使わせてもらった楽曲 あの夏が飽和する。
カンザキイオリ様
――――――――――――――――――――
愛されないのなら
「逃げてしまえ」
殺してしまったのなら
「殺しきってしまえ」
「一緒に死のう」
――死んでしまおう
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目次
あの夏が飽和する。 0
晴瀬です。
死にゆく少年達の話です。
麦茶を一気飲みしながら何気なくカレンダーを横目で見る。
ああ、明日は彼女の、彼女の、日だ。
思い出す。
そして飽和する。
あの夏の記憶が―――
『あの夏が飽和する。1』
https://tanpen.net/novel/6570f75b-f2fc-4b36-8ff2-3bb17008690f/
『あの夏が飽和する。2』
https://tanpen.net/novel/a6937fe6-3db9-45cc-9149-c5b5d103ca08/
『あの夏が飽和する。3』
https://tanpen.net/novel/27bafdd1-dbfe-4167-8bd7-0bc93c94b212/
あの夏が飽和する。 1
晴瀬です。
1話です。
この話はカンザキイオリさんの『あの夏が飽和する。』という曲を基に創られています。
雨の音でパッ、と目が覚める。
暑い。
何も敷いていない部屋で寝ていたからか体が痛い。
大きく伸びをして欠伸を1つ。
暑い。むしむしする。
むくりと起き上がってエアコンをつける。
テレビのリモコンを手に取り適当に操作しニュース番組が映ったところでとめる。
「今日は東京では最高25度を超え、雨も降るため非常にじめじめとした、夏と梅雨が混ざったような一日になるでしょう」
テレビの中から話すアナウンサーの話を耳へ流しながらキッチンへ向かう。
冷蔵庫を開け溜め息。
飲み物すら何も、入っていない。
面倒臭いけれど買いに行くしかないか。
そう思う。
うちは母子家庭だった。
小さい頃から父親はいなくて、母さんに1回だけ聞いたことがある。
「なんでうちにはおとうさんがいないの?」
無邪気で無垢な子供の言葉だった。
母さんは見たことがないくらい優しい笑顔で、それでも闇を含んだ瞳で言った。
「お父さんは、棄てたの。私と、あなたを。
私も知らないどこかで綺麗な女の人と暮らしているのよ」
一語一句全てを僕に伝えるように、噛み締めるように言った。
これは聞いてはいけない話だと子供ながら本能が警告した。
もうこれ以上は訊いてはいけない。
「そっかあ」
僕は一言そう言ってその場を離れた。
それが正しい選択だったのか、今でも分からない。
母さんは僕が小さい頃から|所謂《いわゆる》水商売で働いていた。
なぜその歳になってまでそこで働けているのかは分からない。
そろそろ40歳くらいになると思っていた。
――歳と、話術と、顔が大事なの。
母さんの言葉が甦る。
僕が大きくなるにつれ、母さんは家に帰ってこなくなった。
今では月に一度生きるために必要なお金をまとめた封筒を僕が学校に行っている間に家に入り机に置いていく。
顔も、上手くは思い出せない。
でも会えば普通に喋れるのだ。
表面を、取り繕って。
僕は高校2年生の17歳。
ほとんど独り暮らし。
一人暮らし、ではない。独り暮らし。
孤独の独。
はあ、と溜め息をついてソファに無造作に置かれたキャップを被る。
エアコンとテレビを消して電気のスイッチを押す。
窓の外を一瞥して思う。
雨が降っていた。
何か、懐かしかった。何を思い出していたのか、分からない。
鍵を持って玄関のドアを開ける。
小さなアパートの2階の角。それが僕の家だ。
ドアを半分開けてあ、と思う。
傘。
玄関に置いてある棚の上に掛かった傘を掴みドアを開け外に出る。
暑い。むしむしする。
すでにおでこが汗ばむのを感じながら鍵を閉めさあ歩き出そうと何気なくドアの下を、ドアの右下を見る。
ちょうどポストの下辺り。
「さ、つき?」
その場に零れた言葉が僕の口から発されたものだと気付くのに随分と時間が掛かった。
「さ、大蔵さん?」
昔のように呼びそうになって、改める。
そこに、|大蔵《おおくら》|皐月《さつき》が、座っていた。
ずぶ濡れのまんま僕の部屋の前で。
梅雨時だからとはいえずぶ濡れすぎる。
体育座りで膝の中に顔を埋めていた。
雨で濡れた髪が頬にくっついている。
皐月が顔を上げて僕を見た。
薄く笑う。
訳が分からなかった。
頬の水は、涙のようにも見える。
「………ごめん」
大蔵さんが小さくか細く溢した言葉にハッとする。
来ちゃった、と動く口から声が出ることはない。
「あ、えっ、と、入る?濡れてるし、暑いし、雨、すごいし」
弾かれたように出した僕の言葉に大蔵さんは小さく頷いた。
僕は閉めたばかりの鍵を開けドアを開ける。
さっきまで寝ていたリビングまで戻り「ここに座ってて」と大蔵さんを座らせる。
僕はエアコンをつけ、キッチンに戻ったところで冷蔵庫には何も入っていないことを思い出した。
あああ、と冷蔵庫からものがなくなる前になぜ買い物に行かなかったのか少し後悔しながらリビングに戻る。
「ごめん、何も出せなくて」
そう言うと俯向いていた顔を持ち上げ大蔵さんは引き攣った笑顔を見せた。
「大丈夫」
夏が始まったばかりというのに彼女はひどく震えていた。
大蔵さん、大蔵皐月は中学の頃付き合っていた相手である。
中学2年か3年かのとき。
同い年で、モテる大蔵さんとモテない僕はなんとなく付き合っていた。
同じ高校に進学したとはいえ、クラスも違うし中学で既に別れていたため接点はほとんどなかった。
