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キャスケード・ブーケ
〈勿忘草〉
苦しい。
前触れもなく、強烈な吐き気と喉の閉塞感が俺を襲う。
突然のことに思わずくの字に体を折って咳き込んだ。
気持ち悪い。
ふらりと床に膝をつき、口元に手をやる。
それを待ちかねたように、耐えきれなかった咳が喉から漏れた。
「ぐッ──ゲホッ…がッ……ぅ……ぁ……?」
やっと収まった。
急に如何したというのだろう──そう思った俺は、自らの掌を見て絶句した。
「……は、な?」
黒い手袋に散ったのは、小さな小さな、水色の|葩《はなびら》だった。
***
「……花吐き病、だね」
「は?」
突如、俺が花を吐いてから。
俺は首領に診察をしていただいていた。
しかし、その知らされた病は思いもよらぬものだった。
「正式には、嘔吐中枢花被性疾患。……片恋病、とも巷では呼ぶらしいね」
片恋。
「原因は、拗らせた片思いだよ。未だ大丈夫だけれど、いずれは死に至る可能性のある病だ」
それを聞いた時、ふっと心をよぎるものがあった。
黒髪の蓬髪。
砂色の外套。
ぐるぐると巻かれた白い包帯。
懐かしいと、叫びたい。
けれども、そのどれもが、俺には届く筈のないもの。
──嗚呼、此れか。
身の丈に合わない思いで身を滅ぼすなんて、異能で身を滅ぼすよりも滑稽だ。
心の中で自嘲する。
「この病は、体内の組織を花弁に変え、吐き出す。吐くことにもエネルギーはいるし、やがては衰弱する病だよ。完治する方法は、“片思い“を終わらせること」
「……そうですか」
如何して発症したのか、なんて考えるまでもない。
ただ、自分が未練がましいだけの話。
惨めったらしく、思いを消すこともできずに座り込み続けた弊害。
消せることなら消してしまいたい。
けれども、消すこともできないほどに、それは大きく、深く、俺に根付いていた。
失うことが、恐ろしいのだ。
この思いを、彼奴を。
ならば、俺は──
「中也くん」
「君は、強い。けれども、強がりは──否、私が言うことでは無いね」
首領は、全てを見通す瞳を伏せて、寂しげにそう口にした。
***
「中也さん、どうか──」
「気にすんな。未だ仕事は残ってるだろ?」
「中也さんッ!」
仕事を持ってこい、と催促した俺に、部下が苦しげに言った。
「本当に、大丈夫、なんですか?」
「……応」
勿忘草を吐いてから数ヶ月。
俺は見て分かるほどに衰えていた。
チョーカーをつけるたびに、緩くなっていく。
目には隈ができてしまったため、コンシーラーで隠していた。
顔を傾けると、前髪が額を撫でる。
その色は、艶めきを失い、パサついていた。
彼奴が、嫌いじゃ無いと言ってくれていたのに。
「ッ──」
しまった。
包帯だらけの彼奴を思い起こした瞬間に、吐き気が催される。
顔を青くした俺に、慌てたように部下が言った。
「ッ! 一寸スポーツドリンク買ってきます!」
パタン、とドアが閉じる音を認識したと同時に、口から花が溢れた。
吐き出す花は美しく、俺を嘲笑う様に咲き続ける。
『私を忘れないで』
──なんてエゴなのか。
『失われた愛』
──抑も愛なんて与えられなかった癖に。
『はかない恋』
──嗚呼、そうだな。
覚えてしまった花言葉を思う出すたびに苦しくなる。
とんだ独り相撲だ。
如何にかして。
(此れから逃げたい)
そう頭の中で呟いた時には、意識は遠くなっていた。
***
それから、何をしていても花を吐くようになった。
明らかに悪化した俺に、首領は目を瞑って数日間の休暇を出して下さった。
申し訳ない。
せめて、死すまでマフィアに身を捧げようとしていたのに。
けれど、首領はそれを知った上で休暇を出したのだろう。
射座愛の気持ちばかりが生まれてくる。
兎に角、俺は、長い長い時間を持て余していた。
街中を歩いていると、本人を見かけることも、想起してしまうことも増えるから、必然的に外は出歩かなくなる。
家の中のものには、彼奴を思い出させる何かが結びついているから辛くなる。
「ぐっ…ぁ…ガハッ──ゴボッ」
今回はまた、一段と量が多い。
喉が焼けるように痛む。
あ、これはやばい。
視界が白く飛び始めて、初めてそう強く感じる。
『中也ッ!?』
フローリングに倒れた俺の耳に届いたのは、鍵を開けるような音と聞こえない筈のテノールだった。
***
「、 」
暖かい。
ここ数日ろくに感じていなかった、布団の暖かさを感じて目が覚めた。
自分で行った覚えはないと言うのに。
その時、寝台の隣から聞こえてきた声に俺は飛び上がった。
「あ、起きた」
「!? だざっ」
「一寸、寝てなよー」
なんで、太宰がここにいる。
その問いは、太宰によって体ごと寝台に沈められた。
「全く、私が来なかったら如何するつもりだったわけ?」
それに──
と太宰は続ける。
鳶のはずの瞳が黒く塗り潰されている。
白い指は、水色の小花を摘み上げていた。
嫌悪の一瞥を花にくれると、笑って問う。
「この花は誰の?」
誰の。
その問いが、誰が吐いたものか、ではないことくらい、俺にも分かった。
聞いて如何するつもりだろう。
滑稽だと嗤うつもりなのか。
気色悪いと拒絶するのか。
どれだって良い。
どれにしろ、結果は変わりはしないのだから。
「……誰だって良いだろ」
「答えて」
手前はそんな、黒くなっちゃあいけないだろ。
何がそうさせるんだ。
──そんなに、俺が憎いか。
その答えに行き着いたからだろう。
再び、身を焼くような喉の痛みと嘔吐がやってくる。
「! 中也、 」
辞めてくれ。
そんな、優しくなんてするな。
背を摩るその掌が恐ろしい。
その手は二度と、俺を導いてはくれない。
「ゲホッ……かは、ぐァ……ゴボッケホ、げほ」
消えてしまいたい。
こんなことを手前に知られるくらいなら、知られる前に、こうなる前に死にたかった。
「中也……」
気遣わしげに見る太宰に、咳がひとまず止まった俺は言った。
「手前だよ」
「は」
嗚呼、言ってしまった。
軽蔑される。
そんな瞬間的な怯えを体現するように、喉の奥が疼いた。
頭上からは何も聞こえない。
どんな顔をしているだろう。
侮蔑か、嫌悪か──興味をなくした、虚空か。
しかし──なぜ、驚いた反応を見せたのだろう。
こいつに限って知らなかった、など無さそうなのに。
俺は半ば義務的に、そして一種の怖いもの見たさと責任感から、恐る恐る顔を上げた。
「、 」
はっと息を呑んだ。
何で……そんな顔をする?
