夢とゲームを融合させたVR空間:【ネバーエラー】。
不登校で引っ込み思案で、ちょっぴり常識破りな高校生の主人公は、「友達がほしい」という願いすら口にできず、ネバーエラーでの“フレンド”を作ることを決意する。
そんな彼女の前に現れたのは、夢とゲームが融合したVR空間を司る、傲慢で可愛らしい少女の悪魔が、「なんでも叶えてやろう。文字通り、なんでも……夢中なのじゃ」と笑う彼女と共に、主人公は理想の世界で“友達”を作り、何度もやり直しながら人との関わりを学んでいく。
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目次
お孵り
言葉が嗤いかける。数字が嗤いかける。音が嗤いかける。誰も、味方ではない。
点数は散々で、紙も散々。普通が背中を押して、押し続けて、戻れることはない。
ベランダ越しの風は、びゅうびゅうと、どこまでも当たりが強くテストの紙も彼方へ飛んでいってしまいそうだった。
飛んでいったところで、テストの点など10点もいかないのだから、どうでもいいテストだった。その度に怒鳴られても、理解のできない授業を延々と繰り返される私の方が怒鳴り散らしたくなる。普通であれと言われても、普通ができない。中途半端に濁った脳があるばかりで、普通を飲み干そうにも喉奥に現実が引っ掛かる。吐きたくなっても上手く吐くことはできず、ただただ泥沼の中に沈みゆくばかりで、抜け出そうにもない。風は強さを増して、視界の隅でカーテンが激しく揺れ出す。机の上にはスタンドアロン型のVRゲーム用のヘッドセットが適当に転がって、もう一つの脳は動いていない。
悠く、悠くへ何もかも思い出せない程に、脳を紙のように薄っぺらにしてでも夢の中へ堕ちてしまいたい。
ただ、それだけを普通のように願うばかりだ。風が、生暖かい。
微睡みつつある脳がゆっくりと溶け出して、地面の中に一体化していく。どろりと溶けて抜け出そうともしない。逃げたくもない。
「普段、主は逃げてばかりじゃからのう」
厭な声がする。どこか、女の子らしい可憐で、のびのびとしているような声。逃げたくなる消耗品の愛が嗤っている。
小学生低学年程の小柄で華奢な身体つきに、夏の陽射しによく焼けた小麦色の褐色肌が特に目を引くものの、それよりも劣らず、頭から飛び出た二本の角と、褐色の肌を突き破るように生えた黒い羽が印象的だった。そのうえ、角の出た太陽のような金髪と淡い水色の瞳が海のようで、いやに眩しく恐ろしい。さらに、柔らかで豊満な肉付きのいい身体に腹の見える黄色いタンクトップがよく映え、灰かな青色のレザーショートズボンが肉付きを強調させたその上に黒く先がハートのようになった尻尾が見える。その中で、淡い桃色のサンダルに褐色の小指が覗いて随分と可愛らしく、花の子のようだった。
「そう足を速く動かしていると、逃げ癖がついてしまうぞ?聞いているか?」
そうやって、花の子が似つかわしくもない言葉遣いで、小さな胸の膨らみに手を当てて諭してくる。
「チビで悪いものか、初老で悪いものか。妾は稚児にあらず……名を“リリス”と候て、実しやかな言葉遣いは似而非を帯びているものよ」
水色の海が、顔を差す。花の子のような少女の“リリス”は言葉を止めることがない。
「して、己は夢を憶えておらず、ただ春を待つ如くの冬の子。文殊の知恵と言えども、阿呆鳥が集ってしまっても油を売るだけで、知恵など塵と化している……それもまた、此処には在らず。主よ、名をなんと申し候?」
混乱した頭はまだ、卑し酒にどっぷりと脳を浸からせたまま這い上がりもしない。それでも唇は動く。ここは、自由だ。誰もが才女だ。
「……“イデア”」
「イデア、イデア、イデア……ああ、プレイヤーか。イデア……さて、主は何をする?」
リリスの後ろに複数のポータルのようなものが現れ、どれも千紫万紅なものが集まっている。
「此処はネバーエラー、夢とゲームが混ざった場所と言えば……主の愚鈍な脳みそにも分かってもらえるか?それとも、また違う勘を働かせてしまうか?」