なぜ今になって家に来たのか、なぜまだ家の場所を覚えていたのか分からない。
「えっ、と風呂、入る?あの、すごい濡れてるし寒、くない?」
沈黙に耐えられずそう言うと大倉さんは静かに頷いた。
「お風呂、そこにあるから。服はその辺に置いておいていいし、あれなら洗濯するし変えの服は探しとくから、うん。あの、入ってって、いいよ」
たどたどしく説明すると大蔵さんは静かに立ち上がった。
綺麗に揺れる黒髪が、ひどく不気味に見えた。
大蔵さんが洗面所に入りドアを閉めた音がしたのを確認して僕も立ち上がる。
タンスを漁りながら考える。
この辺に昔母さんが着てたワンピースがあったような。
服を出したり片付けたりしながら探すとやっと見つかった。
それを手に持ち洗面所に入る前に一言声を掛ける。
「皐月、入るよ」
「うん」
と声が聞こえた。
扉を開け服を置いておく。
サイズもきっと合うはず。むしろ母さんは人よりも大きいサイズを買う人だから。
それから暫くリビングでごろごろしながらテレビを観ていると大蔵さんがリビングに入ってくる。
白いワンピースはよく似合っていた。
清楚な顔立ちの大蔵さんの白いワンピースほど似合うものはないと思っていた。
「お風呂ありがとう」
一番最初よりかはずっと表情が柔らかい。
僕と大蔵さんは向かい合って座る。
テレビから流れる軽快な音楽がその場を支配していた。
「なんで、なんで来たの」
皐月が僕の目を見る。
何かを怖がるような目でもあった。
「皐月で、いいよ。
皐月ってずっと言いかけて大蔵さんって言ってたでしょ」
そう前置きおいて皐月は話し出す。
想定もつかない、皐月の噺を。
「昨日人を殺したんだ。」
彼女は確かにそう言った。
聞き取れた。それは自分でも分かっていたけれど、にわかに信じられず聞き返す。
「え?」
「昨日、人を殺したんだ」
「人を殺した?」
「うん、私は人殺し」
「昨日、私は、人を殺した」
何度も何度も皐月は噛み締めるように言った。
「誰」
僕は言葉を溢す。
言ったとかそういうのじゃなく、溢した。
「あいつ」
「あいつ、って」
思い当たる節があった。
中学の、付き合っていた頃彼女から相談を持ち掛けられたことがあった。
「あの子から物を隠されたり悪口を言われたりする」
と。
強気な皐月がそんなことを言うなんて珍しいと思った。
あれから皐月が“あいつ”と呼ぶのはただ1人、そいつだけになった。
「隣の席の、いつもいじめてくるあいつ」
彼女の話は続く。
いつの間にか、あいつと皐月は同じクラスになっていた。
隣の席だったのは、初耳。
「塾の、塾の階段のところまでついてきてさ、もう嫌になって肩を突き飛ばしたら階段を転げ落ちて、それで、打ちどころが悪かったみたいで」
皐月は言葉を次いだ。
「もうここにはいられないと思うし、どっか遠いところで死んでくるよ」
彼女の長い髪が揺れた。
そんな君に僕は言った。
言ってしまった。
「それじゃ僕も連れてって」
『あの夏が飽和する。0』
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『あの夏が飽和する。2』
https://tanpen.net/novel/a6937fe6-3db9-45cc-9149-c5b5d103ca08/
『あの夏が飽和する。3』
https://tanpen.net/novel/27bafdd1-dbfe-4167-8bd7-0bc93c94b212/
『あの夏が飽和する。4』
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あの夏が飽和する。 2
晴瀬です。
2話です。
この話はカンザキイオリさんの『あの夏が飽和する。』という曲を基に創られています。
皐月が僕の目を見た。
僕はその視線から目を逸らして、自室からリュックを取ってリビングに戻る。
これに、荷物入れよう。
皐月は黙って立ち上がった。
財布を持ってナイフを持って携帯ゲームを鞄に詰めて。
そこまですると皐月は言った。
「要らないものは全部、壊していこう」
「あの写真も、あの日記も今となっちゃもういらないんだよ」
確かに、と僕は納得して写真立てから写真を抜き取り破く。
日記のページを破る。
想い出を、綺麗に飾られた想い出たちを僕は捨てていった。
なぜ僕はこんなものに縋っていたのか分からなかった。
母さんが、ずっとここに住んでくれる夢をずっと見続けていた。
「昌樹」
皐月が僕の名前を呼んだ。
はっ、と我に返る。
行こう。
分かった。
さよなら、皆。
僕らは人生を捨てたんだ。
僕はリュックを背負う。
すぐ死ぬんだから、死にゆく旅なんだから、荷は軽い。
いつの間にか雨は止んでいた。
それに、人殺しとダメ人間の君と僕の旅だから。
そして僕らは逃げ出した。
狭く苦しい世界から。
家族もクラスの奴らも全部棄てて君と二人で。
「遠い、誰もいないところで二人で死のう」
「もうこの世界に価値なんてないよ。希望なんて、全部無駄だ」
続ける皐月の言葉に僕は頷く。
被っていた化けの皮を喰らって。
道の端を歩きながらそんな会話をする。
人は消えたら全部終わりだ。
それに一早く気づいた僕たちはなんだってできる。
想像して、空想して僕は小さく笑った。
これできっと幸せになれると思う。
「でもさ、」
僕は皐月の顔を見る。
「人殺しってこの世に何人くらいいるんだろうね」
そう呟かれた問いに僕はすぐに答えられない。
少し間があって、僕は口を開いた。
「人殺しなんて、そこら中湧いてるじゃんか」
