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【曲パロ】flos
お待たせしました。
本家様です。イントロの中毒性が凄すぎます。
https://m.youtube.com/watch?v=bUbOc97FpUA
朝起きてまず、熱っぽいと君は言った。
「なんだか熱がある気がするんだよね。ごめん。体感、八度五分?ごめん。今日、お出かけの予定だったのに。」
「でも、着替えて仕事行く気なんでしょ。今日くらいは休んだほうがいいんじゃない?」
「ありがとう。」
「一応、病院に行っておいたら?」
「大丈夫だって。うん、君の声聞いてたら大丈夫になってきたかも。行けるって、仕事。」
拝啓。あの時の僕よ。
もう少し強くあの人に言っておいてください。あの人の願いも、未来も、なくなってしまうのですから。
僕は絶え間ない後悔に、苛まれることになるのですから。
「ねえ、本当に大丈夫なの?」
「私は大丈夫だって。ほら、他人の心配よりも自分の心配だよ。」
再啓。あの時の僕よ。返事をしてください。
あの人を絶対にそ外に出さないでください。休ませてください。そばにいてください。
取り返しのつかないことになります。
「植、物、状態?」
熱と立ちくらみで運悪く街中で倒れた。運悪くそこが赤信号になりかけた横断歩道で、運悪く車は止まれなかった。
……様々な要因が重なって、君は植物になってしまった。あっけなかった。医者につらつらと説明を垂れ流されて、すぐに受け入れることを要求される。
君の想いは消え去った。僕の心配は、憂いは杞憂なんかじゃなかった。ぐるぐると頭の中で回る感情論。膨らみ暴れて、僕を責め立てる感情論。
いつか見た悪夢が本物になったのだろう。八度五分程度の悪夢は軈て散ってしまった。例えるならば四十度を超える恐ろしい高熱。それが僕たちに襲いかかってきたのだろう。
約半径八十五センチ。それだけの小さな世界に、君は囚われた儘になった。ベッドに横たわってぴくりとも動かない。助けをただ待つRPGのお姫様のように、そこで眠っている。手に取れるものが取れなくなり、視界に映せるものも前よりずっと限られてしまった。
白いベッド、変わり映えしない天井、スマートフォン、テレビのリモコン、財布、手帳、ボールペン、ハンカチ、ぬいぐるみ、写真立て、小説、スケッチブック、画材。それと、窓際の花瓶。
君の世界は、それぐらいにとどめられてしまった。少なくとも、質素でつまらないと僕は感じた。
あなたの世界を、どうにか彩らなくてはいけない。僕の急務である。
花瓶。そうだ、花瓶だ。
病室に、花を飾ることにした。
病院からさほど遠くない花屋。色とりどりの美しい花々が飾られている。
品揃えが良すぎて、何を選ぼうか悩む。一部を省略した上で、花屋の店員に相談することにした。
「それでは、あなたの本音を飾ってみては?」
ただ恋人に花を贈るだけ、と認識している店員。並んでいる花々に負けないくらいの笑顔を見せた。
「普段は言えない本音ですよ。」
「普段は言えない、か。」
いつそれを言えるようになるのか分からない儘、罅割れた日々を誤魔化すように花を買い続けた。
暖炉に薪を焼べるように。淡々と挿され、立ち替わり入れ替わる本音たち。そよ風に乗せて、ふわりと柔らかな匂いをそれは届ける。ぐずついて錆びた空に負けないように燦々と輝く花瓶。
ただただ、美しかった。
初めて花を買った。ダフニーと呼ばれるらしい。
「今日から花を買うことにしたんだ。」
返ってこない返答に落胆しつつも、花瓶を君の目の前に置いて、見せつけた。君があたかも今、目を開いているかのように。
