血に濡れた君に、花束を
編集者:hosi_
『…私は、復讐をするために生まれてきたんだ』
『…ぜんぶ、…私が悪いのっ…私が弱かったせいで…』
『好きになってごめんね…?』
こんな私が恋をするまでの話。
🌹🌹🌹
皇后崎迅くん落ち。
原作アニメ沿い、時々オリジナル。
名前変えられません。
ただの自己満です。
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目次
プロローグ
皇后崎迅くん落ち。
原作アニメ沿い、時々オリジナル。
名前変えられません。
ただの自己満です。
私があまりにも不甲斐ないせいで、親友を亡くした。
でも、全部悪いのは桃太郎のせいだ。
アイツらのせいだ。
アイツらのせいで、親友は――。
今日も、親友の夢を見る。
一緒に桃太郎機関に攫われて、実験体にされる。
そんな夢。
しかも、最後に助かるのは私だけ。
親友を置いて、私だけが生き残る。
そんな、最悪の夢。
夢なら、私も一緒に死にたかった。
『……今日も最悪な夢、見ちゃったなぁ……』
重たい身体を起こして、時計を見る。
時刻は、まだ八時。
どうやら、遅刻はせずに済みそうだ。
『ははっ……ひどい顔』
洗面所の鏡に映った自分を見て、思わず苦笑する。
『初登校なのに……なんて顔してんだ、私……』
目は赤く腫れていて、頬には涙の跡が残っている。
自分でも、ちょっとダサいと思う。
顔を洗って、朝ご飯を食べて、制服に着替える。
一通りの支度を終えて、玄関へ向かった。
靴を履き、鞄を手に取る。
そして、扉を開ける。
『よし。行ってきます』
今日から始まる、新しい日常。
桃太郎に奪われたものは、まだたくさんある。
それでも――。
新しい仲間に会える。
そんなことを楽しみにしながら、私は寮の扉を開けた。
---
設定
名前:糸哭 蘭(いとなき らん)
所属:羅刹学園
性格:優しい・元気・天然鈍感・恋愛には奥手
血蝕解放:血糸牢(ラブウェブ)
能力:血の糸による拘束/大量の武器生成
弱点:血糸牢は使用するほど体力を消耗
昔、親友と一緒に桃太郎機関に攫われて実験体にされた過去がある。
チャプター1
楽しみにしながら足を踏み出した――のはいいが。
早速、迷子になってしまった。
子供の頃からここにいるのに、未だに慣れる気がしない。
……どうやら私は、方向音痴らしい。
『……うぅ、無陀野さんに怒られちゃうよぉ……』
自分の勘を信じて、廊下とは言えないような廊下をひたすら突き進む。
そして――。
なんとか、辿り着いた。
『……確か、ここだったはず……』
恐る恐る教室の扉に手をかける。
ガラリ。
扉を開けた瞬間、教室にいた全員の視線が私に集まった。
……もう、全員揃っているみたい。
視線が集まるのが、少し怖い。
こんなにも怖いなんて、初めて知った。
『お、おはようございます……無陀野さん……』
「……蘭」
『……は、はい』
まずい。
絶対、怒られる。
これは絶対である。
「お前、ここに何年いると思ってる。迷子になるな」
『……』
正論をぶつけられたー。
わかってる。わかってるよぉ……。
『すみません……気をつけます……』
初っ端から、みんなの前で怒られた。
……印象、悪いよね。
仲良くしてくれる人、いるかなぁ……。
チャプター2
私が席に着くと、無陀野さんが話し始めた。
どうやら、これから鬼ごっこをするらしい。
ここにいるみんな鬼なのに、鬼ごっこって……なんだかちょっと笑える。
真剣な話だから、笑っちゃいけないんだけど。
そう思えば思うほど、なぜだか笑いたくなってしまう。
『……ふふっ』
危ない。
なんとか笑いを堪えて、無陀野さんの話に耳を傾ける。
「ここは島の南にある神羅の森。学校まで直線で12km弱だ。1時間以内に俺に捕まらず学校に戻れ。今から俺は敵だ」
「普通だな」
「1つルールがある」
そう言って無陀野さんが取り出したのは、二つのボールだった。
そのまま森へ向かって投げる。
そして、あのボールを持ってゴールしなければならないことが告げられた。
組み分けはこうだった。
一組目は、一ノ瀬くん、屏風ヶ浦さん、そして皇后崎くん。
二組目は、矢颪くん、遊摺部くん、そして私。
三組目は、手術岾くんと漣さん。
『私は……二組目か』
一組目が出発して、私たちの番までしばらく待つことになった。
一ノ瀬くん、屏風ヶ浦さん、皇后崎くんが森へ入っていく。
少しして、無陀野さんも後を追うように森へと入っていった。
それにしても――。
皇后崎くん、ちょっとかっこよかったなぁ……。
なんて、ぼんやり思ったりもした。
……いや、何を考えてるんだろう、私。
誰も一言も話さないせいで、少し気まずい空気が流れている。
かといって、私は自分から話しかけられるほど陽気な性格でもない。
どうしよう。
そんなことを考えていた、その時だった。
『あ……』
地震が起きた時のような、激しい地響きが森の中から響いてきた。
何が起きているのか分からない。
そう思っていると、今度は凄まじい風圧がこちらまで押し寄せてきた。
木々が大きく揺れる。
そして――天候が変わった。
雨だ。
『……雨』
濡れるから、雨は嫌いだ。
そんなことを考えていると、先ほど森へ入っていった人たちが戻ってきた。
……一人を除いて。
屏風ヶ浦さんが、いない。
もしかして――。
屏風ヶ浦さんが退学者なのだろうか。
そんな疑問が頭をよぎった。
けれど、答えを聞くより先に、無陀野さんが口を開いた。
「中止だ。今から京都に向かう」
『え……?』
あまりにも突然の言葉に、私たちは一斉に驚いた。
中止?
合格、不合格はどうなるのだろう。
そもそも、どうして急に京都へ――。
次々と疑問が浮かんでくる。
けれど、京都が大変な状況になっているのだと聞かされて、そんなことを考えている場合ではないのだと理解した。
鬼ごっこの結果なんて、どうでもよかった。
今はただ――。
京都で何が起きているのか。
それだけが気になった。
チャプター3
そして、私たちは船に乗っている。
船酔いをし始めた手術岾くん。
角を消せたことを嬉しそうにしている一ノ瀬くん。
船の上の方にいる、皇后崎くん。
みんな、それぞれ違うことを考えているみたいだ。
そして私は――。
やっぱり、皇后崎くんのことが気になる。
……かもしれない。
『いやいや、気になるとか……なに……』
自分で考えておいて、なんだか恥ずかしくなってくる。
そんなことを考えていると、
「……蘭。ちょっとこっち来い」
無陀野さんに呼ばれた。
『……どうしたんですか?』
近くまで行くと、無陀野さんは少しだけ声を落とした。
「お前を昔、攫った桃がいるかもしれない」
『……え』
攫った。
私を――。
『……そうですか』
胸の奥が、ズキリと痛んだ。
『教えてくれて、ありがとうございます』
平静を装って返事をする。
けれど。
抑えられない。
身体の奥から、どす黒いものが溢れてくる。
殺気。
どうにか抑えようとするけれど、上手くいかない。
ふと視線を向けると、手術岾くんが怯えたような顔をしていた。
……怖がらせちゃった。
「いるとは限らない。殺気を抑えろ」
『……はい』
分かっている。
いるとは限らない。
それでも――。
今すぐにでも、倒したい。
親友を奪った、あの桃を。
けれど。
どうやって倒す?
そもそも、私は前線に出られるのか。
勝てるのか。
また誰かを守れなかったら?
また、誰かを失ったら?
次々と疑問が浮かんでは消えていく。
『……私には、難しい……』
私は、強くない。
血糸牢だって、使い続ければ体力を奪われる。
武器を出すことはできても、それだけで戦場を生き抜けるわけじゃない。
もし私が足手まといになったら。
もし、また守れなかったら。
――それが、怖い。
分かっている。
これが、今の私の現実だ。
チャプター4
船や電車を乗り継ぎ、私たちが辿り着いたのは清水寺五条。
観光名所が近いからなのか、人が多い。
見慣れない景色に、思わず周囲を見回してしまう。
「ここに鬼のアジトがあんのか?」
「この辺は確か、清水寺がある場所ですね」
「そうだ。これから清水寺の『地下』へ行く」
『地下……?』
無陀野さんに連れてこられたのは、『お食事処 水元』という一軒のご飯屋さんだった。
どう見ても、ただの飲食店。
まさかここが鬼機関の入り口だなんて、誰が思うだろう。
けれど、下の階へ進んでいくと――。
そこには、地下へと続く通路があった。
『わぁ……』
広い。
まるで大きなトンネルのような空間が、地下深くへと続いている。
生徒たちも、目を見開いている。
そして、その先にある扉を開くと――。
『……え』
そこには、屋敷のような広い空間が広がっていた。
「ここが、鬼機関の京都支部だ」
『すごい……』
思わず感嘆の声が漏れる。
みんなが辺りを見回していると、どこからか騒がしい声が聞こえてきた。
「先生! こっちお願いします!」
「その後こっちもお願いします!」
慌ただしい女性たちの声。
どうやら、かなりの非常事態らしい。
そんな中。
「はいはい。カリカリせず、悠々といこうよ」
……場の空気に似つかわしくない、呑気な声が聞こえてきた。
扉から姿を現したのは、一人の男性だった。
「……あれ?」
「あれ?! ダノッチじゃん!」
男性は無陀野さんを見るなり、ぱっと表情を明るくした。
「……蘭ちゃんも来てくれたんだ? 僕のこと覚えてる〜?」
『えっ……』
突然話しかけられて驚いた私は、思わず無陀野さんの背中にそっと隠れる。
「うわー、へこ……」
一瞬、花魁坂さんの表情が曇る。
けれど次の瞬間。
「……まなぁい!」
『……?』
一人でギャグのように話し続ける花魁坂さん。
どう反応したらいいのか分からず、私はただ無陀野さんの背中から顔を覗かせる。
「こいつは花魁坂京夜。鬼機関京都支部、援護部隊総隊長だ」
「ダノッチとは羅刹学園の同期なのよ!」
どうやら二人は学生時代からの友人らしい。
……正反対な二人だけど、昔から仲が良かったんだ。
なんだか不思議な感じがする。
「無駄話はいい。俺はこれから前線へ出る」
無陀野さんがそう言うと、空気が一気に引き締まった。
やっぱり――。
私たち生徒は、前線には出してくれないらしい。
「そのワンパクども、自由に使ってくれ。じゃあな」
そう言い残すと、無陀野さんはローラースケートを滑らせ、そのまま走り去っていった。
『……行っちゃった』
私たちは、その背中を見送った。
チャプター5
花魁坂さんは、私たちを患者が寝ている部屋へ案内する。
この人のこと、知ってる……。
子供の頃、この能力で怪我を治してくれたことがある。
そうか。この人だったんだ。
「よっしゃあ、なんでもするぜ! ジャンジャン指示くれ!」
花魁坂さんは、一ノ瀬くんに別の指示を出した。
芽衣ちゃんという子のケアをするという頼みだ。
確かに。一ノ瀬くんには、ああいう仕事がぴったりかもしれない。
芽衣ちゃんを見ていると、昔の自分を思い出す。
――私みたいにならないでほしい。
そう、思った。
チャプター6
一ノ瀬くん以外の私たちは、怪我をしている鬼たちの容態を見ることになった。
たくさんの鬼たちが、担架に乗せられて運び込まれてくる。
見回りをしていた援護部隊が、大量の死体を回収したらしい。
その数は、ざっと30人だという。
運び込まれてきた鬼たちを見た芽衣ちゃんが、突然叫びながら駆け寄っていく。
「パパ! ママ!」
『!』
「芽衣ちゃんのご両親だったのか……」
「うああぁぁぁぁ……!」
「パパァ……! ママァ……!」
『……』
辛いよね。
分かるよ、芽衣ちゃん……。
その気持ち。
大切な人を失う気持ち……。
「ほかのご遺体から運ぼう……四季くんも手伝ってくれないかな? それと、抵抗あるかもだけど……蘭ちゃんは芽衣ちゃんの傍にいてあげて」
『……私……?』
一瞬、胸が詰まる。
けれど、すぐに頷いた。
『……分かりました』
両親が眠る布団の横で、芽衣ちゃんが俯きながら座っている。
私はその様子を、黙って見つめていた。
「もう運ばれたかな? 確かめてみよう」
そのときだった。
芽衣ちゃんの父親の指が、ピクリと動く。
『……え?』
次の瞬間、父親が起き上がり、芽衣ちゃんの首を両手で絞めた。
「ぱ……ぱぱ……」
「おい、生きてたのか!?」
「つーか、あんた娘に何して……!」
一ノ瀬くんが父親の肩に触れる。
けれど、ビクともしない。
一体、なにがどうなってるの……?