ああ…と皐月は|譫言《うわごと》のように相づちを打つ。
「現に、今隣で歩いてる女子高校生も人殺しなわけだし」
通りすがりの中学生3人組が奇妙な目でそんな僕らを見ていた。
黙り込む皐月の横で僕は呟く。
「君は何も悪くないよ。君は何も悪くないよ」
皐月は何も言わない。
静かに微笑むだけ。
綺麗に微笑むだけだった。
皐月は街を抜け、静かな路地を歩き出す。
人通りの少ない路地を歩きながら皐月は突然言った。
「私さ、中学の頃、ちょうど昌樹と付き合う前に彼氏がいてさ。
別れるとき、言われたのがさ」
僕は複雑な表情をして聞く。
どんな顔をすればいいか分からず、肩がそわそわした。
「『俺は皐月を愛しているのに、皐月が俺を愛してるか分からない』ってのだったんだよ。
それが別れ文句でさ。
愛す、ってのが分からなくて。
当時その人のこと好きだったはずなのに、愛してたかって言われたら、分からないの」
皐月は息を吸った。
「|家《うち》母子家庭でさ。母親も仕事で家にいないことが多くて。
愛、ってなんだって、思って。
愛が分からなかった。別に凄く凄くたくさんの愛を貰って生きてきたわけでは決してないからさ。
なんか皆、"愛して"、"愛されて"、"愛されていることを自覚して"、あー、なんか凄いなーって他人事に思ったりして」
うん、と相槌を打つ。
「なんか、愛を感じたことがなかったっていう話」
つられて、それと死ぬ前だからという意識で僕も口を開く。
「僕の母親は|所謂《いわゆる》水商売やってて、家に帰らないし料理とか洗濯とか皆の母親がやるような当たり前のことをやらなかったんだよね。だから僕は信じ込んでた。誰からもずっと、愛されることはないって」
付き合っていた頃はこんな込み入った話はしなかった。
皐月の息を吸う音が聞こえた。
路地からは音がしない。
「結局僕らは誰にも愛されたことがなかったんだ」
皐月が頷く気配を感じて僕もつられて俯いた。
嫌な共通点だと思う。
それでもそんな共通点があるだけで信じ合えると思っていた。
他には何も、信じられないから。
『あの夏が飽和する。0』
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『あの夏が飽和する。1』
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『あの夏が飽和する。3』
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『あの夏が飽和する。4』
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あの夏が飽和する。 3
晴瀬です。
3話です。
この話はカンザキイオリさんの『あの夏が飽和する。』という曲を基に創られています。
路地を抜け通りに出てしばらく歩いていると皐月が急に立ち止まった。
僕は皐月より2、3歩進んだところで気付き立ち止まる。
「どうした?」
僕が尋ねても皐月は答えようとしない。
氷のように固まって、瞬きもしない。
視線も動かない。
遠くの何かを見つめて皐月は全く動かない。
皐月の視線の先を辿って見えたのは高校生くらいの女子3人が100m程先のコンビニの前で|屯《たむろ》っていた。
「皐月、皐月?」
そしてまた2度ほど呼び掛けると皐月はふっ、と息を吐いた。
急に瞬きをして「ごめん、行こっか」そう言って歩き出す。
「皐月、あれ誰?」
「何でもないよ〜」
引き攣った笑顔でそう言いながら皐月はどんどん歩いていく。
「皐月」
やや語気を強めて名前を呼ぶと皐月は立ち止まった。
「皐月、あれ誰」
「中学の頃の奴」
ぶっきらぼうにそう言い手の甲で長い髪を払った。
「僕と同じクラスじゃなかったときの、奴?」
「…何でそうなんの」
僕と皐月のクラスが違った1年。
皐月が見ているのはこの前殺したあいつではない。
噂で聞く。
友達が少ない、というかいなかった僕にさえ耳にしたあの噂。
相当ネタとして大きかったんだろう。
『2組の大蔵皐月って奴、同じクラスの|遊亜楽《ゆあら》…遊亜楽は知ってるだろ?遊亜楽の彼氏奪ったらしぜ
なんでも、遊亜楽と遊亜楽の彼氏に脅したんだって。
『私と付き合ってくれないならあんた達を殺すから』って』
|八日市遊亜楽《よおかゆあら》、という女生徒は相当の美人らしく才色兼備、文武両道と当時色んな意味で物凄い人気だったらしい。
男女と差別することなく皆公平に接し、誰にでも優しく話す。
本当に、誰から見ても完璧な人だったらしい。
対する皐月は美人だけれど勉強が出来ず、人と関わろうとしないためその噂の説で信じられたのは遊亜楽の方だった。
当時僕たちは付き合っていたけれど、そのことは誰にも言わず誰にも知られていなかったから、ただ噂を誰かに話したい、そんな考えで彼は僕にそう言ったんだろう。
それでも、僕の衝撃は凄まじかった。
皐月がそんなことするのは思えなかったし、そもそもそれは浮気じゃないか。
その1週間後ほどで、皐月は笑った。
「昌樹、別れよう」
最後まで笑顔で、いつもの調子でそう言ってのけた。
そしてそれに僕は頷いてしまった。
どれが"本当"でどれが"嘘"なのか考えもせず。
周りに流され本当に皐月がそんな奇行を犯してしまったのだと、疑いもせず信じ彼女の口から真実を聴くことも一切しなかった。
僕は馬鹿だった。愚かだった。浅はかだった。
皐月は、いつまでも皐月だった。
遊亜楽が可哀想〜
皐月最低だわw
その遊亜楽の彼氏とはどうなったの?
