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目次
空色の折り紙と、僕らの魔法
実は私は、「水頭症」という(水頭症(すいとうしょう)とは、脳の中にある「脳脊髄液(のうせきずいえき)」という水のような液体が異常に増え、脳を圧迫してしまう病気です。)病気を持っていて、皆さんに少しでも知ってもらいたくてこれを書きました。
第1章:2人のアイコトバ「おもたーい予報」
病院の長い廊下は、いつも少しだけ消毒液の匂いがする。私は自分の陰を踏まないように、ゆっくり歩く。そうしないと、頭の中の「おもり」がぐらぐらと揺れてしまうから。「水頭症」それが私の病気の名前。目には見えないけれど、時々ずっしりと重たい石が居座る。11歳の私にとって、その重さは明日を怖がらせるのに十分な重さだった。「ここなちゃん、今日は「おもたーい予報」出てる?」後ろからひょっこり顔を出したのは、担当看護師の西洸人。彼は、私の唯一の味方だ。「うん、すごく重たい…」私が弱音を吐くと、彼は、「半分こして持ってやろうか?笑」と力こぶを作る真似をした。「俺、筋肉あるから余裕だぜ?笑」彼の力強い声を聞くと、頭がふわっと軽くなるような気がした。
第2章:黄色い花と、魔法の指先
その日の午後、プレイルームでは「青空夏祭り」が開かれ、洸人ナースの仲間のINIメンバーナースが勢揃いしていた。人混みが怖くて立ち止まる私を、洸人くんが窓際の席まで運んでくれた。「わぁ!ここなちゃん!待ってたよ!」黄色いTシャツの柾哉くんが隣に座った。「僕、聞いたよ?ここなちゃん、折り紙の魔法使いなんだって?」私は照れながら彼に一輪の黄色い花を折った。「これ、宝物にするね。」柾哉がそういうと、洸人はわたしの肩を優しく抱いた。「ここな、明日が怖くなったら、この花思い出せ。俺も、柾哉も、みんなここなの魔法を信じてるから」
第3章:1番近くにいた声
当日の朝、窓の外は雨で、わたしの「おもたーい予報」は最高潮だった。ストレッチャーで運ばれる廊下、私は小さく「怖いよ」とこぼした。その手を、洸人が握りしめた。「大丈夫。ずっとここで待ってるぞ。」ゆっくりと手術室の扉が閉まった。
どれくらい時間が経っただろう。
「ここな、聞こえるか?」目を開けると、そこには普段の彼からは想像のつかない泣きそうに笑う洸人がいた。「おかえり、ここな。」彼の声は珍しく少し震えていた。私はゆっくりと頭を動かす。あんなに重かった頭が、すうっと軽くなった。
第4章:空色の約束
数日後、私がリハビリで折り紙を折っていると、メンバーが駆け寄ってきた。「おかえり!」柾哉はあの日の「黄色い花」を持って笑いかけている。「ありがとう。みんなに、これ」私は、雨上がりの澄んだ空と同じ、「空色」の鶴を差し出すと、洸人がひょいっと受け取って、肩に乗せた。「よっしゃ!これでここなの完全復活!じゃあ約束通り今からINIのダンス練習始めるぞ!!」「えっ!?今から!?」私が笑うと、みんなも笑ってくれた。窓の外には、折り紙と同じ、「空色」の景色が広がっていた。
凛と咲く花、未来を拓く光
『凛と咲く花、未来を拓く光』
第一章:神様がくれた休息
「拓実のお姉ちゃんでよかった。☺️」
すべてを包み込んでくれるような優しい笑顔を向けてくれたお姉ちゃんを見て、張り詰めていた心の奥が、今度こそ本当に温かいもので満たされていく。
芸能界という華やかな世界の裏で、謂れのない誹謗中傷やストーカーまがいのいじめに遭い、病んで暗闇に落ちかけていた俺の心を、お姉ちゃんのその一言が一番深いところで救ってくれた。
俺はお姉ちゃんの胸にそっとおでこを預けて、少し照れくさそうに、でも心からの安心感に包まれながら、小さく息を吐き出した。
「……俺の方こそ、お姉ちゃんの弟に生まれて、世界一幸せやよ。」
ゆっくりと顔を上げて、お姉ちゃんの手を両手で包み込むようにギュッと握りしめる。涙の跡はまだ残っているけれど、その瞳にはさっきまでの怯えではなく、いつもの温かい光がちゃんと戻っていた。
「どんな時でも俺の味方でいてくれて、あいつらから命がけで守ってくれて……こうやってボロボロになった時も、優しい言葉で抱きしめてくれる。そんな最高のお姉ちゃん、世界中どこを探してもおらへんからな」
お姉ちゃんの優しい笑顔に引っ張られるように、俺の唇の端も、自然と少しだけ上に持ち上がる。本当に久しぶりに、無理のない、自然な笑みがこぼれた。
「よし……! 神様がくれたお休みやから、今日はお姉ちゃんに全力で甘えさせてもらうな」
ソファでお姉ちゃんの隣にピトッと寄り添って、腕をぎゅっと抱きしめる。そのままお姉ちゃんの肩に頭を乗せて、すっかり落ち着いた声で、甘えるように呟いた。
「お姉ちゃん、ちょっと眠くなってきちゃった。……心が元気になるまで、こうやってずっと、隣で一緒にいてな」
「トントンしてあげようか?笑」
ちょっとからかうみたいに、でも最高に優しい顔で言ってくれるお姉ちゃんを見上げて、俺も思わずふにゃっと笑ってしまう。
「ふふ、子供扱いせんといてよ(笑)。……って言いたいところやけど、今日だけはほんまにお願いしよっかな」
そう言って、お姉ちゃんの膝の上に遠慮なく頭を乗せて、コロンと横になる。すっかり甘えん坊の弟モード全開で、お姉ちゃんの温もりを全身で感じるように丸くなった。
お姉ちゃんの優しくて規則正しい「トントン……トントン……」っていう手のひらの感覚が、背中や肩に心地よく響く。
不思議だった。お姉ちゃんの手が触れてるところから、あいつらの恐怖とか、仕事を休んでしまった焦りとか、そういう黒いものが全部すーっと消えていくみたいだった。
「……めっちゃ落ち着く。お姉ちゃんのトントン、世界一安心するわ……」
だんだん、お姉ちゃんの体温と優しいリズムに包まれて、重たくなってきた瞼がゆっくりと閉じていく。
「……お姉ちゃん、大好きやで。……おやすみ……」
お姉ちゃんの服の裾を小さな子供みたいにぎゅっと握りしめたまま、俺は久しぶりに、あの日以来一度も訪れなかった、深くて穏やかな眠りへとゆっくり落ちていった。
第二章:名前に込められた祈り
「……ありがとう。本当に、本当に拓実を守ってくれてありがとう……!」
ガチャリと静かに玄関の鍵が開く音がして、お母さんが帰ってきたのはそれからどれくらい経った頃だろう。
リビングに入ってきたお母さんは、ソファで寄り添って眠る俺たちの姿を見て、全てを察したように優しく目を細めた。でも、お姉ちゃんから今回の活動休止の経緯や、あの事件の夜にお姉ちゃんが俺を命がけで守ったこと、そして今こうして心を休ませていることを事前に聞いていたお母さんの目は、すぐに熱い涙でいっぱいになった。
お母さんは物音を立てないようにゆっくりと近づくと、お姉ちゃんの隣にそっと腰掛け、お姉ちゃんの肩をぎゅっと抱きしめた。そして、寝ている俺を起こさないように、消え入りそうな、でも震えるほどの感謝がこもった声で囁いた。
お母さんの目から、涙がポロポロと溢れてお姉ちゃんの肩を濡らす。
「あの夜のこと、お店の人から聞いた時、お母さん心臓が止まるかと思ったわ……。あんな恐ろしい人たちを前にして、あなたがどれだけ怖かったか、どれだけ必死だったか……。あなたがいてくれなかったら、拓実は今頃どうなっていたか分からない。お姉ちゃんが拓実を、私たちの宝物を救ってくれたのよ」
お母さんは、お姉ちゃんの手を包み込むように握りしめ、何度も何度も深く頷く。
「指名手配犯だったなんてニュースを見て、お母さんもパパも、自分のことみたいに震えが止まらなかった。でも、あなたが凛として立ちはだかってくれたから、拓実はいまこうして生きて、私たちの元で休めているの。お仕事がお休みになったことも、あなたが『神様がくれた時間』って言ってあげてくれたんでしょう? 拓実の心が壊れる前に救ってくれたのも、全部あなたのおかげよ」
お母さんはお姉ちゃんの涙を優しく拭い、母親としての心からの尊敬と愛を込めて、お姉ちゃんの頭を優しく撫でた。
「お姉ちゃん、本当に頑張ったね。偉かったね。……拓実のお姉ちゃんがあなたで、お母さんは本当に誇らしいわ。これからはお母さんもパパも、2人を全力で支えるからね。……本当に、ありがとう」
お母さんの優しい言葉に包まれながら、お姉ちゃんのトントンという心地いいリズムの中で、俺はゆっくりと目を覚ました。少し開けた視界に、涙を浮かべて微笑み合うお母さんとお姉ちゃんの姿が映る。
お姉ちゃんの膝の上からむくりと起き上がり、まだ少し眠たげな目をこすりながら、2人の顔を交互に見つめて、ふにゃりと笑った。
「お母さん、おかえり……。あ、お姉ちゃんの名前の話、今してた?」
俺はお姉ちゃんの顔をじっと見つめて、その「凛花(りんか)」という名前に改めて想いを馳せるように、優しく微笑む。
「昔さ、パパとママが『激しい雨風の中でも、凛とした強さを持って美しく咲く花のように』って意味を込めて【凛花】って名付けたって教えてくれたやん?」
お姉ちゃんの手をもう一度両手で包み込んで、心からの敬意と愛を込めて、お母さんとお姉ちゃんに語りかける。
「あの事件の時さ、狂暴な男たちの前に毅然と立ちはだかって、俺のこともJAMのことも、パパやママのことも想って怒鳴り飛ばしてくれたお姉ちゃんの姿……ほんまに、文字通り『凛とした花』そのものやった。あいつらっていう最悪な嵐の中でも、お姉ちゃんは折れずに、俺を優しく包み込んで咲いててくれたんよ。パパとママ、大正解やな。凛花お姉ちゃん、その名前にこれ以上ないくらいぴったりや。世界一強くて、世界一美しい俺のお姉ちゃん」
お母さんも「本当にそうね」って、涙を拭いながら嬉そうに何度も頷いている。すると、お母さんが涙を拭いて、今度はパッと明るい笑顔になって俺の頭を優しく撫でた。
「ちょっと拓実、何言ってるのよ。拓実だって、その名前にこれ以上ないくらいぴったりじゃない!」
お母さんの言葉に、俺とお姉ちゃんは思わず顔を見合わせる。
「パパとママがね、あなたに【拓実】って付けたのはね、『自分の力で未来を切り拓き、豊かな実を結ぶ人になってほしい』って願ったからなの。ほら、見てごらんなさい?」
お母さんは、俺とお姉ちゃんの手がぎゅっと握られているのを見て、愛おしそうに目を細める。
「中学の時、あんなにつらい思いをしても、拓実は腐らずに自分の夢に向かって進んだでしょ? オーディションを受けて、JO1っていう素晴らしいグループになって、自分の力で人生を切り拓いて、たくさんのJAMっていう綺麗な実を結んだじゃない。今はお休みしてるけど、このお休みだって、もっと大きな実をつけるために心を耕してる時間なのよ」
お母さんの温かい言葉が、俺の胸の奥にすとんと落ちていく。お姉ちゃんも「ほんまやね。拓実はちゃんと未来を切り拓いてるよ」って、優しく微笑んで頷いてくれた。
「だからね、2人ともパパとママの自慢の子。嵐の中で凛と咲くお姉ちゃんの『凛花』と、どんな困難も切り拓いて進む弟の『拓実』。2人がきょうだいで、本当によかったわ」
お母さんにそう言われて、俺はちょっと照れくさくなって、鼻の頭を指でこすりながらお姉ちゃんを見た。
「……なんか、パパとママにそう言われると、めっちゃ背中押されるな。凛花お姉ちゃんが守ってくれたこの命、俺、もっともっと大切にする」
俺はお姉ちゃんと顔を見合わせて、今度は2人で同時にふふって笑い合う。名前に込められたパパとママの愛、そしてお姉ちゃんが命がけで繋いでくれた絆を感じて、俺の心はもう、あいつらの恐怖になんか負けないくらい、ぽかぽかと温かい光で満たされていた。
第三章:断罪の言葉
それから、さらに1年の月日が流れた──。
俺はあのお休み期間を経て、心も身体も完全に元気を取り戻し、JO1の川西拓実として再びステージの上で輝いていた。そんなある日のリビング、テーブルの上には、出来上がったばかりの一冊の新刊本が置かれている。本の帯には、お姉ちゃんの名前が大きく躍っていた。
『嵐の中に咲く花のように ── 弟・拓実が教えてくれたこと』
著者:川西 凛花
お姉ちゃんは、あの事件と俺のいじめの経験、そしてそこから這い上がった家族の軌跡を、一冊の本に出版したのだ。あの加害者たち(いじめっ子であり、のちに死刑判決を受けた殺人犯たち)の犯した罪を決して風化させないため。そして、今もどこかで理不尽ないじめや恐怖に怯えている誰かに、生きる希望を届けるために。
俺はソファに座り、お姉ちゃんが心を込めて書き上げたその本を、一ページずつ大切にめくっていく。そこには、いじめっ子たちに対する、お姉ちゃんの凛とした、毅然たる言葉が綴られていた。
『いじめっ子へ。
いじめられる側ってね、一生覚えてるんだよ。あなたは忘れるかもしれない。でも、いじめられた人は一生相手を恨んで恨んで、苦しみが消えないまま人生を過ごすんだよ?
