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あの夏が飽和する。 4
晴瀬です。
4話です。
この話はカンザキイオリさんの『あの夏が飽和する。』という曲を基に創られています。
お腹が空いたらスリをして。
何かが必要になったら金を盗んで。
僕らは生きるために犯罪を犯した。
今だけはまだ死ねなかった。
僕たちには選択する自由があるから。
ここでは死なない。
怒って逃げる僕たちを追いかける店主から、通報されて駆けつけた警察官から、僕たちは逃げた。
こんなことを言うのは不謹慎かもしれない。
非常識かもしれない。
汚れた心だって分かってる。
でも、楽しかった。
久しぶりに自分は生きていたと実感できた。
それは皐月も同じようで、逃げながら2人で顔を見合わせて笑った。
鬼ごっこだ。
僕たちと警察官の鬼ごっこ。
高校生の足ってのは案外大人よりも早いようで、年老いた店主からも、中年の警察官からも逃げ切ることができて。
僕たちは犯罪を犯し続け、生き続けた。
どこにでも行ける気がした。
今ならどこにだって行ける。
今更怖いものは僕らにはなかったんだ。
額の汗も、落ちた眼鏡も、
「今となっちゃどうでもいいさ
あぶれ者の小さな逃避行の旅だ」
僕は叫んで、皐月が笑った。
警察官の荒い息が聞こえた。
あの警察官も僕たちには追い付かなかった。
初めて、僕は僕で良かったと思った。
僕じゃなければ、皐月が皐月じゃなければきっとここで捕まっていた。
それだけは避けなければいけないから。
本当に、心から楽しい時間だった。
無能な警官を追い越して、心配するフリをしていた隣人を蹴飛ばして、僕たち自身には全く興味のない成績重視な教師に唾を吐き掛けて。
人生は、まるで本当にコメディだ。
蝿と共に生きて
蝉と共に死んで
短い短い無駄な時間を終える。
僕らは舞う。
警察官を振り切ると皐月は山の方に足を向けた。
「ここら辺にその穴場があるんだ」
そう小さく笑って。
きっとそこで死ぬ気なんだろうと思った。
山道を歩いた。
獣道を静かに黙って歩いた。
風が吹くたび葉と葉が擦れて音が鳴った。
だんだん辺りは暗くなっていた。
家を出てから何日か経っていた。
道端で寝て、起きると金を盗んで食事をした。
生きるために生きて、
死ぬために生きていた。
小さな破裂音が聞こえて僕たちは足を止めた。
木と木の間から街を見下ろすように空を見れば打ち上げ花火が上がっていた。
僕たちはそのまま花火を眺めた。
「私も、こんな風に儚く消えていられたら幸せだったのかな」
皐月が静かに呟く声が聞こえたけれど聞こえないフリをした。
死ぬのは怖くない。
むしろ早く死んでしまいたい。
それでもこの景色は、この花火は、隣りにいる彼女は、凄く愛おしかった。
それだけが少し、心残りだった。
花火が鳴り止んで、やがて僕らは再び歩き出した。
黙って歩く。
月明かりだけが頼りだった。
それから何分か歩いて前に歩いていた皐月はふと横道に逸れた。
こんな山に横道があること自体おかしいのだから人工的に作られたものだと分かった。
きっとろくに整備もしていないであろう隠れた道。
道に飛び出した草むらをどけながら皐月は進み、僕も続く。
道を抜けると、少し広がって広場のようになっていた。
登山客が休むように作られたような場所で真ん中に1つのベンチが置かれ、そこに座ると街が見下ろせるような崖になっていた。
そこに、柵なんかない。
「ここで、死のうと思うんだ」
皐月は言った。
確かに、いいところだと思う。
今は夜で、綺麗な夜景が広がっている。
真下を見れば崖なんだからきっと飛び降りれば確実に死ぬ。
そうじゃなくてもナイフを持っているんだし、死ねないなんてことはない。
本当に穴場だから誰かに見つかるなんてこともないだろうし。
「こんなところよく見つけたね」
僕が言うと皐月が答えた。
「自殺未遂したときに見つけたんだよねここ。結局死ねなかったんだけど」
"自殺未遂事件"そんな不穏なワードに僕はぎょっとする。
すると僕の顔を見た皐月は笑った。
「あれ?もしかして知らないの?結構話題になったって聞いたんだけどな。あ、分かった!やっぱ昌樹には友達がいないのか!」
そう言って皐月は一人で笑った。
何が面白いのかは分からないけれど、久しぶりに会ったあの雨の日よりずっと皐月の表情が豊かで、それに安心して僕は小さく笑った。
「私自殺未遂したことあるんだよ、これでも。ロープとか包丁とか睡眠薬とか死ねるためのものならなんでも持って夜出掛けたら大荷物持った中学性がこの辺うろうろしてるって通報されて!もう笑っちゃうよね。そんなことで通報なんかするのって思って!
