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ノア、落ちたでしょ
リリース前に書いたものです。
飛行場を出たときには、すでに雨がふっていた。傘は持っていないが、持っていてもさすほどではない。その程度の小雨だった。
それでもラフタは一度マンションに帰り、傘を手に取った。これから本格的に雨が降ると、天気予報で事前に知っていたからだ。
傘を開き、ふたたび家を出た。
予報は的中。雨はだんだん強くなっていく。風も吹いてきた。風に乗った雨水が、ラフタの足元をゆるやかに湿らせていく。
風がやむまで、近くのコンビニに避難していようか。ラフタはそう考えたが、そうすると雨宿りをさせてもらった礼に、何か買っていきたくなる。けれど財布は持っていない。旅行帰りで大きくなっていた荷物とともに、家に置いてきた。ポケットの中に残したものはモバディのみ。手にあるものは傘と、土産の焼き菓子だけ。すぐに雨宿りをあきらめたラフタはコンビニを素通りする。
着の身着のままと言うにはやや重い格好で、ラフタはシュウが一人で暮らしている戸建ての借家を目指していた。
シュウと会うのは三日ぶりだ。
仕事が一段落ついて、まとまった休みをもらったメンバーは、それぞれ離れて過ごすことにしていたのだ。いつも一緒にいるのだから、たまには離れても良いだろう、と提案したノアには感謝している。おかげでラフタは一人、島の外に出て、現地の者たちと交流できた。二人に構っていたであろう時間を、すべて現地の者たちに使えたのだ。二泊三日の旅行は楽しかった。
やがてシュウの家に着く。玄関前の軒先に身をすべらせた途端、雨粒が大きくなった。傘をおろしてから細く丸めるまでのわずかな間で、雨は滝のような勢いへと変わっていった。
「うわ、すげえ降ってきた」
タイミングが良かったようだ。あと数秒、到着が遅れていれば、傘をさしていてもラフタの足はずぶ濡れになっていただろう。
細身になった傘を傘立てに入れてから、家主のシュウに渡されていた合鍵で扉を開ける。地面で踊っている雨から逃げるように、ラフタは扉を素早くくぐった。
島ではめずらしい、和風の土間付き玄関。電気はついていなかった。昼間なのに、雨天のせいでうす暗い。けれど周囲の様子は把握できた。
「あ。ノアも来てる」
土間のすみにはシュウの靴の他に、ノアの靴も並べられてあった。二足とも水気はまったく見られない。どうやら雨がふる前――朝からいっしょに、シュウの家にいたのだと推理できた。もしかしたら前夜から泊まっていたのかもしれない。
そして今も、二人で、シュウの家に。
「なんだよ。僕を置いて、二人だけで会っちゃってさ」
つい文句をこぼしてしまったが、そもそも絶対に会わないという約束などしていない。あくまでも提案なのだ。それに離れて三日も経っている。二人が同じ島内にとどまっているのなら、会っても不思議ではない。
だが結局、仲間はずれにされたような気はする。
ふと、ラフタの胸にいたずら心がわいた。
「ノアも驚かしてやろ」
そもそもシュウを驚かすつもりで、家に行くことも伝えていないのだ。だからこうして突撃訪問している。ラフタはそれを利用して、ノアごと驚かす計画に変えた。
靴を脱いで、廊下を歩く。はげしい雨音のおかげで、すり足だけで足音は消えた。
ダイニングに入り、四人がけのテーブルの上に土産物をそっと置いた。
ふたたび廊下に出て、階段を見上げる。誰もおりてくる気配はしない。
ゆっくりと、きしまないように、木製の階段をゆっくりと上っていく。
二階についた。
廊下に面している扉のひとつがわずかに開いていた。
耳をすます。
扉のすきまから、ほんの少しだけ、物音が聞こえてくる。
