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目次
たとえます。
人生を、時間に例えます。
今は『人生80年時代』と言いますから、だいたい29200日、700800時間、42048000分、でしょうか。
時間を、砂時計に例えます。
あなたが好きだった、私の家にある砂時計で置き換えると14016000回。
砂時計の砂を、思い出に喩えます。
私のこころにも、あなたのこころにも、思い出が溜まっているはずです。ただそれは砂の一粒ようにあまりにも小さいから、時々溢れ落ちる。
だからひとは失った砂をあたまで補正するのです。思い出いっぱいに人生を終えるために。
あなたは全部、忘れてしまった。『前のあなた』は亡くなってしまった。
あなたは少しずつ、『補正』を初めています。情報をつなげて新しい物語を作っています。こころに、新しい砂を落として。
少し前、あなたに会った時、感じた違和感は多分そういうことです。だいぶ戻ってきましたが、あなたは『前のあなた』じゃない。
失った、砂時計4380000回分は戻ってこない。
そういえば、安物の砂時計の砂はガラスでできているそうです。あなたが好きだったあれもガラスでできています。
あなたって、砂時計みたいですね。
『例え/喩えます。』
電卓頼りです。
低気圧のせい
「ぶっちゃけ、単語テスト局地的にやりすぎ」
「まじそれ」
佳奈がそう呟くから、思わずそう言い返す。今日は一日の三分の一が英語、そのうちの一時間が単語テストフィーバーだった。
「でもかなっぺは英語得意じゃん、大丈夫なんじゃない」
「話すのだけだから。あとそのあだ名美味しそう」
「んー、カナッペってクラッカーに色々乗せるらしい。まじおしゃれ」
スマホを傾ける。
「ほんとだ、めっちゃ美味しいやつじゃんこれ」
話は原型なく、とりとめなく進む。家庭科の調理実習の唐揚げをダークマターにしたサッカー部の佐伯のこと、家庭科の綿貫があざといこと、「それなら国語の青砥の方がエグい発言してるよ」報告、それはそうと書き初めの『徒然草』が長すぎること。硬筆なのにわざわざ書道室に移動する必要あるの問題。
「寒い。書道寒いから雪消えてほしい」
「そう、エアコンつけろ」
「あー、春来ねーかな」
「それもすぐ夏になる」
「最悪」
「ん」
そう苦笑し合い、話が『テスト』から『雪なくなれ』で終わる佳奈との今日。言わなかったけど、低気圧も消えろし。
--- * ---
なんかめんどいから学校行きたく無い。
昨日の佳奈とかみたいにとりとめのない会話をするのは楽しい。苦に思ったこともない。勉強は嫌い。でも平均はとっている。別に困りはしない。多分、自分が『ご褒美』を欲しているんだろう。めんどいっていうのは多分、後付けの理由。
そして、こういう日に限ってやけに早起きする。なんで。
そう思いながら階段を降りて『母さーん、今日頭痛いから休む。カロナールちょーだい』と叫んで、カロナールを二錠もらう。
ずる休み、ずる休み。
今やっていることはずる休み。
ある種、深夜のラーメンより軽くて重い罪。このふわふわした感じはなんだろう。
そう考えていたら、いつもの時間に時計が鳴った。ぴく、と体が数ミリ震えて反射でスヌーズを押した。その流れでカーテンも開ける。光がネズミみたい。
またぼーっとして、またアラームが鳴る。今度は一センチくらい震えた。あわてて、元の方を止める。
カーテンから漏れる灰色の光が白くなることはしばらく無さそうだ。多分、今日は雪が降る。
それは、低気圧のせい。
佳奈は今日も寒い寒い言いながら書道室に行くだろうな。
それも、低気圧のせい。
多分、母さんはずる休みを本気で信じるだろうな。そしてそのまま学校に連絡して普通に仕事に行く。
それも、低気圧のせい。
昨日『雪消えろー!』とあの後叫んだのを思い出す。でも消えたら低気圧も消えるし、『偏頭痛』ということでずる休みはできなくなる。こんな時間は存在しない。
この思考も、低気圧のせい。
空虚。満喫もせず、浪費もせず、淡々と過ぎていく。
低気圧のせい。
こう休もうとしたのも、多分低気圧のせい。
とりあえず消えろし、低気圧。
ありすのせかい
「有栖ってさ、インスタで投稿してたりするん?」
は、とフリーズする私をお構い無しに、千佳はスマホを見せてくる。茶髪のセミロング、三月の空みたいにくすんだ青のネイル。千佳はそのネイルを拡大すると
