「それじゃあ天音美也くん。そういうことだから、しばらく部屋から抜けるよ。」
そう言って、コーヒーを持っていってしまった。
全く、二人ともいつもこうなのだ。
健康に悪いって言っているのに。
そんなことを思いながら部屋に戻る。
「ふふふ、我ながらよくやったよね!」
「すごいっすよ先輩!」
宝川先輩と中野先輩がデュエットしていた。
「こ、これは……。蛍くん!?」
「早く実るといいっすね。先輩の恋!」
蛍くんにもいつのまにかバレていた。最初、秘密にしたのに。
蛍くんに訊いてみると、「分かりやすすぎるんですよ、宝川先輩は!」とのこと。そんな気もしなくはないけど。
「それにしても柿崎、これは流石に露骨なのでは?」
「まあまあ美月くん!そんなことはいいんですよ、実れば!」
「はぁ……。それはそうかもしれないけど。」
こうして、親睦会は賑やかに行われた。
孤色先輩のここでの言葉を思い出すのは、かなり後のことになる。
部誌14:協力者
「あれ?美月先輩が……。」
今日は用事があって、結構部活に来るのが遅くなってしまった。
いつもなんだかんだ言って欠席していなかった美月先輩。今日はいなかった。
部長いわく。
「あー、美月は今日休みだったよ。何で休んでるのかは分からないけど。」
1日ぐらい休むこともあるよね、それはそうだ。
いつも通り人気のない通路を通って映写室へ。
映写室への行き方は大体覚えた。もう1人でも行ける……と信じたい。
「こんにちは!」
先に来ていた伊勢谷くんと蛍くんに挨拶をして、今日もお仕事開始である。
「お疲れ様でしたー!」
今日は美月先輩がいないので、宝川先輩が代役として舞台に立っていた。
絶妙に裏声なのだ。蛍くんの腹筋が崩壊した。私も崩壊しかけたけど……。
2人でダウンしている間に、伊勢谷くんが笑いを堪えながら1人で3つの機械を動かしていた。
「ワンオペには慣れてるんで。ははは。」
とのこと。
ちょっと顔が怖かったのは気のせいだよね!
そんなことを考えながら、校門を出ようとした。そこで思い出したのだ。
「やばい、図書館で借りた本返してない!」
今日が返す期限の日なのだ。
急いで校舎にとんぼ返りする。階段を転びそうになりながら駆け上がる。
図書館はひんやりと冷房で涼しい。一息ついて、サッと本を返して帰ろうと思った。
ついでに次の本も借りていくか。
人気のない図書館。いつもよりもさらに静かなその空間で、ピピっと本のバーコードをスキャンする音だけが響く。
「あっ、演劇に興味あるんですか?」
「はっはい!……あっ、あの、演劇、演劇部なんです。」
つい大きな声が出てしまった。顔見知りの図書委員さんだったから良かったものの……。
「そうなんですね。186ページの脚本はメッセージ性もあってとても良いですよ。何より、演じやすいですし。」
「なるほど……って、お詳しいんですね。あなたも演劇に興味、あったりするんですか?」
あわよくば演劇部に……と思って、彼女に声をかけてみる。
今から転部は一応可能です!賑やかで楽しいよ!お絵描きは出来なくなっちゃったけど!
「ちょっとだけ、気になっただけです!あっ、その、転部とかは無理ですよ。私、他の部に入ってます。兼部はうちの学校だと出来ませんし。」
彼女はバン、と机を叩くと、やってしまったというあわてた顔をして、席につき直す。
「……す、すみません。」
「……いえ、私の方こそすみません。で、でも!観客として、アドバイスとかは出来ますよ!」
演劇部員だけだと、ちょっと偏った考え方になっちゃうこともあるかな?
「頼んで良いんですか?」
しばらく話しているうちに、緊張がほぐれてきて、ついつい話してしまう。
私もコミュニケーションスキル成長したということだ。演劇部に入ったおかげかな?朱鳥ちゃんに感謝しないと。
「ええ。たまには気分転換としてそういうのも良いかなって。私がいるかどうかは、あそこのホワイトボードで確認できますから。部活で忙しくて、なかなかいないかもしれませんけど。」
「ありがとうございます。あの、|未知《みち》さんで合ってますか?」
ホワイトボードには「未知」と書かれたマグネットが一枚貼られている。
「はい。私は未知っていいます。あなたは……1年生の天音さん。あの、力になれるだけで嬉しいので。頼ってください。たくさん。」
そう微笑みあった時だった。生徒は速やかに下校してください、というアナウンスが校内に流れる。
「また、今度!」
「はい。また今度ですね、天音さん。」
図書館を駆け足で出る。
「こら、天音さん!校舎を走らないでください。危ないですよ?」
「すみません……。」
若草先生に怒られてしまった。ギリギリ早歩きで、何とか校門が閉められる前に校舎を出た。
「良かった。あの子に受け入れてもらえて本当に良かった。これなら、少しぐらいは、私の気持ちが伝わるかな。そんなことないか。」
部誌15:熱
翌日、美月先輩は来た。
といっても、顔色も何だか悪いし、いつも通りではなかったけれど。
「……先輩、大丈夫ですか!?」
フラフラした足取りで、まるでゾンビみたい。
そう朱鳥ちゃんも思ったのか、美月先輩の元へ駆け寄っていく。
「別に、大丈夫だよ。」
「テストがまずかったんですか!?」
「大丈夫!大丈夫だから!」
「そうですか……。」
それを見てウッと頭を抱える先輩が1人。
「あれれ?宝川くん?君のことだからどうせソシャゲやってたよね?テストなんて余裕ですーってねぇ?」
「こっの、黙れ部長!」
どうやらまた補習のようだった。
「いい加減学習しようね、宝川くん!」
相変わらず、部長の笑みが怖い。
「90点取ったからって調子乗るなよ!そ、それに俺と一緒にイセヤも徹夜でゲームしてたし?な、イセヤ?」
「あ、あの、俺、補習じゃないっす。」
すんません、となぜか彼は謝る。
バイトでいない日もたくさんあったのに、なぜか高得点連発な伊勢谷くん。天才って本当にいるんだね、と他の1年生とちょっと畏敬の念を抱いていたところなのだ。
「……なんでなんだよ!なんで俺のまわりは頭良いやつばっかりなんだよ!ちくしょうめ!」
「ダメだぞー。文句言ってても補修からは逃げられないんだからな。」
「アズマ、お前も補習なくせに何言ってんだよ。」
「あ、バレてる?」
フー、とタバコの煙が広がる。多目的ホールは禁煙どころか、飲食厳禁なのに。私も人のこと言えないけどね。
「しっかり勉強しないと、柿崎玲奈くんにまた殴られちゃう?」
「コジキさんだって赤点ギリギリなのによく言えますね。俺、宝川悠くんはびっくりです。」
「宝川悠くんとは違って、ちゃんと勉強しているからね。」
「この……このヤニカス!」
流石にかわいそうになってきたので、飲食厳禁であることを承知で持ってきたグミを先輩に渡した。
「美味しい。疲れた頭に沁みる。」
「美味しい、これ!さすが美也ちゃん!どこかの勉強しないくせに疲れたとか言ってる人とは大違い。」
「リネ、お前は一言余計なんだよ。」
そう言いつつも、話せて嬉しそうだった宝川先輩のために私はこっそりその場を離れた。
お似合いカップル。その言葉がしっくりくる。
「ほらほら!グミ食べるために部活来たんじゃないでしょ。練習始めるわよ。」
本日は映写室が先生たちの用事で使えない。そのため、伊勢谷くんも蛍くんも私も、多目的ホールの後ろに座って演技の指摘をする。
「準備OK?」
「……OK。」
「OKでーす!」
「では行きます。スタート。」
---
「なんで、『ミュージック・フライデー』の出演断ったんですか?」
朝乃はふと、彼女に訊く。理科の片付けをこなしながら、夕華は淡々と言った。
「簡単よ。私はそれに出られるほどの実力がないから。」
「そんなことないですよ!あたし、ずっと思ってたんです。なんでこんなに綺麗で歌もダンスも上手なのに、呼ばれないんだろうって!」
(やっぱり、朱鳥ちゃんは格段に上手くなっている。吸収がすごく早いといっても、これは相当すごい。)
笑顔を夕華は浮かべる。しかしそれは、自虐するような冷えたものだった。
「それは、あなたが勝手に思っているだけよ。本当の私は……身近な人を笑顔にできない、つまらない人なんだから。」
(……あれ?いつもより美月先輩の声量が小さいような?それに滑舌も、普段からは考えられないくらい悪い。でも、表情はすごく夕華を象徴する「氷のアイドル」という言葉がしっくりくる。そんな表情。)
駆けていく夕華。追いかけようとして、朝乃はパソコンや理科の教科書を落としてしまう。立ち上がったはいいものの、そこから朝乃は動けなくなって。
朝乃……いや、朱鳥は動きを止めた。
|夕華《美月》は倒れた。
脚本にはそんな動き、なかった。
---
「美月先輩!?」
気づいたら駆け寄っていた。
先ほどの「氷のアイドル」の表情、あの真っ白、もしくは真っ青といえる顔はもう真っ赤になっていた。
額にふと当たった手は美月先輩の熱が伝わってとても熱くなる。
「とりあえず保健室運ぶぞ!アマネ、部長!」
私と近くにいた部長を呼び、せーので美月先輩を担ぐ。
苦しげな先輩の息が、こちらまで息苦しくさせた。
部誌16:隠された感情
先輩は、冷えピタが貼られてからもずっとうなされていた。
白い肌には玉のような汗が浮かんでいる。呼吸はまだ荒いまま。
「俺たち、戻った方がいいのかな?」
「とりあえず、他の部員に連絡だけしてきましょうよ。」
3人で保健室まで運んできたはいいものの、何だか気まずい空気になってしまった。
戻るまでの時間もずっと無言。宝川先輩はしきりに頭をかき、部長はそっぽを向いている。
その日の部活はそのまま戻って若草先生を呼んで解散となった。
「確かに雨宮さんのことが心配なのは分かりますけど、ダメですよ!」
保健室に大勢で寄っても迷惑、ということで誰も保健室には寄らないように、と先生に釘を刺される。
微妙に時間が余ってしまったので、図書室に寄ることにした。
あの人、今日はいるだろうか。
ホワイトボードには、あの人の名前が貼ってあった。ということは、今日図書室にいるのだ。
「こんにちは、天音さん。」
「……こんにちは。」
「まだ最終下校時刻ではないでしょう?いつもなら演劇部はギリギリまで部活をしているのに。どうかしたんですか?」
「あはは、鋭いですね。実は、先輩が練習中に倒れてしまって、そのまま解散になってしまったんですよね。」
するすると言葉が出てくる。
えっ、と目を見開いた未知さん。
「その子、無理しやすい子なんでしょうね。」
「そう、なんでしょうか。いつも涼しい顔で練習も衣装関係もそつなくこなしているイメージが強くて。」
頭に思い浮かぶのは、じっとりとした目つきで宝川先輩を睨んでいる姿に、嫌そうだけど手際良く丁寧に衣装を縫っている姿。アイドル衣装は流石に部の倉庫にはなかったので、作るしかないとのことになったのだ。
「意外と抱え込んじゃうものなんですよ。きっと。そういうのって、誰にも言えなかったりします。勝手に『何でも出来そうだし悩みもなさそう!』なんていうイメージを押し付けられたらたまったものじゃありません。」
まるで自分ごとのように彼女は言った。
確かにそういう面はあったかもしれない。
先輩だって、しばらくブランクがあったし。いや、なくても勝手にイメージを押し付けるのはいけないことなのだけれど。
私の悪い癖かもしれない。
「ありがとうございました。ちょっと、先輩との接し方のヒントみたいなものが見つかった気がします。」
「良かったです。こんな部外者の会話で、何かヒントが得られるなら。……話は変わりますけど、実は昨日、新刊が届きまして。天音さんが注文していた本も届きましたよ!」
「シリーズの最新刊ですね!」
その後は他愛もない会話をしてから帰った。
未知さんは人生の先輩、という感じがして頼りになるのだ。
それから、今までの自分を思い返しているような、懐かしむような細い目をして話す。
あの人にも、私と同じ1年生だったことがあったと思うと不思議な気持ちになる。
「部外者、その通りよね……。」
シリーズの最新刊を借りられた。一番乗りで。
お小遣いを節約したいので、図書室で借りられるのはラッキー。
新刊の表紙を眺めていた私の耳に聞こえてきたのは、か細い声。
「簡単よ。私はそれに出られるほどの実力が」
そのすぐあと、むせる声が聞こえる。
その声の出所は、隣のドア、保健室というプレートがかかったドアからだった。
そっと、バレないようにドアを開けると、脚本を睨みつけながらぶつぶつとセリフを呟いている美月先輩がいた。
台本は投げ捨てられた。
ホチキスの針から外れて、紙の台本がはらりと落ちる。オレンジ色の夕陽がそれを染めていく。
「やっぱり、無理だ.。僕に主役は、荷が重すぎる...…!なんで僕が主役に、もういっそのこと孤色がやればいいのに!」
「先輩、何やってるんですか!熱出してるんですよ!?」
私はつい我慢できなくなって、ドアを開け、保健室へと滑り込んだ。そして、先輩の感情が爆発したのもほぼ同時だった。
「あっ。」
「あっ。」
またも保健室は気まずい空間になってしまったのだ。先生がいなくて本当に良かった。
熱で赤くなった顔が、さらに赤らんだ気がした。気のせいではないと思う。
お読みいただきありがとうございます!!
モチベになってます!!
深夜テンションです!!!
部誌17:役者とアイドル
しばらく経って、顔に血が巡って、頭がぼうっとしてからようやく口を開くことができた。
「……すみません、お邪魔しました。そして忘れてください!」
せっかく仲良くなりかけていたのに。泣きたい。私の馬鹿馬鹿、タイミング悪すぎ!
「いや、僕の方こそごめん。」
そしてまた、ずーんと重くなる空気。
「いやいや、私だって美月先輩のことを……。」
「僕のことを?」
「フィルターをかけて見てしまっていた、というか。」
「フィルター。」
「はい。今思えば、ちょっと美月先輩、様子がおかしかったし……やっぱり、美月先輩のことを強い人だと私は思っていたから、なんでしょうか。あっ、その、弱いってわけじゃないですよ!?どんなに強い人でも、こうなることが全くないなんてありえないんですし。」
乾いた苦笑いを浮かべる先輩。
「そうかな。僕はそんなに強い人に見えたかな。」
「入部、いや、演劇部に復帰した時からキラキラしてました。初めてのエチュードの時も先輩、助けてくれましたし。」
慣れてなかった私にとっては女神のように見えた。女神は失礼かな?
「でも僕は君が思っているよりも出来ない。失敗して恥かくよりは、今やめた方がマシだ。」
今まで聞いたこともない強い口調だった。
「主役のこと、ですよね。」
「うん。」
「出来ないから何なんですか。宝川先輩は、美月先輩にやってほしいんですよ。」
先輩は突然吹き出して、口を手で押さえる。
「……あいつは、ただ僕に女装してもらいたいだけだと思うんだけど。」
その時。
「失礼な、そんなわけないだろ!」
「ちょっと、何やってるのよ!?」
宝川先輩と中野先輩が雪崩れ込んできた。
「宝川先輩に、中野先輩!?」
そして宝川先輩は転んだ。中野先輩の方を見なくても、呆れているのが分かる。
「あ、中野じゃなくて、梨音でいいって。」
「いてっ、床痛っ。」
「あーらら。派手に転んだね。」
そして、部長までやってきた。保健室の人口密度があっという間に高くなる。
「何でいるんだよ……。」
「そんなあからさまにドン引きするなよ!」
「あたしたち、やっぱり不安になっちゃって。だから、部長と宝川とあたしで様子を見に来たってわけよ。」
「飛び立とうとする雛鳥を見ているようだったね!」
雛鳥。部長、いくら何でも雛鳥は良くないような。主に美月先輩にとって。
私は別に悔しくない。別に!