あそこはシュウの寝室だ。
寝室に、シュウとノアはいるのだ。
ラフタは先ほどよりも慎重に足を進ませながら、ポケットの中に手をつっこみ、モバディを取り出す。ドッキリを演出する音楽を流すためだ。
扉のすぐ前につけば、物音ははっきりと聞こえてきた。
それはねばついたような、家具がきしんでいるような、あまり聞き馴染みのない音だった。
どんな音であっても、ラフタは二人を驚かす気満々だった。モバディを操作して、ワンタップで音楽を流せるようにしてから、扉に手をかけて、いきおいよく室内に飛び込み、驚く二人に向かって、ドッキリ大成功と声をあげて、音楽を流す。それだけの手順。くだらない計画。シュウを笑わせて、ノアをあきれさせて、それでおしまい。
おしまいになるはずだった。
「はあ……」
どちらの声か、わからなかった。
シュウなのか、ノアなのか、わからなかった。
「ん。ふう」
息が抜けた声とともに、ぴちゃ、ぴちゃ、と水音も聞こえてきた。
雨音と混ざらない、ねばついた水音が、ラフタの鼓膜をなぐり続ける。
ぎし、ぎしり。家具がきしむ音。
ベッドがきしむ音だと、今ならわかってしまった。
「あ……ふぅ……っ」
なのに声だけはわからない。
わかりたくない。
わかりたい。
相反し、せめぎあう感情。
勝ったのは好奇心だった。
震える足をすり寄せて、扉のすきまから室内を覗く。
寝室には大柄のシュウのためにしつらえたダブルベッドがある。ラフタにとっては大海のようなベッドの中心に、二人はいた。
シュウに組み敷かれているノアはメガネをかけておらず、全身は裸だった。
ノアを組み敷いているシュウは服を着ているのに。
二人は恋人のように手をつなぎながら、くちびるを合わせている。わずかに開いたすきまから覗いているものはシュウの舌なのかノアの舌なのか。答えは両方だった。二人とも舌をからませ、むさぼっている。
じゅぷり、という音を残して、シュウがくちびるを離した。
「んっ。……はあ……ぁ」
「はあ、はあ、はあ……」
息をあらくつきながら出ている二人の声は、まさしくラフタが直前まで聞いていた、馴染みのないものだ。
ノアの息が落ち着いてから、シュウはノアの手をひいて、起こした。ベッドのきしむ音が遅れて聞こえる。いくら頑丈なダブルベッドでも、男二人を受け止めるには少々心もとないらしい。
向かい合う二人。つながれた手を先にほどいたのはノアだった。
ノアの手のひらがシュウの後頭部をなでる。
それが合図なのだろう。シュウは導かれるように、ノアの鎖骨にくちびるを寄せて、ちゅうと吸った。
ノアが口を開く。
「本当にシュウはここが好きだな」
「うん。だってここ、他よりちょっと汗が溜まりやすくて、匂いも強くて、美味しくて……」
くちびるだけで食まれているノアの鎖骨は、確かに美味しそうだった。盗み見ているだけのラフタすらそう錯覚するほど、シュウの言葉は正直だった。
正直者の言葉は続く。
「あとは、そう、ここも好き」
ノアの手をそっと取るシュウ。鎖骨をひとなめしてから、無骨な指を一本一本、ていねいに舐めていく。
「骨はね、噛みごたえがあって、歯のうずきが無くなっていくのが気持ちいい」
ノアの指先がシュウの歯をなぞっていく。尖った歯の先端をちょんとつついた。
シュウはあごを動かして、ノアの指に歯を食い込ませている。
「砕くなよ」
指のうすい肉から、歯が離れていく。
「そんなことしないよ」
「砕くのなら、俺にしろ」
「しないってば……」
悲しそうに目を伏せるシュウのほおに、ノアはキスを贈った。まるで幼子をなぐさめるように、ついばんでいる。
そしてノアは言う。
うるさい雨音にかき消されない、確かな声で。
「ラフタを食い殺さないお前は、とてもいい子だ」
――ゴトン!!
