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生きる
世界が嫌いだ。
生きるって辛いな。
そう思いだしたのは中学3年生の頃だった。
「高校はどうするの!?」
「勉強しなさい!」
そんな親の言葉。
「優華、絶対一緒の高校にしようね!」
「優華~!愚痴聞いて~?」
そんな友達の言葉。
全てに嫌気がさした。生きるのに息苦しさを感じた。世界なんて、終わりを迎えれば、何もなくなればいいのに。そんな事を思った。
SNSのアカウントで、他の人の呟きを読んだ。
長文で世界の詰まらなさを綴っている人、短く親の愚痴を言っている人。大勢の人が世界に不満を持っていた。
その中には(というよりほぼ全員が)可哀想な環境だったり、酷い人間関係だったりした。
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自分は、人間関係も良好。親も私の事を思って厳しくも優しく接してくれる。
それなのに、私はすぐに辛いとか、嫌だとか、そういう事ばっかり言って、ネガティブ思考になって、泣いたり、苦しんだりしている。
私は人並みには幸せなのだ。
なのに、世界が終われば、とか、死にたい、とかとほざく。
自分は、我儘だ。傲慢だ。そう思って、さらにネガティブになって。
負のループ。
その言葉が、私にはお似合いだった。
なぜこんなに辛いのか、2時間も3時間も考えた。でも、それと言った物はなく、諦める。
ちょっとでもネガティブ思考から離れようと、自分は幸せだと、そう思うことにした。
でも、そう思い込もうとすればするほど、心が締め付けられ、辛くなった。
何度も何度も、解決しようと頑張った。
でも、それは上手くいかなかった。
残る対処法はただ一つだった。
この手で、苦しみを終わらせる事。
それ以外に、もう手はなかった。怖かった。ずっと、死ぬのが怖くて、だから、これを後回しにした。最後の砦だった。
でも、これには欠点があった。
私に勇気がない事。
実行できないのだ。
何度も、この手を考えた。でも、中々実行は出来なくて。
それがまた苦しかった。
打開策はないか、何度も調べた。
そして見つけた。
『死にたいけど、勇気がない人、いませんか』
そう書いているサイト。私は様子見がてらそっと開いた。
そこは、たくさんの人が書き込んだ、死ぬのが怖い人に向けての、アドバイスで溢れていた。
私は、それを一つずつ読んでいった。
それはランキングになっていて、2位から読んでいった。
次は3位、次に4位。
20位くらいまで読んだ辺りで、1位を読むことにした。
1位のタイトルは、こうだった。
『何もないけど、死にたい人へ』
私にぴったりだと思った。
特に悩み事もない。ただ、少しだけ、受験で悩んでるだけの、一般中学生。
普通の人と変わりないのに、死にたいとか言ってる、メンタル豆腐な、ダメ人間。
それを読んだ。その人は、私より恵まれていた。
その人は、友達にも愛されていた。
親にも、愛されていた。
先生からの評判も良くて、頭もよかった。その人には大学受験があったが、それも難なく合格できると、親からも先生からも言われた。
もちろん、本人もそう思っていた。ただ、一つ思ったのだ。
自分の人生って、なんなんだろう、と。
それを見た私は、なにかを感じた。
そうだ、自分も同じなのだ。
自分が、なぜこんなに苦しいのか、ようやく分かった気がした。
そう思うと、急に死ぬのが怖くなくなった気がした。
逆に、この世界に恐怖を覚えた。
死は、怖くないんだ。
そう思った時には、自室のベランダにいた。
家はマンションで、自分の家は7階にあった。マンションの最上階である自分の家。これだ。ここが、この場所が、ずっと追い求めていた所なのだ、そう思った。
柵に足を掛けた。
思いっきり、柵を蹴った。
私は、幸せになれる。