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目次
紅の趣第1話 「紅の旅立ち」
核の炎が世界中を焼いた日から、どれだけの年月が経ったのか。
記憶は、死んだ。
かろうじて荒野を生き残った者も、息絶えた。
そして今は、その核戦争を誰も知らない。
風が、吹き荒れている。
乾いた土を巻き上げ、草を逆立てる。
ザァ……ザァ……ザァ……。湿った土を踏みしめる、人の足音。
「ここが……」
若い男の声だった。
まだ十代後半ほどに見える。だがその瞳は、年齢に似合わないほど静かで、どこか冷えた光を帯びている。
彼は懐から一枚の紙を取り出した。
古地図だった。
「先代は随分と目立ちづらいところにアレを隠したんだな」
男は小さく呟いた。
「……いや」
しばらく村を見つめた後、彼は独り言のように続ける。
「目立たないんじゃない。忘れられる場所を選んだのか」
彼はもう一度地図を見た。
中央に村の名前が書かれている。
隣には別の文字が書かれていた。
震えるような筆跡で。
――「決して触れてはならない」
彼は、ふっと笑った。
ーーー
大地は、灰色の荒野に変わっていた。
オオツ村も、今では巨大な廃墟の谷だ。
大きな湖。
折れ曲がった高層ビル。
錆びた鉄骨。
崩れた高速道路。
それらの影の隙間に、人々は小さな村を作って暮らしていた。
文明の残骸に寄生するように。
その村の外れで、15歳の黒髪の少年は薪を割っていた。
カン、と斧が鳴った。
乾いた木は簡単に割れる。湖の湿気を吸っていない薪は軽く、脆い。
ハルは黙ったまま次を振り下ろした。
木で小舟を作り、湖で漁をするのだ。
額から汗が落ちた。
腰には一本の剣が下がっている。
赤黒い刃。
しかし――
鞘がない。布で巻いている。
その剣を見て、通りかかった老害が顔をしかめた。
「まだ持ってるのか、それ」
ハルは無視した。
村では有名だった。
「鞘のない赤い剣」
不吉だと言われている。
だがハルにとっては違った。
父が残した、たった一つの形見だった。
「ハルー!」
酒場の入口から声が飛んだ。
母だった。
「薪割り終わったなら店手伝いなさい!」
「あとちょっとだって!」
ハルはもう一度斧を振り下ろす。
木が割れた。
それを積み上げながら、腰の剣に触れる。
冷たい金属の感触。
それは父のことを思い出させる。
昔、ハルが7歳のとき。
父はこの剣を渡すとき、こう言った。
「いいかハル。この剣は――」
そこまで言って、父は言葉を飲み込んだ。
そして頭を撫でた。
「むやみに抜くな」
それだけだった。
理由は、聞けなかった。
父はその数日後、村の外へ出て――
帰ってこなかった。
「ハル!」
母の声がまた飛ぶ。
「はいはい!」
彼は斧を立てかけ、酒場へ向かった。
---
酒場は、村で唯一の店だった。
といっても、ただの古い木造の建物だ。
過去文明の壊れたビルの資材を集めて作ったらしい。
中には粗末なテーブルが三つ。
カウンター。
酒瓶。
それだけ。
昼間はほとんど客がいない。
夜も、顔馴染みの村人が数人店に入ってくるだけだ。
狩りで狩ってきたうさぎと酒を物々交換する人もいる。
ハルはカウンターに入った。
「遅い」
母が腕を組む。
「薪割ってたんだよ」
「言い訳だね」
そう言いながらも、水の入ったコップを渡してくる。
「外暑いでしょ」
彼は一気に飲んだ。
母はハルの腰を見る。
そして眉をひそめた。
「またそれ持ってるの」
「当たり前」
「捨てなさいって言ってるでしょ」
「父さんの形見だよ」
母は溜め息をついた。
「……あの人も変な物ばっかり拾ってくる人だったわね」
「拾ったんじゃないよ」
「じゃあ何よ?」