ラフタの心臓を破壊しかねない、大きな音だった。
扉のすきま越しに、まず目があったのはシュウだった。次にノア。二人とも驚きのあまり、目を見開いていた。おそらく自分もだろうとラフタは脳の片隅で思った。
急いで音の出どころを見る。足元から聞こえていたはずだ。
ラフタのモバディが床に転がっていた。二人の痴態に目を奪われているあまり、手から抜け落ちてしまったようだ。
音の正体がわかった瞬間、ラフタはまた扉のすきまに目をやってしまう。その隙をシュウは逃さない。ラフタの目がふたたび二人を映した頃にはもう、シュウはベッドからおりて、扉に駆け寄ろうとしていた。ラフタを捕まえるために。
ラフタは声をあげないまま、きびすを返す。背後から追いかけてくるであろうシュウから逃げるために、外に続く玄関にむかって、ただ廊下を抜ける。
もつれる足を必死に制御しながら階段を駆け下りている最中だった。
ラフタのすぐ正面で、上から巨体が降ってきた。
階段の途中なのに巨体はきれいに着地して、ラフタの前をふさぐ。
「ラフタ、待って!」
階段の吹き抜けからシュウが飛び降りてきたのだと知覚したラフタは、シュウから逃げるためだけに、現場に戻るだけだというのに、逃げてきた道を引き返そうとする。けれど足はすぐに止まった。二階とつながっている階段の最上部にはノアがいて、逃げ道をふさいでいた。ノアは裸のままだった。服を着る時間も惜しむほど、ラフタ捕獲に全力を出している。
ノアが抑揚のない声で言う。
「見たんだな」
ノアを見上げる姿勢のまま、ラフタは凍りついていた首を無理やり動かして、小さくうなずく。
「聞いたんだな」
またうなずくラフタ。ノアは裸眼でラフタを見つめて、ただ「そうか」とだけ言った。
まだふり続いている大粒の雨。強くなってきた風が吹き抜けの細窓をたたく。大きいはずの音なのに、ラフタには聞こえなかった。
代わりに聞こえてきたのはシュウの声。
「いつかは話そうと思ってた」
「……」
ラフタはシュウを見ない。
「話を聞いてほしい。お願いだから、ついてきて」
「……」
気まずさか。恐怖か。罪悪感か。怒りか。とにかくラフタは動けない。無表情をつらぬくノアから目を離せない。
「……ダイニングで待ってる」
階段をおりていく音が背後から聞こえる。シュウが階段をおりていったようだ。
音も声も聞こえなくなってから、ようやくラフタはノアから目をそらした。階段をおりる最中に、ノアが寝室に戻っていく音も聞こえた。
うす暗かった廊下が、今はほんの少し明るくなっている。ダイニングの扉のすりガラスから光が漏れ出ているからだ。
光のもとである扉を開いて、電気がつけられたダイニングに入る。
ダイニングに面しているキッチンのカウンター越しに、シュウは立っていた。ケトルの水を沸かしている。
カウンターの向かい側にコンロはある。カウンター側にいるラフタからだと、コンロと向かい合っているシュウの顔は見えない。
シュウはコンロから目を離さず、ラフタに背中を向けたまま。
「ラフタ」
「うん」
「来てくれてありがとう。お茶をいれるから、先にテーブルに座っておいて」
カウンターには緑茶の粉が入ったカップが三つ、置いてあった。その横には土産の焼き菓子のパッケージ。シュウがテーブルから移動させたようだ。
ラフタはパッケージを見ながら問いかける。
「これ、買ってきたお土産なんだけど、わかった?」
一目でラフタが買ってきたものだとシュウにはわかっていたようで、すぐに「うん」と返ってきた。
「まだパッケージの写真しか見てないけど、美味しそうだね」
「そう! 見てたら店の人が試食させてくれて、めちゃくちゃ美味しかったんだ! だからシュウにも食べてほしくて、持ってきて……」
そのせいで、二人の逢瀬を見てしまったわけだ。
言葉にせずとも、そう察してしまったのだろう。シュウはうつむいた。
ラフタはあわてて言いつのる。
「いや、あの、あとでノアにも持ってくつもりだったんだよ。ノアもそこにいるなんて思ってなくて。わ、わざとじゃないんだよ、ホントに。二人がそんな仲だったなんて知らなくて。あ! だからって盗み見るなんてダメだよな! 謝るよ! ごめん!! 本当にゴメンな!」
「謝らないで……」
「いやいや! 謝んなくちゃダメだって! シュウは優しすぎるよ! ていうか水臭くない? ノアとつきあってるって言ってくれたら、僕だって突撃しないって! ああでもコレも言い訳か! 察せないのは僕の悪いところだよなー! いやあ〜〜〜、知らなかったとはいえ、恋人とイチャイチャしてたところを見られちゃあ、気まずいよねー! うん!! そうだ、これ以上は居座っちゃあ悪い! というわけで、今日は帰るよ! じゃあまた!」
「待て」
廊下につながる扉の前にはノアが立っていた。さすがにもう服は着ていたし、メガネもかけていた。
「シュウも俺も、お前と話がしたいんだ。お前だけ逃げるな」
「う……」
「盗み見てしまったという罪悪感があるのなら、座れ」
「……はい」
ラフタはしょんぼりとしながらダイニングの席についた。ラフタの向かい側の席にはノアが座った。
正面に座られて、ラフタの居心地は悪くなる一方。ノアの視線から逃げるようにうつむいてしまう。
ラフタとノアが座って数十秒後。ケトルが鳴った。
つられてラフタは顔をあげて、音源を見る。火を止めたシュウがケトルを持ち、振り返っているところだった。そのままカウンターまで移動して、手早く、ていねいに、三つのコップに湯を均等に入れていく。落ち込んでいた態度のわりに、所作も表情も落ち着いていた。
「お土産、開けていい?」
「……あ、うん!」
自分に問われていたことに遅れて気づいたラフタはあわてて返事をした。
パッケージが剥がされていく音が、雨音とともに空間を満たす中。口火を切ったのはノアだった。
「まずは謝罪をさせてくれ。すまない。俺達が不誠実だった」
「えっ、今?」
今、言うのか? シュウがまだ席についていないのに?
