〈あらすじ〉
ここは離島に位置する魔法学園。学年次席の風使い・チカゼは、自身の魔法の不調と、許婚であるシュウとの関係に、出口のない苛立ちを募らせていた。ある日、校舎を揺らす凄まじい爆音が、停滞した日常を切り裂く。避難指示を無視し、チカゼが目にしたのは、破壊の跡に佇む謎の少年だった。
「僕たちのクラスに、席が一つ増えるから」
少年が放つ圧倒的な魔力は、彼女にとって救いか、それとも破滅か。絡み合う魔法と感情の糸を解き明かす「氷解」の物語が、幕を開ける。
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※常に加筆修正&書き溜め中。
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目次
【氷解の魔法使い】PROLOGUE
炎の閃光が放たれた。
雷が落ちるような轟音がした。
発生地点は、千年続く由緒正しい魔法学園の中庭。
その北側、地面から十数メートルの空中。
炎の光は樹齢何百年という大木達を神速で切り株に変える。
草花を焼き、庭の中央にある禁庫の扉へと、まっすぐ進んでいく。
黒いローブを身につけ、風の精霊を従えた炎の魔法使いが空中から扉を見下ろしている。
炎が扉を壊すまで瞬きする暇もないだろう。
冷めた表情でその時を待つ。
(…………なんだ、あれ)
炎使いは目を見開いた。
驚きを隠せない紅い瞳に、人影が映っている。
人影は人ではなかった。
若い女の銅像だ。
数秒前は庭の別の場所にあったはずの物だ。
しかし、今は禁庫の扉の前に立ち、常人には不可能な速さで防御魔法を展開している。
(ああ、無理だな)
失敗を悟り、炎使いは顔をしかめた。
そしてまた目を見開いた。
銅像が、だんだん人間の姿になっていく。
その白銀の髪が、三重に重ねられた衣が、荘厳なオーラが、風になびいた。
彼女の防御魔法はとてつもない炎の閃光から禁庫を守った。
明らかに老練の魔法使いだ。
「ロア様、これは何事でしょうか!?」
学園の教員の一人が熱さと焦げ臭さに耐えながら駆けつけ、老練の魔法使いロアにたずねた。
ロアは応えず、自分の左腕を庇う仕草をした。
左腕に、岩のひび割れのような傷ができている。
「そんな、ロア様、腕が」
うろたえる教員に、ロアは微笑んで言う。
「ええ、彼にやられました。あと三百年くらいは銅像として学園を守っていくつもりが、これでは百年持つかどうか……それより見てください」
示されて、教員は炎使いを見上げた。
驚愕の色が浮かんだ。
教員の反応にロアはますます笑みを深める。
「久々の侵入者、とんでもない攻撃、誰かと思えば少年ですよ」
炎使いの少年は恐ろしいほど静かだ。
身じろぎもせず、二人を見つめている。
紅い瞳だけが無限の熱をたたえ、風の精霊が少年を護るように浮かんでいる。
ロアが大声で言う。
「中等部三年A組の生徒にしましょう! もし貴方が十四歳の浮浪児で……この禁庫の中にある、死者蘇生の魔導具が欲しいのならね」
「「は?」」
Ⅰ「発端」
誰かのあくびが伝染した。
教室に差し込む朝の陽光は、漂う埃の粒をきらきらと浮き彫りにする。
眩しさが、覚醒しきらない頭には無機質だ。
どこか現実味を欠いている。
チカゼは昨日配られた紙をこっそり取り出して眺めた。
定期試験の総合結果。
クラス順位、二位。
優秀者の集うA組での二位は、学年次席を意味する輝かしい数字だが、
(また負けた)
彼女の性質上、到底満足できない。
全体的に点数が落ちていた。
実技重視科目である“魔技”が最も低い。
ここ一年近く、魔法の出力が安定しない。
ふと視線を感じた。
左隣、蒼い瞳と目が合う。
白皙の少年……シュウの表情がパッと輝いた。
成績のことなど頭にない様子で、嬉しそうに微笑んでいる。
チカゼには、何が面白いのか理解不能だ。
首席の許婚を睨み返そうとする。
が、何故だか力が抜けた。
「ま、いいか」という妥協の言葉がこぼれ、成績表を持つ指先が緩む。
(……いいえ、良くない!)