彼は答えなかった。
わからないと言った方が正解かもしれない。
ただ単に拾ってきただけじゃないだろ、と思っただけだ。
母は少し困った顔をしてから言った。
「まあいいわ、でもその剣、村の人たち怖がってるのよ」
「そんなの分かってる」
「そのうち問題になるかも」
ハルは肩をすくめた。
「なら俺が村出るよ」
母が驚いた顔をした。
「そんな簡単に言うことじゃない。外は、危ないのよ」
「分かってる」
「分かってない」
母は少しだけ笑った。
「でもね」
「多分あんたはいつか出ていく」
彼は顔をしかめる。
「なんで」
「あの人にそっくりだから」
ハルは黙った。
---
その時、酒場の扉が乱暴に開いた。
「おーいハル!」
入ってきたのはカルだった。
村で一番元気な少年。
15歳。ハルと同い年だ。
「俺はやったぞ、ハル!」
ハルはきょとんとして尋ねた。
「何を…」
「京都の職人の下で働けることになったんだ!やっと、村を出られる!」
カルは興奮そうに言った。
「良かったな、カル」
ハルがそう言うと、カルは軽く息を吐いた。
「お前もここを出ようぜ。こんなところにいたんじゃ、なんのために生まれてきたんかわからねぇだろ」
「こら、変なこと言わない!」
母が腕を組んで言った。
カルは、はいはいといい、軽く笑った。
「薪割り終わったか?」
「終わった」
「じゃあ手伝え」
カルは木の枝をテーブルに置いた。
「これ切ってみろよ」
「は?」
「その剣で」
ハルはすぐ首を振る。
「無理」
「なんで」
「父さんが抜くなって言った」
カルは笑った。
「そんなわけあるかよ。剣ってのは使うためのもんだろ」
ハルは剣に触れた。
確かに、一度も抜いたことはない。
少しだけ――
気になった。
だがその瞬間。
母がカルの頭を叩いた。
「バカなこと言わない!」
カルが肩をすくめる。
「冗談だよ」
その時だった。
酒場の扉が、ゆっくり開いた。
ギィ……
外から男が入ってきた。
黒い外套。
隊服のような。
長い旅をしてきたような姿。
見たことのない顔だった。
だが若いことは分かった。黒髪の青年である。
そして、イケメンだった。
酒場の空気が少しだけ変わる。
外からの客だ。
男は店の中を見回し、静かに言った。
「水、くれないか」
母が答える。
「水は無料よ」
男は席に座った。
ハルがコップを出す。
男は一気に飲んだ。
空になった。
「……もう一杯」
ハルはまた水を入れる。
それも一気に飲まれる。
「もう一杯」
三杯目。
四杯目。
五杯目。
六杯目。
さすがにハルは顔をしかめた。
「金ぐらい払ってくださいよ。この村は貧乏なんだから」
男の手が止まる。
そしてゆっくり顔を上げた。
その目が、ハルの腰を見る。
赤い刃。
鞘のない剣。
男の表情が凍った。
「……おい」
低い声だった。
「その剣はなんだ?」
ハルは少し警戒しながら答える。
「父の形見だけど」
男は椅子から半分立ち上がった。
明らかに様子がおかしい。
「どこで手に入れた」
「だから形見だっ――」
男の視線は剣から離れない。
「……使ったことは?」
ハルは首を振る。
「ないけど」
男は深く息を吐いた。
そして椅子に座り直す。
「いいか」
その声は、さっきよりずっと真剣だった。
「絶対に使うな。そして可能なら…」
ハルは眉をひそめる。
「捨てろ」
「なんで」
男は答えない。
ただ外を見た。
店の中に、妙な沈黙が落ちた。
カルが小さく呟く。
「……誰だよあんた」
男は短く答えた。
「ラカール」
そして、もう一言。
「ラカール・ビョウカンだ」
その時、遠くで犬が吠えた。
「野良犬が。うるせぇな」
カルがそう言った。
ラカールは外を見る。
遠くで、何かが歩く音。