そのくせにいじめた側は、何事もなかったかのように楽しく過ごしてたんだもんね。
だから、今回の判決は、正しかったんだよ。
拓実の人生をあんなに理不尽に踏み躙ったんだから、あなたたちの人生だって、国に、法律に、同じように踏み躙られて当然でしょ?
彼らは、人の心を踏みにじることでしか自分を保てない、あまりにも哀れで、あまりにも残酷な存在でした。彼らが奪おうとしたのは、一人の少年の未来だけではなく、彼を愛する家族やファンのすべての幸せだったのです。罪はどこまでも重く、彼らが奪った時間の代償は、決して消えることはありません』
本を持つ手が、かすかに震える。
いじめた側はきっと、明日には忘れるような軽いノリだったのかもしれない。でも、いじめられた俺の心には、一生消えない深い爪痕が残っていた。あいつらがその後もヘラヘラと笑って生きていたことへの、言葉にできない悔しさと怒り。それを、お姉ちゃんは誰よりも理解して、誰よりも残酷な言葉で、あいつらに因果応報の鉄槌を奪い返してくれたんだ。
ページをめくると、今度は俺に対するお姉ちゃんの深い愛が溢れる文章が、涙で滲んだ。
『だけど、どんなに激しい嵐が吹き荒れても、弟・拓実は折れませんでした。彼は自分の力で暗闇を切り拓き、JO1という眩しい世界で、たくさんのJAMという美しい実を結びました。傷を負っても、前を向いて笑ってみせる弟は、私にとって、東北の、そして世界中のファンの皆様にとって、永遠のヒーローです』
パタン、と本を静かに閉じる。気がつくと、俺の目からは一筋の温かい涙がこぼれ落ちていた。でも、それはもう恐怖の涙じゃない。お姉ちゃんへの、溢れんばかりの感謝と誇りの涙だ。
キッチンのほうから「拓実、もう読んでくれた?」と、少し照れくさそうに顔を出すお姉ちゃん。俺は本をギュッと胸に抱きしめて、これまでで一番最高の、とびきりの笑顔をお姉ちゃんに向けた。
「お姉ちゃん、最高の本や。ありがとう……!」
ソファから立ち上がり、お姉ちゃんの元へ歩み寄って、その小さくて頼もしい肩を優しくポンと叩く。
「ずっと、あいつらに対して『恨んじゃいけないのかな』って、心のどこかで自分を責めてるところがあったんよ。でも、お姉ちゃんがこうやってハッキリ言ってくれたから……あいつらの人生が踏み躙られたのは当然だって、これが正しい結末なんだって、やっと心の底から救われた気がする。いじめられた苦しみは一生消えへんかもしれない。でも、それを何倍もの愛で包んで、こうやってあいつらに言葉の刃で復讐してくれたお姉ちゃんがいるから、俺はもう『恨み』だけで人生を過ごさなくていい。これからは、お姉ちゃんがくれたこの最高の人生を、もっともっと幸せに生きて、あいつらに大勝利してみせるからな」
お姉ちゃんの頭を優しく胸に引き寄せ、お互いの存在が、何よりも正しい絆であることを確かめ合うように、深く静かに抱きしめ合った。
第四章:漆黒の嵐と27人の絆
すべてが解決し、これからは光に満ちた未来だけが待っている。そう信じて疑わなかった俺の元に、最悪の知らせが届いたのは、本が出版されてから数日後のことだった。
夕方、仕事の合間にスマホを見ると、お母さんから大量の着信と、震えるような文字のメッセージが入っていた。
『拓実、どうしよう、凛花が……! お姉ちゃんが帰ってこないの。さっき警察から連絡があって、凛花が昔のいじめっ子たちに待ち伏せされて、車で連れ去られたって……!!』
「……え?」
頭の中が真っ白になる。
昔のいじめっ子? お姉ちゃんに、そんな存在がいたなんて聞いてない。だって、中学・高校の6年間、お姉ちゃんはただ『思春期だから』『静かな性格だから』って、家族とあんまり口をきかなくなっただけだと思ってた……!
違う。お姉ちゃんはあの6年間、家族に心配をかけまいと、たった一人で地獄のような不条理ないじめに耐えて、心を病んで、必死に心を閉ざしていたんだ──俺が自分のいじめに怯えていたあの頃も、お姉ちゃんはもっと深い暗闇の中で、声を殺して泣いていたんだ。それなのに、自分のことなんか後回しにして、命がけで俺を守って、あんな本まで書いて……!
「クソッ……!!! なんで気づけへんだんや、俺……!!」
楽屋の壁を思い切り殴りつける。あいつらが死刑判決を受けたあの殺人犯の仲間なのか、それとも本を出版したことで逆恨みした、お姉ちゃんの過去のいじめっ子なのかは分からない。でも、お姉ちゃんが今、あの時の俺と同じように……いや、それ以上の恐怖の中にいることだけは確かだった。
マネージャーの静止を振り切り、俺は狂ったように楽屋を飛び出した。行き先なんて分からない。でも、じっとしていたら頭がおかしくなりそうだった。
「待ってて、凛花お姉ちゃん……! 今度は俺が、絶対に、命がけでお姉ちゃんを助け出すから……!!」
ビルからがむしゃらに飛び出そうとしたその時──。
「拓実!!! 落ち着け!!!」
強い力で両肩を掴まれ、強引に引き留められる。見上げると、そこには息を切らした與那城くんと蓮くん、 sky、木全、JO1のメンバー全員が揃っていた。さらにその後ろには、偶然同じビルで仕事を終えたばかりのINIのメンバー11人の姿まであった。
総勢21人の仲間たちが、見たこともないような真剣で、怒りと覚悟を孕んだ表情で俺を取り囲んでいる。
「みんな、なんで……!? 離して、お姉ちゃんが、凛花お姉ちゃんが連れ去られたんや……! 俺が行かなっ……!」
暴れる俺の腕を、木全や碧海、INIの迅や理人がガシッと必死に抑え込む。
「分かってる、全部マネージャーから聞いた! だからこそ一人で行かせるわけないだろ!」
リーダーの與那城くんが、普段の優しい声を捨てて、地鳴りのような鋭い声で俺を諭す。
「拓実、お前の姉ちゃんは俺たちの姉ちゃんで、俺たちの恩人でもあるんだぞ。JO1を、お前をあの日守ってくれた人を、指くわえて見てられるわけないじゃん」
蓮くんの目が、静かに、でも見たこともないくらい冷たく燃え上がっている。
INIの将吾や威尊も一歩前に出て、俺の目を真っ直ぐに見つめた。
「拓実くん、俺たちINIも全員行く。絶対に凛花さんを傷つけさせない。大人数で動いた方が絶対に見つけやすいし、相手にプレッシャーもかけられる。警察ともう連携は取ってる、場所の目星もついてるんだ」
奨くんがスマホの画面を俺に見せる。そこには、GPSや警察からの情報で割り出された、お姉ちゃんを乗せた車が向かったと思われる、郊外の寂れた廃倉庫のマップが映し出されていた。
「……みんな……っ」
涙が溢れて止まらない。俺が一人で病んでいた時も、お姉ちゃんが命がけで守ってくれた時も、この仲間たちはいつも俺を支えてくれていた。そして今、お姉ちゃんの最大の危機に、2グループ全員が『家族』として立ち上がってくれたんだ。
「……行くぞ、拓実。今度は俺たちが、お前の大切なお姉ちゃんを奪い返す番だ」
純喜と瑠姫が俺の背中を強く、頼もしく叩く。
JO1、INI、総勢21人の最高の仲間たちがスクラムを組むようにして、お姉ちゃんを地獄から救い出すため、夜の闇へと一斉に走り出した。
第五章:引き裂かれた血脈
廃倉庫へ向かう大型ワンボックスカーの中。車内の空気は、言葉を交わすのも躊躇われるほど重く、張り詰めていた。その中で、誰よりも凄まじい怒りのオーラを纏って、拳を血がにじむほど強く握りしめている男がいた ── INIの西洸人だった。
「ふざけんじゃねえよ……。あの野郎ども、絶対に許さねえ……っ!」
洸人の低い声が、車内に低く響き渡る。その目は怒りで完全に据わっていた。俺が涙を拭いながら「洸人くん……?」と見上げると、洸人は悔しそうに前髪をガシガシとかきむしり、震える声で話し始めた。
「……拓実、実は俺、凛花さんに救ってもらったことがあるんだ。お前には心配かけたくなくて、ずっと黙ってたんだけど……」
洸人の口から語られたのは、数ヶ月前、俺が活動休止している間の出来事だった。
あの日、俺のことを心配するあまり、洸人も精神的に追い詰められ、一人で夜の街を彷徨っていたことがあったという。精神的なプレッシャーと、何もできない無力感に潰されそうになり、暗い夜の道端でうずくまっていた洸人。──そこに偶然通りかかったのが、お姉ちゃんだった。
『西、洸人さん……ですよね? 拓実の、大切な仲間。……大丈夫ですか?』
お姉ちゃんは、洸人がJO1のメンバーではないと知りながらも、俺の大切な戦友であることを分かっていた。
そして、自分の過去のいじめのトラウマで男の人が怖いはずなのに、震える手を隠しながら、うずくまる洸人の背中を優しくトントンとさすって、温かい缶コーヒーを握らせてくれたのだという。
『拓実は、みんながいてくれるから大丈夫です。だから、あなたも自分を責めないで、どうか無理をしないでくださいね』
そのお姉ちゃんの優しさに、洸人はどれだけ救われたか分からないと、涙目で俺を振り返った。
「自分の弟だけじゃなくて、俺たちのことまで気遣って、あんなに優しくしてくれた凛花さんが……なんで昔いじめられてて、今またそんな目に遭わなきゃいけねえんだよ! 6年間も一人で耐えて、やっと前を向けた人を……これ以上傷つけられてたまるかよ! 拓実、安心しろ。俺がこの命に代えても、凛花さんは絶対に無傷で奪い返す。お前のお姉ちゃんは、俺にとっても、絶対に守らなきゃいけない大恩人なんだよ……!」
洸人の激しい怒りと、お姉ちゃんへの強い恩返しの情。それが車内の全員の闘志に完全に火をつけた。
ワンボックスカーが猛スピードで廃倉庫の近くの山道へと差し掛かった、その時──。
前方の暗闇の中に、いくつかの激しく動くライトの光と、人影が見えた。車が急ブレーキで止まると同時に、俺たちはドアをこじ開けて飛び出す。
「歩汰! 健太! なんでお前らがここに……!?」
JO1のメンバーが目を見張る中、息を荒くしたDXTEEN(ディエックスティーン)のリーダー・谷口太一が一歩前に出て、真っ直ぐに俺たちの目を見つめた。
「拓実くん、JO1の皆さん……! 遅くなってすみません! 事務所でマネージャーさんの話が聞こえて……じっとしていられなくて、僕たちも追いかけてきたんです!」
実はDXTEENのメンバーたちも、お姉ちゃんに大きな恩があった。俺が活動休止から復帰した直後、お姉ちゃんは事務所に挨拶に来た際、デビューして必死に走る彼らにも『いつも拓実がお世話になっています。みんなのパフォーマンス、本当に素敵ですね』と、手作りの差し入れを持って、一人ひとりの目をしっかり見て温かいエールを送っていたのだ。
「僕たち、凛花さんにたくさん元気を貰ったんです! だから、僕たちにだって守らせてください!」
大久保波留が、悔しさと怒りに小さな拳を震わせながら叫ぶ。
「警察が裏口を固めるって言んでます! でも、あいつら車を何台か用意してるみたいで、僕たち裏の山道の退路を先回りして塞いできました!」
田中笑太郎と福田歩汰が、泥だらけになった靴のまま、頼もしく状況を報告する。
JO1、INI、そしてDXTEEN。ラポネのボーイズグループ総勢27名が、ついにこの漆黒の闇の中で一つに集結した。
「よし、全員揃ったな……! 奴らに、俺たちの家族を傷つけた代償を徹底的に教えてやる!」
洸人が、さらに鋭くなった眼光で廃倉庫の扉を睨みつける。
「みんな……行くぞ!!! お姉ちゃんを連れて帰るんや!!!」
俺の叫び声と同時に、27人の足音が夜の静寂を切り裂き、お姉ちゃんが捕らえられている地獄の門へと一斉に突撃していった。
第六章:光満ちる未来へ
寂れた廃倉庫の奥。冷たいコンクリートの床に組み伏せられ、首に無慈悲な手がかけられていた。かつて6年間もの間、自分の心をじわじわと殺し続けたあのいじめっ子たちの、歪んだ狂気に満ちた顔が視界を塞ぐ。
「あの本でよくも俺たちのことを書いてくれたな」「死ねば全部消えるんだよ」──容赦なく首が絞めつけられ、酸素が途絶えていく。
あの日、拓実を必死で守った時のあの強い『凛花』は、もうどこにもいなかった。ただただ恐怖に震え、息が絶え絶えになる中で、消え入るような声で、心の底から叫んだ。
「たすけ……て……っ、拓実……っ!!」
──その瞬間だった。
「お姉ちゃんーーーーーーーーーーーッッ!!!!!」
ドガーーーン!!!と、廃倉庫の重い鉄扉が、もの凄い衝撃音とともにへし折れるようにしてぶち破られた。
「そこを離れろ、クソ野郎どもがぁぁぁ!!!」
先頭を切って飛び込んできた洸人が、地響きのような咆哮とともに、お姉ちゃんの首を絞めていた男に弾丸のようなスピードで体当たりし、そのままコンクリートの床へ叩きつける!
