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【曲パロ】ヘブンズバグ
語彙の選び方が本当に素敵なんです。
※いよわ様のボカロ曲「ヘブンズバグ」の二次創作です。
ふわりと、風がわたしの頬を触れる。どこか懐かしい香りに、少しぼうっとしてしまった。
周りではみんな盛んに糸を出し、丸く丸くしていっているのが見える。
「ハルカ?繭、作らなくてもいいの?もうじき繭作りの時期だよ?」
「……うん。気分になったら作る」
少しだけ出した糸であやとりをしながら答えると、彼女はゆっくりと息を吐いた。まるで呆れたように。
「まったく、あんたってやつは!本当に楽観的な性格なんだから!」
ピューピューと糸を吐き出し、丸めながら彼女は歩いていってしまった。きっとそれも繭作りに使うのだろう。真面目だ。
「……別にいいでしょ」
どうせわたしたちは繭作ったって大人になれないんだから。
大人になる季節ぐらい、楽観的なふりをしたっていいじゃない。
わたしが「あのこと」を知ったのは1年前のことだ。
いつものように、こっそりお部屋を抜け出して「外」に行った。お友達にもお姉ちゃんやお兄ちゃんたちにも、ないしょのお散歩。
ほんとうなら、お外には出たらいけない。わたしたちのからだは弱くて、激しい運動をするとすぐ傷ついてしまうから、らしい。
でも、わたしは周りに比べて、からだが強かった。
だから、お部屋の中にずっといると退屈で、夜にこっそりお外に遊びに行っている。
わたしたちは人間さんよりからだが小さいから、すきまを見つけて外に出ることもできる。
今日はここを散歩しようかな?と、お部屋の周りをぐるぐる巡っていたその時、ふと耳にしてしまった。人間さんの話を。
「あいつらももうそろそろ『収穫』の時期だな。湯の準備をしよう」
「そうですね。今年は豊作なので、楽しみです」
あの時はよく分からなかったけれど、心臓がドキドキして、ちょっとだけ怖かった。
立ち去る時に人間さんは紙を落とした。ダメだってことは分かってた。でも、好奇心に負けてしまった。
中身は、わたしたちの『収穫』について。
「繭を作ったかいこは熱湯に入れて、湯で糸をほどきましょう」
そう、書かれていた。
「熱湯?でも、わたしたちは……」
わたしたちかいこは。そんなに熱いお湯なんて、入ったら。
急にからだが冷えて、怖くなった。いつもより早くお部屋に戻ったけれど、からだの震えは止まらなかった。
その年に繭を作ったお姉ちゃんやお兄ちゃんは、当たり前のようにお部屋からいなくなった。
大人になったのかもしれない。
かいこのいくらかは大人になれる、って。あの資料には書いてあった。だけど、きっと全員じゃない。
もしかしたら、ほんとうは。なんて、いやな妄想がわたしの頭から離れない。
あやとりをやめて、わたしはお部屋の自分のスペースで横になった。いつのまにかみんなは寝ていて、わたしだけが起きているみたいだ。
小さな声でつぶやいた。
「……うそつき」
ちょっとだけ泣いてしまった。ただのこどもじゃないのに。もうすぐ、大人なのに。
あの怖い記憶は、私の中で糸となってほどけはしない。忘れられない。
いつか忘れられなくても、心が大丈夫になる日が来るのかな?
