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目次
乖離
男の両の手が胎の奥底へとっぷりと、まるで水面に指をつからせるようにして波紋をつくって漂い、臓器をその人差し指で内混ぜにされているような感覚に陥った。
ああ、心がざわつく。不安で怖くて、冷や汗がたらりと首の表面を撫でるように落ちた。
怖くて震える。なのに、漏れでる浅い呼吸音と弾み続けるこの心臓が叫んでいる。
抱かれたい____と
「っ___ああ!」
抑えられない、もうこのままその大きな手のひらで身体の奥の奥まで掻き乱して、壊してほしい。
「っどうか、っっぅぁ」
どうか殺して、この一握りで潰れてしまいそうな|柔《やわ》く小さな心臓をその手で____
なんて、言えるわけがない。
わかっているこれは夢だ。こんなにも感触が生々しい夢に縋ってしまう。ひどい夢だ。
もがき苦しんで、泣き疲れたら気づけば朝になっていた。
「わたしって……」
ああ、私は好きなんだ。男に命を危ぶまれるのが……
「ドM?」
…………………
|高松 秋《たかまつ あき》
性別:女性
年齢:23歳
職業:起業家、投資家
備考:パトロンが数人いる。いずれも有名企業関係者、政財界、芸能界に属する者たち。(哉倮組、参謀との接点の可能性大)
➡︎繋がりの発端は恐らく、高松が大学時代に働いていた会員制の高級ガールズバーの可能性が高い。
以降、経歴や家族の詳細に関しては別紙にて
高級コンポから流れるジャズやソウルミュージックにはマティーニがよく合う。でこのフロア全体に優美な演出を施している。
「お兄さんの事はどう呼べばいいかしら?」
「……リンて呼んでよ」
「ふぅん、ねぇリン?あたしの事はユウって呼んでね」
カラカラカラと洗練された美しい所作でバーテンダーがシェイクする音が響く中、ユウの瞳は潤んで、視線をそらし左手で艶っぽい髪を耳にかける動作を見せつけるようにしてみせた。
「リンって……ハーフ?」
突然に自分の話を振られたので反射的に、
「そうだよ」
なんて返してしまった。
「へぇ、かっこいいもんね〜……」
わざとらしいくらいにへらへらと軽い調子で言う彼女には、多分その気がある。
「そう?嬉しいな」
「……ねえ、ユウはお酒弱いひと?」
我ながら、余裕を持たせつつ意地汚いずるい男の振る舞いそのものだと思った。隙を見せるのが上手い女は大概いい女だ。その殆どが都合のいい女に成り下がるが。
「……えー?そんな事ないよ__でも酔ってるのかな?……今日はなんだか楽しいのよ、久しぶりだわ」
「………ねぇ、リンって虐めるのすき?」
酒はいい。酒のおかげで期待と動揺、羞恥に焦らされ続けて大胆になる言動を上手い具合に酔いがまわって、羽目を外す勇気を授けてくれる。
普段の実生活で縛りが多ければ尚のこと。
模範や協調的である事、そして個として認められる程度の自我の主張を常々社会で求められる大人達には、こういうった言い訳をつくって安心したいんだ。まるでガキと変わらないが。
要するに、この女が俺に求めているのは"そういう事"だ。
「……酔って大胆になる奴には、余計に__」
横目に一口、グラスをゆっくり煽いだ。はじめはあんなに濃い味だったのが氷が溶けて、少し薄くなっていた。
「リン、わたしこのフロアの真下の部屋_____」
ワンカラーの艶のあるネイルに淡いゴールドのリングが映える細長い指の先にはこのホテルのスイートルームキーがぷらぷらと垂れ下がっていた。
「バーボンを………」
視界の端に黒地のベルベットのワンピースドレスを纏う女が現れた。女のバーテンに声をかけるそれだけの仕草や声の奥行きすらあまりにも美しかった。見惚れるってのはこういう事なんだろう。俺もユウもその女に釘付けになっていた。大ぶりのダイヤのピアスが耳元で揺れている。艶やかでいて、色気を漂わせるとても魅力に溢れる女という感じだ。美しい、そう心から思う。だけど、何処かで全く興味も魅力もないように感じる自分がいた。
あれだけ美人で品もあり、色気のある女はそうそういない。それなのに全くそそられなかった。
そんな風に考える自分が信じられなくて少しショックをうけた。
「俺、不能?」
不意に溢してしまった言葉ごと飲みこむようにグラスを煽った。聞かれなかったか、不安になってユウの方へそっと見ると、ユウはその女にわかりやすいくらいに釘付けになっていた。間抜け面とはこういう顔なのかと思った。
つまらないな。ユウの容姿も綺麗で可愛いけど、中身がない。本当につまらない"仕事"になりそうだ。
先ほどまでユウの指先にあったキーは女の登場に固まって床に落としたようだった。
「…………」
それを拾いあげて、耳元で小さな声で誘いこむ。
「………ユウの部屋で待ってるよ」
少し離れたところでふりかえるとユウが女に声をかけている様子が伺えた。
女もイケるとか、資料にはなかったんだがな………
黒灰
「何を一体話していたんだろう」
ぼやける思考がいやらしく惑う。
俺は1人でスイートルームで一向に来ない女を小一時間ほど待っていた。それを掻っ攫っていった女……あいつがもしユウ、もとい高松秋に接触していれば________
「……電話をかけよう、きっと《《狩り》》でもしてるだろう」
