公開中
【曲パロ】水死体にもどらないで
大好きな原曲様リンクです。
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm34318335
それは突然だった。
いつものように、社会の歯車としてきびきび働いて、ぎゅうぎゅうに押しつぶされて、そして家に帰ってきたぼく。
仕事はやってもやっても追加され、結局朝帰り。明日は休日だからとはいえ、きついものはきつい。
肩の疲労がきつくて、靴を乱暴に脱いで手も洗わずにソファーにぼくは寝転がろうとした。でも出来なかった。
そこに、人魚がいたから。
人魚。またの名をセイレーン。あの、人の上半身に魚の下半身を持つ、人魚。
紛れもなくそうだった。鮮やかな桃色のうろこがついたひれ。白くてぶかぶかなTシャツを着ているところは、人魚姫の絵本とは違うけれど……とにかく人魚は人魚だ。
顔は見えない。ひれと同じ、鮮やかな桃色の髪だけは見えた。
「……。」
ゴクリと唾を嚥下して、ぼくはそっと、その顔を覗き込む。その時、人魚もこちらの方を見た。視線が交わされる。
時が止まったように思えた。
こっちを見ないでくれと懇願したくなるくらいだった。
だって、その顔をぼくはよく知っていたから。
これは夢なのだろうか。それとも何かの呪いなのだろうか?
思い出せばつんとした鼻の痛みと潮の香り、そして耐え難い悲しみが襲いかかってくる。
きみだった。
人魚は間違いなく、今年の暑い暑い夏に茹だった、ぼくの恋人だった。
温和で可愛い女性だった。大学のゼミで一緒になって、会うたびにどんどん惹かれていって、気づけばもう夢中だった。
ライバルももちろんたくさんいたけど、頑張ってアピールして、デートにも誘った。思い切って告白もしてみた。彼女がOKしてくれて、ぼくがどんなに調子に乗ったことか。
しばらくして、ぼくたちは大学を卒業した。就職しても、ぼくたちはずっと付き合っていた。毎日がとても充実していて、彼女の顔を見るだけで仕事の疲れも吹き飛んだ。
きみと泳ぎに行った日のことはよく覚えている。
今年の夏のある日、彼女は誕生日を迎えた。誕生日のデートは海がいいと言っていた。海やプールが好きで、去年もその前も何回か海やプールには行っていた。今回もいつも通り、県内の海水浴場に行くことにした。いつも通り、になるはずだった。
「ビニールボール、落としてきちゃったから探してくるね!」
その声に返事をしつつ、ぼくは昼食を買いに行くことにした。
行列からようやく解放されたので、あたりを見渡した。彼女の姿は近くには見当たらない。荷物を置いていたベンチに買ってきた焼きそばとかき氷を置いて、ぼくは彼女を探すことにした。言いようのない不安が胸に広がっていく。
しばらくして、僕は青い海の向こうに彼女の姿を見つけた。白く細い腕が助けを求めるように水飛沫を散らしていた。
目の前が真っ暗になるとはこのことなんだな。
すぐに海に飛び込んだ。白いあぶくが視界を遮る。泳いで泳いで泳いで、ようやく手を掴んだと思った。
その先はなかった。ただの錯覚だった。
こうしている間に、彼女はより遠くに流されていく。
早く助けなければいけないのに、ぼくの視界にはもう彼女はいない。
青い闇に沈んでいくきみの姿さえ見逃してしまったんだ。
「兄ちゃん、何やってるんだ!」
近くの海水浴客にぼくは助け出された。
「彼女が、恋人が溺れて!」
すぐに救命活動は行われた。懸命な治療も行われた。
でも、長時間溺れて大きなダメージを受けた彼女の体は持たなかった。そのまま、搬送されて数時間後に彼女は亡くなった。
焦って泳がずにすぐに救急隊を呼んでいれば。
もっと早く彼女がいないことに気づいていれば。
ビニールボールなんて持って行かなければ。
ぼくが探しに行っていれば。
海なんて行かなければ。
ぼくが身代わりになっていれば。