「花言葉は勝利だってさ。いいチョイスでしょう。それに、綺麗だよね?このダフニー。」
しばらくの沈黙から遅れてやってくる、二回目の落胆。
「窓際に飾っておくね。早く起きて、花言葉を本当にしてよ?」
記録も取ろう。スケッチブックに花を集めて、あなたがいつ起きて今までに飾られた花々に興味を持ってもいいように。
ダフニーの次は、フィリクスを買ってきた。
「花言葉、意識しちゃったんだ。」
枯れかけたダフニーをそっと摘み、水を新しいものに変える。主役を挿す。早朝の水はやはりよく冷えていて、フィリクスは心なしか震えているように見えた。
「夫婦愛だって。ちょっと早かったかな。僕ら、まだそういう関係じゃないからね。」
将来について君がどう考えているかも、分からないや。
早く教えてほしい。
包装紙に可愛らしく包まれたアイリス。思わずリラックスしそうになる香りが部屋いっぱいに漂っている。
「これ、何か知ってるよね。アイリスだよ。花言葉は希望とか良き便り。あとは、信じる者の幸福?」
先手を打つ。君が話しそうなことを予測する。
「君が教えてくれたんでしょ。ちゃんと覚えてるよ。」
忘れっぽい僕をよく叱っていた君。もう叱られないように、きちんと直したつもりだ。
「君のこと、信じてるからね。」
お褒めの言葉は、まだない。
「今日はクイズをします。」
改まった口調で、後ろに隠していたマーキアをサイドテーブルに置いた。
「このお花はなんでしょうか。」
束ねられた華やかなブーケに見向きもせず、あなたはただ天井を薄目で眺めるだけだった。
「マーキア。白くてふわふわしたお花。僕も今まで知らなかったから、新鮮だよ。お花屋さんに感謝だね。花言葉の幸福の通りだ。」
少しだけ、瞬きが出来ることが。
まだ、生きていることが。
マーキアの花言葉に該当すると信じて、今日もこれを買ってきた。
この病室の下には庭園がある。
色とりどりの花が植えられた庭園だ。
出来たらそこに行ってみたかったのだけれど、あなたはその日に限って体調を崩した。
「窓から見えないかな?あのピンク色の花が見頃だって。」
リスラム。そう呼ぶということを、一人きりの散歩で知った。
「いつか見に行けたらいいね。」
あなたの体調を考えるがゆえに、世界を彩れない悲しさ。
花言葉が愛の悲しみであることを、のちに僕は知った。ちょうどいいな、と思ってしまった自分がいた。
どうしてそんなことを思ってしまったのだろうか。マイナス思考にならないように、気を付けていたはずだったのに。
「ミリカだって。この前のリクニスよりは見えやすそうなところにあるよ。美味しそうに実ってる。」
あなたの水晶体が、虹彩がようやく仕事をしたように感じられた。感情の起伏は見られないけれど、確かに見てくれたような気がする。
「子供の頃、食べたことがあるんだ。懐かしくなってきた。」
回復している、のかもしれない。
ただ1人を愛して看病している、意義があるのかもしれない。
つい調べてしまう花言葉。ポジティブな意味を持っていて、自分の頑張りが報われたように思える。
だから、また明日からもこの病室に来られる。
体調が良好になったと思えば、すぐに悪くなる。かなりあなたは気まぐれだ。
窓からはサービアの一部分が見える。アワブキを指すのだったか。クリーム色の泡が幾重にもかぶさっているように見えた。
久しぶりに何も話しかけずに、ぼんやりと一人だけでその泡を眺めた。
六月の雨にも負けずに花を咲かせたその姿は、凛としていてよく花言葉が似合っている。
「芯の強さ、か。」
まるで持ち合わせていないものだった。僕のそれは脆くて、すぐに折れてしまいそうだと自覚していた。
じゃあ、それはいつまで持つの?