もしかして……桃の能力……!?
「蘭ちゃん、芽衣ちゃんに目隠し頼むよ」
『……! はい……!』
「芽衣ちゃん、ごめんね」
花魁坂さんは二本のメスを取り出し、父親の頭に突き刺す。
父親の手が、芽衣ちゃんの首から離れた。
「ゴホッ……ゴホ……」
「京都の桃太郎、唾切は死体を操る能力がある……。止めるには脳を破壊するしかない。首をはねるだけじゃだめなんだ」
一ノ瀬くんが、倒れる父親を支える。
芽衣ちゃんは私の服を掴み、涙を浮かべながら父親を見ている。
「顔を綺麗なままにするには、これしかなかった……ごめんね、芽衣ちゃん……」
「唾切ってやつ、クソ野郎すぎるだろ……!」
『……花魁坂さん』
私は、周囲を見回す。
『ここって……30人くらい……』
その瞬間。
「みんな! 運ばれた死体は……!」
母親の死体が、私の首に両腕を回した。
『……っ!』
首が、締まる。
「ママァ……」
『芽衣ちゃん……ダメ……危ない……!』
廊下でも、ほかの鬼の死体が次々と起き上がり始める。
障子を破り、看護師たちを追いかけていく。
桃宮唾切。
昔、私を攫ったかもしれない桃。
顔を見れば、きっと分かる。
もし、あのときの桃なら――。
絶対に、許さない。
チャプター7
芽衣ちゃんが、私に近づいて抱きつく。
『芽衣ちゃん……近づいちゃだめ……!』
「クッソ……! 力強ぇな……!」
「蘭ちゃん、今助け……」
「うお!」
花魁坂さんが私を助けに来ようとするが、操られたほかの鬼たちが襲いかかる。
「モテモテかよ……くそ……!」
一ノ瀬くんがポケットから、無陀野さんに渡された銃を取り出す。
「芽衣、悪い……少しだけ目を瞑っててくれ……。糸哭、絶対動くなよ……」
『……うん、分かった……』
私は芽衣ちゃんを抱きしめ、自分の身体で隠す。
一ノ瀬くんが、私の首を絞めている母親の頭を銃で撃ち抜いた。
『……一ノ瀬くん、ありが……とう……』
「おう……」
『花魁坂さんを、お願い……』
一ノ瀬くんは静かに頷くと、花魁坂さんの元へ向かい、馬乗りになっている鬼の死体の頭を撃ち抜いた。
「ありがとう……。援護部隊は戦闘はからっきしなんだ。
患者を安全なところに避難させたいから、仲間の死体の対処をお願いできるかな?」
「……蘭ちゃんも申し訳ないんだけど、芽衣ちゃんは俺に任せて、四季くんと一緒に対処をお願いしたい」
『……了解です』
私は、自分に抱きついている芽衣ちゃんを花魁坂さんに任せ、一ノ瀬くんと共に対処へ向かう。
「援護部隊! 早急に患者の避難と二次被害の回避に努めろ!」
死体を、もう一度殺すなんて……最低すぎる。
嫌だけど。
助かるには、これしか方法はない。
チャプター8
操られている人が多すぎる。
私は武器を次々と生成し、どんどん倒していく。
血糸牢は、使わない。
桃に使いたいから。
それに、使い続ければ体力もなくなっちゃうしね。
そして――。
操られていた鬼の死体を、すべて倒し終えた。
「患者たちは別の広間に移せたよ。君たちがいてくれて、マジで助かったよ」
「! 芽衣ちゃん……まだ入っちゃ……」
花魁坂さんの横を通り過ぎ、芽衣ちゃんは両親の元へ近づいていった。
「芽衣……ごめん、俺がお前の……」
「いいよ……。
ずっと学校も行かないで……隠れて生きてきたんだもん。
隠れて、逃げて、転々としながら生きてきたから、なんとなく思ってた……。
いつか、こーいう日が来ると思ってた。
だから……気にしなくていいよ」
芽衣ちゃんは、笑いながらそう言った。
子供が、そんなことを言うなんて……。
この世界は、残酷すぎる。
だから、私が変えてあげたい。
もう二度と、私みたいな子が生まれないように。
一ノ瀬くんは芽衣ちゃんを抱きしめて言う。
「大丈夫だ……!
俺が! この先、笑って暮らせる世界にしてやる!」
『……!』
「だから大丈夫だ……!」
嗚呼。
一ノ瀬くんは、眩しいなぁ。
私とは、大違いだ。
「仲間たちの遺体の処理してやらないとな」
「四季くんは芽衣ちゃんを頼むよ」
「皇后崎くん、蘭ちゃん。遺体を運ぶ場所案内するから、一緒に行こう」
……蘭ちゃん?
『……あ、は、はい……!』
私は芽衣ちゃんと一ノ瀬くんを、じっと見つめていた。
花魁坂さんが声をかけていたことにも気づかないほど、一ノ瀬くんの言葉に心を奪われていた。
……眩しい。
私には、あんなふうに言えない。
再び声をかけられて、ようやく気づく。
私は浮かない顔のまま、小さく頷いた。
「他の人は遺体を一か所に集めておいてちょうだい」
花魁坂さんに付いて行った私と皇后崎くん。
先ほど私たちが通ってきた通路を歩いていた。
「君らが通った通路の途中に火葬場があるのよ。
つーか彼女とかいんの?」
何気なく皇后崎くんに話しかける花魁坂さん。
危機感ないなぁ。
……私が言えたことじゃないけど。
だって――。
私も、皇后崎くんと一緒でちょっと嬉しいと思ってしまったから。
「……」
「無視かぁー」
正直、皇后崎くんに彼女がいるのかどうか、気になる。
けれど。
今は、そんなことを気にしている暇はない。
チャプター9
「まぁ、場所とかやり方は今言った感じかな」
やり方を説明された。
「じゃあ、戻って遺体運びますかー」
『……花魁坂さん……!!』
その瞬間。
異様な気配がした。
振り向くと、桃が花魁坂さんの腹部をナイフで刺していた。
「!?」
「あー、こっち向くからズレたじゃん」
その顔を、しっかりと見た。
……こいつだ。
忘れるわけがない。
この顔。
ずっと恨んでいた。
親友を奪われてから、ずっと。
『……血蝕解放』
血糸牢――。
桃宮唾切の姿を捉えた私と皇后崎くんは、同時に血蝕解放する。
向かって走り出した私と皇后崎くん。
その瞬間、背後にもう一人の桃が現れ、皇后崎くんの頭を細菌の箱で閉じ込めようとする。
『皇后崎くん……!!』
一瞬、皇后崎くんの方へ視線を向ける。
けれど――。
私はそのまま、桃宮唾切の元へ向かって走った。
血の糸を伸ばし、拘束を試みる。
ここで逃がすわけには、いかない。
絶対に。
ここで殺す。
この、桃宮唾切とかいう男。
意外にも、手強い。
その時だった。
ナイフが投げられる。
前のめりになっていた私は、避けることができない。
ナイフが、目の前まで迫っていた。
チャプター10
目の前まで迫ったナイフを、私はギリギリで避ける。
そして、皇后崎くんと花魁坂さんのところまで下がった。
「皇后崎くん、蘭ちゃん……」
「心配いらねぇよ! 少ししたら治る!」
『私も問題ないよ』
「皇后崎くん……蘭ちゃん……隊員や四季くんたちに、唾切が来たと伝えてきてくれない?
患者を含め、全員逃げるように先導してちょうだいな」
「……あんたは……?」
「……まぁ、なんとかなるっしょ」
白衣に滲む血が見える。
戦闘員じゃない花魁坂さんが、唾切を相手にしている。
……本当に、なんとかなるの?
また、仲間を失うの?
また、桃宮唾切に奪われるの?
そんなの――。
『……無理だよ。そんなことできない』
「蘭ちゃん……大丈夫。なんとかなるって。
だから……皇后崎くんと一緒に、みんなのところに行ってちょうだいな」
『でも……!』
「皇后崎くん……!」
「"頼んだよ"」
「……! あぁ……応援も呼んでくる。行くぞ」
『つ……! ま、皇后崎くん……!』
皇后崎くんは、花魁坂さんを置いていくことを躊躇う私の手を引き、その場から離れていく。
『……花魁坂さん……』
振り返る。
そこには、唾切と向かい合う花魁坂さんの姿があった。
私は、何もできない。
ただ――。
花魁坂さんの無事を、祈ることしかできなかった。
チャプター11
もう一人の桃の能力によって、京都支部は出入りが不可能な孤立状態となってしまった――。
皇后崎くんと私は、京都支部本部まで走っていた。
「はぁ……はぁ……」
『……』
「大丈夫だ。なんとかなるって……」
『……そう、だね……』
花魁坂さんなら、大丈夫。
そう信じたい。
「おい! 着いたぞ!」
皇后崎くんと私は、京都支部本部に到着すると、急いで靴を脱ぎ、部屋へ駆け込んだ。
「おい! ここに桃太郎が……」
「……!?」
人の気配が少ない。
中は至る所に血が飛び散り、悲惨な状態になっていた。
「おい」
折れた腕を押さえている皇后崎くんと廊下を少し歩いていると、声をかけられる。
声のした方へ顔を向けると、そこには敵を警戒し、戦闘態勢になっている一ノ瀬くんたちがいた。
「なんだ、お前らかよ」
「これだけか? どーゆうことだ?」
一ノ瀬くんの説明はこうだ。
遊摺部くんの索敵によって桃太郎が来ていることを察知し、一ノ瀬くんたちは急いで患者を地上へ避難させた。
けれど、突然黒い靄に道を塞がれてしまったらしい。
遊摺部くん、そういう能力なんだ。
すごいなぁ……。
みんな、個性があって羨ましい。
「幸い、患者は全員逃げられたけど、俺らと何人かの隊員は逃げ遅れちまった」
「芽衣もな」
「遊摺部は?」
「あいつは立ってた場所がよかったから、地上に逃げられたよ」
『芽衣ちゃん』
私は芽衣ちゃんに近づき、声をかける。
『怪我してない?』
「うん」
『よかった』
「手分けして、出られる所を探すしか……」
「ないよ」
「さっき外に繋がるところは全部見たけど、黒い奴で塞がれてる」
「逃げ場はないよ」
「なぁ、チャラ先どーした?」
「あいつは……!」
皇后崎くんが言いかけた、その時。
鋭い爪が、扉を突き破った。
「……!」
次の瞬間。
扉の向こうから、異様な姿をした生き物が姿を現した。
「なんだ、あれ……?」
「気味わりぃ!」
「な……なんだ、こいつ……」
『みんな、離れて……!』
その場にいた全員が戸惑う中、私は突然現れた生き物を瞬時に敵と判断した。
芽衣ちゃんを後ろへ下げる。
そして――。
『血蝕解放』
血糸牢を発動させ、生き物へ向かって走り出した。
チャプター12
声を発した。
だけど間に合わなかった。
近くにいた隊員は上半身を食いちぎられた。
私も走り出していたが、あまりに驚くべき光景に立ち止まってしまう。
立ち尽くしてしまっていたのは、一ノ瀬くんたちも同様だった。
「うあぁぁあ!」
隊員が食いちぎられる光景を見た他の隊員たちは恐怖のあまり逃げ出してしまう。
「くそ!バラけちまったぞ!」
「俺らもいったんバラけるぞ!固まってたら一網打尽にされる!」
その間に一ノ瀬くんたちは走り出し、他の所へ散らばって行く。
全員が散らばったのを確認。
再び戦闘態勢に入る。
それと同時に生き物が猛スピードで接近し、拳を振るう。
それをサラリと躱すと、血糸牢で拘束した。
どうやら、しっかり拘束できたようだ。
そこから、武器をたくさん出し、滅多刺しにした。
ピクリとも動かなくなった生き物を数秒の間見下ろし、移動する。
倒した私は走り出した。
チャプター13
『はぁ…はぁ…』
私は至る所にいる生き物を倒しながら京都支部の中を走り回っていた。
みんな、いない…。
どこにいるの…?