口の中でもごもごとつぶやいて、わたしは今日も寒くなる。
朝日の爽やかな匂いを嗅いだ。
どうやらそのうち眠っていたみたい。ゆっくりと体を起こした。朝ごはんの時間はまだだ。眠気はない。
寝ることはせずに、プレイルームに行くことにした。そのうち、繭作りで行けなくなるかもしれないから。
プレイルームはやはりというか、閑散としていた。早朝だからだろう。でも1人だけ、いた。
綺麗な男の子だった。その美しい金色の双眸を細めて、動物の図鑑を眺めている。
猫、犬、馬、羊、ライオン。たくさんの動物たちの説明が細かく、写真とともに印刷されていた。
「動物が好きなのね」
つい、声をかけてしまった。
その子は目を見開いたあと、ゆっくりと唇を震わせる。
「人は嫌いなんだ」
「どうして?」
普通のかいこは人間さんが好きだ。毎日ごはんもくれるし、たくさん遊んでくれる。まあ、本当はわたしたちを「収穫」するためなんだろうけれど。
「だってさ。ちょっとだけ、ぴりぴりしてるから。空気がぶわっと膨らんでる。ちょっと僕らを怖がってる気がするんだ。何でだろう?」
この子は知らないのかもしれない。「収穫」のことを。その同じ金色の髪も、心も、きっと繊細で壊れやすいのだろう。
「……そっかあ」
静かな時間が流れる。やがて彼は図鑑をまた読み出した。横からしばらく経って、やっとわたしは声をかけられた。
「お名前、なあに?」
「カナタ」
すとん、とあたまに馴染んだ。それぐらい、彼の名前は似合っていた。少しだけカナタくんの顔が自慢げになった。
「どうしてここに?」
「きっときみと同じ。繭が、作れないんだ。大人になりたいわけじゃないんだけどね」
ふと、彼は顔を上げて時計を眺める。
「自由が、欲しいし」
「……なんで、分かったの?」
「雰囲気だよ」
僕と同じ空気を纏っているんだ、とカナタくんは呟く。
「大人になりたくないこと、変だと思うでしょ。ただ、さなぎから出られたら、この部屋から飛び出すための羽が生える。姉さんも兄さんもこの部屋から出て行って、自由になったから」
彼は信じているんだ。大人になれれば、繭を作ってさなぎになって、殻を破るその日に自由になれると。だからわたしは、どう声をかければいいかわからなかった。
わたしが固まっていると、彼はちょっとだけ眉を動かして、寂しげにこう言った。
「やっぱり、大人になりたいわけじゃないことっておかしいかな?」
「……ううん。わたしも同じだから」
いつもより数倍時間をかけて、ゆっくり言葉を口にした。彼は微笑んでくれた。
「でも、僕は臆病者だからね。さなぎになって大人になるための準備をすることが、少し怖いんだよ」
カナタくんはまた図鑑に視線を落とす。つられてわたしもページを見た。
「そうこうしているうちに、糸を出すこともうまくいかなくなっちゃった」
困ったように微笑むカナタくんに、わたしはどうしても目が離せなくて、お互いに黙ったまま見つめあっていた。
どうしようかとあわてているうちに、チャイムが鳴った。朝ごはんの時間だ。
「わたし、朝ごはん食べる」
「僕も。きみは、見ない子だから……別の部屋かな?じゃあね」
立ち上がってわたしが行こうとした、その時。
不意に彼がわたしの手をつかんだ。
「また、明日も来て欲しい。僕の話を遮らなかったの、きみだけだから」
鼓動がよく聞こえる。耳も頬もきっと真っ赤になっているだろう。
「あ、えっと……うん。でも、これからこういうことはやめようよ。むやみに触ったら怪我しちゃうよ?」
「そうだね」
そう告げる彼の手からは血が流れ出している。
もったいない、なあ。
「何か言った?」
ついつい心の声を漏らしてしまったようだ。
「なんでもないよ」
ただ、君の綺麗な心が溶け出してしまっているように見えただけだ。
「こんにちは」
「来てくれたんだ」
あまり顔には出ていなかったけれど、少しだけ声が上擦っている。体温が高くなった気がしてしまった。
緊張しながら他愛もない話を続けているうちに、彼から言われた。
「ねぇ、僕が『糸が出せない』って言ったこと、覚えてる?」
