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静寂の確たる物音
カチ、カチ、カチ。
三回、音が鳴った。
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「はい、××××書店の|和戸《わと》です」
本の林とも言えるほど、本が並び、客室も並んだインターネットカフェのカウンターの電話が鳴り、それに俺だけが応えた。
『もしもし。春山高校の教師を勤めております、|杉山渡《すぎやまわたる》と申します。|日村修《ひむらおさむ》さんはおりますでしょうか?』
「日村さんですか?お待ち下さい」
固定電話をテーブルにゆっくりと起き、客室の中の〖221B〗と名がある客室の扉をノックした。
「日村さん、電話です、電話!春山高校の_」
言い終わる前にややクリーム色の髪に緑色の瞳をした、どこか英国紳士を彷彿とさせる男性が出てくる。
「杉山渡か、電話を貸してくれ」
「ええ、どうぞ」
テーブルに置いた電話を手に取り、話をする男性の名前は日村修。数年ほど前からこのネカフェに滞在していて半分住居化している。料金などは貰っているが、そのお金が一体どこから出ているのかは全くの不明である。
しばらく電話していたが話がまとまったのか日村が電話を切り、こちらを見た。
まるで、獲物でも見たかのような瞳をしていた。
「|涼《りょう》くん、ちょっとついてきて欲しいところがあるんだが...」
「......なんですか?」
「春山高校だよ、今すぐだ」
「今すぐって、そんな急に...相手方にも迷惑じゃ...?」
「大丈夫だ。良いなら行くぞ」
「いえ、まだ良いとは言って_」
また、言い終わる前に日村が俺の手を握り、言葉を無視して引っ張っていく。
いつもこうだ。店員の手を取って巻き込むスタイル。それが、日村修だ。
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私立春山高等学校。有数の進学校で、ロボコン等の理系大会の強豪校の一つとされる。
それが、日村などのたかがネットで有名な私立探偵なんてものに頼むなんて変わった話もあるものだ。
「長旅、ご苦労様です。僕は電話でお話しした杉山渡です。よろしくお願いします」
「ああ、どうも...僕は付き添いの和戸涼です。よろしくお願いします」
俺が電話の相手と喋る間、日村は珍しそうに校舎内を探索し、近くにいた女子高生に囲まれていた。
女子高生の瞳はキラキラと輝いているが、反対に日村の瞳は横に泳ぎつつあった。
「...あの方、あのままで大丈夫ですか?」
不意に杉山が口を開いた。
「多分...大丈夫じゃないと思います...」
二人でそう苦笑して杉山が女子高生を注意し、日村を引っ張ってきた。
その後、杉山が「そろそろ本題に入りましょうか」と言って職員室へ案内されることになった。
複数のテーブルがオフィスのように連なり、そこに様々な人が作業をしている。
どれもテストの採点結果について話しているようだった。
「最近、なんだか...」
「やっぱり、そうですよね...」
「見て下さい、いつも0点の野日が!100点ですよ!」
「鈴木先生...僕...もう......採点、したくないです......」
「担当教科の生徒全員分のテストを...たった数人でやれとか...公務員のくせにブラックだ......」
何人かは愚痴を吐いている。公務員職なのだから、しょうがないだろう。
「...それで、そろそろ話を聞いてもいいかな」
職員室に入ってすぐに日村が口を開いた。
杉山が頷いて、職員室の扉を閉める。まるで聞かれたくないことのようだ。
「...見ていただけると分かりやすいのですが...」
そう言ってある生徒の小テストの採点結果を手に取って、こちらへ見せる。
どれも満点が多く非常に優秀な生徒であることが分かるが、他の採用結果も見ると問題は全部で10問あるのに対し、全員の採点結果が百点満点であることだった。
「...これ、問題が全部、数字の答えなんですね...それも、全員が全部一緒...」
「そうなんです。いつも小テストをホームルームで行うんですが...この2-Aだけ全員の回答が一緒なんです」
杉山が困ったように俺の問いに応えた。すぐに日村が呟き、指摘した。
「しかし、小テストで語群から数字の記号で応えるだけだろう?一緒なのは当たり前だ」
「そうですけど...そういうことではないんです。毎度、全ての生徒の答えがまるっきり一緒に答えが合っているんです。誰か一人、間違えたって良いじゃないですか」
「...なるほど?」
ふと日村から目を逸らして杉山を見ると、杉山の顔が真剣な顔になっていた。
「日村さん、僕ら春山高校の教師一同、これを生徒のカンニングだと考えています。ですが、それを立証する証拠がない。その証拠をカンニングの謎と共に探してはくれませんか?」