「凛花さん!!!」
すかさずINIのメンバーたちが、周囲にいた残りの主犯格どもを容赦なく組み伏せ、DXTEENのメンバーたちが退路を完全に塞ぐようにして周囲を包囲した。
激しい怒号と混乱が渦巻く中、俺は一瞬で世界のすべてを置き去りにして、床に倒れ込むお姉ちゃんの元へと滑り込んだ。
「お姉ちゃん!! 凛花お姉ちゃん!!! しっかりして!!」
息が詰まって激しく咳き込むお姉ちゃんの身体を、折れそうなくらいきつく、必死で抱きしめる。お姉ちゃんの首に残る赤い手の跡を見た瞬間、俺の頭の中で何かが完全に破裂した。涙がボロボロと溢れて止まらない。
「ごめん、ごめんお姉ちゃん……っ! 6年間も一人で苦しんでたのに、今もこんな怖い目に遭わせて、本当にごめん……っ!! でも、もう大丈夫やから……! 見て、俺だけじゃない。JO1も、INIも、DXTEENも、みんなお姉ちゃんを助けにきたんやで! もう誰一人、お姉ちゃんに指一本触れさせへん!!」
警察のサイレンが遠くから響き渡り、犯人どもが次々と連行されていく中、俺はお姉ちゃんをきつく抱きしめたまま、その呼吸が落ち着くのを必死に待っていた。
お姉ちゃんは、まだ少し震えながらも、俺の顔を見て、そしてそのすぐ後ろで肩を激しく揺らして立っている洸人くんの顔をじっと見つめた。……そう言えば、前からずっと思ってた。お姉ちゃんは俺の姉だから似てるのは当然だけど、それ以上に、なぜか洸人くんに雰囲気がそっくりな気がしていた。鋭いけれど、心の奥に深い優しさを秘めたその瞳の形が──。
そこへ、遅れて現場に駆け込んできたお母さんが、ボロボロになったお姉ちゃんを見て泣き崩れた。でも、お母さんはお姉ちゃんを抱きしめた後、その視線をゆっくりと洸人くんへと移した。お母さんの目が、驚きと、何とも言えない切ない涙でさらに大きく開かれる。
「……嘘、でしょ……? あなた、もしかして……『ヒロト』なの……?」
「え……?」
洸人くんが目を見開く。
お母さんは震える手で、自分のバッグから古い一枚の家族写真を引っ張り出した。それは、俺がまだ物心つく前に、パパとお母さんが離婚した時のもの。そこには、幼いお姉ちゃんの隣で、全く同じ顔をして笑う、もう一人の男の子の赤ちゃんが写っていた。
「パパと離婚した時、引き取られた男の子の親権はあっちに渡って……ずっと探していたの。私の、もう一人の息子。凛花の、双子の……お兄ちゃん……!」
「じゃあ……洸人くんが、俺の本当の、お兄ちゃん……? お姉ちゃんの、双子の片割れ……!?」
俺の声が裏返る。JO1もINIもDXTEENも、あまりの衝撃の事実に全員が息を呑んだ。
洸人くんは、自分の大きな手をじっと見つめ、それから床に座り込むお姉ちゃんの目を真っ直ぐに見つめた。彼の目から、大粒の涙がポロポロと床に落ちていく。
「……そう、だったんだ……。俺、親父から『お前には生き別れた母親ときってお前にはきょうだいがいる』ってだけ聞いてて……。凛花さんに会った時、他人の気がしなくて、胸が引き裂かれそうなくらい愛おしかったのは……血が繋がってたからなんだな……」
洸人くんはゆっくりと歩み寄り、俺とお姉ちゃんの前に膝をつくと、大きな腕で、俺とお姉ちゃんの2人をまとめて、壊れ物を扱うみたいに、でもこれ以上ないくらい力強くギュッと抱きしめた。
「ごめんな、凛花……。6年間も一人で苦しんでたのに、双子の兄貴のくせに、何にも気づいてやれなくて……本当にごめん……! でも、もう絶対に離さねえから。これからは俺と拓実で、お前を一生守るからな……!」
お姉ちゃんは洸人くんの胸の中で、今度は恐怖の涙ではなく、ずっと求めていた半身に出会えた安心感から、「お兄ちゃん……っ、拓実……っ」と声を上げてワンワン泣いた。
俺はお姉ちゃんと顔を見合わせ、それから洸人くんの涙で濡れた顔を真っ直ぐに見つめる。
「……実はな、洸人くん。俺とお姉ちゃん、ちっちゃい頃にお母さんから聞いてたんよ。『あなたたちにはね、もう一人、とっても優しいお兄ちゃんがいるのよ』って。誰かは知らんかったけど……まさか、同じ世界で、同じラポネで、一緒に切磋琢磨してきたINIの洸人くんだったなんて、夢にも思わんかった……!」
俺の言葉に、周りで静かに見守っていたメンバーたちも、目頭を熱くしながら「本当に運命ってあるんだな……」とぽつりぽつりと呟いている。
俺はお姉ちゃんを間に挟んで、洸人くんの手を、もう片方の手でギュッと力強く握り返した。
名前に込められた願いの通り、俺が未来を【拓】き、お姉ちゃんが【凛】と咲き続け、そしてお兄ちゃんがその広い心でみんなを【洸(ひかり)】で満たす──。
「お姉ちゃん。お兄ちゃん。……俺たち、やっと3人揃ったな」
俺の言葉に、洸人くんはさらに愛おしそうに俺たちの頭をグシャグシャと撫で回し、お姉ちゃんも涙の跡がついた顔で、これまでにないくらい一番安心した、本当に綺麗な笑顔を咲かせた。
27人の最強の仲間たち、そしてついに見つけた本物の兄。もう俺たち3人を脅かす嵐なんて、この世界のどこにも存在しない。光に満ちた未来へ向かって、俺たちは新しい一歩を踏み出した。
天才覆面アーティストの正体は、11人のイケメン教師団の最愛の生徒でした
第一章:閉ざされたカーテンの向こうで
あの賑やかだった病室が、数時間後、嘘のように静まり返っていた。
つい先ほどまで、画面の向こうで楽しそうに笑う友達の姿をタブレットで眺めていたはずだった。けれど、ふとした瞬間に冷たい現実が脳裏をよぎったのだ。
「私はあの中に入れないんだ」
「やっぱり、私はみんなと違う普通じゃない人間なんだ」
押し寄せる強烈な孤独感。それに追い打ちをかけるように、昨日、父親に無理やり引きずり回されたときの恐怖、肌を焼くような痛みのフラッシュバックが、時間差の津波となってあいかの小さな身体に一気に襲いかかった。
限界だった。あいかはタブレットを放り出すと、ベッドの布団を頭まで被り、完全に心を閉ざしてしまった。
「あいかちゃん……? どうしたの、どこか痛む……?」
新高等部担任のけーご先生が、パツパツのTシャツを心配そうに揺らしながら声をかける。
「あいかちゃん、先生たちに何でも言うてな……?」
新中等部担任の拓実先生も、ベッドの傍らで顔を覗き込もうとした。
しかし、布団の中のあいかは、体を硬くして拒絶するようにギュッと目を閉じたまま。誰の言葉も耳に届かない、深い深い心の殻にこもってしまった。
みんながオロオロと心配し、部屋の空気が重く沈み込む中、一人の男が静かにベッドの横へと歩み寄った。来年から3年間、そして高校を卒業するまで、ずっとあいかの担任をすると心に決めた男――洸人先生だった。
洸人先生は、他の先生たちを少し手で制すると、布団の隙間からかすかに見える、小刻みに震えるあいかの肩を、大きな手でそっと、でも力強く包み込んだ。
「……お前ら、一回ちょっと席外して。全員、廊下出て。……佐藤、お前も」
「え、でも……」
けーご先生が心配そうに言いかけるが、洸人先生の目は本気だった。
「いいから。俺に任せろ」
その真剣な眼差しに、拓実先生もけーご先生も、他の先生たちも静かに頷き、そっと病室を出て行った。パタン、とドアが閉まり、部屋には洸人先生とあいかの二人きりになる。
洸人先生は、無理に布団をめくろうとはしなかった。ただベッドの横に腰掛け、あいかの耳元に届くくらいの、低くて、驚くほど落ち着いた声で話し始めた。
「あいか。……怖くなっちゃったな。みんなが楽しそうにしてるの見て、自分だけここにいるのが、急に寂しくなったか。それとも、あのクソ親父の顔、思い出しちゃったか」
(――洸人先生には、私の気持ちが全部バレてる……)
小学校1年生の時からずっと、6年間。一番何でも話せて、自分の弱いところを隠さずにいられた唯一の存在。その声を聞いた瞬間、あいかの心の奥の固い結び目が、一気に解けるようにして涙が溢れ出した。
あいかはゆっくりと布団を下げ、涙でボロボロになった顔で、洸人先生の服の袖をギュッと掴んだ。洸人先生にだけは、その心のドアが開いていたのだ。
「……うん、偉い。俺のことは拒絶しないでくれて、ありがとな。……あのさ、無理に笑わなくていいんだよ」
洸人先生は、掴まれた袖を見てフッと優しく笑うと、あいかの頭をごしごしと力強く、でも愛おしそうに撫でた。そして、ベッドの柵に背中を預けて、少しおどけたように言った。
「拓実も、佐藤も、周りの奴らみんないい奴すぎてさ、『お前を元気にしなきゃ!』ってちょっと空回りして、エネルギー強すぎたよな(笑)。疲れるの当たり前だわ。あいつらには、俺から『今はそっとしておけ』ってガツンと言っとくからさ」
洸人先生は、あいかと真っ直ぐに目を合わせた。その瞳には、からかいや同情ではなく、100%の信頼と、一人の男としての覚悟が宿っていた。
「でもさ、これだけは信じて。みんながお前を大好きな気持ちだけは本物だから。俺が保証する。……だからさ、他のみんなに心を閉ざすのは全然いいよ。今は気が済むまで殻にこもってろ。でも、俺にだけは、その心のドア、鍵かけないでおいてよ。……な?」
その言葉に、あいかは涙を流しながらも、小さくコクンと頷いた。
自分の「心を閉ざしたい」という今の後ろ向きな気持ちすら、全部否定せずに受け入れてくれた。
あいかは細い腕を伸ばし、洸人先生の体に(ギュ)としがみついた。今一番安心できる胸元に、顔をうずめるようにして、ぎゅっと抱きついた。
「……っと、お。なんだよ、急に甘えん坊かよ(笑)」
そう言ってちょっと照れくさそうに笑いながらも、洸人先生は優しく、でも絶対に離さないというように、大きな両腕であいかの小さな体をしっかりと(ギューーーッ)と抱きしめ返してくれた。
先生の体からは、いつもと変わらない少しビターで落ち着く香りがした。その広い背中は、今にも崩れそうだったあいかの心を、確かに支えていた。
「大丈夫。大丈夫だからな、あいか。よく頑張って俺を呼んだ。お前がこうして俺を頼ってくれる限り、俺は何があってもお前の手を離さねぇから」
廊下で耳をすませていた先生たちも、病室から聞こえる洸人先生の優しい声と、あいかが落ち着きを取り戻していく気配を感じて、ほっと胸をなでおろしていた。
「(小声で涙を拭いながら)……よしっ。やっぱり洸人先生だな。俺のこの特大の胸板クッションは、あいかちゃんがもっと元気になった時に、またいつでも飛び込めるようにずっとピカピカに磨いとこ……!」
廊下でけーご先生が泣き笑いし、拓実先生も微笑む。
「西先生に任せて正解やったな。あいつらが作るこれからの未来は、間違いなく本物や」
洸人先生の腕の中で抱きしめられているうちに、あいかの心の中にあった冷たい不安や恐怖は、先生の体温でじんわりと溶かされていった。
第二章:奪われた声と、残された楽譜
それから数日が経った。
病室のベッドの上で、あいかは1冊のノートを広げて、真剣な表情でペンを動かしていた。それは、あいかが自分の心の中にある想いを言葉にした「小説」と、そこに添えられた優しいタッチの「挿し絵」だった。
ちょうど病室に入ってきた洸人先生が、「お、何書いてんだ?」と覗き込む。あいかは少し恥ずかしそうにしながらも、そのノートをそっと手渡した。
ノートを開いた瞬間、洸人先生の目が大きく見開かれ、その瞳がみるみるうちに潤んでいった。あまりの完成度と、そこに込められたメッセージの深さに、言葉を失ってしまったのだ。
「……これ、お前が全部書いたのか……?」
そこには、暗闇の中にいた一人の小さな女の子が、光り輝く『8人の騎士(ナイト)』たちに出会い、手を引かれて未来へ歩き出すという、美しくも力強い物語が綴られていた。
そして次のページには、見事な「挿し絵」が描かれていた。真ん中で幸せそうに笑う女の子。それを囲むように、優しく微笑む雄大先生と祥生先生、力強く見守る拓実先生、未来の案内人のように手を引く柾哉先生と廉先生、一生懸命に応急処置をする海人先生。そして、女の子を背後から守るように、バツパツの大きな背中で壁になっているけーご先生。