「雛鳥って何だよ。」
「まあまあ、あと、ただ女装させたいだけじゃないっていうのは真実だぞ!」
「だけじゃない、ということは女装させたいという気持ちも嘘ではないってことですか?」
気になったので質問してみた。
「それに関してはノーコメント。」
「はぁ?」
冷ややかな目を向けられて、少し居心地が悪そうにしたのち、宝川先輩は咳払いをした。
「お前が戻ってきて、部活も少し賑やかになって、ようやく人手がいなかったからボツになった脚本が使えて。俺だって色々考えたんだ。」
「常にノープランそうに見えるけど?」
「部長は黙っとけ!」
ひどいなぁ、と肩をすくめるも部長は一歩下がって2人を見つめる。
「パソコンのデータを漁っていた時に、見つけたんだよ。あの脚本をな。読み返して、ふと手直しして。俺はあの脚本をやりたいって、気づいた。役者もアイドルも似たようなものだから。」
「似たようなもの、って。俳優と役者なら何だか分かるけど、アイドルと役者?」
「そう。役者もアイドルも、誰かの指針になり得る。誰かの感情や目標を形作ることができるかもしれないんだよな。」
指針。
舞台に立って、動いて。見てくれる人のために頑張る。
そう言われれば、確かに似たもの同士なのかもしれない。
「だからもう放り投げるなよ。俺はお前らの演技に魅せられて、脚本を書いてるんだからな!」
「……キャー、宝川くんかっこいー!」
「梨音まで余計なこと言うなよ!せっかくカッコよく締められたと思ってたのに、恥ずかしくなってくるだろ。」
「へー、かっこいいって思ってたんだ。この演劇部部長、びっくりだよ。」
気づいたら美月先輩と微笑みあっていた。
ふわりと漏れた微笑みからは、先ほどまでの苦しそうな様子が全くなかった。
いつもの部室の雰囲気。より、大好きになる。
「あ、笑うな!」
そしてその翌日、私たちは保健室で騒いだことを保健室の先生と若草先生から無事咎められたのであった。
部誌18:夏休み
数日経ち、本調子になった美月先輩は部活に復帰した。
あの日の保健室での出来事はみんなに詳しくは話さなかった。でも、うすうす朱鳥ちゃんたちにはバレていたみたい。にやにやしながらほおをつねられたり私の周りをぐるぐると歩き回ったり。
「いや、孤色。ここは違うと思う。僕としては、このシーンの夕華は直前に朝乃との会話でこんなことを話してたから……。」
「確かに、君の言う通りかもしれない。」
美月先輩の感情が爆発する前と比べて、美月先輩と孤色先輩の関係も穏やかなものになっている気がする。前はばちばち火花を散らしているように見えていた。でも、今は理性的。詳しく言うならば、演技の指摘と自分の気持ちを切り離して臨めるようになった、というべきかな。
とにかく、ギスギスした雰囲気にはならなくなったのだ。
一学期末テストも無事に終わって、(補習になって無事じゃなかった先輩もいるのだが)あっという間に夏休みに入った。中学生になって初めての夏休みだ!わくわく!
……と、思っていた時期が私にもありました。宿題多すぎる。
部活、宿題、あとイラストを描いたりしているうちに1日が終わってしまう。早すぎる。
部活も最近は長引くことが多くて、演技の稽古や照明の練習、衣装と大道具作りなどやることが盛りだくさんで大忙しだ。
私と朱鳥ちゃんと蛍くんと3人で宿題をあくせくやっているのを横目に「|用事《バイト》なんで」と颯爽と校門から去っていく伊勢谷くん。噂によるともう宿題が終わったらしい。恐ろしすぎる。
宿題に苦労している私たちだが、今日、それから明日は宿題とは一時休戦だ。
なぜなら、今日は公演のリハーサルかつ、公演の本番だから。午前中にリハーサルをして、午後に公演本番。私のお母さんとお父さんも来る。良いところを絶対に見せたい!
そう、夏休みの宿題よりも力を入れないといけないのだ。
朝から暑い。溶けそうだ。そして蝉の声がうるさい。
頑張れ私、公演会場である公会堂は涼しいぞ。そして公演が終わったらみんなで夏祭りも回れるのだ!ここで暑さに負けている場合じゃないのだ!
「おはよう、美也ちゃん!」
「おはよう、朱鳥ちゃん。朝から暑いのに元気だね。」
扇風機やうちわみたいな暑さ対策グッズを朱鳥ちゃんは持っていなかった。大丈夫なのかな。
「なんだか楽しみで眠れなくって!遠足の前、楽しみすぎて眠れない感じかな?」
そう言ってぴょんぴょんと飛び跳ねる朱鳥ちゃんはとても元気そうなので大丈夫なはず。
「ゔっ暑い、なんだよこれ。」
「暑すぎるよね。宝川の蒸し焼きが出来ちゃうよ。まずそう。」
「だからリネ、お前は一言余計なんだよ!」
2人で今日も仲良く歩いてきた宝川先輩と梨音先輩。
「暑すぎっす。伊勢谷ー、スポドリを荷物から出して、そして飲ませて!おれむりかも……。」
「アッアッ、く、桑垣さん!?桑垣さーん!」
ベンチにへたり込む桑垣くんを介抱する伊勢谷くん。
「本当に溶けそうだな、この暑さ。」
「その割には余裕そうだよね、東。」
「じきに涼しい市の公会堂に入れるんだ。もう少し我慢しよう。」
うちわや扇風機でお互いを涼しくしている東先輩、美月先輩、孤色先輩。
「うん、全員いるね。じゃあ公会堂に向かおう!公会堂は涼しいから、もう少し耐えるんだよ!」
そして、点呼をとり終わった部長。
焦らず、落ち着いて対処する。
そのことを常に頭に入れる。
気を引き締めて、まずはリハーサルだ!
部誌19:夏公演リハーサル
いろいろグダグダです。今日ようやくミスしたところを修正できました。
おそらくこの話で募集キャラさんは全員登場させられたはずです。遅くなってしまって、大変申し訳ありません……。
「わーっ!めっちゃ涼しい!ほら、美也ちゃんも!蛍くんも慶くんも、早く公会堂の中入らないと、熱中症になるよ!?」
「もう桑垣さんはなってるんじゃないですかね、熱中症。俺の目にはそう見えるんですが。」
「あついっす。」
「さっきから『あついっす』しかしゃべってないね、桑垣くん……。」
私の目にもなっているように見えるのだが。
伊勢谷くんと2人でずるずる引っ張ってきた蛍くんだが、涼しい公会堂の中に入るとたちまち
「暑くないっす!?」
と復活した。これなら大丈夫そうだ。
「それにしても、デカいなぁこのホール。俺、緊張して演技できなくなるかもー、なんて?」
「東鳥塚、君が緊張しているところが思い浮かばないのは僕だけか?」
「冗談だよ。でもデカいと思ったのはホント。それに、すっごく綺麗だし。」
大きくて床もツルツルでピカピカ。うちの学校のホールも汚いというわけではないが、よく見ると細かい傷があったりするのだ。ここの床は傷一つない。
「さて、早く移動しないとリハーサルの時間がなくなるわよ。一時間しか余裕がないんだからね!あ、あと映写組はここで別れるわよ!」
「美也ちゃーん!あたし、頑張るからねー!」
「朱鳥ちゃん、また後でね!頑張って!」
急いで階段を三人で駆け上がる。映写室担当のスタッフさんに鍵を開けてもらって、中へ入る。
もちろん映写室もピカピカで新しかったが、機械たちに見惚れているヒマはない。
もう役者たちは到着していて、事前に運び込んでいた大道具を準備している。
私は機械のスイッチを入れた。そして、客席の照明を落とした。
「もしもし、聞こえる?もう始められる?」
近くのスピーカーから梨音先輩の声が聞こえる。
「聞こえます。準備終わりました!スタート出来ます!」
ちらりと2人を見て、うなづいたのを確認して私は返答する。
「OK!部長、準備出来たって!」
「始めるわよ!映写組、幕閉じて。」
「伊勢谷、あそこの緑のラベル貼ってあるレバー下ろして!」
「アッ、ここ、ここっすよね!?」
大きな音を立てて、ゆっくりと幕が閉まる。
こうして幕が閉まる様子を見られるのも、演劇部に入ったからと思うと不思議な気分になる。
「もうそろそろっすね。BGMお願いします。」
「了解です!」
BGMが流れ出すと同時に、照明を私は付けて、伊勢谷くんに緞帳を上げてもらう。
---
「さぁ、始まりました!ミュージック・フライデー!実況はわたくし、カネコがお送りいたします……。」
---
「お疲れ様ー!」
リハーサルも終わったので、下に三人で降りて休憩していた私は、梨音先輩にぶつかってバランスを崩した。
「わぁっ!?あ、梨音先輩かぁ。」
「ぼーっと歩いてると、こんな感じでぶつかっちゃうからね?」
「すみません。」
頭を大人しく撫でられていると、後から朱鳥ちゃん、それから先輩たちがまとまってやってくる。
「うん、大きなミスはなさそう。だけど、後ろの席にまでしっかり届けるには、全体的に声量をもっと上げないとダメそう。もちろん、僕も含めて。」
「それは分かったけど、腹減ったし昼飯買いに行こうぜ!なぁ天?」
「行くか。公会堂のすぐ横にコンビニがあったはずだ。雨宮美月くんも来るかい?」
「僕もお弁当持ってきてないから、行こうかな。」
私も着いていくことにした。流石に、朝急いで握ったおにぎりだけだと足りない気がする。
「エナドリ、俺のエナドリー。」
「おれのスポドリー。」
伊勢谷くんと蛍くんは2人してしてドリンクコーナーに直行した。
「え、部長サラダチキンだけなの?」
「何よ、何か文句あるの?」
「別に、部長がそれでお腹いっぱいになるなら良いけどさ。あたしは舞台に立つし、お腹減っちゃうからお菓子買っちゃおう。」
梨音先輩はそう言ってスイーツコーナーに向かう。
私も話を聞いて、甘いものが食べたくなってきた。
手にしていたコールスローサラダをカゴに放り込んで、私も梨音先輩に続く。
「プリンにしようかな、杏仁豆腐にしようかな?迷うわぁ。あ、でもやっぱりマカロンにし」
「おい!そのマカロンは|僕《やつがれ》のものだぞ!」
「何よあんた。突然マカロンをひったくるなんて、失礼な人ね。って、あんた、何でここにいるのよ?吹奏楽部、忙しいんじゃないの?」
「クビになった。」
「部活ってクビになることあるの!?」
突然現れて梨音先輩のマカロンをひったくった、謎の青年。黒髪で、瞳の色は涼しげな青色だ。フロスティーブルー、だったかな。
「あの人、誰なんだろう。」
「ああ、彼奴は今垣だよ。|今垣《いまがき》|緒李《おり》、吹奏楽部。……なんだけど、クビになったらしいから元吹奏楽部だね。僕のクラスでは有名だよ。」
「美月先輩のクラスメイトなんですか?」
「うん。変人だから有名。」
「誰が変人だ!」
今度はこっちに突っかかってきた。
「|僕《やつがれ》はただ、音に対する情熱が周りより強いだけだ!音にこだわって練習していたら何故か追い出されていただけだ。失礼だな、雨宮。」
「というか、ずっと話してた相手は女の子だけど、克服したの?女子苦手だったのに。」
謎の青年、もとい今垣先輩は美月先輩と梨音先輩を交互に見る。
そして叫んだ。とても高い声で。
そしてさらに暴れた。マカロンを私のカゴに、彼は入れた。というか投げた。
「や、やや、|僕《やつがれ》にもう話しかけるな!」
「あっ、暇なら演劇部の公園見に来てね!3時から公会堂でやってるから!あたしも出るよ!」
「もう話しかけるなと言っただろう!」
嵐のような勢いで逃げていった。
ここ、コンビニなんだけどなぁ。すごく大きな声で叫んで走り去っていった。店員さんに私は頭を下げる。騒がしくしてすみません、と。
「彼奴、マカロンがあれば女子が大丈夫になるのか。」
「来てくれますかね、私たちの公演。」
「来るんじゃない?暇人だし。」
私はカゴの中のマカロンを見つめた。あの人が慌てて私のカゴに放り込んだからか、少し形が崩れていたけど、やっぱり美味しそうだった。
……これは私が買おう。
部誌20:私たちの夏
かなり遅れましたが、ついに夏公演本番です!
SE→サウンドエフェクトの略。演劇では扉の開閉、足音、車のエンジンや電車、踏切、銃音といった効果音のこと。
おにぎりと一緒に買ったコールスローサラダをほおばり、マカロンを味わった。甘い味が体に染みる。しばらく堪能していたが、遅い昼食だったためかもう準備する時間になったようだ。
ゴミをレジ袋に入れて、持ってきたカバンにしまう。
「みんなもう食べ終わった?ホール、戻るわよ!」
一階の扉の隙間から見えたホールには、お客さんの姿が。あの中に、私のお母さんもお父さんもいる。
「うぇ、え、こんなにいるんですか!?」
私が舞台に立つわけではないのに、少し緊張してきてしまった。
「秋の文化祭公演とか、もっとお客さんいるからねぇ。」
「梨音先輩、本当なんですか?」
もしそうだったら、私は倒れるかも……。
「本当よ。でも、気楽にやっていいんだからね!劇が進むうちに、お客さんとかもう気にならなくなるし。劇の世界に引き込まれる、って感じ?」
そう言いながらバシバシ梨音先輩は私の背中を叩く。地味に痛いが嬉しい。
「あ、ありがとうございます。」
私はまた階段を駆け上がった。映写室から下のホールを覗くと、休憩時間のようだった。前のダンスチームの発表は終わっている。
「もうそろそろいいよね?」
私は2人が無言でうなずいたのを確認して、壁についているスイッチを押しブザーを鳴らす。
5秒間。休憩時間がそろそろ終わることを示すブザー。
1、2、3、4、5。数え終わったところで指を離す。蛍くんが音響のところにあるマイクを手にとって、会場に向けてアナウンスする。
「本日はご来場誠にありがとうございます。まもなく、私立弥生高等学校付属中学校による『その少女たちは諦めたくない』を上演いたします。開演に先立ちまして、皆様にご案内申し上げます。客席内での飲食はご遠慮ください。携帯電話などの音の出る機械の電源はお切りいただき、撮影は客席後方の撮影スペースでお願いします。それでは、もうしばらくお待ちください。」
「ふぅ。噛まずに言えた。」
「俺には絶対無理だったから……。天音さんも桑垣さんも、ありがとうございます。」
「いやいや!別に、大したことしてないし!」
だって私はブザーを鳴らしただけだ。お客さんたちに向かってアナウンスした蛍くんの方がすごい。
「ほら、2人とも。最終確認っすよ!」
蛍くんに言われて、私は台本を手に持つ。最初のシーンの照明は、次の転換は……。
とあれこれ考えているうちに、2回目のブザーを鳴らす時間だ。私はまた立ち上がって、スイッチを押した。
ゆっくり。焦らないように、5秒間数える。そして優しく離す!
すかさず蛍くんがマイクの元へ行った。
「それでは、上演いたします。ごゆっくりお楽しみください。」
レバーを動かす。緞帳が上がる。
お客さんが、緞帳の奥の暗闇に釘付けになる。
BGMが、伊勢谷くんの手によって流される。陽気な、音楽番組のテーマ。
私はBGMがしばらく鳴ったのを確認して、照明を一気につけた。中央に、梨音先輩と美月先輩が見えた。
私たちの夏公演が、始まる。
---
「さぁ、始まりました!ミュージック・フライデー!実況はわたくし、カネコがお送りいたします!」
割れんばかりの拍手が、1人の少女の元に届く。
「本日の目玉は……この方!人気絶頂モデル兼アイドル、|暁《あかつき》|夕華《ゆうか》さんでーす!」
「こんばんは!今日はよろしくお願いしますね!」
観客は歓喜する。テレビの向こうでこの少女を見ている人々の多くも、歓喜している。
「本当はですね、ミュージック・フライデー、出演NG!……だったんですが!本日!特別に!OKしてくださったんです!パチパチー!」
テンションが高い司会者。夕華は少し苦笑いを見せる。
---
「ここで、照明を落とす!……んだよね!?」
「何不安になってるんすか。合ってますよ、それで。」
蛍くんがサムズアップする。
「よ、良かったあ……。」
一気に全体照明のレバーを下げたから、舞台に立っている美月先輩……夕華だけが、お客さんに見えている状態だ。
蛍くんの言う通りだ。今、本番なのに私はなぜ不安になっているんだ。
ああでも、確認しても確認しても、不安になる。どこかでミスしないかな?迷惑かけちゃわないかな?って。
それを感じ取ったのか、蛍くんがこう言ってくれた。
「……まあ、気にせずやる!人間だから、間違えた時は間違えた時っすよ。気にしない。ウジウジされるのが1番困るから。」
「うん、ありがとう。」
元々演劇クラブに入っていたからか、すごく場慣れしているように見える。キリッとしている!
