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一本の道をゆくとき風は割れ 僕の背中で もとに戻った 木下龍也
「はい、はい、申し訳ありません…あともう少しで終わりますので…」
僕は自分以外いない部屋の中でペコペコと頭を下げ続けた。
3月、だんだんと気温が上がり、花がまばらと咲いてくる季節になって来た。
僕が小説家を仕事にし始めてから、早3年。
雲は足早にオレンジへと染まっていく。僕は上り坂を急ぎ足で進む。
早く、暖かく落ち着ける我が家に帰りたい。
外だと落ち着けない、落ち着けるわけがない。人の目が、気になって気になって仕方がない。
だからわざわざ、こんな堅苦しいスーツを来て、出かけているのだ。
そのほうが、少しは真面目そうな人間に見えてくれるだろう。
前から、僕のメガネに向かって風が打ち付ける。
向かい風ほど、急いでいるときに邪魔な風はない。
人々が僕の前で別れ、後ろでまた合流する。
向かい風も僕の前で2つに割れ、後ろでまた一つに戻る。
人々を避けない僕も悪いが、避けようとする前に人々が避けていくのだ。
自分より一回り年上だろう疲れた男性、微笑ましく仲睦まじい親子、自分の隣を一瞬で通り抜けていく小学校高学年だろう男児。見ているだけで自分には手の届かい夢だと思う。
住宅街にぽつりぽつりと明かりが灯り始める。人がだんだんと減っていく。
空は、ゆっくりと闇に包まれていく。住宅街を進んでいくと、奥の方にコンビニがちらりと顔をのぞかせた。僕は小説家であると言っても、なかなか売れないマイナーな小説家だ。締め切りやなかなか売れないことのストレスで、友人に進められたタバコに、最近手を染めてしまった。
体に悪いことは重々承知だ。だが、煙を吐き出したときの、自分の中にある重くどろどろとしたものが、すぅっと抜け落ちる感覚が、僕の体と心を軽くしてくれる。
コンビニに入り、小さめのハイボール一つと一番安いタバコを買う。喫煙所に入ると、同じようにストレスで押し潰されそうな顔をした大人たちが集まっている。
ここは全員、ただ”タバコを吸う”ためだけに来ている。だから何も気にせず過ごすことができる。
タバコを手に取り、革バッグからライターを取り出す。細いタバコの先端に小さな炎を灯す。
ゆっくりと、柔らかい煙を体の隅々まで届くように、吸い込む。
体の細部まで煙を染み込ませたあと、体の力を一気に抜いてどろどろしたものを吐き出す。
こういう暗く静かな夜には、思い出したくないようなことも、脳の深く暗い海の底から浮かんでくる。「締め切り…明後日か…」
あまり終わる気がしない、いや、終わらないだろう。頭の中では書きたいことが次々と浮かび上がってはくるのだ。だが、文字にすることができない。表したい情景を正しく表せる日本語が浮かび上がらないのだ。いつもギリギリの体力と勢いだけで表したい情景に一番近い状態へは持っていっている。が、それでもなかなか売れない。どうすれば上手く表すことができるのか、そんな事を考えながら、ハイボールを僕は口に含む。さっき吐き出した煙の帯が、夜の闇の中にふわりと溶けていった。