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さよなら、幽霊さん (第一章)9
特に祖父に声をかけることなく家を出ると昨日まで空を覆っていた雲はどこかに流れたようで、春らしい青が広がっている。暖かな陽の光が薄暗かった通学路を明るく照らして、その光を浴びた新緑が快晴の空によく映えている。少しばかり心が軽くなったが、あることを思い出し途端に足取りが重くなった。
しばらく山間部を歩いていると年季の入ったカーブミラーのある分岐路に着いた。僕が昨夜《《あれ》》と出会った場所につながる道に向かって歩く。緑の匂いに包まれながら遊歩道を歩いた先にある開けた地。
「……おーい!来たぞ!一緒に学校行くんだろ!?」
ここにいる、|悪霊《ふしんしゃ》と一緒に登校するために来たのだ。全てはあの日の夜に約束したことだ。
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『はぁ?成仏するのを手伝ってほしい?』
提示された余りに突飛な条件に、眼の前で僕の魂を掌で弾ませて遊ぶ悪霊少女を睨むと彼女はにこやかに微笑み続けて言った。
『そう!私があんたの魂を返す条件はそれ!』
悪霊少女は僕の顔に鼻先を近づけながら僕の肩に手を置く。
『馬鹿じゃないのか……?』
『失礼ね、一応あんたの返答次第でどうとでもできるんだからね?この魂』
彼女は悪戯な笑みを浮かべると僕の魂を少し指でつついた。その瞬間、全身を静電気が流れるような刺激と不快感が襲った。
『ぐ……っ…はぁ、わかった協力する。するから取り敢えずその僕の魂とやらを返してくれ。まともに身体が動かせない』
『逃げようなんて思わないでよ……?』
『逃げないよ、そんなことしたらどうせ君は僕を呪い殺すんだろう?』
僕は立ち上がって、目の前の少女を見つめた。少女は上目遣いで僕の瞳を見つめ返している。その目を見ていると、何故かはわからないが、脳の奥底にある何かを引っ搔かれるような不思議な感覚に襲われて、すかさず目を逸らした。
『それで?成仏を手伝うって言っても、いったい何をすればいいんだよ』
『そんなの簡単よ!私が思い残したことをひとつ残らずやるの!』
少女はそう言うと、きらきらとした目でこちらを見つめる。
『……それって大体いくつくらいあるんだ』
『うーん……まず、ショートケーキを食べてみたい!イチゴがたくさん乗ってるんでしょ?それから学校にも行ってみたいし、あとデパートでショッピングとか、映画とかも見てみたいし、あとラーメンも食べて……』
それはあまりに心残りが平凡すぎやしないだろうか。見た感じ小学四年生ぐらいの見た目だから、普通の生活をしていれば普通に実現していそうなものだが。そう口に出そうになったが、何か特殊な事情があったのかもしれない。この|齢《よわい》で幽霊になっていることにも関係があるかもしれないと口を|噤《つぐ》んだ。もっともこの容姿が死んだときのものとも限らないが。
『まぁ取り敢えず、とっととお前を成仏させてやればいいんだろう?なら実行できるものからどんどんやっていこう』
『なら、手始めに学校に行ってみたいわ!授業とか受けて、友達とお喋りして……』
僕にとっての学校はそんなに楽しい場所ではないのだが、彼女を成仏させると約束した手前断るわけにはいかない。
『よし、それなら明日の朝七時にここに集合だ』
そう言って踵を返そうとしたが、一つ聞き忘れていたことを思い出した。
『そうだ、お前、名前は?』
そう聞くと、何故か彼女は少しだけ間をおいて、にこりと微笑んで言った。
『……麗』
冷えた風が暗夜を突き抜けながら、木の葉と彼女の髪を静かに撫でる。その音に掻き消されることなく、彼女の澄んだ声が真っ直ぐに聞こえた。
『|下柳 麗《しもやなぎ れい》』