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名前を付ける程ではありません
「暇だ」
正確に言うと、暇ではない。やらないといけない仕事もあるし、食事も取らないといけない。それがこなせない訳ではないが、何をしても満足感が得られない。充実とは、どういう状態だっただろうか。
すりガラス越しに、世界を覗いているようだ。何もかもが不安定で、ぼんやりとしている。後ろでは、天気予報のアナウンサーの声が聞こえる。
〈今日は昼から夕方にかけて、段々と曇りになっていくでしょう〉
「ぁーー」
椅子に座り、魂が抜けたように腕がだらんと下がる。ぼーっと、ただただ時間だけが過ぎていく。名前のつけられない感情だけが、頭の中を渦巻いている。
椅子から立ち上がり、ソファに膝から倒れ込む。流れるようにスマホを開き、意味もなく流れる文字を追い続ける。
「何をやろうか......」
ぼそっと呟いたその言葉は意味を持たず、音として消えるだけだった。
やりたいことなんて見つかるはずもないのだから、そんなことを言ったって何も変わらない。
スワイプをしていた指を止める。それは、小さな子供が無邪気に外で遊んでいる動画だった。昔は、少年だった頃に私は、何をしていただろう。
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私は、人一倍好きな事にのめり込む性格をしていた。
昼夜問わず、1分1秒..とは言えないかもしれないが、それだけ多くの時間そのことに費やしてきたつもりだ。
「そろそろ辞めにしておきなさい」
母親からそう言われても、手が離せない。そんな子供だった。
ある時はスポーツについて。ある時は絵について。ある時は天文について。
様々な分野に触れてきたつもりだ。しかし、私の知的好奇心はその程度では収まらなかった。
(もっと色んなことが知りたいなぁ)
今とは真反対。..いや、今は昔の反動なのかもしれない。
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なぜ人は歳を重ねるごとに、こう陰鬱でジメジメとした思考が増えるのだろう。そんな疑問を抱えながら、晴れとも曇りとも、どちらともつかない空の下を歩く。特に意味があるわけではないが、気づいたら外に出ていた。
(どうせだし、なんか食うか)
辺りを見渡し、目に飛び込んできたカフェのドアを開ける。
カウンターは満席だ。別に空きが出るまで待ってもよかったのだが、そんな事をしていたら更に心のモヤは増え続けるだろう。この気持ちを少しでも紛らわすために、一人寂しくテーブル席に座ることにした。
メニューを見るが、特に目を惹かれるものはなかった。メニューを閉じ、ふと目線を上げた時だった。
[申し訳ございません、お客様。もしよろしければ、こちらのお客様と相席していただくことは可能でしょうか?]
店員さんが、申し訳なさそうに尋ねてくる。
正直断りたかったが、今はそんな気分にもなれなかった。
「はい、大丈夫ですよ」
そう伝えると、店員さんはお冷を二人分置き、ペコペコしながら一人の女性を残して消えていった。
「席、座らないんですか」
女性は軽く首を横に振り、席についた。
『何も頼まれないんですか?』
高く、それでいて凛とした声。
「えぇ、まぁ。..貴女は?」
『カフェラテでも頼もうかと』
あぁ、いいですね。なんて言葉を返し、窓の外を眺める。後ろから、店員さんと女性の話し声が聞こえる。
注文が終わったのだろうか、女性は私に話しかけてくる。
『普段、カフェとか来られるんですか?』
「いや、特にそう言ったことは」
......沈黙。私は会話が下手なのだろう。
『..今日はいい天気ですよね』
「そろそろ曇りですよ」
......おそらく、二人とも会話が下手なのだろう。
「えっ..と、今、やりたいことが見つからなくて」
余計に話が進まない話題を出してしまった。本来、こういう話は初対面の人にするようなものではないだろう。
恥ずかしさからか、自然と目線が下がる。
「..すみません」
何に謝っているのかすら、分からない。目だけを動かし、ちらりと女性を見る。
『....』
なぜか、笑っている。
「笑いますよね......そりゃ急にこんな話されても」
人と話すと、何もうまくいかずにいつもより声が出しにくくなる。いつも感じている名前のないものよりも、もっと嫌な気持ちが頭の中で蠢く。
『いえ、嘲笑はしませんよ。これは貴方にピッタリだと思うんです。』
言い方が不自然で、怪しすぎる。
(壺とか勧められても、絶対買わないぞ......!)
『貴方、言葉にできない何かがあるんじゃないですか?』
心臓の鼓動が聞こえた。心の内を覗き込まれているようだ。
『そういうものって、無理に言葉にしなくてもいいと思うんです』
彼女はにこりと笑う。
『作曲、してみませんか?』
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あれから小一時間話し、店員からの視線が気になってきたところで退店をした。
それまでの間、私はずっと彼女の話を聞いていた。
彼女は作曲をしているらしい。知り合いに作曲家が居ないから、仲間が欲しかったそう。だからきっと、私に作曲を勧めたんだろう。
彼女が言うには、綺麗に作られた曲よりもありったけの感情を込めた曲の方がより"完璧な曲"である..らしい。
彼女はそれと、もう一つ私に言ってくれた。
貴方はいい曲を作りそうだ、と。
そんな事を思い出しながら歩いていると、すぐに家に着くことができた。
「..作って、みるか」
少しの気まぐれ、少しでも無心になりたかった故の逃げ道。やる意味はないが、やらない意味もない。
家に入り、パソコンを探して起動する。椅子に座り、楽曲制作ソフトを立ち上げる。説明を読み、思うがままに音を並べ重ねる。自分でも何をしているのかわからない。ただ、体が動く。時々手が止まる。それでもまた、動き出す。
私の感情を、初めて音として書き出す。重しの乗っていた心が、軽くなっていく。
この時の私は、意味を求めず、ただ思うがままに。
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『凄くいい曲ですね..! 嫉妬しちゃうくらいです。久々に曲で感動したかもしれません』
私たちは、この前と同じカフェで曲を聴いている。名前も知らず、連絡先も交換していないのに、また出会えたのはあの時の同じ時間帯にきていたからだろうか。
「なんだか、やりたいことが見つかったような..そんな気がします」
私はそう告げる。
『そういえば、曲名はどうするんですか?』
考えてすらいなかった。
う〜ん、そうだなぁ..と頭を悩ませる。
「名前を付ける程ではありませんよ」
曲名の小ネタ的なのです。
名前を付けるほどではないっていうのは、この曲は主人公の感情を元に作られた曲だから、感情の名前を知らないんだったら曲の名前もつけられないねっていう話です。