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影で響く
約6200文字。
ある日に書いた「じゃーなりんぐ」を大幅に加筆して投稿。
これでも|様《さま》になるな。一部、過去描いた小説に触れている。軽い暴力描写があるためPG12。
~小説構成~
・20260619_金曜夜(ジャーナリング)
・影響を及ぼした情報① 他人の記事
・影響を及ぼした情報② 他人の死
・影響を及ぼした情報③-1 他人の実体験
・影響を及ぼした情報③-2 自分の実体験
・20260620_翌日朝(ジャーナリング)
**・20260619_金曜夜(ジャーナリング)**
私は何を思い込んじゃったんだろう。CBTする?
私は、眠れるのかな。怖いよ。ぜんそくの咳が。発作が。とても怖い。
コミュニケーション、ちゃんとできているのか、怖い。
これが問題だったのかな。……。……。
いや、違う!
「存在はあって良し!」だから!
コミュニケーションについては、言い方がミスってしまったのだ。
「ものすごく、ちょーわるい」ということじゃないんだよ!
私は、グレーなほうなんだよ。(と思いたい!)
誰でもコミュニケーションにおいて、失敗することはある。
失敗したときこそ、自分に掛ける言葉は重要だって!
(そうグループ療法の資料には、そう書いてあるから!)
「存在はあって良し!」
ここまでよく頑張りました。自分! って認めたい。
しろたんに「|💮《はなまる》」をもらってますから。
確かに、メンタルはおとうふだよ。だけど、おとうふで良し。
「自分を捉えなおそう」
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**・影響を及ぼした情報①**
Mちゃんが書いた映画を見てきた話。
Mちゃんとは、ネット越しの何の関係のない他人だ。ただブックマークしているだけ。
Z世代である彼女は、どうやらJKをやっているらしい。イケイケとの話だ。ただ、学校での話はブログに載せていない。仲間のコミュニケーションはどうやらそうですか。といった感じだ。あるいはSNSにてそれを華やかにさせているのだろう。
スプラッター映画を見てきたらしい。
その映画は残酷なものだったらしい。この残酷で人間の復讐話、いじめの報復として、加害者グループの人たちを一人ずつ殺していって、最後に自分も殺してしまう。主犯格を追い詰めて、怯えさせて、その前で自分の首を掻っ切って、自殺エンドという。
映像的描写に心を打ちぬかれたのだろう、ここまで残酷になれるものだろうか? と唖然となった旨が書かれている。
ひどい血みどろの映像だったらしい。R15規制で、その規制意義について考える間もなく映画館に入って、規制の内部で、娯楽として飲み込んだ。人工的に作られたそれだったとしても、極端な話人間を壊していく様を見ていったのだ。
Mちゃんによれば、「残忍だったけど、とても素晴らしい映画だった」とネットに書いていたみたいだけど、私は違うと思えた。
だから、そこから。
私は強いイメージを想像してしまったのかもしれない。
クトゥルフ神話や差別的な想像、そしてコミュニケーション障害のできなさへとつなげちゃったのかもしれない。フロイトの自由連想法みたいに、無意識が意識化にて、そのようなイメージを描き出したのかもしれない。
これは、他人の書いた情報だ。だから私には関係ない。忘れよう。
で、いじめの報復に関しては、私の過去に一部重なる話だが、これは「封印指定」の奴だから、思い出さない!
これは絶対そう。今のところは。だから、Mちゃんのネット上の日記は見ないようにしよう。OK?