でもただの家出なんかじゃなくて自殺しに行ったってバレたら|大事《おおごと》になっちゃって」
全く知らない話だったけれど、何だかそう話す皐月があまりに元気で笑って楽しそうで僕も笑った。
幸せ、なんだ。
きっとここには僕らが描いた結末がある。
ここで僕らは将来を捨てる。
僕たちはベンチに座り、僕は背負っていたリュックを下ろした。
そこで夜景を見ながら僕らは最期に会話した。
「ちいさい頃夢見てた、優しくて誰からも好かれる物語の主人公なら汚くなった僕たちもちゃんと見捨てずに救ってくれるのかな?」
僕がふとそう尋ねると皐月は小さく息を吐いた。
「そんな夢なら捨てたんじゃん。
だって現実を見てよ、シアワセの4文字なんてなかった、今までの人生で思い知ったじゃんか」
皐月は"幸せ"を強調して言った。
僕も、分かっていた。
自分は何も悪くねえってきっと誰もが思っている。
それは僕だって、皐月だって。
あてもなく彷徨う蝉の群れに
水もなくなり揺れ出す視界に
迫りくる鬼の怒号に
何もかもが可笑しくてバカみたいにはしゃぎ合い笑った。
ただ、今ならきっと――そう信じていた。
信じて疑わなかった。
ふと、笑うのをやめた皐月はベンチから立ち上がって僕のリュックを手に取り中からナイフを取りだした。
「………何してんの?」
僕が尋ねても皐月は黙っていた。
皐月が僕の後ろを見つめる。
僕がそちらへ目をやると昼に僕達を追っていた警察官が2人の警官を引き連れてゆっくりと歩いていた。
僕たちの目を見つめて、警察官は笑った。
「もう逃げられないから大人しくこっちにおいで?
きっと大した罪にはならないんだから」
僕は警察官を睨む。
皐月は僕の隣で立ち尽くす。
皐月の右手が持ち上がった。
右手には、ナイフ。
警察官の目が丸くなる。
僕はその優雅な皐月の右手の動きをぼーっと眺めていた。
皐月の持ったナイフが僕の近くを掠めて皐月の喉元に刃先が当たる。
「寄るな。死ぬぞ」
皐月は小さく呟く。
聞いたことがないくらい静かに低い声で警察官の目を離さず見つめて。
『死ぬぞ』
その言葉に僕はハッとした。
皐月が死ぬ。
僕は立ち上がる。
僕らは死に来たはずだった。
でもこれは、違う。
こんな死に方は皐月らしくない。
唐突に、あの雨の日を思い出した。
僕がついていくと言ったとき皐月はなんて答えたか。
皐月はあのとき黙っていた。
皐月は何をする気か。
何をする気で、僕の同行を許したのか。
皐月は優しい子だった。
人を見殺しにするような奴じゃない。
皐月は、あの時からもう決めていたんだ。
僕を殺さないために、自分だけ死ぬために。
皐月は警察官から僕の方へ体の向きを変えて僕に小さく笑った。
「ずっと、ごめん。中学の頃の、付き合ってた頃から迷惑かけっぱなしで、付き合ったりしてないし、むしろ別れたのに何年越しに頼っちゃって本当にごめん」
「でも君が今まで傍にいたからここまで来れたんだ、本当にありがとう」
「だから、もういいよ。もういいよ」
「死ぬのは、私一人でいいよ」
「だから、生きて」
右手のナイフが自らの首元に当たっている。
皐月の瞳が僕の目を捉えていた。
ふと音が消えた。
何かを求めるように皐月の瞳孔が動いた。
そして君は首を切った。
まるで何かの映画のワンシーンだ。
綺麗な、赤が翔んだ。
僕はその赤をぼんやりと眺めた。
白昼夢を見ている気がした。
気付けば僕は捕まっていた。
警察官が何か言っていたけれど、何も聞き取れなかった。
それから何日か経って僕は家に帰った。
僕が家に帰ると母さんが出迎えた。
こういうときだけ親面する母のことを心底嫌いだと思った。
「昌樹!!」
僕の名前を呼びながら飛び付いてくる。
強い香水の匂いと知らない男の匂いが混ざって臭い。
