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目次
# 当たり前が理解らないダメ人間の生い立ちについて
僕は生まれつき、ダメ人間だった。
いや、控えめに言って、駄目な人間である。
本当は物凄く酷い人間な筈だ。
まるで生まれる前から神様に決められていたかのように、僕は何も出来なかった。
皆が当たり前に出来ることを、僕は当たり前のように出来ない。
例えば、勉強だってそうだ。
小学生の時は、「これは大人になって役に立つのか?」なんて思ったりもしたが、僕なりに毎日頑張った。
テスト前だから勉強する、とかでもなく、常日頃自習をして努力をしていたつもりだった。
だからテストの点数は他よりも高い筈だった。
でも現実は違った。
結果は平均以下。
僕より断然授業の話を聞かず、ノートに書き入れもしない子が満点を取っていた。
何故だろう、その子は塾にも通っていないのに。
それだけではない。
それだけならまだ「努力しても報われない可哀想な子」で済む話だ。
僕は小さい頃から人見知りだった。
相手の目を見て話すこともできず、コミニュケーションなんて取れるはずもない。
親戚やいとことの集まりなんて、僕は部屋の隅っこで一人漫画を読んでいたぐらいだ。
誰とも話せない。
だから友達といえる人もいなかった。
遡ると、僕が保育園の時の話。
その頃は友達が一人もいなかった、と言えば嘘になるかもしれないが。
入園した時期が少し皆より遅かったのもあって、先生や同じ組の子たちとあまり絡めなかった。
だけどまだあまり心が発達していない年頃だ。
当時は皆、身分や見た目で判断して群れるような性格ではなかった。
だから自然ととあるグループに入れてもらえることとなった。
僕の記憶が正しければ、その頃はお飯事をして遊んでいただろう。
男の子なのに?と思うかもしれないが、他に遊べるものがなかった。
外の遊具で遊べるのは午前の限られた時間だけ。
特に人目を気にすることもなく、お飯事を楽しんでいた。
余談だが、僕はいつも「親戚の息子」という役割でお飯事をしていた。
リーダー格の子は「お父さん」が基本だった。
だから、僕は別に居なくても変わらないような役を普段担われていた…というわけだ。
僕は母子家庭だ。
僕の他に弟もいる。
だから僕たち家族は祖母の家で過ごしていた。
だが、それでも経費を稼ぐのは大変だ。
母親は遅くまで仕事をしていた。
誰よりも遅くまで保育園に残っていた。
当時の僕は当たり前に幼かったがら幼い故、先生が僕たち家族のことを悪く噂していたのを知っている。
噂、悪く言えば陰口を叩いていたのは先生だけじゃない。
普段から母親と仲良い風にしていた、「他の子のお母さん」もだ。
僕の家庭について説明すると、決して入り組んでいるだとか、ましてや陰口の間に挟まれる「虐待」「モラハラ」などといったことはなかった。
まぁ、少なくとも僕が生まれてきて、やっと物心ついてきた時の話だが。
母親は、離婚した父親について、保育園児の僕相手に、こう伝えた。
「お父さんは、旅に出たの。だからもう帰って来ない」と。
その時は、本当に旅に出たのだと思った。
赤ん坊の頃のことは少ししか覚えてないが、元のお父さんとお風呂に入ったあの日のことは、忘れていない。
だからこそ、それを信じたのかもしれないし、なんともいえない疑問を持ったのかもしれない。
保育園の頃は、特に大きな出来事もなく過ぎた。
思えば、一番自分に素直になれた時期でもあった。
小学校に入学した。
その頃からだったのかもしれない。
お飯事での役割については悪意なんてなかったのかもしれない、と考えると。
簡単に言えば、周りの成長が早過ぎたのだ。
体の話じゃない。
寧ろ僕の成長期はきっと誰よりも早く来て、誰よりも早く過ぎたと思うから。
まずは、人間を完璧に理解し始めたところからだ。
「当たり前だろ」なんて思う人もいるかもしれない。
国語は小学生から習い始める。
僕が言っているのは「文学」の話ではない。
少し抽象的に言うと、人間性が高まっていっていたのだ。
大人から見れば小学生やそこらの子供なんて、「ガキ」ぐらいの程度だろう。
でも間近で見た小学生とは、もうスタートから違っていた。
僕がどれだけスライディングしても、どれだけ不正しても勝てないほどの個性、ユーモアを持っていた。
特技でさえ何やっても上手くいって、褒められて、レベルアップして。
一年生の頃からは既に僕に「グレードアップ」なんて言葉はなかっただろう。
一応二年生から親の意思でピアノを習い始めたが、同じ頃から習い始めて、同じく週一の三十分間という少し短い練習でさて大きな差が開いたぐらいだ。
一体僕は何をどう間違ったのだろう。
一年生から六年生の頃の休憩時間の過ごし方。
友達と仲良く過ごす、なんて出来たもんじゃない。
ずっとトイレで引き篭もる。
いわば僕は六年間ずっと「便所の神様」だったわけだ。
何もすることもなく、ただ俯くだけ。