再び成績表を握りしめた。
次席に甘んじるつもりなど毛頭ない。
“王子スマイル”に毒気を抜かれかけた思考を叩き起こす。
終わった試験の結果を引きずるようになっている。
そんな自分自身が、何より自尊心を削っていく。
(時間の無駄)
漠然とした不安を断ち切るように成績表をクシャリと丸めた。
…………その直後。
鼓膜を直接突き刺すような凄まじい爆音が、教室を貫く。
校舎を揺らす物騒な振動に、心臓が脈打つ。
室内外から悲鳴が上がる。
チカゼの中で、何かがやっと目覚めたような閃きがあった。
すぐに教頭が駆けつけ、
「中庭に不審者です。全員、落ち着いて避難しなさい」
と言うなり、移動魔法で姿を消した。
チカゼは指示に背くことを決意した。
まず、クラスメイトと同じように廊下に出る。
中等部三年A組の列の、最後尾に並ぶ。
前の男子が怪訝そうな顔をした。
「あの、チカゼさん……シュウ君は一番前にいるけど」
「うん。いいの。私は忘れ物を取りに行く予定だから」
「え?」
「まだ皆に言わないでね、すぐ追いつくから」
やがて、そこからそっと離脱。
逆方向の廊下を歩きだす。
Ⅴ「サポーターズ」
シュウは一人で学生寮を出て、校舎へと続く並木道を抜ける。
(家の矜持を守る、島を守る、彼女を守る、僕はいずれ、負けるべき時に負ける)
歩いていると、朝の雑音を力技でねじ伏せるような、快活な声が聞こえた。
「シュウ様、おはようございます!」
三人の足音が近づく。
レトやヒナの姿も視界に入っているはずなのに、シュウの瞳は無意識に、真ん中を歩く凛とした少女の姿を追っていた。
そこだけスポットライトが当たっているかのように、存在感が際立って見えた。
「おはよう。レト、ヒナ、チカゼ。三人揃って登校?」
少しだけ浮ついた心を隠すように、茶化すような口調を選んだ。
すると隣に来たチカゼが、細い指でシュウの額をはじく。
「まさか。偶然会っただけよ。この二人は貴方のサポーターズでしょ」
「チカゼさんの言う通りです! その様子だと、転校生のこと気にしてますね? 俺が上手いことやるんで、高みの見物しててくださいよ!」
側近のレトが豪快に笑う。
歩く重戦車と見紛うばかりの勢いだ。
「ありがとう、レト。でも彼を怖がらせてはいけないよ。 おまえは何かと島外の人に厳しい」
その傍らで、丸眼鏡の少女・ヒナが書類を差し出す。
「あの、過去三年間の傾向から、対策資料をまとめておきました。今度の数学の難問はここから出ます。チカゼさんもご覧になられますか?」
「見る。ありがとうヒナさん。……それで、そう、シュウ」
ふわりと、淡い花の香りが鼻をくすぐった。
レトとヒナに聞かれたくないのか、チカゼが耳打ちの合図を送っている。
「なに?」
喉の奥に小さな違和感が走った。
シュウは眉尻を下げて身を寄せる。
(ぐっ、惚れた弱みだ。変に緊張する……いつも碌なこと言われないのに)
嫌な予感は的中し、チカゼは淡々と爆弾を投げた。
「マツリカちゃんがね、グレン君は自分の友達だって言いだしたの」
「…………なんだって?」
驚愕は、頬の筋肉をわずかに引きつらせる。
「彼女の冗談……いや、待ってくれ。どうして君が、その名前を知っているんだい?」
「マツリカちゃんに聞いた」
シュウはさらに声のトーンを落とし、一歩詰め寄った。
「その『グレン』という名は、まだ、公表されていない。それを、どうしてマツリカさんが?」
「さあ?私も知らない」
Ⅱ「紅」