桃太郎も花魁坂さんも……皇后崎くんも…
「あんたがこの通路に行くのが見えたっす
あのチャラい鬼の死体見に来たんすか?」
「死体?」
「唾切先輩が殺したっす」
『…殺したの?』
「お前…」
「あんたこいつと一緒にいたやつすか」
アジト内を探し回っても見つからない花魁坂さんを探しに地下通路まで来た私は偶然にも皇后崎くんともう一人の桃、名前はどうやら桃草蓬というらしい。
遭遇してしまった。
花魁坂さんは死んだの……?
ほんとに?また、私は守れなかった…
「怒ってんすか?鬼の分際で仲間意識とかキモイっすね」
「仲間意識とかねぇよ、俺は俺の目標以外興味無い」
「ふーん…その割には」
「殺気凄いっすよ?」
「桃太郎が目の前にいるからだろ!全員ぶっ殺す!」
「は!自分も全員ブッコロっすよ!」
私は血蝕解放をして皇后崎くんの隣に並ぶ。
「…邪魔すんじゃねぇ。お前は来んな」
『…私も桃を倒したい、それだけ。』
「…そーかよ」
皇后崎くんは私との話が終わると蓬に向かって斬撃をくり出す。
しかし、手ごたえに違和感を覚えた皇后崎くん。
「残念すけど」
「そんなんじゃ斬れねぇっすよ」
蓬の能力で作り出した扉から出てくる。
「上等…」
「!」
蓬は気配を感じ取り後ろを振り向く。
私は、ナイフの刃先を下にして持ち、蓬に突き刺す。
蓬は再び扉を造り出し防ぐ。
私はナイフを蓬の頭に向かって下から突き上げる。
蓬は危機一髪避けるが、頬から血が垂れていた。
「チッ!」
『避けるだけじゃお前に私は倒せないよ?』
「やってやるっすよ!」
チャプター14
蓬は地面に手をつく。
すると――。
地面から、無数の箱が次々と出現した。
『……!』
蓬の近くにいた私は、すぐさま地面を蹴って後方へ飛び退く。
皇后崎くんも、その場から後ろへ下がった。
けれど――。
バタンッ。
「……!」
皇后崎くんの背後に突然、箱が現れた。
逃げる間もなく、その中へ閉じ込められてしまう。
『皇后崎くん……!!!』
「はい、これでもう私の許可がないと出られないっす。一丁上がりっすね」
『……!』
皇后崎くんが、閉じ込められた。
なら……。
私が、こいつを倒すしかない。
そう思った瞬間。
蓬が、ゆっくりと指を動かした。
すると、皇后崎くんを閉じ込めている箱が、徐々に狭まり始める。
「こっからが面白いっすよ」
蓬が楽しそうに笑う。
「体って結構小さくなるんすよ。圧死するまで、体感してってくださいよ」
『……っ』
どうする。
どうすればいい?
敵の能力が分からない以上、下手に手を出せば、皇后崎くんまで巻き込んでしまう可能性がある。
けれど、このまま何もしなければ――。
「ブチ破ってやるよ!」
皇后崎くんが箱の中から叫ぶ。
「無理っすよ」
蓬は余裕の表情を崩さない。
「鬼の血って、結構な集中力と精神力が必要っすよね?」
「その状態で血を出すのは無理っすよ」
箱が、さらに狭くなる。
「閉所って、自然と脳が拒否するんすよ。狭くなるなら、なおさらっす」
蓬の言葉が、淡々と響く。
「頼りの血も使えず、圧死確定っすね」
箱が、また少し縮む。
『……』
どうしよう。
何かしなきゃ。
私は、自分に蓬の注意が向いていない今、どうにか行動を起こそうと考えていた。
けれど――。
「昔を想い出すぜ……」
「ん?」
次の瞬間。
――ガキンッ!
刃が何かに叩きつけられるような音が響いた。
「昔、廃墟ビルのダクトで寝泊まりしてた時がある」
皇后崎くんの声。
「汚いし、悪臭も酷かった」
――ガキンッ!
「……あそこに比べりゃ、今のはまぁまぁいい物件だったぜ」
「……!」
蓬の表情が変わる。
「ガキが……」
次の瞬間――。
バキッ!
箱が、内側から砕け散った。
皇后崎くんが、瓦礫の中から姿を現す。
私は、思わず息を呑んだ。
『……』
すごい。
あんな状況でも、自分の力で抜け出した。
怖くないのかな。
苦しくないのかな。
それでも、前に進めるんだ。
私は皇后崎くんの背中を見つめる。
……かっこいい。
私も――。
あんなふうになりたい。
チャプター15
私と皇后崎くんが蓬と戦っていた、その時だった。
――ヒュッ。
黒い物体が、こちらへ飛んでくる。
「「『!?』」」
私たちは咄嗟に身を引いた。
「こんな雑魚で俺を殺せると思ってんのか?」
「舐めすぎだろ! イラつくぜ!」
「発散させろよ! この怒りをよぉ!」
生き物を倒し、こちらへ向かってきたのは――。
「矢颪……!」
矢颪碇だった。
「引っ込んでろ」
皇后崎くんが、冷たく言い放つ。
「あぁ!? 命令すんじゃねーよ!」
矢颪くんは苛立ったように声を荒らげる。
「イラついてんだこっちは! 俺があの桃太郎を……桃……」
そこで、矢颪くんの視線が蓬へ向く。
胸元が大きく開いた服に、短いスカート。
「……!」
みるみるうちに、矢颪くんの頬が赤くなる。
そして――。
「なんだその恰好! 無闇に露出しやがって!」
「別にいいっしょ」
「TPO考えろ! 馬鹿が!」
「肌なんか出しやがって! イライラする……!」
……。
矢颪くんって、意外とピュアなんだ。
ちょっと、いじりがいありそう。
そんなことを考えていると、矢颪くんは自分の指を噛み切った。
血が滲む。
そのまま拳を握りしめると、血液が勢いよく溢れ出した。
「今日の怒りは何を生む?」
「まとめてやってやるっす!」
蓬が地面に手をつく。
すると、細菌によって作り出された大小様々な部屋が、次々と地面から現れた。
そのまま、矢颪くんへ向かって迫っていく。
「おせぇ」
矢颪くんは迫り来る部屋を足場にして、次々と飛び移っていく。
そして――。
一気に蓬との距離を詰めた。
「!!」
しゃがみ込んでいた蓬の顎へ、矢颪くんの蹴りが叩き込まれる。
「ぐっ……!」
蓬はその勢いに押され、後方へと飛び退いた。
「ちっ……今回のは〝ハズレ〟だ」
「怒りの質がわりーな」
『……』
ハズレ……?
ということは――。
怒りの質によって、生み出されるものが変わる能力なのかな……?
今度、本人に聞いてみよう。
「今日はブーツか」
矢颪くんが、何かを確認するように呟いた。
その瞬間だった。
――ズズ……。
「……?」
微かな音が響く。
私と皇后崎くんは、同時に顔を上げた。
そして――。
地面が、大きく揺れた。
「「『!?』」」
突然の激しい揺れに、その場にいた全員が驚く。
「おい! なんだ、揺れてんぞ!?」
矢颪くんが叫ぶ。
「勝手に揺れてんじゃねー!」
『……地震……?』
足元が、さらに大きく揺れる。
何が起きているの……?
この京都支部で、一体何が――。
チャプター16
地下通路の天井に、大きな亀裂が走った。
――ピシッ。
「……!」
次の瞬間。
ゴゴゴゴゴ……。
地面を揺らすような轟音が響き、天井が崩れ始める。
「おい! 崩壊しそうだぞ!?」
矢颪くんが叫ぶ。
すると今度は――。
――ドドドドド……。
別の方向から、地鳴りのような音が響いてきた。
「次は何だと、こんちきしょう!」
「ちっ……」
皇后崎くんが舌打ちする。
暗闇の先から、複数の人影がこちらへ近づいてくる。
そして――。
「もう逃がさないぞ」
聞き慣れた声。
『無陀野さん……!』
「ムダ先!」
「来たか」
私が思わず声を漏らしたけれど、矢颪くんと皇后崎くんの声にかき消され、誰にも届かなかった。
「今いいところだったんだよ! 邪魔すんじゃねーよ!」
『ちょっと矢颪くん、黙ろうか……』
私は矢颪くんの肩を、とんっと叩く。
すると――。
「触んじゃねぇ!」
矢颪くんが、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「うるせえ」
皇后崎くんが、私に向かって叫ぶ矢颪くんを一喝する。
そのまま蓬へ視線を向けた。
蓬は地面に手をつく。
すると、細菌によって生み出された巨大な箱が現れた。
地下通路の天井に届くほどの大きさだ。
それが私たちと蓬の間を塞ぐ。
「逃げる? 何言ってんすか?」
蓬は笑った。
「目の前に、こんだけ鬼がいるんすよ?」
そして――。
「逃げるわけねぇっすよ」
蓬は白いジャケットを脱ぎ捨てる。
「私は桃太郎」
その声からは、先ほどまでの軽薄さが消えていた。
「鬼を殲滅させる存在」
蓬は、真っ直ぐに私たちを睨みつける。
「全員ここで殺してやるよ!」
咥えていた飴を、バキッと噛み砕く。
その表情は、完全に戦う者の顔だった。
――そして。
「無陀野さん……どーします、これ……?」
「……」
無陀野さんは、目の前を見つめた。
「閉じこもっちゃってますよ」
蓬は、自分が入れるだけの空間を箱の中に作り出し、その中へ閉じこもっていた。
「もう壁を塞ぐ力も残ってない。放っておこう」
「いいんすか!?」
「崩壊も近い。優先すべきは内部の救助だ」
「……了解」
私たちは無陀野さんたちと共に、地下通路の奥へ向かって走り出した。
瓦礫が落ちる音。
遠くから響く轟音。
崩壊が、すぐそこまで迫っている。
そんな中――。
私は、ずっと気になっていたことを無陀野さんに尋ねた。
『無陀野さん……』
「なんだ」
『ここに来る途中で……花魁坂さん、見なかったですか……?』
一瞬だけ、無陀野さんがこちらを見る。
「いや、見てないな」
『……そう、ですか』
皇后崎くんと顔を見合わせる。
互いに、状況が理解できていない。
花魁坂さんは、死んだんじゃないのか。
でも、無陀野さんは見ていないと言った。
じゃあ――。
『……一体、どういうこと……?』
胸の奥に、わずかな希望と、拭えない不安が入り混じった。
チャプター17
京都支部の内部へ到着する。
そして――。
そこに広がっていた光景に、私たちは一斉に目を見開いた。
「これでバッチリ!」
「お前……!」
『……!』
「うぃっす」
そこにいたのは――。
「生きてたのか?」
気を失って倒れている一ノ瀬くんの隣で、しゃがみ込んでいる花魁坂さんだった。
「頸動脈斬られて死にかけたよ」
花魁坂さんは、いつもの調子で笑う。
「まあ、天井から落ちてきた血を飲んで復活したって感じ」
「ぶっちゃけ、復活できたのはラッキーだったのよ」
「こっそりこっち来て、治療してたわけ」
そして、倒れている一ノ瀬くんへ視線を向ける。
「他の子は避難準備してるよ」
『……』
生きてた。
花魁坂さん、生きてたんだ。
『……よかった……』
胸の奥から、張り詰めていたものが一気に抜けていく。
本当に……。
よかった。
「蘭ちゃん」
『……』
呼ばれて、顔を上げる。
「怪我してない?」
『……大丈夫です』
「……ごめんね。心配かけちゃったよね」
『……』
私は花魁坂さんから顔を逸らす。
『……生きてるなら……』
声が震えそうになる。
『もう、なんでもいいです……』
これ以上、顔を見ていたら。
泣いてしまいそうだった。
私は花魁坂さんに背を向ける。
涙を見られたくなかった。
その時――。
ふと、視界の端に別の姿が映った。
『……』
そこには、重傷を負った桃宮唾切がいた。
あれだけ探し続けた。
親友を奪った、あの男。
ずっと憎んでいた。
なのに今は――。
もう、立ち上がることすらできないほど傷ついている。
私は唾切を見つめる。
『……やっと、死んでくれるんだね』
静かに呟く。
『私の気持ち……少しは分かった……?』
唾切は、こちらを見て。
「一生わからないね」
『……そう』
それだけだった。
怒鳴ることもしなかった。
憎しみをぶつけることもしなかった。
私はただ、唾切から視線を外す。
そして――。
その場を後にした。
私が立ち去った後。
桃宮唾切の最期に、とどめを刺したのは無陀野さんだったという。
一人の男との出会いを機に、自身の桃太郎魂を貫き通した男。