すぐ別れたって聞いたけど?
そうなの!?
皐月ってあいつ?この前廊下で|狭川《さがわ》に叱られてた
ああ、あいつ問題児らしいしなー先生も手焼いてるっつって
あとから知ったことだけれど当時ネットでもそう叩かれ、皐月はどんどん悪者になっていった。
遊亜楽はまるでその噂を肯定するかのように噂が広まりだした辺りで3日ほど学校を休んだ。
『気分が悪い』
そう連絡して、3日、テストの3週間前、3日、学校を休んだ。
皐月は遊亜楽がいない間クラスでも浮き、周りから視線が合わないように下を向いて3日を過ごした。
皐月がいるとクラスは静まり返り、|密々《ひそひそ》と噂する声が静かに重く響いていた。
遊亜楽が登校しだすと、注目は遊亜楽に移る。
「遊亜楽、大丈夫だった?」
「大変だったね」
「あんなの、気にしなくていいよ」
「それで?彼氏とはどうなったの?」
「頑張ったね」
「無理しなくていいからね」
そんな優しい言葉を溢れるほど受け、遊亜楽は弱々しく笑顔を作ってみせた。
「私は、大丈夫だよ」
"私は、"その2文字にすべてが詰まっていた。
「それより大蔵さんはいつもはそんなことしないでしょう?だからきっと何かあると思うの」
そう恰も最後まで優しいく接しているかのように皐月を苦しめた。
皐月はそれから半年、クラス替えがあるまで学校を休んだ。
皐月が半年後学校に行けたのは、彼女自身の強さだ。
残り30メートル程になった、女子高校生がいるコンビニへの道を僕は見つめた。
隣りに立ち尽くす皐月の手を握った。
あのときの微かな震えはもう止まっていた。
僕は一歩踏み出した。
皐月が縋るように僕の横顔を見た。
手を引く。
皐月が足を動かす。
前に一歩。
僕も一歩、皐月も。
そうして歩き出す。
残り20メートル、10メートル。
近づくにつれ真ん中で笑っていたこの顔がよく見えた。
遊亜楽。
あいつだった。
我が身可愛さで嘘を付き、人を陥れ自分は幸せに笑っている。
赦せるものでは到底ないと僕でさえ思う。
繋がれている左手を握る。
皐月は強く握り返した。
そうして通り過ぎた。
皐月の、見たくない過去も糞みたいなあいつの顔も。
皐月の中であいつはただの過去になったんだと思う。
切り捨てた、といえばいいのか。
もう誰にも縛られない。
縛られたくない。
今なら、どこにだって行ける。
そんなことを皐月と話して廃線になっていた線路の上を歩いた。
もし、もし電車が万が一来たらどうするのかと皐月に尋ねても「どうせ死ぬんだし〜」と楽観的に言ってため僕も渋々頷き、バランスを取るように両手を水平に伸ばして線路の上を歩く皐月の後ろをついて行った。
綺麗な黒髪が揺れるたび、スカートが靡くたび、まるで映画のカットを見ているようで。
これがドッキリなら、本当、笑えるよ。
人生はコメディだ。
滑稽な、栄光の塊だ。
『あの夏が飽和する。0』
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『あの夏が飽和する。1』
https://tanpen.net/novel/6570f75b-f2fc-4b36-8ff2-3bb17008690f/
『あの夏が飽和する。2』
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『あの夏が飽和する。4』
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あの夏が飽和する。 4
晴瀬です。
4話です。
この話はカンザキイオリさんの『あの夏が飽和する。』という曲を基に創られています。
お腹が空いたらスリをして。
何かが必要になったら金を盗んで。
僕らは生きるために犯罪を犯した。
今だけはまだ死ねなかった。
僕たちには選択する自由があるから。
ここでは死なない。
怒って逃げる僕たちを追いかける店主から、通報されて駆けつけた警察官から、僕たちは逃げた。
こんなことを言うのは不謹慎かもしれない。
非常識かもしれない。
汚れた心だって分かってる。
でも、楽しかった。
久しぶりに自分は生きていたと実感できた。
それは皐月も同じようで、逃げながら2人で顔を見合わせて笑った。
鬼ごっこだ。
僕たちと警察官の鬼ごっこ。
高校生の足ってのは案外大人よりも早いようで、年老いた店主からも、中年の警察官からも逃げ切ることができて。
僕たちは犯罪を犯し続け、生き続けた。
どこにでも行ける気がした。
今ならどこにだって行ける。
今更怖いものは僕らにはなかったんだ。
額の汗も、落ちた眼鏡も、
「今となっちゃどうでもいいさ
あぶれ者の小さな逃避行の旅だ」
僕は叫んで、皐月が笑った。
警察官の荒い息が聞こえた。
あの警察官も僕たちには追い付かなかった。
初めて、僕は僕で良かったと思った。