(発動音からして、第三階位以上の高位魔術だった。侵入者は相当強い魔法使い。見なきゃ損)
見つかれば大怪我では済まないかもしれない。
最悪の事態すら天秤にかかっている。
それでも迷わず静音魔法を展開し、無人の廊下を駆け抜けた。
四階の窓から三階のベランダへと軽やかに飛び降りる。
中庭を最も広く見下ろせる二年D組の教室を、最短経路で目指す。
不思議なほど頭が冴え渡る。
四肢がバネのように動く。
そのまま風の如く目的地へ滑り込み、中庭側の窓に寄って気配を探る。
中庭は、北から中央に向かって斜めに抉られていた。
巨大な爪で引き裂かれたように、一直線の暗い焼け跡ができている。
今朝まで咲き誇っていたハナミズキは消し飛び、干上がった池の底では石畳が炭化していた。
その破壊の爪痕の開始点。
淡い銀光と熱気が渦巻く中心に、一人の人影が浮かんでいる。
(間違いなく炎属性の特級ね)
闇色のローブはぶかぶか、フードを目深に被っている。
体型が判然とせず、見えるのは褐色の顎のラインのみ。
だが、選んだ場所は絶好の観測地点だった。
わずかに体勢を変えただけで、丁度、フードの内側を覗き込める。
相手がこちらに気づく気配はない。
退避魔法の発動準備を続けながら、慎重に観察する。
(……若い、想像よりずっと若い!)
まさかと思った瞬間、少年の横顔が露わになる。
体温が一気に跳ね上がった。
彼の瞳。
太陽をそのまま閉じ込めたような、苛烈な紅玉色。
焼き尽くした漆黒の空間で、その双眸だけが燦々と光っている。
チカゼの頬を汗が伝う。
制服のシャツが肌に張り付く。
息をすることさえ忘れ、その光景を魂に刻みつけた。
恐ろしいほどの破壊。
一切の濁りがない純粋な魔力に、戦慄にも似た確信が胸を突く。
(み、見た目通りの年齢なら天才よ。これほどの高位魔術を撃っ……)
「チカゼ、お待たせ。行こうか」
不意に名前を呼ばれた。
遠い意識の淵から引き戻された。
思考が二週間前から現在、茜色の放課後へと切り替わる。
チカゼは中等部校舎の玄関で、一人ぼんやりと“庭園事件”を反芻していた。
Ⅵ「到来」
予鈴を待つ教室は、開演を控えた劇場の客席に似ていた。
チカゼは単語帳に視線を落とす。
どこか落ち着かない。
昨日までただの噂だった“海外からの転校生”という予感。
それが今、逃れられない現実として迫る。
(期待通りでありますように)
予鈴が鳴り、扉が開く。
一定の拍子で響く、乾いた靴音。
深紅のローブを纏った男子が現れ、黒板の前で立ち止まる。
彫りの深い顔立ち。
そこにある紅い眼光が、辺りを鋭く睥睨した。
「遠い異国から、ワーフウ国へ学びに来てくれました。グレンさんです」
グレンは、担任の紹介に会釈すら返さない。
恐怖というより、生存本能が警鐘を鳴らすような圧に、クラスメイトたちは背を丸めた。
(周囲を圧殺するほどの、魔力の残滓)
マツリカが言っていた“誰かのため息”の正体を、チカゼは察する。
「ではグレンさん、席は空いているところなら、どこでも好きな場所へ」
凍りついた空気の中。
チカゼはあえて大きく手を振った。
天変地異でも目撃したように狼狽するレト。
シュウの手から落ちたシャーペンが、床で虚しく跳ねる音。
(だって私の後ろ、空いているし)
チカゼの左隣には、背筋を伸ばし、静謐な気高さを保つシュウ。
真後ろではグレンが、長い脚を無造作に放り出し、不遜な構えで椅子に腰かける。
チカゼの席は、二つの強大な存在感に挟まれた。