そう疑問に思っているラフタに気づいたらしいノアは、すぐにシュウに目配せをする。シュウもノアを見てから、こくりとうなずいた。
二人だけの合図を見せつけられたラフタの心中はおだやかではない。
あらためてノアは続ける。
「俺達がああいう行為をしていたことを、早くお前に言うべきだった。なのに後回しにし続けた理由は……もう察していると思うが、お前との仲が壊れるのを恐れていたからだ」
「まあ、うん……」
察したし、納得もできる。実際にラフタは二人から逃げようとした。二人と話し合うことを放棄する形で、二人との仲を壊そうとしてしまった。
致命的な間違いを避けさせてくれたシュウとノアに、今なら感謝できた。
少し余裕が持てたラフタは質問をする。
「あのさ、あの、アレさ、ずっとやってきてたってことでいいの?」
寝室でしていた行為のことだ。
「三ヶ月前からやっている」
「おお……まあまあやってきてんだね」
「三ヶ月前から、ずっとだまし続けてきた」
「だますだなんて! おつきあいしています、なんて、すぐには言えないじゃん!」
「いいや。俺達はずっと、ラフタをだまし続けてきたんだ」
ずいぶんと悪く言うものだ。よほどのことらしい。しかしその『よほどのこと』が、ラフタにはいまいち理解できない。
「僕をどうだましてきたんだよ」
「それはおれから説明させて」
声のもとを見れば、人数分の菓子とコップを乗せたトレーを持っているシュウが、テーブルのそばにいた。
「どうぞ」
シュウは菓子とフォークを乗せた皿と、緑茶が入ったコップを、それぞれ二人の前に置く。ノアが「ありがとう」と言えば、自然とラフタも「あ、ありがと」と続けられた。
ノアの隣の席にも菓子と茶を置いてから、シュウもその席に座った。
シュウとノアは互いを見る。
「ありがとう。おれをかばって、先に話をしてくれて」
「俺から始めたことだからな。けりをつけるのも俺からだ」
「なあ。なんの話してんの?」
ラフタがそう問えば、シュウはやっとラフタの目を直視した。
「ノアとおれはつきあってない」
「……え?」
数秒の沈黙。ラフタは聞き返す。
「つきあって……ない?」
「つきあってない」
「え、え? いやでも、アレってどう考えても、恋人にやるようなやつで……」
「アレは恋人だからやってたんじゃない。おれの空腹をまぎらわせるためなんだ」
覚悟を決めたシュウは、もうラフタから目をそらさない。
「ラフタ。おれはずっと、君を食べたかった。……君が、好きだから」
ラフタはノアの言葉を思い出した。
――ラフタを食い殺さないお前は、とてもいい子だ。
シュウはぽつぽつと語りだす。
「いつから好きになったのかは覚えていない。気がついたら好きになっていた。触れたいとか、キスしたいとか、そう思うだけならよかったんだけど……いつしか食べたいとも思うようになってしまったんだ」
シュウの目線はラフタの目ではなく、首に向けられている。
「その肉を、骨を、ラフタを構成している何もかもを、おれの中に入れられたら、どれだけ幸せか。そう考え出してからは、お腹がずっとすいているような感じがして。ラフタをあさましく見ていたところを……ノアに見つけてもらって。今こうなっている」
「こう……って」
思わず口をはさんでしまった。
シュウは答えていく。
「ノアが『俺が食われてやるからラフタには手を出すな』って言ってくれて、おれはそれに乗せてもらったんだ」
次に口をはさんだのはノアだ。
「おい。そんな聖人君子みたいなことは言っていない。受け止めきれないラフタが相手をしたら、チームの存続が危うくなる。そうなるくらいなら、ラフタより丈夫な俺が代わりになるほうがずっと良い。お前の気持ちが落ち着くまでの間くらい、なんてことはない」
「でもあれから三ヶ月も経ったのに、ラフタも食べたい気持ちがおさまらないんだ。こんな、最低な……」
たまらずラフタは挙手をする。
「ちょっと待って? シュウは僕が食べたくて、ノアは僕が食べられないために自分を差し出してたってこと?」
ノアはやや眉をしかめながら「そうなるな」とうなずいた。シュウも気まずそうにラフタを見ていた。
ラフタは続けて確認する。
「アレはあくまでも僕を守るための行為だから、二人は恋人じゃないって?」
