超文明世界が大戦争によって退廃した遠い未来で、一人の人造少女が目を覚ました。
彼女の名はアリス、人類最後の失敗作。
続きを読む
読み方
1話ずつ表示します。
閲覧設定
名前変換設定
この小説には名前変換が設定されています。以下の単語を変換することができます。空白の場合は変換されません。入力した単語はブラウザに保存され次回から選択できるようになります
1 /
目次
I. AVALON
--- *PROJECT_ALICE* ---
--- *STATUS : BOOTING* ---
--- *ACTIVATION IN:* ---
--- *1 YEAR 0 MONTHS 0 DAYS* ---
--- *WARNING:* ---
--- *CORE SYSTEM UNSTABLE* ---
---
深緑の蔦が大蛇のように這う修道院の石壁には、随所に可愛らしい薄黄色の花が咲いた。初夏の訪れである。
ベールを捲り上げたシスターはそれらには目もくれず、干上がった地面に木桶たっぷりに入った井戸水をひっかけている。ここらの土地一帯は古くから乾季の干魃に悩まされてきたのだが、どうやら今年はより一層酷いとかいう話だ。
南中した太陽はぎらぎらと光線を降り注ぎ、ひび割れた土に振り撒かれた水は一瞬にして蒸発してしまう。腰の曲がったシスターのロザリオが木桶にぶつかっては、カランと音を立てて水飛沫を四方八方へ飛ばす。
しかし、彼女は特別苛立つ様子もない。ひたすら無表情で水を撒き続ける老婆は、生まれてこの方苛立ったことなど無いのである。
シスターだけではない。この街の人は、いや、この世界の人間は、全員そうであるようだ。誰も理由など知らなかった。知る必要はなかった。20世紀間も続いた平和は、これからもきっと変わりなく続くのであろう。疑うことは禁忌である。
修道院の塔で正午の鐘が厳かに響く。シスターはおもむろに手を止めると、木桶を片手に中庭の真ん中を通る石畳の道を戻っていった。
アヴァロン修道院、錆びついた青銅の門にはそう刻まれている。
---
修道院には、秘密の地下室があるらしい。街の子供達の間ではそう噂されていた。
噂は本当であった。礼拝堂の螺旋階段を下って行けば、瓦礫に覆われた地下室がある。瓦礫が危ないから近づいてはいけない、探検を試みた子供達はシスターに口酸っぱく説教される。
シスターは瓦礫が危ないなど思っていなかった。修道院の神聖な部屋を神聖に保つのが彼女の責務であるから、そう言ったまでである。実際、シスター自身も地下室に足を踏み入れたことはなかった。例の地下室はアヴァロン修道院がこの小高い丘に建てられるはるか前からあったとされている、神聖な場所なのだ。地下室には太古の文明の残骸が安置されているとか言った話で、時たま学者が小難しい道具などを持って瓦礫を眺めたりするのを彼女は知っていた。太古の瓦礫は、透明な石で出来ているらしい。透明な破片は黒曜石よりも鋭利で、水晶よりも透き通った素材だそうだ。
時たま螺旋階段の向こうから、淡青色の光が漏れていることもシスターは知っていた。声が聞こえたなどという者もいた。
しかし、誰も喋ることはしない。神聖な場所を疑うことは禁忌であった。
初夏の太陽はもう少しばかり西へ傾き、暖かな光を修道院の床に溢していた。
どこかの空でナイチンゲールがさえずっては、心地よい風がステンドグラスの窓をわずかに揺さぶった。
PROLOGUE: PROJECT_ALICE
--- *PROJECT_ALICE* ---
--- *STATUS : SLEEPING* ---
--- *ACTIVATION IN:* ---
--- *2180 YEARS 07 MONTHS 13 DAYS* ---
--- *WARNING:* ---
--- *CORE SYSTEM UNSTABLE* ---
--- *EXECUTE?* ---
--- *ーーYES ーーNO* ---
---
オゾン色の淡い光を放つ画面の前で、科学者はしばらく動かなかった。
もう長いこと安らかに眠っていない彼の眼は深く窪んでいたが、その銀色の瞳だけは少年のように爛々と光っていた。
こんな時間まで研究室に残っているのはこの狂った老人ただ一人である。時計の秒針が無機質に進む音を除いて、痛々しいほどの静寂が壁の間に響く。窓の外の眠らない街は、看板の蛍光灯を酸性雨の水たまりに反射させてどろりと溶かしてしまう。天井の白いタイルに、ネオンの影が波紋をつくって揺れた。
科学者は長い溜息を吐くと、おもむろに腰掛けから立ち上がった。椅子の足に施された車輪がリノリウムの床に擦れて不快な音を立てる。彼は白衣を翻して、ガラス張りの研究室の端へ足を運んだ。
外の景色はディストピアそのものであった。
大気に吸い込まれるほどに高層な建物群が痩せた大地を埋め尽くし、それぞれが鉄筋の連絡通路で昆虫の巣のように繋がっている。所々で赤や黄色の表示灯が心音モニターのようにチカチカとリズムを刻んだ。
全てが合理化され、システムの管理下に置かれたこの世界は文明の頂点とも言えよう。有機的で感情的で非合理的な人間は最早必要とされず、科学者が佇むこのラボでも人工知能を究極化する生命実験が日々行われているのだ。
ジジジ、とどこか近い所で静電気が鳴る。科学者はようやく思い出したかのように椅子へ戻ると、微かに震える指先を実行キーの上に乗せた。
*ーーYES*
「おやすみ、アリス。」
星も見えない夜空を巡航する爆撃機の轟音が、ガラスの窓をわずかに揺さぶった。