「有栖さ、三月くらいにこの色みたいなネイルしてたよね! それにユーザー名の『チェシャ』って名字の|有栖《ありす》からとったでしょ!」
基本的にクールな友人から放たれるエネルギーに気圧されて、『うん』とも『ううん』とも取れるような曖昧なうなずきをした。すると、千佳はそれを『うん』の方で受け取ったのか
「じゃあ、マカロンあげる。ファンとして」
こちらに選択させる余地のない勢いで、白くてつやつやと光る箱を差し出してきた。
ありがと、と私は千佳を適当にあしらって、「気をつけてー」と別方向へ向かう友人に手を振った。
千佳のスカートら、中高生のときに、内申点全てをむししてまで貫いていたミニスカートではなくなっていた。揺れる長い裾と『東__町病_行_』と掠れたバス停の表示をぼんやり眺めてみる。時の流れ、とも口ずさんでみる。
“彼女”がいる場所には、ぎぃぎぃと軋む木の床と呼吸以外には音がない。だから、私はここに入るとき、かなり申し訳なく感じてしまう。
カーテンを慎重に開けながら
「来たよ」
いつもより、息を多く混ぜて話す。
この場所の一番奥にいる“彼女”は今日も右腕をだらん、と垂らして左斜めの方へそっぽを向いていた。
変わってないな、と私は安心して
「友達からマカロンもらってきたの。千佳ちゃんから」
白い箱の中を見せてから、ハンカチを使ってどらいあいすあを取り出した。それを“彼女”よ耳たぶへ。最初の方は、“彼女”の体がぴくぴくと動いていたが、数分間そのままにしていると、肌は硬くなって、白い陶器みたいになっていた。
私は耳たぶを触って、その冷たさを確かめてか、バックに手を入れた。ピアッサーを手に取る。
この場所全体から聞こえる呼吸に合わせて、ふかくふかく息を吸って、それから半分くらい吐いたところでピアッサーに力を込める。
ばちんっ、と大きな音が響き、“彼女”ら耳からピアッサーをはたき落とした。“彼女”の耳には銀色のピアスと、痛みによる熱だけが残っていた。
「ごめんね、|植物状態《ベジ》でも痛いよね」
そう語りかけながら茶色のセミロングヘアを耳にかける。
「ほら、外はもう春だよ」
部屋にある、緑のかーテンを開けると、ちかちかするほどの陽光と咲き誇るネモフィラ。
私はスマホをとり出して、彼女にそっぽに向かせたまま写真を撮った。何回か撮影したところで満足できるものが撮れて
「似合ってる」
私は“彼女”を抱きしめた。皮膚と消毒の匂いの間から、熱が伝わってきた。さすが春。さっきより柔らかく感じる光も相まって、少し眠りたくなった。けれど
「そうだ。マカロン、食べたいよね」
立ち上がってマカロンを取り出す。薄い緑、ピスタチオ味のを“彼女”の唇にすりすり、とさせると、口がぱかっと開いてむしゃむしゃと食べていった。
一応『ファンとしての差し入れ』として千佳から貰ったものだから、少しだけ罪悪感を覚えた。もっとも、それは『そう感じる』だけであって、本当は違うのだが。
さっき撮った写真に、少しだけ明るさを足して、壁をぼかす。そしてインスタに投稿すると、数秒経っただけでハートが一つ、濃いピンクに光った。
「インスタグラマーであり、今やフォロワー一万人超えの『チェシャ』は君だからね。みーんな雰囲気だけで物事を判断するから、私に勘違いされるけどね」
私もコーヒー味のマカロンを手で弄びながら
「君が好きなネモフィラって、一年で枯れちゃうの。だから、私は毎年植えてるの」
と言って、記憶の中にある“彼女”の『すごいね!』と無邪気な声を聞く。
「私のは名字だとはいえ、『ありす』って名前は君の方が似合ってるよ。ね、ありす」
だから。
「変わらないで。ねえ、そのまま、私が知ってるありすのままでいてよ」
ふー、と“彼女”の呼吸が聞こえる。呼吸している限りは老化はするけれど、姿まで変わってしまったら、もうそれは“彼女”じゃなくなってしまう気がして。それを残すために、インスタで記録している。自己満だけれど、勘違いされるけれど、それでも良かった。
老化へのささやかな抵抗。気がついたら私は“彼女”の唇を塞いでいた。食事と勘違いしたのか、“彼女”の唇がもぞもぞ動いて、『生きてる』と月並みなことを思った。
ありすも、私も、ネモフィラが咲くこの季節のここで過ごしていたかった。アリスの、六時のお茶会みたいに永遠のせかいでいたかった。
そんなことを、考えていた。キスをしている間はどうやら、正常な思考をすることができないらしい。