金属が擦れる音。
夜の風が、廃墟の谷を吹き抜けた。
まるで何かの前触れのように。
「来る…」
---
酒場の中に、妙な静けさが落ちていた。
ラカールは水の入ったコップを持ったまま、窓の外を見ている。
まるで、何かを警戒しているようだった。
カルが腕を組む。
「……旅人だよな」
ラカールは答えない。
「なんでその剣知ってるんだよ」
しばらく沈黙が続いたあと、ラカールが口を開いた。
「その剣は封印物だ。
天哭(てんこく)と呼ばれている。そして」
少し言葉を選ぶようにして、
「持っているだけで、厄介なことに巻き込まれる」
ハルは眉をひそめた。
「は?天哭?」
カルは笑い、「脅しかよ」と言う。
「お前らが信じようが信じまいが関係ない。だが一つ言えることは、天哭紅剣は鋼天機構(こうてんきこう)に狙われている」
ラカールは二人を見ずに立ち上がった。
二人の間を通り、階段を登る。
ハルとカルはラカールについていった。
「ちょっと…」
母の声がしたが、ハルは気にしなかった。
店なけなしのバルコニーで、ラカールは静かに外を見ていた。
「鋼天機構ってなんだよ?」
ハルは尋ねた。
「機械人間の集まりさ」
その瞬間だった。
遠くから叫び声が聞こえた。
「た、助けてくれ!」
村の方からだ。
ハルははっとなった。
「騒がしい。酔っ払いか?」
そう言ったカルの髪は風で揺れていた。
「敵襲だー!」
再び悲鳴が聞こえ、村の鐘が鳴り始めた。
「酔っ払いが暴れて、敵扱いになるか。面白い世界線だな」
ラカールは静かにそう言った。
カルは歯を噛み締めた。
「じゃあ、クマだ」
「おい」
ハルはカルに耳打ちした。
「この辺のクマはとっくに絶滅しているぞ」
「あぁ、そう?」
カルは階段を降りる。
「ちょっと外の様子見に行こうぜ。面白そうだ」
「わかった」
下では、母が包丁を持っていた。
「物騒だよ母さん」
「ちょっとアンタどこに行くの?」
「どこって、外だけど」
ハルはそう答えた。
「ちょっと、危ないでしょ!」
「危なそうだったらすぐに逃げるよ」
カルが酒場の扉を開けようとした時。
酒場の扉が勢いよく開いた。
1人の村人が駆け込んでくる。
顔は青ざめていた。
「襲われてる。黒い奴だ!」
「やはりか」
後ろから声がした。
「ラカール…?」
その時、外から声が聞こえた。
感情のない、機械のような声。
「紅剣を提出しろ」
ハルの背筋に冷たいものが走る。
窓に寄る。窓の外を見ると、暗い通りの向こうに黒い影が立っていた。
人の形をしているが、どこか不自然な雰囲気をまとっている。
足元には血を流して倒れている村人たちが見えた。
「死んでる…?」
「天哭(てんこく)紅剣を提出しろ」
同じ言葉を繰り返している。
カルが小さく呟く。
「……紅剣?」
そしてゆっくりソラを見る。
ハルの腰には、赤い刃の剣。
カルの顔色が変わった。
「ハル」
低い声だった。
「それじゃないのか?」
ハルは首を振る。
「違う」
「いや、絶対それだ」
カルは剣に手を伸ばした。
「渡せば助かるかもしれない」
「やめろ!」
ハルが押し返す。
「父さんの形見なんだ!」
カルが焦った声で言う。
「あの死体を見ただろ!渡さなきゃ殺される。でも渡せば助かるかもしれない」
その時。
ラカールが静かに言った。
「落ち着け」
二人が振り向く。
「その剣を渡したところで、果たして助かるかな」
カルが言い返す。
「でも――」
「言うことを聞いたところで殺される可能性もある。世の中はそう甘くない」
その時。
酒場の扉がゆっくり開いた。
黒い装甲の人物が入口に立っていた。
外の光を背にして、影のように見える。
「天哭紅剣を、提出しろ」
機械のような声。
(これが、機械人間?)