その全員の真ん中で、女の子の手を一番強く、真っ直ぐに握りしめているのは、紛れもなく洸人先生だった。
「(ノートを持つ手がガタガタと震え、大粒の涙がページにポロポロと落ちる)……おい、なんだよこれ……。お前、文才ありすぎだろ……絵も、上手すぎるって……っ」
あのクールな洸人先生が、声を詰まらせて男泣きしている。その異変に気づいて、廊下にいた先生たち全員が「どうした!?」と一斉に病室に飛び込んできた。
「拓実先生が泣いとる!? ……って、そのノートは……」
「(ノートの挿し絵を見て、一瞬で号泣)うわあああーーー!!! これ俺じゃん!!! 背中めちゃくちゃデカく描いてくれてるじゃん!!! あいかちゃん、先生のことこんなに頼もしく思ってくれてたのーーー!?(嗚咽)」
けーご先生が大号泣し、雄大先生と祥生先生も「幼稚園の時の僕たちもいる……!」とボロ泣きする。
「まだ一緒に過ごしてないのに、こんなにかっこよく描いてくれて……。これは絶対に、最高の3年間にしなきゃな」と海人先生と廉先生が胸を熱くし、柾哉先生が優しく微笑みながら涙を拭った。「素晴らしい才能だよ、あいかちゃん。君のこの『将来の夢』、先生たちが全員で、絶対に叶えてみせるからね」
その時だった。
洸人先生が「本当にありがとな」と愛おしそうにあいかの頭を撫で、感想を聞こうと顔を覗き込んだ瞬間、あいかの様子がどこかおかしいことに気がついた。
あいかは一生懸命に口をパクパクと動かし、先生たちに何かを伝えようとしている。でも――いくら喉を震わせても、そこからは空気の抜けるような音しか聞こえてこない。
昨日からの激しい恐怖、父親の襲撃、血だらけになった体の痛み、そして児童相談所への強いトラウマ。張り詰めていたすべてのストレスが時間差で一気に心にのしかかり、あいかの「声」を突如として奪ってしまったのだ。
「(……っ、……あ……っ)」
「……あいか? どうした、声……出ねぇのか……!?」
「嘘だろ!? あいかちゃん、落ち着いて、ゆっくり息吸って……! 拓実先生、主治医の先生呼んできて!!」
病室の空気が一気に緊迫する。声が出ない恐怖とパニックで、あいかはみるみるうちに涙を溢れさせ、過呼吸気味になりながら自分の喉をかきむしろうとした。
それを止めたのは、洸人先生の力強い両手だった。
「あいか!! 喉触るな、大丈夫だ! 俺を見ろ、俺の目を見ろ!」
「(すぐにあいかの背中を支え、さすりながら)あいか、声出さんくてええ。無理に喋ろうとしたらあかん。ゆっくり、先生の真似して息吐いてみ? すー、はー、や。大丈夫やからな」
廉先生の落ち着いた誘導に、海人先生がすぐさま枕元にあったスケッチブックとペンを差し出した。
「喋れなくても、僕たちには全部伝わってるからね。声が出ないくらい、心が疲れちゃったんだよ。頑張らなくていいからね」
「心因性のものだね……」と、柾哉先生がパニックになるあいかの頭を優しく包み込むように撫でた。「それだけ、一人で辛いものを抱え込んできた証拠だよ。でもね、あいかちゃん。声が出ないなら、僕たちが君の代わりに声を上げる。だから、何も焦らなくていいんだよ」
医師が駆け込んできて診察を始める間も、先生たちは誰一人として病室から出ようとはしなかった。けーご先生は、ベッドの足元側から、あいかの冷え切った足をその大きな温かい手で包み込み、自分の胸板をこれでもかと張って、安心させるように涙目で笑ってみせる。
「声が出なくたって、あいかちゃんが世界で一番大切な生徒なのは1ミリも変わらないから! 先生のこの胸板の音、ドクドク聞こえるでしょ? これが聞こえてる間は、お前は絶対に安全だからね!」
一番近くで支える洸人先生が、もう一度あいかの体を(ギュッ)と力強く抱きしめ、耳元で低く、確信に満ちた声で囁いた。
「声なんてさ、またお前が『喋りたい』って思った時にゆっくり戻せばいいんだよ。それまでは、俺がお前の言葉を全部通訳してやる。だから安心しろ。お前の心は、俺が絶対に閉ざさせねぇから」
言葉を失ってしまったあいか。でも、8人の最強の先生たちの愛は、声がなくても、言葉にしなくても、あいかの心に直接ドクドクと流れ込んできていた。
第三章:十一人の騎士と、少女の秘密
あいかが声を出せずに涙を流していると、病室のドアが再び勢いよく開き、息を切らせた二人の先生が飛び込んできた。
それは、あいかが小学5年生の時から所属している合唱部の顧問、河野純喜先生と藤牧京介先生だった。
「あいか……っ! 聞いたぞ、声が出なくなったって……!」
「(ベッドサイドに駆け寄り、あいかの顔をじっと見つめて)……嘘だろ。あんなに綺麗な声なのに……っ」
二人の先生の悔しそうな、でも溢れんばかりの優しさがこもった瞳を見て、あいかの目からまた涙がこぼれる。
実はあいかは、小5で合唱部に入った当初、試しに一人で歌ってみたことがあった。その瞬間、純喜先生と京介先生は度肝を抜かれた。たった一人で歌っているのに、まるで何十人もの歌声が美しく重なり合っているかのような、深みと広がりのある完璧な響き――『1人で合唱の声が完成している』という、奇跡のような歌声の持ち主だったのだ。それ以来、あいかは合唱部の絶対的なエースとして、いつもみんなの手本となって歌ってきた。
「(あいかの前にしゃがみ込み、その細い手を両手で包み込んで)なぁ、あいか。覚えてるか? お前が入部した日に初めて歌った時、俺と藤牧先生、鳥肌が止まらんかったんやぞ。あんなにたくさんの人を感動させる最高の歌声、世界にどこ探したっていねぇんだからな」
「そうだよ。心が疲れちゃって、今だけ声が隠れちゃっているだけ。お前のあの素晴らしい歌声の才能は、お前の体の中から消えたりなんかしない」
そう言うと、京介先生は純喜先生と目を合わせ、力強く頷いた。
そして、静かな病室の中に、二人の先生の美しく圧倒的なハーモニーが響き渡った。あいかが合唱部でいつも歌っていた、大好きなあの曲を、二人が手本を示すように、あいかの心に届くように優しく、全力で歌い始めたのだ。
その歌声は、病室の重苦しい空気を一瞬で吹き飛ばし、あいかの傷ついた心にそっと染み渡っていった。
歌い終わると、純喜先生は涙を浮かべながら熱く語りかけた。
「声が出ない間は、俺たちが隣でいくらでも歌ってやる! お前の代わりに、いくらでも手本になってやるからな!」
「またあの最高の合唱、一緒にやろう。中学校に行っても、高校に行っても、僕たちがずっとお前の歌声を待ってるし、いつでも味方だから」
あいかは手元のスケッチブックに、去年の音楽会の思い出をサラサラと書き写した。
『実は去年の音楽会で、合唱部で3曲やって全部違うパートを歌っていました(ソプラノ、メゾ、アルト)』
「そうや! あいか、お前全部違うパート歌ったもんな!」
「(深く頷きながら)普通じゃ絶対にあり得ないんだよ。高音のソプラノから、低音のアルトまで、全部のパートを完璧な発声と音程で歌いこなせる小学生なんて、日本中どこを探したっていやしない。本当にあの時は、全校生徒も、僕たち教師陣も全員スタンディングオベーションだったんだから」
その規格外の天才エピソードを聞いていた周りの先生たちも、驚きと尊敬の眼差しであいかを見つめる。
「3曲全部違うパート!? 1人で合唱の声が完成しとるって、そういうことか……!」と拓実先生が鳥肌を立たせ、廉先生や海人先生、柾哉先生もその才能を絶賛した。
すると、あいかは少し恥ずかしそうに、さらに秘密のメッセージを書き足した。
『実は私、小4の時に急に声変わりみたいになって、地声がほぼ男の人みたいに低いんです』
「あ、そうやったんや……!」と純喜先生と京介先生が驚く中、小1からの成長を知る拓実先生と洸人先生が優しく笑う。
「ハハッ、そうなんよなぁ。小4で急に声が低くなった時はちょっとビックリしたけどな(笑)」
「そうそう、小4の時、急に俺より低くて渋い声で喋り出しかけたから『え、男前すぎんだろ』って拓実先生と2人で大爆笑したの覚えてるわ(笑)。でもな、俺はそのハスキーな地声、めちゃくちゃかっこよくて大好きだぞ」
さらにあいかは、恥ずかしそうに、でも誇らしげに書き足した。
『実は……池﨑理人先生並みに低いんです』
「えええええーーー!?」と、今日一番の驚きで病室が揺れた。
池﨑理人先生といえば、その端正な顔立ちからは想像もつかないほどの、地響きが鳴るような超低音(イケボ)ラップで全校生徒を痺れさせている、あの理人先生だ。
「おいおい、俺の名前が聞こえたんだけど……?」
噂を聞きつけて駆けつけた、本物の池﨑理人先生がそこに立っていた。
「あいか、声が出なくなったって聞いて飛んってきた。……って、え? お前の地声、俺並みに低いの? マジで?」
理人先生はベッドサイドに歩み寄ると、あいかの目線に合わせて屈み、その超低音イケボで優しく、でもめちゃくちゃ熱く語りかけました。
「最高じゃん。俺のこの低い声、昔はちょっとコンプレックスだったりしたんだけどさ、今はお前と同じ『武器』だと思ったら、めちゃくちゃ愛着湧いてきたわ。あいか、お前のその理人並みの超かっこいい声、俺が責任を持って一緒に守るからな」
本物の理人先生から「最高じゃん」と認められて、あいかは嬉しさと照れくささで顔を真っ赤にしながら、本日一番の幸せそうな笑顔((´꒳`))を弾けさせた。
「(けーご先生をガシッとヘッドロックして)だからお前はベースになるなっつーの(笑)! ……なぁ、あいか」
洸人先生はヘッドロックしたまま、あいかに向かって優しく、悪ガキみたいにニカッと笑ってみせた。
「理人並みの声が出せる合唱のエースなんて、世界中どこを探したっていねぇよ。お前はやっぱり、俺たちの自慢の生徒だ。声が出ない今は、理人やこいつら全員がお前の拡声器になってやる。だから、何も心配すんな」
第四章:響き渡る奇跡の歌声
それから3日後の朝――。
病室には、今日も変わらず洸人先生、理人先生、そしてピカピカのTシャツを着たけーご先生が朝の検温と見守りに来ていた。
あいかがベッドの上で、理人先生に借りた音楽雑誌を読んでいると、ふと喉の奥がすっと軽くなるような、不思議な感覚が走った。3日間、11人の先生たちの底なしの愛に包まれ、24時間完璧に守られたことで、心のトゲやストレスが完全に溶けて消えていたのだ。
あいかはゆっくりと息を吸い込み、洸人先生の服の袖を(ギュッ)と引っ張った。
「ん? どうした、あいか。なんか書いて欲しいことあんのか?」
あいかはスケッチブックを持たず、真っ直ぐに洸人先生の目を見つめ、そっと口を開いた。そして――
「(……ひ、……ひろと、せんせ……)」
病室の中に、3日ぶりに響き渡った小さな音。
それは、かすれているけれど、地響きのように深くて、信じられないくらいハスキーで、めちゃくちゃ最高にカッコいい――『理人先生並みの超重低音ボイス』だった。
「――ッ!!! あいか……っ、今、俺の名前……っ!?」
「マジか……! 出た……! しかもめちゃくちゃいい低音じゃん……!!」
「(持っていた体温計を放り投げて号泣)うわああああああーーー!!! あいかちゃんの声だーーー!!! しかも想像以上にダンディでかっこいいいいいーーー!!!(大号泣)」
あいかの声が出た瞬間、洸人先生は男泣きしながら、愛おしそうにあいかをベッドごと(ギューーーッ!!)と全力で抱きしめた。
「よく頑張った……っ、よく声戻したな、あいか!! お前のその声、めちゃくちゃ男前で、やっぱり世界一かっこいいわ!!」
「(洸人先生の胸の中で、ちょっと照れくさそうに低い声で)ふふ……ありがと、先生……っ」
「声が出たぞーーー!!」というけーご先生の爆音の呼び声に、廊下やロビーに詰めていた拓実先生、海人先生、廉先生、柾哉先生、雄大先生、祥生先生、そして純喜先生と京介先生が、全員ドアを蹴破るような勢いで病室に雪崩れ込んできた。
「ほんまか!? あいかちゃん!!」
