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2 氷の継母2
義母は少し、辺りを見回す。
目があったような気がしたが、気のせいだったようだ、護衛を引き連れて屋敷の中へ入ってしまった。
(すごく、綺麗な人だったわ)
きりっとした目に、少しも乱れていない髪の毛。美しい姿勢と顔には妖しささえ覚えるような完璧な人だった。
公爵といえど、あんなだらけた父とは大違いだ。
(あの方のマナー講座を受けてみたいわ)
そうすれば少しはこの家の待遇も変わるかもしれない。
まあ、無理だろうが。
「お嬢様、夫人に呼ばれては大変ですから、ドレス、着ますよ」
「はい」
ウェーランに呼ばれ、私は鏡台の前に立つ。
私はウェーランにコルセットを締めてもらいながら聞いた。
「ねえ、ウェーラン? 私は今までメイド同然の生活をしていたのに、コルセットだけはつけていたのってなぜかしら?」
「……ああ、それは……セリーナ様が万が一、結婚したくない方から縁談が来てしまった場合……お嬢様をお嫁に出すため、です。粗相があってはいけませんから」
「なるほど。まあ、そのおかげでこうやって本当に必要になった時、辛くないからまあ、いい……のかしらね?」
「……お嬢様次第です。……さあ、お嬢様、パニエは何枚に致しますか?」
「……2枚で」
「これから先はもっときつくなりますよ?」
「じゃあ、3枚」
「承りました~」
ウェーランは今までより高い声でだんだん履かせていく。
「……うぐぅ」
「それでは一人前にはなれませんよー。ドレスを着せますね」
ウェーランは手際よくドレスを整えると、最後に淡い銀色のリボンを結んだ。
「はい、完成です」
鏡に映った自分の姿を見て、私は少しだけ目を瞬かせた。
「すごくお似合いですよ、お嬢様!」
「ウェーランは私を買いかぶりすぎよ」
「そんなことありません。お嬢様は元々とてもお綺麗です」
さらりと告げられてしまい、私は少しだけ視線を逸らした。
コンコン。
部屋の扉が叩かれる。
「入ってもよろしいでしょうか」
少し慌てたような執事長の声が聞こえる。
「どうぞ」
ウェーランが答えると、すぐにドアが開いた。
「奥様がお呼びです。……そちらのドレスは、セリーナ様のものでは?」
執事長はもともとセリーナのお付きの執事だったようで、顔をしかめた。
その反応だけで、私はなんとなく察してしまった。
このドレスも、本来なら私のために用意されたものではないのだ。
ウェーランが眉をひそめる。
「ですから何だと言うのですか? セリーナ様がお亡くなりになった以上、誰かが着なければ保管されるだけでしょう」
「そういう問題ではない」
執事長は不快そうに言った。
だが私は首を振る。
「大丈夫よ、ウェーラン」
もともと期待していなかったことだ。
私は静かに立ち上がる。
「お義母様がお呼びなのよね?」
「……はい」
執事長は一礼した。
執事長に案内され、私は応接間へ向かった。
---
応接間の前に到着すると、執事長がノックをした。
「奥様。ネージュ様をお連れいたしました」
「入りなさい」
広い部屋の中央には、黒いドレスを纏った義母が優雅に腰掛けている。
父はその隣に座っていたが、どこか落ち着かない様子だった。
私は静かに頭を下げる。
「お初にお目にかかります、お義母様。ネージュ・アルセリアでございます」
私が礼をすると、部屋にはしばし静寂が落ちた。
まるで、品定めをしているかのようだ。
と、不意に義母が口を開いた。
「顔を上げなさい」
「はい」
言われた通り顔を上げる。
その瞬間、義母の赤い瞳がわずかに見開かれた。
「……そう」
ぽつりと呟く。
「……すぅ……あなた、その腰はどうしたの? 少し曲がっているわ、怪我をしているのではないかしら? あと、そのドレスはサイズが合っていないわ。誰かのおさがりなのかしら。執事長、すぐにネージュにあったドレスの用意と医者の手配をお願いします。……ネージュ、あなたお作法の授業はあった? そのあいさつでは相手に失礼だわ」
私は一瞬、何を言われているのかわからなかった。
腰、ドレス、それに挨拶のことまで。
一度に言われすぎて頭が追いつかない。
「え、あ……」
思わず言葉に詰まる。
義母は小さく眉をひそめた。
「返事は?」
「は、はい」
「違うわ」
「……え?」
「はい、ではなく『はい、お義母様』。相手に敬意を示す時は言葉を省略しないものよ」
厳しい口調だった。
義母の言葉に、私は反射的に背筋を伸ばした。
「は、はい、お義母様」
「よろしい」
義母は頷く。
その様子を見ていた父が、どこか困惑したように口を開いた。
「エレオノーラ、公爵家の挨拶としては十分だろう」
「十分ではありません。エディルオ、彼女がきちんとしたあいさつをすることによってわたくし達の面子も立ちますわ」