「話をしよう」
カルが一歩前に出た。
「今渡す!」
カルは振り返ると、ハルの剣めがけて突っ込んできた。
「おい…」
しかし、その瞬間。
黒い人物が素早く動いた。
血が、飛び散った。
カルが、倒れた。
剣で、背中を斬られたのだ。
酒場の中に緊張が走る。
ハルの声が震えた。
「カル……?」
黒い人物の視線が母の方へ移る。
「紅剣を提出しろ」
ゆっくり近づいてくる。
母は後ろへ下がり、包丁を構えた。
ラカールがハルを見た。
「おい」
真剣な声だった。
「聞け。絶対にその剣は使うな。俺の責任だ。俺がなんとかする」
ラカールは急に構えた。
「理式、歪算(わいさん)」
ラカールの指先から、淡い青白い光が零れ落ちる。
その瞬間、黒い者の前方の空間が、砕けた。
気づいた時には、黒い者は扉を超えて外まで吹き飛ばされていた。
ラカールも外に出、立ち上がった機械人間に飛び蹴りを加える。
その瞬間。
機械人間の右腕が、金属の軋む音とともに膨れ上がった。
まるで内部の機構が組み替わるように。
ラカールは唖然とした。彼の胴体は機械人間の右腕に強引につかまれ、店の壁まで投げつけられる。壁が粉々に砕ける。
ハルはそのような状況下でも、カルを見ていた。
「ハル…俺は、なんのために…」
カルの眼差し。そして、死。
死ぬと思っていなかった表情。剣を渡せば死なずに済むと、まさか後ろから斬られるなんて思っていなかったはずだ。
理不尽な死だ。
「京都の職人のもとで…」
過去の言葉は、続かない。
夢は、もう壊れてしまったからだ。
圧倒的暴力にさらされ、試し切りのように殺される弱者。
今の母とラカールは、それじゃないのか。
体温が、熱い。
体が赤くなっているのがわかる。
そして、紅剣に目が向いた。
(剣を抜く。そして素早く懐に回り込み、背後からヤツを、斬り捨てる!)
「おい!」
ハルはラカールを呼び掛けた。彼は立ち上がろうとしていたが、痛みでよろめいていた。
(歪算が出せない。理式が構築できなくなっている)
ラカールはハルを見やった。
「お前は母親を連れて逃げるんだ」
「でも、ラカールは!?」
「人の気にしてる場合じゃないだろう?いいから早く失せろ!」
機械人間は間合いを詰め、ラカールを殴ろうとする。
とっさにハルは素早く反応し、テーブルを踏み台にして機械人間に飛び蹴りし、着地する。
「俺も戦えばいいだろ!?」
「ダメだ…」
ラカールはかすかにつぶやいた。
「機械人間は無数の式の集まりだ。壊すのは、理式でしかできない。お前にソレを倒す方法はないんだよ!」
「あるさ!」
その瞬間。
ハルは剣を握った。
ラカールが叫ぶ。
「よせ!」
「うるさい」
剣を抜いた。
紅い色が弧を描く。
黒い装甲の敵が動いた。
だがハルの体の方が速かった。
剣を振り下ろす。
敵の腕が吹っ飛び、今度は剣を振り上げた。
その動作。わずか0.3秒をきる。
世界が、遅くなった。
刃が敵に触れ、赤い液が飛び散った。
空気が裂けた。
音が遠くなる。
ただ、剣を振っていた。
「むやみに抜くな」
父の声がしたような気がした。
勝った。
倒した。
やれるじゃないか。
そう思った、次の瞬間。
剣が、さらに熱を帯びた。
「……?」
違和感。
止まらない。
手を離そうとするが、離れない。
剣が“握らせている”。
「なに、これ……」
視界の端で、別の機械が動いた。
まだいる。
まだ終わっていない。
――斬れる。
そんな確信が湧く。
踏み込む。
振る。
また一体。
簡単だ。
全部、斬れる。
体が軽い。
もっと速く動ける。
もっと――
「ハル…」
誰かの声。
振り向く。
そこにいたのは――