「伊勢谷も!」
「アッ、そ、そうっすね!」
伊勢谷くんはグビッとエナドリを飲む。
私たちはまた、舞台に視線を戻した。
---
夕華は立ち上がる。
司会者は固まり、流れていたミュージック・フライデーのテーマはフェードアウトした。
「私が、ここに立てたこと。あの頃の私なら考えられない。奇跡、かもね。」
座っていた椅子から立ち上がる。
「あの頃の、私……。」
そう夕華は呟いた。
ライトが完全に消える。
1年前の教室。
夕華は今日も1人だった。
「おはよう。」
そう言ってみたところで、ガヤガヤと話しているクラスメイトたちは誰も返事をしてくれない。
無言で机にカバンを置き、朝の支度を始める。
「だよなぁ!それでな……あ、来たぞアイツ。珍しいな。」
「来たね、『氷の華』が。やっぱりすごく美人だ。でも、絶対話しかけらんないや。」
「めっちゃ分かる。あ、それでさ、昨日姉ちゃんが……。」
ついたあだ名は「氷の華」。一年生のころから今まで、雑誌やMVの撮影、勉強や毎日のランニング、ストレッチなどやることがたくさん。体育祭や文化祭、合唱コンクールにも参加したことがないのだ。成績は悪くないが、授業も受けられないことがあるし、定期テストだって後日別室でやることが多い。友達を作る暇なんてない。
どうにも近づきにくい人認定されてしまっているのだ。
夕華1人にスポットライトが当たる。
「こんなことは慣れてる。私は私で、彼らは彼ら。交わることなんてない、高校生活の1年間だけ顔を見るただのクラスメイト。そうだと思っていたのに。」
スポットライトは消える。夕華はカバンから本を取り出して読み始めた。
その後、1人の少女が勢いよく教室に飛び込んできた。
「おっはようございまーす!」
「おはよう!」
「おはよう!あ、夕華ちゃん、今日は来たんできすね!」
「……おはよう。」
少女は慌ただしく朝の支度を始める。
「あれ?今日の宿題、どこやっちゃったっけ?」
夕華にまたスポットライトが当たる。
「……あの子、私に懲りもせず話しかけてくる。何でだろう。変な人よね。」
また夕華が読書を始めると、先生が教室にやってくる。
「やば!先生だよ、早く座って!」
「はい、今日のホームルームを始めます。日直。」
「きりーつ。礼。おはようございます。」
「おはようございます。」
ガタガタと音を立てて椅子に座る生徒たち。
「さて、もうすぐ文化祭の準備を始めるぞ!」
「やったぁ!」
「ついに文化祭かぁ。」
「今年何やる?何やる?」
「はいそこ!静かにする。」
先生が教卓を強く叩くと、生徒たち(ついでに何も話していない夕華まで)ビクッと震え上がる。
「とにかく、明日の6時間目の学活から準備を始めるので、心の中で何をやりたいか考えておいてください。」
「はーい。」
「一時間目は理科だ。早く準備するんだぞ。それじゃあ、解散!」
担任教師はファイルなどを持って、立ち去っていった。
「何がいいと思う?」
「えーっ、まだ考えてないなぁ。あ、フード販売は?チョコバナナとか作りたい!」
「それ、高3だけだから。高2の俺たちは作れないよ。」
「そっか。残念だなぁ。でも、来年出来るよね、チョコバナナ屋!」
楽しそうに談笑しながら、少女とその友人は理科の教科書を持って教室を出て行った。
教室に残っているのは夕華だけだ。
「どうせ、文化祭なんて今年も出られないんだから……。」
そう呟くと、夕華も理科の教科書を持って教室を出た。
---
「うん、無事にシーン2も終わりっすね!」
「ミスしなかったよ、良かった!」
「俺だけ何も貢献してない……。」
「そんなことないよ、伊勢谷くん。ほら、この後とか仕事あるよ!」
私は教室のセットを片付けている先輩たちを眺めながら言った。
夕華役の美月先輩、それから重要な役割を任されている朱鳥ちゃんもとっても自然だった。美月先輩のセリフは独り言も多い。独り言は独り言、としっかり分かるのに客席の人には伝わる声の大きさなのだ。私には無理だ。
先生役は宝川先輩だ。友人1役は孤色先輩、友人2役は梨音先輩。最初のシーンの司会者役は東先輩だ。役者がとにかく足りない!と宝川先輩が嘆いていたが、何とかなっている。私たち1年生が3人も映写室にいるからだろうか。
美月先輩が懸念していた声量も、リハーサルの時よりも大きくなっている。あくまでもここは映写室で、ホールの音を拾っている機械からの音声を聞いているにすぎないのだが。
---
理科の授業は実験だった。
夕華の隣のテーブルからボン、という小さな爆発音が聞こえた。
「すげー、爆発したんだけど。」
「メモメモ、っと。」
隣の2人が賑やかに実験を進める中、夕華のペアは黙々と試薬を試験管に入れている。
夕華は試薬が爆発したのを確認すると、ペンケースからシャープペンシルを取り出してノートに結果を記録した。
また夕華にスポットライトが当てられる。
「つまらない。ただ、実験をこなすだけ。」
夕華は試験管の様子のイラストをノートに書いていく。
「夕華ちゃん、絵の才能あるんじゃないの!」
「……はぁ?」
「すごく見やすいし、私もノートに模写してもいい?」
「別に、いいけど。減るもんじゃないし。」
ノートを机に置くと、その少女はにかっと笑って絵を模写し始める。
スポットライトが夕華に当たると、隣で実験していた2人も、絵を模写していた少女も動かなくなった。
「変な子よね、本当。だけど、みんなから愛されるタイプ。愛嬌があるっていうか。私とは大違い。」
また3人が動き出す。少女が一生懸命に絵を模写する中、理科の教師でもある担任教師がドタバタと入ってきた。
「すまんすまん!記録用紙取ってきたから、改めてこっちに記録してくれ!おっと、その前に実験用具の片付けだ。」
担任教師が記録用紙を配り始め、生徒は机を拭いたり、試験管を持って理科室から去っていった。
ゆっくり、照明が消えていく。
自分の席に座って夕華はお弁当を食べている。当たり前のように1人だった。
そこに、きょろきょろとしている少女がやってきた。夕華を見つけると笑顔になったので、夕華を探していたものと思われた。
「あ、あの!あたしのこと、覚えてますか?」
しばらく、間が空いた。
ベンチにスポットライトが当たる。
「どこかで見たことあるような……ああ、実験の時の変な子か。でも、面倒くさいから別に言わなくていいかも。」
お弁当のハンバーグをつまみながら、夕華は答える。
「……唐突に覚えてますか、って訊かれてもわかるわけないでしょ。私が全然学校来てないの、もしかして知らないのかしら?変な子ね。」
「あたしは夕華ちゃんと同じクラスの|朝乃《あさの》って言います!知ってますよ、夕華ちゃんがそんなに学校来れてないこと。最近雑誌の撮影忙しいんですもんね!」
「同じクラスなことくらい知ってるわよ!このクラスにいるし、さっきの実験だって一緒にやったでしょう。」
「あっ、そっかぁ。あたしったら、おかしなこと言ってましたね!それから、お弁当一緒に食べましょう。座りますね。」
そのまま夕華の前の席に座って、朝乃はパンの袋を開けた。
「一緒に食べることは決定事項なのね……。」
はぁ、とため息をつくも夕華はその場から動かなかった。
「夕華ちゃん、勢いすごいですよね。今から4年前、彗星のように芸能界に現れてあっという間に雑誌の表紙を飾ると、ZeuTubeでチャンネルを設立!登録者数も爆発的に増え、伸びやかで透明なその声は多くの人を魅了し、噂ではあの有名音楽番組『ミュージック・フライデー』のオファーも」
「はいはい!分かった、分かったから!一旦ね、あの、静かにしてほしいんだけど。ほら、あなたもパン食べたら?」
手に持っていたパンと夕華の顔を、視線が行ったり来たり。
「あっ、はい!お気遣いありがとうございます!あっ!ちなみに『ミュージック・フライデー』のオファー来たって噂、本当なんですか!?」
「え、ええ。来たけど。」
「本当ですか!絶対録画しなきゃ。いつかな、いつなのかな!?」
「出るとは言ってないんだけどね。」
その言葉は朝乃には届いていないようだった。
「ああ、あとこの前の映えメイク特集欄も見ましたよ!いやー、いつものビューティーな夕華ちゃんじゃなくて、少し幼く可愛らしい雰囲気になっていて!ちょっとお値段は高めですが、あたし買っちゃいましたよ!」
「もうダメだこの子……。」
朝乃はまだまだ話し続け、照明が落ちてようやく静かになった。
「結局、あの子……朝乃さんの話はお昼休みが終わるまで続いた。」
やれやれ、と大げさに手を振ると、夕華は弁当を抱えてベンチを去っていった。
「ただいま。……母さんも父さんも、まだ仕事か。」
夕華が自室に入る。カチッという音が鳴って、同時に部屋の照明もついたようだ。
伸びをして、ベットに倒れ込む。しばらく目を瞑っていた夕華だったが、携帯のけたたましい音によって飛び起きた。
「マネージャーさんから電話ねぇ。どうせあのことだろうな。」
一度携帯を近くのテーブルに置くも、やっぱり手にとって電話に出る。
「もしもし?夕華ちゃん?」
「マネージャーさん、こんばんは。」
「こんばんは。何の話か分かってるね?」
「はい。」
夕華は立ち上がると、ベッドから近くの椅子へと座り直した。
「ミュージック・フライデー、やっぱり断らない方がいいと思うんだよ。だってさ」
「その話は!」
携帯を投げつけそうになるも、ギリギリで自分を抑えた夕華。
「……その話はもう、やめてください。私は出ません。出ないって、決めたから。」
「そう。でも、気が変わったらすぐ連絡するんだぞ!」
「はい。」
「ああ、明日のお天気キャスター1日体験の話なんだけど……。」
マネージャーの音声とともに夕華の部屋も暗くなっていった。
---
「タイミング、バッチリだったよ!」
「アッ、そうですかね。ありがとうございます、天音さん。」
さっきのマネージャーの音声は、全て東先輩の声を録音したもの。伊勢谷くんが舞台上の美月先輩とタイミングを合わせて音声を流すシーンだったのだ。
「練習の時は、美月先輩のセリフに被りまくったり、逆に変な間が出来たり。本番でも失敗しないか緊張して、手汗ベトベトっす。……あれ、手汗で音響卓壊れたりしませんよね!?壊してたらどうしよう!俺、弁償出来ねぇ!」
「大丈夫っすよ、そんなに慌てなくても。それぐらい平気平気。」
「あ、良かった……。」
しっかり期待以上の仕事をしてくれる伊勢谷くん。
蛍くんはそんな彼を見て、くすくすと笑い出すのだった。
「わ、笑わないでくださいよ!」
と、言いつつも伊勢谷くんは次のSEの準備を始めるのだった。
---
「こんにちは、夕華ちゃん!」
「こんにちは、朝乃さん。」
「あっ、名前を覚えてくれたんですね!」
翌日、朝のお天気コーナーに出演した夕華はお昼から学校に登校した。
「朝から夕華ちゃんの声が聞けて元気出ました!あ、学校行く前に毎日ZeuTubeで夕華ちゃんの歌、聴いてるんですけどね。」
「毎日聴いてて飽きないの?」
「飽きるわけないじゃないですか!だってあたしの推しなんですから。」
「あっそう。」
夕華が席に座って、次の授業の準備をし始めても朝乃は戻らない。
「文化祭のことなんだけどね、夕華ちゃんいませんでしたよね?ちなみに、話し合いの結果『お化け屋敷』を行うことに決まりましたー!パチパチー!」
「そうなの。」
夕華がつれない態度だったので、朝乃はその話をやめてしまう。
「そういえば、結局ミュージック・フライデーに出る日っていつなんですか?」
夕華の手が一瞬止まって、また動き出す。
「それは。それは、もうなかったことにして。」
「なかったことって!」
「確かにオファーは来た。でも、受けるか受けないかは私の自由でしょう?」
「でも。でもでも!」
タイミング悪くチャイムが鳴る。
「座らないと、国語のあの先生に怒られるよ?怖いでしょ、あの人。」
「……うん。」
朝乃が席に座ったのを確認して、夕華は息を吐き出す。
筆箱からシャープペンシルを取り出して、そのままドリルを夕華は解き始めた。
その次の時間、理科室で再び2人は実験をしていた。
しかし、この前よりもぎこちなく、手が当たりそうになると夕華は大袈裟に手をひっこめる。
「お疲れ様。はい、これで今日の授業はおしまい!急いで片付けるんだ。帰りのホームルームするからな。」
「はーい。早く帰ろうぜ。」
「さくっと片付けちゃおう!」
隣のテーブルの2人と同じように、夕華と朝乃も片付けを始めた。
終始無言である。
チラチラと朝乃は夕華を見るが、頑なに夕華は朝乃の方を見ようとしない。
片付け終わった時、ようやく朝乃は口を開く。
「なんで、『ミュージック・フライデー』の出演断ったんですか?」
朝乃はふと、彼女に訊く。理科の片付けをこなしながら、夕華は淡々と言った。
「簡単よ。私はそれに出られるほどの実力がないから。」
「そんなことないですよ!あたし、ずっと思ってたんです。なんでこんなに綺麗で歌もダンスも上手なのに、呼ばれないんだろうって!」
笑顔を夕華は浮かべる。しかしそれは、自虐するような冷えたものだった。
「それは、あなたが勝手に思っているだけよ。本当の私は……身近な人を笑顔にできない、つまらない人なんだから。」
駆けていく夕華。追いかけようとして、朝乃はパソコンや理科の教科書を落としてしまう。立ち上がったはいいものの、そこから朝乃は動けなくなって。
「朝乃!はい、パソコン。」
友人の少女にパソコンを拾い上げてもらって、朝乃はそれを受け取る。
「ありがとう。」
「それにしても『氷の華』、今日も平常運転だったな。朝乃、嫌なこと言われたりしなかったか?」
友人の青年の方に、朝乃は向いた。
「大丈夫だよ!夕華ちゃんは、悪口とか言う子じゃないし。」
「本当か?」
「本当だってば!」
「でもさ、私は話したことないから分からないよ。あの子がどんな子なのか。」
「じゃあ話してみればいいじゃん!」
友人2人は顔を見合わせる。
「でもなぁ。あの子って、『私に近づくな!』オーラがすごいだろ?」
「それになかなか学校来ないし、いつも真顔だよね。学校ってつまんない、とか内心思ってるんじゃないの?」
「それは……どうなんだろう。」
3人は理科室を出ていった。
---
夕華は公園の中を走っていた。
ベンチに座って、水筒を飲む。
「毎朝の日課も、慣れてきた。」
水筒の蓋を閉めると、夕華は大きく伸びをした。
「あーやだやだ、また思い出しちゃった。思い出さないために最近学校に行かないようお仕事してるのに、嫌になっちゃう。」
立ち上がってベンチの近くをぐるぐると歩き回る夕華。
「あの子が好きなのは、アイドルの推し。目の前の人を笑顔にすることもできない、『私』は……。疲れてるのかな。なんだか憧れていた関係みたいで、楽しいなって思うなんて。馬鹿じゃないの。」
歩くスピードが早くなっていく。
おもむろに少しベンチから離れて、夕華は息を大きく吸った。
「私の、大馬鹿野郎ー!」
「大馬鹿野郎とか、そういうこと言わないんですよ!」
「きゃあっ!」
突然朝乃が入ってきて、夕華は悲鳴をあげてしまう。
「あ、あ、朝、朝乃さん!?」
「あたしも体力作りを兼ねて、ランニングすることにしたんですよ!それに前、夕華ちゃんの公式アカウントで毎日ランニングしてます、という投稿がされてましたから!」
「嫌、泣きたい……。」
ベンチへとふらふらと歩み寄っていき、顔を隠す。
「えへへ、へへ……。」
「何笑ってるのよ!」
そう叫ぶと、夕華は朝乃につかみかかる。
「ごめんなさい!つい、可愛いなって思っちゃって。」
「ふーん。どうだか。ダサいとでも思ってるんでしょ、内心。」
「本当ですよ!」
手をパタパタと振って弁明するも、夕華はそっぽを向いてしまう。
「うーん、じゃあ!この前の話をしますね!」
「この前の話?」
「はい!この前夕華ちゃん、『身近な人を笑顔にできない、つまらない人』だって言ったじゃないですか。」
「その話は、やめなさいよ……。」
「でも!」
朝乃は夕華の肩をつかんだ。夕華は驚いて一歩下がる。
「あたし、今の夕華ちゃんの行動で笑っちゃいましたよ!?」
「……あっそう。くだらない。くだらないわ。すごくくだらない。」
「そうですね。くだらないです。」
「くだらないけど、元気出た。」
「出ましたか!?」
嬉しそうに微笑む朝乃の目を真っ直ぐに見て、夕華は小さく言った。
「……ありがとう。そういうこと言ってくれたの、あなたが初めてだから。」
「ああ、我が生涯に一片の悔いなし……。」
「ちょっと、何やってんのよ!?今日も学校でしょう!倒れ込むな、ベンチにー!」
ベンチに倒れ込んだ朝乃をゆする夕華。
ようやく顔を上げた朝乃の手を引っ張って、夕華は言った。
「ほら、行くわよ学校。カバン、持ってるでしょう?あなたも。」
「はい!」
仲良く雑談しながら立ち去る2人。
穏やかなBGMが流れて、暗闇があたりを包み込む。
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「迫真の演技でしたね!美月先輩!」
「うんうん!すごいよね!」
「かっこいいっす!」
機械を通さなくても直接聞こえるくらいの「私の、大馬鹿野郎ー!」というセリフ!