僕じゃなければ、皐月が皐月じゃなければきっとここで捕まっていた。
それだけは避けなければいけないから。
本当に、心から楽しい時間だった。
無能な警官を追い越して、心配するフリをしていた隣人を蹴飛ばして、僕たち自身には全く興味のない成績重視な教師に唾を吐き掛けて。
人生は、まるで本当にコメディだ。
蝿と共に生きて
蝉と共に死んで
短い短い無駄な時間を終える。
僕らは舞う。
警察官を振り切ると皐月は山の方に足を向けた。
「ここら辺にその穴場があるんだ」
そう小さく笑って。
きっとそこで死ぬ気なんだろうと思った。
山道を歩いた。
獣道を静かに黙って歩いた。
風が吹くたび葉と葉が擦れて音が鳴った。
だんだん辺りは暗くなっていた。
家を出てから何日か経っていた。
道端で寝て、起きると金を盗んで食事をした。
生きるために生きて、
死ぬために生きていた。
小さな破裂音が聞こえて僕たちは足を止めた。
木と木の間から街を見下ろすように空を見れば打ち上げ花火が上がっていた。
僕たちはそのまま花火を眺めた。
「私も、こんな風に儚く消えていられたら幸せだったのかな」
皐月が静かに呟く声が聞こえたけれど聞こえないフリをした。
死ぬのは怖くない。
むしろ早く死んでしまいたい。
それでもこの景色は、この花火は、隣りにいる彼女は、凄く愛おしかった。
それだけが少し、心残りだった。
花火が鳴り止んで、やがて僕らは再び歩き出した。
黙って歩く。
月明かりだけが頼りだった。
それから何分か歩いて前に歩いていた皐月はふと横道に逸れた。
こんな山に横道があること自体おかしいのだから人工的に作られたものだと分かった。
きっとろくに整備もしていないであろう隠れた道。
道に飛び出した草むらをどけながら皐月は進み、僕も続く。
道を抜けると、少し広がって広場のようになっていた。
登山客が休むように作られたような場所で真ん中に1つのベンチが置かれ、そこに座ると街が見下ろせるような崖になっていた。
そこに、柵なんかない。
「ここで、死のうと思うんだ」
皐月は言った。
確かに、いいところだと思う。
今は夜で、綺麗な夜景が広がっている。
真下を見れば崖なんだからきっと飛び降りれば確実に死ぬ。
そうじゃなくてもナイフを持っているんだし、死ねないなんてことはない。
本当に穴場だから誰かに見つかるなんてこともないだろうし。
「こんなところよく見つけたね」
僕が言うと皐月が答えた。
「自殺未遂したときに見つけたんだよねここ。結局死ねなかったんだけど」
"自殺未遂事件"そんな不穏なワードに僕はぎょっとする。
すると僕の顔を見た皐月は笑った。
「あれ?もしかして知らないの?結構話題になったって聞いたんだけどな。あ、分かった!やっぱ昌樹には友達がいないのか!」
そう言って皐月は一人で笑った。
何が面白いのかは分からないけれど、久しぶりに会ったあの雨の日よりずっと皐月の表情が豊かで、それに安心して僕は小さく笑った。
「私自殺未遂したことあるんだよ、これでも。ロープとか包丁とか睡眠薬とか死ねるためのものならなんでも持って夜出掛けたら大荷物持った中学性がこの辺うろうろしてるって通報されて!もう笑っちゃうよね。そんなことで通報なんかするのって思って!
でもただの家出なんかじゃなくて自殺しに行ったってバレたら|大事《おおごと》になっちゃって」
全く知らない話だったけれど、何だかそう話す皐月があまりに元気で笑って楽しそうで僕も笑った。
幸せ、なんだ。
きっとここには僕らが描いた結末がある。
ここで僕らは将来を捨てる。
僕たちはベンチに座り、僕は背負っていたリュックを下ろした。
そこで夜景を見ながら僕らは最期に会話した。
「ちいさい頃夢見てた、優しくて誰からも好かれる物語の主人公なら汚くなった僕たちもちゃんと見捨てずに救ってくれるのかな?」
僕がふとそう尋ねると皐月は小さく息を吐いた。
「そんな夢なら捨てたんじゃん。
だって現実を見てよ、シアワセの4文字なんてなかった、今までの人生で思い知ったじゃんか」
皐月は"幸せ"を強調して言った。
僕も、分かっていた。
自分は何も悪くねえってきっと誰もが思っている。
それは僕だって、皐月だって。
あてもなく彷徨う蝉の群れに
水もなくなり揺れ出す視界に
迫りくる鬼の怒号に
何もかもが可笑しくてバカみたいにはしゃぎ合い笑った。
ただ、今ならきっと――そう信じていた。
信じて疑わなかった。
ふと、笑うのをやめた皐月はベンチから立ち上がって僕のリュックを手に取り中からナイフを取りだした。
「………何してんの?」
僕が尋ねても皐月は黙っていた。
皐月が僕の後ろを見つめる。
僕がそちらへ目をやると昼に僕達を追っていた警察官が2人の警官を引き連れてゆっくりと歩いていた。
僕たちの目を見つめて、警察官は笑った。
「もう逃げられないから大人しくこっちにおいで?