桃宮唾切。
享年31。
チャプター18
私たちは、それぞれの部屋で一人の時間を過ごしていた。
布団に入り、静かに横になる者。
ティッシュを取り出す者。
手術岾くんの部屋の扉を叩く者。
その扉を叩く音に怖がる者…。
みんな、それぞれの時間を過ごしている。
私は布団の中で天井を見つめながら、今日一日の出来事を思い返していた。
『……色んなことがあったなぁ』
本当に、色んなことがあった。
京都に来て。
鬼機関の人たちと出会って。
芽衣ちゃんと出会って。
そして――。
桃宮唾切とも、再び出会った。
親友のこと。
花魁坂さんのこと。
皇后崎くんや、一ノ瀬くんたちのこと。
一日で、たくさんのものを経験した。
そんな長い夜が明ける。
激しい戦いを祝福するかのように、朝日が昇っていく。
暗かった空が、少しずつ明るく染まっていった。
そして私たちは、人間たちが着るような制服へと着替え、港へ向かっていた。
羅刹学園へ帰るためだ。
船へ乗り込む前。
私は一ノ瀬くんのもとへ歩み寄った。
『一ノ瀬くん』
「ん?」
『唾切を倒したの、一ノ瀬くんだって無陀野さんから聞いたの……』
一度、言葉を区切る。
『……ありがとね』
「……?」
『倒してくれて……』
一ノ瀬くんは一瞬だけ目を丸くした。
そして――。
とびきりの笑顔を浮かべる。
「……おう!」
『……ふふ』
なんだか、一ノ瀬くんらしい。
「じゃーなー! 次は普通に観光したいわ」
「はは! マジで来なよ!」
花魁坂さんが笑いながら答える。
「芽衣ちゃんもこっちで引き取るから、たまには会いにおいで」
「おい。出発するぞ」
無陀野さんの声が響く。
『……じゃあね』
私たちは花魁坂さんと芽衣ちゃんに背を向け、船へ向かって歩き出す。
その背中を見つめながら、芽衣ちゃんは両手で服をぎゅっと握りしめた。
そして――。
「お兄ちゃん!」
「?」
一ノ瀬くんが振り返る。
「ありがとう!」
芽衣ちゃんは満面の笑みを浮かべ、両手を大きく振った。
「またな!」
一ノ瀬くんも笑顔で手を振り返す。
私も――。
ほんの少しだけ、微笑んだ。
やがて船が動き出す。
港が、少しずつ遠ざかっていく。
京都で過ごした時間も、少しずつ遠ざかっていく。
私は甲板から、遠ざかっていく景色を眺めた。
もう、あの頃の私とは違う。
まだ怖い。
まだ、自分が強いとは思えない。
それでも――。
守りたいと思える人ができた。
一緒に戦いたいと思える仲間もできた。
だから。
『……未来のために』
遠くなっていく京都を見つめながら、私は小さく呟く。
『今、頑張ろう……』
朝の光が、海面をキラキラと照らしていた。
私はその光を見つめながら、羅刹学園へ帰る船の上で静かに前を向いた。
チャプター19
「鬼機関は、大きく分けて戦闘部隊、偵察部隊、医療部隊となっている」
羅刹学園。
私たちは今日も、教室で授業を受けていた。
「細かく分ければもっとあるが、大体はこのどこかに卒業後は入隊する」
無陀野さんが黒板を指しながら説明を続ける。
「自身の血の特性に合った隊に入るのが――」
「ヴヴヴヴ……」
『……?』
隣から妙な音が聞こえてきた。
視線を向けると、一ノ瀬くんが必死な表情でノートを書いている。
額には汗。
目は大きく見開かれ、ペンを握る手にも力が入っている。
「ヴヴヴ……」
唸り声まで上げながら、ものすごい勢いでノートを取っていた。
……そんなに必死にならなくても。
と思った、その時。
一ノ瀬くんの瞼がゆっくりと閉じる。
『あ……』
眠気に耐えるように、ハッと目を開ける。
けれど――。
「ヴヴ……」
また鼻ちょうちんを膨らませながら、ウトウトし始めた。
……寝ちゃった。
教室を見回してみると、他の生徒たちも似たようなものだった。
席には座っているものの、寝ている人。
他の生徒にちょっかいをかけている人。
もちろん、真面目に授業を聞いている人もいる。
私は――。
『……ちゃんと聞いておこう』
無陀野さんに怒られたくないので、真面目に授業を受けることにした。
そんな中。
無陀野さんが、ある生徒のもとへ歩いていく。
「ぐおぉぉぉ……」
大きないびきをかいて寝ている矢颪くん。
無陀野さんは、そんな彼の耳元へ顔を近づける。
そして――。
パァンッ!!
指を鳴らした。
「ぐおっ!?」
鼓膜が破れそうなほど大きな音に、矢颪くんが飛び起きる。
頭を抱えながら睨みつける矢颪くん。
「やる気ないなら帰っていいぞ」
無陀野さんは淡々と言う。
そして――。
「あと四季、お前もうるさい」
「ヴヴヴ……」
『……』
一ノ瀬くんはまだ寝ていた。
やがて――。
キーンコーンカーンコーン。
チャイムが鳴り、授業の終了を告げる。
「今日の授業はここまでだな」
無陀野さんが教卓に手をつく。
「HRでは、お前らで寮の部屋決めをしてもらう」
『……!』
寮の部屋決め……!?
楽しそう!
仲良くなれるチャンス到来!!
「部屋決め?」
「全寮制だからな。二人部屋だ。パパッとペア作れ」
「何それ! 修学旅行みてぇ! おもろ!」
一ノ瀬くんが楽しそうに声を上げる。
「人と生活しろとか勘弁しろよ!」
矢颪くんは嫌そうな顔をする。
そんな中、無陀野さんがこちらを見る。
「ちなみに蘭は自室があるから、数には数えずに決めろ」
『……え?』
……自室。
そうだった。
私、自分の部屋があるんだった。
『…………』
『……さよなら……私の仲良くなれるチャンス……』
せっかくの機会だったのに……。
『……』
寂しい。
誰かと同じ部屋で過ごしてみたかったなぁ……。
そんなことを考えていると、
「先生! 一人余りますけど!」
誰かが声を上げる。
「余った一人は――」
無陀野さんは、何でもないことのように言った。
「俺と同室だ」
「「「えぇ!?」」」
教室が一気に騒がしくなる。
『……』
ええー。
いいなぁ。
私も誰かと同室がいい~。
そんなことを考えている間にも、生徒たちは好き勝手に話し始めていた。
「いや、うちはこいつと一緒だから」
漣さんが手術岾くんを指差す。
「えぇぇぇ!? 何それ、どーいうこと!? どーいうこと!?」
手術岾くんが驚きの声を上げる。
「え? あいつら、そーいう感じなん?」
「話しかけんな、カス」
「殺すぞ、てめぇ!」
『……もう付き合ってる人いたんだ……』
思わずそんなことを考えてしまう。
「いや……僕は……」
遊摺部くんは手術岾くんの肩を掴み、涙を流しながら震えていた。
「君は……こっち側だと思ってたよ……!」
「どっち側?」
『……』
何の話なんだろう。
「ダメだ、男女は分かれてもらう」
無陀野さんが話を戻す。
「じゃあ誰がこいつの面倒見んだよ」
漣さんが手術岾くんを指差す。
「なんだよ、面倒見るって」
一ノ瀬くんが首を傾げる。
「まず、朝起こすところから始めて――」
漣さんが次々と口にする内容を聞き、一ノ瀬くんの顔が引きつる。
「……こっわ」
『……』
部屋決めって、もっと楽しいものだと思ってたんだけどなぁ……。
チャプター20
「なんか羨ましいとゆーか……むかつくな……」
「ほぅ……気が合いますな」
「お前、調子にのんなよ」
「え……?」
そんなやり取りをしていたかと思えば――。
「で? どこまでいったんだ?」
突然、矢颪くんがバンッと机を叩いて立ち上がった。
「男と女が同じ部屋で暮らしていいわけねぇだろ!」
『……!』
あ。
矢颪くんが、意外とまともなこと言った。
やっぱり、ピュアなんだ。
「そーゆうのは二十歳超えてからやんのが常識だ、クソ野郎どもが!」
「汚い言葉で常識語ってる」
「……あいつ絶対童〇だよな」
「だね」
『……』
なんだろう。
矢颪くん、ちょっと可哀想になってきた。
「俺らのことはどうでもいいんだよ!」
一ノ瀬くんが、屛風ヶ浦さんの方を向く。
「屛風ヶ浦! 漣を説得してくれ!」
「じゃなきゃ手術岾がいい思いしちまう!」
「えぇ……?」
屛風ヶ浦さんは困ったように眉を下げる。
「そういうのは、糸哭さんの方が向いてるんじゃ……」
「糸哭が説得なんかできるわけねーよ!」
「頼むよ、屛風ヶ浦!」
『……』
ん?
さらっと貶された?
なぜ?
……解せぬ。
「えーっと……あの……えっと……」
困り果てた屛風ヶ浦さんが口ごもっていると――。
「ごめんなさい……」
『……?』
「私がいなくなれば偶数になりますよね」
『……』
「気が利かなくてすみません……私……外でいいです……」
「なんで!?」
「野宿でもします」
『えっ』
「あ……段ボール、いただいてもいいですかね……?」
「心がいてぇよ!」
なんだか、話がどんどんおかしな方向へ進んでいる気がする。
そんな中。
「皇后崎! もうお前、先生と同室でいいべ!」
一ノ瀬くんが皇后崎くんへ話を振る。
「俺は一人でいい」
「「「はぁ!?」」」
教室中から声が上がった。
「……あいつ空気読めなさすぎだろ」
「一人“で”いいじゃなくて、一人“が”いいのに」
「あいつ絶対カラオケで洋楽歌うタイプだな」
『……!』
……まただ。
また皇后崎くん、淡々と自分の意見を言った。
周りが何を言っていても、自分の考えを曲げない。
やっぱり――。
『……かっこいい……』
思わず、ぼんやりと皇后崎くんを見つめてしまう。
「無駄にダラつくな」
無陀野さんが呆れたように口を開く。
「ジャンケンで決めろ。さっさと決めろ」
「女子はペア、男どもはあと二分で決めろ」
「こーなりゃグッチョパーで決めるか」
こうして、紆余曲折を経た部屋決めの結果――。
部屋割り
B-1号室
遊摺部従児・無陀野無人
B-2号室
皇后崎迅・一ノ瀬四季
B-3号室
矢颪碇・手術岾ロクロ
A-1号室
糸哭蘭
A-2号室
漣水鶏・屛風ヶ帆稀
となった。
『……』
私の部屋は、いつも通り一人。
……ちょっと寂しいけど。
でも――。
『皇后崎くんと一ノ瀬くん、同室なんだ……』
ちらりと二人を見る。
……なんだか、楽しそう。
そんなことを考えながら、私は自分の部屋へ戻るのだった。
チャプター21
今日は、生憎の天気だった。
窓を揺らすほどの強い風。
一粒一粒の雨が、窓ガラスへ容赦なく叩きつけられている。
そう――嵐だ。
けれど、学園内に目立った被害はない。
授業を終えた私たちは、お風呂へ入り、疲れを癒していた。
『えへへ~……あったかぁ~い……』
温かいお湯に浸かっていると、身体の力が抜けていく。
やっぱり、お風呂って最高だなぁ……。
そんなことを考えていると、男子風呂の方から声が聞こえてきた。
「ロクロー!! 早く出てこい!!」
『……』
漣さんだ。
男子風呂の方へ向かっていったけど……まあ、大丈夫だろう。
恋する乙女って感じだったし。
特にこちらに害はないので、止める気もない。
……もちろん、見に行くつもりもない。
そんなことを考えていると、近くでゆっくりしていた屛風ヶ浦さんに声をかける。
『……屏風ヶ浦さん』
「……は、はい! なんでしょうか……?」
『あのね……お願いがあって……』
「お、お願い……?」
少し緊張しながら、口を開く。
『あの……帆稀ちゃんって呼んでもいい……?』
「……!」
『友達のことは、下の名前で呼びたいの……!』
少しだけ恥ずかしくなりながら、続ける。
『……だめかなぁ?』
ダメ元でお願いしてみた。
すると――。
「だめじゃないです……!!」
屛風ヶ浦さんの顔が、ぱっと明るくなる。
「こちらこそ……こんな私を友達と言ってくださり、ありがとうございます……!!」
『えっ、ちょっと……!』
今にもその場で土下座しそうになったので、慌てて止める。
『そ、そんなにかしこまらなくていいよ……!』
でも――。
友達が増えました!