その後の朱鳥ちゃんとの演技も、引き込まれてしまった。照明を落とすのが遅れそうで、危なかったな。
「はぁ、私もあんな風になれるかな?」
「天音さん、役者をやるつもりなんすか?」
「え!?あ、そ、そそそれは、考え中、なんだけどね!」
私もあんな風に、誰かを興奮させる演技をしてみたい。そう思ったのは、嘘じゃなかった。
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クラスのお化け屋敷から出てきた2人。
「いやー!夕華ちゃんがお化け屋敷、苦手だったなんて!思いもしませんでした。」
「大声で言わないでよ!」
「ごめんなさい。ああ、準備に参加できなかった分、夕華ちゃんにはたくさん働いてもらいますからね!お化け役として!」
「私が!?」
「ほら、うらめしや!」
「きゃあ!」
「さて、次はどこのブースに行きます?」
2人の目の前に、バーンとダンボールを持った担任教師が現れる。
「あれ、先生!どうしたんですか、そのダンボール。」
「出演者、募集中?どういうことかしら、朝乃さん。」
「ちょうど良かった!実は、体育館でやる予定だったライブの出演者がな、体調不良で突然休みになって。だから、シークレットゲストとして1組呼ぶことにしたんだ。どうだ、夕華!出てみないか?」
「いいじゃないですか、夕華ちゃん!」
「ええ?」
しばらく迷う夕華。
意を決して、勢いよく手を挙げる。
「やります!私、歌います!」
「出演してくれるんだな!なら早速、準備しよう。文化祭委員との打ち合わせがあるからな!大トリで、出演だ!」
「ゴーゴー、夕華ちゃーん!」
「え、大トリ?そんなのって、あーっ!」
そのまま担任教師に引きずられる夕華。走る2人を朝乃も追いかける。
体育館の舞台にて。
夕華は、パーテーションの裏で待機している。
「続いてはシークレットゲスト。あの有名アイドルが登場!?」
「ど!どうも!暁夕華です!」
生徒たちは拍手する。
「えーっと、これから歌うのは!」
イントロが流れ出す。
「どうしよう、勢いで受けちゃったけど。ああ、みんな笑ってくれなかったら!」
その時、客席にいる夕華が目に入った。
「ハイ!ハイ!レッツゴー、夕華!」
「手拍子、してくれてる。よし!」
夕華はマイクを握りしめて、踊り出す。
「お疲れ様ー!流石、夕華ちゃんです!」
「ありがとう。」
「あたし、生で夕華ちゃんの歌を聴けて嬉しすぎるよ。」
そこに、朝乃の友人2人が雪崩れ込んできた。
「す」
「す」
「すごかったよー!」
「すごかったぞー!」
夕華を見つけるなり、叫びながら夕華の周りを飛び跳ねる。
「ごめんね、陰でその、ちょっと変なこと言っちゃって!」
「伸びやかな歌声に惚れました!」
「悪い人じゃないってことは分かってたから、いいの。」
「だから言ったでしょ!夕華ちゃんはひどい人じゃないって。目の前の人を笑顔に出来る、自慢の友達なの。」
「自慢の、友達。」
瞳を閉じて、深呼吸をする。そして、瞼を開ける。
「あっ、お化け屋敷のシフト入ってるんだった!」
「また後で、朝乃!夕華、さん!」
「また後でね、2人とも!」
夕華の様子を見て気を利かせたのか、その場からいなくなる2人。
「朝乃!」
「どうしたの?」
「これからも……友達で、いてください。」
「それ、お願いすることじゃないよ!うん、これからもよろしく!あ、大馬鹿野郎って自分で言ってたけどね。」
「朝乃ったら、もう!」
笑い合う2人。
先ほど夕華が歌った楽曲のイントロが流れる。
幕が、下りる。
---
「お疲れ様っすー!」
「お疲れ様ですー!」
「お疲れ様、です!」
3人でハイタッチ。
私たちの夏公演は、無事に成功したのだ!
「桑垣さんのスポットライト技術、すごいですよ。暗い客席にいる青原さんに、ピンポイントでライトを当てたんですよ!?」
客席中央。少し広いスペースがあるので、そこにライブのシーンで朱鳥ちゃんを立たせて演技させたい。
部長の案を実現させられたのは、蛍くんの正確な技術があったからだ。
「褒めても何も出ないから!」
さっき、笑われたお返しのように伊勢谷くんは褒め続ける。
「ほら、2人とも。先輩たちが待ってるよ!」
「じゃあ、荷物をまとめましょうか。」
台本や照明メモなどを片付けて、映写室の鍵をスタッフさんに渡した。
「美也ちゃーん!」
「梨音先輩に、朱鳥ちゃん!」
「えへへ、お母さんに褒められちゃったよ!」
朱鳥ちゃんは瞳を輝かせる。
「アマネにクワガキ、イセヤ!お疲れ様。」
「みんな、安定してたよ!」
「ああ。タイミングが完璧だった。」
「そうそう!それに、俺らが演技出来たのは、3人のおかげといっても過言ではないから!」
先輩たちの温かい言葉が、沁みる。
それから、遅れて1人、歩いてきた。
「美月、先輩。」
「楽しかった。1年生の初めの頃に戻ったみたいだったよ。それに。」
ふぅ、と息を美月先輩は吐き出した。
「僕なりに、誰かを笑顔にしたつもりだ。」
「……はい!」
美月先輩は、笑って輪の中に入ってくる。
「さぁて、この後夏祭り行く人?」
「夏祭り?」
「美也ちゃん、見てごらん!公会堂の外!」
朱鳥ちゃんに連れられて、私は公会堂の外に出た。
公会堂の周りに、屋台が並んでいる。
焼きそば、りんご飴、わたあめ、ラムネ。
お祭りの定番フードが並ぶ屋台。
それから、射的、くじ引き、金魚すくい、ヨーヨー釣り。
たくさんのゲームも出来るようだ。
「お疲れ様会も兼ねて、みんなで夏祭りに行きましょう!盛り上がっていくぞー!」
部長の声に合わせて、みんな楽しそうに屋台に向かう。
「天音さん!」
「あ、天音さん!」
「美也ちゃーん、行くよ!」
「はーい!」
部誌21:夏祭り
夏祭りらしい夏祭りに行ったことがない筆者。
中途半端な感じで終わります。どう締めればいいか分からなかっただけなんです……。
さて、まずはどこに行こうか。
時間はたくさんある。でも、それ以上にたくさん屋台があって、巡りきれないぐらいだ。
「乾杯でもしたいよな!」
宝川先輩の一言で、まずは飲み物を買うことになった。
「私、炭酸飲めないんだよね。ピリピリするから。」
「屋台のラムネなら大丈夫だって!気にならないよ。」
「そうかなぁ。」
朱鳥ちゃんに勧められたので、ラムネを買ってみることにした。
「おっと、金を出す必要はないぞ!」
「冷たっ!」
頬に冷たい感触。色は青い。今、ちょうど買おうとしていたものがそこにあった。
「一年生に任せちゃったからな。映写室も、結構大きめな役も。」
頬に当てたラムネを手渡される。朱鳥ちゃんにも、伊勢谷くんにも、蛍くんにも渡す先輩。
「いや、でも申し訳ないですよ。」
慌てて伊勢谷かんがラムネを先輩の手のひらに丁寧に置く。
「いいんだよイセヤ。先輩に気持ちよく奢らせるのも、たまには必要だぞ。」
「……ありがとうございます。頂きます。」
フタを開けて、ビー玉を落として、液体を口に含む。爽やかな味が舌を占領した。
「先輩、先輩ぃ!」
宝川先輩にそれはもう懐いている蛍くんは、言語野がやられてしまっていた。
「あ、別の味が良かったか?パイン味、ソース味、たこ焼き味にキムチ味なんかもあるぞ。」
「大丈夫です、あはは。」
変わり種がたくさんあるんだ。でも、私は普通のラムネでいいかな。
「あとで買いに行こうっと!」
「朱鳥ちゃん!?」
彼女はラムネの屋台に向かって走っていく。人混みの中に姿が消える。しばらくして、2本のラムネを抱えて戻ってきた。
「買えたよ、キムチ味とソース味!今から試すのが楽しみ。」
チャレンジャーだなあ。爽やかでオーソドックスな味を楽しみながら、私はキムチ味のレビューをする朱鳥ちゃんを見つめたのだった。
「あたしチョコバナナ並ぶ!」
「私のも買ってきてくれない?」
「いいよー。あ、焼きそばお願い。」
「了解。」
梨音先輩と部長は、それぞれが別の屋台に並んでまとめ買いをしている。
「チョコバナナ、いちご味に、抹茶味に!」
「朱鳥さん?そのー。……まだ食べるんですかね。」
「うん。お祭りフードだもん、年に一度ぐらいしか食べられないでしょ?」
ラムネとたこ焼きを掲げて、幸せそうな表情をする朱鳥ちゃん。
「見てるこっちまで胃もたれしてくるんすけど……。」
蛍くんがラムネと朱鳥ちゃんを交互に見つめる。金銭的にも胃の容量的にも真似できなさそうだった。まだ余裕がある表情なのが恐ろしい。
「あら、まだまだお祭りは始まったばかりよ?これからたくさん遊ぶんだし、しっかり食べといた方がいいんじゃない?」
「部長!」
部長は満足げに笑う。チョコバナナに焼きそば。りんご飴まで持っている。
「食べていいんですかね。俺。」
「どういうことだ、伊勢谷慶くん。まだ君は何も食べてないし、何も買ってない。迷う必要はないんじゃないか?」
片手にチョコバナナを持っているのがバレバレだった。甘い物好き、隠す必要はないと思うのに。
過去の約束によって、孤色先輩が甘党であることを言ったら半殺しにされる。だから言わないけど。
「いや、バイトだ……お小遣いがなぁ。」
黙っててください!と伊勢谷くん目で訴えかける。私が小さく頷くと、ほっとしたように彼は息を吐き出した。
「せっかくのみんなで来た夏祭りだ。まあ、無理強いはしないがな。」
じゃあ、と言って物陰に隠れる孤色先輩。私の目には、早くチョコバナナを食べたくてたまらないように見えるのだが……気のせいだろう。そう思うことにした。
「うん。みんなで来たんですもんね。俺は買いに行きます!」
「あたし、二つ買っちゃう!」
「私も食べたいなぁ。」
「じゃ、おれも行く。」
ワイワイ話しながら列に並ぶ。
「こういうのって、なんだか良い。昔のおれなら出来なかっただろうから。」
「……私もかもね。」
つい、ぽろっとこぼれた言葉。え、と言いかけてやめたような蛍くんの口。
「2人とも列の途中で止まらないでよー!後ろの人が、ほら。」
「あ。」
その話は、そこで終わりになる。重い雰囲気が無くなって安堵する。
それでも、蛍くんの言ったことは頭の中に残っていた。
じわりじわりと、後から温かいものを感じられる。
私と同じ気持ちの人が近くにいて、良かった。
「アッ、あの、天音さん?どうかしました?」
「ごめん、伊勢谷くん。ちょっと考え事してた!」
チョコバナナたちにまた少し近づいた。自分が何味を食べるのか。そんな話になったので、私は先ほどのことを心に留めておくことにした。
「演劇部に所属する諸君!腹ごしらえも済んだことだし、行こうではないか!ゲーム屋台に!」
部長が高らかに告げる。
「イェーイ!」
「……って、なんであんたがいるのよ!?」
別で食べ物を買っていた先輩と一緒に合流してきたのは、今垣先輩だった。
「別に良いだろう。|僕《やつがれ》は入部することを決めたからな!あ、そこの音響やってた君。いろいろ詳しく教えてもらおうか。」
「こっち来ないでくださいよ、怖いですよ…‥。」
梨音先輩のツッコミに、不思議そうな顔をして返す先輩。
「はぁ!?」
「何だよ、悪いか?」
そのまま言い合いを始める2人。
「なんだかんだ、中野梨音くんとは話せるんだな。その代わり……不機嫌だな、彼が。」
「彼、ですか?」
私が質問すると、孤色先輩は顎で「彼」「示す。
チョコバナナを食べ終わって機嫌が良さそうな孤色先輩とは反対に、機嫌がとても悪そうな、むすっとした顔で佇む宝川先輩がいる。
「あーっ、そういうことっすか。」
「ヤキモチってことね!」
「ちょっと、朱鳥さん!声がその、大きいです……。」
「しまった!」
朱鳥ちゃんがゆっくり顔を宝川先輩の方に向ける。
「おう、アスカ。俺とお話したいか?」
目が笑ってない。怖すぎる。
「遠慮しておきます!あ、ラムネ美味しかったです、ありがとうございます!宝川先輩はとってもイケてる先輩ですよ!」
「ありがとな。はは。」
やはり目が笑っていない。
「梨音と同じクラスの僕からしたら、迷惑すぎるね。宝川に色々訊かれる回数が増えそう。」
「友達だろ、俺ら。」
「しょうがない、頑張って早く成就させるんだぞ。」
そのままこそこそ、屋台の陰で恋愛相談会をスタートさせてしまった。
「あーあー、そこ。昼ドラはよそでやれ。」
部長に一喝されて、しぶしぶ戻ってくる。
「だってさ、宝川。昼ドラねぇ。ふふ、ははは。」
「また学校で相談に乗ってくれよ。おい、聞いてるのか?」
昼ドラ発言にくすくすと笑い続ける美月先輩。そんなに面白かったのか。
「怖いっすね。俺も恋をしたらあんな感じでからかわれるのか……ひえー、恋愛する気になりませんよ。」
しばらく歩く。着いた屋台は、射的。
「なかなか似合うんじゃない?」
くるりと銃を持ってターンする。
「はいはい。分かったからやるんだよ、部長。」
「つまんないわね、鳥塚。……うーん、お菓子狙おうっと。」
先輩は一気に真剣な眼差しになり、景品たちを見つめる。
部長は息を浅く吸う、次の瞬間には、もうお菓子の箱は乾いた音を立ててビニールシートの上に落ちていた。
「お嬢ちゃん上手いね、はいどうぞ。」
「チョコ菓子、ゲットー!」
「俺も取れたぜ、ビスケット。」
駄菓子を手に持ち、はしゃぐ部長と鳥塚先輩。
「いいなー、俺1つも取れなかったんだけど。」
「僕もだな。出来ることなら分けてくれ。」
「いいぞ。」
袋を開ける。そして親鳥がヒナにご飯を与えるように、鳥塚先輩は孤色先輩の口にビスケットを放り込んだ。
「いいなー、いいなー、俺も食べたいなー。」
「宝川にはやらないわよ。あ、1年ズ食べる?」
「チョコレートがサクサク菓子にしみ込んでるやつ、美味しいんですよね。」
手渡された菓子を噛む。甘く、濃厚な味が広がる。至福のひととき。
「おれはいいっす。先輩、どうぞ。」
蛍くんの分のお菓子を頬張る先輩。
「はーっ、どっかの部長と違って優しいねぇ。」
「あら、連行されたくて?」
「遠慮しておきます。」
「じゃあ、先輩らしいところは別のゲームで見せればいいんじゃないか?|僕《やつがれ》、あれやりたいんだが。」
指さしたのは、ヨーヨーすくい。
「よし、行くぞホタル!俺もカッコいいところを見せるんだ!」
「……ダメだった。」
「難しいからしょうがないっすよ、お祭りのゲーム。」
隅っこでうずくまる宝川先輩。その肩を優しく叩く蛍くん。
「僕でも2個取れたのにか?」
両手のヨーヨーを掲げる美月先輩。
「宝川悠くんは、きっとゲームが壊滅的に下手なんだ。」
「あいつ、妙なところで運がないからねぇ。」
梨音先輩の一言に頷く部員たち。
「なんでそういう時だけ息ピッタリなんだ……。」
「部活での先輩、十分カッコいいですよ!」
「アオハラ、ありがとう。アイツ、余計なことを言いやがって。」
でも、と言って宝川先輩は息を吸う。
「そういうところが、俺は」
その時だった。
辺りが眩しくなって、少し遅れて大きな爆発音がした。
「たーまやー!」
「言っちゃった。」
「宝川先輩、たぶん聞こえてませんよ。」
「え?」
宝川先輩がしたであろう、意中の相手をときめかせるための一言は花火にかき消されてしまったようだった。
「無邪気に花火、見てるみたいですね。」
「そうみたいだね。」
伊勢谷くんと私の会話を聞いて、さらに落ち込む先輩。