しかし、JKがスプラッター映画見ちゃったかあー。
私はそういうのは見ない主義だから。文章でOK。お腹いっぱい、なメンタルよわよわ人間だから。
まあ、推理ドラマの『相棒』は結構見ているし、小さいころから某金田一少年の事件簿も見ているから。サブ垢のは、推理小説系からの想像の産物なんだと思う。
まあ、いうて? なのかな。いや、比べるまでもないわ。
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**・影響を及ぼした情報②**
東海道新幹線にて、人身事故があったこと。
あれは、想像するだけでも恐ろしい……。200km/時の高速の電車に飛び込んだんでしょう? よほど死にたかったのだろう。私はただでさえ各駅停車のような、普通の電車での人身事故でも、心を痛ませることがあるというのに。それを新幹線で……。
事故発生時間は夜5時だったらしい。そこから3時間以上も新幹線をストップさせた。
運転できなかった。他人に迷惑をかけた。様々な思いがネットに流れる。このイメージが悲劇的なイメージになるように手伝ったのかもしれない。
私は、この訃報を聞いて、SNSの人たちは他人事だ……とショックを受けたのかもしれない。だから、嫌だと感じた。
でも「影響を及ぼした情報①」のように、「だから忘れよう」、と思っても、忘れられないよそれは! と思ったのだ。
まだない墓標に向かって、祈ろう。
いや、仕切り直したい。両手を組んでから……まだない墓標に向かって、祈ろう。
「きっとあなたは相当苦しんでいたのだと思います。死にたくて、つらくて、たまらなかったんだと思います。だから私は(認知のゆがみの『個人化』はしないようにして)、自分を大切にしようと思います。ご冥福をお祈りいたします。
無縁仏について、今はもう形を喪ってモノになってしまい、個人の尊厳の破片をかき集めたバケツは……、ちょっと残酷だからこれ以上は無理だな。やめとこ。
過去に書いた小説「思い出」を思い出した。
あの頃は、自殺ばかりを題材に取り上げていたような気がする。それは、自分もまた自殺したかったという名残のようなものに憑りつかれていたからだろう。だから、書きやすかった。描写が甘くても、イメージがしやすい。それを狙ったのかもしれない。
執筆当時は、そんなことは考えなかったけど。
「数字がバグる世界」は、物語の転調として、それを効果として使っていた。それまでだ。
アレを書いた当時は、平日の夜に書き上げたものだった。火水木の連続した夜の1.5時間。計4.5時間程度で一気に書き上げたものである。火曜日に一話から三話まで書いて、その後の展開は明日の自分にバトンタッチ。翌日「社会人の僕」になった時に、次は何を書こう……と暇になっている頭を働かして、その夜に書く。ラストは木曜日の自分が考えてくれるだろう……。そんな感じで作ったやつがそれだ。
そのころ一万字以内で書く系のコンテストが開かれていたので、転調効果として高かったのが「モブの自殺」だったのである。それによって、主人公は世界が変容したことに気づくという仕掛けだ。
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**・影響を及ぼした情報③-1**
汚言症に対するパワー系解決、の妄想。
これに対しては、ほとんど忘れてしまった。二日三日前の奴なんだけど。未だ、パワー的解決のイメージがまだ残っているのだろうか。そこから怒りや怒りに罰するための差別的表現が使われちゃったのかも。
これは実体験と、実体験後のイメージに基づく。
数か月前、精神科でグループ療法があった。
いつもなら、この時間帯は診察はされない。待合室の一角をカーテンで仕切り、その部分をグループ療法の空間に仕立て上げる。待合室の半分をグループ療法にして、受付側のほうの半分は何も使われていない状態にしていた。その状態が普通であった。
しかし、ある日にグループ療法に行った際、その女性Aはいたのだ。汚言症のその人である。事前情報は、微かにテレビ番組でチラ見した程度である。チック症の人だっただろうか。どちらでもいいか。
女性Aは、本来静黙を強制される待合室で、ひときわ大声を上げ、時々黙り、数秒後にはまた大声で汚言をわめくという状態だった。
その時は「うるせえな」で終わっていた。