「…………」
「役立たず、鈍間、馬鹿、優柔不断、お荷物、無能、腰抜け……気狂い」
「わ、分かった……分かった……!」
脳に垂らした罵倒を慣れきっているはずが、ひどく響く。笑うだろう。否定するだろう。本当の意味を言うでもなく、ただほんの少しの距離感を置いた言葉を重ねる。友達なんてものを願ったとて、続くはずもない。
「……フレンドを作りたい」
零した言葉に含んだ意味は、本来の意味よりも格下なのかもしれない。
それを花の子は、悪魔は、リリスは、咲うのだから。
吐き雲蛇
友達、友人、フレンド……何故か、フレンドの方が作りやすいと思ってしまうのは何故だろうか。言葉の重みが違うと思ってしまったのはいつからだろうか。もう随分と昔から分からない。冗談を真に受け、空気すらもまともに読めず、会話が続かない。続かそうともしない。どう足掻いてもできない。
「……障害を個性にしてしまったら、それこそ負け犬よ」
負け犬。負け犬……私が負け犬なら、勝ち犬はなんだというのか。
「面倒な考えをしておるの、主は……それでフレンド作りなどできるのか、まったくもって笑いが出る」
「なにが……」
「おお、怒った、怒った。この程度の匙に怒るのか……まぁ、その程度であろうな」
誰だって怒るだろう。怒るはずだ。その、誰が誰なのかは分からないが。
後ろのポータルは輝いて、今にも吸い込まれそうになっていた。リリスの髪や翼が後ろへ流れて揺れている。
「さて、イデア。似た者同士か、或いは違う者同士か……分からずとも、対面するのが早かろう」
ポータルが少し近づいてきている。ゆっくりと、確実に。踏み出せもしない私に代わって、近づいてきていた。
言葉は水のようなものだ。どんな形にも変形し、変貌し、変化する。優しく海のように広がったり、激しく突き立て滝のように打ちつけたり、じんわりと雨のように染みていったりする。決して勝手に乾いたり、固まったりすることはない。何かの圧力によって形を変えていく。
水には味はない。言葉には味はない。それでも何故か、私はその存在しない味を吟味しようとしている。理由は分からない。
そんなものを口に入れたところで、腹が満たされるわけでも、飢えるわけでもない。あるのは、ひとときの満たした気持ちと、胃液になった水だけ。
味はない。存在しない。何も、残らない。
残ったのは、それを口に入れて、残ったという事実だけだった。
ポータルの先は、やけにぐちゃぐちゃとした色味の水ばかりの空間だった。橙色や焦げ茶色、緑色……それらが何故か、人参や唐揚げ、ほうれん草だと脳が認識している。どろどろに溶けた水が、固形物だと言っている。
「汚いのじゃ」
リリスが一言、呟いた。返す言葉に賛同してもいいのに、私の唇からは「綺麗だよ」と真反対の言葉が漏れた。綺麗な汚物。汚物ではないのに。何故。
「汚物だと思うなら、それは汚い物に過ぎないのだ。千切れた雲は千切れたことにすら気づかず、ただ悠々と青い空を浮かび続ける。不思議じゃろう?それが一説ゆえ、主は知らぬよ」
「……どうにも、難しくて……」
「雲、な。雲泥の差というのは、一定の間隔の多大なる自尊心を呼び起こす為に在る」
トマト、ハムカツ、チーズ、ゼリー、色彩豊かな中で、一際に異彩を放つ誰かがいる。
「人が生きて人生と刻むなら、そこまでの道程は何故か。過程を過ぎた結果だけを求めては……何も成し得ないのじゃ。腹が満たされぬと嘆く前に、その舌に触れた水の冷たさを、喉を焼くような不快さを、まずは慈しめ。結果という名の死に急ぐ必要など、どこにも在らぬのだからな」
遠くの誰かは、ボサボサとした茶色い短髪に黄色い瞳が人ではないような色白の肌につき、薄紫のカーディガンと黒いへそ出しTシャツに隠れながらも見えてしまっている。さらに、青い半ズボンや黒いスニーカーといった普通の格好だと言うのに、首に茶色い蛇を巻いていた。
「……名前は……」
「己で聞くがいいぞ、主よ」
ああ、なんて役に立たない!自らも役に立つとも言えないが!