「……グレンさんは、その強力な魔力に見合うだけの、卓越した実技能力を持っています」
担任は、グレンの態度をフォローするように言葉を継ぐ。
「ただ、公用語の読み書きについては、まだ学んでいる最中だそうです。それで、放課後に補習を手伝ってくれる人は――」
言葉が終わるより早く、涼やかな声が響いた。
「先生、サポートなら生徒会長の僕に任せてください」
シュウが、春の陽だまりのような笑みで手を挙げる。
その声は磁石のように、不安に揺れていたクラスメイトの心を一つに束ねた。
(冗談じゃない。シュウだけに獲物を渡してたまるもんですか)
シュウは座ったまま、自然な動作で斜め後ろのグレンを振り返る。
その蒼い瞳には、ただ純粋に、新しい友人を歓迎するような輝きがあった。
「よろしく、グレン君。分からないことがあれば、いつでも僕を頼ってよ」
Ⅲ「蒼」
花壇に咲く花の香りが、灰色のローブの隙間を心地良く通り抜けていく。
揺れる花々を眺めていたチカゼを引き戻したのは、少年の穏やかな声だった。
「珍しいな、そんな風にぼうっとしているのは。魔法の構成図でも反芻してた?」
シュウが、覗き込むように顔を寄せた。
憂いを帯びた蒼い瞳が、チカゼを見上げている。
チカゼは澄ました態度で視線を逸らす。
「別に、ただの考え事よ」
シュウは笑い、チカゼの手を包み込んだ。
あの時から残っていた焦げるような熱が、すうっと凪いでいく。
(シュウなら……。“氷晶家”なら、何か掴んでいるはず)
学生寮へと続く並木道には、長い影が伸びている。
夕日に照らされながら、並んで歩く。
ローブ同士が触れあう。
シュウの長い黒髪が、さらりと流れた。
彼が隣にいると、周囲のざわめきが遠のき、静かな安らぎが満ちていく。
「ねえ。例の、庭園事件のことなんだけど……あれ、結局『不審者』の正体は分からずじまいなの?」
チカゼは隣を歩くシュウを、値踏みするように視界に入れる。
手入れの行き届いた鞄を携え、彼女の歩調に遅れまいと合わせる“理想の婚約者”。
「あんなに派手な魔法を撃ち込んでおいて、足取りが掴めないなんて、報道規制にも程があるもの」
二週間前、あの中庭にいた“紅”。
あの少年が何者だったのか。
あの日以来、チカゼは執念深く情報を漁った。
しかし、公的な記録はどれも事務的な幕引きで塗りつぶされていた。
ニュースの隅に追いやられた記事は、インクの無駄と思えるほど中身がない。
教師たちの口は重く、まるで最初から存在しなかったかのように扱われている。
「知りたいと思うのは、魔法使いとして当然の知的好奇心でしょう」
チカゼの声が、わずかに低くなる。
シュウは迷うように視線を泳がせた後、彼女を見て、諦めたように肩の力を抜いた。
「……僕も気になって、父上に聞いてはみたんだ」
シュウの声が、かすかに掠れた。
彼は周囲を警戒するように一度見渡し、声を潜める。
「そのうち分かるさ。僕たちのクラスに、席が一つ増えるから」
そう告げるシュウの顔には、秘密を共有する高揚感など微塵もなかった。
むしろ、罪悪感が唇を歪ませている。
「跡継ぎの僕も、全部を知っている訳ではない。悔しいけど。父上は『学生が首を突っ込むことではない』の一点張りでね」
Ⅳ「茉莉花」
学生寮の自室、朝の柔らかな光が落ちるドレッサーの前。
チカゼは淡々と自身の身なりを整えていた。
十日前、『席が一つ増える』というシュウの言葉。
それが、あの中庭を焦土に変えた彼を指していることは疑いようがない。