そう言われた日村の瞳には子供のようにキラキラと輝く、どこか楽しげな光がそこにあった。
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「●●●大学から参りました、日村修と_」
「和戸涼、です」
ざわざわと二人の来客に騒ぎ立てる高校生。
話し声は波のようにゆっくりと広がり、大きくなっていく。
やがて、その波が収まると一人の男子学生が声を挙げた。
「はい!日村さんと、和戸さんって彼女いるんですかっ?」
嫌な質問をする高校生である。名札を見れば〖佐竹〗とだけある。ハツラツとした声の何とも健康そうな男子だった。隣の席には大人しそうな女子高生が一人。
名札は〖平山〗。教科書を開いて何やら勉強をしている。ホームルーム前の挨拶くらい、真面目に聞いてほしいものである。
適当に日村の代わりに答えて、クラスの担任である杉山が「それじゃ、小テストするぞ」と言った瞬間に男子高校生からブーイングが起きる。
「決まりは決まりだ、ほらテスト始めるぞ」
「...あの、僕達はどこへ...?」
「和戸さん達は、後ろで見ていてくれますか?」
「ああ、はい...分かりました」
平山がうっすらと動揺して、佐竹の服の裾を弱々しく握るのが見えた。
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懐かしのチャイム音が鳴り、一斉に紙を捲る音がする。
そのまま鉛筆やシャーペンの音が響くと思いきや、何の音もしなかった。
静寂が続いた。
やがて、シャーペンが走る音がして、カチカチとした音がした。
その途端、他からもシャーペンが走る音がした。
それが何回か繰り返された。
そこから30分後、杉山が終了の合図を出し、一度テスト用紙を回収して職員室へ戻ることになった。
「何か、分かりましたか」
廊下で杉山が先に口を開いた。日村がすぐに応える。
「ああ、なんとなくはね...ところで、その回答用紙もやはり同じ答えなのか?」
「そうですね。今日は歴史の小テストで、今回も語群から答えになる記号の数字を選択する問題だったのですが...回収時に粗方見てみたところ全員が全く同じ回答で、全問正解でした」
「まぁ...そうだろうな」
納得するような顔をして先に歩き始めた日村を追い、後ろにいて杉山がポケットに入っていたと思われるシャーペンを一つ落とした。
引くボタンが床に落ちる瞬間、カチリと音が鳴った。
「......学生の...浅知恵ってやつだな...」
日村の瞳に落ちたシャーペンが映り、深い緑の瞳がキラキラとまた輝いていた。
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チャイム開始と同時に問題用紙に目を向ける。
問題の答えをすぐに導き出し、いつもの数字の語群からシャーペンを走り出させた。
そこからシャーペンの色を変えるカチカチと言う青や緑のボタンのようなところを2回引く。
すぐさま、周りの生徒が答えを書いた。
いつも通りだ。いつも通りの、はずだった。
「ねぇ、君...ちょっと指導室に来て貰えるかな」
黒髪に黒い瞳をして黒い眼鏡をかけた端正な顔立ちの客人、和戸涼にシャーペンを持った腕を掴まれた。
「な...なんですか?」
「俺...僕には分からないんだけど、日村さんが君を呼んでるんだ...《《佐竹》》くん」
「なんで...僕...?」
何を言うでもなく移動を促す和戸についていくほかなくなったと感じた。
素直に席を立ち、辺りを見渡す。心配そうな顔をした同級生たちと、泣きそうな顔の平山。
終わったと思った。
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「お、やっと来たな」
杉山と話をしていた日村が俺と佐竹くんに顔を向けた。隣の杉山の顔は真っ青な顔をしている。
もう本当の答え合わせをしたのだろう。
佐竹くんを日村と向かい合わせるように座らせ、俺も近くの椅子へ杉山と共に座った。
「あの...僕は、なんで...連れて来られたんですか?」
怯えるような顔で佐竹くんが歳相応の表情をしている。
すぐに日村が応答した。
「なんで、か。...もう分かってるんじゃないのか?」
「......何の...こと、ですか...?」
「今日の小テストは、きっと皆...満点だろうな」
「.........」
「君のクラスの担当の...杉山先生が言ってたよ。君のクラスはいつも小テストで、皆が百点満点なんだってな。そりゃあ、凄いことだ。中間テストや期末テストで、それを活かせるといいが...数字じゃなきゃ、無理なんだろう?」
「何が...言いたいんですか...」
「そういえば、小テストはいつも数字を記号として、正解を語群から選ぶスタイルだな。とても楽なテストだ。
さて、君のクラスがテストを受けていて思ったんだ。チャイムが鳴ってからはすぐに皆が問題を解くのだから、シャーペンや鉛筆の音が聞こえても良いだろう?