きっと大した罪にはならないんだから」
僕は警察官を睨む。
皐月は僕の隣で立ち尽くす。
皐月の右手が持ち上がった。
右手には、ナイフ。
警察官の目が丸くなる。
僕はその優雅な皐月の右手の動きをぼーっと眺めていた。
皐月の持ったナイフが僕の近くを掠めて皐月の喉元に刃先が当たる。
「寄るな。死ぬぞ」
皐月は小さく呟く。
聞いたことがないくらい静かに低い声で警察官の目を離さず見つめて。
『死ぬぞ』
その言葉に僕はハッとした。
皐月が死ぬ。
僕は立ち上がる。
僕らは死に来たはずだった。
でもこれは、違う。
こんな死に方は皐月らしくない。
唐突に、あの雨の日を思い出した。
僕がついていくと言ったとき皐月はなんて答えたか。
皐月はあのとき黙っていた。
皐月は何をする気か。
何をする気で、僕の同行を許したのか。
皐月は優しい子だった。
人を見殺しにするような奴じゃない。
皐月は、あの時からもう決めていたんだ。
僕を殺さないために、自分だけ死ぬために。
皐月は警察官から僕の方へ体の向きを変えて僕に小さく笑った。
「ずっと、ごめん。中学の頃の、付き合ってた頃から迷惑かけっぱなしで、付き合ったりしてないし、むしろ別れたのに何年越しに頼っちゃって本当にごめん」
「でも君が今まで傍にいたからここまで来れたんだ、本当にありがとう」
「だから、もういいよ。もういいよ」
「死ぬのは、私一人でいいよ」
「だから、生きて」
右手のナイフが自らの首元に当たっている。
皐月の瞳が僕の目を捉えていた。
ふと音が消えた。
何かを求めるように皐月の瞳孔が動いた。
そして君は首を切った。
まるで何かの映画のワンシーンだ。
綺麗な、赤が翔んだ。
僕はその赤をぼんやりと眺めた。
白昼夢を見ている気がした。
気付けば僕は捕まっていた。
警察官が何か言っていたけれど、何も聞き取れなかった。
それから何日か経って僕は家に帰った。
僕が家に帰ると母さんが出迎えた。
こういうときだけ親面する母のことを心底嫌いだと思った。
「昌樹!!」
僕の名前を呼びながら飛び付いてくる。
強い香水の匂いと知らない男の匂いが混ざって臭い。
ゴワゴワした髪の毛が首にあたってチクチクした。
「あのね昌樹、新しいお父さんができたの!!」
またかと思った。
母さんは何度結婚して何度離婚するんだろうか。
僕はひたすら無心になることに努めた。
僕が捕まったことも僕の友達がいなくなったことも、全てに触れず母さんはそう言って笑っていた。
僕のことには興味がないから。
間違ってできてしまった子供が、僕だから。
別に僕が犯罪を犯そうと何も思わないんだろうから。
僕の親は、僕が何をしても変わらなかった。
何を懸けても、いや、命を懸けて闘っても僕の親は何も変わらない。
皐月は、いなくなった。
いつ何度探してもどこにもいない。
君だけが、どこにもいなくて。
そして時は過ぎていった。
ただ暑いだけの日が過ぎていった。
母さんも、新しい"父さん"という名前のくそじじいも、クラスの奴らもいるのに君だけはどこにもいない。
名前を呼ぶのすら躊躇ってしまう君だけがどこにもいない。
あの夏の日を思い出す。
僕は今も今でも歌っている。
君をずっと探しているんだ。
君に言いたいことがあるんだ。
9月の終わりにくしゃみしては6月の匂いを繰り返し反芻した。
10月に入る直前、母さんに言われて外に出た僕は息を呑んだ。
あのとき消えた音が全て戻ってきた。
「大蔵、さん…」
そう呟いてしまう。
その声を聞いたその人は顔を上げた。
「昌樹くん…だよね」
皐月のお母さんだった。
僕の家の近くの墓地で、1つの墓石の前にしゃがんで手を合わせていた。
「皐月…なの」
大蔵さんはその墓石を見ながら言った。
心做しか目が潤んでいる。
「僕も、いいですか」
気付けばそう言っていて、僕は手を合わせた。
皐月は、死んでいた。
僕が見ようとしていなかっただけで、事実だった。
皐月は死んでいた。
君にはもう、会えない。
君の笑顔は君の無邪気さは今でも僕の頭の中を飽和している。
手を合わせて目を瞑って思った。
僕も、楽しかった。あの時。
皐月があの雨の日ここに来てくれて本当に嬉しかったんだ。
本当に、ありがとう。
君に、言いたいことがあったんだ。
君と朝日を見れたら、その時に言ってしまおうと思っていたんだけど。
でもそれは、僕が死んだときにとっておくよ。
天国か地獄か、どこでもいいけど逢ったら言おうと思う。
あの時、君が首を切ったとき。
あの時を時々思い出すんだよ、君の最期の笑顔と一緒に。
ねえ。
君は何も悪くないよ。
君は何も悪くはないから。
もういいよ。
投げ出してしまおう。
そう言って欲しかったのだろう?