「ね、チカゼちゃん」
ふいに隣のベットから、かすれ声がした。
同室のマツリカだ。
彼女は、毛布の海からずるりと顔を半分覗かせた。
自嘲気味に笑っている。
「ごめん、あたし、今日は一限からサボり。っていうか、リタイア」
濃い小麦色の肌が、シーツの白に沈み込む。
その肌の色は、学年や所属の垣根を超えて飛び回っている証だ。
けれど今朝は、そのエンジンが完全にオーバーヒートを起こしていた。
「……お願い。もし今日、出席状況について聞かれたら、『精神修行に出た』って言っておいて。……嘘、普通に『熱はないけど動けない』でいいや。あと、ノートもお願い……」
「行ってくるね。冷たい水、置いておくから」
チカゼは準備を整え、扉に手をかける。
「は〜い、いってらっしゃ〜い。放課後、保健室に来てね」
マツリカの言葉には、聞き捨てならない響きが混じっていた。
「保健室? 貴方、ただのオーバーヒートじゃないのね?」
チカゼが振り返る。
マツリカは重い瞼をこすりながら力なく笑った。
「あはは、バレた? さすが。……ちょっとね、なんだか、学校全体が『誰かのため息』の中に沈んでるみたいでさ。先生に遮断薬出してもらわないと、人混み歩けそうにないんだ」
他者の感情や魔力の残滓を過剰に受け取ってしまう、彼女の特異体質。
マツリカの視線は、窓の向こう、遠くの校舎に向けられていた。
「チカゼちゃん、よろしくね……今日の転校生、あたしの友達だから」
刹那、硬直。
「……説明しなさい」
チカゼは即座に、“お願い”ではなく“命令”のトーンで告げた。
指先が動き、卓上のコップが魔力によってふわりと浮き上がる。
「またあとで話す……って、えっ、ちょ、何であたしのコップを魔法で浮かせてるの!?」
「今すぐ説明して。さもなくば吹き飛ばす」
「割れちゃうっ!放課後!放課後もうめちゃくちゃ詳しく話します絶対」
なおも尋問を続けたが、マツリカの体調は見るからに芳しくない。
チカゼは溜息とともに魔力を解く。
釈然としないまま、部屋を後にした。
Ⅶ「初対面」
「……そりゃどうも」
低く短い、第一声。
グレンの関心は即座に失われたようで、視線はそのままチカゼへとスライドした。
「あと、あんた、名前は……知らね。次席だったか」
「どうして順位だけ把握してるのよ。次その呼び方をしたら、貴方を呪」
「自分にかけられた呪い解けねぇ奴が、おれを呪えっかよ」
グレンが吐き捨てた言葉に、チカゼの思考が揺れる。
さらに彼は、「あんた気配が気色わりぃ」と追い打ちをかけた。
「………っ、あなた、今なんて」
「いい加減にしろ!」
誰よりも早く動いたのはレトだった。
彼は机を叩いて立ち上がり、グレンに詰め寄る。
「シュウ様の厚意を蔑ろにし、挙句にチカゼさんにその不敬。その口、縫い合わせてやろうか?」
「レト、いいよ。僕は構わないし、チカゼも気にしてない。やめるんだ」
シュウが静かに制止の声をかけた。
だがレトの指先にはすでに、縛鎖術が編み込まれている。
「おい、聞いているのか? 謝れよ。特に、今の『呪い』などという不吉な妄言についてはな!」
グレンは座って頬杖をついたまま。
目の前で吠えるレトを、羽虫でも見るように見上げる。
そして、わずかに指先を動かす。
するとレトの足元から、陽炎が揺らめく。
周囲の生徒数人が、その“予備動作のない魔術”に息を呑んだ。
「……どけ。おれは、あんたに用はない」
「なんだと⁉︎」
シュウは笑みを消し、冷徹な観察眼でグレンの魔力を見極めている。