それが、どうだ。全く聞こえてこない。しばらく経って、君からシャーペンが走る音がすると、カチカチとシャーペンを鳴らす音が響く。次に様々な物を書く音がする」
「......それが何の関係が...?」
「関係はかなりしているね。少し調べたんだ。
そのカチカチと言う音...君からシャーペンの音が鳴ると皆が解答用紙を書き始める。つまり、その過程で同級生達に答えを教えてるんじゃないか?」
「仮に、そうだとして...シャーペンの音なんかでどう伝えるって言うんです?」
「そうだな、例えば...ある問題の答えは1で、シャーペンを一回鳴らす。それを周りにシャーペンの音の一回は1、2回は2、三回は3...そういう風に最初から法則を伝えておけば、どんなことにも応用できるな。
誰かが入ってきた人数を伝えたい時、欲しいものをいくつであるか伝えたい時......もしくは、《《テストの答えを伝えたい時》》。」
「......」
「それで...今言ったやり方は正しいかな?」
日村が笑うように佐竹くんを見る。佐竹くんは怯えるような顔から、いつしか申し訳なさそうな、どうにも腑に落ちない顔をしていた。
「...その通りです。とても、とても...正しいです。もはや、正解なぐらいに」
そう言って、観念したかのように笑った。
「それは何よりだ。...君はその知恵もそうだが、相当優秀な生徒なんだろう。そんな生徒がわざわざクラスを巻き込んだカンニングをするとは思えないのだが...理由だけでも、教えてもらえないか?」
その日村の言葉を皮切りに杉山も「先生にも教えてくれ!」と反応した。
佐竹くんは笑い顔を崩さずに、よく通る声ではっきりと喋った。
「...これは、僕だけが悪いんです。どうか、これから出てくる人達には何も言わないであげて下さい。
僕は平山さんと中学の頃から付き合っていたんです。この高校に来たのも、ずっと一緒にいられるためです。
けど、彼女が高校に入ってからの成績はご両親からすると、ひどく悪いもののようで度々勉強を教えていました。
それだけなら、良かったんです。本当に、それだけなら...」
「...何が、あったんだ。先生に話してみなさい」
そう佐竹くんに語りかける杉山。その背中に教師としての在り方を感じた。
「...僕の両親は、正直...学歴主義なんです。それが勉強が苦手な人と付き合ってるなんて知られたら親から大反対されます!
それで、ちょっとだけでも、小テストだけでも良いから、とにかく彼女の成績を伸ばしたくて、伸ばしたくて...」
「...でも、それがクラス全員がカンニングする理由にはならないだろ」
「それは...そうです。でも、僕が彼女を手伝っていることが誰かからバレてしまって...そこから、次へ次へと一緒にカンニングする生徒が増えていったんです...」
平山という彼女を助けたかったのは事実だろう。しかし、クラスメイト全員がカンニングする流れになったのは他人の楽なことに目がない性のような気がする。
しょうがないことではある。しかし、カンニングをした、手伝ったという事実は変わらない。
佐竹くんが俯き、嗚咽が漏らす。
仮に彼が彼女と似たような人間なら、苦労せず全うに協力できたのだろうか?
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「...案外、つまらなかったな」
帰りのバスに乗りながら日村が怪訝そうな顔をしていた。
「つまらないって...しょうがないじゃないですか、高校生が考えることですよ?」
諭すように俺が言葉を返した。
あの話の後、佐竹くんは校長と面談し、全てを話した。
とあるクラスの全員がカンニングをした、という事実にそれはそれは驚いたそうだが、理由を聞くと平山に特別指導支援を勧め、佐竹くんには今以上に学びを深めることを諭したらしい。
他のクラスメイトはというと親には連絡しなかったそうだが、このようなことがないよう厳重注意とテストでの警戒や注意を強化したらしい。
どっちにしろ、校長が融通の利く人物だったことに感謝するばかりだ。
そう物思いにふけって、日村を見る。
大欠伸をして眠そうにする日村に「着いたら起こしますから、寝ていて良いですよ」と言った。
日村がすぐに顔を窓に向けて瞼を閉じた。
窓の外には、綺麗な橙色の夕焼けが湖の水面に反射して、美しく輝いていた。
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