今度はシュウがうなずいた。
「だからおれたちはつきあってない」
「そんなふうには見えなかった!!」
ラフタは大きく声を出した。あげていた手で握りこぶしを作り、テーブルにぎゅうと押し付ける。
「アレはどう見ても恋人同士だったじゃん!」
ノアが答える。
「違う。恋人じゃない」
「ウソだ! 恋人だ! だって二人とも、あんな愛おしそうな目ぇして! 手ぇつないだりキスしたり! ずっと気ぃつかい合って! アレでどうやって、つきあってないなんて言えるんだよ!! 本当はつきあってるんじゃないの!? じゃないと、あんな! あんなこと!」
「純粋なお前にはわからないだろうが、愛し合っている恋人同士じゃなくても、あれくらい、いくらでも――」
ノアの言葉が途中で止まった。
シュウが手のひらでノアの口をふさいだからだ。
「もうやめて。自分ばかり、悪者のようにふるまわないで。……おれも同罪なんだよ。もう、全部言おう」
ノアは観念したように目を伏せた。
手のひらをどかされた口が、直前とは違うことを言う。
「シュウも俺も最低で、不誠実だ。ラフタを除け者にして、つきあってもいないのに俺達は愛し合ってしまった」
二人は座ったまま、そろって頭を下げた。
「お前が俺達と過ごすことが好きなのは知っていたはずなのに、たまには一人旅もいいだろうとお前を言いくるめて、島の外に追いやったのは俺だ」
「ラフタもノアも好きになってしまった時点でやめるべきだったのに――いや、最初からノアを身代わりにしてはいけなかったのに、ノアの好意に甘えて、ずるずると関係を続けたのはおれだ」
最後にシュウが、ぽつりと。
「ごめん、ラフタ。何も知らなかった君をだまして、追い詰めさせて……ごめんなさい」
二人の頭部を見せられているラフタの心中は荒れていた。
あの行為が、走馬灯のように頭の中をめぐっていく。そこは二人だけの世界で、自分はいなかった。
自分を除け者にしておいて、当人たちはつきあっていないと主張している。それがラフタは気に食わない。
ラフタは声をしぼり出す。
「じゃあ、つきあってよ、今すぐ」
「えっ?」
「はっ?」
二人はそろって顔をあげた。思わぬことを言われたようで、ぽかんと間抜け面をさらしている。
「今の告白で二人は愛し合ってるんだって、僕はわかったじゃん。じゃあ二人は? あの様子じゃあ初耳じゃなかったんでしょ?」
「そ、それは」
二人は目配せをしたが、今回は通じ合わなかったようだ。おそるおそる言葉で確認し合う。
「えっと……実際にノアから聞いたのはこれが初めてで……でも、なんとなくだけど、察していたとは思う……?」
「……そうだな。勢いで告白したが、互いに察していたからこそ、言えたことではある」
ラフタはどんどんいらだっていく。
「はあ? 今まで言ってなかった? じゃあ何? 僕をダシにしなくちゃ、告白すらできなかったわけ? 察してただけでよしとしてたって? ふざけんなよ!! それこそ不誠実だろうが!」
自身の二つのこぶしをテーブルの上でぎゅうぎゅうとしめながら、ラフタは二人をぎっとにらむ。
「改めてちゃんと向き合って告白しろ!! アレはお互いが大好きだったからやったことなんだって認めろ! いま! すぐに!!」
シュウはあわててラフタの声をさえぎる。
「待って!! それは否定させて! おれは今もラフタが好きなんだ! 最低なことを言ってるのはわかってるけど、好きなんだよ!!」
「ああわかったよ!! 僕も好きなわけね、それは了解!! つーかそもそも二股なんて気にしないさ! むしろ大歓迎!」
「はあ!?」
「二股を!? 歓迎!?」
「その話はあとにしろ!! 今は僕とか関係なく、二人ともちゃんと告白して、おつきあいを始めろっつってんの!! 僕が証人になってやる!」
「え……えええ……?」
「正気かこいつ……」
正気ではないことくらい、ラフタ本人が一番わかっている。シュウの二股を許すどころか歓迎すると言ったのだ。二人が困惑するのも当然だ。
とにかく今だけは、二人がつきあっていないことが気に食わない。
腹立たしくてしかたがなくて……涙が一粒、こぼれた。
ぎょっと驚く二人。ラフタに手を伸ばそうとして、止めた。