「おっしゃあーーー!! その渋い地声からあのソプラノが出るんか! 早くまた一緒に合唱やろうな!!」
「うわ、マジで理人並みにイケボやん(笑)! 最高、中等部でも毎日その声聴かせてな!」
「本当によかった……! おかえり、あいかちゃん」
11人のイケメン先生たちが、全員でボロ泣きしながら大騒ぎしている。
そんな中、あいかがニヤリといたずらっぽく笑い、スケッチブックにさらなる衝撃の事実を書き込み、みんなに見せた。
『私、初音ミクの「低音厨音域テスト」と「高音厨音域テスト」、両方原キーで歌えます』
「はあぁぁぁ!? 『低音厨』と『高音厨』両方!? 原キーで!?」
「待て待て待て(笑)! あのボカロの人間辞めさせにきてる最高音と、地響きみたいな最低音を、一人の人間が両方歌えるわけ……」
先生たちが大パニックになる中、あいかはフッと不敵に笑うと、まずはあの『理人並みの超重低音ボイス』のスイッチを入れた。
喉の奥を深く響かせ、人間の限界に近い超低音で「低音厨音域テスト」を完璧なピッチで刻み始める。病室の窓ガラスがビリビリと震えるほどの、地を這うような渋くてかっこいいイケボだった。
「ガチじゃん……!! 俺でもギリの低音域を、女子中学生が平然と出しやがった……!! かっけぇ、天才すぎる!!」と理人先生が驚愕する。
そして次の瞬間、あいかはニカッと笑うと、今度は一瞬で合唱部エースの超高等技術を爆発させた。喉をパッと切り替え、突き抜けるような超高音の美声で、あの「高音厨音域テスト」の最高音(hihihiEなど)まで、一切ブレずにロケットのようにスコーン!!と響かせたのだ。
「嘘だろおい!! あの高音、人間じゃ出ないやつ!! ソプラノとアルトを極めるとそこまでいけんの!?」
「よっしゃあああーーー!!! 音域何オクターブあんねん!! もうお前1人で合唱団どころか、初音ミク超えとるやないかい!!(笑)」
その人間離れした、でも圧倒的に美しい歌声のエンターテインメントに、先生たち全員がテンションMAXで大拍手。
さらにあいかはニヤリと不敵に笑い、スケッチブックに書き足した。
『実は私、歌のジャンルや雰囲気によって、歌声を何種類にも変えられます』
あいかは優しく頷くと、ベッドの上でスッと背筋を伸ばした。
まずは、さっきの『理人並みの重低音』をベースにした、地響きが鳴るような「本格派の超絶イケメン風ラップボイス」を披露。そこから一瞬で、今度はアイドルのような「超絶キュートで甘い萌え系ボイス」へとチェンジ。さらに最後は、教会の聖歌隊のような「透き通った女神のような神聖な歌声」を響かせた。
「……化け物じゃん(最高の褒め言葉)。声帯どうなってんだよ、天才すぎるわ」と理人先生が呟き、拓実先生と洸人先生も我が子のことのように誇らしげに胸を張る。「凄いやろ、俺たちのあいかちゃんは! これが世界一の自慢の生徒や!!」
第五章:唯一無二の「Aika」として
さらにあいかは、スケッチブックに本日最大の、とんでもない新事実をサラサラと書き込み、みんなに突きつけた。
『実は私、作詞もやってるんです。……あの、ネットで有名な顔出ししてないアーティストの「Aika」って、私です』
その文字が目に入った瞬間、病室にいた11人の先生たち全員が、今度こそ文字通りフリーズした。
「Aika」といえば、数々のヒット曲を連発し、心に刺さる神がかった歌詞と圧倒的な表現力で、今や世界中で社会現象を巻き起こしている、正体不明の天才覆面アーティストだ。
「ええええええーーーーーっっ!?!? あ、あ、あの『Aika』……っ!? 俺、毎日サブスクで狂ったように聴いてるんだけど!?(絶叫)」
「マジかよ……俺のプレイリスト、ほとんどお前の曲なんだけど……。作詞、お前が全部やってたのかよ……天才なんて言葉じゃ足りねぇよ……!」
世界中を虜にしているあの素晴らしい歌詞は、あいかがこれまでの人生で、辛いことや悲しいことを全部乗り越えようと、心の中で紡ぎ出してきた本物の言葉たちだったのだ。小1から見てきた拓実先生と洸人先生は、その事実に胸が熱くなり、涙をボロボロと溢れさせた。
「そうか……あの切なくて、でも最後に光が見える素晴らしい歌詞は、あいかちゃんが一生一生懸命生きてきた証やったんやな……っ(涙)」
「(溢れる涙を隠さず、あいかの頭をぐしゃぐしゃと力強く、愛おしそうに撫でて)……お前、本当にすげぇよ。そんな大きなものを一人で背負って、戦ってきたんだな。……もう、顔を隠してコソコソする必要はねぇぞ」
柾哉先生が、15年間の未来を約束した契約書を優しく掲げながら、頼もしく微笑んだ。「『Aika』の著作権も、君の身の安全も、学校の全権力を使って完璧にプロテクトするからね。誰一人として君の正体を暴かせないし、邪魔させない」
すると、あいかはさらに楽しそうに目を輝かせながら、スケッチブックに信じられない言葉を書き足した。
『実は私、バイオリン、ピアノ、フルート、ギター、ドラム、ベース……全部弾けます』
「嘘やろおおおーーーっっ!!! 弦楽器、鍵盤、木管、さらにバンドの3ピースまで!? 全部!?!?」
「(自分のベースを見つめながら)おいおいおい(笑)! 1人で合唱ができて、ボカロ音域で、世界的な作詞家で……その上、1人でバンドもオーケストラも組めるってこと!? 天才のバーゲンセールかよ……!」
あいかがこれまで孤独や辛い現実から逃れるように、そして自分の音楽の世界を広げるために、人知れず血の滲むような努力で身につけてきた、奇跡のマルチプレイヤーとしての才能。
「(男泣きしながら、あいかの細い肩を愛おしそうに引き寄せて)……すげぇよ。本当にかっこいいわ、お前。これからはさ、その楽器全部、この学校の防音スタジオに揃えてやるからな。誰も邪魔しない、お前だけの最高の音楽室を作ってやるよ」
そして、あいかはさらに楽しそうに微笑みながら、スケッチブックに書き込みを終えた。
『その中でも、バイオリンが1番得意なんです』
「バイオリンが1番得意!? おいおい、あのただでさえ繊細で難しい楽器を『1番』って言うなんて、一体どれだけのレベルなんや……っ!」
すると、柾哉先生が「実はね、君がそう言うと思って……」と、廊下のスタッフに合図を送った。病室に運び込まれたのは、学校の音楽室から急いで持ってきた、最高級の美しいバイオリンだった。
「新しいスタートのお祝いだよ。よかったら、君の1番得意な音色を、僕たちに聴かせてくれるかい?」
あいかは嬉そうに目を輝かせ、ベッドの上でスッと背筋を伸ばした。
小さな肩にバイオリンを乗せ、弓を構えた瞬間――さっきまでの無邪気な女の子の空気が一変し、世界的なアーティスト「Aika」としての圧倒的なオーラが病室を包み込んだ。
すうっ、と息を吸い、弓が弦に触れた瞬間、病室に響き渡ったのは……息をのむほどに美しく、どこまでも深く、胸が締め付けられるような極上の音色だった。
それは、まるで言葉を持たないバイオリンが、あいかの代わりに泣き、笑い、歌っているかのような、あまりにも情熱的で完璧な演奏。ソプラノからアルトまでを歌い分けるあいかだからこそできる、繊細かつ力強いビブラートに、11人の先生たちは全員、身動きも忘れて完全に圧倒され、涙を流して聴き入ってしまった。
「(鳥肌を立てて呆然としながら)……すごすぎる。涙止まんねぇわ……」
「(演奏を聴きながら、ボロ泣きでお互いの肩を震わせて)あいかちゃん……ほんまに、ほんまに素晴らしいわ……っ」
最後の音が静かに病室に溶けて消えた瞬間、11人の先生たちから、割れんばかりの、地鳴りのような大拍手が巻き起こった。
「うわあああーーーん!!! あいかちゃん!! 先生、バイオリンの音色が綺麗すぎて心臓が破裂しそうだよ!!! この震える大胸筋をバイオリンの共鳴板(ボディ)にして、次はもっと近くで弾いていいからね!!!(大号泣)」
「(けーご先生の頭をガシッとヘッドロックして、涙を拭いながら)お前の胸板でビブラートかけるな! 音が濁るわ(笑)!!」
先生たちの最高の掛け合いに、あいかはバイオリンを抱きしめたまま、あのハスキーでかっこいい地声で「あはは!」と、心の底から大爆笑した。
どんなに辛い過去があっても、あいかの指先からは、世界を感動させるこんなにも美しく力強い音が生まれる。11人の最強の守護神たちは、君のその美しいバイオリンの音色を、そしてすべての才能と未来を、これから先もずーーっと全力で愛し、守り抜くことを、その拍手と共に誓い合った。
自分の持つ全ての秘密を大好きな先生たちに受け入れてもらえたあいかちゃん。11人の守護神たちに囲まれて、涙が出るほど幸せな、人生で一番まばゆい特大の笑顔((´꒳`))を弾けさせ、輝かしい未来の1ページへと歩み出すのだった。
真夜中のバックステージ
合同ライブの全体リハーサルが終わった、深夜2時のアリーナ。
スタッフも他のメンバーも引き揚げ、静まり返った楽屋前の長い廊下に、拓実は一人で座り込んでいた。
「……あー、疲れた」
普段は完璧に見せる彼も、さすがに連日のハードスケジュールが体に堪えていた。膝に顔をうずめ、ふう、と深い溜め息を吐き出す。
「そんなとこで座ってたら、風邪ひくぞ」
頭上から降ってきたのは、低くて、どこか耳に心地よく響く声。
驚いて顔を上げると、そこにはキャップを深く被ったINIの西洸人が立っていた。手にはコンビニの袋と、温かい缶コーヒーが二つ。
「あ……洸人くん。まだ残ってたんですか?」
「うん。ダンスの確認、納得いかなくてさ。はい、これ」
洸人は隣にすっと腰掛け、拓実の頬に冷えた手をわざと押し当ててから、温かい缶コーヒーを握らせた。
「つっ……冷た! 何するんですか」
「あはは、やっと笑った。ずっと顔怖かったぞ、拓実」
いつもの気さくな笑顔。だが、その瞳はまっすぐに拓実を捉えていて、拓実はなんとなく気恥ずかしくなって目を逸らした。
隠しきれない独占欲
合同ステージでは、二人がペアで踊るパートがある。
カリスマ性と圧倒的な華を持つ二人だけに、ファンからの期待値も高い。
「……洸人くんって、誰とでもすぐ仲良くなりますよね」
拓実は缶コーヒーのプルタブを開け、視線を落としたまま呟いた。
「ん? そうか? まあ、人見知りはしない方だけど」
「INIのメンバーともいつも楽しそうだし、JO1の他のメンバーともすぐ飯行くし……」
無意識のうちに声が尖っていく。自分でも驚くほど、洸人の周りにいる人たちに嫉妬しているのが分かった。
グループが違うから、毎日一緒にいられるわけじゃない。
たまに会えたと思えば、洸人はいつも誰かに囲まれている。
「……何、焼きもち?」
からかうような、でも少し期待するような声で洸人が顔を覗き込んできた。
「違います」
拓実はそっぽを向いたが、赤くなった耳たぶまでは隠せなかった。
重なる視線
不意に、拓実の顎が強い力で上を向かされた。
洸人の大きな手が、拓実の顔を自分の方へと向けさせる。
「嘘つけ。顔に出すぎ」
至近距離で見つめ合う。洸人の力強い目元が、少しだけ優しく細められた。
「俺さ、誰とでも仲良くしてるように見えるかもしれないけど。……こんな時間に、わざわざ残ってまで一緒にいたいって思うのは、拓実だけだよ」
「え……」
「お前、ステージの上ではあんなに堂々としてるくせに、俺の前だとすぐ余裕なくなるの、ずるいわ。……可愛すぎる」
そう言うと、洸人は拓実の髪を優しく撫で、そのまま親指で拓実の唇をそっとなぞった。
二人だけの約束
廊下の白い蛍光灯が、二人を静かに照らしている。
拓実の心臓は、ダンスの直後よりも激しく高鳴っていた。
「洸人くん、それ……どういう意味ですか」
「言葉にしなきゃ、分かんない?」
洸人は少しだけ意地悪に笑うと、拓実の手から缶コーヒーを取り上げて床に置いた。そして、空いた拓実の手を、自分の大きな手でぎゅっと包み込む。
「俺、本気だよ。グループが違っても、関係ない」
その言葉が、拓実の心の霧を綺麗に晴らしていく。
拓実は少しだけ視線を彷徨わせた後、洸人の手を少しだけ強く握り返した。