「嘘だろ、俺の勇気返せよ……。」
「何落ち込んでるのよ、綺麗よ!花火!」
こうしている間にも、どんどん花火は打ち上げられる。梨音先輩は両手を広げて、楽しそうにそれらを見ている。
「……そうだな。綺麗だな、あの馬鹿花火ー!」
「とうとうおかしくなったんじゃない、宝川。」
「|僕《やつがれ》も梨音の意見に同感だな。」
宝川先輩の叫び声は、夜空を彩るものたちに虚しく吸い込まれていった。
「もうそろそろ帰らないと、寝るのが遅くなっちゃうから!またね!」
「おれも。明日から宿題やらなきゃいけないのか、はぁ。伊勢谷も頑張れよ。」
「あの、俺もう終わったんです、夏休みの宿題……。」
「処理速度速すぎでしょ!」
花火にも負けず劣らず、輝くような笑顔でそういった朱鳥ちゃん。それに続く伊勢谷くんと蛍くん。走り去っていく姿は小さくなる。
「お開きにしますか。」
ワンテンポ遅れて、部員たちはカバンを背負いなおすなり、帰りの支度を始める。
「そうだな!ちなみに天。宝川、どうしたんだ?あんなに暗い顔して。」
「君、一部始終を見ていなかったのか……。」
「そってしておいてあげなよ。傷心なんだよ、彼。」
「雨宮美月くんの言う通りだ。」
「そうなのか?」
3人の先輩に続いて、梨音先輩や部長、今垣先輩、そしてようやく宝川先輩も立ち上がる。
「帰るわよ、宝川。……次は上手くいくわよ、きっと。」
「部長のその言葉、信用できないんですけど。」
「うるさいわね、成功するったら成功するの!」
きっとあれも、彼女なりの慰めなのだろう。
「……誰も、いなくなっちゃった。」
お客さんもだんだんと帰っていき、部員たちもいなくなった。このあたりには私1人だけだ。
「私も早く帰らないと。」
つぶやいても、返してくれる人はいない。少し涼しくなった風が、私の隣を掠めていくだけだった。
すっかり私は演劇部メンバーがいないとダメみたいだ。
しばらく後の部活が、より待ち遠しくなった。
部誌22:言えない
視点は天音ちゃんじゃありません。かと言ってうちの子ズでもありません。
初めてやりますね、参加してくれた子の視点。新鮮。
最近文字数がインフレしてました。このくらいがいいかもしれませんね。
今日も学校があった。
そして、部活があった。
「部活」があるからこそ、今の俺の出席率が保たれているんだろう。
部活が強制じゃなかったらもっと……テストだけ来るとか、出席日数ギリギリを突いて休みまくる、とかしただろうな。最初は面倒臭いルールだと思っていたが、今では少し感謝していたりもする。
「ただいま。」
当たり前のように帰ってこない返事。
当たり前のように暗い部屋。
今日もバイト先のコンビニでもらってきた弁当を腹に入れる。
コンビニ弁当には慣れてる。
母さんの仕事はほぼ毎日ある。それも、夜遅くまで。
体調崩してないだろうか。
何か、トラブルに巻き込まれていないだろうか。
俺から確認する術はない。
「エナドリ飲むか。」
今は夏休み。深夜までバイト漬け……のはずだったが、部活があるらしいのでお昼から向かうことにした。
「あれ、これ母さんから俺に?母さん宛の手紙じゃないんだ。」
茶封筒が机に、ポツンと置いてあった。てっきり母さん宛の手紙だと思っていたが、俺の名前が封筒には刻まれている。母さんの字だった。
「今週のお金か。もらってなかったっけ、そういえば。」
封を開ける。やはり中身はお金だった。
福沢諭吉、もとい渋沢栄一がニッコリとこちらを見ているような気がした。
……もう一枚入っていた。お金ではないものが。
手紙だった。
ある文を目にした途端、ばくばくと心臓が叫び出したのが分かった。
『最近、入金される額が少ないのですが、体調を崩しましたか?何かあればお母さんに言ってください。』
「う。」
入ってくるお金が少ないのは、バイト時間を最近減らして部活に回しているせいに違いない。
「この前も、夏祭りでちょっと使っちゃったからなぁ。」
誘惑に負けて買ってしまった、フードたち。
ぼわぼわと膨らんでいく罪悪感。
元々、先生の目をかいくぐってバイトをするために「演劇部」という隠れ蓑を使おうと思っていたのに。
「……やっぱり部活に行く回数、減らさなきゃな。」
……俺の本音。分かってる。
分かってるけど、今の生活が壊れるのが怖い。
母さんに落胆されるんじゃないか、とか。一時期の怖い母さんに戻るんじゃないか、とか。いろいろなことをどうしても考えてしまう。
結局、変えられないし言えない。明日からもまた働くんだ。
それが俺。伊勢谷慶。臆病で陰気なやつ。
---
「あ、アレって蛍じゃね?」
「蛍って、アイツ?」
「そうそう、桑垣蛍。演劇クラブに俺らと一緒に入ってただろ。」
性格が悪そうな声が聞こえて、おれの頭は少し痛くなった。
性格が悪そう、というのはおれの偏見かもしれないけど。少なくとも、今のおれは話しかけられたくないし気まずい。
あいつらは覚えてないかもしれないけど、おれはずっと覚えてるんだよ。
「めんどくさい。」
やっぱり話したくない。
少しうつむいて気づかないフリをする。
「おい、蛍。」
意味はなかったようだ。
「……うん、久しぶり。」
仕方ないので、返事をすることにした。
その後の会話は、思い出したくない。
おれの反応も、思い出したくない。
---
「あーあ。どうして俺って。」
「おれって。」
「言いたいこと、言えないんだろう。」
部誌23:部室の異変
大会が終わり、お盆休みも終わった8月のある日。私はまた学校へと歩を進めていた。
今日からまた部活。秋の文化祭公演に向けての練習が始まる。
久しぶりに入った部室には、先客がいた。
「おはようございます、宝川先輩、蛍くん。」
「うん、おはよう。アマネ。」
何やら紙の束に書き込みをしているようだ。
私が覗き込むと、慌てて蛍くんは紙の束を私が見えないところに持って行った。宝川先輩もそれを追いかけて別のテーブルに移る。
「ダメっすよ、まだ完成してないんす。それまでは秘密。」
「蛍くんだけ、見られるってこと?ズルくない?」
「まあまあ。まだ没になる可能性もあるんだぞ!」
そのまま2人は別のテーブルでこそこそ話しながら作業を進める。
しょうがないので少し離れたテーブルに私も座って、お絵描きをすることにした。部活の時間にするのは久しぶりだった。
劇中での美月先輩と朱鳥ちゃんを描きながら考える。
結局、私は役者をやりたいのか。
あの時感じたキラキラは確かに本物だった。でも、だからといって、この性格がそういうことができる方向になったわけではないし。それに、私は過去に……。
それ以上考えようとしたところで、頭がキーンと痛くなった。いつかの私が感じた痛みだった。
まるで、思い出すことを拒んでいるみたいだった。
「思い出さない方が絶対にいい。それがきっとあなたのためになる。」
振り向いても、桑垣くんと宝川先輩しかいなかった。おかしい。確かに声が聞こえたのに。しかも、あの声は私の声だった。
……脳が、疲れているのだろう。そう結論づけた。
大人しく諦めて、紙とペンと描こうとしているものに集中する。
「新鮮っすね、こういうの。」
「そうか?」
エアコンをかけていないけれど、吹き込んでくる風のお陰で部室内はほどよく涼しかった。
蝉の声がよく聞こえる。
「いつも騒がしいじゃないですか、うちって。」
演劇に関係あることでもないことでも、とにかく話していた。賑やかであって、決してうるさくはない。
「去年の冬とか、俺と部長しかいなかったんだぞ。俺もよく補修……えーっと、用事があったから来られないことも多かった。だからアイツ1人でここにいたことも、あったんだよな。」
「先輩?」
「2人して睨むなよ。あとホタル、お前は補修になったことあるだろ。」
「先輩よりは多くないっす。再試になっても再々試にはなりません!」
「いやいや、お前この前レポート提出になってただろ!」
「宝川先輩だって、あの時に……。」
「五十歩百歩よ、2人とも。」
ようやく部長がやってきた。
「全く、再試で練習に来られないとかやめてよね。もしそうなったら許さないわよ。」
「はいはい。」
「やる気ないでしょ、宝川。」
「そうだそうだ。」
宝川先輩を小突きに続々と入ってくる先輩たち。そして朱鳥ちゃん、今垣先輩。
「お、おう。こんなに一気に来るものなのか?」
「さあ?たまたまタイミングが合っただけなんじゃないでしょうか。」
「ずっとおれたちの会話、聞いてたとか。」
「流石にそれはないだろ。……そう信じたい。」
これで合計10人。
1人足りなかった。
「伊勢谷くん、来るって言ってたんだけど。どうしたんだろう?何か知ってる?」
蛍くんも朱鳥ちゃんも分からないらしい。
まあ、それはそうか。彼がこっそりバイトしているのを知っているのは、私だけなのだから。
バイト関連で何かあったのだろうか。
「伊勢谷は休みってことにして、部活を始めますか。」
空いている椅子に続々と座っていく。ホワイトボードを部長は引っ張ってくると、赤いマーカーで文字をでかでかと書き込んだ。
「次は文化祭公演。うちの学校の生徒が一番見にくる公演で……。」
ドタバタという足音でその後の言葉が聞こえなくなる。
「全く、何よこの足音。」
いらついた様子で扉の外を見に行こうとする部長。
「この棟を使ってるのはうちの部だけなのに、どういうことだ?」
孤色先輩の言う通りだった。うちの部しかいないはずのこの棟で、なぜうるさい足音がするのだろうか。
「見に行くよ、あたし。」
「じゃあおれも。」
「じゃあ……私も。」
部長や朱鳥ちゃん、蛍くんに続いて扉の外を覗き込んだ。そして見た。その人たちを。
部誌24:宣戦布告
結局ちょっとだけ文章を追加してしまった。
追記:部誌24でした。教えてくれた方、ありがとうございます!気づかなかった。
相手の部活名は出さないでおきます。分かりにくいかもしれませんが、同じ部活に入っている読者の方がいたらちょっと申し訳ないので……。
立っていたのは見知らぬ生徒たちだった。
後ろに、なんとなく見たことがある顔がちらほら。同じ1年生だろうか。
ジャージに、蛍光色のハチマキを身につけている。どうやらここで走っていたようだ。
「何の用なのよ。ヤジを飛ばしに来たわけ?」
梨音先輩に睨まれても、リーダーらしき男子生徒は冷笑するのをやめない。
「別に、お前らに用はねえよ。用があるのは、ここ。」
「……ここ?」
「そう。この別棟だよ。」
わざわざただのいち部員である私の独り言にも、その人は反応してくれた。
「知ってるか?もうすぐ何があるか。」
「えーっと、中間テスト!」
朱鳥ちゃんが最初に思い当たったであろう行事ではなさそうだ。
中間テストだから、といって。別棟にまで来て何をするのだ。
「違うわ!学校行事だよ。秋にある、お楽しみの行事だ。」
「まさか……文化祭!」
「またハズレだな。」
宝川先輩もハズレ。
中間テストも文化祭も違う、となると。残ったのはあの行事しかない。
うちの学校では秋に行い、他校では春に行うところもある、あの行事。
人によってお楽しみかどうかは分かれる行事。
「体育祭だな?部員くんよ。」
「そこのメガネくんの言う通りだぜ。ここの廊下、無駄に長いだろ?走るのにちょうど良くてな。」
「メガネく……孤色だ!失礼な奴だな。同じクラスじゃないか。」
確かに別棟の廊下は長い。異常に長い。どうしてここまで長くしたというくらい長い。
「長いからどうした!走るのなら外でやればいいだろう。|僕《やつがれ》の部活の邪魔をするな。せっかく再入部出来たのに。」
今垣先輩が私の言いたいことを全て代弁してくれた。
「お前らなんて眼中にないから。」
「なんだと!」
「ちょっと、抑えとけよ。」
「うるさい!」
今垣先輩と東先輩が隅で喧嘩に発展しそうになるのを尻目に、話しかけてきた人の奥に隠れていた別の生徒が私たちに説明する。
「グラウンドは応援団に占領されてるし、外周だって陸上部のナワバリだろ。」
「いや、だからここだって僕たちの部室だし……言うなればナワバリな訳だし……意味分からないんだけど、そっちの言い分。」
「部活動リレーに俺たち、賭けないと終わるんだよ!」
ピリピリした空気が、後ろの方で様子を見ている私たち一年生の元まで進出してくる。
「部活動リレーがあるのは知ってたけどさ、『賭けないと終わる』ってどういうことなんだろうね?」
「おれも体育祭実行委員に入ってる訳じゃないし、全然分からない。」
「特に先生から体育祭について説明があったわけじゃないもの。知らなくったってしょうがないでしょ、あたしたち。」
今まで黙っていた部長がようやく口を開く。
「……なんとなく分かったわよ、そっちの事情。だからといって、私もここは譲れないな。可愛い部員たちを、この部室を守らなきゃいけないんでね。部長として。」
「おおっ、かっこいい!」
朱鳥ちゃんの方を見てにこりと笑うと、部長はまた向こうの部長らしき人物に向き直る。
「俺らだって俺らの部活を守らなきゃいけないんでね。多少、グレーゾーンでも許してくれない?」
こちらは何も知らないので何が起きているのかはよく分からない。
確実なのは、私たち演劇部にとって嬉しくないことをされそうになっている、という状況。
「大会が……大会に、絶対出なきゃいけないんだ。先輩のために。」
「お前ら、先輩いないだろ?あんなことがあったって風の噂で聞いてる。大変だよなぁ、演劇部も。」
「それは!」
「やめとけ!……1年生の、何も知らないアズマとイマガキの前なんだから。」
腹が立つ。
先輩たちを侮辱したのであろうこの人たちに、とにかく腹が立つ。
「逃げたアイツもいるじゃん。結局演劇部、演劇クラブに戻ってくるんだね。」
「この前俺と話したとき、すごくビビってたけど、そういうことだったのか。新しいお仲間に過去のことを知られたくないってか?」
「なあ、蛍さんよ。」
「……ほたる、さん?」
また新しい情報が流れ込んでくる。蛍くんが、もともと演劇部?クラブ?にいたようで、「逃げた」らしくて、新しいお仲間に過去を知られたくな……。
当の蛍くんは視線が四方八方に向いている。私と目が合った瞬間、彼は大きく目を見開いて、それからギュッと目を瞑る。
うん。やっぱり、腹が立つ。
「それさあ、その言葉さあ。部長である私にもグサって刺さるんだけど……それ以上に、うちの後輩のこといじめないで欲しいんだけど。」
顔は笑っているのに、目が笑っていなかった。
「だから抑えろよ。その、顧問!顧問を頼ろう!ワカクサ先生に頼めばなんとかしてく」
「そういう問題じゃないの。これはきっと、私たちで、生徒でケリをつけるべきなの。……私も、いつか向き合わなきゃいけないの。」
先ほど蛍くんに心無い言葉を浴びせたその人に向かって、部長は堂々と宣言した。
「10月にある、体育祭!そこで私たち演劇部が、部活動リレーで一定の成績を残したとしたら!あんたたち、蛍に土下座しなさい。」
「あーあ、言っちゃったよ。」
「悪い気はしないけどね、僕は。宝川もそうなんでしょ?」
「まあ、それはそうだけど。」
……我々演劇部が、文化部が、明らかに運動部であるこの人たちと部活動リレーで戦う!?
