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Ⅲ「蒼」
花壇に咲く花の香りが、灰色のローブの隙間を心地良く通り抜けていく。
我に返り、声がした方へ目を向ける。
シュウは続けて「珍しいな」と言った。
憂いを帯びた蒼い瞳が、真っ直ぐとチカゼを見上げる。
その長い黒髪は上品に束ねられていて、さらさらと風に揺れた。
「……珍しいって、何が?」
チカゼが澄ました態度で問う。
シュウは困ったように笑い、許嫁の手をそっと包み込む。
「顔、赤いよ。君がそうやって、周りが見えなくなるほど何かに没頭している時は、決まって危なっかしい」
彼の柔らかな掌が触れた。
あの時から残っていた焦げるような熱が、すうっと凪いでいく。
「また熱心に魔法の構成図でも反芻してた?」
その声はすぐ耳元で鼓膜を揺らす。
悪戯っぽく、けれど安らぎを願うように。
「別に、ただの考え事よ」
チカゼは鬱陶しそうに、繋いだ手の甲を一瞥した。
(シュウなら……。“氷晶家”なら、何か掴んでいるはず)
学生寮へと続く並木道には、長い影が伸びている。
並んで歩くと、ローブ同士が触れあう。
布の感触は柔らかいはずなのに、冷たい水に沈むような重さがあった。
「ねえ。例の、庭園事件のことなんだけど……あれ、結局『不審者』の正体は分からずじまいなの?」
チカゼは隣を歩くシュウを、盗み見るように視界に入れた。
手入れの行き届いた鞄を涼しげに携える、“完璧な御曹司”。
彼は、赤紫に翳る空を仰いだ。
「あの日からずっとその話ばかりだね」
二週間前、あの中庭にいた“紅”。
あの少年が何者だったのか。
あの日以来、チカゼは執念深く情報を漁った。
しかし、公的な記録はどれも“犯人確保”という事務的な幕引きで塗りつぶされていた。
ニュースの隅に追いやられた記事は、インクの無駄と思えるほど中身がない。
教師たちの口は重く、まるで最初から存在しなかったかのように扱われている。
「あんなに派手な高位魔術を撃ち込んでおいて、足取りが掴めないなんて不自然じゃない。報道規制にも程があると思う」
チカゼが畳み掛ける。
シュウはふっと視線を落とし、繋いだ手にわずかに力を込めた。
「僕も気になって、父上に聞いてはみたんだ。でも『学生が首を突っ込むことではない』の一点張りでね。氷晶家の後継ぎといえど、見せてもらえない記録があるみたいだ」