気まずそうに手を迷わせている二人に向かって、ラフタは涙を次々とこぼしながら、願う。
「頼むからさあ、つきあってくれよ。あんなことしといて恋人じゃないなんて、そっちのほうがむかつくし、悲しいよ」
二人の声がつまった。
数秒の迷いの後。先にシュウのひざが動き、隣にいるノアに体を向けた。
「ノア」
「……シュウ」
ノアもシュウと向き合い、二人はひざを突き合わせる。
見つめる二人。自然と手が重なる。
「好きだよ、ノア……愛してる。おれと、つきあってください」
「俺も好きだ。シュウが愛おしい。どうか、恋人になってほしい」
「よろこんで」
「俺も、よろこんで」
互いの手をぐっと握っている様子と、シュウの顔が赤くなっていく様子と、わかりにくいがノアの顔もわずかに赤くなっていく様子が、涙の膜越しでも見えた。
ラフタは涙をこぼしながら、祝福の拍手をひかえめにおくる。
「おめでとう……」
拍手を止めて、うつむいても、涙は止まらなかった。
いつまでもすんすんと鼻をならしているラフタの異常に、二人は気づいたのだろう。居住まいを正す音のあとに、二人の声が聞こえる。
「おい……どうした?」
「なんでずっと泣いてるの? ……ごめん。やっぱり二股は嫌だよね」
「違う。それは、嫌じゃ、ないんだよ。なんでか、わかんないけど、止まんないっ」
嬉しいはずなのに、あまり嬉しくない。胸のモヤモヤもまだ晴れていない。やっと二人は恋人になれたのに。
「なんでだろ……苦しい……」
「ラフタ……お願いだから泣き止んで」
困ったようなシュウの声を聞きながら、涙の水滴をテーブルに落とし続けていると、いきなり「わかった」とノアの声が聞こえた。
「泣いたままでいいから、俺の質問にいくつか答えていってくれ」
「うええ……?」
とうとつ過ぎて、ラフタの正気がわずかに戻った。
うつむいていたラフタの頭がゆっくりと上がる。顔が正面に向いてから、ノアは質問を始める。
「二股は嫌じゃない、と言ったが、それはシュウがやるのなら、いいのか?」
「……ん?」
「シュウは俺とラフタが好きだ。ラフタに告白していなかったから無罪、だなんて話じゃない。はっきり言って、二股をかけている。……それは、嫌じゃないんだな?」
「う……ん。うん……。やじゃ、ない」
「本心だな、よし。次はたとえ話だ。たとえば俺が、シュウとラフタを同時に好きになったとしたら? 嫌か?」
泣きすぎてぼやけた頭のまま考えてみる。
もしノアが、シュウとラフタに二股をかけていたら。
「……やじゃない」
「シュウだからいいわけでない、と」
「うん……。それは、シュウでも、ノアでも、平気、かも」
ノアの質問は続く。
「ではシュウでも俺でもない、まったく別のやつが、誰かと誰かを同時に好きになったとして、当人たちもそれで揉めていたとしたら、それは嫌か?」
「……や、なんじゃ、ないかな。他人事、だけどさ。もめてる、なら、ダメじゃん。そもそも、二股、って、いけない、ことだし」
「シュウと俺は平気なのにか?」
第三者がやっていると嫌な気分になるが、シュウとノアなら平気。
「……そう、なる」
「ふむ……」
ノアはラフタとシュウを交互に見る。
置いてけぼりにされている最中のシュウは困惑したままノアに問いかける。
「さっきからなんの確認をしてるの? ぜんぜん話が見えてこないんだけど」
「まあ待て。もしかしたらラフタも……」
意味ありげに言ってから、ノアはシュウに体を寄せて、耳打ちをした。
テーブル越しでは聞き取れない声の気配をラフタは感じる。そのうちに、シュウの目がわずかに輝いた。
「えっ。ラフタがそんな」
「喜ぶな。まだ決まっていない」
シュウから離れたノアは着席して、また質問を再開する。
「待たせたな。ではシュウが、俺と、ラフタではない他のやつを、同時に好きになったら?」
「……」
「……少し質問を変えよう。シュウがラフタを好きじゃなくて、別のやつを好きになったら?」
冷静になってきた頭で考えてみる。
シュウが、自分ではない、別人と。
「いやだ!」
勝手に拒否の声が出ていた。
涙の量が増えていく。
「そんなの、いやだっ。シュウがっ、僕を、好きじゃない、なんてっ、やだー!」
「大丈夫! そんなのありえないから!!」
