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遮光カーテンの向こう側 5話
インターホンの連打が、もはや物理的な衝撃となって部屋の空気を震わせている。
唯兎にとって、その音は外界からの侵略であり、
自己を解体しようとする暴力だった。
しかし、絶え間なく繰り返される電子音は、
彼の内側に築き上げた防壁に亀裂を生じさせ始めた。
「……もう、いいだろ」
彼は掠れた声で呟いた。
それは自分自身への許しなのか、
あるいは外の世界に対する敗北の宣言なのかは定かではない。
唯兎は震える膝を押し上げ、重い身体を引きずりながら立ち上がった。
全身の筋肉が強張り、肺の奥に溜まった澱んだ空気が喉に刺さる。
彼はベッドから数歩、まるで地雷原を歩むような慎重さで玄関へと向かった。
カーテンの影に隠れた世界と、扉の向こう側にある現実。
その境界線が今、彼の目の前に横たわっている。
指先がドアノブに触れる。
冷たい金属の感触が、彼を現実に繋ぎ止める唯一の錨だった。
彼は深く息を吸い込み、肺を焼くような痛みを耐えながら、一気に力を込めた。
**――ガチャリ。**
重厚な扉が開いた瞬間、押し寄せてきたのは光と音、
そして「他者の存在」という圧倒的な質量であった。
外の空気は鋭く、肌を刺すように冷たい。
同時に、視界に飛び込んできた三人の影が唯兎の意識を揺さぶった。
雪野燈が、最初に彼を見た。
彼女の頬には涙の筋が走り、
潤んだ瞳は絶望と安堵の混濁した感情で彼を捉えていた。
「……唯兎くん」
その声は震え、届くことのない叫びのように響いた。
彼女にとって彼は、
守るべき聖域であり、同時に自分を蝕むほどの執着の対象であった。
隣に立つ皇直弥が、一歩前に出た。
彼の表情には苛立ちと、それ以上に深い焦燥が刻まれている。
「……いい加減にしろよ。ずっと待ってたんだぞ」
その言葉は突き放すような鋭さを持っていたが、
握りしめられた拳の震えが、彼自身の動揺を露呈させていた。
直弥にとって唯兎は友人であり、
同時に自分たちの平穏な日常から逸脱してしまった「取り戻すべき欠片」であった。
そして坂上翠は、その場に立ち尽くしていた。
彼女の瞳には戸惑いと、複雑な情念が渦巻いている。
彼女は直弥を見つめながらも、同時に唯兎の絶望を理解しようとしていた。
この場所は彼らにとっての境界線であり、
誰一人として正解を知らないまま、
ただ「救済」という名の介入を行っているに過ぎないことを彼女は知っていた。
外気に触れた瞬間、唯兎の視界が揺らぎ、眩暈が襲った。
数ヶ月間、遮光カーテンの向こう側で研ぎ澄まされてきた孤独が、
一瞬にして外界の色彩によって塗りつぶされる。
彼は立っていられず、膝から崩れ落ちそうになった。
しかし、その身体を支えたのは燈の手だった。
「……大丈夫だよ。もういいよ、一人で耐えなくて」
彼女の腕は熱く、そして強引なほどに彼を引き寄せた。
それは救済であり、同時に逃げ場を奪う拘束でもあった。
唯兎は俯いたまま、地面を見つめた。
外の世界はあまりにも眩しく、
残酷で、それでいて彼が捨て去ったはずの「生」の感触を伴っていた。
学校へ行けなくなったあの日から止まっていた時計の針が、
この瞬間、再び動き始めたことを彼は感じていた。
しかし、これは終わりではない。
扉を開けたことは、単なる孤独への敗北ではなく、
新たな地獄――あるいは再生へと続く長い道のりの始まりに過ぎなかった。
「……帰るのか?」
直弥の声が響く。
それは彼を元の場所へ戻すための問いであり、
同時にこの異常な状況を終わらせようとする意志の表れだった。
唯兎は何も答えなかった。
ただ、カーテンの向こう側で守り抜いた静寂と、
今目の前にある騒々しい現実の間で、彼の魂が激しく軋みを上げた。
彼を取り巻く三人の思惑、
それぞれの執着と情愛、そして唯一の逃げ場を失った少年の絶望。
物語はここから動き出す。
遮光カーテンが開かれた後の世界には、かつてのような平穏な静寂など存在しない。
あるのは、互いの想いが複雑に絡み合い、共鳴し合う過酷で美しいドラマであった。
唯兎の瞳に映る景色は、まだぼやけていた。
しかし、彼は確かに外の世界の一歩を踏み出していた。
その一歩が彼をどこへ運ぶのか、あるいは再び暗闇へと引きずり戻すのか。
答えはまだ、この重い扉の向こう側に隠されたままであった。