ろくに櫛も通されていないような茶髪が鬱々とした瞳を断片的に覗かせる。その度に、汗が全身の毛穴から噴き出すような感覚がある。じわりと湿度の帯びた瞳が灼熱の温度を引き出して、身を焦がしそうになる。
「あの」
一言。そこから、会話は続かない。続かせようともしない。誰かが振り向く。黄色い瞳が刺す。刺す。刺している。ナイフが、勇気を刺して深々と突き刺さる。
「……名前……な、なんですか」
「……シュブだ」
そのまま「気にしなくていい」と返され、少しの間が開く。それを突いて、リリスがようやく助け舟を出していった。その会話に口を挟むことはできそうにない。自分の名前も、言えていないのに。
「妾はリリスじゃ。シュブ、其処の蛇の名は?」
「この蛇?……ニグラス、男の子だよ」
「種類はシマヘビか?」
「……そうだよ。可愛いでしょ」
「そうか、なんとも愛らしいの」
会話が続いていく。私が入る隙はない。勇気はぱっくりと割られ始めている。蛇が嘲笑っているような気がする。
「シュブ、嫌なものはあるか?」
「……?……なんで?」
「妾が気になるだけよ」
「ああ……そう」
シュブが手の指を一本ずつ折りながら「食べることや野菜以外の固形の食べ物とか……過食嘔吐をしたことがあるから、満腹や嘔吐も苦手かな……」と答える。そこにリリスが相槌を打つ。
「そうすると、固形物は食べないのか」
「そうなるね……固形物を食べるのは嫌だ……食べるのって面倒だからゼリー飲むぐらいでいい……」
「食事が面倒、か。普段から断食でもしていそうな言い方をするな」
「……断食すると頭もお腹もがすっきりする感じがして、とても良いよ。餓死するのだって私からしたら本望だし……」
「それは良いことを教わったな」
同意、肯定、参加。どうして?会話はまだ続く。私を残して、会話の中を走る列車は揺れている。
「ああ……そうだ。シュブよ、妾の隣の者はイデアじゃ」
「イデア、リリス……2人ともいい名前だね。神話にそんな名前なかったっけ……どうだっけ……」
「…………」
列車が止まる。リリスが少しはにかんで、シュブに聞こえないか分からない小声で「そんなもん知るか」と呟く。否定、拒絶、苛立ち?ただ、どうしようもなく会話が怖くなる。何を恐れていたか、何を怖がっていたかは知らない。知ってはいけない気がする。
悪魔の裏を知りたくはない。
「ねぇ、なかったっけ」
シュブが返答を促す。
「……神話か……。然程、詳しくはないのよ。妾はその意味を知り得ていないのだからな」
「そう……イデアは?」
急に話を振られる。裏も知らぬのに、話はどことなく振られる。
「し、知らない……」
そう答えれば黄色い瞳が揺れて、自分から目線はズレる。それでも、リリスの小声は聞こえていた。私が会話の列車から降ろされていたとしても。
「主の脳は妾と同一よ、これを知らぬが脳を持たぬ偽人は……」
同じか?本当に、同じ?会話が弾んでいるのはどちら?
「して、シュブ。イデアはフレンド作りをしたいらしいが、どうじゃ?」
「……フレンド?……いいよ」
主導権は私にない。提示された契約に頷くだけの権利。シュブが差し出した掌を握り、見せつけのようにフレンドだと強調する。蛇が嘲笑っている。痛い程に握った掌を強く握り返すほど、嘲るような感覚になる。
「断る理由は作られていないものな」
リリスが呟き、シュブは不自然に変色した掌を握り込む。私に掌を振りほどく勇気は欠片も残されてはいなかった。
可愛がり歪執心
歪にもハートの形をしたリリスの尻尾が、ぐるぐると腕に巻き付いている。尻尾の主はそれを知ってか知らずか目の前で考え込んだまま目を合わせようともしない。
「……蛇を喰らい、夢を喰らい……妄の檻の中にいることに気づかぬ雛鳥は餌を待つのみ」
尻尾はさらに堅く巻きつき、腕を引き千切る程に強くなっていく。
「餌を運ぶ親鳥は出もしない雛鳥に餌を流し、成長させることなく肥えさせていく……肥えた鳥はもう飛べず、出ることもできず、檻中から見える空を願うが如く枯れていく。主も、また……」
「……リリス?」
「ああ、イデア、主よ。まるで飼い殺した雛鳥のように、たとえ土の中へ埋めれゆくとも妾はその亡骸の傍で妄に浸ると誓おう。現ではないのだから主の脳とまた共に在る。主のどんなに愚劣で白痴で愚鈍で凡庸で浅薄で……徒労であろうとも、妾は理を得ておるよ」
「………………」
そんな筋合いはない。そうされるような価値ある存在でもない。
「む、確かに……」
リリスが少し回り、ふと思い出して指を鳴らす。ぱちんとした景気のいい音が響いて、ポータルがまた現れる。腕に巻き付いた尻尾は緩く、名残惜しそうに手を撫でていた。
笑われることが苦痛でした。泣かれることが苦痛でした。遊ばれることが苦痛でした。視線が、苦痛でした。
皆が一人に罪を押しつけて、押しつけた罪を断罪人にでもなったように処刑する。指差した向こうには死体の山々で、誰もが押し入れに籠りっぱなし。
僕の何が悪いんですか。私の何が悪いんですか。何が悪かったんですか。罪を押しつけて、免罪を刻印したかっただけですか。誰でも良かったんですか。
裁判官は不公平。弁護人は不公平。検察官は不公平。傍聴人は不公平。平等の正義を掲げた悪が高笑い。
どうして僕だったんですか。どうして私だったんですか。どうして君だったんですか。
理由を教えて下さい、裁判官。主犯は貴方です、裁判官。
咎人は被害者です。裁判官は加害者です。傍聴人は観衆です。見て見ぬふりした貴方は傍聴者です。誰も助けてはくれません。誰も助けようとも思いません。
だって、次の罪人になったら大変ですから!