母だった。
「やめーー」
ハルは止まろうとするが、止まらない。
紅が妖しく光る。
剣は、もう振り抜かれていた。
ー
気がついた時。
もう太陽が昇っていた。
酒場の中は静まり返っていた。
黒い人物は残骸となって倒れていた。
壁の一部は崩れ、村の面影は無くなっていた。
村は壊滅的な被害を受けている。
そして。
床に倒れている母の姿が見えた。
ハルは近づく。
ラカールが後ろから言う。
「言っただろ」
静かな声だった。
「使うなって」
ハルの手の中で、紅剣が鈍く光っていた。
不思議と、涙は出てこなかった。
ただ出てきたのは、表しようのない喪失感と罪悪感。
守りたかったもの。自分で、壊してしまった。
その日、ハルは夕方まで土を掘った。
村人たちを静かに埋葬した。
カルも。
母も。
空は赤く染まっていた。
最後の土をかけたあと、ハルは剣を見る。
「この剣は、危険だ」
ラカールが横に立つ。
「だから…封印したい。そして、消し去りたい」
しばらくして、ラカールは言った。
「……なら鞘を見つけるしかない」
「鞘は世界のどこかにある」
ハルは立ち上がった。
瓦礫だけとなった村を振り返る。
帰る場所は、もうない。
こうして。
ただ、鞘を探す旅が始まる。
世界のどこかにあるはずの、封印の印を。
紅の趣第2話 「決断」
「草薙・ハルだ。よろしくな」
さっき、ハルにそう言われ、ラカールは握手をした。
そして今。
ハルは地面に座り込んでいた。
目の前には、二つの小さな祠。
母と、カルの墓だ。
ラカールは機械人間の胴体の破片を引きずりながら、しばらくハルを黙って見ていた。
やがて声をかける。
「おい、まだ泣いて――」
「語彙が捻り出せなイ!!」
「……は?」
ラカールは一瞬、本気で困惑した。
ハルは泣いているのだと思った。
だが、どうやら違うらしい。
「あ、ラカールか」
気づいたハルが立ち上がる。
「墓に一言書きたいんだけどさ。何書けばいいか分かんなくて」
「……もう吹っ切れてるのか?」
ラカールは墓を覗き込んだ。
そこには、筆で書かれた文字。
「我が唯一の良心、ここに眠る」
「我が一人の親友、ただ安らかなれ」
ラカールは小さく息を吐いた。
「気にするな」
ハルの肩を軽く叩く。
「この辺は風が強い。どうせすぐ風化する。笑って送るだけで十分だ」
そして、後ろに引きずっていた物を指した。
「それより、これを見ろ」
機械人間の胴体。
「昨日の機械人間か……」
ハルが覗き込む。
胴体にはラベルが貼られていた。
ラカールはそれを剥がす。
「見ろ」
文字が現れた。
No.34号。
「34号?」
「ああ。鋼天機構の34号型機械人間だ」
ラカールは淡々と言った。
「鋼天機構ってなんだ」
ラカールは少し考えてから答えた。
「機械人間の集団だ」
「それで?」
「正確に言えば、旧文明の軍事機構の残骸だ」
ハルは眉をひそめる。
「軍?」
「そうだ。核戦争を起こした連中の一部だ」
風が吹いた。
「俺が知っているのはその程度だ」
ラカールは続ける。
「確かなのは一つ。奴らは今、天哭紅剣を探している」
ハルは腰の剣を見る。
「なんで?」
「分からん」
ラカールは肩をすくめた。
「だが、奴らは探査能力が低い」
「低い?」
「ああ。だから村を襲う」
ハルの目がわずかに動く。
「暴力で、一つずつ調べているんだ」
静かな声だった。
ハルはぽつりと言う。
「つまりバカってことか」
ラカールは苦笑する。
「まあ、そうとも言える」
少し歩きながら、ラカールは続けた。
「機械人間に襲われて死んだ人間はな、埋葬すらされないことが多い」
瓦礫の中に、頭蓋骨が転がっている。
