公開中
どこかの奏者
残業を終え、震える手で路地裏に向かう。手が震えているのは、きっとまたタバコを吸えるからだろうか。それとも、残業を終えたことで若干吹っ切れているのか。それとも、次元板に興味が湧いているか。そして路地裏へ入ろうとすると、横から老人がやってくる。大きな薙刀を背負ってカラスの羽が大量にべったりと貼り付いている薄汚れた狩人服を着ている。
「よお、あんたここら辺で働いてんのか?」
「え、あ、はいそうですが…なんでしょうか」
「俺は…まあどこの奴かは言わなくても察せるだろ、こんな世界で真面目に社会人として生きられてんのは天才だけだぜ」
「ありがとうございます、とりあえず要件は?」
「似ている奴でもいい、ここら辺で黒い中折れハットに黒スーツ、黒いズボンに黒いビジネスシューズ、黒い手袋で白髪一つ結びでずっと笑って目ぇ閉じてショットガン背負ってる野郎を見かけなかったか」
「ひたすらに真っ黒ですね…特に見かけませんでしたが」
「ああ、そうか、すまんな時間奪っちまって、んじゃ」
老人が遠くへ移動する。
…
老人が倒れる。
プラスチックをプレス機の圧縮で潰していると、突然破裂したような。そんな音と一緒に。
老人が赤を作る。
アスファルトの|皺《しわ》に|遍《あまね》く。そして奥にはそれがいた。
それは持っていた。
それはこちらを見つめると、静かに口を開く。
ノイズとも信号とも、はたまた森羅万象の一つにも定義が難しい、そんな音が出る。
口を閉じるとそれは警告を囁き始める。
近いうちにまた会える、と。
その時は、その印として今回のようなものにしようと。
それは声を上げずに笑い、黒い霧に包まれて消えていった。
路地裏に入る。
「よ、真面目野郎サン。」
ニタがいた。
「えっと…今の見てましたか?」
「もちろんさ、あれも十の一つか千の一つか兆の一つになるって考えるととんでもねえな、まあ日常茶飯事に今更驚いたってなんもねえけどよ。」
「…」
ニタが寄りかかっている壁の対岸の壁に寄りかかり、タバコを取り出す。ライターで火をつけ、吸い始める。
紫煙が二つ、空に上がった。それに何気なく息を吹きかけてみる。
それは何かのゲームによくあるような、滝が割れるように二つに分かれた。そして、紫煙として存在している。では、私が紫煙と定義しなかったらどうなるのだろう。紫煙と定義できる根拠、タバコから発生している。…他にあるだろうが、私にはこれが限界だった。しかし、そう考えていてもしょうがない。
紫煙を何気なく見上げる。上には建物が二つ。左右に並んでいる。一瞬空に浮かんでいるのかと思えば、横を見ると地上に建っている。また見上げると、刀を持った人影が二つ、追いかけっこをしているようにビルの間を跳躍し、斬撃の音が微かに聞こえる。
「人が死ぬなんてのは誰でも慣れてるもんさ、子供の頃に曾祖なんたらが死ぬなんてのは普通だろうな、俺ん場合は殺されたがな、はは。」
「それを笑い飛ばせるほどの治安なんですよね、ここは。」
静かに、しかし哀しげに呟く。哀愁と記憶の想起がぐちゃぐちゃに混ざり合って溶ける。そして不快な闇鍋が脳内で完成し、それをストローで啜っている。ゆっくりと、わざわざ咽せないように、針をゆっくりと刺すように。結局、喉から閉め出してしまった。反芻をしたくなった。それを反芻すれば、何かがあると思ったから。目の前で人が死んでも耐えていたのに、なぜだろうか。
「おい、顔青いぞ」
「ああ…すみません、少し思い出してしまって。」
「ふーん…無いとは思うが、何を思い出した?」
「…」
一泊置く。
風が静かに髪を揺らす。
風はカウントダウンをするように紫煙を押す。
空に上がった紫煙が不完全な操作をしているように、くねったり歪んだりする。
「さて?」
満面の笑みだった。ただそれだけ。鳩尾に入ったようなものが消える。何も感じなかった。心臓の鼓動も、呼吸も。
だって、彼は満面の笑みだったのだから。
「趣味が悪いな。」
ニタはまるで「俺は詮索はしないぞ」と言うような笑みを口に浮かべた。しかし、相変わらずタバコは吸っている。
「んじゃ、次元板今日も見てみるか?とっておいたんだ、タバコの肴にはなるだろ。」
ニタが次元板を乗せた片手を軽く伸ばす。
「タバコの肴ってなんでしょうかね。」
次元板を取る。そして連絡先のは相変わらずだ。
「今日はどんな人に繋がるんでしょうか。」
電話の音が路地裏に鳴る。
「面白えやつだといいな、昨日のは面白く無いやつだったし」
「うーん、私としては面白かったですね、感性の違いだと思いますが」
「あ〜…でもあいつ罵詈雑言のセンスだけはあるんだよなあ…まあでも初対面のやつは面白いと思うのもしゃーないか」
電話が繋がる。
「…もしもし、誰だい?こんな時間に電話してきて」
中性的な声が聞こえる。
「えーっと…次元板から電話しました」
「次元板…なんだい?思春期は中学生の時点で出し切っておけ、声からして君は成人だろう」
「いや、次元板っていうのが存在して」
「今僕は忙しいんだ、後でならかけてもいいから今はやめてくれるかい?」
「忙しい」と言う言葉に若干何かの勘が過った。そして、次元板を耳に近づける。電話の向こうからは、微かにヴァイオリンのような音色が聞こえる。不協和音だが、どこか美しく。短調だがそれは関係ないのだろうか。
「…切ってもいいかい?」
「おい待てガキ、俺を覚えているか」
「…」
まるで納得したかのような沈黙が降りる。
「あー、君がいるっていうだけで十分推測できる。またタバコ吸ってるよな?」
「へっ、そうだよなんでみんなわかるんだ」
「みんなって…別のとこも巡ってんだね君は」
「とりあえず、忙しいって何がだ?遺跡にt」
「ああっと、それ以上は言ってはいけないよ、いくら別のとこの人間でも聞かれるのは嫌だし」
「…ああ〜なんか察しついたぞ」
「怠惰のくせに理解は早いんだね、じゃあ切るね。」
電話が切れる。
「…えっと、どういう知り合いの方で…?」
「あんガキは…まあなんと言ったらいいんだ、なんか…あれだな、ナンカスゴイパワー持ってるやつだ。」
「ナンカ…スゴイ……パワー…?」
「あ、すまん、あいつらのクセが移ってたらしい」
「よくわかりませんけど、とりあえず知り合いの方が多いんですね」
「…ん?」
「え、どうしました?」
「おい、次元板になんか付箋付いてるぞ、裏」
次元板の裏を見てみると、「67 2 0 u」と書かれた付箋があった。
「え、なんですかこれ…」
「おっかしいな、ちゃんと誰にもバレねえとこに隠したが…」
「え、隠してるのが見られたとかじゃ」
「確かにそうじゃん、俺ってバカか」
「…まあまあ、とりあえず私は帰りますね」
「おう、また今度。」