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ありすのせかい
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「有栖ってさ、インスタで投稿してたりするん?」
は、とフリーズする私をお構い無しに、千佳はスマホを見せてくる。茶髪のセミロング、三月の空みたいにくすんだ青のネイル。千佳はそのネイルを拡大すると
「有栖さ、三月くらいにこの色みたいなネイルしてたよね! それにユーザー名の『チェシャ』って名字の|有栖《ありす》からとったでしょ!」
基本的にクールな友人から放たれるエネルギーに気圧されて、『うん』とも『ううん』とも取れるような曖昧なうなずきをした。すると、千佳はそれを『うん』の方で受け取ったのか
「じゃあ、マカロンあげる。ファンとして」
こちらに選択させる余地のない勢いで、白くてつやつやと光る箱を差し出してきた。
ありがと、と私は千佳を適当にあしらって、「気をつけてー」と別方向へ向かう友人に手を振った。
千佳のスカートら、中高生のときに、内申点全てをむししてまで貫いていたミニスカートではなくなっていた。揺れる長い裾と『東__町病_行_』と掠れたバス停の表示をぼんやり眺めてみる。時の流れ、とも口ずさんでみる。
“彼女”がいる場所には、ぎぃぎぃと軋む木の床と呼吸以外には音がない。だから、私はここに入るとき、かなり申し訳なく感じてしまう。
カーテンを慎重に開けながら
「来たよ」
いつもより、息を多く混ぜて話す。
この場所の一番奥にいる“彼女”は今日も右腕をだらん、と垂らして左斜めの方へそっぽを向いていた。
変わってないな、と私は安心して
「友達からマカロンもらってきたの。千佳ちゃんから」
白い箱の中を見せてから、ハンカチを使ってどらいあいすあを取り出した。それを“彼女”よ耳たぶへ。最初の方は、“彼女”の体がぴくぴくと動いていたが、数分間そのままにしていると、肌は硬くなって、白い陶器みたいになっていた。
私は耳たぶを触って、その冷たさを確かめてか、バックに手を入れた。ピアッサーを手に取る。
この場所全体から聞こえる呼吸に合わせて、ふかくふかく息を吸って、それから半分くらい吐いたところでピアッサーに力を込める。
ばちんっ、と大きな音が響き、“彼女”ら耳からピアッサーをはたき落とした。“彼女”の耳には銀色のピアスと、痛みによる熱だけが残っていた。
「ごめんね、|植物状態《ベジ》でも痛いよね」
そう語りかけながら茶色のセミロングヘアを耳にかける。
「ほら、外はもう春だよ」
部屋にある、緑のかーテンを開けると、ちかちかするほどの陽光と咲き誇るネモフィラ。
私はスマホをとり出して、彼女にそっぽに向かせたまま写真を撮った。何回か撮影したところで満足できるものが撮れて
「似合ってる」
私は“彼女”を抱きしめた。皮膚と消毒の匂いの間から、熱が伝わってきた。さすが春。さっきより柔らかく感じる光も相まって、少し眠りたくなった。けれど
「そうだ。マカロン、食べたいよね」
立ち上がってマカロンを取り出す。薄い緑、ピスタチオ味のを“彼女”の唇にすりすり、とさせると、口がぱかっと開いてむしゃむしゃと食べていった。
一応『ファンとしての差し入れ』として千佳から貰ったものだから、少しだけ罪悪感を覚えた。もっとも、それは『そう感じる』だけであって、本当は違うのだが。
さっき撮った写真に、少しだけ明るさを足して、壁をぼかす。そしてインスタに投稿すると、数秒経っただけでハートが一つ、濃いピンクに光った。
「インスタグラマーであり、今やフォロワー一万人超えの『チェシャ』は君だからね。みーんな雰囲気だけで物事を判断するから、私に勘違いされるけどね」
私もコーヒー味のマカロンを手で弄びながら
「君が好きなネモフィラって、一年で枯れちゃうの。だから、私は毎年植えてるの」
と言って、記憶の中にある“彼女”の『すごいね!』と無邪気な声を聞く。
「私のは名字だとはいえ、『ありす』って名前は君の方が似合ってるよ。ね、ありす」
だから。
「変わらないで。ねえ、そのまま、私が知ってるありすのままでいてよ」
ふー、と“彼女”の呼吸が聞こえる。呼吸している限りは老化はするけれど、姿まで変わってしまったら、もうそれは“彼女”じゃなくなってしまう気がして。それを残すために、インスタで記録している。自己満だけれど、勘違いされるけれど、それでも良かった。
老化へのささやかな抵抗。気がついたら私は“彼女”の唇を塞いでいた。食事と勘違いしたのか、“彼女”の唇がもぞもぞ動いて、『生きてる』と月並みなことを思った。
ありすも、私も、ネモフィラが咲くこの季節のここで過ごしていたかった。アリスの、六時のお茶会みたいに永遠のせかいでいたかった。
そんなことを、考えていた。キスをしている間はどうやら、正常な思考をすることができないらしい。
有栖とありすとアリス。春だと思っている。
惰性で書かなかった日数:30
執筆した日数:1
展開がスピーディーすぎる。