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1章:新しい季節
私がその吸血鬼と出会ったのは、煤煙と霧に沈む北方の港町だった。
冬になると海は鉛色に濁り、教会の鐘さえ凍えた音を響かせる。街路には酔漢と娼婦と浮浪児が溢れ、誰もが明日の貧困を抱えながら生きていた。
私はそこへ流れ着いた三文文士だった。
名声はない。
金もない。
あるのは紙束と、インクに汚れた指先だけ。
安宿を転々とした末、私は古い屋敷の一室を借りることになった。家賃が異様に安かったからだ。
「夜中に妙な物音がしても気にするな」
大家はそう言った。
私は気にしなかった。
貧乏人は幽霊より家賃を恐れる。
最初の夜、廊下で足音を聞いた。
硬質で静かな靴音。
まるで棺桶の内側を叩くような響きだった。
扉を開くと、男が立っていた。
痩せた体。
黒い外套。
異様なほど白い肌。
そして、血のように赤い唇。
『 新しい住人か 』
低く乾いた声だった。
「そういうあんたは誰だ…?」
『 |WILL《ウィル》… 』
それだけ言って、男は闇へ去った。
翌朝、私は大家に訊いた。
「隣の男は何者だ」
大家は嫌そうに眉を顰めた。
⌜ 詮索するな。長く住みたいならな ⌟
だが、人間は秘密に惹かれる。
数日後、私は見てしまった。
真夜中―――
裏庭で、ウィルが野犬の喉元へ牙を立てているところを。
月明かりの下で、血だけが黒く光っていた。
彼は私に気づくと、ゆっくり口元を拭った。
『 ……見たか 』
私は頷いた。
「あんた…吸血鬼か」
『 そうだな 』
驚くほどあっさり認めた。
私は少し考えてから言った。
「家賃を折半してくれるなら構わない」
その日、ウィルは初めて人間らしく目を瞬かせた。