「文化祭で公演やるんだろ!?部活動リレーの練習とかどうするんだ!」
「大丈夫大丈夫。うちの部にはこの超俊足・宝川くんがいますからね!」
「しょうがないな。」
「そんなに足速かったんですか、宝川先輩!?」
「宝川悠くんの50m自己ベストは6秒4だからね。」
運動部並みに足が速かったなんて、知らなかった。そんな特技があったのか。
……万年10秒台の私は一体どうすればいいんだ。期待されても応援するくらいしか出来ない。
「リレーだからな!俺ばっかり頼るなよ!?」
「みんなで頑張れば出来るわよ、きっと。」
「そうですかね。」
「部長と宝川のタイムが頭1つ飛び出てるだけだってば。まるでゴリラ……。」
「でも、遅くはないわよ!出来る出来る!あと、ゴリラ呼ばわりはやめなさいよ梨音。」
流れで宣言してしまったわけだが、本当に大丈夫なのだろうか……?
「そういうことだから、君たちは帰ろうね。他のところ探して練習しな。私の言うことはつまり、演劇部部長の言うことだよ。」
「部員元2名部活の部長さんの言うことですか、はいはい。これで散々な結果だったら面白いんだけどな。」
最後まで私たちを馬鹿にしたような態度だった。
取り巻きを引き連れて帰っていく。
帰ってくれたので、一応部室の平穏は保たれた。
おそらく、1人を除いて。
「……。」
さっきから黙ったまま、俯いて座り込んでいる蛍くんの元に駆け寄る。
いつのまにか後退していた。
無言で、宝川先輩が肩を叩く。
「気にするなよ、あんな奴らの言葉。」
それでも顔を上げない蛍くんに、どうすればいいのか分からなくなったようで、ぽりぽりと宝川先輩は頭を掻く。
「気の利いたこと、言ってあげられなくてごめん。」
「いや、蛍にとってはあんたがそばにいてあげるのが一番いいと思うわよ。」
「そうか?」
僅かだが、蛍くんの頭が上下した。
「ごめんな、本当に。その……俺たちだけで奴らに会うべきだったか。」
ようやく息を吐き出すことができた私は、水分補給をするためにその場を離れた。
喉がとにかく渇いた。何十分も全力で疾走した気分だった。
「……伊勢谷くんになんて言えばいいんだろう、これ。」
部活動リレーになぜこんなに躍起になっているのかは次回明かされるはずです。
部誌25:3時間後に意外な結末
「来てもよかったのだろうか。」
夏休みが終わってからあまり経っていないある休日のスーパーマーケット。買い物カゴを片手に、私はお惣菜を見ているふりをする。
本当に見ているのは、パン売り場。
……にいる、少年。
「声かけていいのかな、迷惑だよね絶対。」
前にもレジで鉢合わせたことがあったが、あれはあくまでたまたま出会っただけである。自分から意図して来たわけではなかった。
「でも、声かけなきゃ部活動リレーがまずいことになるんだよね。」
昨日部長が言っていたことを思い出す。
「……だから、この方法やめない!?」
「いや、こちらの方が効率的だな。」
「気が散るんだよ、目の前で走られるとさ。」
「目の前ではない。窓の外だぞ雨宮美月くん。」
部室の中では秋の公演に向けての練習。外ではリレーに向けての練習をしている。
美月先輩の言い分も分かる。私もつい、窓の外が気になって覗いてしまう。
「はい、お疲れ様。暑いから、水分補給をこまめにね。」
部長が座り込む朱鳥ちゃんの頬によく冷えた飲料水を当てた。それを受け取り、一気に朱鳥ちゃんは飲み干す。
「ぷはーっ、生き返りますね!」
「水美味しい。」
「スポドリが美味しい季節っす。」
蛇口から水を追加してきた宝川先輩も同意する。日陰で市販のスポーツドリンク片手に休んでいた蛍くんも、一口それを飲んでは微笑んだ。
コーナーの練習をするため、別棟の直線廊下ではなく小さな外の空きスペースで朱鳥ちゃんたちは走っていた。窮屈そうだ。しかし、場所を変えることはできない。グラウンドは大体運動部が占領している。だから居場所争いに負けたあの部がこちらまでやってきたのだ。
「はい、よそ見しないよ!」
いきなり目の前が暗くなる。うすだいだいの何かで覆われた。
「ほらね。天音も集中できてない。だからこの方法はやめた方がいい。やるならどちらかに絞るんだ。」
それは手だった。どけてみると、太陽みたいに笑う梨音先輩がすぐそばにいる。
「大道具も衣装も作り途中でしょ?大道具は今回は中に照明を入れたいし、衣装も作るのに時間がかかりそうだし、みんなで頑張らないと。」
「すみません。」
カラフルな洋服たちに手直しを施して、今回の公演ではかなり重要な大道具を仕上げて……やることはまだまだたくさんあるのだった。
「|僕《やつがれ》の手はもう働けないからな。針でさっき刺した。痛い。」
「嘘つけ。まだやれるでしょ。」
ちまちまと布を縫いながら、私は以前から気になっていたことを訊いた。
「部活動リレーって、そんなに重要なんですかね?確かに勝った部活はイメージアップできますけど。」
「美也ちゃん知らないのね。うちも優勝したいとは言わないけど、予選勝利くらいはしたいわ。」
にやりと笑った梨音先輩。どうやら、イメージアップ以外のメリットがあるようだ。
「教えてあげるわ。実はね、部活動リレーで予選を突破したところには」
「臨時の部費が与えられるんだぞ!」
「ちょっと東、あたしのセリフ持っていかないでよ。」
臨時の部費、か。確かに、人数が少ない部活は自然と部費不足になるし、予選突破ぐらいはしたくなる。
あそこの部活も、練習用の道具が買えなくなったりしたのだろうか。
「臨時の部費が入ったら、|僕《やつがれ》たちもこんなことをしなくても済むってことだな。」
今垣先輩は衣装を持ち上げた。確かにネットショッピングで買った方がクオリティが高く楽だ。
「だからといってこの仕事がなくなるというわけではないからな。サボるんじゃないぞ今垣緒李くん。」
「やります、やりますからそんな怖い目で見ないでくれ!」
私はこっそり後ずさった。本人にバレていないといいが、睨まれたような?
意を決してパンコーナーに侵入。食パン、アンパン、カレーパンなどが並ぶ棚から、菓子パンを1つ取る。悩んでいるふりをする。
……やっぱりダメだ、いろいろ余計なことを考えてしまって声をかけられない。でも、バイトのことを知っているのは私だけなのだ。他の部員たちにバレてはいけないし、部活でその話をしようとしてもそもそも彼が最近部活に来ないのでできない。
よし、行くぞ天音美也!伊勢谷くんに走ってもらうために!
「あの……こんにちは。」
「アッ……こんにちは。」
声をかけても会話が続かないのだった。
「ちょっと部活のことで話したいことがあるんだけど、いい?」
「あー、はい。その、あと3時間ぐらいしたらバイト終わるんで、その時にまた来てくれれば……。」
逃げるようにパンコーナーから飛び出した。部活動リレーの話をできていないので、肝心なのはここからなのだが。
今から3時間後。一度自宅に戻って一息つこう。
半透明のトレイに乗った菓子パンをレジまで運び、お財布を取り出した。
「え、俺この後どうなるんだろう……まさか退部しろとか、退部届け書けとか言われたりする!?そんなことない!?バイト辞めろとか言われる!?天音さんにそういうこと言われたりする!?やっぱりバックれ……るのは無理か。」
内心それはもう焦っている伊勢谷なのであった。
キリが悪い!そしてタイトルが思いつかない……相変わらずですね。
金曜日は!夜更かし!できない!!
部誌26:正直に
気づいたら3週間くらい間が空いていて驚き。
お待たせしました。
もうすぐ忙しい期間は終わるので、投稿頻度も戻るはず。
「お待たせ、しました……あの、ホントにすみません。切腹すればいいんですかね、俺。」
待ち合わせの時間から約5分後。スーパーを出てすぐのベンチに、伊勢谷くんが青白い顔でやってきた。
「いやいや、たった5分だよ!?」
「されど5分ですよ。」
そのまま顔を伏せて、言語化できない呟きを漏らす。
「えっと、本題入っていいかな?」
「すみません天音さん。覚悟はできてるのでビシッと言ってください。そしたら俺、未練断ち切れる気がするんで。」
「……どういうこと?」
「今までありがとうございました。こんなやつでも夢を見られて幸せでした。夏祭り楽しかったです。最高だった。」
「うん?」
なんだか話が噛み合わない。何か勘違いをしているようだった。私がリレーについて話すのが遅れたせいなのだろうか。
「そうだね。しっかり言っておかないと。伊勢谷くん。部活動リレー、出てくれませんか!」
「本当に本当にありがとうございましたっ!……え?」
勢いよく頭を下げた彼は、気の抜けた声を数秒後にあげる。エコバッグが伊勢谷くんの手から解放され、パン屋さんの多種多様なパンが地面に転がった。
「落ちたよ、エコバッグ。」
「明日と明後日と明々後日の朝昼夕食のパンが!」
「3日間パンだけで過ごすつもりだったんだ。」
「食費節約のためです。カップラーメンもたまに仲間入りするので大丈夫ですよ。エナドリもあります。」
当たり前だ、と顔に書かれているようだった。
「そういう問題じゃないんだけどね……。それで、部活動リレーには出てくれたりする?」
「……俺のこと、部員って認めてくれるんですか?」
先ほどまでけろっとした顔でパンをエコバッグの中に入れ直していたが、話を戻した途端に声のトーンが下がった。
「部活、累計何日出てないと思います?」
その意味を理解するのに数秒、答えを出すのに数秒、また質問の意味が分からなくなって数秒。痺れを切らしたように、伊勢谷くんが続けた。
「今日で30日になります。5月中旬から部活を初めて、9月になるまでに。丸一ヶ月、出てない計算になるんですよ。」
硬いベンチに座り直して、自嘲気味に彼は続けた。
「ただのお荷物ってことです。だったらスパッと来なくなったほうがいいのかな、って考えているうちに、足が向かなくなりました。元々、親にも演劇部にいること言えてなくて。ま、俺があんなに楽しいところにいるの、おかしかったんですよ。場違いってやつ。」
いつもからは考えられないほど饒舌になる。ふいに口を閉じて、彼は頭を下げた。
「すみません、気持ち悪い自分語りしちゃって。完璧に幽霊部員になった方が、きっと部にとってもいいはずです。というか、俺はしなきゃいけないんです。」
「それは……それは、違うよ。しなきゃいけないとか、そういうことじゃなくて。」
およそ一ヶ月前、映写室で上から見守ったアイドルの演劇。
「伊勢谷くんは、あの演劇を見て何を思ったの?」
私も感化されて、滑らかに舌が動くようになっていく。まとまらない思考を無理やり束ねないと。
束ねて、今言わないと。
9月の熱くなくなった風が私の頬を撫でる。オーバーヒートしかけた脳を冷やしてくれる。
「やりたいこととか。夢、は壮大すぎるかもしれないけど。誰にでもあるでしょ。貫き通していいんだって、私に教えてくれたような気がするんだよ。」
自分が薄々思っていることを、白状する。目を閉じないで、体を横に向けないで、声を震わせないで。バクバクうるさく喚き出す心臓を何とか抑え込んだ。
「気になってるの。役者さん。」
伊勢谷くんは表情筋を一気に緩ませる。
「雨宮先輩たちを見る目、輝いてましたもんね。」
困惑されるかもしれないと身構えていたが、反応がそうではなくてほっとする。
「私は正直になりたい。役者になるかは分からないけど、その世界を覗いてみたい。」
伊勢谷くんに投げかけたかったはずの言葉はどこかに飛んでいってしまって、私1人の宣言になってしまった。
だから、1番大事なことを口に出して伝える。
「だから、正直になってほしい。伊勢谷くんにも、蛍くんにも。」
「桑垣さんに、何かあったんですか?」
「そ、それはその、部室に侵入してきて!知り合いらしくて!えっと、先輩たちが、その、追い返して、宣戦布告を……部活動リレーで勝って、それから……。」
まとまりかけていた単語たちが、ジグソーパズルをひっくり返すようにバラバラに戻っていく。
「勝てばいいってことですか?部活動リレー、で。」
部活動リレーが何か、伊勢谷くんは過去の私のようにあまりピンと来ていないようだったが、その表情は暗くなかった。
「そうなの!それで、伊勢谷くん、走るの得意だったりしないかなって!」
「得意も何も、俺は……今はいいか。」
何か小さな声で呟いた後に、エコバッグを一度ベンチに置いて、伊勢谷くんは私の方に向き直る。
「部員のために、何かしたいって気持ちに正直になってみます。俺が結局どうするかは、後回しになりますけど。」
晴れ切ってはいないものの、声色は明るくなった。
「逃げたわけじゃないっていうのが、俺の言い訳です。」
その体に彼自身の意志が宿り始めているのを、私は見た。
「俺でもいいなら走ります。いや、走らせてください!」
「伝えに行こう。明日、先輩たちに。」
「はい!」
体育祭はそう遠くない。
演劇自体の準備もあるから、たくさんリレーに時間を割くことはできない。
それでも、彼らならやってくれる。
小学校のころは少し憂鬱だった体育祭。今年は、そうはならないんだろう。
追記 ファンアートのご紹介
ノゥ。様がファンアートを描いてくださりました。素敵なイラスト、本当にありがとうございます!伊勢谷くんがイラストに!!