やったー!
お風呂から上がり、身体についた水分をタオルで拭き取る。
髪も乾かさないと。
私の髪は長いようで短い。
……何とも言えない長さなので、乾かすのに地味に時間がかかる。
『……よし』
ようやく髪を乾かし終え、更衣室を出る。
すると――。
「全員、集合だ」
『……?』
無陀野さんから集合がかかった。
……次は、漣さんとも仲良くなりたいな。
そんなことを考えながら、みんなのところへ向かう。
「今日の授業は終わりじゃなかったのかよー!」
一ノ瀬くんが不満そうに声を上げる。
どうやら、この後は野外訓練という選択肢もあるらしい。
『……嵐の中で野外訓練……』
せっかくお風呂に入ったのに。
絶対に嫌だ。
すると、一ノ瀬くんが即座に口を開いた。
「避難訓練で!」
『……!』
ナイス、一ノ瀬くん!
「必要なものは用意した。全員、指示があるまで体育館で待機すること」
無陀野さんは淡々と指示を出していく。
「俺は校舎を巡回してくる」
「お前らは先に夕食をとるように」
そう言い残すと、無陀野さんは体育館を出ていった。
その姿が見えなくなると――。
「ふぅ……」
張り詰めていた空気が、一気に緩んだ。
「ダリィ訓練だぜ」
「ここにいるだけ、ですか……?」
「妙にぬりぃな」
「待機って……なにをすれば、いいんでしょうか……」
「なにか、罠があるんじゃ……!」
「有り得る!」
『……』
みんな、口々に話し始める。
私も周りの様子を見ようと、何気なく横を向いた。
――その時。
『……!』
思わず、身体が固まった。
皇后崎くんが、すぐ近くにいた。
……近い。
『……あれ?』
私、こんなに近くにいたっけ?
もしかして……。
無意識のうちに、私から近づいちゃったのかな。
『……』
そう考えると、なんだか少し恥ずかしくなってくる。
慌てて視線を逸らした。
そんな私の横では、クラスメイトたちが楽しそうに話している。
あの戦いを一緒に乗り越えたからこそ、こうして自然に話せるようになったんだ。
楽しそうに笑い合うみんなを見つめる。
……いいな。
私も、あんなふうにみんなと話したい。
チャプター22
「糸哭、食おうぜ」
一ノ瀬くんがそう言って、私のところへトレーを持ってきてくれた。
そこには、大盛りに盛られたカレーライス。
小さめに盛られたもやしのサラダ。
そして――。
プリン。
『わぁーい! ありがとー!』
私の分を盛ってくれた!
嬉しい!
みんなが騒ぎながら、カレーを食べ進めていく。
私も負けじとスプーンを動かし、カレーともやしのサラダを食べ終えた。
ふと周りを見る。
……あれ?
皇后崎くんも、ちょうど食べ終わったところだった。
『……同じくらい』
なんだか、ちょっと嬉しい……ような。
そんなことを考えながら、目の前に残ったプリンを見つめる。
ずっと楽しみにしていたプリン。
やっと食べられる!
『……!』
スプーンを手に取ろうとした、その時。
ちらっと皇后崎くんを見る。
皇后崎くんは、何事もなかったかのようにプリンを黙々と食べていた。
『……やっぱ、かっこいい……』
何をしていても、かっこいい。
これはもう――重症である。
そんな皇后崎くんをぼんやり見ていると。
『……ん?』
アホ毛が――。
ぶんぶん。
ぶんぶん。
『……アホ毛、動いてる……』
しかも、すごい勢いで揺れている。
『きゃわ……』
可愛い。
皇后崎くんに、こんな可愛いところがあったなんて。
……ほんとに可愛い。
そんなことを考えていると、
「あれ、誰かプリン忘れていませんか?」
「俺、食った!」
「俺も」
「僕も」
みんなが口々に答えていく。
『……?』
私の分は、目の前にある。
皇后崎くんは今もチマチマ食べている。
漣さんの分は、手術岾くんが食べたらしい。
……ということは。
『……』
もしかして。
無陀野さんの分……?
でも――。
あの無陀野さんが、わざと余りを作るだろうか。
そんなことを考えていると、突然。
「おい」
『……?』
皇后崎くんと一ノ瀬くんが、何故か睨み合っていた。
どうやら、プリンを賭けてバトルを始めたらしい。
『……そんなにプリン食べたいんだ』
皇后崎くん。
意外と甘党なのかも。
……ちょっと可愛い。
私は巻き込まれないように、未だに大盛りのカレーを食べ続けている矢颪くんの隣へ、そっと移動する。
『……』
そこで、ふと気付いた。
そもそも――。
なんで、こんなにカレーがあるんだろう?
私たちが食べても、まだ余るくらいある。
もやしのサラダだって、おかわりできるほど残っている。
……つまり。
これは、私たちだけの分じゃない。
『……やっぱり』
無陀野さんの分だ。
そう結論づけた、その瞬間――。
体育館の扉が開いた。
「……」
『……!』
無陀野さんが入ってきた。
それと同時に、皇后崎くんと一ノ瀬くんのプリンを賭けたバトルも中断される。
無陀野さんは、テーブルの上を一瞥した。
「俺の食事がないのは、まあ、構わない」
「……っ!」
その言葉を聞いた瞬間。
帆稀ちゃんの顔から、みるみる血の気が引いていく。
「も、申し訳ありません……!」
そして――。
見事な土下座。
『……!』
やっぱり。
無陀野さんの分もあったんだ。
「蘭。その顔、気付いていたな?」
『……へ!?』
突然こちらを見られて、肩が跳ねる。
『い、いや! さっき気付いたので、無罪です……!!』
「……」
無陀野さんは、呆れたようにため息をついた。
「……はあ。顔を上げろ、屛風ヶ浦」
「……!」
「確かに、俺の分もあるとは言ってなかった」
その言葉に、帆稀ちゃんは涙を浮かべながら顔を上げる。
『……』
……優しい子だなぁ。
自分が悪いと思ったら、ちゃんと謝れる。
こんなに反省できるなんて。
きっと、すごく良い子なんだろうな。
そんなことを考えていると、無陀野さんが全員に向かって告げる。
「全員ここで朝まで待機だ」
「戦闘行為、並びに施設を破壊する行為は厳禁」
そして――。
「勝手にここから出た奴は、退学だ」
『……退学』
こ、怖い……。
そう言い残すと、無陀野さんはテーブルの上に残っていたプリンを手に取った。
そのまま、体育館を出ていく。
『……』
私はその背中を見送る。
……あの人。
プリンだけでも食べたかったのかな。
『……可愛いな』
思わず、そんなことを思ってしまった。
……でも。
無陀野さんに聞かれたら、絶対怒られるから。
このことは、秘密にしておこう。
チャプター23
そして、無陀野さんが帰ってこないまま夜になった。
「恋バナしよーぜ!」
そう一ノ瀬くんが提案した。
私は、みんなと仲良くなれるチャンスだと思い、楽しみにしていたのだが――。
矢颪くんと皇后崎くんは、参加する気なし。
漣さんは手術岾くんの話しかしない。
帆稀ちゃんも恥ずかしそうにして、なかなか話そうとしない。
ということで――。
あっさり却下されてしまった。
『恋バナしたかったぁ……』
しょんぼりしていると、その後も漣さんが「手術岾くんと一緒に寝たい」と言い出した。
すると突然、矢颪くんが何かを思いついたように立ち上がる。
そして、どこからか縦長のホワイトボードを持ってくると、ステージが見えないようにカーテンを両側から閉めた。
ホワイトボードには――。
**『男子立ち入り禁止』**
と、大きく書かれている。
「男女は別だ!!」
『……』
……なんだか、矢颪くんが一番張り切っている気がする。
男子とは話せない。
それなら――。
女子同士で仲良くなろう!
ということで、私は漣さんと仲良くなる作戦を開始することにした。
『漣さん……下の名前で呼んでいい……?』
そう尋ねると、漣さんはすぐに頷いた。
『……!』
漣さん――水鶏ちゃんは、思っていたよりずっと優しい。
**友達が増えました!!**
三人で円を描くように、頭を中心へ向けて寝袋に入る。
すると、自然と一息ついた。
『今日も楽しかったぁ……』
「す、すみません……。こんな私なんかと……一緒に寝る形になってしまって……!」
寝袋に潜りながら、私と水鶏ちゃんに謝る帆稀ちゃん。
私は、そんな帆稀ちゃんを安心させるように声をかける。
『ぜんっぜん、気にしてないから大丈夫だよ……!!』
「チッ。別にアンタのせいじゃねぇけど、ロクロと寝れねぇのは納得いかねぇ! 男子共が寝静まったら夜這いしに行ってやる……!」
『……』
水鶏ちゃん、やっぱり積極的だなぁ。
……見習おうかな。
水鶏ちゃんの言葉に、帆稀ちゃんは頬を赤らめる。
「わ、私は邪魔にならないようにジッとしてます……!」
『連帯責任で私も先生に怒られるようなことがなければ、別になんでもいいよ……!』
それから、水鶏ちゃんたちと男子に関する話題が始まった。
会話は徐々にエスカレートしていき――。
水鶏ちゃんが、帆稀ちゃんの脇に向かって指先をこちょこちょと動かし始める。
「蘭! お前も手伝え!」
『おまかせあれ〜!』
水鶏ちゃんの声に、私は帆稀ちゃんへ襲いかかる作業に加わる。
「お助け〜!!」
しばらくして――。
「飽きた」
『めっちゃ楽しかった……!』
水鶏ちゃんが大人しく自分の寝袋へ戻っていく。
私も、自分の寝袋へ戻った。
散々くすぐられた帆稀ちゃんは、恥ずかしそうに、そして申し訳なさそうに寝袋の中へ顔を隠す。
そして――。
「うぅ……つまらなくてごめんなさい……」
『……』
また謝ってる。
私はそんな帆稀ちゃんを見つめながら、苦笑する。
すると水鶏ちゃんが、次の話題へ移ろうとうつ伏せになり、私の方へ視線を向けた。
「そーいやぁ、お前、あの無口野郎のことずっと見てるよな?」
『……』
無口野郎って――。
皇后崎くんのことかな……。
「好きなのか?」
『……え』
一瞬、頭が真っ白になる。
『す、好き……!? ち、違うよ……! かっこいいなって思って見てただけ……!』
「かっこいいから、ねぇ……」
『そ、そう……! かっこいいから……!』
「ふーん。じゃあ……好きなタイプは?」
『好きなタイプ……?』
え、えっと……。
少し考えてから、私は口を開く。
『不器用だけど優しくて、落ち着いた安心感のある人……かな』
「……それ、皇后崎さんじゃないですか……?」
『……!』
帆稀ちゃんにまで言われてしまった。
確かに……言われてみれば、皇后崎くんは当てはまっているのかもしれない。
い、いや……。
皇后崎くんに迷惑だよね……。
うん。
考えるの、やめよう。
そんなことを考えていると、場の空気はどんどん盛り上がっていく。
私はワクワクしながら、二人の話を聞いていた。
……でも。
自分の恋の話となると、やっぱり少し恥ずかしい。
「(自己規制)上手いかどうかってのも、条件に入れてみろよ」
水鶏ちゃんがそう言った瞬間――。
しばらくの沈黙が生まれた。
『……え?』
『ええ……!?!?』
顔が一気に熱くなる。
な、なんでそんなの条件に入れる必要が……!?