ポータルの先は、遠くまで仄暗い部屋が続いている。奇妙な威圧感が肌へ射し込まれる。そんな気が、する。
「……まるで、主の部屋じゃ」
「こんなに暗くない」
「濡れた制服をズタボロにして、押し入れに押し込んだ者の台詞とは思えんな」
なにか、おかしいな。なにか変だ。こんなの、知ってるはずが……。
「妾は主、主は妾、イデアはイデア。知らぬわけがなかろう」
今だって、そうだ。さっきだって。口から、出してなんか。
「主、主、主……人ぞ」
仄かな暗がりの先に、小さく照らされた一人がぼうっと突っ立っている。ぼさぼさとした濃い青紫の長い髪の中に、光の宿らない真っ黒な瞳が覗いている。おまけに身体の至るところに血の流れ出た切り傷が目立ち、身体に着た黒色の長袖シャツと長ズボンでは隠れていない。
「あの、名前……名前、は……」
目の前の少女が気怠そうに振り向き、一言だけを呟く。
「……レヴィ。貴方達……信じていいよね…?」
リリスは何も言わない。ずっとレヴィと名乗った少女を吟味するように見ているだけだった。代わりに私が首を縦に振り、受け答えをする。
「多分、信じても……いいと思う……」
「多分ってなに?」
レヴィの声色に怒りがのったような気がする。全身から嫌な冷や汗が噴き出して、焦りが吹き出物みたいにつき纏う。リリスは何もしてはくれない。
「多分って、何なの。はっきりして」
明確、明白、断言、率直。どれだ。焦りがいやに迫ってくる。戻ってはくれない。
「信じて、いい。信じて」
明確に明白な断言。率直な返し、だとは思う。リリスが隣で「一丘之貉、というものか」とぼやく。レヴィから怒りはもう感じない。恐る恐る石橋を叩いて渡るように私は口を開いた。
「私は、イデア。こっちがリリス」
「……リリスって、悪魔?」
「そうだと……思うけど」
私の煮え切らない返事に、リリスがぐっと私の肩を掴んで前に出る。
「ほえぇ……初めて見た……なんか、悪魔ってこう……痛そうな武器持ってて、こわ〜い顔してて……怪物みたいな見た目してるかと、思ってた……」
「旧いな。神は恐れられる為に異形になり、悪魔は人を騙す為に人に成る。正気でいられぬ神秘が聖を語り、正気でいられる誘惑が悪意を騙る。然し、どちらも目指すべくは同道よ。人と同じく性を持つべし異界墜ちぞ」
「じゃあ、リリスは悪い悪魔なの?」
お前の方が奸物だ。リリスがぼそりと「お前の方が奸物だ」だと。いや、これは、どちらだ?リリスが言葉を続けていく。
「学びの庭はどうだろうか。主は行かぬが」
「……学校?行くわけない。あそこは、私の心を殺した場所……先生も、最初は優しかったんだよ。でも、結局は同じ。自分の立場を守るために、私を捨てた……ねぇ、貴方は私を捨てない?捨てたら……どうなるか、分かってるよね?」
「ふむ……して、その腕は?何をした?何故、そのようなことを?」
「……なんでこんなことするのかって?最初は、誰かに気づいてほしかったのかもね…思うけどでも今は違う。……痛みだけが、私が生きてるって教えてくれる。あの日、あの人に裏切られた時に感じた心の痛みに比べたら、これくらい……なんてことないんだよ」
どうにも暗い。過去にやろうとしたことはあった。そこまでの勇気は私にはなかったが、彼女にはあったらしい。
リリスが適当に安心するような言葉をかけた直後、レヴィが呟く。恨み言のような何かを。
「……嘘つき、みんな最初はそう言うの。『味方だよ』って、『信じていいよ』って……でも、最後はみんな私の前からいなくなる……貴方も、いつか私を裏切るの?もしそうなら……今のうちに、私の手で壊しちゃった方がいいのかな……」
リリスがただ天を仰ぎ、何も言わなかった。そのまま、私を向いて唇を動かす。
「主は妾じゃ」
また、逆も然り。
泥中ズタ袋
ふと、気づく。頭が重くない。脳が縛られていない。あの重みはどこにあるのだろうか。身体は泥まみれのように鈍く動けもしないが、心は羽のように軽いのだ。
リリスが嘲笑っている。私も嘲笑っている。皆、嘲笑っている。