https://firealpaca.com/get/3OuFKG1x
https://d.kuku.lu/3tnxtsw3z
次回、ようやく部員が走ります。
風になれ部員たち。私の執筆速度も風のように速くなって欲しいものです。
部誌27:走れエンゲキブ
大変長らくお待たせしました。
ようやく走ります。
最近どんどん遅筆になってきて困る。
エンゲキブは激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の部活に勝たなければならぬと決意した。
---
その日は、清々しく晴れていた。
夏から秋に完全に移り変わり、空の色は少し柔らかくなっている。少し肌寒くはあるが体育祭日和と言えるだろう。
この学校の体育祭は10月、文化祭の少し前に行われる。学園祭をまとめて行うのだ。
「美也ちゃん美也ちゃん、ハチマキズレてるから直すよー。ついでに猫耳にしてあげようか?あ、リボンみたいにする?」
クラスの女子たちがお互いにハチマキをいじっていた。より可愛く結ぼうと躍起になっている。
「遠慮しておきます……。」
自分でハチマキを締め直し、気合いも入れ直す。
「次は、中学1年生のクラス対抗綱引きです。選手は速やかに各色ゲートに集まってください。」
「次出なきゃだった!行ってきまーす!蛍にも負けないように頑張るよ!」
「行ってらっしゃい。」
蛍くんも出るようで、私達とは別の色のゲートに向かっている。
どこか、上の空だった。
「はたから見れば、私もそうなんだろうけどね。」
部活動対抗リレーはまだだ。お昼ご飯を食べてからなのだ。
現在時刻は11次50分。ちょうどこの種目が終わったらお昼ご飯である。
「伊勢谷くん。」
テントの隅っこ、握り拳を作って伊勢谷くんはグラウンドの方を見つめている。
焦点は合っていない。朱鳥ちゃんにも蛍くんには向いていない。
「……伊勢谷、くん?」
少々、タイムラグがあった。あったけれど、反応してくれた。
「天音さん。お疲れ様です。」
同じクラスなので会話するタイミングがあったが、今日はまだ話しかけられていなかった。
ジャージへの着替え、グラウンドへの移動、セッティング。やることが多かったというのもあるが、どんな顔で、どんな話をすればいいのか分からなかったというのが一番大きいだろう。
「伊勢谷くんも、種目お疲れ様。」
「結局4クラス中3位っていう微妙すぎる順位でしたけどね。俺が足引っ張ったから。」
「そんなことないよ、あれは個人戦じゃないし!伊勢谷くん、すごく頑張ってたでしょ?」
「俺の頑張りを見てくれる人なんていませんよ。」
「いるでしょ!ここに!」
「いや、本当に見てほしくない人はここに……。」
ゆっくり頭を垂れたかと思いきや、ゼンマイ人形のように跳ね起きて弁解を始める。
「あ、いや!天音さんたちに頑張りを見てもらいたくないとか、そういうことじゃないっていうか!」
「お母さんのこと?」
「……はい。」
言葉がじっくり選ばれてこぼされていく。
「一応、言ってはみたんですよ。体育祭、俺リレーとか出るから来てくださいって。華々しいクラス対抗リレーじゃありませんけど。走るは走るので、嘘はついてません。」
グラウンドの真ん中、何もないところをまた見つめる。しかし、そこ自体を見つめているのではなくて、伊勢谷くんはお母さんの顔を思い浮かべているのだろう。
「行けたら行くって。1ミリぐらい期待してたらこのザマですよ。だから信じられないんですよ、『行けたら行く』は!痛っ、小指が!」
勢いよく立ち上がったので、伊勢谷くんはそれはもう盛大に足の小指をぶつけて、飛び上がった。ギャグ漫画みたいに。
「大丈夫!?この後リレーなのに!」
「……大丈夫です。もう痛くありません。」
明らかに表情を押し殺していた。
「無理しなくていいんだから、ね?いざとなったら朱鳥ちゃんが走るし。」
絶対に負かしてやる!と息巻く朱鳥ちゃんの顔が脳裏に鮮明に描き出される。
「頭、冷えました。」
ついていた膝を伸ばして、席に座り直して。
何もないところから、蛍くんの方へと視線を向ける。
必死に、必死にロープを引っ張って、目の前にある勝利を手繰り寄せようとする蛍くんの姿へと。
「来ないものは来ないんです。俺にはどうしようもない。だから、今はどうにかできる方に全力を尽くします。桑垣さんは、『俺の時』とは違って、まだどうにかできるんだから。」
「部員みんなで応援してるよ。まだどうにかできる、から。」
どうにかできるうちに、後悔しないように。
私たちにやれることを、やるだけだ!
「うん、ここからならよく見えそうだね。ベストポジションだ。」
水筒片手に、ゲートに向かっている勇敢な部員たちを見つめていた美月先輩が呟いた。
迎えに来てくれた梨音先輩と一緒に集合場所に行くと、そこにはすでに私たち以外のリレーに出ない部員が揃っていた。
「それにしてもえげつないメンバーね。過剰戦力じゃない?あたしはそう思うけど。」
「あいつら、足が異常に速いからなー。絶対柿崎も宝川も俺と天より速いぞ。」
「伊勢谷慶くんも侮ってはいけないな。練習風景を見ている限りだと、柿崎麗奈くんにも宝川悠くんにも引けを取らない速さだった。それこそ、元々運動部にいたのかというくらいな。」
「ちゃんとあの部活とも当たるように出来てるの、すごいよね。そうだそうだ、観戦用の蜂蜜飴ね!」
観戦用でなくても蜂蜜飴を持ってきているような。ジャージのポケットからマジックのように吐き出される蜂蜜飴、そのうちひとつをありがたく受け取る。バレないように口に放り込む。
「結局当たれるのかどうか不安だったんだけど。偶然に感謝だ。」
「偶然じゃないだろう、確か柿崎って体育祭実行委員だったからな。|僕《やつがれ》の前で悪どい笑みを浮かべながら委員会に向かってたぞ。」
「柿崎麗奈くんの職権濫用じゃないか……。」
「まあまあ、終わりよければ全て良しだろ!」
「鳥塚、まだ始まってすらいないからな。」
そう言って、孤色先輩はグラウンドに向き直った。口元に指を持っていくが、タバコが今はないことに気づいて気まずそうに手を下ろす。
「選手入場。選手入場です。」
「おおっ、ついに来たわね!頑張れー!蛍ー!」
蛍くんが肩を大きく震わせた。ぎこちない動きで顔を上げる。
「蛍なら出来るよ!やっちゃえー!」
「……頑張ってー!」
朱鳥ちゃんにならい、私も声を出して応援してみる。途中で羞恥心が勝ち、声が絞り出すような変なものになってしまって、余計に恥ずかしい。
「3番レーン、演劇部。今年はどんな走りを見せてくれるのでしょうか。」
「去年は文化部とは思えない走りを見せてくれましたが、今年はどうなのでしょうか。」
私たちの方をじっくりと、蛍くんは見つめた。レーンの方に歩くのも忘れているようで、突然立ち止まっていた。
それから、ふわりと、花が綻ぶように微笑んだ。
「位置について!」
その表情が、私の瞼の裏に焼き付けられる。
「用意!」
軽やかな銃声、そして歓声とともに、部長も軽やかに駆けていく。
「速い!速いですね演劇部!」
あっという間に先頭に踊り出る……のだが、向こうの部活も負けていられない。すぐに追い抜かれる。
「飛ばしていきますね。」
「これは見応えがあります。」
長い足が、腕が、思い切り振られる。それでも1番との距離は、少しずつ広がっていって。
私の心にも、小さな不安の染みが巣食っていく。
「大丈夫かな?かなり表情が苦しそうだよ。」
「あたしたちに出来るのは、信じて待って応援することだからね!絶対に勝てる!って、口に出せばきっとそうなるよ。」
蜂蜜飴を一瞬で溶かし、大声を張り上げて応援する朱鳥ちゃんの姿が。
玉のような汗を額に浮かべて、バトンを伊勢谷くんに渡す部長の姿が。
今の私には、眩しくてしょうがなかった。
「伊勢谷!」
「はい!」
バトンの受け渡しはスムーズに終わった。
「すごくバトンの練習、頑張ってたよね。バトンパスで絶対差をつけてやる!って、あいつは息巻いてた。」
有言実行だね、と美月先輩は付け足す。実際、バトンパスの速度はどこよりも速い。
懸命に、懸命に前だけを見つめて走る伊勢谷くんに、後ろから選手が近づいた。
「あっ、抜かれた!」
梨音先輩が声を上げた時には、演劇部は3番目になっていた。
宣戦布告を仕掛けた部活。3年生のエースを投入してきた部活。
じりじりと縮まり、また広がる差が、私の心を弄んでいる。
「桑垣さん!よろしくお願いします!」
小さく頷き、バトンを丁寧に受け取った。
走り出す。
小柄な背中が、先頭を追う。
「タイムも結構縮んでたし、この調子ならまた抜き返せるな!」
その時だった。
蛍くんが足をもつれさせたのは。
スローモーションのように、緩慢な動きで蛍くんは地に臥した。
顔を顰めた。土埃が舞って、蛍くんを追撃する。
息が、うまく吸えなくなる。
「蛍くん!」
それでも、絶対に負けるものかと。
素早く身を立て直して、擦り傷ができた膝を苦々しく見つめて、足を動かし始める。
「うわあああああ!」
自らに喝を入れるかのように、大きな雄叫びをあげて、残り少なくなった宝川先輩との距離を縮めていく。
「……よく頑張った。」
確かに受け渡されたバトンが、恐ろしいスピードでグラウンドを移動した。
「せ、先輩ー!」
1人、あっという間に抜いた。
「おっと!ここで演劇部、一気にラストスパートをかける!」
「もしかしたら!」
「いや、もしかしたらじゃない。絶対!」
「宝川なら勝てる!やれー!」
部員たちが口々に、応援の言葉を投げかけた。
ゴールテープまで残り少し。
その差も、ほんの僅かだ。
「宝川先輩、頑張れー!」
私が今日1番の大きな声でそれを口にした瞬間、少しだけ速く演劇部がゴールテープを切った。
「1着は演劇部、演劇部です!」
「……や」
「やったー!」
部活動リレーが始まった時よりも大きな歓声が、グラウンドを包み込んだ。
「お疲れ様ー!」
「宝川、かっこよかったわよ!」
「え!?俺、かっこよかった!?ふ、ふふ、そうか……。」
帰ってきた勇者たちを取り囲んだ。
「部費増額らしいけど、何に使うんだ?」
「|僕《やつがれ》は音響のアップグレードに使いたいな!あれは古すぎる。」
「それ以外にもボロボロなところがたくさんあるからな。衣装代もあるし、大道具ももう少し買いたい。あとは収納か。」
「天は現実的だなあ。もっとこう、夢のあることに使おうぜ!」
そのうちの1人が、大好きな人から素直な褒め言葉をもらって照れ臭そうな笑みを浮かべた。
「良かったね、宝川。」
「しばらくの間、ずっとニヤケそう。」
「それは気持ち悪いからやめてほしいんだけど。」
「おい!ミツキ、お前なんてこと言うんだよ!」
地面にへたり込んでいる、その人の元へ渡すは向かう。
「蛍くん、伊勢谷くん、お疲れ様。」
「……あ、天音さんに青原さん。」
しばらく放心状態で宝川先輩をぼうっと見つめていた蛍くんが、こちらに気づく。
「はあー、疲れた。俺明日絶対筋肉痛っすよ。」
肩をぐるぐると回す伊勢谷くんの方に向くと、蛍くんは勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「……え?」
「いや、その、おれ転んじゃって、本当にギリギリになって……。」
またしゃがみ込んで、頭をぽかぽかと叩き出す。
「蛍さん。すごくかっこよかったですよ。俺、転んだ時点で諦めちゃいそうですし。」
伊勢谷くんはしゃがんで、蛍くんの背中を優しくさすった。
「蛍くんの根性、すごかったよ!よーく頑張った。」
朱鳥ちゃんも同じ目線で、蛍くんを褒めちぎる。
「本当にお疲れ様!自慢の仲間だよ、蛍くんも伊勢谷くんも、先輩も!」
「3人とも、おれ、おれ……!」
涙腺が決壊して、ポロポロと大粒の涙を浮かべる蛍くんの側に、私たちはしばらくついていた。
「あ、あと!宝川先輩超かっこよかったっす!本当好きっす!一生ついていきます先輩!」
突然、元気に宝川先輩の走る姿のかっこよさを語る蛍くんを見て、思わず私たちは笑ってしまった。
「あ、ちょっと!かっこよかったものはしょうがないでしょ。何笑ってるんだ!」
バシバシ伊勢谷くんの肩を叩いて、つきものが取れたような顔をした。
今日の青空にぴったりな、晴れやかな笑み。
「だって、突然ハキハキ語り出すんだもん。」
ちらりと、視線を横に向けた時。
部長が、グラウンドを1人で見つめていたのが目に入った。
「次は陸上部ですね。」
「今年はどうやら伏兵がいるようですね。3年生の……。」
「去年はいませんでしたよね。」
誰も寄せ付けたくない。
寄りつかせない。
柱にもたれかかって別の部活を眺める部長の目は、氷のように冷え切っていた。
部誌28:真っ向から
「よし!」
『10/31 文化祭公演 ハッピーハロウィーン!』と印字されたパンフレットたちが、空気を押しのけて入り口近くの台に置かれる。肉体労働がひと段落した私は息をゆっくりと吐き出した。
開場まではあと15分。間に合った。
「映写室組ってもう上がったー?」
「まだだな。桑垣、伊勢谷!そろそろ行かないと間に合わないぞ!」
「あ、はーい!」
今垣先輩に呼ばれて、ぱたぱたとこちらに駆け寄ってくる2人。
「2人とも、スポットと照明、よろしくお願いします!」
そう。今回は私が照明をやるのではない。蛍くんが行うことになっている。舞台で役者たちのそばで仕事をしたいというわがままに付き合ってくれたのだ。
伊勢谷くんがスポットライトを、今垣先輩が音響を担当する。3人でかなりこだわって、とある日の部活をまるまる調整に使うくらいにこだわって練習していた。ほとんどは今垣先輩の音響の微調整で終わって、「スケジュールが崩れた」と部長が呆れていたあの日の部活が懐かしくてしょうがない。
「あなたこそ、インカムをいい感じにしてくれないと困るんだから。……ま、できるって信じてるけどさ。」
インカム。映写室と舞台を繋ぐ役割の名前だ。照明をつける、消す、|SE《サウンドエフェクト》を流すタイミングなどを、ヘッドホンを通じて指示する。よくタイミングを間違えて、大道具の準備をしている最中に照明をつけさせてしまっていた。減ったとはいえ、完全に失敗がなくなったわけではないので緊張する。
そんな私でも、信じてくれている。最後にぼそっと付け加えられたその一言が、くすぐったくてたまらなかった。
「蛍くんはさ、良かったの?その、役者とかやらなくて。」
「いいのいいの。おれはもう立たなくていいんだよ。こっち側から、みんなを照らす!その仕事が、すごく好きだから。」
だぼっとした袖から手を完全に出して、私の前でピースする。つやつやした指が照明のスイッチを弄る姿が、私の目の前を一瞬だけ通っていった。
「おれも立ったことはあるんだよ、舞台に。」
「そうだったんですか?」
「うおっ、伊勢谷!心臓に悪いからやめてよそういうの!」
「あ、す、すいません、本当にすいません、俺と違って桑垣さんは抜けたらまずい貴重な人材なのに……。」
「あー、そんなことないから!変な声の掛け方をしてければいいから!」
音もなくやってきて、また音もなく近くの客席に座っていた伊勢谷くんが、今度は音を立てて盛大に頭を下げた。
がしがしと頭を掻いてから伊勢谷くんをなだめる蛍くんは、言うなれば「いつも通り」の顔をしている。まったく緊張していなさそうだ。少し羨ましくなる。
「照明も音響も楽しかったけど、昔はやっぱり役者の方が好きだった。それなりに頑張ってたつもりだし、下手なわけじゃないって思ってたよ。あいつらにちょっかいかけられるまでは、の話だけど。」
ちょっかい。その一言で済ませられるくらいに軽いものじゃない。それぐらいは、私にも分かる。
「逃げたわけじゃないよ。おれたちは映写室から、真っ向勝負するってこと!勘違いするなよって、態度で示すから。」
