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【曲パロ】夜明けと蛍
リクエストありがとうございました。
少し迷走はしましたが、着地点を見つけられました!
これから夏。この曲がより素敵になる季節です。私もやりたいことをもう少し探せたらいいです。
※ こちらはN-buna様の楽曲「夜明けと蛍」の二次創作です。
私がここに立っていても、誰も何も気づかないんだ。
随分と不思議な気分だった。水泳の授業でしか来たことのないそこは、怖いくらいに静かで、ただ水面が揺れているだけだった。ゆらりと大きな月が、面いっぱいに映っている。
私は水面に映っていたそれを見上げて、乾いたブロックの上を歩いていく。映っていたものよりもなんとなく小さく見えた月は、色合いも少し淡く感じた。それでいて掴めそうで、絶対に掴めない。
ふいに、何かに躓いた。足がもつれて、プールの水面の静寂を壊しつつ着地する。横を見れば、ブロックの一部が禿げていて、違う色が覗いていた。
別に、転んだわけじゃない。誰に宛てるわけでもない弁明をしながら、立ち上がることもせず、私は俯いたままぱしゃぱしゃとプールの中で足を動かしていた。氷のように冷たかった。私を拒絶するかのようだった。
まるで、周囲のあの人たちのように。
おそらく、ここに私以外の人間がいたら、私のことを笑うだろう。上を見て歩いていたんだから、当然だろうと笑うだろう。現に私は嘲笑されているから、気づかないふりをするのだ。
まだ私は月を見ていたかった。心が軽くなるからだった。
遠い空の星が滲んで、私から逃げるようにぼやけ始める。そう考えると、どうにも言葉にできない思いが溢れてきた。
細くだけれど、歌い始めた。周りに聞こえないのをいいことに、だんだんと声は大きくなる。歌詞もてんでバラバラで、コードなんて定まってない歌で、私はずっと朝を描いている。大嫌いな世界からの出口みたいな朝を探している。上がった体温を冷ます浅い浅い夏が私の足を覆っている。まるで、早く目を覚ませとでも言うかのように。
冷たくない君の手のひらが、今は少し恋しかった。私をなんとか保たせてくれている、その手のひらに私の手のひらを重ねた。淡く、しかし深い紺色の空の境界がはっきりする。
しばらくそうしていると、どこからか羽ばたいてきた蛍が、指の先。プール、しかも学校の無機質な25Mのここに、どうしてだろう。
いくら考えたところで、小さな虫が飛び立つわけでもなかった。くすぐったく、私の指先を歩く。
そう簡単に下ろせなくなってしまったので、蛍の鮮やかな光を眺める。懐中電灯と同じくらいに眩しくなった光は、小さな一つの命から作られたものだ。私がちっぽけに見えてくる。例えるならば、壁の隅の小さな染み。
思い返してみる。
それを消そうとする人があまりにも多いから。私に水をかけて、なかったことにしようとする人があまりにも多いから。
いつのまにか、嫌いなものが増えていた。
「価値あるもの」には、何もかもが曖昧な私はなることができない。だから私は染みなのだ。染みから抜け出すためには、私のぼんやりとしたところを直さなくてはいけなくて、でも肝心の直し方が分からない。毎日遠く遠くに浮かぶ淡い月を眺めて、周りなんて見えないふりをして、それでおしまいだった。
胸の奥のしこりが大きくなったようで、また足を動かす。プールの水はやはり私を寄せ付けたくはないように冷たくて、何もどんよりとした思いは出ていってくれない。もどかしくなる。
いったい何のために私はここまで来たのだろう。臆病な私がここに来るだけでも、恐ろしくてしょうがないことだったというのに。
進路希望調査票。
漢字が羅列された、たった一枚の紙切れ。それ私は脳裏から消し去っていたわけではなかった。前々から予告はされていた。
準備はしていたはずだったが、いざ空欄を埋めてみようとすると頭が真っ白になってシャープペンシルを一ミリも動かすことができない。何か書こう、何か安定しているもの、褒められそうなもの、志望校。ぐるぐると考え続けても選択肢が自動的に浮かんでくるわけでもなく、結局終わりを告げるチャイムの音が響き渡った。
また嫌なものが増えてしまった。
そう思いながら紙切れを2つに折りたたんで、急ぎ足で廊下に出る。会話している。笑顔で何を書いたかについて、みんな会話している。
「もうこんな時期なのに、将来について決めてないのはさすがにおかしいと思うよ」
呼び起こされた言葉は、やっぱり気分を重くさせる。そういう空気になってしまった、帰る生徒でごった返す廊下から逃げるように、私はその場を立ち去った。