「もちろんだよ」
わたしが小さく頷くと、彼は続けた。
「もし、良かったらなんだけど『糸の出し方』を教えて欲しいんだ。」
「え?」
糸の出し方。わたしが、教えるのか。
「僕、今まで糸を出すのが怖くて、練習出来てなかったんだ。だから教えてほしい。きみに。僕は勝手に、きみのことを友達だと思ってる、から」
きみに。友達。
「あっ、えっと、わたしも……お友達だと、思ってる、から!」
「よかった」
まるでお日さまのような、きらきらした笑顔に釣られて、わたしは「友達」からのお願いを聞くことにした。
今日もわたしは糸を吐く。糸を吐く。きみのために。
いつも遊びのために出す糸とは違ってみえた。色がきみのような金色な気がして、きみとのつながりの色だと誇れた。
たとえ、その糸がわたしたちの将来を粉々にしていたとしても。
わたしは嘘を吐いて、ひたすらに根をはって生きようとするきみのために糸を吐き続ける。だってわたしたちは「友達」なのだ。
……このところずっと、友達という言葉がこだましている。
やっぱりわたしは友達のままで納得していられないのかもしれない。
もうすぐわたしは、湯の中に入れられて雪のように解けてしまう。わたしの魂がどこに行くかも分からない。なんておかしいんだろう。
綺麗な綺麗なきみに、わたしはドラマチックでもなんでもないけど、あたたかい恋をしてしまったようだ。
早朝のプレイルームには、今日も涼しい風が吹いている。彼と出会う日の前日も、こんな感じの風が吹いていたっけ。
「今日はちょっと糸の出が悪いね。カナタくん、最近疲れてるの?」
「ううん……はあ、どうしよう。このまま繭作りが間に合わなかったら、どうしようか」
彼のまつげが風で揺れる。ほんのすこしわたしもカナタくんも、センチな気分だ。
だから、朝日が目にしみることも、朝日の風の冷たくてそっけない音を聴くこと。それから、きみとのお別れが近いこともそうだ。全部全部、すぐに泣いてしまいそうなほどだった。
だって、あたたかいこころを知ってしまったから。必死に丸く丸く糸をまとめるきみが、すごく愛おしくなってしまったからなのだ。
「ねぇ、この糸どうかな?」
「……うん、これなら繭にも使えそうだね」
そう言うと彼は無邪気な笑顔を見せる。まるで花が咲いたみたいで、周りが華やいで見えた。
「よし、これなら素敵な大人になれるよね?」
「きっとなれるよ、カナタくんなら」
そんなきみに今日もわたしは嘘を吐いてしまう。少しちくりと胸が痛んだ。こころは脆くなってしまったみたいだ。
一度壊れたら戻せない。だから、壊れないように、隠す。きみにばれないように。
今日向かうと、きみはお絵かきをしていた。最近は、こんなことが多い気がする。
「お絵かきが好きなのね」
あの時みたいにきみは目を大きくして、わたしに言葉を投げかける。
「……びっくりした。来てたんだね」
彼はわたしの問いに答える。
「文字が読めないだけだ。僕は言葉の勉強が苦手だから、お絵かきでもっといろいろなことをより深く知りたいだけだよ。大人になった時に、無知で困らないようにするため。世界の全部は知らなくてもいいけど」
ちまちまと糸で絵に飾り付けをしながら、彼はふわりと笑った。
「あと、これはもう一つの理由。ハルカちゃんをいつか見つけるため。大人になっても、姿が変わっても、ね?だから、僕も見つけて欲しい」
「……うん」
こういうところがずるいのだ。いつもは恥ずかしがり屋でわたしの名前を呼びたがらないのに、こういう時には普通に言うのだ。
わたしだって反撃したい。わたしにだって彼の心を動かせるのだって、証明したい。
勢いのまま、カナタくんの手をつかもうとした。しかし、わたしはすぐに引っ込めて、その手を下ろしてしまった。
かいこは、とにかく脆いのだ。
「どうしたの?」
すごく不自然な動きになってしまった。
「なんでもないよ」
きみが手をつかまれてまた傷を負ってしまったとすれば、きみの心の形が崩れてしまうならば、わたしがきっと耐えられない。
わたしが先を行く。道を切り拓いて、彼が歩けるようにするために。