すぐにシュウは立ち、はす向かいにいるラフタの肩をさする。
「おれはずっとラフタが好きだよ」
「ううう〜〜〜!」
「……悪い。今のはいじわるな質問だった」
ノアは正面で泣いているラフタに手を伸ばして、ラフタの頭をなでる。
「どうしても確認したいことがあるんだ。頼むから、次の質問にも答えてくれ」
ぐすぐすと泣きながらも、ラフタは「うんっ」とうなずいた。
ノアはラフタをなでながら、幾分か優しくなった声で、質問をする。
「シュウが、俺とラフタを同時に好きになるのは平気。俺が、シュウとラフタを同時に好きになるのは平気。でもシュウが、俺と別のやつを同時に好きになるのは嫌。じゃあ俺が、シュウと別のやつを同時に好きになるのは――」
「やだ」
即答できた。
「つまり二股自体が平気、というわけではないんだな?」
「ん」
「俺達三人だけの関係だから、二股を歓迎していたと」
「ん」
「よし、わかった。最後の質問に入ろう」
一呼吸置いて、ノアは最後に言った。
「ラフタも……シュウと俺に、二股をかけているのか?」
「……あ」
驚きよりも、納得が先にいった。
いつからかはわからない。いつのまにかラフタは、シュウとノアを、同時に好きになっていた。
好きな者が、好きな者を、好きになって、愛し合っている。そんな事実を見せつけられて、嫌になるどころか、歓迎するに決まっている。
シュウがノアとラフタに二股をかけていることに歓迎していた理由を、ラフタは今、自覚したのだ。
一度でも自覚してしまうと、あとは真っ逆さま。血液が急速にめぐり、顔がかっかと熱くなる。
「うわ。うわあああ」
シュウとノアの手から逃れるように身を引き、顔をおおい隠し、椅子から転げ落ちた。
「ちょっと、大丈夫!?」
シュウの驚いた声が聞こえてきても、ラフタは構わず床にうずくまる。
二人が近づく音がした。丸くなった背中をさすっている手が心地よくて、よけいに苦しくなっていく。
――無意識だったとはいえ、二人まとめて好きになるなんて、僕はなんてひどいやつなんだ。
――シュウの気持ちがわかった。自分の最低さになぐりたくなる。
――ノアの気持ちもわかった。自分の不誠実さに怒りたくなる。
――僕、二人の間に入りたかったんだ。
――あのベッドの上で愛し合ってる二人の間に、僕がいないことが、ずっとずっと嫌だったんだ!
――自分がふしだらで、恥ずかしい!!
「僕、二人の間男になりたかったんだああ……!」
「まおとこ」
「いや、言葉選び!」
復唱したノアの声とツッコミを入れているシュウの声が、ラフタの羞恥をさらにかき立てた。
「恥ずかしすぎる……今すぐ消えてなくなりたい……」
ほてっていく体と涙をもてあましていると、背中をさすっていた大きな手がピタリと止まった。
数秒も経たないうちに手は、ラフタの首根っこをやわくつかむ。もう片方と思われる手が、ラフタの後頭部を押さえる。
異常を感じて、上げようとした頭が、動かない。
「あれ……?」
剥き出しにされたうなじに、熱い息がかかり――。
「がああ!!」
シュウの悲鳴が聞こえたと同時に、頭にかけられていた重みがなくなった。
ラフタは解放された頭をいきおいよく上げる。
うずくまっていたラフタの真横の床に、シュウとノアはいた。シュウはあお向けに倒されていて、ノアに上から押さえつけられていた。
シュウの右肩にはノアの左手が、シュウの腹にはノアの左ひざが、それぞれのしかかっている。シュウの口の中にはノアの右手の親指が突っこまれている。
「ラフタの首を噛み砕こうとしただろう。悪い子め」
ノアが低い声を出せば、シュウは驚きから一転して、泣きそうな表情に変わった。
ノアが退けば、シュウは起き上がり、ラフタに頭を下げる。
「ごめんなさい。食べようとしました」
羞恥で泣いているラフタの姿に愛おしさが爆発した結果、物理的な意味で食べようとしたらしい。ノアが止めなければ流血沙汰になっていた。
シュウに恐怖したが、それ以上の喜びがラフタにはあった。
ラフタの涙が止まる。ほおに残っていた涙は袖でぬぐった。
「本当に食べちゃいたいくらい、僕が好きなんだ」
「……はい」
素直なシュウの姿にときめいてしまう。先ほどまで感じていた羞恥と恐怖はどこかへ飛んでいった。
