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目次
①
これは題名のない物語。
雨の降らない町だった。
空にはいつも雲があった。けれど、その雲は決して泣かなかった。
人々は傘を持たず、水たまりを知らず、窓を打つ雨音を物語の中でしか聞いたことがなかった。
町のはずれに、一人の少女が住んでいた。
少女は古い時計台の管理を任されていた。
時計はもう何年も前に止まっていて、誰も修理しようとはしなかった。
それでも少女は毎朝階段を上り、時計の針を磨いた。
「動かないものを大事にして、何になるの?」
村の人は笑った。
少女はいつも同じ答えを返した。
「動かなくても、忘れたくないから」
ある夜、時計台の最上階で奇妙な音を聞いた。
かちり。
誰もいないはずの部屋で、時計の長針がわずかに動いた。
少女は目を見張った。
かちり。
もう一度。
止まっていた時が、呼吸を始めるようだった。
その瞬間、窓の外で一粒の雨が落ちた。
町で誰も見たことのない、小さな透明の雫。
少女は窓を開けた。
雫は頬に触れ、冷たく溶けた。
そして空から、二粒、三粒と続いた。
やがて雨は町全体に降り注いだ。
人々は家から飛び出した。
空を見上げ、驚き、笑い、泣いた。
なぜ涙が流れるのか分からないのに、涙を流した。
翌朝になると雨は止んでいた。
だが町は変わっていた。
草は少しだけ青くなり、乾いた土には小さな花が咲いていた。
そして時計台の時計は再び止まっていた。
少女は針に触れた。
動かなくなった時計は、どこか満足そうに見えた。
その日から、町では時々雨が降るようになった。
誰も理由を知らなかった。
ただ少女だけが知っていた。
忘れられたものには、時を動かす力があることを。
だから彼女は毎朝、変わらず時計台へ向かった。
今度は時計を動かすためではなく。
いつかまた、誰かに忘れられそうなものを見つけるために。
読んでくれてありがとうございました
②
少年は毎日、同じ夢を見ていた。
真っ白な駅。
人はいない。
時計は止まっている。
ホームの端には一人の少女が立っていた。
顔はよく見えない。
けれど、なぜか泣いていることだけは分かる。
少年が近づこうとすると、いつも同じ言葉を言われる。
「今度こそ、見つけてね」
そこで目が覚める。
毎日。
何年も。
ずっと。
高校二年の夏。
少年は古いアルバムを整理していた。
そこで違和感を覚えた。
家族旅行の写真。
父。
母。
自分。
その三人しか写っていない。
なのに写真の端に、不自然な空白があった。
まるで誰かが消されたみたいに。
夕食の時、何気なく聞いた。
「俺って兄弟いた?」
箸が止まった。
ほんの一瞬だけ。
父も母も笑った。
「いないよ」
その笑顔が妙に作り物に見えた。
それから調べ始めた。
戸籍。
古い手紙。
アルバム。
すると家中から奇妙な痕跡が出てきた。
四人分の食器。
四人分の靴箱。
古いビデオに映る、誰かの声。
だが肝心の人物だけがどこにもいない。
写真は切り取られ、
名前は黒塗りにされていた。
ある雨の日。
屋根裏で一冊の日記を見つけた。
最初のページ。
そこには自分の字でこう書いてあった。
妹が死んだ。
少年の記憶には妹などいなかった。
続きを読む。
誰もあの子のことを話さない。
母は毎日泣いている。
父は笑うようになった。
僕だけが覚えている。
ページをめくる。
字がどんどん乱れていく。
最後のページ。
そこには大きく。
思い出したら僕も消える
と書かれていた。
意味が分からなかった。
だがその夜。
夢の駅に着いた時。
初めて少女の顔が見えた。
自分によく似ていた。
目が覚めた瞬間、
大量の記憶が流れ込んできた。
公園。
誕生日。
ケンカ。
運動会。
笑顔。
泣き顔。
全部。
全部思い出した。
妹は確かに存在していた。
七年前。
事故で死んだ。
少年は泣いた。
忘れていた時間の分だけ。
何時間も。
翌朝。
母が部屋に飛び込んできた。
「誰なの?」
少年は固まった。
母の目に、
自分は映っていなかった。
父も同じだった。
学校へ行く。
誰も少年を知らない。
先生も。
友達も。
幼なじみも。
まるで最初から存在しなかった人間を見る目をしていた。
ふと日記の最後の言葉を思い出した。
思い出したら僕も消える
その時。
少年は理解した。
事故の日。
死んだのは妹だけではなかった。
本当は二人とも死んでいた。
妹を失った両親は耐えられなかった。
だから無意識のうちに記憶を書き換えた。
一人だけ亡くしたことにした。
妹の死を受け入れる代わりに、
兄の死を忘れた。
そして少年は。
忘れられた兄の残像だった。
七年間、
誰かの記憶の中だけで生きていた。
妹を思い出したことで、
ようやく真実に辿り着いてしまった。
夕暮れ。
少年は夢で見た駅に立っていた。
もう時計は動いている。
少女が待っていた。
「全部思い出した?」
少女が聞いた。
少年は頷く。
「お母さんたち、悲しむかな」
少女は首を横に振った。
「きっと大丈夫」
遠くから列車が来る。
少年は最後に振り返った。
ホームの向こう。
ぼんやりと家族の姿が見える。
父と母。
そして真ん中には、
笑顔の妹だけがいた。
そこに自分の居場所はない。
最初から。
もうずっと前から。
列車の扉が閉まる。
そして翌朝。
その家からは、
誰かを二人失った記憶さえ消えていた。
ただ理由もなく、
夫婦は時々同じ夢を見る。
知らない男の子が笑っている夢。
目を覚ますたび、
なぜか涙だけが流れている。
その子の名前を、
誰も思い出せないまま。
呼んでくれてありがとうございました