用を足すこともなく、ただ個室で佇むだけ。
クラスのリーダー的グループがトイレで話し合っていたときも僕は個室の中。
だから当然、「なんで◯◯はいつもトイレに居るの?」と怪しまれたこともある。
そういった場合僕は「お腹痛くて」でやり過ごした。
先生に言い付けでもされたら、この僕のことだから絶対に即座に言い訳を見つけ出せない。
でも、だからなんだ。
何も出来ない、無能な奴がトイレで引き篭ってる。
その事実が誰にどのような影響を与えるのか。
きっと僕はこの先もずっと独り身なのだから、今更そのことについて傷付いたりもしない。
だけどせめて、人生の教科書ぐらいは欲しかった。
参考書でもいいから、「普通の人生」を歩みたかった。
できることなら、「楽しい華のある人生」の創り方も読んでみたい。
僕は人生をゲームだと捉えている。
義務教育中は「コンテニュー」。
この期間で人生のレベルを選ぶ。
イージーモードかハードモードか。
僕はきっと、周りから見れば簡単に攻略できるイージーモードの人生に違いない。
でも僕は僕なりに頑張った結果、ハードモードだと捉えてしまった。
メンタルもカラダもボロボロで、まるで使いようのない人形。
でも僕は人形のように美しくもない。
だからこそ、僕は親にさえ見捨てられるのだった。
# 無能な種から産まれる種子は無能か否かについて
四年生になり、母親は再婚して家も引っ越した。
相手は知らない人。
でも僕はなんだか気に入らない、そんな人だった。
苛立つことがあったら僕に当たって、当たり前に暴力を振るう。
無視も当たり前、ご飯抜きも当たり前。
最初は母親はそれを止めようとした。
再婚相手の父親は母親の年上だからか、母親の発言権も無いような雰囲気で、母親は勇気を出してくれた。
「ねぇ、それ虐待だよ?次やったら警察呼ぶからね…!」
震えながら、痛みに悶える僕と弟の前で言った。
父親は多分、子供が嫌いだった。
でも母のことは大好きだったのだと思う。
何故か母にだけ異常に過保護なところがあった。
母親は看護師の仕事に就いている。
その仕事でさえ、危険性を気にして辞めさせようとしたぐらいに。
引っ越して父親が出来ても母親は仕事を辞めず、病に悩む人の役に立ちたいと、ほぼ休暇なしで働いた。
母親は心優しい人だった。
保育園の時、周りから虚言の陰口を叩かれていたことも知っていただろう。
幼くて何も知らない僕たちに気を遣わせないように、元の父親について嘘を付いたのだろう。
全ては僕と弟を守るための、何の毒や害なしで健やかに育つための、母親の優しさだった。
でも、その父親の毒が感染したのだろう。
なんというか、母親も僕や弟に当たるようになった。
大きな暴力とまでは言わないが、シンプルに傷付くような言葉を投げ付けて、部屋に閉じ込めてきたこともある。
母親は僕に一回、こう言ったことがある。
「…ねぇ、そんなに私のことが嫌い?私が痛い思いをして必死に産んだのよ?あなただけ安全圏なんて許さない」と。
いつ、僕が貴女に嫌いと言ったか。
そう言い返してやりたかったが、目に涙を浮かべながら、どこか悲しそうに、でも怒りの表情で言う母親相手では、そうそう出来なかった。
安全圏。
安全ってなんだろう、暴力を振るわれ続けることが安全なのか。
でもきっと周りの家庭もそうだ。
暴力なんて、教育なんだから。
そう勘違いしてしまうぐらいには、僕の感覚も充分麻痺していたと思う。
僕もそう言われた時、母親と同じくらい最低なことが頭に浮かんだ。
「僕も望んで産まれてきたわけではない」なんて、考えてしまった。
人生の始まりなんて、不可抗力だ。
僕が抑えられるわけないし、勿論選り好みできるわけでもない。
その思いを直接ぶつけたことはなかったが、言ってやらないことに気が済まなかった。
なんで、僕と弟だけがこんな想いをして、こんな生活しなきゃいけないんだろう。
でも、もしこれが愛情ならば従うのが家族だろうと、僕はもう、どうしようもなく頭の整理が出来ていなかった。
祖母は一人暮らし。
唯一の僕の信頼できる人。
昔の人特有の考え方もないし、一緒にいて過ごしやすかった。
比較的祖母も若い方で特に持病なども無い。
祖母はねだってもいないのに、僕の好きな物、欲しかった物を買ってくれた。
勿論それに感謝した。
感謝してもしきれないくらい嬉しかった。
当時僕はハマっていたアニメがあった。
でも自分たちの家で見るのは父親が許さないからと、祖母が毎週放送される全てを録画してくれていた。
僕は母親と父親にされている事を祖母に話したことはない。
暴力暴言、監禁が悪いことかも完全に理解していなかったし、勿論僕は辛かったけど、周りから見ればそれは当たり前かもしれない。
第一、僕は祖母に心配をかけたくなかった。
僕が祖母にそれを話すことで、人生がさらに悪い方向へ進んでいくのでは。
そんなことも考えてしまって、僕はもう、誰にも悩みを打ち解けるなんてことは出来なくなっていた。
僕がネットの世界に踏み込んだのも、丁度このくらいだったかもしれない。