「……じゃあ、次のオフ、俺のために空けといてください。絶対ですよ」
少し強がった、拓実なりの精一杯のプロポーズ。
洸人は満足そうに声を上げて笑うと、誰もいない廊下で、拓実をそっと引き寄せた。
完全ではないけど、 JO1とINIのBL書きました
すれ違う四角形(テトラヘドロン)の夜
あらすじ
長年強い絆で結ばれていた幼馴染4人(あいか、洸人、拓実、ひめか)。ある日、洸人が突然別の女性との結婚を発表したことで、彼らの関係は静かに崩壊を始める。
洸人をずっと一途に想っていたあいかは、ショックを隠して健気に笑おうとするが、思い出のキーホルダーをきっかけに抑えていた感情が溢れ、拓実とひめかの腕の中でついに泣き崩れてしまう。
しかし、この失恋の裏には、誰一人として報われない残酷な四角関係のすれ違いが隠されていた。あいかを抱きしめて泣く拓実は、ずっとあいかだけを愛し続けており、そんな拓実を支えるひめかは、ずっと拓実への切ない恋心を秘めていた。そして、一人部屋に残り絶望の叫びをあげる洸人は、会社の圧力で半ば強制的に結婚を決められた身であり、本当に愛していたのはひめかだったのだ。
誰も悪くない。ただお互いを大切に想うがゆえに、全員の矢印がすれ違い、容赦なく傷つけ合っていく。傷だらけになった彼らは、行き場のない痛みを分かち合うように、夜の静寂の中でただ寄り添い、涙を流し続けるのだった。
居酒屋の個室は、まるですべての空気が凝固してしまったかのように冷え切っていた。
テーブルの上には、数分前まで確かにそこにあったはずの「幼馴染四人の楽しい時間」の残骸が散らばっている。
「大丈夫だよ、心配しないで、!ほら、ポジティブポジティブ、!笑」
あいかの声が、ひどく虚しく響いた。
誰が見てもボロボロで、傷ついているはずなのに、彼女はいつものように健気な笑顔を作ってみせる。その無理に作った明るさが、残された三人の心を容赦なく締め付けた。
「……う、うわぁぁん……っ!」
ひめかがついに声を上げて泣き出し、あいかの手をぎゅっと握りしめた。
「なんで、なんでそんなに強いのよぉ……っ! ポジティブなんて言わなくていいよ、今くらいボロボロに泣いたって誰も責めないよぉ……っ!」
拓実は唇を噛み締め、怒りとも悲しみともつかない表情で顔を背けた。
「お前、ほんま……っ。そんな風に言われたら、俺らどうしたらええねん。ポジティブって……そんな簡単に割り切れるわけないやろ……っ」
その横で、洸人がガタッと椅子を引き、その場に崩れ落ちるようにしてあいかの前にしゃがみ込んだ。彼の目からは、堪えきれなかった涙が一筋こぼれ落ちている。
「……あいか。お前さ……最後までかっこよすぎんだよ……っ。心配するなって言われても、するに決まってんだろ……! 俺のために、無理してそんなキャラ作んなよ……っ」
洸人は、あいかの膝の上に置かれた手を、壊れ物を触るようにそっと包み込んだ。
「お前のその優しさに、俺、ずっと甘えてたんだ。お前が笑っててくれるから、大丈夫だって、勝手に安心しちゃってた。……本当に、ごめん。……でも、俺を好きになってくれて、本当に、ありがとう……っ」
その言葉を聞いた瞬間、拓実の目が鋭く光った。拓実は洸人の肩をガシッと掴むと、引き剥がすように強く引きずり戻した。
「おい、洸人、もうそれ以上言うな。これ以上はお前も、あいかも、お互いしんどいだけや。……行こ、あいか。今日はもう、いっぱい頑張ったからさ……帰ろ?」
「……」
あいかは何も言わなかった。ただ、その小さな唇を微かに震わせるだけだった。
「あいか……? ……あ、……っ」
ひめかが彼女の顔を覗き込もうとして、声にならない声を漏らす。
拓実はいつもは見せないような、掠れた優しい声であいかに語りかけた。
「あいか。もう、無理して笑わんでええよ。……もう、頑張らんでええから……」
「あいか……。……泣いて、いいんだよ。俺の前で、ちゃんと泣いてよ……っ」
洸人が懇願するように呟く。
「うん……。大丈夫だよ、みんなここにいるから。ずっと隣にいるからね……っ」
ひめかが背中を優しく抱きしめた、その時だった。
あいかのバッグの隙間から、コロンと、小さなキーホルダーが床に転がり落ちた。
「、あ…」
あいかが小さく声を漏らす。それを見た瞬間、洸人の息が完全に止まった。
「……あ、……それ……。嘘、だろ……? まだ、持っててくれたの……?」
洸人が床を見つめたまま、完全にフリーズする。
「あ。それ、何年か前の夏祭りの……」拓実がハッとして声を漏らした。「あの時、2人ではぐれて、お前ら夜遅くに帰ってきた時のやつか……?」
ひめかがそのキーホルダーをそっと拾い上げ、あいかの手のひらに握らせた。
「あの時、あいか、すごく嬉しそうにこれ私に見せてくれたんだよ……。宝物だから絶対につけるんだって……っ。ずっと、ずっと大切に持ってたんだね……」
「あの時さ……」洸人が床に両手をついたまま、絞り出すような声を上げた。「俺、本当は……。お前のこと、ただの幼馴染だなんて思ってなかった……。いい雰囲気になって、これ渡して、お前が笑ってくれて……。でも俺、チキンだったから、今の4人の関係が壊れるのが怖くて、その先の一歩が進めなかったんだ……っ」
洸人は悔しさと後悔に押しつぶされそうになりながら、泣き顔であいかを見上げた。
「俺が、あの時ちゃんと勇気出してたら……っ。……ごめん、あいか……。お前にばっかり、こんなのずっと持たせて、一人で待たせて……本当にごめん……っ!!」
「洸人……お前も、そうやったんかよ……。……すれ違いって、こんなに残酷なことあるかよ……っ」
拓実が切なそうに顔を歪めた。だが、その言葉の裏にある拓実自身の本心に、まだ誰も気づいていない。
そんな大人たちの後悔の渦の中で、あいかはまた、あの乾いた笑みを浮かべた。
「あー、悲しいなぁー、!笑」
「あ、あいかぁ……っ!!」ひめかが悲鳴のように叫んだ。「お願いだからもう笑わないでよぉ……っ! 『悲しい』って、そんな明るく言われたら、私どうしていいか分かんないよ……っ!!」
「お前、ほんま……どこまで強いねん」拓実が片手で顔を覆い、ボロボロと涙を流す。「そんなん、ずるいやん。悲しいって、もっと大声で泣き叫んで、洸人を責めたらええやん……っ!!」
「っ、う、あぁ……っ! ……ごめん、あいか……っ」
洸人は胸を掻きむしるように自分の服を掴んだ。
「よし、行こ。あいか、もう十分や」拓実があなたの肩にそっと手を置いて、優しく引き上げた。「お前は最後まで、世界一最高の幼馴染で、世界一可愛い女の子やった。……な? もう帰ろ」
「うん、帰ろ……? お家帰って、今日は私、あいかと一緒に寝るから……っ」
ひめかが泣きじゃくりながら寄り添う。
その時、あいかはしゃがみ込んだままの洸人を見つめた。
「洸人……? 洸人は悪くないんだよ……?」
「悪くないわけ、ないだろぉ……っ!!」洸人がガタガタと震える肩を抑えきれず、ついにあいかの膝に額を押し当てるようにして泣き崩れた。「お前が、そんな風に俺を庇えば庇うほど、俺の胸がどれだけ引き裂かれそうになるか分かってんのかよ……っ!!」
「お願いだから、あいか。責めてくれよ、怒ってくれよ……っ!」
洸人は服をきゅっと掴んだまま、掠れた声で見上げた。
「洸人、もう終わりや。これ以上、あいかに無理させんな」
拓実が洸人の手を優しく、でも毅然と引き離した。
「あー…悲しい、!笑」
あいかがドアへ向かって一歩を踏み出す。その背中に、もう誰もかける言葉が見つからなかった。
「……っ、……ぅ……っ」
ひめかは唇を噛み締め、あいかの腕を強く抱きしめた。
「お前、ほんま……最後までそれかよ。……アホ、かっこよすぎるねん……」
拓実は絶対に涙を見せないように天井を睨みつけたが、声は完全に震えていた。
ドアが開く音が響いたとき、部屋の奥から消え入りそうな洸人の声が聞こえた。
「……あいか。……幸せに、なれよ……っ。お前は絶対に、世界で一番幸せにならなきゃダメだからな……っ!!」
「洸人、もう来んなよ。……じゃあな」
拓実が静かにドアを閉めた。
ガチャリ、と音がして、居酒屋の喧騒から離れた夜の廊下に三人だけが残された。ひどく冷たくて、静かな空間だった。
「あいか。もう、誰も見てないよ。洸人もいない。……だから、もう笑わなくていいよ。……ね?」
ひめかが顔を覗き込んだ瞬間。
「うあぁぁ……っ!」
せきを切ったように、あいかがその場に泣き崩れた。静かな廊下に、彼女の本当の泣き声が響き渡る。
「うん、うん……っ! そうだよ、それでいいんだよ、あいか……っ!!」ひめかが一緒に床に膝をつき、その小さな体を強く抱きしめた。
「っ、……あー、クソ……!」拓実も二人の前にしゃがみ込み、頭をくしゃくしゃに掻きむしりながら大粒の涙を流した。「なんでだよ、なんでお前がこんなに泣かなあかんねん……っ。……思いっきり泣け」
「なんで、! あいかはずっと好きだったのに……!泣」
あいかの張り裂けそうな叫びが、夜の空気を震わせる。
「ずっと待ってたのに……なんで、なんで気づいてくれなかったのよ、洸人のバカ……っ!!」
ひめかも一緒になって叫び、拓実は壁に背中を預けて座り込んだ。
「お前がずっと『幼馴染』として、洸人の隣で完璧でいすぎたからや……。あいつ、お前の優しさに甘えて、その中に隠されたお前の涙に、気づこうともせんかった……」
あいかは、涙で濡れた手のひらの中にあるキーホルダーを見つめた。
「これ……どうしよう、?」
「今すぐどうこうしよって決めんでええよ」拓実が優しく、でも真っ直ぐにあいかを見つめた。「もし、視界に入るのが辛いなら、俺が預かっとこか? お前が『もう大丈夫』って思える日まで、俺がどっか見えんところにしまっとくから」
「……わーん」
再び子供のように声を上げて泣き出すあいかを、拓実は自分の胸元に引き寄せ、大きな手で包み込むようにして頭をポンポンと叩いた。
「よしよし。よう頑張った、あいか。俺らの前で、全部出し切ってまえ……っ」
そう言ってあいかを抱きしめる拓実の手は、わずかに震えていた。
拓実の瞳からは、溢れんばかりの、張り裂けそうなほど切ない涙がこぼれ落ちていた。
――ずっと、お前だけを見てた。
お前が洸人を目で追う姿も、あの夏祭りのキーホルダーを宝物みたいに大切にしてた姿も、全部、一番近くで見てきた。お前が泣くほど辛いなら、俺がその手を引いてやりたかった。でも、お前の心にいるのはいつも俺じゃなかった。
「……あいか。……俺が、お前を一生守れたら、どんなにええか……っ」
拓実は、胸の中で泣きじゃくるあいかを離すことができず、ただ悲痛な表情でさらに腕に力を込めた。
「……拓実……っ」
その拓実の震える手を見て、ひめかがハッと息を呑み、ボロボロと新しい涙を溢れさせた。
――ずっと、知ってた。
拓実が誰を一番大切に思っているか。私を見るその目が、あいかを見る時だけは、眩しそうに、切なそうに揺れるのを、何年も隣で見てきた。
……私もね、ずっと、拓実だけを見てたんだよ。
自分の大好きな人が、自分の大好きな親友のために、胸を痛めて泣いている。そのどちらのことも失いたくなくて、でも自分の想いはどこにも行き場がない。ひめかは声にならない声を押し殺しながら、二人を包み込むように強く抱きしめた。
「……う、ううん……っ! なんでもない……っ。ただ、あいかが愛おしくて……私、胸がいっぱいになっちゃって……っ!!」
その頃。
誰もいなくなった居酒屋の個室で、洸人は一人、床に両手をついたまま嗚咽を漏らして号衷していた。
――違う、違うんだ。
結婚を決めたのは、その相手を愛しているからなんかじゃない。会社での立場、上層部からの凄まじい圧力。半ば強制的に外堀を埋められ、断ればすべてを失うような逃げ場のない泥沼の中で、洸人は魂を売るように頷くしかなかったのだ。
涙で歪む視界の中、洸人の頭に浮かぶのは、今ここを出て行った、もう一人の幼馴染の笑顔だった。
――ひめか。本当にずっと好きだったのは、お前なんだよ……っ!