ドアが滑らかに開く。ちょこんと飾られた花は既に傷んでいた。鮮やかだった色は燻んでいた。日々の思い出が色褪せていくように。
飾っても飾っても、直ぐに枯れていくような気がする。延命剤も使っているのに。
花のエキスパートでもなんでもない僕にできることといったら、これからも花を交換し続けることくらいだ。
花瓶から枯れたマーキアを取り出して、ダフニーに入れ替える。丁寧よりも丁寧に。丁と寧に分けてやるくらいの心意気で。水も新鮮なものになり、花瓶越しの茎が鮮明に見えるようになる。
しばらく同じ花ばかりを購入していることに気づいた。だんだん色合いとか花言葉とか値段とか、そういうものを考えるのが怠くなってきて、思考を放棄したままだった。
片手に持っている燻んだマーキアは、色づくことのない一方的な日々を象徴しているのだろう。
お見舞いに来ても身の回りの世話をしても、あなたはいつも植物のようにじっとして何も返してくれない。この看病の意味はあるのかと疑ってしまいそうになるほどに。体力とメンタルを擦り減らしていくだけだ。
前々からうっすらと感じていたそれを頭の中で形作ってしまったその時、ふっと夢から覚めたような気がした。
愚鈍だ、とはっきり思った。はたから見てもきっとそうなのだ。こうなったらもう戻る確率はかなり低いほとんどないと分かっているのに、縋ってしまう。
縋る意味なんて、無い。無いな。無いのに、どうして離れられないのか。
花びらのごく僅かな部分にだけ元の色が残っているように、一抹の期待が、まだ僕にも残っているのだろう。
サイマス。またの名を、イブキジャコウソウ。
「たまには、花屋で買うだけじゃなくしようと思って。」
買う場所が花屋からホームセンターに変わっただけではない。花瓶の隣に小さな鉢を新しく用意したのだ。
淡い桃色で、花付きも良好だ。ちょうど今が見頃らしい。
ただ、花言葉は僕を弄ぶようなものだった。
独立と自由、だ。
僕は彼女とともに病室に縛り付けられてはいるものの、あくまで精神的なもので、いつでも抜けられる。自由になれる。
頭では分かっているものの、実行する勇気を振り絞れない。
鮮やかな赤い花を咲かせたリベスが目に入る。痛いくらいに眩しかった。
ガラガラと音を立てて車椅子をリベスに近づけると、ふわりとリベスは揺れて花をひとつ落とした。近くの低木、アベリアからも白い星型の花がプレゼント。艶めく黒髪に紅白が添えられる。
しばらくその光景を眺めた後、花を摘んだ。あなたのおでこに手が触れて、その冷たさにぎょっとする。
「冷えちゃったか。今日はもう戻らないとだ。」
あなたの顔色は悪く、口角も下がっている。せっかく外に出られたのに。強運だと思ったのに。喜ばせようと思って連れてきたのに。こうして、あなたの不機嫌がまた僕を苦しませるのだ。
もしかして、と悪い思考が頭をよぎる。実は、こうして看病されるのをあなたは望んでいないのかもしれない。
本当だったとしたら最悪だ。こっちは考えたり思いやったりしなくてはいけないことがたくさんあるというのに。不安や虚しさがないまぜになった、うまく言語化できない思いが湧いてくる。
まただ。考えないよう意識しても、不意打ちされて深いダメージを負う。
生きていただけで良かったじゃないか。強運じゃないか。謙虚に堅実に、慎ましく生きていこう。
でも、ネガティブなことを考え続ける僕だって最悪だろうな、と更に考えてしまって、薄く苦く笑ってしまった。
萎れたサイマスの横に、さらに新しい植物を追加した。薄黄色の花がまろやかな輪郭のグラスに入っている。
「また追加してきちゃった。流石にやりすぎかな。」
ルーティンとなった花の手入れも、今日は新入りのおかげで少し新鮮だ。
手入れをしつつも、あなたの様子はしっかりと確認する。青白すぎないか、逆に赤らみすぎていないか。変な呼吸の仕方ではないか。警戒する。注意する。神経を張り詰める。あなたを想っているという証明なのだと信じて。
あなたを想うこと、それ即ち、リラックスして過ごすこと。その常識が崩れたのはいつだったのだろう。
最近は天気にも恵まれていた。
窓際のフェリシアもきっと喜んでいる。太陽の光をたくさん浴びて、生き生きとしている。まだ、今はだが。