予想だにしなかった表情に、俺は目を見開いた。
「 」
嘘か。
揶揄いか。
けれどもそれが嘘ではないと分かるのも自分。
つっかえる様なじくじくとした痛みが、そっと拭われる。
寒くはない。
暖かく、柔らかい。
そのことは、新たに吐き出した白銀の芳香が物語っていた。
Fin
---
〈百合〉
「……またか」
私は掌に吐き出したソレをみて、小さくつぶやいた。
滑らかな黒。
悪意の闇を煮詰めた様な、“此の”私に相応しいものだ。
──病は相応しいとは到底いえないものだけれど。
***
嘔吐中枢花被性疾患。通称花吐き病。
片思いを拗らせると発症する、命の危険もある病。
そんな病に、私は罹患していた。
此の病の付き合い初めて、もう長い。
けれどもその長い時間があっても、此の世界の太宰治が罹るには、理解し難いことだった。
首元の紅いストールに目を落とす。
私は首領。
元ポートマフィアの探偵社員ではない。
私は此の世界の織田作を守るために心血を注いできた。
全てを。
けれどもそれは、友人として。
断じて片思いではない。
それに、此のことに関して、私は少々心当たりを持っていた。
朱を纏う狗を思い出す。
けれども私は、そんな“恋”などと言う浮ついたものに時間を使う暇はない。
此の、織田作が小説を書く世界を、それを行うヨコハマを、守るそのことが。
何よりも。
何よりも──
(大切な筈なのに)
なのに、此の病は私にひっそりと忍び寄り、此の世界の“僕”を思い出させようとする。
とうの昔に捨てたものを。
本編の世界の様に浮世を厭い、それでいて謳歌する様な真似は、私はしない。
絶対に。
けれども、その“僕”は言う。
寂しいのでしょう?
引きずり込んででも自分のものにしたいのでしょう?
すれば良い。
君だって“太宰”なのだから──
──と。
嗚呼、全く。
気色が悪い。
私は手の中の黒百合を握りつぶした。
黒いちぎれた花弁が床に落ちる。
花言葉の通りに、恨む様に雄しべが此方を見る。
それを私は無機質に見つめ返した。
***
終わる間際の、不思議な興奮によって世界が遅く感じる。
嗚呼、これで終わる。
それなのに、何故だろう。
何故、今になってこうも胸がつかえるのだろう。
けれども、私はそれを感じない。
感じようとはしない。
横目に、朱い彼が目を見開いて此方を見つめるのが見えた。
けれども、そんなこと知ったことか。
そう思うのに──
“僕”は震える。
ちりりと喉の奥が疼いた。
──こんな時に。
私はそっと目を瞑った。
強い衝撃。
物言わぬ黒の側に、赤く朱く濡れた黒百合が、静かに咲いていた。
Fin
どうも眠り姫です!
キャスケード……滝
受け止めきれずに強く流れ落ちる水と、花と、思いを一緒くたにしてつけました。
花言葉
勿忘草…私を忘れないで
白チューリップ…失われた愛
アネモネ…儚い恋
黒百合…呪い 復讐 愛 恋
赤百合…虚栄心
私、書く分岐世界はBEASTばっかですけど、何気にファミマフィア好きなんですよ?
書かないけど。
そしてBEASTの解像度が低くても文句はNGです。
あの世界の太宰さん、中也さんに関心なんてなくないか? なんてのも、ダメです。
おんなじ人ですから。
少なくとも、途中までは同じ思考回路で生きてる筈なんです、たぶん。
多分15歳くらいまでは。
だったら僕の犬発言だってしてる筈。
忠実メイド発言はしてないぽいけど。
そうだろ!?
って思って。
でも本当は黒百合も中也の予定でした。
なんか書き出したら変わってた……
では、ここまで読んでくれたあなたに、真白のカサブランカを!