まるで地球の裏側へ、逃避行するような気持ち。そんなところ行けなんてしないけれど、こう思っているだけで少し体が軽くなる。だから、今は少しでもどこか遠くへ行きたい。
「人それぞれなんだから気にしなくていいよ」
前にふとかけられた、言葉を思い返して。
結局いつもの帰り道から抜け出すことはできず、誤魔化すように眠っても効果はなかった。目が覚めたのは真夜中だった。
このまま、もう一度寝られるはずはない。静かに着替えて、外に出る。もう夏なのに、少し肌寒かった。肌寒かったけれど、あてもなくさまよう私はいつのまにか、深夜の学校に訪れていた。
視界の端に、光るものが見えた。何かの光を反射した水面だった。プールサイドは無人の駅のように静まり返っている。
なぜか、昨日の自分が佇んでいるように思えた。今よりも少しだけ、元気そうな気がした。
こんなことをしているのがバレたら間違いなく、内申点は下がる。何をやっているんだと怒られてしまうだろう。それでも、ここから動けない。少し寒くてもこの水から足を引き出せそうにはなかった。
そもそも、何も書けていない私が内申を気にするのも、周りから見たら笑えることなのだろう。そう思うと、余計にここにいたくなってしまった。
下を向く。相変わらず蛍は私の指に止まっているかに思えたが、ようやく飛び立った。捕まえようと思っていたわけでもないし、嬉しくもなかったけれど、どうにも胸が痛くなる。あの時、言葉をかけてくれた君が前に征くような気がしたからだろうか。
どんなに励まされたとしても、私はどこまで行っても他人だ。いずれ置いて行かれる。励まされた私はいつか変わらなければいけないということも分かっている。
いっそのこと、誰かに思いっきり貶してもらえればいいのだろうか。誰かに私のぼんやりとした夢を汚してもらえれば、諦めはつくような気がする。
一気にしぼんでいく勢い。どうしても、現実から逃げたい。昨日の夜、燃え上がっていた思いに自分で水をかけた。かけられた。
今なら「まとも」な進路を作れるだろうか。ゆっくりと片足を持ち上げる。久々に触れる空気は生ぬるくて嫌になりそうだった。
しかし、水面に映る月は霞んでいて、先ほどよりも見にくくなっていた。その代わりに校舎がはっきりと映るようになっていた。綺麗なものは見えなくなって、現実味のあるものが目の前に突き出される。空を見上げると、月は地平線の下に沈んでいくところだった。
今すぐに帰らなくてはならない。そう言い張っているように、私の目には映った。
まだ寒い。夏が来ていないかのように寒い。太陽は出ていない。息苦しい。水面に映った震える私は不恰好だった。助けてあげたのに、こうも進めない私を君は笑うだろうか。考えたくはない。
もう、考えたくはなかった。
朝が来ないままで、息をするのなら。自分を押し込めて、朝なんて見なければ、苦しいながらも息が出来る。出来るのなら、もうそれで良い。やってこない、遠い遠い夏も朝も、その向こうへ行けば。
もう片足のつま先が水面から出そうになったその時、また指先に蛍が止まった。
眩しかった。振り向けば、朝日が出ている。
遠かったはずの朝が、私の元にもやってきた。太陽に別の色の光を蛍が被せた。何匹も、何匹も被せた。
綺麗。真っ先に出てきたのは、もう帰らなくてはいけないとか、そういう言葉ではなかった。純粋な感動だった。
また足を戻した水がより冷たくなった気がする。空気は生ぬるいというより暑い。温度が上がっているような気がするのだ。日が昇ってきたから当然といえば当然だけれど、それだけで言い表せるものではなかった。
淡い朝焼けでオレンジ色に照らされる夜空の下、風が私の頭を撫でていく。不思議なことに、すっと息がしやすくなった。何気なくかけられた、君からの一言のように、私を一瞬で楽にしてくれる。
明確な何かが見つかったわけではなかった。
まだ、自分で自分のことは分からないまま、数少ないやりたいことは、堂々と誰かに見せられるものではない。
それでも、夜明けがやってきたことに嬉しくなった私は、まだ何とかなれるかもしれない。証拠も何もない自信だ。それでも、私は嫌ではなかった。むしろどこか清々しいくらいだった。
変わってないけれど、変わっている。脆くとも羽が生えたような私は、少し前よりもずっと軽やかな足取りで歩ける。
硬いコンクリートを踏み締めて、夏が近づき始めたプールサイドを後にした。藍色の空が、また一段と明るくなって、明けの蛍が優しくそれを照らしていた。