隣を見ると、帆稀ちゃんも私と同じような顔をしていた。
「お前ら、案外可愛いな……」
『……っ』
だって……。
皇后崎くんと……そんなこと……。
『あ、あれ……?』
なんで、皇后崎くんのことを考えてるんだろう……。
そして――。
「……蘭……可愛いな……」
ふと、皇后崎くんがそんなことを言う姿を想像してしまった。
『わぁぁぁ……!?!?』
ありえない!!
皇后崎くんが絶対に言わないようなことを想像しちゃった!!
申し訳なさすぎる!!
しかも……。
ちょっとだけ、優しそうだなとか思っちゃった……!
「い、糸哭さん……? だ、大丈夫ですか……?」
『ごめん……大丈夫じゃない……』
その時だった。
カーテンの外から、男子たちの悲鳴が聞こえてきた。
「……なんだ?」
『奇襲か何か……?』
私たちは慌ててカーテンの外を覗く。
そして――。
『……え?』
そこには、血蝕解放をした一ノ瀬くんが、泣きながら巨大な銃器を乱射している姿があった。
『えええええ!?!?』
「な、なんで!?」
「おい、やめろ!!」
銃声が轟く。
ドォン!!
ドォン!!
ドォン!!
『ちょっと待ってぇぇぇ!?』
体育館が揺れる。
壁が崩れる。
天井から瓦礫が落ちてくる。
「逃げろぉぉぉ!!」
「なんでこうなったんだよ!?」
私たちも全員パニックになり、体育館の中を逃げ回る。
そして――。
気づいた時には、意識を失っていた。
次に目を覚ました時。
時計の針は、七時を指していた。
眩しい朝日が体育館の屋根を照らし、その光がコートの上で倒れている一ノ瀬くんたちを照らしている。
『……』
……何があったんだろう。
昨日の夜のことが、ほとんど思い出せない。
今日の授業が始まる前。
いつもの教室で無陀野さんを待っている私たちは、全員ひどく憔悴していた。
特に男子は――。
顔が青ざめている人までいる。
「なんか……酷い夢見てた気がする……」
『……』
私も、ぼんやりと昨日の夜を思い返す。
……恋バナをして。
皇后崎くんのことを考えて。
それから――。
『……』
私は、いつものように皇后崎くんへ視線を向ける。
けれど。
昨日のことを思い出してしまって――。
今日は、まともに見ることができそうになかった。
チャプター24
京都での騒動から、3週間後。
私たちは東京に来ていた。
今日は職場見学ということで、学びの姿勢を忘れず、緊張感を持って行動しなければならない。
「なんだよー! 東京でも光が丘かよ! 埼玉に片足突っ込んでるギリ東京じゃん!」
そう、緊張感を持って行動を……
「新宿ならブラッと買い物できんのに!」
……それは無理そうである。
不満を漏らしているのは一ノ瀬くん。
今は変装中なので、ナツくんである。
私たちは京都の一件で、変装と偽名が必要となった。
そのため、今は全員が別人として行動している。
無陀野無人(コンドウ)
皇后崎迅(シュン)
一ノ瀬四季(ナツ)
屏風ヶ浦帆稀(マホ)
矢颪碇(シンジ)
遊摺部従児(シンイチ)
漣水鶏(ヒナ)
手術岾ロクロ(ゴロウ)
糸哭蘭(イチカ)
それにしても……。
『碇からシンジって、絶対狙ってるよね』
どこぞのパイロットを思い出してしまうような名前のシンジくんに、思わずツッコミを入れてしまう。
また、笑いそうになっちゃう。
「今日はこのままホテルで休む。明日朝一から弾丸で見学だ。覚悟しとけ」
「それと、ナツ。明日、見学後にここで採血を受けに行け」
そう言って、無陀野さんは一ノ瀬くんに紙を渡す。
「採血? なんで?」
「お前の血を調べるんだ」
一ノ瀬くんの血は、なにか特別なものなのかなぁ……?
気になる……。
「イチカ」
『………え、あ……は、はい!』
イチカ……。
私か。
無陀野さんに偽名のほうで呼ばれたため、一瞬、反応が遅れる。
「東京にいる間、どこかで真澄と会うことになる」
その名前を聞いた瞬間、私は反射的に身構えた。
淀川真澄さん。
昔、桃太郎機関に攫われた私を助けてくれた人。
いわゆる、命の恩人なのだが……。
「そろそろ耐性つけろ」
私は、どうもあの人が苦手らしい。
何を考えているのか分からないし、目の笑っていない笑顔。
口調も荒い。
私が弱っている時に限って、正論ばかりぶつけてくる。
しかも、能力を安定させるために稽古をつけてくれた人も、あの人だ。
『……帰りたい……。帰っていいですか……?』
「諦めるんだな」
『やです』
「戦場でも同じことを言うつもりか」
『……うぅ……その時は……まあ、覚悟を決めます……』
「覚悟を決めなくても大丈夫なようになれ。非合理的だ」
『……はぁい』
嫌いなわけじゃない。
助けてくれたし、恩もある。
けど――。
淀川真澄は、私にとって超絶怖いのである。
チャプター25
『……うぅ……マジで会いたくない……。今後一生、出てこないでほしい……』
淀川真澄は、恐怖の対象である。
「まず、最初に練馬区の偵察部隊で話を聞かせてもらう」
そう言って連れてこられたのは、古本屋だった。
桃太郎からしたら、こんなところに偵察部隊がいるなんて思わないだろう。
まあ、私も話に聞いただけで、実際に来たことはないのだけれど。
「これをくれ」
「お包みは?」
「『間に合っている』」
これは合言葉である。
覚えとけ、と教えてもらったことがある。
「無陀野さん御一行ですね。練馬に入った時点で情報は入っています」
「皆さん、本を物色しながら聞いてください」
そう言われ、全員が店の中でバラけて話を聞く。
私は、いつ淀川真澄が出てくるのかとヒヤヒヤしているせいで、話半分にしか聞けていない。
お願いだから、一生出てこないでほしい。
「イチカ。話を聞け」
無陀野さんに軽く叩かれる。
むっとしたが、何も言えなかった。
「今日は以上だ。明日はそれぞれ気になった所へバラけて、更に細かい見学だ。……この程度でバテるな」
全員がゲッソリしている。
対して難しい話ではなかったものの、鬼機関に所属するなら必須の知識だ。
一気に詰め込まれたら、こうもなる。
「ナツ。お前はこれから採血に行け」
「うぇ〜い……」
「イチカ」
『……はい……』
「偵察部隊に来い、だと」
まさかの呼び出し。
そんなことをするのは、淀川真澄、ただ一人である。
『……やだ……! 断固拒否!!』
「あいつも、無理にとは言ってなかったが……」
無理にとは言ってない……?
絶対、嘘!!
無理にでも行かせる気だ!!
『……絶対、行かない……。皆と一緒にいる……!』
「分かった。あいつにもそう伝えとく。」
伝えとく……?
『……え、ちょ、ちょっと待って……!?』
私は、血の気が引いていくのを感じた。
チャプター26
私たちは、採血に行った一ノ瀬くんと別れ、歩き出した。
その時だった。
トラックが暴走し、姉妹が轢かれそうになる。
助けたい。
そう思った。でも、能力を使ったら、せっかく変装している意味がない……。
そう迷っていると――皇后崎くん……いや、今は変装中だからシュンくんか。
彼が血蝕解放を使い、姉妹を助けた。
『こう……じゃなくて……シュンくん……!』
姉妹のうち一人は重傷のように見える。
大丈夫だろうか……。
私は姉妹のもとへ駆け寄ろうとした。
「お前、血を使ったな?」
声のした方を見ると、無陀野さん……いや、今はコンドウ先生。
「ここから今すぐに離れるぞ」
その言葉を皮切りに、私たちはその場を離れた。
そして、隠れ家へと戻ってきた。
重苦しい空気が流れている。
あちこちから、皇后崎くんを責めるような小さな声が聞こえてきた。
なんで使ったんだ、とか。
そんなことをする必要があったのか、とか。
皇后崎くんだって、使いたくて使ったんじゃない。
あの姉妹を助けたかったから使っただけなのに……!
そんなに悪く言わなくてもいいじゃん……!
私は、殴りたい衝動をぐっと堪えた。
そんな時、一ノ瀬くんが帰ってきた。
「どーゆう状況?」
『実はね……』
私は、皇后崎くんが子供を助けるために血を使ってしまったことを説明した。
「え? 子供助けたの!?
おま……マジで!? 超かっこいいな!
なーんだ! アクシデントって言うから何事かと思ったわ!
あれ!? でもなんでこんな殺伐としてんの?」
やっぱり、一ノ瀬くんはすごい。
重苦しかった空気が、一気に明るくなった。
まるで、太陽みたいだ。
「お前……空気読めねーな」
「え? 褒め称える空気だろ?」
私の言いたかったことを、一ノ瀬くんが代わりに言ってくれた。
そう。
私も言いたかった。
でも……勇気が出なかった。
『……私もそう思うな。子供を助けるために使ったんだし……。
かっこいい、よね』
この街の至る所に設置されている防犯カメラが、桃機関と繋がっていることを話した。
先ほどから思い詰めたような顔をしている皇后崎くんに、無陀野さんが声をかける。
「皇后崎、お前がやったことは間違いじゃないが、正解でもない。体術のスキルを磨け。
次からは血を使わずに対処できるようにな」
皇后崎くんの瞳が、微かに揺れる。
こんな時でも、無陀野先生の言葉には無駄がない。
でも、その言葉の裏には、生きてほしいという思いが確かに感じられた。
「でもお前が子供助けるって意外だな! 蹴っ飛ばして歩いてるイメージだわ!」
「凄い偏見だね」
『一ノ瀬くんって素直だよね……!
私、すごいと思う……!』
そう話していると、皇后崎くんが消え入りそうな声で呟いた。
「救えていない……俺は、また救えなかった」
その言葉には、深い後悔と自責の念が滲んでいた。
何となく、嫌な予感がする。
でも、声をかけられなかった。
私が安易に踏み込んではいけないような気がしたから。
それでも、皇后崎くんを放っておけない。
その矛盾に、私はどうすればいいのかわからなかった。
「部屋の用意が出来ました」
「日の出前に出発する。それまで寝て、体力回復に努めろ」
みんな、それぞれの部屋へと戻っていく。
私も部屋に入った。
けれど、やっぱりモヤモヤする。
それに、一抹の不安が頭をよぎった。
私は、皇后崎くんの部屋を尋ねることにした。
ノックの音が、静かな通路に反響する。
『皇后崎くん……。蘭、だよ。
入ってもいい……かな……?』
「…………ああ」
できるだけ明るい声でそう尋ねると、扉の向こうから返事が返ってきた。
私はゆっくりと扉を開け、部屋の中へ入る。
ベッドの上には、皇后崎くんが腰掛けている。
そして――
テーブルの上に置かれた、一枚の紙が目に入った。
そこには、たった一言。
『申し訳ない』
そう書かれていた。
それを見た瞬間、私はすべてを察した。
インクが滲み、何度も握り締められたようにボロボロになった紙。
まるで、その紙に皇后崎くんの心そのものが滲み出ているようだった。
チャプター27
『皇后崎くん。
……今からしようとしてること、私は間違ってないと思うの。あの姉妹のことを思ってだよね……?
でも、危険すぎる。心配だよ……』
私は一瞬迷ったが、皇后崎くんの手を取り、優しく包み込んだ。
少し驚いたような顔をした皇后崎くんと目が合う。
けれど、バツが悪そうにすぐ目を逸らされた。
「止めないでくれ……」
『私も一緒に行く。2人だったら安全でしょ……?』
「ダメだ。お前まで危険にさらされる必要はない。俺一人で行く」
ピシャリと言われて、つい大きな声を出してしまった。
『皇后崎くんは、私にとって大切な仲間だよ……!
放っておけるわけない……!』
そう言うと、皇后崎くんの目が大きく見開かれる。
しばらく黙り込んでいたが、やがて静かに口を開いた。
「やっぱり、俺一人で行く。
お前は……ここにいろ。……怪我してほしくない……」
『……そっか……』
そっと、手を離した。
皇后崎くんが決めたことだ。
もう、私が口出しすることじゃない。
『……ねぇ、一つだけ……聞いてもいい……?