「風化できればまだマシだ。
動物に食われてバラバラになることもある。
骨さえ残らず、生きていた痕跡さえ消えることもある」
少し間を置く。
「まあ、この辺の貧村の話だがな」
急に声の調子を変えた。
「西の方には都市がある」
ラカールは言った。
「京都だ。そこはかなり栄えている」
そこでは
軍
議会
都市防衛
すべて揃っているという。
「機械人間も、あまり手出しはできない」
ラカールは軽く笑った。
「まあ、天哭紅剣を持っていなければ、だが」
しばらく歩く。
ラカールが振り返った。
「さっき言っていたな。鞘を探すと」
ハルは肩をすくめる。
「言った」
ラカールは立ち止まる。
「もしかして」
少し沈黙。
「場所を知っているのか?」
「知らん」
即答だった。
ラカールは数秒黙り込む。
そして深くため息を吐いた。
「……お前はな」
「なんだよ」
「計画という言葉を知っているか?」
ハルは無表情で答える。
「知らない場所にあるんだろ。だから探す」
ラカールは額を押さえた。
「理屈としては間違ってないのが腹立つ」
「どうせどこも貧乏なんだ。世界は案外狭いだろ」
ラカールは頷かなかった。
「どうだろうな」
しばらく歩く。
ラカールが別の話を振る。
「ところで。理式は知っているか?」
「知らない」
「だろうな」
ラカールは笑う。
「簡単に言えば技術だ」
「技術?」
「世界を動かす式だ」
ハルは怪訝な顔をする。
ラカールは続けた。
「カスでも強くなれる」
「それが理式だ」
ハルは少し興味を持った。
「お前のあれも?」
「歪算か」
ラカールは指を鳴らす。
「歪算は典型的な攻撃型だ」
空中に円を描く。
「敵の理式に歪みを作る」
「歪み?」
「そうだ。式が歪むと余計な力が漏れる」
ラカールは言った。
「その漏れた理式を攻撃に転嫁する」
ハルは少し考える。
「つまり、相手の力で殴る」
ラカールは笑った。
「理解が早いな」
そして真顔になる。
「だが」
ハルを見る。
「鞘を探すということは、鋼天機構と戦うかもしれないということだ」
風が吹く。
「鋼天機構を倒せとは言わない。だが道中で機械人間とは確実に遭遇する。その時に、戦えるか?」
ハルは少しだけ考えた。
「……ああ」
短い答えだった。
「決断が速いな」
ラカールは感心する。
ハルは肩をすくめる。
「決断ってほどじゃない。前から村を出たいとは思ってた」
少し間を置く。
「でも、何をするかは考えてなかった」
そして小さく呟く。
「きっかけを作ったのは、ラカールだ」
ラカールは黙る。
ハルは空を見る。
「それに…」
頭の中に父の姿が浮かんだ。
草原を歩く背中。
「追っかけてみたいんだわ」
ラカールは歩き出す。
「そろそろ出発するぞ」
「え、どこ行くの?」
「闇雲に歩くわけじゃないぞ」
ラカールは言う。
「知り合いに、この件に詳しい連中がいる」
ハルは小さく呟く。
「笑って送る……か」
瓦礫の村。
潰れた家。
割る予定だった薪。
遊び場だったカルの家。
二つの墓。
ハルはそれを目に焼き付けた。
そして歩き出す。
一度、立ち止まる。
振り返りそうになる。
だが、歩き出した。
ーーー
翌朝。東の山の端から昇ったばかりの光が
崩れた道路、錆びた車、骨のような鉄骨を照らしている。
文明の墓場だった。
(これが、世界……)
ハルは思った。
村から一歩も出たことのない少年はー近くの山ではあるがーこのとき初めて世界に出た。
空気は澄み、風はひんやりと頬をかすめる。
遠くに広がる文明の跡と、この壮大な自然。
恐怖と喪失、そしてほんの少しの希望が、胸の奥で渦巻いた。
母の声が蘇る。