ひざ立ちでシュウの近くにすり寄り、シュウの手をにぎる。
「僕もシュウが好きだよ。愛おしくてたまんない。僕とも、おつきあいしてくれる?」
シュウはおそるおそる、上目遣いでラフタを見る。
「いいの? 食べようとしたんだよ」
「大丈夫だろ。ノアが止めてくれるから。な? ノア」
話をふられたノアは、やれやれといった様子を隠さない。
「シュウに惚れた者同士、面倒は見てやろう」
「へへっ、やった!」
あらためてラフタはシュウに向き合い、抱きついた。
抱きつかれたシュウは「わあっ」と軽く驚きながらも、ラフタをやわらかく受け止める。
「告白したよ。返事は?」
「あ……よ、よろこんで……」
ラフタはニコニコと笑った。
「やったー! これで僕たちも今日から恋人だな! これからよろしくな、シュウ!」
「よろしくおねがいします……?」
ノアが「なんで疑問形なんだ」と横からつっこめば、シュウは「こんなにあっさりでいいものかと」と戸惑いながらも答えた。
ラフタも答える。
「あっさりでいいんだよ。だって僕もずっと、シュウが大好きだったんだから」
そして、ラフタはシュウのくちびるにキスをした。
フリーズしているシュウをいたわるように、ちゅ、ちゅ、とリップ音を鳴らし、愛を贈っていく。
遅れてシュウもラフタのくちびるをついばめば、ラフタは「ふふ」と笑い、くちびるを離した。
足りなさそうなシュウのひたいに、キスをもう一回。
「シュウの分は、ここまで」
片ひざ立ちで様子を見ていたノアにも、ラフタは突撃していった。
「な!?」
思わぬ方向からラフタに抱きつかれたノアも、大声をあげて驚いた。尻もちをつくことは避けられたが、姿勢はくずれた。
ノアもラフタを受け止める。シュウほど優しくはなかったが、ラフタの背中に回された手は力強い。
「おい、何を……!」
「ノアは? 僕のこと、好き?」
「……好き、だが、恋だの愛だの、そういった感情はない」
「本当に?」
「本当だ」
そこまで言うからには、本当なのだろう。シュウの食欲からかばう程度の愛情はあるが、それ以上となると、また別の話になるらしい。
言外に告白を断られても、ラフタはあきらめない。
ノアも好きなのだから、丸ごと欲しい。
「じゃあ、これから口説いていくよ。それで僕を好きになってくれるのなら、文句はないでしょ?」
「…………ない」
たっぷり考えたあとの答えは、なんとも単純であった。
ラフタはそっとノアから身を離す。完全に離れる前に、ノアの手を取る。
「僕を守ってくれてありがとう。大好き。愛してる。でも愛してるだけじゃ足んない」
大人の手の甲に、キスを贈った。
骨をたどるように指先までくちびるをすべらせて、最後にリップ音を鳴らしてから手を離して、ぱっと顔をあげる。
ノアの目は大きく開いていて、褐色のほおに少しだけ赤みが差さっていた。
「いつか絶対に、シュウと同じくらいの愛を、僕ももらうよ」
形は違えど、恋しい者達からの愛を得て、自信をとりもどした今のラフタは無敵だ。シュウにもノアにも止められない。
二人はへたりと脱力した。
「とんでもないことをされた気分だ」
「おれも」
床と仲良しになっている二人を置いて、ラフタは立ち上がり、テーブルを見る。
「なあ。お菓子、食べないの? せっかく買ってきたのにさ! お茶も冷めちゃう!」
「ああうん。食べる。食べるからちょっと待って」
「床で食べるの? 家ん中だけど、ピクニックみたいで良いなあ!」
「お前……覚えておけよ……」
ラフタはハッとした。
「そうだ! 今日はシュウがノアと僕とつきあった日だもんな、覚えとかないと! なあなあ、記念に写真とろうよ! ……あれ!? 僕のモバディがない!?」
ノアが力なく「寝室。拾っておいた」と答えた。
「ああ! そうだった。廊下に落としてたんだっけ。寝室のどこ?」
「サイドチェストの上」
「ありがとー!!」
嵐が去っていった。
はげしかった雨音も、いつのまにかおさまっていた。
静かになった空間の中。未だに床に転がっているシュウは、同じく床にいるノアにそっと声をかける。
「ノア、落ちたでしょ」
「落ちてない」
三人が二股をかけ合う日は、そう遠くないのかもしれない。