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知らないことの忘れかた
バサ。レジャーシートを広げる音が、遠い喧騒に対して生々しくガラスを抜ける。
花火大会。その穴場、そこにある小さな慰霊碑。
その隣の、歪んだラムネ瓶。それが『私』だった。
一生差し込むことのない太陽。夏至が終わって少したった今だけれど、今日という日が一番長い夜だと鋭い夕日が遠くで警鐘を鳴らしていた。
日焼けしたテントの垂れがだらだらと揺れている。その影をなぞる。ささやかに音を鳴らす空調、ぶあついガラスの中。屋外で展示される私は、他のものたちよりも過保護に展示されているはずだし、真っ白な壁を見て退屈する心配もない。それなのに、ずっとここにいるのに、季節は祭りでしか感じられない。
「日陰だー。涼しー」
「ねー」
ガラスの向こう、人混みの影から高弾みな声が近づいてきた。二人の女の子が日陰を求めてこちらへ寄ってくる。今年も来た。カブトムシみたいに日陰に群がる、人、人、人。いつしかうちわから機械へとすげ替えられた、祭りのお供。そして、光る平らな石。
あ、と女の子は声を上げて、説明書きを指でなぞる。
「『【歪んだラムネ瓶】昭和二十年七月の空襲により被災。昭和三十年出土。通常、ガラスが溶けて変形する場合、自重で平らに潰れることがほとんどですが、本品は「人間の指が強く握りしめていた形状」を保ったまま、高熱によって胴体が歪んで__』まって、嘘」
「空襲の瞬間までこれ、飲んでたってこと? なにそれつらすぎる」
「それな。怖い。誰のかも分かってないんでしょ?」
二人の髪飾りから垂れる花が、ふるふる揺れる。そのまま、固く手をあわせた。
今だけ、きれいに下を向く睫毛とキラキラ。朝日が差し込む教会みたいだった。異国の教会で、純粋無垢で敬虔な顔をする旅人。今日という日の正しさ、つられて手を合わせたくなる光景。
けれど、睫毛が上に向きなおすのはほんの一瞬だった。
「ねね、これもストーリーにあげる?」
「めっちゃあり。撮ろ」
二人は、慣れた手つきで石を私に向ける。カシャ、とごつごつしたカメラを向けたときみたいな、そしてそれよりも薄くて軽い音が鳴る。
二人は石を覗き込む。指を弾く。反射で見えた石の表面には、わざとらしい白黒に染まった私。ぐちゃぐちゃに歪んだ肌に小さく書かれる呪文。
『あの日、ここにあった日常を、忘れない。#終戦の日』
忘れない、って何さ。ふたりの指が弾かれていくたびに、歪みにそって痛みが走る。オレンジ色になりながら、内臓が破裂するみたいに握りしめられた感覚。ほっぽりだされた時の、あの子の指の硬さ、冷たさ。ふたりは、ここにいる人々は、何ひとつ知らない。
「もーそろで花火っしょ、行こ」女の子が弾んだ声を出して、もう一人も顔をほころばせながらテントを飛び出していった。下から見える浴衣の裾は、少しだけ増えていた。
夜の濃度は上がって、それにつられて何十年目の現代の空気が濃くなる。地を揺らす太鼓、土をカラフルに染めて覆い隠すレジャーシート。
「ポンッ」
遠くてもわかる、ラムネのビー玉を落とす音。私が、一番最初に聞いた音。軽快に飲み干されるであろうそれに対して、凶暴な熱がせり上がってくるのがわかった。
私たちラムネを目の前にした人たちは、零れそうなくらいに目を開いてもっとくしゃくしゃに笑っていた。知っていれば、もっと笑えるはずだ。みんな、何一つ知らない。知らないから、この日をただただ楽しめるんだ。
知らないことの忘れかたを知っていて、それに対処できるあなたたちの器用さが、羨ましい。
歪んでつっかかったビー玉の飲み込み方を知っているあなたたちが!
「始まるよー」
唇の動きに、レンズたちが一斉に夜空を見上げる。私は耐えられなくなり、人間がするように目を伏せようとした。
__ドン。
花が、開いた。眼球と石と、シートと、炭酸と、そして私を、いやなくらいにオレンジ色に染め上げる。
「きれいだねっ!」
歓声が上がる。ガラスを通り抜ける。あの時に私を持っていたあの子も、今みたいに目を爛々と輝かせていた。ビー玉の輝きが、この世で一番の宝物かのように。一瞬だけ顔をしかめて、勢いのまま半分飲んで。そして、空を見上げたときには絶望に、オレンジ色に、染まっていたんだ。
ああ。ああ!
あの時、ビー玉越しの瞳孔に映ったオレンジが花火だったら、どれほど素敵なことだっただろう!
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