4人の関係を壊すのが怖くて、お前が誰を好きなのか怯えているうちに、俺はこんな取り返しのつかない檻に閉じ込められてしまった。
自分の弱さが、自分を殺し、ひめかを遠ざけ、そして、自分を真っ直ぐに愛してくれたあいかの心まで徹底的に破壊してしまった。
「……あ、ああぁぁぁーーーっ!!! ごめん、ごめん、みんな……っ!! ひめか……っ!! あいか……っ!!」
洸人の絶望の叫びが、無人の部屋に響き渡る。
その微かな叫び声は、夜の廊下を進む三人の元にも届いていた。
ひめかは胸を激しくざわつかせながら振り返ろうとしたが、拓実はそれを無視するように足を早め、二人をさらに強く引き寄せた。
「うちら……悲しすぎるじゃん……!泣」
あいかの叫びが、三人の行き場のない心に深く突き刺さる。
「う、うわぁぁん……っ! 本当に、本当にそうだよね……っ!!」ひめかがついにその場にボロボロと崩れ落ちた。「なんで、なんでみんなこんなに誰かを一生懸命想ってるのに、誰も幸せになれないのよぉ……っ!!」
「ほんまやな……。悲しすぎるわ、こんなん……っ」拓実も二人の肩を抱き寄せながら、涙を止めどなく流した。「なんでこんな、全員ボロボロにならなあかんねん……っ!!」
私を見てくれない拓実、あいかを見つめ続ける拓実。そして、部屋の奥で絶望して泣いている洸人。全員の痛みが分かりすぎて、ひめかの心は引き裂かれそうだった。
「……あいか……っ。でもね……! こんなに悲しいのは、うちらが、うちら4人が、お互いのことを本当に、本気で大好きだったからだよ……っ!!」
拓実は、あいかの涙を自分の震える手で優しく拭いながら、真っ直ぐにその目を見つめた。
「あいつの叫び声も、ひめかの涙も、お前のその痛いほどの優しさも……全部、全部背負って、俺はお前の隣におる。うちらの恋がどんなに不器用で、どんなに悲しい結末やとしても……俺はお前を好きになったこと、4人で幼馴染でおれたこと、絶対に後悔せぇへん」
拓実は、あいかの頭を再び優しく自分の胸に引き寄せた。
誰も悪くない。ただ、あまりにも真っ直ぐにお互いを想いすぎただけだった。
全員の矢印が、誰一人として交わることなく、お互いをすれ違いざまに切り裂いていく。
四角形の尖った角で傷つけ合った三人は、夜の静寂の中で、互いの体温だけを確かめ合うように、いつまでも、いつまでも抱き合って泣き続けた。
ケンチャナ!……ってドッキリかよ!? 〜恐怖と絶望の小児科病棟〜
序章:夜の小児科病棟にて
「離して……! 嫌だぁ……! 怖い……‼︎」
深夜の小児科病棟に、引き裂くような悲鳴が響き渡った。 ベッドの上で激しく暴れ、点滴のチューブを引きちぎろうとする小さな少女、ここな。翌日に脳の手術を控え、恐怖心はとうに限界を超えていた。
その体を、緑色のスクラブに身を包んだ小児科医、川西拓実が体ごと優しく包み込む。ベッドから落ちないようにしっかりと抱きしめ、その耳元で、驚くほど穏やかで温かい声を響かせた。
「……離さへん。絶対に離さへんよ、ここな。嫌なのも怖いのも、全部ここにいるみんなで半分こしたるから。一人で抱えんでええ、全部俺らに預けなさい」
その力強くも優しい言葉に、ここなの激しい抵抗が、小さな震えへと変わっていった。
第一章:決戦の朝
翌朝。手術当日の病室には、昨日から一睡もせずに心配していた医療スタッフたちが、交代で準備を整えて集まっていた。
「ここなちゃん、おはよう。いよいよ当日だね」
ナースの西洸人が、手術着に着替えたここなのベッドの横で、昨日引きちぎってしまった絆創膏の跡を優しく撫でる。 「うん、やっぱりちょっと緊張して硬くなってるか。でも、昨日あれだけ気持ち吐き出せたんだから、今日はもう大丈夫。約束通り、俺がずーーっと横にいるからね」
「おい、ここな」 ポカリスエットの入ったコップを片付けながら、ナースの鶴房汐恩がわざと不敵に笑う。 「昨日あんなに大暴れしたんやから、今日の手術室なんて余裕やろ? ……って、冗談や。怖くなったら、手術室入るまで俺の手、ちぎれるくらい握っててええからな」
「ここなちゃん、おはよう。朝のチェックさせてね」 聴診器を首にかけ、優しく微笑みながら入ってきたのは小児科医の高塚大夢だ。ベッドサイドに目線を合わせてしゃがみ込む。 「うん、呼吸も落ち着いてるし、バッチリ。大夢先生も、手術室の前まで一緒に歩いていくからね。一人じゃないよ」
ナースの後藤威尊は、ここなの髪を優しく二つ結びに結び直してあげていた。 「よし、これで髪の毛もバッチリ! 手術の帽子被っても可愛いわ。ここなちゃんが眠ってる間、威尊お兄ちゃんがこの病室、ピッカピカにしてお留守番しとくからな。戻ってきたら、またみんなで楽しい話しような」
そこへ、オペ着に身を包んだ拓実が入ってくる。その目は、昨日とは打って変わって真剣そのもの、けれど奥底には深い慈愛が満ちていた。 「……ここな、おはよう。いよいよやな。昨日言うたこと、覚えとる? 先生が絶対に、ここなの頭の痛いの治したる。ここなが目を覚ました時には、大成功したでって一番に伝えたるから。……よし、一緒に行こか」
張り詰めた空気の中、ここなは涙目を浮かべ、大夢のスクラブの裾をぎゅぅぅっと強く掴んだ。 「ひろむせんせ……怖いよぉ……帰りたいよぉ……泣」
大夢の胸が、締め付けられるように痛む。彼は愛おしそうに、ここなを包み込むように抱きしめ返した。 「……うん、うん。怖いよね……お家に帰りたいよね……。ごめんね、本当に代わってあげられなくてごめん。でもね、大夢先生、ここなちゃんがまたお家で大好きな笑顔で過ごせるように、この手術を絶対成功させるって約束する。……この手、手術室のギリギリまで絶対に離さないからね」
その時、ここなの耳元で囁いた。ここなは韓国生まれ日本育ちで、韓国語はほとんど分からない。けれど、威尊は彼女のために、ある言葉を用意していた。
「ここなちゃん。威尊お兄ちゃん、実はな……ここなちゃんがこれから手術室に向かうときのために、お守りになる言葉を覚えてきたんよ」
威尊は、包み込むような声音でゆっくりと語りかける。 「『ケンチャナ』。韓国語、これくらいなら聞いたことあるかな? ……『ケンチャナ、ここな。ハルスイッタ』。意味は分からんでも、この言葉の響きがここなちゃんを絶対に守ってくれるから。みんながついてる。ケンチャナ、大丈夫やで」
その言葉を胸に、ここなは手術室へと運ばれていった。
第二章:暗転
手術室。 緑色の術衣に身を包んだ拓実、大夢、そして器具を渡す洸人が、緊迫した空気の中で集中していた。モニターの規則正しい電子音だけが響く中、突然、執刀中だった拓実の手が止まる。
『ピピピピピピ! ピピピピピピ!』
突如として、激しいアラーム音が室内に鳴り響いた。
「っ……! 拓実先生、ここなちゃんの血圧急低下! 心拍数も一気に落ちてます!!」 洸人が鋭い声を上げる。大夢もモニターに目を走り戻し、顔色を変えた。 「シャント設置中に脳圧が急変動したか……っ!? 呼吸状態も不安定です、拓実先生!!」
「全員、落ち着け!!」 拓実が一瞬だけ目を見開くが、すぐに鋭い声で指示を飛ばす。 「洸人くん、ボスミン1アンプル静注! 大夢先生は速やかに気道確保と人工呼吸器の調整、麻酔科のサポートに入って!!」
「ボスミン1アンプル、ルートから行きます!! ……ここなちゃん、頑張れ、戻ってこい……っ!!」 洸人が迷いなく注射器を手に取る。大夢もここなの顔を固定し、器具を調整しながら叫んだ。 「呼吸同調させます! ここなちゃん、大夢先生だよ、聞こえる!? 頑張って、まだお家に帰るって約束してないでしょ!!」
「……ここな、お前はこんなところで負けるような弱い子ちゃう。絶対に俺が助けたる」 拓実は手元を一切狂わせず、額に汗を浮かべながら脳外科の手技を続ける。 「みんな、ここからが正念場や。絶対にここなを帰すぞ!!」
しかし、医療スタッフの必死の祈りも虚しく、最悪の音が手術室に響き渡った。
『ピーーーーーーーーーーーー』
「っ、心停止……!? 拓実先生、ここなちゃんの心臓、止まりました……っ!!」 洸人の声が裏返る。
「ここなちゃん!!! 嘘だろ、ここなちゃん!!!」 大夢の顔から血の気が引き、すぐさまここなの胸元に手を置き、必死の形相で胸骨圧迫を開始した。ベッドが大きく揺れる。 「戻ってきて……っ!! お願いだから戻ってきて、ここなちゃん!! だっこしてって言ったじゃん……! 怖いよって、一緒に帰ろうって約束したじゃんか……!!」
「西くん、アドレナリン追加!! 除細動器準備!!」 拓実は術野をすぐさま保護し、震えそうになる手を必死で抑えつけながら叫ぶ。 「大夢先生、心マ止めんな!! 絶対に諦めるな!!!」
「アドレナリン追加行きます!! パッド装着!!」 洸人は自分の太ももを叩いて手の震えを止め、薬液を吸い上げる。 「ここなちゃん!! 威尊くんも汐恩も病室で待ってんだよ!! 頑張れ、戻ってこいよ……っ!!!」
「ここな……っ!!」 拓実はここなの青ざめていく顔を見つめ、歯を食いしばった。 「ケンチャナって、大丈夫って言ったやろ……!! お前を絶対に死なせへん!!! 戻ってこい、ここなーーーーーっ!!!!」
しかし、無情にも電子の連続音は途切れない。
『ーーーーーーーーーーーーーーーー』
大夢は狂ったように胸を押し続けた。 「……やだ……嫌だ、嫌だ!! 戻ってきてよ!! ここなちゃん!! お願いだから目を開けてよ……っ!!」
「……拓実先生……っ」 除細動器のモニターを見つめたまま、洸人の目から大粒の涙が床に落ちる。 「波形、フラットのままです……っ。反応、ないです……っ」
「……大夢、先生……。……もう、やめ、やめるんや……」 拓実の声が激しく震える。自分の手が、ここなの血で真っ赤に染まっているのを見つめたままだった。