まずはこの部屋を調べるとしようか。幸か不幸か、部屋の主は今頃、何の気なしに楽しんでるご様子だしな。時間はたっぷりあるが、夜が終わるのははやい。急がなければ、狩りがおわってしまう。
---
**ピピピピッ**
呼び出し音がベッドルームに鳴り響く。バスルームのある方へ振り返ると水音が延々と聞こえている。
鳴り止まない呼び出し音がじれったい。
彼女がああしてから、まだ10分程しか経っていない。
女の身支度は時間がかかる。けれど、アタシがかけた電話をすぐにとらない"あの子"もどうかしてる。目の前にあるドレッサーに映る自分と目があった。そこには眉を顰め目を見開いて唇を噛み締めている女の姿があった。
「っいけない……」
普段、人に待たされる事があまりないからかこういう時はひどく頭にくる。スマートフォンを一度ドレッサーにおいて、ウェーブする艶のある髪をかきあげた。そばに置いていたブランド物のバッグから香水とリップを取りだして、少し整える。
**ピッ**
ようやくあの子が出たようだった。
「遅いわよ?女、侍らすのもいいけどアタシを待たせないで」
『______』
「ふふふ、ええそれもそうだわ!」
「………ねえ、もう出てこれる?」
「《《狼》》がくるわよ」
『………_______』
「そう……わかったわじゃあ、明日の朝はやくに迎えにきて」
「素敵なプレゼントをあなたに贈るわ……」
画面の赤いマークをタップする。
不通音が規則的に鳴り響く。彼女のバッグやコート、スマホを手にとる。画面が光り、時刻が表示された。
*午前1:23*
「真夜中すぎたあたりか」
大丈夫、すぐに朝がくる。そうすれば、みんな起きてくるはずだ。
手探りでバッグの中を見ると、財布にコスメ、スマホがもう一台と___
「あぁああ……ふふふ」
ドレッサーにある香水も持ち出して、彼女のいるガラス張りのバスルームへ向かった。シャワーの音が近づくにつれて大きくきこえる。ガラスの中は曇って、よく見えない。ただ彼女のその柔らかく長い髪と白くて淡い背中だけはくっきりとそこにあった。扉を開けると、中にこもっていた温かい空気と甘いボディーソープの香りが全身の肌を滑っていくのを感じた。重く、それでいて軽やかに逃げていく風になった空気が心地良かった。カチャッと金属音が後から響いた。彼女の背中がびくんと反応した。動揺がまだ新鮮なうちに、シャワーを止める。キュキュ……と静寂の中、金属同士のこすれあう音が反響する。
「…外の冷たい空気が入って少しぬるく感じるわね」
低く、温かく|舐《ねぶ》るように湿度を含ませた声で語りかける。
「ふりかえっちゃだめよ……?」
掌で彼女の視界を背中越しにそっと覆う。彼女の横顔を肩口に覗けば、口をぱくぱくとさせている。首筋に頬を寄せて優しく啄むと掠れ声が彼女の口から漏れた。覆っている掌を緩め、口の中へ少しだけ、指を突っ込む。
「声もだしちゃ、だめ」
「腰をおろして?」
言われるがままに、目を瞑り口元を両手で覆ってぺたりとその場に座りこんだ。
「………お利口ね、秋ちゃん」
「じゃあ利き手まっすぐあげて?」
彼女は振り向きもせず、右手をまっすぐあげた。応答はないが、こちらの言葉をきく気はあるらしい。手首とタオルフックに手錠で拘束すると、彼女にも反応がみえた。
「でもいい子じゃなかったみたいね……少しここにいてもらうわ」
「えっ」
さすがに彼女でも、この状況をのみこめなかったらしい。
**シュッ**
香水を彼女の手首に少しだけ振りかけた。
「アタシの匂いよ、大丈夫………待っていて」
シナモンのスパイシーな香りに花の軽やかな甘さがまだ湿度が高いバスルームの中ではいつもよりずっと濃く感じた。
バスルームを後にして、ベッドルームへと戻り適当に荷物を見繕う。彼女の身分証とアタシの連絡先が入っていない方のスマホをバッグへと戻し財布の中身ともう一つのスマホにコートを拝借し、部屋を後にした。
部屋の扉が閉じると自動ロックの機械音が背後からきこえた。私の役割はここまで。
あとは、あの男1人だ。
---
キャリーケースがクローゼットに一つ。
服の量、洗濯機付きの部屋、洗面用具が揃っていることから見ておそらくユウはここで生活している。
時刻は25時48分。ユウが今夜はもうこの部屋に帰る事はないだろう。
状況は最悪だ。加えて匂う。哉倮組の男連れこんでるな。あの雌。
決断は早い方がいい。チームプレイは正直得意じゃないが、そうも言ってられないのでもう応援を呼んでいる。
あの女に横どりされたままでたまるか_____
………俺も、腕が落ちたな。
事後処理が必要になるとはな。
**ピーピー**
ルームキーで開錠した時特有の機械音が背後から鳴った。
「あら、お兄さん………」
「泊まっていくの?」
あの女が部屋に入ってきた。
「このまま帰るの?」
「……どーだか」
ああ、確信犯ってとこか。そうなれば話は早い。
「あの女の子は今、何してるの?」
「ラッピング中ってところ……かな?」
ユウが寝取られたことがマジで確定したぞ。マジか。いや、わかってたんだけどこいつら女でもイケるのか。
だが、ここまでミスが続いてる状況ではあからさまな隙は見せられない。『思い上がっている男』それだけが今日俺が明確に与えられた役割なのだから。驚いてる様子だけ、過剰になりすぎないように、些細な表情の変化や体のこわばりで見せる。
「へえー……」
どうやら、ここが踏ん張りどころらしいな