なんでそこまで、あの姉妹のことが気になるの……?』
「……姉が“いた”」
それだけだった。
けれど、なんとなく察しがつく。
――あの姉妹に、自分自身を重ねているんだ。
『……皇后崎くん。気をつけてね。
私、待ってるからさ……!』
へにゃっと、柔らかな笑顔を浮かべてそう言った。
そして私は、皇后崎くんの部屋を出た。
チャプター27,迅くんSide
迅side
置き手紙を書いて、一人であの姉妹の安否を確認しに行こうとしていた。
けれど、糸哭が部屋に来た。
糸哭には関係ないことだ。
だから、そのまま置いていこうと思っていた。
……なのに。
「皇后崎くんも大切な仲間だよ……!
放っておけるわけない……!」
珍しく声を荒らげた糸哭に、思わず目を見開く。
その真っ直ぐな、海のように綺麗な瞳。
まるで、俺の考えていることまで全て見透かされてしまうような気がして、思わず目を逸らした。
いつもふわふわしていて、少し落ち着きのない糸哭が。
仲間のために。
……俺のために。
こんなにも真剣に話してくれている。
だからこそだ。
こいつを巻き込みたくない。
『やっぱり、俺一人で行く。
お前は……ここにいろ。……怪我してほしくない……』
そう言うと、糸哭はゆっくりと俺の手を離した。
その瞬間。
さっきまで触れていたはずの手が、一瞬で冷たくなったように感じた。
「……ねぇ、一つだけ……聞いてもいい……?
なんでそこまで、あの姉妹のことが気になるの……?」
そう聞かれて、ふと脳裏に浮かんだ。
今はもう、いない。
大好きだった、姉の姿が。
『……姉が“いた”』
それだけを口にした。
それ以上は何も言わなかった。
けれど、糸哭もそれ以上追及することはなかった。
……むしろ、何かを察してくれたようだった。
それが、少しだけありがたかった。
そして、糸哭は――
『……皇后崎くん。気をつけてね。
私、待ってるからさ……!』
へにゃっと、柔らかな笑顔。
まるで、花がぱあっと咲いたような。
そんな笑顔を俺に向けて、糸哭は部屋を出ていった。
パタン、と扉が閉まる。
俺は、自分が今どんな顔をしているのかなんて、考えもしなかった。
ただ。
あの姉妹のことだけを考えることにした。
チャプター28
そして、次の日。
皇后崎くんは――まだ戻ってきていなかった。
「……」
やっぱり、心配……!!
一緒に行けばよかった……!!
あのとき、無理にでもついて行っていれば。
その後、私は何度も何度も思った。
――行かせなければよかった、と。
『皇后崎くんが……拉致られた……?』
その言葉を聞いた瞬間、血の気が引いた。
あの姉妹の安否を確認するために行ったのに。
まさか、皇后崎くん自身が拉致されるなんて。
私が……無理にでも止めておけば。
でも――。
『……いや』
もし、あのとき無理に止めていたら。
皇后崎くんが助けに行けなかったら。
それはそれで、きっと彼は後悔した。
……じゃあ、私はどうすればよかったの?
どうするのが正解だったの?
いくら考えても、答えなんて出てこない。
『……皇后崎くん』
また、仲間を失うのだろうか。
また何もできずに。
私が不甲斐ないせいで。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
……嫌だ。
もう、そんなの嫌だ。
『……悔やんでもしょうがない』
自分に言い聞かせるように、ゆっくりと顔を上げる。
『助ける方法を探さないと……』
「いいかげん皇后崎捜しに行こうぜ!」
痺れを切らした一ノ瀬くんが、声を上げた。
「確かに。時間経過的にも、動くべきですね」
「戦闘部隊に応援要請しましょう」
馨さんも一ノ瀬くんの意見に頷く。
……そうだ。
今は、悩んでいる場合じゃない。
皇后崎くんを助けに行かないと。
「戦闘部隊は動かねぇぞ」
突然、聞き慣れた声が響いた。
「お疲れ様です! 真澄隊長!」
真澄さんが、会話に入ってきた。
……やっぱ、この人。
いるだけで怖い。
「大体、書き置きしてんだ。どうなろうと自己責任だろ」
嫌な空気が広がる。
そんなことを言われたら、何も言い返せない。
けれど真澄さんは、そんな空気など気にする様子もなく、無陀野さんへの挨拶を始めた。
……まあ、そこにもちゃっかり煽りが入っていたけど。
「蘭。お前、皆と一緒に居たいからって俺の誘いを断りやがったな?」
無陀野さん。
ほんとに伝えたんですか!?
やだ……怖い……。
私、死ぬ……。
「……まあいい。お前も成長したってことだろ」
……え?
怒られなかった。
罵倒も、舌打ちもない。
『……』
え、怖い。
なに?
逆に怖いんだけど。
どうせ、真澄さんのことだ。
何か情報を、もう持っているに違いない。
『……真澄さん』
早く報告して。
そんな意味を込めて名前を呼ぶ。
すると――
「チッ」
盛大な舌打ちが返ってきた。
……。
罵倒さえなかったら、そこまで怖くないのに。
……いや。
やっぱり舌打ちも十分怖い。
「まあ、順を追って話すと、すでに調査でわかったことが3つある」
真澄さんが話し始める。
「一、生徒は拉致られた」
「二、一般人の関与」
「三、練馬の桃の仕業じゃねぇ」
一般人が……桃と関与している?
桃が一般人を巻き込んでいるってこと……?
一体、何が起きているんだろう。
話が進み、私たちはたまり場へ踏み込むことになった。
やっと。
やっと、皇后崎くんを助けに行ける……!
全員が正装に着替え、ビルの屋上へと移動する。
屋上から見えるのは、煌びやかな看板を掲げたキャバクラ。
どうやら、そこが半グレたちの溜まり場らしい。
「俺が乗り込めばいいんだろ?」
一ノ瀬くんがそう言えば、
「馬鹿だな、お前」
すかさず真澄さんに切り捨てられていた。
……ですよね。
そして、遊摺部くんも血蝕解放を試みるものの、どうやら上手く使えないらしい。
「じゃ、どーすんだよ」
一ノ瀬くんが尋ねる。
すると、馨さんが静かに口を開いた。
「偵察部隊の仕事ってやつを、ちゃんと見とけ」
そう言って――
馨さんは、自分の指を切った。
チャプター29
馨さんの能力は、小瓶に入れた自分の血を振ることで血の音を反響させ、周辺にいる人間の数や建物の構造を立体的に察知することができる、というものだ。
つまり、遊摺部くんの上位互換のような存在。
いつ見ても、すごいと思う。
そして、真澄さんの能力。
自分の血を舐めることで、10分間、姿を消すことができる。
この人の怖いところ、その3くらいに当てはまる。
……いや、能力まで怖いの、ずるくない?
馨さんが、一ノ瀬くんに小瓶を渡した。
どうやら、IQが高い人は使えるらしい。
一ノ瀬くんは、使えなかった。
『……え、遊摺部くんも……!?』
IQ高いと思ってたのに、意外だ。
「馨……遊んでないで、中の状況」
「はい。中には、鬼一人の反応しかないですね」
「絶対、皇后崎じゃん!」
一ノ瀬くんがそう言う。
「中を確認してくる。お前らは待機だ」
そう言って、真澄さんは透明になり、そのまま中の様子を確認しに行った。
チャプター30
数分後、真澄さんが戻ってきた。
特に罠などはないと判断したらしく、私たちもそこへ向かうことになった。
矢颪くんが、扉を破壊する。
そんなに怒りが溜まってたのかな……?
中に入ると、そこには拘束されている皇后崎くんがいた。
よかった。
傷は、特に見当たらない。
真澄さんが皇后崎くんを拘束していた器具を取り外した。
その瞬間。
思わず、私は皇后崎くんに抱きついてしまった。
『生きててよかったぁ……。皇后崎くん……』
なんで抱きついたのか、自分でもうまく説明できない。
けど……抱きつきたかった。
生きていてくれてありがとう。
ただ、それを伝えたかった。
「……糸哭」
ぽん、と優しく頭に手を置いてくれた。
それだけ。
それだけだったのに、なんだかお礼を言われたような気がして……。
顔が熱い。
なんでだろう。
皇后崎くんは、そっと私を引き剥がすと、すぐに扉へ向かい始めた。
「どこ行くんだ」
真澄さんがそう聞く。
「あの姉妹が危険なんだ。
俺を拉致したやつが人質を取ってる。
時間がねぇんだ」
「まてガキ。聞きたいことが色々ある。
すぐに事情聴取だ。子供の方はこっちで対処する。テメェは動くな」
「子供の顔知らないだろ」
「調べれば済む。分かったらお前は……」
真澄さんの言葉を遮るように、迅くんが真澄さんの胸ぐらを掴む。
「時間がねぇって言ってんだろ」
「血走ってんな。冷静さを保てない奴は、すぐ死ぬぜ?」
「なぁ先生。
あいつがあんなテンパるの、珍しくね? なんか理由があるんじゃねぇの? 行かせてやった方が良くない?」
一ノ瀬くんがそう言った。
やっぱり。
自分自身を、あの姉妹に重ねているんだ。
一ノ瀬くんが無陀野さんの方を向いてそう言うと、無陀野さんは小さくため息をついてから口を開いた。
「はぁ……皇后崎。戻り次第、必ず話を聞かせろ。約束できるなら、俺と一緒に行く事を許す」
「許してんじゃねぇよ」
「こいつが一度言い出したら聞かないのは、お前も知ってるだろ。
行かせた方が効率がいい。四季、お前も来い」
「え? 俺も?」
え、私は??
一緒に行きたい……!
「四季、あぁ。皇后崎が先走ったら、お前が止めろ」
「えー……」
「いいな? 戻ったら全て話せ」
「わかった」
皇后崎くんが行こうとする。
私は、そんな彼を呼び止めた。
『……皇后崎くん』
振り返った彼に、私は言葉を続ける。
『今度こそ、ちゃんと戻ってきてね。
待ってるから……』
「……ああ。絶対、戻ってくる」
そう言って、3人は行ってしまった。
私は、その背中が見えなくなるまで、ただ見つめていた。
チャプター31
そして、数時間後。
一ノ瀬くんと皇后崎くんが戻ってきた。
病院も、家も燃やされてしまったらしい。
念のための口封じ……?
でも、人質なら殺したらいけないよね……?
なにが目的なんだろう……?
2人は、身体検査を受けている。
「どうでした?」
「皇后崎から桃の細菌が感知できた。何らかの能力で盗撮や盗聴されている可能性が高い。
無陀野とやった練馬の桃の能力じゃねぇのは確かだ。つまり俺らは相手の情報が一切ねぇ。……能力も不明、100%こっちが不利だわな」
「唯一の糸口は、その桃と繋がる半グレたちだな」
「あぁ。急いで探さねぇと、その半グレ共も消されちまう」
「消すって……殺されるんですか?」
「当然だろ? 俺らが半グレを見つけて困るのは、その桃だ。
俺だったら、見つかる前に処分しちまう。考え方は常に残酷でいろ。
『一番最悪』を想像できねぇ甘ちゃんはいざって時、動けなくなる。子供を平気で焼き殺そうとする奴だってのを忘れたのか?」
真澄さんの射抜くような冷酷な瞳が、遊摺部くんを捉えた。
ポーカーフェイスのまま、口元だけが笑っている。
その表情が、彼の冷酷さを一層際立たせていた。
「ここも危険ですね」
「残念だが、ここは手放す。隊員は避難させる」
「打つ手なしですか……」
「ばーか。
どんな能力にも、必ず穴がある。大事なのは、諦めずにその穴を見つけることだ。
なんだ? お前ら、追い込まれた途端に弱気になりやがって。ピンチの時こそ冷静に脳みそフル回転で突破方法を考えろ。
そんなんじゃ、偵察も医療も戦闘部隊も勤まらねぇぞ。
心だけは折れるな。
心が折れなきゃ、チャンスは0になんねぇよ」
その言葉に、みんなの表情が変わった。
私も、自然と背筋が伸びる。
怖い。
やっぱり真澄さんは怖いけど……こういう時の言葉は、すごく頼りになる。
「無陀野、馨、作戦会議だ」
そう言って、フッと笑った真澄さん。
その背中は、とても頼もしかった。
チャプター32
皇后崎くんは、目隠しと耳当てをすることになった。
皇后崎くんがこうしている間に、二人一組で半グレを探しに行くらしい。
一人余るということで、私は皇后崎くんと一緒にいることになった。
『……それじゃあ、皇后崎くん……つけるよ……?』
「……ああ」
私は、皇后崎くんに目隠しと耳当てをつけた。
そして、みんなが帰ってくるまで暇ということらしい。
……暇。
私は、皇后崎くんを観察することにした。
目隠しも耳当てもしているし、気づかれるはずがない。
みんなが頑張っている中、こんなことをするのはよろしくない気もするけど……。
暇なものは仕方がない。
じーっと、皇后崎くんを見つめる。
やっぱり、かっこいい……。
綺麗な顔。
ツギハギも、かっこいいと思える要因の一つだ。
『……』
今なら、キスしても怒られないかなぁ……。
……って、私なに考えてんの!?