有栖とありすとアリス
知らないことの忘れかた
バサ。レジャーシートを広げる音が、遠い喧騒に対して生々しくガラスを抜ける。
花火大会。その穴場、そこにある小さな慰霊碑。
その隣の、歪んだラムネ瓶。それが『私』だった。
一生差し込むことのない太陽。夏至が終わって少したった今だけれど、今日という日が一番長い夜だと鋭い夕日が遠くで警鐘を鳴らしていた。
日焼けしたテントの垂れがだらだらと揺れている。その影をなぞる。ささやかに音を鳴らす空調、ぶあついガラスの中。屋外で展示される私は、他のものたちよりも過保護に展示されているはずだし、真っ白な壁を見て退屈する心配もない。それなのに、ずっとここにいるのに、季節は祭りでしか感じられない。
「日陰だー。涼しー」
「ねー」
ガラスの向こう、人混みの影から高弾みな声が近づいてきた。二人の女の子が日陰を求めてこちらへ寄ってくる。今年も来た。カブトムシみたいに日陰に群がる、人、人、人。いつしかうちわから機械へとすげ替えられた、祭りのお供。そして、光る平らな石。
あ、と女の子は声を上げて、説明書きを指でなぞる。
「『【歪んだラムネ瓶】昭和二十年七月の空襲により被災。昭和三十年出土。通常、ガラスが溶けて変形する場合、自重で平らに潰れることがほとんどですが、本品は「人間の指が強く握りしめていた形状」を保ったまま、高熱によって胴体が歪んで__』まって、嘘」
「空襲の瞬間までこれ、飲んでたってこと? なにそれつらすぎる」
「それな。怖い。誰のかも分かってないんでしょ?」
二人の髪飾りから垂れる花が、ふるふる揺れる。そのまま、固く手をあわせた。
今だけ、きれいに下を向く睫毛とキラキラ。朝日が差し込む教会みたいだった。異国の教会で、純粋無垢で敬虔な顔をする旅人。今日という日の正しさ、つられて手を合わせたくなる光景。
けれど、睫毛が上に向きなおすのはほんの一瞬だった。
「ねね、これもストーリーにあげる?」
「めっちゃあり。撮ろ」
二人は、慣れた手つきで石を私に向ける。カシャ、とごつごつしたカメラを向けたときみたいな、そしてそれよりも薄くて軽い音が鳴る。
二人は石を覗き込む。指を弾く。反射で見えた石の表面には、わざとらしい白黒に染まった私。ぐちゃぐちゃに歪んだ肌に小さく書かれる呪文。
『あの日、ここにあった日常を、忘れない。#終戦の日』
忘れない、って何さ。ふたりの指が弾かれていくたびに、歪みにそって痛みが走る。オレンジ色になりながら、内臓が破裂するみたいに握りしめられた感覚。ほっぽりだされた時の、あの子の指の硬さ、冷たさ。ふたりは、ここにいる人々は、何ひとつ知らない。
「もーそろで花火っしょ、行こ」女の子が弾んだ声を出して、もう一人も顔をほころばせながらテントを飛び出していった。下から見える浴衣の裾は、少しだけ増えていた。
夜の濃度は上がって、それにつられて何十年目の現代の空気が濃くなる。地を揺らす太鼓、土をカラフルに染めて覆い隠すレジャーシート。
「ポンッ」
遠くてもわかる、ラムネのビー玉を落とす音。私が、一番最初に聞いた音。軽快に飲み干されるであろうそれに対して、凶暴な熱がせり上がってくるのがわかった。
私たちラムネを目の前にした人たちは、零れそうなくらいに目を開いてもっとくしゃくしゃに笑っていた。知っていれば、もっと笑えるはずだ。みんな、何一つ知らない。知らないから、この日をただただ楽しめるんだ。
知らないことの忘れかたを知っていて、それに対処できるあなたたちの器用さが、羨ましい。
歪んでつっかかったビー玉の飲み込み方を知っているあなたたちが!
「始まるよー」
唇の動きに、レンズたちが一斉に夜空を見上げる。私は耐えられなくなり、人間がするように目を伏せようとした。
__ドン。
花が、開いた。眼球と石と、シートと、炭酸と、そして私を、いやなくらいにオレンジ色に染め上げる。
「きれいだねっ!」
歓声が上がる。ガラスを通り抜ける。あの時に私を持っていたあの子も、今みたいに目を爛々と輝かせていた。ビー玉の輝きが、この世で一番の宝物かのように。一瞬だけ顔をしかめて、勢いのまま半分飲んで。そして、空を見上げたときには絶望に、オレンジ色に、染まっていたんだ。
ああ。ああ!
あの時、ビー玉越しの瞳孔に映ったオレンジが花火だったら、どれほど素敵なことだっただろう!
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