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遮光カーテンの向こう側 6話
「……帰るのか?」
その問いに含まれた、実家へ戻れという促し。
あるいは、この異常な状況から逃げ出してしまえという突き放し。
唯兎の耳には、それが鋭い棘のように突き刺さった。
白柳 唯兎は、自分の指先を見つめた。
数ヶ月間、遮光カーテンで仕切られた部屋の中で、
彼はただ「存在しないこと」を演じてきた。
学校に行けなくなったあの日から、
彼の世界は縮小し続け、最後にはこの四畳半の空間だけが彼の全宇宙になった。
しかし今、その宇宙に外気が侵入している。
肺を焼くような冷たさが、
彼の中に澱んでいた「生」への恐怖をかき立てる。
「……帰れないよ」
唯兎の唇から漏れたのは、
掠れた、消え入りそうな声だった。
実家にはもう戻れない。
あの日、学校に行けなくなった理由――自分自身の
内側で崩壊した何かが原因であれば、親の顔を見ることはできない。
彼はこの孤独な部屋に閉じこもることでしか、
自分を保つことができなかったのだ。
「……っ」
燈が声を押し殺すように息を呑んだ。
彼女は唯兎の細い肩を抱き寄せたまま、その震えを感じ取った。
彼女にとって唯兎は守らなければならない幼馴染であり、
同時に自分の心臓を抉るような執着の対象だ。
直弥への想いを隠しながらも、彼女の本能は叫んでいる。
この少年を、もう二度と暗闇に閉じ込めてはいけないと。
「いいよ、帰らなくていい。……私たちがここにいるから」
燈の声には、拒絶に対する強烈な意志が宿っていた。
それは優しさでありながら、同時に唯兎の逃げ道を塞ぐ執着でもあった。
その時、横で腕を組んでいた直弥が低く唸った。
「いい加減にしろよ、燈。……あいつは『帰れない』って言ってるんだ。俺たちがここに居座り続けて、この状況を放置するつもりか?」
直弥の視線は鋭い。
彼は坂上 翠への想いを抱えながらも、
友人としての責任感と、唯兎に対する奇妙な独占欲の間で揺れていた。
「いいか、白柳。お前がここでずっとカーテンの裏に隠れてるなら、俺たちの日常まで壊れる。……学校に戻れ。それが、今の唯一の解決策だ」
直弥の言葉は無慈悲だったが、
それは唯兎を現実に引き戻すための強引な「救済」でもあった。
翠はそれを見つめながら、複雑な表情で口を開いた。
彼女は直弥の焦燥も、
燈の執着も、そして何より唯兎の絶望的な孤独も理解していた。
「……そうよ、唯兎くん。学校に戻ることは、ただ授業を受けることじゃないわ」
翠の声は穏やかだが、その瞳には鋭い光がある。
「それは、あなたが自分を『社会』という場所へ差し出すってこと。怖いのは当たり前。でも、この部屋のままじゃ、あなたはどんどん消えていってしまう。……私たちが支えるから。一緒に歩けばいいじゃない」
三人の視線が唯兎に集中する。
燈の熱を帯びた抱擁、
直弥の苛立ちを含んだ叱咤、そして翠の静かな共感。
彼らはそれぞれ異なる理由でここにいる。
しかし、今この瞬間だけは一致していた。
「白柳 唯兎」という一人の少年を、
暗闇から引きずり出すという目的において。
唯兎は視線を上げ、三人の顔を見渡した。
眩しすぎて涙が溢れそうになるほど、彼らの存在は鮮烈だった。
自分を追い詰めた世界の一部でありながら、
同時に今の自分を救い出そうとする唯一の光。
「……学校に……行く?」
彼の問いに対する答えはまだ、誰にもわからなかった。
しかし、唯兎は燈の腕の中で小さく頷いた。
それは敗北への同意ではなく、
彼が自ら選んだ「地獄」への第一歩だった。
カーテンが開かれた後の世界には、もう静寂はない。
明日からの登校という過酷な現実と、
それを取り巻く四人の歪で美しい関係性。
物語はここから動き出す。
遮光カーテンの向こう側にあった孤独を捨てた代償として、
彼らには「共鳴するドラマ」が待ち受けていた。
唯兎の足元に落ちる影はまだ長く伸びていたが、
その先にある道筋は、今この瞬間から確実に描き変えられ始めていた。