「僕」と「ゆめ」の小さい日常の話
読んでてほっこりしてくれたら作者冥利に尽きる。
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目次
はじまり
九月某日。
今日から毎日、育児日記をつけることにした。
我が子のゆめは今、三歳だ。育児はまだ慣れないことがたくさんある。妻を喪ってはじめて、こどもを育てるのがどれだけ大変なことかを思い知った。
僕は学校を中退しているから、文章はあまりうまくない。そのとき見たもの、感じたことをありのまま書きあらわすには、きっと僕のもつ言葉では足りないだろう。
けれど、それでもかまわない。
僕は僕の思うように、ゆめを育て、日記をつけていこうと思う。
何より、ゆめと僕が過ごした日々を、目に見える形で残しておきたい。拙くてもいい。じゅうぶんだ。
これからさき、辛いことがあったとき、かならずこの日記が僕の支えとなってくれることだろう。
柿
「かき、かき」
僕の背に負われたゆめが、しきりと言う。僕の視界の端にはゆめが握りしめた柿飴の棒がちらついていて、僕はてっきりその飴のことを言っているのだと思って呑気に返事する。
「そうだねえ、美味しい柿の飴だね」
「ちがう、かき、かき」
「んん?」
ゆめのちいさい指がしめす方向を見ると、路傍に柿が落ちていた。はちきれんばかりに円く熟れた、おおきな柿だった。
見あげれば、重たそうに枝をしならせた柿の木が、民家の垣根からはみ出している。濃緑の葉に混じって、あざやかな柿が顔を覗かせていた。
「本当、柿が落ちてる。美味しそうだねえ」
「かき!かき!」
はしゃいだゆめが手足をふりまわす。今日のゆめはご機嫌だ。そこの駄菓子屋で、僕に飴を買ってもらったからだ。
通りすぎるときにも、つやつやと照る赤丹色が目をよろこばせる。ほほえんだまま通りこした。
兎に角も柿の色には、どこかほっこりする風情がある。去年たべた柿のしゃくりとした食感が蘇ってきて、思わず口許がゆるんだ。
飴をしゃぶるあいまに、ゆめはふんふんとしきりに歌をうたう。隣人のこどもが学校で習ってきた歌らしく、ゆめがまだしらないような言葉を使っているのがおかしい。
黄色がかった路をゆく僕の足音と、ゆめの調子のはずれた歌と、飴をしゃぶる音がする。
それにあわせて頭のなかで、しゃくしゃく、がしゅり、じゅわっと、柿を噛む音がする。
かたい皮、渋みのなかにひそむ甘み。あざやかに主張するあの朱色。
たまらなくなり、八百屋に寄って柿をひと袋買った。うちに戻って包丁をつかう。ゆめが足下にじゃれついてきて少しあぶなかった。
まだ青さも残っていてゆめはきらったが、僕はおいしくいただいた。白い皿に大ぶりな柿はよく映えた。
白猫
昼どきになって呼びに行ってもゆめが和室にいないと思ったら、縁側でごろりと寛いでいた。
庭に植わった棕櫚の木と白い秋明菊を背に、寝転がったままおはじきを弾いている。
「ゆめ、ご飯だよ」
声をかけるとぼんやりした顔で無視をする。癖のついた髪がそよそよとゆるやかな風にあそんだ。
見上げる秋空は蒼く、さわやかに深い。
「まったくもう」
近づいていって手を差し伸べると、触れる寸前で勢いよくからだを起こす。
僕をからかっているのだ。もうすました顔で
「ごはんなに?」
なんて訊いている。
「素麺だよ」
「またー?」
「文句言わないの」
今年も夏に買いすぎた素麺が秋まで残っている。
そろそろゆめの好きな薩摩藷をたべさせてやりたいけれど、夏の名残りが消え去るのはまだ少し先になりそうだ。
僕の後をなぞるようについてきていたゆめが、和室に入るなり僕を追いこして駆けだす。ほんとうに気ままだな、と思うと、愛しさにふっと笑みがこぼれた。
ゆめは、痩せた白猫のような子どもだと思う。
自由気ままで、歯も生え替わらない子どものくせに妙に典雅で、飽き性のわりに負けず嫌いで、いつもこちらが振りまわされる。
うまれる前には不安もあった。元来子どもはあまり好きではなかったから。けれど今ではもう、ゆめのいない生活は考えられない。
ゆめがうまれてから僕の世界はずっと、ゆめを中心にまわっている。それが親になることなのだと思う。
僕が居間にはいると、ゆめはもうきちんと自分の座布団に座っている。手を膝のうえにそろえて、ちょこんと鎮座する姿は人形のようだ。
思わぬ成長を見た気がして、嬉しいことがひとつ増えた。