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Helianthus annuus Linne 1753
「──はい、ではスライドを見てください。これは2030年頃の写真です。昔のですので動いていませんね。青空の下に咲く花、所謂“ヒマワリ”です。見たことがある方──? そうですか……今では考えられない光景ですが──」
淡々と吐き出される教師の言葉をBGMに、僕は大きなあくびをした。窓の外からひんやりとした月の光が差し込んで夢の世界へ誘う。昨日は所謂夜更かしをしてしまったから、教室の騒めきででさえもが子守唄のように感じられる。スライドに映し出された真っ青な空の写真は、画質が悪いせいで変に霞んで台無しだ。去年の歴史の教師なら、眠る間もないほど面白い授業で楽しかったのに。
キーン コーン カーン コーン──
眠気との戦いはチャイムによって終わりを告げた。途端に教室はガヤガヤと話し声で満たされ始める。
机の上にだらしなく投げ出した腕に頭を預けて、横の窓の外を眺める。何とものっぺりとした空だ。
そんな中、僕に向けての声が耳に飛び込んできた。
「おーい、起きてるー?」
「……起きてる……」
机に突っ伏す僕の頭を突っついた友人だった。返事はしたものの、耳に届く自分の声はいかにも夢の中、と言った様子。彼はそんな僕に呆れたため息を溢すと、隣に椅子を引っ張ってきて座った。どうやら僕相手に話すつもりらしい。わざわざ席を持ってきてするほどの話なのか、と僕は重い体を持ち上げて聞く体勢をとった。
「なあ、お前。タイムスリップするとしたら、いつにする?」
「は?」
僕の机の上で腕を組んで首を傾げた彼が口にした言葉に、僕は脱力した。
悩みでもあるのか、と身構えた数秒前の自分が阿呆らしくなってくる。ただの雑談じゃないか。
心配して損した、と僕は相好を崩した。そんな僕を見て、僕が興味を失ったと考えたのだろう。彼は慌てたように理由を捲し立てた。
「いや、さっきの日本史聞いててふと思ったんだよ。ちなみに俺は恐竜時代。カッコイイじゃん」
「子供か」
いや、確かに子供なのだが。
どやっと腹立つ顔をして彼が言った言葉に咄嗟にツッコむ。カッコイイって。小学生男子か。男子高校生とは思えない発言である。あと1、2年したら嵐の受験生だというのに。
しかし、彼はどうしても僕の『タイムスリップをしたら』という話が聞きたいらしい。
ねー教えろよーおねがーい、などとしなをつくっている。ちょっと気持ち悪いぞ。
僕は半眼で見ながら、ほとんど無意識に口を開いた。
「……500年前」
「? なんで?」
今から500年前といえば、歴代初の女性首相が誕生した頃。けれど法律に関しては今に比べて不平等も激しく、『暗い時代』との異名もつけられていた時代の一部だ。
けれど──。
「青空が、見たいから」
ぼそりと僕がつぶやいた言葉に、目の前の彼は訝しげに顔を顰めた。
「でも500年前っつーと……さっきの授業の頃か? 『暗い時代』がいいのかよ?」
「……まあ、なんとなく」
けれど、今より世界は広かった。
生きた人間の、直接伝わる熱があった。
声を聞いた時の息遣いだとか、皆が熱狂する中で頬を伝う汗だとか。それ以外にだって沢山。
昔、ひいじいちゃんが『昔は良かった』とか言ってるのを聞いたことあるけど、確かにそうだと思う。
僕だって、長さが変わっていく『影』とかいう奴や、鼻にツンときて眩しいプールの香りを感じてみたかった。あの時代ではAIはまだ人間の補助が必要で、工業は人間主力。接客も全て人間だった。
そして何よりも、昼の世界があった。
僕は窓の外に備え付けられた温度計にちらりと目を向ける。紺色の天井を背景に示された温度は30℃。高めだが、今の季節おかしいというわけではない。ごく普通の、夏の『夜』の気温。
けれど昔は、これが『日中』の気温だった。
今から約450前。
かねてから進んでいた地球温暖化が、新しいエネルギー源の予期せぬ副作用により、急速な気温上昇を見せた。いずれは昼に生活ができなくなるほどに。
それをいち早く察知した国連は、対策本部を設置し、人間の適応に動いた。
生産ラインを動かし続けるべく、工業の実働の多くがAIになった。
人は室内でそれを監視するのみ。
24時間営業のコンビニや飲食店は、勤務にあたって服内で室温を保つことができる保護服の着用と、AIロボットの稼働が義務化された。この前行ったコンビニでは、保護服を着用した大学生ぽい人数人と、大量のロボットが品出しとレジ打ちをしていた。
『AIにもできる職』の求人は年を経るごとに減っていき、『AIにできない職』『新しい職』に就活生は殺到している。
行く先々で聞こえるのはAI合成の声。
人間に限りなく近い、けれども人間らしくない声。
これが『普通』なのだけれど、先生から昔の日本を聞くたびに、昔が羨ましくなる。
先生の言う昔よりも、格差は減った。
けれど、何かが足りないように思うのだ。
きっとそれは、肌を焦がすほどの光と、ダイヤのように輝く海の飛沫。
きっと、夜にはない『暖かい明るさ』が欲しいのだと思う。
ひいじいちゃんがこっそり見せてくれた、あの人の祖父の──否、もっと昔の、アルバムに貼られた写真。
青い海に、くっきりと生えた入道雲。
遠いとおい、子供の頃の結晶の一つ。
だから、僕は青空が見たい。
──なんて、言うわけないけど。
そう僕が一人思っていると、友人はふーん、とだけ返した。お前、もうちょっと反応しろよな。
昔だがそうだが、お前は人に興味がなさ過ぎなんだよ。その上子供っぽいもんだから、恐竜を見に行きたいという結論に至るんだ。
「けどさ」
余りにも淡白だと感じた彼の続けた言葉に、僕は首を傾げた。
「500年って、一瞬だよな」
どういう意味だろう。
500年なんて、僕らが何回か人生を生きれるくらいの長さだ。医療も進歩しているから、その考え方だって変わると思うけど。
よく分かってない僕に気づいたのか、友人は唸りながら説明する。
「なんか誰かが、地球が生まれてからを一年に収めたらどうなるかって言うのを作ったらしいんだけど」
地球ができてから、まず生命が生まれるまで3ヶ月。そこから恐竜になるまでが9ヶ月。そして──
「人ができてから、今までが、最終日12月31日の13時間」
「……いやだから、どういう意味だよ」
もったいぶる彼に少し苛ついて、強めに答えを催促する。
すると彼は、こう続けた。
「だーかーらー、青空がなくなってからの地球なんて、たったの数秒以下で、なら逆だってあり得るって話だよ」
「!」
そっか。
長い長い地球の一年の中で、人間の時間なんてたった数秒で、特に今までなんて瞬きの時間ぐらい短くて。
でも、その短い時間の中で、500年前は、その500年前は、今みたいな世界なんて想像もしていなかったわけで。
例えば今から2000年前は、仏教がこの国にあるかないかくらいだった。
なら、逆だって。
また青空を見られるようになるのかも知れない。ヒマワリが、その面をくるりと廻して咲く姿が見られるようになるのかも知れない。
だって、500年は、2000年は、意外と短い。