グループが始まる時間帯になると、カーテン越しの彼女のことなんてどうでもよくなった。話し声で包まれるからだろう。彼女は、院長の診察を受けて、カウンセリングも受けていた。グループ療法は1.5時間である。グループ療法が終わったあとも、その人は居り、ひときわ喚いていた。
一か月前、グループ療法があった。
その人もまた、来ていた。グループ療法前から居り、グループ療法後にもいる。私たちは、グループ療法終わりに、軽く診察をしてから、クリニックを後にするのだ。
その人もまた、診察をやっていた。私と同じような時間帯で。
それで、先にレジにて料金を支払うようにした。その間にもまた、汚言症の喚き散らし方があった。グループ療法参加者はみな無視している。受付の人もまた、それに倣っている。その辺はプロである。私もまた、それに倣っていた。
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**・影響を及ぼした情報③-2**
その翌日より、私の頭のなかに異変があった。
汚言をわめく人が、頭のなかに乗り移ったような気分だった。目の前の上司のコミュニケーションがうまくいかないと、「だから○○はダメ人間なんだよ」と他責重視や自責重視な怒りが湧いてくる。それが数日間も続くもので、ついに脳内にてそれを懲らしめてやりたいとイメージした。
何かに影響を及ぼしているイメージがあるのだろう、そうやって思い起こすと汚言症の女性Aが思いついた。
だから、ぶん殴ってやったのである。
脳内にて構築した、架空の精神科の待合室にて。
「うるせえんだよ、黙ってろよこのカス」
と言っている、女性Aの汚言が社会に飛び出てきたら、すぐに臨戦態勢になる間もなく、無言で胸倉をつかんで、アタマをひっつかんで、おでこを床にたたきつける。何度も何度も。薄手の絨毯は、まったく暴力表現の音をかき消そうとしない。逆に加勢するかのようだ。
そうやってから「二度と俺の前で文句を出してくるんじゃねえぞ」と凄んでやった。
もちろん、女性Aは主人格がいる。
汚言を喚かない時間は、その人自身の声は小心者のような声で「すみません、すみません」と言っているのである。
クリニック受診終わりのレジにて、財布から現金を取り出すなどの素振りには問題なく、受け答えもまあまあできていると思える。ただ、本来沈黙であるべき時間帯にて、心の声が表出するのだ。間断もなく、一人で、自作自演。
腹話術氏の人形があれば、どれほどよかったものか。笑われでもしたら、それはどれほどよかったものか。少なくとも、今の苦しみは少しだけ半減するだろうか……飛躍していた。
それで、架空の私は「すみません」といって、架空の人に向けて謝るのである。
「私は緘黙を持っているので。私も頭のなかから声がするのです」
「そうなんですか」
すると、「そんなことねえよ! 人の声について鵜呑みにするんじゃねえよ、このカス!」
と女性Aから汚言が飛びだしてくると、私はもう一度彼女の頭をひっつかみ、おでこに押し付けた親指をぐいとあげて、
「黙ってろ! てめえは頭のなかから出てこれねえ癖に主人公ぶってるんじゃねえよ! 引っ込んでろ腰抜け! 次俺の前に出てきたらその脳みそ勝ち割ってやるからな!」
と瞳の奥にいるやつに向けて、言ってやったのである。そして、女性を拘束から解放してやった。
後日、ありもしない場面に移り変わる。
女性はクリニックの待合室にて、私に「あの」と声をかけるのである。
「あれから汚言が出る回数が少なくなったんです。ありがとうございます!」
その想像をしたあと、私の頭のなかにあった異変が消えてしまった。数日前の話で、三日のうちに忘却曲線に沿って無くしてしまったのである。
都合の良いストーリーであることは確かだ。
が、でも、それでいいのだ、と思えるのである。大部分はすでに忘れており、後付けだし。実際の妄想時間は3分未満で、もっと簡略化されたものだったと思う。インパクトのみである。
緘黙であるから、私の声は表に出てこない。ただ脳内でたらたらと、私のガイドを努めてくれているのである。その声が、他人の罵声に影響を受けて、頭蓋骨を壁ドン。いつもなら、自閉症スペクトラムよろしく引きこもっており、緘黙の壁のなかで、取り組んでいる。心の声について、せっせと思いついたものをただ量産しているだけ。
「いや、その意見は極端だなー」
「それはあり得ないだろう。何を思ってこの文章書いてきたんだ。というか長すぎるだろー」
「うーん、何言ってるんだ。理解できない」