「……そうですよね、『たち』ですよね。」
「伊勢谷も、逃げたわけじゃないんでしょー?」
「もちろんです。」
多目的ホールの外から、賑やかな声が聞こえてきて、伊勢谷くんはそちらの方にふらふらと近寄って行く。
「来てますように、来てますように……。」
「直接話したんだよね、お母さんと。」
「はい。俺にしては珍しく、エナドリも飲まずゲームもせずに待ってたんです。結局一言しか言えませんでしたけど。来て欲しいって言った後にプリントをポイって置いてきた、それだけです。」
「それでも伊勢谷は偉い偉い。」
「何しれっと子供扱いしてるんですか。」
嫌そうであるような、まんざらでもなさそうなような、そんな口調。
「きっと来てる。いや、絶対来てる!おれには分かるから。」
蛍くんが自身ありげに笑ったすぐ後、分厚い扉を貫通するくらいに大きな声がホール内に響き渡った。
「あ、伊勢谷くんのお母様ですねー!わたくし部長の柿崎と申します!開場までもうしばらくお待ちください!」
「声が大きすぎるんじゃない?」
「個人情報を堂々と言ってるな。」
梨音先輩と今垣先輩は顔を見合わせて、口々にそんなことを呟く。
「あ、梨音先輩!まだヘアアレンジ終わってないんですよ!」
「バレたかー。じっとしてるの苦手だから、早く終わらせてよ?」
「もちろんです。とびきり可愛くしますからねー!」
「中野梨音くん、まだセリフの確認が終わってないだろ!無視するんじゃない!」
「こっちもバレたか。」
慌てて戻っていく梨音先輩を笑顔で見送ってから、蛍くんは脚本とスポーツドリンクを持ち直して、大きく伸びをする。伊勢谷くんももう一度メモを確認し始めた。書き込みがびっしりとされたメモたちが私の目に映る。努力の、足掻きの結晶。
「じゃあ、下は任せたからな!」
「任せられました!」
私も、笑顔で彼らを見送りたい。
「絶対、負けないでください!」
映写室から嫌な思い出に、大事な人に、真っ向勝負を挑む彼らを。
くすりと笑って、窓から光が差し込む中を彼らは歩いていった。
「学校での公演に勝ちも負けもないでしょ。」
「たぶんそういうことじゃないと思いますよ。」
「おれだって分かってるよ、そんなこと!」
「アッ、ごめんなさいごめんなさい!」
ぼやける声、はっきりする足音。
入れ違いで部長がやってきた。脚本を丸めて、メガホンのようにしている。そのおかげなのだろうか、ただでさえ通る凛とした声は、普段より輪郭が濃くなっている。声に形はないけれど、そう形容するのが私にはしっくりきた。
「はいはーい、集合集合!最後の動線の確認、終わった?もうすぐ開場だからね!絶対成功させて、うちの学校の生徒たちに演劇部の存在をアピールするわよ!……あと、声が大きすぎて、個人情報を堂々と言ってごめんなさいね!」
「この地獄耳舞台監督!」
何か会話しながらも、全員がきびきびと動き出した。
開場までは、いつのまにかあと数分だ。私も手元の動線メモを確認してから、大道具の最終チェックをしている先輩たちのもとへ駆け出した。
暗くなる。
照明のレバーが下げられて、舞台が。
鳴る。
開演することを告げるブザーが。
いる。
絶対に届けたい誰かが。
ある。
あなたに伝えたいことが。
一ヶ月空いてましたね。
次回からは本当に公演に入ります。前編と後半、分けるかどうか。結局決まっていません。また10000字くらいの長い長ーいお話が投稿されても許してください。
部誌29:Happy Halloween 1
日記にも書きましたが、夏とは違って一回で公演をまるごとやるわけではありません。ちまちま出します。
薄暗い森の中、少女が立っている。
左手には煌々と輝くオレンジ色のランタン。きょろきょろと辺りを見回しながら、少しずつ足を進めている。
看板を見つけた。「warning!」と共に、赤い文字ででかでかと書かれている。
「この先、立ち入り禁止区域!」
しかし、少女は迷うことなく足を踏み入れる。規制線のその先へと。
その時だった。
「うわあ!?」
「ぎゃあ!?」
規制線の向こう側から、青年がやってこようとしていた。年は少女よりも少し上だろう、生真面目そうなハーフリムメガネをかけている。
「だ、誰よあんた!ここ、立ち入り禁止区域なんだけど!?」
「じゃあ、こっち側に来ようとした君は?」
「あ……。」
矛盾を突かれて黙り込む少女。それを呆れた目で見つめる青年。いたたまれなくなって、規制線に踏み込もうとした少女は叫ぶ。
「と、とにかく!あたしはそこの中に用があるの!」
「どうしても?」
「どうしても。」
「……なぜここが規制されているのか、知っているのか?」
「もちろん知ってる。今日が何の日かくらいも、知ってる。」
固い意志が込められた瞳で、真っ直ぐに青年を見つめた。
「ここから向こうは黄泉の国に繋がるとされている、いわば『向こうとの中間地点』。そして、今日は死者と生者が交わる日、ハロウィーンでもある。生きている人間が軽い気持ちで向こう側に足を踏み入れれば、帰ってこられなくなるって噂を、馬鹿みたいに母さんが信じてたよ。」
でも、と少女は続ける。振る舞いには、二度と帰ってこられなくなるかもしれないという恐怖は微塵も見られなかった。
「あんたがそっちから帰ってこれたんだから、こんなの迷信でしょ?どういう理由があってそっち側にいたのかは知らないけど。」
「それは……まあ、そうだな。」
一瞬口ごもったものの、青年は肯定する。どこか、苦々しい顔で。
「じゃ、あたしは行くから。そういえば、お菓子は家にストックしてあるの?街のチビたちがみんな揃って家という家を回ってるからね、用意しとくに越したことはないよ。」
ランタンの炎を確かめて、少女は笑顔で規制線を跨ぐ。
「待て!」
ゆっくりと振り返り、なぜ呼び止められたか分かっていない少女に、青年は告げた。
「忘れ物を思い出した。君について行ってもいいか?さっき色々見たし、それなりに安全に戻ってこられると思う。」
「え?ああ、いいけど。」
2人は歩を進める。より深い暗闇が包み込む、森の奥深くへと。
---
「はい、暗転です。」
私がそう言った数秒後に、舞台を照らしていた円形の光はパッと消えた。
規制線と警告看板を取りに行くために、裏方で待機していた私たちは一斉に動き始めた。
物音をなるべく立てずに、かつ素早く。場面転換にかかる時間が長ければ長いほど、お客さんは飽きてしまう。部長の声が簡単に脳内で再生できるくらいには聞かされていた。
私はインカムなので、ヘッドホンが届く範囲しか移動が出来ない。看板を端に寄せるなり、規制線を邪魔にならないように畳んだり、出来る限り協力する。
「準備OKですか?」
大道具をあらかた舞台から回収し終えた様子だった。ちょうど近くにいる部長にささやく。
「OKよ。」
「フェードインです。」
「はーい。」
蛍くんの声がヘッドホンを通じて私の耳に届いて、真っ暗だった舞台が緩やかに明るくなっていった。いつもより光量は抑えられている。役者である梨音先輩と孤色先輩の顔が見えるように、かつランタンがちゃんと光っていることが分かるように。部長と蛍くんで念入りに調整したバランス。
完璧だった。
---
「……それで、君はどうしてこんなところにわざわざ来たんだ?」
風の音しか聞こえなかった森では、話し声がよく聞こえる。
「あたし?あたしは、そうだね。満月草を摘むためかな。」
「満月草、ああ、あれか。」
少女の探し物を、青年は知っているようだ。納得したように頷いた。
「ちょうど、一番近い満月の日が今日だったんだ。これ以上病気を悪化させるわけにはいかないし、早いとこ薬を作っておかないといけないの。」
「家族が病気で?」
「母さんが。あたしが物心ついたときにはもう罹ってた。」
ほんの少しだけ、また森が沈黙に包まれる。
「そうか。聞いてしまって、すまなかった。」
「いや、いいよ。満月草を摘んだ時点で、なんとなく『そういうこと』だっていうのは分かるだろうし。」
ランタンを眺めたまま、ためらいなく答えた。少女の本心らしい。青年はゆっくりと息を吐き出した。
吐き出して、少しの間立ち止まって考え込む。
「……待てよ?ちょっと、いいか?」
「うん?」
振り返れば、ひどく真剣な顔をした青年が立っている。
「まだ名前を聞いていなかったから、聞こうと思って。」
「ああ、あたしの名前はサウィン。にんじんとかかぼちゃとか作って売ってるんだ。良かったら買って行って!甘くて美味しいよ!」
「……そうか。」
「そっちから聞いてきたんでしょ、なんなのよ。そうか、って。」
「僕はケルト。ケルトだ。サウィン、いい名前だな。」
「人の話聞いてないし。」
そこまで話すと、少女……サウィンはまた進もうとした。
「満月草は満月の夜にしか花を咲かせないから、満月草なのよ?こんなところでのんびりしてたら、祭りが始まるまでに帰れないわ。なんてったって、一年ぶりの祭りなのよ!思う存分楽しまなきゃ!」
「もうそんな時期なんだな、って、下がれ!」
「何なのよ、何度も何度も引き留めて。」
少女が一歩下がると、突然強い風が吹いて。
「いっただきー!」
……謎の男が、飛び出してきた!
部誌30:Happy Halloween2
改稿作業に専念する……つもりでしたが、気づいたら完成していました。できたなら早めに公開したい!ということでまた投稿です。
「……あれ?いただけてないの?」
謎の男が、飛び出した後に頭を掻いた。
「きゃっ!?突然なんなの!?」
サウィンは反射的に下がったようだ。そのおかげで、謎の男の攻撃を避けられたのだ。
「とにかく!それを寄越せ!」
「え、これ!?ダメだから!これはあたしの大事なものなの!ぜったいに、ぜーったいにダメ!」
逃げ回るサウィン、それを追いかける男。
そして、タイミングを見計らって、男を後ろから捕まえるケルト。
「ちっ、放せ!」
「大人しくしろ!そして……何も喋るな。」
「えっ、お前」
「とにかく!何も喋るな!」
その声を聞いて、ひとまず男は黙った。
「ふう。ありがとうね、ケルト。」
身だしなみを整えて、サウィンは一息ついた。背負っていたカバンから水筒を取り出して、一口飲む。
「まあ、な。」
「それにしても、なんであんたはあたしのランタンなんて狙ったわけ?」
「ん?ああ、そのことか。それはなあ」
なぜか得意げに、男は言う。
「綺麗なものを集めるのに、理由なんていらないだろう?」
「……はあ?意味分からないんだけど?」
「あーあ、面倒くさいやつに会ったみたいだな。」
「なんだよ、『あーあ』って!失礼だな!」
「面倒くさいやつでしょ、あんた学校で教わらなかったの?『人の物盗んじゃいけませんよ』って。」
呆れるサウィンを横目に、男は一呼吸置いてから、またどこか得意げに笑った。
「だって俺、もう人間の法律とか関係ないしー、幽霊だからさ!」
さわさわと、森の木々がそよ風で揺られて、心地いい音を奏でた。
「…………はああああ!?な、な、な、何言ってるのよあんた!?」
「え?もう一回言うけど……俺、幽霊だからさ!」
「嘘、嘘よこんなの!」
「残念ながら、本当なんだなあ。だって今日は?」
「…………ハロウィーン、ね。」
納得はいっていないようだが、とりあえずは頷くサウィン。
「そういうこと!」
「ハロウィーンは幽霊たちが1日だけ、この森の中だけで人間の体を手に入れられる特別な日なんだよ。」
「なんでそんなに落ち着いてるのよ……。」
ケルトはサウィンのように驚きもせず、大声も出さず、ただ落ち着いて幽霊についての知識を補足した。知的にメガネを持ち上げると、再びサウィンと男の観察に戻る。
「そういうこと、そういうこと!そこのケルトが説明してくれた通りだ。」
あちこちのものをペタペタ触りながら、男は続ける。
「今日は人間の体を持ってるから、いつもより五感がはっきりしてる。人間に触れる。人間が持ってる物だって、森の奥に持ち帰れるのさ!これはお宝探しの大チャーンス!ってワケよ。ちょっと拝借するくらい許してもらいたいね!」
「あんた最低ね」
「うーん辛辣!息をするように他人に最低って言うなんて!」
「あんたがひどいことしようするからよ!」
「こっちはハロウィーンでテンション上がりっぱなしなんだよ。それくらい許せよー。なかなか人間に会えることなんてないんだ。」
「ハロウィーンを言い訳にしないで!大体ねえ……」
そこから2人はごちゃごちゃと口論を始めた。どっちが間違ってるだの、自分は正しいだの、飽きもせず言い争っている。
ケルトは我関せずを貫いていた。しばらくは。
2人の口論が泥沼化して、とうとう両方のボキャブラリーが貧しくなってきた頃、ようやくケルトは仲裁した。
「あー、仲が良くて何よりなんだが、このままだと話し過ぎで時間がなくなる。早く向かおうか。」
「「仲良くないから!」」
「名前も知らない状態で口喧嘩できるなんて、2人とも随分と元気なようで。その元気でさっさと先に進もう。」
ケルトが先に進み始めたのを、2人が視認した。無言で、2人はその後について行く。
「って、なんであんたもしれってくっついてきてるのよ!」
「正直なこと言うと、ハロウィーンでも暇だから。だって今年全然人間こないし。つまらなすぎるからな。」
「暇人?暇幽霊って言うの?まあいいわ、邪魔しないでよね。あと、ランタン盗もうとしないでよね!」
「あ、バレた?」
「……あんたねえ。」
また激しい言葉のぶつけ合いをする中で、サウィンは彼の名前を知った。ユウというらしい。「幽霊だから?」と聞くと、真面目な顔で「その通り幽霊だから、かなり前に死んだから名前なんてもう覚えてない」と返されて、サウィンは面食らってしまった。
とにかく、サウィンは3人で歩く。
なんとなく、心のどこかで違和感を感じながら。
---
「暗転です。」
また舞台は真っ暗闇に戻って、非常口を示す鮮やかな緑色の光しか見えなくなる。
さて、この後は場面転換だ。セットも変更する。森の背景に、私たち一年生が練習の片手間で作った|アレ《・・》を配置するのだ。
東先輩が戻ってきた。
「お疲れ様です。」
「天音ちゃんもお疲れ様。この後転換で合ってるよな?」
「そうですね。」
「あ、じゃあ余裕あるし手伝うな。」
「よろしくお願いします。」
小声で会話しつつ、奥からそれを引きずらないように運んでくる。
「壊さないように気をつけて運搬するのよ。ああ、そこ幕に当たりそうね。」
「危なかったあ。美也ちゃん、東先輩、そこの幕抑えててくれませんか?」
「はいはーい、俺たち今行く。」
一度それから手を離して、私は音を立てないように幕をずらす。強く引っ張りすぎると幕が取れて演劇どころじゃなくなるので、優しく。
「それにしても、本当に大道具の出来がいいな。去年の公演とは大違いだ。」
「そりゃあ、今年の一年生はみーんな手先が器用なんだし?」
細かい作業を同級生たちは苦手としていないようで、すいすい大道具作りが進んだ。私も絵でなんとか貢献はできたので、足手まといにはなっていないはずだ。
「そうだな。君のランタンの出来もかなり良くなったし。」
「ふふふ、アイディアを出してくれた美也ちゃんに感謝しないとね。」
「いえ、そんな……たまたま家にあったから、やってみたいなあと思っただけです。先輩たちも、こんな私の案にOKしてくれてありがとうございます。」
梨音先輩のランタンの中には、ちかちかと光るろうそく風ライトが接着されている。まるで小さな炎が本当に揺れているみたいで、ランタンを持って演技をする梨音先輩は様になっていた。
「美也ちゃん、こっちは準備できたよ、って映写陣に伝えて。」
「分かった。」
私は定位置に戻って、まあインカムを掴んだ。
「じゃあ、僕たちは行くぞ。」
また舞台が眩しくなって、先輩たちは一歩、また輝くために踏み出して行った。