「誰が何であるかなど、最早どうでもいいこと。同じ者が同じ事をする。それの何が悪いのか。誰もが現には存在せず、妄に浸っているだけに過ぎぬ」
諦めろというにはまだ早すぎる。段階は踏まれていない。妄が一人。ポータルは近づいている。ポータルは近づこうとしている。ポータルが止まる。まるで、躊躇っているかのように。
生まれた頃から、何かが違っていた。口を開けば口々に異常だと狂気だとありもしないことを並べたて、積み重なったレッテルが凝固して私になっていった。
自分が異常だとは思っていない。皆が普通だとは思っていない。それだというのに、外見や話し方、果ては生まれ持った性分ですら異常だと理不尽に石を投げる。石に籠もった偏見は離れもせずに皮膚にかすり傷をつけ、流れ出た血に溶けていく。
味のしないスープを大量のスープの中に溢して混ざり合うまでを見続けたとしても、答えは解らない。そのスープをひっくり返して、鍋の外へ放り出しても解らない。解かるはずもない。美しく汚かったものが、汚く美しいものに触れるだけの溢れたスープ。どれも味は違うのに、どこか違う。私たちは違う者で同じ者に過ぎない。
大量のスクールデスクとスクールチェアが並べられ、正面に教卓と黒板が聳え立っている。黒板には大量に文字が描かれ、本来どんな文字が描かれていたのかは絶妙に分からなかった。その学校のような空間の窓には小鳥がせせらぎ、青々とした森が陽光に照らされつつ鬱蒼と茂っていた。
「青空緑に隠れ天見えず、小鳥が喚き散らす夏の残日……」
スクールデスクの上に腰掛けたリリスが呟き、翼をぴこぴこと揺らす。それがどうにも愛らしく、湧き出た慕情が空回りしている。
森の遠くの方には首元の内側から黒地で不規則な赤の文様が入ったTシャツが見え、ゆったりとした黒い長ズボンで誤魔化された痩せた身体が、大きいボロ切れのような青い外套を羽織っていた。その中で、服に着られた身体の顔のどこか異常な視線の目つきが奇妙で寒気を覚える。
「あれは?」
「知るか」
ぶっきらぼうな会話。行けなくなった場所で、出来もしない会話。部屋の時計が鼓動と同じく喧しい。どくん、ちくたく、どくん、ちくたく、どくん、どくん、どくん。
誰かが窓越しに近づいている。草花が遠慮なく踏まれている。悲鳴がなんとなく、聞こえる。かたんっと音がして窓が開かれ、開いた主はリリスの尻尾。器用にも尻尾は自由らしい。窓の前の誰かがそこにいる。
「……あの、名前は……?」
「名前?……カイト」
「…………」
隣でリリスが少しだけ満足げにしている。会話をもっと続けないといけない。
「す、好きなものとかって、あります、か?」
「……ない」
「嫌いな……もの、とか……」
「私にとって不快なもの全部」
「………あ、あ、あぁ……わ、私!イデア!イデアです!」
「そう」
「……良かったら、ですけど……フレンドになってくれたり……」
「……金利?商売の話?」
「金利?」
横でリリスが「友をお金で買うのも手かもしれんな」と呟く。否定するくせに。
ふいにリリスが名前をカイトに教え、一言だけの疑問を問う。
「金融に詳しいなら、外にも慣れているのか?」
「…………」
「カイト?」
風船か勢いよく弾けたような気がした。
「外の世界はゴミで、バカしかいないし、誰も私のことを理解しようともしない。された試しすらない。この世に神がいるなら、今すぐ引きずり出してでも叩き殺してしまいたい。なんで私はここに生まれたんだとか、もっと他に場所はあっただろうとかを考えてると気が狂いそうになる。ああ、畜生、畜生、畜生……!」
いやに饒舌にカイトが捲し立てる。言葉は止まりそうにもないが、リリスがつまらなさそうに浮かんでいる。
「そもそも、この世界の構造自体が欠陥品。誰も彼もが自分の物差しで他人を測って、少しでも形が合わなければ、異常のレッテルを貼って排除する。学校も、家も、あの忌々しい太陽の下にあるもの全部! 私を追い出した連中の顔、一人残らず網膜に焼き付いてる。死んでも忘れない。あいつらが一番不幸な瞬間に、枕元に立って魂ごと食いちぎってやりたい……ねぇ、お前もそう思うでしょ?思わないって言うなら、お前もあいつらの仲間か?」
