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プロローグ:私達の日常
ミアレシティの再開発が進む華やかな表通りから、入り組んだ細い路地を三つ折れ曲がった先。そこに
は、都市計画から完全に取り残されたような、ボロボロの3階建ての廃屋がありました。
壁には大人が一人通れるほどの大きな穴が空き、そこを拾ってきたビニールシートで雑に塞いでいま
す。玄関のドアは蝶番が壊れて斜めに傾き、開け閉めするたびに「ギギィ……」と悲鳴のような音を立
てる。それが、つばさ、しおん、らこ、このみの4姉妹が身を寄せ合って暮らす「家」でした。
1. 灰色の朝と、透き通ったお粥
カチ、カチ……。
長女のつばさ(12歳)が、火力の弱い古いコンロで鍋をかき混ぜます。
中に入っているのは、お米の粒が底に沈んで見えるほど薄い、味のしないお粥。一人あたり、スプーンでわずか2口分。それが彼女たちの朝食の全量でした。
「はい、みんな! 今日の特製クリスタル・スープ(お粥)ができたよ!」
つばさは、持ち前の陽キャ全開の笑顔で、欠けたお椀を妹たちの前に並べました。
「見て、今日のお粥は一段と透明感があるね! ミアレの高級レストランでもこんなに綺麗なスープは出ないよ!」
「本当だ! つばさ姉ちゃん、天才!」
三女のらこ(10歳)も、お腹の虫が鳴っているのを無視して、明るい声で応えます。彼女もつばさと同じく、場の空気を盛り上げるのが得意な陽キャです。
しかし、二女のしおん(11歳)と、四女のこのみ(10歳)は、静かに俯いたままお粥を見つめていました。二人は内向的な陰キャ。空腹は、彼女たちの心をより深く沈ませます。
「……ねえ。お父さんとお母さん、今どこにいるのかな」
末っ子のこのみが、消え入りそうな声で呟きました。
「『お前たちみたいな、何の役にも立たないいらない子は、この街のゴミだ』って言われた場所……。あの日から、ずっとお腹が空いてる気がする」
しおんが、細い手でこのみの肩を抱き寄せました。
「……考えちゃだめ、このみ。あの人たちは、私たちを捨てた。でも、私たちは死ななかった。このボロい家があって、4人がいる。それだけで、あの人たちに勝ってるんだから」
しおんの言葉は冷たく聞こえるかもしれませんが、それは彼女なりの守り方でした。感情を殺さなければ、空腹と孤独に押しつぶされてしまうからです。
2. ポケモンセンターという「戦場」
4人はボロボロの私服を脱ぎ捨て、大切に手入れしている「ポケモンセンター」の制服に袖を通します。
このピンクと白の制服を着ている間だけは、自分たちが「路地裏の捨て子」であることを忘れ、街の一部になれる気がしました。
ミアレシティの巨大なポケモンセンター。
ここは、カロス地方中からトレーナーが集まる場所です。
「おはようございます! 今日もよろしくお願いします!」
つばさとらこは、フロントで元気よく挨拶を振りまきます。彼女たちの仕事は、トレーナーの案内や、重い荷物の運搬、そしてロビーの清掃です。
「あ、そちらのケガをしたケロマツくん、こちらへどうぞ! すぐにジョーイさんが診てくれますよ!」
笑顔を絶やさず、キビキビと動く二人は、センターでも「元気な双子(のような姉妹)」として評判でした。
一方、バックヤードではしおんとこのみが働いています。
彼女たちの担当は、モンスターボールの精密洗浄と、傷ついたポケモンに与える「きずぐすり」や「きのみ」の調合補助。
「……この傷には、オレンのみの配合を0.5パーセント増やしたほうがいい。炎症がひどいから」
しおんが静かに指示を出し、このみが正確に秤(はかり)を動かします。二人の無口で完璧な仕事ぶりは、ベテランのジョーイさんからも一目置かれていました。
しかし、華やかなセンターの光が強ければ強いほど、自分たちの現実とのギャップに心が削れることもあります。
昼休み、豪華なサンドイッチを頬張るトレーナーたちの横を通り過ぎるとき、4人のお腹は悲鳴を上げます。
「……いいな、あのご飯。私たちの1ヶ月分より豪華かも」
ふと漏らしたこのみの言葉に、つばさがパッと彼女の背中を叩きました。
「何を言ってるの! 私たちは、世界で一番価値のある仕事をしてるんだよ。あのトレーナーたちが冒険できるのは、私たちがボールをピカピカにしてるから! 胸を張って、このみ!」
3. 嵐の夜、雨漏りの歌
その日の夜、ミアレシティを激しい嵐が襲いました。
ボロ家の3階、天井の穴からは容赦なく雨水が滴り落ちます。4人は壊れたドアに板を打ち付け、バケツや空き缶を並べて雨漏りを受け止めました。
「わあ! バケツに落ちる音が楽器みたい! チン、コン、カンって!」
らこがリズムに合わせて踊り出します。
「つばさ姉ちゃん、これに合わせて歌おうよ!」
「いいね! ミアレ・レイニー・ライブの始まりだー!」
つばさらこが明るく歌い踊る中、部屋の隅ではしおんが、雨風に震えるこのみを毛布で包んでいました。
「……うるさいな、二人とも。明日の仕事に響くよ」
しおんが呆れたように言いますが、その口元はわずかに緩んでいました。姉たちの「無理矢理な明るさ」がなければ、この暗い夜を越えられないことを、彼女は知っているからです。
「ねえ、いつか」
このみが、毛布の中から顔を出しました。
「いつかお金が貯まったら、穴の空いていないお家に住めるかな。味がするお粥を、お腹いっぱい食べられるかな」
つばさは踊るのを止め、静かに3人の妹たちの横に座りました。
「住めるよ。絶対。私たちは、あの人たちに『いらない』って言われたけど、今の私たちは、ポケモンセンターに、この街に、必要とされてる。自分たちの力で、居場所を作ってるんだよ」
つばさは、節くれだった自分の手を広げました。
「私たちは、捨てられたゴミじゃない。ミアレシティの地下に根を張る、一番強い雑草なんだから。いつか、プリズムタワーのてっぺんよりも高い場所まで、花を咲かせてやろうよ」
4. 4つの鼓動
翌朝。
嵐が去ったミアレの空は、洗ったように澄み渡っていました。
4人はいつものように、たった2口の薄いお粥を分け合いました。
「よし! 今日も稼ぐぞー!」
つばさの声が、ボロボロの家に響きます。
「おーっ!」と元気に応えるらこ。
「……忘れ物はない?」と冷静にチェックするしおん。
「……頑張る」と小さく拳を握るこのみ。
壊れたドアを開け、4人は光の差す表通りへと歩き出します。
背後にある家は相変わらずボロボロで、お腹は空いたまま。
けれど、彼女たちの背筋は、昨日よりも少しだけ伸びていました。
誰にも必要とされないと言われた少女たちは、今、世界で一番ポケモンが集まる場所で、誰かの「ありがとう」のために生きています。