だ、だめだ!!
見るの、やめよう!
私は慌てて視線を逸らした。
そんなこんなで、見たいのに見ることができないという、なんとも不思議な時間を過ごすことになった。
チャプター33
そして、一ノ瀬くんたちは戻ってきた。
一ノ瀬くん……なんだか、いつもより顔が暗い。
悲しそう、というか……何かを堪えているような顔。
大丈夫、かな……。
「半グレは、全滅。練馬の桃は警戒を強化。これで俺らは、完全に受け身状態だな」
真澄さんが淡々と口にする。
「唯一の収穫は神門って桃と、その上司の存在だ。上司は、皇后崎を攫った桃で間違いないだろう。皇后崎が言っていた特徴と一致している」
「上司という言葉が本当なら、隊長クラスでしょうね」
「……ああ。しかも狡猾なやつだ。一連の放火もそいつの仕業だろう」
馨さんと真澄さんが、状況を整理するように話を続けていく。
「そして、練馬の桃じゃありませんね」
馨さんがそう言うと、遊摺部くんが首を傾げた。
「なんでわかるんですか?」
「一般人を巻き込むなんてありえないですから。練馬の桃はやばい連中だけど、そのルールは犯しません」
その言葉に、私は小さく息を呑んだ。
つまり、その神門っていう桃と、その上司は……相当ヤバいってこと?
ずる賢い、っていうか……。
とにかく、まともな相手じゃない。
「つまり、皇后崎を攫った桃は極めつけのカス野郎ってことだ」
真澄さんの声が響く。
「おそらく放火の目的は、一ノ瀬。お前だろう。全てお前に疑惑が向くように計画されている」
一ノ瀬くんの名前が出た瞬間、思わず彼の方を見る。
「お前をおびき出すよりは、神門って桃とぶつけたいんだろうな。だから、凄惨な現場で出会わせて一ノ瀬を極悪な鬼に仕立て上げたってところか」
……やっぱり。
こういうときの真澄さんは、怖いくらいすごい。
まるで全部お見通しみたいに、何でも分かってしまう。
「すでに何らかの方法で皇后崎からアジトの情報が漏れていると思って間違いない」
「となると、ここもいつ攻められるか分かりませんね」
「あぁ。他の隊員はこいつ以外、別アジトへ行ったろ? 俺らも移動しねぇとな」
そう言って、真澄さんが一ノ瀬くんのもとへ近づいていく。
そして、挑発するような笑みを浮かべた。
「一ノ瀬、お前は嵌められたってことだ。知り合いが実は桃だったって話は無くもねぇ。つっても、よくある話でもねぇけどな! はは!」
その瞬間。
一ノ瀬くんが真澄さんへ詰め寄り、乱暴に胸ぐらを掴んだ。
「何が面白れぇんだよ! ヘラヘラしやがって!」
怒りを露わにする一ノ瀬くん。
「俺は別に、神門が桃だからショックを受けてんじゃねぇ! 誤解して、話も聞かず一方的に殺意向けられたことに腹立ってんだ!」
その声が、少しだけ震えた。
「なんで……話聞いてくれねぇんだ……俺はあいつと戦いたくねぇのに……」
その言葉を聞いて、胸が少しだけ痛くなる。
……一ノ瀬くん。
やっぱり、神門くんと戦いたくないんだ。
それだけ、大切な人だったんだろうな。
「戦いたくねぇけど、話は聞いてほしい?」
真澄さんの声が落ちる。
「馬鹿か、お前。お前の話なんか誰も聞かねぇよ。なんでか分かるか?」
一ノ瀬くんが顔を上げる。
「お前が弱いからだ」
……うわぁ。
こういうところだよ……真澄さん。
私は、こういうところが嫌いだ。
私が一番弱っているときに。
欲しい言葉じゃなくて、正論を突きつけてくる。
「どーゆことだよ……?」
「四季、俺達鬼はなんで桃と戦うか分かるか?」
「そりゃ、桃が鬼を殺そうとしてくるからだろ……?」
「確かに鬼を絶滅させようとする桃に抵抗する為でもあるが、本質はそこじゃない」
無陀野さんは、一ノ瀬くんを真っ直ぐ見据えた。
「話し合いの席に座らせる為だ」
その言葉に、私は黙り込む。
桃には桃の、鬼には鬼の正義がある。
正義の反対が、悪とは限らない。
だから私たちは戦って、己の正義を貫かなければならない。
「戦わないと、話し合いの席にすら座らせてもらえない。弱いと話も聞いてもらえない」
無陀野さんの言葉が、胸に刺さる。
「弱者の話を聞いてくれるほど、世界は優しくできていない」
……分かってる。
分かっているけど。
それでも、厳しい。
「戦わないやつの言葉は誰にも届かない。話し合いの席に座って欲しいなら、戦う覚悟を決めろ」
私は小さく息を吐いた。
無陀野さん。
やっぱり、良いこと言うなぁ。
……真澄さんとは大違いだ。
「残ってる隊員はいねぇな! 別アジトに行ったな! したら俺らも移動すんぞ!」
真澄さんの声で、思考が途切れる。
私たちはその指示に従い、別のアジトへと移動することになった。
「なぁ、俺らこれからどーするんだ? 新しい場所行って、その後何すんだよ? 相手探してカチコミとかしねーの?」
「こっちはこのまま受け手だ」
「まーた受け手かよ」
「ばーか。受け手は受け手でも、『受け取り方』ってもんがあんだよ」
「詳しくは向こうで話す。あっちも手札揃ったなら動くだろ。桃とのご対面も近い」
真澄さんが、私たちを見回す。
「お前らは未熟だ。本来なら引っ込んでろと言いてぇが、練馬の戦闘部隊が100%動く保証が無い限り、練馬の戦闘部隊は動かせねぇ。つまり、お前らが頼りだ」
そして、一瞬だけ真剣な顔をした。
「だから一つだけ言っておく」
「死ぬんじゃねぇぞ、ちんちくりんども!」
……こういうときは、本当に頼もしいのに。
色々と残念な人だ。
チャプター34
桃太郎たちが中へ入っていったのを確認してから、真澄さんと皇后崎くんが先に隠れ家の中へ入る。
私は二人の後を追うように、透明化したままその場に残っていた。
桃巌は、私たちが隠れ家の中にいないことに気づいたのか、辺りを見回している。
……混乱してる。
その様子を少しだけ眺めてから、ゆっくりと透明化を解く。
姿を現した瞬間、桃巌深夜と目が合った。
「……っ!?」
腰を抜かして驚く深夜。
そんな彼を見下ろしながら、皇后崎くんが口を開いた。
「よぉ。会いたかったぜ、クソ野郎」
「こいつが一般人巻き込むカスか。顔に滲み出てんな、カス具合が」
……今の皇后崎くん。
絶対、かっこよかった……。
正面から見たかったよぉ……。
なんて、思ってる場合じゃない。
私は気持ちを切り替え、二人の合図を聞いて隠れ家の中へと入った。
「あれれー? 深夜くん、これってさー、一杯食わされたかな?」
「なんで……確かにさっきも俺は見てたはず……」
深夜は、いまだに状況を理解できていないようだった。
すると、真澄さんが口元を歪める。
「やっぱ覗くのがお前の能力か」
そう言って、皇后崎くんが身につけていたVRゴーグルを桃巌へ投げつける。
「お前が見ていたのはVRだ、バーカ」
深夜が目を見開く。
「隊員にここまでの道のりと中の映像を撮ってもらった。それをこいつにひたすら見ててもらった訳だ」
「こんな面倒なことしなくても、いくらでも手はあったんだよ。VRなんて使わず待ってりゃ、そっちから来ると思ってたしな」
真澄さんは楽しそうに笑う。
「何通りの中から『1番面倒な方法』を選んだんだ。なんでか分かるか?」
その笑みが、なんだか嫌な予感しかしない。
「これが1番スカッとするだろ?」
……いい性格してるなぁ、真澄さん。
本当に。
「俺らを拉致った時は随分と楽しそうだったよな?」
皇后崎くんの声が低くなる。
「今はどうだ? 俺からのサプライズだぜ? 笑えよ」
青筋を立てながら、桃巌を睨みつける皇后崎くん。
……かっこいい。
皇后崎くん……イケメン……。
こんな状況じゃなかったら、もうちょっとじっくり見ていたかった。
「はは! ダセェな、深夜の奴!」
桃角桜介が吐き捨てるように笑う。
「まぁ、いいんじゃないの? どの道、対面できた事には変わりないんだし」
「決着をつけようか」
その言葉と同時に、私たちと桃の奴らが向かい合う。
空気が一気に張り詰めた。
互いに一歩も引かず、相手の出方を窺う。
「くっ……」
けれど、深夜はすぐに悟ったのだろう。
自分の能力では、この状況を覆せない。
そう判断した深夜は、踵を返して逃げ出していった。
チャプター35
すかさず、皇后崎くんが深夜を追いかけていく。
「皇后崎くん!」
私も慌てて後を追った。
……心配だから。
正直、あいつには拘束された恨みもあるし、皇后崎くん一人のほうがいい気もする。
むしろ私がついていかないほうが、皇后崎くんも戦いやすいかもしれない。
それでも――
皇后崎くんに何かあったら嫌だから。
「だはは! アイツ逃げたぞ!」
後ろから、そんな声が聞こえてきた。
……桃の人たちって、協調性があんまりないのだろうか。
仲間が逃げてるのに、随分と楽しそうだな……。
そんなことを考えながら、私は必死に足を動かす。
待って。
皇后崎くん、速すぎる……!
『っ、はぁ……はぁ……!』
頑張って追いつこうと走る。
ビルの上を駆け抜け、皇后崎くんの背中を必死に追いかける。
けれど、次の瞬間。
皇后崎くんの姿が、視界から消えた。
『……え?』
慌てて角を曲がる。
そこには細い路地裏が続いていた。
……あれ?
皇后崎くん……?
『……皇后崎くん?』
返事はない。
私は路地裏を見回す。
さっきまで、確かに前を走っていたはずなのに。
『……皇后崎くん……?』
もう一度呼んでみる。
やっぱり返事はない。
そして――
私は重大な事実に気づいた。
『……皇后崎くん……』
『どこぉ……』
…………。
『……迷子なったぁ……』
また、迷子になってしまった。
いや。
待って。
一本道しかなかったはずなのに。
『なんで……?』
私はその場で呆然と立ち尽くす。
……なぜ私は、一本道で迷子になれるのだろうか。
チャプター36
私が迷子になってから、数分後。
突然、遠くで大きな爆発音が響いた。
『――っ!』
顔を上げる。
ビルの一室から、黒い煙が立ち上っていた。
『……あそこだ』
私はすぐに走り出す。
あの爆発は、私たちが仕掛けたものじゃない。
……となると。
あの桃が――。
『死なないで……皇后崎くん……』
嫌な予感が胸を締めつける。
さっきまで走っていた皇后崎くんの姿が、頭に浮かぶ。
お願い。
どうか、無事でいて。
私は必死に足を動かした。
そして、爆発のあった場所へ辿り着く。
そこで私が目にしたのは――
倒れている桃巌深夜の姿だった。
……死んでる。
皇后崎くんが、倒したんだ。
『……皇后崎くん……』
少し離れたところにいる彼の姿を見つける。
怪我をしている。
けれど――生きている。
『……よかった……』
胸の奥から、安堵が込み上げてくる。
『生きてて……』
「……勝手に殺すな」
皇后崎くんが、こちらを見る。
……よかった。
本当に、よかった。
決して褒められる道だけを進んできたわけじゃない。
それでも彼は、ずっと上を見続けた。
才能の有無にもがき苦しみながら、それでも戦い続けた男。
桃巌深夜。
享年28。