「……面倒な……」
リリスが少しだけ口角を上げた途端にまた風船が弾ける。一つ、また一つと弾ける。
「……は?今、笑ったよね?隠そうとしても無駄だよ、お前のその口角が1ミリ上がったのを私は見逃さなかった……あぁ、そうか、分かった!お前もあいつらと同じなんだ!私のこの格好を見て、この痩せこけた体を見て、心の中で指をさして嘲笑ってるんだろ?『こいつ、現実じゃ居場所がないからこんなボロ布纏ってVRに逃げ込んでるんだ』って……そう思って優越感に浸ったんだろ!否定したって無駄!お前のその澱んだ目の奥に、私を蔑む醜い色がハッキリ見えた……あぁ、気持ち悪い!反吐が出る!……いいか、お前!私がこれまでどんな思いで、どれだけのゴミ溜めを這いつくばって生きてきたか、想像もできないくせに……笑った罪は重いよ。お前が今日、ここで私に向けたその『嘲笑』が、お前の人生を終わらせるトリガーになる。地獄の底まで追いかけてやるからな!ログアウトすれば逃げられるなんて、そんなおめでたい頭で考えてるんじゃない!お前のID、お前の声、お前の癖、全部私の脳に刻みつけた。お前が眠りにつくその瞬間も、朝起きて鏡を見るその瞬間も、私の恨みが霧のように張り付いて、お前の喉をじわじわと締め上げる。死ぬまで後悔させてやる!神様に祈っても無駄だよ。もし神がいるなら、私がお前をズタズタにする前にそいつもろとも引きずり下ろして、まとめて地獄の業火で焼いてやるから。……さぁ、次はどんな言い訳をする?その汚い口を開けてみろよ。……殺す。殺す。殺す、殺す、殺す、殺す、殺す!お前が生きてる一秒一秒を、私の呪いで埋め尽くしてやる……!」
「…………」
流石のリリスも黙っていた。恨み言がとめどなく流れていて、教室の中に文字が浮かんでいた。私の耳元で「外へ出れやしないのに、外から来たような発言をする。奇妙な人らだとは思わぬか、主よ」とリリスが零す。私は笑って、首を縦に振った。
もう分かってるんだ。私が貴方で、貴方が私。私たちが貴方たちで、貴方たちが私たち。全てが同じとは言わないけれど、似たようなものであるのは確かだから。
P3r50n5 w17h d154b1l17135
<嘔吐したワードナイフ>
言葉は水のようなものだ。どんな形にも変形し、変貌し、変化する。優しく海のように広がったり、激しく突き立て滝のように打ちつけたり、じんわりと雨のように染みていったりする。決して勝手に乾いたり、固まったりすることはない。何かの圧力によって形を変えていく。
水には味はない。言葉には味はない。それでも何故か、私はその存在しない味を吟味しようとしている。理由は分からない。
そんなものを口に入れたところで、腹が満たされるわけでも、飢えるわけでもない。あるのは、ひとときの満たした気持ちと、胃液になった水だけ。
味はない。存在しない。何も、残らない。
残ったのは、それを口に入れて、残ったという事実だけだった。
<いじめ犯人探し>
笑われることが苦痛でした。泣かれることが苦痛でした。遊ばれることが苦痛でした。視線が、苦痛でした。
皆が一人に罪を押しつけて、押しつけた罪を断罪人にでもなったように処刑する。指差した向こうには死体の山々で、誰もが押し入れに籠りっぱなし。
僕の何が悪いんですか。私の何が悪いんですか。何が悪かったんですか。罪を押しつけて、免罪を刻印したかっただけですか。誰でも良かったんですか。
裁判官は不公平。弁護人は不公平。検察官は不公平。傍聴人は不公平。平等の正義を掲げた悪が高笑い。
どうして僕だったんですか。どうして私だったんですか。どうして君だったんですか。
理由を教えて下さい、裁判官。主犯は貴方です、裁判官。
咎人は被害者です。裁判官は加害者です。傍聴人は観衆です。見て見ぬふりした貴方は傍聴者です。誰も助けてはくれません。誰も助けようとも思いません。
だって、次の罪人になったら大変ですから!
