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さよなら、幽霊さん(第一章)6
第一章 『窓に映る憂鬱』
『まってよ、ゆうくん』
背後から響いたその声を聴いた瞬間、突然身体が動かなくなった。声を上げようとしたが、|刹那《せつな》、喉の奥に何かを詰め込まれたような不快感と喉を押し潰されるような痛みが身体中に|伝播《でんぱ》した。見えない誰かの手で喉を締め上げられているかのような苦しさに、死ぬ、と脳が危険信号を出している。手で見えない何かを振り払おうにも、手は小刻みに震えるばかりでこちらも思うように動かせない。
「………ぁ……ゕ……」
微かに喉から漏れる自分の声と心臓が大きく脈打つ音以外が辺りから消えたように感じた。そして、地面に這いつくばる僕の後ろに、あの少女が次第に近づいてくるのが分かった。少女はペタペタと音を立てながら小さな歩幅で僕の横まで迫り───
「……なにをしてるの……?」
───そう言って、僕の肩に触れた。その直後、一気に身体を縛り付けていた何かが解け、僕は息の仕方を思い出した。
「…っ!!はぁぁッ……がっ…はッ……」
「ね、ねぇ……大丈夫なの…?」
そう心配そうに見つめてくる少女を精一杯睨もうとしたが、次第に視界が暗くなり、必死に僕の身体を揺らす少女の顔がぼやけていく。あぁ、やっぱり他人と関わると碌なことにならない。そんな思考を最後に、僕の意識は深い闇の底に溶け込んでいった。
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「あ、起きた」
不意に冷たい風を感じて、嫌々閉じていた瞼を開けると、目の前には僕の顔を覗き込む|悪霊《しょうじょ》の顔があった。
「………生きてるのか?……僕……」
「死にそうだったのは間違いないわね」
そう呟く少女の膝で寝ていた身体を起こして辺りを見回すと、日が完全に没して空はすっかり暗くなっていた。暗闇に吞み込まれた木の葉が風に揺れる音が不気味に耳を撫でる。それがまるで、誰かが|頻《しき》りに何かを耳元で囁いているようで気持ちが悪い。まだずきずきと痛む頭を押さえながら僕の隣に座り込んでいる少女の方に視線を向けると、彼女は立ち上がってこちらを静かに見つめ返した。僕と少女の間に無限にも思える数秒の間が流れた。
「……君が………君が、僕を殺そうとしたのか……?」
重い沈黙を破って、僕は彼女にそう問うた。僕の身体に異変が起きたあの時、確かに少女の方から声が響いた。振り返る間もなく身体が動かなくなってしまったが、今考えるとあの声の正体はこの少女なのだろうか。少し声が違うような気もしたが、あの場には僕と彼女しかいなかったのだから、他の存在がいたとは考えられない。
僕の率直な問いに対し、目の前の少女は少し頬を膨らませてから口を開いた。
「失礼ね!私が呼び止めようとしたら、あんたが勝手に首を押さえて苦しみだしたんじゃない!!」
そんな怪奇現象があってたまるか。いや、そもそも───
「……目の前の奴がすでに怪奇現象だった……」
───半透明の少女が目の前に現れたこと自体がそうだった。やはり訳の分からない存在に無闇に関わるべきじゃなかったと今更ながら後悔したが、目の前の少女は頭を抱える僕のことなど気にも留めずににやにやとこちらを見て笑っていた。
「ふふん。私がいなかったらあんたの命は危なかったんだよ?」
そう言って得意げに胸を張る少女。
「そんな恩着せがましい言い方をされても、ただ君の膝に僕を寝かせただけじゃないか」
僕がそう言うと、少女は再度頬を膨らませたと思えば、今度は大きく溜息を吐き呆れ果てた表情で僕を見ている。
「……はぁ……あんたが気絶した後、身体から魂が離れていこうとしたから、必死にあんたの中に戻したのよ?」
「そんなスピリチュアルな話を誰が信じるんだ……とにかく、これ以上僕に関わらないでくれ」
そう言ってその場を立ち去ろうとした時だった。足が動かない。あの時と同じように、意思に反して動くことをしない。いや、あの時と同じではない。あの時は、何かに束縛されているような感覚だが、今の状態は、まるで身体の力がすべて抜けてしまったようだった。まるで身体中の骨を全て抜きとられたような、そんな感覚だ。唯一動かせる首を回して少女の方を向くと、彼女の前に光る球体のようなものがあった。バレーボールほどの大きさのそれを少女は僕の目の前に持ってくると、不敵な笑みを浮かべて言った。
「言い忘れてたけど、あんたの魂の扱い方はもう覚えたから、生きるも死ぬもあんたの態度次第よ」
そう言いながら、僕の魂を手の上で器用に弾ませて遊んでいる。
「で?私の《《お願い》》聞いてくれるわよね?」
「……やっぱり悪霊じゃないか」
不気味な笑顔で分かり切った答えを待つ少女に、僕はそう吐き捨てた。