役目を失った婚約指輪は、ずっとずっと戻らない恋人を待っている。
全部ぼくの責任なんだ。
だから、たとえこれが彼女の呪いだったとしても文句は言えないのに。
流石に、いくら神様でもこんな仕打ちはあんまりじゃないかと思ってしまう。
朝起きてもセイレーンはそこにいた。夏祭りの時、2人で作ったフォトフレームを持っていた。中に入っている写真は、海に入る前に普段着で撮った写真。いつのまにかなくしてしまった、彼女との最後の写真だった。ずっと探していた。
ぱっちりとした綺麗な瞳は、凪いだ海を思わせるように穏やかだった。ただひたすらに、笑顔でこちらをみている。無言だった。
だんだんと息が詰まってくる。
ゆっくりと、ひざを床につけた。
そっと人魚に触れようとして、辞めた。
ぼくが触ったら、もしかしたら呪いは解けてしまうかもしれない。
きみがただの水死体に戻ってしまえば、彼女もこの写真も海に戻ってしまう。濡れて、ただの紙になって、波に攫われ消えてしまう。
臆病なぼくは、そんな選択をすることなんてできなかった。
「ぼくをいつか食べてくれませんか」
返答はない。
セイレーンは人間を食べると言われている。もしかすると、セイレーンになったきみも人間を食べるのかもしれない。
いつかぼくが彼女に食べられたとしても、それでいい気がした。それが彼女に対する贖罪になるなら、喜んでぼくは受け入れよう。
返事をしない人魚は、ただ楽しげに尾びれを揺らす。
何を考えているのか、ぼくには分からない。でも、ぼくは幸せな呪いとここで暮らすことにした。
まだ今は。
「どうして!?どうしてあの子が死ななきゃいけなかったの!?」
ぼくは立ち尽くしていた。
彼女の母親が、狂ったように叫び続けている。
その痛ましい様子から、ぼくは目を逸らしてしまった。
ぼくが殺したようなものなんだ。
だから、だから……。
気を紛らわそうとして窓の外を眺める。
いつのまにか黒く、墨を垂らしたように染まっていた外の景色。
もうぼくは太陽の光を拝むことはできないだろう。太陽は昇らない。
どうしてか、そんな気がした。
世界から彼女が消えたとて、世界は変わらず回っていくのに。
飛び起きた。
ぼくの部屋だった。
小鳥がちゅん、ちゅんとさえずっている。
夢だったのか。
一息ついて、立ち上がった。相変わらずソファーには人魚が寝転がっている。
祈るような気持ちで顔に水を打ちつける。タオルで水滴を拭ってゆっくりとまたソファーの方を見た。
まだいた。
何度目をこすったって、顔を洗ったって、間違いなくそこにいる。初めて人魚と出会ってから、もうしばらく経つのに、まだいる。
物言わぬ人魚は、いつまでここに佇んでいるのだろう?
朝のパンを袋から取り出す。
ああ、全部朝起きたら忘れていればいいのに。あの日のことも、彼女のことも、こうなるぐらいだったら忘れたい自分勝手な気持ちが、ずっとぼくの中に巣食っている。
鼻の奥に染みついた潮の香りと、ほんのり混ざったマーガレットの香り。彼女のあたたかな匂い。
忘れられたら、流し切ってしまえるのにな。
セイレーンは絶対に、そんなことは許してくれないよね。
これは、ぼくの罪を償うためなんだから。
ふいに、彼女がソファーから降りてくればいいのに。
ぼくのつまさきを彼女は掴んで、ぼくの世界が回ればいい。人間では出せないくらいの強い力で、床に叩きつければいい。
そして|縺昴?縺セ縺セ縺。縺九i縺セ縺九○縺ォ《そのままちからまかせに》、|縺励g縺上h縺上?縺セ縺セ縺ォ《しょくよくのままに》、なすがままにして。
ぼくを罪ごと噛み切ってくれよ!
なにか言ってくれ。お願いだから。
ぼくを罵ることばでもいい。
許さなくてもいいから、どうか、お願いだから。
やっぱりこんなのは呪いだ。はやくけしてしまいたい。
なにもいわないにんぎょはいまもずっとぼくをみつめてる。
かがみのなかに、かのじょはうつらない。
だってにんぎょだから。ふしぎ?