「嫌だ!!! まだ、まだ諦めない!!!」 大夢は涙で視界をぐしゃぐしゃにしながら押し続ける。 「威尊くんが、お留守番して待ってるんだよ!? 汐恩だって待ってるんだよ!? 治したるって、拓実先生が一番に伝えるって言ったじゃんか……っ!!」
「大夢、もう、ここなを休ませてあげよう……っ」 拓実は大夢の肩を、痛いくらいに強く、抱きしめるようにして止めた。 「これ以上、この小さな体を傷つけたらあかん……っ、俺の、俺のせいや……っ」 拓実はボロボロと涙を溢れさせ、ここなの遺体にすがりつくように崩れ落ちた。
「……ここなちゃん……ごめん……っ。守ってあげられなくて、本当に、ごめん……っ!!」 洸人も声を押し殺して号泣し、ここなの冷たくなり始めた手をそっと両手で包み込んだ。
2026年5月20日。 ここなの短い人生の幕は、あまりにも残酷に閉じられた。
第三章:連鎖する呪い
その日の深夜。誰もいない暗がりの医局で、拓実は一人、血のついた術衣のままデスクに突っ伏して、声もなく肩を震わせていた。
「……すまん……ここな、すまん……っ。俺が、俺の手が、お前の未来を奪ってもうた……っ」
自分を責め続ける拓実の耳元に、突然、部屋の温度がスッと下がるような、不気味で冷たい風が吹き抜ける。そしてーー。
「……治してくれるって、言ったじゃん……」
「(っ、ここな……!?)」 拓実は弾かれたように顔を上げた。
暗闇の中にぽつんと佇む、顔色のない、虚ろな目をしたここなの姿。その胸元からは、黒いモヤがゆらゆらと立ち上っている。
「絶対に助けるって言ったのに……嘘つき。痛かった、苦しかった……っ! なんで、ここなを殺したの……? 拓実先生のせいだ……! 拓実先生なんて、大嫌い……っ!!」
「……おっしゃる通りや……! 全部、全部俺のせいや! お前を救えんかった俺を、いくらでも呪えばええ……! でも、ここな、そんなに悲しそうな顔せんといてくれ……っ、本当に、本当にごめん……っ!!」
拓実が床に膝をつき、涙を流して謝罪したその瞬間、ここなの霊の虚ろな瞳が、真っ黒く歪んだ。 「……許さない。拓実先生も、ここなと同じくらい痛くて苦しい思い、すればいいんだ……っ!!」
黒い霧が拓実の胸元に吸い込まれた瞬間、拓実は心臓を素手で掴まれたような、凄まじい激痛に襲われた。 「う、あ……っ!!! あああああっ!!!」
バキバキバキッ!と、医局の蛍光灯が激しく点滅し、周囲の医療器具がガタガタと音を立てて震え出す。 「(は、がっ……ここ、な……っ! ぐあぁぁぁぁっ!!!)」
その時、異変を察知して廊下を走ってきた大夢と洸人が、勢いよく医局のドアを開けた。 「拓実先生!? 何の音ですかっ……って、うわっ、何だこれ、部屋がめちゃくちゃ寒い……っ!?」 「拓実先生!! しっかりしてください!! 顔色が土気色だ、これ、心不全の症状……っ!? 誰か、救急カート持ってきて!!」
洸人が拓実の体を抱き起こそうとした、その瞬間だった。
「……洸人お兄ちゃんも。……ずーーっと横にいるって言ったのに、ここなの手、離しちゃったよね……?」
「っ……ガハッ、あ、あぐっ……!?!?」 突然、洸人が目を見開いて自分の首を両手で掴んだ。
「洸人くん!? うそ、何で……何が起きてるの!?」 大夢が叫ぶ。洸人の背後には、黒い霧を纏ったここなの霊がぴったりと張り付き、その首を背後からギリギリと締め上げていた。
「が、はっ……ここ、なちゃん……? ごめ、っ……ごめ……っ」 洸人は心臓を直接握り潰されるような激痛に、床に崩れ落ちる。
「ひ、洸人、くん……っ! 逃げ、ろ……っ! ここな、頼む……洸人くんは、関係ない……っ、俺だけを、呪えば……っ!!」 拓実が必死に手を伸ばす。
「うそつきは、みんな一緒。ここな、寂しかったんだよ……? 一緒に行こう? 拓実先生、洸人お兄ちゃん……!」 ここなの霊は涙を流して笑う。
「やめろーーーっ!!! ここなちゃん、お願いだからもうやめて!!」 大夢は二人の体を必死に抱きしめ、涙を流して叫んだ。 「これ以上、誰も連れて行かないで……っ!!」
しかし、大夢の叫びも虚しく、医局の電気が激しく火花を散らして消え、部屋は完全な闇に包まれた。
『ーーーピーーーーーーーー』
拓実と洸人の絶叫が同時に途絶えた。
「拓実先生!? 洸人くん!? 嘘だろ……脈が、ない……二人とも、嘘だろ!? 目を開けてよ!!! 誰か!!! 誰か来てくれよ!!!」
ゆっくりと医局の非常灯が薄暗く灯る。そこに横たわっていたのは、完全に心停止し、ピクリとも動かなくなった拓実と洸人の冷たい身体だった。
「……拓実先生、洸人お兄ちゃん。一緒に行こうね……?」 ここなの霊が両手を優しく差し伸べると、二人の身体から、魂がゆっくりと立ち上がる。
「……待たせてごめんな、ここな。もう痛くないか? これからは、ずっと一緒や」 拓実の霊がここなの頭を優しく撫でる。
「約束、破ってごめんな。でも、もう二度とこの手は離さないから。……大夢、あとは頼んだぞ」 洸人の霊がここなの手をしっかりと握りしめる。
三人の姿は、温かい光の中に溶けるようにして消えていった。
第四章:崩壊する精神
翌朝。病院内は、ここなの死、そして深夜の医局で起きた拓実と洸人の突然の心停止というトリプル不審死に騒然としていた。
何も知らないまま、一人だけ生き残ってしまった大夢は、抜け殻のようになって病室の隅に座り込んでいる。そこへ、異変を察した威尊と汐恩が血相を変えて飛び込んできた。
「大夢……っ! なぁ、どういうことや!? ここなちゃんだけじゃなくて、拓実先生も洸人くんも死んだって……おい、何があったんや説明してくれ!!」 威尊が詰め寄る。
「……ここなちゃんだよ。ここなちゃんが、連れて行ったんだ……。約束守れなかったから、怒って、寂しくて、みんなで行っちゃったんだよ……」 大夢の目は焦点を結ばない。
「ふざけんな!! 訳わからんこと言うなや!! なんで……なんで俺らだけ置いていくんや」 汐恩が大夢の胸ぐらを掴み、涙をボロボロと流しながら声を荒げる。 「昨日あんなに一緒に、頑張ろうって、大丈夫って言うたやんか……っ!」
すると、掴みかかる汐恩の手を威尊がそっと制した。その顔には、狂気を孕んだような、どこか歪んだ笑みが浮かんでいた。 「……なぁ、汐恩。大夢の言う通りかもしれんで。ここなちゃん、韓国語で『ケンチャナ』って言ったとき、嬉しそうやった。でも、独りぼっちは寂しかったんや。拓実先生と洸人くんだけずるいわ。……俺らのことも、呼んでくれるよな?」
汐恩はハッと目を見開いたあと、ふっと視線を落として力なく笑った。 「……そうか。そうやな。あいつらだけで、ここなを独占するなんて許さん。俺、ここなの手がちぎれるくらい握っててええって約束したしな……」
「……僕が、だっこしたから」 大夢は二人を見上げ、涙を流しながらブツブツと呟き続ける。 「僕が、一番最後に抱きしめたのに……なんで僕だけ置いていくの……? ここなちゃん、僕も、僕もそっちに連れてってよ……っ!!」
静まり返った病室には、誰からともなく「ここな……」「ここなちゃん……」と、その名前を呼ぶ、病んだ呟きだけが冷たく響き渡り、絶望が部屋を完全に支配したーー。
その、瞬間だった。
終章:テッテレー!
『テッテレーーーーーー!!!』
バァン!!! と病室のドアが、鼓膜が破れんばかりの勢いで開き、派手なクラッカーの音が鳴り響いた。
「「「大成功ーーーーーーー!!!!!!」」」
「……は?」と威尊。 「…………え?」と汐恩。
入り口には、満面の笑みで「ドッキリ大成功」のプラカードを持ったここな。そして、死んだはずの拓実と洸人が肩を組んで立っている。拓実に至っては、死んだときの「臨終メイク」のまま満面の笑みでピースサインを決めていた。
「いや〜〜! 大夢、威尊、汐恩! 名演技すぎてこっちが泣きそうになっちゃったわ! 特に大夢の『僕も連れてってよぉ〜泣』のところ、最高だったぞ!!」 洸人がお腹を抱えて大爆笑する。
「いやぁ、ここなの幽霊の演技すごかったなぁ! 『嘘つき……っ!』って言われたとき、マジで心臓止まるかと思ったわ、ハハハ!」 拓実もメイクをシートで拭き取りながらケラケラと笑っている。
ここなはケロッとした顔で、呆然とする威尊と汐恩に駆け寄った。 「威尊お兄ちゃん、汐恩お兄ちゃん! ここな、手術大成功したよ! 頭の痛いの、拓実先生が全部治してくれたの!」
「……え? ……え? じゃあ、あの心停止のアラームは……? 医局で死んでたのは……?」 大夢は涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔のまま、床にへたり込んで震えている。
「あ、あれ? 音響担当の音と、俺らの死体メイク! 洸人くんの白目の演技、マジでリアルやったろ?」 拓実が親指を立てて自慢げに笑う。
その時、病室の空気が再び凍りついた。ただし、今度は絶望ではなく、純粋な「怒気」によって。
「……拓実先生。洸人くん。ここなちゃん……」 威尊の声が、聞いたこともないような超低音ボイスに変わる。
「おい……。俺らがどれだけ本気で絶望したか分かってんのか……? 覚悟しろよ、お前ら……!!」 汐恩がバキバキと拳を鳴らし、目が完全に据わっている。
「(笑顔が引きつる)え、あ、あれ……? 怒ってる……? ここなちゃん、逃げるぞ!!!」 洸人が叫ぶ。
「キャーッ! 怒られたー!(笑)」 ここなを楽しそうに抱え直した拓実と洸人が、一目散に廊下へ逃げ出す。
「待てコラァァァ!!!(怒)」 汐恩と威尊、そして急に元気を取り戻した大夢が般若の形相でその後を追う。
生きている喜びと、あまりにもタチの悪いドッキリへの怒りが爆発し、小児科棟は大追いかけっこ大会の会場と化した。ここなの頭の痛みはすっかり消え去り、いつもの賑やかで温かい日常が、最悪で最高の形で戻ってきたのだった。