<レッテルの溶けたスープ>
生まれた頃から、何かが違っていた。口を開けば口々に異常だと狂気だとありもしないことを並べたて、積み重なったレッテルが凝固して私になっていった。
自分が異常だとは思っていない。皆が普通だとは思っていない。それだというのに、外見や話し方、果ては生まれ持った性分ですら異常だと理不尽に石を投げる。石に籠もった偏見は離れもせずに皮膚にかすり傷をつけ、流れ出た血に溶けていく。
味のしないスープを大量のスープの中に溢して混ざり合うまでを見続けたとしても、答えは解らない。そのスープをひっくり返して、鍋の外へ放り出しても解らない。解かるはずもない。美しく汚かったものが、汚く美しいものに触れるだけの溢れたスープ。どれも味は違うのに、どこか違う。私たちは違う者で同じ者に過ぎない。
<~~誘い幻想の妄想~~>
`普通であっても褒めてくれる人はいない。異常から普通になれば褒める人はいても、普通から異常になれば蔑む人がいる。`
`普通の集団でも、異常の集団でも、ほんの少し違うだけで水をぶつけ、石を投げ、穴の底へ沈めていく。`
`話が噛み合わない。空気を読まない。一人ぼっち。やる気がない。症の言葉を知っていても理解はされていない。おかげで行き着くのは一人ぼっちの妄想病ばかり。`
`貴方が言う皆に、私は含まれていない。含もうともしていない。`
`結局のところ、理解しているふりをしているだけで、何も理解していない。`
`私を最初から、役に立たない社会の汚れたお荷物だと思っているのだから。`
`口を開けば「うざい」と「手伝ってあげる」の二極ばかりで、疎む者か見下し者しかいないのだ。誰も普通には扱わない。挙句の果てには「お前は楽でいいな」と苦労も考えずに発言する。違うからこそ、何倍も苦労すると言っているのに。それでも、それを言う者も苦労をすると言えば、その通りで何も言い返せない。`
`いつでも、どこでも、金魚の糞ばかりで、誰かの世話をされる腰巾着でしかない。`
`家庭では母が「お前が産まれてこなければよかった」と小言を吐き、父が「まともな人間であれ」と諭す。`
`学校では誰かが誰かに「仲がいいから」と私の世話を頼み、頼まれた誰かはさぞ鬱陶しそうに世話をして、誰も彼もが私を「底辺」だと罵る。`
`職場では同僚が「誰にでもできる仕事しかできない無能」だと苦言を散らし、上司が「始めから人でもない障碍者」と怒鳴る。`
`やってはいけないことを建前に、やってはいけないことを本音にする。`
`そもそも、普通ではない分類と普通の分類がある時点で、社会がどう考えているかなど一目瞭然に過ぎず、分かりやすくした分類の上に浸け込んだ批判と偏見が混じり合って汚らしい色のシールになるのだ。`
`それでも、世界の全てがそうであるとは言えず、いつの間にかシールに埋もれて、シールが作り出した何かの皮を着ている。`
`そうすることでしか生きれなかった。`
`そうして生きることしか、知らなかった。`
<1 → i / l 4 → A 3 → E>
<Th1s → This 1s → is 4 → A Dr34m → Dream>
<Th1s 1s 4 Dr34m.>
<`**This is a Dream.**`>
*元々、違和感があった。思ったことが簡単に分かる、やけに人のような悪魔、ゲームのわりには重苦しい人々、できないフレンド。**リリスは現実にはいない。私の自室の仮想空間にも存在しない。そもそも、`これはゲームじゃない`。*
*シュブも、レヴィも、カイトも存在しない。存在するとしたら、私の頭の中だけだ。*
*「主は妾、妾は主よ」*
*また同じ台詞。確かに、そうかもしれない。*
*周りにポータルはなく、真っ白な空間が広がっている。ログアウト表示も、設定も、何かもがない。始めに願ったフレンドは達成できたかも分からない。達成できてすらいないのかもしれない。そもそも、私がゲームでフレンドなど作れるはずがない。*
*仮にゲームを辞めたところで、待つのは仄暗い部屋と貶すだけの親。学校は私を異常だと指差して咲うばかりで楽しいと思ったことはない。*
*「現実は醒めぬよ、イデア」*
*そうリリスが呟く。いつの間にか、辺りは暗く影を帯びている。*
「……話すことって、難しいかな」
*ただの私の独り言だった。それにリリスは「伝えたいことを懸命に言葉にすれば難しくはない」と返して、鼻で笑った。難しいことはもう言っていなかった。*
*「分かってるんだろう」*
*どうも言えない。現実でも、ゲームでもないことは確かだ。私は人に向かって、流暢に喋ることも、名前を聞くことも、話しかけることもできないのだから。*
「他の3人は?」
*「妾と同じ者よ。醒めれば、自ずと答えは出る」*
「……つまり?」
*リリスがゆっくりと息を吸う。吸って、吸って、吸って、吐き出す。*
*「`起きろ!`」*