だから紡いで、紡いで、終わりが来るその日まで紡ぎ続けて。難しいことは考えずに紡いで。ずっと嘘を吐きながら、きみと笑って。
でも、いつしかきみはなかなか来なくなった。繭はもうほとんど出来ていたことを、他の部屋の子から聞いた。
わたしが彼と過ごした日が増えると、わたしがいなくなる日へのタイムリミットはどんどん近づく。そういうことだ。
つながりの金色の糸も、もうこれ以上出しても意味がなくて。手から自然とこぼれ落ちてしまった。
彼の繭も、そしてわたしがなし崩し的に作り出した繭も、もうほぼ完成していたから。
「今日はついに卒業の日だね……って、ハルカ調子悪い?」
「ちょっと、ね」
顔は上げずに小さな声で答えた。
「そうなの?まあ、なんにせよ胸元のリボンは取っておきなよ」
不思議そうな顔したあと彼女は歩き去っていく。その姿をわたしは見送った。
服に目を落とす。視界に入る、赤のリボン。
お祝いの季節に、こどもだけつけるリボン。守られているあかし。
外して、カゴに入れた。これをもうつけることはない。鮮血のような紅が、いつもよりも眩しかった。
「ほら、卒業式始まるよ!」
みんなが一斉に駆け出す。賑やかな声で部屋にいるかいこたちの心は満たされているのだろう。
きっと、わたし以外は。
ぼうっと人間さんの話を聴く。真面目に聴いても意味はないかもしれないし、何か発見があるかもしれない。とにかく、わたしは集中できなかった。彼のことを考えていたから。
今も別の部屋で、わたしと同じように話を聴いているのだろう。
彼は、わたしは、みんなは、人間さんは。
ぐるぐると頭の中で、記憶が廻っていた。
「ほら、繭の中に入ろう」
ドキドキしながら少しだけ切り込みを入れ、開く。
「ちゃんと縫合も忘れないでね!食べ物は先に入れてね」
みんなで声掛けをしながら繭の中に入る。
旅立ちがやってきてしまった。そっと繭を破り、ナップサックものろのろと中に突っ込んで、わたしも中に入った。
金色と白色だけの視界。
混じり合って外からの光で輝く姿は、さながら雪解けし始めている空からの贈り物のようで、出来上がった布のようでもある。
わたしの未来を想像してしまう。
「ごめんね」
『僕も見つけて欲しい』。それは、叶えられそうにないや。
ひたすら、ナップサックを抱きしめていた。わたしの中の「大切」を抱きしめていた。怖くないよ。こう言ってほしかった。とうに準備は出来ていたはず、だった。
ナップサックは少し濡れて、重くなった気がした。
風を感じる。気がつけばあたりは部屋の光とは別種の光に包まれている。
直感的にどこかわかってしまった。ぎゅっ、と目を瞑ったその瞬間、落ちた。
ふわり、と。実際よりもゆるやかにゆるやかに、落ちていった。
わたしは広げた手のひらに、たしかに風を浴びたんだ。
「またどこかで会えたらいいね」
そっと呟いた。かなり小さい声だった。
穏やかに落ちていったわたしは、言葉を紡ぐことがもうおぼつかない。熱を口に含む。きっとみんなもそうだろう。大人になれる、一部を除いて。
ああ、彼がそっちにいますように。もうここでは会えませんように。でもいつかは、会えますように。
「思い出せなくても、許してね」
記憶は混ざっては分離して、わたしにあたたかな抱擁をしていくように、立ち去っていく。
お姉ちゃんたちとの記憶。人間さんとの記憶。友達との記憶。失敗しちゃったときの記憶。ドッキリを仕掛けた時の記憶。
それから、きみと出会ってからの記憶。
全部全部、わたしの宝物。忘れちゃうかもしれないから、わたしの|継承物《ヘリテージ》には出来ないかもしれないけど。
それでも、宝物は宝物に違いない。
願わくば、わたしと彼が繭のその先を、遥か彼方を、2人で歩めますように。
……わたしがここにいるから、もう無理だった。だからもう言わなくても、いいかな。
とろりとした視界に映ったのは、ドラマチックな筋書きを辿った糸たちだった。大好きな、つながりの糸の色。
金色はつながりの色。小さな天の虫の、あたたかくてやさしい恋の色。