(…………パワーバランスの崩壊。壮観ね)
チカゼは席を立ち、レトの肩に手を置いた。
「そこまでにして。至近距離で魔法を使えば停学処分よ」
チカゼの介入により、規律という現実に引き戻され、殺気が緩む。
周囲のクラスメイトたちも、彼女の言葉に同意するように頷いた。
シュウが歩み寄り、グレンの指先へ、魔法を押さえ込むように手を重ねる。
「レト、下がれ。グレン君、初日から暑苦しくてすまなかったね」
レトは不満げにしながらも拳を下ろす。
グレンは窮屈さに疲れたように背を向けた。
「……終わりましたか?」
ようやく担任が割って入る。
暫く説教が続いた後、嵐は去った。
チカゼはまだ、鳴り止まない鼓動を抑えていた。
グレンが自分に放った言葉が、抜けない棘のように突き刺さっている。
(答えの端っこどころか、答えそのものが)
牙を剥いて、真後ろに腰を下ろしたのだと悟った。
Ⅷ「評論」
昼休みの食堂にて。
やわらかな陽射しが窓から差し込み、テーブルには箸やスプーンの反射が揺れている。
「ほら、言ったでしょう。蒼玉の王子様が一番なのよ」
日頃からシュウのことを紳士の模範と評しているユミの発言である。
同じテーブルに座るチカゼ以外のA組女子がうんうんと頷く。
シュウは生徒会の仕事があるらしく、昼休みになると名残惜しそうに去っていった。
チカゼは適当に相槌を打つ。
デミグラスソースのかかったオムライスを黙々と口へ運ぶ。
卵のふんわりとした優しさと、デミグラスの濃厚な旨味が広がり、口の中で絶妙に絡み合う。
ユミ達は、食よりも転校生に関する噂話に夢中になっている。
女子同士の会話は途切れることなく続き、彼女たちの手元の食事は、ほとんど減っていない。
聞こえてくるのは、ありがちな評価の羅列だ。
「初めは緊張してらっしゃるんだわと思ったけれど、ずーっと無表情で」
「寧ろ不機嫌そうな……挨拶しても、そっけないし」
「騒がしいのがお嫌いにしても、辛い反応だわ」
初日だが、グレンはクラスメイトの約半数から早々に嫌われ始めていた。
彼は終始どこか深刻そうな顔をしていた。
口元は固く、視線は遠くを睨むようで。
誰にどう話しかけられても表情が和らぐことはなく、彼と周囲の間にはまるで分厚い壁が存在するかのようだった。
シュウの王子対応を見慣れたチカゼにとっては、露骨な態度がむしろ新鮮であり、清々しさすら感じられた。
(……彼の目的は、十中八九、庭の中央に封印されている違法な魔道具)
事件直後の庭園の有様からして、察するのは簡単だった。
焦げた芝生の匂い、黒く炭化した石畳を、今でも鮮明に思い出せる。
チカゼやシュウだけでなく多くの人が、不審者は禁庫の中にある魔道具を盗みにやって来て、失敗したのだと理解した。
(だからってどうして、生徒になるのかしら)
ただ、紅い眼光の先にある物が焼けるのではないか、と思えるほど、彼は不服な様子だった。
「カッコいい、より、コワい、が勝るのよ」
「危ない人じゃないよね?」
それがほぼ、グレンに対するクラスメイトの感想。
それは正しい感想だと、チカゼは思った。
彼は実際、中庭で初代学園長像にヒビを入れた張本人であり、安全とは言い切れない。
(でも、グレン君が生徒になったのは、ある程度の安全性が保障されているからだ)
学園がやすやすと問題児を生徒にしたのだとは思えない。
第一、そのような大人が学園にいるとは思いたくなかった。
(知りたいなら、私が自ら確かめればいい)