「なあ?」
いつの間にか蝉は鳴き止んでいた。
蝉はもう、鳴いていない。
蝉が告げていた。
君と僕の夏は、終わった。
『あの夏が飽和する。0』
https://tanpen.net/novel/9e75e057-70fb-4e60-87e3-7111cbaa4214/
『あの夏が飽和する。1』
https://tanpen.net/novel/6570f75b-f2fc-4b36-8ff2-3bb17008690f/
『あの夏が飽和する。2』
https://tanpen.net/novel/a6937fe6-3db9-45cc-9149-c5b5d103ca08/
『あの夏が飽和する。3』
https://tanpen.net/novel/27bafdd1-dbfe-4167-8bd7-0bc93c94b212/
使わせて頂いた楽曲
『あの夏が飽和する。』
カンザキイオリ様
『人生はコメディ』
カンザキイオリ様
『あの夏が飽和する。』の小説があります。
カンザキイオリさんが書いた小説です。
"君"を亡くした"僕"のその後を描いた衝撃作です。
本当めちゃくちゃ面白いので是非お買い求めください!(勝手に宣伝)
番外
使わせて頂いた楽曲 番外
カンザキイオリ様
晴瀬です。
『あの夏が飽和する。』その後を描いた話です。
"君"の話です。
透明。それに色なんてない
強いふりして、可愛いふりして、怖いふりして
2年4組。涙田 麻衣
やっぱ、違うよ。こういうの。やりたいことはやりたい。言いたいことは言いたい。恋もしたい。
1年4組 長瀬 景子
それだけ。何もない。
窓から見える景色も全て背景だ。
それは僕の視界を蝕んでいく
鳥が鳴いているのに、つまらない怒号が今日も
鼓膜を叩く
そんなものだ
絵に潜む怪物はまだ姿を見せない。
今日も、今日ですら、
別に僕になにかある訳じゃないけど、尻尾ぐらい見せてもいいんじゃないかと、
思えるほど伊達に絵を描いていない
1年1組 間 寛太
春。もうこれ以上生きられない。
私は使われない教室で一人でいた。
2年4組 千葉 優香
私には何もないすがっていては溺れるだけ。
それが嵐を呼び雨を降らせる道だとしても
机上に座すは、無垢な白。
私はそこに鉛を押し当て、謎を解く。
1年2組 的場 葵
赤い糸は裂けないの。
運命って信じる?
君はどう思うかな?一目惚れ。「リナリア」って
1年2組 加藤 真冬
雨が振り続けてる。
僕だけはこの体温を失わない。
失ってたまるか
3年3組 日野 陽一郎
夏が始まる。
3年3組 赤城 啓介
何一つ救えなかった少年。
エゴだと言われたらそこでおしまいだ。
行きつくとこまで行って、
笑えないところまで落ちて、
君がいるのが今の場所で。春は終わった。
時間は巻きもどれないって本当らしい。
夏が始まる。
君は半袖が嫌いだ。
もう、多くは語らない
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「すみません、赤城啓介さんですか?守山昌樹さんについて、教えて頂きたいことがあって」
「僕は、大蔵皐月の、弟です」
「誰にも僕は、姉の、あの事件の真相を知らない」
「僕は海外に行ってたんです、留学というかそんな感じで」
「僕が日本にいれば、姉といれば、姉も、守山さんのことも、救えたかもしれない」
「僕は知らないといけないんです」
「姉はもう、帰ってこないから」
赤城啓介の話
---
君の名を、|守山《もりやま》|昌樹《まさき》と言った。
1年前、僕達が高2だった頃、夏の間3ヶ月ばかり学校から姿を消した。
その|間《かん》、君は色んなことを思って考えていた。
多種多様の人間が混在するこの学校で、たくさんの思いを持った人たちの間を縫って君はその思いを抱えて生きていた。
「僕に話せることなんてないよ」
「もう終わった話だ、もう、多くは語れない。僕も君もあまり思い出したくはないんだ」
「だけど1つ語れることがあるとするならば、僕は君を救えなかった」
「そう、君は繰り返していた」
---
僕らは2年で初めて同じクラスになって。
守山…昌樹は危なっかしい人だった。第一印象はそんな感じ。
すぐに消えちゃうんじゃないかって思った。いつもふわふわ漂っているようで、地面に付けばパチンって弾けて消えてしまう。
そんな儚い印象が強かった。
だからかな、僕らは仲良くなった。
移動教室とかのときに話すくらいだったけど、僕は親友だったって信じてる。
夏休みに入ったばかりのとき、君は…昌樹は皐月、君のお姉さんだ、大蔵さんと旅に出た。
死ぬための旅に。
大蔵は、人を殺したと言っていた。真意はわからない。真実かどうかもあやふやなんだけど、昌樹はそれを信じた。
二人で犯罪を犯しながら生きて、最期の最期で捕まった。
その時に、大蔵は自分で首を切った。
昌樹は、窃盗罪とかそんな犯罪犯してたからさ、罰金とか払ってそれで、学校に来れなくなって。
3ヶ月ぐらい経った、もう寒い頃に帰ってきた。
僕が何があったのか尋ねても、昌樹は黙って首を振るだけで。
君は多くは語らなかった。
大体過ぎたことは、気にしないようにしている。
僕が気にすることじゃないし、昌樹が帰ってきたその事実だけで十分だから。
大蔵とは、1年の頃同じクラスで。仲まあまあ良かったんだよ。
ただ1つ、時間が経ってその話をしなくなった頃に昌樹は突然言った。
「皐月が消えたんだ」
君がいなくなったんだ、って。
昌樹は大蔵の名前を言えなくなった。皐月と呟いて泣いてしまう。
昌樹は更に脆く弱く、儚くなった。
皐月のことを君と呼ぶようになっていた。
あの事件は、昌樹に大きな傷を残していた。
今更終わった話を、もう結末が変わらない話を繰り返すなんてそれこそ無様だと思った。
だけど昌樹は話しだしたんだ。
「1つ語れることがあるとすれば」
「君を救えない悲しいストーリーだったよ」
「僕と君ならあのとき、何か大人に伝えられることがあったかもしれないのに」
「僕らの声はどっかですれ違ってしまったよ」
僕だって大蔵を救えなかった。
1年の頃同じクラスで、仲は良かったのに。
君も、大蔵も救えない悲しい話なんて、僕は見たくもなかったんだ。
君だってきっと見たくもなかったはず。
なあ?