「外は、危ないのよ」
二人は森に入っていた。
近くに山が見える。
崩れているが、大きかった。
比叡山だ。
その周辺の森林。
ラカールが言う。
「ここだ」
ハルは周囲を見回す。
普通の森にしか見えなかった。
普通の森にしか見えなかったが、比叡山の存在が、何かを訴えかけるようにそびえていた。
比叡山と呼ばれる森の奥。
そこに小さな拠点があった。
木造の建物だ。
門をくぐると、外の気配はすっと遠ざかり、空気までもが静まり返ったように感じられる。
石畳の小道の脇には、手入れの行き届いた松や椿が並び、朝露を残した葉がきらりと光っている。庭の奥には小さな池があり、鯉がゆったりと水面を揺らしていた。
正面の本堂の縁側からは、古びた木の香りが漂う。庭全体が一枚の絵のように広がり、遠くの杉林からは、かすかに風が葉を揺らす音が届いていた。
ラカールが言う。
「寺みたいだな。懐かしい……灰灯だ」
ハルは聞き返した。
「なにそれ」
「組織の名前だ」
ラカールは歩きながら答える。
「理式師の集団で、この辺りで唯一、機械人間に対抗できる連中だ」
ハルは周囲を見回した。
人の姿は見えない。
「何人いるんだ」
ラカールは答える。
「五人」
「は?」
ハルは思わず声を上げた。
「少な」
ラカールは苦笑する。
「だからこそ、まだ生き残っている。先代から続く組織だ。ついでに漢字表記まで残ってる」
「漢字?」
ハルは首を傾げた。
二人は本堂へ入る。
ラカールが言った。
「隊長の神代浩壱(かみしろ こういち)は気難しい人だ。機嫌を損ねるなよ」
襖の前でラカールが立ち止まる。
「入ります」
すると、中から声がした。
「入れ」
襖を開く。
部屋の奥に、一人の男が座っていた。
灰色の髪。
鋭い目。
灰灯の隊長――神代浩壱だった。
神代はハルを見る。
数秒の沈黙。
そして言った。
「なぜ戻ってきた。ラカール」
神代の視線がラカールへ向く。
「……気が変わった」
神代が手を向けた。
「理式、傀儡追影(くぐつついえい)」
ラカールの背後に黒い気配が立ち込める。
それは一瞬で具現化し、甲冑を着た不気味な侍が現れた。
侍は刀を抜き、凄まじい速さで振り下ろす。
刃はラカールの首筋の直前で止まった。
「またやり合う気ですか。昔みたいに」
ラカールが言う。
神代は静かに答える。
「もう一度問う。なぜ戻ってきた」
二人の視線が交錯する。
その場に張り詰めた空気の中で、ハルはただ立ち尽くしていた。
(これが……理式師同士の戦い)
侍が再び刀を構えた。
ラカールが口を開く。
「天哭紅剣を見つけた」
侍の刀は直前で止まった。
神代が手を下げると、侍は黒い煙のようになり消えた。
「それが……紅剣か」
神代の視線がハルの腰へ向かう。
「少年、名は?」
「あ、草薙・ハルだ」
「漢字表記か」
「苗字だけ」
「そうか」
神代は小さく息をついた。
「聞こう。お前は人を殺したか」
ハルは迷わず答えた。
「殺した」
静かな空気が流れる。
神代は続けた。
「なぜだ」
ハルは少し考えて言う。
「みんなを助けるため」
神代は首を傾げる。
「本当に?」
沈黙。
神代は次の質問を投げた。
「では、ではなぜ母も死んだのか」
ハルの目が止まる。
「どうして、それを――」
笑って忘れようとしていた母の死。
だが消えるわけがない。
一度掘り起こされると、記憶が連鎖して蘇る。
神代は静かに言った。
「お前の剣が原因だろう」
空気が重くなる。
「助けるために振った剣。だが力を制御できず、村は滅びた。お前のせいだな」
「違う!」
とっさにハルは叫んだ。
「傀儡追影」
ハルは背後を振り向いた。
(いない……?)