ともかく、にんぎょがうつったらこいはおわってしまう。
にんぎょはさいごあわになってしまう。しんかいのそこにかのじょをおいやるなんてぼくにはできない。
もういやだ。
なげだしたい。
おいだしたい。
さよならしたい。
そめてほしい。このへやをまっかにそめてほしい。|縺上■縺九i縺励◆縺溘k《くちからしたたる》あかがみられたらそれでいい。
ごめん。
「……ん?」
ぼくはソファーの前に横たわっていた。ふかふかのマットが心地いい。
何、してたんだっけ。そういえば朝のパンを食べようとしてたんだっけ。
ぼくは食べられようとしてたんだっけ。分からない。
ソファーの方を見て、ぼくは絶句した。
人魚はいなかった。
なんで?なんで彼女は消えてしまったんだ?
おかしい。ぼくは彼女にずっと消えてほしいって思ってたのに。解放されたのに。
この胸を締め付けるものはなんなんだ?
いつか戻ってくるだろうか?また戻ってくるまで待てばいいのか?
でも本当は。
本当なら、セイレーンなんていない?
いるんだ。セイレーンは絶対に。
ぼくはぼく自身を|縺斐∪縺九☆《ごまかす》のをやめたのか?
ごまかしてなんかない。ぼくの隣にセイレーンはいた。
|縺偵s縺倥▽繧偵∩繧《げんじつをみろ》ってことなのか?
さっきのが現実なんだ。これはきっと夢なんだ。二度寝だ、きっと。
みっともなく縋ったり嫌ったりするのはもう終わりにしろというかそんな感じなのか。
「……そっか。そうなのか?」
問いかけても、返ってこないけどね。もういないんだから。いても返ってこないんだから。ばかだな、ぼくって。
きみが本当に、ただの水死体に戻ってしまったのなら?
そんなこと考えることもできないくらいなのにな。ただの強がりだ。ぜんぶ。
消えてほしいなんて思ってごめんね。
本当はずっと一緒にいたいんだよ!そうだよ!ぼくはきみに恋してたんだ!ずっと!
|縺翫>縺ヲ縺?°縺ェ縺?〒縺翫>縺ヲ縺?°縺ェ縺?〒縺翫>縺ヲ縺?°縺ェ縺?〒縺翫>縺ヲ縺?°縺ェ縺?〒《おいていかないでおいていかないでおいていかないでおいていかないで》
いやだいやだいやだいやだ。
大好きって言ってくれた。大好きならそばにいてよ。|縺翫>縺ヲ縺?°縺ェ縺?〒《おいていかないで》よ。
おいていかれたくないなら、ついていけばいいのかな。
答えは簡単だった。ずっと出ていたのに。本当にばかだな、ぼくは。
近くにあった小さなカバンに、フォトフレームを突っ込んだ。婚約指輪を引き出しから出して、それもカバンに突っ込んだ。あとはもういいや。
今から向かうからね。
海水浴場は静まり返っていた。
ただ、穏やかな波の音が響いている。
きみは今もここで暮らしている。
よく考えたら、人魚が海の外に出ることなんてできないよね!
きみは初めから現れてなんかいなかったんだ。ずっと前からそうだった。悲しいくらいによく知ってる顔の遺影はまだ笑っている。さすがに持っていくのは良くないと思った。
これから、ぼくはずっときみと一緒なんだから。一人ぼっちで悲しむ必要なんかない。
あの日の幻が蘇ってくる。あのまま、呑まれさせてくれても良かったけど、別にこっちの方が彼女もぼくも幸せなはず。
きみとぼくの水死体がうかんでくるまで、この海で暮らしていようね。
「これだけが救いだ。」
呟いて海にとびこんだ。
スマホの画面が歪む。水没したからかな、画面は文字化けし始める。
マーガレットの香りがするフォトフレームから写真を外す。婚約指輪をケースから取り出す。
桃色の髪が揺れた。泡の中で、揺らめいている。
ぼくは彼女に向かって指輪を渡した。
笑って受け取ってくれた。気がした。
マーガレットの花言葉
真実の愛、心に秘めた愛。私を忘れないで。