ぴしゃりと言い切られ、父は口を閉ざした。
義母は優雅に紅茶を口へ運ぶ。
そしてカップを置くと、私へ視線を向けた。
「ネージュ」
「はい、お義母様」
「あなた、今まで家庭教師はついていた?」
「いいえ」
「音楽は?」
「少しだけ独学で」
「外国語は?」
「近隣三か国の読み書きなら」
義母の眉がぴくりと動いた。
「独学で?」
私はそこで待ってました、と言わんばかりの食いつきで息を吸った。
「いいえ、幼いころから私の専属メイドであるウェーランに習いました」
「メイドに!?」
「はい」
義母の声がわずかに大きくなった。
父も執事長も、揃ってウェーランのほうを見た。
当のウェーランは応接間の隅で控えていたのだが、突然全員の視線を浴びてびくりと肩を震わせる。
「ウェーランと言ったわね」
「は、はい」
「あなたがネージュに外国語を?」
「す、少しだけです!」
ウェーランのことを驚いたような目で見つめると、義母は私の方を見た。
「ネージュ、近隣三か国語の読み書きはどの程度できるの?」
「新聞程度なら問題なく」
「手紙は?」
「隣国の王族を招待する手紙ぐらいなら書けます」
今度は義母が天を仰いだ。
父も天を仰いだ。
執事長まで天を仰いだ。
なぜだろう、今日の応接間は首に悪そうな人が多い。
「ネージュ、その場で隣国の言葉を話してみなさい」
「どこの国の言葉でしょうか」
義母は数秒沈黙したあと、小さく息を吐いた。
「南方連合語で」
「承知いたしました」
私は流れるように南方連合語で挨拶した。
さらに義母がいくつか質問を投げてくる。
私は普通に答えた。
そのやり取りが終わる頃には、応接間が妙な静けさに包まれていた。
父など口が半開きである。
「……」
「お義母様?」
「今度は西方王国語」
「はい」
同じように返答する。
さらに東部諸侯国語。
そちらも問題なく答えた。
義母はふぅ、と息を吐く。
「家庭教師を三人。礼儀作法、歴史学、政治学。音楽教師も必要ね」
「お義母様?」
「ドレスは十着ほど作らせましょう。部屋の家具も交換。食事はわたくしと一緒に取りなさい」
父は勢いよく立ち上がった。
「おい待て、エレオノーラ! そこまでする必要はないだろう!」
義母はカップを置き、静かに父を見た。
「必要で。「家庭教師なしで三か国語を習得し、礼節も最低限は身についている。才能も努力もある子です。それを放置する理由がわたくしには理解できません」
「……好きにしろ」
どこか投げやりな声だった。
しかし義母は満足そうに頷く。
「ええ、そうさせていただきます」
そして再び私へ向き直った。
「ネージュ」
「はい、お義母様」
「あなたは自分の価値を理解していないようね」
「価値、ですか?」
私が問い返すと、義母はやわらかくも崩れないような完璧な笑みを浮かべた。
「あなたは今日から毎日わたくしのところへ来なさい」
「え?」
「価値観の矯正が必要だわ」
「か、価値観の矯正ですか?」
「重症ですもの」
(重症……? 何の話かしら……!?)
私が混乱していると、義母は再び紅茶を口に運んだ。
「例えばよ、ネージュ」
「はい、お義母様」
「もし誰かが三か国語を話せて、礼儀作法も独学で学んでいて、家中の仕事をこなし、文句一つ言わず努力していたとするわ」
「はい」
「その人物をどう評価する?」
私は少し考えた。
「……とても優秀な方だと思います」
「そうね」
義母は頷いた。
そして指を一本立てる。
「その人物があなただとしたら?」
「違うと思いますわ。私は失敗も多いですし、要領も悪いですし、顔も普通ですし、家事しかできません」
私は口を閉じた。
義母は深々とため息をつく。
「まず一つ教えてあげる」
義母はまっすぐ私を見た。
「虐げられて育った子は、自分を過小評価する癖がつくの」
私は目を見開く。
「周囲から価値がないと言われ続ければ、それを信じてしまう。あなたはその状態よ」
「……」
「だから今のあなたの自己評価は当てにならないわ」
「もし、本当に価値がある人間なら……どうして誰もそう言ってくれなかったのでしょう」
義母の赤い瞳がわずかに細められた。
「簡単な話よ、周囲が間違っていたから」
「才能のある子に教育を与えず、怪我をしても医者を呼ばず、まともな服も食事も与えない。それを育成とは呼ばないわ」
「三か月後、王都で夜会が開かれるの」
「そうなのですね」
「あなたも参加するわ」
私は固まった。
「む、無理です! というかダメです!」
「だから勉強するのよ。大丈夫。あなたなら出来るわ」
私は不意に胸が熱くなるのを感じた。
信じてもらえる、という当たり前のことが、どうしてこんなにも嬉しいのだろう。
気付けば視界が少し滲んでいた。
「まったく」
義母は小さく呟く。
「この家は、本当に宝石の扱いを知らなかったのね」