冷たい頬に手を当てた。ベランダの風は相変わらず、びゅうびゅうとあたりが強く吹いている。あのテストの紙もとうの昔に風の彼方へ飛んでいってしまったのだろうか。
机の上にはスタンドアロン型のVRゲーム用のヘッドセットが適当に転がって、もう一つの脳は動いていない。ベランダから部屋の中へ入り、手鏡に映った寝癖がひどく鬱陶しい。
言葉が嗤いかける。数字が嗤いかける。音が嗤いかける。誰も、味方ではない。
それでも、まだ完全に誰もが味方ではないのかもしれない。テストの点数は散々で、紙も散々。それでも、普通が背中を押したとしても戻れることはできる。
あれは、夢だった。どこか冷たくて、暖かい夢だった。優しい泥沼に沈んで、喉の突っかかりもとれていた。
手鏡の横に置かれていた学生鞄からはみ出た、捨てきれなかったメモ用紙の中に見覚えのあった。リリス、シュブ、レヴィ、カイト……英語で名前の振られた個性的なキャラクターたちが紙の中で楽しげにしている。
窓からカーテンを揺らして風が吹く。その風が、どうにも背中を押されているようで私の頬が緩んでいくのが分かる。
悠く、悠くへ何もかも思い出せない程に、脳を紙のように薄っぺらにしてでも夢の中へ堕ちてしまった今は、一瞬の内にでも脳を綿飴のように分厚く現実へ足を這い上がってもいいかもしれない。風が冷たく、それでも優しい。
外は、人は、どんなものが待っているだろうか。いつかの友達もきっと、まだ。
**あとがき**
「Th1s 1s 4 Dr34m.」の暗号は、2000年代ネット文化やゲーム文化、ARG(代替現実ゲーム)系、ホラー演出、都市伝説風コンテンツに多く見られる演出です。
今回のタイトルは「P3r50n5 w17h d154b1l17135」で、3 → e、5 → s、0 → o、1 → i / l、4 → a、7 → tに置き換えて「persons with disabilities(障害をもつ人々)」です。人間であることを強調する形の単語になります。
「disabled people」だと「障害者」という意味になるものの、言い方に関しては人によるのでどれでも一緒です。日本語で「障害者」を「不自由な人」と言い換える人がいるようなものです。
最近は「disabled people」の方がわりと多くて、「公的文書・福祉・法律」を「persons with disabilities」、「日常・当事者コミュニティ」を「disabled people」って書いてる人もよくみます。それでも絶対そうかなのかと聞かれても分からないので、「disabled people」の方が日本語の暗記教育では覚えるなら楽かなと思います。
ぶっちゃけ、英語は単語の組み合わせ次第で意味が変わってくることがあるので、単語の意味やスペルを覚えるよりも、それらがどんなことを表すかをイメージして学んでいく方が効率が良いのですが……生憎、私は英語教諭ではないですし、教育の場所でこういったことを言うと日本人は混乱するので何も言いません。たまに本気で英語を学びたいという知人や友人に軽く教える程度です。
本気で英語を学びたくもなかったり、高校または大学入試程度の英語力で大丈夫だったりする方は今までの勉強の方法や本人に合った勉強の方法が一番いいです。
下手に自分に合わない勉強をするよりも、自分の基準に合った勉強の方が何倍も身につきます。効率よりも継続が重要です。
さて、長々と語りましたが「Th1s 1s 4 Dr34m.」にてご参加いただいた方々に改めてお礼申し上げます。その他の褐色肌ののじゃロリな悪魔:リリスと、引っ込み思案で不登校(いじめ)の手帳持ち障害者(軽度の知的障害)の高校生:イデアは私の趣味です。
作品のオチと言われましても、本文の通り夢オチ(少しだけ主人公に自信がついた形)で、主人公以外のキャラクターは主人公の妄想または夢の架空のキャラクターとなります。キャラクターの現実への記載をしていた方には大変残念な終わり方となり、申し訳ありません。自主企画を開催していた時に「夢オチ」だと公言してもよかったのですが、面白味に欠けたのでこういった形で、注意事項に最終回への苦言を呈さない方と記載いたしました。
(シリーズのあらすじを見ていた方なら、メモの結末がそのまま載っていたので分かったかもしれません。普通に消し忘れました。)
主人公の設定に関しては障害者を理由に学校での集団いじめから精神病になるといったもので、ありきたりな設定になっており、リリスはその主人公の現実を知った上でかなり傲慢で棘のある台詞で、主人公の自尊心を育てる形のやや共依存気味な母子風百合です。現実では成立しそうになかったので、夢の中で関係を成立させてもらいました。イデア(幻想)とリリス(有名な悪魔の名前)の名前に特に意味はありません。適当です。
最後に、本作品をお読みいただき、誠に有り難うございます。お粗末様でした。