ゴワゴワした髪の毛が首にあたってチクチクした。
「あのね昌樹、新しいお父さんができたの!!」
またかと思った。
母さんは何度結婚して何度離婚するんだろうか。
僕はひたすら無心になることに努めた。
僕が捕まったことも僕の友達がいなくなったことも、全てに触れず母さんはそう言って笑っていた。
僕のことには興味がないから。
間違ってできてしまった子供が、僕だから。
別に僕が犯罪を犯そうと何も思わないんだろうから。
僕の親は、僕が何をしても変わらなかった。
何を懸けても、いや、命を懸けて闘っても僕の親は何も変わらない。
皐月は、いなくなった。
いつ何度探してもどこにもいない。
君だけが、どこにもいなくて。
そして時は過ぎていった。
ただ暑いだけの日が過ぎていった。
母さんも、新しい"父さん"という名前のくそじじいも、クラスの奴らもいるのに君だけはどこにもいない。
名前を呼ぶのすら躊躇ってしまう君だけがどこにもいない。
あの夏の日を思い出す。
僕は今も今でも歌っている。
君をずっと探しているんだ。
君に言いたいことがあるんだ。
9月の終わりにくしゃみしては6月の匂いを繰り返し反芻した。
10月に入る直前、母さんに言われて外に出た僕は息を呑んだ。
あのとき消えた音が全て戻ってきた。
「大蔵、さん…」
そう呟いてしまう。
その声を聞いたその人は顔を上げた。
「昌樹くん…だよね」
皐月のお母さんだった。
僕の家の近くの墓地で、1つの墓石の前にしゃがんで手を合わせていた。
「皐月…なの」
大蔵さんはその墓石を見ながら言った。
心做しか目が潤んでいる。
「僕も、いいですか」
気付けばそう言っていて、僕は手を合わせた。
皐月は、死んでいた。
僕が見ようとしていなかっただけで、事実だった。
皐月は死んでいた。
君にはもう、会えない。
君の笑顔は君の無邪気さは今でも僕の頭の中を飽和している。
手を合わせて目を瞑って思った。
僕も、楽しかった。あの時。
皐月があの雨の日ここに来てくれて本当に嬉しかったんだ。
本当に、ありがとう。
君に、言いたいことがあったんだ。
君と朝日を見れたら、その時に言ってしまおうと思っていたんだけど。
でもそれは、僕が死んだときにとっておくよ。
天国か地獄か、どこでもいいけど逢ったら言おうと思う。
あの時、君が首を切ったとき。
あの時を時々思い出すんだよ、君の最期の笑顔と一緒に。
ねえ。
君は何も悪くないよ。
君は何も悪くはないから。
もういいよ。
投げ出してしまおう。
そう言って欲しかったのだろう?
「なあ?」
いつの間にか蝉は鳴き止んでいた。
蝉はもう、鳴いていない。
蝉が告げていた。
君と僕の夏は、終わった。
『あの夏が飽和する。0』
https://tanpen.net/novel/9e75e057-70fb-4e60-87e3-7111cbaa4214/
『あの夏が飽和する。1』
https://tanpen.net/novel/6570f75b-f2fc-4b36-8ff2-3bb17008690f/
『あの夏が飽和する。2』
https://tanpen.net/novel/a6937fe6-3db9-45cc-9149-c5b5d103ca08/
『あの夏が飽和する。3』
https://tanpen.net/novel/27bafdd1-dbfe-4167-8bd7-0bc93c94b212/
使わせて頂いた楽曲
『あの夏が飽和する。』
カンザキイオリ様
『人生はコメディ』
カンザキイオリ様
『あの夏が飽和する。』の小説があります。
カンザキイオリさんが書いた小説です。
"君"を亡くした"僕"のその後を描いた衝撃作です。
本当めちゃくちゃ面白いので是非お買い求めください!(勝手に宣伝)