これらは、ネット上の記事を見て、私がつい呟いたものたちである。
普通だ。しかし、ここ数年はこれが数日のうちに跳ね返ってきて、自責の念やリフレクションになっている。そのことに関して、非常におびえていたのだが、それは違うようである。おそらく、私のストレス負荷の増減によって、受け捉え方が変わる。最近はそう思える日があった。自己受容に関する生長点だと感じる。
そんなツルのような成長をする自己受容に関して、少しわかったことがある。
私は、私を苦しめているイメージを、他人からもらっている。そして、私は知らず知らずのうちに影響を受け続けている。影響を及ぼすものを見つけたり特定したりすると、即座にその影響は無くなる。静寂が訪れる。
例えば今回は、様々な影響があり、私は揺れていた。主要因は、その人なのだろう。
その間の私は、ふらりふらりと通勤中に揺れていた。揺れながら歩いていた。凍り付いた時間の中に自分が立っていて、責任感の強い私は、誰にも相談できず一人で抱え込んで、歩いていた。コミュニケーション能力は低いほうだ。でも、それでも、存在はあってよし。障害があって、クリニックに通っている。それで社会人をやっている。
(今ここ、今ここ)
そうやって小さく呟きながら、暗い雑踏の中を歩き、足より感じる自分の身体の重みを感じながら、一歩ずつ進んでいる。それを繰り返して、家まで来た。
影響されているものを特定したら、後から追いかけ続けていた理性が来るものだ。それは、頻度は月一回とか、そのペースだよ、と。
それだけで、大方の波は去る。あれだけ荒れていた海は、それで湖となり、水たまりとなる。蒸発して、雨になる。
そうやって、「今ここにいる」になる。
言葉というものは、それだけで力を持つものだ。
それを知った。そして、画像もそうであるし、情報もまたそうである。本のジャケットも、そう。
だから、……と。今読んでいる本『かくれトラウマ』の表紙を見て、メモ帳を開き、最近メモをしたことに気づいた。こうあった。
「火は言葉を持たない。評価も、要求も、解釈も伴わない。ただ夜を照らし、冷え切った石を温める」
コルクボードに貼られたスクラッチにも、その言葉は書かれている。今日けずった作品だ。突発的に作ったにしては、やるな、と。
それで、もう一枚のほうも見やった。こう書かれてある。
「『大丈夫、ちゃんと進んでいるよ』
暗い夜空と2匹の猫。ごらん、と月。ごろん、と星」
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・翌日
翌日、Bump of Chiken の「プレゼント」を聴いた。
学生の頃、まだ「Bump of Chiken」が、バンプオブチキンだったころに曲だけ聞いて、「いいな」となっていたもので、繰り返し鬼リピしていたものだ。そうやって学生時代は他人の作ったものをコピペコピペばかりするのである。暗唱するのである。
だから、ふとした時に|諳《そら》んじて、それが数年単位で繰り返されていた。バンプの、えっと、うん。
曲名は何だったんだろう……となるまでの時間と、そこからの社会人年数によって上積みされていって、それでその日にまた口ずさんだ。
暗唱していた歌詞の一部である「そうだ いくつかの物語を プレゼントしてあげる」を検索して、曲名は掘り当てた。
「少なくとも君には味方がいるよ
プレゼントの物語の中の住民達
さあ、これから何をするんだい 僕はもう行かなきゃ
ほら どこかで 涙の落ちる音」
ギター弾き語りがとても良い。
今は有名になった原曲より、何物でもない素人の弾き語りのほうが。再生回数200に「+1」をする、1が1であるこの瞬間、私は他人になれる。耳に効き、馴染む。
【参考】
・かくれトラウマ 生きづらさはどこで生まれたか 井上 陽平 (著)
https://amzn.asia/d/0fzZ87Ov
・【ギター弾き語り】プレゼント / BUMP OF CHICKEN(歌詞コード付き)
https://www.youtube.com/watch?v=YiS8N0xeHY0
【過去に書いた僕の小説たち】
・思い出
https://tanpen.net/novel/f199c8c6-080c-4d43-a258-1a5c853b533f/
・数字がバグる世界(カクヨムにいたころに書いた奴)
https://kakuyomu.jp/works/1177354055077440468