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あの夏が飽和する。 3
晴瀬です。
3話です。
この話はカンザキイオリさんの『あの夏が飽和する。』という曲を基に創られています。
路地を抜け通りに出てしばらく歩いていると皐月が急に立ち止まった。
僕は皐月より2、3歩進んだところで気付き立ち止まる。
「どうした?」
僕が尋ねても皐月は答えようとしない。
氷のように固まって、瞬きもしない。
視線も動かない。
遠くの何かを見つめて皐月は全く動かない。
皐月の視線の先を辿って見えたのは高校生くらいの女子3人が100m程先のコンビニの前で|屯《たむろ》っていた。
「皐月、皐月?」
そしてまた2度ほど呼び掛けると皐月はふっ、と息を吐いた。
急に瞬きをして「ごめん、行こっか」そう言って歩き出す。
「皐月、あれ誰?」
「何でもないよ〜」
引き攣った笑顔でそう言いながら皐月はどんどん歩いていく。
「皐月」
やや語気を強めて名前を呼ぶと皐月は立ち止まった。
「皐月、あれ誰」
「中学の頃の奴」
ぶっきらぼうにそう言い手の甲で長い髪を払った。
「僕と同じクラスじゃなかったときの、奴?」
「…何でそうなんの」
僕と皐月のクラスが違った1年。
皐月が見ているのはこの前殺したあいつではない。
噂で聞く。
友達が少ない、というかいなかった僕にさえ耳にしたあの噂。
相当ネタとして大きかったんだろう。
『2組の大蔵皐月って奴、同じクラスの|遊亜楽《ゆあら》…遊亜楽は知ってるだろ?遊亜楽の彼氏奪ったらしぜ
なんでも、遊亜楽と遊亜楽の彼氏に脅したんだって。
『私と付き合ってくれないならあんた達を殺すから』って』
|八日市遊亜楽《よおかゆあら》、という女生徒は相当の美人らしく才色兼備、文武両道と当時色んな意味で物凄い人気だったらしい。
男女と差別することなく皆公平に接し、誰にでも優しく話す。
本当に、誰から見ても完璧な人だったらしい。
対する皐月は美人だけれど勉強が出来ず、人と関わろうとしないためその噂の説で信じられたのは遊亜楽の方だった。
当時僕たちは付き合っていたけれど、そのことは誰にも言わず誰にも知られていなかったから、ただ噂を誰かに話したい、そんな考えで彼は僕にそう言ったんだろう。
それでも、僕の衝撃は凄まじかった。
皐月がそんなことするのは思えなかったし、そもそもそれは浮気じゃないか。
その1週間後ほどで、皐月は笑った。
「昌樹、別れよう」
最後まで笑顔で、いつもの調子でそう言ってのけた。
そしてそれに僕は頷いてしまった。
どれが"本当"でどれが"嘘"なのか考えもせず。
周りに流され本当に皐月がそんな奇行を犯してしまったのだと、疑いもせず信じ彼女の口から真実を聴くことも一切しなかった。
僕は馬鹿だった。愚かだった。浅はかだった。
皐月は、いつまでも皐月だった。
遊亜楽が可哀想〜
皐月最低だわw
その遊亜楽の彼氏とはどうなったの?
すぐ別れたって聞いたけど?
そうなの!?
皐月ってあいつ?この前廊下で|狭川《さがわ》に叱られてた
ああ、あいつ問題児らしいしなー先生も手焼いてるっつって
あとから知ったことだけれど当時ネットでもそう叩かれ、皐月はどんどん悪者になっていった。
遊亜楽はまるでその噂を肯定するかのように噂が広まりだした辺りで3日ほど学校を休んだ。
『気分が悪い』
そう連絡して、3日、テストの3週間前、3日、学校を休んだ。
皐月は遊亜楽がいない間クラスでも浮き、周りから視線が合わないように下を向いて3日を過ごした。
皐月がいるとクラスは静まり返り、|密々《ひそひそ》と噂する声が静かに重く響いていた。
遊亜楽が登校しだすと、注目は遊亜楽に移る。
「遊亜楽、大丈夫だった?」
「大変だったね」
「あんなの、気にしなくていいよ」
「それで?彼氏とはどうなったの?」
「頑張ったね」
「無理しなくていいからね」
そんな優しい言葉を溢れるほど受け、遊亜楽は弱々しく笑顔を作ってみせた。
「私は、大丈夫だよ」
"私は、"その2文字にすべてが詰まっていた。
「それより大蔵さんはいつもはそんなことしないでしょう?だからきっと何かあると思うの」
そう恰も最後まで優しいく接しているかのように皐月を苦しめた。
皐月はそれから半年、クラス替えがあるまで学校を休んだ。
皐月が半年後学校に行けたのは、彼女自身の強さだ。
残り30メートル程になった、女子高校生がいるコンビニへの道を僕は見つめた。
隣りに立ち尽くす皐月の手を握った。
あのときの微かな震えはもう止まっていた。
僕は一歩踏み出した。
皐月が縋るように僕の横顔を見た。
手を引く。
皐月が足を動かす。
前に一歩。
僕も一歩、皐月も。
そうして歩き出す。
残り20メートル、10メートル。
近づくにつれ真ん中で笑っていたこの顔がよく見えた。
遊亜楽。
あいつだった。
我が身可愛さで嘘を付き、人を陥れ自分は幸せに笑っている。
赦せるものでは到底ないと僕でさえ思う。
繋がれている左手を握る。
皐月は強く握り返した。
そうして通り過ぎた。
皐月の、見たくない過去も糞みたいなあいつの顔も。
皐月の中であいつはただの過去になったんだと思う。
切り捨てた、といえばいいのか。
もう誰にも縛られない。
縛られたくない。
今なら、どこにだって行ける。
そんなことを皐月と話して廃線になっていた線路の上を歩いた。
もし、もし電車が万が一来たらどうするのかと皐月に尋ねても「どうせ死ぬんだし〜」と楽観的に言ってため僕も渋々頷き、バランスを取るように両手を水平に伸ばして線路の上を歩く皐月の後ろをついて行った。
綺麗な黒髪が揺れるたび、スカートが靡くたび、まるで映画のカットを見ているようで。
これがドッキリなら、本当、笑えるよ。
人生はコメディだ。
滑稽な、栄光の塊だ。
『あの夏が飽和する。0』
https://tanpen.net/novel/9e75e057-70fb-4e60-87e3-7111cbaa4214/
『あの夏が飽和する。1』
https://tanpen.net/novel/6570f75b-f2fc-4b36-8ff2-3bb17008690f/
『あの夏が飽和する。2』
https://tanpen.net/novel/a6937fe6-3db9-45cc-9149-c5b5d103ca08/
『あの夏が飽和する。4』
https://tanpen.net/novel/30a1e17b-ee8d-4e84-b2d4-e437247f3abf/