そう思った瞬間、腹に衝撃が走った。
そのまま庭まで吹き飛ばされる。
ゴリラのような獣に殴られたのだ。
(これも理式かよ……)
ハルは立ち上がる。
神代が言う。
「傀儡追影が背後から来るとは言ってないぞ」
獣が突進してくる。
ハルはとっさに避けた。
神代が言う。
「答えろ。お前は何のために剣を振った」
攻撃が来る。
ハルは腕で防ぐ。
自分を守ろうとしたのではなかった。
「助けるためじゃない」
ハルが言うと、神代が再び聞く。
「じゃあ何だ」
ハルは静かに言った。
「止めるためだ」
風が吹く。
「俺は、殺されるのが嫌だった」
神代は黙る。
ハルは続けた。
「カルも、母さんも、俺も。みんな弱かった」
静かな声だった。
「だから終わらせるために振った。一か八か、自分が止めるしかなかった」
神代は少し笑った。
「なるほど。まさしく英雄だな」
ハルは首を振る。
「違う。俺はただ、生き残りたいだけダ!」
神代は理式を解除した。
獣は黒い渦になり消えた。
「もういい。合格だ。仲間として歓迎しよう」
投げやりな口調でそう言った。
「は?」
ハルは首を傾げる。
神代は言う。
「正義を語る奴は信用できない。生き残りたいと言う奴の方が強い」
ラカールが言った。
「最初から不合格にする気はなかったでしょう?我々のことも、最初から見ていた」
神代は肩をすくめた。
「鋼天機構が核戦争を起こした三百年前以来だ。天哭紅剣を持つ者の話を聞いてみたかっただけさ」
ハルは驚いた。
「三百年? 核戦争?」
神代は続ける。
「今の世界が荒廃しているのは、三百年前の大戦争のせいだ。鋼天機構が起こしたらしいことは分かっているが、詳しい理由までは分からない」
そして言った。
「その三百年前、紅剣を扱う使い手がいた。だが、それ以降その者と紅剣の消息は途絶えた」
神代はハルを見る。
「そして今、その紅剣がお前の手にある」
ラカールが言う。
「鋼天機構と何か関係があるかもしれないな」
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朝は静かだった。
森の奥にある灰灯の拠点は、まだ眠っているように見える。
薄い霧が庭を覆い、石畳の上に白く漂っていた。
池の水面には朝日がわずかに差し込み、鯉がゆっくりと影を揺らしている。
小川の流れる音だけが、かすかに響いていた。
ハルは井戸のそばで顔を洗っていた。
冷たい水が頬を打つ。
何度か水をすくい、頭にかける。
村にいた頃よりも、空気はずっと冷たく澄んでいる。
背後から声がした。
「早起きだな」
振り返ると、ラカールが立っていた。
眠そうな顔をしているが、目はしっかり覚めている。
「ラカールも早いじゃんか」
ハルは言う。
ラカールはそれには答えず、井戸の縁に寄りかかった。
「神代隊長直々の依頼だ」
淡々と告げる。
「フジ村に居座っている機械人間を討伐する」
ハルの手が止まる。
「機械人間を……討伐?」
ラカールはうなずいた。
「お前は正式な隊員ではない。よって拒否権を認める」
わずかに笑う。
「返答は?」
ハルは少しだけ考えた。
昨日の戦い。
カルの死。
母の死。
そして、あの機械人間。
ハルは立ち上がる。
井戸の水滴が地面に落ちる。
「その討伐」
静かに言った。
「受けよう」
ラカールの口元がわずかに緩む。
「そう言うと思った」
森の向こうから、朝日が差し込む。
霧がゆっくりと晴れていく。
灰灯の一日が、静かに始まろうとしていた。