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ワンライ『孤月』 太中
自分でなんとなく思いついた単語をルーレットにしてやったワンライ
お題…孤月
かしゃん、と冷たい音がして破片が飛び散った。
シンクの中で鋭い切先を煌めかせる、ワイングラスの成れの果てを見てため息をつく。
今日はどうにも厄日だった。
思えば朝から、仕事で使っていた万年筆が何処かへ転がっていってしまったり、コーヒーを淹れようと思ったらインスタントが切れていたり、不運続きだ。
硝子たちを重力操作で浮かせてビニール袋に包む。
全く、お気に入りだったというに。
ゴミ箱の中に其れを納めて、ふと窓の外が目に入った。
三ツ星と鼓型の星たちが形作るオリオン座近くで、冷たく耀く十三夜。
満月よりもほんの少し欠けたそれは、膨らむことを待ち望むようには到底見えなかった。
まるで、僅かにかき消えた左半身を追い求めているような。
なんとなく物寂しくなって、先ほど納めた硝子の中から細長い破片を浮かび上がらせて摘む。
ひんやりとした空虚の欠片は、耀く不完全にそっと添うた。
(歪だ)
俺はそう思った。
片割れは矢張り無理やり埋めてもどうしようもならない。
埋めても虚しく、虚空を元のもので埋めたいと渇望するだけだ。
渇望し、諦め、けれども胸に蟠る底なし沼から身を引けずに更なる望みを抱こうとする。
そんなことは良くわかっていた。誰よりも、何よりも。
ふっと頭を包帯ぐるぐる巻きの男の姿が掠めたが、目を瞑った。
さっさと硝子を捨ててしまおう。
こういう日は何もせずに早くに眠るに限る。
そう思って俺は手を離した──その時だった。
とん、と肩に触れる感触がして、同時にカン、と軽い音が響く。
硝子が床に落ちたのだ。割れることは無かったようだが。
危ないだろう、と俺はやらかしやがった手の持ち主を振り返ろうと首を捻る。
けれどもその動きは途中で止められた。
「……は?」
首と腰の辺りに回された、硬い布と温かい甘い皮膚の感触に目を白黒させる。
「……おいおい、どうした」
俺はそう言いながら砂色の塊を引き剥がそうと腕に力を込めた。
このタイミングでとは何とも間の悪い。今はできることなら顔も合わせたく無かったというのに。
十三夜を、仮初の半身で埋めたくはないのに。煙のようにどうせ消えてしまうのだから。
そんな思いなどつゆ知らず、其奴はより一層腕のかき抱く力を強めた。
流石に苦しいと背を軽く叩くと、僅かに力は弱まったものの、逃すまいと腕は絡みつかれたままだった。
否、留めておきたいとごねる子供のようでもある。
「だから、太宰、」
「だって」
中也が、と太宰が口を開く。
「連れて行かれそうだったんだもの」
「ハァ? 何にだよ。俺は輝夜姫じゃねェぞ。んなしょうもない──」
「嫌だったんだ」
だって、君は私の犬でしょう。
と、太宰が言った。其の口振はどうにも弱々しく、俺はつい反論を突きつけるのを躊躇ってしまう。
「知ってる? 月には桂男というものがいるらしいよ」
「桂男?」
俺が問うと、太宰は掠れた息を漏らして説明した。
其の掠れた息は、笑おうとしてそう成り切れなかった震えの残骸のようだった。
「月で桂を切る美男子のことさ。月に魅入る人を手招きして連れ去ってしまうんだって」
「はあ……」
言わんとすることが理解できず、吐息ばかりが口元から漏れていく。
俺の返答を聞いているのかいないのか、太宰はぽつりと呟いた。
「君は私だけ映していれば良いの」
「……は、何てこと言いやがる」
無理に決まってんだろ、と吐き捨てた。
大体、捨てたのは其方だろうに。昔から此奴は自己中心的で吐き気がする。
自分ながら、見る目のなさに辟易しそうだ。
「知らないよ、中也の都合なんて。君の目は私で満たしていれば良いの」
全く、俺が何をしたというんだか。
言うと同時に顔を上げて、噛み付くように重ねられた唇を享受しながら思う。
先ほど顔を上げた瞬間に見えた目元には、薄らと隈が刻まれていた。
どうやらまた仕様のないことを考え始めていたらしい。
最近は無かったというのに。
けれども其の機会を此方が利用しているのも事実で。
俺は不確定の甘さを感じながら、孤月同士の息を喰い貪るようにして熱を委ねた。