ここからはよくある話かもしれない。でもよくある話をしてみたかった、かな。
いつも、僕らは"よくある話"なんてできなかったから。
僕らは知らないことばかりだったんだ。
春はもう、終わってしまった。
それからはあんまり変わらないさ。
僕だって未だに親友とは、昌樹とは仲がいいままだ。
昌樹のその、左手だって。
大蔵がナイフを取ろうとしたとき、そのナイフが昌樹の左手の掌に当たった。軽く傷がついて薄く血が滲んだ。
昌樹は、その傷を治したくなかった。
その傷はあの事件のたった1つの痕跡で、大蔵が生きていた証で、昌樹にとって絶対に消してはいけないものだから。
昌樹は自分で傷をつけるようになった。
左手のその部分とその周りを少し。
傷が消えそうになると作り、その傷が消えそうになると作り、それを繰り返して依存した。
でもそれが昌樹の心の支えで、生きている証で。僕は黙って見守ることにした。それが一番、いいと思ったから。
時間が経っていって、昌樹は少しずつ笑えるようになっていった。
本当に安心して、良かったと思う。
だけどそれでもまだ何かしたい僕はエゴだ。
でも時々、ふとした瞬間泣くことがある。いつでも昌樹は不安定で。
戻れない、変わらない悲しいストーリーの中を君は精一杯に生きて一人であがいていたんだね。
「君を救えない悲しいストーリーだったよ」
君は何度でもそう言う。
君はずっと、大蔵を救えなかったことを後悔している。
脳の中で大蔵のすべてが飽和して潰れてしまう夜が続いて。
この話はどうでもいいわけがないんだ。
昌樹の中で考えたいのは、大事にしたいのは自分が罪を犯したことでも、目の前で人が死んだことでも、人に迷惑を掛けたことでも、勉強が遅れたことでもない。
大蔵皐月という人間が昌樹の前から姿を消したこと。
そんな話はどうでもいいわけがないんだよ。
そんな話はどうでもいいわけがないんだよ。
君が生きてて、本当に良かった。
それだけ。
それだけしか今は歌えないけれど。
「君を救えない悲しいストーリーだったよ
僕らの声はどっかですれ違ってしまったよ」
僕は忘れてはいけない。君がこれほど苦しんだことを。
君をずっと、守っていくことを。
君を救えない悲しいストーリーなんてさ見たくもないんだ。
見たくもなかったんだ。
悲劇のその先を生きていくんだ。
生きていくしかないんだ。
過去は取り戻せやしないさ。
君も僕も弱いままじゃいられないだろう!?
僕が君を守っていくって自分勝手に決めたよ。
大切な人を失った昌樹を救えるのはきっと僕しかいない。
君を救えない悲しいストーリーなんて見たくはないんだ。
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中学生の頃、学校中で姉の嘘の噂が出回ったとき黙って傍観していた
事件があった当時1年2組 涙田 麻衣
学級委員長で、中学の生徒会長をやっていた。高校に入り新しい風を吹かす
当時中学 3年5組 長瀬 景子
クラス中を巻き込んだ女子同士の喧嘩を眺める寡黙な美術部員
当時中学 3年1組 間 寛太
病気を患い生きる希望を無くした。夏になる前に死のうと思っていた
当時 1年2組 千葉 優香
自分の非力さに絶望し全て終わる前にすべての謎を解こうとした
当時中学 3年2組 的場 葵
守山昌樹が学校に戻って新学期が始まりすぐ一目惚れした。この恋に気付いてほしかった。リナリアの花言葉は『この恋に気付いて』
当時中学 3年6組 加藤 真冬
冷え切った家庭、冷え切った彼女との関係、冷え切った友人関係、冷え切ったクラス
当時 2年1組 日野 陽一郎
守山昌樹の友達、守ると誓った。本人以上に夏を怖がる
当時 2年4組 赤城 啓介
様々な感情が渦巻くこの学校で。
偽りの自分も、何の意味もない絵も
私たちは制服の裏側に隠した。
死にたくなるような夜も、
焦がれるような片思いも
ずっと隠して生きてきた。
決められた答えを出すことも、立ち止まらない勇気だって
自分らしさを探すのも、守れなかった痛みだって
まるで広い海の真ん中にいるみたいに
悩んでる。抱えてる。
僕らは、
群青に溺れる。
『番外』/鏡音レン
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