ひとつ、優しく切り取って花瓶に久しぶりに挿した。空の色とはまた違ったブルーが映える。
オクナも見える。逆にこちらは血のような赤色だ。重なるとコントラストが美しい。
今日もあなたは感想を抱けないけれど。
幸福だ。きっとあなたが生きているだけで幸福なのだ。つまらない幸福論で、どうにかならないために、復唱してみる。
気分は晴れなかった。
鉢だらけになった猫の額ほどのスペース。枯れたフェリシアが挿された花瓶、茎がボロボロになった植物が植った茶色いポット、そしてビロードのような繊細な毛に覆われたリクニス。
久々に花言葉を調べてみる。でかでかと「私の愛は不変」と映し出されて、目のやりどころに困る。
なんたる皮肉だろう。つらつらと澱んだストレスしか吐き出さなくなった僕の脳に、この言葉を突きつけるなんて。
もう、限界が近づいている。
君が僕にくれた、声も、色も、揺るぎない愛情も。行き先を教えてくれた、一番星も疾うに散ってしまった。残っていなかった。
疲弊してモノクロになった脳細胞では、日々の意味を考えることに難儀する。色をつけたかったはずなのに、季節はどんどん色が抜けて、擦れて鈍く膿んでいく。
「もう限界なんだ。」
街に独り言が溢れる。
とっくに許容範囲を超えていた。生還するのでなく、呆気なく死ぬのでもなく、か細く緩く命を繋いだという事実がどれだけ辛いことか、知らなかった。君も知らないし、誰も分からない。
荒んだ日々を丁に、寧に、繊細に辿れば花は咲く筈で、君は戻る。その考えが間違っていた。
体温が下がる。僕が芯から熱を奪われていく中、今も君は利口にベッドで夢を見た儘。
点滴から落ちる、命を保つための水。
粛々と注がれていた。
その日の夜は気持ち悪いくらいにすっと眠れた。眠るという行為に嫌気が差していたから、眠りたくなかったのに。ベッドに転がった途端に瞼がとろけた。
溶けたチョコレートが冷蔵庫で冷やされるように、また輪郭を取り戻す。
木の下にいた。葉が強すぎる太陽の光を和らげて、ちょうど良くしている。花を見るのにも適した光にしている。
柔らかく、美しく。視線の先に、花が咲いている。まるで映画のワンシーンのようだった。
近くて遠い。目はすぐそこにあると訴えているのに、手を伸ばしても届かない。雲の上にあるかのようで、ふわふわ浮く。違う星にあるかのようで、別のフィルターを通して見ている気分になる。
はっきりとした夢の先で、揺れている。
夢。夢だ。今まで持っていた夢、それの花。
理想の花だった。
目覚めると、花は消えてしまった。どこにもなかった。理想の花、だから当たり前なのだろうか。
届く筈だった理想は、もう既に遠い夢の先。燻んだ日々に足をとられて、もう追いかけることはできない。
いくら花を飾ったところで、出会えるわけがない。無為に花を枯らすだけだ。
愚鈍な僕はようやく夢から目覚めた。
縋る意味は本当に、無い。
「別れよう。僕たち、別れよう。もうお終いにしよう。」
あなたに聞かれるだけの、宙ぶらりんな言葉たち。
不毛な日々を綴る中で、描いた一輪の「理想」の花。リクニスが挿された花瓶の横に、あなたのスケッチブックから切り取ったその「理想」を飾った。
ダフニーも、フィークスもアイリスも。マーキアもリスラムもミリカもサービアも、飾らなかった。
「僕の愛が不変であること。それが理想だったんだよ。」
ドライフラワーになりつつあるあなたと花瓶のリクニスは、僕を嘲笑うように陽の光に照らされて眩しくなっていく。
どうせお前は、離れられないんだろうと。いくら口先だけ別れを告げても、結局明日には此処に来るんだろうと。
「ううん。もうほとんど来なくなるよ、きっと。さようならだ。」
不遇な僕らの関係はおしまいだ。必要な書類も用意した。本当にこれで終わり。ずるずると続けていた関係にも、細く伸びる命にも、終止符を打つ。
引き留めるように訴えかけるリクニスに独り言を残した。
「いつなら言えたんだろうね。本音も、夢も、誓いの言葉も。」
誓ったことも、暖かな家庭の夢も、植物になった君に敗けた。出来ないと理解しているから、なかったことにする。
スケッチブックの横に、銀色に煌めく輪を静かに置いた。
扉を緩やかに閉じた。汗でじっとりと湿った手を離した。
もう見えない、|花《flos》。